「Nothing」と一致するもの

The James Hunter Six - ele-king

 バンマスの名前+メンバーの総人数からなる〈テッド・テイラー・フォー〉〈デイヴ・クラーク・ファイヴ〉式の、クラシカルなUKスタイルのバンド名の響きだけで好事家ならウィスキー2~3ショットあおれてしまう。1962年イングランドはエシックス(Essex)で生まれたジェイムズ・ハンターは、過去最高のUK白人R&B(ブルー・アイド・ソウル)シンガーと称賛されるまでになった。……となると単純にスティーヴ・ウィンウッドもヴァン・モリスンも凌ぐことになるが、オタク度、オーセンティック度、何よりその漆黒度合いにおいて言うならまさにその通りだろう。
 あと数年で還暦を迎える年季の入ったそれほどの人材が、日本ではどうしてマニア以外には知られていないのか。それにはいくつか理由がある。まずは、そもそもこの人物が“ハウリン・ウィルフ”(校正ミスではない。“Howlin' Wilf”)を名乗る当初セミプロのクラブ・シンガーだったことにも関係しているだろう。

 80年代中期のロンドンでは、ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴの流れと並行しつつ、しかし音の方向性は逆行して、ロック・ミュージックをプリミティヴなロックン・ロールや古典的R&Bまで遡るリヴァイヴァル・ムーヴメントも起きていた。その一大震源地だったのが、マーケットで有名なカムデン・タウンで、そこで売っているUSヴィンテージ古着とラバーソウル・シューズを身につけ、古いレコード・ジャケットの黒人の髪形を真似てリーゼントにした白人“ビート・バンド”が、夜な夜な町のクラブをわかせていた。
 それと同時代の東京は原宿ホコ天に棲息し、語り草になっているローラー族がお手本としたのは、ジェイムズ・ディーンの物腰だったり、いにしえのロカビリー・スター(エディ・コクラン、バディー・ホリー、ジーン・ヴィンセントetc.)のクールネスだったりと、要は50'sアメリカの不良アイコンだったわけだが、そのローラー族の中でも真にイケてる(当時風に言うとアンテナのビンカンな)人々は、ちゃんとそのロンドンのムーヴメントにも注意を払っていた。そのときにカムデンをツイストさせていたバンドの最右翼がハウリン・ウィルフ&ザ・ヴィー=ジェイズ(Howlin' Wilf and the Vee-Jays)だったのである。
 バンド名は言うまでもなく、ブルーズマンのハウリン・ウルフと、50~60年代に栄華を極めたシカゴのブルーズ/R&B/ロックン・ロール・レーベル〈Vee-Jay Records〉へのオマージュであり、このジェイムズ・ハンターは日中は鉄道作業員として生計を立てながら、夜になるとその“ハウリン・ウィルフ”という別人格("wilf"は英俗語で“ばか者”)になり切って黒いロックン・ロールで名を馳せ、余勢を駆って1990年までに同名義でフル・アルバム2枚とEP2枚、ライヴ・ヴィデオまでリリースした。日本ではいまだにジェイムズ・ハンターという名前の認知度は低いとしても、80年代の志の高いロックン・ローラーたち(今もブライアン・セッツァーなんかが来日すれば、櫛目美しいリーゼントからグリースの甘く切ない香りをプンプンさせてきちんと集合するような面々)は、当時ハウリン・ウィルフの音楽にも結構グッときていたはずなのである。

 その後ザ・ヴィー=ジェイズが解散したあと、よりソウルフルな路線を指向することになるハンターだが、90年代に入るとヴァン・モリスンに誘われ、彼のバンドにギター&コーラスとしてしばらく加わっている。モリスンの方も96年、ハンターがようやく本名名義でリリースしたファースト・アルバム『Believe What I Say』にはなむけとして客演した。
 それ以降のハンターは、合衆国と英国を中心に小さなクラブのどさ回りは続けるも、アーティストの“たち”として結構な寡作であることが、その名声を広く轟かせるためにはマイナスに働いた。2006年米〈Rounder Records〉から出た『People Gonna Talk』はグラミーにノミネイトされるまでの高い評価は得たが、そのカテゴリーも〈ベスト・トラディショナル・ブルーズ・アルバム〉だったせいで(実際の音は古典的R&Bなのだが)一般的な注目度は高くなりようがなかったし、08年にはアラン・トゥーサンが客演した好盤『The Hard Way』がせっかくヒットしたのに、その後また5年、リリースがぱったり途絶える、という調子だったのである。

 だが、〈ジェイムズ・ハンター・シックス〉のバンド名義でアルバムを発表し始めた2013年以降は少々様子が違う。1996年からの17年間でアルバムを4作しか作らなかったのに、13年以降の〈ジェイムズ・ハンター・シックス〉では既に3作目。その13年作品『Minute by Minute』からは、ニュー・ヨークはブルックリン拠点、昨今のヴィンテージ・ソウル・ブームの牽引役〈Daptone Records〉と手を組んだことがどう見てもいい刺激になっており、おそらくこれまでのキャリアでも最高レヴェルの作品を生み出している。ばかりか、一作ごとにどんどんみずみずしく、躍動感を増してきていて、まさに〈ダップトーン〉の水が合ってる、という感じなのだ。

 〈ダップトーン〉レコーズは最近、レーベルの偉大なる二枚看板だったシャロン・ジョーンズとチャールズ・ブラッドリーを16年と17年に相次いで失った。レーベルにとっては不幸中の不幸であり、このレーベルのソウル&ファンク・サウンドのファンをひどくがっかりさせたが、このアルバムはその喪失感を確実に少しは埋めてくれる。ジェイムズ・ハンター・シックスの音楽は、スタイル的にはもう少し時代を遡るものではあれ、音/レコード作りに対する同レーベルのポリシーと見事に同調し、シャロン・ジョーンズとチャールズ・ブラッドリーに比肩するまでに、〈ダップトーン〉の強いこだわりを聴く満足感を与えてくれるのである。ヴィンテージ・アナログ機材を使ってアナログ・テイプへ録音する方式はもちろん今回も変わらず、さらにジェイムズ・ハンター・シックス作品はシングルも含めすべてモノラルのアナログ盤でリリースされており(『Minute by Minute』に至っては、自前でのCDリリースもない)、その音質と音場の中に、レーベルの審美眼が最大限に発揮された美味が隅々まで詰まっている。

 プロデュースは前作同様〈ダップトーン〉創始者のひとりでシャロン・ジョーンズ&ザ・ダップ=キングスのバンマスでベイシストである1974年生まれのガブリエル・ロス(a.k.a.ボスコ・マン)だ。自分が生まれる前のサウンドを作ることに人生賭けてるロスにとって、この音が俗っぽい意味合いにおける懐古趣味にはなりようがない。ダップ=キングスといえば、エイミー・ワインハウス2006年の世界的ヒット作『Back to Black』のあの独特のヴィンテージR&Bサウンドをクリエイトし、彼女のツアー・バンドも務めたことを覚えている人も多いだろうが、あの音の首謀者が、単純に自分がこれまでに聴いてきた中で一番いい音を出す種の音楽/レコードの数を自分の手で増やそうとしているわけだから、出てくる音は端正に挑戦的であり、そこが、そこはかとなくフレッシュなのである。

 そんなロスのプロダクションとして仕上げられた、このバンドの特徴である2本のサックスが絡み合う重厚なリフやむせび泣くハモンド・オルガン、乾いたピアノ、ハンター自身の達者なギターとリズム・セクションがくんずほぐれつする、パンチも暖かみもある音の塊の奥行き。ふくよかなミディアムを中心に、ロッキン・ブルーズあり、シャッフルあり、ツイストあり……。齢50半ばを過ぎ、悪くない方向に枯れ始めたハンターの声、そのひと節ひと節が艶と渋い深みをたたえ、ジャッキー・ウィルソン、サム・クック、ソロモン・バーク、クラレンス・カーター、ウィリアム・ベルetc.がかわるがわるに憑依する歌。これはまさに珠玉の味わい、というべきものだ。

 このオールディーなスタイルのR&Bをリヴァイヴァル・ブームの文脈に押しやるのは簡単だが、これを復興とするなら徹底的な攻めの姿勢によるそれだし、洗練と本気度がここまでくると、もはやそれを超越した新たな文化の創造である。日本語が“米国黒人大衆音楽”という訳義を充ててきた“R&B”だが、グラミーのそのR&B部門をアフリカン=アメリカンではないブルーノ・マーズが獲るこの時代に、ブルックリンのオタッキーな白人が英国白人のバンドをプロデュースしたこれもまた、R&Bの豊かさのもうひとつの極を指し示している。グラミー的には、きょうびブルーノ・マーズとこれを同じカテゴリーでくくるのは無理がある、ってことなんだろうけど、そんなのは知ったことではない。素晴らしい音楽は何だって貪欲にむさぼり楽しみ、大声で称揚すればいいのだ。

Ruckzuck - ele-king

 クラフトワーク自身によってなかば封印されている最初の3枚のアルバム、その1stアルバムの冒頭の曲、初期クラフトワークの代表曲“Ruckzuck”が1991年にカヴァーされていたなんて知ってましたか? カヴァーしたのはプロパガンダ、ディー・クルップスで活躍するラルフ・デルパー。
 この激レアな曲が7インチのイエロー・ヴァイナルで〈アタタック〉のボックス・シリーズで知られる〈SUEZAN STUDIO〉から復刻されました。ヴァイナルと一緒にCDもパッケージされており、CDにはリチャード・H・カーク(キャバレー・ヴォルテール)、ロバート・ゴードン、ウーヴェ・シュミット(セニョール・ココナッツ)やマーク・ギャンブルのリミックスが収録されています。
 早い者勝ちの限定300枚です。


デア・テクノクラート
Ruckzuck (CD+7") イエロー
(Der Technokrat /Ruckzuck)
https://suezan.com/newrelease.htm#3031

interview with Tom Rogerson - ele-king


Tom Rogerson with Brian Eno
Finding Shore

Dead Oceans / ホステス

Modern ClassicalAmbient

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 00年代を代表するバンドのひとつにバトルズがある。彼らが圧倒的だったのは、グライムやダブステップのようなエレクトロニック・ミュージックが大きな衝撃を与えていた時代に、ロックやバンドといったフォーマットが為しうる最大限のことを実践していたからだが、それは彼らより後に来る世代から次々と選択肢を剥奪していく行為でもあった。バトルズ以降に可能なロック・バンドとはいったいどのようなものなのか――そんなポスト・バトルズの時代に一筋の光を差し込ませていたのがスリー・トラップド・タイガーズである。バトルズという存在をしっかりと見定めたうえで、改めてテクノやIDM、ドラムンベースなどからの影響を大胆にロックやバンドの文脈へと落とし込んでいくその様は、当時ひとつの希望として映っていたのではないだろうか。
 そのTTTのキイボーディストにしてヴォーカリストでもあったトム・ロジャーソンが、彼らのことを推薦していたブライアン・イーノとアルバムを作っているという情報が流れたのが2016年の早春。かつてのタイヨンダイと同じようにロックやバンドという枠組みから離れた彼が、アンビエントのゴッドファーザーと手を組んだら、いったいどんなサウンドが生み出されるのか――その答えが2017年末にリリースされたこの『Finding Shore』である。
 そもそもふたりが初めて出会ったのはトイレだったそうなので、そこから一気にデュシャンまで線を引っ張りたくなるけれど、それより少し前のサティや印象派からそれより後のケイジやライヒまで、このアルバムにはクラシック音楽の大いなる遺産の断片が随所に散りばめられている。基本的にはロジャーソンのルーツたるピアノを大きくフィーチャーした作品と言えるが、ジャズの即興性や電子音楽の音響性、ピアノの打楽器的な側面も当然のように踏まえられており、ドローンやノイズといった手法も惜しみなく導入されている。そこにアンビエントの創始者たるイーノ当人まで関与しているのだから、このアルバムそれ自体がちょっとした音楽史になっているわけだけれど、とはいえ教科書的な堅苦しさとは無縁で、すべてのトラックがポップ・ミュージックとして気楽に聞き流せる作りにもなっている。極私的には2017年のベストな作品のひとつだと思う。
 このようにいろんな意味で味わい深い逸品を送り届けてくれたトム・ロジャーソンが、自身の音楽的経歴やイーノとの出会い、ピアノという楽器の持つ可能性や即興の重要性について、大いに語ってくれた。

とにかくトイレの前だった。で、顔を見たらブライアン(・イーノ)だったから、挨拶しちゃおうかな、と思って、したんだ(笑)。そして一緒にレコードを作るに至ったんだから、なかなかすごい展開だよね。

あなたはロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックでクラシック音楽を学んだそうですが、セルフタイトルの最初のソロ・アルバム(2005年)もトム・チャレンジャーとの共作(2010年)も、ジャズやエレクトロニックな即興音楽だったということで、まずはあなたのなかでのジャズとクラシックの位置付けから教えてもらえますか?

トム・ロジャーソン(Tom Rogerson、以下TR):ああ、まず、僕はそもそもピアノの即興演奏を子供の頃からやっていたんだよ。そこからどう展開したかというと……、本格的にピアノを学ぶようになる前から自己流で弾いていて、そのきっかけは姉がやっていたからで、自宅にピアノがあって両親ともに弾いていたから見様見真似で……という感じだったんだが、10歳か11歳の頃に、自分が即興で弾いたものを書き留めて残しておきたいと思うようになってね。つまりは、自分で曲を作るということに興味が向いていったんだ。当時から20世紀の現代音楽の作曲家をよく聴いていたので、それを真似るようにして作曲らしきことをやり始めたんだ。その後15歳ぐらいになると、僕がピアノの即興をやれるということで、学校の友だちから「ジャズやってみたら? 即興ばっかりやってるから、きみ、きっとジャズいけると思うよ」と勧められた。その友だちとはいまだに付き合いがあるんだけど……とにかく、それがジャズとの出会い……そして、そいつを含めた何人かでジャズのバンドを組んだのが16歳のときだった。大学卒業後にニューヨーク・シティに3年住んで、最初のレコードを作ったのはそのタイミングだった。ただ、――これは強調しておきたいんだけど、いま話に出たふたつのアルバムは大々的にリリースされたわけじゃない。作りはしたものの、変な話、ほとんど公になっていないんだ。だから、僕の最初のレコードはジャズだったと言うと……、いや、ジャズといってもラフな即興演奏でしかなかったんだけど……、でもサックスが入っていたからジャズってことになるのかな(笑)。

(笑)。

TR:とにかく、CDにはしたものの、今でもその9割は僕の手元に残ってる。自宅に。売る努力もしなかったし。こう言うとなんか変だけど、たぶんビビってたんだと思う。作りはしたものの聴いてもらう勇気がなくて、宣伝したくなかった、みたいな。

そうだったんですね。

TR:でも、その後にやったバンドは知られてると思う。スリー・トラップト・タイガーズ(Three Trapped Tigers、以下TTT)ていうんだけど。

はい、もちろん。

TR:あれはレコードが出回っているはずだ。

ロック・バンドですよね。

TR:うん、ロック・バンド。不思議なインストの……エレクトロニック・ロック・ミュージック、かな。

友だちに勧められるまでジャズには親しんでいなかった?

TR:ぜんぜん。僕の背景は、そこに至るまで完全にクラシックだった。16歳ぐらいまでは。なのに即興で演奏していたというのがおもしろいところで、もちろん、それがジャズに通じるということも意識していなかったんだけど、いざジャズをやり始めてからの適応力はすごくあったと思う。後にジャズのランゲイジを……アメリカのブルーズを踏まえたジャズのランゲイジを学ぶようになってからも覚えは早かったんじゃないかな。割とスムースにいろんなジャズのバンドでライヴをやる機会に恵まれるようになったよ。ただ、それが自分の母語だと感じたことはなくて、やっぱりアメリカで形成された言葉だな、と。英国やヨーロッパにも独自の素晴らしいジャズ・ミュージックはあるから、そっちのほうが究極的には僕にはピンとくるように思う。ある意味、こんなに時間をかけて……いま、僕は35歳なんだけど、最初から自分がやっていたものに戻ってきたという……、6歳ぐらいからひとりでやっていたこと、あれが僕のやりたいことだったんだと気がついた、というわけさ(笑)。ジャズがやりたいんでも、ロックをやりたいんでもなくて、やりたいことを僕は最初からやっていたんだ、とね。いちばん近いのはキース・ジャレットかな。彼はアメリカの人だけどね。英国人ピアニストならキース・ティペット。ふたりともすごく個性的なピアニストで即興能力が高い。もっとも、僕がやっていることはそのどちらともまた違うんだけどね。ブライアン・イーノとのアルバムではエレクトロニクスを導入しているし……

とにかく、一巡して自分の居場所を見つけた、という感じのようですね。

TR:そう、そういうこと! だから今回のアルバムは『Finding Shore』というタイトルなんだ。

なるほどぉ!

TR:家に帰ってきた、という感じ。あちこちを訪ねて、いろんなジャンルの音楽を経験して、どれも最高に楽しかったけど、気がついたら子どもの頃にやっていた音楽の岸辺にまた辿り着いていた。

おもしろいですね。ジャズの岸辺で最初に聴いたのはどんなアーティストでしたか?

TR:友だちから聴かされたのはアート・ブレイキーの『Moanin'』だったと思う。あれは……50年代か60年代か〔註:1958年録音〕……〈ブルーノート〉の名作アルバムのひとつだよね。僕らのバンドが覚えた最初の曲もそれだったんだ。他にも〈ブルーノート〉の作品に一時期かなり入れ込んで、ホレス・シルヴァーとか、デューク・エリントンとか……デューク・エリントンの〈ブルーノート〉のアルバムで、えぇと……なんてタイトルだったかな、「マネー・ジャングル」とか、そんな名前のやつ〔註:『Money Jungle』は1963年に〈ユナイテッド・アーティスツ〉からリリースされたアルバム〕。そこから始まって放射線状に広がってマイルス・デイヴィス、チャーリー・ミンガス、コルトレーンなどなどをひと通り。ニューヨーク・シティで暮らすようになったのは2003年なんだけど、その頃にはジャズにもそうとう詳しくなっていたつもりだ。というわけで、最初に自分で演奏してみたのはハードバップの名曲で、あれはいまプレイしてもものすごく楽しいし、聴くのも楽しい。

最初からそう思いました?

TR:思ったよ。

お友だちはきっと、ピアノで即興がやれる仲間がなかなか見つからなくて苦労していたんじゃ(笑)?

TR:そうだろうね。何しろ小さな町だし、彼も最初はロックが好きでレッド・ゼップリンなんかをカヴァーしてたんだけど、そこからジャズに目覚めたルークは……そいつ、ルークっていうんだけど、ものすごく熱い男で、ドラマーで、じつはいまでもロンドンでバンドをやってるし、あいつにはジョアンナって姉妹がいて彼女はいまアメリカでシンガーとして活動してる。当時からずっと一緒に音楽の旅をしてきた地元の仲間が生き残って続けているんだから、不思議なものだよ。とはいえ、あの頃やっていたこととはだいぶかけ離れている。あの経験で僕は新たな音楽のランゲイジを身につけることができて、クラシック一辺倒だった僕の世界が広がったのは間違いないけど……、こんな言い方は変に聞こえるだろうけど、ピアノと本気で向き合ったのは21歳くらいになってから、なんだ。

へえ……

TR:ずっと弾いていたけど、さっきも言ったように10代の頃からコンポーザー志向で、しかもクラシックの……現代音楽のコンポーザーを目指していたから、ピアノというのは……とくにジャズをやっている間は趣味というか、弾いていて楽しいだけのもの、という存在だった。ライヴをやる、そして人前で即興をやる。それまでは即興といってもひとりでやって楽しんでいただけなのが、ライヴで人前でやることで評価を得たというか、自分にはそういう能力があるんだって実感できたんだ。つまり、ジャズが僕に与えてくれたのは、ライヴにおける自信、あとは鍛錬……とくにニューヨークに行ってからは周りにビックリするほど才能のある若い子がいっぱいいて、競争がハンパなく厳しかったから、そのなかでなんとか生き延びていこう、自分を評価してもらおう、と技術もだけど個性も磨いていけたのはとても自分のためになったと思う。感謝してるよ。その後、ジャズは諦めてしまうんだけどね。最初のジャズのレコードを作った後で、22歳の頃、ジャズには見切りをつけたんだ。

あちこち旅して回って最後には出発した場所に戻っていくという感じを出したかったのかもしれない。ぐるっと長い環状線を歩いて、出発点に戻ってきたときに、最初とはまったく違う新しい視点で同じ場所を眺められるようになっている……、旅をしてきたおかげで、ね。

そこでTTTが始まるんですか?

TR:ニューヨークからロンドンに戻って、その頃にはもう、ジャズは音的に僕の求めるものじゃないと考えるようになって、聴くのも英国のエレクトロニック・ミュージックが多くなっていた。ロックも一部聴いてはいたけど、ほとんど電子音楽だったな。ロンドンに帰ってまず旧交を温めたのが昔からの音楽仲間で、そいつらがいたインディーズのシーンの連中と知り合って僕もバンドでピアノやキイボードを弾いたり、一時期は一緒に暮らしたりもしていたんだ。そのときのルームメイトが僕を入れて4人で、ミュージシャンが3人とレコード会社に勤めてるやつが1人。だからもう、毎晩のようにどこかで誰かの関連するライヴがあって、出かけて行っては出演したり観覧したり……それがすごく楽しくてね。バンドでやる楽しさも味わったし、お客さんも若いから一緒に楽しめる雰囲気が僕には新鮮だった。ほら、ずっとクラシックとジャズをやってたから、どうしてもお客さんは年齢層が高い上に、ごく限られた層の人しか来ない、ある意味エリート主義なところがある……って、これも後から客観的に気づいたことなんだけど、とにかく僕らがわりと実験的な即興を入れた風変わりで複雑なロックをやっても300人くらい入る会場が若いお客さんでソールドアウトになる様子を見ているうちに、こういうのもありなんだと自信を深めていったんだ。ジャズもクラシックも演奏の場はあるけれど、それほど波及力があるようには思えなかった。個人的な音楽の嗜好もどんどんロック寄り、電子音楽寄りになっていた時期なので、じゃあ自分でもバンドをやってみようか、と。発想としては、ライヴでやる電子音楽。エイフェックス・トゥイン、オウテカ辺りを僕は最初アメリカで耳にして、「こういうのをライヴでやったらカッコいいだろうな」と思っていたんだ。そういえば、アメリカのクラシックのグループ〔註:アラーム・ウィル・サウンドか〕がエイフェックス・トゥインのアルバムを丸ごとライヴでやったんだよな。あれは素晴らしかった。ただ僕の考えでは、それを踏まえて即興を展開するというもので、たとえばドラムもただ機械的に叩くんじゃなくて即興で対応してほしかった。となると、ものすごく難しい仕事だよね。ありがたいことに、アダム・ベッツ〔註:TTTのドラマー〕という適任者と出会うことができて、始動したのが2005年……2006年だったかな。その前に僕はギタリストのマット(・カルヴァート)〔註:TTTのギタリスト〕とふたりで完全フリー即興のライヴをやっていたから、そこからの発展形としてすべてが整ったのが2007年。そしてTTTを名乗って最初のアルバムを出したのが2009年……いや、2008年か。音楽仲間と暮らしていて、そこにレコード会社の人間もいたから人脈は豊富だった。結局、僕らのためにレーベルをスタートするという友だちと組んだんだけど、知り合いが多かったからあっという間に注目が集まった。その時点で僕らがやっていた音楽って、かなり変わってたと思う。バトルズが解散した直後で……バトルズって覚えてるかな、ライヴ電子音楽をやっていたバンドで……

はい。彼らの『Mirrored』が出てから10年になりますね〔注:この取材は昨年おこなわれた〕。

TR:ああ、10年前か。だからまあ、ああいうライヴでやる実験的な電子音楽がおもしろかった時期ではあって、ワクワク感があったんだ。僕らのバンドもエネルギー満載、怒りあり、ユーモアあり……僕は25歳くらいで、(TTTは)人生のあの時期にやるのにふさわしいバンドだったんだと思う。じっさい、僕もいろいろと腹の立つことがあって(笑)、エネルギーを持て余していたから(笑)。ピアノで美しい叙情的な演奏ばかりしている気分じゃなかったんだろう。ツアーらしきこともやって、ほんとうに楽しかった。10年の間にソフトウェアが様変わりして、いまや電子音楽をライヴでやるなんてごく当たり前のことになっているから、若い人はピンとこない話かもしれないけどね。いまはどこへ行ってもそういうライヴを観られるし。次から次へと、みんなが便乗してきてさ。TTTのドラマーはいま、ゴールディとスクエアプッシャーのドラマーをやってるよ〔註:つまりショバリーダー・ワンのドラマー、カンパニー・レイザーの正体はアダム・ベッツだったということ〕。

へえ。

TR:あいつ、あのスタイルのドラミングの世界的なエキスパートになって、当初の僕らが必死になって真似しようとしてたバンドでプレイしているという……

(笑)。

TR:でも、 僕も喜んでる。そもそもうまいやつだったけど、あのバンドでの経験がなかったら、いまの活躍はなかったと思うんで、見ていてワクワクするよ。現状、あの分野のパイオニアとしてのしかるべき評価をあいつはまだ得ていないと思う。そのうちそうなるだろうけどね。理由はさておき、あいつより有名になっているドラマーは他にいるけどさ。あいつのソロ作にも、完全にイッちゃってるすごいのがあるから、ぜひチェックしてみてよ。TTTと同じレーベルから出てるから〔註:『Colossal Squid』〕。あいつもいつか日本で活動できるといいんだけど。

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ピアノ自体が体現するものは19世紀であり、それが人気だった時代なんだよね。〔……〕ピアノで新しいことをやろうと思うなら、やり方を工夫する必要がある。社会的にも政治的にも歴史的にもさまざまな背景を背負った、侵食された楽器なんだから。


Tom Rogerson with Brian Eno
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クラシックの海を航海するうちにジャズの島に辿り着き、また海に出てロックの島に寄り、気がついたら出航した岸辺に戻っていて、そのトイレでブライアン・イーノに出会った。

TR:ははは、正確にはトイレの外で、だけどね。僕は彼女を待ってたんだよ。もちろん、彼女は女子トイレに入ってて(笑)、出てくるのを待ってたらブライアンが通りかかった。トイレに行こうとしてたのかどうかはわからない。とにかくトイレの前だった。で、顔を見たらブライアンだったから、挨拶しちゃおうかな、と思って、したんだ(笑)。そして一緒にレコードを作るに至ったんだから、なかなかすごい展開だよね。当然だけど、まさかこんなことになるなんて、そのときは思ってなかった。ただ「ハロー」って声をかけただけで……なんて言ってるうちにこの話がとんでもなく美化されてしまうと困るのでいまのうちに言っておくと、彼と僕は同じ町の出身なんだよ。イングランド東部の、海に近いほんとうに小さな町の、ね。だから、いつかブライアン・イーノに会うことがあれば、それが話のきっかけになるとはずっと思ってた。彼は地元の有名人で、僕も音楽的にずいぶん影響されていたからね。もちろん大きな影響を与えてくれた音楽家は他にも大勢いるけど、そういう人たちと話す機会がもしあっても「あなたに影響されました。ありがとう」くらいしか言えないのに対して、ブライアンには「すごく影響されました。しかも僕もウッドブリッジ出身なんです」と言えるぞ、と(笑)。同郷っていうのは興味を惹くだろ? たとえそれっきりもう会うことがなくても、その場ではその話題だけで5分は盛り上がれるんじゃないか、と思ってた。じっさい、僕らはその場で5分は喋ったし、連絡先を交換してその後もつきあいが続いたんだ。僕がTTTの話をしたらライヴを観に来てくれたから、メンバーにも紹介した。僕らのライヴには何度も足を運んでくれて、バンドとの共演もしたし、彼がキュレイトしたフェスティヴァルに僕らを呼んでくれて、そこで一緒にセッションしたこともある。いつか個人的に彼と組んでやってみたいと、ずっと思っていたのが今回実現したんだよ。

出会ったのは何年ですか?

TR:2012年だな。

そうでしたか。じつはこの雑誌が2012年の終わりにブライアンにインタヴューしているんですが〔註:紙版『ele-king vol.8』『AMBIENT definitive 1958-2013』にも再録〕、そのときに注目しているバンドを挙げてもらったらTTTの名前が出てきたんですって。

TR:それってたぶん、ノルウェーで彼がキュレイトしていたフェスティヴァルに僕らを出してくれたすぐ後じゃないかな。あのときの演奏は僕ら史上有数の出来だったんだ。

ブライアンからの影響、もしくはブライアンの音楽の初体験はなんでしたか?

TR:これがすごく単純なんだけど、U2の『Rattle and Hum』のビデオなんだ。意外に思うんじゃない? 僕が5~6歳の頃、兄がU2に夢中で、うちに初めてのビデオプレイヤーが来たとき、わが家で初めて観たVHSのテープはU2の『Rattle and Hum』だった。『The Joshua Tree』のツアーを網羅したやつ。ほとんどモノクロで、半ばでいきなり画面が真っ赤になる、あのシーンに圧倒されて。こうして話しているだけでも鳥肌が立つくらいなんだけど……とにかく、その真っ赤な画面に“Where the Streets Have No Name”のイントロが流れてくる。『The Joshua Tree』の1曲目だ。美しいVX7の音。ブライアン・イーノが録音した音だ。あのレコードは彼がプロデュースしたんだからね。それがほんとうに印象的で、赤い画面に彼らのシルエットが浮かび上がり、ステージに上がってきた彼らが位置につくとラリー・マレンが叩き始める……いや、タタン! と鳴らして、そこでストップするんだ。そこであのアイコニックなジ・エッジのギターリフが鳴り始めるんだ。ティリリリリ~♪ で、ドラムがタタンタタンタタン、ドゥドゥドゥドゥ、タンッ! ときて、いきなりスタジアムが明るくなる。スタジアム全体が明るくなって、ヘリコプターからの映像に切り替わり、そこがアメリカンフットボールのスタジアムで、8万人だかでビッシリ埋まっているのがわかるんだ。もう最高。そしてバンドは“Where the Streets Have No Name”の演奏に突入、と……、その影にブライアン・イーノがいたことは当時は知らなかったけど、あのなんとも劇的な瞬間はずっと印象に残っていて、大好きだった。僕の兄は7歳、いや8歳年上なんだけど、U2が好きだったからブライアンが関わっていることも知っていて、「このブライアン・イーノって人はウッドブリッジ出身なんだぜ」と教えてくれて、以来僕も「『The Unforgettable Fire』や『The Joshua Tree』や『Achtung Baby』はこの町から生まれたんだ!」ぐらいに思っていた。ブライアンにはロジャーっていう弟がいて……、ブライアンのお母さんは2005年頃に亡くなっているんだけど、彼女がずっとウッドブリッジ在住だったからイーノ家の男の子ふたりもあの町の育ちで、ロジャーに至っては4×4の車のナンバープレイトに「ENO」って書いてあった。「R15ENO」とか、そんな感じだったと思う。

へえ……(笑)。

TR:子どもの頃、「ENO」って書いてあるナンバープレイトの車とすれ違うと大騒ぎしたもんだよ。

すごいですね。小さい町と言いながら、ずいぶん音楽的な町だったんじゃないかと思えてきました。

TR:考えるとすごいよね。ブライアンは運転しないから、そんなナンバープレイトはおろか、そもそも車を持ったことがないらしいけど(笑)。

そうですか、U2が最初だったんですか。よく知られている彼のアンビエント的なものではなくて。

TR:アンビエント・ミュージックを初めて知ったのは16歳のときで、アメリカのバング・オン・ア・キャンというクラシックのグループだった。『Music for Airports』のカヴァーをアコースティックでやっていたんだ。ロイヤル・アルバート・ホールのBBCプロムス〔註:プロムナード・コンサート〕で、生楽器で演奏していた。まだ僕もクラシックに入れ込んでいた時期で、(BBCの)ラジオ3を熱心に聴いていたら、そのプロムスが流れてきて、僕がピアノでやっていたインプロっぽいことと少し似ているという意味でも驚いたし、刺戟的だった。その後、あんな感じの音楽を書いてみようと努力した記憶もある。『Music for Airports』のピアノの旋律はロバート・ワイアットが弾いていたはずだけど、いまだに僕には印象的で参考にしたくなるんだよね。そこからスティーヴ・ライヒにも興味を持ったし、ロンドンの音楽仲間……さっき話したインディーズのシーンの連中に教えられてデイヴィッド・ボウイとかトーキング・ヘッズとか、ブライアンが手がけてきたいろんな音楽のおもしろいコラボレイションを知ったんだ。デイヴィッド・バーンもそうだし、ロバート・フリップとか、ジョン・ハッセルとか、すごいのがたくさんあった。そうこうするうちに、僕も立派なブライアンおたくさ。

(笑)。

TR:そうなったのは20代になってからだけそね。その前の、8歳と16歳でじつは彼の音楽に遭遇していた、ということ。

今回、作業はどう進めたんですか? じっさいにブライアンと同席して一緒にやった?

TR:そうだよ。ロンドンにある彼のスタジオで、アップライト・ピアノが1台と、彼が試してみたいと言っていたモーグ・ピアノというやつを、いい機会だから使ってみようということで持ち込んで、彼は僕と背中合わせに近い形で座って……お互い直角ぐらいの位置かな、手を伸ばせば届く距離だよ。その状態で僕はピアノを弾き、彼はデスクトップ・コンピュータをいじりながら音を作ったりミックスしたりしていた。僕が弾くピアノの音を彼が録って……ピアノからのMIDIシグナルを彼がコンピュータに録音して、その後、加工していったんだ。たしか作業は15日間。すごい量の音楽を録音したよ。

すみません、もう予定の30分を過ぎているんですが、まだ大丈夫ですか? あと10分でもいただけたら嬉しいんですが。

TR:ぜんぜん大丈夫だよ。僕はいつまでだって喋っていられる。

(笑)。ありがとうございます。助かります。えぇと、ブライアンが試してみたかったというのはモーグ・ピアノ、でいいですか?

TR:うん。モーグ・ピアノ・バー、かな、正確には。

有名なプリペアド・ピアノではなく。

TR:そう。モーグっていうあの楽器の会社が2003年……だったと思うけど、に作ったやつで、ピアノの上に設置してアコースティック・ピアノをデジタル・ピアノに転じるという……。でもプリパレイションはまったく絡んでいない。弦には触れないんだ。鍵盤に触れるだけで。なんか、不思議なセンサーだけで技術的にはじつは極めて基本的なものらしくて、2003年に製造したものの評判はいまいちで、数もあんまり作られなかったらしいよ。たまたまブライアンが1台持っていたんだけど……。

彼はうまく使いこなしていました?

TR:と、思う。なかなかクールな機材だった。うまく機能しないというか、ピアニストからすると不安定で使いづらい。単純な仕組みなのに気分屋で、当てにならないから使い勝手はよくないね。

ケータイに記録しておこう、なんて思った途端に本質から外れて台なしだ。体験することの価値、その場にいることの価値、その瞬間にそのミュージシャンがやっていたことは瞬時に消えて二度と戻らないという刹那の価値。

アルバムの構成ですが、最初のほうに美しいピアノのメロディが印象的な曲が続き、終盤に向けて実験性の高い曲が出てくるようですね。これは流れを考えて意識的にそうしたんでしょうか?

TR:スタジオで15日間作業して、毎日何時間もやっていたから……基本すべて即興で、終わったところで編集というか、音量調整したりすることはあっても、ほとんどはその場で僕が演奏したものそのままなんだ。で、すべて曲が揃ったところでアルバムに仕立てるのは僕に任された仕事だった。だから、ぜんぶ持ち帰って必死でやったよ。要は曲選びってことだけど、ふたりで好きなようにやった結果だから、ものすごく幅広い音世界が網羅されていて、下手したらちょっとゴチャゴチャした印象のアルバムになってしまうんじゃないかと僕は懸念した。ありとあらゆることをやっていて、おもしろいけどとっ散らかってしまうんじゃないか、と。そこで一体感を持たせるために追求したのは、ブライアンの音楽言語である彼の音世界……これはつねにけっこうな一貫性があって、オルガンだろうがベルだろうが徹底しているんだけど、僕の側の音世界は僕の感覚によるメロディでありハーモニーなので、それを彼の世界と擦り合わせて全体としての説得力を持たせなければ……と、まあ、それが音の整合性なわけだけど、他に曲を並べたときに自然な曲線が描かれるような……しかるべきところで頂点に達して、ストーリーを感じさせながら聴き手を旅に誘うような、どこかへ連れ出してしまうような……、いや、違うかもしれないな……、おかしな話だけど、あちこち旅して回って最後には出発した場所に戻っていくという感じを出したかったのかもしれない。ぐるっと長い環状線を歩いて、出発点に戻ってきたときに、最初とはまったく違う新しい視点で同じ場所を眺められるようになっている……、旅をしてきたおかげで、ね。まあ、そんなことをそこまで意識して曲順を決めたわけではないけれど、後から考えるとそんな感じがする。おっしゃる通り、穏やかに、ピアノ重視な始まりから段々とエレクトロニックになっていく中盤、そしてけっこういろんなことをやった上で最後にまた穏やかなエンディングに辿り着く、という感じかな。

穏やかな岸辺、ですね。タイトルが示すように。

TR:そういうことだね。

ピアノはとくにクラシックの分野では昔から主要なメロディ楽器でしたが、発明された当初は非常に馴染みのない、いまでいうデジタルな感触の響きと受け止められたのでは? と質問者は言っているのですが、どうでしょう、意味はわかりますか?

TR:あぁ、もちろん! わかるよ。その通りだと思う。いい指摘だ。まず、ピアノが音楽に与えたインパクトは驚くほどラディカルなものだったはずだ。ああいう形でスケールを鳴らせる楽器が登場したんだから。バッハもピアノでは作曲していない。彼が使ったのはキイボード……クラビコードもしくはハープシコードだ。バッハの音楽は非常に音数が多い。タンタンタンタンタンタン……♪ と、ぎっしり音で埋まっている。考えてみるとそれはアルペジオだろう。モーツァルトやハイドンですら、あるいはスカルラッティあたりの音楽もティラリラティラリラ……♪ と延々と繰り返すことをやっているが、あれだってつまりはアルペジオさ(笑)。おもしろいよね。ショパンだって、ショパンというとみんな叙情的なメロディで有名だと思っているだろうけど、彼の音楽には音の連なりがものすごく多い。いわば16分音符だ。古いエテュードなんか、ティラリラリラ……♪ って(笑)、あれをピアノが支えたことは驚くべき音盤を……音世界を得たことになる。うん、そのジャーナリストの指摘はまったくその通りだと思う。現代におけるシンセサイザーのように、音的にいろんなことを可能にしてくれたはずだ。とくにペダルを使うと巨大な音を鳴り響かせることができるし、サステインも効くし、それ自体がオーケストラだという印象を与えたんじゃないかな。それが一般の人の居間にふつうに置かれるようになり……、いまのピアノの興味深い点は、ピアニストとしては逆にそれが古代の技術であることを意識すべきだということ。もちろん、いまもって優れた楽器であり、インターフェイスが機能していることは後のキイボードもシンセサイザーもピアノのそれを模していることからも明らかだけれど、ピアノ自体が体現するものは19世紀であり、それが人気だった時代なんだよね。エレクトリック・ギターが50年代から60年代、70年代あたりの新しさを象徴しているのと同じだ。いま、エレクトリック・ギターを弾きながら新たな文化を創造している感覚を味わうのは難しい。ジミ・ヘンドリックスがしたように。ね? ピアノにも同じことが言えると僕は思う。ピアノで新しいことをやろうと思うなら、やり方を工夫する必要がある。社会的にも政治的にも歴史的にもさまざまな背景を背負った、侵食された楽器なんだから。そう考えると、これだけピアノ音楽が溢れている現状は興味深い。ここ数年のピアノ音楽は……、こちらの状況で話しているけれどもおそらく日本もそうだろう、日本は昔からピアノに親しみがあるから。

ヤマハの国ですから。

TR:あはは、そうだった。間違いなく最高のピアノを造っている。シンセサイザーも最高だと僕は思うが……、まあ、それはいいとして、ヨーロッパではピアノ音楽の人気の高まりがこの数年顕著でね。たぶんそれは時代を超えて人間に共鳴する馴染み深い音……アコースティックな音をいままた人びとが求め始めていることの証なんじゃないだろうか。デジタル・ライフを象徴するソーシャル・メディア的な、刺戟の多い複雑な混乱した世の中からの逃避、というか。それがいま、より静かな(stiller)ピアノ音楽の再評価という形で表出しているんじゃないか、と僕は思うんだけど、どうだろう。だとしたら、その嗜好は僕にもよくわかる。ただ、僕のレコードがやっていることはそれとは違う。僕のレコードは相変わらず……、なんて言うんだろう、僕のレコードにはデジタルが存在しているから……、なんだろうなあ、べつにラディカルなことをやって驚かせてやろうとか、そんなつもりはぜんぜんないけれど、なんかちょっと他とは違うことをやりたかったんだよね。自分なりの出口を模索した結果、というのかな。ピアノで何ができるのか、と考えた結果、こういう突破口を見つけた、と。TTTについて話したときに言ったように、僕はつねに電子音楽をライヴでやる手法に興味を持って探求してきた。どうすればライヴで優れた電子音楽を披露できるのか。電子音楽はそもそもライヴなものではなかった。シーケンサーやサンプラーやドラムマシーンといった機械を操作して動かすわけだけど、そこに人間という要素が入り込んできて電子音楽を演奏しようとしたら……あるいは電子音楽的なスタイルやサウンドや技術で演奏しようとしたらどうなるか、というのが僕のかねてからの関心事で、ドラムマシーンのように完璧なプレイができるドラマーなんていないし、完璧じゃないがゆえに人間を補おうとしてAIだなんだって洗練された技術が追い求められるのは、それはそれでけっこうなことだが、だったら人間にしかできないことってなんなんだろう、と思うよね。

不完全であること、ですよね。

TR:そうだよね。だから僕らのレコードではそれを許容することにしたんだ。

このレコードもいずれライヴで演奏することを想定して作っていたんですか?

TR:もちろん! 当然だよ。というか、もうやってる。このアルバムはライヴ映えしそうだ。もう少しするとビデオが公開されるから、それを観れば具体的にどうライヴで展開しているかわかるだろう。

そうなんですね。

TR:あと2週間くらい、かな。さっきも言ったようにレコードは即興演奏を文字通り記録(record)したものだけど、曲のもとになっているコンセプトの多くは永遠に拡大可能なんで、どんどん発展させて演奏することができるんだ。コンサートでは、たとえば最初の曲で最初の音を弾いたら、記憶しているその曲を数分弾き進め、どこかの時点でさらなる即興に転じる。あとはどうなるかわからない。もとが即興なんだから、1音1音完全に再現したところで無意味だ。その日のその瞬間にしか生まれえなかった曲なんだから、その精神を再現するという意味でライヴこそが僕にとっては生命線なんだ。レコーディング以上にライヴは興味深い。一度作った曲を世界へ持ち出して、行く先々で、みんなが観ている前で、さらに発展させてみせる。それがライヴの醍醐味。もちろん、そうかけ離れたものにはならないよ。でも、毎晩やるたびに曲が変わるという楽しみや、お客さんに彼らだけの経験をしてもらえるという喜び。曲単位ではなく、一晩ごとにそのときしか存在しない何かを体験するという、まさにそれこそが即興だよ。デジタル文化においては、撮った写真がぜんぶそのまま永久に保存されるけれど、即興は瞬時のものだけにものすごく集中力を要するし、その場にいなければ味わえないという、いまの文化に逆行するとても価値のある体験だと思うんだよね。ケータイに記録しておこう、なんて思った途端に本質から外れて台なしだ。体験することの価値、その場にいることの価値、その瞬間にそのミュージシャンがやっていたことは瞬時に消えて二度と戻らないという刹那の価値。やってる側もだけど、お客さんも思い切り集中しないと体感できないだろうね。

長らくありがとうございました。日本でもライヴを聴けますように。

TR:ああ、ぜひそうしたい。僕はまだ日本に行ったことがなくて、TTTもある程度ファンが日本にいたようだけど機会がなかったから……うん、日本に行けたら楽しいだろうな。音楽的に日本のカルチャーはすごく進んでいる印象がある。遠くから見ている印象だけど、なんだかすごくおもしろそうだ。とにかく、話を聞いてくれてありがとう。

ハテナ・フランセ - ele-king

 2018年ももう2ヶ月経とうとしていますが、フランスの2017年を象徴する出来事の一つ、ジョニー・アリデイの死をきっかけに考えた、フランスにおけるダメ人間感についてお話ししたく。

 ジョニー・アリデイは1950年代終わりから死去する2017年までフランスを代表するロック・スターであり続けた存在。フランス版エルヴィス・プレスリーが2017年まで現役で歌い続けていた、と言ったらわかりやすいだろうか。時代と共に様々なプロデューサーを迎えて歌い続けたジョニーのロックは、労働者階級を中心に大衆に愛された。マドレーヌ寺院で行われた葬儀は華々しく、シャンゼリゼ通りを埋め尽くすファンが霊柩車を見送った。葬儀の最初にはマクロン大統領が「国民よ!」と芝居っ気たっぷりに呼びかけたり、フランスを代表する大衆スターたちがこぞって弔辞を述べたり、まるで国葬だった。こんなにもフランスに愛されたスター、ジョニーだが、決してフランスの尊敬を一身に集める存在ではなかった。生涯に渡って年間数億円、時には数十億円稼ぎ続けたジョニーは、慈善に力を入れるどころか税金対策でスイス国籍を取ろうとして失敗したりした。死後は最初の妻シルヴィ・ヴァルタンとの息子、ダヴィッド・アリデイと3番目の妻(事実婚)ナタリー・バイとの娘ローラ・スメットを相続から除外し、31歳下の最後の妻、レティシアのみに全てを譲るという遺言書が発覚。もちろん娘のローラ・スメットは「愛しいパパ、私は闘います!」とマスコミ向けに公開書簡を送りつけ、最後の妻と前妻の子供たちの大戦争が勃発。どっちに付くかでフランスのセレブは二分し(ちなみに日本でも一時期名を馳せたジャン・レノはレティシア派)、フランスのゴシップ界は連日上へ下への大騒ぎだ。こうしてお金に関して跡を濁しまくって旅立ったジョニーだが、フランスではそれでジョニーの株が下がった感はないのだ。

 だが、それは故人を悪くいうべきではないというモラルからそうなっているわけではない。フランス人はどうやらダメ人間に愛着を感じるようなのだ。

 その理由にはフランス人が二言目には言いたがる「フランスは人権宣言の国だから」というのも表面的にはあるかもしれない。あとは以前シャルリ・エブド事件の際に引用した哲学者ヴォルテールの「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい」という名言。つまり自分とは異なる価値観を持つ者をあるがままに受け入れる、という寛容さがあるのだとフランス人はすぐに自慢をしたがる。だがその割には階級差別や人種差別(特に旧植民地である北アフリカ=アラブ系)は日常茶飯事。個人的には異質な者への慣れとダメな人間を愛でる心が入り混じっているように思うのだ。

 例えばフランスが第7芸術として世界に誇る映画界も社会的には相当問題アリな人ばかりだ。ヌーヴェル・ヴァーグの最高峰監督フランソワ・トリュフォーは主演女優に片っ端から手をつけた。姉のフランソワーズ・ドルレアックが亡くなってから妹のカトリーヌ・ドヌーヴと付き合うというご法度もやってのけたが、特にフランスでは批判も浴びなかった。そのトリュフォーのオルターエゴのアントワーヌ・ドワネル・シリーズで馳せた俳優ジャン=ピエール・レオは、パリの街を徘徊する姿を度々目撃される変人だ。ポスト・ヌーヴェルバーグの旗手監督、ジャック・ドワイヨンはジェーン・バーキンと付き合っていた時に義理の娘シャーロット・ゲンスブールに色目を使った。そしてその事を約20年後に監督作『Boxes』でジェーンにバラされた。だが、映画が作品として評判が芳しくなかった以外は特にこれといった反応もなく……。ドワイヨンが女たらしで人たらしであることは、フランスでは周知の事実、というだけのことなのだ。現代フランス映画界を代表する監督アルノー・デプレシャンは元恋人マリアンヌ・ドニクールの人生に起きた悲劇をもとに大ヒット作「キングス・アンド・クイーン」を作り上げた。元彼の自殺、シングル・マザーとしての生活、そして金持ちクソ野郎との再婚まで彼女に一言の断りもなく映画化したのだ。当然ドニクールは激怒しデプレシャンを告訴。だが判決は「まあ、元ネタかもしれないけど、脚色されてるしね」ということであえなく却下。これらの映画人たちの少々情けない実態はフランス人には「しょうがない人だねえ。でも大した問題じゃなくね?」くらいにしか受け取られない。それによって彼らへのリスペクトや愛は目減りしないのだ。

 もちろんショウビズの世界の人など変人ばかり、そうでないと逆につとまらないのであろう。だが、ここでショウビスの人に対して使われる物差しは一般社会でも比較的有効なようなのだ。ただそこにはイケてる人がダメな一面も持つという限りにおいて、なのだが。昨年10月にニュー・アルバム『Reste』をリリースした際にインタヴューしたシャーロット・ゲンスブールの言葉が端的にそこのことを示していると思う。「NYに移り住んで、娘が聞いているアメリカのメインストリームの曲を聞くことも多くなったの。でもどの曲もなんだかキレイにまとまりすぎてて好きになれない。欠点があるから美しさも引き立つと思うのよ」。さすが音楽の天才にして究極のダメ人間であったセルジュ・ゲンスブールの娘。見事にフランスのエスプリを言い当てている。そして歌は下手っぴだが何をしてもセンスが良く人を魅了する彼女もその言葉を体現している。
 話は少々逸れるが、先述のカトリーヌ・ドヌーヴはトリュフォーに負けず劣らずの誘惑者だ。海千山千で肝の座りまくった彼女にしてみると男とは対等に渡り合ったり、情熱的に愛しあったり、かしずかせたり、あしらったりするものなのではないだろうか。たとえ偉大な監督や力のあるプロデューサーでも、欲望を前にしては情けない(部分を少なくとも持つ)存在だったのでは。生涯独身で通しているドヌーヴのような自立し力を持つ女性は、男性に圧倒的な力を付与することはないのではないだろうか。だからこそ力で押さえつけられた者の気持ちが理解できないのかもしれない。そしてそういった意味でMe TooやTime’s Upのムーヴメントにおける、潔癖性的な男性のみみっちい欲望を根こそぎ淘汰せねばならぬ、という正義感に違和感を覚えたのではないだろうか。

 公共交通機関でさえ時間を守らない国フランス。遅れても堂々と嘘をついたりするのは当たり前。無賃乗車も横行している。スーパーで棚からお菓子を取ってそのまま開けて食べるのも結構普通。立ちションは道端だけでなく、メトロの通路やホームでもしょっちゅう。そんな国では、自分を守りながら生き残るのがまずは最優先。他人の不倫や借金問題に目くじらを立てていては体がいくつあっても足りないのだ。それがフランスの実態なんだと思う。日々をやり過ごすためにいろんなことに目をつぶっていく内に免疫ができる。そうすると少々の(どころか大きくても)欠点はチャーミング、くらいに思えてくる。そんな風に思える日が訪れたら、私もカトリーヌ・ドヌーヴばりのパリジェンヌになれるのかも。たぶん無理だけど。

MALA - ele-king

 春だ。Jリーグも開幕した。たのむ、冬よ明けてくれ。電気代が高くてしょうーがねぇ。
 春分の日の前日、3月20日に代官山ユニットにマーラがやって来る。Brialも影響を受けた、ダブステップにおける最重要人物のひとりである。また、同日には、UKのベース系アンダーグラウンドと深くリンクするゴス・トラッドも出演する。行くしかないでしょう。

ダブステップ/UKベース・ミュージック界の最重要人物MALA、2年振り一夜限りのDBSスペシャル・セッション決定!

 伝説のDMZを旗揚げ、その精神はDeep Medi Musikへと受け継がれ数々の秀作を世界のベース・シーンに投下し続け、2018年記念すべきEP100をリリース。MALAはDBSのこれまでの節目でプレイ、最高のヴァイブを醸し出してくれた。
 今回一夜限りとなるDBSスペシャル・セッションにはMALAの盟友、GOTH-TRADがインダストリアルかつエクスペリメンタルなLIVEで異次元の音世界を創造、そして独創的なサウンドで多岐にわたり活動を繰り広げるJUZU a.k.a. MOOCHY、東京ベース・シーンの重鎮PART2STYLE SOUND、ダブステップ・シーンのホープHELKTRAMらが集結。

 UNITサウンド・システムに加えBROAD AXE SOUND SYSTEMを設置、最高品質かつ最重低音の神髄を体感して欲しい。
”Come meditate on bass weight!"


DBS Special feat.MALA

feat.
MALA [DEEP MEDi MUSIK]

with.
GOTH-TRAD [DEEP MEDi MUSIK / Back To Chill]
JUZU a.k.a. MOOCHY [NXS / CROSSPOINT]
PART2STYLE SOUND
HELKTRAM

vj/laser: SO IN THE HOUSE
extra sound: BROAD AXE SOUND SYSTEM

2018.03.20(TUE)@UNIT
open/start 23:30
adv.3,000yen door.3,500yen

Ticket outlets:NOW ON SALE!
PIA (0570-02-9999/P-code: 107-273)、 LAWSON (L-code: 71371)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia ー https://clubberia.com/ja/events/276865-DBS-Special-feat-MALA/
RA― https://jp.residentadvisor.net/events/1068109


info. 03.5459.8630
UNIT >>> www.unit-tokyo.com


Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
www.unit-tokyo.com


★MALA (Deep Medi Musik / DMZ)

 ダブステップ/ベース・ミュージック界の最重要人物、MALA。その存在はJAMES BLAKE、ADRIAN SHERWOOD、GILLES PETERSON、FRANCOIS K etc.多方面からリスペクトされている。ジャングル/ドラム&ベース、ダブ/ルーツ・レゲエ、UKガラージ等の影響下に育った彼と盟友のCOKIは独自の重低音ビーツを生み出すべく制作を始め、DIGITAL MYSTIKZとしてアンダーグラウンドから胎動したダブステップ・シーンの中核となる。'03年にBig Appleから"Pathways EP"をリリース、'04年にはLOEFAHを交え自分達のレーベル、DMZを旗揚げ、本格的なリリースを展開、Rephlexのコンピレーション『GRIME 2』にフィーチャーされる。'06年には"Ancient Memories"、"Haunted / Anit War Dub"やSoul Jazzからのリリースで知名度を一気に高め、自己のレーベル、Deep Medi Musikを設立。以来自作の他にもGOTH-TRAD、SKREAM、SILKIE、CALIBRE、PINCHらの作品を続々と送り出し、シーンの最前線に立つ。'10年にはDIGITAL MYSTIKZ名義の『RETURN II SPACE』をアナログ3枚組でリリース、壮大なスケールでMALAのスピリチュアルな音宇宙を明示する。'11年にはMALAの才能に惚れ込んだGILLES PETERSONと共にキューバを訪問、現地の音楽家とセッションを重ね、持ち帰った膨大なサンプル音源を再構築し、'12年にBrownswoodからアルバム『MALA IN CUBA』を発表。キューバのルーツ・ミュージックとMALAのエクスペリメンタルなサウンドが融合し、ワールド・ミュージック/エレクトロニック・ミュージックを革新する。バンド編成によるMALA IN CUBA LIVEは各地で大反響を呼び、'13年10月には朝霧JAMとDBSで衝撃を与える。MALAのグローバルな音楽探究の旅は続けられ、ペルーでのレコーディングを熟成、集成したアルバム『MIRRORS』が'16年6月にリリース。そして2018年に自身のレーベルDeep Medi Musik”はEP100リリースを達成する。

https://www.dmzuk.com/
https://deepmedi.com/
https://www.facebook.com/malamystikz
https://twitter.com/mala_dmz


★GOTH-TRAD (DEEP MEDi MUSIK / Back To Chill)

D.A.N.+VJ AKIKO NAKAYAMA - ele-king

 D.A.N. oneman live Chance。入口の看板にそう書いてあった。昨年末の恵比寿リキッドルームでのライヴを終えて間もなく、東京のみの新たなライヴの告知が発表された時には随分妙なタイミングだとは思ったけれど、どうやら今夜はその日の未明に配信開始が発表された新曲"Chance"のデジタル・リリース日に合わせて企画されたパーティーらしい。しかも今回は「Alive Painting」というパフォーマンスを行う画家の中山晃子をVJに迎えて、コラボレートしたライヴを披露するとのこと。チャンス。それは曲のタイトルではあるけれど、期待が高まる。

 開始時間の直前に到着すると、フロアではSEにWünderの“Lock Out for Yourself"が流され、若くてお洒落な男女が並んで待つスタイリッシュな空間が既に整っていた。ほどなくして照明が落ち、暗闇の中にメンバーが現れる。エピローグのような浮遊感漂うオープニングからゴリッとした原始的なリズムが徐々に加わり、D.A.N.の代表曲といえる"Zidane"が始まる。1stアルバム『D.A.N.』の1曲目にして一番アグレッシブなこの曲はライヴのはじまりに相応しく、一瞬にして身も心も踊らされてしまう。そのままのテンションをキープしながらリズムは反復し続け、後方のスクリーンに映し出された煙のようなグレーは青や白と混じって流れていき、サポート・メンバーの小林うてなが操る印象的なスティールパンの音色に導かれながら、次の“SSWB"にスムーズに繋がる。以前ミニ・アルバム『Tempest』のディスク・レビューの際にも書いたのだけれど、ミニマル且つダンサンブルなこの人力サウンドに、口ずさみたくなるようなメロディアスな歌を乗せてしまうバランス感覚がD.A.N.の持ち味で、よくあるダンス・ロックのように力任せに高揚感を持たせたり、あるいはクラブ寄りなリズムに偏りすぎてメロディを減らしたり、職人的にインストに走ったりというようなことはせずに、驚くほどしっかりと歌を、しかも日本語を柔らかくフラットに乗せているところが何度聴いても新鮮。ダンス・ミュージックとポップスの二面性を持っていて、どちらにも振り切らずゆらゆらと揺れ続けているような不思議な魅力がある。いろんなアーティストの影響を公言しているなかに宇多田ヒカルの名前を挙げているところもとても興味深い。

 その後は1stアルバムの曲順をなぞるように“Native Dancer"から“Curtain"までを続けて披露していく。会場内で同時に行われていた「Alive Painting」という映像パフォーマンスは、絵の具などの液体や固体を様々な質感の紙やアクリルガラスの上で流動的に反応させていく手法で、ひとつひとつの曲に合わせながら(“Navy"では濃紺、“Curtain"では紅に)色が波のようにうねって重なり、マーブル状に動いたり、光る粒子と混ざり合ったり、またはロールシャッハ・テストのように意味深な形をしてみせたり、かと思えば水墨画のように濃淡をつけて滲んだりと非常にサイケデリックで、じわじわと心地よく蝕まれていくような感覚。ひとところにとどまらず絶えず動いている予測のできない生々しさは、バンド・サウンドのズレや隙間に生まれる肉体的なグルーヴにも似ていて、完成された緻密な作品にはないライヴならではの臨場感に目を奪われることが何度もあった。

 初期のEPの曲“Now It's Dark"を置いてから最近のダウンテンポな曲を連続して統一感を持たせた後半は、いつものD.A.N.のイメージの淡いブルーグレーや深黒の空間がピンクや白に幻想的に変化してゆき、音と映像が醸し出す不穏なムードに吸い込まれていくよう。特に楽曲としてもひとつの到達点の“Tempest"は圧巻で、後半の高揚していく音の展開に誘われて膨らんだ赤い球体がパチンと弾けて流れだす瞬間は、他者と融合し同化していくように官能的で、恐ろしいほど美しかった。そして昨年からライヴで既に披露されていた“Chance"は、歌声とシンセを強調してさらにスケールを増したライヴ映えする素晴らしい曲。ラストはもうひとつの新曲“Replica"の穏やかな音に合わせてスクリーンが静かに黄色く染まっていくエンディングで、D.A.N.の見たことのない姿を映し出したように見えた。なんて眩しくて芸術的なんだろう。これらは自然に起こるものではなく、人の手によって動かされているからこそ神秘的で、だからこそこんなにも惹きつけられる。

 本編は終了。アンコールで再び登場し、ヴォーカルの櫻木大悟が「映画のエンドロールを見るような感じで聴いてください」と説明して最後に“Pool"で明るく終わったので、客席も緊張がほぐれ、別世界から戻ったような気分になった。MCはほぼ無し、“Ghana"をやらなかったのも納得の90分、13曲。その日、その瞬間、そこで目撃したもの。もしかするとD.A.N.の一番凄まじい状態を観てしまったかもしれない。そしてそれはきっと、まだ更新され続ける。

 ライヴが終わり会場のドアが開くと、その夜の空気を纏った私たちの体は都会の夜に流れていき、急速に別の方向へと進んだり留まったり交わったりしながら、ゆっくりと世界に馴染んで別の形に姿を変えていくような、そんな気がした。

EP-4 [fn.ψ] - ele-king

 世界の事象すべてをマクロ/ミクロにスキャンするようなアンビエント・サウンドがここにある。EP-4 [fn.ψ] (ファンクション サイ)のファースト・アルバム『OBLIQUES』の1曲め“Panmagic”を耳にしたとき、思わずそんなことを感じてしまった。
 聖性と変化。冷気と熱。柔らかさと硬質さ。時間と空間。重力と無重力。これらの世界の事象の両極を往復する立体的かつ多層的にレイヤーされたサウンドが鳴り響いている。『OBLIQUES』の試聴はこちらのサイトからできる。アルバムの一部だけだが、まずは聴いて頂きたい。

 結論へと先を急ぐ前に本作『OBLIQUES』の概略を簡単に記しておきたい。リリース・レーベルは80年代の伝説的(いや「事件的」とでも称するべきか)アヴァン・ファンク・ユニットEP-4の佐藤薫が新たにスタートしたレーベル〈φonon〉(フォノン)である。〈φonon〉は、80年代にEP-4『Multilevel Holarchy』、佐藤理『OBJECTLESS』などをリリースしていた佐藤薫主宰のレーベル〈SKATING PEARS〉のサブレーベルという位置づけであり、今後もノイズやアンビエントなどエクスペリメンタル音楽のリリースが予定されているという。2010年の佐藤薫復帰以降では、2012年のEP-4再始動に匹敵する大きなアクションではないかとも思う。
 今回のレーベル・ファースト・リリースでは、EP-4 [fn.ψ] と同時にRadio Ensembles Aiidaの新作『From ASIA (Radio Of The Day #2)』も同時に発売された。こちらはBCLラジオを複数台使用して受信した音を用いて聖性と神聖と現実を交錯させるアーティストA.Mizukiによる音響シャーマンとでもいうべき作品である。2017年に『IN A ROOM -Radio of the Day #1-』がリリースされている(このアルバムのライナーは佐藤薫が執筆していた)。独特の霞んだサウンドがもたらす意識感覚は唯一無二だ。『OBLIQUES』と『From ASIA (Radio Of The Day #2)』ともにある種、音響の「儀式性」といった側面では共通するムードがある。ぜひとも聴いて頂きたいアルバムである。

 さて、EP-4 [fn.ψ] に戻ろう。EP-4 [fn.ψ] は、佐藤薫とEP-4の別働隊でPARAの活動でも知られる家口成樹とのユニットである。2015年に結成され、これまでも京都、大阪、東京などでライヴ活動を展開し、その独自の音響空間によって聴き手に静かな衝撃を与えてきた。本作『OBLIQUES』は、待望の初CD作品である。これでわれわれリスナーは「録音芸術作品」としてのEP-4 [fn.ψ] のアンビエント/アンビエンスな音響世界を聴き込むができるというわけだ(ちなみにEP-4関係の新譜としては佐藤薫とBANANA-UGによるEP-4 unit3『À Artaud』から約5年ぶりのCDリリースとなる)。
 収録されている音源は2016年6月11日に大阪で行われたライヴ録音がベースとなっている。アルバムは9トラックに分かれているが、ベーシックはライヴ録音なので基本的にはひとつの演奏/音響として繋がってはいる。「基本的には」というのは、その音響は持続の中にあって複雑な立体性と多層性を獲得し、次第に変化を遂げており、いわゆる単一の音響が生成変化を続けるドローン音楽のライヴ演奏とは一線を画する。ドローンとノイズ、環境音と電子音、それらの音が多層的に組み合わされ、持続と変化が生まれているのだ。
 それはひとつの流れでもあり、複数の時間の結合でもある。音と音はシームレスに繋がっているのだが、しかし音は変化し続ける。いわば地上から空へ、小さな水の結晶から成層圏へ、サウンドはミスト/清流のように生成変化を遂げていく。

 その音に耳を澄ましていると、さまざまな変化が巻き起こっているのも分かってくる。人間と世界の音を媒介にした関係性を考察/感覚するサウンドスケープとでもいうべきか。世界に状況/情報をすべてスキャニングし、記憶を再生成するアンビエント。それは複雑であり、動的であり、しかしスタティックでもある。
 2曲め“Enantiomorphs”では、細やかなミスト・サウンドを発しながらも、その音響空間は次第に壮大になる。3曲め“Sonic Agglomeration”では儀式的な音がレイヤーされ、細やかな音のエレメント/モジュールが滑らかに、胆に大きなウェイヴを描く。4曲め“Pluralism”では音の打撃か鼓動を思わせるキック音が響きもする。だがそれもすぐに消え去り、5曲め“Pogo Beans”では環境音と持続音が波のように曲線を描く。ここまでの流れはまるで儀式のごとき厳粛さがある。
 続く6曲め“Hyperbola”以降は、それまでの粒子的電子音の清流から一変し、不穏なインダストリアル・アンビエントとでも形容したい都市のサウンドへと変化を遂げる。マテリアルな7曲め“Diagonal”、都市空間の監視カメラのような8曲め“Flyby Observations”を経て、最終曲“Plural (outro)”ではインダストリアルな反復音と“Pluralism”でも鳴り響いていたキックの音が再び鳴り響く。なんとも不穏なムードだ。透明な成層圏から再びこの地上へと戻ってきた感覚を聴き手にもたらす。
 マクロとミクロ。ミニマムとマキシム。フィクションとリアル。上昇と落下。この『OBLIQUES』を聴いているあいだは、その両極を往復しながら世界を、生物を、有機体を、無機物を、音を、音楽を、それら全体のアンビエンスを「感覚」で認識することになる。
 「感覚」とは多層的な情報を、高速で処理しながら人の心身に対して作用するように事象を圧縮・変化させるものだ。変化の過程、その受信としての「感覚」。変化の過程を受信し、感覚するとき、それは耳と脳を通して心にも効いてくる。「音楽を聴く」とは、「感覚」を拓き、「感覚」を受け入れ、「感覚」を新たに生成する行為ではないか。それはこの世界そのものを新しい感覚で再認識することも意味する。世界を斜めから見る/聴くこと。
 EP-4 [fn.ψ] の高密度にしてアトモスフィアなノイズとアンビエントは、そんな世界への「感覚」を拓く。感覚の生成によるサウンドスケープの交錯/融合。それこそがEP-4 [fn.ψ] 『OBLIQUES』の音響世界の本質に思えてならない。


サイバースペースからストリートへ - ele-king

 いよいよアルバムをリリースするCVNのリリース・パーティが4月21日(土)、幡ヶ谷Forestlimitにて開催される。彼が主宰するサイバースペース上の仮想広場、「Grey Matter Archives」のショーケースでもあり、CVNのライヴのほか、さまざまなプロデューサーたちが集合する。これはインディではなく、未来に向かうオルタナティヴである。この夜を逃すな!

4/21(土)
Grey Matter Archives Showcase
-X in the Car release party-

at 幡ヶ谷Forestlimit

Open 18:00
Tickets 2000yen(w/1d)

Live
CVN
LSTNGT
Aya Gloomy
refund

DJ
Flora Yin-Wong
pootee
Mari Sakurai
荒井優作
Naohiro Nishikawa


info
https://forestlimit.com/
https://greymatterarchives.club/

Ashley Henry & The RE: Ensemble - ele-king

 先日の『We Out Here』のレヴューで触れたとおり、現在の南ロンドンのジャズ・シーンは活況を帯びている。若くて才能のあるミュージシャンが豊富で、そうした人たちが互いのバンドやセッションで接触し、そこからどんどんとアイデアが生まれているといった状態だ。南ロンドンのジャズはディープ・ハウスやブロークンビーツから、グライムやフットワークに至るクラブ~ストリート・サウンドとも繋がりを持つが、ジャズに限らずこの一帯からはキング・クルール、トム・ミッシュ、コズモ・パイク、ジャークカーブ、プーマ・ブルーなど次々と新しい才能が生まれている。ロックやパンクも盛んで、街そのものに活気があるのだろう。ジャズ・ミュージシャンでは『We Out Here』の音楽監督を務めたシャバカ・ハッチングス、最新作でジャズとジャマイカ音楽を結んだザラ・マクファーレン、アフロからエレクトリック・サウンドなど柔軟に乗りこなす天才ドラマーのモーゼス・ボイド、エズラ・コレクティヴに参加するジョー・アーモン=ジョーンズなどがキー・パーソンだが、ほかにも女性版カマシ・ワシントンとも形容できそうなヌビア・ガルシア、そのヌビアらと女性だけのグループのネリアを結成するギタリストのシャーリー・テテ、ギル・スコット=ヘロンとモス・デフが出会ったようなシンガー・ソングライター&ギタリストのオスカー・ジェローム、南ロンドン・ジャズ・シーンの数多くのセッションに参加する重鎮的ベーシストのダニエル・カシミール、ハイエイタス・カイヨーテばりのフューチャー・ソウル・ユニットのトロープといった具合に、多くのタレントがひしめきあっている。ジャズをやっている大半は黒人で、ジャマイカやドミニカなどのカリビアン系と、アフリカからの移民が交差するクロス・カルチュラルな点が南ロンドンの特徴でもある。UKジャズの歴史を遡れば、1980年代にコートニー・パインやクリーヴランド・ワトキスらジャマイカ系ミュージシャンによってジャズ・ウォリアーズが結成され、その中からゲイリー・クロスビーによるミュージシャン育成機関のトゥモローズ・ウォリアーズが誕生し、シャバカ、ザラ、モーゼスらが輩出されている。このように南ロンドンのジャズ・シーンが活況を呈するのは今に始まったことではなく、歴史の積み重ねの中で前の世代から次の世代へと音楽や技術の橋渡しが行われ、そうしたジャズの強固な土壌があったからということが理解できるだろう。

 こうした南ロンドンのジャズ・シーンにあって、もっとも注目すべきピアニスト及び作曲家がアシュレイ・ヘンリーである。1991年生まれの彼は生粋の南ロンドン子で、2016年にロイヤル・アカデミーを卒業したばかりの音楽エリートだが、ティーンの頃はロックからギャングスタ・ラップ、ヒップホップを聴いてきて、そのあたりは今の若いジャズ・ミュージシャンらしい。ロバート・グラスパーあたりからこういったタイプのジャズ・ミュージシャンが増えてきたのだが、アシュレイもグラスパーとは国際ピアノ・トリオ・フェスティヴァルで共演し、彼から多大な影響を受けている。ほかにピアニストとしてアーマッド・ジャマル、ハービー・ハンコック、バド・パウエルからの影響を述べる一方、現在の好きなミュージシャンにはグラスパーと並んでクリスチャン・スコットの名を挙げ、2017年のベスト・アルバムとしてサンダーキャットの『ドランク』を選んでいる。さまざまなジャズ・フェスティヴァルに出演する一方、ジャズ・カフェの音楽監督としてジャズの偉大な先人たちに捧げた「マイルストーン」というイベントを開催し、エズラ・コレクティヴやクリーヴランド・ワトキスらがステージを踏んでいる。録音作品としては2016年に〈ジャズ・リフレッシュド〉から『アシュレイ・ヘンリーズ・ファイヴ』というEPをリリース。サム・ガードナー、サム・ヴィッカリーと組んだピアノ・トリオで、セロニアス・モンクの“モンクズ・ドリーム”をカヴァーし、“デジャ・ヴ”という素晴らしいモーダル・ジャズを演奏していた。そのほかブルー・ラブ・ビーツというユニットの『Xオーヴァー』というアルバムにも参加しているが、こちらはヒップホップやR&Bからフットワーク調の曲をやるなどクラブ・サウンド色の濃いもので、モーゼス・ボイド、ヌビア・ガルシア、ダニエル・カシミールら南ロンドン・ジャズ勢が大挙参加。クラブ寄りのサウンドをすんなり演奏できるところを見せていた。

 そんなアシュレイの新作は、新ユニットとなるリ・アンサンブルを率いての演奏となる(録音自体は2017年の1月から3月)。このアンサンブルは曲やセッションによって編成が変わるようで、本EPでは“イースター”がクインテット+パーカッションで、残りはピアノ・トリオ。このトリオはダニエル・カシミールとルビー・ラシュトンのドラマーであるエディ・ヒックの組み合わせで、クインテットの方はドラムがシネマティック・オーケストラのルーク・フラワーズに代わり、アシュレイも共演経験があるアメリカのベテラン、ジーン・トゥーサンがテナー・サックスを演奏している。そのほかトロープの女性ヴォーカリストのチェリース・アダムス・バーネット、シャバカ・ハッチングスなどとも共演するトリニダート出身のポエトリー・シンガーのアンソニー・ジョセフが参加。“イースター”でのアシュレイは、瑞々しく気品溢れるピアノと共にワードレスのヴォーカルも披露している。ナズの“ザ・ワールド・イズ・ユアーズ”のカヴァーはヒップホップで育った彼らしい選曲で、元ネタとなったアーマッド・ジャマルに対するリスペクトも示し、演奏はグラスパーからの影響が如実に表れている。“プレッシャー”は人力ブロークンビーツ風のナンバーで、チェリースのヴォーカルがソウルフルなムードを伝える。“バニー”はモーダルな変拍子の作品で、ジャズ・ピアニストとしてのアシュレイの叙情的な側面を伝える。“ムーヴィング・フォワード”はアフロ+ブロークンビーツ的なリズムを持ち、アシュレイのリリカルで美しいタッチのピアノがそれと好対照を見せながらも、うまくマッチするという曲。叙情性の中にシャープさを併せ持ち、美しさと力強さを共存させることができる彼のピアノは、エンリコ・ピエラヌンツィあたりの持ち味にも通じるものだ。『アシュレイ・ヘンリーズ・ファイヴ』収録の“セント・アンズ”は、ラッパーのマティックをフィーチャーしたセルフ・リミックス(再演)で、ロバート・グラスパー・エクスペリメントをイメージさせるものとなった。グラスパーからはちょうどひと回りほど下となるが、彼から影響を受けた新しいジャズの世代が出てきたことを知らせるピアニストだ。

Yoshi Horino(UNKNOWN season / YoshiFumi) - ele-king

House Tree Top10

手前味噌ですが、音でつながるご縁から広がり生まれたコンピ2月26日発売(Traxsource独占販売)をよろしくお願いいたします!

V.A. - House Tree(USDC0077) - UNKNOWN season
https://soundcloud.com/unknown-season/sets/v-a-house-tree-26th-feb-2018
feat. Franck Roger, Korsakow(Tigerskin aka Dub Taylor), Jack Jenson
Alton Miller, Lars Behrenroth, Pete Moss, Nick Holder
Chris Coco, Satoshi Fumi, Crispin J Glover, Iori Wakasa, Luyo and more

DJ schedule:

3.2.(Fri) Deep Monday Final at 頭バー
3.17.(Sat) PYROMANIA at 頭バー
4.20 (Fri) Plus at Suree

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