「Nothing」と一致するもの

interview with Tourist (William Phillips) - ele-king

 朝目が覚めたとき、妙なフィーリングにとらわれることがある。つい数秒前まで大冒険を繰り広げていたはずだった。アラームが鳴り響いた瞬間はまだ半分くらいそっちの世界にいる。どうやら刻限らしい。かならず戻ってくる。おまえらとの友情は永遠だ。この体験は生涯忘れない──そう固く決意しログアウトした瞬間、さっきまでなにをしていたのか、あっという間に記憶が薄れていく。見知った天井。絶対に忘れてはならないたいせつな出来事が起こったはずだけれど、電車に遅延はつきものだ。一刻も早く歯を磨かなければならない。ようこそリアル。ここがきみの居場所だ。

 その感覚がこのアルバムそのものなんだ──そうウィリアム・フィリップスは述べる。旅行者=ツーリストを名乗り、2010年代後半から4枚のアルバムを発表、2015年にはグラミー賞まで手にしているエレクトロニック・プロデューサーの5枚目のアルバムは『記憶の朝』と題されている。MJコールにフックアップされたという彼は、ハウス~UKガラージ、ブレイクビーツ~ジャングルといった、けして生やさしいとはいえない現実のなかで発明されてきたリズムを駆使し、やさしげな旋律と蠱惑的なヴォーカル・サンプル、きらきら輝く電子の断片をもってどこまでも夢幻的な空間を演出する。この桃源郷はタイコパンサ・デュ・プリンスらのエレクトロニカと通じるものだ。あるいはその淡くはかなげなポップネスに着目するなら、ナッシュヴィルのシンガー・ソングライター、コナー・ヤングブラッドあたりと並べて聴いてみるのも一興かもしれない(スタイルはまったく異なるけれど)。どこまでも広がる、ただただ美しい世界──わかってる。これは現実じゃない。だからこそ、いい。「ぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ」。フィリップスは音楽がもつ最高の効用のひとつ、エスケイピズムを称揚する。
 個人的なオススメは最後に配置された表題曲 “Memory Morning” だ。30周年を迎えたエイフェックス・ツインの名作『SAW2』(の数曲)を想起させるメロディに導かれ、ヒップホップのビートと、鳥のさえずりのごとくチョップされた音声が一日のはじまりを告げる──夢とうつつの転換、あのえもいわれぬ短い時間を表現しているのだろう、なんともさわやかなダウンテンポである。
 というわけで、このうるわしいアルバムを完成させた当人に、まだ日本ではあまり知られていない自身の背景について語ってもらった。

MJコールに大きな影響を受けたよ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。

最初のシングルのリリースが2012年かと思いますが、音楽制作をはじめたのはいつ頃からですか?

Tourist(以下T):音楽制作? うわぁ……ぼくは1987年生まれ、つまりいま37歳ということになるんだけど、曲を作りはじめたのはたぶん10歳か11歳の頃じゃないかな。

通訳:早かったんですね。

T:そう、大昔だよ。3歳か4歳くらいの頃にピアノを弾くようになったんだ。レッスンを受けたわけじゃないけど、家にピアノがあったからね。なにせ3歳だし、押すと音が出るからすごく興味を持ったんだ。ワクワクしたよ。37歳のいまになっても、どこか押して音が出るとやっぱりワクワクする(笑)。
 ぼくにとって音楽というのはエンドレスで興味を惹かれるものなんだ。どんなタイプのものでもね。自分で書く曲のタイプも成長するにつれて変わっていった。10代のころ書いていたのと、20代のころ書いていたのと、30代になってから書いていた曲はちがうんだ。
 EP「Tourist」はそんななかで、これから長い間やっていくだろうと思ったタイプの音楽に、初めてコミットした作品だった。自分にとって初めてのちゃんとしたアーティスティックなペルソナだったんだ。それが……いまから12年前か。25歳だから、ひとによっては遅いとみる向きもあるかもしれないね。20代前半もけっこう曲を書いていたけど、あまり成功したわけじゃなかった。20代半ばくらいになってやっと手応えを感じてきたという感じだね。
 曲をコンピュータでつくりはじめたのはたぶん10歳くらいのころだと思う。

通訳:ツーリストを名乗りはじめたころに手応えを感じはじめたんですね。

T:そう、「Tourist」という名前だったらやりたいことがなんでもできると思ったんだ。あまり束縛感がなかったし、ダウンテンポでもハウス・ミュージックでも、UKガラージだっていい。この名前なら好きにやれると思ったんだ。そういう認識だけでもすごく助けになる。自由に音楽を感じて、自分に「好きにやっていいよ」と言えるからね。「Tourist」はぼくにとってそういうものなんだ。

通訳:ツーリストのように、どんなタイプの音楽を旅してもよいということですね。

T:(コップからなにか飲みながらにっこりうなずく)

音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。

幼いころはどういった音楽を聴いて育ってきたのでしょう? あなたにもっとも大きな影響を与えたアーティストはだれですか?

T:子どものころはドラムンベースやUKガラージをたくさん聴いていたんだ。LTJブケムが大好きだったね。それからロニ・サイズ、エイフェックス・ツイン、ケミカル・ブラザーズも大好きだった。少年時代はアヴァランチーズも大好きだった。ロイクソップも大好きだったし……メロディックで夢見心地な感じの音楽にインスピレイションを得ていたんだ。UKガラージではMJコールに大きな影響を受けたよ。人生にもほんとうにたいせつな影響をくれたひとなんだ。初めてのチャンスをくれたのも彼でね。ぼくが17歳くらいのころに曲をリリースさせてくれたんだ。

通訳:そうだったんですね!憧れの人があなたを「発見」してくれたんですね。

T:そうなんだよ。彼にはたくさんの恩がある。ぼくの絶対的師匠みたいなひとだね。彼には大いにリスペクトを感じているよ。ぼくの人生のなかでものすごく重要な人物なんだ。ケミカル・ブラザーズ、MJコール、LTJブケム……それから子どものころはジャズも大好きだったよ。あと80年代のシンセ・ポップ。トーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョンニュー・オーダー。あの辺がぜんぶ大好きだった。20代のころにはフォーク・ミュージックを「ちゃんと」聴くようになった。10代のころはあまりクールに感じなかったんだけどさ(笑)。でも成長するにつれていろいろ学んで、耳を傾けるようになったんだ。……そんな感じで、ほんとうにたくさんの音楽を聴いてきたよ。

あなたはロンドン生まれのコーンウォール育ちだそうですが、コーンウォールの土地柄や風土は、あなたの音楽性に影響を与えていると思いますか?

T:ぼくは引っ越した当時の感覚をずっと憶えているんだ。ロンドンは魔法、ロンドンはカルチャー、ロンドンはあらゆるひとの場所だと思っていた。ところがぼくがまだ幼いころに両親が離婚して、コーンウォールに引っ越したんだ。まあ、よくある話だよ。
 コーンウォールのカルチャーはぜんぜんちがった。いい悪いじゃなくて「ちがった」。ぼくには馴染みがないものだった。思うに、コーンウォールで暮らしていたからこそ、ロンドンを思い出させる音楽をつくっていたんじゃないかな。ぼくのアイデンティティの大きな部分を占めていたからね。
 17歳くらいになって初めて、エイフェックス・ツインもコーンウォール出身だって知ったんだ。じっさいコーンウォールからはすばらしいアーティストがいろいろ出ているんだけど、ぼくにとって音楽をつくるのは、ある意味「コーンウォールにいない気分になる」ための手段だったのかもしれない(笑)。というのも、正直言ってコーンウォールに暮らしていたころはあまりいい思い出がないんだよね。だから音楽はぼくにとって現実逃避の手段だったんだ。自分の望む、大好きなカルチャーへの逃避。つまり90年代のロンドンだね。ジャングル、ドラムンベース、UKガラージ……ロンドンを思い出させてくれる音楽が大好きだったんだ。コーンウォール自体はすばらしいところで好きだけど、ロンドンは生まれたところだし、「どこ出身?」と訊かれたらロンドン出身と答えるよ(笑)。
 でもコーンウォールは海に近くていいところで、子ども時代はそこが好きだった。サーフィンもスケートボードもしたし、当時からの親友たちもいる。ただ、コーンウォールでぼくくらいの歳の子が音楽をつくるのはヘンというか珍しいことだった。

通訳:コーンウォールはあなたに逆説的な影響を与えた感じなのでしょうか。

T:そのとおり! 100%そうだね。自分がロンドンで恋しかったものを思い出させてくれたんだ。

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人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

ツーリストになる前もなってからもさまざまな作品を出してきましたが、これまでのアルバムないしシングルで、あなたにとっていちばんの転機となった作品はなんですか?

T:ふむ。いい質問だね……。ターニング・ポイントか~。……セカンド・アルバム(『Everyday』、2019)をつくり終えたときだったかな、人生には時間があまりないことに気づいたんだ。ファースト(『U』、2016)のときは時間があり余るほどあったから、自分がつくりたいまさに理想の音をつくることができた。でもファーストをつくり終えていざセカンドをつくるとなると……(ため息をつく真似)さて、これからどうする? と思うんだよね。
 ぼくのファースト・アルバムはそんなにビッグにはならなかった。大した成果はもたらさなかったけど、名は知られるようになった。その後セカンドをつくることになって、「そうか、何枚だって、好きなだけアルバムをつくればいいんだな」と気づいたんだ。すごく自由になれた気がしたよ。ファーストにたいしては出るまで後生大事にしているけど、いったん出ると拍子抜けしてしまうものだからね。グラミー賞を獲るとか、すごい会場でプレイするとか、そういうのがないかぎり。でもそのファーストがあまり目立たなくて、ぼくのことを知っているひとたちだけに届いたことによって、今度は自分の実力を証明しないと、と思ったんだ。ファーストをつくり終わってセカンドの曲を書きはじめて、何度でも繰り返して自分の実力を証明しよう、と思った。それにはただアルバム1枚分書くだけじゃだめ。もっともっとたくさんの労力を要するものなんだ。ぼくの好きなミュージシャンは全員……そう、全員が、何枚もアルバムを出している。それで気づいたんだ。このアルバムでやれなかったことは、次のアルバムでやればいいじゃないかってね。そう気づいてほっとしたよ。ものすごく自由な気持ちになれた。ただ1枚分だけじゃない。10枚分書くんだ。20枚分だって書ける。

通訳:1枚で終わりじゃなくて、その後も続くと。

T:ある意味1枚でおしまいだと思ったけどね。幼かったと思うよ。いまは「いや、何枚もつくればいいじゃないか」と思えるようになったんだ。ミュージシャンとして成長していくなかで、ほんとうにいろんなことを学ぶからね。

通訳:ということは『U』と『Everyday』の間がターニング・ポイント期という感じなのでしょうか。

T:そうだね。『U』でやったことをたんに繰り返すわけにはいかないと気づいたんだ。ほかのことをやらないと。ときの流れに適応しつつも、自分に誠実なものをつくることがたいせつなんだ。そうすると自分のスタイルはなんなのかということを考える。自分のスタイルはなんなのか。それをキープしながら変化させて、興味深いものにするにはどうしたらいいのか。あれはぼくにとって大きなターニング・ポイントだったね。
 ぼくのアルバムのなかで『Everyday』が好きだって言ってくれるひとは多いんだ。家でヘッドフォンで聴くのに向いていて、内向的だからね。一方ファーストの『U』はものすごく外に向いたアルバムだった。あの辺りがターニング・ポイントだった気がするね。というのも、『Everyday』を出してすぐ後……わずか8ヶ月後にぼくは(サード・アルバムの)『Wild』(2019)を出したんだ。それほどインスピレイションを得たということだね。次々にアルバムをつくっていけばいい、という考えに強くインスパイアされたんだ。すごく自由な気分になれたから、『Everyday』を出した後すぐに気持ちを切り替えることができた。

先ほどグラミー賞の話がちらっと出ましたが、あなたはツーリスト名義のファーストを出す前にグラミー賞を獲っています。あなたが作曲に参加したサム・スミスの “Stay With Me”(2015)は現在20億もの再生数を誇り、当時グラミーも受賞しました。その成功はあなたになにをもたらしましたか?

T:ものすごく正直に言わせてもらうと、ぼくがやりたい音楽をやる力を与えてくれたと思うね。ある意味すごく安定したし……それってミュージシャンにとってはプライスレスなことなんだ。住宅ローンを払うために毎週末DJしに行く心配をあまりしなくていいというのはね。
 ものすごく正直に言わせてもらうと、あの成功はぼくに自由を与えてくれた。そしてその自由をぼくは自分自身のプロジェクトに投資した。レコード会社が「こっち方面に力を入れようと思う。あなたには○枚アルバムをつくってもらいます」と言わないような、リスクをとりたがらないような分野にね。メジャー・レーベルのどこかを指して言っているわけじゃないけど、自由を得たことによって、ツーリストとはほんとうはなんなのかということに本格的にフォーカスすることができるようになったんだ。それが “Stay With Me” のくれた恩恵だね。“Stay With Me” がなかったらツーリストはいなかったと思う。“Stay With Me” はいまじゃクラシック・ソング(往年の名曲)化しているよね。すばらしいことだと思う。サムにもいろんなすてきなことをもたらしてくれて、彼のことを思うとハッピーだよ。ほんとうにすばらしいことになった。
 ぼくは曲を書くのが大好きで、いまもいろんなひとに曲を書いているけど、“Stay With Me” を超えるのは難しいね(笑)。でも、ぼくに自由を与えてくれた曲なんだ。

冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。

あなたの音楽の大きな特徴のひとつにヴォーカル・サンプルがあります。ヴォーカル・サンプルに惹かれるのはなぜですか?

T:それは……ぼくが基本的に人間の声が大好きだからなんだ。人間の声に手を入れた状態の音が大好きだし、それを逆回転させたときの響きも大好きなんだ。この世のものとは思えない崇高さが生まれるし、聴いたひと次第でそのひとだけのことばに聞こえてくる。そうすると言語の壁を超えるんだ。

通訳:たしかに!

T:興味深いよ。もしぼくがフランス語だけを使って曲をつくっていたら、フランス語圏のひとにしかアピールしなかったかもしれない。ぼくは人間の声をピアノとして扱って操作するのが好きなんだ。ぼくにとって人間の声というのは、それが合唱であろうと、歌であろうと、だれかが話している声であろうと、大好きなサウンドということには変わりない。というか、たいていのひとが好きなサウンドじゃないかな? そうじゃないかもしれないけど(笑)。でもそれがないとなにもできないからね。ともあれ、ぼくは人間の声が大好きなんだ。ただ大好きなだけで、それ以上におもしろい理由はないけどね。声に手を入れて、アレンジしたり、まったく独特のものにつくり変えたりすることによって、新しい意味を与えるのが好きなんだ。

美しい夢を見ているような、きれいな電子音もあなたの音楽の特徴です。現実のつらいことを忘れさせてくれるような、いい意味での逃避性があなたの音楽にはそなわっているように思います。先ほど少し触れていたかもしれませんが、それは、あなた自身が音楽に求めている効果や役割でしょうか?

T:そうだね。音楽というのはきわめて基本的な意味で、ぼくにとっては逃避性なんだ。いままでずっとそうだったし、いまもそうだね。
 音楽をつうじて他人のなかに自分自身を見るのが好きなひとは多いと思う。シンガー・ソングライターや作詞家が人気があるのはそれだよね。でもぼくにとって音楽というのはエスケープする場所なんだ。自分の行きたいところやほかのところに連れていってくれるものでもある。いろいろな場所を思い起こさせてくれるもの、ぼくを連れていってくれるもの。アイスクリームを食べるのに少し似ている気がするよ。

通訳:それはいい表現ですね(笑)。

T:「うまっ! 別世界に行った気分だ」みたいな感じ(笑)。ぼくにとってはドラッグだね。ぼくの脳や神経に影響を与えてくれるんだ。いい影響をね。だからなんだ。ひとになにかを感じさせてくれるところが大好きなんだ。それに……音楽はいくら食べても食べ過ぎにはならないからね(笑)!

通訳:たしかに! アイスは健康によくないときもありますが、音楽は健康にいいですからね。

T:そう、いちばんたいせつなことだよ。音楽は自分と他人をつないでくれるし、自分自身ともつないでくれるんだ。それがもっともたいせつなことだよね。だからAIでつくった音楽にはあまり興味がないんだ。人間がつくったものじゃないからおもしろ味がない。加工食品みたいなものだよ。もちろんマクドナルドを1日じゅう食べていることはできるけど、そこからなにか感じられるものはあるのか、だれかの表現だと感じられるのか。そこだよね。音楽は人間がつくった、いちばん効果的なコミュニケーションのかたちだと思う。

『Wild』のリミックスEP(2020)にはアンソニー・ネイプルズメアリー・ラティモアらと並んで、広島のプロデューサー、冥丁が参加しヒット曲 “Bunny” をリミックスしています。人選はあなたご自身によるものですか? 冥丁の音楽についてどんな印象をお持ちでしょう?

T:冥丁はほんとうに大好きだよ。彼はほんとにすばらしい。日本にはすばらしいプロデューサーが何人もいるよね。フードマン(食品まつり)もそのひとりだ。知ってる? ぼくのレーベルにいたぼくの友だちの曲をひとつリミックスしてくれたひとなんだ。
 冥丁の音楽はぼくにとって……ものすごくピースフルなんだ。あんな感じのものは経験したことがなかった。ひたすら美しいし、スケールもコードもよく考えて使われている感じがする。それでいてすごく人間味があるし、脆さと音楽性の高さが同時に存在しているんだ。彼があの曲のリミックスを手がけてくれたのはほんとうに光栄なことだった。とても気に入っているよ。

通訳:彼のことはリミックス以前から知っていたのでしょうか。

T:ああ、彼のアルバムですごく気に入ったのがあってね。名前が思い出せない! けど、おなじ年に出たんだよね。ちょっと待って、ぼくのSpotifyにあるか探してみるよ。それは……(PC画面を眺める)これだ! 『Komachi』だ。それがぼくの好きなアルバム。すばらしいアルバムだよ。ぼくの『Wild』とおなじころに出て、よく聴いていたんだ。それで彼にリミックスをお願いしたらイエスと言ってくれた。ほんとうに光栄なことだよ。

新作収録曲 “Valentine” はジェレミー・スペンサー・バンドの “Travellin’” からインスパイアされたそうですが、アルバム全体としてはいかがでしょう? 『Memory Morning』を制作するうえでもっとも大きく影響を受けた音楽はなんでしたか?

T:サイケデリックな音楽をたくさん聴いていたね。1960年代のサイケデリカ、それからシューゲイズもいろいろ聴いていたし、ポスト・パンク、それから初期のレイヴ・ミュージックもよく聴いていた。“Siren” にその影響が聴きとれるかもしれないね。トリップホップぽいのもいろいろ聴いたな。“Ithaca” や “Memory Morning” はそっち系の色が強い気がする。いまの音楽は聴いていなくて、大昔にインスピレイションを与えてくれた曲をたくさん聴いていたんだ。だからある意味、あまり今風のアルバムには聞こえない。ヒップには聞こえないだろうな(笑)。いまの音楽の多くはすごく速いけど、ぼくはそういうものからむしろ遠ざかっていくような感じだったんだ。ときには大勢を押し返すのもいいからね。

新作でもっとも苦労した曲、難産だった曲、あるいはもっとも思い入れが深いのはどの曲ですか?

T:トラックリストが思い出せないよ(笑)! ちょっと見てみるね。……(PC画面を眺める)そうだな、“Siren” はこれまで書いた曲のなかでもとくに気に入っている部類に入るね。いまこうしてトラックリストを見ているけど、とても誇りに思うよ。“Siren” と、あと “A Little Bit Further” はしっくりくるものをつくるのがちょっと大変だったな。あれは基本的に2曲をひとつにまとめたようなものだからね。フォーク・ソングみたいな感じではじまって……マーク・フライという男の “Song For Wilde” からだんだん変化していって、ほとんどケミカル・ブラザーズみたいな感じになる。拍動感の強い、ハウスっぽいものにするのが狙いだったからね。“A Little Bit Further” はAの状態からBの状態に持っていくのがとても大変だったんだ。
 あの曲以外はそんなにつくるのは大変じゃなかった気がするね。すごく流れている感じがしたんだ。ほかのアルバムはみんな書くのがすごく難しくて、ぼくも細かいところまでこだわりがあったけど、今回はすごく自由な気持ちで、思いついたものをすべて尊重してアルバムに入れることができた。

アルバムのタイトル『Memory Morning』にはどのようなニュアンスが込められているのでしょう? それは最終曲の曲名でもありますね。わたしたちは朝、夢から目覚めたとき、たいていの場合は夢の内容をすぐに忘れてしまいます。あの不思議な感覚と関係がありますか?

T:その感覚がこのアルバムそのものなんだ。まさにそれだよ! わかってくれて嬉しいね。あのふたつの単語(「memory」と「morning」)を並べてみるとどうにも合わないというか……寝ている間にどこかに連れていかれるんだけど、目覚めたときに「うわぁ、いまのはいったいなんだったんだ?」なんて感じる、あれこそがいちばん強いインスピレイションになった。ああいう感じ方をさせる音楽をつくりたいと思ったんだ。これだ! と思ったよ。だから最後の曲は “Memory Morning” なんだ。このフレーズを使うことによって、いちばんステキなかたちで人びとの方向感覚を失わせたかったからね。『Memory Morning』の核心はそういうところなんだ。

通訳:今日はこのインタヴューまで一日じゅうこれを聴いていたので、明日の朝起きてどんな感じか興味が出てきました(笑)。(訳註:やはり起きた途端に夢を忘れてしまいましたが……)

T:悪夢を見ることになるかもよ(笑)?

現在ツアー中かと思いますが、ライヴやDJをやっていて最高だと感じるのは、どのような瞬間ですか?

T:基本的には「自分の音楽を知ってくれている、自分の知らない人たちに会うこと」だと思うね。いまでも感動するよ。ぼくの知らないひとたち、ぼくが行ったことのない国に住んでいるひとたちがぼくの音楽を聴いてくれているということに、いまでも大きなインスピレイションをもらっている。ぼくは自分のことをユビキタスなアーティストだと思っていない。知るひとぞ知るという感じで、全員に知られているわけじゃない。でもそれってほんとうにすばらしいことだと思うんだ。余計な期待をされないということだからね。ファンがとても真摯でいてくれることも意味する。ファンはあまり知られていないという事実も好きな傾向があるしね。ぼくはこの状態から大きな恩恵をもらっていると思うし、ぼくのショウに来てくれるひとたちに心から感謝している。彼らは心からショウに来たくて来てくれているわけだからね。友だちに連れられて仕方なく来たとか、1曲だけちょっと好きな曲があるから来てくれたわけじゃない。彼らが来てくれるのは、ぼくのアルバムを気に入ってくれているからだと思うんだ。そう言えるアーティストはけして多くない。アルバム・アーティストだって自分で言えるのは、とてもラッキーなことだと思うよ。ツアーに行くたびにそう思う。オーディエンスの反応がセットの特定の箇所だけ大好きという感じじゃなくて、一定しているんだ。ずっと同じレヴェルを保っている。とてもありがたいことだと思う。

あなたが生きていくうえで、あるいはあなたの人生において、音楽はどのような意味を持っていますか?

T:ぼくにとっての音楽の意味? ……音楽はぼくの人生全体に意味を与えてくれたね(笑)。笑顔も希望も。ときにはフラストレイションも(笑)。ときには音楽におじけづいてしまうこともあるし、特定の音楽が怖いこともあるし、大嫌いになることだってある。でも音楽がなによりも大好きなんだ。ぼくの人生にちゃんとした意味を与えてくれるからね。ぼくは自分の人生のすべての瞬間にサウンドトラックをつけることができる。その瞬間を思い出させてくれる音というのがあるんだ。そのことに感謝しているよ。人間に音楽があるということにね。

Still House Plants - ele-king

 「シーニアス(scenius)」という、ブライアン・イーノが発案した造語/コンセプトがある。「アンビエント」と並んで、21世紀になってより重要度を増したこのタームを彼が言ったのは1996年で、批評家サイモン・レイノルズが「ポスト・ロック」というターム/サブジャンル用語を使った2年後のことだった。いまにして思えばほとんど同じ時代だったと言える。それは偶然のこととはいえ、この頃、ある共通の感覚がいよいよ顕在化していたことを告げている。

 「シーニアス」とは、歴史上の特異な天才としての個人に注目するのではなく、それら天才と言われた(ディランやレノンのような)人物の周囲に網の目のように存在した協力者やインスピレーションの広がりのほうに着目すべきという考えだ。ひとりの天才よりも、生き生きとした「シーニアス」にこそ学びがあると(先日リリースされた1998年のイーノ、ホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムとの共演は、「シーニアス」の賜物だろう)。「ポスト・ロック」に関しては、ここでは以下のように定義しておこう。インスト・バンドやアンビエント風のバンドのことではない。ロック以外の目的でロック・バンドの編成で演奏するバンド、中心となる個(歌手)を持たないロック・バンドを指す。

 宇宙に中心はない。こうした認識は19世紀人には理解しがたいものだったが、現代人はとりあえずの知識として知っている。バンドに中心は必要ない。個に依存しないことを前向きに捉えるこうした感覚は、すでにダンス・カルチャーを経験していた人間にはわかりやすかった。シーンそのものが、ひとりの有名人よりも豊穣で魅力的だったからだ。ヴェイパーウェイヴやフットワークを引き合いに出すまでもなく、こうした感覚が21世紀に入ってより若い世代にとって身近になっていることもぼくにはわかる。BCNRやキャロラインのような、近年のUKのバンドにもその感覚が共有されているが、その源流にはきっとクラウトロックや70年代末のザ・レインコーツのようなバンドがいるのだろう。なるほど、たとえばラップのように昔ながらの、ひとりの抜きんでた個性にこそ共感し、興奮するシーンはもちろんいまだ健在だし、ぼくはそれを否定する者ではない。そうではなく、そうした伝統的なポップのあり方/考え方とは別次元において「シーニアス」というコンセプトがあり、それは個人に頼った文化にはできないことが可能である、という話だ。ことに我が愛する周縁文化においては、むしろ頼もしい概念である。なぜなら、我々は特別なスター(リーダー)なしでも前進できるのだから。

 だとしても、そう、だとしても、スティル・ハウス・プランツ(SHP)には斬新な感性を覚える。「ポスト・ロック」的感性は90年代後半に広く注目され、おもにトータス周辺で具現化されている。だから、もはやそれとて30年前の、さして新しいものではないのだ。だとしても、SHPにぼくは震える。本作『ぼくには無理でも、君を愛している(If I Don​’​t Make It, I Love U)』は、前作『Fast Edit』(ぼくが彼らを知ったのはこのアルバムから)よりもさらに震えるアルバムだ。

 数年前、初めてこのバンドの曲を聴いたとき、ヴォーカリストは黒人女性かと思った。そう思った人は少なくないだろう。ビリー・ホリデーが喉をつぶしジャズ・クラブの床でのたうち回っているようなその声(あるいはアリ・アップとビョークが衝突したような声)、ジェシカ・ヒッキー=カレンバックのヴォーカリゼーションによるノイズでありながら強烈にエモい歌声は、「ポスト・ロック」と呼ぶには個としての存在感を有してしまっている。同じようにフィンレイ・クラークのギターにも、デイヴィッド・ケネディのドラミングにも個による際だった表現力がある。しかしながらSHPにはひとつの個に集約されない共感型の、バンド自体に「シーニアス」なフィーリングがあるのだ。和訳すれば「静止した観葉植物」となるバンド名とは裏腹に、うごめく菌類のように広がり、流動的な運動体のようでもある。そして何よりも、先に書いたようにこのバンドの音楽にはエモーションがほとばしっている。言葉よりも感情が先立っているのだ。

 グラスゴーの美大生3名が結成したSHPは、活動をはじめておそらくは10年近く経っている。メンバーは20代後半だと思われる。ときに、最近すばらしい未発表曲集をリリースしたガスター・デル・ソルと比較されるように、彼らにはジャズ/インプロヴィゼーションの応用がある。もっともGDSと違って、UK生まれのSHPにはジョン・フェイヒィ的なフォークそしてレッド・クレイオラ的遊び心はないが、UKベース・ミュージックやオウテカらエレクトロニック・ミュージックからの刺激があり、おそらくは、彼らのテクスチャーを重視した音作りにそれは少なからず影響を与えている。実際のところ、フィンレイ・クラークは昨年、コビー・セイやラナーク・アーティファックスの作品リリースで知られる〈AD93〉からインダストリアルなソロ作を出している。

 ロック・バンドとは過去を採掘することをやめられない、後衛的な形態とは限らない。アルバム冒頭の曲、“M M M”のギターの水しぶきのような音響は、イタリアのアウトノミアを主題にしたスクリッティ・ポリッティのデビュー・シングル「スカンク・ブロック・ボローニャ」を彷彿させるが、バンドの演奏は、お決まりのルールをどこまでも無視した自由な進行によってオーガナイズされていく。このバンドには独自の作曲方法があるのだろう、曲は、3人が共鳴しながらカタチになっていくかのようだ。そこでは、美しいメロディが生まれたかと思えば、いきなり場面が変わることもある。取っつきにくい音楽に思われるかもしれないが、ぼくはそうは思わない。むしろこれはその、彼らがクリエイトする予想外のメロディ、その新奇さにおいてだれかに聴かれることを望むもので、ある意味挑発的だが、総じてアルバムは、力強く官能的でもある。ジェシカのヴォーカリゼーションが醸し出している圧倒的なムードは、頭よりも先に感情に突き刺さる。バンドから生まれるグルーヴは、ありきたりのグルーヴではないからこそ身体を揺るがす。エキサイティングな新しい物語がはじまるわけではない。ただ、いかに我々がふだんの生活で、見慣れたものを見慣れたものとして認識もせずに過ごしていることか。この音楽は、我々が何を諦めてしまったのかを知りたがっている。『If I Don​’​t Make It, I Love U』は、感動的なアルバムだ。

Blue Bendy - ele-king

 サウス・ロンドンのポスト・バンク・バンドを中心にここ数年で大流行した喋るように唄うスタイルは聞くものに新たな感覚を残したのではないだろうか。つまりは芝居がかった演劇的な側面を音楽にもたらして、プレイリスト、曲単位で盛り上がる観賞スタイルが普通になった中で、再びアルバムという物語を意識させたのではないかということだ。歌い手が言葉を使いストーリーを表現し、その主体の感情を描写するように音楽が追従する。ストリングスやサックスがバンドの中にあるというのが当たり前になった編成で、セリフをつぶやくかのごとく唄うバンドの音楽は舞台で行われる演劇やミュージカルに近く、物語性を持った楽曲との相性が非常に良かった。その一番の成功例は高い評価を得たブラック・カントリー・ニューロードの1stアルバム、および2ndアルバムだろう。アイザック・ウッドの固有名詞にイメージを持たせキーワードのようにしてアルバムの楽曲を繋ぐスタイルを1stアルバムでは偶発的に2ndアルバムでは意図的にイメージを喚起させるように楽曲を組み立てたとバンドは言う。
 そうして時間が経って物語を追う感覚がリスナーに浸透したタイミングで違ったアプローチをする流れも生まれて来た。喋るように唄うスタイルではなくもっとメロディアスで、もっと色鮮やかに。HMLTDのデイヴィッド・ボウイ的SF、精神世界の大活劇の素晴らしき復活作『The Whorm』(この作品はエヴァンゲリオンにも影響を受けたという)が昨年リリースされ、今年、24年にはフォークのアプローチをしたテイパー!の傑作『The Pilgrim, Their God and The King Of My Decrepit Mountain』が生み出された。表面の音楽はまったく違うがどちらのアルバムもいくつかの章に分かれ、それらをナレーションで繋ぐという手法を用いより一層アルバムという物語を強調するものだった。

 さて、このロンドンの6人組ブルー・ベンディーのデビュー作『So Medieval』はどうだろう? 僕にはこれが喋るように唄うポスト・パンク・バンドが生み出したシーンのその先に進んだ音楽に思えてならならない。ピアノが鳴りアコースティック・ギターが咲く柔らかなサウンド、楽曲構成にポスト・パンクの気配を残しながら冷たく鋭い音楽から離れ、陽光の差す平原へ。あるいはそれはブラック・カントリー・ニューロードが2ndアルバムで目指した場所なのかもしれないが、ブルー・ベンディはさらにその先へと歩みを進めている。シンセサイザーが奇妙な音を作りシリアスになりすぎないようにバランスを取り、ねちっこく唄うヴォーカルはミュージカルのように熱を持ち、ギターが感情を作り出す。そして現在のロンドンの多くのバンドたちが共有している感覚であるフォークのアプローチを試み、その中に混ぜる。22年のEP「Motorbike」から進化した音楽はまた一つの特定のジャンルとして形容するのが難しい音楽になったが、歴史の流れの中で歩みを進める実験的なポップ・ミュージックとして完璧に機能している。

 粘り気があって艶があるアーサー・ノーランのヴォーカルは喋るようにメロディを唄いストーリーを語る。マコーレー・カルキンにケンダル・ロイ(ドラマの中のキャラクター)、スーパーマンのコミック、超次元ソニックマン、自らを取り囲むポップカルチャーの固有名詞をふんだんに使い、実存的危機にさいなまれる人生がユーモア交じりに物語られる。宗教的な価値観を織り交ぜながら俗っぽく、壮大な物語はしかしミームと物にあふれた小さな生活の中にかえっていく。たとえば“Darp 2 / Exorcism”のインターネットの惑星に漂う孤独は、暖かいギターの音色ともの悲しいヴォーカルメロディ、壮大というには一歩及ばないコーラス、爆発する小さな起伏に彩られ、最後には車の中、鼻で笑うような会話の中に戻っていく。感情を一気に持っていくようなものではなくニュアンスと空気のレイヤーを重ねてシフトチェンジしていくような音楽がなんとも心を揺り動かすのだ。美しい旋律の快感と、それを壊すようなユーモア、静かに積み上げられていく柔らかな興奮、6分を超える冒険“Cloudy”はまさにそんなブルー・ベンディの魅力がつまったもので、ぐるぐる周るピアノとアコースティック・ギターの爆発に彩られドライヴしていく物語は途中で緩み、展開し、まるでミュージカルのようなコーラスを伴った後半へと突入する。柔らかに着実にどこまでも上っていくように、爆発と展開を繰り返すブルー・ベンディのこの柔らかなカオスはたまらない快感を連れて来るのだ。

 「ロンドンで3番目にいいギターバンドであることはどうにかできる」“Mr. Bubblegum”で唄われるこの言葉はおそらくブラック・カントリー・ニューロードの“Science Fair"の「世界で2番目のスリントのトリビュートバンド」のラインを意識した言葉なのだろうが、彼らはその後にこう続ける「でも僕はなにかで一番になりたいんだ」と。
サウス・ロンドンのインディシーンを見つめ続けてきたバンドは見事にその先へと歩みを進めている。極端にならない方法で、カウンターではなく進化するように。そうして作られたこのアルバムはロンドンのポスト・パンク・バンドとテイパー!やアグリーなどのフォークの要素を強めたバンドの中間のグラデーションとして機能する。固有名詞に囲まれた物語と柔らかいサウンドの彩り、ブルー・ベンディのこのデビュー・アルバムはこんな風になったのだと変わりゆく季節、シーンの未来を確かに感じさせ、そしてなんとも胸を揺さぶってくる。

Various - ele-king

ラップは聴く者にある種の奇妙さを与え、別の意味で、私たちを私たちの社会の社会的良心から排除された次元へと接触させる。 ——モニカ・ド・アマラル「エロプティカが侵食するブラジルの公立学校の現状」より

 

 我々とは異なる文化から発信される音楽が、ひどく奇妙なもの、「なんじゃこりゃあ」というものとして聴こえるとしたら、それは我々がまだよくわかっていない知恵による創造物であるということ、先方から見たら我々のほうが奇妙である、ということだ。先々週、三田さんが紹介したタンザニアのシッソのアルバムは、たしかに、まずこの国で流れることのない音楽ではある。とはいえ、すでにシャンガーンを聴いている耳にはアフリカの高速リズムは経験済みではあった。その点、『Funk.BR』なるコンピレーションは、20年前のバイレ・ファンキ(またはファンク・カリオカ)、要するにブラジリアン・ヒップホップを聴いている耳には、クセのあるリズムから、理屈ではその現在形と理解できる。が、バイレ・ファンキがディプロらを通じてグローバル化し、ポップスに感じられるようになっているこんにちにおいても、これは新たな「なんじゃこりゃあ」なのだ。なんとまあ多彩な、変態的ハイブリッドの数々だこと。日本の裏側の、人口2億人の国のリオデジャネイロという二重構造を持つ都市の貧困地帯で生まれ、同国内のもうひとつのメガロポリス、サンパウロに飛び火した「ファンキ(ファンク)」は、さらに独自の発展を遂げ、ブラジル国内はおろか、北半球の都市部の人たちをも魅了している。

 バイレ・ファンキは、USヒップホップ(とくにマイアミ・ベースやエレクトロなど)の影響を受けながら、貧民街のディアスポラ文化——アフロ・ブラジリアンとネイティヴ、そしてアフロ・アメリカンがぐしゃぐしゃに混じり合って生まれたラップ&ダンス・ミュージックだった。サンパウロにおけるその発展型は、USからのトラップやドリル(あるいはレイヴ・サウンド)の影響を受けつつも、またしても斬新なサウンドを複数のアーティストがクリエイトしている。現行のシーンを知るうえで、ぼくは英米メディアをはじめ、「ブラジルポップス観測所」という日本語サイトを参考にした。かいつまんで言えば、サンパウロのファンキには「ブルクザリア」なるスタイル、「マンデラン」と呼ばれる路上パーティなど、いくつかのサブジャンルや細部化されたシーンがある。『Funk.BR』はサンパウロのシーンのスナップショットで、ぼくのような初心者にはじゅうぶんに衝撃的と言える内容だ。

 「ファンキ」は、彼の地の現実(暴力、セックス、ドラッグetc)を反映しながらも、制度的な人種差別、都市部における貧困、そして精神的な抑圧からの解放(ないしは抑圧されたリビドーの解放)の音楽として機能している。バイレ・ファンキの刺激を受けて、サンパウロのシーンが急成長したのは2010年代に入ってからだという。保守派からは、公衆衛生犯罪だと非難されたこともあったという話だが、そうしたファンキを黙らせようとする反対派の声もなんのその、彼らの音楽への情熱はYouTubeチャンネル「KondZilla」やTikTokなどを通じて広がり、音楽の魅力をもってリスナーを増やしている。いまではブラジルでもっとも人気のジャンルのひとつへと成長しているそうだ。

 英国のジャーナリストのフェリペ・マイアとジョナサン・キムがキュレーションし、NTSからリリースされた『Funk.BR』は、22のトラックを通じてこのシーンに光を当てている。ここでは、そのさわりだけ紹介しよう。アルバムは、不吉なアートワークにぴったりな、DJ Patrick RとDJ Pikenoによるゴシックかつインダストリアル調クラーベの“Vai No Chão”にはじまる。そして、Mu540とMC GWの共作、呪文のような“A Culpa Eh da Cachac​̧​a”へと続き、DJ Aranaによる“Montagem Phonk Brasileiro”ときたらもう……、このミニマルな電子ノイズの歪みは(ほかの曲にも言えることだが)静と動のメリハリもったみごとな構成で、決して力任せに作られたものではない。北半球の世界では「ノイズ/エクスペリメンタル」などと形容されていたであろう、すばらしい芸術作品だと言える。が、しかし、これはアカデミアとは無縁な、完璧なストリート・ミュージックなのだ。

 電子化され、変容したサンバ。DJ DayehとMC Bibi Drakによる“As Mais Top”におけるねばっこいエロティシズムや、そしてDJ P7とMC PRによる“Automotivo Destruidor”のダークな電子空間からも、当たり前のことだが、昔の(生まれた階級こそ違えど)ボサノヴァやブラジリアン・ポップスとも相通じる節回しがある。しかしながら彼ら新世代の発想力は圧倒的で、そのテクスチャーは北半球のマキシマリズムやフットワークにも通じている。DJ Pablo RBの“Boca de Veludo”は、本作のなかではわりと馴染みがあるテクノ・ダンスと言えるが、それでもこの曲の前では、ザ・レジデンツでさえもMORなのだ。『Funk.BR』において、もっともぶっ飛んでいる曲のひとつはDJ BlakesとDJ Novaesによる“Beat das Gal​á​xias”で、これは周波数による耳への攻撃というか何というか……。ハンマーで粉砕された電子サウンドは、ときには鋭い刃物型の音響彫刻にもなる。

 シーンのなかには、動画編集ソフトを使って作っている者もいれば、スマートフォンだけで作っている者もいるというが、ファンキとは、クリエイティヴな音楽制作に必要なのは、高価な機材ではないということのお手本のようなシーンでもある。エレクトロニック・ダンス・ミュージックにはまだまだ発明できる領域があった。そんなわけで、ブラジルはサンパウロ内の1600万人以上が暮らす貧困地帯でこの10年磨かれてきたダンス・ミュージックが、ここ1〜2年でいっきに北半球でも注目され、話題になっている。我々も、このトレンドを楽しもう。 

interview with tofubeats - ele-king


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 次の一手がどんなものになるのか、2年前からほんとうに楽しみにしていた。というのも、前作『REFLECTION』があまりにも時代のムードと呼応していたから。いや、むしろ時代に抗っていたというべきかもしれない。「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」なる表題曲の一節は、以前からあった「失われた未来」の感覚がパンデミックや戦争をめぐるあれこれで増幅されいまにも爆発しそうになっていたあの年、頭にこびりついて離れなかった歌詞のひとつだった。かならずしもいいものとはかぎらない。でもそれはいやおうなくやってくるのだ、と。

 潔い。新作EP「NOBODY」はハウスに焦点が絞られている。むろん、シカゴ・ハウスを愛する tofubeats はこれまでもその手の曲をアルバムに収録してきた。フロアライクなEPの先例としては「TBEP」(2020)もあった。今回の最大の特徴はそれが全篇にわたって展開されているところだろう。ここ数年のダンス・ミュージックの盛り上がり、一気にパーティやイヴェントが増えた2023年以降の流れとしっかりリンクしている点で、これもまた時代と向き合った作品といえる。
 ダンスのよろこびに満ちているはずの音楽にはしかし、「だれもいない」なんてさびしげなタイトルが冠せられている。ヴォーカル部分にAI歌声合成ソフトが使用されていることを踏まえるなら、これは tofubeats なりの「ポストヒューマン」作品なのかもしれない。そこも2022年の ChatGPT ショック以降という感じできわめて現代的なのだけれど、仮にざっくり、ヴォーカル入りのハウスにかんして、じっさいにシンガーをフィーチャーするのがUSで、サンプリングを駆使するのがUKだと整理するなら、tofubeats はそのいずれでもない道を模索しているともとらえられよう。
 近年はヒップホップ文脈での活動も盛んな彼。これは、かつて史上最年少で《WIRE》に出演し、いま「自分のことをハウスのDJやと思ってい」ると主張する tofubeats の、ある意味では原点を確認する作品であると同時に、ふだんそうした音楽を聴かないリスナーに向けて送られた最高の招待状でもある。(小林)

自分は、リスナーが思う tofubeats と俺がイメージしてる tofubeats とでかなり差があったりするタイプのアーティストやと思うんですけど、自分は自分のことをハウスのDJやと思っていて。

まずは前作『REFLECTION』のころのことから伺っておきたいんですが、ちょうど東京に引っ越されたときにパンデミックが直撃して。DJ活動を増やすために来たのに、仕事がなくなったという話だったかと思いますが、いまはDJはけっこうできていますか?

TB:コロナ禍のころよりは戻ってきたんですけど、そんなに頻繁にやっているわけではないですかね。以前のペースには戻っていないという感じです。コロナ禍前は年100本弱くらい、平均で80~90ぐらいはやっていて、デビュー時からずっとそのくらいだったんですけど、いまはライヴも合わせて年たぶん50~60ぐらいかなという印象です。大箱と言われるような、Spotify O-EAST(渋谷)とか The Garden Hall(恵比寿)みたいなところだったり、フェスの比率もちょっと増えた感じです。なので今年は久しぶりに仙台とか金沢とかの普通のクラブに行ってやる、みたいなのをちょっと意識して入れるようにはしていて。

DJ活動からのフィードバックは大きいですか?

TB:そうですね。あと単純にDJ好きなんで。ただやっぱり、お客さんはぼくが歌ってるのを見たいわけですよ。もし自分が客で初めて観るんやったらやっぱり絶対 “水星 feat.オノマトペ大臣” は聴きたいし(笑)。そういうバランスみたいなのは、昔からテーマとしてありますね。

2020年にダンスにフォーカスした「TBEP」というEPが、『RUN』のあとに出ました。

TB:神戸から東京に出てきて初めてちゃんと仕上げたのが「TBEP」で、「DJを頑張っていくぞ」っていうのをテーマとしてしっかりやって、クラブでかけられるようなものを出して。でもリリースのときにはたしか最初の緊急事態宣言には入っていて。

ほんとうにどんぴしゃだったんですね。

TB:そうなんですよ。それで、失われた幻として「TBEP」のときの気持ちみたいなのがずっと漂ってたまま『REFLECTION』をつくって、その後気分的にイベントのモードが戻ってきたところに、「TBEP」のときにやりたくてできなかったことをもう一回ちゃんとやろう、っていうのが、そもそもこの「NOBODY」のはじまりですね。

なるほど。レヴュー編集後記でも書いたんですけど、2022年は “REFLECTION” の「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」っていう一節がずっと頭のなかに残っていて。日本はまだパンデミック中でしたし、ウクライナへの侵攻もはじまっていて、そういう時代に対する抵抗というか、ポジティヴな未来を求める感覚があったのでしょうか?

TB:そうですね。あと、『REFLECTION』のときぐらいから自分はめっちゃネアカなんじゃないかって思いはじめて。ずっと……『POSITIVE』とかもそうなんですけど、「明るくいよう」みたいな気持ち、けっこうあるぞみたいに思って、そういう部分を出そうっていう気持ちはありましたね。なんというか、「まあ、いつかは終わるっしょ」みたいなことはわりと思ったりするんです。『REFLECTION』をつくってるときは、そういう願いみたいなものも入れたかったというか、最後は開けて終わる感じにしたいなとは思ってましたね。いつもアルバムはループ構造になるのを意識してるんですけど、閉塞感があるときだからこそ、開けて終わるかたちにしたいというのはありました。

しかも、そういうポジティヴな曲のリズムに選ばれたのがジャングルだったっていうのが、すごくはまっていると感じました。

TB:普段だったらジャングルはライヴではやりづらすぎるというか、あまりやらないテンポ帯なのでできないんですけど、ライヴがない時期だからジャングルいけるやん、っていうのはありましたね。

『REFLECTION』では神戸の Neibiss をフィーチャーしていたり、『REFLECTION REMIXES』でも RYOKO2000 や Peterparker69 を起用していて、昔から tofubeats さんは若手をフックアップしてきたと思うんですけど、彼らのことはどういうふうに見ていますか?

TB:単純に若手を呼びたいっていう基本思想というか、前提条件みたいなものはずっとあります。自分が若手のときに仕事をもらって上達していったんで、単純に足掛かりしてもらえればっていう(笑)。あと、メジャーの仕事なので、「ワーナー・ミュージックに請求書を出す」とか、それだけでも若手には経験になるじゃないですか。だから、合いそうな曲があったら振っていますね。ほんとうに自分も昔いろいろしてもらって、頑張った記憶があるので。

『REFLECTION』から『REFLECTION REMIXES』の一連の流れのなかで、「おっ」と思った反響ってなにかありましたか?

TB:どうだったかな……“REFLECTION” がいい曲やなってみんなに言ってもらったのはめっちゃ嬉しかったですね。あれは自分でもいい曲できたなって思えていたので。さっきの小林さんの話もそうなんですけど、あの曲の歌詞とかコンセプトみたいなものを褒めていただけたのはめっちゃ嬉しかったです。あと、普段ああいうテイストはやってないですけど、サウンド的にもちゃんとできてたっぽくて、先日 Sinjin Hawke と Zora Jones のユニット(Flactal Fantasy)と一緒にやったときに、ゾラにあの曲めっちゃいいやんって言われたのは嬉しかったですね。

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代理店化された感じというか。〈BOILER ROOM〉のような沸点マックスみたいなイメージが、やる側にもお客さんの側でも内面化されちゃってる気がするので、それがこれからどういうふうになっていくのかな、と。


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そうした一連の流れを経て、今回いよいよハウスに振り切ったEPですね。以前の「TBEP」も近い位置づけのEPだと思いますが、あちらはハウス以外のスタイルも入っていました。今回は完全にすべてハウスです。その心をお伺いしたいです。

TB:自分は、リスナーが思う tofubeats と俺がイメージしてる tofubeats とでかなり差があったりするタイプのアーティストやと思うんですけど、自分は自分のことをハウスのDJやと思っていて。DJでかけるのも基本こういう4つ打ちのハウス・ミュージック的なものが多いんですよ。

むちゃくちゃ盛り上がるんだよね(笑)。

TB:はい(笑)。ただここ数年はヒップホップのイベントに出ることが多くて、あと客演でもラップをやって、それがバズったりして、どちらかというとそちらのイメージが大きくなっていたり。もちろんそれも全然ええことなんですけど……昔は〈マルチネ〉みたいな、打ち込みのひとたちと一緒にやることが多かったんですけど、気がついたらまわりがラッパーとかトラックメイカーが多くなっていて、出るイベントもヒップホップ・フェスの〈POP YOURS〉やったり〈CIRCUS×CIRCUS〉やったり。ありがたいことではあるんですけど、「こうなるはずやったっけ?」みたいに思うこともあります(笑)。なので、ここでこういうハウスをやっておかないと、ヒップホップっぽいことしかできなくなっちゃうかもな、っていうのは思っていました。「tofubeats の作品」として出しておけば、リスナーも聴き慣れないものとして受け止めなくて済むでしょうし。「TBEP」のときにやりたかった気持ちの亡霊みたいなものがあって、そっちの気持ちが戻ってきたんですよね。『REFRECTION』はああいう(パンデミックという)状況があってできたものなので、もともとやりたかったのは「TBEP」の延長線上にあるもので。ハウスが好きやし、よくDJでかけてるにもかかわらず、ぼくのアルバムやシングルにはあまり4つ打ちの曲がないんですよね。

うん、たしかにね。アシッド・ハウスがいちばん大きな影響だったというのは、もうデビュー当時から言っていたよね。

TB:ああいう「ダン、ダン、ダン、ダン!」みたいな、段ボール箱を一升瓶で叩いてるような感じの曲がいちばん好きなんですよ(笑)。こう、トグルスイッチをパンッってやってるのに、一個だけ声ネタが連打されてるみたいな(笑)。もちろんそれだけじゃダメだから、どうバランスをとるかっていうのはずっとテーマですね。いまはハウス・ミュージックをしっかりやろうっていうモードが戻ってきていて、かつ、みんなに聴いてもらえるものじゃないといけないっていうのもあり、いろんな要素を乗せていった感じですね。

少ないとはいえ、これまでもアルバムに数曲ハウスを入れてはいました。それらが聴かれている手応えみたいなものはありましたか?

TB:あまりないですけど、置いてる意味はあるなって思うときはたまにあります。たとえば『FANTASY CLUB』って “LONELY NIGHTS” 目的で聴かれてるアルバムなんですけど、表題曲はBPM110台くらいのハウスなんですよ。そういうのって、なんかじわじわ効いてる気もせんでもないというか。そういうふうにハウス・トラックを設置してあることが、未来の人間に影響するかもしれないので、そういう意味では効果はあるなとは思いますね。

たしかに、それは効果はあると思いますよ。“REFRECTION” のMVをYouTubeで見たとき、コメント欄におそらくは若い方で、まだジャングルの名前を知らない方だと思うんですけど「ビートがかっこいい」と書きこんでいるひとがいたような憶えがあります。そういう入り口になっているようなところはあるのかなと。

TB:まあいまも昔も、自分の役割ってホンマにそれでしかないと思うので。本当のクラブ・ミュージック……というと自分がパチモンみたいな言い方になってしまいますけど……まあパチモンみたいなもんなんですけど(笑)、でもそういう入り口とか仲間とか、やっぱ自分がそういうものに道を開いてきてもらったので、そういう存在でありたいなっていうのは昔からずっと思ってます。

今回、ハウスのEPをつくるにあたってとくに参照したもの、聴いていたものってなにかありますか?

TB:なんですかね、普通に流行ってるサリュート(salute)みたいなスピード・ガラージも聴いてましたし。“I CAN FEEL IT” とかはそこらへんとつなげられるようにつくっていて、シングル・ミックスはまさにそんな感じです。ほかはなんやろ……日本のハウス・ミュージック、たとえば寺田創一さんはけっこう意識していました。でも、自分が好きな120BPMぐらいまではテンポを落としすぎないっていうのも意識してて。ブレイクスっぽさというか、あとつるっとした感じ。最近のハウスってツルッとしてますよね。自分が好きな〈トラックス〉みたいな感じではなくて、もうちょっとリニアな……トランスっぽいとまでは言わないですけど、そういうのに接近してるイメージがあって。いつもだったら「ここで止めてダダダダダンッて入れたい」ところをちょっと我慢して「タッタタタタ」みたいな、少し跳ねたフィルにしたりとか。ドラム・マシンで「ズババババ」って行きたいところを、そういうつるんとした感じに留める、というのは今回全体的に意識していますね。

いまは「tofubeats フォロワー」みたいな世代も出てきてるでしょう、パソコン音楽クラブみたいな。そういう下の世代からの刺激みたいなものってありますか?

TB:パソコン音楽クラブはもう下の世代ってあんま思えへんくらい仕上がってるんで(笑)、普通に一緒にできるグループみたいな感じですね。ただやっぱり、みんな自分よりちょっと速い。ハウスというと自分はどうしても120ぐらいの〈トラックス〉とか〈DJインターナショナル〉っぽいものを思い浮かべてしまうけど、いまの若い子たちが思ってるハウスって全体的に速いといか、トランシーな感じですよね。130弱くらいのテンポだったり、あと裏打ちのハイハットがオープンじゃなくてクローズドになってるとか。「ドッチッドッチッ」って感じで、ぼくの好きなのは「ドッシャードッシャー」というか、シカゴ・ハウスみたいな大地を踏みしめている感じなので(笑)。いまはつるっとした感触で、UKガラージとも混ぜられるような感じがトレンドな気がしますね。

速いよね。でもいまって、若い世代でクラブ・シーンが盛り上がってるみたいじゃない。

TB:めっちゃ感じますね。ただ、自分が思ってるクラブとはもう違ってて。コロナ禍以降のクラブって、深夜にやってるライヴ・ハウスっぽいなーって思うことがけっこうあります。

そういう現場に呼ばれたりはしますか? ブレイクコアとかトランスみたいな、若いオーディエンスの。

TB:そこまでのは、DJではないですね。ただライヴでは行くことがあって、「めっちゃメロコアみたいなライヴやってんな」と思うことはあります。「オートチューン・メロコア」というか……〈BOILER ROOM〉以降というか、いまは自分もああいうショウケース化されたフロアでやることが増えました。DJとか見えても見えてなくてもいいみたいな、なにが流れていようが関係ない、そういういわゆるもともとのクラブの感じの現場ではなくて、ショウ・アップされてて、お客さんがみんなDJのことを見てて、「なにが来るんだ」みたいな感じで期待されているような雰囲気を感じることが増えたかなという気はしますね。ちょっと代理店化された感じというか。〈BOILER ROOM〉のような沸点マックスみたいなイメージが、やる側にもお客さんの側でも内面化されちゃってる気がするので、それがこれからどういうふうになっていくのかな、とは思ったりしますね。

以前日本語でやることにこだわってるって言ってたよね。日本のハウスってテイ・トウワさん、寺田創一さん、福富幸宏さん、サトシ・トミイエさん、〈Crue-L〉などこれまでにもすごくたくさんあるけど、好きなのってなんでしょうか?

TB:テイさんはめっちゃ好きですね。他方で、「J-CLUB」って言われていたような、TSUTAYAとかに置いてあったような「乙女ハウス」みたいなやつとかFPMとか、ああいうのも全然好きですし、一方で寺田さんみたいなのもめっちゃ好きですし……そういうのを合流させたいという気持ちはあります。あと、それとはべつに関西でCD-Rだけで出されてたような、自分が影響を受けた先輩たち、チェリボ(Cherryboy Function)さんとかデデ(DE DE MOUSE)さんとか。そのあたりから受けた影響も全部出したいなと思ってて。

ピチカート・ファイヴのリミックス盤とかもね。

TB:そうそう。メジャーのそういうところからインディのそういうところまで、影響を受けてるので。

たしかにそれは感じる。ポップスとクラブ・ミュージックのあいだで、ちょうどグラデーションみたいになっている感じというか。

TB:そうですそうです。どっちからも軽んじられているようなものが自分は好きなので。

tofubeatsのなかではヒップホップもハウスもおなじだよね、昔から。90年代にハウスやってたひとたちも同時にヒップホップもやってたりするしね。いまみたいにどっちかっていう感じではなくて。

TB:そこはまさにうーんと思ってることのひとつで。パル・ジョーイとかマジで好きで、ヒップホップやっていたひとがハウスに行く感じというか。テイさんのDJ見ててもBボーイっぽいなと思うんですよ、ハウスをかけていても。そういうのはひとつの美学としてあるんですけど、あんまり伝わらないよなと思ったりもする。ヒップホップのイベントに出て、こういうハウスのトラックをぽんと入れたときの反応で、予想してなかったものが来た感じがあるかどうかっていうのは、クラブかクラブじゃないか考えるポイントになる。

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いや、べつにAIはいいんですけど、ショックを受けてしまった自分自体がショックで。ふだん自分はそういうテクノロジーとか肯定派のツラしてたのに、ショック受けてるやん……って(笑)。


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今回ヴォーカルに「Synthesizer V」というAIの歌声合成ソフトを使用することになった経緯や理由を教えてください。

TB:M6の “I CAN FEEL IT” ってじつは、『REFRECTION』をつくってるときに7~8割ぐらいの完成度でできてたんですよ。でも『REFRECTION』には入れないだろうなと。歌詞も全部できて自分の仮歌が入ってたんですけど、これは自分じゃないわなって思って、女性ヴォーカルだろうとは思ったんですけど、それでもまだ「この青臭い歌詞を誰に歌わせるか?」というところで悩んで、また寝かせていた。そのタイミングで「Synthesizer V」が出て。ざっくり言うと、「すごいボーカロイド」みたいなものなんですけど、テクノロジー的にも興味があったんで、試しにこの曲で打ち込んだら、「これでよくねえか?」ってなって。

恐ろしいよね。言われなきゃわからなかった。

TB:いやそうですよね。しかもとくに細かいこともしなくて、ほとんどベタ打ちしただけなんです。それで、できそうな気がして、M2の “EVERYONE CAN BE A DJ” もつくったら、「これはもうこのソフトで一枚つくれるな」ってなっていった感じです。一見 “I CAN FEEL IT” の歌詞ってそのソフトを前提にしたような歌詞ですけど、順番的には逆だったんです。

なるほどね。これは、ミスター・フィンガーズに対する tofubeats からの回答だよ(笑)。

TB:じつは今回のEPには全体に通底してるフィーリングみたいなものがあって。去年スミスン・ハックのような、ブツ切りのカットアップ・ハウスみたいな曲を探しているときがあったんですけど、そのとき「めっちゃいいやん」って思った曲があって、調べたら生成AIでつくられた曲やったんですよ。もう、めっちゃショックで。いや、べつにAIはいいんですけど、ショックを受けてしまった自分自体がショックで。ふだん自分はそういうテクノロジーとか肯定派のツラしてたのに、ショック受けてるやん……って(笑)。人間がやってると思ってたら人間じゃなかったときのこの気持ち……たとえば最近やったらコールセンターもAIだったりするじゃないですか。人と喋ってると思ってたら「これ、AIや」みたいな。そういう感情ってこれまでなかったタイプのものだと思うんですよ。この曲を聴いて「こんな人かな?」みたいに想起した俺の感情ってなんなん……みたいな、そういう行き場のなさというか。
 人間ってつねにいろんなものを想定して話すわけじゃないですか、会話もそうで、でもそれが急にハシゴを外されることって、これまで生きてきてあんまりなかったと思うんですよね。そういう外され方がこれからめっちゃ増えてくんやなって思って、それが今回のEPのテーマになっています。“NOBODY” もまさしくそう。「待ってるよ」と言われて「誰が待ってるんだろう?」と思って調べたら「これ人ちゃうんかい」ってなるわけです。そういう行き場のなさみたいな感じが、人間側に勝手に生まれること、それこそが生成AIによって生まれる新しい一個のフィーリングかな、と思って、それが全体のテーマになってる。

そういう意味で言うと、2曲目の歌詞で「誰でもDJにはなれる」っていうのをAI が歌っているのが、なんというか、処理しづらい感情を生みますよね(笑)。

TB:人間どもよ! と(笑)。これもふと口をついて出てきた単語なんですけど、歌わせてみたらすごい批評性が出るなあ、と。

さらに「誰でもステップを踏み鳴らす」と。歌っているAI本人にはそれができないわけです。

TB:でもDJはAIにもできるじゃないですか。ぼく、AIのDJと一回戦ったことあるんで。YCAMのそういうイベントで。

戦う、というのはどうやって?

TB:AIDJとのバック・トゥ・バックですね。もう10年近く前にYCAMで Licaxxx とぼくが、コスモという会社がつくった「AIDJマシーン」みたいなのとB2Bするっていうめっちゃ面白いイヴェントがあって。そのときは「AIなんてまだまだやな」とか言ってたんですけど、いまはたぶん相当すごいと思います。

今回AIを使用したのはヴォーカルでしたが、今後はトラックとかにも使っていきたいですか?

TB:今回AIを使ってはいますけど、歌詞を書いたのは自分だし歌わせたのも自分だし、どうなるかわからないところはありますね。「音楽をつくる」っていうこと自体がめっちゃ簡素化していくと──自分もそもそも簡素化した後の世代ではあるんですけど──どこまでが楽しみになるのか。文字を書いて音楽を生成することに、音楽をつくる楽しみを味わえるのか味わえないのか興味があります。文字を書くことが音楽をつくることになって、そこに未来を見出した若者たちがプロンプトを書き合って、次世代の〈マルチネ〉みたいなものが生まれるのか、それとも逆にそういうものがなくなって、音楽というものがただただドライなものになるのか。「つくる」ということの概念がどうなるか、その予想のつかなさ。今回みたいにAIを使うのは、意外とそんなに使ってないという感じなんですよね。ほかのソフトも試しで使ったりはするんですけど、ただボンって生成するっていうのはあんまり……。自分は過程が好きでやってるんで、「ただボン!」をやるとそれを省略することになっちゃうんで、それ自体に楽しみみたいなものをまだあんまり見出せてないですね。

日常で Chat GPT に問いかけたりとかはよくあるんですか?

TB:ああ、それはもう全然ありますよ。文面考えてもらったりとか、英語添削してもらったりとか。あとぶっちゃけると、「こういう歌詞考えてんねんけど、候補を100個出してください」とか。そういう使い方は全然ふだんからしていますね。提案してもらうために使うという感じで。回答を出してもらうためには使っていなくて。選ばせるのをAIにやらせはじめると話は変わってくるかな。「肝になる部分を決めさせるかどうか」っていうのはポイントかもしれない。

芥川賞を獲った九段理江さんもAIを使っていて。すごい時代になってきたなあ、と。

TB:そうですよね、それは。マジでビビりますよ(笑)。「つくる」っていうのはどこまで人間の領分なのかっていうのはけっこう考えさせられますね。

今後つくり手の役割は監督みたいなものになっていく、というような。

TB:いやあ、それもきっとできるようになると思うんですよね。脳ってモノじゃないですか。モノである以上絶対再現できると思うんですよ、技術さえ発展すれば。

たとえば「tofubeats の脳のコピーです」みたいなAIが出てきたらどうしますか?

TB:いや、どうなんですかね(笑)。ただ、そうなったときってほかのひとも全員そうなので、流れに身を任せようかな、と。そのときの流行りに。

まあDJからしたら、お客様は警察みたいなもんですから(笑)。

今回、アートワークもすごく強烈です。

TB:ヤバいですよね(笑)。ビックリしました、これ。

これはどっちなんでしょう? 「警官だけど本当は俺たちも楽しんで踊りたいんだぜ」とも読みとれるし、フロアや踊ることそれ自体が警察に奪われてしまっているようにも見えます。

TB:まあDJからしたら、お客様は警察みたいなもんですから(笑)。

(笑)。どういうことですか?

TB:厳しく見られてるなあ……という。毎回なんですが、山根慶丈さんのアートワークにかんしては口は出さず、出てきたものを選ぶだけっていう決まりにしています。お願いするときもいつも2、3行だけ、たとえば「ヴィヴィッドな感じにしてください」とか、そのくらいの指示しかしないんですよ。そうしたらラフが2、3パターン来るので、そこから選ぶだけなんです。内容についても聞かないっていうルールもあって、毎回なんでこういうアートワークになったかは知らないんです。

描く前に音楽は聴いてるんでしょ?

TB:はい。聴いてもらって。

じゃあ聴いて、彼女のなかでああいうふうに。

TB:でも「なるほどな」って感じはやっぱりあって。山根さんがここ1、2年で出してる作品って、こういうおなじ顔のひとがいっぱいいるシルク作品なんです。去年2枚似たような、構図の作品を出していて、片方を買ったんですが、それと似た構図でしたので、もしかしたらなにかを汲みとってくれているのかもとは思います。その作品は資本主義を強烈に風刺した作品だったので、まあたぶんなんらかの山根さんの怒りみたいなものは入ってるのではないかと勝手に想像してはいます(笑)。

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ぼくがはじめたころってCD-R全盛期やったやないですか。配られる流通未満の音源とか、委託販売の全盛期。関西ゼロ世代みたいなもの。ああいうものにすごく影響を受けたんですけど、ほぼ歴史から抹消されているというか……そういうことは最近自分の問題意識としてありますね。

〈WIRE10〉のフードコートのようなところでDJしていたときに、もう仲間がいたよね。〈マルチネ〉周辺とつながっていて。tomadくんもあのころは若かったけど、みんなもうベテランのようになっている。

TB:いや、マジもうおっさんですよほんと。ちょうどこの前も若手の作品にダメ出ししてて、「えらい厳しなったな~」って言うてましたもんね(笑)。

あのときは〈マルチネ〉のような新しい文化というか、新しいプラットフォームがあって、DIYでやっている子たちがいて。いま tofubeats がこういうふうに頑張ってやってるわけですけど、自分たちがやってきたことの成果ってどう思ってますか?

TB:〈マルチネ〉はそろそろ20周年なんですよ。

そんなに!

TB:2005年からだと思うので、来年20周年。自分が合流したのも2007年とかなので、それはそうなりますよね。10代の子とかで聴いてくれたって言ってくれる子はいるので、一定の成果は挙げたなと思いますし、今後も作品は残っていくので、これからもっと先に音楽をはじめる子にもなにかは残せていると思うんですが、当時はもっとインパクトがあったと思うねんけどな……とかは考えますね。サブスクに載せられない音源も多かったので、歴史から消えてるものもあって。ぼくがはじめたころってCD-R全盛期やったやないですか。配られる流通未満の音源とか、委託販売の全盛期。関西ゼロ世代みたいなもの。ああいうものにすごく影響を受けたんですけど、ほぼ歴史から抹消されているというか……そういうことは最近自分の問題意識としてありますね。もしいま自分が音楽を辞めたら、たとえばイルリメさんの初期とか関西の電子音楽の流れみたいなものは消えてしまうのではないか、とはちょっと考えたりします。

なるほどね。いまイルリメの名前が出たけど、やっぱり自分は関西のオルタナ・シーンから出てきたという意識がある?

TB:自覚はありますね。ずっとその周辺でやってきてますし。その流れと、〈マルチネ〉のような東京のひとたちと、どちらともやってきたっていうのがありますけど、関西のそういうひとたちがもうちょっと日の目を見たらいいのにな……っていうのは、ずっと昔から思っていますね。

めっちゃ時代が変わった感じがします。“水星” はもう、「親が聴いてました」みたいな感じになっていて。「お父さんが好きで」とか。


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今回、取材前に「tofubeats に会うよ」って知り合いの若い女の子に言ったら、「え、本当ですか!」みたいな感じですごい羨ましがられたのね(笑)。これも昔から tofubeats がよく言うことだけどさ、自分の立場をけっこう考えるじゃない? 入口になるような、とか役目みたいなものを。ほんとうに20代の女の子が「tofubeats さんに会えるんだ、いいなー」と思うことをやれてるわけだから、そこはしっかりできてるんだなと思う。

TB:いやでもね、本当にマジでそれは思うんですよね。自分もやってもらってたっていうのが大きい。CE$ さんとかがいたから自分がこうなってるわけで、さっきのリミックスの話もそうなんですけど。あと、それをやらないと結局自分が損するんですよ。自分の居場所がなくなる。たとえばクラブってひとりでは絶対成り立たないですよね。一晩やろうと思ったら5人くらい必要で、そういう組がほかにもいっぱいないと、クラブってなくなるわけじゃないですか。だから、やりたいひとを増やしていかないと、自分のいる場所がいずれなくなってしまうっていうのはいつも考えます。風営法のときも思いましたし。

そういう自分の役目以外のところ、役割から降りたところでつくりたいっていう欲望はないんですか?

TB:ああ、まあそうですね。難しいですけど……ぼくはメジャーにいるので、そうなったら半分ぐらいはそれが意義な気もしていて。あと、役目があるから頑張るみたいなところもあるというか。役目というか、大義名分ですよね。これは自分のエゴみたいな話でもあるんで、みんなもそうしてほしいっていうことではないんですけど、それがあったほうが頑張る理由にはなる。自分のために頑張るのはたかがしれていて。頑張るコツとして大義名分を利用しているのは否めないです。みんなのために頑張ってるんだよって言いながら、結局は自分に利益を向けていくっていう悪代官みたいなスタイルでやっていく感じ……(笑)。

すごいね、偉い(笑)。Tofubeats が面白いのが、上の世代から「90年代はよかった」って話ばかりされて、「自分の世代には何もないのか?」っていう反骨心でやってきてるところ。

TB:そうですね。神戸もやっぱり地震があったところなんで、だいたい10個上くらいの先輩からは「昔はよかったのになあ」みたいなことを言われて育ってきたんで。

それって「溺れそうになるほど 押し寄せる未来」とつながりますよね。

TB:そうですね。そういう感じでやってるのかもしれないですね。

リスナーの世代が入れ替わってる感触みたいなのってありますか?

TB:それはけっこうあります。「“水星” 聴いてました」ってひとと「“LONELY NIGHTS” 聴いてました」ってひととではすごく世代の差を感じるというか……「“LONELY NIGHTS” 聴いてました」って言われると、めっちゃ時代が変わった感じがします。“水星” はもう、「親が聴いてました」みたいな感じになっていて。「お父さんが好きで」とか。

ちなみに、最近読んだ本で面白いものはありましたか?

TB:いまちょうど、若林恵さんから薦められた『指紋論』(橋本一径著、青土社、2010年)という本を読んでるんですけど、めっちゃおもろいですね、指紋認証の歴史みたいな本です。指紋を認証するみたいな考え方は昔の心霊主義から来てる、みたいな話で。おすすめされてその日に買って。まだ読んでいる途中なんですけど。

アンダーグラウンドでいま注目している面白い動きはある?

TB:あんまり最近は「これだ」っていうのは正直なくて。もうそういうのにぐいぐい行く歳でもないなと。トレンドとかより、もうちょっとおじさんの動きをしようみたいな(笑)。若手にすり寄る歳でもないので、知らないものは知らないと言えるようになっていきたいなと、30代に入ってから思いますね。

まだ若いでしょ(笑)。

TB:いや、でも、若い子からするとぼくくらいの年齢のひとがすり寄ってくるのがいちばん感じ悪いと思うので(笑)。ぼくはもう「何やってるかようわからんわ」ってぐらいの感じで行けるようにしようと意識してますね。ただ、全体的に、自分の好きなタイプのハウス・ミュージックがそれほど来てない時代かなって気はしてます。なので今回のような作品を置いておこうと。

まあ、いま思うと今回のような作品がなかったのは逆に不思議な感じはするよね。

TB:いやそうなんです。「TBEP」はもっとちゃんとハウスにできたのにちょっと変化球っぽいふうにしちゃったっていう反省があって。もっとスタンダードで、全曲もっとテイストが揃ったものをつくりたいっていうのは当時から思ってたんです。それがやっとできたっていう感じですね。

tofubeats、フロアライクなHOUSEミュージックを全曲AI歌声合成ソフトで制作したEP「NOBODY」のアナログ盤を7月にリリース!

tofubeatsが4月にデジタルリリースした新作 EPのアナログ盤を7月17日に発売する。

「NOBODY」は全曲のボーカルをAI 歌声合成ソフトで制作した意欲作となっており、コロナ禍を経てフロアライクなHOUSE MUSIC をコンセプトに制作された作品。

ワーナーミュージックストアでは、ここでしか手に入らない限定トートバッグ付きのセットが数量限定で販売されるので是非チェックしてほしい。

【リリース情報】
EP「NOBODY」
・アナログ盤 7月17日発売
WPJL-10214 税込¥4,180
ご予約受付中:https://tofubeats.lnk.to/NOBODY_Vinyl

■収録内容
1.I CAN FEEL IT (Single Mix)
2.EVERYONE CAN BE A DJ
3.Why Don’t You Come With Me?
4.YOU-N-ME
5.Remained Wall
6.I CAN FEEL IT
7.NOBODY

WARNER MUSIC STORE限定トートバック付きセット

価格:税込¥6,680
https://store.wmg.jp/collections/tofubeats/products/3724

・デジタル配信中
https://tofubeats.lnk.to/NOBODY

【関連リンク】
tofubeatsオフィシャルサイト:https://www.tofubeats.com/

Iglooghost - ele-king

 音楽っていうのはつまり、サウンドをもって頭を吹っ飛ばしてくれないとね。こちらの思考速度(自慢ではないが、かなり遅い)よりも素速く、サウンドというサウンドが想像力の奥深くに潜り込み、暴れ、戦慄を与え、ぞくぞくさせる。これだよ、これ。こんにちのUKにおけるZ世代の電子音楽家としては、まあ、もっともインパクトのあるひとりに挙げられるであろうイグルーゴーストの新作は、この老いぼれた人間の身体さえも動かしてしまう。いいよなぁ。若いっていい。ぼくは昨年のロレイン・ジェイムスのアルバムを愛するひとりだが、彼女の作品における最新ジャングルはイグルーのこのアルバムにも通じている。1曲目から2曲目の“New Species”への展開を聴いただけで、余裕でぶっ飛ぶことができる。

 ここで少しばかりイグルーについての説明を。●アイルランド生まれ、イングランド南西部のドーセット州シャフツベリー出身。●10代にして注目された早熟のミュージシャン。●イグルー名義で活動する以前は、2010年代半ばのLAビート・シーンで注目された奇矯なヒップホップ、Miloのプロデューサー。●幼少期はポケモンに夢中で、アニメやJ・ポップからの影響もあり(が、そればかりでは音楽が陳腐になるとも言っている。わかってるじゃん)。とはいえ、きゃりーぱみゅぱみゅ好きでもある彼の作風は、一時期の欧米では「kimokawaii(キモカワイイ)」などと形容された。●フライローのギグの最中、自分のデモ音源を渡すほどのファンだった彼は〈ブレインフィーダー〉と契約し、2016年から2019年のあいだに1枚のアルバムと数枚のシングルを出している。●その音楽性は幅広く、グリッチ・ホップ、IDM、トラップ、グライム、ジャングル、ブレイクコア、アンビエント、いろいろなもののハイブリッド。●わかりやすく喩えるなら、フライロー×AFX。もしくはダブステップ時代のAFX。●ときに彼はマキシマリズム系のアーティスト、ハドソン・モホーク、スクリレックス、ソフィーらと同じ部類に括られる。●影響源にヒップホップがあるのはたしかだが、イグルーは、21世紀に顕著な大衆娯楽におけるオブセッショナルな「リアリティ」支配からの脱走者(「リアル」なる概念に関しては、『K-PUNK──自分の武器を持て』をひとつの見解として参照)。●デジタル時代のエレクトロニック・ミュージックの創造性を追求する青年。●往年の仲間には同郷のカイ・ウィストン、バービーらがいるが、今作に参加しているのは、スウェーデンのグライム・プロデューサー、Oli XL 。テキサスのIDM系プロデューサー、sv1&Djh。●今作のリリース元は、グラスゴーの〈LuckyMe〉。

 たしかに〈LuckyMe〉っぽい。まあ、それはそれでいいのだが、問題は、新作にはイグルーのトレードマークたる「カワイイ」がない……どころか、これまでの、なかば童話めいた妖しさもないことだ。「カワイイ」からも、ドリーミーな夢(どうか『Lei Line Eon』を聴いて)からも、幼稚園児たちが騒々しく走り回るピンクの遊園地からも、アヒルの機関銃ビートの運動会からも、テクニカラーの液晶画面からも離陸し、ハードに、ダークに、砂埃と悪天候にまみれ腐食した異界に着陸している。恍惚めいて美しく、ときにゴージャスな、つまり、マキシマリズムなどと呼ばれた彼のサウンドは、あわよくばUKドリルにもリーチしそうな、刺々しさを備えたものへと変容している。本人の説明によれば本作は、「イギリスの奇妙な海辺の——終わりのない嵐に見舞われ奇妙な異世界の原始的なゴミが海岸に流れ着いた、ならず者のクズ変人しか住んでいない——町にある、錆びだらけで水浸しのスクワットに住んでいたときに作ったアルバムだ」。「ぼくは地元で湧き上がっている音楽シーンに参加しようとしている。そこは、大嵐のせいで、他の地域から完全に隔離されている。しかも彼らは僕のことをあまり好きではない。でもなんとなく入り込んで、ぼくはようやくこのアルバムを作った。海のゴミ、違法な文字放送、下水道に潜む先史時代の三葉虫の天使についての曲をね」

 この興味深い物語(ファンタジー)は、彼の前史を思えばより興味深くなる。マキシマリズムについて、スマホ時代の情報過多の反映などという無粋なことは言うまい。若い世代がその上の世代にない、むしろ上の世代が嫌悪しそうな過剰な装飾性を持つことは、サブカルチャーの歴史においては健全な更新行為と言える。が、しかしね、こうした文化的対立が、なにかのきっかけで、どこかで交わってきたときにこそラディカルな大きなうねりが生まれうるのというのも事実……ではある。イグルーの作品を聴いてぼくが感服するのは、彼がデジタル時代だからこそ可能なクラブ・サウンドの開発に挑戦し続けていることにある。それはもう、まずは世代的に、AFXやスクエアプッシャーにはできないことをやっているわけだ。今回のダーク・ファンタジーを通じて見えるうす汚れたフリー・パーティは、ある意味ファンの期待を裏切っているのかもしれないが、彼の前にはいま無法者たちの新しい世界が広がっている。たとえそれが腐敗した世界であっても、ここは自由で、前を向いているという、なんとも暗示的な物語の創出と言えやしないだろうか。いいよなぁ。複雑に、過剰に、高速に分裂し、衝突を繰り返しギザギザに推進しながら、むしろ情報過多によって疲弊させられたイマジネーションに生気を与える。いつものように。いわば電子の暴れ馬、アルバム最後の“Geo Sprite Exo”。めちゃかっこいい。

Schoolboy Q - ele-king

「ギャングスター・ラップは社会の写し鏡だ……(中略)その地元や社会で何が起こっているかを映し出すカメラなのさ」
(テック・ナイン/『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』ソーレン・ベイカー著/塚田桂子訳・解説 DU BOOKS)

 現代のように現実が複雑化すれば、とうぜんその現実の写し鏡とされる音楽も複雑化してしかるべきである。そうあってほしい。けれども、ポップ産業は単純化をも好む。それによって利益を生む。
 世のなかは、複雑化した現実を、手元にあるそれなりにリベラルな価値観や美意識、あるいは政治意識で都合よく腑分けして単純化した表現や解説にあふれている。もしくは政治的、思想的、民族的なステレオタイプの、政治的正しさに基づいた相対化をこころみる“反体制風体制プロパカンダ”の映画やドラマなどのエンタメの洪水である。
 私たちはそれらのエンタメ産業にのみこまれながら、まるで自分の意識が更新されて賢くなった気になって溜飲を下げている。まったくの欺瞞だ。それが資本主義社会におけるポップ・カルチャー受容というものだ、そんなに目くじらを立てることじゃないと開き直ってしまえば、話はそれまでだが。

 ただし、冒頭に引用した、「ラップはゲトーのCNN」(チャック・D)と同様の社会反映論のラップ解釈の文句そのものも使い古されてはいる。だから、それが当事者の弁だったとしても、私はこの引用の書き出しにためらいがないわけではない(テック・ナインに罪はない)。
 ラップだってずいぶんと脚色した“リアル”を売り出してきたし、ゲトー・リアリズムへの過剰な幻想は弊害にもなり得る。いや、より正確に書けば、ゲトーやフッドの過酷な物語やある種の暴力性を政治的正しさへの逆張りとして、自分のロジックのためにロマンティックにとらえてしまうことへの警戒心がある。これは猜疑心の強い自分の話だが、その手の陳腐な二項対立もまた巷にあふれている。
 しかし、である。それでも、誕生から35年以上を経たギャングスタ・ラップという資本主義の鬼っ子であるヒップホップのサブジャンルの優れた作品には、私の知るかぎり、日米問わず、さかしらな欺瞞を暴き出そうとする知性(ストリート・ワイズ)と蛮勇があるものだ(舐達麻を思い出してみてもいい)。
 LAのサウス・セントラルで育った、1986年生まれのスクールボーイ・Qの6枚めのアルバムは、そういった意味において、最新のすばらしいギャングスタ・ラップである。

 ケンドリック・ラマーの盟友でもある彼は、フッドやアメリカ社会を生きることで抱くさまざまな感情またそれらの表出のあり方の、多義的かつ微妙なニュアンスを、多彩なサンプリングや引用による映画的な構成や洒落の効いたサウンドで音楽化したヒップホップ・アルバムを作り上げた。
 ギル・スコット=ヘロンやザ・ワッツ・プロフェッツ、日本のシンガーソングライターの長谷川きよし、あるいはジョン・コルトレーンやヒップホップ世代にもお馴染みのギタリスト、デヴィッド・T・ウォーカーの楽曲(PUNPEEも使っていた曲だ)などのサンプリングは聴き手を楽しませてくれる。
 本国のアメリカでも高い評価を受けていて、3枚めの『Oxymoron』(2014)と4枚めの『Blank Face』(2016)でグラミーの最優秀ラップ・アルバム賞に2度ノミネートされたラッパーのキャリア史上の最高傑作という声もある。

 そんな本作には数多くのプロデューサーやライターが関わっている。なかでも、マッドリブが立ち上げたレーベルのライブラリー・ミュージック・シリーズからアルバムを出したプロデューサー/アレンジャー、マリオ・ルシアーノ、トップ・ドッグ・エンターテインメント(TDE)のプロデューサー・チーム、デジ+フォニックスの一員、テイ・ビースト、ロック・ネイションのJ.LBSの3人がキーパーソンではないか。
 あまりにもスウィートでソウルフルであるために、逆説的に不吉な予感を演出する挿入歌や劇伴をおもわせる“Funny Guy”(たとえば、あまりにショッキングな描写に賛否両論を呼んだ、背筋も凍てつく人種主義ホラーのドラマ『ゼム』を連想する。舞台はLAのコンプトン)からラッパーのリコ・ナスティを客演に迎え、Nワードとポップという単語を交互に連発する攻撃的なその名も“Pop”、そしてジュリアス・ブロッキントンの牧歌的なサイケ・ソウルをもちいた前半から一転、プロジェクト・パットの曲を引用したダーティ・サウスめいた中盤になだれこむ“THank God 4 Me”へ。
 このめくるめく冒頭の3曲を聴いて、本作が現実の複雑さに向きあったうえでその複雑さを楽曲構造そのものに変換しようと試みた、一筋縄ではいかないユニークかつ挑戦的な作品ではないかと感じたのだ。

 いみじくも、Qにインタヴューした『ローリング・ストーン』のライター、Mankaprr Contehは本作を「エッジの効いた成熟したアートハウス・ラップ」と評した。
 じっさい“青い唇”というタイトルからして風刺が効いている。その定義を、Qは「ショックを受ける。言葉を失う。恥ずかしくなる」という言葉で端的に説明している。もちろん青は、彼がかつて所属していたギャングのクリップスのカラーでもある。
 このタイトルについてインタヴュアーの彼女がさらに問うと、ゴルフにのめりこみ、CMにも抜擢されたQは次のような苦々しい体験を具体例として挙げている。「ゴルフのコマーシャルをやっていて、『よお、グリルを入れろよ』って言われるんだ。アジア人に『箸を持ってこい』とか言ったらどうなる? わかるだろ? 『グリルを入れろ。ちゃんと黒くしろ』ってことだ。何だと?」
 「ユーモア自体がどこから来るか、その秘密の源泉は喜びではなく悲しみである」とは、アメリカのポップ・カルチャーの歴史を描いた大著『ヒップ』の著者、ジョン・リーランドの言葉だが、Qがラップで巧みに表現する辛辣なアイロニーや毒気のあるユーモアは、アメリカで黒人として生きることで直面せざるを得ない、あまりにも理不尽ではらわたも煮えくり返る、恐怖を伴った体験が源泉にあることは想像に難くない。

 言うまでもなく、フッドでの経験も表現の源泉だ。Qは、本作の自身のベストの曲として、ピアノとストリングスと語りかけるようなフロウが織り成すムーディーなジャズ・ポエトリー風の“Blueslides”を挙げている。この曲にかんしては、故・マック・ミラーのデビュー・アルバム『Blue Slide Park』に因んだ、ミラーに捧げた曲という解釈も広まっているが、本人は前述したインタヴューではっきりと強く否定している。
 「マック・ミラーを利用したくない(ミラーはピッツバーグ出身だが、LAに住んでいた)」「ドラッグで4人の仲間を失ったから、彼ら全員について話したんだ。 “仲間を失った”というのは、“仲間たちを失った ”というのとは響きが違う」、そう述べている。
 さらに、この曲では、「俺たちは利益をひとびとと分けあう」と仲間との助けあいを歌う一方で、「俺はたくさんのひとびとを助けてきたが、ヤツらはそんな俺のことを当然だととらえた」と、成功とそのことで仲間とのあいだに生まれる摩擦といったキレイゴトだけではすまされないフッドの実情を、勇気をもって伝えている。こうしたフッドとリプリゼント(代弁)の緊張関係の率直な表明は、ある意味では“フッド神話”の解体と聴くこともできる。

 他にもユニークな曲がある。たとえば、強烈なキック、通り過ぎるサイレン、ガラスの割れる音、そしてタイトルが暗示するように、警察=Pigへの抵抗を荒々しく示す“Pig Feet”、TDEのラッパー、アブ・ソウルをむかえ、公民権運動やブラック・パワーを背景に黒人の誇り、抵抗、社会的平等を力強くうったえたザ・ワッツ・プロフェッツのポエトリー“Dem Ni**ers Ain't Playing”(1971)を冒頭で引用し、ビートはフリースタイル・フェローシップのラッパー、P.E.A.C.E.がドラムンベースに接近したころの楽曲を彷彿とさせる“Foux”。
 そして、Qとフレディ・ギブスがジョン・コルトレーンのあまりにも美しい“NAIMA”のフレーズと併走しながらラップする“Ohio”が最高だ。20代前半の私が4ヒーローのリミックスでコルトレーンのこの名曲を知り、あの美しい叙情に得も言われぬ感動をおぼえ、出会ったことのなかった自分のなかのナイーヴさや傷つきやすさを発見したように、この曲のサンプリングを通して、この崇高なジャズに強く感化される人がいるであろうことを想像すると羨ましく思う。

 『BLUE LIPS』は現実の複雑さを単純化せずに音楽化しようとしたと感じられるし、その点では、難解ではないものの、わかりやすくもない。しかし、だからこそ誠実で、実験的で、何よりかっこいいヒップホップ・アルバムだ。残念ながら、LAのフッドに縁などなく、英語にも堪能ではない私にとって、Qの高度なアイロニーとラップ、ストリート・ワイズの理解には限界がある。
 それでも、彼がラップと音で伝えようとする、ドラッグと仲間たち(homeboys)の死、成功と裏切り、厳しい労働倫理の追求、その一方で酒やドラッグに溺れる怠惰、または退廃と快楽と自己啓発、富と貧困──そうした複雑にからみあったのっぴきならない諸問題は、幸か不幸か、若いころにアメリカのラップを聴いていたときより切実に感じることができてしまうのだ。

Pet Shop Boys - ele-king

 この数年、ペット・ショップ・ボーイズ(以下PSB)の存在の大きさを噛みしめることが多い。タイトルからしてPSBの初期の名曲を引用し、ロンドンのエイズ禍の時代におけるクィア・コミュニティの苦境を描いたドラマ『IT’S A SIN』(2021)では当時青春を送ったゲイたちが共有できるポップスとして象徴的に使われていたし、アンドリュー・ヘイ監督作で山田太一の小説を原作とした映画『異人たち』(2023)においても、1980年代のゲイ・ミュージシャンによるシンセ・ポップがいかにクローゼットのティーンエイジャーのゲイの心を慰めるものだったかを示すものとして引かれていたように思う。それは80年代、「わたしたち」が何者かを確認し合うための合言葉のようなものだったと。だから、デビュー40周年のベスト・ヒッツ・ツアーの模様を収めたライヴ映画『ペット・ショップ・ボーイズ・ドリームワールド THE GREATEST HITS LIVE AT THE ROYAL ARENA COPENHAGEN』を観ていると、観客席で笑いながら歌い踊る大勢の中高年ゲイが映し出されていて、僕は涙せずにいられなかった。みんな、いろんな時代を乗り越えてここに集まったんだね……と。
 そのライヴ映画のなかで、ニール・テナントが“Domino Dancing”(1988年リリース)を「昔、友人と(ゲームの)ドミノをプレイしたときに着想を得た曲だよ」とだけ紹介していて、おや、と思った。50代のゲイの先輩から、「この曲はエイズでゲイがどんどん死んでいくことを、ドミノ倒しのダンスに暗喩したものなんだよ」と聞いたことがあったからだ。調べてみても諸説あって真偽のほどはわからないのだが、あの時代、多くのゲイ・ポップスが逃れようもなくHIV/エイズ、そして死と結びついたものとして受け取られていたことはたしかだ。PSBは当時ゲイであることを公言はせずに、様々なゲイネスを彼らのシンセ・ポップに織り交ぜていた。だから2024年にPSBのグレイテスト・ヒッツを聴くということは、ゲイ・ヒストリーを回顧することでもある。
 あるいは映画『異人たち』は、主人公のゲイの中年が死んだ両親の幽霊に再会するという物語なのだが、そこでは幼い頃にできなかった両親へのカミングアウトを「やり直す」ことが重要なものとして描かれる。母親は80年代で価値観が止まっているために典型的な偏見をはじめはぶつけてしまうのだが、彼女なりにゆっくりと息子のセクシュアリティを受容していき、その後、PSBの“Always on My Mind”(1972年リリース、もとはソウル歌手グウェン・マクレエの楽曲)を口ずさむ場面がある。彼女はそれをゲイのミュージシャンによる歌だと知っていただろうか? PSBのポップスはポップスであるがゆえに、価値観に拠らず多くのひとが口ずさめるものだったのだ。

 『Nonetheless』はPSBにとって15枚目のオリジナル・アルバムであり、前作まで続いていたスチュアート・プライスのプロデュースがジェームズ・フォードに変わったというのはあるが、根本的には何も変わっていないPSB印のシンセ・ポップ作だ。フワフワしたテナントの歌が乗るダンス・ポップがあり、華麗なストリングスが飾るセンチメンタルなバラッドがあり、相変わらずダンスと魅力的な男の子について歌っている。自分が70歳近くなってダンスと男の子のことを考えているか想像できないのだが、それはテナント個人の情動というよりPSBのポップスの型として守られているようなところがある。今回のアルバムはゴージャスなオーケストラが入ったキャッチーなダンス・ナンバー“Loneliness”のような曲と、メランコリックなシンセ・バラッド“A New Bohemia”のような曲のバランスがいいというのがもっぱらの評判だが、それは「新作」でもベスト・ヒッツのようなことをしているとも取れる。思い切り80年代風のシンセ・ファンクに彼ららしい甘ったるいメロディが乗る“Bullet for Narcissus”は懐かしくて笑ってしまう。
 ただ、80年代のゲイ・カルチャーのように、決死の覚悟で暗示せねばならないものはもうあまり存在しないだろう。だからPSBは先駆者として歴史を提示している。テナントのグラム時代の青春を回顧する“New London Boy”で彼は“West End Girls”(1985年リリース)風の無機質なラップで「スキンヘッズがからかい、カマ野郎と言うだろう」とラップする。それは彼個人の記憶であり、しかし彼だけのものではない。ゲイ・ヒストリーの一部なのだ。テナントはこの曲のはじめ、「ぼくは誰だろう?/ぼくはどうなるのだろう?/秘密を明かすために、どこかに行かなければならないのは知ってる/ここから出ていかないといけなくなるまで、長くはかからないだろう/そしてぼく自身が考え出した人生を生きるんだ/まあ、すでにかなり奇妙(クィア)だけどね」とフワフワ歌う。僕はやっぱり少し泣いてしまう。
 つねにどこか切なさや憂鬱を抱えたPSBのダンス・ポップがいまどきのクィアの若者たちに響くかどうかは僕にはわからないが、時代が変わり人権的な価値観が前進したとしても、それぞれの個人が抱えるものはそれほど変わらないのかもしれない、とも思う。アンドリュー・ヘイは本作の楽曲のミュージック・ヴィデオを監督したという。そうして世代を超えて続いていくものがあるのだ。『Nonetheless』はそして、ときにはオスカー・ワイルドの時代にまで遡りながら、わたしたちがいつでも帰ることができる場所としてのポップスをいまも用意するのである。

 いまの日本はどこも雰囲気が悪い。それは「努力が報われる社会」から「才能が活かされる社会」に変化したいという要請が行き渡り、その気になっている人が多数いるにもかかわらず才能が認められるプロセスがいつまでも不透明なので、着地点が見つからない人たちの焦りやイライラがあちこちに充満しているからだろう。1989年の台湾を舞台にリャオ・ジエ(バイ・ルンイン)が『オールドフォックス 11歳の選択』で直面する事態も努力以外の価値観があることに気づいたことが端緒となり、11歳の少年が経験するにはあまりに過酷な社会の諸相がむき出しとなっていく。感情表現すらまだ覚束ない少年を中心としながらも登場人物の多い群像劇は勝ち組と負け組のどちらにも肩入れせずに粛々と進行するため、周囲の人々に影響を与えるリャオ・ジエの焦りやイライラは映画を観る者にもダイレクトに貼り付いてくる。どこか突き放したような演出は前期フェリーニを思わせるアトモスフィアを醸し出し、行ったことがないのに郷愁を掻き立てる街の景観や「美人のお姉さん」と呼ばれて「まあ、嬉しいわ」と返す軽口など俗に呑み込まれない俗という意味でもフェリーニの名前はどうしても挙げたくなる(実際にはシャオ・ヤーチュエン監督はホウ・シャオシェンの弟子で、台湾ニューシネマの代表とされたシャオシェンは報道された通りアルツハイマーにコロナの後遺症が重なって引退を発表し、『オールドフォックス 11歳の選択』が最後のプロデュース作となる)。

 同作は台湾でバブル経済が弾け、多くの人々が苦境に追い込まれた時期を背景としている。実話がベースになっているそうで、導入からしばらくは誰1人として孤立したものがいない温かなコミュニティの描写が続く。異なる階級の人間が出会う場所として高級レストランが設定され、分断どころか、適切なコミュニケーションの頻度が多様な人間関係を成立させていることもなかなかに印象深い。ここにあるような人間と人間の距離感は80年代の日本もしくは東京にはすでに存在していなかったもので、若い人が観れば『三丁目の夕日』などを思い出すのかもしれない。冒頭から赤い服を着た女性が1人夜道を歩いている。その場の雰囲気に合っているとは思えない鮮やかな服の色は「夜道で暴漢に襲われる」というフラグにしか思えなかったものの、実際には彼女は地域の家賃を集金して回り、その街と距離があるどころか、資本主義的には効率が悪いと思うほどあちこちで会話の花を咲かせていく。家賃も「取り立てる」というような雰囲気からはほど遠く、『闇金ウシジマくん』の見過ぎで荒んだ心には部屋を借りている者と貸している者がお互いに尊厳をもって接しているとしか見えない温かさをもたらしてくれる。リャオ・ジエは家賃を集めに来たリン(ユージェニー・リウ)からいつものようにおやつをもらい、また同じお菓子だという顔をする。リンはその後も風邪をひいたリャオ親子の面倒を看るなど、家主の代理人という立場からは大きく逸脱した行動をとり続ける(後にわかることだけれど、明らかにそれは無償の行為で、「無償の行為」と注釈をつけて解説しなければいけない日本の現状にも違和感を覚えてしまう)。ジエはまた、平日の午後には父のリャオ・タイライ(リウ・グァンティン)が働くレストランの片隅で宿題のノートを広げ、従業員たちは何かと彼に余った食べ物をくれる。ジエは地域の人たちから可愛がられ、とても大事にされている。

 悪い予感のかけらもなかったムードに初めてバッド・サインが点灯する。リャオ・ジエは学校の帰りに同じ年頃の悪ガキにいじめられ、同年代の子どもたちとは必ずしもいい関係でないことが示唆される。リャオ親子が住むアパートの一階でラーメン屋を営むリー夫婦は戒厳令が解かれたことで歯止めが効かなくなった投資ブームにのって大きな儲けを出し、同時に不動産価格が跳ね上がり、店舗のなかにはしばらくすると立ち退きを迫られる職種も出てくる。ジエは亡くなった母親がやろうとしていた理髪店を自らの手で開くという夢を持ち、父のタイライにはあと3年で開業資金が貯まると告げられる。一方で、タイライの弟の結婚式で会った叔父も株で大金を手にしていて、それを理髪店の開業資金に回してくれると聞いたジエは3年も待てないと思い、自分でも株をやりたいと思い始める。そんなある日、ジエは雨の日に屋台の横で雨宿りをしていると高級車で近寄ってきた家主のシャ(アキオ・チェン)に家まで送ってやると言われて車に乗り込む。シャは知らない人の車に乗ってしまうジエに少し呆れ、街でジエを見かけると車に乗せては勝ち組になる心構えを教えて聞かせる——他人の気持ちを思いやるな。そんなことをする人間は負け組にしかなれないと。

 作風はいわゆるネオレアリズモ。これにジエの母親が生きていて理髪店を営んでいるシーンが空想として差し挟まれ、もうひとつ、ゴミの廃棄所でジエが転ぶと、ゴミの山の上にシャが立っているシーンはあまりに不自然で、ありえない場面ではないものの、さすがに作為的といえ、社会の底辺で2人が繋がっていることを象徴的に示す目的が強かったと思われる。そして、誰のことも助けるつもりがないシャがジエだけを目にかけるのは過去の自分をジエに重ねているからだと告げ、利益を度外視した売買の契約を彼は承諾する。それは自分への憐れみであり、かつての自分がして欲しいことをジエにしてあげたという代替行為に相当する。シャはジエに売ってやると告げた物件に足を運ぶと約束を翻さざるを得ない事態に遭遇して日本語で怒鳴り、そのまま子ども時代の回想へと場面は切り替わる。シャは日本語で「部屋を貸して!」と何人もの家主に向かって訴えている。他人を思いやるなというシャの考え方は台湾を占領していた日本人が彼に冷たくしたことで芽生えたものだったということがそこからは汲み取れる。日本人の顔は1人として映し出されず、日本人の表現には人格を伴っていないことが強く印象に残る。

 シャの向こうには日本人が見え、それは台湾にとっての父性という意味を持っているのだろう。ジエにはそして、3人の母がいる。亡くなった母と代理母性であるリン、そして父親のタイライもここで果たしている役割は母性に近い。リャオ・ジエは11歳にして社会に抑圧されていることに矛盾を感じ、父と同じ生き方をしていたのでは、一生、底辺暮らしが続くと考える。(以下、ネタバレ)シャはある情報をジエに教え、それをもってジエは自分をいじめる悪ガキどもにリヴェンジを果たす。「情報」が人生を大きく左右すると知ったジエはよく考えずにリンに関する情報をシャに伝える。結果、いつも自分に優しくしてくれたリンはシャに殴られ、顔に大きな痣ができる。ジエにとっては父性が母性を傷つける場面を自らが招いたことになる。ジエはこのことをどう受け止めたのか。それは33年後に彼が建築設計士として働く様子からそれぞれが考えるというつくりになっている。ジエは富裕層の家を設計し、山の中腹に建てられた豪邸を緑で覆い尽くし、そこに家があることもわからなくしてしまうのがいいのではないかと提案する。発注主は戸惑い、少し考えさせてくれと悩む。ジエは父のタイライからカッターの刃をむき出しで捨てずにダンボールで包んでから捨てるという「気遣い」を受け継いでおり、豪邸を緑で覆い隠すというジエの提案はまるで富裕層の存在を視界から消してしまい、そうすることで他の人たちの心を落ち着かせようとしているかに思えてくる。かつての理髪店を開くというジエの望みは亡き母への執着と捉えることが可能で、他人が住む家を設計するという仕事にモチヴェーションを変形させた彼は、家を建てることによって母性の必要性を人に伝え続けていると考えられる。一方で、タイライの初恋の相手でもあるヤン・ジュンメイを門脇麦が演じており、彼女もまた夫に痣がつくほど顔を殴られる。シングル・ファーザーを中心とした物語のなかで2人も女性が殴られるというのは女性に恨みがあるか、それとも男性にも母性は備わっていて、この社会に女性は必ずしも必要ではないというステートメントにさえ思えてくる。「母」は過剰に慕われるけれど「女性」は殴られる。それとも男性は女性を殴る生き物だということを強調したいだけなのだろうか。女性に対する両義性はやはりフェリーニに通じるものがあり、それはそのまま中国本土に対する感情を表しているのかもしれない。そして、今日、中国からの独立派である頼清徳が新たな新総統に就任した。

全レゲエ・ファン必読

全世界に影響を与えた彼は、
いったいどんな人物で、
どんな人生を歩んだのか、
ダブ・マスターの謎に包まれた生涯が
いま明らかになる……

*未公開写真多数

キング・タビーはラスタではなかった。彼はマリファナも吸わなかった。ジャマイカから一歩も外に出ず、人生の大半をキングストンの狭い域内で送った。そんな彼の人生は、主要なふたつの “共鳴箱” を介して地球の果てにまで “エコー” のように反響している。そのふたつとは、キングストンのウォーターハウス地区と、サウンド・システムの文化的叙事詩だ。彼のジャマイカ人としてのメンタリティが、彼のエスプリを、芸術を、プロジェクトを形作った。ダブはローカルな囃子であり、それが最終的に全世界を揺るがすことになったのだ。(本書より)

四六判/480頁+別丁24頁

目次

イントロダクション

第1章 ゼイ・コール・イット・マーダー(1989)
第2章 ウォーターハウス
第3章 シャーロック・クレセント
第4章 たっぷりのダブ(ダブ・ガロァ)
第5章 《MCI》とビッグ・ノブ
第6章 タブスとフライヤーズ(1973-1975)
第7章 アリーナに死す(1975)
第8章 キング&プリンスィーズ
第9章 ディジタル・テンポ(1984-1989)
第10章 レコードの送り溝(リード・アウト・スパイラル)

ダブワイズ・セレクション
訳者あとがき

ティボー・エレンガルト(Thibault Ehrengardt)
フランスのレゲエ専門誌『ナッティ・ドレッド』の元編集長。現在は〈DREAD Editions〉の代表。ジャマイカには25回ほど訪れており、レゲエとジャマイカに関する本も数冊執筆している。

鈴木孝弥(すずき・こうや)
1966年生まれ。音楽ライター、翻訳家(仏・英)。主な著書・監著書に『REGGAE definitive』(Pヴァイン、2021年)、ディスク・ガイド&クロニクル・シリーズ『ルーツ・ロック・レゲエ』(シンコー・ミュージック、2002/2004年)、『定本リー “スクラッチ” ペリー』(リットーミュージック、2005年)など。翻訳書にボリス・ヴィアン『ボリス・ヴィアンのジャズ入門』(シンコー・ミュージック、2009年)、フランソワ・ダンベルトン『セルジュ・ゲンズブール バンド・デシネで読むその人生と女たち』(DU BOOKS、2016年)、パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』(スペースシャワーネットワーク、2009年)、アレクサンドル・グロンドー『レゲエ・アンバサダーズ 現代のロッカーズ』(DU BOOKS、2017年)、ステファン・ジェルクン『超プロテスト・ミュージック・ガイド』(Pヴァイン、2018年)、ジョン・F・スウェッド『宇宙こそ帰る場所――新訳サン・ラー伝』ほか多数。

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