Home > Interviews > interview with Simian Mobile Disco - ミニマムから無限が生まれる
意味としては「渦巻き」っていう言葉だけど、今回のアルバムのプロセスである、シーケンサー2台が関わり合うっていう動きにもつながるかなと思ったし、それで僕らの音作りのプロセスの説明にもなるかなと思ったよ。(ジェイムス)
Simian Mobile Disco Whorl Anti / ホステス |
■タンジェリン・ドリームなどクラウトロックや、ピンク・フロイドなどプログレッシヴ・ロックのようなサウンドにも感じたのですが、そのあたりのシーンや時代は意識しましたか?
ジェイムス:ほんとに? それはグレイトだね!
ジャス:そうだね、僕らの前作においてもサイケデリアの影響って大きかったと思うんだけど、ステップ・シーケンサー云々っていう説明をこちらからしておいてタンジェリン・ドリームっていうと、ぜんぜん合致しないって思うかもしれないけど……。でも合致しないから好きじゃないっていうことでは決してないよ。音的にイメージがちがってもけっして嫌いってことではないからね(笑)。
ジェイムス:初期のクラウトロック、とくにクラスターとかは大好きだったな。
ジャス:いわゆる電子楽器や電子機器が、必ずしも金持ちじゃない普通のミュージシャンでも手が届くようになった時代の音楽、ということで言うと、すごくクリエイティヴな人たちがおもしろいことをやっていた時代だったんだろうなと思うよ。僕はそういうパイオニア的なミュージシャンにはすごく興味を持って聴くんだ。遡れば50年代からそういう人たちはいたわけで、どの時代にもおもしろいことをやっていた人たちがいるということになるけれど、出はじめの頃のクラウトロックのおもしろさっていうのは、やっぱりエレクトロと生楽器の融合というところに創作意欲を発揮した人たちが多かったからだと思う。これは言うほど簡単なことではなくて、やった人はたくさんいるけど間違っている人も大勢いるからね。
■アルバムタイトル『ウァール(WHIRL)』に込めた意味は?
ジェイムス:意味としては「渦巻き」っていう言葉だけど、今回のアルバムのプロセスである、シーケンサー2台が関わり合うっていう動きにもつながるかなと思ったし、それで僕らの音作りのプロセスの説明にもなるかなと思ったよ。あと自然界を見ても、たとえば人間の指紋とか、花が開いていく様子なんかも渦を巻くように開いていくよね。そんなところにもつながっているよ。まあ言ってしまえば好きな言葉だからっていうのがいちばんかな。
■曲名で“ダンデライオン・スフィアズ(Dandelion Spheres)”や“タンジェンツ(Tangents)”など、数学的だったり幾何学的な曲名も見られるんですが、大学の専攻やこれまで学んだ学問がそういった曲名をつけるときに関係していたりしますか? いつもどうやって曲名をつけていますか?
ジェイムス:ははは、僕は生物学専攻だよ。
ジャス:僕は哲学科だよ。
ジェイムス:単純に自分たちとしては好きな言葉とか本を読んでいるときに気になった言葉をリストにして挙げていて、曲ができたときにそれとフィーリングが合致したものだったり言葉をつなげてみたりしてつけていくのでとくに深い意味はないよ。〈デリカシーズ(Delicacies)〉ってレーベル名にもなっているんだけど、世界の珍味の名前なんかも僕らの興味の対象としてリストにしてあるよ(笑)。最初は仮のタイトルとして、曲を作った日にちがシーケンサーに残っていたので、「3月3日の4曲め」とか「2月2日の2曲め」なんていう感じでついていて、進行状況もわかるしそのままでおもしろいかなと思ってタイトルにしようかとも思ったんだ。でも自分たちでも覚えづらいのでタイトルをあらためて考えてつけ直したんだよ。
あの時期が一種のターニング・ポイントだったんだろうなとは思うよ。(中略)演奏をしたロック系のハコにはデッキが一台も置いてなくて、そのままそこでDJをやることができなかったんだ。(ジャス)
■古い話なんですが、あなた方のデビュー当時に「ニュー・レイヴ」というシーンがおこりつつあって、あなた方もその中のアーティストとしてとらえられていたと思うんですが、そのシーンやネーミングに対してはいまどう思いますか?
ジャス:まったく実態がなかったと思うよ! クラブ系の音楽っていう意味合いだったんだと思うけど、とくにバンドを背景に持っている人たちによるクラブっぽい音楽っていう感じで、LCDサウンドシステムやホット・チップやクラクソンズのようなアーティストたちがいて、それをまとめて何と呼ぶかっていうところでそういう名前が出てきたんだろうね。
でも音楽的にも出身地もみんなバラバラで、リンクするものはぜんぜんなかったよね。ただ、いまにして思えば、あの時期が一種のターニング・ポイントだったんだろうなとは思うよ。自分たちがまだシミアンと名乗ってバンド編成でツアーしていた当時、どこへ行っても僕らはレコードを買うのが好きで、とくにテクノ系のものに興味を持っていたので、レコードを買いに行ってそのまま夜DJもやりたいっていうことが多かった。でも演奏をしたロック系のハコにはデッキが一台も置いてなくて、そのままそこでDJをやることができなかったんだ。それで、あっちにクラブがあるからあっちでやればって言われて遠くのクラブまで出かけていったりね。まだそういう時代だったけど、いまはどんなロックの会場でもデッキの一台ぐらいは必ず置いてあるし、バンドの演奏が終わったらそこで朝までDJが回してるっていうのはごく普通のことだと思うけど、たぶんあの当時を境にしてだんだんとロックとクラブ・ミュージックの分け隔てがなくなっていったのかな。
聴く分にはみんなロックもクラブもどっちも聴いている人が多くなっていた時期だと思うんだけど、まだ会場がそれに追いついていなかったと思うよ。だけどフレーズ的にはやっぱり「ニュー・レイヴ」ってナンセンス! クラウトロックのはじめの頃みたいなものなんじゃないかな。だってクラウトロックのシーンの半分ぐらいの人はお互いに知らなかっただろうし、お互いのことを好きでもなかったかもしれないし。
ジェイムス:それぐらい幅の広いものをひっくるめてああいう風に呼んでいるのは、ジャーナリストの都合だと思うよ。
ジャス:そう、なんでもそうだけどシーンがいったんおさまったあとにそういう名前がついてくるよね。後づけの説明だと思うよ。
■2006年のNMEの付録で『ダンスフロア・ディストーション(Dancefloor Distortion)』っていうコンピレーションがありましたけど、そのようにロックとダンスが再び密接にクロスオーヴァーしはじめた当時のUKのムーヴメントを記録した、重要なコンピだったと思います。SMDはそのミックスを手がけていましたよね。いまそれについて思うことは?
ジェイムス:そういうふうに評価されると不思議な気がするなあ(笑)。当時そういったシーンの一員だと僕らも言われるようになっていて、できるだけそこから離れよう、離れようとしていた時期だっただけに、いまにして思うと違和感があるよね。ただあのコンピに入っていた連中の一部が後のEDMと呼ばれるシーンを作っていくことになるわけだし、その様子を僕らも見ていて。アメリカで派手な照明を使ってライヴをやったり、音楽もどんどんつまらなくなっていくのを見ていると、やっぱり違っていたんだなと思うよ。それが実際のところかな。
取材:岩渕亜衣(2014年8月26日)
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