「Nothing」と一致するもの

ディエゴ・マラドーナ 二つの顔 - ele-king

 ぼくの記憶では、史上何人かの天才に類するであろうずば抜けたサッカー選手のなかで、マラドーナほどその転落が望まれた選手はいない。1994年のワールドカップ開催中のドーピング検査で陽性となったとき、ほらみたことかという空気はあった。1990年のイタリア大会のときもマラドーナには悪い評判があったようだし、じっさい大会中は彼がボールを触っただけで激しいブーイングが起きている。当時、彼はイタリアのセリエAで活躍していた、いや、していたからこそ彼は大衆の憎悪を浴びた。そして卑しい人たちはドラッグ・スキャンダルによる彼の転落劇を心密かに喜んだ。が、それもこれも彼が超越的なサッカー選手であったことの証でもある。

 エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY エイミー』の監督をはじめ、オアシスのドキュメンタリー映画『オアシス スーパーソニック』の製作総指も務めたアシフ・カパディア監督による『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』を見ると、あらためてマラドーナが最強の選手であったことが確認できる。彼はあまりにもスーパーだった。
 子どもの頃にサッカーをやったことのある人間なら、誰もが最初に夢見ることがある。それは自分がひとりでボールをドリブルして、前に立ちはだかる相手をかわして、かわして、そして最後にゴールを決めるという夢だ。が、年齢を重ねるなかでそれはファンタジーでしかないという現実に気づかされる。中学にでもなれば、そこそこ上手い子たちも持ちすぎればコーチから怒られるし、そもそもドリブル自体が簡単なプレイではない。彼の時代はいまほど戦術的にコンパクトな陣形ではなかったので現代よりもやりやすかったということはあるにせよ、とにかくマラドーナはそれをプロのレヴェルでやってのける選手だった。誰もが子ども時代に夢見るプレイを彼はやる──それこそがマラドーナが犯した最大の罪だった。コカインなど関係ない。そんなものはこの天才にとってつかの間の気晴らしでしかなかっただろう……などと書いてしまうぼくはいまもなお重度のファンである。

 組織重視で、スポーツマン精神重視の欧州サッカーの伝統においては、マラドーナはムカツク南米野郎の典型だ。かつてマンチェスター・ユナイティッドを率いて黄金時代を築いたファーガソン監督は、市のすべてのナイトクラブに連絡を入れて、選手が夜遊びしたら通報するという徹底的な規律のもと選手を管理したというエピソードがあるように、夜な夜ないろんな種類のダンスに高じるマラドーナのような選手が歴史ある欧州サッカーにおいて成功することは、決して多くの人たちから歓迎されることではない。が、水道どころか下水すらないアルゼンチンの貧困エリアで生まれ育ったマラドーナは、彼の左足によって、階級も伝統も超越し、彼を見下したすべての連中の鼻をへし折ってやった。ブラック・ミュージックやロックのイディオムでいえば、それはスッタガリー的な格好良さだ。小さいものが大きいものを混乱させ、やっつけ、あっと言わせるという。

 ぼくはマラドーナの映像を2本、本(自伝/評伝)を2冊所有している。VHSで持っているドキュメンタリーは、貧困エリアでリフティングする少年時代の映像からはじまり、彼のキャリアがざっと紹介され、冒頭の映像で終わる。もう1本はDVDで、少年時代の映像はなく、まあ決まりの彼の物語──86年のメキシコ大会における対イングランド戦の神の手と5人抜き、そしてドラッグ・スキャンダルが語られている。
 本(自伝/評伝)のほうも、当たり前だが2冊の描き方は違っている。アマゾンレビューで評価の高い『マラドーナ自伝』よりも、じつはそれより先にベースボールマガジン社から出た『ディエゴ・マラドーナの真実』のほうがだんぜん面白い。後者はマラドーナの出自についても、アルゼンチンの社会状況についても詳述しており、また本人にとって都合の悪い話しもずばずば書いているがゆえの評伝ならではのジャーナリズム性と内容の濃さがある。まあいずれにせよ、マラドーナはすでに映像でも評伝でも多く語られている。ゆえに『AMY エイミー』の監督がマラドーナのドキュメンタリーを作ったと聞いても、主題としてそれほど新鮮みがあるわけではない。すでに彼の物語は広く知られているし、描き方もすでに複数あるからだ。だが、そういった不利な条件を前提にして言っても、これはよくできたドキュメンタリーで、5点満点で4点以上は付けたい作品である。

 まず『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』の見所は、──これはサッカーファン的で近視眼的な意見かもしれないが──、イタリアのセリエA時代の映像にある。イタリア南部のチームの水色のユニフォームを着たマラドーナがたくさん見れるという、映像的にも貴重だが、それはカパディア監督による隠喩としての“マラドーナ”においても重要な意味を持っている。アルゼンチンの名門ボカ・ジュニオールズでの活躍によって世界的な超ビッグ・クラブのバルセロナFCに移籍したマラドーナだが、スペインでは相手に削られ、削られ、ケガをして、彼の良さを発揮できずに過ごした。そして次に移籍したのがイタリアのナポリというチームだった。マラドーナは、プロなら誰もが憧れるイタリア北部の金満ビッグ・クラブではなく、タイトルにはさっぱり縁のない貧しい南部の弱小チームを選んだ。
 そして北部のビッグ・クラブは、南部の弱小チームをここぞとばかりに差別する。「ナポリの人間は石けんをつかわない奴ら/ナポリは病気で、クソで、イタリアの恥/マラドーナのためならケツも出す」、これはユベントスのウルトラ(※熱狂的なサポーター)が歌っていた歌だが、ほかにも「風呂に入れ/アパルトヘイト/ビョーキもち/イタリアの下水」などと書かれた横断幕がスタジアムを囲むという……まあほとんど子ども同士の喧嘩だが(笑)、「ナポリっこはイタリアのアフリカ人だ、差別されている」とマラドーナが語っているように、容赦ないヘイトを彼とナポリは浴びまくる。が、しかし、こうした罵詈雑言もマラドーナの叙情詩においては引き立て役に過ぎなかった。怒りと逆境をバネに、彼はナポリの順位を上げるどころか、当時のヨーロッパにおいてもっともレヴェルの高かったリーグの優勝チームにまでするのである。それが映画のひとつのクライマックスだ。
 しかしながらこの天才は、彼が“マラドーナ”になったときから脊柱に故障があった。夜も眠れないほどの痛みがあったというが、それでも“ディエゴ”は“マラドーナ”であることを自らに強いた。ナポリでは神のように崇められ、いっぽうTVのレポーターから着ている服さえ皮肉られるほどの田舎の成金として扱われ、また他方では弱者が勝つという番狂わせを好まないファンからは徹底的に憎まれる。さらに皮肉なのは、彼はピッチで無心にボールを追っているときにだけ解放されるのだ。こうした紙一重の矛盾のなかで20代の“マラドーナ”はいま見ても呆れるほどのスーパーなプレイをする。小さい身体と短い足を使った曲芸であり、予測や計算をものともしない超人である。

 基本的にスポーツは大衆的で、たいていの人が見ても楽しめる。ぼくは子どもの頃からプロスポーツが大好きで、小中高までは、見れるものはほとんど見ていたと言ってよい。そしていま、こうしてスポーツ観戦ができない生活を送っていると、自分がいままでいかにプロスポーツとともに生きてきたのかをあらためて思い知る。スポーツ観戦は、音楽や文化よりもぐっと敷居が低いので、そこにはいろんな人間がいる。思想的にも、趣味的にもまったく合わない人間と隣の席になって、しかしいっしょに喜ぶということはスポーツ観戦にしかできない素晴らしい瞬間である。はやくこの世界でまたスポーツ観戦ができることを祈るばかりだ。『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』は6月5日からの上映が予定されているが、本当にその頃には映画館にも行けますように。

 そういえば、この映画では描かれていないが、マラドーナにはもうひとつ、ゲバラとカストロの入れ墨を入れていることや、そしてチャベスの支持者でもあったことからもわかるように反米主義者であり、反貧困という顔もある。マラドーナは簡単そうに見えて、奥が深いのである。とはいえ、『ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』がいいのは、監督が主観を述べずに、見た人が自由に解釈できる点にもある。


R.I.P. Pape Diouf - ele-king

 パプ・ディウフとはアフリカ系としては初の、ヨーロッパの一流クラブの会長に就任した人物。人種と階級を超えてフランスのサッカー界、ひいては欧州のサッカーに変化をもたらしたディウフもまたこの数週間のあいだ世界中で亡くなっている多くの人のひとりとなった。新型コロナに感染し、3月31日セネガルで息を引き取っている。
 ディウフの人生は、望みさえして努力を怠らなければ何にでもなれるというお手本のような人生だった。アフリカのチャドでセネガル出身の両親のもとに生まれたディウフは、18歳でフランスのマルセイユに移住すると兵役に就き、それから郵便局員となった。大学での勉強を諦め、地元メディアで(サッカー・チームの)マルセイユの記事を書くフリーのジャーナリストとして働く機会を得ると、全国スポーツ紙でも仕事をするようになる。そしてマルセイユに関わった人脈を活かして,彼は(いまほど代理業が盛んでなかった時代の)エージェントとして精力的に働くようになる。1996年に浦和レッズでプレーしたコートジボワール出身のボリ(ブッフバルト在籍時のDFのひとりですね)は、じつはディウフの最初のクライアントのひとりだった。彼がエージェントを務めた有名選手にはガーナ出身のマルセル・デサイーやコートジボワール出身のドログバもいる。ともにマルセイユを経てプレミアのチェルシーで爆発した選手である。
 2004年、マルセイユの会長で実業家のロベール・ルイ・ドレフュスはディウフをチームの幹部に入れている。そして2004年後半にディウフはクラブの会長となり、2009年までその職を続けた。
 ディウフの死は、やり手のエージェントで、かつてクラブの会長だった人物以上のものとして、多くのサッカーリジェンドたちから哀悼の意が表されている。大きな存在だったのだろう。兄貴肌で、クライアント=選手にとっては家族の一員のような存在だったことは、彼を父のように慕ったボリの言葉からも理解できる。苦労人だったからこそ他人の気持ちがわかる人物だったのかもしれない。が、違った角度から彼の人生を見ると、ディウフの栄光はグローバリゼーションの賜物でもあった、ということにも頭はめぐる。このパンデミックによって、少なくとも欧州におけるグローバリゼーションは、もう以前のようにはいかないだろうし、そういう意味ではひとつの時代を象徴した人物の死としても受け止めてもいいかもしれない。とはいえ、チェルシー時代のドログバの活躍の影には彼のような人の尽力があったことは事実だし、やはり偉大な人だったのだろう。その死は『ガーディアン』から『ニュー・ヨーク・タイムズ』にまで大きく報じられている。
 ちなみに彼が会長を務めていたマルセイユは、フランスのリーグではパリ・サンジェルマンと双璧を成す強豪で、日本人選手では、あまり試合には出れなかったが中田浩二が在籍したこともあり、現在は酒井宏樹が所属している。

R.I.P. Bill Withers - ele-king

 3月30日にビル・ウィザースが心臓の合併症で亡くなった。享年81歳。彼の死は翌31日に遺族によって「私たちは最愛の、献身的だった夫と父を亡くし、打ちのめされています。詩と音楽で世界とつながろうと突き動かされる心を持つ孤独な男だった彼は、人々に率直に語りかけ、お互いに結びつけてきました」という声明と共に伝えられた。ソウル・シンガーではアレサ・フランクリンが2018年8月に亡くなったとき以来、日本でもかなり大きな扱いでニュースとなり、まさにソウル界のレジェンドだった。実際、ソウル界にとってカーティス・メイフィールド、マーヴィン・ゲイらに並ぶような存在だったと思う。ビル・ウィザースの影響力はソウル界はもちろん、幅広い分野に及んでいて、SNS上にはレニー・クラヴィッツ、ブライアン・ウィルソン、サミー・ヘイガー、レッチリのフリーらの追悼メッセージが寄せられた。オバマ前大統領は「ビル・ウィザースは真のアメリカン・マスターだった。働く人々の日々の喜びや悲しみに根差した彼の音楽はソウルフルで、賢明で、人生を肯定していた。厳しい時代に効く完璧な強壮剤だ」とコメントしている。アメリカ人にとって、いちシンガーを超える存在だったのかもしれない。折しも新型コロナ・ウィルスのパンデミックに脅かされるいま、ビルの代表曲である “リーン・オン・ミー” は人類の希望と連帯を繋ぐ一曲として、カナダのカントリー歌手のテニル・タウンズが仲間たちと一緒にカヴァーしている。この曲はクラブ・ヌーヴォーはじめいろいろなアーティストがカヴァーし、人種・国籍・性別・ジャンル・時代などを超越し、さまざまな人たちに愛されてきた。いまのこの困難な状況におけるアンセムたりえる曲なのだ。

 1938年7月4日、ウェスト・ヴァージニア州スラブ・フォークのアフリカ系黒人の一般家庭で生まれたビル・ウィザースは、高校卒業後に海軍へ入隊し、除隊後はカリフォルニアに移って牛乳配達人を始めたのを皮切りに、ロサンゼルスのダグラス航空機の部品工場やフォード・モーターで働いていた。子供の頃は吃音症に悩んで長年に渡って矯正に務めていたというエピソードがあり、音楽とはさほど関りのある生活はしてこなかった。スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンのように、幼少期から才能を開花させたミュージシャンとは真逆の人物である。そんなある日、ナイトクラブでルー・ロウルズが歌っているのを見て、一晩で自分の給料の何ヵ月分も稼げるシンガーの生活に憧れ、ギターを買って弾き語りを始めた。独学で音楽を学んで、工場の仕事の合間に歌を作っては書き貯め、自主レーベルからシングルを出すもパッとせず。そんな仕事をしながら歌う日々が続くなか、デモテープが〈サセックス〉の重役の目に留まる。そして〈スタックス〉でザ・MG’sを率いて一時代を築いたブッカー・T・ジョーンズをプロデューサーに迎え、1971年にファースト・アルバムの『ジャスト・アズ・アイ・アム』を録音する。赤レンガの倉庫で工具箱を持ったビルの写真をジャケットに使ったこのアルバムからは、“エイント・ノー・サンシャイン” “グランマズ・ハンズ” という代表曲が生まれる。失恋を歌った前者、亡き祖母をしのんだ後者と、どちらも市井の普通の人たちの生活に寄り添うものだった。かつてザ・ルーツのクエストラヴは、ビル・ウィザースについて「マイケル・ジャクソンやマイケル・ジューダンのようなスーパースターではなく、最後のアフリカ系の普通の人」「黒人にとってのブルース・スプリングスティーンのような存在」と述べたことがある。最初からショー・ビジネスの華やかなスポットを浴びて登場したのではなく、ついちょっと前まで工場で働いていたシンガー・ソングライター。そしてアメリカのごくごくありふれた日常風景、一般的な労働者の視線、それを歌にするのがビル・ウィザースだった。

 1972年にはセカンド・アルバム『スティル・ビル』を発表し、ここからは前述の “リーン・オン・ミー” はじめ、“ユーズ・ミー” “フー・イズ・ヒー(アンド・ワット・イズ・ヒー・トゥ・ユー)?” “キッシング・マイ・ラヴ” が生まれる。彼の最高傑作と言っていいアルバムだ。彼のスタイルはリズム・アンド・ブルースにフォークやファンクを混ぜたもので、演奏はギターの弾き語りにベース、ドラムス、ピアノがつく程度のとても簡素なもの。だからこそ、ストレートに心の内を綴った歌詞や、飾り気のない真摯な歌声が多くの人たちの共感を呼ぶ。「心や体が弱っているときは僕に寄りかかっていいよ。友達だから助けてあげるよ。僕が弱って誰かの助けが必要なときまではね」と歌う “リーン・オン・ミー” のように。〈サセックス〉倒産後は〈コロムビア〉に移籍し、1977年にはヒット曲の “ラヴリー・デイ” を含む『メナジェリー』を発表。日常を生きる喜びを綴った “ラヴリー・デイ” にも、偉大な音楽家とかセレブなアーティストではないビル・ウィザース、平凡ないち市民であるビル・ウィザースの姿がある。1981年にはジャズ・サックス奏者のグローヴァー・ワシントン・ジュニアの “ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス” (アルバム『ワインライト』に収録)にシンガーとしてフィーチャーされ、グラミーのベスト・R&B・ソング賞を獲得するなど大ヒット。現在でいうところのスムース・ジャズの草分け的な曲で、当時は日本でもメジャー・ヒットしたのだが、この曲のイメージからビル・ウィザースのことをバブリーでお洒落なシンガーというイメージを持つ人も少なくない。しかしビル自身はそれとは正反対で、普通の生活を普通に歌うことを信条とする。むしろ虚飾に満ちたショー・ビジネスの生活が肌には合わず、また黒人差別がはびこるレコード会社の姿勢などにもいや気が差してしまい、1985年のアルバム『ワッチング・ユー・ワッチング・ミー』を最後に、音楽界から引退してしまう。実働期間は長くはなかったが、ビル・ウィザースの音楽、そして音楽に対する姿勢は後進のアーティストにも多大な影響を与え、ジョン・レジェンド、アロー・ブラック、ウィル・アイ・アムからグレゴリー・ポーターに至るまで、その痕跡を見出すことができる。“エイント・ノー・サンシャイン” “グランマズ・ハンズ” “リーン・オン・ミー” “ユーズ・ミー”と、ビルの書いたさまざまな曲がカヴァーされ続けている。

 引退後はビル・ウィザースが公の場に現れることはほとんどなかったが、そうした中で2015年にスティーヴィー・ワンダーの推薦でロックンロールの殿堂入りを果たし、表彰席に出席してスティーヴィーやジョン・レジェンドと一緒に “リーン・オン・ミー” を歌っている。そのときのビルのコメントでこの追悼文を締めくくりたい。「私は短い音楽キャリアの中でいくつか曲を書いたけど、いろいろなジャンルのいろいろな人たちがそれらを歌ってくれた。私は決して名音楽家ではないけれど、人が共感するような曲を書いてくることができた。ウェスト・ヴァージニアのスラブ・フォーク出身者から見て、これは故郷にとって悪いことじゃないよね」

Mura Masa - ele-king

 いつの時代を語るにも、その時代を象徴するアーティストの存在は欠かせないものだ。クラシック界の巨匠、誰もが憧れるロックスター、カリスマ的歌姫、伝説のラッパー……と、様々なアーティストたちの功績が時代とともに語り継がれている。そんな彼らの存在はかつての時代だけでなく、来るべき時代にも多くの影響を与えていった。そして2020年という新時代を迎えたいま、これからの時代を象徴するアーティストになりゆく存在のひとりとして挙げたい人物が Mura Masa だ。

 自身の名を冠したデビュー・アルバム『MURA MASA』で、新進気鋭の若手トラックメイカーからトップ・アーティストとしての地位を確立した Mura Masa。イギリス海峡の孤島出身ながらも、多彩なかつキャッチーなサウンドで世界中を魅了し、確固たる人気を獲得した。わずか3年ものあいだに一躍有名となった彼が、2020年の幕開けとともに発表したセカンド・アルバム『R.Y.C』はリリースから約2か月経ったいまでも記憶に新しく、鮮烈な印象を放ち続けている。

 ポップでトロピカルなエレクトロニック・サウンドが詰まった前作とは一転、本作にはノイジーで歪んだギター・サウンドが取り込まれている。まるでぼんやりと世界中を覆っている混沌のようなグレーカラーの塗りつぶしに、タイトルを模したオレンジのスマイルマークと前作とは対照的なデザインのアートワークも印象的だ。本作の布石としてシングル・リリースされた収録曲 “I Don’t Think I Can Do This Again” では、VSCO ガールのアイコンとしても人気を誇るベッドルーム・ポップ・アーティスト Clairo のフィーチャリングと作風の変化で話題を呼んだ。

 その後、“Deal Wiv It” “No Hope Generation” などアルバム収録曲の一部先行リリースが続いた。A$AP RockyCharli XCXDemon Albarn など前作でも燦燦たる顔ぶれのアーティストが客演に参加したが、今回は前述の Clairo をはじめ、slowthai、Wolf Alice の Ellie Rowsell など話題のアーティストを起用。期待値をじわじわと高めたのち、2020年1月17日に待望のフル・アルバムをリリース。アルバムのタイトルと同名の楽曲 “Raw Youth Collage” から順々と、すでに先行リリースで注目を集めた楽曲が前半に並び、“Vicarious Living Anthem” で興奮はピークを迎える。そして後半の “In My Mind” “Today” ではだんだんノスタルジーを醸し出し、“Teenage Headache Dreams” では、清々しいフィナーレのような高揚感とどこかザラついた切なさを彷彿させる。これまでのイメージを覆した『R.Y.C』は、最高潮まで高まったリスナーの期待を裏切ることなく、彼の多面性を提示する一作となった。

 現在23歳の Mura Masa は、希望のない時代を歩んできた若者だ。彼と同じ1996年生まれはわりと悲惨な世代である。物心がつく前にミレニアムを迎え、少しずつ世界を捉えられるようになった頃に 9.11 が勃発。小学校に通い社会は何たるかを学び始めた矢先にリーマンショックが起き、将来に希望を抱くことは無意味であると悟った。日本ではこの世代を「さとり世代」と揶揄し、バブル時代の恩恵を受けたテレビのコメンテーターが「もっとしっかりしろ、車を買え、年金を払え、俺らを敬って社会の発展に貢献しろ」と皮肉った。高校入学前には東日本大震が発生、成人するタイミングで選挙権の年齢引き下げが施行。ひとりの人間として社会に羽ばたきはじめると同時に増税を喰らい、若者の未来はますます暗くなった。そして現在、新型ウイルスのパンデミック対策により世界は分断され、ついに人びとは踊ることすら許されなくなってきている。

 世界中から希望が薄れていくなかリリースされたこのアルバムは、ただの悲惨な若者が世を憂いているだけの作品ではない。“No Hope Generation” では「I need help (助けが必要)」と繰り返し、「Everybody do the no hope generation (誰もが希望のない時代を生きている)」と歌っているが、決して希望を持つことを諦めたわけではないのだ。同作品のMVに出演する人々は目が死んでいるものの、全員が色鮮やかなハイテクウェアに身を包み、踊ることを諦めない。軽快でありながらもメッセージ性の強いリリックからは、混乱に陥った世を糾弾するわけでも冷笑するわけでもなく、若者のみならずいまの時代を生きるすべての人が直面している問題と未来に向き合っていく意志を表しているように感じられる。

 昨年末、来日公演の直前インタヴューで Mura Masa は「ツァイトガイスト(Zeitgeist、ドイツ語で時代精神)」を本作で表現していると語っている。時代精神とは、ある時代を特徴づける共通理念や意識のことだ。これらはその時代の普遍的な意識のみを表すだけでなく、過去の文脈と新たに生まれた要素が混ざり合って形成される。その発言通り、かつての時代の懐古に浸るだけでなく、憂いがちな現在から未来をどう見据えていくかという姿勢を、ノスタルジックながらもクロスオーバーしていく昨今のシーンを混ぜ込んだサウンドに映しだした。まさに2020年を代表する時代精神のひとつとしてリリースされたこのアルバムは、Mura Masa が時代を象徴するアーティストになりゆく道への一歩と言えるであろう。

荻窪ベルベットサン - ele-king

 4月1日より、荻窪のライヴ・スペース「ベルベットサン」が動画配信サービスをスタートしている。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、続々とイベントが中止になるなか、YouTubeの公式チャンネルを通して無観客ライヴというかたちでイベントの模様を配信していくという。同チャンネルには、過去の公演のアーカイヴ動画も多数アップロードされている。

 荻窪ベルベットサンといえば、ジャズをはじめ実験的な即興セッションやトーク/レクチャーなど、ユニークでエクストリームなイベントを数多く開催してきた都内でも有数のスペース。全面改装を経て昨年8月にはリニューアル・オープンしている。今回の動画配信サービスでは、YouTubeの投げ銭システム「Super Chat」を使用するために、チャンネル動画の再生時間がまだ足りていないとのこと(4月6日現在)。気になった方はぜひチェックしてみよう。 (細田成嗣)

https://www.youtube.com/channel/UCM9WGJCep1DtHe9-SpVqKSg/videos

ベルベットサンからチャンネル登録、動画再生のお願い

日頃のご愛顧ありがとうございます。
ベルベットサンスタッフは、イベント自粛が要請される昨今の状況下で、
今後アーティストと共にどうやってライブハウスの文化を存続させていくのかを日々考えてまいりました。
そこで、ひとつのチャレンジとして4月から動画配信サービスをスタートいたします。
その収益化に向けて、YOUTUBE課金投げ銭システム「Super Chat」使用を目指しています。
しかしながら未だ使用要件(チャンネルの登録者数1000、動画再生4000時間)を満たしておりません。

皆様にお願いがあります。

『VS cast and Archives』のチャンネル登録、動画再生に是非ともご協力を願いいたします。
チャンネルはこちら(現在のチャンネル動画は当店の過去の配信サービスがアーカイブされています。) https://m.youtube.com/channel/UCM9WGJCep1DtHe9-SpVqKSg/videos?view_as=subscriber

既存のライブ公演はもちろんのこと、新しいコンテンツの配信にも挑戦していければと考えております。
投げ銭で得た収益はアーティスト、店舗、スタッフの運営費として分配し、イベント開催が難しいこの状況を乗り切り、
これまで以上に、文化の継続的発展に微力ながら貢献していきたいと思っております。

皆さまのお力を貸してください。
どうぞよろしくお願いいたします。

https://www.velvetsun.jp

Nnamdï* - ele-king

 2面性のある人は紹介の仕方が難しい。悲しいのか、おかしいのか。どちらでもあるし、どちらかが強調されていれば、どちらもとは思えないだろうし。たとえばンナムディ・オグボンナヤ(Nnamdi Ogbonnaya)の“Wasted”は「どんな音楽を聴きたいの?」「時間を無駄にはできないよ」「君の話が聞きたいな」「すべての耳はダンボのように閉じている」といった歌詞ながら、そこから想像できる雰囲気をヴィデオから感じ取ることはできない。

 どうだろう? エイフェックス・ツイン”Windowlicker”は曲だけ聴いていれば悲しいムードなのに、ヴィデオを観ると笑ってしまうのに似ていませんか? シカゴ(生まれはLA)のンナムディ・オグボンナヤはそれに加えてロックなのか、ヒップ・ホップなのかという難しさも加わってくる。どちらでもあるし、どちらかが突出していれば、どちらにも思えないだろうし。彼のキャリアはマス・ロックから始まっている。2006年にバトルズを思わせるマス・ロックのパラ・メディクス(The Para-medics)としてデビューしたオグボンナはインディ・ロックのアルバトロスやパンクのナーヴァス・パッセンジャー、ハードコアのリチャード・デフ&ザ・モス・プライオーズなど10以上のバンドを掛け持ち、現在のところメインのように見えるモノボディやイットー(Itto)ではドラムス、ナーヴァス・パッセンジャーやティーン・カルトではベースを担当しつつ、ンナムディズ・スーパー・ドゥーパー・シークレット・サイド・プロジェクトとスーパー・スワッグ・プロジェクトではラップをメインに活動してきた。さらにンナムディ・オグボンナヤ名義では音楽性にまったく囚われず、気ままにミクスチャー・サウンドを展開している。これがこのほど名義をンナムディと短くし、『BRAT(ガキ)』と題されたアルバムでは独特のポップを創出したといっていい境地を見せる。オープニングはしれっとアコギの弾き語り。「Flowers To My Demons(我が悪魔に花束を)」と題され、ゲイの立場から「僕はリル・Bを尊敬するバラ色のプリティ・ビッチ」「でも、この街が僕を必要としていないことは理解してる」「お前らのことが嫌いだ」「花を贈るよ」とチーフ・キーフやドリルではないかと思える勢力に対して違和感を吐き出し、「君が必要だ」「新しいものが必要だ」と何度も繰り返す。リル・Bというのは2010年にリリースした『Rain In England』でクラインやマイサに受け継がれたドローン・ラップを創始したMCで、最近のラップ・アルバムには1曲ぐらいはドローンをバックにラップする曲が収録されているほどいまだに影響力を持った存在。ちなみに『BRAT』にもドリルやトラップを断片的に感じさせる“Semantics(意味論)”のような曲も散見できる。

 ンナムディ・オグボンナヤが様々なサウンドをミックスするようになったのは高校生の頃にジャズ・バンドに入ったはいいけれど、練習するのが嫌いで、楽器は他人の演奏を「観る」ことで覚え、とくにゴスペルのドラムはなんでもアリなんだなと思えたからだという。モノボディでは時にスティーヴ・ライヒを思わせるような曲もあり、イットーではスラッシュにも邁進するなど、沢山のバンドを掛け持っているのはそもそもひとつのことばかりやりたくないからで、要するに音楽を始めてから『BRAT』までまっすぐ進んできたわけである。幸せな男である。白状すると僕はンナムディ・オグボンナヤの多面的なスタイルではなく、まずは笑いに耳が行ってしまった。『BRAT』というのは、しかし、恐ろしいアルバムで、最初は笑いを誘ったはずなのに、同じ曲を何度も聴いているうちに、だんだん悲しくしか聞こえなくなってしまう(と、この文章を読んでしまった人には先入観が芽生えて同じ体験は不可能かもしれないけれど)。ある時期からは、だから、ンナムディ・オグボンナヤの悲しみを反芻するような聴き方しかできなくなり、気がつくと彼の感情の波に飲み込まれていることがわかる(ここでもう一度、冒頭の“Wasted”を聴いてみてほしい)。以前の作品はそうではなかった。『West Coast Burger Voyage』(13)や『FECKIN WEIRDO』(14)は笑いは笑いでしかなかった。もしくは悲しい曲と楽しい曲は同じアルバムに同居はしていても役割は分かれていた。『BRAT』はそして、“Glass Cracker“のように悲しい曲は本当に悲しく染み渡る。そして、そうした曲から今度は予期せぬ優しさが滲み出してくる。なんということはない、様々な音楽をミックスした果てにあったものは非常にオーソドックスな「ポップ・ミュージック」だったのである。彼はおそらくゴスペルのドラムを「観ていた」時に音楽が伝える非常に本質的な魅力も理解していたのだろう。おそらくは彼が初めからオーソドックスなポップ・ミュージックを実践していたら、このような重層性はつくり出せなかった。「放蕩息子の帰還」とはよくいったものである。

vol.125 NYシャットダウン#3 - ele-king

 QUARANTINED=毎日やることもなく、家に閉じこもっていなくてはならない。朝起きて、まずニュースに目を通し、今日もコロナヴィラスの話題だらけだなと思いながら朝ごはんを食べる。ニューヨーカーの40〜80%は感染するや、この状況は夏まで続くやら、何人が死んで何人感染したか、など明るいニュースはないので、やれやれ、といった感じだ。


もののみごとに人影もないブッシュウィックの風景。

 シャットダウンしてからオースティンやアップステイト、プロヴィデンスなどに避難し、NYにいなかったので、戻ってきたいま、どうしてよいかわからない。普段は仕事をして、ショーに行って、イヴェントを企画して……それがすべてなくなってしまった。
 さて、他のミュージシャンはどうしているのだろう、と気にかかった。プレスの人に訊くとリリースは延期もあれば、そのままリリースもある。リリース・パーティなどはできないが、この時期みんな時間だけはあるので、聞いてもらう良いチャンスかもしれない。ショーはできるときにしようということだが、いつになるやら。
 音楽会場のオーナーやオーガナイザーは従業員を救おうとファンドレーザーを立ち上げたりしている。従業員に仕事がなくなったので、寄付してくれということなのだが、仕事がなくなったのは、彼らだけではなくみんななので、逆に寄付してほしいくらいと思っている人がほとんどだろう。
 レストランやバーはテイクアウトとデリバリーをはじめた。レストランはわかるが、さすがにアルコールのテイクアウトは難しい。バーに行くのはそこで飲みたいからで、家で飲むなら、その辺のボデガで買っても同じだからだ、そしてそちらの方が断然安い。誰が家で凝ったカクテルなどを飲みたいか。ただ、ボトルのミードや酒などはわかる。なかなかボデガでは買えないからだ。という感じで、スモール・ビジネスは奮闘しながらも営業を続けている。購入するときもカードのみで、ピックアップは外に置いてあり、勝手に取るシステムがほとんど。買いに来ても誰とも顔を合わせないのだ。

 人に会えないので、オンライン飲み会がまわりで流行っている。何人かでFaceTimeで顔を見ながら飲み会するというやつだ。うちらバンドも週に2回くらいはヴィデオチャットで近況(と言ってもそんなに変わりはないが)報告する。インスタライヴなどでオンラインショーなどを企画したり、ライヴのオルタナティヴ。ヴァージョンをレコーディングしようとしているが、なんだかなー、という感じである。

 私のまわりのニューヨーカーは故郷に帰った人もいるが、だいたいは残っている。逆に故郷に帰って年老いた両親に迷惑かけたくない、ということもあるようだ。まったく症状が出ない人もいるわけだから、みんな動きたくても動けない。例えばロードアイランド州に行くと、ニューヨークナンバーはチェックされるし、バスもほとんど止まってしまった。ニューヨークにいるしかないのである。この状況でどこまでいけるか、もう何も通常ではないので怖いものもないと思える自分がいる。


いまトレンドなハードセルツァー、そしてコロナブランド。

Nick Cave - ele-king

 ディヴィッド・バーンRDJのほかにも、アーティストがいま何を考えているのかをなるべく紹介したいと思っています。で、今回は、ニック・ケイヴが彼のサイト「レッド・ハンズ・ファイルズ」で書いている文章です。読者からの質問に答えるカタチでニック・ケイヴが彼の考えを述べているのですが、これもまたひそかに世界で話題になっているようです。今回も沢井陽子さんが訳してくれました。なんともケイヴらしい力強い言葉をどうぞ。

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このコロナ・パンデミックで、あなたはどうする予定ですか? どのように時間を埋めようとしていますか? 家のピアノからソロ・パフォーマンスですか? ーアリス、オスロ、ノルウェイ

バンドはコンサートをライヴストリーミングする予定はありますか? この期間に人びとが繋がりを感じる助けになると思います。 ーヘンリー、シドニー、オーストラリア

とくに創造的でない人は、この孤独な時間をどうしたらよいでしょうか。答えを見つけられません。ーサスキア、ロンドン、英国

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アリス、ヘンリー、サスキアへ

 危機に対する私の答えは、いつも創造的になることでした。この衝動は、何度も私を救いました。物事が悪くなるとツアーをプランしたり、本を書いたり、レコードを作ったり、仕事に身を隠します。そして追い求めていたよりも一歩先を行くようにしていました。なので、バッドシーズのヨーロッパツアーが延期になるとわかったとき、少なくとも突然3ヶ月間の空き時間ができ、私の心はその空き時間をどうやって埋めようかという衝動にかられました。チームとヴィデオコールをしてアイディアを出し合ったり、自分の家からソロパフォーマンスをストリームしたり、孤独なアルバムを書いたり、オンラインでコロナ日記を書いたり、終末論的な映画の脚本を書いたり、Spotifyでパンデミック・プレイリストを作ったり、オンラインで読書クラブをはじめたり、レッド・ハンド・ファイルズの質問に答えたり、曲作りやクッキングのチュートリアルをストリームしたり、など、すべては、私の創造的な勢いを維持すること、私の孤立したファンに何かをするための目的でした。

 その夜、これらのアイデアを考えたとき、私は過去3か月に自分がしたことについて考えはじめました。ウォレンとシドニー・シンフォニー・オーケストラと仕事し、デンマーク王立図書館との大規模で信じられないほど複雑なニック・ケイヴ展の計画、実施をしたり、「Stranger Than Kindness」の本をまとめたり、自分の集めた歌詞を更新したり、Ghosteenの世界ツアーのショーを開発したり(ちなみに、これを私たちがやったらすごいことになるだろう)、2番目のBサイドとRaritiesレコードを作ったり、もちろん、レッド・ハンド・ファイルズを読んだり、書いたり。私がベッドに座って反省していたとき、別の考えが現れました、明確で不思議で人道的でした。「なぜいまがクリエイティヴになるときなのか?」

 私たちは一緒に歴史に足を踏み入れ、いまや私たちは、生涯で前例のない出来事のなかに住んでいます。ニュースは毎日、数週間前には考えられなかったような、目まいがするような情報を提供してくれます。1か月前に私たちを混乱させ、分裂させたものは、せいぜい大昔の恥ずかしさのようです。私たちは、内部からいま起きていることを見ている、大災害の目撃者になりました。私たちは孤立させることを余儀なくされ──警戒し、静かにし、リアルタイムで文明の起こり得る爆破を監視し、熟考することになります。最終的にこのときから離れると、リーダー、社会システム、友人、敵、そして何よりも自分自身についてのことがわかります。私たちは回復力、赦しの能力、そして相互の脆弱性について何かを知るでしょう。おそらく、いまは注意を払い、気をつけ、観察するときです。アーティストとしてこの異常な瞬間を見逃すことはできません。が、突然、小説を書いたり、脚本や一連の歌を書いたりする行為は、過ぎ去った時代の耽溺のようにも見えます。創造ビジネスに埋もれるときではありません。いまこそ後部座席に立ち、この機会を利用して、私たちの機能が何であるか、つまりアーティストとしての私たちが何のためにあるのかを正確に反映するときです。

 サスキア、私たち全員に開かれている、エンゲージメントの形があります。遠くの友だちにメールをし、両親や兄弟に電話し、近所の人に親切な言葉をかけ、第一のラインで働いている人たちのことを祈ったりなどです。これらの簡単なジェスチャーで世界を結びつけることができます。あちこちに愛の糸を投げ、最終的に私たち全員をつなぎ──私たちがこの時から抜け出すとき、私たちは思いやり、謙虚さ、そしてより大きな尊厳によって統一されるのです。おそらく、私たちはまた異なる目を通して世界を見ることになるでしょう。これはたしかに、すべてのなかでもっとも真の創造的な仕事であるかもしれません。

 前代未聞の新型コロナウイルスの影響により、世界各地でライヴやパーティが中止・延期の憂き目を見るなか、少しでも人びとに楽しみを与えるため、そして、少しでもアーティストや音楽関係者たちを支援するため、さまざまな試みが為されはじめている。オンライン・フェスやライヴ・ストリーミングがその好例だ。

 たとえば、NYのミュージシャンたちによって運営される《Live From Our Living Rooms》は、視聴者からの寄付を、COVID-19 の影響にさらされたフリーランスのミュージシャン支援にあてるという。チック・コリアやベッカ・スティーヴンズ、クリスチャン・マクブライドやビル・フリゼールなどが出演、4月1日から7日まで開催される予定だ。

 おなじくNYの非営利スペースであるザ・キッチン(The Kitchen)は、ひとが集まることができなくなった現在においても、「アーティストとオーディエンスを結びつけるという私たちの取り組みに変わりはない」として、《Broadcast Week 1》なるライヴ・ストリーミング・シリーズをスタート(3月31日と4月2日に開催され、羽鳥美保とグレッグ・フォックスが出演)、視聴者たちがそれについて対話できる仕組みも設けている。

 これらはいずれもNYの例だが、スペインやポルトガル、ノルウェーなど、各地で似たような試みが動き出している。日本でもすでに CONTACT がライヴ配信企画を始動させているし、WALL&WALL で開催予定だったオオルタイチと長谷川白紙の公演も配信へと切り替えられている。
 外出と集合が困難ないま、オンラインによるアクションが暫定的な解になりつつあるようだ。

AJATE - ele-king

 いま、日本国内で一番「アツい」バンドと言ったら? と聞かれたら僕は迷いなく AJATE と答えるだろう。埼玉県の東秩父村を震源地にジャンルはお囃子からアフロビートまでもまたぐ、まさに「奇想天外」な彼らを紹介したい。
 僕が AJATE の存在を知ったのは2017年リリースの『Abrada (アブラダ)』が Bandcamp でフィーチャーされていたときだ。聴けば聴く程陶酔感が増していくリズムと音から伝わる熱量にやられてしまったのをいまでも覚えている。そんな AJATE が今年のお正月にめでたく3枚目のアルバム『ALO (アロ)』をリリース。3月にはフランスの〈180G〉からアナログも発売されたばかり。金色のバックがなんとも印象的なアートワークと共に、新しいメンバーを加え本拠地である東秩父村での制作合宿を経て完成した今作も、他のアーティストやバンドとは比較のできない圧倒的な「アジャテ感」がギッシリと詰まっている。

 「ピーチク」と呼ばれる竹で作られたギターをかき鳴らし歌うリーダーのジョンいまえだ氏が、西アフリカを訪れた際に見た村のお祭りに影響を受け始動したプロジェクトだけあって、ただの「和モノ」とは違う圧倒的な「グルーヴ」が全面に出ている。(日本っぽいと言ってしまうと語弊があるかもしれないが)何かとメロディーやソングライティングを軸に曲が展開することが多い日本の楽曲よりも、和太鼓やドラムといったリズムが軸にトラックが構成されているし、ベースやギターも「奏でる」というよりは「鳴らす/打つ」といった表現が正しいのかもしれない。そのひとつひとつの音が幾層にも重なり合い繰り返されるループがやがてグルーヴへと昇華していく。

 それぞれの楽曲で歌われている歌詞に注目すると、度々大地や山草、海や空と言ったように自然をテーマにした表現が並んでいる(気になる人は是非歌詞カードの付いているCDを手に取って欲しい!!)。例えば T2. の “GALAR (ガラール)” は大地を耕す農家の歌であったり。「皮を剥ぎ、骨を砕き割る~」と山の猟師をテーマにした T3. “SOWAH (ソワー)” といったように、大自然の中で暮らす人達のストーリーを歌っている。竹で作られたオリジナルのギターや太鼓、木琴のような打楽器をこれでもか! というくらいふんだんに取り入れ、それぞれが自由に独特なスタイルで演奏しているのも圧倒的な AJATE のオリジナリティーを後押ししている。

 このレヴューを見て少しでも気になった方は是非彼らの音楽を一度聴いてほしい。おそらく彼らの名前を全国各地、いや世界各国で見かけることもそう遠い先の話ではないと思う。すごく端的かもしれないが、彼らの楽曲を聴くと単純にとても元気になる。アナログ、CD、デジタル。どんなフォーマットでも、是非。

※ 2020年1月19日の TSUBAKI FM で AJATE の特集をしています。(AJATE の登場は30分頃から)
https://www.mixcloud.com/tsubakifm/weekly-show-19th-january/

AJATE HP: https://ajate.info

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