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Home >  News >  RIP > R.I.P. Milford Graves - 追悼:ミルフォード・グレイヴス

RIP

R.I.P. Milford Graves

R.I.P. Milford Graves

追悼:ミルフォード・グレイヴス

野田努、松村正人野田努、松村正人 Feb 15,2021 UP

 ジャズ・ドラマーのミルフォード・グレイヴスが去る2月12日、難病の心疾患のために亡くなった。没年79歳。
 グレイヴスは、フリー・ジャズにおいてもっとも際立ったドラマーだったのだろう。ぼくよりもひと世代上の、音楽(ことジャズ)に特別な思いを馳せている人たちはほとんどみんなグレイヴスが好きだった。間章や竹田賢一のような人たちの文章を読んでいたし、ぼくは松岡正剛さんからも話をされたことがあった。そう、だから1993年のたしか初夏だったと記憶している。土取利行が企画したライヴ公演に行かない理由はなかった。
 もうひとつぼくには特別な理由があった。その年、ぼくは20代最後の1年を、大袈裟に言えば24時間テクノを聴いているような生活を送っていた。隔月で海外に行くような生活だったし、雨だろうが雪だろうが毎週末をクラブで過ごし、文字通り、寝る間も惜しんで聴いていたのではないだろうか。石野卓球との『テクノボン』もこの年に上梓している。そんな時期に、メトロノーミックなリズムでなくてもグルーヴを創出できるドラマーの生演奏(しかも日本におけるその深い共鳴者、土取利行と共演)を体験することは、極めて重要なことのように思えたし、その勘は大いに当たった。
 踊っているのか踊らされているのかという、たあいもない話である。だが、当時のぼくにはゆゆしき問題だった。ぼくは踊りたかったが、踊らされたくはなかった。しかし踊らされることは、実は気持ち良かったりもするから困るのだ。4/4のキックドラムは楽に乗れる。ぼくはどう考えてもその楽なほうが好きな人間だが、そればかりでも不安になるという面倒くさい人間だったりもする。
 心臓の鼓動は3拍子だと言ったのはグレイヴスだったと記憶しているのだけれど、いやしかし彼のドラミングは、数値で記述されるとは思えない。が、それはたしかに鼓動=生命の根源的なエネルギーの噴出に違いなかった。彼の全身から醸成されるあまりにもあまりに多彩なリズム(アフリカ、インド、ラテンなど世界中のリズムの複合体)と音色、そしてその超越的な演奏にはただただ圧倒されたが、ぼくは彼の演奏から聴こえる喜びの律動にひどく感銘を覚えたのだった。ライヴの最後には客席にいた子供をステージに上げて、いっしょに演奏し、ともすれば見せ物的になりかねない超絶テクニックなど使わずとも表現できるうる領域を見せつつの、なかばワークショップめいた微笑ましい幕引きだったと記憶している。ライヴが終わって外に出ると、ぼくのなかにも堪らない嬉しさがこみ上げてきたものだった。
 
 ジャズ・ドラマーとしては、アルバート・アイラーの『Love Cry』をはじめポール・ブレイのカルテットでの演奏、日本では初来日時の演奏(高木元輝、阿部薫、近藤等則、土方利行との共演)を収めた『Meditation Among Us』もよく知られるところだ。ソニー・モーガンとの共演でもっとも評価の高い初期の記録『Percussion Ensemble』、中古が高騰しなかなか聴けなかった『Bäbi』といったアルバムもいまでは手頃な価格のCDで聴けるので、他に類をみない彼の演奏をいつかぜひ体験してほしい。
 また、ブラック・ミュージックについの名誉教授でもあり、ハーブ学者、鍼灸師でもあったグレイヴスは、音楽の医学的な効果に関する研究者、こと心臓の研究者でもあった。不整脈治療のための音楽の有効性を提唱し、奨学金を獲得すると実験装置を購入、自宅の地下室で心拍研究を続けていたという。また、ここ10年ほどは、アーケストラのマーシャル・アレン、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、ルー・リードなどとも共演している。

野田努



 せんだってDOMMUNEのアルバート・アイラーにまつわる番組で細田成嗣さんがESPレーベルを代表する音楽家をあげよ、と怜悧な声音で問うものでとっさにアイラーだとかえしたが、ESPはむろんアイラーだけではなかった。1960年代、ことに64年のジャズの十月革命以降のフリージャズの隆盛期を側面からささえたレーベル「ESP Disks」にはオーネットもサン・ラーもいれば、ポール・ブレイもファラオ・サンダースも、ファッグスやゴッズなどジャズならざるをものももぐりこんでいたし、パティ・ウォーターズやジュゼッピ・ローガンら、モーダルからフリーへいたるジャズ史観そのものをチャラにしそうな面々も名をつらねており、その総体が放つ多様で多元的、どこかナゾめいてときに神秘的なムードこそかのレーベルの持ち味だった。
 フリーとは演奏における形式の自由であるばかりか、それを陶冶した歴史のとらえなおしでもあったが、他方には拘束を解かれた身体や感性がもたらす実存の重みがあり、換言すれば前衛の命題ともいえる複数の要素のつなひきが1960年代なかごろのジャズの、ひいてはこの時期のESPのテンションの正体だった。なかでも1941年にニューヨークはクイーンズのジャマイカ地区に生まれ、ラテンをふりだしにジャズにたどりついき、アイラー(『Love Cry』)やポール・ブレイ(65年の『Barrage』にはマーシャル・アレンも参加)のグループからマイケル・マントラーとカーラ・ブレイのジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ、ここしばらくではジョン・ゾーンやビル・ラズウェルらダウンタウン派との仕事も記憶にあたらしいミルフォード・グレイヴスのドラミングは属人的な身体性を競い合った往時にあって、その微分的な律動と流麗な語法で異彩をはなっていた。
 注目をあつめたのは1964~65年だから20代なかば。60年代初頭にジョン・チカイとラズウェル・ラッド、ルイス・ウォレルと組んだニューヨーク・アート・カルテットがESPから同名作を出した。グループのアンサンブルの中心はチカイとラッドの2管の絡みだったが、グレイヴスのプレイはともすればもったりしがちなESPの仲間たちの諸作ともちがうシャープな印象を本作にもたらしている。リロイ・ジョーンズも自作詩「Black Dada Nihilismus」の朗誦で客演した64年の『New York Art Quartet』はその名のとおりアートの前衛としてのフリーを志向していたはずだが、グレイヴスはやはり64年に参加したジュゼッピ・ローガンの五重奏団ではアート・カルテットと真逆の呪術的な音響空間を種々雑多なリズムと音色でかもしだしてもいる。ESPに2作をのこしたのち、行方をくらまし2000年代後半に復帰するまでながらく消息をたっていたローガンの異教的な存在感が説得力をもちえたのもグレイヴスのリズムに負うところ大だった。なんとなればアイラーらフリージャズ第2世代にあって汎アフリカニズムとも異なる非西欧的なリズム志向はサン・ラーをのぞけばほとんど類例がなかった。アフロフューチャーリズムを転倒させるかのごときグレイヴスの古代主義こそ、シカゴ派をさきがけ即興の領野を拡張するものであり、その萌芽は60年代前半に芽吹き70年代に実をむすびはじめる。間章の半夏舎の招きで1977年夏に来日したおり、高木元輝、阿部薫、近藤等則と土取利行らと吹き込んだ『Meditation Among Us』はその記録であり、どちらかといえば舞台のひとだったグレイヴスの脂ののりきった時機をとらえた録音物としても貴重である。レコードのライナーノーツで間章はグレイヴスの弁をひきながらスポンティニティないしスポンティニアスなる語を鍵概念風にもちいているが、それすなわち演奏という関係のポリティクスにおける非主導性を意味し、間の視線はすでにジャズからインプロヴィゼーションに移行していたのはライナーノーツの前半で注目する音楽家としてグレイヴスとともにスティーヴ・レイシーとデレク・ベイリーをあげているのでもわかる。77年の東京でグレイヴスは欧米の新潮流の伝導役を担うとともに演奏の場では関係を励起する触媒でありつづけた、そのあり方は間が指摘するとおり、マックス・ローチともエルヴィン・ジョーンズともサニー・マレイともちがうドラマー像を提起する。
 幾多のドラマーとグレイヴスを分かつポイントこそ、間にとってのスポンティニティだが、その具体像を私なりに敷衍すると、グレイヴスのスタイルにはアイラーの諸作で耳にするサニー・マレイのパルスビートの定量的で水平的なあり方と対照的な志向性をもつといえばいいだろうか。リズムキープでもノンビートの即興でも、グレイヴスの演奏には線的で垂直的な傾向があり、自在にグルーヴをつむぐ場面であっても、腐心するのはリズムの連なりよりも一音としての一打である。一打への深い洞察が一音ごとの差異となり、一打ごとの微細な、しかし根源的な落差は時間軸に沿った演奏行為においてかぎりない抑揚(ダイナミズム)に転化する。グレイヴスにかかれば、スネアもタブラもティンバレスもパンディロもトーキングドラムも、ピアノのような楽器であっても、すべてからく打面にふれ音が鳴る構造物にすぎず、そのような探求と実践のはてに、時々刻々鼓動を刻みつづける身体が浮かび上がるのはなかば必然であった。
 2018年グレイヴスは心アミロイドーシスの診断とともに余命半年の宣告を受けたという。その2年後の2020年、闘病の模様を伝える記事を執筆した「New York Times」の記者は心臓の鼓動を研究してきた彼の身にふりかかった運命を、皮肉とみるひともいるかもしれないとひかえめな筆致で記している。それにたいしてグレイヴスは「挑むべきものは私の裡にある」と述べている、私はその声を耳にしたわけでないが、おそらく悲壮感とはちがう響きだっただろう。そのかいあってミルフォード・グレイヴスの不屈のハートはさらに半年ものあいだビートを刻みつづけたのである。(了)

松村正人

野田努、松村正人

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