「Nothing」と一致するもの

Gina Birch - ele-king

 先週、アフリカ系アメリカ人の友人のひとりと、渋谷のカフェで会った。多忙な弁護士であり、60年代の日本のアンダーグラウンド文化を研究しているこの男は、最近読んだ本では谷崎潤一郎の『痴人の愛』が面白かったそうで、「ナオミの話は、アフロ・アメリカン史のメタファーとしても読めるからね」と言った。批評家グレッグ・テイトは桐野夏生の『OUT』の書評で、「日本という国はアメリカの文化ならなんでも受け入れると聞いているが、その日本でなぜフェミニズムが流行らなかったのかがよくわかった」と書いている。

 ぼくがこのアルバムについて書くうえでの問題点はまさにそこにある。間違ってもフェミニストではないし、これまでの人生でフェミニズムに反する行為をしてきたという自覚がある人間がフェミニズムの音楽について語るというのは、普通に考えて偽善者めいているし、自分でも後ろめたさを感じる。本来であればこういう音楽は、野中モモ氏や水越真紀氏のようなフェミニストが書くべきなのだろう。ただ、もしぼくに、少しでも入り込む余地があるとしたら、自分が10代のときに、ザ・レインコーツの大ファンだったということはあるかもしれない。

 ザ・レインコーツやザ・スリッツのようなバンド、もしくはデルタ5やヤング・マーブル・ジャイアンツのようなヴォーカリゼーションは、ぼくにとって〈ポスト・パンク〉という言葉から想起されるイメージの多くを占めている。彼女たちは、たとえばアニメや広告などで表象化される必要以上にエロい女の対極にいて、色気を武器にパフォーマンスするシンガーとも100万光年離れていた。まずはその佇まいが、ぼくにはものすごくクールに思えたのだ。

 なかでもザ・レインコーツは、圧倒的だった。彼女たちの音楽がもし実験的だったと言えるなら、あの歌いっぷり、あのガチャガチャした演奏は、彼女たちの人生ないしは世界に臨む思想から来ている。それを知ったのは、『ザ・レインコーツ』という本の編集を担当した、けっこう最近のことだったりするのだが、10代だった自分が感じていたのは、同時代のほかの〈ポスト・パンク〉にはない、言うなればオルタナティヴな喜びの感覚だった。男社会とは別のところで彼女たちは楽しんでいる、その感じが、男社会にどっぷりのぼくには最高にクールに思えたのだった。

 ザ・レインコーツのベーシスト、ジーナ・バーチは、「私は窓辺でベースを弾いている年老いた白人女」と、資料のなかで言っている。67歳になって初のソロ・アルバムをリリースする彼女はこう続ける。「頭を突き出して、ただでっかく叫びたいだけ。私はベースをでっかく弾く」——これだけで充分にメッセージである。

 ジーナのベースは、ダブから大きな影響を受けている。音空間の一要素として、床を這ってグルーヴを創出する。アルバム冒頭の表題曲からまさにそれで、いかにもレインコーツなダブ空間が広がっている。 “Big Mouth” や“Pussy Riot”、 “Digging Down” といった曲においても低音宇宙はストーンと発展し、アナ・ダ・シルヴァの抽象的な電子音が花を添える。その“Pussy Riot” では、「私を黙らせたいのか」と挑発し、「私たちが鎖に繋がれた人たちのために日々闘うことは義務だ」とまで言い切っている。続く、ラジオから流れるオールディーズ風のポップな曲調の、しかし“私は憤怒(I Am Rage)” という曲名の曲では、自分は「憤怒が泡立ち怒りに燃える釜」であると、柔らかくメロディアスに歌っている。

 もちろんこのアルバムには、彼女のソロ活動のはじまりを告げた曲、 あの“Feminist Song” が収録されている。

 フェミニストかと訊かれたら
 私はこう言う
 無力なんてクソくらえ
 孤独なんてクソくらえ
 女を貶める奴らはクソだと

 権力の座にいる女がいる
 しかし多くの女たちは鎖に繋がれ苦役に耐えている

 過小評価され過小評価され
 レイプされ虐待され歴史からはじかれる
 だからフェミニストかと訊かれたら
 私はこう言う
 なぜそうではないのかと
 私は都会の女
 私は戦士

 ザ・レインコーツにあった「喜び」はここにもじゅうぶんにある。が、ジーナ・バーチのソロ・アルバムには、抑えきれない怒りがそこら中にある。ダブの深度がもっとも深い“Digging Down”においても、彼女は怒っている自分を隠さない。そして、アルバムを締める “Let’s Go Crazy” のなかで彼女はより直接的に女たちに呼びかけている。「この狂った時代のために/女の仲間が欲しい/私たちの時代がもうすぐやってくる/私たちの時代がもうすぐやってくる/私たちの時代がもうすぐやってくる/私たちの時代がもうすぐやってくる……」

 あらためて、そして謙虚な気持ちで言えば、このアルバムのレヴューの書き手にぼくが相応しくないことはあきらである。が、ここは、偉大なるベル・フックスが言うように「フェミニズムはみんなのもの」ということでお許しいただきたい。確実なところとしては、いちリスナーとして、言うべき言葉をもった音楽特有の力強いものを感じるし、日本がグレッグ・テイトの言う通りなのだとしたら、音楽メディアに関わる人間としてこの作品を紹介するのは、それこそ義務なのだ。

冬にわかれて - ele-king

 シンガー・ソングライターの寺尾紗穂、ベーシストの伊賀航、ドラマーのあだち麗三郎からなる3人組、冬にわかれて。『なんにもいらない』『タンデム』と、すでに2枚のアルバムを送り出している彼らが3枚目のアルバムをリリースすることになった。アンビエント・ポップ、MPBからモンゴル民謡まで、幅広いアプローチを試みているようだ。発売は5月24日、以降全国各地でライヴも予定されている。まだときどき寒い日もあるけれど、「冬にわかれて」春を満喫したい。

もしあなたが目を凝らし、耳をすましてみれば、そこには二度と繰り返されない「生」のゆらめきがある――。寺尾紗穂、伊賀航、あだち麗三郎からなるバンド「冬にわかれて」。待望のサードアルバム『flow』が完成。

冬にわかれて 3rd album『flow』
2023.05.24 in stores
品番:KHGCD-003 CD 定価:¥3,000+税 発売元:こほろぎ舎 CD 販売元:PCI MUSIC

01. tandem ⅱ
 作曲:伊賀航
02. 水面の天使
 作詞:寺尾紗穂 作曲:伊賀航
03. 舟を漕ぐ人
 作詞:あだち麗三郎 作曲:あだち麗三郎
04. There’s flow in flower
 作曲:あだち麗三郎
05. snow snow
 作詞:寺尾紗穂 作曲:伊賀航
06. もしも海
 作詞:あだち麗三郎 作曲:あだち麗三郎
07. 昭和柔侠伝の唄
 作詞:あがた森魚 作曲:あがた森魚
08. Girolamo
 作詞:寺尾紗穂 作曲:寺尾紗穂
09.可愛い栗毛(Хөөрхөнхалиун)
 モンゴル民謡
10.朝焼け A red morning
 作詞:寺尾紗穂 作曲:寺尾紗穂

 昨年2022年にリリースしたオリジナル・アルバム『余白のメロディ』で、唯一無二のシンガー・ソングライターとしての評価を確立しますますその活動に注目が集まる、寺尾紗穂。細野晴臣を始め、数多くのミュージシャンから絶対的な信頼を置かれる稀代のベーシスト、伊賀航。そして、自身名義での幅広い創作から、片想いなど様々なバンド/プロジェクトで活動する鬼才ドラマー/音楽家、あだち麗三郎。
そんな三者による「冬にわかれて」は、これまでに『なんにもいらない』(2018年)、とセカンドアルバム『タンデム』(2020年)を発表し、個性あふれるトリオバンドとして作を追うごとにその表現を深めてきた。
本作『flow』で、彼らの挑戦的なソングライティング/アンサンブルは過去最高のレベルに達し、一つの「バンド」としてますます紐帯を強めたといえる。各メンバーが持ち寄った個性豊かな楽曲は、三者間の熱を帯びたコミュニケーションと当意即妙のレコーディングを経て、全く例をみない形に仕上げられた。
 前作アルバムの名を継ぐまろやかなインスト「tandem2」をはじめ、妖しくも軽やかな色香の漂うワルツ「水面の天使」、エレクトロニカ+アンビエントポップ的な音像に彩られた「snow snow」など、ソングライター/サウンドクリエイターとしての伊賀航は、その独自のセンスをますます深化させた。あだち麗三郎は、MPB〜ネオフィルクローレの薫りをまとった「船を漕ぐ人」、「醒」、ドライブ感溢れるプログレッシブポップ「もしも海」で、より一層自由な曲想に挑戦している。また、あがた森魚の「昭和柔侠伝の唄」、モンゴル民謡「可愛い栗毛」の斬新なカヴァーも光る。
そして、寺尾紗穂が持ち寄った2つの曲が、本作の全体に力強い生命を吹き込んでいく。時の神権政治を厳しく批判し民衆を熱狂させた15世紀フィレンツェの修道士ジロラモ・サヴォナローラにインスピレーションを得て書かれたという「Gilolamo」は、歴史と「今」をつなぎとめる彼女の鋭い社会意識が鮮烈な形で刻まれている。アルバムを締めくくる「朝焼け」は、数限りない名曲を持つ彼女のキャリアにおいても指折りの、実に感動的な曲だ。
「流れ」を意味する、タイトルの「flow」。このアルバムを聴くと、その題通り流麗でダイナミックな、流れる水に身を浸すような感覚を覚える。しかし、その「流れ」は、決してただ心地よさを誘い、去っていくものではない。静かに形を変える水面。滑るように飛びゆく鳥たち。移り去っていく季節。流れていく私達の「生」。目を凝らし、耳をすましてみれば、そこには二度とは繰り返されない彩があり、襞(ひだ)があるはずなのだ。
―柴崎祐二

[冬にわかれて プロフィール]
『楕円の夢』、『余白のメロディ』などリリース毎に作品が名盤と注目される寺尾紗穂(vo, p)と、細野晴臣や星野源、ハナレグミなどさまざまなアーティストのサポートを務めるベーシスト、伊賀航(b/lake、Old Days Tailor)、片想いやHei Tanakaの一 員でもあり、のろしレコードや東郷清丸といったアーティストのサポート、その他プロデュースやレコーディングからソロ活動までこなすマルチ・プレイヤー、あだち麗三郎(ds, sax/あだち麗三郎と美味しい水)の3人から成るバンド。2017年、7インチ・ シングル「耳をすまして」でデビュー。2018年にファースト・アルバム『なんにもいらない』をリリース。収録曲の「君の街」(伊賀航の詞曲)は、J-WAVE「TOKIO HOT 100」に3ヶ月連続でランクインした。2021年、セカンド・アルバム『タンデム』をリリース、配信において世界各地で今なお上位 にランクインが続いている。

2018年10月 1st アルバム『なんにもいらない』発表。
2021年4月 2st アルバム『タンデム』発表。
2023年5月 3rd アルバム『flow』発表。

[冬にわかれて ライブスケジュール]
5月27日 愛知 森、道、市場2023
7月4日 Billboard Live東京(寺尾紗穂/冬にわかれて)
9月3日 愛媛・今治 眞鍋造機本社ビル1F
9月24日 熊本 早川倉庫
10月8日 足柄 RingNe Festival
11月18日 栃木 OHYA BASE

Jeff Mills - ele-king

 いよいよ明日に控える Rainbow Disco Club への出演が決まっているジェフ・ミルズ。直後の5月2日(火)、特別なイベントが開催されることになった。
 ひとつは、彼自身が監督を務める映像作品「MIND POWER MIND CONTROL」(2022年、66分)の上映会。同映像作品は2022年発売のアルバム『Mind Power Mind Control』のテーマに関連したもので、パルコ8階のミニシアター、ホワイトシネクイントにて5月2日の19:00から20:06にかけ上映される(事前整列は18:30より。限定50席)。
 もうひとつは、それと連動したパルコ9階にあるSUPER DOMMUNEでの特別番組だ。上述の映画上映中はさまざまなゲストを招いたトーク番組が(yukinoiseとMars89も登壇)、上映後はミルズのインタヴュー番組が、そして最後にはミルズによるセッションが予定されている。
 ぜひとも会場に足を運びましょう。

ジェフ・ミルズ「MIND POWER MIND CONTROL」特別上映会を開催
同日、上映記念特別番組『THE INTERVIEW』をDOMMUNEにて生放送配信

GW真っ只中の5月2日(火/祭日前)にRainbow Disco Club 2023出演で来日中のジェフ・ミルズが自身が監督を勤めた「MIND POWER MIND CONTROL」特別上映会を渋谷PARCO8F WHITE CINE QUINTにて開催する。また、上映を記念したトーク&DJプログラムが上映中と上映後、同じく渋谷PARCOの9F SUPERDOMMUNEで開催する。上映中は作品内容にとどまらず様々な事象に関してそしてスペシャルゲストが語り合うトークセッション「洗脳原論2023」が行われる。上映後はジェフ・ミルズのインタビュー映像「ジェフ・ミルズ / ザ・インタビュー」を上映、最後にジェフ本人による貴重なリスニングDJ SESSIONが行われる。


Jeff Mills ジェフ・ミルズ
映像作品「MIND POWER MIND CONTROL」
(マインド・パワー、マインド・コントロール)

映像作品「Mind Power Mind Control (マインド・パワー、マインド・コントロール)」はエレクトロニックミュージック界の重鎮ジェフ・ミルズの世界を表現したコンセプチュアルな映像作品のコレクションである。2022年発売のアルバム「Mind Power Mind Control」のテーマに関連した様々なスタイルの作品から成り立っている。
ジェフ・ミルズが何十年にも渡って貫き通している音楽制作の様式のごとく、映像はあたかも夢を見ているかのようにつながっていく。あるときは色、形、テクスチャーがはっきりとしており、またあるときは断片的で捉えどころがないものだ。

コロナ禍以前、過去6年間に渡って制作された作品群はミルズの一貫した思想が象徴され、精神力による自制、自己防衛、依存、そして人間の特殊能力の可能性を作品を通じて表現しようとしている。

今回の上映は日本でのプレミア上映となり、パリ、デトロイトに次いで世界3箇所目の上映となる。

【監督からのコメント】

本作品は精神的な説得力、いかに弱みを見透かされ従順にマインド・コントロールされていくかをアートフォームとして検証していくことに焦点を当てている。そのことによって、すべての人がいかなる人生の段階においても陥る可能性があるこのテーマをクリエイティブに、より深く考えることができるようになる。いかに我々が物事を感じ取るかは革命的なサバイバルの知識の一部なのだ。誰一人として全く同じ考え方を持っている人は存在しないのだから、憶測や誤解に陥ることなく、“事実、思想、方法をありのままに伝える”ことに重きを置くのが本作品の大きな目的である。

アーティスティックにまた科学的に、本作品はマインドをコントロールする様々なテクニックを探求している。いかに人類が人々の精神、社会性、現実の捉え方をコントロールする、形而上学的かつ考えを歪めるようなテクニックを生み出していったのかを探り当てようとしているのである。

―ジェフ・ミルズ

トレイラー
https://vimeo.com/710423349

映画タイトル 「Mind Power Mind Control」
2022年作品、 66分
監督・プロデューサー・音楽:ジェフ・ミルズ
制作:Axis Records

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上映記念 DOMMUNE PROGRAM「THE INTERVIEW」
(ザ・インタビュー)

<渋谷PARCO9F:SUPER DOMMUNE>
JEFF MILLS Presents「MIND POWER MIND CONTROL」上映記念 PROGRAM「THE INTERVIEW」<配信有>

■19:00-20:30 上映中プログラム「洗脳原論2023」〜マインド・コントロールと音楽
GUEST:苫米地英人(認知科学者)出演:野田努(ele-king)、弘石雅和(U/M/A/A Inc.)、宇川直宏(DOMMUNE)& MORE!!!
■20:30-21:00 上映後プログラム「ジェフ・ミルズ / ザ・インタビュー 」
出演:Jeff Mills(AXIS|Detroit)
■21:00-22:30 【After Party】JEFF MILLS LISTENING SESSION
DJ:Jeff Mills(AXIS|Detroit)BROADJ#3177

■番組概要
「Mind Power Mind Control (マインド・パワー、マインド・コントロール)」はエレクトロニックミュージック界の重鎮ジェフ・ミルズの世界を表現したコンセプチュアルな映像作品のコレクションである。2022年発売のアルバム「Mind Power Mind Control」のテーマに関連した様々なスタイルの作品から成り立っている。ミルズが何十年にも渡って貫き通している音楽制作の様式のごとく、映像はあたかも夢を見ているかのようにつながっていく。あるときは色、形、テクスチャーがはっきりとしており、またあるときは断片的で捉えどころのない… コロナ禍以前、過去6年間に渡って制作された作品群はミルズの一貫した思想が象徴され、精神力による自制、自己防衛、依存、そして人間の特殊能力の可能性を作品を通じて表現しようとしている。
今回、パリ、デトロイトに次いで世界3箇所目の上映となる日本での待望のプレミアが、5/02(火/祭日前)渋谷PARCO8F:WHITE CINE QUINTで開催(限定100席)!そして上映を記念したトーク&DJプログラムが上映中と上映後、渋谷PARCO9F:SUPERDOMMUNEで開催(限定50席)!スペシャルゲストには、何と認知科学者で洗脳についてのオーソリティーである苫米地英人がDOMMUNE初登場! 安倍晋三元首相銃撃事件によって、旧統一教会の様々な問題が再浮上する中、21世紀の洗脳社会で戦う術を解き明かす?!マインド・コントロール防止対策や、被害者救済に向けた政府の新たな法案に対しての賛否両論が渦巻く現在、ジェフ・ミルズの試みは我々にどう響くのか?そしてマインド・コントロールと音楽の関係は?聞き手には、ジェフと深い縁のある野田努、弘石雅和、宇川直宏 他が登壇!そしてプログラム中盤は「未来から来た男」ジェフ・ミルズ本人が、作品内容にとどまらず様々な事象に関して語る!! そして後半は、After Partyとしてジェフのこれまでの人生に於いて、心のひだに入り込んだ曲や、インスピレーションを得たトラックなどを、ジェフ本人がプレイする貴重なリスニングDJ SESSION!! 映画、記念プログラム共に超濃密な一夜!!是非、劇場とスタジオへ!!!!!

チケット情報

■チケット1:
映画鑑賞のみのチケット
︎https://jeffmillsdommune.peatix.com/
■19:00-20:06 ジェフ・ミルズ Presents「マインド・パワー、マインド・コントロール 」映画上映(66 min)
<上映中のトークプログラム「洗脳原論2023」のみ、翌日05/03より1週間アーカイヴ観覧可能>
■1900円(限定50席)■事前整列|18:30 ■開場|18:45 ■上映:19:00 - 20:06(上映終了)
■渋谷PARCO8F:WHITE CINE QUINT
https://shibuya.parco.jp/shop/detail/?cd=025848
(劇場は自由席です。18:30に事前整列して頂き、入場順に自由に席に座って頂くスタイルです。)

●チケット2:
映画鑑賞+SUPER DOMMUNE入場チケット
https://jeffmillsdommune.peatix.com/
■19:00-20:06 ジェフ・ミルズ Presents「マインド・パワー、マインド・コントロール 」映画上映(66 min)
■上映+After Partyプログラムチケット3900円(限定50席)■事前整列|18:30 ■開場|18:45 ■上映:19:00 - 20:06(上映終了)
■20:06-22:30 JEFF MILLS Presents「MIND POWER MIND CONTROL」上映記念 PROGRAM「THE INTERVIEW」
■上映終了後それぞれ9Fスタジオへ イベントは22:30迄(プログラム終了)
<上映中のトークプログラム「洗脳原論2023」のみ、翌日05/03より1週間アーカイヴ観覧可能>
(劇場は自由席です。18:30に事前整列して頂き、入場順に自由に席に座って頂くスタイルです.DOMMUNEの会場も自由席です。)
■渋谷PARCO8F:WHITE CINE QUINT
https://shibuya.parco.jp/shop/detail/?cd=025848
■渋谷PARCO9F:SUPER DOMMUNE
https://shibuya.parco.jp/shop/detail/?cd=025921

・注意事項
ホワイトシネクイント及びDOMMUNEは渋谷PARCO駐車場サービスは対象外です。

<新型 コロナウイルス等感染症予防および拡散防止対策について>
発熱、咳、くしゃみ、全身痛、下痢などの症状がある場合は、必ずご来場の前に医療機関にご相談いただき、指示に従って指定の医療機関にて受診してください。
エントランスで非接触体温計にて体温を計らせて頂き37.5度以下の場合のみご入場可能になります。
感染防止の為、マスクのご着用をお願い致します。
手洗い、うがいの励行をお願いいたします。
お客様入場口に消毒用アルコールの設置を致します。十分な感染対策にご協力ください。
会場にて万が一体調が悪くなった場合、我慢なさらずに速やかにお近くのスタッフにお声がけください。
本イベントはDOMMUNEからの生配信を実施いたします。
DOMMUNE YouTubeチャンネル(http://www.youtube.com/user/dommune)、もしくはDOMMUNE公式ホームページ(https://www.dommune.com)からご覧いただけます。
生配信では、YouTubeのスーパーチャット機能による投げ銭を募っております。何卒サポートをよろしくお願いいたします。
会場の関係などにより、開演時間が前後する可能性があります。予めご了承ください。

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【ジェフ・ミルズ】プロフィール
1963年アメリカ、デトロイト市生まれ。

現在のエレクトロニック・ミュージックの原点ともいえるジャンル“デトロイト・テクノ”のパイオニア的存在。

マイアミとパリを拠点に1992年に自ら設立したレコードレーベル<Axis(アクシス)>を中心に数多くの作品を発表。またDJとして年間100回近いイベントを世界中で行っている。

ジェフ・ミルズの代表曲のひとつである「The Bells」は、アナログレコードで発表された作品にも関わらず、これまで世界で50万枚以上のセールスを記録するテクノ・ミュージックの記念碑的作品となっている。

ジェフ・ミルズは、音楽のみならず近代アートのコラボレーションも積極的に行っており、フリッツ・ラング監督「メトロポリス(Metropolis)」、「月世界の女(Woman in the Moon)」、バスター・キートン監督「キートンの恋愛三代記(The Three Ages)」などのサイレントムービー作品のために、新たにサウンドトラックを書き下ろし、リアルタイムで音楽と映像をミックスしながら上映するイベント、“シネミックス(Cinemix)”を数多く行う。

また、ポンピドーセンター「イタリアフューチャリズム100周年展」(2008年)、「Dacer Sa vie」展(2012年)、ケブランリー博物館「Disapola」(2007)年など、アートインタレーション作品の展示も行う。

数々のアート活動が高く評価され、2007年にはフランス政府より日本の文化勲章にあたる芸術文化勲章シュヴァリエ(Chevalier des Arts et des Lettres)を授与される。

ジェフ・ミルズは長年にわたりシンフォニー・オーケストラとの共演を行ってきており、その模様をDVDとして広くオーディエンスに拡散した世界初のDJでもある。2005年、フランス南部のポン・デゥ・ガールにて行われた、モンペリエ交響楽団との演奏は「ブルー・ポテンシャル」としてDVD化され。これをきっかけに世界中のオーケストラとの共演がスタート。ポルトガル、ベルギー、オーストラリア、オランダ、ポーランドなど世界中で公演を行っている。

2013年にはシルベイン・グリオット編曲による新作「ウェア・ライト・エンズ(光の終局点)」を発表し、フランス7箇所にて公演。「ウェア・ライト・エンズ」は、日本人で初めてスペースシャトルに宇宙飛行士として搭乗した、日本科学未来館館長の毛利衛氏との対話から生まれた作品で2013年4月にCD作品として発表されたものである。2016年、東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで開催されたイベント『爆クラ!presents ジェフ・ミルズ×東京フィルハーモニー交響楽団』の中でも披露され、毛利衛氏も来場し会場を沸かせた。

なお、2013年、日本科学未来館館のシンボル、地球ディスプレイ「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」を取り囲む空間オーバルブリッジで流れる音楽「インナーコスモス・サウンドトラック」はジェフ・ミルズが作曲。現在もその音楽が使用されている。(*2001年の開館時、Geo-Cosmosの公開とともに、坂本龍一氏が音楽を担当。2013年から、ジェフ・ミルズの音楽に変更)

オーケストラとの共演以外には、クロノス・クァルテット、キャサリン・スプローブ(ピアニスト)、ミハイル・ルディ(ピアニスト)、エミル・パリジアン(サックス)、トニー・アレン(ドラマー)などとコラボレーションの経歴がある。

エレクトロニック・ミュージック・シーンのパイオニアでありながら、クラシック音楽界に革新を起こす存在として世界の注目を浴びている。さらに、2017 年 6 月にはロンドン、バービカンセンターにて1週間のレジデンシーで『Planets』 クラシックコンサートのほか、シネミックスやコンテンポラリーダンスイベントなど Jeff Mills のキュレーションと参加によるパフォーマンスを開催された。
2017年にはフランス政府よりシュヴァリエよりさらに高位なオフィシエの称号を元フランス文化大臣のジャック・ ラングより授与された。
最近はエレクトロニック、クラシック以外にも、ジャズ・フュージョン、アフロ・ビートなど幅広いジャンルに手を伸ばし、コラボレーション企画やプロデュース作品など多くの作品を録音している。最新作は人間の内面性を追求した「Mind Power Mind Control」、フランス人キーボード奏者、Jean-Phi Daryとのユニット、The Paradox(ザ・パラドックス)による「ライブat モントルー・ジャズ・フェスティバル」。
コロナ禍中には、若手テクノアーチスト発掘支援のためThe Escape Velocity (エスケープ・ベロシティ)というデジタル配信レーベルを設立。既に60作品をリリースしている。

www.axisrecords.com
https://twitter.com/JeffMillsJapan
https://www.facebook.com/JeffMills
https://www.instagram.com/jeff_mills_official/

interview with Cantaro Ihara - ele-king

 イハラカンタロウの最新作『Portray』は、たとえば彼が愛するヤング・ガン・シルヴァー・フォックス『Ticket To Shangri-La』、クレア・デイヴィス『Get It Right』、あるいはボビー・オローサ『Get On the Other Side』との同時代性を有すると言えるのではないか。もちろんそれぞれの作品の音楽性は異なる。しかし、過去の豊饒なソウル・ミュージックをいかに現代的なアプローチと方法論で解釈し、新しい音楽を生み出すかという点では共通している。

 イハラカンタロウの音楽はソウル・ミュージックへの深い愛が基盤にある。愛情だけではない。飽くなき探究心が同時にある。研究熱心な彼は、自身が影響を受けてきたさまざまな広義のソウル・ミュージック──AOR、ブルー・アイド・ソウル、ニューオリンズ・ファンク、フィリー・ソウル、レアグルーヴ、シティ・ポップなどについてとても丁寧に語る。その丁寧さは、彼が繊細な感性でじっくりと積み上げて作り出した最新作のサウンドに通じている。

 イハラカンタロウの作品を聴いて、彼の語る音楽の話に耳を傾けているとソウル・ミュージックをもっともっと聴きたくなる。自身が創作した楽曲に具体的に影響を与えた音楽やリファレンスを明かしたがらないミュージシャンも多いなか、イハラカンタロウは違う。「自分が好きな音楽を人と共有したいんです。自分の音楽を聴いた人が、僕がここで語ったような音楽を聴いてくれたら嬉しい」とも言う。

 1992年生、埼玉県川越市出身のイハラカンタロウは、作詞、作曲、ヴォーカル、アレンジのみならず、複数の楽器を演奏し、ミックスやマスタリングもこなす。2020年にファースト・アルバム『C』を発表、そして、約3年ぶりにフル・アルバム『Portray』をリリースする。前作に比べてサウンドはゴージャスになり、メロウネスはより洗練され、艶のある滑らかなヴォーカルもグッと色気を増している。ウェルドン・アーヴィンの “I Love You” の日本語カヴァーや、ブレイクビーツとソウル・フィーリングを見事に融合させた “ありあまる色調” などは、ヒップホップのリスナーにも訴えるものがあるだろう。イハラカンタロウが、最新作と彼の愛する音楽について語ってくれた。

自分が好きな音楽を人と共有したいんです。自分の音楽を聴いた人が、僕がここで語ったような音楽を聴いてくれたら嬉しいですね。そういうのもあって、ウェルドン・アーヴィンの “I Love You” に日本語詞を付けたカヴァーをやりましたし、原曲も聴いてほしいです。僕は基本リスナーなんですよ。

まず、本作はファースト・アルバム『C』から比べて、サウンドがだいぶゴージャスになりましたよね。

イハラ:『C』ももちろん納得して出したんですけど、自主制作で予算の制限もありましたし、大学時代にカヴァーをやっていたようなバンドでの制作でしたから、自分が頭に思い描いているアレンジだとかをうまく表現できない面もありました。今回はレーベルのバックアップもあり、メンバーは僕がひとりひとり声をかけていったような感じです。欲をいえば、理想のサウンドからはまだ遠いですけど、ずいぶん前に進めたとは思います。

制作はどのように進めていきましたか?

イハラ:僕はシンガー・ソングライター的な作り方はしたくないんです。歌詞が決まっていて、この歌にはこういう思いがあるというのを伝えるところからははじめたくはなくて。歌も歌詞も最後の最後まで何も決まっていないこともありますね。サウンドのミックスが終わってから歌詞を書くこともあるぐらいなんです。あくまでもサウンド重視です。だから、頭のなかで曲の音が鳴っているけど、その演奏をするのに自分では力不足だというときに、その演奏に適した人に頼みますね。コード進行とリズム、ビートの感じは決めて、デモを自分で作ってメンバーに渡します。バンド・メンバーを集めてヘッド・アレンジなどはせずに、デモとリファレンスの楽曲を複数聴いてもらって、演奏してもらいました。さすがにいきなりハード・ロックの演奏をはじめたら止めますけど、ミュージシャンのひとたちを型にはめることはしないです。それでも、想定以上の演奏をしてくれましたね。みなさん、やっぱりすごいなあと。

参加されているミュージシャンの方々が、それぞれ個性的で興味深いです。たとえば、多くの楽曲でピアノ、エレクトリック・ピアノ、シンセやムーグなどを演奏されている菊池剛さんはキーパーソンではないかと。菊池剛さんはいま Bialystocks (=ビアリストックス)のメンバーとして大活躍されています。

イハラ:菊池剛さんと出会ったのは、剛さんが Bialystocks をやる前ですね。Bialystocks の音源を最初に聴いたとき「これは絶対売れるな」って感じましたし、次のキーボードを探さないといけないなと思いましたね。でも、いまも連絡は取れています(笑)。

ははは。良かったです。

イハラ:最初に観たのは大石晴子さんのライヴです。そこで鍵盤を弾いていたのが菊池剛さんでした。その後リリースされた大石さんのEP「賛美」を聴きまして。それで今回の作品を制作するにあたって弾いてほしいと思いましたね。僕が剛さんのピアノが好きなのは、頭に残るフレーズを弾くところで、楽器でそれをできる人はなかなかいないと思うんです。今回の作品でベースを弾いている菊地芳将くん(いーはとーゔ)も大石晴子さんのバックをやっていますが、彼に仲介してもらいましたね。

自分はそもそも音楽をノッて聴くより、研究、分析してしまうんです。展開やコード進行に耳が行きますね。自分の制作にどう活かせるかと分析しながら聴いてしまう。それはそれで良くないなとは思っているんですよね。もっと音楽を楽しんで聴けるようになりたいと思います(笑)。

山下達郎『僕の中の少年』が「音楽的原体験」のようなアルバムとあるインタヴューで語っていますが、どのようにして音楽をやるようになりましたか?

イハラ:中学生のころにアコースティック・ギターを触ったのが最初ですね。それは長くつづかなかったんですけど、高校に入ってバンドをやりたかったんです。ただ、受験のときに高校を調べると、軽音楽部がある高校は男子校で、共学には軽音楽部がなかった。で、僕は共学を取った(笑)。軽音楽部を自分で作ればいいやと思ったんです。でも作れずに、クラシック・ギターで吹奏楽をやるような、変わった部活に入って。いま考えれば、アレンジや音のバランスを考えるミックスをやるうえでは、そこでの経験が活きていますね。

そもそも、なぜバンドをやりたいと思いましたか? 

イハラ:なんでしょうね。アコギを弾いて歌うのが好きでしたし、そのころはグランジとかも好きでしたから。いまでもソニック・ユースとかを好きで聴きますし。ただ中学のときに邦ロックが流行っている時期があって聴いてみるけれど、僕はあまりグッとこなくて。それよりは、平井堅さんや CHEMISTRY の音楽に感じるものがありました。松尾潔さんがプロデュースしたR&Bが好きで。EXILE もそうですね。そういう音楽をやりたくて、譜面も買ったんですけど、難しすぎて何にもできませんでした。

ちょっと古い言い方をすると、ブラック・コンテンポラリーいわゆるブラコン的な音楽に反応する感性があったと。

イハラ:そうですね。ボビー・コールドウェルやボズ・スキャッグスとかのCDは家にあったし、そのあたりの音楽が土台にはあります。ただ、当時の僕の周りではEXILEはイケイケな人らの聴く音楽だったし、中高のころはDTMの存在も知らなくて、バンド以外のアウトプットの方法がわからなかった。自分の立ち位置もわからないし、バンドもできずにぜんぜん違う方向に行ってしまった、きつい10代でした。それから大学に入ってバンドでいろんなカヴァーをやるようになって、卒業してからもつづけて『C』を出して、そこから今回の『Portray』に至った感じです。

先ほどリファレンスという話が出ましたが、たとえば “つむぐように” ではどういった曲を参考にされましたか?

イハラ:これは僕のなかでは、“フリー・ソウル・アプローチ” です。僕が好きなプロデューサー、トミー・リピューマが70、80年代に作った音楽を参照しています。たとえば、マイケル・フランクスのエレピがキレイな楽曲やアル・ジャロウのセカンド『Glow』ですね。そこにソウル・ミュージックのエッセンスも入れたかった。そこで楽曲のコード進行は、ジャッキー・ウィルソンの『Beautiful Day』というアルバムに収録された曲を参考にしました。全体の音像は、ユーミンの “中央フリーウェイ” です。そこはエンジニアさんにも伝えています。ベース、ドラム、ローズを他のミュージシャンの方に演奏してもらって、コーラス、シンセ、パーカッション、ギターは僕が家で録音しました。あまり人に頼み過ぎるのもどうかな?という疑問もあり、大体の楽曲は、ベース、ドラム、ピアノ以外は自分でやっていますね。

“アーケードには今朝の秋” の「表通り いつも通り IT`S LONELY 表通り いつも通り」という歌詞からは、シュガーベイブの “いつも通り” を想起しますが。

イハラ:サウンドに関していえば、小坂忠さんの『ほうろう』のイメージですね。南部ソウル、ニューオリンズ・ファンクですね。他の曲はだいたい70、80年代の北部のソウル、たとえばフィリー・ソウルなんかを土台にしていますが、この曲だけは違う。

イナタさのあるファンク。

イハラ:そうです。でも、メンバーからは洗練されているね、キレイだねって言われました。僕からするとけっこうイナタイと思ったんですが、他のメンバーから演奏をもっともたらせたいと言われまして。ただ、僕が「ちょっとこれ以上はやめましょう」と(笑)。

イハラさんとお話していると音楽の話がたくさんできて楽しいのですが、ミュージシャンや音楽をやっている人のなかには、自身の楽曲のリファレンスを語りたがらない人が多いと思うんです。ある意味でネタばらしですからね。その点、イハラさんはそのあたりに躊躇いがないですよね。

イハラ:自分が好きな音楽を人と共有したいんです。自分の音楽を聴いた人が、僕がここで語ったような音楽を聴いてくれたら嬉しいですね。そういうのもあって、ウェルドン・アーヴィンの “I Love You” に日本語詞を付けたカヴァーをやりましたし、原曲も聴いてほしいです。僕は基本リスナーなんですよ。

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ことさらにシティ・ポップとか意識しなくても、そういうブラック・ミュージックの要素が入ったJポップを僕らも何気なく聴いてきたし、僕らの世代にもそういうエッセンスは自然と入っているんだと思いますね。

DJもされていますよね。

イハラ:DJと呼べるかわからないですが、音楽は大好きでCDとレコードはたくさん買っているので、それをでかい音で聴けるのが楽しいですね。ジャケットを撮影させてもらった〈渋谷花魁〉という場所にもDJブースがあって、そこでもやらせていただいたことがあります。

新宿の〈Bridge〉でDJしたときの選曲をプレイリストにしていましたね。1曲目がデニース・ウィリアムス “Free” でした。あの順番でかけたんですか?

イハラ:そうです。あのデニース・ウィリアムスの曲を真似したのが、今回のアルバムの1曲目の “Overture” ですね。それと、デレゲイションの “Oh honey” の最初のエレピがキラキラしているのが好きで、剛さんに「弾いて!」って頼みました(笑)。

レコードを好きで買っていると話をされましたが、無人島企画で選んでいる作品をサブスクで聴こうとしたらほとんどなくて。

イハラ:レコード屋さんの企画なので、ぜんぶレコードしかないものを選びました。買いに行ってもらえるように。ここでサブスクを出すものかと(笑)。

素晴らしい。イハラさんの主な養分は70、80年代の音楽だと思うのですが、そうした時代の音楽を現代的にアップデートしているものも聴いていますよね。

イハラ:そうですね。いまパッと浮かぶミュージシャンだと、ベニー・シングスが好きですね。

ああ、なるほど。ところで、ヒップホップは聴かれてこなかったですか?

イハラ:大きい声で言えないんですけど、あまり聴いてこなかったんです……(笑)。

いや、それはその人の好みなので大丈夫だと思います(笑)。

イハラ:自分はやっぱりメロディ、伴奏と旋律が欲しくなるんですよ。ヒップホップでカッコいいと思う曲はもちろんありますけど、いまだにガッツリのめり込んだことがないですね。これからあるかもしれないので、それは楽しみです。

ループ・ミュージックのグルーヴにハマれない感じがあるということですかね?

イハラ:自分はそもそも音楽をノッて聴くより、研究、分析してしまうんです。展開やコード進行に耳が行きますね。自分の制作にどう活かせるかと分析しながら聴いてしまう。それはそれで良くないなとは思っているんですよね。もっと音楽を楽しんで聴けるようになりたいと思います(笑)。

ははは。たとえば、シティ・ポップという括り方があります。さすがにここでシティ・ポップの歴史的背景や定義を深く議論することまではできませんが、イハラさんの音楽にそういう文脈で出会って聴く人もいるかと思います。それについてはどう思いますか?

イハラ:それはリスナーの方の自由ですよね。ただ、僕が個人的にシティ・ポップと考えるのは、たとえばアヴェレイジ・ホワイト・バンドのようなAORやブルー・アイド・ソウルを参考にして作られた日本の音楽です。

良い音楽が残せるのであれば、自分が歌わなくてもいいんです。サウンドありきなんで、良い音が残れば自分はいなくてもいいと思うぐらいです。

なぜ僕がシティ・ポップという話を出したかと言うと、今回参加されているミュージシャンの方々や、みなさんがそれぞれやっているバンドでうっすらと共有されているものがあるとすれば、シティ・ポップ・ブーム以降の感覚なのかもしれないとぼんやりと思ったからです。

イハラ:この前、麻布十番にある〈歌京〉というJポップがかかるダイニング・バーに行ったんです。そこで槇原敬之さんとかが流れていて、あらためてむちゃくちゃいいなと感じたんです。

たとえば、槇原敬之の “彼女の恋人” とかめちゃグルーヴィーですよね。ニュー・ジャック・スウィングとして聴けますよね。

イハラ:だから、ことさらにシティ・ポップとか意識しなくても、そういうブラック・ミュージックの要素が入ったJポップを僕らも何気なく聴いてきたし、僕らの世代にもそういうエッセンスは自然と入っているんだと思いますね。

それこそ前作の『C』でのイハラさんのヴォーカルを、ライターの峯大貴さんが、「シャウトせずとも突き抜けるようなソウル・フィーリンと力強さには、山崎まさよしや浜崎貴司(FLYING KIDS)を思わせる」(https://antenna-mag.com/post-40616/)と評されています。

イハラ:それこそ〈歌京〉で FLYING KIDS も流れていました。良い曲でしたね。それは懐かしいとは違うんです。良い曲は良い曲なんです。

この話の流れでいうと、いちばん最後の “Sway Me” は、山下達郎のどの曲だったか正確に思い出せなかったのですが、たとえば “蒼茫” を彷彿とさせるというか。

イハラ:ははははは。じつはこの曲はぜんぜん違うリファレンスなんですけど、コードを並べてみると、山下達郎さんの “YOUR EYES” にめちゃ似ていたんですよ。

ああ、そっちですね。その “Sway Me” や “ありあまる色調” はすべてひとりで作っていますね。

イハラ: “ありあまる色調” は自分のなかでは、実験的な曲です。全体に70年代後半、80年代初期の音像になっていますが、この曲は違う。こういう新しいアプローチをもっとできるようになって楽曲がまとめられたらいいなとは思います。ただ、ライヴで実現不可能な曲を作ってしまうことも多いんですが、ライヴができようができまいが、音として残ってしまうものに関しては妥協できないんです。だから、バンドは羨ましいですけど、僕はバンドができないと思います。バンドになると、みんなが対等になって自分がイニシアチヴを握れなくなってしまいますから。今回も、参加してもらったメンバーには言うことをきいてもらっていますので。

理想のサウンドが作れるのであれば、ひとりで制作するのでかまわないという考えもありますか?

イハラ:そうですね。ただ、自分でできるようになったら、永遠に終わらないかもしれなくて怖いですね。自分の作った音楽を毎日聴いていると麻痺するので、3日ぐらい空けて聴いて、クソ過ぎて全部消すというのもありますから。ただ、良い音楽が残せるのであれば、自分が歌わなくてもいいんです。サウンドありきなんで、良い音が残れば自分はいなくてもいいと思うぐらいです。

素晴らしいシンガーがいれば、プロデュースに徹したい?

イハラ:そういうことですね。今回のアルバムは『Portray』というタイトルですし、僕がぜんぶ歌っていますが、歌わずに裏方に回ってもぜんぜん良いんです。ただ、歌にこだわりがないということじゃありませんよ(笑)。ちゃんと歌って、ミックスもしていますから。自分の音楽を思想表現には使いたくないという考えがあります。だから、大好きなミュージシャンやプロデューサーはいますけど、その人の人生や生き方にはまったく興味が持てなくて。それでも強いていうならば、細野晴臣さんの生き方は羨ましいなと思います。

どういうところがですか?

イハラ:流行をつねに意識しつつ音楽を作っても、細野さんの音楽になって、しかもそれがリスナーにめちゃめちゃ受け入れられているところです。作曲提供をしても、細野さんの曲であることがわかるのがすごいですね。メロディの付け方が個性的なんです、プロデュースや映画音楽の仕事もされるし、彼自身のソロを聴きたいと思うファンもいてシンガー・ソングライター的にライヴもできる。もちろんご本人は苦労も葛藤もあるはずですが、すごく楽しい音楽人生なんだろうなと。むちゃくちゃ憧れているというより、羨ましいなという感じです。それはメディアを通して知っているだけなので、ご本人がどういう生活をされているかはわからないのですが。

やはりプロデューサーの仕事にも興味がある?

イハラ:それができるようになれば、自分の声を聴かなくていいし(笑)。

創造の生命体 - ele-king

 KLEPTOMANIAC(クレプトマニアック、以下KPTM)というアーティストをご存知だろうか?
 2000年代に、前衛ヒップホップ集団兼レーベル〈BLACK SMOKER RECORDS〉の主要アーティストの一人として、ペイティング、ビートメイキング、グラフィック・デザインなどを手がけ、ヴィジュアル・アートと音楽の表現者として、精力的な活動を行っていた。また、2006年の時点でその類い稀な求心力とDIY精神を発揮して女性アーティスト集団〈WAG.〉を立ち上げ、男の方が多いクラブ・ミュージック/ストリート・カルチャーのシーンでコンピレーション『LA NINA』を制作、画集を出版、音楽イベントや展覧会を主催するなどして奮闘していた。
 では、ベンゾジアゼピン(以下BZD)という薬のことはご存知だろうか?
向精神薬の一種で、一般に広く処方されている抗不安薬、鎮静剤、睡眠薬に含まれている。日本では約700万人が服用しているという2018年のデータもある。現在も非常に多くの人びとがこの薬の処方を受けて服用し続けている一方で、近年になってその副作用や依存性の高さ、急な減薬や断薬によって引き起こされる離脱症状が、深刻な薬害問題として世界的に注目を集め始めている。昨年の11月に、Netflixで『テイク・ユア・ピル:トランキライザーに潜む闇』という、この問題に踏み込んだドキュメンタリーが公開された。
 これから開始するこの連載は、KPTMとBZDとアートのはなしだ。KPTMという一人の人間、アーティストの、深く、奇妙で恐ろしい、薬との壮絶な闘い、そしてアートを通して自分を取り戻した体験を記録する試みである。



『365+1 DAYS GNOMON』より:2021年6月19日の絵日記

闇に光を当てたい

 筆者は、元気いっぱいに東京でずっと活動していた頃のKPTMを知っている。当時も交流があったし、2009年に私がベルリンに引っ越すことに決めてから、彼女が〈WAG.〉メンバーと東高円寺〈Grassroots〉でレギュラー開催していた「WAG. in G」というイベントに私の送別会を兼ねてゲストDJとして呼んでくれた。芯の通った、カッコいい、まさに「ドープ」という形容詞が相応しい女性アーティストだった。その時のKPTMの姿が、私の知っているKPTMだったし、私の中の彼女のイメージはその時からずっと更新されないまま長い月日が経った。
 私が東京を離れてから数年後、KPTMも東京を離れて地元の広島に戻ったこと、体調が悪いということ、その理由が不明であることは伝え聞いていた。私が最近になって知ったのは、まだ長期服用による依存性の恐ろしさが周知されていない2000年代後半から、KPTMはBZDを服用していたということ、そしてその体調不良というのはこの薬からの離脱症状だったということだ。
 2010年代になってから原因不明の体調不要に悩まされ続けた彼女は、遂にはアーティスト活動が続けられない状態となっていた。その後、約9年間という気の遠くなるような年月にわたって人知れず減・断薬に挑み、筆舌に尽くしがたい離脱症状と闘いながら絵や音楽と向き合い、遂には完全な断薬に成功していたのだった。
 その彼女がリハビリのために描き溜めた絵日記を、〈BLACK SMOKER RECORDS〉が自主制作本『365+1 DAYS GNOMON』として出版した。2022年12月の〈BLACK GALLERY〉という毎年恒例の展覧会で、365+1枚すべての絵を展示するから、KPTMとトークをして欲しいという連絡が(レーベル・マネージャーの)JUBE君からきた時、私はまだその意味を全く理解していなかった。10年以上ぶりにKPTMと話せるなら、と、とりあえずその依頼は受けることにした。

 私は私で、ここ数年、特にパンデミック中に致命的に悪化した、わりと深刻な腰椎椎間板ヘルニアによる強烈な坐骨神経痛に悩まされ、それまで丈夫だった自分の、初めての「ヘルス・クライシス」を経験していた。一度手術を受けるも再発するなどして、自分の体が全く思い通りにならず、座る、仰向けに寝る、といった当たり前の動きや体勢ですらままならなくなり、震えるような激痛の中で正気を保つのに苦労したり、リハビリ施設に3週間入院したり、再発後は自力で克服する方法を模索しながらあらゆる治療法を試してみたりしていた。もしも私自身がこのような体験をしていなかったら、KPTMの話にもそこまで共感できなかったかもしれない。でも、2022年12月10日にZoom越しに聞いたKPTMの体験談に、私は衝撃を受けると共に、彼女の生命力と強い想いに、とても心を動かされた。

 その彼女の想いとは、「闇に光を当てたい」というものだった。

魂の声を聞こえなくする薬

 彼女自身が、自分の不調がBZDによって引き起こされていると確信するまでに長い時間がかかったように、この薬の長期服用、乱用による副作用についての情報がまだ決定的に不足しており、患者本人や担当医でも分からないことが多い。実際は薬の離脱症状に苦しめられていながら、情報が限られているためにどうすればいいのかわからない人、自覚がないまま間違った診断や治療や投薬をしている人、周囲の理解や協力が得られない人、酷いケースでは自死に至る人の数は潜在的にかなりの数に登ると推測される。

 特にKPTMが懸念しているのは、彼女が身を置いてきたヒップホップやスケートボードといったストリート・カルチャーに携わる人たちの間でも、入手しやすいベンゾジアゼピン系の薬をレクリエーション目的で使用する遊びが流行っていることだ。また、ストレスや不安、不眠といった症状を訴える人は増加する一方で、非常に広範囲に処方もされているのに対し、極めて身体的依存性が高いこと、また断薬が非常に困難であることは周知されていない。KPTMは、離脱症状サバイバーの一人として、アーティストとして、自らの体験を知ってもらうことで同じような思いをする人が一人でも減って欲しいと、リハビリ絵日記『365+1 DAYS GNOMON』を発表するに至ったのだった。これは、表現者としての彼女が抱いた使命感だとも言える。
 「BZDは魂の声を聞こえなくする薬」だと、KPTMは言う。アートと音楽を、”魂の声”を表現する手段として携わってきた彼女から、BZDは生命力、生きる意思、自己を表現する術、そのすべてを奪い去ろうとした。
 思えばKPTMは、爆発的な生命力と創造意欲を持った人だった。「生命力は、ありまくりだったと思います。バックパックでインドを旅したりとか、あらゆるところに精力的に出向いていって、何でも自分からやるみたいなタイプでしたね。フリーダムが好きな人間。昔から “魂の憤り”を感じていて(笑)。学校に対してだとか、親に対してだとか。『え? なんでダメなの?』って合点がいかないことが社会に対して多すぎて。魂の自由を奪うものに対して、ずっと中指立てて生きてきた、って感じですね(笑)。だから、 “閉塞感”というものが嫌いなのに、BZDのせいで何年も牢獄に閉じ込められていたようでした。ほんの短い距離ですら移動することもできなかったので」
 “魂の憤り”を、絵を描いたり音楽を作ることのエネルギーに変換してきたのが、KPTMというアーティストであり、彼女の多くの活動の原動力となっていた。「 “男社会”に対してもそうで。もう普通に、(男性の)人数が多いだけじゃん、としか思えなかった。私には。男が牛耳って、男が偉そうにしているけど、『それは(シーンにいる)女の人数が少ないだけで、女にできないわけじゃないからね! 女の人数が増えれば、全然女だけでもやれるし!』という思いがずっとありました。なんか、男社会に入らせてください、みたいな態度がすごく気持ち悪い。自立しておきたいだけなんですよ。それぞれの個性のまま、堂々と生きられるようにしたい。今はその頃と比べると女性も活動しやすくなったけど、WAG.はそういう気持ちで始めました。結局まだお金も産み出せてないし、まだやり切れていないんですけど。」


LA NINA (PV)

頑張るのを止めたら、それ以外は闇

 そんな彼女が、一時は「自我の99%をなくす」状態になり、自分は何者なのか、絵を描くどころか色鉛筆で色を塗る方法や、水道の蛇口の捻り方すら分からなくなったという。今こうして、かつてのように笑い合いながら会話ができていることが奇跡のように思えるし、画面越しの彼女の姿は驚くほど変わっていないように見えた。しかし、外観からはすっかり良くなったように見えていても、完全に断薬して以降も離脱症状は続いており、それが完全に消える日が来るのかどうか、またそれまでにどれほどの月日を要するのかは、誰にもわからない。彼女の戦いは終わっていないし、終わりは見えていないのだ。
 いまも強烈な神経痛や痙攣は止まらない。「『365+1 DAYS GNOMON』が出てからは、起きた瞬間に痛みは襲ってきますが、『おっしゃーこれをパワーに変えてやるぞ!』って、痛みを前進するエネルギーに変えるんだ、って自分に言い聞かせてます。どうせ、痛いから。マジでどこ行ってもどうせ痛いんですよ。こうしたらマシになる、っていうのがない。四六時中なんです。人に言葉で伝えても理解してもらえないので、1分間くらいいろんな人に体験してみて欲しいですよ。ホントにこの(体の)中マジでヤバいから!って(笑)。自分では、ムカデが体の中をニョロニョロしているような感覚があるんですけど、本当に伝わらなくて。外には見えないんですよね……私はこんなんなのに! ずっと人と会えない時期があって、会えるようになったら外からはけっこう普通に見えているってことに逆にビックリしましたね。中では妖怪級のものすごいことが起こってるんですけど!」


『365+1 DAYS GNOMON』より:2021年6月7日の絵日記

 それでも、KPTMは戻ってきた。絵を描き、本を出し、展示をやり、ミックスCDを出し、イベントをやってDJをするところまで来た。長〜い道のりを経て、地獄を越えて、出口のなかった創造力をアウトプットし、生命力をスパークし始めた。
 「痛いのは神経。特に古傷のところがギューッと痛むんですけど、どうせ痛みがあるなら、あるなりにやるしかないと思って。何かに集中できている時は、その間少しだけ痛みを忘れられることがありますけど、今も神経がめっちゃ震えてるんですよ。フッと力抜いたら全身震える。パーキンソン病の人の症状に近いかな。震えるの見られるのは恥ずいから、人前ではそれを頑張って抑えているんです。アゴがガクガクガクガクって震えるんですよ。今も中では大振動を感じてます。気を抜いたらアゴが震えるので、歯医者の治療ができないんですよ。本当は治療したいところいっぱいあるけど。美容院も震えちゃうから行けないし。だから髪は自分でチョキチョキ切ってます」
 人前では震えないよう抑えることをもう何年もやってきているので、それが「ノーマル」になっているという。交感神経が暴れ、眠れない期間が長かった。最近は眠ることができるようになったことがハッピーなのだと語った。眠ることができるようになってやっと、活動を再開する気力が養われたようだ。頑張り続けることはは辛くないのかという私の質問に、彼女はこう答えた。「うーん……頑張るのを止めたら、それ以外は闇なんで。そっちの方向に引っ張られるよりは、頑張っていたい。それで何年も頑張り続けてます。根性で(笑)」
 このような強さを、同じ境遇に置かれた人のうちの何人が持っているのか、持てるのだろうかと、思いを巡らさずにはいられない。私などは1年半ほど坐骨神経の痛みと痙攣に悩まされただけで、すべてを投げ出したい気持ちになっていたものだ。
 「離脱症状って逃げ場がないんですよ。自分が違う何かに乗っ取られるような感覚なんです。死以外だったら、闇を進んでいくしか道がない。内臓に詰まっている変な感覚、そこを開いていくしか道がないような状態になった。何かに乗っ取られた状態の自分の体を自分に取り戻すには、そこに意識を持っていって、『ここは自分だ!』っていう風に、一個一個、ちょっとずつ入っていって意識を戻すようなことをしていかないといけない……こう言っても、ちょっと意味が分からないとは思うんですけど……」
 次元は違うものの、私は自分の経験からこの発言には共感できる部分があった。使い古された言い方だが、体の不調や痛みは、「体のサイン」、「体からのメッセージ」なのだ。何かがおかしいということを、体が伝えようとしてくれている。現代社会では、ほとんどの人が意識の中では自分で自分の体を使えているつもりでいるが、体が何か伝えようとしていることに自分で気づけていないことが多い。そのサインがよほど無視できないほど強烈になるまで。


『365+1 DAYS GNOMON』より:2021年6月24日の絵日記

生命体に戻ろう

「離脱症状は、痛みとか震えとか炎症というかたちで、体からのメッセージを全部教えてくれるという感じですね。いっぱい薬を抜いたら、その分いっぱい教えてくれるから……先ほどの話に戻すと、普通だったら見たくない、自分の痛いところや辛いところを直視するしか生きる道がなくなるんです。死なないんだったら。それで、直視を始めたら、中にあったのは自分が小さい頃の母親とのトラウマだったり、古傷に意識を持っていったら、その時に受けた心の傷というかその時の感情のようなものをもう一度味わう感覚?傷の中には記憶も残されているのかなと。ちょっとオカルトっぽい話に聞こえるかもしれないですけど。古傷の中の癒しきれていない感情、ないことにしていたものを感じることによって、ちょっとずつ傷も治っていくんですよ」
 確かに、深刻な健康問題を経験する前の自分だったら、これはやや「スピッた」話に聞こえたかもしれない。しかし、今は大きく頷ける。自分の体を知ることはある意味、自然の神秘、真理に近づくことなのかもしれないと思うようになった。
 「『これは天罰なのか?』と思いましたからね……世の中、絶対的な悪とか善だって言えることって少ないと思うんですけど、一番罪なことって、人の魂の声を聞こえなくすることかもしれないと離脱症状を経験して感じだんです。生命体として、一番良くないのは薬で神経——“神経”と書いて神様の経路ですからね、それを傷つけたり、それをないことにして人間は外側だけで生きていると思うことが一番罪だったんだって。もうちょっとオカルトに足を踏み入れるような領域のヤバさなんですよね。BZDの離脱症状って」
 少し話を広げると、さまざまな疾患を画一的、短絡的、効率的に対処しようとする現代社会の傾向が、もしかするとBZDという薬の存在や、その他の対処療法的な医療に表れているのかもしれない。そもそも、これだけ複雑で謎が多い人間の体や精神の不具合を、そんな簡単に「治せる」と思う方が間違っているのではないか。それで”治った”ことにしてはいけないのではないか。
 「私が行き着いた結論は、『みんな、生命体に戻ろう』ってことです。葛藤を乗り越えることが生命体を進化させる。たまには逃避することも大事だけど、葛藤は向き合って乗り越えていくものだよ、って。乗り越えたら強くなるから!」
 KPTMは、今も様々な障害を乗り越え続けてる。強靭な(自称)狂人。ネクスト・レヴェルに到達したKPTMのようにみんながなれるわけではないが、彼女の経験からは、多くの人々が忘れてしまった、あるいは無視することに慣れてしまった生命体としての人間の肉体や精神からのメッセージが詰まっているように思う。
 KPTMとこれまで何度か話す中で最も衝撃的だった発言のひとつは、「ベンゾの離脱症状は、ものすごい勢いで “死 ” に引っ張られる。もし自分を簡単に殺す手段があったら、殺していたと思う」と言っていたことだ。これほど生命力と創造力に溢れ、周囲にもそれを伝播させるような存在だったKPTMをそこまでの状態に追い込んだもの、そこから”生きる”意欲を再び取り戻した過程について、これからインタビューを重ねながら探っていく。

KPTMが現在拠点としている広島で、『365+1 DAYS GNOMON』の展示が行われる。会場に足を運べる方はぜひ。

KLEPTOMANIAC
[365+1DAYS GNOMON]
EXHIBITION

2023
4/28fri. 4/29sat. 4/30sun.
5/05fri. 5/06sat.5/07sun.

15:00-20:00

at.dimlight

SUNDAY AFTERNOON PARTY
17:00-20:00

4/30 sun. DJ /satoshi,kenjimen,macchan
5/07sun.DJ /halavic,satoshi itoi,ka ho

広島市中区銀山町13-12 3F

Cornelius - ele-king

 『Mellow Waves』から早くも6年。編集盤の『Ripple Waves』から数えても5年だ。さまざまな出来事を経験した私たちは2023年、あらためてコーネリアスと出会い直すことになる。通算7枚目のオリジナル・アルバムは『夢中夢 -Dream In Dream-』と題されている。夢の中の、夢。はたしてそこではどのような音楽が紡がれているのか──。先行して12インチで出た “変わる消える” や7インチで出た “火花”、METAFIVE の楽曲として発表された “環境と心理” のセルフカヴァーも収録される。新作の発売は6月28日。

Cornelius オリジナルアルバム「夢中夢 -Dream In Dream-」発売!

コーネリアスが、6月28日にオリジナルアルバム「夢中夢 -Dream In Dream-」(漢字読み:むちゅうむ)を発売する。
今作はコーネリアスにとって7作目のオリジナル・アルバムで、前作「Mellow Waves」以来、丸6年ぶりのリリースとなる。

アルバムには、2月22日にアナログ12インチ・シングルに収録した「変わる消える」、5月17日にアナログ7インチ・シングル収録の「火花」や、METAFIVEの楽曲として発表した「環境と心理」のセルフカバー・ヴァージョンなどが収録される予定。発表に合わせ、新たなアーティスト写真も公開された。

[Cornelius 「夢中夢 -Dream In Dream-」]

収録曲

変わる消える
火花
環境と心理

他全10曲収録予定。

品番・価格
発売日:6月28日発売
品番:WPCL-13489
形態:CD
価格:¥3,000(税抜)/ ¥3,300(税込)
https://Cornelius.lnk.to/dreamindream

[Cornelius 「火花」]
収録曲
Side A
火花

Side B
QUANTUM GHOSTS
   Lyrics & Music by Keigo Oyamada

品番・価格
発売日 : 5月17日発売
品番 : WPKL-10008
価格:¥1,900(税抜)/ ¥2,090(税込)
アナログ7インチ・シングル
https://cornelius.lnk.to/hibana

先着購入特典:
以下の対象CDショップでお買い上げの方に先着で、特典をプレゼントいたします。在庫がなくなり次第終了となりますので、お早めにご予約・ご購入ください!

Amazon:メガジャケ
セブンネットショッピング:オリジナルステッカー

[PROFILE]
Cornelius(コーネリアス)
小山田圭吾のソロプロジェクト。
'93年、Corneliusとして活動をスタート。現在まで6枚のオリジナルアルバムをリリース。
自身の活動以外にも、国内外多数のアーティストとのコラボレーションやREMIX、インスタレーションやプロデュースなど幅広く活動中。


Kukangendai - ele-king

 独自の尖った路線をひた走るエクスペリメンタル・ロック・バンド、空間現代が新作をリリースする。近年は『Soundtracks for CHITEN』や12インチ『Tentai』、カセット『After』に、グラフィック・デザイナー=三重野龍とのコラボなど、変わらず精力的に活動している彼らだが、オリジナル・アルバムとしてはスティーヴン・オマリーの〈Ideologic Organ〉から送り出された『Palm』以来、4年振りの作品となる。題して『Tracks』、CD盤は5月31日発売、デジタル版は本日4月26日より配信がスタート。ちなみにエンジニアはDUB SQUADROVOの益子樹で、空間現代の拠点・京都「外」にてレコーディングされている。
 また、同新作の発表に合わせ、東京では6月20日にレコ発ライヴが催されるほか、5月と7月には京都で3本のリリパが予定されている。詳しくは下記を。

ARTIST:空間現代
TITLE::『Tracks』
LABEL::Leftbrain / HEADZ
CAT.NO.:LEFT 2 / HEADZ 257
FORMAT:CD / digital
BARCODE:4582561399138
発売日:CD 5月31日(水) / digital 4月26日(水)
流通:ブリッジ
定価(CD):2,200円+税(定価:2,420円)

1. Burst Policy
2. Look at Right Hand
3. Beacons
4. Fever was Good
5. The Taste of Reality
6. Hatsuentou

◎ CD盤には佐々木敦と角田俊也によるライナーノーツを日本語・英語で収録

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2023年6月20日(火)at 渋谷WWW
【空間現代『Tracks』release live】

LIVE:空間現代
DJ:UNKNOWNMIXER(佐々木敦)

開場:19:30/開演:20:00
予約:3,500円+1D/学割予約:2500円+1D

予約フォーム:
https://forms.gle/e2ERaL1tot6PWP859

WWW
〒150-0042
東京都渋谷区宇田川町13-17 ライズビル地下
TEL: 03-5458-7685

《Kukangendai “Tracks” Release Party》京都編

① 5月13日(土)京都・外

Kuknacke
NEW MANUKE
MARK
空間現代

開場 17:30 開演 18:00
予約 2,500円 当日 3,000円
*学生証提示で予約・当日ともに2,000円

② 5月20日(土)京都・外

空間現代

開場 19:00 開演 19:30

③ 7月1日(土)京都・外

contact Gonzo
D.J.Fulltono
空間現代

開場 18:00 開演 18:30
予約 2,500円 当日 3,000円
*学生証提示で予約・当日ともに2,000円

●予約・詳細:http://soto-kyoto.jp/event/230513/

R.I.P. Ahmad Jamal - ele-king

 ジャズ・ピアニストのアーマッド・ジャマルが2023年4月16日、前立腺癌のために92歳で死去した。1930年にピッツバーグで生まれたジャマルの本名はフレデリック・ラッセル・ジョーンズだが、ブラック・ムスリムの影響を受けて22歳の頃にイスラム教に改宗し、アーマッド・ジャマルの名に変えた。
 7歳の頃からピアノのレッスンをはじめ、高校で本格的に音楽の勉強をおこない、卒業後はシカゴに移り、自身のピアノ・トリオを組んでホテルなどで演奏活動をおこなっている。シカゴの〈アーゴ〉や〈カデット〉に多くのアルバムを残しているが、代表作と言えば1958年の『バット・ナット・フォー・ミー』や翌59年の『ポートフォリオ・オブ・アーマッド・ジャマル』で、特に “ポインシアーナ” を含む『バット・ナット・フォー・ミー』のセールスによって、彼は商業的な成功も収めている。
 しかしながら、ジャズ評論においては高い評価を得ることはなく、これらはいわゆるカクテル・ピアノという、ホテルのラウンジなどで演奏されるイージー・リスニング的な扱いだった。そうしたこともあってか、正直なところアーマッド・ジャマルはビッグ・ネームというほどのミュージシャンではないし、玄人好みの渋いミュージシャンか、または技巧に優れた名ピアニストというわけでもなく、芸術的にはあまり見るところのない、一段ランクの低いミュージシャンという見方が大半だった。大体のところ、1990年代半ばごろまでのジャマルのイメージと言えばそんなところだったろう。

 そうしたジャマルの評価を一変させたのは、1990年代半ばより数多くのヒップホップのアーティストによってサンプリングされたことによるところが大きい。それらのネタ探しを通じて若いリスナー、特にそれまでジャズを聴いたことのないようなリスナーがジャマルの作品に触れ、彼の再評価の機運が高まったと言える。ナズコモンなどがジャマルの曲を取り上げているが、その中でも1970年リリースの『ジ・アウェイクニング』が有名で、表題曲はじめ “ドルフィン・ダンス”、“アイ・ラヴ・ミュージック”、“ユア・マイ・エヴリシング” と、アルバム丸ごと一枚がサンプリングの宝庫となっている。
 なぜジャマルの曲が多くサンプリングされるのかということに関して、ジャマルは「間(スペース)のピアニスト」と言われることが多く、それが関係していたのではないだろうか。「間のピアニスト」というのは、音の鳴っていない瞬間も楽曲の一部として機能させるということで、ジャマルは音数が少なく、ピアノが鳴っていないそうした間でさえ音楽的なものとしてしまうことに長けていた。そうした間の取り方はリズム感や一種のグルーヴにも関係し、また独特のリリシズムを生み出す。ヒップホップ・アーティストがサンプリングする場合、基本的にはビートをサンプリングすることが多いのだが、90年代半ば頃からは上ものと呼ばれる楽器のフレーズや全体の空間作りにもサンプリングが用いられることが増え、そうした音響空間の構築においてジャマルのような間のある音楽はとても参考になるのである。

 そして、サンプリングから発展して、ジャマルの演奏そのものにも影響を受けるアーティストも出てくる。『ジ・アウェイクニング』は〈インパルス〉からのリリースだが、〈インパルス〉時代のジャマルはアコースティック・ピアノだけでなくエレピも演奏していて、マッドリブなどはそのエレピ演奏にも大きく影響を受けている。
 マイルス・デイヴィスがジャマルについて高く評価していたことも逸話として有名だ。マイルスは自伝において姉からジャマルを薦められて聴くようにったそうで、「リズム感、スペースのコンセプト、タッチの軽さ、控えめな表現などに感銘を受けた」と述べている。ジャマルとマイルスは1950年代半ばより親交を深めるようになり、マイルスはジャマルを自分のバンドに誘ったこともある。残念ながら実現しなかったのだが、マイルスは仕方なく、当時のバンド・メンバーだったレッド・ガーランドに「ジャマルのようにピアノを弾いてくれ」と言っていたそうだ。そして、日本においては上原ひろみがジャマルのプロデュースによってファースト・アルバムを発表したことが、ジャマルの名前を広めることに一役買った。

 私個人としては、ジャマルのアルバムの中でもっとも好きな作品を選ぶなら、1963年の『マカヌード』を挙げる。オーケストラ物でリチャード・エヴァンスがアレンジや指揮をおこない、ドミニカ、コロンビア、パナマ、ハイチ、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなど中南米音楽の理解と咀嚼を見事に施して、重厚な表現においても素晴らしいところを見せている。ラテン系の作品ながら、軽いタッチのカクテル・ピアノとは一線を画するものだ。ここに収録された“ボゴタ”は、モントルー・ジャズ・フェスでのライヴ録音となる1972年の『アウタータイム・インナースペース』でも再演していて、エレピを交えた17分にも及ぶ情熱的な演奏を繰り広げている。それぞれ同じ曲ながら全く異なる演奏で、ジャマルが実に幅広い音楽性を持っていたことがわかる。
 ラテン音楽との相性が良かったジャマルは、1974年に『ジャマルカ』というアルバムも発表している。こちらはジャズ・ファンクからレゲエなどまでミックスしたもので、やはりリチャード・エヴァンスとタッグを組んでいる。同じエヴァンスとの作品では、1968年の『ザ・ブライト,ザ・ブルー・アンド・ザ・ビューティフル』、1973年の『アーマッド・ジャマル・73』、1980年の『ジェネティック・ウォーク』などもあり、60年代から80年代にかけての長い間ジャマルとエヴァンスは良きパートナーだった。エヴァンスは様々なタイプの作品に携わるプロデューサーで、これらジャマルの作品でもゴスペル、ロック、ポップス、ソウル、ファンク、ラテンなどとジャズの融合を試みている。ジャマルはこうした様々な音楽性を取り入れ、自身の演奏や表現に順応させていく力を持つピアニストであったのだ。

R.I.P. Mark Stewart - ele-king

文:野田努

「彼らはついに、変化とは、改革を意味するものでも改善を意味するものでもないことに気がつくだろう」——フランツ・ファノンのこの予言通り、世界は変わらなくていいものが変えられ、変わって欲しいものは変わらない。憂鬱な曇り空に相応しい訃報がまた届いた。その少し前にはジャー・シャカの訃報があり、今朝はマーク・スチュワートだ。いったい、坂本龍一といい、シャカといいマークといい、あるいは昨年から続いている死者のリストを思い出すと、勇敢な戦士たちがあちら側の世界に招かれている理由がこの宇宙のどこかに存在しているのではないかという妄想にとらわれてしまう。ファノンはまた、「重要なのは世界を知ることではない、世界を変えることだ」と言ったが、その意味を音楽に込めた人がまたひとりいなくなるのは、胸に穴が空いたような気分にさせるものだ。

 一般的に言えばマーク・スチュワートは、ブリストル・サウンドのゴッドファーザーだが、10代半ばのぼくにとってはファンクの先生だった。ジェイムズ・ブラウンが発明し、白いアメリカで生きる黒い人たちから劣等感を削除し前向きな自信を与えたこの決定的な音楽の語法を、ザ・ポップ・グループというバンドはパンクの文脈に流し込んだ。それだけでもどえらいことだが、ブリストルという地政学のなかで生まれたこのバンドは、実験音楽であると同時に脳内をふっとばす低音ダンス音楽でもあり、当時UKで起きていた移民文化にリンクするダブという概念もそこに混ぜ合わせたばかりか、さらにまたそこに、60年代のポスト・コルトレーンから広がる炎の音楽=フリー・ジャズにも手を染めていたのだった。

 カオスとファンクとの結合に相応しいそのバンドのディオニソスこそ、マーク・スチュワートに他ならなかった。彼らが標的にしたのは、資本主義であり植民地主義だったが(残念ながらいまや重要なトピックとなっている)、こうした政治的主張と音楽との融合において、最高にクールで、圧倒的に迫力があり、創造的で快楽的でもあったロック・バンドがいたとしたら、彼らだった。

 ザ・ポップ・グループとしてのずば抜けた3枚を残し、マークはザ・マフィアを名乗ってからもその手を緩めなかった。エイドリアン・シャーウッドとダブ・シンジケートのメンバーといっしょに録音したシングル「Jerusalem」(1982)とアルバム『Learning To Cope With Cowardice』(1983)は、〈ON-U Sound〉がダブの実験において、どこまでそれをやりきれるのかという、もっともラディカルな次元に没入していた時代の輝かしい記録である。サウンド・コラージュとダブとの境界線を曖昧にし抽象化した “Jerusalem” 、奈落の底から立ち上がるアヴァンギャルド・ゴスペル・ルーツ・ダブの名曲 “リヴァティ・シティ” はここに収録されている。

 新しい音楽のスタイルの出現をつねに肯定的に捉えていたマークが、ヒップホップを無視するはずがなかった。ザ・マフィアを経てソロ名義になった彼が最初に発表した、傑出したシングル「Hypnotized」と 『As The Veneer Of Democracy Starts To Fade(民主主義というヴェイルに包まれた時代が終わりを告げようとしているとき)』(1985)は、オールドスクール・ヒップホップの拠点から、シュガーヒル・ギャングの主要バックメンバー3人を引き抜いての制作で、これらはシャーウッドのダブの新境地によってインダストリアル・サウンドのルーツにもなった。

 このように、マークや〈ON-U Sound〉系の音楽にすっかり魅了されたファンの度肝を次に抜いたのは、1987年の決定的なシングル盤「This Is Stranger Than Love」だった。エリック・サティにはじまり、粒子の粗いヒップホップ・ビートがミックスされるこの曲には、90年代のブリストルを案内することになるスミス&マイティが参加し、のちのちトリップホップの先駆的1枚としても認定されている。

 この頃、マークはハウス・ミュージックへの共感を示していた。じっさい、1990年にリリースされた『Metatron』に収録された「Hysteria」は、都内のテクノ系のパーティでもよくかかっていたし、1993年に初来日した際のステージは、その数年前まではダンス・ミュージックのヒットメイカーだったアダムスキーとふたりによるパフォーマンスだった。渋谷のオンエアーのステージに登場し、あの大きな身体を豪快にゆらしながらあちこち動き回り、胃袋のそこから鳴らしているかのような彼の独特のヴォーカリゼーションを、ぼくの記憶から消そうたって無理な話である。

 個人的な思い出を言うなら、もうひとつある。1999年の話だが、ぼくはロンドン市内の図書館に隣接した、コーヒー一杯1ポンドほどの食堂で、マークと待ち合わせて、会って、話を聞いたことがある。これにはいくつかの不安と驚きがあった。携帯が普及する以前の話なので、彼に指定されたその場所に、時間通りにほんとうに彼が来てくれるのか、行ってみなければ確認のしようがなかった。また、ぼくに言わせれば、自分のスーパーヒーローのひとりが、日本からダブについての話を聞きに来ただけの(つまり、彼の作品のプロモーションでもないでもない)小さなメディアのために、ブリストルという地方都市からわざわざロンドンまで来てくれるのかという心配も、じゅうぶんにあった。だいたいこういう場合は、せめてそこそこ気の利いたレストランでおこなうというのが、ひとつの作法のようなものとしてある。しかしカネのない学生同士が待ち合わせるようなその広い場所に、マークはぼくよりも先に来て、ひとり、どこにでもあるような丸いテーブルのイスに腰掛けていた。

 これは奇遇としか言いようがない。先日亡くなったジャー・シャカの話も、そのときマークから嫌というほどされた。〈ON-U Sound〉における実験旺盛な時代の(マークにとっての)重要な影響源のひとつは、ジャー・シャカだった。ぼくは幸運なことに、1992年と1993年にロンドン市内の公民館で開催されていたシャカのサウンドシステムを経験していたので、マークの話にすっかり納得した。なるほどたしかに、ロンドンにおけるシャカのシステムは、それ自体が実験的といえるほど、あり得ない低音とあり得ない音のバランスで、原曲をまったく別のものにしていたのである。

 彼の長いキャリアのなかで、ぼくにしてみれば、出さなければ良かったのにと思った作品もある。何年か前に、再結成したザ・ポップ・グループとして来日したこともあったが、いくらそこで往年の代表曲を演奏しようとも、初来日におけるアダムスキーを従えてのよれよれのライヴのときの異様な緊張感を味わうことはなかった。が、そう、しかそれもいまとなっては贅沢な話なのだ。

 マーク・スチュワート、ザ・ポップ・グループ、ザ・マフィア、これらの影響力はものすごいものがある。マッシヴ・アタックやポーティスヘッドどころか、バースデー・パーティ(ニック・ケイヴ)のようなバンドだって、あのディオニソスがいなければ違ったものになっていただろう。

 フランツ・ファノンは、「抑圧された人たちは、つねに最悪を想定する」と言ったが、マークは逆で、未来に対して楽観的だった。新しいもの、若い才能をつねに褒め称え、あれだけ深刻な社会問題を取り上げてきたのに関わらず、よく笑う、あの豪快な佇まいの彼には、根っからの楽天性があった。いまぼくはそれをがんばって思い出そうとしているが、地のはるか暗い底から、ダブのベースとファンクの力強いリズムをともなって、彼の絶叫が呪いのように聞こえてくるのである。



文:三田格

 坂本龍一が83年に初めてラジオのレギュラー番組を持った「サウンドストリート」の第1回目を聞いていたら、『B2~Unit』を録音しているスタジオにスリッツのメンバーが毎日遊びに来るんだよと話している箇所があった。そして、お気に入りだというスリッツの曲をかける際に「ザ・ポップ・グループの兄弟バンド、いや、姉妹バンドです」と紹介し、ザ・ポップ・グループについてはなんの説明もなかった。第1回目の放送にもかかわらず、彼のラジオを聞いているリスナーはザ・ポップ・グループのことは知っていて当たり前といった雰囲気だった。ザ・ポップ・グループはその前年、セカンド・アルバムがリリースされると急に音楽誌で持ち上げられ、当時、大学生だった僕は波に乗ろうとする大人が大挙して現れたような気がしてしょうがなかった。ファーストに比べて明らかにフリーキーなセンスは薄まり、様式化が進んでいるというのに唐突に興奮し始めた大人たちの言動はどうにもナゾで、あの時のイヤな感じは40年経ってもいまだに身体から抜けてくれない。「ザ・ポップ・グループ」というネーミングがあまりにアイロニカルだったせいで、それはなおさらグロテスクに感じられ、資本主義的な文脈でアノニマスを気取ったネーミングはそれ自体がポップ・アートになっているという印象を倍増させる効果まであった。当時の音楽メディアがシーンを取り囲んでいた状況はXTC“This Is Pop”やPIL“Poptones”といったタイトルにも滲み出し、キング・オブ・ポップがトップに立つ日もすぐそこに迫っていた。ポップはもはや社会をテーマとして表現されるタームではなく、コマーシャリズムという姿勢に取って代わり、そのことに無自覚ではいられなくなった制度そのものを彼らは名乗っていたのである。消費主義が勢いを増す80年代の入り口でポップを対象化できなければ表現者の主体性が失われるという不安や焦燥をザ・ポップ・グループというネーミングは見事に集約していた。さらにセカンド・シングル“We Are All Prostitutes(私たちはみな金銭のために品性を落とす売春婦だ)”というタイトルはさすがに言い過ぎだと思ったけれど(いまだに少し抵抗がある)、ポップ・ミュージックをやるためにそこまで考えなければいけないのかという状況について認識できたことは大きかった。また、ザ・ポップ・グループについて何かを考えることはただの大学生でしかなかった僕が平井玄さんや粉川哲夫さんといった思想家たちと深夜ラジオで議論ができるパスポートになったことも僕にとっては少なからずだった。

 多大なインパクトを伴って現れたザ・ポップ・グループは、しかし、あっという間に解散してしまった。ザ・ポップ・グループはすぐにもピッグバッグとリップ・リグ&パニックに分かれてマテリアルやジェームズ・ブラッド・ウルマーといったフリー・ファンクの列に加わり、“Getting Up”や“You're My Kind Of Climate”がその裾野を大いに広げてくれたものの、マーク・ステュワートだけがどこかに消えてしまった。ザ・ポップ・グループが不在となった81年は僕にはパンク・ロックから続く狂騒が少し落ち着いたように感じられた年で、地下に潜った動きやドイツで始まった新たな胎動にも気づかず、個人的には音楽に対する興味が少し薄れた時期でもあった。日本では「軽ければ正義」といった風潮が蔓延し始めた時でもあり、TVをつければホール&オーツやシーナ・イーストンばかり流れていた。これが。しかし、82年になると様相が一変する。「破壊」と「創造」が必ずセットで訪れるものならば、82年はパンクによって破壊されたポップ・ミュージックが見事に再構築を成し遂げた年だと思えるほど、あらゆる場面に力が漲っていた。アソシエイツやキュアー、スクリッティ・ポリッティにファン・ボーイ・スリーと数え切れないアイディアが噴出し、それぞれが持っていた独自のヴィジョンはニュー・ロマンティクスから第2次ブリティッシュ・インヴェンジョンへと拡大していく。リップ・リグ&パニックやピッグバッグが先導したブリティッシュ・ファンクはディスコ・ビートとあいまってその原動力のひとつとなり、ナイトクラッビングがユース・カルチャーのライフスタイルとして完全に定着したのもこの時期である。ほんとに何を聞いても面白かった。ひとつだけ不満があるとしたら、それはダブの可能性が思ったほど翼を広げなかったことで、フライング・リザーズやXTCのアンディ・パートリッジによるソロ作など、ダブをジャマイカの文脈から切り離して独自の方法論に持ち込むプロデューサーが期待したほどは増えなかったこと。ダブよりもファンクというキーワードの方が大手を振るっていたというか。マーク・ステュワートがマフィアを率いて“Jerusalem”を投下したのはそんな時だった。

 83年に入ってすぐに輸入盤が届いた“Jerusalem”は祭りに投げ入れられた石のようだった。さらなる興奮を覚えた者もいれば、白けて避けてしまった者もいたことだろう。“Jerusalem”はジャケット・デザインがまずはザ・ポップ・グループと同じ刺激を回復させていた。紙を折りたたんだだけのジャケットもラフで無造作なら、引っ掻き傷のような文字はナイトクラッビングやニュー・ロマンティクスとは異なる文化の健在を表していた。ザ・ポップ・グループが放っていたヴィジュアルと言語による挑発はすべてマーク・ステュワートによるものだったと再確認させられた瞬間でもあり、“Jerusalem”やカップリングの““Welcome To Liberty City””などインダストリアル・ミュージックとダブをダイレクトに結びつけたサウンドは鮮烈のひと言で、カリブ海を遠く離れたダブ・サウンドがポップ・ミュージックの再構築ではなく「パンクの再定義」と評されたのもなるほどだった。様式化されたパンクやマイナー根性に支配されたアンダーグラウンドとは異なり、不遜で広く外に開かれた攻撃性はそれこそパンク直系であり、アソシエイツやスクリッティ・ポリッティに覚えた興奮とは異なる次元が存在していたことを一気に思い出させてくれた。パンク・ロックに触発された言説に「誰でも音楽ができる」というワン・コード・ワンダーとかスリーコード万能論のようなものがあり、その通りチープな音楽性が勢いづくという局面が当時から、あるいは現代でも少なからず存在している。それとは逆にパンクが高度な音楽性と結びついてはいけないというルールがあるわけもなく、パンクがトーン・ダウンした時期にファンクやジャズをパンクと結びつけたのがザ・ポップ・グループだったとしたら、マーク・ステュワート&マフィアは同じくそれをダブやレゲエと結びつけ、もう一度、同じインパクトまで辿り着いたのである。それはやはり並大抵のクリエイティヴィティではなかった。追ってリリースされたファースト・アルバム『Learning To Cope With Cowardice』ではさらにその方法論が縦横に展開されていた。どれだけテープを切ったり貼ったりしたのか知らないけれど、“To Have A Vision”や“Blessed Are Those Who Struggle”の目まぐるしさは格別だった。

 90年代に入ってからマーク・ステュワートがアダムスキーを伴って来日し、ボアダムズなどが出演するイヴェントで前座じみたステージやったことがあった。アダムスキーというのはレイヴ初期にコマーシャルな夢を見たスター・プロデューサーの1人で、レイヴがヒット・チャートとは異なるオルタナティヴな磁場を独自に切り開いた頃にはバカにされて放り出された存在だった。マーク・ステュワートとアダムスキーというのは、つまり、水と油のような組み合わせだったのに、これがそれなりに泥臭いテクノとしてまとまったステージを成立させていた。『Learning To Cope With Cowardice』やその後のソロ・アルバムでもそうなんだろうけれど、マーク・ステュワートのサウンドはおそらくエイドリアン・シャーウッドの力によるところが大きく、マーク・ステュワートという人は自身のアイデンティティと音楽性がそれほど強くは結びついていないのだろう。シンセーポップかと思えばニュービートとあまりに節操がなく、サイレント・ポエッツにザ・バグと交際範囲も度を越している。彼にとって大事なことは極左ともいえるメッセージを伝えることであり、イギリスでは活動家と認識されるほど明確に権力と対峙することで、確か自分のことをジャーナリストと呼んでいた時期もあった。とはいえ、彼はやはりヴォーカリストだった。目の前でマイクを握りしめていた時の存在感は圧倒的で、彼の声には独特の張りがあり、彼が敬愛していたらしきマルカム・Xに通じるカリスマ性も申し分なかった。

 ある時、インタビューを始めようと思ったらマーク・ステュワートに「腕相撲をしよう」と言われて彼の手を思いっきり握ったことがある。当たり前のことだけれど、彼の手は暖かく、少しがさがさとしていて分厚かった。あの手に二度と力が入らないと思うとやはり悲しく、どうして……という気持ちにならざるを得ない。R.I.P.

interview with Alfa Mist - ele-king

 現代のジャズ・シーンで、ヒップホップやビート・ミュージックなどを融合するスタイルの新世代のミュージシャンは少なくないが、そうした中でも独自のカラーを持つひとりがイースト・ロンドン出身のアルファ・ミストである。ピアニスト/ラッパー/トラックメイカー/プロデューサー/作曲家と多彩な才能を持つ彼は、コンテンポラリー・ジャズからジャズ・ロックやフュージョン、ヒップホップやR&Bなどクラブ・サウンドからの影響のほか、映画音楽やポスト・クラシカルを思わせるヴィジュアライズされた音像が特徴で、繊細で抒情的なメロディはときに甘美な、ときに物悲しい世界を演出していく。どちらかと言えば内省的で思索的な作品が多く、人間の心理などをテーマにしたダークで重厚な曲調もアルファ・ミストの作品の特徴のひとつと言えるだろう。

 2015年に発表した『ノクターン』以降、2017年の『アンティフォン』、2019年の『ストラクチャリズム』、2021年の『ブリング・バックス』とアルバムをリリースし、シンガーのエマヴィーと共作した『エポック』はじめ、ドラマーのリチャード・スペイヴンと組んだ44th・ムーヴでの活動、トム・ミッシュ、ユセフ・デイズジョーダン・ラカイロイル・カーナーなどとのコラボと、多彩に自身の可能性を拡大してきたアルファ・ミスト。
 そんな彼が『ブリング・バックス』以来2年ぶりとなるニュー・アルバム『ヴァリアブルズ』を完成させた。長年の演奏パートナーであるカヤ・トーマス・ダイクはじめ、ギタリストのジェイミー・リーミングなど、『ブリング・バックス』から演奏メンバーに大きな変動はなく、基本的にはこれまでの路線を継承する作品と言えるが、南アフリカのフォーク・シンガーのボンゲジウェ・マバンダラをフィーチャーした作品や民族調の作品、さらにこれまであまりなかったハード・バップ調の作品と、また新たな表情を見せてくれるアルバムとなっている。コロナで中断を余儀なくされていたライヴ活動も再開し、この5月には2019年以来となる来日公演も予定しているというアルファ・ミストに、『ヴァリアブルズ』について話を訊いた。

放課後歩いて家に帰るか、それとも公園に寄って帰るという決断とでは、ふたつの異なる結果が生まれるよね? 『ヴァリアブルズ』ではほとんどの曲が全く異なる仕上がりになっているんだけど、そこには僕がそのうちの一曲から一枚のアルバムを作ることができた可能性があり、つまりは10枚のアルバムができ上がる可能性が存在していたことになる。それは僕が歩むことができたかもしれない10本の異なる道なんだ。

アルバムの完成とリリース、おめでとうございます。アルバムをリリースしたいまの気分はいかがですか?

アルファ・ミスト:ありがとう。アルバムをリリースすると、作品が自分の元を離れてほかの皆のものになる。もう僕のものではなくなるんだ。だから、すごく落ち着くんだよね。

なるほど。ニュー・アルバムは2021年の『ブリング・バックス』以来、2年ぶりとなりますね。『ブリング・バックス』はコロナによるパンデミック後にリリースされた作品で、そうした体験も曲作りに反映されたのではと思います。その後ツアーなども再開し、少しずつ日常を取り戻す中で『ヴァリアブルズ』は作られていったと思いますが、『ブリング・バックス』から『ヴァリアブルズ』に至る中で何か音楽的な変化などはあったのでしょうか?

アルファ・ミスト:『ヴァリアブルズ』を作っていた期間は、既にライヴを始めていたんだ。その影響は少しあったのかなと思う。ライヴをすることでエネルギーが増して、より高いエナジーが生まれるんだ。だから、『ヴァリアブルズ』はそのパワーを反映しているんじゃないかと思うんだよね。パンデミックで家に閉じこもっているときと外に出ているとき、そこにはふたつの異なる感情とエネルギーがある。僕は家にいるのが好きだから、パンデミック中に家にいるのは心地よくはあった。でも今回、再び外に出てライヴで演奏していたことは、間違いなく『ヴァリアブルズ』に対するアプローチに影響を与えたと思う。

今回のアルバムに参加するメンバーですが、『ブリング・バックス』で演奏の中心となったジェイミー・リーミング(ギター)、カヤ・トーマス・ダイク(ヴォーカル、ベース)、ジェイミー・ホートン(ドラムス)、ジョニー・ウッドハム(トランペット)らが引き続いて行っているのでしょうか? ジェイミー・リーミングの印象的なギターが聴けるので、ほぼ同じメンバーでやっているのかと。ほかに新たに参加するミュージシャンなどはいますか?

アルファ・ミスト:ほとんどのメンバーが同じなんだけど、ドラムのジェイミー・ホートンの代わりに、今回はジャズ・ケイザーに参加してもらっているんだ。彼女は本当に素晴らしいドラマーで、僕がユーチューブで公開している『ブリング・バックス』のライヴ・ヴァージョンでもドラムを演奏してくれている。僕はライヴで一緒に演奏しているミュージシャンと一緒にアルバムを作ることが多いんだよ。ジャズ以外のメンバーは以前と同じだ。

ジャズ・ケイザーはアルバムに何をもたらしてくれたと思いますか?

アルファ・ミスト:彼女だけじゃなく、全てのミュージシャンが自分自身の精神を高め、自分自身の音と声をしっかりと伝えてくれたと思う。それが音楽の一番素晴らしい部分だからね。彼女に関して言えば、僕やカヤやジェイミー・ホートンは独学で音楽を勉強したミュージシャンなんだけど、ジャズ・ケイザーはちゃんとアメリカのバークレー音楽院に通ってジャズ・ミュージックを学んで作ってきたミュージシャンなんだ。だから、彼女の演奏はすごくバランスが取れている。その状況に合ったことをすぐにできるのがジャズなんだよね。それに、彼女には彼女にしか奏でられない音があるし、それがサウンドに違いをもたらしてくれたと思う。

これまでリリースした『アンティフォン』ではメンタル・ヘルスや家族コミュニティについての兄との会話が、『ストラクチャリズム』では議論文化や個人的な成長についての姉との会話がモチーフとなっています。今回のアルバムでは何かモチーフとなっているものはありますか? 「いま自分がどこにいるのか?」「どうやってここに来たのか?」というのが『ヴァリアブルズ』におけるあなたの問いかけとのことですが。

アルファ・ミスト:今回のテーマ、またはモチーフは「無限の可能性」。つまり、あらゆる可能性がアルバムのテーマなんだ。ほんの少しだけど、人生の中で僕はいくつかの決断をしてきた。そして、そのおかげでいまの自分が存在している。それは君にも、誰にでも同じことが言えるんだ。ひとつの小さな決断。例えば僕が学校に通っていたとしたら、放課後歩いて家に帰るか、それとも公園に寄って帰るという決断とでは、ふたつの異なる結果が生まれるよね? 『ヴァリアブルズ』ではほとんどの曲が全く異なる仕上がりになっているんだけど、そこには僕がそのうちの一曲から一枚のアルバムを作ることができた可能性があり、つまりは10枚のアルバムができ上がる可能性が存在していたことになる。そして、それは僕が歩むことができたかもしれない10本の異なる道なんだ。だから、『ヴァリアブルズ』は基本的に僕自身が興味を持っていて、作ることができる様々な音の可能性を表現した作品なんだよ。今回はそれを一枚のアルバムに収めた。そして、僕はオーストラリアのアニメーター/ビデオグラファーのスポッドとコラボをして、彼がヴィジュアルのコンセプトを作ってくれたんだ。僕が彼に歌詞と各曲に込めた思い、そして無限の可能性というアイデアを伝え、あのいろいろなものが動き続け変化し続ける作品を作り上げた。動き続け、変わり続ける。それこそ人間だからね。今回のアルバムでは、僕はそのアイデアに興味を持っていて、それを作品に反映させたんだ。

そのアイディアはいつ頃から頭の中にあったのでしょうか?

アルファ・ミスト:アイデア自体はずっと前から頭の中にありはしたんだ。でもいまになって、それをじっくりと音楽で表現したいと思うようになったんだよね。僕のアルバムのほとんどは、僕の頭の中で交わされる会話から生まれたもの。それが今回は「変化するもの」だったんだ。特別何か理由があったわけではなく、ただそれについて表現したいと思った。もしかしたら、それは自分がこれまでずっと自分が何を考えるかとか、自分のメンタルヘルスのことを話してきたからかも。それってつまりは、自分が自分のことをどう思うかってことだよね。でも、「無限の可能性」はそれとはちょっと違う。自分のことではなくて、いまの自分に自分を導いてきた出来事や行動についての話だから。

僕は静かで閉鎖的で貧しい環境で育った。有名になる方法はミュージシャン、スポーツ選手、犯罪者、その3つしかないと思っていたんだ。でも本当は人生はそんなものじゃない。目にするものがそれしかないことが問題なんだ。成功したいというパッションをもっていても、建築家にもなれることなんて知らなかった。

面白いですね。では、いくつか収録曲について聞かせて下さい。“フォワード” は1950年代から60年代にかけてのチャールズ・ミンガスやマックス・ローチのようなビッグ・バンドによるハード・バップ調の始まりです。ジャズ・ロックやフュージョン的ないままでのあなたの作品にはあまりなかったタイプの曲ですが、これまでとは何か違うイメージが生まれてきたのでしょうか?

アルファ・ミスト:これはさっき話した可能性に関係している。僕が最初にピアノを習ったとき、できる限りジャズ調の音楽を作り続けて、もっとジャズよりの音楽を作り続けて、さらに時間をさかのぼって伝統的なものを作ることだってできたわけだよね。つまり、それができる可能性もあったということ。この曲はその可能性についての曲で、自分が伝統的な曲を作ろうと精一杯頑張ってみたらどんな曲ができるかが形になっているんだ。だから、この曲では自分自身は普段はあまり演奏しないけれど、聴くのは大好きな、僕自身が心から尊敬している音楽で幕を開ける。作りたければ、こういう曲だけでアルバムを作ることもできるんだけど、この要素はあくまでも自分が好きなたくさんある要素のひとつで、全てではない。でも、これも僕が持っている可能性のひとつなんだ。確かにいままでこういう音楽も好きだということを、自分の音楽で説明したことはなかったかもしれない。ずっと好きではあるんだけど、こういうサウンドを取り入れようとしたことはなかったかも。だからこそ、今回のアルバムにそれを取り入れたかったんだと思う。

今回はそういった音楽を作る心の準備がもっとできていたと思いますか?

アルファ・ミスト:そうなんだ。聴くのが好きだからって、演奏したくてもそれが演奏できるとは限らない。この曲だってそれを完全に演奏できてるとは思わないしね。でも、これは僕が持つ可能性なんだ。僕が聴いてきた素晴らしい音楽ではないけれど、僕が作った僕のヴァージョンなんだよ。

チャールズ・ミンガスやマックス・ローチの話を続けると、彼らは作品に人種差別の反対など政治的な主張を投影することもあり、ジャズとポエトリー・リーディングの融合なども試みました。それは現在のジャズとヒップホップやラップの関係にもなぞることができると思います。あなたはこれまでジャズとヒップホップの融合をおこなってきて、自分でラップもしますし、『ブリング・バックス』では著述家のヒラリー・トーマスのポエトリー・リーディングもフィーチャーしていましたが、こうした活動は何か意識しておこなっているのでしょうか?

アルファ・ミスト:インストの音楽だと、アーティストのメッセージが伝わりきれないと思うんだ。でも、スポークンワードやポエトリー・リーディングが入ると、はっきりとそのアルバムの内容が伝わって誤解が生まれにくくなる。メッセージによりフォーカスを置くことができるんだよね。だから、これまでのアルバムではそうやってメッセージや内容をよりクリアにしてきた。でも、今回のアルバムではそこから一歩引いているんだ。一曲だけラップしている曲があるけどね。あの曲だけは自分が何を言いたいかをはっきりと伝えたかったから。でも、今回は全ての曲でラップをしてはいない。今回はリスナーに曲の解釈をまかせたかったんだ。全ての人が僕と同じように育ったわけじゃない。だから、僕が作ったものを全ての人が僕と全く同じように受け取る必要はないんだよ。今回は自分の経験や生き方、感じ方に合わせて皆に自由に曲から何かを感じて欲しいと思った。そういうわけで、『ヴァリアブルズ』ではメッセージを明確にすることから一歩引いたんだ。ラップをしているのは1、2曲だけ。その曲以外は曲の解釈はリスナー次第で、その人の好きなように理解して、好きなように感じて欲しい。その曲が何を意味するかは、聴く人自身で決めて欲しいんだ。

それによって、より多くの人が作品に繋がりを感じることができるかもしれませんね。

アルファ・ミスト:その通り。そうすることで、より多くの人を迎え入れることができるからね。

今回のアルバムでは数少ない、あなたがラップを披露している “ボーダーライン” では自然対育成の議論をしているとのことですが、具体的にどんなメッセージを持つ曲なのでしょう?

アルファ・ミスト:そう、その曲では自分が言いたいことがかなり明確だった。だから、はっきりとそれを示しているんだ。僕は静かで閉鎖的で貧しい環境で育った。これまで一度もロンドンを出たことはなかったし、自分のまわりにあるものしか見たことがなかったんだ。僕の友人たちやまわりにいる人たちは、誰もが成功するために戦っていた。そして僕らは、僕らと同じような人たちの中に、3つのタイプの成功者しか見たことがなかったんだ。そのうちふたつはテレビで見る人たち。有名なミュージシャンかサッカーみたいなスポーツ選手。そしてもうひとつはテレビに映っていない人たちで、僕たちの地域でTVに映っていない有名人とは犯罪者だったんだ。自分たちの目で実際に見ることができた有名人は犯罪者たちだけ。だから僕たちは、有名になる方法はミュージシャン、スポーツ選手、犯罪者、その3つしかないと思っていたんだ。でも本当は、人生はそんなものじゃない。僕たちはただ狭い世界の中にいたから、それを知らなかっただけなんだ。そんな風に視野が狭くなってしまう理由はたくさんあって、それは子どもたちのせいじゃない。その地域がそういう場所になってしまっていたから、仕方がないんだよ。目にするものがそれしかないことが問題なんだ。成功したいというパッションをもっていても、建築家にもなれることなんて知らなかった。誰もができる普通のことでも成功できるなんて知らなかった。それが可能だなんて思いもしなかった。有名になるにはその3択しかないなんて間違った考え方なんだけど、僕らはそれが間違いだと知らなかったんだ。“ボーダーライン” では昔そんな風に考えていたあの頃に心を戻し、そこから抜け出そうとしているんだ。
 多くの物事を見れば見るほど、そこから抜け出せる。例えば僕の場合、ロンドンを出てから田舎や木々、家、木を見るようになった。そういうのって、それまではテレビでしか見たことなかったのに。あるひとつのエリアを出れば、自分の知っているもの以上のものがこの世にはたくさん存在していることに気づき、マインドが広がるんだよ。だから、旅ってすごく良いものだと思うんだ。違う国や異なる文化圏に行けば、問題が自分だけのものでないことにも気づけるし、ある地域でこういう人間でいなければいけない、みたいなプレッシャーもなくなる。自分の世界以外にも世界は存在し、異なる生き方をしている人たちがいるということを知ると、僕はとても落ち着くんだよね。リラックスして、より大きなヴィジョンで物事を考えることができるようになる。そうなれば自分が好きなことができるし、存在することが心地よくなるんだ。

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ドラムだけはグルーヴやリズムを計算して作ってる。僕にとってドラムはすごくテクニカルなもので、結構特殊な考え方でリズム・パターンのことを考えるから。でもハーモニーに関してはほとんどがフィーリングなんだ。

“エイジド・アイズ” はカヤ・トーマス・ダイクの繊細な歌声が美しいフォーク調のナンバーです。彼女とは長年に渡ってコラボを続けていますが、どんな魅力を持つミュージシャンですか?

アルファ・ミスト:彼女は本当にすごい。単にミュージシャンとしてだけじゃなく、僕がこれまでに出した全てのアルバムのアートワークも手がけてくれているんだ。もちろん今回のアルバムのアートワークもそう。彼女は素晴らしいヴィジュアル・アーティストでもあるんだよ。ヴォーカルに関しては、彼女は僕と違うタイプだと思う。僕は自分ができることを見つけて、それを磨いていこうとするタイプなんだけど、彼女はたまにいる、何をやっても上手いアーティストだから。たまに何でもできるうらやましい人たちっているよね(笑)。彼女もそのひとり。そんな彼女と一緒に仕事ができるなんて最高だよ。いま、彼女は自分の作品にも取り組んでいるところなんだけど、それがリリースされるのが待ち遠しい。『ヴァリアブルズ』がリリースされるのは〈アンチ〉だから違うけど、僕のレーベルの〈セキト〉では、僕のまわりにいる素晴らしいミュージシャンたちの背中を押し、彼らの作品をリリースして、世界に広げていきたいんだ。去年はジェイミー・リーミングのアルバムを出したし、ジョニー・ウッドハムも最近ジェイ・スフィンクス(JSPHYNX)の名義でアルバムを出した。僕は自分のまわりで音楽を作っている人たち皆に輝いて欲しいんだよね。そして、その光を世界とシェアすることで、そのミュージシャンたちが前進することができる。その力になることが僕の望みなんだ。

カヤの声のどんな部分が特に素晴らしいと思いますか?

アルファ・ミスト:彼女の声は今年録られたものに聴こえない。いつの時代の声なのかわからない部分が魅力なんだ。1960年代の声にも聴こえるし、1970年代の声にも聴こえる。彼女のあの時代を超えた独特の声は本当に素晴らしい。声に込められた彼女の感情が、僕たちをタイムスリップさせてくれるんだ。

自分がいま作る作品をタイムレスなものにするのは、すごく難しいことですよね。

アルファ・ミスト:かなりね。“今” という時代に縛られたサウンドにしないためには、目をつぶって周囲にあるものを全部シャットダウンしなければいけない。まわりから気をそらされることなく、ただただ自分が好きなものを作ろうとしないと。それができれば時代に縛られない作品を作ることができると思う。

タイムレスな音楽を作るということは、あなたにとって重要なことなのでしょうか? 何か意識してそうしようとはしていますか?

アルファ・ミスト:あえてタイムレスなものを作ろうとはしていない。でも、自分が作っている音楽が、自分自身が好きな音楽であることは常に意識しているし、自分の音楽にとって重要なことだね。心がけているのは新しいトレンドに乗ることなく、皆がやっているから自分もやらなければいけないというプレッシャーを感じることもなく、自分の音楽を作ること。周囲を見渡して何かを真似することだけは絶対にしないようにしている。もしいまの流行りで自分が気に入ったものがあればそれを取り入れることはしていいと思うし、まわりで何が起こっているのか見渡すことはもちろんある。でも、それはあくまでも耳を傾けてほかのこと、新しいことを学び視野を広げるためなんだ。それを取り入れたとしても、それがもし本当に自分が好きだから取り入れたのだとしたら、そのサウンドは自分から発信しているものにちゃんと聴こえると思うしね。例えそれが自分のまわりにあるもの、影響を受けたものから生まれたものであっても、ちゃんと自分自身が心から好きなものである限り、それは自分の作品に聴こえると思う。

“アフォ” は南アフリカのフォーク・シンガーのボンゲジウェ・マバンダラをフィーチャーしていて、牧歌風の野趣溢れる楽曲となっています。これもいままでのあなたの作品とは異なるタイプの楽曲かと思いますが、彼と共演するようになったきっかけは何でしょう?

アルファ・ミスト:彼は南アフリカの出身で、彼が自分の言語で曲の歌詞を書いたから、タイトルも彼につけてもらったんだ。南アフリカって11言語くらい話されているらしいんだけど、彼がそのうちのどの言語で歌詞を書いたのかはわからない。僕はもちろんその言語を理解できないから、内容を知るために英語に訳してもらわなければいけなかったしね。彼の音楽には本当に強い感情が込められているんだ。僕は自分が音楽を聴くときに感情を求める。だから、自分の音楽にもそれをもたせたいと思って彼を選んだよ。彼とのコラボは僕にとって、一緒に演奏をしたことのないミュージシャンとの初めてのコラボだった。これまでお互いをそこまで知らないアーティストと一緒にコラボしたことはなかったからね。でも、今回は彼を招くことが重要だと思ったんだ。前に南アフリカに行ったときに南アフリカの音楽シーンの素晴らしさ、彼らが作る音楽の素晴らしさを知って、とにかくボンゲジウェと一緒に作品を作りたいと思ったんだよ。

いま自分がいる場所にたどり着くまでに、僕たちは様々な決断を下してきた。誰もがそれぞれに全く異なる旅路を歩んできた。このアルバムは僕たちがいまいる場所にたどり着くまでに通過しなければならなかった様々なチェック・ポイントのようなもの。

彼とはどのようにして一緒に仕事をする機会を得たのでしょう?

アルファ・ミスト:まず、僕が彼の音楽を見つけたんだ。どうやって見つけたのかまでは覚えてないけど、スポティファイとか、オンラインのどこかだったと思う。僕はフォーク・ミュージックを演奏している黒人ミュージシャンに興味があるんだけど、ギターを使ったアフリカ音楽を探していたときに彼の音楽を見つけたんだ。聴いてすぐに、すごく良いと思った。そしたら、ラッキーなことに僕のマネージメントが彼と以前仕事をしたことがあって、彼らがボンゲジウェに連絡してくれたんだ。

“サイクルズ” はあなたのエレピにギターやサックスなどが絡んで織り成すメランコリックなサウンドが特徴的です。『ブリング・バックス』やそれ以前からもこうしたダークで抒情的なサウンドがあなたのトレードマークと言え、それは映画音楽にも通じるものですが、こうしたサウンドの原風景となっているものは何でしょう?

アルファ・ミスト:多分、それだけが僕が作れるサウンドなんじゃないかな。僕はヴィジュアル・アートに興味があるし、さっきも言ったけど僕にとって感情と音楽は繋がっているから。僕が興味を持っていること、夢中になっていること、感じていることが自然と音楽に反映されているんだと思う。音楽を作るときは、できるだけ自分に対して正直で、リアルである必要があると思うんだよね。僕はそうやってアルバムを作ってきたから、多分僕が持っている感情が音楽に伝わって、そのヴィジュアルを思い起こさせるものができ上がってるんじゃないかな。

意識的にそのようなサウンドを作ろうとしているわけではないんですね?

アルファ・ミスト:そうではないね。もちろん、数学的に音楽を作ることもきっと楽しいとは思うけど。僕自身もドラムだけはグルーヴやリズムを計算して作ってる。僕にとってドラムはすごくテクニカルなもので、結構特殊な考え方でリズム・パターンのことを考えるから。でもハーモニーに関してはほとんどがフィーリングなんだ。ピアノもギターもそう。ドラムと違って僕はピアノの全てを知らないし、技術的に正しく弾くことができない。知らないことも多いし、自分の頭の中にあるものをどうにかそれを使って表現してみようという段階にいるんだ。でも、それが逆にいいと思う。決まりを知ってしまうと、そこから動けなくなってしまうからね。あえてマスターし過ぎず、新しいことを自分で自然に発見し続けていくほうがいいと思うんだ。

“ゲンダ” は民族音楽調の作品で、土着的なリズムが特徴です。アフリカ音楽など何か題材となっているものがあるのでしょうか? ロンドン生まれの黒人第2世代として、あなたのルーツが反映されているのかなと……

アルファ・ミスト:僕の母親はウガンダ出身で、僕はロンドンで生まれたけど、家系的にはウガンダ人。そしてウガンダ語で、「Genda(ゲンダ)」というのは「Go Away(あっちへ行きなさい)」という意味。子どもの頃、母はよく僕にウガンダ語で話しかけてくれた。母が話していたのはウガンダで話されている言語のひとつ、ルガンダ語。僕はその言葉を理解することはできたんだけど、英語で返事をしても通じるからルガンダ語を自分で使うことはなく、学ぶ必要性もなかったから話すことはできないんだ。子どもに話すときって、指示することが多いよね? だから最初に覚えたのは、「止まれ」、「こっちに来なさい」、「あっちへ行きなさい」だった。でも “ゲンダ” は「消えろ」みたいな厳しい言葉ではなくて、遊び感覚で使う感じ。僕にとってこれは親近感がある言葉で、母がそう言っていたのをよく覚えているんだ。
“ゲンダ” では僕の姪っ子が一緒に歌ってくれている。彼女に歌ってほしかったんだ。僕と姉はロンドンで生まれたけど、親がウガンダ生まれだった。でも姪っ子は、もちろん僕らの次の世代で、親からさえもルガンダ語を聞かずに育つわけだよね。“ゲンダ” を聴いたら、ウガンダの人たちは「それは正しいアクセントじゃない」ってきっと言うと思う。でも、ロンドンに住んでいる僕らにとってはあれが僕らのアクセントなんだ。僕にとっては正しい発音はどうでもよかった。それよりも、僕にとってリアルなものにするほうが大切だったからね。ウガンダに行ってウガンダの聖歌隊に歌ってもらうことだってできたのかもしれないけど、それは僕がしたいことではなかった。そうじゃなくて、姪っ子にそのフレーズを教えて、ふたりで一緒に歌いたかったんだ。それが、僕たち家族の言語だから。あれは楽しい経験だったし、曲を想像以上にリアルにしてくれたと思う。

サウンド的にも参考にしたものは特になかったですか?

アルファ・ミスト:もしかしたら、リズム的にはアフリカ音楽の影響を受けているかもしれない。でも僕にとっては、全てがアフリカの影響だと言えるんだけどね。だって、僕はアフリカ人だから。まあでも、ビートは特にアフリカ音楽の影響があると思う。アフロ・ビートみたいなフィーリングかな。あの曲のハーモニーはすごく感情的で、コーラスはどちらかといえば悲しい感じだと思うんだけど、ビートはすごく生き生きしていて、僕にとっては南アフリカのアマピアノを思い起こさせる。生き生きしたビートと静かで悲しげなハーモニーの組み合わせ。実際のアマピアノとは全然違うかもしれないけど、僕自身があの曲を説明するとしたらその言葉を使うかな。

“BC” はマハヴィシュヌ・オーケストラのようなジャズ・ロックで、“ヴァリアブルズ” もジェイミー・ホートンのギターがジョン・マクラフリン張りに印象に残ります。マハヴィシュヌ・オーケストラやリターン・トゥ・フォーエヴァーなど、1970年代のフュージョン・サウンドが何かあなたに影響を及ぼしているところはありますか?

アルファ・ミスト:僕にとっての1970年代の魅力は、70年代に作られた5枚、10枚、15枚のアルバムがあったら、そのどれもが全然違う作品であり得ること。だから、“70代フュージョン” って言葉があるんだよ。ジャンルをどうカテゴライズしていいかわからない音楽がたくさんあったから。ギターが3本あっても4本あってもいい。それくらい何でもアリだったからね。マハヴィシュヌ・オーケストラもそうだった。ディストーションのかかったギターの上にストリングスが乗せられ、ドラムもあったり。あの頃は、全ての人びとが自分独特のアプローチを持っていた。僕はあの自由なアプローチとスピリットに影響を受けていると思う。“BC” はジャングルやドラムンベースの影響も受けている曲だけど、演奏のアプローチは70年代と同じで、ほとんどが即興なんだ。演奏してみるまで何が起こるかわからない。そして何かが起これば、それをそのまま活かす。そんな感じ。それは僕が好む音楽へのアプローチで、よく人びとは僕の音楽をジャズと呼ぶけど、ジャズではそうしたことがしょっちゅう起こっている。この曲では、ジャズ・ミュージシャンや70年代のフュージョン・サウンドのアーティストのように、自分がやりたいことを数分間やり続けて音楽を作っていく、というアプローチとスピリットをエンジョイしているんだ。

“4th Feb(ステイ・アウェイク)” はロイ・エアーズのようなメロウ・グルーヴにラップをフィーチャーしています。一方で後半から女性のワードレス・ヴォイスとストリングスが登場し、前半とはまた異なるムードを持つ楽曲となっています。こうした異質の要素を融合するところもあなたの才能のひとつだと思いますが、いかがでしょうか?

アルファ・ミスト:あの曲ではラップがチェロの四重奏に変わる。あのチェロの部分では、ペギー・ノーランっていうチェロ奏者に参加してもらったんだ。僕は人が予測できないことをするのが好きなんだよね。例えば、まさかラップが最後にはストリング・カルテットに変わるなんて、誰も考えないと思う。そこで、僕はラップもストリングスも好きだから、それをひとつの曲で取り入れることにしたんだ。そのふたつを分けないといけないという決まりはないしね。ラップのトラックって普通の曲と違って実はいろいろなものが共存できるものだと思うんだ。それがヒップホップだと僕は思う。僕が音楽を作り始めたときは、映画のサントラを持ってきて、そこにドラムやベースを乗せたりなんかもしてた。でもいまは最初から自分で作っているので、もっといろいろなことができるんだよね。自分が好きなものを、気分次第で好きに組み合わせることができる。それが楽しいんだ。

最後に、リスナーに向けて『ヴァリアブルズ』が持つメッセージをお聞かせください。

アルファ・ミスト:僕からのメッセージは、この世には様々な方法や道があるということ。いま自分がいる場所にたどり着くまでに、僕たちは様々な決断を下してきた。そして、誰もがそれぞれに全く異なる旅路を歩んできた。このアルバムは、僕たちがいまいる場所にたどり着くまでに通過しなければならなかった様々なチェック・ポイントのようなものなんだ。その過程であらゆる可能性を探っている。さっきも言ったように、10曲のトラックとは10種類のアルバムができる可能性だからね。

ありがとうございました。

アルファ・ミスト:ありがとう。6月に来日して、ショーで皆に会えるのを楽しみにしているよ。

アルファ・ミスト来日公演情報

6月5日(月):Billboard Live OSAKA
6月7日(水):Billboard Live TOKYO
6月8日(木):Billboard Live YOKOHAMA

詳細はこちら:https://smash-jpn.com/live/?id=3896

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