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Andrea Parker Et Daz Quayle

Andrea Parker Et Daz Quayle

Private Dreams And Public Nightmares - Daphne Oram Reworked And Re-Interpreted By Andrea Parker Et Daz Quayle

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Laurie Spiegel

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三田 格   Oct 10,2012 UP

 デヴィッド・クローネンバーグが新作『危険なメソッド』でユングの半生を扱っている。最初は腑に落ちない組み合わせだと思ったものの、すべてをリビドー(性衝動)で説明しようとするフロイトに反発し、性に対する抑圧やその解放を自ら経験しつつ、前後して神秘主義に足を踏み入れる頃には『ヴィデオドローム』(82)や『クラッシュ』(96)といった過去の作品とも重なるものが見えはじめる。なんとも穏やかなラスト・シーンに至ってはかつての世紀末的と評されたエンディングの数々を包み込んで成仏させるような趣きまであった。ユングとフロイトというよりは、ユングと冒頭でユングの診療室に運び込まれてくるザビーナ・シュピールラインという元患者にして、後にロシアでたくさんの弟子を育てる精神分析医の関係が物語の中心となっていて、僕は不勉強でよく知らなかったけれど、この女性の生い立ちがまた凄絶そのものだった(彼女がユングとの恋愛を題材にした論文はフロイトをしてタナトスの概念にも影響を与えたとか)。(日本人にエスプリやフランスの政治はわからないという判断だったのか)劇場未公開だったミシェル・ルクレール監督『戦争よりも愛のカンケイ』(傑作!)は女性に対する性的虐待をファンタジーの領域で逆転させた快作だったけれど、『危険なメソッド』はこれを正攻法で扱い、世界史を構成する不可思議な歯車として認識させてしまう。パク・チャヌク監督『サイボーグでも大丈夫』といい、松尾スズキ監督『クワイエットルームへようこそ』といい、病院に運び込まれてくる女性たちをなめてはいけませんね。

 病院に運び込まれたかどうかはわからないけれど、二度に渡る脳卒中で音楽を諦めることになったダフニー・オーラムは03年に死去してから、ようやく生前の音源がリリースされはじめた。彼女が残した膨大なアーカイヴを整理していたヒュー・デイヴィスも途中で逝去してしまったため、どこでどういうプロセスを辿ったのか、07年に『オーラミックス』がリリースされても内容に不満を持った者が多かったらしく、昨年から改めて『ジ・オーラム・テープス Vol.1』というシリーズが開始されている(いずれも2CDないしアナログ4枚組)。そして、これによって早くから電子音楽を扱っていた女性の表現としてはなかなか意外な相貌が浮かび上がってきた。僕も同時期のアメリカにありがちなシューとかピロピロみたいな無邪気な電子音を想像していたので、むしろミュージック・コンクレートに近い作風がのしかかってきた時には少々面食らった。録音時期が判明しているものでも58年から67年とあり、多くは60年代前半に集中している("脳卒中"と題された曲も......)。

 前述したシュピールラインとその娘たちがナチスによって殺された年、オーラムはBBCでサウンド・エンジニアの職を得ている。戦後のイギリスは男性の数が激減したため、意外な場所に仕事を得た女性が多かった。オーラムはリーダー的な気質だったのか、1958年にはTVとラジオの効果音を製作するBBCレイディオフォニック・ワークショップを組織し、この集団にはジョン・ベイカーをはじめ、後にホワイト・ノイズを結成するブライアン・ホジスンやデリア・ダービーシャイアも所属していた。しかし、1年も経たないうちにオーラムはBBCから不興を示され、同社を退くことになる。以後は財団のサポートを受けて世界でも初めて電子楽器のスタジオを持った女性となり、かなりな数の作品を録音したようだけど、前述した通り、レコードなどでリリースされることはほとんどなかったらしい(http://en.wikipedia.org/wiki/Daphne_Oram)。また、BBCレイディオフォニック・ワークショップがその後も制作し続けた効果音は現在までにけっこうな数がレコード化され、19作目には今年のレコード・ストア・デイで34年ぶりにオリジナル・ジャケットで復刻された『ドクター・フー』も混ざっている。ザ・KLFがタイムローズの名義でナンバー1・ヒットを飛ばした「ドクトリン・ザ・ターディス」はこれの主題歌をサンプリングしたものである(リズムはゲイリー・グリッター......って、いまから思えば単なるマッシュ・アップでしたねw)。

 このようなオーラムの未発表音源に手を加えてリリースしたのが、なんと、アンドリア・パーカーだった。チェロ・プレイヤーからDJに転向し、〈ファット・キャット・レコーズ〉のアレックス・ナイトらとインキー・ブラックヌスとしてデビューしたパーカーは、90年代後半になるとエレクトロのプロデューサーとして〈モワックス〉などからリリースを重ね、やはりエレクトロを専門に扱う〈タッチング・ベース〉を主宰してきた渋いお姉ちゃんである。ライナーによると以前からオーラムにインスピレイションを得ていたパーカーが、偶然にもロイヤル・アルバート・ホールで行われたオーラムの回顧イヴェントでオーラムの曲を再現しないかと誘われたことから話ははじまっている(08年)。「アメリカにロバート・モーグが、イギリスにはダフニー・オーラムというパイオニアがいた」という思いを強くしたパーカーは、いまだ公にされていないオーラムのアーカイヴをすべて聴くチャンスを得て、ダズ・クエールとともに膨大な量のサンプリングを繰り返し、オーラムのダークサイドを抽出したものが『プライヴェート・ドリームズ・アンド・パブリック・ナイトメアーズ』(以下、『PD & PN』)の中核となっていく。面白いのはインナーに使われている写真がオーラムの少女時代のもので、『オーラミックス』や『ジ・オーラム・テープス』に使われていたのがイギリスのがんこババアみたいな写真ばかりだったことと大きな差を感じることである。オーラムの音と向き合うなかで何かを感じたのだろう。

 オーラムのナレイションをフィーチャーした"女の時間"で幕を開ける『PD & PN』はたしかにオーラムのそれよりもゴシック係数が高く、オーラムが影響を受けたミュージック・コンクレートよりも最近の感性に移し変えられている。これはオーラムだけに言えることではないけれど、かつての実験音楽はあえて感情を排しているものが多く、スキルや音の鳴りに興味がなければジョン・コルトレーンなんか、何をがんばってるのかさっぱりわからないことさえあるし、スロッビング・グリッスル以下のノイズ・ミュージックがむしろ感情表現に変革を起こした実験音楽として聴かれていた可能性もあるだろう(でなければ中原昌也のような存在がそれに続くか?)。01年にクォーターマスからリリースしたセカンド・アルバムに『ザ・ダーク・エイジス』というタイトルをつけていたこととも相俟って、パーカーがここで試みていることはオーラムが残した闇のトーンに感情的な奥行きを与えることではないかとまずは推測できる。オーラムの時代には必要なかったのかもしれないけれど、怒りや悲しみを表す場所がいまやアンダーグラウンドに押しやられている可能性もあるだろうし(ヒット・チャートにあふれている音楽のほうがかつての実験音楽のように感情を排しているとしか思えなかったりするし)、感情表現が過去と接続するための単なる媒介になっているとも考えられる。実際、『PD & PN』を聴いていると少し重いなと思ってオーラムのオリジナルに替えたり、オーラムを聴いていると物足りなくなって『PD & PN』に戻したりしてしまうし。

 オーラムが舞台用に手がけた「ハムレット」(63)を基にした"ゴースト・ハムレット"ではパーカーが得意とするエレクトロも顔を出す。パーカーがクエールとともに大きな意味でウェザオール・ファミリーの一員だったことをこの曲は想起させる。ウェザオールがイン・ザ・ナーゼリー改めレ・ジュメにリミックスをオファーする感覚がこの曲にも流れていて、エンディングでそのホラー趣味は頂点を極める。このような曲に「永遠に、そして、いつもここに」というタイトルを与えることはそのままイギリス人の人生観を表しているのではないだろうか。評価されることもなく、忘れ去られていたオーラムが「永遠に、そして、いつもここに」いると、重苦しい曲のなかから語りかけてくる。『ドリアン・グレイの肖像』じゃないけれど、彼らにとってこれは美を意味しているのではないだろうか。聴き終える頃には少女時代のオーラムが最初と同じ感覚では見られなくなっている。心霊写真のように傷ついた写真はまさにオーラムが「いつもここに」いたように見えてくる。

 オーラムに刺激されたか、今年に入ってから女性の電子音楽家が次々と発掘されている。イタリアからはドリス・ノートンのファースト・アルバム『ラプス』が30年目にして復刻され、それほど不遇ではなかったものの、アンディ・ヴォーテルはスザンヌ・チアーニの初期音源を『リクシヴィアション』にまとめ(ライナーでは性転換したんだからウォルター・カーロスも女性として扱おうとヴォーテルは提案している)、タレンテルのジャフレ・キャントゥ・レデスマはアカデミズム畑からマギ・ペインのアンビエント作品を『アー・アー ミュージック・フォー・エド・タンネンバウムズ・テクノロジカル・フィーツ 1984-1987』にまとめている(どう考えても、この流れは流行りですね)。また、今月はこれらに加えて(まだ観てないけれど、アメリカ版『バトル・ロワイヤル』としか思えない)フェイスブック世代の内面をとらえたといわれるゲイリー・ロス監督『ハンガー・ゲーム』に「セディメント」が使われたというローリー・シュピーゲルが1980年にプライヴェート盤として制作した事実上のファースト・アルバム『ジ・イクスパンディング・ユニヴァース』も再発され、快楽主義というフィルターを通過した実験音楽として聴けるものが多いなかでも、驚くほど現代風のアンビエント・ドローンやシンセ-ポップ風のコンポジションを2CDに渡ってこれでもかと聴かせてくれる。それこそモーション・シックネスやメデリン・マーキーに続く新人といわれても気がつかなかったかもしれないし、年代が20年ほど違うとはいえ、そのような比較のなかでもオーラムとパーカーの仕事は異彩を放っていると結論づけることもできる。もちろん、ジョン・ケージと出会ってピアノを売り払い、シンセサイザーに手を染めたテレーザ・ランパッツィやフランカ・サッキなどあまり知られていない女性の電子音楽家は探しはじめれば切りがない。ニーチェの系譜学ではないけれど、歴史とは誰にとって都合がいいものとして書かれてきたのかということを考えはじめるとき、ダフニー・オーラムが忘れ去られた理由も浮かび上がってくるだろうと思うばかりである。

三田 格