「Nothing」と一致するもの

Ryuichi Sakamoto - ele-king

 現在AMBIENT KYOTOでもインスタレーションが展示中の坂本龍一。その大規模個展が開催されることになった。会場は東京都現代美術館で、会期はおよそ1年後の2024年12月から。大型インスタレーションを紹介する、日本では初めての規模の個展になる模様。詳細についてはこれから順次発表されていくと思われるので、続報を待とう。

アート作品を包括的に紹介する、日本初となる大規模個展
坂本龍一展(仮)
2024年12月21日~2025年3月30日 開催決定

東京都現代美術館では、来年2024年12月から音楽家・アーティスト、坂本龍一(1952―2023)の大型インスタレーション作品を包括的に紹介する、日本では初となる最大規模の個展を開催いたします。坂本は多彩な表現活動を通して、時代の先端を常に切り拓いてきました。2000年代以降は、さまざまなアーティストとの協働を通して、音を展示空間に立体的に設置する試みを積極的に思考/実践しました。今回の展覧会では、生前坂本が本展のために構想した新作と、これまでの代表作を美術館屋内外の空間にダイナミックに構成・展開し、クロニクル展示を加えて、坂本の先駆的・実験的な創作活動の軌跡をたどります。

展覧会概要
■展覧会名:坂本龍一展(仮)
■会 期:2024年12月21日(土)~2025年3月30日(日)
■会 場:東京都現代美術館 企画展示室 1F/B2F(東京都江東区三好 4-1-1)
■主 催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館
■お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
■展覧会ウェブサイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/RS/
※観覧料、休館日等詳細は決定次第ウェブサイト等で公開します。

坂本龍一 (さかもと・りゅういち/音楽家)
1952年、東京都生まれ。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年「Yellow Magic Orchestra」結成に参加し、1983年の散開後も多方面で活躍。映画『戦場のメリークリスマス』(83年)の音楽では英国アカデミー賞、映画『ラストエンペラー』の音楽ではアカデミーオリジナル音楽作曲賞、グラミー賞、他を受賞。環境や平和問題への取組みも多く、森林保全団体「more trees」を創設。また「東北ユースオーケストラ」を立ち上げるなど音楽を通じた東北地方太平洋沖地震被災者支援活動も行った。1980 年代から2000年代を通じて、多くの展覧会や大型メディア映像イベントに参画、2013年山口情報芸術センター(YCAM)アーティスティックディレクター、2014年札幌国際芸術祭ゲストディレクターを務める。2018年 piknic/ソウル、2021年M WOODS/北京、2023年M WOODS/成都での大規
模インスタレーション展示、また没後も最新のMR作品「KAGAMI」がニューヨーク、マンチェスター、ロンドン、他を巡回するなど、アート界への積極的な越境は今も続いている。2023年3月28日、71歳で逝去。

SPECIAL REQUEST - ele-king

 UKのリーズ出身のテクノ/ブレイクーツのプロデューサー、スペシャル・リクエストがザ・KLFのカヴァー集『WHAT TIME IS LOVE? SESSIONS』をbandcampにアップした。なぜこのタイミングで? という思われる方も多いかと思いますが、よくわからないです。ただ思い出すのは、“What Time is Love?”がヒットしたのは湾岸戦争のときでした。アルバムには『Chill Out』のカヴァーもあります。とにかくここにスペシャル・リクエストは「ムーへの神秘的な入口を開けた」と。

 


Felix Kubin - ele-king

 フェリックス・クービンのルックスを見た誰もが思うことだが、一時期の彼はまるで『マンマシーン』時代のクラフトワークのメンバーに紛れていても違和感がない。あるいは、一時期の彼は東ドイツの面影がどこか漂っているが、彼はハンブルク生まれである。フェリックス・クービンに関してまず言われることは、「彼はノイエ・ドイチェ・ヴェレ」より15年遅く生まれた、ということである。そう、遅かったNDW。11歳の少年がラジオから流れるレジデンツのアルバムを録音し、何度も繰り返し聴いている姿を想像してみて欲しい。13歳の少年がホルガー・ヒラーやデア・プラン、DAFに心酔し、自らも電子音楽家として作曲し、ステージに立ち、演奏をはじめる。ホルガー・ヒラーがサンプリングしたリゲティ、ショスタコーヴィチ、ヴァレーズを調査し、ノーノ、クセナキス、シュトックハウゼンを聴き漁る。ダダイズムやマン・レイの美学を取り入れ、そこにアナキズムと共産主義を合成する。クービンは90年代末からまったく時代のトレンドとは合致しない作品を出していく。ちなみに98年に設立した彼のレーベルは〈ガガーリン〉といって、これは「世のなかの嫌なことに反対するのではなく、衛星になれ。地球と一緒に飛ぶ。パラレルな別の人生を生きているんだ」という意味が込められている。
 さて、そんなドイツの天才児、鬼才のなかの鬼才はゼロ年代以降、ばしばしと奇妙な前衛テクノ・ポップ作品を出していくのだが、ここのディスクグラフィーはいまは省略する。というのも、このニュース原稿は、小柳カヲルによる新潟の〈Suezan〉レーベルがこのたび、クービンの少年時代の2枚のアルバムをリイシューしたことを知らせるために書いているのだ。
 クービンは、「元天才児」という言葉も、よく言われている。今回の2枚は、「現役天才児」だった時代のもので、ドイツが生んだ、このとんでもないオタクの初期衝動のすごさを見せつけている。すべての電子音楽ファンよ、フェリックス・クービンを聴かずして、テクノを語るなかれ。


フェリックス・クービン
ザ・テッチー・ティーネイジ・テープス・オブ (CD) 完全限定プレス

(Felix Kubin / The Tetchy Teenage Tapes Of)
・2023年版最新デジタル・リマスター使用
・完全限定プレス
・日本独占リリース!


ディー・エゴツェントリッシェン2
科学者たちの反乱 (CD) 完全限定プレス

(Die Egozentrischen 2 / Der Aufstand der Chemiker)

http://suezan.com/minori/newrelease

11月のジャズ - ele-king

 先日、ele-king年末号で「2010年代のジャズ」に関するコラムを寄稿し、その中で英国マンチェスターのゴーゴー・ペンギンについて「テクノやドラムンベース的な生演奏を現代ジャズでやってしまう」と解説したのだが、スコットランドのエジンバラを拠点とするヒドゥン・オーケストラもそうしたタイプのアーティストである。


Hidden Orchestra
To Dream Is To Forget

Lone Figures

「アコースティックなスタイルでエレクトロニック・ミュージックを創生する」というコンセプトも両者に共通するものだ。ただし、ゴーゴー・ペンギンがバンドであるのに対し、ヒドゥン・オーケストラはマルチ・ミュージシャンであるジョー・アチソンのソロ・プロジェクトである。形態としてはジェイソン・スウィンスコーのシネマティック・オーケストラに近く、実際の作品制作やライヴにおいては様々なミュージシャンやシンガーが参加しまたフィールド・レコーディングを大幅に取り入れた制作スタイルをとる。ゴーゴー・ペンギンよりも少しキャリアは長く、2010年に〈トゥルー・ソウツ〉からファースト・アルバムをリリースしている。2010年といえば英国リーズのサブモーション・オーケストラもデビュー作をリリースしたが、ドム・ハワード率いるこちらは人力ダブステップ・バンドと形容されたが、ヒドゥン・オーケストラの方はジャズ、エレクトロニック・ミュージック、ポスト・クラシカルなどが結びついた存在と言えるだろう。

 最新アルバムの『トゥ・ドリーム・イズ・トゥ・フォゲット』は、前作『ドーン・コーラス』から6年ぶりのスタジオ・アルバムで、これまで作品を発表してきた〈トゥルー・ソウツ〉から離れ、アチソン自身が設立した新レーベルの〈ローン・フィギュアズ〉からのリリースとなる。基本的にはこれまでの路線を踏襲するものの、以前に比べてフィールド・レコーディングスは少なくし、音楽的なテーマやアイデアをより直接的なアレンジメントに落とし込んでいる。ジェイミー・グラハム(ドラムス)、ティム・レーン(ドラムス)、ポッピー・アクロイド(ヴァイオリン)など、これまで多く共演してきたメンバーに加え、ジャック・マクニール(クラリネット)、レベッカ・ナイト(チェロ)など新たなミュージシャンも迎え、重厚で繊細なオーケストラ・サウンドはより深みを増している。“スキャッター” はヒドゥン・オーケストラお得意のドラムンベースを咀嚼したようなリズム・アプローチで、スロヴァキアの民族楽器であるフヤラが尺八のようにエキゾティックな音色を奏でる。小刻みなドラミングと怪しげなクラリネットがサスペンスフルなムードを駆り立てる “リヴァース・ラーニング” も、現代ジャズとドラムンベースやダブステップの邂逅というヒドゥン・オーケストラを象徴するような世界だ。


Laura Misch
Sample The Sky

One Little Independent / ビッグ・ナッシング

2017年頃から作品をリリースするサウス・ロンドンのサックス奏者のローラ・ミッシュは、トム・ミッシュの姉として既に名前が広まっており、この度デビュー・アルバムの『サンプル・ザ・スカイ』をリリースした。サックスのみならずいろいろな楽器を操るマルチ・ミュージシャンで、作曲からヴォーカルまでこなすシンガー・ソングライターでもある。1年ほど前よりエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーであるウィリアム・アーケインとコラボを重ね、そして完成したのが『サンプル・ザ・スカイ』である。

 エレクトロニックなプロダクションであるが、“ハイド・トゥ・シーク” に代表されるように全体のトーンは非常にオーガニックで、それは柔らかでナチュラルな彼女の歌声や風をイメージしたというサックスによる部分が大きい。そして、“リッスン・トゥ・ザ・スカイ” をはじめとした作品では、自然や草木、花などをモチーフにした歌詞、ハープなどの弦楽器やアンビエントなサウンドスケープ、鳥のさえずりなどのフィールド・レコーディングを盛り込み、空を浮遊するような感覚に襲われる作品集だ。“シティ・ラングス” のようにフォークトロニカ的な作品もあり、ギターと歌とサックスが織りなす優しい世界は非常に魅力的だ。


Astrid Engberg
Trust

Creak Inc. / Pヴァイン

 アストリッド・エングベリはデンマークのコペンハーゲンを拠点とするシンガー・ソングライター/プロデューサー/DJで、2020年にファースト・アルバム『タルパ』を発表した。デンマークをはじめとした北欧ジャズ界の精鋭が多く参加したこのアルバムは、現代ジャズにエレクトロニック・ミュージックのプロダクションを持ち込み、伝統的なジャズ・ヴォーカルやクラシックの声楽とネオ・ソウルやR&B的なヴォーカル・スタイルを邂逅させ、デンマーク・ミュージック・アワード・ジャズの年間最優秀ヴォーカル作品賞を受賞するなど高い評価を得た。そうして一躍期待のミュージシャンとなったアストリッドの3年ぶりのニュー・アルバムが『トラスト』である。『タルパ』から『トラスト』にかけての間、アストリッドは母となって長男を出産し、『トラスト』のジャケットでは赤ん坊を抱く彼女の写真が用いられている。子育ての中で『トラスト』は制作されたそうで、そうした子どもの存在や母としての自覚が信頼というアルバム・タイトルに繋がっている。

『トラスト』はトビアス・ヴィクルンド(トランペット)、スヴェン・メイニルド(サックス、クラリネット、フルート)など前作からのメンバーに加え、アメリカからミゲル・アットウッド・ファーガソンが参加する。ミゲル・アットウッド・ファーガソンが2009年にJ・ディラのトリビュートとして作った『スイート・フォー・マ・デュークス』を聴いて以来、アストリッドは彼の生み出すストリングスのファンとなり、切望してきた共演が本作で叶ったのである。その共演作である “スピリッツ・ケイム・トールド・ミー” は、ストリングスやフルートがアラビックで神秘的なフレーズを奏で、アストリッドの歌がスピリチュアルなムードを高めていく。


Kiefer
It's Ok, B U

Stones Throw

 2021年の『ホエン・ゼアーズ・ラヴ・アラウンド』から2年ぶりの新作『イッツ・OK、B・U』をリリースしたキーファー。『ホエン・ゼアーズ・ラヴ・アラウンド』はDJハリソンカルロス・ニーニョなど多くのゲスト・ミュージシャンが参加し、初期のジャジーなヒップホップ・サウンドから、より複雑で熟成されたサウンド・アンサンブルへ進化を遂げていった。そうした中でキーファーもビートメイカー的なピアニストからトータルなサウンド・プロデューサーへとさらにスキル・アップしていったわけだが、『イッツ・OK、B・U』はゲストも最小限にとどめてほぼ独りで作っており、『ホエン・ゼアーズ・ラヴ・アラウンド』以前の作風に帰ったものと言える。そして、改めてビートメイクとピアノをはじめとしたキーボードのコンビネーションに注力している。

 ヘヴィなビートに引っ張られる “マイ・ディスオーダー” はキーファーのビートメイカーならではのセンスが表われた作品で、“ドリーマー” やタイトル曲でのタイトなビートとメロウなピアノのコンビネーションは彼の真骨頂である。ジャジーなヒップホップだけでなく、“ドゥームド” のようなエレクトロとニューウェイヴの中間のようなビートもあり、ビートメイカーとしてもさらに幅が広がった印象だ。また、アンビエントな “フォゲッティング・U』は、キーファーの新しい一面を見せるに十分な楽曲である。そして、『ホエン・ゼアーズ・ラヴ・アラウンド』での体験がピアニストとしてのキーファーのキャリアも高めたようで、より繊細で複雑な表現力を持つピアニストとなっていることが、“ヒップス” や “ヘッド・トリップ” などを聴くとわかるだろう。

KLF KARE. - ele-king

 ザ・KLFのビル・ドラモンドとジミー・コーティが、「個人経営の介護施設にブランディング・ソリューションを提供する」KLFケアという新しいプロジェクトを立ち上げた。公式ホームページ(https://klfkare.com/vibe.php)には、次のようなメッセージが記されている。

  あなたは自分が思っている以上に年をとっていませんか?
  でも心は...
  あなたはまだ...
  インディ・キッズ
  それとも
  デスメタル・ヘッド...
  それとも...
  パンクは死なず...
  それとも...
  かなりのヘッズ(デッドであるとか)
  それとも...
  墓場までのレイヴァー?

  もしそうなら...
  KLF KARE.についてもっと知りたいかもしれません。
  KLF KAREはあなたのためのケアホームを持っているかもしれません。
  KLF KAREは、降りしきる雨のなか、
  太陽が照り続ける場所にあなたをお連れします。
  詳しくは www.KLFKARE.com をご覧ください。

 なお、KLFケアはこれにともなって、トニー“FUUK”ソープ(かつてムーディー・ボーイズ名義の活動で知られる)は、リカルド・ダ・フォース(かつてザ・KLFの諸作でラップを務めている。2013年に死去)をフィーチャーしたハリー・ニルソンの“Everybody's Talkin' At Me”のプレミックス'を発表した。それはここ(https://klfkare.com/trak.php)で聴ける。なお、ソープは、KLFケア・ホームの入居者である65歳以上を対象としたコンテスト、「Kareovision Kristmas Song Kontest」の初の優勝者とされている。

Galen & Paul - ele-king

 自分の10代の頃の憧れだったミュージシャンが、年老いて老害となるのを見るのはつらいものだ。しかしなかには、年齢を重ねながら、昔よりも好きになったミュージシャンもいる。ポール・シムノンは、そんなひとりだ。元ザ・クラッシュのベーシストは2011年6月、グリーンピース活動家のひとりとして、北極圏の石油掘削に反対するキャンペーンのため、はるばる船に乗って、ヨーロッパ最大の石油・ガス会社、ケアン・エナジー社が管理する北極海に面した石油掘削施設へと赴き、石油流出時の対応計画を提出するよう要求した。が、要求は拒否され、抗議者18人は不法占拠の罪で投獄された。こうした一連の政治活動において、また、刑務所のなかでも、シムノンは自分が元ザ・クラッシュのポールであることを言わなかった。シムノンは船内における料理係で、仲間からは「コックのポール」で通っていたそうだ。その彼があのポール・シムノンだとわかったのは、事件が全国ニュースになってからのことだった。
 「彼は本当によく働き、通常はコックの休日である日曜日でさえ料理をしていた」と、同行した航海士は『ガーディアン』の取材で答えている。じっさいの話シムノンは料理が得意で、その腕前は刑務所のなかでも発揮されたという。「(刑務所内の)食事があまりにひどかったので、看守にポールが料理をすることに同意してもらった」と、抗議者のひとりも証言している。彼は刑務所で、美味しいベジタリアン料理を作った。
 この記事を読んで、いままでスルーしていたハヴァナ3AMを聴かないわけにはいかなかった。ロカビリーにマリアッチ。永遠の音楽。自分のとってのザ・クラッシュというバンドは、高校時代に学校をサボって、静岡から東京まで東海道線で4時間かけて来日公演を見に行ったほどのスーパー・ヒーローだ。もっともその視線はジョー・ストラマーとミック・ジョーンズに集中していたのだけれど。しかし、それから30年の時を経て、ストラマーが歌のなかで訴えていた社会意識の高さを、バンド内でもっとも寡黙だったベーシストがそのさらにうえを行くように継承している事実を知った。デーモン・アルバーンがシムノンといっしょにザ・グッド、ザ・バッド・アンド・ザ・クイーンを組んだのは、彼の肩書きがたんなる「元ザ・クラッシュ」ではないからだろう。

 さて、ここからが本題である。「コックのポール」は、素晴らしいことに、ケヴィン・エアーズの娘の舌も満足させたのである。「人は自分が料理上手だと思いたがるから、どんどんいろいろなものを加えて、シンプルさや新鮮さを奪ってしまう。しかし、ポールのヴォンゴレは完璧だった」と彼女はある取材で答えている。

 それにしてもポール・シムノンとケヴィン・エアーズの娘、ギャレン・エアーズがいっしょにアルバムを作るとは、これはこれで面白い話だ。
 彼女の父ケヴィン・エアーズは、1960年代後半のUKアンダーグラウンドから生まれたソフト・マシーン(創生期にはデイヴィッド・アレン、ほかロバート・ワイアットがいたことで知られる)のオリジナル・メンバーのひとりで、ピンク・フロイド時代のシド・バレットやティラノザウルス・レックス時代のマーク・ボランのような、UKでは「ソフト・メンズ」と言われる、寛容な子育ての恩恵を受け、成熟した男らしさを拒否した最初の世代に属する人物でもあった。彼の歌声はバリントンだったが、いわば“ストロベリー・フィールズ/イエロー・サブマリン”の系譜というか、『おもちゃの歓び』や『月に撃つ』、『いとしのバナナ』といった初期のソロ・アルバムのタイトルからもその志向がうかがえよう。自由人エアーズは、60年代後半にはUKを離れ、当時のヒッピーたちが目指したスペインのマヨルカ島やイビサ島、モロッコにも住んでいたこともある。(ピンク・フロイドが音楽を手がけた映画『モア』を思い浮かべてしまう)
 フランスのコミューンで生まれ、スペインのマヨルカ島で育ったギャレン・エアーズが音楽活動をはじめたのは、大学のためロンドンに移住してからだった。レコード・デビューは2008年で、それはSiskinというバンドの一員としての作品だったが、2018年には最初のソロ・アルバム『Monument』をリリースしている(翌年にはライヴ公演のため来日もしている)。さらに補足すると、2013年の父の死は彼女の音楽への情熱をさらに高めたそうだ。 
 ギャレンとシムノンとは共通の友人が多く旧知の仲だったが、ことのはじまりはコロナ渦をマヨルカ島で過ごしたシムノンにあった。島の小さな漁村に滞在中、絵を描き、曲作りにも励んだ彼はロンドンに戻ると、自らのアイデアを具現化すべく、エアーズに声をかけた。話は早く、互いに曲を持ち寄って、シムノンが夕食を作っているあいだそれぞれの曲を流し、議論しながらアイデアを発展させていったという。

 『Can We Do Tomorrow Another Day?』は、ひとことで言えばレトロ・ポップなアルバムで、レゲエやラテンのフレイヴァーをスパイスに、ここにはデル・シャノン(ビル・ドラモンドがもっとも理想とする歌手)、60年代のフランス・ギャル(渋谷系も聴いた夢見るシャンソン人形)、リー・ヘイズルウッド(ジャーヴィス・コッカーやボビー・ギレスピーも尊敬)&ナンシー・シナトラ(渋谷系にも人気だった60年代ポップ歌手)を参照した痕跡があり、さらにここにはオーガスタス・パブロ(ダブ仙人)のメロディカ、ジェリー・ダマーズのようなオルガンやザ・スペシャルズの “ゴーストタウン”(暗い時代を預言した名曲)を彷彿させる暗いフィーリングもある。古風な質感が特徴で、プロデューサーは大ベテランのトニー・ヴィスコンティ、テクノロジーに頼らずやることがひとつのテーマだった。ちなみにドラマーは、初期のサンズ・オブ・ケメットでも叩いているセバスチャン・ロッチフォードである(良い人選だ)。
 ザ・クラッシュのファンにはよく知られている話だが、シムノンは歌がうまいわけではない。が、あの “ガンズ・オブ・ブリクストン” のぶっきらぼうな歌い方で先述したようなポップスをしかも女性といっしょに歌うのは、これはこれで趣がある。しかも彼はこんな歌詞の歌を歌っているのだ。

  家をたたんでこの街を出ていく
  バイバイと手を振って
  家賃がとんでもなく上がってしまった
  ここにはもう誰ひとり住んでいない
  みんないなくなってしまった
  Oh 小さな町よ
  心を失ってしまったんだね
“ロンリー・タウン”

 音はレトロだが、歌詞はたったいま起きていることを正確に捉えている。ポール・シムノンは自分が昔、パンク・バンドにいたことからまったく逸れていない。我が友よ、ほかにも良い歌詞があるので、これは対訳付きの日本盤で聴いて欲しい。また、考えてみれば、男らしいバンドの代表格でもあったザ・クラッシュの元メンバーがこうして男女のデュオをやるというのも、いまの時代に対応していると言える。
 アルバム・タイトルの『私たちは明日をあらたな日として迎えることができるのか?』は、ダブルミーニングではないのだろうか。ひとつは将来への不安を意味し、音楽を聴いていると明日=未来など要らない(no future)と言っているようにも思えてくる。未来の都市、最先端のテクノロジー、いまこの社会が進行していった場合の明日、そこにどんな幸せな夢があるというのか。言っておくけれど、テクノ・ミュージックの始点をデトロイトにするなら、それは安価なテクノロジーで制作された音楽のことで、高価で最先端な環境で作られたそれを意味しない。
 好奇心旺盛な20代〜30代のリスナーに、この音楽をゴリ推しするつもりは毛頭ない。だが、憶えておいて欲しいことはある。ザ・クラッシュというパンク・バンドが、偏差値の高そうな連中相手に社会(ときには左翼的なヴィジョン)を語るのではなく、定職にも就かず朝からビールを飲んでいるような連中相手に語っていたこと、それもかなり一生懸命に。そしてバンド内でもっともハンサムだったベーシストは料理が上手で、とくに得意なのは本人いわく「パエリア、スパゲッティ・ヴォンゴレ、マヨルカ島の魚のスープ」……という話はいいとして、革命は必ずしもテレビ(写真)には映らないということを。

interview with Shinya Tsukamoto - ele-king

 生まれて初めてNHKの朝ドラを観ている。笠置シズ子にも興味はあったけれど、塚本晋也の新作で主人公を演じる趣里が朝ドラでも主役を張っていると知り、その振り幅にまずは興味が湧いた(ついでに『東京貧困女子』も最初だけ観た)。内覧会で一足先に『ほかげ』を観ていたので、朝ドラで歌劇団のルーキーを演じる趣里がとても幼く感じられ、『ほかげ』では生活に疲れて先の見えない人物像がしっかりと造形されていたのだなと改めて趣里の演技力に感心した。『ほかげ』は戦後の闇市を舞台にした作品で、居場所のなくなった人々が暗中模索を続ける群像劇。前半と後半で異なる主題を扱い、戦争によって滅茶苦茶になった日本の心象を様々な視点から洗い出す。誰もが無表情のままで、喜怒哀楽のどこにも触れないのは塚本作品の本質が剥き出しになっている気がする。


©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

 『鉄男』シリーズや『六月の蛇』といったカルト作品のイメージが強かった塚本晋也が8年前に『野火』でいきなり政治的な話題に首を突っ込んだ時はけっこう驚かされた。とはいえ、政治的なテーマばかり撮り続ける「専門家」よりもアレックス・コックスやアダム・マッケイのようにアホなことばかりやっていた人が自分たちの領域を政治に侵された途端、一気に作風が変わり、自分たちがやっていたことを守るために政治的になるという姿勢が僕はとても好きなので『野火』には喝采を叫んだし、同じ衝動に突き動かされている『ほかげ』にも同じように拍手を送りたい。そして、ブレインフィーダー別冊で取材した際に「塚本晋也に会いたい!」と吠えていたフライング・ロータスのCDをごっそり携えた野田努と共に塚本晋也が待つユーロ・スペースに向かうのであった。渋谷の街はそろそろハロウィンの気運が高まっていた頃である。

戦争が終わったら「終わったー」といってみんな伸び伸びするというイメージがあったんですけど、『野火』をつくってから、戦争が終わっても、ぜんぜん戦争は終わってないと思っていた人たちがたくさんいたことがわかったんですね。

(フライング・ロータスについて少し説明してから)40年前に1週間ほど熊野の山のなかで水木しげるさんとご一緒する機会があったんですね。

塚本:おう、おう。

『ゲゲゲの鬼太郎』を描いた人だということぐらいしか僕は知らなかったので、水木さんに片腕がないことも知らなくて。驚いてしまって。その1週間で、戦争の話をたくさん聞かせてくれたんですね。で、東京に戻って水木さんの戦記物を全部読んだんです。変わった話もいろいろあったんですけど、それまで考えてもみなかったのが復員兵の話で。戦争に行った兵士が日本に帰ってきて居場所がないなんてことがあるとは想像もしなかったんですね。で、日本の映画をいろいろ思い出して見たんですけど、復員兵の話なんてあったかなあと思って。スケキヨぐらいしか思い当たらなかったんです。(*スケキヨ=『犬神家の一族』の登場人物)

塚本:(笑)ツボにはまりますね。世代が似てる。

『ほかげ』には大雑把に言って3パターンの復員兵が出てきますけど、どうしてあの3パターンにしようと思ったんですか?

塚本:子どもの主観でそれぞれの復員兵には出喰わしてるから、ひとりひとりの背景はわからないんですね。その3つが合わさると何があったかということが浮き彫りになって、どうしてみんなこんなことになってるんだろうと、みんなに共通の歴史があったんだということがわかるようになっています。確かに、その3つを関係づけないで観ちゃうと「なんで?」となっちゃいますよね。でも、どうしても結びつけるとは思うんですよ。最初の復員兵が夜中にわめき散らして、どうしてあんなことになってるのか、最初はわからないと思うんだけど、彼に何があったかは最後でわかると思うんです。最初にあの3パターンを考えたわけではなくて、頭から脚本を書いていって、自分で納得がいくように進めていった結果なんです。シンプルな構造が最初にできたので、自然にああなったんですね。

座敷牢に閉じ込められていた復員兵はどの段階で?

塚本:わりと最初からいましたね。

短いですけど、強烈な印象が残りました。

塚本:そうですね。俳優さんが素晴らしく演じてくれて。セリフがないわけですから、演技にかかってるところがありますよね。とても存在感を感じさせてくれました。

彼らはみな『野火』の戦場から生きて戻ってきた人たちと考えていいんですよね?

塚本:そうですね、僕はそのつもりです。

戦争の後始末というか、戦争が起きた後のことをどうするんだという意識ですよね?

塚本:それはありました。戦争が終わったら「終わったー」といってみんな伸び伸びするというイメージがあったんですけど、『野火』をつくってから、戦争が終わっても、ぜんぜん戦争は終わってないと思っていた人たちがたくさんいたことがわかったんですね。

高齢の方にたくさん取材をされたと聞いたんですが。

塚本:それは『野火』の時ですね。皆さん、80歳を越えられてたんで。資料も少ないし、実際の声を聞いとかなきゃと思って。今回は資料がかなりあったので、そこまではしませんでした。

そうなんですね。

塚本:戦争孤児の資料はかなりあったんですよ。でも、復員兵の話はほぼないんです。本当の「加害性」について書いてあるのは。ベトナム戦争に比べるとほんのちょっとだけしかない。

ベトナム戦争だと『ディア・ハンター』だとか『シザーハンズ』だとか映画もわりとありますよね。ストレートなのはウイリアム・ワイラーの『我が生涯の最良の時』ですか。

塚本:ああ、それ、観てないです。

え、意外ですね。それこそ3人の帰還兵の話でPTSDに苦しめられる話です。タイトルも皮肉です。

塚本:それは観よう(と、タイトルをメモする)。

『我が生涯の最良の時』はリアリズムで、『ほかげ』もそれに近いし、『野火』もそうですけれど、塚本作品に期待する荒唐無稽さとは違いますよね。

塚本:前は戦争が迫ってるとか、そういった危機感を感じないでつくってたし、それどころか『マトリックス』が出た時に、ああ、先にやられちゃったと思ったぐらいで(笑)。

あー(笑)。

塚本:どちらかというとヴァーチャル・リアリティの世の中に生きている自分がいて、暴力もファンタジーとして描いてたんです。人間のなかには暴力性があるんだし、観たいんだから、観ればいいし、それがガス抜きになって、実際に(暴力を)やる人も減るだろうという方便をつけていたんですけど、『野火』の3年ぐらい前から戦争を身近に感じるようになっちゃって。ファンタジーとして描くには暴力があまりに近づいてきたと思って、むしろ近づきたくないという思いがあったんですね。こんなに嫌なものに近づきたくないよっていう表現なんです。

逆の印象ですけどね、『野火』は。

塚本:どっちにしろ暴力描写は出てきちゃうんですけど(笑)。以前とは使い方が違います。

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©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

いまは変態性がなくなっちゃったんです(笑)。変態の時は、人間の肌は鉄みたいな硬いものに接している時にフェティシズムが香り立ってエロが際立っていたんですけど。

なるほど。黒沢清さんの『トウキョウソナタ』は、当時観た時、最後に天才的なピアニストが出てきて問題が全部解決しちゃうという安易な終わり方に思えちゃったんですけど、安倍政権になってから見直したら、ぜんぜん印象が変わって、日本人がそんな奇跡みたいなものにしかすがるものがなくなっているという皮肉に観えたんですよ。息子がアメリカ軍に入隊するというエピソードも安倍政権が安保法制を強行採決した後だと、もはや予言みたいだったなと。実際にいま、自衛隊は米軍の傘下にいるようなものですからね。黒沢さんは早かったのかなって。

塚本:黒澤監督はそこまでお考えになってつくったんですね。

……と、思いましたけど。塚本監督が『野火』を撮らなくちゃと感じたのも同じ流れだったということですよね?

塚本:時期は合いますよね。急に近づいた気がして。安倍政権がもう一回、戻ってきちゃった時ですね。前の内閣の時も嗅覚的にはあったんですが、心配な感じは。きっと一回、引っ込んでいる間に設計図をしっかりつくったんでしょうね。早く憲法を変えてとか。どういう段取りでやるか決めて、復活してから着実にやってたんでしょう。『野火』をつくった時も、世の中的にはまだそれほどの危機感はなかったんですよ。だから、つくってはみたものの響かない可能性もあるかなとか、すぐ(上映も)終わっちゃうかもなとは思ってたんですよ。でも、公開してる時に、その時は戦後70年の年だったんですけど、その年にちょうどキナ臭さを感じる人が大勢出てきたので、その人たちの琴線に引っかかったと思うんです。『野火』を上映してる時に、いろんな法案が強行採決されていって。

僕は日本は本気で戦争をやる気はないと思いますけど、それこそ中国軍200万人に対して自衛隊は18万しかいないし、いますぐに10倍にしようという気配もないし。ただ、戦争が近づいてくるというムードだけで塚本作品のようなエロ・グロ・ナンセンスは最初に取り締まられると思うんですよね(笑)。

塚本:そうですよね、気配はありますよね(笑)。そうなったらめちゃくちゃやられるんじゃないですかね。

『野火』で作風を変えたにしても、塚本作品には武器に対するオブセッションがずっとありますよね?

塚本:そうですね、(武器に対する興味が)もっとあれば、もっと複雑で映画も面白くなると思うんですけど、これが案外、嫌いだったんです(笑)。こんなにヤなものなのに、武器が大好きで、頬ずりしたいというのだったら、映画がもっと複雑になると思うんですけど、案外嫌いなんで、どっかあっさりしちゃうんですよ。

なるほど。

塚本:でも、僕の映画で武器をペロペロしたりすると喜ぶ人がいるんで、実感としてちょっと薄い癖に、そのテーマに惹きつけられているという感じがあって。『鉄男』は当時、僕は変態だったので……

いまは違うんですか?(笑)

塚本:いまは変態性がなくなっちゃったんです(笑)。変態の時は、人間の肌は鉄みたいな硬いものに接している時にフェティシズムが香り立ってエロが際立っていたんですけど。

実感を込めて『鉄男』はつくっていたわけですね(笑)。でも、『斬、』の刀も同じじゃないですか?

塚本:あの頃になると、そうですね、あれも『鉄男』なんですけどね、SFじゃないだけで。

そうですよね。

塚本:刀という鉄と一体化するまでの話ですからね。武器はもうヤだと思っているのに、自分でも変態性を思い出すために奮い立たせたんですよ。

そういう感じだったんですか。なるほど。そのヤだと思っているものを今回の『ほかげ』では子どもに持たせましたよね? いまの話の流れでいくとロクなことをしてませんよね(笑)。

塚本:そうですね、いま、あまりに大事なことなので、どこからいえばいいかな。たとえば宮崎駿さんとかも戦争大っ嫌いだと言ってるのに零戦の映画つくったり、けっこう皆さん、戦争は嫌いなのに武器が好きな人は多いから、難しいところなんですけど。えーと、『2001年宇宙の旅』の最初で、猿が木の棒で別な猿を叩き殺して欲しいものを勝ち取った時に人類の夜明けが始まって、その木を空に投げると宇宙船になってピューっと落っこってくるというシーンが全部を物語っているというか、あれは木でしたけれど、人って、こう、鉄と出くわした時に、恋愛がそこから始まっているので、いくらそこから鉄とか武器が憎いものになっても別れようとはならないんですね。憎くても切り離せない。人間と武器はどうしても切り離せないというのが自分のテーマにはなっています。

世界中のあらゆる国家が捨てませんよね。どうしても武器は持ってる。

塚本:そう、みんな鉄が大好きだから、交通事故が多くても自動車を止めようとはならないし、機械と恋愛しているというのがまずはあります。『鉄男』もそうだし、『斬、』の刀をピュッと空に投げると『野火』の世界になって戦車やらなにやら爆発的な量の鉄になるんです。自分の映画では自分というものと鉄の歴史を描いていたんですけど、自分と都市やテクノロジーの関係が、『野火』をつくった頃から、年齢のせいもあると思うんですけど、ついに自分よりも次の世代のことが心配になって、心配で心配でたまらなくなって、あえて子どもに一番恐ろしい武器をもたせちゃったんだなって、いま、言われて気づいたので、それを子どもがどう扱うのかなという話を無意識につくっていたんだなと思いました。

『トウキョウソナタ』で息子がアメリカ軍に入る話と少し重なるのかもしれませんね。『斬、』の時には核武装の話も出ていたので、一般の人にも刀を持つ気持ちになれますかというメッセージに受け取れたんですよ。

塚本:はい、そういう話ですね。

武装する覚悟はありますかと。選挙権を持つような人には『斬、』の問いも有効だと思うんですけど、でも、もっと小さな子どもが武器を持ってしまうと、そのレベルではないですよね。いままでの武器と見せ方も違うし、『ほかげ』の子どもも隠して持っていたし。

塚本:そうですね。無意識ですね。最後に趣里さんが自分の映画にしては珍しくストレートなことを子どもに言うんですけど、すごいじわっと来るのは、やっぱりそういうことがあったからなんですね。また趣里さんがすごいはっきり言うんですよ。あれは感動しましたよ。

確かに。

塚本:趣里さん、ありがとうって。よくぞそこまではっきり言ってくれたって。

塚本監督が書いたセリフなんですよね。

塚本:そうなんですけどね。

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©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

前は映画をつくるのは楽しくてやってたんですけど、戦争映画はやらなきゃいけないという感じなんです。あと1本でやめますけど。そのあとは変態に戻りたい。変態が生きられる世の中にしないといけませんよ(笑)。

現場ではアドリブなんかもあったんですか?

塚本:あんまりないですね。遊んでるシーンぐらいかな。遠足ごっこで。

上官の家に向かっている時に男の子が鼻を啜り上げるシーンがすごくよかったんですけど、不思議な感動があって。

塚本:観てますね(笑)。あれは演出ではないです。自然な成り行きで、そのまま使わせてもらいました。

あの子は動きだけで表現しますよね。感情がすり切れちゃってるというか。

塚本:親が死んでるところから始まってますからね。

とはいえ、あの子が報酬を受け取らないのはさすがに大人っぽすぎると思ったんですけど。

塚本:あの年代になると、もう自意識はあるので、人を撃った行為でお金を受け取ることはできないと思いますよ。

そうですか。

塚本:あるいは直感的にイヤだと思ったか。

塚本監督の視点はあの子に一番近いんですか? 銃だけ持っていて、どうやって生きていくのかなとか考えちゃうんですけど。

塚本:あの子に近いのかもしれないですね。戦争孤児のエピソードにもすごい共感があったんですよ。

戦後、実際に見かけたわけではないですよね。

塚本:そうですね。資料から浮かび上がって来るものです。自分が戦争孤児だったことは、皆さん、隠してるんですよ。戦争孤児だというといじめられたみたいで。


©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER

ああ。国というのは、戦争はするけど、まったくケツを拭いてないというか、後ろにいろんなものを残したまんまなんですね。

塚本:本当にそうなんですよ。戦争後遺症になった人はいなかったということにしたみたいなんです、日本は。大和魂で片づけられちゃったみたいで。戦争で気分が悪くなるような奴は日本にはいないと。いないって言われると家族は隠さないといけないし、国は実際には後遺症の研究はしてたみたいで、資料もたくさん残ってるんですけど、戦争が終わった途端に研究もやめちゃったんですね。

研究をしてたこと自体は最低限の良心があったように感じますけど。

塚本:いや、良心というよりヤベエっていう感じじゃないですか。みんな、こんなんなっちゃってるよーとか。でも、そういう人がいると認めたら賠償もしなくちゃいけなくなるから、なかったことにしたんでしょうね。

そうか。

塚本:そういう人たちは、その後、高度成長期の時は仕事をしていて忘れられたんだけど、定年になってから、夜、悪夢が蘇ってきて死ぬまで続いたそうです。

『野火』と『ほかげ』を足すと、やっぱり『ゆきゆきて神軍』を思い出しますよね。

塚本:戦争は調べれば調べるほど人間のどうしようもなさが露呈してくるんですよ。あともう一発は作らないといけないと思うんですけど、調べているとうんざりしますよ。

やらなきゃいけないって(笑)。

塚本:前は映画をつくるのは楽しくてやってたんですけど、戦争映画はやらなきゃいけないという感じなんです。あと1本でやめますけど。そのあとは変態に戻りたい。

(笑)。

塚本:変態が生きられる世の中にしないといけませんよ(笑)。

どうして高校生の時に『野火』を読もうと思ったんですか?

塚本:偶然なんですよ。日本の文学に目覚めてあれこれ読んだんです。薄いわりに濃密そうだなと思って。『野火』とか『黒い雨』とか『砂の女』とかシンプルなタイトルで、濃密そうだと惹かれるんです(笑)。

『万延元年のフットボール』とかダメなんですね。

塚本:それは未読でした。外国の本も読めなかった。登場人物の名前が長いのもダメだったんです(笑)。

『ほかげ』はそれ以前に誰にも名前がついてないですよね。「女」とか「復員兵」とかもはや記号ですよね。

塚本:僕ね、3人以上出るとダメなんです。4人、5人になると、もう分かんなくなるんです(笑)。

『ほかげ』は前半と後半で視点が変わるし、人数が多いというほどではないですけど、塚本作品にしては複雑ですよね。

塚本:複雑ではないけど、パタッと様変わりするのは珍しいですね。

最近は都市よりも自然を撮りたいということでしたし、後半はほとんど自然の風景でしたね。

塚本:前半のシチュエーションで行くのもストイックでいいんですけど、自分のなかでは黒澤明監督の『天国と地獄』のパロディの気分があるんですよ。

ああ。でも、塚本監督は自然を撮っていても、『斬、』なんか密室みたいでした。

塚本:そうですね。

開放感がまったくない。武器と同じで塚本監督には抜け出られないものがあるというか。

塚本:ああ。密室も嫌いなんだけど好きというか。『HAZE』とか撮ってますから。(*『HAZE』=狭い空間に男が閉じ込められた短編)

閉所恐怖症でしたよね、そういえば。僕もそうなんですけど。

塚本:僕は金縛りにしょっちゅう会うんですけど、あれが閉所の極限です。

いまでも?

塚本:いまでもしょっちゅうですね。子どもの時からずっと恐怖です。


『ほかげ』にちらっと出てくる傷痍軍人は僕も当時、見たことがある。大島渚『日本春歌考』の冒頭にもちょっと出てくる。しかし、戦後すぐの闇市はさすがに見たことがない。塚本監督も実際に体験したわけではないものの、その痕跡に惹かれて、最初は短編のつもりで撮り始めたのが『ほかげ』だったそうである。それが思いの外、長い作品になってしまったと。「(闇市は)憧れだったんですね。ヤクザとか愚連隊とかテキ屋とかパンパンとかオカマとか、そういう人たちが活躍していて、もうカオスで」と塚本監督は話していた。『ほかげ』が闇市だけの作品にならなかったのは、やはり『野火』のインパクトがまだ監督のなかで衰えていなかったからだろう。そして、もう一本、戦争映画を撮るつもりだとは本文中にあった通り。これも覚悟して待つこととしたい。『ほかげ』の試写を観た夜、帰りに渋谷の道玄坂を下りながらメイド服の女の子がズラっと並んでいるのを目にして、闇市のエネルギーはまだ続いているのかもしれないと僕は思った。

『ほかげ』

11月25日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開

監督・脚本・撮影・編集・製作:塚本晋也
出演:趣⾥、森⼭未來、塚尾桜雅、河野宏紀、利重剛、⼤森⽴嗣
助監督:林啓史/照明:中⻄克之/⾳楽:⽯川忠
⾳響演出:北⽥雅也/ロケーションコーディネート:強瀬誠
美術:中嶋義明/美術デザイン:MASAKO/⾐装:佐々⽊翔/ヘアメイク:⼤橋茉冬
製作:海獣シアター/配給:新⽇本映画社
2023年/⽇本/95 分/ビスタ/5.1ch/カラー
配給:新日本映画社
©2023 SHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
https://hokage-movie.com/#about

Oneohtrix Point Never - ele-king

野田努

 ダニエル・ロパティンのアーティスト写真は、今回はいまいち表情が見えない。笑っているのか、それともしかめ面なのか。『Again』を聴いて最初に戸惑うのは、表現主義的と言えばいいのかもしれないが、その錯乱した展開にある。弦楽器によるクラシカルなアンサンブルにはじまるアルバムは、しかし、シュトックハウゼンの初期の電子音楽作品を茶目っ気をもってポップ化したように展開する。エレクトロニックで、断片的で、とりとめがない。このサウンドコラージュ作品は、コーネリアスの〝霧中夢〟にも似たイリュージョニズムの結晶体とも言える……が、ただ、音のスラップスティックというか、どたばたエレクトロニカというか、落ち着きがまるでない。アンビエントとグリッチ、クラシカルな響きとアメリカーナの記憶、幾何学的な目眩、アシッドなフィルターを通してミックスされたレジデンツのエキゾティシズム……。このアルバムのおそらく膨大な参照リストは、ワンオートリックス・ロパティン本人にしかわからないだろう。
 『Again』のアートワークは、我々が抱いているワンオートリックス・ポイント・ネヴァーに対するイメージを簡潔に表現している。たしか90年代後半あたりに一時的だがPC用に使われた卓上スピーカーの数々、いまや誰も用見向きもしないゴミ=ジャンクが束ねられているそれだ。「Web2.0以降におけるトラッシュ・アメリカーナの開拓者」、たったいま制作中の紙エレキング年末号における「2010年代の音楽」特集のなかの原稿で、僭越ながらぼくはOPNについてそう説明した。彼がシーンに登場したゼロ年代のUSインディは、ボン・イヴェールが60年代アメリカーナを、アニマル・コレクティヴは手当たり次第にアシッド・フォークやらビーチ・ボーイズやらをリサイクルしていた時代だった。フォーキーなトレンドに馴染めなかったロパティンはアメリカ的伝統主義とは断絶し、たわいのないノイズや光の当たらないジャンル、たとえば70年代ベルリン・スクールのシンセサイザー音楽をはじめ、嘲笑の的であったニューエイジ音楽のカセット作品、そしてインターネット上で拾えるあらゆるジャンクな音源を使って作品を作った。DVDR作品の『Memory Vague』(09)から『Returnal』(10)、そして『Replica』(11)といったOPNの傑出したアルバムは、オンライン文化がもたらした情報の過飽和状態における、皮肉めいた遊び心を感じさせる(ゆえにヴェイパーウェイヴとも接続する)、と同時に、エレクトロニック・ミュージックにおける表現形態の可能性を広げるものだった。『R Plus Seven』(13)がその集大成だが、これは、ダンス・カルチャーを母体として発展したエレクトロニック・ミュージックでもなければ、また、アンビエント・ミュージックに端を発したそれとも違っている。MACプラスの倒錯的ラウンジ・ミュージックもそうだが、ハイブローなアムネジア・スキャナー、ヘルム、ホリー・ハーンドンのようなプロデューサーによる、10年代の新種のエレクトロニカ作品のきっかけを作ったのはロパティンだった。(その先祖にはコンラッド・シュニッツラーがいるとぼくは思っている)

 ロパティンは、大学で図書館学を学んだほどの生粋のアーキヴィストで、誰もがマニアックな音楽から専門的な知識までを即時に入手できる現代にあっては、時代の申し子という言い方もできよう。そんな彼が自己言及を3回(*1)もやるのは、情報を酸素のように吸って育ったデジタル世代としては、じゃあ、いま俺の記憶に残っているものは何かという自己調査の必要があったのではないのだろうか、と訝しんでいる。ぼくのようなアナログな人間はシンプル極まりない。ロック、パンク、レゲエ、レイヴ、テクノ……世界を変えようとした音楽。しかし、Web2.0以降の情報過飽和環境で思春期を過ごした最初の世代であろうロパティンは、きっとそんな単純な話ではないのだろう。元ソニック・ユースのリー・ラナルドとジム・オルークのゲスト参加が、ロパティンにとってのアメリカ内におけるリスペクトを意味していることはわかる。が、『Again』のなかでときおり見せるマキシマリズム(過剰主義)は、面白がっているのか、感情の破片なのか。リスナーを困惑させるのはこの作品の欠点だが、じつは長所でもある。というのも、確実に言えるのは、これは念入りに作り込まれた作品であるということだから。いま彼は、後方を見ながら前方に突っ走っている。しかし、繰り返すが、問題はどこに向かって走っているのかわからないことだ。2年後に聴いたら印象は変わるかもしれない。


(*1)ロパティンの最初の自己言及とその注釈めいた作品は2015年の『Garden Of Delete』、ロックやメタルばかり流すアメリカのラジオ環境に晒された思春期の体験が元になっている。前作にあたる2020年の『Magic Oneohtrix Point Never』は、OPNをはじめたばかりの頃を回想しながら作られたアルバム。そして今作『Again』は、ロパティンいわく思弁的自伝(スペキュレイト・バイオ)だそうで、つまり、勝手に想像してみた自分史ということ。

■ 紙エレキング年末号では、ダニエル・ロパティンが彼の無名時代を振り返りつつ、まだ仕事をしながら音楽を作っていた時代(2010年前後)の話、ニーチェの影響、マーク・フィッシャーへの共感、『Eccojams』再開への意欲など、自分語りしまくりの興味深い話満載です。ご期待ください。

野田努

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小林拓音

 ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー通算10枚目のオリジナル・アルバム『Again』は、これまでのOPNらしさと未知の世界、双方を探索する果敢な1枚に仕上がっている。
 いろんな音の断片が予想しづらいタイミングで入れかわり立ちかわり登場する点において、本作はコラージュ的だ。そこは『Age Of』と似ている。あるいは『Replica』までの彼を特徴づけていたJUNO-60とおぼしきシンセ音の挿入。それはすでに『GOD』『Age Of』『mOPN』でも試みられていたことだけれど、今回はだいぶ頻度が高い(ちなみに今年10周年を迎えた名作『R+7』がいまでも新鮮に響くのは、その音色に頼らなかったからかもしれない)。
 他方で『Again』は新しい試みに満ちてもいる。アルバムを円環構造にするNOMADアンサンブル(指揮はロンドン・コンテンポラリー・オーケストラ創設者のロバート・エイムズ)の演奏。ソニック・ユースのリー・ラナルド、ジム・オルーク、LAの実験的ロック・バンド、シュー・シューの参加。話題のOpenAI社製品の導入。けれどもそれらはあくまで全体を構成する要素の一部にとどまっている。
 今回の新作は「半自伝的」三部作の完結編であり、また「思弁的自伝」なのだという。ダニエル・ロパティンはキャリアの初期からずっと、過去や記憶にたいする強いこだわりを見せてきた。すでにそれは彼の作家性になっている。興味深いのは、『Again』が「半」自伝的であり「思弁的」自伝だと主張されている点だろう。つまり、本作は自伝ではないのだ。
 振り返れば、OPNが活躍した2010年代はネットやスマホやSNSの普及により、だれもかれもが手軽に自分をアピールできるようになった時代だった。みずからをダシにすることでロパティンは、そういうオンライン上にあふれる無数の「わたし」をアートとして表現しているようにも思える。
 だからこそいちばんグッときたのは “World Outside” のリリックだった。小刻みな電子音。パーカッション的な役割を果たす吐息。弦。『R+7』風の声楽。ロパティン本人によるキャッチーな歌。ノイズ。そしてギター。それらが主導権争いを繰り広げるこの曲では、「World Outside(外の世界)」なるフレーズが繰り返されている。
 インタヴューを読むかぎりこれは、20代はじめのティーンエイジャーでもなければオトナでもない微妙な時期に「外の世界(outside world)」の気まぐれに振りまわされたことを主題にしているのだろう。ただ本作が自伝ではないことを踏まえるなら、西海岸が用意した「わたし」だらけの世界の外部を希求しているようにも聞こえる。こんな世界は嫌だ、と。
 一見自分史をテーマにした『Again』はまさにそのコンセプトのおかげで、みなが自分へと向かう現代のすぐれた診断にもなっているのだ。

小林拓音

Philip K. Dick - ele-king

 三田格がまだ20歳そこそこの若者だったころ編集した本に、『あぶくの城―フィリップ・K.ディックの研究読本』がある。「あぶくの城」というのはパレ・シャンブルクというノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンド名の日本語訳だが、たしかにディック風な響きがある。当時まだディックなんて作家は、ほとんど知られていなかった時代に(まあ、パレ・シャンブルクもだが)、それは日本で初めて編まれた研究読本だった。ぼくの記憶では、たしか三田格の文章の題名は「サイコロを振るのは俺だ」とかなんとかキザな題名で、この男は何者なんだろうと思った。
 今回の主役は、『あぶくの城』ではない。気鋭のドゥルーズ研究者がディックに挑んだ『壊れゆく世界の哲学 フィリップ・K・ディック論』(ダヴィッド・ラプジャード著 堀千晶訳 月曜社)。その刊行記念としてトークショーがある。翻訳を担当したドゥルーズ研究者として名高い堀千晶、そして三田格。司会は早助よう子。
 ひょんな理由から、今年はン十年ぶりに『高い城の男』を再読して、60年代に書かれた小説でありながら、日本人のオタク気質の描き方のうまさに舌を巻いたばかりだった。フライング・ロータスもディックは愛読しているし、グレッグ・テイトは『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を逃亡奴隷の物語として解釈している。もういちどディックと出会うときが来た。

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日時 12月3日 15時~
会場 shy 室伏鴻アーカイブカフェ(東京都新宿区早稲田鶴巻町557 小笠原ビル1F)
https://www.facebook.com/cafeshy
会費 1500円(飲食代込) 定員20名 *トーク後にワインと軽いおつまみを出します。

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yeule - ele-king

 ある一定の世代──具体的には平成初期から中頃あたりに生まれ育った、ぎりぎり “Z” の枠組みから漏れた層──の音楽的な原体験は、どちらかといえばオンライン上よりも「オフライン上の雑踏」にあったように思える。

 それは、たとえばレンタルビデオ屋の片隅であったり、大型古本チェーンのワゴン棚や中古CDショップ、あるいはファストフード店の有線放送などの、日本のごく一般的な日常を彩る風景の一部に溶け込んでいた音楽体験である。もしくは、平日夕方にティーンエイジャーが自らの激情を未熟なりに、自由気ままにぶつける貸スタジオやライヴ・ハウスの風景だとか、電車に独り佇む少し大人びた少年のイヤホンから鳴る音漏れだとか。

 封切りから約5年が経過した「mid90s」ではなく、いわば「late90s」あるいは「early00s」あたりの時期、そんな「かつてあった日々」へのノスタルジアを強く想起させられるような作品が、どういうわけか2023年の秋口に、シンガポール(現在はロサンゼルス拠点とのこと)の “グリッチ・プリンセス”、yeule(ユール)の新譜としてリリースされた。

 『softscars』、直訳すると柔らかな傷跡。ノンバイナリーである yeule には、自身のみが抱えるさまざまな苦しみが数えきれないほどあっただろう。制作中に親しい友人がオーバードーズで亡くなった、などの痛ましいエピソードも明かされており、アルバムを紡いでいく過程で自身の人生観や深層心理に至るまでの深い自己対話が繰り広げられたことは容易に想像できる。

 そんな、いまは癒えきった過去の体験が、どうしてか心のささくれを再び刺激するような作品が、yeule のサード・アルバムである。シューゲイズ・サウンドを通過した90年代後期~ゼロ年代的なオルタナティヴ・ロックが、近年高度に発達したDAW上におけるポスト・プロダクション技術と結びついた上で、名門レーベル〈Ninja Tune〉からリリースされる。

 それはつまり、四半世紀にわたり爆発的な発展を遂げ、好事家の趣味からインフラへと駆け上がったインターネットを窓口に、シンガポールと日本はついに文化的に地続きとなった、ということの証左でもある。「なんとも不思議な時代を生きているんだな」というごく個人的な感傷が、シーンやジャンル、音像や作品構成といったレヴューされるべき諸要素よりも先に脳裏をよぎった。そこまでが一聴したときの所感であった。

 さて、作品を大まかに見通していくと、本作は概ねふたつのパートに区分されているような感覚を受けた。全12曲のうち、M1. “x w x”~M6. “dazies” までの楽曲群には在りし日のインディ・ロックへのオマージュが随所に感じられるものの、その音像は2020年代以降のハイブリッドな空気感に包まれている。そして岩井俊二監督『花とアリス』(2004)のサウンドトラックのカヴァー、M7. “fish in the pool” から作品を取り巻くムードは流動的に変容していき、M8. “software update” やM9. “inferno” からはシューゲイズ・サウンドに加えシンセ・ポップにグリッチのスパイスを効かせたかのようなエレクトロニカへと徐々に移行していく。

 このような聴かせ方を踏まえても、楽曲ごとのクオリティ・コントロールにとどまらぬ高度なトータル・プロデュース力を感じさせる秀作である、と言えるだろう。なかば共同作業者として yeule の作品に携わるシンガポールのプロデューサー、キン・レオンや20年代以降のポップ・スター筆頭、ムラ・マサといった存在が背後を賑わせる構図は、それこそポップスという営みにしばしば現れる強固なパートナーシップを感じさせる。
(世代的にはごくわずかにズレた90年代末の作品が強く筆者のノスタルジーを喚起するのは、インターネットを通じた追体験によるものである。25歳の yeule も同じはずだろう)

 いや、やはりどうしても、自分の90年代後期~ゼロ年代への憧憬は、とてもじゃないけど “柔らかな傷” では片付けられなさそうで……。作品を俯瞰しきることが難しくなるほど、幼心に感じたあの空気感がオーヴァー・ラップする。といっても、あくまでも『softscars』で描かれているのは現代と未来のことでもあり、きたる2024年(=「mid20s」へ!)のムードを垣間見るようなハイブリッド感が、やはり本作の魅力であろう。DAW上に冷凍保存されたようなギター・サウンドと、復活の兆しを見せるエレクトロニカとの融和を前に、(できれば使用を拒否したい)「ハイパー」という語句でカテゴライズされてきた現代ポップスの次なる流れも、このアルバムを出発点としていずれ整理できそうな予感がある。

 ちなみに、本作の視聴環境はけっしてクラブのサウンド・システムやスタジオ並みのスピーカーである必要はなく、下手したら Air Pods Pro や高価なDAC、ハイレゾ音源なんかも必要としないかもしれない。手元のスマートフォンやラップトップのスピーカーから、適当にそのまま流すラフな向き合い方こそジャスト・フィットする。開け放った窓から吹きすさぶ木枯らしで頭を冷やしつつ、温かい飲み物を片手に浸るような、ベタで恥ずかしいような浸り方が似合う、不思議なサウンドスケープが拡がる作品だろう。そんな日常的な接し方こそアウトサイダーとして現実をサヴァイヴしようとする yeule の本懐だろうと信じて、あえてローファイな環境で本作に触れてみてはいかがだろうか?
(もちろん、本作をクラブのサウンド・システムで鳴らしても抜群の視聴体験足り得ることは、筆者自身ふだんのDJのなかでよくよく理解しているつもり!)

* 編集部注:先週WWWで設立15周年を記念するショウケース公演をおこなった〈KITCHEN. LABEL〉もシンガポールのレーベルであり、Haruka Nakamuraや冥丁など日本と当地をつなぐリリースをつづけてきた。

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