「Nothing」と一致するもの

DJ Marcelle & Kampire (Nyege Nyege) - ele-king

 これまで20回以上開催されてきた WWW のレジデント・パーティ《Local World》ですが、今年もやる気満々です。今回は、これまで都内のクラブで開催されてきた YELLOWUHURU 主宰の《FLATTOP》と Celter 主宰の《Eclipse》との共同パーティで、話題のウガンダのフェス/コレクティヴ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあるアムステルダムの DJ Marcelle を初来日で迎えます(Marcelle は大阪公演も)。これまたすごい一夜になりそうです。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -

新しい伝統と自由への狂騒。アフリカからダンス・ミュージックの未来を切り開くウガンダの新興フェスティバル/コレクティブ〈Nyege Nyege〉主宰の Kampire と、そのレジデントでもあり、今最も “越境する” 奇矯のアーティストとして話題の DJ Marcelle を初来日で迎え、Local World、FLATTOP、Eclipse によるハイブリッド共同パーティ “Super Freedom” が開催。

Local XX2 World FLATTOP x Eclipse - Super Freedom -
2019/03/28 sat at WWW / WWWβ
OPEN / START 23:30
Early Bird @RA ¥1,800
ADV ¥2,300@RA | DOOR ¥3,000 | U23 ¥2,000

【詳細】https://www-shibuya.jp/schedule/012322.php
【前売】https://www.residentadvisor.net/events/1386693

DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]
Kampire [Nyege Nyege / Uganda]
YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]
Celter [Eclipse]

+ many more

※ You must be 20 or over with Photo ID to enter

【DJ Marcelle 大阪公演】

AltPass feat. DJ MARCELLE
2020.3.27.fri. 22:00-7:00 at Club Daphnia
ADV ¥2,500 | DOOR ¥3,000

GUEST DJ:
DJ MARCELLE / ANOTHER NICE MESS
(JAHMONI) from Nederland

DJ:
Toshio Bing Kajiwara
7e
Gyoku
Gunilla
KA4U

LIVE:
USK

Visual Effect:
catchpulse

and more act.

FOOD: カカト飯店

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Local 1 World EQUIKNOXX
Local 2 World Chino Amobi
Local 3 World RP Boo
Local 4 World Elysia Crampton
Local 5 World 南蛮渡来 w/ DJ Nigga Fox
Local 6 World Klein
Local 7 World Radd Lounge w/ M.E.S.H.
Local 8 World Pan Daijing
Local 9 World TRAXMAN
Local X World ERRORSMITH & Total Freedom
Local DX World Nídia & Howie Lee
Local X1 World DJ Marfox
Local X2 World 南蛮渡来 w/ coucou chloe & shygirl
Local X3 World Lee Gamble
Local X4 World 南蛮渡来 - 外伝 -
Local X5 World Tzusing & Nkisi
Local X6 World Lotic - halloween nuts -
Local X7 World Discwoman
Local X8 World Rian Treanor VS TYO GQOM
Local X9 World Hyperdub 15th
Local XX World Neoplasia3 w/ Yves Tumor Local XX1 World AI2X2X w/ ???


■DJ Marcelle / Another Nice Mess [Netherlands]

「異なるカルチャーに対してオープンでありながらも、そこのオーディエンスや自分の期待感に意識を向けすぎないこと。自分の道を進むためにね」@RA https://jp.residentadvisor.net/podcast-episode.aspx?id=679

アムステルダムを拠点にDJ、プロデューサー、ラジオ放送、ミュージシャンと多岐に渡って活動を続けるベテランDJ Marcelle / Another Nice Mess。

サプライズ、アドベンチャー、エンターテイメント、教育:オランダのDJ/プロデューサーの DJ Marcelle / Another Nice Mess を説明するためによく使用される4つのキーワードであり、ライブ(およびスタジオ内)では3つのターンテーブルとレコードを使用して、ミックスの可能性を高みに引き上げる稀有なDJであり、またそれ以上のミュージシャンでもある。 2016年以降、ドイツのレーベル〈Jahmoni〉から「In The Wrong Direction」、「Too」、「Psalm Tree」、「For」(Mark. E. Smith へのオマージュ)の一連のEPリリースを経て、昨年最新LP『One Place For The First Time』をリリース。2008年から2014年の間には、ドイツの〈Klangbad〉から伝説のクラウトロック・バンド Faust の創設メンバーである Hans-Joachim Irmler によってセットアップされた4枚のダブル・バイナルのアルバムをリリースしている。

異なるスタイルの音楽を異なるコンテキストに配置することにより、個々のスタイル変化させ、他に類を見ない音楽スタイルを融合し、3つのターンテーブルと膨大なコレクションであるレコードを使いながらオーディエンスに3つの同時演奏ではなく1つのトラックであると感じさせる。そのスタイルは環境音、アバンギャルド・ノイズ、動物の音、レフトフィールド・テクノ、フリージャズ、奇妙なヒップホップ、最先端のエレクトロニカ、新しいアフリカのダンス・ミュージック、ダブステップ、ダンス・ホールなどと組み合わせれている。

独創的で熟練したミキサーであり、独自のスタイルを持ち、ほとんどのDJのクリシエやこれまでのルールを回避し、フラクサス、ダダなどのアバンギャルドな芸術運動やモンティパイソンの不条理な現実に触発されるように、ダブ、ポスト・パンク、最新のエレクトロニック/ダンス・ミュージックの進化など、常に、非常に、密接に、音楽の発展を追い続け、革新的な “新しい” サウンドに耳を傾けている。創造と発展の芸術性と高まりを強く信じ、約2万枚のレコードと数えきれないほどの膨大なレコード・コレクションは過去と現代のアンダーグラウンド・ミュージックに関する強力な歴史的知識を体現している。

ステージにおいてはマルセルは開放と自由を超越し、しばしば「圧倒的な豊かさ」、「真の耳を開ける人」、「真の開拓者」と表現されている。ヨーロッパ中のクラブ、美術館、ギャラリーを回りながら、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、バーゼル、チューリッヒなど、多くの都市のレジデントDJ、 2015年と2016年には Barcelona circus / performance group のライブDJを務め、ウガンダの Nyege Nyege フェステイバルでは「ライフタイムのレジデントDJ」として任命され、最近では欧州の Dekmantel、Unsound、USの Sustain Release 等のフェステイバルに出演しワールドワイドな活躍を展開。

また Red Light Radio、FSK、DFM など、ヨーロッパのさまざまなラジオ局向けにウィークリーおよびマンスリーのラジオ番組も開催し、インターネット上の John Peel ディスカッション・グループでは「best post-Peel DJ」と評される。マルセルにとって、何らかの緊急性や固定する必要がない限り、音楽形式は意味をなさない。分類が難しいことでブッカー、ジャーナリスト、オーディエンスを最初は混乱させられる。もしマルセルを適切な言葉で説明するのであれば「アバンギャルド・エスノ・ベース」と言えるだろう。

https://soundcloud.com/marcelle


■Kampire [Nyege Nyege / Uganda]

「私が望むのは、ジェンダーや性的指向に関わらず、その人となりの本質をしっかり見極め、誰もが平等にチャンスを得られるようになること」@i-d https://i-d.vice.com/jp/article/kzvn4v/uganda-dj-kampire-interview

東アフリカで最もエキサイティングなDJであり、ウガンダはカンパラの Nyege Nyege コレクティブのコアメンバーであるKampire。活気に満ち溢れたそのサウンドは世界中のクラブやフェスティバルへの出演を呼ぶ。Mixmag 2018年のトップ10のブレイクスルーDJに選出され、Nyege Nyege フェスティバルでの Boiler Room での放送は合法的な「インターネットの瞬間」であり、SNSで何千ものシェアをされ、オンラインで視聴している世界中の電子音楽ファンからフォローされる。

Kampire のDJミックスは Resident Advisor、Dekmantel、Fact Magazine で紹介され、Pitchfork & Fact の年末のリストで2019年のベスト・ミックスにも選出。Rinse FM ラジオのレジデンシーは、Hibotep、Faisal Mostrixx、Catu Diosis など、東アフリカのDJやアーティストにフォーカスしている。

2019年には4大陸でツアーを行い、ヨーロッパ全土のすべての有力フェスティバルに出演、ニューヨークの Redbull Music Festival の Nyege Nyege のショーケースでアメリカでデビューを果たし、Best friend & Nyege Nyege day one Decay と共に2020年の夏には、彼らのショー「Bunu Bop」でヨーロッパのフェスティバル・ステージにウガンダの最高のパーティー・カルチャーをもたらすであろう。

科学、文化、芸術として “黒髪” を探求するアート・インスタレーション「Salooni」の共同設立者であり、その体験プロジェクトは La Ba Arts Festival、ウガンダ、ガーナ、Chale Wote Street Art Festival、East African Soul Train (E.A.S.T) のレジデンシー、ケニア、Africa Utopia、ロンドン、キガリ、ルワンダ、 Women’s day、Burkina Faso and N’GOLÁ Biennial、São Tomé e Príncipe などで展開されている。

https://soundcloud.com/kkaybie


■YELLOWUHURU [FLATTOP / GHPD]

棍底にHOUSEを抱えながら電子音と生音を有機的に混ぜる男。

https://soundcloud.com/yellowuhuru


■Celter [Eclipse]

2019年2月より自身の主宰するイベント “Eclipse” をCONTACTにて始動。エクスペリメンタル、アバンギャルドを軸としたプレイを得意とする。

https://soundcloud.com/cel_ter

felicity - ele-king

 日本のインディ・シーンを支えてきた〈felicity〉が、レーベルとしての企画ライヴを3月12日に開催する。ご存じ七尾旅人と、先日EP「ざわめき」をリリースしたばかりの新世代ロック・バンドの羊文学、そしてこちらも昨秋アルバム『けものたちの名前』を発表したばかりの ROTH BART BARON の計3組が出演する。9年ぶりの企画とのことなので、きっと熱気あふれる一夜になるにちがいない。詳しくは下記より。

2002年の発足以来、個性的で良質なアーティストの作品をリリースし続ける音楽レーベル〈felicity〉が9年ぶりとなるレーベル企画ライブを開催!

七尾旅人、羊文学、そして ROTH BART BARON の3組が出演いたします。

[公演概要]

felicity live 2020

2020年3月12日(木) 渋谷WWW X

act:七尾旅人、羊文学、ROTH BART BARON

■OPEN 18:15 / START 19:00
■オールスタンディング ¥4,000(ドリンク別)
■前売りチケット:チケットぴあローソンチケットイープラスにて
 2月1日(土)10:00より一般発売開始
■問い合わせ:WWW X 03-5458-7688

※このコラムには映画『パラサイト 半地下の家族』のネタバレが含まれています。

 洗面台の蛇口で水を汲む。小さいプラスチックのひしゃくは開けたときからべこっと折れていて、指でへこみを戻してから使った。足でドアを開け、こぼさないように気をつけながら水を「1のこな」の上に落とす。付属のおもちゃみたいなスプーンでよくかき回し、まとまってきたら淡い青色をした「2のこな」を加えた。1枚写真を撮ってから、さらにかき混ぜる。
 粘りけがじゅうぶんになったら、となりのトレイに「3のこな」を入れる。これはトッピング用のラムネだ。左で作ったとろろ芋状のものを右のラムネにつけて食べる。それがねるねるねるねである。口に入れる。ガムと同じソーダ味がする。
「うまい」
 そう口に出しながら隣を見ると、親友が別の友達と通話しながら通信対戦でゲームをプレイしていた。いわく「こうしないと勝てない」らしい。私はほとんど対戦ゲームをしないので、「へえ」と言ってねるねるねるねを食べる。テレビでは紅白歌合戦が放映されている。パソコンで1月半ば締め切りの原稿を書きながら、Foorin “パプリカ” が「大人が求める〈よい子ども〉像」の提示みたいで怖い、怖すぎる、怖えよ! と叫んで笑う。「すげえわかる」と言って親友も笑う。「この、なんだ、ちょっと民族っぽい衣装は一体なんなの……」そう言いながら親友はちゃんとゲームをプレイしているから器用だ。ときどきねるねるねるねを掬ったスプーンを親友の口元に差し出す。
「食べる?」
「食べる」
 親友はゲームから手を離さずに食べる。私も残りのねるねるねるねを食べて、またパソコンに戻る。
 ここ数年、私と親友はホテルで年を越すようになった。ビジネスホテルに篭ってだらだら喋る。何をするでもない一泊ばかりの会だが、これは我らにできる最大限の逃避だ。
 年末年始、家に「居る」ことができない。

 「年末年始の空気」は確かに独特である。あなたのことなんか何も気にしてませんよ、と言いたげな静かな乾きを伴って忍び寄りながら、その内側は巨大な心臓のようにどくどくと振動し、人を何かへ駆り立てる。ふと気がついた頃には見慣れた風景のなかに年賀状売り場や正月飾りが生じていて、私の意識にそっと割り込み/割り込み/割り込み/割り込み続ける/その連続の最中に「ああ、もう年末か」と思う。空が低く、息が白い。全てが遠ざかるような気がする。
 別に誰が悪いわけでもないのだ。ただ「そう」なっている。なぜ「明けまして」がおめでたいのかを問う人はいない。社会という巨大な儀礼空間に「年末年始の空気」が隅々まで注がれ、代わりにそれまで入っていた空気が押し流されていく。この空気の入れ替えが強制的に実施されるのが苦しい。私のなかにはまだある、年が明けても引きずらねばならないものがたくさんあるはずなのに、「押し流す」パワーに当てられずに生きるのは奇妙に難しい。他人が決めた暦でスイッチが押される。ぐべべべべべ。
 そして最大の問題は、年末年始の空気が「家族」の論理を増幅させることだ……これがとにかくキツい。実家にはさんざん迷惑も負担もかけているので、こういうことを「言ってしまう」のは本当に身勝手だと、思う、思うのだが……家にずっと人がいる、祝祭に備えた自宅の冷蔵庫がぱんぱんに身を詰まらせている、そういう諸要素に、毎年毎年ざわついている。お前はこの家の人間だと、強烈に突きつけられている気がする。それがものすごく怖くて、落とし所のない不安でいっぱいになる。部屋の中を歩き回っても落ち着かない。何も責められず、また責める必要も理由もないことはわかっている。ただ苦しくてきつくて、叫びながら走り出したくなるのだ。
 無理だ無理だ……頼む、ここから逃してくれ……うわああああ……と絶叫した結果が、ねるねるねるね・イン・ビジネスホテルだった。なんでねるねるねるねかといえば、年越し蕎麦なんか食べたくなかったからだ。

 そういう性分なので、映画『パラサイト 半地下の家族』を見たときも、真っ先に気になったのは「なんでこの家族は崩壊しないんだろう」ということだった。私がギウ(兄)やギジュン(妹)なら、たぶん数ヶ月パク家で仕事をしてお金を貯めたあと、多少無理してでもひとりで家を出るだろう。しかし二人とも実家にいる。そして誰も父親のギテクを責めないのがそれなりに怖かった。仕事を探せとか、無責任だとか偉そうだとか、そういう文句が出ない。みんな「普通に仲がいい」のである。そんなことあるか? 気になって映画館を出てからレビューを検索したら、同様の感想を2件見つけることができた(注1)。1件はシェイクスピア研究者の北村紗衣さん、もう1件は社会学者の韓東賢さんの文章で、いずれも強固すぎる家族の絆を指摘している。本当に、他人の家で楽しく一家団欒するキム家の姿は、私にとっては鳥肌が立つぐらい怖かった。
 「それも含めて意図的に、批判としてやっているんだと思います」
 一方で映画好きの知人にはそのように言われた。言われた当初は「批判的な要素ってあったかなあ」と首を傾げたが、改めてストーリーを反芻してみると、確かに「批判」の軸が作中のキーアイテムによって立ち上がってくるのではないか、と思い至った。
 それが山水景石である。多分この石は、家父長制社会のしがらみを示しているのではないかと思う。

 山水景石とは、景色を表すものとして鑑賞される自然石、らしい。調べたが鑑賞方法はよくわからなかった。要は盆栽のような、「趣味」の物品ということになるだろう。
 冒頭、全ての発端となる「家庭教師のバイト」を長男ギウに紹介する友人・ミニョクが、何やら立派な箱を抱えてキム家にやってくる。この箱の中身が例の山水景石だ。陸軍将校だったというミニョクの祖父が趣味で収集していた逸品で、金運と学業運をもたらす縁起ものらしい。キム家の母・チュンスクは「食べ物がよかった」とぼやくが、父・ギテクは「この石は我が家にぴったりだ、おじいさんによくお礼を言ってくれ」と感激する。
 会話から察するに、ミニョクの祖父とキム一家は特に親交があるわけではないようだ。ミニョクの祖父はミニョクからキム一家の状況を聞いて当該の石を譲渡すると決めたのだろう。しかし「仕事がなく、切実に困窮している一家」に対して「財力と学業運をもたらす石」をプレゼントするのは、どう考えても現実的な援助ではない。山水景石は場所も取るし重いし、明らかに「趣味の世界」のものだから、他人に突然贈る品としては不適だ。一家の困窮に本気で心を寄せているのであれば、チュンスクが言うように食べ物を贈るほうがよほどよい。
 しかしギテクとギウは山水景石を大喜びで受け取ってリビングに飾り、生活費のために売り飛ばすこともせず、大洪水の夜にも大事に抱えて持ち出す。一方でチュンスクのある意味真っ当な不平は娘のギジョンからたしなめられ、「失礼」な言動として扱われる。
 この流れからして象徴的だった……山水景石は軍人であるミニョクの祖父、すなわち極めて男性社会的な権威をまとった存在から降りてきて、全ての発端となる偽家庭教師の誘いとともにギウに手渡される。ミニョク留学中の代理家庭教師に大学の同級生を差し置いてギウが選ばれたのは、ミニョクが教え子のダヘを「工学部の狼」に奪われたくなかったからだ。高校生の教え子に手を出すミニョクの(悲しいがな)平凡な「やばい男」ムーブに直面しても、ギウはなんの追及もせず、ギウ自身もダヘに流されていく。
 そして大洪水の夜、ギウは山水景石を持ち出した。重くて実用性のない山水景石は、あの緊急時に持ち出すものではない気がするが、ギウにとってはそうではなかったのである。避難所となった体育館の冷たい床に石を抱いて横たわり、父に話しかける。こうなったら自分が責任を取って全て終わらせます、と覚悟した表情で話すギウに、ギテクは言う。絶対に失敗しない計画とは、無計画のことだ。計画を立てるから失敗するのだと……。それまで自信満々に「俺に計画がある」と語っていたギテクは、実際には何も練っていなかったのだ。どう考えてもキム一家はピンチを迎えているのだが、ギテクはむしろ考えて行動することを放棄し、運に任せた行動を採択する。ギウはまた流される。
 例の山水景石はグンセ殺害の凶器としてギウに見出されるが、ギウは地下室へ伸びる階段に山水景石を取り落とす。石を落としたことでギウはグンセに反撃され、最終的に石はギウの頭を砕くための凶器としてその一生を終える。ギウは「責任を取る」機会を失い、それが全ての悲劇へ連結していく。

 家族の空気は、本当に怖い。キム一家は追い詰められれば追い詰められるほどみごとなチームアップを見せる。そしてこの結束は最後まで終わらない。
 事件のあと、ギウは大金持ちになって家を買い取り、ギテクと再会する日を想像する。もし本当に決意ひとつで豪邸を買えるほどの金持ちになれるなら、そもそもこんな惨劇は起きなかっただろう。なぜまだそんな夢を見ていられるのだろう。
 『パラサイト』において、登場人物の社会的地位は最後まで変動しない。ギウとチュンスクはもちろん、稼ぎ頭の父親を失ったパク一家も、精神的なダメージはもちろん計り知れないのであるが、露頭に迷うことはおそらくない。遺産はヨンギョの手に入るだろうし、パク一家がダソンの誕生日をヨンギョの実家で過ごしていることから、ヨンギョの実家もかなり裕福、かつパク一家との関係が良好だと考えられる。
 そして「リスペクトおじさん」ことグンセは、明確にキム一家だけを狙って殺害に及んでいる。庭に出て最初に目につくパーティ客を殺さず、まっすぐにギジョンを殺しに行ったグンセは、発狂していない。パク社長への「リスペークト!」は自嘲でも狂乱でもなく、本気の尊敬なのだ。グンセの目的は自分以外の寄生虫を排除して、寄生虫としての安寧を得ることである。地上で金を稼ぐパク社長によって自分の生活──他人から見れば一見悲惨だが、グンセは生まれたときから地下にいたような気がするほどに馴染んでいる──が保たれている、その仕組みにグンセは納得・感謝しているし、変化を望んでいないのだ。「上の人」を「上にいる」という理由で「リスペクト」する、それが地下の住人・グンセなのである。
 ここまで立場が固定されているなかで、唯一格差を超えて振るわれた暴力は、ギテクによるパク社長の殺害だった。自分の息子を連れて逃げるために車の鍵を渡せと叫ぶパク社長と、まさに傷ついて命を落とそうとしている自分の娘を前にして、ギテクは殺傷に及ぶ。
 もちろん傷ついた娘を置いて逃げる状況が許せない父親は、一面には頼もしい人物だと思われるし、この態度自体がおかしいとは言わない。しかし、今まで格差に従順だったギテクがその方針を変えるきっかけが家族であるなら、家族の論理は格差の論理以上に個人を縛る強烈な問題として韓国社会に根付いているのだと読み取れはしないか。
 どんなに大変な状況になっても放棄されない「家族」という結合こそ、ある意味この惨劇の根本に根ざしているのだが、その問題には誰も触れない。それはおそらく意図的な沈黙なのだ。

 1月1日の午前10時にホテルをチェックアウトして、ぶらぶらと神社に向かう。親友はわりと形式的な振る舞いが好きなので、私も親友がそうしたいならそれがいいかなと思って初詣をする。人気のない商店街に、ぱん、ぱぱぱぱぱぱぱん……と「正月ミュージック」が流れている。
 神社のそばまでくると人の流れが多少できていた。交差点には政治家ののぼりが立っていて、支援者がビラ配りしている。自民党だ。選挙期間以外は見ない人だが、正月だからわざわざ出てきたのだろう。殊勝なことだ。こういう振る舞いが好きなんだろうな。
 神社の入り口には神社本庁のポスターが貼ってある。教訓だか名言だか、何か文句が書き付けてあって、毎月入れ替わるやつだ。なんだかなあ。昨夜の着替えをぱんぱんに詰め込んだリュックを背負って人間の列に紛れつつ、すでに私はホテルに戻りたいと思っていた。

注1……「絆」ってこれだよね~『パラサイト 半地下の家族』(ネタバレあり) https://saebou.hatenablog.com/entry/2020/01/23/223209(最終アクセス2020年2月15日)、家族を疑わない『パラサイト──半地下の家族』が、逆説的に示唆する格差社会の厳しさと家族という宿痾 https://news.yahoo.co.jp/byline/hantonghyon/20200115-00158962/(最終アクセス2020年2月15日)

Answer To Remember - ele-king

 何となくチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーを連想させてしまう語呂のアンサー・トゥ・リメンバー。リリース元のレコード会社は「今までに聴いたことがない新しいエクスペリメンタル・ミュージック・プロジェクト」と紹介しているが、これは日本の若手ジャズ・ドラマーの中でもっとも才能溢れるひとりと言われる石若駿によるニュー・プロジェクトである。

 石若駿は日野皓正などに見いだされて本格的なジャズ・ドラマーの道を志し、バークリー音楽院に学んで東京芸大の打楽器専攻科を首席で卒業するなど、音楽家としてのエリート・コースを進んできたと言える。プロ・デビュー後は日野皓正、大西順子、TOKU やジェイソン・モランなど国内外のトップ・ミュージシャンと共演してきたが、その中でもテイラー・マクファーリンカート・ローゼンウィンケルとの共演がいろいろと話題を呼んだ。彼らとの共演を通して日本から登場した世界基準の新世代ジャズ・ドラマーと脚光を集め、また純粋なジャズの枠にとどまらない幅広い音楽の可能性も示唆することになる。自身の活動ではリーダー作の『クリーンアップ』(2015年)や石若駿トリオ名義で作品をリリースするほか、芸大時代の同級生だった常田大希らとジャズ、オルタナ・ロックなどのミクチャー・バンドの King Gnu (キング・ヌー)の前身である Srv.Vinci (サーヴァ・ヴィンチ)を結成し、小西遼や小田朋美らとのポップ・ユニットの CRCK/LCKS (クラック・ラックス)でも演奏する。WONK、MELRAW(安藤康平)、桑原あいなど同世代の若いジャズ・バンドやミュージシャンとのセッションも活発で、くるり、ものんくる、森山直太朗の作品にも参加するなどジャズ界にとどまらない活躍を見せる。『ソングブック』というシリーズ・プロジェクトは、「うた」をテーマに石若駿がさまざまなアーティストたちとコラボレーションを行ったセルフ・プロデュース作品集である。

 2019年もクリーンアップ・カルテットを組んで久しぶりのリーダー・アルバム『CLNUP 4』をリリースしたほか、『ソングブック』の第4集や CRCK/LCKS でのリリースがあり、くるりのツアー・ドラマーにも抜擢され、マーク・ド・クライヴ・ローによるローニン・アーケストラや SOIL & “PIMP” SESSIONS、日野皓正らの新作への参加、〈ブルーノート〉の企画アルバムやサントラへの参加と多方面での活動が続いていたが、そんな多忙な中でアンサー・トゥ・リメンバーをスタートさせた。レコーディングは ATR バンドという石若駿をリーダーとするハウス・バンドが中心となり、ニューヨークで活躍するジャズ・トランペッターの黒田卓也、米津玄師から mabanua らも注目する話題のシンガー・ソングライター/ピアニストの中村佳穂と彼女のバンド、フラッシュバックスのメンバーとしても活動してきたラッパー/トラックメイカーのキッド・フレシノのほか、ermhoi (エルムホイ)、Karai、Jua などのシンガーやラッパーが参加している。

 先行シングルとなった “トーキョー” は ermhoi のフェアリーな歌声がフィーチャーされたプログレとジャズの融合的なナンバーで、まさに新時代のリターン・トゥ・フォーエヴァーとでも言いたくなる趣もあり、現在ならばサンダーキャットスクエアプッシャーあたりの作品にも比類するのだが、中でも立体的で息をつかせないほどに叩きまくる石若駿のドラムが素晴らしい。『ソングブック』ではシンガーの歌声を生かすため、プロデューサー的な立場からシンプルなドラムにしている面も見られるが、ここではとにかく極限まで振り切れたような演奏で、ドラマーとしての可能性を追求している様子が伺える。“スティル・ソー・ワット” はローニン・アーケストラでの演奏に通じるジャズ・ファンク系のインスト曲で、ピアノやホーン・アンサンブルはじめ ATR バンドによる緊密なインタープレイを聴かせる。アグレッシヴなドラムがまわりの楽器を引っ張り、躍動感と高揚感に満ちた演奏を繰り広げるナンバーだ。そうしたダイナミックなジャズ・ロック演奏とキッド・フレシノのクールなラップが結びついたのが “ラン”。ハードバップ調の演奏に Jun のラップを乗せた “410” と共に、日本語ラップとジャズがここまで見事に一体化したナンバーもそうはないだろう。もともとインストのトラックに後からキッド・フレシノがラップを乗せたそうだが、石若駿の手数の多いドラム音とまるで呼吸をするかのようにラップがシンクロしている。中村佳穂バンドと共演した “ライフ・フォー・キッス” は、冒頭にある「今までに聴いたことがない新しいエクスペリメンタル・ミュージック・プロジェクト」を示すような楽曲。ジャズともオルタナ・ロックともインディ・ポップとも何とも形容ができない構成で、どこに向かうのかわからない面白さのある曲だ。比較的オーソドックなジャズ演奏の “GNR” がある一方、こうした実験性に富む “ライフ・フォー・キッス” は石若駿のジャズだけにとどまらないスケールの大きさを再認識させてくれる。

Beatrice Dillon - ele-king

 モーゼは「パンのみに生きるにあらず」とおっしゃるけれど、〈パン〉がなければもはやエレクトロニック・ミュージックを聴くことで精神的な豊かさまで得ることは不可能に近い……とまでは言わないにしても、それほどにベルリンの〈パン〉は心や頭に届いてくる音楽を絶え間なく発信し続けている(ジョークがわからない人への注→小麦粉のパンとレーベル名をかけています)。昨年のスティーン・ジャンヴァンやアースイーターに続いて、2019年も春先にリリースされたヘルム『Chemical Flowers』がまずは素晴らしく、秋にリリースされたスティーヴ・ウォーマック(=ヒートシック)『Moi』も鼻歌交じりの実にとぼけた作風で、さらにビアトリス・ディロンによる実質的なファースト・アルバムが目を見張る出来であった。これまでのキャリアを考えると、レーベルはよりどりみどりだったはずだけれど、そうか、ディロンは〈パン〉を選んだか、と。ダンス・カルチャーと実験音楽を拮抗させ、どちらのジャンルにも刺激を与えているという意味ではこれ以上ない組み合わせだろう(ジョークがわかる人への注→パンがなければケークスで木津毅の連載を読めばいいのよ〜)。

 これまでルパート・クラヴォーと2作続けて制作したコラボレイト・アルバムはどちらかといえば実験的で、リズム・トラックでありながら着地点がダンスフロアのど真ん中ではなかった(テクノ・ジャズと評された「The Same River Twice」はある意味傑作)のに対し、〈ブームキャット〉や〈ヘッスル・オーディオ〉からのシングルではヒネりを効かせたクラブ・ミュージックと両輪を並び立たせてきた彼女がこれらを過不足なくフュージョンさせ、新しいステップを踏み出したものが『Workaround(回避策)』である。『回避策』というタイトルは、そのようにして二刀流で続けてきた試行錯誤の結果、彼女にとって避けられなかった問題をクリアーしたという意味にも受け取れるし、まるでブレクシット(ジットじゃないよシットだよ)に対してエクスキューズを放っているようにも推し測れる。いい意味で思わせぶりなタイトルである。ジェームズ・P・カーズの宗教研究だとかトマ・アブツヨリンデ・フォイクトの抽象画などに影響を受けたそうだから、もっと違う意味があるのかもしれないけれど(リンク先の絵を見ると、なるほどとは思う)。

 全体的にカリビアン・サウンドがモチーフとされ、それはまるで新種のウエイトレスのように再構成されていく。富裕層じゃなかった……浮遊感しかない感触はベンUFOとカップリングでリリースされたカセットのDJミックスやちょうど1年前に〈リヴェンジ・インターナショナル〉の15周年を記念してリリースされたミックステープ『RVNG Intl. At 15: Selects / Dissects』にも通じる内容で、『RVNG Intl. At 15』では同レーベルからの正式リリース(Selects)と未発表曲(Dissects)を素材としていたのに対し、『Workaround』の元ネタはFM音源やアコースティック楽器を使った生演奏だという。ブリティッシュ・バングラのパイオニアとされるクルジット・バムラのタブラやシンケインなどに客演するジョニー・ラムのギター、あるいは昨年、〈モダン・ラヴ〉から猛々しい雰囲気の『Paradise 94』をリリースしたルーシー・レイルトンによるチェロに〈ヘムロック・レコーディングス〉のオーナー、アントールドなどが加わり、‘Workaround Two’ではローレル・ヘイローが金属的なヴォーカルもちらりと披露している。

 タブラをフィーチャーした緩やかな導入から前半は琴を含む様々な弦楽器がいい味を出している。スウィング・ビートを縦横にシンコペートさせるのが本当に楽しいのだろう、“Workaround Four”ではリズムの抜き差しに多くのヴァリエーションをつくりだし、間が抜けてしまうギリギリのタイミングでタムがひらめいたり、忘れた頃にタブラがカツンと鳴る。“Strings Of Life”のビートレス・ヴァージョンをUKガラージにしたらこうなるかなあという感じで、民族楽器を多用しているわりにワールド・ミュージック然としたところはなく、そういう意味では『Mala In Cuba』(12)を実験的な面へと傾かせたというか(本人の意識ではマーク・エルネスタスの『Jeri-Jeri』(13)や〈ナーヴァス・ホライズン〉の新しいコンピレーションでカッコいいドラムを連発していたDJプリードらに負うところが大きいらしい)。“Workaround Eight”からスピード感が増し……と言いつつ、すべての曲はBPM150で統一されているらしく、音数が増えたということでしかないのだけれど、曲が進むにつれてどんどん気持ちが上向いていくのがいい(DJミックス的な構成というか)。明るいというわけではなく、むしろ暗いサウンドなのに2010年代を覆っていた陰鬱なムードとははっきりと隔たりがあり、岩盤浴でもしたようにさっぱりした気分になれるのが嬉しい。『RVNG Intl. At 15』もかなりリピートしたけれど、『Workaround』もしばらくはやめられそうにない〜。

 ちなみに彼女の本名はディオン・ウェンデルで、カッセ・モッセことガンナー・ウェンデルとはコラボ・シングルもリリースしていたりするけれど、この2人は兄妹とか何かそういうものなのだろうか。ビアトリスというのもゲームのキャラクター名なのか、ダンテの『神曲』に出てくるベアトリーチェに由来するのだろうか。はて。

ジョジョ・ラビット - ele-king

 2010年代で最も面白かったコメディ映画はタイカ・ワイティティ監督『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』だと思っていた。ワイティティの新作『 ジョジョ・ラビット 』を観るまでは。

『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』はバンパイアたちがIT社会に順応しようと四苦八苦し、人類との共存を模索してワヤクチャになっていくシチュエーション・コメディで、これがニュージーランドの片隅で生まれた小品であるにもかかわらず、これを観たマーヴェル・スタジオがワイティティに『マイティ・ソー』の舵取りを決断させたのだから、どれだけハリウッドで成功するポテンシャルを秘めた作品だったかは容易に想像できるでしょう。それどころか結果を出しすぎてワイティティは『マイティ・ソー』の続編も任せられることになり、以前から取り組むと公言していた『AKIRA』はいまだクランク・インにたどり着けなくなっている。

『ジョジョ・ラビット』はそんなワイティティが『AKIRA』よりも優先させたナチス映画。ナチスを題材にしたコメディ映画といえば5年前にデヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』があり、ドイツの現在を鋭く風刺したばかりだけれど、ヒトラーとネオナチの違いを鮮明にするという仕掛けが施されていた同作に対して『ジョジョ・ラビット』はナチス自体をコミカルに描き、親しみを感じさせる要素を入れたことは反発も引き起こしている。自身がユダヤ(とアイルランドとマオリ)の血を引くとはいえ、ワイティティはかなり危ない橋を渡ったことは確か。『シン・ゴジラ』にもオマージュとして取り上げられた岡本喜八監督『日本のいちばん長い日』をコメディ仕立でリメイクしたとして、それをアジアの人たちに見せる勇気が日本人にあるだろうかというような。

 ローマン・グリフィン・デイビス演じるジョジョはヒトラー・ユーゲントに入りたくてしょうがない10歳の軍国少年。ビートルズ「Komm Gib Mir Deine Hand(I Want To Hold Your Hand)」に煽られてジョジョたちは勢いよく訓練キャンプに参集し、サム・ロックウェル演じるキャプテン・クレンツェンドルフのハードな訓練生活に突入する。前線で負傷した隻眼の指導教官に扮したロックウェルは陽気な暴力性を期待させる上手い配置。マーティン・マクドナー監督『スリー・ビルボード』の暴力巡査や昨年の個人的なベスト5に入れたいアダム・マッケイ監督『バイス』ではウィル・フェレルを押しのけてジョージ・W・ブッシュを怪演するなど、ロックウェルはこのところ一作も見逃せない役者になりつつある。また、ジョジョの母親を演じるのがスカーレット・ジョハンサン(日本ではなぜかヨハンソン)で、美しくて優しく、そしてオシャレなロージーは政治的にも毅然とした姿勢を崩さないレジスタンスの一員という非人間的な造形。これは『アンダー・ザ・スキン』や『ゴースト・イン・ザ・シェル』、そして何よりもブラック・ウィドウ(『アヴェンジャーズ』)で見せるハードボイルドな役柄に通じるものがあり、こんな人は実在しないよ~とブーたれたいところだけれど、明日はないと覚悟を決めていた戦争末期のドイツ人たちが毎日のようにオシャレをしていたというのは史実に基づくものだという。スカージョのファッションは青のロング・コートやアーミー柄のカーディガン、赤い襟のサマー・セーターなど、どれもナチスの制服姿と際立った対比をなし、自由を手放さない生き方を視覚的にもアピっていく。

訓練中にウサギを殺せと命じられて尻込みをしてしまったジョジョは、2年間音信不通の父親を逃亡兵と決めつけているナチスの党員たちによって「ジョジョ・ラビット」と謗られるようになる。ジョジョにとって父の不在を埋めるものが、そして、想像上の「アドルフ」で、この役は監督自身が演じている(誰も引き受けてくれなかったので自分が演じたそうだけれど、結果的にユダヤ系がヒトラーを演じたことに)。ワイティティ演じる「アドルフ」はいわゆるアグレッシヴなそれではなく、スラップスティックで愛嬌のあるヒトラー。当時の軍国少年にはヒトラーがどのように見えていたかはわからないけれど、戦後と同じようにヒトラーを「怖い」と認識していたとも思えないので、誇張があるとはいえ、軍国少年が指導者を身近に感じていたという感覚を表すものとしてはゼロではないだろう。オウム真理教の信者が麻原彰晃をアニメで描いていたセンスと重なるというか。ちなみにヒトラー・ユーゲントが勢いづくシーンで流れるのはモンキーズ「I’m a Believer」をドイツ語でカヴァーした「Mit All Deiner Liebe」と、これもビートルズ同様、少しブラックな使い方。撮影が実際にナチスの宣伝映画を撮ったプラハのバランドフ・スタジオにセットを組んで行われたというのもなかなかブラックではある。

(以下、ネタバレ)
 ジョジョは、そして、ユダヤ人の娘、エルサ(トーマシン・マッケンジー)が納戸の奥に隠れて暮らしていたのを発見してしまう。母親のロージーが密かに匿っていたのである。エルサはジョジョを脅す。通報すればあなたたち親子も死刑になると。ジョジョはパニックになるも、ユダヤ人の秘密を聞き出してユダヤ人を壊滅させるための本を書こうと考え、エルサの話に耳を傾けていく。この辺りはかなり丁寧な描写が続く。『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』の原題は「What We Do in the Shadows」、すなわち「我々は暗闇の中でどうする?」で、陽の光の差し込まないホテルの中で悶々と暮らしていたバンパイアたちが人間たちと友人になり、いわば世界を広げようとする話だったとしたら、『ジョジョ・ラビット』は納戸=暗闇の中に潜んでいるエルサの話を聞き、その過程でナチスによる洗脳がとけていくという展開を指し示す。関心を向けるヴェクトルが逆方向になったのである。バンパイアたちはラストシーンで狼男たちと大乱闘を繰り広げるけれど、狼男は要するにナチスで、暗闇に潜んでいたユダヤ人とナチスが鉢合わせすれば、それは大乱闘にもなるわなと。『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』を観て無邪気に笑い転げていた僕は『ジョジョ・ラビット』を観る前にもう一度観ておけばよかったと、いま、痛切な後悔に襲われている。そう、2010年代で最も無責任に楽しめるコメディ映画は『シェアハウス・ウイズ・バンパイア』だと思っていた。『ジョジョ・ラビット』を観るまでは。

『ジョジョ・ラビット』はコメディ映画としては少し弱い。ヘイト・クライムに立ち向かうという社会派的な側面がはみ出し過ぎて、ビルドゥングス・ロマンとしてのファクターも色濃く盛り込んだためコメディの要素はなくてもよかったという気までしてしまう。エンディングでは笑うどころか涙さえ出てしまいそうだった。エルサと別れたくないジョジョは嘘をつき、真実を知ったエルサはジョジョを張り飛ばすも、2人は珍妙なダンスを踊り始め、デヴィッド・ボウイ「ヒーローズ」と共にエンド・ロールへと雪崩れ込む。とても短いシーンだけれど、ローマン・グリフィン・デイビスはほんとに11歳かよと思うほど演技が複雑で素晴らしく、ユーゲント仲間のヨーキーもとてもかわいかった。

三田格
『ジョジョ・ラビット』予告編

プリズン・サークル - ele-king

「法律が変わるまでやめます」と井上陽水は言った記憶がある。大麻所持で逮捕された時のコメントで、法律が変わったらまたやるという意味にも取れる。謝罪はなかったはずで、執行猶予のあいだ(当時は2年)に6作目のアルバム『white』もリリース。留置場でつくった曲も収録され、歌詞は急に難しくなった。

 ピエール瀧や沢尻エリカがドラッグで逮捕されてから起きた騒ぎが何かに似てるなと思っていたら、ああ、16年前に起きたイラク人質事件だと思い当たった。日本人4人がイラクで武装グループに誘拐され、日本政府が身代金を要求されるや、人質たちに対して異様なほど国内から攻撃の言葉が向けられたのである。元パレスチナ・ゲリラの足立正生さんが知り合いのゲリラ仲間に連絡をとり、そこからなんとか解決に向かう糸口を見つけたそうで、あらゆる立場の人がどんなルートを使ってでも人命を第一に考えるならわかるけれど、それどころか人質たちは同じ日本国民に罵倒され、自己責任論が一気に巻き起こった現象は海外でも大きな話題となり、日本社会の構造があれこれと論じられるきっかけともなった。それから6日後に別な武装グループに誘拐されたイタリア人たちが同じようにして解放されたケースではイタリア人たちが喜びのあまり国を挙げてのパレードを開催したことで、その対比はあまりにもはっきりとしたものになった(ちなみに自己責任論の言い出しっぺは安倍晋三で、ブッシュ政権の国務長官コリン・パウエルが日本人の人質たちを弁護するという奇妙な図式に発展した)。ドラッグに手を出した芸能人をめぐる海外のニュースはイタリアの例と同じトーンで語られていて、最近だと『アベンジャーズ』の看板俳優、ロバート・ダウニー・ジュニアが麻薬更生施設に入ったというニュースが淡々と報道されるのに対し、そうした芸能人たちがドラッグ依存から立ち直ったというニュースが流れるとそのことを祝福するニュースがメディアにあふれかえる。ドラッグ依存に対して「責める」よりは復活を「喜ぶ」声の方が強いのである。アメリカ人はことさらにカムバック・ストーリーが好きだということもあるかもしれないけれど、それにしても武装グループの人質になった人やドラッグ依存の人を糾弾し、「アウト、アウト」と叫ぶ感覚は一体どこからくるのだろう。中東で人質になった人たちは法律を犯したわけではないので、法律を守らないということでもないし、共通点があるとしたら誰にも知られずに好きなことをやっていたというぐらいで、そんな人はしかし、ほかにいくらでもいる。わからない。普通とは違ったことをして、そのことがマイナスに転じた時に容赦なく襲ってくる人やそれを喜ぶマスコミが日本には少なからず存在するとしか言えず、排除の基準には悩むばかりである。あるいは吉田大八監督『羊の木』や白石和彌監督『ひとよ』など、このところ刑務所帰りの人たちがさらに過酷な運命に直面しなければならないという作品が続くのも気になるところで、「禊」という感覚にも違和感が募るばかり。ピエール瀧が『ゾッキ』の撮影に入ることで「瀧ルール」などという言葉まで生まれてしまった(それを言うなら陽水ルール?)。

 坂上香監督『プリズン・サークル』は日本の刑務所に初めてカメラが入ったドキュメンタリー。撮影場所に選ばれた「島根あさひ社会復帰促進センター」では「セラピューティック・コミュニティ」(以下、TC)というリハビリ・プログラムを実施することで再入所率を減少させることに成功し、刑務所=罰を与えるところという概念を変化させているという。内容は専門家のガイドを得ながら囚人同士で話し合うだけのことである。最も驚いた部分を最初に書いてしまうと、裁判所で刑を言い渡されて服役しているにもかかわらず、実は自分のやったことの意味がまるでわかっていないという例があったこと。それがTCという場で周囲の囚人たちと会話を重ねているうちに、自分が何をして、どうして罰せられたのかがやっと理解できたというもので、その場面を見ていて、え、裁判所ってそういうことをわからせるところじゃなかったの? と別な疑問まで湧いてしまった。『プリズン・サークル』はそういったプロセスを4人の囚人をクローズ・アップすることで細かい部分まで明らかにし、それこそホアキン・フェニックスという名優を得ることができれば、さながら4ヴァージョンの『ジョーカー』を観たような気分にさせてくれたようなところがある。『ジョーカー』のアーサーはケン・ローチやポン・ジュノが題材とした下層労働者を普遍化する存在ではなく、京アニの放火犯に近い存在だと思うので、この連想はそれほど遠くかけ離れたものではないだろう。親に虐待されている人を羨ましく思うほど家族とのつながりを欲している健太郎(仮名)など、「親」との関係がいやでも本人にのしかかってくるという構造も『ジョーカー』を思わずにはいられない。TCによって記憶を取り戻す人、親との関係を初めて客体視できるようになったり、それによって考え方が変わっていく人など、どの部分も見応えがあり、「理解」がなければ「反省」にも辿り着かないと言うことがよくわかる。あるいは「反省」だけをさせようとする人は目的がそもそも違うんだなということも。それにしても(たまたまかもしれないけれど)親が原因のほとんどをなしている例が多過ぎる。それ以上の論点には踏み込まないものの、家族主義を弱体化させるだけでどれだけ犯罪が減るんだろうとはやはり思ってしまいます。話を続けることで自分が変われたと自覚した囚人が終盤で感謝の意を込めて監督に握手して下さいというと、刑務官が規則だからといってこれを退けてしまう場面はなかなかに切なかった。彼を犯罪者にした感覚の大半は人との触れ合いが無さすぎたことから発していると思うのに、犯罪者になったことで、やはり禁じられるのが人との触れ合いなのである。エンディング近く、出所した人が「刑務所にいた間は充実していました」とコメントしているのも、おそらく厳罰主義者や犯罪者に「アウト」と叫ぶだけの人たちには気に入らない箇所だろう。京アニの放火犯を『ジョーカー』と同一視して見るのが困難であるように。

RBG』や『マックイーン:モードの反逆児』、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』や『主戦場』と、昨年は劇映画よりもドキュメンタリーの方が幅も広く、全体にテンションが高いなと感じていた。『プリズン・サークル』と同じくイランで初めて少女鑑別所にカメラが入ったメヘルダード・オスコウイ監督『少女は夜明けに夢を見る』という作品もあった。望月衣塑子をダシにした『i-新聞記者ドキュメント-』は微妙だったけれど、まだまだ観たいものは残っていて、8時間を超えるにもかかわらず山形映画祭ドキュメンタリー部門で大賞と観客賞をダブル受賞したワン・ビン監督『死霊魂』もこの春には控えている。この勢いはまだまだ続くかもしれない。『プリズン・サークル』の撮影対象となった「島根あさひ社会復帰促進センター」は島根県が誘致してつくられた官民連携の新しい刑務所で、その目的は雇用促進というビジネスがベースでもある。矯正とビジネスが結びついて利益共同体と化したアメリカの刑務所に取材し、『監獄ビジネス』(ヒラリー・クリントンはこれで大統領選で黒人票を失ったとも言われている)を著わしたアンジェラ・デイヴィスは『プリズン・サークル』に寄せて「この映画は、静かに、私たちを沈黙という抑圧から解放する。刑務所を、受刑者を、そして観る者を」と賛辞を述べている。
 

『プリズン・サークル』予告編

Disc Shop Zeroの飯島直樹さん、ご逝去の報 - ele-king

 下北沢のレコード店、Disc Shop Zeroの飯島直樹さんが12日深夜に急逝された。肺がんだったそうだ。夜中の3時過ぎにロンドの高橋勇人から聞かされて、耳を疑った。しかし、本当のことのようだった。


 飯島さんの功績はあまりにも大きく、また、これからの日本のシーンにおいても絶対不可欠な存在だった。悲しみは深く、飯島さんの損失は本当に本当に大きい。昨年の11月、エレキング年末号のDUB特集の相談に行ったのが最後になってしまった。そのときはまったくいつもの飯島さんで、オシアのカセットを教えてもらって購入した。「ピッグバッグのサックスが参加しているんですよ」なんて、嬉しそうに話していた。Mars89のカセットも飯島さんに教えてもらったし、飯島さんはつねに先生だった。本当にありがとうございました。しかし、これはきついな。(野田努)

『ドラえもん』がわたしたちに教えてくれたこと
――藤子・F・不二雄が残した弱さとやさしさの思想

1969年の連載開始から半世紀にわたり、いまや世界中の子どもたちを魅了している『ドラえもん』。そこに込められた「弱さ」と「まっとうさ」にまつわるラジカルな思想。そして「大長編/映画版ドラえもん」で政治と宗教、科学と進化という大きく普遍的なテーマに取り組んだ藤子・F・不二雄の絶望と希望のメッセージを気鋭の批評家がひもとく!

「作品が面白いことと思想的であることは、矛盾しません。難しいことなんて考えず楽しんで読めばいいんだ、というのは、じつは、マンガの面白さを小さく見積もっていないでしょうか。
むしろ、思想的であることは「ただちに」面白いんだ、ということ。藤子・F先生の『ドラえもん』は、多くの少年少女たちに、そして大人たちにもそのことを教えてくれました。」(本文より)

目次

まえがき
第1章 『ドラえもん』の世界──のび太は弱いのか?
第2章 「大長編ドラえもん」の思想──科学・宗教・政治・進化
 (1) 一九八〇年代前半──人間はどのように生きるべきか?
 (2) 一九八〇年代後半──人類はどうあるべきか?
 (3) 一九九〇年代前半──人類は自滅せずにすむのか?
 (4) 一九九〇年代後半──ニセモノにとって生命とは何か?
第3章 異色SF短編を読む
第4章 ドラえもんの夢──約束としての戦後民主主義
あとがき


著者
杉田俊介(すぎた・しゅんすけ)
1975年神奈川県生まれ。批評家。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。文芸誌・思想誌などさまざまな媒体で文学、アニメ、マンガなどの批評活動を展開し、作品の核心をつく読解で高い評価を受ける。著書に『宮崎駿論』(NHKブックス)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(作品社)、『長渕剛論』(毎日新聞出版)、『無能力批評』(大月書店)、『非モテの品格』(集英社新書)などがある。

interview with shotahirama - ele-king

 いったいなにごとかと、そう驚くことになるだろう。これまでノイズ~グリッチの領野でキャリアを重ねてきた孤高のプロデューサー、「きれいなひとりぼっち」こと shotahirama が、突如ヒップホップに開眼したのである。といってもいきなりラップをはじめたわけではなく、またごりごりのギャングスタに転身してしまったわけでもない。昨年末にリリースされたばかりの新作『Rough House』が、ターンテーブルを用いて制作され、無類のビート・ミュージックを打ち鳴らしているのである。
 とはいえそこはやはり shotahirama、前作『Maybe Baby』ほどではないにせよ、グリッチ・ノイズやダブも細やかに取り入れられている。今回の新作がおもしろいのは、にもかかわらず既存のエレクトロニカ~グリッチ・ホップのようなスタイルとは微妙に距離を置きつつ、かといってクリスチャン・マークレーのような前衛に振り切れるわけでもなく、もちろんヒップホップのターンテーブリストたちのスタイルとも異なっているところで、なるほどたしかにこれは彼にしかつくりえないヒップホップといえるだろう。
 このような「転向」のきっかけは2年前。それまでほとんど聴いてこなかったというヒップホップに、まずはリスナーとしてのめりこむことからすべてがはじまった。以下のインタヴューをお読みいただければわかるように、それはもうどっぷりだったのだという。有名どころは無論のこと、ずいぶんマイナーなものにまで関心の矛先は向かったようだ。それこそディギン・イン・ザ・クレイツよろしく掘って掘って掘りまくり、寝ても覚めてもまた掘って……なかでも強く惹きつけられたのは、90年代ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンだったという。shotahirama はそこにオーセンティックを見出した。
 今回が彼にとって初めての「アルバム」であるという点も注目しておくべきだろう。いや、もちろん shotahirama はすでに何枚もアルバムを送り出している10年選手なわけだけど、今回の新作『Rough House』は3~5分の曲が10トラックという、わかりやすい「アルバム」のかたちをとっているのである(最後の1曲をのぞく)。これまで長尺の曲ばかりつくってきた彼が、ストレートにアルバムという形態に挑戦──いったいなにごとかと、そう驚くことになるだろう。
 と、このように二重に転機を迎えた shotahirama だけれど、今作に込められているのはたんにヒップホップにたいする熱い想いというよりもむしろ──や、それも当然あるのだけど、それ以上に──ハマったらとにかく一意専心、掘って掘って掘りまくるという、音楽文化そのものにたいする深い敬意と誠実さなのではないかと思う。つまり、至上の愛である。


最近の主流のヒップホップでもなく、逆にテクノとか、ノイズとかグリッチでもなく、そのぜんぶの中間地点というか、どこにも属していないものでできているような音になっていたらいいかな。

前回のアルバムから2年半くらいが経ちましたけれど、この間はなにをされていたのでしょう?

shotahirama(以下、SH):ふたたびレコードを買うことに舞いもどりましたね。リスナーとしてしっかり店に行って、買って。またむかしみたいにディグりはじめているかな。レコードにもう一回興味が出てきた。

おもにどういった方面のものを?

SH:前回の『Maybe Baby』の制作が終わってから、ずっとヒップホップばかり買っていましたね。妻がもともとディスクユニオンのヒップホップ担当だったので、有名どころはすでに家にあったんですよ。でも俺はノイズとかオルタナの人だったから、言い方は悪いけど、「ラップしてんなよ」という感じで(笑)。「ア・トライブ・コールド・クエスト聴いてればヒップホップ知ってるでしょ」くらいの感じだった(笑)。まわりの若い子たちがみんなヒップホップを聴いていて、かっこいいんだなと。それで、ちゃんと聴いてみよう、俺も買おうと思って、自然とヒップホップを探すようになった。一度のめりこむとそれだけになっちゃう性格なんですよね(笑)。じぶんでもとことん調べるし、お店の人や詳しい人に訊いたり。40歳とか45歳くらいの先輩たちは、リアルタイムで通っていた人たちだから。それでもうドハマりして、月いくらまでって制限しないと信じられないくらい買っちゃう(笑)。コレクターって厄介ですよね。音楽はもちろん聴くんだけど、所持してるフィジカルの数が増えていくことじたいにもけっこう昂奮しちゃう。

買ったのに時間なくて聴けていないやつとかありますよね(笑)。

SH:あと、おなじの買っちゃったりね(笑)。

それで今回ヒップホップのアルバムになったと。

SH:こんなにレコード持ってるし、じゃあ使ってみるかということで。がっつりターンテーブルで、マシンドラムと合わせてね。今回はラップトップのソフトウェアとかはあんまり使わないでつくりました。だから、レコードを買うことによって今回のアルバムが生まれたんですよ。

ヒップホップのなかでも、いちばんハマったのはどの辺ですか?

SH:いちばんハマったのは、90年代半ばのニューヨークのアンダーグラウンドのものですね。ロード・フィネスやバックワイルドなどの D.I.T.C. (Diggin’ In The Crates)とか。あとブルックリンだとナチュラル・リソースとか、ハードコアだけど、ヘルター・スケルターとかのブート・キャンプ・クリックとか、その界隈にいるダ・ビートマイナーズとか。彼らがトラックメイクしている12インチをひたすら探した。ビートマイナーズのシーンはめちゃくちゃかっこいいんですよ。とくに、その界隈のシェイズ・オブ・ブルックリンやフィンスタ・バンディはめちゃくちゃハマりましたね。音数が少なくて、ネタが一個あって単純にワン・ループでっていうところがすごく好きで。キックとスネアだけで、音がこもっていて、ラップも暴力的じゃない。俺はこういうのが好きなんだなというのがこの2年間でわかった。

2018年の秋に、アルバムからの先行シングルとして「Cut」を出していますよね。でも音を聴くと、そのあとにけっこう変わったのかなと。今回のアルバムには収録されていないですし。

SH:気持ちが変わった(笑)。気分屋というか気まぐれというか、やっぱりじぶんの思うままにやっていきたいじゃないですか。メジャーでもないし。でも今回も、「Cut」とおなじことはやっています。あれもノイズっぽさとかグリッチな感じはかなりなくしたし、サンプリングをつかっているし。でもまだちょっと『Maybe Baby』が入っちゃっている感じですね。

新作を聴いて、たしかにヒップホップだけど、とはいえやっぱりグリッチだなとも思いました。

SH:ですね。ちょっとハウスっぽくないですか? クリック・ハウスみたいな。ドープな暗いギャングスタではないし、ウェッサイでもないし。ぼくがそういう人じゃないから。そもそも(生まれが)ニューヨークだし。なんとなく怖いという感じにはならないくらいが俺っぽいのかなと。踊れて、かつ聴かせられるようなものをつくりたかった。だからグリッチしちゃうし、ターンテーブルもずっと指でなぞってわざと速度を落としたり。といってもタンテを使っているグリッチの人、たとえばクリスチャン・マークレーとか大友(良英)さんとか、そういう感じでもない。俺だったらどうできるんだろう、というのは考えました。ヒップホップとは言っているけど、shotahirama っぽさはある。当然ヒップホップを意識してつくったんですけど、グリッチとかノイズとかを聴いているひとがたどりついてくれたらいいな。もちろん、ふだんヒップホップしか聴かないひとにも聴いてもらいたいし。

いまの主流のトラップでもないですよね。そっちは肌に合わない?

SH:トラップのシーンをそんなに知らないから簡単にはいえないけど、少なくとも今回やろうとしていたこととはまったくちがうだろうなと。たぶん、前回のアルバムに比べて今回は音がすごく少ないと思うんです。音が多いものだったり速いものだったり、あとエレクトロニックな感じにもあまりしたくなかった。クラブ的というか、ファッショナブルな感じにはしたくなかったんです。きらきらしてつやっぽいものではなく、ハイが削れていて中音域が豊かな、アナログっぽい質感で、ロウで。

ビートがヒップホップだからかもしれませんが、以前よりポップさも増したように思いました。

SH:聴きやすくなっていたら嬉しいな。

むかしの〈Ninja Tune〉に近いのかなとも思いましたね。キッド・コアラとか。

SH:最近の主流のヒップホップでもなく、逆にテクノとか、ノイズとかグリッチでもなく、そのぜんぶの中間地点というか、どこにも属していないものでできているような音になっていたらいいかな。俺じゃないとできない感じ。

どことなくマウス・オン・マーズも思い浮かべました。

SH:マウス・オン・マーズめっちゃ好きですよ! 制作中はぜんぜん頭をよぎらなかったけど、いまそう言われてみて「ああ、俺めっちゃ好きだわ」と思った。それは嬉しいですね。

ナインティーズっていうところに、たぶんじぶんのモードというか、基本的にそこになにか核のようなものがあるのかなって。くすぐられるものがたくさんあるというか。じぶんのなかのオーセンティックが90年代なんですね。

制作過程で〈Anticon〉や〈Definitive Jux〉あたりは聴きました?

SH:少なくともこの2年間では聴いてないですね。たぶん、もともとじぶんが持っていた(グリッチなどの)要素と、新しく掘ったもの(ヒップホップ)が混ざった結果、〈Ninja Tune〉とかマウス・オン・マーズとかにつながっているんだろうな。それはすごくおもしろい。

ちなみにオウテカは?

SH:オウテカはめっちゃヒップホップ好きですよね。でもそういうじぶんに近いところのは聴かなかったですね。オウテカ聴いていたらまたべつな方向にブレただろうし。だからこの間、ギター・サウンドも聴けなかったんですよ。嫌っているわけではなくて、一度ハマるとそればっかりになっちゃうから。

“ROUGH HOUSE” なんかはいわゆるJ・ディラ以降のもたつくビート感に近い瞬間もありますけど、そういうものにも触れなかった?

SH:触れてないですね。ディラもマッドリブも。あー、でもディラは、トライブがらみで少し絡んでいたかも。

そういう話を聞くと、すでにあるグリッチ・ホップなどから影響を受けたのではなくて、かつてそういうものをつくったパイオニアの人たちとおなじように、オーセンティックなヒップホップを聴いて、オリジナルのなにかをつくろうとして、こうなったという流れなんですね。

SH:むかしの偉人たちのインタヴューとかアルバムの解説とかを読むと、たとえばアルバムをつくるためにどこどこへ旅行に行ってとか、その地方の楽器だけ使ってとか、ありますよね。その限定された条件のなかで集中して、たとえばもともとじぶんたちが知っていたギターを弾くようにシタールを弾いてみたり。ラップトップを触るようにターンテーブルを触るとか。そういう感じなんじゃないかな。

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愛が詰まっているんです。「このひと、これが好きなんだな~」っていうのが伝わってくれるといいな。「俺はこういうのを聴いて、こういうふうにつくったんだよ」っていう。

ラッパーを入れることは考えなかったんですか?

SH:やってみたいとは思います。やってみたいですけど、こういう性格なので、いっぺんにいろいろはできないんですよね(笑)。なにかにハマったらそれだけになっちゃう。あるひとりのアーティストだけにハマるというわけではないんですけど、そこからその周辺や時代を探っていって。この曲はこの人がプロデュースしてるんだとか、その界隈をずっとぐるぐるまわって、じぶんのなかに落としこんでいく。それがわかるまで聴きつづける。オタク気質なのかな。だからその間はペイヴメントもまったく聴かなかった。

おもしろいのは、今回のヒップホップにせよペイヴメントにせよ、90年代というところですよね。

SH:グランジもですけど、あの時代のニューヨークのヒップホップはすごくおもしろい。

それはやっぱりじっさいそこに住んでいたから、なにかが刷りこまれちゃってるんでしょうか?

SH:そんなかっこいいものではないと思う。ナインティーズっていうところに、たぶんじぶんのモードというか、基本的にそこになにか核のようなものがあるのかなって。くすぐられるものがたくさんあるというか。じぶんのなかのオーセンティックが90年代なんですね。

前半と後半とでちょっと雰囲気が変わりますよね。今回はデジタルのみでのリリースですけど、しっかりA面・B面でわかれているような印象がある。単純に分数で割ったら収まらないかもですが。

SH:前半はまだグリッチも多くて、後半はサンプリングだけでトラックメイクするような感じ。

こういう流れにした狙いは?

SH:“SLACKER” と “SLACK HOUSE” はもともと1曲だったんです。俺の悪い癖で(笑)。だから切ったんですよね。前半4曲くらいはたしか、つくっている時期がおなじだったんじゃないかな。そのころはまだ1曲10数分でアルバム、みたいなことを考えていたと思う。でも意外とさくさくつくれて、その前半4曲とはまったくべつのものができた。この調子で行けば、(長い)この曲もちがう曲になる、あれもちがう曲にできる、という感じで10曲に絞っていた。

そうすることで、いわゆるアルバムの形態になったと。手ごろな長さの曲がしっかり10曲も入っている、こういうかたちは初めてですよね。

SH:そうそう! フル・アルバム。10曲で50分くらいあって。そんなのやったことないですからね。

キャリア10年目にして、ついに。

SH:自分のレーベルをはじめたのが2009年だから。

たしかに。先ほどハウスっぽいという話が出ましたけど、前半の曲のタイトルに「HOUSE」とついているのはそういう理由から?

SH:いや、これはラフ・ハウス・サヴァイヴァーズっていう、ニュージャージーのヒップホップ・トリオからとりました。ふだんヒップホップを聴いているひとでも知らなかったりする、いわゆるマイナー・ヒップですね。ニュースクールっぽい感じです。そのジャケがまたかっこよくて。でもあとで聴きなおしたら “SLACK HOUSE” とかは意外とクリック・ハウスぽい。意識したわけじゃないけど。そもそもハウスとヒップホップは親戚みたいなものだし、ダンス・ミュージックを聴いていたひとがつくったからそうなったのかな。

今回は音数が少なめなのもポイントですかね。

SH:『Maybe Baby』は多かった。『Post Punk』もそうだし。それはヒップホップを聴いた影響じゃないですかね。

以前、トラックは0.1秒ずつつくっていくといっていましたよね。そのペースでざっくり計算してみると、今回はめちゃくちゃはやく仕上がっているのでは?

SH:めっちゃはやいです。今回メインでつかっているのはエレクトロンのデジタクトという機材で、ビートがつくれて、サンプラーにもなっている。『Maybe Baby』のときは使っていなかった。前回は基本的にリアクターっていうソフトとずっとにらめっこしていて。そのちがいじゃないですかね。ノイズっぽいところ、グリッチっぽいところもあるけど、ほんとうにわずかなので。ターンテーブルはビートメイクをするうえで、ほんとうにはやくつくれる。大丈夫かなって思うくらい。前作とはぜんぜん制作期間がちがいますね。『Maybe Baby』は、あれだけ頑張ったのに、結果10数分だった(笑)。今回はこの期間で10曲もできているし、アウトテイクも含めたらもっとある。

あとやはり随所にダブの要素も仕込まれていますよね。最後の曲とか。

SH:これは(リカルド・)ヴィラロボスの影響なんです。あの読み方が難しいアルバムの……

赤いジャケの?(『Fizheuer Zieheuer』)

SH:そう! あのジャケの盤を3枚くらい持っていたんです。何回も再発されて黒いジャケになってるんですけど、赤いジャケありのやつは高いんですよ。

あれはぼくも一時期めっちゃハマりましたけど、3枚はすごい(笑)。

SH:あれをずっとひきずっていて。ほんとうにお気に入りで、いつかああいうのをつくりたいと思っていた。ヒューっていう亡霊みたいな声が入ってくる部分も、じぶんのなかでたまたま近いネタをみつけて、それをピッチダウンしたら幽霊みたいになって、「あれっ、この感じ、発明したかも」と。ヴィラロボスはもっとクリックで、テクノですけど、それをダウンテンポでできるのではないかと思いついた。音数を極端に減らして、たまにディレイをかけて。そういう思い入れもあったので、最後のその曲だけ10分超えてたと思います。

なるほど。ヴィラロボスだったとは。いやー、懐かしい。

SH:呪術的な、すごい妖しい感じでね。アガる声ネタも入っていて、祝祭感もある。トランペットも入っていて、南米のノリですよね。ヴィラロボスはほんとうに好きですね。ぼくのはもうちょっと暗い感じになってる。

この歳になってじぶんの好きな領域がまた増えたというか、かつてギタポを聴いていたときのように、しっかり勉強して買ってという感じになれたので、すごく幸せな2年間でしたね。

今回の制作中に聴いた唯一のヒップホップではない作品?

SH:いや、聴いてはいないですね。じぶんのなかでずっとひきずってきたって感じです。ほんとうに好きな12インチなので。おもしろいですよね。サンプリングしようと思ってつくりながら、「あれ?」という発見がある。「こういうふうに聞こえるんだ」みたいな、そういう発見はめちゃくちゃ楽しいです。それって、0.1秒ずつグリッチさせてノイズつくっていくのよりもはるかに健康的じゃないですか(笑)。

たしかに。ほかに工夫したことはありますか?

SH:たぶんヒップホップのトラックをつくるときって、ふつうはジャズとかソウルから元ネタを引っぱってくると思うんですが、俺は今回、基本的にはヒップホップの12インチを使いましたね。ほんとうはその元ネタを探してつくるんでしょうけど。だから、わかるひとは聴いたらわかるんじゃないかな。ギャングスターも入ってるし。最後の曲の冒頭はジェルー・ザ・ダマジャの “Come Clean” って曲ですね。

デビュー作の。

SH:シェリー・マンっていうドラマーの “Infinity” という曲があるんですけど、その曲で鳴っている、水がしたたるような音をジェルー、正確にはプレミア(プロデュースはギャングスターのDJプレミア)が使っているんです。その12インチをそのまま使って、ピッチを落としてテンポも遅くして、ビートに乗っけて。そのやり方に愛が詰まっているんです。「このひと、これが好きなんだな~」っていうのが伝わってくれるといいな。

孫引きみたいな感じですよね。その場合オリジナル盤じゃないから、それをサンプリングしているほうの微妙な音の感じも入ってくるということですよね。

SH:そうです。さらに指でピッチを変えているし、当然サンプラーでもまためちゃくちゃいじるし。いくつかの過程を経ているので、まったくそのままでは絶対にないはずです。あとはスラム・ブラザーズとか。1曲目の “STOP FRONTING” はスラム・ブラザーズの同名曲からとっていますね。ネタもそのまま。ピッチはだいぶ変えてるけど。だから、「俺はこういうのを聴いて、こういうふうにつくったんだよ」っていうのが伝わるといいな。

まずなにより音楽好きであるというか。

SH:やっぱり音楽オタクなんですね。それで前回のときにはいっさい話していなかったヒップホップにもついにハマってしまったと思ってもらえれば(笑)。とか言いつつ、ちゃっかり去年の(スティーヴン・)マルクマスのライヴにも行ってるんですけどね。この歳になってじぶんの好きな領域がまた増えたというか、かつてギタポを聴いていたときのように、しっかり勉強して買ってという感じになれたので、すごく幸せな2年間でしたね。でも、このインタヴューがきっかけで、じぶんのなかのヒップホップのブームが終わったらと思うと怖いな(笑)。次のアルバムのときはラテンの話をしていたりするかもしれない(笑)。

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