「Nothing」と一致するもの

Ichiko Uemoto - ele-king

 写真家・植本一子による最新作品集『うれしい生活』が河出書房新社より刊行されている。「家族のかたちを模索した十年の軌跡」がテーマで、晩年の ECD の姿も多く写し出されている。なお、1月10日から1月23日にかけて、同書の出版記念写真展が渋谷 nidi gallery にて開催。詳しくはこちらより。

植本一子
うれしい生活
河出書房新社
A4変形 192ページ
ISBN:978-4-309-25648-1
本体2900円+税

内容
夫との出会いと結婚、子どもの出産と成長、そして突然訪れた夫の死──変容する現代に、家族のかたちとはなにか? 光の束のなかにその姿を写す、気鋭の写真家による初めての作品集。

著者
植本一子(ウエモト イチコ)
1984年、広島県生まれ。2003年キャノン写真新世紀で優秀賞を受賞。著書に『働けECD 私の育児混沌記』『かなわない』『家族最後の日』『降伏の記録』『フェルメール』『台風一過』など。

https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309256481/

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Tokyo Protest Rave 2 - ele-king

 紙エレ最新号『ele-king vol.25』でもフィーチャーした Mars89 がまたやってくれます。去る10月26日、Mari Sakurai、Mars89、Miru Shinoda の主導により実行された《渋谷プロテストレイヴ》、その第2弾が1月12日に開催されます。今度の舞台は新宿で、「#0112新宿プロテストレイヴ」と題されています。DJとして Mars89、行松陽介が、MCに ONJUICY が出演。アフターパーティも予定されており、そちらには Miru Shinoda、Mari Sakurai、JACKSON Kaki、1017 Muney も参加。ちなみに同レイヴは「#新宿占拠0112」の一環として開催されるものでもあるようで、おなじ日に札幌、新潟、名古屋、大阪、和歌山、北九州でも一斉に抗議がおこなわれる予定。詳細はこちらhttps://occupyshinjuku.qcweb.jp/)より。路上で踊るのは楽しいですよ~。

#0112新宿プロテストレイヴ
We Dance Together. We Fight Together.

1/12 (日)
新宿中央公園水の広場
13:00集合 13:30出発
参加費: 無料
※出発、解散地点でカンパの呼び掛け有り。
年齢制限: なし
ドレスコード: 強め

DJ:
Mars89
行松陽介

MC:
ONJUICY

「ダンスは抵抗である」

We Dance Together. We Fight Together.
アフターパーティー

1/12 (日)
新宿アルタ前
15:30スタート
参加費: 無料
※現地でカンパの呼び掛け有り。
年齢制限: なし

DJ:
Miru Shinoda
Mars89
Mari Sakurai
行松陽介
JACKSON Kaki
1017 Muney

MC:
ONJUICY

「ダンスは抵抗である」

 現実から立ち去ってしまいたい夜。もしあなたがラッパーなら、そんなときでも、ラッパーというペルソナを持っていることで、なんとかこの世界に踏み止まれるかもしれない。巧みなスキルに裏打ちされたラップの美学を用いて「告白」することが可能だからだ。そんな夜にざわつく心境を、めくれ上がる傷の襞を、溢れ出す表現力を用いて、ライムにしたためてしまえばいい。もしあなたがラッパーではないとしても、そのような夜をいくつも乗り超えるラッパーの心性を覗きたいなら、本書のページをめくってみてほしい。

 それにしても、なぜラッパーたちはみな、ここまで頻繁に神のことを口にするのだろうか? USのラップ・ミュージックを嗜み、そのリリックの内容にも耳を傾ける愛好家なら、一度は疑問に思ったことがあるかもしれない。もちろんラップに限らずキリスト教圏由来のあらゆるコンテンツで、僕たちは神や宗教への言及を頻繁に目にする。映画、文学、Netflix のドラマ、音楽全般。宗教や倫理がメインテーマとなる作品も多い。日本で生まれ育った者の多くは、それらの作品を本当の意味で理解することの難しさに突き当たるかもしれない。

 例えば、ケンドリック・ラマ―の傑作『good kid M.A.A.D city』のなかでも終盤の重要な一曲 “I’m Dying of Thirst” を例に挙げよう。「ストリートコーナーのドラッグ絡み/あそこには検死官/娘を亡くして/母親が悲嘆にくれる/流れ弾だった/AK-47 のやつだ/奴らは彼女を蘇生させようと何度も試みる/だがそれは叶わない」というケンドリックの言葉数少なく冴えわたった描写は、僕たちに直感的に映像を喚起させる。だが一方で楽曲が終わった後のスキットはどうだろう。まずは、ケンドリックの仲間が吐き捨てるように言う。「くそっ、こんなことはウンザリだ。逃げ回るのはもう飽きちまった」と。彼らは過酷な現実から逃げ回り続ける日々に絶望している。するとそこへマヤ・アンジェロウが演じる老婆がやってきて、彼らを導こうとする。彼女は、罪人としての神への祈りの言葉を唱える。そしてそれらを若者たちに復唱させ、そこから新たなる人生が始まるのだと諭すのだ。この展開を頭で理解するのは難しくないだろう。しかしそこに実感が伴っているかと言われると、ためらいがあるかもしれない。神に祈り、悔い改めることで、赦されるという実感。

 このことはラップのリリック面に留まらない。サウンド面においても、そのような理解へのためらいが生じる場面もあるだろう。例えばカニエ・ウエストの『Jesus Is King』のオープニングや “God Is” のような楽曲に耳を傾けてみよう。ゴスペル節が前景化した希望に満ちたサウンドは、一聴すると、すっと胸に入ってくる感覚がある。だがカニエを突き動かす信仰溢れ出す彼の歌声とセットで聞くとき、その賛美のサウンドを理解できているのかと問われれば、少し考え込んでしまうかもしれない。ここでもまた、名状し難いためらいがつきまとう。

 このようなためらいはさらに、ラッパーたちの振る舞いを目にすることで、困惑に変わるかもしれない。例えば、ギャングスタ然としたマチズモ全開のラッパーが、良心や倫理感を持ち合わせていないかのような過激なリリックを披露しながらも、別の曲では神に祈り自らの罪を告白するような場合だ。そのようなある種のダブルスタンダードを、一体彼らはどのように処理しているのだろうか。そしてキリスト教とは、このようなダブルスタンダードをどのように受け止めているのだろうか。

 神学を学び、牧師となった著者の山下壮起は、アフリカ系アメリカ人の社会で7年近くの時間を過ごした経験を持つ。山下は、自身のヒップホップヘッズと神学者というふたつのペルソナからの見地で、そのようなダブルスタンダードが生まれた理由を丁寧に解きほぐしていく。ラッパーたちを始めとするヒップホップ世代の若者たちは、神や宗教に対して、アンビヴァレントな感情を抱いている。端的に、彼らは引き裂かれている。本来、救済を求める者の受け皿となるべき教会は、ヒップホップのような世俗的な音楽を批判し、貧困層の現実には目を向けてくれない。だから、むしろヒップホップ・ミュージック自体に困難な現実からの救済を求めるようになる。だが、彼らは決して非宗教的になったわけではない。そのことは、ラッパーたちが聖書の物語を引用する例が後を絶たないのを見ればよく分かる。

 ヒップホップは「聖と俗の両面から救済へのアプローチをもつ」、つまりゴスペルとブルースの両方の機能を持つのだと、山下は指摘する。聖俗二元論では割り切れない「救済」としてのヒップホップは、僕たちから見ると、ときに非常にアンビヴァレントな表現を抱えている。ラッパーたちは、極めて不条理な現実を前に、もはや神を信じることはできないと明言する。しかしそのような神への不信をライムすること自体がすでに、神の存在を前提としているからだ。

 ラッパーたちは、生きることの困難さを歌う。そのとき、生きてラップすることこそが、救済にも抵抗にもなりうる。ラップという表現を持ち合わせたことが、ラッパー自身にとっては生きる理由ともなるからだ。それは端的に、救いだ。「ラップがなかったら、どうなっていたことか分からない」というラッパーたちの発言を耳にすることも多い。そして、そのラッパーとしての道を全うし、サヴァイヴすることこそが、不条理を生み出す社会構造への抵抗でもある。

 そしてなによりも、忘れてはいけないことがある。ラップは、ためらいながらもすがるような思いでそのリリックに耳を傾けるリスナーたちへの救済として、いつでもそこにある。

Da Lata - ele-king

 1990年代半ばのアシッド・ジャズやクラブ・ジャズのムーヴメントの中で、サンバやボサノヴァなどブラジル音楽が人気を博した時期があった。1960~1970年代の古い音源をDJが発掘してプレイする一方、実際にブラジル音楽やラテン・ジャズなどを演奏するバンドやユニットも現われた。そのほとんどがいまは活動していないのだが、代表格のダ・ラータは現在も地道に活動をおこなっている。
 ダ・ラータはDJのパトリック・フォージとミュージシャン/プロデューサーのクリス・フランクを中心としたユニットで、バトゥというバンドを母体に1994年頃から活動している。ダ・ラータの特徴はブラジル音楽とアフロビートをミックスさせた点で、それが純粋なブラジル音楽を演奏するバンドとの大きな差異となっていた。パトリック・フォージのDJとしての嗅覚や音楽知識に裏打ちされ、ダ・ラータはアフロビートだけでなく様々なタイプの音楽を結び付けていき、2000年前後のウェスト・ロンドンのブロークンビーツ・シーンともリンクした活動をおこなっていた。
 2000年にファースト・アルバムの『ソングス・フロム・ザ・ティン』をリリースし、2003年にはセカンド・アルバムの『シリアス』を発表するが、その後はクリスが別のプロジェクトで活動するため、ダ・ラータは一時休止状態となる。そして2011年に再始動し、2013年にリリースした『ファビオラ』ではこれまでのロンドンのミュージシャン以外にも、ミゲル・アトウッド・ファーガソンやリッチ・メディーナなどを招いている。いままでの路線に加え、ロックやフォーク、レゲエやタンゴなどさらに多種の音楽を取り入れており、全体的によりグローカルなテイストを感じさせるアルバムとなっていた。

 『ファビオラ』と続くシングルのリリースとライヴ活動の後、ダ・ラータは再び休止状態となってしまっていたのだが、2019年に自身のレーベルからシングル「オバ・ラタ」を発表して復活し、そして6年ぶりとなるニュー・アルバム『バーズ』を完成させた。
 ウェスト・ロンドンのブロークンビーツ・シーンからの長い付き合いとなるヴァネッサ・フリーマンとベンベ・セグェのほか、ブラジル人でグラヴィオラというバンドでシンガーも務めるルイス・ガブリエル・ロペス、セネガル出身でアフリカの民族楽器も操るディアベル・シッソコーという『ファビオラ』の参加者、そして新たにシンガー・ソングライターのサイレン・リヴァーズ、イタリア出身で現在はロンドンで活動するシンガー/ピアニストのエイドリアン・ヴァスケス、新進R&Bシンガーのリチャード・コリンズなどが参加している。演奏はマイク・パトゥー(キーボード、シンセ)、トリスタン・バンクス(ドラムス)、ジェイソン・ヤード(サックス)などダ・ラータの常連ミュージシャンに加え、かつてアウトサイドの名義で活動し、インコグニートでも演奏してきたマット・クーパー(エレピ、シンセ)、アシッド・ジャズ時代にガリアーノなどで演奏し、〈ブギー・バック・レコーズ〉を運営してきたアーニー・マッコンヌ(ベース、ドラムス)などのヴェテランが参加している。

 レゲエ/ダブ調のロウなファンク・ビートの “メンタリティ” でアルバムは幕を開ける。ディアベル・シッソコーによるアフリカンなヴォーカルが妖しいムードを運んできて、続くミステリアスな雰囲気の “ダカール” へと受け継がれていく。“オバ・ラタ” と共にシングル・カットされた曲で、クリスがセネガルへ旅行したときに断食などを伴うイスラム教のラマダーンの儀式を体験し、それがモチーフとなった曲だ。
 親しみやすいメロディの “スウェイ” はブラジリアン・メロウ・ソウルといった趣で、ウェスト・ロンドンの歌姫だったヴァネッサ・フリーマンが歌う。サイレン・リヴァーズが歌う “メモリー・マン” も同系の曲で、ダ・ラータらしいボッサ・ジャズのリズムにフルートやギターが哀愁を帯びたメロディを奏でる。“トゥ・B” はさらにアコースティックな質感のフォーキー・ブラジリアンとも言うべき曲で、エイドリアン・ヴァスケスのスキャットは大御所のジョイスのそれを彷彿とさせる。
 リチャード・コリンズのしっとりとした歌で始まる “ルナー・ヴュー” は、途中からリズム・セクションが加わってメロウ・フュージョン調の演奏となっていく。故リンデン・デヴィッド・ホールを思わせるシルキーなファルセットのリチャードの歌声と洗練された演奏が楽しめる曲だ。“サンダー・オブ・サイレンス” は往年のダ・ラータらしい1曲。サンバのリズムにジャズ・ファンク、ブギー、ブロークンビーツなどの要素を混ぜ、ヴァネッサ・フリーマンと共にウェスト・ロンドンの歌姫だったベンベ・セグェの歌やジェイソン・ヤードのサックスがフィーチャーされる。
 シングル曲の “オバ・ラタ” もダ・ラータ得意のアフロビートで、ヨルバ語のコーラスと妖しげなシンセがアクセントとなる。“ホリークウッド・パーク” はクリスが全て楽器演奏をおこなったインスト曲で、カリンバ(親指ピアノ)の音色がアフリカの土着的な風景を連想させる。タイトル曲の “バーズ” はルイス・ガブリエル・ロペスの歌とギターで綴るフォーキーなバラード。しっとりとしたムードでアルバムは締め括られる。
 アフロ・サンバやMPBなどブラジル音楽を土台に、アフロビートからソウル、ブロークンビーツなど様々な要素を混ぜていくスタイルはダ・ラータがデビュー当時からずっと貫いているもので、今回のアルバムでもそれは変わっていない。流行や時代の流れなどとは無関係のところで、息の長い活動を続けているダ・ラータらしいアルバムと言えるだろう。

Oren Ambarchi - ele-king

 音楽史におけるほぼと言っていい全ての段階で、即興演奏をする楽しみが存在してきた。音楽上のテクニックや作曲形式で、即興演奏による実践から発していないもの、本質的に影響を受けていないものはないからだ。にもかかわらず即興演奏に関する定義や知識にはっきりしたものはない。これはインプロヴィゼーションの「決して止まることなく、つねに変化し状況に合わせて姿を変える」(デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』)性質による。ジャンルを超えた新しいサウンドを作り出し、どの作品も異なるカラーを持つオーレン・アンバーチの音楽も定義できるものではないし、定義すること自体がナンセンスかもしれないが、それこそがオーレンの作品をかたちづくるものであることは間違いないでしょう。

 オーストラリア、シドニー出身でエクスペリメンタル、インプロヴィゼーション界隈で活動を続けている、オーレン・アンバーチが『Simian Angel』を〈Edition Mego〉より2016年の『Hubris』以来の3年ぶりにリリースしている。(2019年7月)(オーレン主宰のノイズ、インプロ、実験的音楽を扱う〈Black Truffle〉のリリースも要チェックです!)

 SUNN O))) のメンバーとしてはもちろん、灰野敬二やメルツバウPhewジム・オルークなど多くのミュージシャンとのコラボレーション作品を制作し、ソロではドラムとギターによる編成を好んできたオーレンだが、今作はジョン・ゾーンやハービー・ハンコック、坂本龍一との共演でも知られるブラジル出身パーカッション奏者シロ・バプティストをフィーチャーし、ブラジル音楽からの影響が濃密に反映されている。

 『Simian Angel』は “Palm Sugar Candy”、“Simian Angel” の2曲からなる。どちらも16分から20分前後の長さで、オーレンの実験的に繰り広げられ、発展し、フェードアウトしていくようなサウンドスケープに没入するには心地よい長さに感じる。“Palm Sugar Candy” はコンガと水のようなシンセがゆったりとした「時間の音楽」を生成していく。“Simian Angel” ではビリンバウのパーカッシヴなパターンが反復されていく。様々な楽器を用いながら、ジャンルを超えた新しいサウンド、楽器、音素材の可能性を拡張し続けてきたオーレンだが、今回はシロ・バプティストの巧妙でリズミカルなハンドリングや、ビリンバウ、コンガの音色を取り入れることによって、ブラジル音楽への可能性を拡張していく。(オーレンはもともとパーカッション奏者という経歴もある)。また本作『Simian Angel』ではエレクトリック・ギターへの新たなアプローチに焦点が当てられている。一聴してオルガンのように聴こえるあの音もギターの音で作り上げられ、スリーブに「guitars & whatnot」と記される。このアルバムはギターとその他のなんやかんやの音でできているわけだ。

 インプロヴィゼーションの世界では、楽器は単なる記号として楽譜に記された音符を演奏するという目的のための手段、道具ではない。ジョン・ケージが言うところの「音そのもの」に興味があるというオーレンにとってもそうであろう。ギターから作られる音色で様々な音色を作り出せるオーレンにとっても楽器は音素材の源であるはずだ。

 また、インド生まれの母親を持つ彼は幼少期からラーガの音楽によく触れてきたようだ。このような音楽では、ラーガのある種の秩序よって素材、その素材を規格化された方法、演奏の骨格が用意されるが、全ては流動的であって、演奏されたときに最終的な状態へと達する。音素材や旋法等に上下関係はなく、装飾音、効果音と聴こえるようなものでもその音が何か別の音の下位に位置しているわけではない。なるほど、彼がラーガに影響を受けてきたことに納得する。オーレンは音素材やメロディに優劣をつけない。一聴して、これはブラジルのリズムだ、コンガの音だと知覚することはあるものの、なにかある音が支配的なものなのではなく、すべての要素を平等に不可欠なものとして解放する。16分から20分前後で展開され発展しては消えていく音たちは何か別の音の上位に存在しているものではないと感じることができるだろう。シンセの音もパーカッションの音もその他のなんやかんやの音として平等に扱われる。

 オーレンが作り出すギターの音、ギターでないようなギターの音、その他の音、メロディ、パーカッション、さまざまなものが合わさったとき、インプロヴィゼーションのなかで、ライプニッツの言うところの「音楽は魂がなにをしているか気づかぬうちにおこなっている秘密の計算」をこの音楽からも色濃く感じることがきっとできるだろう。

 https://orenambarchi.com/

宣伝でも素朴な感想文でもない、本当に “読者の役にたつ書評” とはこれだ!

長年にわたり価値を失わない良書をしっかり紹介し、ベストセラーであろうとダメな本は徹底的に批判する──
辛口書評家が30年ちかくにわたり書き綴った膨大な書評より、経済、ビジネス、経営、政治、歴史、社会などの分野をここに集成!

速度過剰な情報社会で、〈論争〉が成立しがたくなっている中、
これぞパワフルなマジレスだなって感動する……。
最強書評人・山形浩生が、
数多の書籍、数百万の言葉を横断し、複雑世界の案内人となる!(荻上チキ)


目次

はじめに:書評について

第1章 経済
二一世紀の経済を考える十冊強/痛快ってのはこういう本を言うんだよ/経済学における過度の単純化を戒め、倫理学との接続をはかる講演集/一九三〇年代の論争をもとに、現代日本の不景気を見渡す/教育も希少な資源の配分問題なのだ!/近年のおかしな経済状況分析をしっかり批判/経済学も基礎が大事! 高校生の教科書で学ぼう/お金だけが大切じゃないことを、説教としてではなく理論的に解明しようとする経済学の新潮流/マネーロンダリングの手口と、それがぼくたちにとって持つ意義/正しい理論が政策に反映されない理由/政治的配慮一切なし! 快刀乱麻を断つ必読の経済書/アメリカの世界経済介入/不況は需要不足が問題といいつつ対策は供給側の技術革新に増税?/知識人の左翼的な妄想を捨て、経済成長の重要性を理解しよう!/行動経済学の発想をうまく紹介した、開祖の独自論文集/常に混合し合う文化のダイナミズムを経済学的に描く/不勉強な左派と図に乗った右派の両方をくさし、経済学の価値を認めるべきところでは認めろと主張するえらい本/資源自体ではなく資源の価値をどう残すか?/行動経済学や幸福研究などの成果紹介で、数多い類書から傑出はしていないが、よくまとまっている/概説書としてはまあまあ。でも量子ゲーム理論って何のためにあるの?/日本経済の現状を無視した許し難いデフレ本/異様な密度でアンチョコにさせていただきます/人民元をネタにした単なるゴシップ本/技術が人を操り自らを進歩させる、倒錯した議論の魅惑

第2章 ピケティ/格差
ピケティ『21世紀の資本』の翻訳進捗についての弁明/ピケティの前の本、読んだ!(本文だけだけど)読んだぜコノヤロー!/時事コラムで仏欧のローカルネタが中心。入門にはつらいんじゃない?/死んでもなおらないある病気の人に、ウルフが親切に教えてあげる教育的配慮に充ちた本/デジタル産業革命の先にある宿題 その1/デジタル産業革命の先にある宿題 その2/戦争、革命、疫病……数十万人単位で人が死なないと “経済格差” 解消しない問題

第3章 ケインズ
古い本とはいえケインズについてしっかりまとめた好著/著者が脳内ケインズをもとに実物を批判する異様な本/単著ではないうえ、まとまりもバランスも悪いわかりにくい本/マンガとしてはとてもよいできだが、解説の小野理論偏重はどうよ/全体の見通しがないし、ケインズが動学でないというのは批判すべきことか?/変なケインズ理解をもとに小野理論を持ち上げようとする歪んだ本/ケインズを階級対立の先駆者として見ようという昔の変な試み/伝記とケインズの理論や貢献、その後のケインズ経済学をバランスよく描いている/安易な人物像や哲学談義に流れ、経済学者としての評価から逃げた本/ケインズがいかにイヤミなやつかよくわかる/古い、英語知らない、原文勝手に改ざん/まだ続きます。ほんっと、だれか指摘してあげなかったの??

第4章 クルーグマン
世代の沙汰も金次第、ではないのかもしれない/罵倒と茶化しの効用/非効用──おまけに Beavis & Butthead 讃/クルーグマンが教えてくれる経済学の驚き/学問の力と遊び心/クルーグマンのコラムがつきつける現代マスコミの問題など

第5章 ファイナンス
投資でよりよい人生を!/日本の夜明けは遠いかも──投機に堕したゴミ投資家たち/完敗──『ゴミ投資家のための人生設計入門』はすごいです/いまの日本で豊かさを求めるには?/オンライン株式なんかよりも確実なハイリターン本です/企業価値の計測に関する標準的な教科書/数学者の大やけどで学ぶ、株式投資の標準セオリーの正しさ/何か下劣で馬鹿な著者の『思いつきの名にも値しない投資と称するどぶに金を捨てるすすめ』/オイシイ儲け話は教えてくれないけれど。──株価のフラクタル変動を家元自ら語ってくれます/人間の合理性の限界を見きわめるための本/読んでひがもう非モテたちよ!/世界金融危機の顛末記:正しい者が勝つとは限らない

第6章 経営
日本型システムからの自由と解放/おもしろいだけじゃだめなんだ/あまりに常識的な経営者のお題目集/新聞の取材力が十分に発揮されたメガバンク統合ドキュメンタリー/いまや常識となったドラッカーの原点/告発の書か、優れた経営手法の実録か?/驚異のプレゼンでもダメな中身は救えない/労作ながら有名すぎる異才の伝記として新機軸を見いだせず/あまりエピソードがなく、また怪物の怪物たる所以についての洞察が皆無で残念/企業アイデンティティ形成過程を分析した面白い本

第7章 ビジネス
ぼくの秘密を教えよう:コンサルタント業究極の暴露本/本誌の読者たる最高の知識人諸子必読──『パーキンソンの法則』と組織の病理/現場で足で稼げ! 知識は現場から生まれる/具体性に富んだニューヨーク市長の各種施策/みんなが知ってるつもりの財界のすべて/モジュール化による効率性向上/お気楽なリーダーシップなんかありません/無内容きわまる駄本/働くというのはどういうことなのか?/口で言ってることとは裏腹にお金に縛られた不自由な本/堅実なプレゼンテーション手法紹介/マーケティングの基礎の基礎/顧客の顔色をうかがっても売れない!/悪者扱いされがちな看板側からの魅力誘発手法/失敗を前提にシステム設計をするには?/施設経営再生の実録/日本各地にひそむすごい中小企業/理屈とかけ声だけのMBAなんかいらない/起業にあまり幻想を抱いてはいけないことを実証分析/だらしなくてもだいじょうぶ/メッセージぶれてません?/好奇心を引き出し自由に変わり者であることを恐れず……つまらん/経済学のプロにビジネスのセンスがあるとは限らないのだ/現実ばなれした会社論の問題の根っこはどこにあるのか/インチキ外人の無知垂れ流し本。いまだにだまされている人がいるとは!/主張がすべてはずれていた駄本の、柳の下のドジョウを狙ったさらなる駄本

第8章 政治
理念と現実のせめぎあい/だれも考えたことのない「平和」について/「国際」人諸君、これを読んで「リスク」を学びたまえ──およびクレア・デーンズ in 「My So-Called Life」/小さな本にこめられた、現代のイスラム談義への大きな批判/組織内で苦しんだ人なら身につまされる、いろんな意味で絶望の名著/マクナマラの悲しい弁明/アフガン爆撃への道だが、米政府事務手順解説書の趣きすらある/恐怖どころか「バカ殿シリーズ」を思い出させるトランプ政権の内実/軍事力こそすべて! のネオコン思想全貌/原著から第三部を完全改竄した不誠実な本/国際機関は本当に日本や世界のためになっているの?/新しい福祉社会の見取り図を提案する希有な本。ただ監訳者の我田引水解題はないほうがまし/PFIを口実にした刑務所自体の改革/シビリアンコントロールは本当に有効か?/ゾンビ相手の外交理論、人間にも通用するか?/「市場制民主主義──選挙権を売ろう! ―TN君に捧げる、おれの政策提言/反民主主義はおかしく、そして居心地悪い/社会の背後にある細かい仕組みへの無配慮/配慮について

第9章 歴史
よくぞ昭和に生まれけり:裕仁天皇の時代/君主制に未来はあるか?/『マオ』における毛沢東の思想形成史の不在/チアン=ハリデイ VS フィリップ・ショート:二つの毛沢東伝を比べると/専門家による本当に有益な書評のありかた/公式毛沢東伝とも言うべきものながら、プロパガンダにとどまる/支離滅裂で二〇世紀末で大躍進の意味すら理解できていない悲惨な本/文化大革命で日本の左翼知識人のうろたえぶりだけが伝わってくる一冊/文化大革命翼賛文書。フランス現代思想の浅はかさの一端をどうぞ/ソ連強制収容所の凄惨な歴史と教訓について/ムッソリーニについての「修正主義」的な伝記/大英帝国のスーパーおばさんが見た李朝朝鮮の実態/無謀だが壮大な試み:でも堂々巡りになってないか?/身に染みて感じられる宦官たちの実態/マヤ文字解読をめぐるイデオロギーと政治攻防/明解。白川静や藤堂について客観的に評価がわかって嬉しい/巧みで味わい深いが、初出時点で完結してしまっている印象強し

第10章 思想・ノンフィクション
各論賛成、総論反対:宮崎哲弥『正義の見方』の反動的立脚点/知の統合の可能性についての、壮大ながら具体的な見通し/家族に期待しすぎなさんな/かわいそうな星占いと現代人/小国に教わる国の存続理由と愛国心/個人的な恨み節を一般化できると勘違いした、偉大な学者の悲しい本/脱北者たちの実像とその心の歪み/各種思想の持っていた可能性とその実際の影響を具体的に描き出す/突撃ライフルの名機から見えてくる武器とその取引の実態/ダッチワイフのあれこれ/ビールが持つ意外な闘争の歴史/ゲーミフィケーションでつらい仕事も楽しく?/世界各国の、普通の人の家計簿とは? 各国の似て非なるお財布事情/本当の「天職」を見つけた人たち/抜群におもしろい、日本でのミシン史。物販と金融と生産に消費、産業と文化と女性の社会進出、なんでもあり!/せっかくの調査が強引なイデオロギーはめこみで台無し

おわりに

著者
山形浩生(やまがた・ひろお)
1964年、東京生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学科およびマサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了。
大手シンクタンクに勤務の頃から、幅広い分野で執筆、翻訳を行う。
著書に『新教養主義宣言』『たかがバロウズ本。』ほか。訳書にクルーグマン『クルーグマン教授の経済入門』、ピケティ『21世紀の資本』、スノーデン『スノーデン 独白:消せない記録』、ディック『ヴァリス』ほか。

Tunes Of Negation - ele-king

 年明け早々から大変なことが起こっている。いや、緊張それじたいはもっとまえからはじまっていたので、たんにわれわれが他者に無関心すぎるだけというか、ようするに今回は日本における中東の報道の非対称性があらためて浮き彫りになったということなのかもしれないけれど、個人的に昨年もっともよく聴いたアルバムがイランの電子音楽家ソウトによる「生を破壊する傲慢とそれにたいする抵抗のサウンドトラック」だったこともあり、そしてちょうど年末に同作を聴き返したばかりだったこともあり、なにか絶対的な存在から啓示を受けているような気がしてならない。あるいはラファウンダのルーツもイラン(とエジプト)だし、ふだん好きで動向を追っかけている音楽たちが、ここ数日、なにかのしるしのように再浮上してきているのだ。シャックルトンの新作もそのしるしのひとつだった。
 00年代半ばにダブステップの隆盛と連動するかたちで頭角をあらわし、以後ミニマル・ミュージックやアジア~アフリカの音楽を貪欲に吸収、独自に昇華させていったサム・シャックルトン。彼自身はイングランドのランカシャー出身だけれども、その新作『Reach The Endless Sea』のタイトルは、13世紀スーフィズムの詩人、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの詩に由来している。ルーミーが生涯の大半を過ごした地は現在のトルコにあたるが、彼はペルシア文学の巨星としてイラン文化にも大きな足跡を残している。

 おそろしいほどに毎度マンネリとは無縁なサウンドを届けてくれるシャックルトンだけれど、「否定の曲たち」という意味深な名を与えられた今回のチューンズ・オブ・ネゲイションは、タクミ・モトカワ(鍵盤/パーカッション)およびラファエル・マイナー(マレット)とのコラボレイション・プロジェクトである(+ヴォーカルで、〈Editions Mego〉からもリリースのあるヘザー・リーが2曲に参加)。シャックルトンらしいトリッピーでトライバルな感覚はそのままに、オルガン(好きですね)や鉄琴の音色、3を強調した(ポリ)リズムが全体のムードを決定づけており、バンド内の有機的な衝突が最大の聴きどころとなっている。
 冒頭 “The World Is A Stage / Reach The Endless Sea” ではヘザー・リーの歌と宗教的な響きの鍵盤が全体を支配しているものの、途中で強烈なパーカッションに主導権を奪われてもいる。続く “Tundra Erotic” では、おなじく鍵盤とパーカッションによって生成される催眠的な空間のなかで、どことなく OPN のエディット法を思わせる声の断片たちが幽霊のように顔をのぞかせている。“Rückschlag / Rising, Then Resonant” におけるインド古典音楽の要素やくぐもった音のかたまり、“The Time Has Come” のドローンなどにも目を見張るものがあるけれど、もっともキラーなのは先行シングル曲 “Nowhere Ending Sky” だろう。作曲に参加したモトカワの手によるものかもしれないが、2分過ぎに差し挟まれるメロディがじつにもの憂げで、すぐに過ぎ去ってしまうそのキャッチーな旋律を、背後のミニマリズムや後半のドローンが強固に脳裏に刻みつける仕組みになっている。

 しかし、『無限の海への到達』とはなにを意味するのだろう。レーベルのインフォによればそれは、シャックルトン本人が音楽で成し遂げたいことらしい。いわく、「変化を促し、光のなかへと入りこむこと」。ルーミーが開いたトルコのメヴレヴィー教団は、スカートをなびかせながら回転する舞踏で知られているが、かつてルーミーの作品をフィリップ・グラスがオペラ化していたことも合わせて考えると、シャックルトンもまたそのくるくるまわることで神に接近するという発想に、自身のミニマリズムを重ねあわせているのかもしれない。反復こそが互いのちがいを際立たせるのであり、すなわち他者へ到達するための契機なのだ、と。

Andrew Pekler - ele-king

 存在しない島たちから採取した音響の接続と連鎖。それは空想上の文化人類音響学か。われわれの耳は、20世紀的な電子音楽のラボから未知のサウンド環境へと越境するだろう。
 本アルバム『Sounds From Phantom Islands』はベルリンを活動拠点とする電子音響作家アンドリュー・ペクラーによる音響絵巻である。彼の2年ぶりの最新作は仮想の島々(ファントム・アイランズ)へと聴き手を誘う。
 それはフェイクなのか、ファクトなのか。そもそも音にあっては虚構と現実の境界線は曖昧ではないか。音は音だ。サウンドは音の存在こそが真実なのだ。

 アンドリュー・ペクラー。彼はわれわれ電子音響マニアにとって重要なアーティストである。彼の楽曲には、00年代以降の多層化した音響/レイヤーが優雅に、緻密に、大胆に鳴らされているからだ。
 ペクラーの経歴はやや特殊である。ペクラーは旧ソビエト連邦で生れた。アメリカ合衆国のカルフォルニアで育ち、現在はドイツ連邦共和国のベルリンを活動拠点としている。
 ペクラーは2002年にドイツのエクスペリメンタル・ミニマル・ダブのレーベル〈~scape〉から『Station To Station』を、2005年に実験音楽レーベルの老舗〈Staubgold〉から『Strings + Feedback』を、2007年にインディペンデントなエクスペリメンタル・レーベルの代表格〈Kranky〉から『Cue』など、錚々たるレーベルからリリースしてきた。
 中でも重要作は『Strings + Feedback』であろう。50年代~60年代的なオールドスクールな電子音楽とミッド・センチュリー的なラウンジ・ミュージック/軽音楽の断片を接続し、クラブユースとはまったく異なった浮遊感に満ちた非反復的な独自の電子音響音楽を生みだしたのだ。例えるならば電子音とラウンジの混合によるエレクトロニカ化したモートン・フェルドマンとでもいうべきか。
 私見では『Strings + Feedback』は、ヤン・イェリネックの『Loop-finding-jazz-records』と同じくらいにゼロ年代のエレクトロニカ/音響において重要なアルバムだ。イェリネックはジャズを原型の音源が判別不可能なまでに解体し未知のサウンドへと再構成した。対してペクラーは50年代~60年代の電子音楽的なサウンドを素材としつつ非反復と層による新しい聴取感を生みだした。両者とも方法論は異なるが、コンピュータ内の音響のレイヤー操作によってこれまでにないサウンドを生みだした点は共通している。
 これは00年代のエレクトロニカ/電子音響の重要な特徴であるが、加えてこのふたりのアルバムは「素材」からの加工と再構築という点で90年代的なサンプリング・ミュージックを継承しつつも超克している点にも共通点がある(ちなみにイェリネックとペクラーは〈Mikroton Recordings〉や〈Entr'acte〉などからアルバムをリリースする音響作家ハノ・リッチマン(Hanno Leichtmann)と共に Groupshow というグループでの活動もおこなっていた。2009年に〈~scape〉からアルバム『The Martyrdom Of Groupshow』、2013年には〈Staubgold〉からミニ・アルバム『Live At Skymall』をリリースしている。また2009年にはシングル「The Science / Pet Ramp & Staircase」を〈Dekorder〉から発売した)。

 アンドリュー・ペクラーは10年代以降も旺盛なリリースを続けていく。2011年には〈Dekorder〉から『Sentimental Favourites』をリリースする。このアルバムは10年代初期の電子音響シーンにおいて隠れた重要なアルバムとでもいうべきもので「ラウンジと電子音楽の混合体」である『Strings + Feedback』を継承・深化させた作品だ。
 2012年には音響作家ジュゼッペ・イエラシが主宰し、イタリアのミラノを拠点とするミニマル・物音・音響レーベルの〈Senufo Editions〉から『Cover Versions』を発表した。2013年には〈Planam〉からイエラシと競作『Holiday For Sample』、翌2014年にはベルギーの音響レーベル〈Entr'acte〉と〈Senufo Editions〉の共同出版というかたちでアルバム『The Prepaid Piano & Replayed』と相次いでリリースする。
 この時期は10年代初期のミニマル音響レーベルと作品への接近が特徴といえよう。加えてイェリネックとペクラーによって仕立て上げられた「架空の女性電子音楽家ウルズラ・ボグナー」の二枚のアルバム『Recordings 1969-1988』(2008)、『Sonne = Blackbox』(2011)も重要な作品である。ここではペクラーが素材として大いに活用してきた50年代~60年代の電子音楽そのものを創作する試みが実践されている。リリースはヤン・イェリネックが主宰する〈Faitiche〉だ。
 そして2016年には同〈Faitiche〉からペクラーのソロ『Tristes Tropiques』を発表した。アルバム名はクロード・レヴィ=ストロースの名著『悲しき熱帯』からの引用で、文化人類学的なものへの接近がみられる。『Tristes Tropiques』は、環境音や電子音などが熱帯の奥地から鳴らされているような音響空間を生成しており、聴き手の感覚を瞑想と見知らぬ世界=土地へ連れていってくれる出来栄えであった。いわば過去と現在をブリコラージュするような濃密な音響作品だが、このアルバムをシリアスな文化人類学的な音響作品とするには注意がいるように思える。
 『Tristes Tropiques』はあくまで「空想上の」文化人類学的な音響作品とすべきではないかと私は考える。そもそも〈Faitiche〉というレーベル名も「fact」と「fetish」を合わせた造語「factish」のドイツ語読みであるというのだから。となるとペクラーと(レーベル主宰者)イェリネックは真実と虚構の狭間にこそ文化人類学的な音響作品があると言っているように思えないか。音におけるファクトとフェイクの差異は曖昧だ。音においてはすべて真実といえなくもないし、その反対ともいえる。

 2年ぶりの新作アルバム『Sounds From Phantom Islands』もまた〈Faitiche〉からのリリースだ。
 文化人類学者のステファニー・キウィ・メンラス(Stefanie Kiwi Menrath)と運営したサイト「Phantom Islands - A Sonic Atlas」につけた音響/録音から制作した「存在しない島の音/電子音楽」というのがコンセプトらしい。つまり本作でも『Tristes Tropiques』以降の「真実とフェイクの混合からまったく別の音響的思索」を導き出す実践がおこなわれているというわけだ。
 ちなみに「Phantom Islands - A Sonic Atlas」のリンクはこちら(https://www.andrewpekler.com/phantom-islands)。サイトを開くと素晴らしい音響がランダムかつ多層的に鳴る(音が出るので注意)。画面をスクロールし地図を移動すると環境音と電子音による音響も変化を遂げていくのだが、ここで展開される環境音とミニマルな電子音の交錯はもちろんアンドリュー・ペクラーの音だろう。
 アルバムとしてまとめられた本作もまた同様である。『Tristes Tropiques』以降といえる環境音と電子音が幽玄な森の奥地で鳴っているようなサウンド、どこかウルズラ・ボグナー的な20世紀中期的な電子音楽のムード、多層的なグリッチ・ノイズやミニマルな旋律が密やかに鳴っているなど、いわば00年代~10年代のエレクトロニカ/電子音響などがミックスされていくことで、時代と時間を越境するかのごとき「聴き手の想像力に委ねられもする架空の島のサウンドトラック」が生成されていく。まさに。現時点におけるアンドリュー・ペクラーの集大成的作品である。

 『Sounds From Phantom Islands』は、音響的快楽と知的実践、ポップとフェイク、複雑さと聴きやすさ、アンビエントとドローン、ミニマルと聴覚の拡張などが濃密に交錯している。多層的なサウンドの快楽と魅惑。00年代~10年代のミニマルな電子音響/エレクトロニカを聴き続けてきたリスナーにとってはこれ以上ないほどに素敵な贈り物のような音響作品ではないかと思う。

Toungues Untied - ele-king

 近年、ブラック・カルチャーとクィアの結びつきは音楽の周りでも見逃せない重要なトピックとなっている。非白人を中心とするクィア・コミュニティから活性化したクィア・ラップ。クィアネスと交差するブラック・エレクトロニカ。
ブラッド・オレンジはトランス・アクティヴィストのスポークン・ワードを挿入し、フランク・オーシャンは抗HIV薬の名を関したパーティ〈PrEP+〉を開催した。マイノリティのなかのマイノリティであるクィアたち(they/he/she)の生は、その表現は、どのようなものとなりうるだろうか?

 その問いを探るには、ひとつとして歴史と向き合うことがあるだろう。様々なインディペントの上映会を企画する〈ノーマルスクリーン〉が、このたび、エイズ危機以降のアメリカ黒人ゲイ・コミュニティを捉えた、マーロン・グリスによる1989年のドキュメンタリー『Tongues Untied』を特別上映する。ミッキー・ブランコらが出演し、アメリカのブラック・コミュニティにおけるHIV/エイズについて考える『知られざる結末、斬新な幕開け』も同時上映される。あの時代から変わったこと、変わらなかったこと。それを知る手がかりがここにあるはずだ。詳細は以下。(木津毅)

タンズ アンタイド from Normal Screen on Vimeo.


TONGUES UNTIED
タンズ・アンタイド

アメリカの黒人ゲイ男性による表現の歴史を語るうえで欠かすことのできない映像作家、マーロン・リグス。
彼の1989年の代表作『Tongues Untied』を特別上映!

タイトルの「タンズ・アンタイド」を日本語にすると「話しはじめた口」。詩人やアクティヴィストとしても活躍したリグスは、同じ年に生まれた著名な詩人エセックス・ヘンプヒルの詩や彼のパフォーマンスをからめながら、奴隷制度が建国以前から続いたアメリカの地で黒人でゲイとして生きる人々の複雑な経験をつづる。

差別や憎悪に晒され続け、さらに降りかかるエイズ危機にも屈せず生きる彼らの苦悩。その只中で生み出されてきたユーモアや遊びの表現。張り詰めた緊張感をもって沈黙を破る彼らの声を、映画は実験的なドキュメンタリー/エッセイのスタイルで革命的に響かせる。
2019年には30周年を記念して全米各地で上映された本作を日本語字幕つきで(おそらく)日本初上映です。

(タンズ・アンタイド|1989|55 min|アメリカ|英語|日本語字幕)

同時上映:『知られざる結末、斬新な幕開け』
リグスのレガシーをさらに発展させる現代のアーティストによる映像7作品。ミッキー・ブランコ、ブロンテス・パーネル、シェリル・ドゥニエらがアメリカ黒人コミュニティにおけるHIV/AIDSの影響を大胆に映しだす。
(2017|51 min|アメリカ|英語|日本語字幕)

Marlon Riggs
マーロン・リグス:アメリカのジャーナリスト、ドキュメンタリー作家。黒人、 黒人で男性、そしてゲイであることなど、交差性を早くから意識しドキュメンタリーを制作。やがてそこにエイズの問題も加わる。生涯で計8作品の映像をのこし、1994年に37歳で逝去。

“It doesn’t take much description to understand why Marlon Riggs’s Tongues Untied was and remains a radical work of American art.” ──Film Comment magazine https://www.filmcomment.com/blog/queer-now-then-1991/
“If you’ve never heard of Marlon Riggs, you’ll wonder why the hell not. How could an artist this smart, this prescient, this frank, transparent, curious, ruminative and courageous — this funny — escape your notice?” ──The New York Times https://www.nytimes.com/2019/02/06/arts/blackness-gayness-representation-marlon-riggs-unpacks-it-all-in-his-films.html

[イベント詳細]

2020年1月13日(月/祝)
14:30~16:30(14:00開場)

入場料(会場で選択いただき、その場でお支払いいただきます)
・2500~3000円
 『タンズ・アンタイド』+『知られざる結末、斬新な幕開』 資料込み|料金スライド式
・2000円
 『タンズ・アンタイド』資料込み
・1500円
 22歳以下|『タンズ・アンタイド』資料代込み

予約ページ:https://forms.gle/193Hm3TAAFUetCqa7

会場:日比谷図書文化館 日比谷コンベンションホール
(東京都千代田区日比谷公園1-4)

主催:Normal Screen|C.I.P. BOOKS
ウェブサイト:https://normalscreen.org/
連絡先:normalscreen@gmail.com

Normal Screen:
主にセクシュアルマイノリティの視点や経験に焦点をおく映画/映像を上映するシリーズ。2015年より東京を拠点に活動。これまでに音楽家アーサー・ラッセルのドキュメンタリー(日本初公開)やHIV/AIDSに関する実験映像、韓国やベトナムのドキュメンタリーなど日本では観る機会の少ない作品を数多く上映してきた。

C.I.P. BOOKS:書籍とzineの翻訳・出版プロジェクト。主に英語圏の女性/クィアの書き手によるジャンル横断的な作品を紹介。2018年6月ケイト・ザンブレノ『ヒロインズ』刊行。拠点は静岡・三島のCRY IN PBLIC。ノーマルスクリーンとの上映は『アウトフィチュメンタリー』(シアター・イメージフォーラムで2019年4月に上映)以来2回目。

パラサイト 半地下の家族 - ele-king

木津毅

 僕が住む地区の最寄駅の私鉄に特急電車が最近導入されて、それが通勤ラッシュの時間帯に走るものだから、追加の特急料金が払えない庶民はさらに混雑する普通電車に詰めこまれることになっている。毎朝ラッシュ時間に通勤する庶民のひとりである僕の母親はそのことにブーブー文句を言ってばかりだ。まあ腹が立つのは当然だと思うのだけれど、僕がひとつ気になるのは、その特急電車に乗れるだけの金銭的余裕のある庶民よりもやや裕福な人びとは、快適な車内の「窓」から混雑するホームに溢れる人びとをどのように見ているのだろうか。優越感? 罪悪感? それともやはり、窓の外の景色には関心を向けないようにしているのだろうか。自分より貧しい人びとが疲弊する姿には。

 格差時代の極上エンターテインメント作たる『パラサイト 半地下の家族』には、象徴的に「窓」が登場する。全員失業している主人公家族が住む「半地下」の家の窓からは、立ち小便する酔っ払いや強烈な消毒薬を撒き散らす業者など、まあわかりやすいまでに「貧者」の風景しか見えてこない。いっぽう、主人公一家の青年が侵入することになる金持ち一家の豪邸には巨大な「窓」があるが、そこから見えるのは立派に整った庭園ばかりである。要は社会の現実──庶民たちの姿──が見えることはない。その豪邸は有名な建築家が「芸術的なタッチ」でデザインしたという設定になっているが、金持ちにとって貧者の現実が見えない世界こそが快適な空間ということなのだろう。実際、この映画のなかの金持ちは庶民の現実なんて知らないし、無頓着であるということが繰り返し描かれる。
 『アス』や『ジョーカー』など格差社会をどのように娯楽映画のなかで見せるかというのが近年の一大トレンドとなっているが、そこで言うと韓国の異才ポン・ジュノが本領を発揮しまくった『パラサイト』は破壊的なまでの面白さ、娯楽性で最後までぶっちぎる快作である。アジアが世界のトレンドとなっている現在を踏まえてもカンヌのパルムドールを受賞したことは納得のいくところだし、アメリカでも外国語の映画としては記録的なヒットを飛ばしているため、アカデミー賞でどこまで行くかに注目が集まっている。金持ち一家が住む豪邸はセットだそうだが、まるで要塞のような造りになっており、そこに青年が侵入していく序盤のくだりだけでもアドベンチャー映画のようなスリルがある。ポン・ジュノ監督に本作について聞く機会があったのだが、格差構造を列車の水平方向で示した『スノーピアサー』(2013)とは対照的に、本作では格差が垂直方向で表現されており、その象徴としてカメラの縦移動が重要な箇所で大胆に挿入される。シンプルにカメラが縦に動くだけで興奮を呼び覚ます、その映画的快楽。的確なキャラクター配置と、豪邸に漂う得体のしれない不穏感、突発的に訪れるアクション。しつこいようだが、べらぼうに面白い。社会問題(気候変動の問題も入っている)を取り上げた映画がこんなに面白くてもいいのかと後ろめたく感じられるほどである。だがそこは、ポン・ジュノという作家がエンターテインメントとアートの境界を豪胆に破壊してきた成果だろう。

 物語については、主人公の青年が金持ち一家に身分を偽って侵入し、その過程で「ある計画」を思いつくところまでに紹介を留めてほしいというポン・ジュノ自身による厳重な注意があり、まあ僕も本作についてはこれ以上プロットを知らずに観たほうが楽しめると思うので、具体的には記さない。ここから先は、物語の詳細やある仕掛けを示すいわゆる「ネタバレ」(好きでない言葉ですが……)は避けるものの、何も知りたくないという方は作品を観てから読まれることをお勧めします。

 本作においてキーになっているのは、経済格差──階級──を示すものとして「匂い」が挙げられていることだ。「匂い」とは何か? それは身分を偽っても消せないものであり、貧者として生まれ落ちた者の屈辱的な宿命のようなものである。金持ちたちは貧者のリアルな風景を見ずに済んでいるのと同様、その「匂い」を避けて生きている。
 と同時に、「匂い」とは(ジョン・ウォーターズの『ポリエステル』のような例外を除いて)映画では実際に観客が体感しえないものでもある。だから本作のなかで富者と貧者がお互いに知らず知らずのうちに出会い、そこに階級を分かつ「匂い」があったとしても、映画は表現形態においてそれを無効化する。そして、次第に普段厳重に住み分けられている階級の違う者たちがダイナミックに入り乱れることになり、そこでこそ映画はクライマックスを迎えるのである。
 『グエムル-漢江の怪物-』(2006)にしろ『スノーピアサー』にしろ『オクジャ/okja』(2017)にしろ、ポン・ジュノはふつう出会うはずのない者たちをある事態のなかで交錯させ、その状態のなかで「面白さ」を立ち上げる作家ではないか。「窓」からお互いの姿が見えないように社会がデザインされているのならば、その「窓」の内側に入りこんで階級の違う者たちを混淆させる。そこにこそスリルがあるのだと。だからこの娯楽作は、階級による住み分けが徹底された社会への抵抗である。そこで待っているのが喜劇なのか悲劇なのか、その両方なのかはわからないけれど、とにかくそこからわたしたちの冒険とドラマは始まるのだと告げている。

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予告編

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三田格

『パラサイト』異論

 『2001年宇宙の旅』も『ブレードランナー』も日本では公開1週間で打ち切りだった。どちらも二番館落ちしてからロングランを続けるものの、最初の頃は見た人が少なかったせいか、似たり寄ったりの感想しか目にしなかった。とくに『ブレードランナー』はシミュラークルという単語を使わずに議論がなされることはなく、アンドロイドと美術に話題は集中するばかりだった。ところが、糸井重里だけは論点が大きく異なっていて、タイレル社と下層労働者であるイジドアを対比して未来が格差社会になっている部分に着目し、「未来はあのように二極化するんだろうなあ」という感想を述べていた。いま風に言うならば「そこですか?」と突っ込みたくなるほど、場違いな感想に思えたものの、ほかの議論はすべて忘れてしまったというのに、いまとなっては「未来は二極化する」という指摘が最も強く僕の記憶には残っている。未来は格差社会。日本はまだバブルどころか、プラザ合意にも至っていない時期である。医者や弁護士をさして「儲け過ぎ」だというリベラル批判が多少は噴出し始めていたとはいえ、この時期にして「未来は格差社会」になっていくという設定に「なるほど」と思える感性はかなり稀有なものだったと驚かざるを得ないし、『ブレードランナー』が示したヴィジョンにどれだけ重層的な構造が畳み込まれていたのかということにも改めて感心してしまう。

 『ブレードランナー』が舞台とした2019年の翌年、つまり、今年、格差社会を描くハイライトのように喧伝されているのがポン・ジュノ監督『パラサイト』である。試写会の時から注目度は群を抜いていた。1時間前から並んでも補助席しか取れなかった僕は宣伝会社の人と話していて、さすがに試写会場を大きくし、公開直前にもかかわらず試写の回数を増やさざるを得なくなってきたとも聞いた。普段は映画を観ないマスコミが関心を示さなければこうはならない。「格差社会」というキーワードはそれほど広く様々な人たちに意識されているということだろう。南アフリカやホンジュラスなどと比べれば日本は絶対貧困率で世界で74位とそれほど大きな格差があるとは言えないものの、この10年で格差はじわじわと広がり、相対的貧困率という別なモノサシをあてるとOECD加盟国中、メキシコ、トルコ、アメリカにつぐ世界第4位という数字が導かれる(5位はアイルランド、6位は韓国)。実際、佐藤泰志原作の「函館3部作」を皮切りに白石和彌『雌猫たち』や石川慶『愚行録』など日本でも少なからず格差社会をテーマにしたり、それを背景とした映画はポツポツとつくられてきた。『パラサイト』がそれらと違うのは、悲惨な現状を描写したり、わずかばかりの希望を示されるのではなく、どうやら富裕層に一矢報いるという展開が期待できそうだという予感だったろう。実際、オープニングからしばらくはそのように話は進んでいく。

 半地下の部屋を借りて暮らしているキム一家は大家にWi-Fiをケチられ、スマホを高く掲げて電波をキャッチしようとするも、天井に遮られてそれ以上「上に行くことがかなわない」。国策としてインターネットを普及させた韓国でネットに接続できないということは国民としてカウントされていないという定義にもなっている。貧乏なキム一家は内職でやっているピザ箱の組み立てにもダメ出しをされ、完全に窮地に追い込まれる。そのような状況を打開するべく長男のキム・ギウ(チェ・ウシク)は英語の家庭教師としてパク家に雇われるために急な坂道を「登っていく」。パク家はかなりの豪邸ではあるものの、韓国では11件以上の家を持つ富裕層が過去最多の3万8千人近くになったという報道が昨年末にあったばかりなので、パク家はそこまでの富裕層ではなく、後半の展開からも見て取れるように近隣と見栄を張り合うレヴェルではある。それでもキム・ギウにとっては別世界であり、観客にも家の間取りがどうなっているのかよくわからないほど家の面積は広い(550坪)。予想外のことが起きるのは(以下、ネタバレ)美術の家庭教師として雇われるために妹のキム・ギジョン(パク・ソダム)が「独島は我が領土」(独島=日本では竹島)の替え歌を歌う場面からである。教科書にも載っているほど韓国ではポピュラーな歌だそうで、過去にはK-POPのアイドルが口ずさんだだけで日韓関係に緊張が走ったこともある。ストーリーの中盤は誰しもが訝しく思ったことではないかと思うけれど、貧困層対富裕層ではなく、貧困層と貧困層の対立へと話は進んでいく。それはまるで領土の取り合いであり、この辺りから経済問題だけが問題意識にあるわけではないのではないかと疑いながら観ることになる。

 格差社会を印象づけるために『パラサイト』では上下方向の移動がそこかしこに取り入れられている。ソファの上とテーブルの下だとか地下に降りるのはもちろん、エレベーターでダイニングに上がってくる動作はしつこいほど繰り返され、照明を地下で操作する仕掛けも笑わせてくれた。しかし、パク家の弟ダソン(チョン・ヒョンジュン)は上下ではなく、水平方向で妙な行動を起こす。ダソンは雨の日に庭の中央でテントを広げ、そこで一晩を過ごすのである。『パラサイト』という作品ではこの行動が実に際立っている。これが僕には海の真ん中にポツンと浮かぶ竹島(独島)に見えてしょうがなかった。この辺りからソン・ガンホ演じるキム・ギデクとイ・ジョンウン演じるムングァンはそれこそ竹島(独島)を奪い合い、韓国に領土を奪われた日本が逆上して話はクライマックスへと向かっているようにしか見えなくなってしまった。考えてみればポン・ジュノは必ずといっていいほど政治的な文脈を作品に持ち込んできた監督である。在韓米軍の脅威を怪物に喩えた『グエムル』しかり、格差社会のトップとボトムが裏で繋がっていた『スノーピアサー』しかり。そうなると『パラサイト』というタイトルもアメリカと安全保障条約を結び、核の傘で守られている日韓の軍事体制を指しているのではないかとさえ思えてくる。昨年、ピック・アップしたミキ・デザキ『主戦場』が暴いていたように日韓が政治的に揉めるように仕向けたのはアメリカであり、最終的に斬り付けられたのがパク・ドンイク(イ・ソンギョン)=アメリカだったと考えれば政治的ファンタジーとして実に面白い流れとなる。韓国の富裕層が日常的に英語で喋りたがるのかどうかは知らないけれど、パク家がやたらと英語を使いたがるのも気になったところだし。

 アメリカ的な富の考え方が頂点にある限り、この世界の流れはどうにも揺るがないだろう。19世紀はいわゆる経済放任主義の時代であった。その結果が格差社会であったためにイギリスは逸早く「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに福祉社会の建設を目指し、その挙句にイギリス病に陥った。いま再び新自由主義が経済放任主義(=市場至上主義)を理想とし、同じように格差社会が舞い戻っている。19世紀にはなかった福祉という仕組みがある分、21世紀の格差社会は19世紀よりもマシなはずである。人類は少しは進歩しているのだと思いたいというか。そして、福祉社会という仕組みがかつて考え出されたように、また新たなことを誰かが考え出さないとは限らない。キム一家が貧困から抜け出そうとアイディアをひねり出したように。が、キム一家が小金を得るようになった途端、それによって手に入る暮らしを手放せなくなり、自分たちよりも下の貧困層には冷たくあたったように、個人には期待しない方がいいと『パラサイト』は告げている。そして、最下層から富裕層へとドミノ倒しのように攻撃が開始されるというヴィジョンがいま、人々にショックを与えている(ちなみに右翼の大物、赤尾敏は竹島は爆破してしまった方がいいと主張していた)。

予告編

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