シャバカ・ハッチングスに以前インタヴューをしたのは、ザ・コメット・イズ・カミングで来日した2019年のことだった。他のメンバーに比べて発言は控えめだったが、観客と共に演奏に伴うエネルギーや生命力を育んできたということを語っていたのが、特に印象に残っている。実際、そのライヴも、並行して取り組んでいたサンズ・オブ・ケメットやシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズの活動も、外に向かうパワフルでポジティヴなエネルギーに満ちたものだった。現行のUKジャズ・シーンを語るときに、その牽引者として真っ先に名前を挙げられる存在だった彼が、シャバカ名義でリリースしたソロEP「Afrikan Culture」は、しかし、そのイメージを覆すものだった。
テナー・サックスの代わりに「心理的な楽器」だという尺八やフルートが演奏され、エネルギッシュな演奏の対極にある、メディテーショナルで内省的なサウンドが展開された。シャバカの音楽をこれまで聴いてきたリスナーの多くが期待したサウンドではなかっただろう。その才能を称えてきた、特にジャズのメディアやジャーナリストからの反応も一部を除いては鈍かった。だが、「Afrikan Culture」は決して一過性の特殊な作品ではなく、新たな活動のプロローグであると捉えた人も少なくはなかった。このときに、すでに幾度か一緒に録音をおこなっていたカルロス・ニーニョから伝え聞いた話からも、シャバカの本気度は伺い知れたのだ。
「Afrikan Culture」のリリース後、これまでのバンド活動をすべて休止し、尺八の演奏に集中的に取り組み、そして、ファースト・ソロ・アルバムの『Perceive its Beauty, Acknowledge its Grace』が完成した。慣れ親しみ、当たり前だと思ってきた前提を離れて、自分の身体感覚とパーソナルな関係性から取り組んできたことの結果として、このアルバムがあることは、インタヴューから伝わるはずだ。その音楽はインサイドにあるのか、アウトサイドにあるのか、ジャズではよくそういう分け方をする。インタヴューで言及されているアンソニー・ブラクストンの音楽は、いまもアウトサイドだろう。シャバカの音楽は? このインタヴューから感じたのは、新たな楽器にひとりで向き合って習得したことをジャズのコンテクストに還元しようとしている音楽が『Perceive its Beauty, Acknowledge its Grace』には収められているということだ。
自己発見、とまでは行かないけど、勇気を持って「これからは、これまでは表に出してこなかった、自分のなかのこういう音楽性を強調したい」と言えるようになったということさ。
■(質問者は)カルロス・ニーニョの音源をリリースするなど個人的に繋がりがあって、彼からあなたと録音をした話を大分前に聞かされました。まだ、あなたがサックスを吹いて、バンドでアグレッシヴにライヴをしていた頃です。カルロスと繋がったのは最初、不思議に思いましたが、その後のあなたの活動を見て、とても合点がいきました。あなたが現在のような音楽性に変わるきっかけ、理由は何だったのか、まずはそのことから伺わせてください。
S:僕にしてみれば、自然な成り行きだったんだ。バンドを結成するというのは、共通の語彙を持つレパートリーを作ることだ。成功すれば、それを世界中に届け、広め、みんなは楽しんでくれて、何をそのバンドから期待できるかを知る。でもそうだとしても、僕個人が他にもやりたいと思っていることがないわけじゃないし、他に面白そうだなと僕が感じる音楽の作り方はあるのかもしれない。アーティストであるということは、自分が面白いと思うことを探し続けることであり、どこまで自分を押し進められるかということだ。アンソニー・ブラクストンが語る “感情のランドスケープ” に関する引用を読んだことがある。観客に対して発信する感情のアウトプットの裾野を広げる能力、ということだ。僕の場合はサックスを通じてエモーションを発信してきた。だが、それがすべてだということじゃない。そのとき、その観客に対して発せられ、その時期のアーティストとしての僕の本質を具現化するのが、たまたまサックスだったというだけ。そして僕がどう感じるか、何を発しなければならないと感じるかは日毎に変わる。つまり自己発見、とまでは行かないけど、勇気を持って「これからは、これまでは表に出してこなかった、自分のなかのこういう音楽性を強調したい」と言えるようになったということさ。
■自己発見と言われましたが、サックスから、フルートや尺八に演奏楽器を変えたことで、どんなことを発見したと思いますか?
S:たくさんあるけど、一番はサックスを吹くのにどれほど身体に大きな緊張をかけていたかという発見だ。だから尺八を学ぶことで、僕のサックスのテクニックは向上した。そのことを、サックス奏者に会うと僕はいつも言うんだ。尺八を吹きはじめると、先生についていなかったとしても、多くのことを学ぶ。じつに難しい楽器で、いろいろな問題にぶち当たる。でもその問題がサックスを演奏するための基本的テクニックを理解し、演奏をさらに上達させるのに役立つことになる。なかでも緊張することなく、力と勢いを生み出すにはどうすればいいかが、いちばん難しい問題だった。攻撃的な緊張感をかけることなく、大きなエネルギーを得るにはどうすればいいか? 何度かレッスンを受けたことがある気功に似てるんじゃないか、というのが僕なりの答えだった。ゆっくりとした動きの流れのなかで、いかに違うソースからエネルギーを生み、送り出すか。力ではなく、エネルギーの流れ。いかにエネルギーを前に動かすかということだ。さらにテクニカルな話もできるけど、きっと聞いても面白くないと思うのでここでやめておくよ(笑)。
■アンドレ3000もインディアン・フルートを演奏して、『Perceive its Beauty, Acknowledge its Grace』にも参加していますね。フルートを選んだことも含めて、彼の転向をあなたはどう思われましたか?
S:最初、SNSでフルートを吹きながら歩き回ってる動画を見たときは、面白いなと思った。で、カルロス・ニーニョに声をかけられて彼のレコーディングに参加したときに、長い時間を一緒に過ごし、話もした。そのとき、本人からこれからはフルートを主な楽器、もしくは “声” として、音楽作りをしていくんだという話は聞いていたんだ。
■実際に彼に参加してもらってのレコーディングはどんな感じでした?
S:すごく良かったよ。すごくいいヴァイブが流れていた。僕も彼も、とにかくフルートでジャム演奏するのが好き、という似たところが根底にあると感じたよ。先生につかずに楽器を学ぶと経験することのひとつさ。独学だと当然、楽器とすごく長い時間を過ごすことになる。4時間くらい楽器を手に持っているだろ。するとゆっくりと、楽器が、自分が何をしなきゃならないかを教えてくれるようになる。自分自身をチェックし、呼吸をチェックし、一貫したメロディを作り、どんなヴァリエーションが作れるかを試し……というように。僕も彼も楽器へのアプローチの仕方という意味では、とても似た考え方に基づいているんだと思った。一緒にスタジオに入り、ただ演奏したんだ。メロディを吹き、ジャムし、一緒にリズミックなアイディアを作っていった。とても良かったよ。
コメット・イズ・カミングやサンズ・オブ・ケメットのときの僕は、エネルギーが僕に要求するもの、一定のエネルギーや音量、特定のプレイを示唆するヴァイブレーションに囚われがちだった。でもいまはもっと静かで控えめで、それでいてたくさんのエネルギーが生み出される、より集中したプレイができる。
■『Afrikan Culture』リリース時のTidalのインタヴューで、「いつになったらテクニックの蓄積を止めて、音楽を作るという本質的な考え方に向き合いはじめるのか」という発言をしていたのがとても印象に残っています。これは、テクニックというものに対して、必要だが、それに囚われるべきではないという意味合いでしょうか?
S:この考え方に対してはいろんな意見を聞いたよ。ただ僕個人の練習のしかた、というか、僕の気質のせいもあるんだろうけど、僕はテクニックを超えるには、基本のテクニックが必要だと考える派だ。それをコントロールする必要があるんだ。ここで言うテクニックとは、身体の全パーツの全ての動きをコントロールすることと、自分の心がイメージしていることがつながるということだ。心のなかで想像することと身体ができることを結びつける能力、それが僕の考えるテクニックだ。毎日スケールを演奏すれば、長音(long note)を出せるようになるだろう。小さな動きに気持ちをフォーカスできるようになるからだ。それってとても重要なんだ。つまり “こうしたい” と頭で考えたアイディアと、それを実行することの間に遮るものが何もないということだからさ。それに対して、テクニック面で何か問題があっても、その問題を認識できず、解決できなかったら、“こうしたい” と望むことと達成できることの間に隔たりが生じる。でもその産物として、何か面白いことが生まれるケースもある。だから必ずしも、テクニカルな能力がないからといって、音楽的に、もしくはクリエイティヴに、オルタナティヴな、隠れたものの裏にある道を見つけられないわけじゃない。ただ僕個人としては、自分のコントロール内でそういったオルタナティヴな道を見つけたいと思っている。テクニックの面で、自分が “こうなる” と想像するものに遅れをとると、それがフラストレーションになってしまうんだ、僕は。
■そもそも、ジャズを演奏することは、肉体的に負荷のかかることなのでしょうか?
S:ああ、そうなんじゃないかな。そもそも即興的で創造的な音楽という意味でも、ジャズの定義は難しいものだ。クリエイティヴに想像的に、それまで一度も聴いたことがないような、もしくは自分でも演奏したことがないような、想像から生まれた音楽を演奏するために自分自身を掘り下げなければならないのだから、当然肉体的にきついこともある。だって自分の想像力が求めるのが、そういう音楽だったらそうするしかないじゃないか。誰か他のコンポーザーが書いた曲を演奏するんだったら、はじめる前にどれだけ肉体的にきついかを正確に数値化し、心の準備をすることができるがね。たとえば、ステージで演奏中、エネルギーとヴァイブが溢れ、そういう状況が生まれ、想像力のなかでものすごくぶっ飛んだ何かが聴こえたとする。もしかするとそれはその一晩のスピリット、インスピレーションから生まれた何かなのかもしれない。あるフレーズが頭に浮かぶんだが、それは楽器のいちばん下からいちばん上まで一気に飛び越えるようなフレーズで、君はそれを演奏することの大変さに気づくと同時に、どうしてもこれをやらなきゃと思うわけさ。それって肉体的にはかなり負荷がかかる。あえてやらなくてもいいことかもしれない。でも、深いクリエイションに関わることというのは、そういうものだ。なので、この手の音楽(ジャズ)に自分がオープンでいるには、フィジカルとテクニック、そして創造的な能力に対して敏感でいなきゃならないのさ。
■フルートや尺八を演奏することによって、ジャズを演奏することの意味合いはあなたの中で変化しましたか?
S:ああ、大きく変わったよ。僕と “尺八との人生” には段階があるんだけど、いまはあと少しで、伝統的な学びをスタートできるところまで達している。レパートリーを学びはじめられるところまで来てるんじゃないかなと。これまで僕が専念してきたのは、身体と楽器の関わり合いということだ。楽器にどう息を吹き込むか、どう演奏するかに気持ちを集中させてきた。そういった精神的な学びの過程でも、物事は作り出される。さっきも話したアンドレとの関係……楽器を持ってスタジオに入り、ふたりで何時間も長音を吹き、どこに連れて行かれるのかを知ろうとする。するとそこで何かが開くんだ。創造性の火花が散って、世界が広がる。これまで僕がジャズを練習し、演奏するときというのは、それ以前に出会ったフレーズや語彙を “どれだけ思い出せるか” にかかっていた。ところがいまやっているように、尺八のような新しい楽器を練習し、概念化するためのアプローチを探求することは、新たな可能性を開くことになり、ジャズのような馴染みのあるコンテクストに立ち戻ると、可能性という意味でアイディアが活性化される。例を挙げるなら、以前よりもずっと長音を吹くようになったよ。長音を吹くということは、それだけ集中しなければならない。昨日もレコーディング・セッションだったんだけど、強さのなかでも以前よりも冷静でいられ、自分のミスをもコントロールできたんだ。たとえばコメット・イズ・カミングやサンズ・オブ・ケメットのときの僕は、エネルギーが僕に要求するもの、一定のエネルギーや音量、特定のプレイを示唆するヴァイブレーションに囚われがちだった。でもいまはもっと静かで控えめで、それでいてたくさんのエネルギーが生み出される、より集中したプレイができる。ジャズの状況のなかに自分をおいても、高い集中力を保てるようになった。まるで激しさの波が何度押し寄せようとも深くに錨が下ろされていて、僕はそこを軸に進みたい方向が決められる気がするんだ。
[[SplitPage]]僕にとってのレコーディング・セッションは最初の爆破による爆発のようなもの。そのあとのプロダクション過程で、岩のなかにあるものや美しさを削り取っていくんだ。
■『Perceive its Beauty, Acknowledge its Grace』を制作するにあたって、当初思い描いていたヴィジョンがあれば教えてください。
S:ヴィジョンは何もなかったよ。今回に限らず、僕は最終形はこういうものにしたい、というヴィジョンを持たずにレコーディングをはじめ、その時々に起きることにオープンに対応し、次は何しようかと考える。決定を下すプロセスはあくまでもオープンであるべきだし、ヴィジョンは探究の過程で生まれてくるものさ。ひとつの決定が、もしくはターニング・ポイントが次の何かにつながるわけで、そうやっているうちに、そのプロジェクトの方向性や雰囲気が見えてくる。それこそがバンド・リーダーの役割なんじゃないかと思うよ。バンド・リーダーは音楽が向かうべき本来の方向を見極め、その方向に物事が流れるように仕向け、これから取り掛かる音楽について全員がどう考えているかを確認する。流れを円滑にし、強化する。
■楽曲はどの程度予め準備されていたのでしょうか?
S:答えるのが難しい質問だな。というのも、メロディは何ヶ月も前から、あくまでも自分のためにたくさん書いていた。どのフルートでどうメロディを演奏しようかと理解したかったからだ。僕自身の音楽的な気質を理解したい。僕はメロディの何が本当は好きなんだろう? と。だからたくさんのメロディをノートに書きとめた。セッションではノートを開いてそのメロディを自分でも、ミュージシャンたちにも使おうと思ってたんだ。でもセッションに必要なのは、雰囲気とプレイへのアプローチなのだと思い直した。そこで雰囲気はどうしたいか、長い話し合いをし、どんなプレイや即興演奏を求めているかという点については意見を言った。セッションでは、長い演奏を続けた。本当に長かった。40分くらいノンストップでプレイし、そのなかであらかじめ僕が考えていたメロディが出てくることもあった。そしてセッションが終わった後で、その部分を取り出した。ヴァン・ゲルダー・スタジオでのレコーディングの後、フルートのためだけのセッションを数日設け、パートを書き直したり、さらにミュージシャンを呼んで演奏してもらい、全体的なアレンジと作曲をおこなったんだ。そんなわけで、最初から情報があったのではなく、あったのは方向性と雰囲気だけ。そこから情報を掘り出すという大変な作業がはじまったんだ。鉱山でダイヤを採掘するのを例に挙げると、まずは採石場を爆破し、大量のダイヤを含んだ岩石を手に入れる。そのなかにはダイヤや貴重な物質が含まれているけど、爆破の直後だから荒い状態なんだ。僕にとってのレコーディング・セッションは最初の爆破による爆発のようなもの。そのあとのプロダクション過程で、岩のなかにあるものや美しさを削り取っていくんだ。何時間も何度も聴き直し、すでに録音したなかの何をどう加えようか、と考える。それはまた別のプロセスなのさ。
■ヴァン・ゲルダー・スタジオの名が挙がりましたが、どんなサウンドや雰囲気を求めて、そこを選択したのでしょう?
S:インティメートでエネルギーやヴァイブ感に溢れた雰囲気ということを考えたとき、ジャズにとって最も有名なスタジオのひとつだからね。コルトレーンはじめ、僕のたくさんのヒーローたちにとっていいスタジオだったんなら、僕にとってもいいに違いない。何がすごいのか自分で確かめてみたい、僕が大好きな多くの音楽のサウンドと雰囲気を生み出したスタジオを経験したい、と思ったんだ。実際にスタジオに入り、その素晴らしさがわかった。いままで僕が訪れたなかで最高のスタジオだったよ。周りがそう言ってるからではなく、本当に素晴らしい音響環境なんだ。特にフルートを扱う際には、音がその空間にどうフィットするかというのが重要だ。自然環境であるか、共鳴室かにかかわらず。まさに音響的に優れたサウンドになるべく、ゼロから設計されたスタジオ。ルディ・ヴァン・ゲルダーのこだわりがそこかしこにあった。音が反響する表面が何もなく、すべて木製。全てが曲線で、尖った角がない。そして屋根の高い建物。実際にプレイする側の視点に立った設計さ。僕が全力で演奏にエネルギーを注ぎ込んだら、スタジオがその音を受け取ってくれる気がした。まるでコンサートホールみたいに、僕が出した音が反響することも抑えられることもなく、スタジオにそのまま映し出される。もし静かで繊細な演奏がしたいと思えば、音は広がり、残響を残すことも可能だった。つまりとてもダイナミックな対比を可能にする余白のあるスタジオなんだ。さらに今回は雰囲気が大切だったので、ダイナミック・バランスを敏感に感じ取れるよう、セパレーションもヘッドホンも使わずにレコーディングした。そうすることで全員が “聴く” ことを余儀なくされる。レコーディング・セッションでは自分の周りの動きを調整する能力があれば、その瞬間に自分のやっていることを無視することができる。
2年前の僕のフルートのテクニックはいまとは違っていた。2年間の練習を経て、腕を上げることができた。スタジオでの僕は、周りの人間に比べれば自分をうまく投影することができなかった。だって他のみんなは自分の楽器に慣れ親しんでいた人たちだ。そこで全員に、楽器のテクニックという意味だけでなく音楽的にも、僕のレベルに寄ってほしいと思ったんだ。とても面白い点なんだよ、これって。もし自分にとって望ましいテクニックがないとき、どうやって意味あるものをクリエイティヴに作り出す解決策を見つけるか。その答えが、全員で深く、インティメートに聴くことだと思えた。それを可能にするには、まるでリハーサルでジャム演奏をしているような空気のなかでやること。実際、そんな最初のリハーサルで最高の音楽は作られることもある。マイクをセットアップする前、コートを脱ぐ前。誰かがピアノで弾いたリフに、楽器を大慌てで手にして一緒に弾いたときに生まれるマジック。マイクのセッティングが終わり、バランスもレベルも決まったときにはマジックは少し失われる。次に、クラブやフェスティヴァルでマイク、もしくはレコーディング卓というテクノロジーに向かって演奏し、そのテクノロジーが今度はモニターというテクノロジーで自分の出した音を返してくる。その段階では自分が作っているものとは全く違うものになってるんだ。でもそれはそれでいいんだよ。ギグをやる、レコーディングをすることは、そういった様々なテクノロジーのつながりの瞬間を理解し、その領域のなかでどう演奏するかを理解することなのさ。でも今回のレコーディングでは、僕自身と音楽とミュージシャンの間の根本的なつながりを、より感じるものにしたかった。フルートを吹く僕とミュージシャンたちとの間のつながりを、テクノロジーが断絶するのはイヤだったんだ。
■カルロス・ニーニョは、即興演奏と作曲されたものの演奏の区別をわざと曖昧にするようなアプローチで、ずっと自身の作品を作ってきました。録音に大胆な編集も加えてきました。あなたは即興や作曲に対して、いまどんな考えを持ち、どんなアプローチをしていますか?
S:コメット・イズ・カミングのアルバムを考えてみてくれ。どれも全て、基本は即興演奏だ。スタジオに入り、僕らは即興で4日間くらい演奏した。そのあとは、今回の新作の過程と似ているのだけど、即興的に作曲された瞬間を探し出し、そこから楽曲を作り出す。それはたとえば、不要なものを取り除く作業だったり、様々なシンセサイザーのメロディやドラム・パートを加えたり。でもサックスだけは加えたことはなくて、すでに演奏したのが全てだった。少なくともコメット・イズ・カミングではね。この例を挙げたのは、即興演奏というのが、ときに作曲のアンチテーゼのように見なされることが多いからだ。でも作曲というのは、そこに与えられたアイディアを意識し、それらのアイディアが一貫した音楽システムや表現を作り上げる方法に対して、意図的であるプロセスでしかない。そしてこのアプローチは、希望すれば即興演奏にも取り入れることができる。自分はその場で即興的に作曲しているのだという意識を持って即興演奏をすれば、その作曲は一貫性や、入り組んだニュアンスを持つものになるだろし、繊細でディテールのあるものになる。でももし、自分の知らないことを探しているのだという考えのもとに即興演奏するなら、有機的に形が見つかり、一貫性は二の次になる。どちらが良くて、どちらが悪いという話ではない。ただ即興に対するアプローチの差、というだけさ。僕の場合、スタジオでは大概、即興演奏。でも曲を書くときは作曲的であることを意識する。それは曲が書けた後で、別レベルの作曲がおこなわれることをわかっているから。さっきも言ったように、即興演奏のなかから特定の瞬間を取り出して、レンガのように組み立てて、他の作曲を作り出す。すべてはアプローチの仕方ってことだと思う。コンポーザーによっては書き留めてある複数のアイディアをもとに即興演奏する人もいる。そのアイディアをどこから得るのかといえば、頭に浮かんだインスピレーションだろう。一方で、システムの枠内で曲を書くコンポーザーは、ピアノの前に座って曲を書くかもしれない。その場合はシステミックなハーモニーの置き方をし、そこから音楽の素材を得るのかもしれない。でも僕が知る、そしてリスペクトするコンポーザーの多くは、インスピレーションで曲を書くタイプだ。楽器の前に座り、インスピレーションを音楽情報にかえ、ピアノで演奏し、紙の上に書き出す。作曲の次なる段階は、思いついた音楽的素材を整頓してアレンジすること。多くの場合、僕がやってるのもそういうことだ。当初の曲を書いたときの要素を、スタジオでテープが回っている間、他のミュージシャンたちと形にする。それが終わったら作曲/プロダクションへと移るのさ。
僕にとっていちばん重要なのは、音楽がスタートからフィニッシュまで、どういう弧を描いて流れていくかだ。そこからどんな感情の旅路をたどるのか。
■このアルバムはリスニングのさらなる可能性を提示した作品だと感じましたが、音楽にせよ、自然音や環境音にせよ、音を聴くということに関して、あなたのなかで以前と変化したことはありますか?
S:ああ。弧(arc)に注意を払うようになったことかな。それはこのアルバムでとても重要だったことであり、理解するのにいちばん時間がかかった部分だ。音楽自体、その構造を考えると複雑なものなわけだけど、僕にとっていちばん重要なのは、音楽がスタートからフィニッシュまで、どういう弧を描いて流れていくかだ。そこからどんな感情の旅路をたどるのか。1曲の終わりが次の曲のはじまりに流れていく様子とか、そこからどういう感情を僕が感じるか……そんなふうにしてアルバムを聴きはじめたんだ。違った曲の寄せ集めではなく、1曲がたどる旅が、次の曲のはじまりへどう呼応するか。アルバムはトータルで完全な作品になるということ。旅路、という言い方がいちばん正しいね。ひとつの作品としてのアルバム。いわゆるジャズと呼ばれる音楽では、1曲のなかでひとりのソロ奏者が他の奏者とインタラクトし、すごい旅をすることはある。もしくは1曲に4人のソロ奏者がいて、それぞれのソロの即興が次をどう導くかが、旅の重要な点だったりする。1曲における旅路のことばかりで、アルバムとしての旅路は無視されるか、あまり多く語られない。今回のアルバムにトラディショナルなジャズというコンテクストでの即興があまりないのは、ソロの瞬間の旅路ではなく、1曲から1曲への旅路が重要な要素だったからだ。
■今回、多彩なゲストが参加していますが、どういった基準で選んだのですか?
S:答えはじつにシンプルで、全員がここ数年間のツアーの間に僕が会ったことがあり、話したことがある人たちだ。連絡を取り続け、何か一緒にやりたいねと話をしていた。なので、僕から連絡をして参加してくれないかとお願いした。全員、これまでになんらかの関係があった人たちだよ。一緒にやったらどうなるだろうか? と。そして嬉しいことに全員が “イエス” と言ってくれた。多くの場合、直感だよ。最初のレコーディングの後で加えたゲストは、音楽を聴き返し、すでにできたものをより強調する上で、誰が適任だろう? と考えて決めた。最初の(ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオでの)レコーディング・セッションでのミュージシャンは、ここ数年に連絡を取り合ってたなかで僕が一緒に何かを作りたいと感じた、お気に入りのミュージシャンたちだ。スタジオに入ったとき、特にこうしようという決まった考えがあったわけではなく、どう演奏したいか、どう相互にプレイし合いたいか、ということだけだったので、やっていて楽だった。結果にがっかりさせられることは何ひとつなかったよ。最終的な目的地は誰にもわかってなかったわけだから、何をやってもそれで正しかったんだ。
■今作は〈Impulse!〉からリリースされます。〈Impulse!〉というレーベルと、そこからリリースされた作品について、あなたはどのような印象を持ってきましたか?
S:独創性に富んだレーベルだという印象だな。そしてアーティストのコミュニティを抱えていたレーベル。〈Impulse!〉と聞くと、特定のサウンドと音楽へのアプローチと時代を思い浮かべる。その時代は一定期間に止まることなく、その後も現代に合うように形を変えて続いた。最初はまずどうしたってコルトレーン、ファラオ・サンダース、アリス・コルトレーンといった時代を思い浮かべるが、興味深いことにそこで終わることなく、その後も素晴らしいアルバムを作り続けた。たとえばガト・バルビエリ……そして70年代、80年代と続いていった。そんなクリエイティヴ・ミュージックのレガシーの一部になれることをとても嬉しく思うよ。
■特に影響を受けた作品があれば教えてください。
S:チャーリー・ヘイデンの『Liberation Music Orchestra』にはとても影響を受けたよ。あれはアルバム全体を通して、素晴らしい作曲的フォームと弧を持つアルバムのいい例だよ。当然ながら(コルトレーンの)『A Love Supreme』も。クリシェだと言われるかもしれないが、クリシェにはそれだけの理由があるのさ。音楽史のなかでも、本当に素晴らしいアルバムだと思う。あまりにたくさんありすぎて、何枚か挙げると他のアルバムが嫉妬するんじゃないかと思うんだけど。オリヴァー・ネルソンの『Truth』(『The Blues And The Abstract Truth』)もじつに独創性に富んだアルバムだ。チャールズ・ミンガスのアルバムもあるね。
■最後に今後のライヴの予定はありますか?
S:ああ、いまもライヴ・ツアー中だよ。何本かギグをやった。5月にはヨーロッパ・ツアーをおこなう。今回のアルバムはバンドでのアルバムじゃないので、決まったミュージシャンがいつもいるわけではないんだ。いまの僕は必ずしも決まったミュージシャンを必要としていない。もちろんアルバムからの皆が知っている曲をライヴでもやりたいんだが、固定のグループでそれをやるのではなく、クリエイティヴな表現としておこないたい。とはいえ、ヨーロッパ・ツアーではハープ2台、シンセサイザー、ピアノ、そして僕がフルートというグループが決まっている。一方でアメリカでやってきたのは、ベース2本、エレクトロニクス、ドラム、ハープというラインナップ。今度やるNYではハープ、エレクトロニクス、フルート、ドラムになるし、他の都市ではトランペット(アンブローズ・アキンムシーレ)、フルート、ドラムになる……というように変動的なんだ。ハープをフィーチャーするものが中心だが、ハープなしということもある。基本的には、アルバムにもたらされたのと同じ雰囲気を一緒に探ってくれるミュージシャンということだよ。