「Nothing」と一致するもの

Cabaret Voltaire - ele-king

 ノイズ/インダストリアルにおける歴史的プロジェクト、キャバーレ・ヴォルテールの3枚のリイシュー盤が世界的に盛り上がっているようです
(⇒https://www.ele-king.net/interviews/003431/)。
『ザ・クラックダウン』、『マイクロフォニーズ』、『カヴァナント、ソード・アンド・アーム・オヴ・ザ・ロード』の3枚は中期の名盤であり、ノイズ/インダストリアルが未来を向いて、よりダイナミックな音響とビートをモノにして、ダンスへと歩を進めた時期の代表作であり、当時のヒット・シングル「ジェイムズ・ブラウン」が象徴するように、彼らのブラック・ファンクからの影響を反映させた作品でもあります。
 さて、キャバーレ・ヴォルテールの魅力といえば、ノイズ/インダストリアルというジャンルを拡張した音楽性のみに限られたものではありません。彼らのアートワークは、スタイル雑誌の草分け『THE FACE』のアートディレクター、80年代のUKでもっとも影響力のあったデザイナー、さまざまなフォントの開発者、巨匠ネヴィル・ブロディが手がけています。つまり、当時のキャバレー・ヴォルテールとは、もっともエッジの効いた音楽をスタイル・カルチャーを切り開いた有名デザイナーがデザインしたものだったのです。

そして、その影響は日本にも及んでいます。キャバレー・ヴォルテールが再発されると聞いて、すぐさま「ネヴィル・ブロディ」の名を挙げたのが、グラフィック・デザイナーのSk8ightTing(スケートシング)です。

しかも、時代の風を敏感に読むことで知られるこの天才デザイナーの近年の作品が、インダストリアル調のものなのです。つまり、キャバレー・ヴォルテールとのコラボレーションは、ある意味必然だったと言えます。
 Sk8ightTingがデザインしたTシャツを、新たな再発盤、先述の3枚と同時期に発売された『ドリンキング・ガソリン』(映像DVD付き)とのセットにて数量限定生産により販売します。こちらのTシャツのホワイトカラーは、来年1月22日よりANYWHERE STORE(現在は取扱いしていません)のみの販売です。
ジャスト・ファッシネイション(まさに魅惑)──『ザ・クラックダウン』に収録された彼らのヒット曲の曲名の通りです。

『キャバレー・ヴォルーテル──通称キャブスは、ノイズ/インダストリアルの草分け的存在であり(スロッビング・グリッスルと並んで、二大巨匠のひとつ)、ポストパンク時代において、もっとも重要なバンドのひとつに挙げられる。 (~中略~) パンクでテクノでノイズのキャブスの時代が、またやって来たのである。』 

--- 野田努 (ele-king)




interview with Omar Souleyman - ele-king

オマールはシリアの音楽的リジェンドである。1994年以降、彼と彼のミュージシャンたちはシリアの数カ所、folk-popの重要商品として出回っている。が、彼らはいままで国外ではほとんど知られていない。今日、シリアのどの街の店においても簡単に見つけられる、500本以上の、スタジオとライヴの録音のカセットテープ・アルバムがリリースされているというのに。 『Highway To Hassake』(2007年)ライナー

オマールの故郷は、ツーリストが想像しうる道からはほど遠い。そこへ行く外国人は、考古学者か歴史家か、さもなければヘンテコな音楽のプロデューサーである。「人は自分の国の伝統音楽で踊るべきだ。folk musicは文化遺産であり、伝統だ。それを失うことは、自分の魂を失うことだ」『fRoots』2010年11月/12月

この結婚式の退廃的などんちゃん騒ぎはYoutubeによって見られるものだが、しかし、オマールはいま他国を彷徨っている。彼の国シリアは内戦によって破壊された。「望みはそれに終止符を打つこと。すべての人びとが日常に戻れることだ」と彼は言う。(略)オマールは、クルドの分離主義者、シリアの軍隊と反体制の勢力との戦闘よって住めなくなった彼の故郷をあとにしながら、決して好んで住んでいるわけではないトルコから『ガーディアン』に話す。『ガーディアン』2013年10月18日


 年の瀬も迫った某日、下落合のフジオプロの一室で、ダブケだの、チョービーだの、日本からずっと遠い、中東の、レバントと呼ばれる東部地中海沿岸地域の、サウジアラビアとエジプトのちょい北の、イラクの東の、トルコのちょい南の、なんだかいろいろな半音階の旋律と独特のリズムのダンス・ミュージックを聴いている。2013年、ele-king最後の大仕事は、シリアの歌手、オマール・スレイマンを紹介すること。さて、どこから話そう。

E王
Omar Souleyman
Wenu Wenu

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 まずは2004年。サン・シティ・ガールのアラン・ビショップが主催するシアトルの〈サブライム・フリーケンシー〉レーベルは、ミュージシャンであるマーク・ガージスによるコンパイルで、シリアの現地録音音源集を編集したCD2枚組『アイ・リメンバー・シリア(I Remember Syria)』をリリースする。CDのブックレットには、街の売店にカセットテープ・アルバムが壁のように並んでいる写真がある。そして、CDのなかには、オマール・ソレイマンの曲が収録されている。
 「『アイ・リメンバー・シリア』がまず最高に面白いんだよ。街中の音とか入ってて、このCDがフィールド・レコーディングなのよ」と、赤塚りえ子は説明する。たしかに聴いてみると、ラジオの音から街のざわめきまで聞こえてくる。シリアの大衆音楽がインディ・ミュージックのシーンに最初に紹介された瞬間は、おそろしくローファイで、生々しい。
 それから2007年、〈サブライム・フリーケンシーズ〉はマーク・ガージス監修によるシリアの歌手のオマール・スレイマンの編集盤『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』をリリースする。結果、2010年までのあいだ、同レーベルから計3枚の編集盤をリリースするほど彼の音楽は西側の世界で騒がれることになる。
 そして2011年、同レーベルの3枚目のコンピレーションとなる『ジャジーラ・ナイツ(Jazeera Nights)』がリリースされる頃には、彼はすでにヨーロッパツアーに招かれている……いや、それどころか、ライヴ・アルバム『Haflat Gharbia - The Western Concerts』を〈サブライム・フリーケンシーズ〉からリリースするにいたる。ビョークが彼をリミキサーに起用したのはその1年後のことだが、わずか3年のあいだにオマール・スレイマンは欧米でもっとも名が知れたシリアの歌手となったばかりか、エレクトロニック・ミュージック・シーンのもっともカッティング・エッジなところでの評価をモノにするのだった。宗教が(信仰というよりも)文化の一形態としてグローバルに受け入れつつある現代では、アラブ諸国(もしくは東南アジア)の、露店で売られるカセットテープに吹き込んでいた歌手が、あれよこれよという間に、数年後にはテクノ・シーンで騒がれ、やがてディアハンターやフォー・テットなんかと同じステージに立つのである。

 「私はこのところ『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』の4曲目の“Atabat”を聴きながら眠っているのよ」と、赤塚りえ子は自慢しやがる。そもそもele-kingがオマールさんを取材することになった原因は、この女にある。11月のある晩、赤塚りえ子はバカボンのパパよろしく「ダブケでいいのだ」と言った。
 「フォー・テットがプロデュースしてオマール・スレイマンのニュー・アルバムを作ったんだよ、当然ele-kingは取材するよね」「あ、は、はい」「ヤッラー!」「……」などと話はトントン拍子に進まなかったのだが、赤塚りえ子をインタヴューアとして、我々はホステスウィークエンダーに侵入することになった。そして、わずか15分だったとはいえ、シリアの英雄の話を聞くことができた。「あんな色気のある男はそうそういないわよね」というのが取材を終えたばかりの赤塚りえ子の感想だったが、いかんせん15分である。記事を作るには短すぎるので、オマール・スレイマンとその音楽=ダブケについての話を、このところアラブ諸国の音楽を聴きまくっている彼女との対話を交えつつ、進めたい。

私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。

赤塚:さっきも言ったけど、2004年に〈サブライム・フリーケンシーズ〉から出た『アイ・リメンバー・シリア』というコンピレーションが、オマールが西に紹介された最初だったんだよね。オマールはもともとウェディング・パーティのシンガー。最初は伝統的な音楽をやっていたんだよね。94年から歌いはじめて、96年にリザンと一緒になる。それまでは伝統的な楽器を使っていた。結婚式で、そのときの新郎新婦にあった言葉を詩人が囁いて、それをその場で歌にして歌う。それをカセットテープに吹き込んで新郎新婦にプレゼントして、そのパーティに来た人はそのテープを買うみたいなね、そういうことをしていた。“Atabat”は伝統的なスタイルの曲だよね。

赤塚りえ子はオマール・スレイマンの音楽をいつから聴きはじめたの?

赤塚:『ジャジーラ・ナイツ』が出た頃だよ。イギリスにいるジョン(・レイト)から、「スゲー、ヤツがいる」ってリンクが送られてきて、それを聴いて一発でハマった。私はこのところずっとアラブ諸国の音楽を追いかけていたから。でも、それまで聴いていたのはエレクトロニック・ミュージックで、いくら聴かなくなったとはいえ、それはやっぱ自分の血のなかにあるんだよね。で、オマール・スレイマンは、アラブで、しかも電子音楽じゃん。ハマらないわけがないよね(笑)。

ぶっちゃけ、野田家の2013年のヒット作は、オマール・スレイマンでした。

赤塚:狂乱的なグルーヴですよね。いままでの自分の常識をブッ壊される音楽でつねにブッ飛ばされたいと思っている私にとって、オマールの音楽は、アラブ諸国の音楽(伝統的な音階や楽器を使った)とエレクトロニック・ダンス・ミュージックの要素があるという、惑星直列的快楽があります! ああ、あとね、アラビア語の発音も私は好きなんだよ。音として。

ハハハハ、ミニマルで、独特のグルーヴも良いけど、アラブ音階独特の旋律とかね。

赤塚:単音で、あれだけ脳みそ引っ掻き回されるとねー。少ない楽器編成でこれだけの雰囲気とグルーヴを作り出すのだから怪物的スゴさ! オマールもスゴイが、リザンのリズム感と演奏中に次々と音を変えていくキーボードの音選びのセンスもまたものスゴイ! 

つまり、これがただ物珍しい中東の骨董品とか民族音楽とかっていうことではなく、モダンな音楽作品として率直に面白いわけですね。

赤塚:もちろん。

マーク・ガージスの発掘はただの偶然ではなかった。それは探索の結実だった。「私は長いあいだ、父のコレクションよりも、もっとパワフルで生のアラブ音楽を探していた。私はベリーダンスものも全部聴いたし、それからライも聴いた。ライは生で、パンクの一種のようで、私は好きだったけれど、自分が望んでいるものではなかった。しかし、ジャジーラの音はワイルドで、ダブケのパンク・ヴァージョンのように思えたのだ」
『fRoots』(前掲同)

オマールさんは、1966年生まれで、僕よりも若いんですよね。故郷はラース・アル=アイン(Ras al=Ayn)というシリアの北東部、アラブ人、クルド人など多様な民族が生活しているところですね。

赤塚: ジャジーラにある村でアラブ人の一家に生まれて、イラクのポップ、ダブケ、70年代〜80年代のイラクのチョービー(choubi)なんかを聴きながら育ったという話です。音楽をやるまではいろいろな労働をしていたそうですね。最初、歌はただの趣味で、石工だったり、肉体労働だったり、ずっと仕事をしていた。友だちか誰かの結婚式で歌ったら声が良いって褒められて、それでやってみようかなと、94年に歌いはじめたのがプロへの第一歩となったと。で、96年に別のグループで演奏していたリザンを引き抜いて、いまのスタイルになった。
 彼の音楽は、ダブケという、レバントと呼ばれる地域に広がるfolk音楽で、みんなでラインダンスで踊る音楽なんだけど、面白いのは、オマール・スレイマンのダブケには、たとえば、イラクのチョービーと呼ばれる音楽──これがまた面白いんだけど(笑)、ほかにクルドの音楽、トルコの音楽も混ざっているんだよね。それは彼の故郷が、多様な民族が生活しているところで、すぐ近くはトルコやイラクだったりする。サズという撥弦楽器も取り入れているしね。レバントって、いろんな国があって、ものすごく広いからね。オマール・スレイマンにはすごくミックスされていると思う。ただ、彼はクーフィーヤ(アラブ人男性が頭に被る布)を被っているように、多様な文化が共存しつつ、伝統が残っていた地域なんだろうね。

ハサケは、コンクリートの日雇い労働の街だ。この色は、さまざまな住人たちから来ている。アラブ人、クルド人、アッシリア人、イラク人、シーア派、スンニ派、クリスチャンズ、カルデア人、ヤジーディー、アルメニア人、アラウィー派(シリアのイスラム教シーア派)。道やマーケットには顔にタトゥーを入れた歳を取った女たち、クリスチャンとアッシリア人は首にばかでかい十字架をぶら下げ、アラブの男たちは彼らの伝統であるクーフィーヤとジュラバをまとい、女性たちはヘッドスカーフを着けているもの、着けてないものもいる。みんなそれぞれ伝統的部族の服装をしている。このエリアの、シリア、そしてレバントの真実の姿は、人種学者や宗教学者の誰もが解明したがるような、豊富な文化の混合、人種の混血にある。私はオマールに、これらすべての異なるエスニックたちは、平和に共存しているのか尋ねた。「私にはクルドやクリスチャンなどいろいろな友人がいます。私自身はアラブです。最近の私のツアーには、クリスチャンの詩人が同行しました」
 『fRoots』(前掲同)

赤塚:しかもオマール・スレイマンは、伝統的な音楽にシンセとドラムマシンを取り入れて、テンポを速くした。『The Quietus』(2009年3月)のインタヴューを読むと「1994年から2000年にかけて私は売店(キオスク)で有名になった。2000年にビデオクリップを作って、アラブ諸国がそれに気がついた。それから5〜6個のビデオを作って、いま(2009年)はTVに流れている」って言っているね。フォー・テットがプロデュースした『ウェヌ・ウェヌ』に“KHATTABA”って曲が入っているんだけど、この曲は、アラブ圏内でものすごくヒットした曲なんだよね。それでヨルダンやサウジとかドバイとかの大きなウェディング・パーティなんかに呼ばれるようになる。だから、最初はローカルなウェディングから、だんだんでっかいウェディング・パーティでも歌うようになったんじゃないかな。

「私はすでにダブケに親しんでいたが、まだまだ学ぶところがあったのだ。そもそも私は、そのような速い、生な音楽を聴いたことがなかった。それは本当に私を鷲掴みにした。私が毎回『これは誰ですか?』と訊くと、いつも同じ答え、オマール・スレイマンと返ってくるのだ」マーク・ガージス
『fRoots』(前掲同)

マーク・ガージスがダブケに興味を持って、2000年に2回目のシリアへの旅に出ている。結局、ダマスカスの売店でコピーされ、それがまたコピーされ、そして鳴り響いているオマールさんのテープを大量に買い付けて(『ガーディアン』の記事よれば700本のカセット・アルバムがあったそうだが)、ベスト・トラックをコンパイルしたと。

赤塚:マーク・ガージス自身がイラク系の人で、オマール・スレイマンに初めて会ったときに、「そのアクセントは、イラクの祖父と話しているようだった」と回想しているね。そのときハサケまでバスで旅したらしいんだけど……。とにかく、ものすごいリズムのダンス・ミュージックだし、で、もう、最初はアシッド・ハウスの最新型だとか書かれたり(笑)。

「マルコム・マクラレンやザ・KLFへのシリアからの回答か」なんていう記事もあるね(笑)。そのぐらい、大きな衝撃を与えたんだね。

赤塚:〈サブライム・フリーケンシー〉の企画で、2009年にヨーロッパ・ツアーをやっているんだよね。UKとか、デンマークとか、そのときの曲も入っているのが2011年に〈サブライム・フリーケンシー〉からライヴ盤としてリリースされている。これ、格好いいよ。  私がアラブ諸国にハマったのは、まずリズムの魅力なんだよね。西側のフォーマットにはあり得ない進行の仕方があって、信じられない構成があって(笑)。ライヴ盤の2曲目“Gazula / Shift Al Mani ”とかすごいよ。私、さんざん音楽を聴き続けてきてさ、もうよほどのことでは驚かない。ただ、「ナイスだね」だけの曲は物足りない(笑)。なんか、そういう感じで。ダブケのリズムはそういう意味で、驚いた! あと、シリアのウェディング・パーティでやってきたライヴは4〜5時間ぶっ通しで演奏していたそうで、それが欧米のライヴでは40〜50分でしょう。そのギャップも大変だったみたいね。

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ベルリンを拠点にしているNHKコーヘイ君も、ステージが一緒になったことがあったというし、昔ながらのワールド・ミュージックの流れっていうよりも、テクノのシーンとシンクロしながら、最近の耳に訴えるものがあったんだろうね。

赤塚:多国籍文化の国、例えばイギリスなど、カルチャー的にもワイドな耳を持つ西側の人たちにウケるのわかる。面白いのは、シリアには、シリアの大使館がリコメンドしたいような音楽っていうのがあるじゃない。それとは違うんだよね。だってこっちは本当に大衆音楽だから。でも、そういうハイブローな感じの音楽を推進している人たちからすれば、オマール・スレイマンがシリアの音楽の代表になってしまったことは気に食わないらしいんだよね。だって、シリアには他にも有名な歌手がいると思うんだけど、西欧社会の有名なフェスとかに出るいちばん有名なシリアの歌手になっちゃったわけじゃない。

シリア国内では、あれはただのキッチュだっていう批判もあるらしいからね。

赤塚:でも、民衆から出てきた人なんだよ。

じゃあ、西側のポップ・カルチャーがオマール・スレイマンを選んだのは素晴らしかったんだね。ちょっと、マルチチュードみたいなところがあるんだろうね。

赤塚:ダブケがハイソなものではないし、民衆のダンス・ミュージックだからね。

しかし、シリア……というと、この2年、激しい内戦状態がずっと続いているでしょう。オマールさんが、西側で発見されたのが、2007年だとして、その頃とは、あまりにもシリアをめぐる状況が違っているじゃない。2010年の『fRoots』のレポートでは、ストリートのレヴェルではエスニックの調和はうまくいっていると、書かれているけど、2013年の『ガーディアン』の記事なんかは、ずばり、内戦によって崩壊したシリアを突いているよね。

赤塚:だから、欧米で、オマール・スレイマンの記事が最初に載った頃の言葉と、最近の記事の言葉とでは、テンションが違ってきているよね。最初の頃はやっぱ「ウェディング・パーティで歌いたいんだよね」みたいなことを言ってるんだけど、最近はもうちょっと違っているよね。

シリアにはもう住んでいられないからね。

赤塚:いまはシリアではライヴできないからね。『ガーディアン』の記事でオマールは、「シリアの人たちすべてに日常が戻ってきて欲しい」って言ってる。『Fader』(2013年)の記事は、トルコの国境への脱出劇の話なんだけど、読んでて涙がでそうになったよ。トルコから出発するフライトに間に合わせるため、ベイルートからシリアを通ってトルコの国境に向かう話で、アメリカで開かれるシリアへのチャリティー・コンサートに出演するため、自分の責任を果たすため、トルコから出発するフライトに間に合わせようと、決死の覚悟で爆弾の音とガン・ファイヤーの音が響き渡る破壊された誰もいない街を、タクシーで疾走するんだよ。

タクシーの運転手もよく運転したよね。

赤塚: タクシーで国を移動するのはわりと当たり前のことらしいけど、危ない旅だしかなりの金額も払うことになったし、相手がオマールだからってこともあったと思うよ。でも、読んでて、やりきれない気持ちになった。あと、彼は自分は政治的ではないと言っているね。

今回の取材でも「政治的な質問はNG」と言われてしまったけど、さんざん欧米の取材で訊かれまくって疲れたのかもね。

赤塚:最近、スイスかどっかに呼ばれたときビザがなかなかおりなかったらしいね。シリアだから、亡命者だと思われてしまって。いまはすごくハードな時期だから。言えることはひとつだし、彼が歌っているのはラヴソングだからね。
 しかし、彼の歌う愛や人びとの関係性の叙情的なラヴソングは、恋愛や結婚は人びとの日常生活の上に成り立つことで、それらさえもまともにする余裕もないようないまのシリアの悲惨な現状のなかで、彼のラブソングは人間の根源的なことをうたっているように感じてならないな。だから、オマールのラヴソングは、人びとが普通に生活できないいまのシリアの悲劇を浮き彫りにするよう。そういう意味で、オマールの歌は直接的に政治的ではないけど、私たちがイマジネーションを働かせて感じてみると間接的に関わっているように感じる。

彼はダブケを世界のオーディエンスに持ち上げた。しかし、彼の国は、スレイマンが歌うには、よりハードな苦境を迎えている。「事実、明日には何があるのかわからない。それ自体が絶望だ」彼は言う。「シリアには音楽はもうない。音楽をやりたいミュージシャンがいたとしても、それをやる喜びや意志をもって、以前のようなことはできない。この殺戮と破壊のあと、音楽を作るのは本当にハードだ。すべての人びとに影響している。しかし、私は政治に関与しない。私は解決方法を知らない」
 『ガーディアン』(前掲同)



赤塚りえ子は、どのアルバムがいちばん好き?

赤塚:私はやっぱ、『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』。このアルバムの4曲目がないと私寝れないから(笑)。このローカル感っていうの? もう、残りの500本のカセット全部聴きたくなるよ(笑)。

『ハイウェイ・トゥ・ハサケ』が〈スタジオワン〉なら、『ウェヌ・ウェヌ』は〈ON-U〉みたいなものかね。

赤塚:まあね(笑)。『ウェヌ・ウェヌ』も好きだけど、ちょっと万人にわかりやすくなったよね。オマール自身のいままでの音で十分満足している私にとって、ぶっちゃけフォー・テットがプロデュースっていうことはそんなに重要ではなく、ただオマールの人気がエレクトロニック・ダンス・ミュージックのファンへも広がるのは間違いないわけで、それがスゴく嬉しい! 

インディ・ロックのファンにもウケてるよ。

赤塚:そういえば、この人、ビョークのことも知らなかったし、フォー・テットのことも知らなかったからね(笑)。ていうか、私、リザンとの関係もすごいと思うの。リザンとオマールの掛け合いみたいに聴こえる。このふたりだからこそ、少ない楽器編成で、これだけのグルーヴを創れるんじゃないかなと思う。オマール・スレイマンは、パーティ・シンガーで、盛り上げ役だから。リザンは、1990年代半ばにジャジーラから登場した、もっともハードでエッジーなダブケの発明家として評判だったそうで、コルグを使った才能あるプロデューサーとして名が通っていたと、『fRoots』の記事には書いてあるね。

欧米の評論読んでいるとリザンへの評価が高いと思うよね。

赤塚:体力もすごいでしょ、だって、ずーっと弾いているんだよ!

 さてさて、それでは、以下、12月1日、恵比寿ガーデンホールでの楽屋での15分を紹介しましょう。

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私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいる。それらを大切にしたい。

赤塚&野田:アッサラーム・アレイコム!

赤塚:イスミーリエコアカツーカー(私の名前は赤塚りえ子です)。ウヒッブ・ムーシーカークム・カスィーラン(私はあなたの音楽が大好きです)!

オマール:シュクラン(ありがとう)。

赤塚:あなたは自分の町で、どんな音楽を聴いていたのですか? 具体的に好きなミュージシャンはいますか? または、影響を受けたミュージシャンはいますか?

オマール:こだわりはない。西洋も東洋も両方聴いている。いちばん好きなミュージシャンは、サアド・エルハルバーウィーという人です。その人がインスピレーションをくれました。

赤塚:1990年代半ばにダブケのニューウェイヴが出現したとあなたの記事で読んだことがありますが、それまでのダブケと違って実際にどのようなところが新しかったのですか? 伝統楽器がシンセサイザーに置き換えられたということでしょうか?

オマール:活動しはじめたときは伝統的なリズムを使っていたのですが、1996年にあの(電子)キーボードを使いました。そして、リズムを速くして、より盛り上がるようにしました。

赤塚:人をもっとダンスさせるため、速くて強い4/4ビートのリズムを取り入れることになったのですか?

オマール:私は、人が踊るのを見るのが大好きです。自分がステージに上がったら、みんなに踊ってもらいたい。ああいう風にリズムを速くして、みんなが盛り上がってもらいたいんです。

電子楽器を取り入れるきっかけはあったんですか?

オマール:特別何か理由があったわけじゃないんです。それは自然になことで、世界中が電子楽器を使いはじめたとき、世界と肩を並べるために取り入れました。みんなが使っているから使いましたし、これからもずっと使います。

赤塚:あなたの音楽がアラブ世界を越えて西洋の人たちを熱狂させ、そして、私たちアジアも熱狂させていますが、言語の壁を越えて、国境を超えて世界があなたに魅力を感じる何か共通のものがあるとしたら、それは何だと思いますか?

オマール:世界がまだ私たちの音楽に慣れていないし、まだみんなが知らないリズムだから、みんなが気に入って受け入れてくれたと思っています。

今日のライヴもすごく盛り上がってましたが、オマールさんの感想を教えて下さい。

オマール:とても嬉しいです。日本は初めてでしたが、とても良い印象を持ちました。来る前は、日本の観客のことがよくわからないから緊張しましたが、私がステージに上がった瞬間、みなさんがこの音楽を好きになってくれることを感じました。日本に感謝している。

赤塚:海外メディアのあなたのインタヴューであなたが「自分の音楽のスタイルを変えない。これが私の伝統だから」と言っているのを読みました。あなたが自分のスタイルを守る姿勢と伝統の重要性について教えて下さい。

オマール:私が有名になれたのは、この伝統的な音楽をやっていたお陰です。そして、有名になって、この伝統的な音楽を見捨てるわけがありません。シリアン、クルディッシュ、ターキッシュ、イラーキーの文化的伝統を引き継いでいます。それらを大切にしたいと思います。

赤塚:今後あなたが望むことは何ですか? 

オマール:来てくれる人が多ければ多いほど私も嬉しい。だから、世界中の大きなステージに立ちたいと思っています。そして、自分が有名になっても、自分が人のことを尊敬するように祈っています。日本がずっと安全であることを祈っています。日本も日本人もとても素敵です。本当にありがとうございました。

 ホステスウィークエンダーには僕も何度お邪魔したことがあるが、基本、インディ・ロック好きをターゲットにしたイヴェントである。オマール・スレイマンのライヴの日は、おそらくはディアハンターを目当てにした若者たちでいっぱいだった。音楽も素晴らしかったが、そんな若者たちがダブケで踊っている光景もまた素晴らしかった。

15分だったけど、無事取材もできて良かったね。赤塚キャラ風のオマール・スレイマンの絵もプレゼントできたし(笑)。

赤塚:嬉しそうに笑ってたよ。「シュクラン」(ありがとう)って言ってたね。赤塚マンガで人を笑顔にすることは、うちのオヤジがやりたかったこと。シリアの人も笑顔にできた! 

バカボンとか、どんな風に思ったんだろうね。

赤塚:オマールと天才バカボンとの組み合わせは無茶苦茶シュールだよね(笑)。

はははは。

赤塚:とにかく、マジであれ以来、私のオマール熱は上昇で、重度の熱病にかかってます。ちなみに彼の名前をアラビア語から直接カタカナにすると「オマル・スレイマーン」です。

「こんにちわ、西側のオーディエンスたち。私はこの音楽があなたにとって何らかの意味があることを願います。そして、あなたが楽しむことを願います。すべての人びとに幸運があることを、そしていつか私があなたと一緒にいることを願います」
2006年1月 オマール・スレイマン
『Highway To Hassake』ライナー

木津毅、2013年のベスト10選! - ele-king

 昨年のスプリングスティーンの呪いが解けなかった僕は今年、スピルバーグの『リンカーン』にいたく感銘を受けて「市井の人びとの理想主義」を探していたが、それはブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマに、ジャネール・モネイに、あるいはザ・ナショナルに見つけることができた。たしかにそれらは僕が期待するほどこの国で話題になっているとは思えなかったけれど、それでもそういう音楽が、そういう人びとが世のなかにいることに勇気づけられた。だが振り返れば、何よりもジョン・グラントが歌うソウルと孤独に胸をかきむしられた年だったようにも思える。普段あんまりしないけれど、思わず自分の10年後のことを考えたりした。彼の視線に捕まったのは何やら運命的な出来事だった……と書くと、スピってると言われてしまうのだろうか。ああ、そう言えば、来年はスプリングスティーンの新作が出るらしい。



木津毅、2013年の10枚!


1
John Grant / Pale Green Ghosts (Bella Union)

2
Blind Boys of Alabama / I'll Find A Way (Sony Masterworks)

3
Oneohtrix Point Never / R Plus Seven (Warp)

4
Janelle Monáe / The Electric Lady (Bad Boy Entertainment)

5
Tim Hecker / Virgins (Kranky)

6
The Flaming Lips / The Terror (Lovely Sorts of Death Records)

7
Volcano Choir / Repave (Jagjaguwar)

8
The National / Trouble Will Find Me (4AD)

9
The Haxan Cloak / Excavation (Tri Angle)

10
James Blake / Overgrown (Republic)

聴き忘れはありませんか - ele-king


 初ライヴを終えた禁断の多数決、ほうのきかずなり氏から今年2013のベスト・アルバム10選が届いたぞ! 12月12日、デコレーション・ユニットOleO(R type L)とVJが怪しく飾り上げた渋谷〈WWW〉は一分の隙なき満員御礼状態、メンバーのおどろおどろしいメイクはもとより、異様な速さでアンプが回転しだしたり(折しも“くるくるスピン大会”がはじまったときで笑ってしまった)、着ぐるみウサギがどこか背徳的なたたずまいで歩き回っていたり、不可解にシンメトリーを成して歌う女性たち(尾苗愛氏とローラーガール氏)、だらりと垂れる毛皮、クモの巣、悪夢のように切れ間なくつづくセット・リスト……等々、彼らが愛するデヴィッド・リンチ感が炸裂しており、それは“バンクーバー”で極まっていた。禁断の多数決のやりたいことが何なのか、あの日あの場所に詰めかけた人には言葉にならないながらも明瞭だっただろう。


 そして、あのとき生まれた禁断の生命は、この後ゆっくりと急速に、時間の中を奇妙に伸び縮みしながら大きくなっていくはずである……。2014年、今後の展開がさらに期待される。






禁断の多数決(ほうのきかずなり)


  1. 1. Blood Orange / Cupid Deluxe / Domino

  2. 2. Sky Ferreira / Night Time, My Time / Capitol

  3. 3. Alex Chilton / Electricity By Candlelight: NYC 2/13/97 / Bar/None Records

  4. 4. Ian Drennan / Prelude To Bleu Bird Cabaret / PIKdisc

  5. 5. Oneohtrix Point Never / R Plus Seven / Warp/ビート

  6. 6. Mazzy Star / Seasons of Your Day / Republic of Music

  7. 7. Fuck Buttons / Slow Focus / ATP

  8. 8. Grouper / Man Who Died in His Boat / Kranky/p*dis

  9. 9. Solar Year / Waverly / Selfrelease

  10. 10. Prefab Sprout / Crimson / Red / Icebreaker / ソニーミュージック


ブラッドさんのジョン・ヒューズ映画のようなアルバムに胸躍らせて、スカイさんに恋をして、アレックスさんで泣いて、イアンさんとOPNのミステリアスな世界に迷い込んで、マジー・スターとグルーパーの哀愁で鬱になって、ファックさんとソーラーさんの狂気にやられて、プリファブさんのグレート・ロマンチシズムに酔いしれました。

ほうのきかずなり




■禁断の多数決
アラビアの禁断の多数決

AWDR/LR2

Tower HMV amazon

interview with Kazumi Nikaido - ele-king

E王
二階堂和美
にじみ【デラックス・エディション】

カクバリズム/P-VINE

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 二階堂和美を初めて見たのは、2004年秋、渋谷の宮下公園でおこなわれた反戦フェスだった。細長い公園の隅ででチラシを配っていたら、騒がしい公園の反対側から女性の歌声が聞こえてきた。私は思わず走った。その歌声はまだ生い茂っていた宮下公園の高い木々とその向こうに広がる空にまで届くかのように力強くて伸びやかだった。それが二階堂和美だった。彼女が見えるところまで駆け寄るまでの間に、すでに鳥肌が立ち、渋谷の公園の喧噪さえ静寂を促された。
 何年かあと、アメリカとスコットランドに遠征した時に取られた映像で、二階堂和美という人は歌そのものなんだと思った。歌うことと息をしていることが同じ意味で、発する声は何も考えなくてもその場と歌が自然に引き出してくれる、きっとそうなんだ。“歌”に祝福されて生きている。そんな彼女が、人前で歌いたくなくなったことがあったと語るのを聞くことになるなんて、当時は考えられないことだった。
 10年近くが経って、二階堂さんは来年40になるんだという。その間に“いろいろあった”。日本にも、世界にも、そこで生きてるあらゆる人に、そして二階堂和美にも“いろいろあった”。震災の後に出たアルバム『にじみ』は、二階堂和美の転機ともなったが、そこで歌われている彼女が作った歌は、間違いなく宮下公園やスコットランドの二階堂和美のものでもあり、年齢を重ねた“歌の子ども”の、やさしくて温かい老成と“おばちゃん“みたいな逞しさが両立した、包容力のある大人の二階堂和美のものでもあった。
 私はたじろいだ。この達観、この成熟に……。
 けれども久しぶりに話をした二階堂さんの“いろいろ”には、それもまた予想を裏切る葛藤や怒りや、達観できない“いろいろ”がそこここからにじみ出る。ままにならない人生、そうはわかっていても、そう簡単に泳いでいけるわけじゃない。
 カラダそのものが歌だった二階堂和美は、シンガーソングライターという“名”を引き受け、いまや生活も人生も歌になった。

お父さんとかおばあちゃんと食卓を囲んでテレビの歌番組を見てる方が自分の中でスタンダードになってきちゃった。ライヴハウスとかクラブとか行かなくなった代わりに、テレビ、それもだいぶ年配向けの、懐メロとか演歌とかやってる番組を観ることのほうが多くなっていて。暮らしのなかで実際に接する人の年齢も高くなっていて、同世代の人と出会うにしても、地元で働いている大工さんとか左官屋さんとか、東京でやっていた頃の音楽を好きな人たちとはだいぶ違う。

こんにちは。本当にお久しぶりです7、8年ぶりでしょうか。その間に赤ちゃんも生まれていたんですね。

二階堂:はい(笑)。

おめでとうございます。

二階堂:ありがとうございます。あの頃は「おてんば」でした、よね?

ははは。そうでしたよねえ。

二階堂:あの頃はなんにもわかんないから、すっごくあがいていて。

とにかく歌うのがすごく楽しそうで、「カラダ全体が歌」のようで全く「歌の精」でした。

二階堂:えっ。いやいやいや。

それはいまもだけどね。でもその頃といまとでは、歌い方や声の出し方も違う。

二階堂:自分では何かを変えた意識はないんですが、いま自分で改めて聞くと、甘ったれというか、若いならではの……ま、若くもないんですけど。
 でも最近は、例えば美容院なんかでミセスの雑誌なんか置かれると、ああ、私はこっちの年代なんだと。でも自分の好みから言ったら、「こっちこっち」って選ぶのは10代とか20代向けの雑誌なんですよね。だから切り替えなくちゃいけないのかなって。

いやいや(笑)、切り替えなくていいじゃない。今回はジブリのこともありますが、前のアルバム『にじみ』で全部自作の曲を出されて、そこが転機になったのかと想像しますので、そこから戻りつつ、進みつつという感じで伺いたいと思ってます。

二階堂:はい。『にじみ』の時は実家にいたというのが大きかったですね。もちろん2006年の『二階堂和美のアルバム』や2007年の『ハミング・スイッチ』、2008年の『ニカセトラ』を作った時も実家にいたんですけど、東京にいた頃の流れを継続してやっていたものでしたからね。東京時代の宿題を提出し終わって、「さて」という感じで。別にアルバムを絶対に作らなきゃいけないと思っていたわけでもなかったし、その頃、ライヴをしたくなくなっていて。鴨田(一)くんと一緒に作ったアルバムは歌手に徹しようと思っていろんなミュージシャンにやってもらって出来たんですけど、それをライヴで弾き語りでやっていると、“シンガーソングライター”に見えちゃうんですよね。そのギャップが自分で解釈できなかった。“シンガーソングライター”的だけど、私の中から出てきた言葉ではないという。それをわざわざ人前で歌う意味がわからなくなってきたんです。
 いろいろ実験というか、試していた時には、いろんなことが出来ること自体があっけらかんと楽しかったんですけど、実家に戻ってみると、音楽をしに出かけて行くことがけっこう一苦労だったんですよ。いろんなことを差し置いたり、家族に「いつ帰ってくんの?」とか言われながら出て行く感じが億劫というか、そういう出づらい状況でわざわざ行ってやる意味があるのかなと。そこまでして歌いたいわけでもないような気がしてきたんですね。もともと人前に出るのはあんまり好きじゃなかったし、それでも歌うことを楽しめていたのが、楽しめなくなってきて……。
 それに、家族──お父さんとかおばあちゃんと食卓を囲んでテレビの歌番組を見てる方が自分の中でスタンダードになってきちゃった。ライヴハウスとかクラブとか行かなくなった代わりに、テレビ、それもだいぶ年配向けの、懐メロとか演歌とかやってる番組を観ることのほうが多くなっていて。暮らしの中で実際に接する人の年齢も高くなっていて、同世代の人と出会うにしても、地元で働いている大工さんとか左官屋さんとか、東京でやっていた頃の音楽を好きな人たちとはだいぶ違う。でもそういう人たちも音楽は好きではあるということを知るんですね。「なんか歌ってよ」なんて言われて、ちょっと懐メロとか歌うとすごく喜んでくださったりして。それで地元のおばちゃんたちの企画でコンサートをやらせてもらったりしたんですね。それもけっこう700人規模だったりするんですね。

それはすごいですね。

二階堂:慈善事業をやっている人たちなんですけど、体育館を利用して、全部手作りで二階堂和美コンサートをやりたいんだと言ってくれた。でも私は最初はまったく腰が引けて、めんどくさいな、こんなの全然やりたくないのに、という感じだったんですけど、半年くらいかけてやり終えた時にすごく手応えがあって、初めて、ぼろぼろ涙を流しながらアンコールを歌うみたいなことになった。「なんだろう、この涙は」って……。充実感なのかどうかわからないんですけど、まるでレコード大賞とか受賞した人みたいに涙を流して、“めざめの歌”を歌っていた。そのあともすごくよかったよと、まわりの人に言ってもらうようになって。
 その後、祝島で原発に反対の人と推進の人が対立してお祭りが出来なくなったと聞いて、じゃあ歌でも歌いに行きます、お祭りの代わりにちょっと楽しんで、と。そんな積極的に思ったことはそれまでなかったんですけど、私の歌で楽しんでくださる人がいるということを、自分で認められるようになってきた。

「原発反対」ということに共感したところもあったんですか?

二階堂:その時はまだ、「絶対反対」というほどの気持ちを持っていたわけではなかったんです。それまでそういうことが起きていること自体を知らなくて、周りにその活動をしている人が出てきたことで知ったんです。でも知れば知るほど、どう考えてもその方がいいはずだと思うようになっていきました。ただ、歌というのは講演とは違って、どっちの立場の人にも聴いてもらえる。フラットな心に何か作用する可能性があるものではないかと。そういう力のあるものだと、時間はかかったんですが、ようやくその頃になってそういうことも思いはじめた。そして言葉のある歌を歌いたくなったんです。
 あと、言葉に関しては別のきっかけもありました。テレビの歌謡ショーをみていると、やたらと懐メロが多い。懐メロとかカヴァーとか。それに非常に頭に来たんです。プロの歌手や作詞家、作曲家が新曲を生み出さないで、ありものを利用して何やってんだ、とすごく腹が立って(笑)。私はこんなところで介護とかお寺の仕事を手伝いながらほそぼそと音楽やってるのに、と(笑)。それで私が出来ることをしようと思い、私ならこうするな、なんていろいろ考えていることを形にしようと思ったのが『にじみ』なんです。
 なにかっぽくてもいいと思って、例えば“女はつらいよ”は“スーダラ節”のようでもあるし、もちろん“男はつらいよ”のようでもあり、“長崎は今日も雨だった”のようでもある。なんか、そういう日本の流行歌のフレーズって、歌う時に独特の気持ちよさがあるんです。「あめーだあぁったー」とか「あーあぁー」って言いたいとか(笑)。それって洋楽を歌う時にはない気持ちよさなんですよね。それをカヴァー・アルバムを作る時から感じていた。そうするといろんな、それまでライヴで感じていたもどかしさとか、テレビで見る腹立たしさとか、地元の人たちに喜ばれる感じとかから、『にじみ』の曲が編み出されていったんです。

だからなんですね、『にじみ』の曲はとても懐かしい感じがするんです。どこかで聴いたような、でもどこだったかは思い出せない。新曲だから……

二階堂:ははは。それでいいと思ったんです。とびきり新しくない、どころか全然新しくないけど新曲、って(笑)。

そうそう。

二階堂:演歌番組見てて、なんでこんなにしみったれた内容なんだと。別にそうじゃなくてもこのメロディはめられるのにって……。例えば“説教節”なんてオフィスでも普通に話されるような内容だし。

ああ! あの歌はとくに身にしみます、いたたまれなくなる……

二階堂:実際、自分でも口にしたことのあるような内容なんですけど(笑)。どっか、実家での日常でも、もどかしさとかジレンマとか悔しさとかを抱えていたと思うんです。広島にツアーで来た友だちのライヴに行っても、なんか卑屈になってて、どっかで「ふんっ」みたいな……

やっぱりやりたかったんですよね。

二階堂:やりたかったんですね。でもお寺もあるし、そこに帰ってきて、負け惜しみって言うのか、負けず嫌いというのか、芽が出なくて帰ったと思われるのは嫌だな、やってるもん、みたいな……。地域にの人から見れば、趣味で音楽をやってるということになるし……。そういうもどかしさをそのまま歌にして消化するというか。そういうやり方を見つけたんですかね。

そうなんですか。その日常というのは意外に革命的で、「いつのまにやら現在でした」なんていう歌は、本当にびっくりする内容ですよね。

二階堂:そうですか(笑)。あれは自分のことでもあるんですけど、同世代の大工さんだとか、1年2年先輩の人たちにもう高校生の子供がいるというのを聞いて「なんだ、この20年というのは!」と思って。

ああ、そういうことで作ったんですか。だけどあれは不思議な老成というか、どうも世界がひっくり返るような内容でしたよ! 

二階堂:ははは。ご年配の方たちがあれをコンサートで聞いて笑ってくださるんですよ。自分たちのこと言われてるみたいだって。1番では子供は20歳になるんですけど、2番では40歳になるんですね。そこで世代が入れ替わっていく。どの世代の人が聞いても楽しんでもらえるように作ったんです。

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言葉に関しては別のきっかけもありました。テレビの歌謡ショーをみていると、やたらと懐メロが多い。懐メロとかカヴァーとか。それに非常に頭に来たんです。プロの歌手や作詞家、作曲家が新曲を生み出さないで、ありものを利用して何やってんだ、とすごく腹が立って(笑)。

「気づいたような気になって 案外それも的外れ」っていうのは、東京であのままやっていたら絶対に出来なかった歌詞じゃないかと思うんですが。

二階堂:ええ、できなかったです。本当に『にじみ』の曲たちは、地域で「コンチクショウ」って思いながら暮らしていないと出来なかったと思います。ほとんど愚痴なんですね。愚痴を笑い飛ばそうとしたり…

まさに「どうにもならない」ことばかりで。

二階堂:ええ(笑)。それをどうにか、はけ口を作るというか。

こうした歌詞には仏教で勉強したことも影響していると…

二階堂:ええ、それもあると思います。やっぱりお寺でひとりの僧侶としてお参りに行ったり葬儀に行ったりして、地元の人からはそういうふうにもみられているわけです。自分でも、せっかくやるんだったら嫌々ではなく、ちゃんと肯定的にやりたいなあと思って歩み寄って行っていると思うんです。

いわゆる”メッセージソング”ではないんですけど、なんというか、メッセージのようなものがあるんですよね。

二階堂:ええ。たぶん仏教の法話と同じことを言っていると思います。

仏教の、ものの捉え方というのは、日本人の暮らしの中にけっこうあるんじゃないかと思うんです。でもそれが現実に言われる場面というのは、例えば人に諦めさせるために使われたりとか、諦めるために呟かれたりすることも多いように思うんですが、二階堂さんの歌の仏教的な部分にはそうは感じないんですね。「どうにもならない」と言いながら、無力感に押しつぶされるのではない。

二階堂:そうなんですよね。仏教もたぶん、諦めさせるために言っているわけではなくて、前向きに生きてもらうというか、それを受け入れて進むとすごく強いんですよね。

ええ。それから例えば、協調性を押し付けられる時につかわれたり……

二階堂:なるほど。

でもそれとも違っていて、”我”の出てきてしまうところというのかなあ、単に揉めないための協調という意味での協調性を賞賛していない感じ。

二階堂:ああ、ありがとうございます。そういうふうにとらえていただけてるとすごく嬉しいですね。

「負けず嫌い」そのものではないけれど、その辺から出ているものが感じられるからかもしれませんが。

二階堂:そうですね。受け入れるふりをしながら抵抗しているというか。

私が会っていなかった間の二階堂さんの人生は、私にはあらすじしかわからないけれど、「いろいろあったんだなあ」と想像できる。“大変な人生”かどうかはわからないけど、”いろいろあった”ということだろうなあと。

二階堂:ええ、ははは。結構いろいろ、ありました(笑)。

“歌はいらない”という曲は2011年の地震の前に作られたと思うんですが、地震のあと、音楽を聴くのがつらい、聴きたいと思わないという人がとても多かったんですよね。私もそうだったんですが、しばらく経ってこの歌を聴いた時、ぼんやりと無防備な気持ちで聴けたんですね。歌い方がそうさせてくれたんじゃないかと思えるんですが、うまく言えないんですが、歌い方と歌われている生活のていねいさというか……。

二階堂:ていねいと言ってもらえると嬉しいですね。本当に細かーいこだわり、一緒に録音してくださるスタッフさんにも、分かってくださる方もいますが、分からないくらいの些細な違いで、OKとかなしとか言ってるんですが、ていねいというか、こだわりすぎるところもあるんです。

“お別れの時”なども、シンプルな歌だし、歌詞の言葉数も少ないですが、声のひとつひとつによって描かれる細密画のような歌だなあと感じますね。

二階堂:それは嬉しいですね。ありがとうございます。あれは友だちの死があって作った曲でもあるんです。

「自分の言葉を歌いたい」と思ってからは、言葉はどんどん出てきたようですね。

二階堂:まあ、溢れるようではないんですけど

『にじみ』ですね。

二階堂:ええ(笑)。じわーっとですよね。大半の曲は半年くらいの間にパーって作った。“あなたと歩くの”や“めざめの歌”なんかは少し前に作ったんですけど、あとはどさどさどさっと、一気に「出した」という感じで。言葉もそうなんですけど、サウンドもバンドみたいな感じですね。ひとりひとりに声をかけたんですよ、ピアノはこの人とやりたい、ベースはこの人と、スチールバンはこの人と…と。それが結果的にバンドのようになってくれて、私が「新しい曲出来た」って言うと、「これはこの編成がいいじゃない」みたいに言ってくれて、前奏のアレンジなんかもみんながいろいろ考えてくれた。
 前の『二階堂和美のアルバム』の時は「この曲はこの人に」というふうに別々に頼んでやっていたんですが、『にじみ』はアルバム全部をみんなで作ったということで、統一感もあります。バラエティに富んだ、というか、ばらつきのある曲なのに統一感があるのは、詩の世界だけでもなくて音のまとまりもあるのかなあと。「この人たちとずっとやりたい」と思う人たちに出会えた。そういうタイミングが全部合ったのがこのアルバムだったと思います。

なるほど。たしかにそうですね。でも前にやっていた時には、「いろんなことをする」楽しさもあったわけですよね。

二階堂:そうですね。あの時にいろいろやらせてもらってたから壁にもぶつかれたんだと思うし。そういう意味では後悔はいっぱいあるけど、無駄ではなかった。

その頃は自分の言葉を歌いたいとは思わなかったんですか?

二階堂:そうなんですよ。

高校時代からバンドをやっていたんですよね。

二階堂:ええ、コピーバンドを。

しかもロックの。

二階堂:ハードロック・バンドのヴォーカルに誘ってもらったんで始めただけだったんで、別にロックが好きだったわけではなかったんです。

ガンズ・アンド・ローゼスとかブラック・サバスとか。いま思うとそれもすごい経験でしたよね。

二階堂:なんでもよかったんですよ。バンドというものに憧れはあって、ドラムもやりたいなとかも思ってたんですけど、ほんとに全然、ハードロックもロックも知らなかったんですけど、それで気持ちよさを知ってしまったんでしょうね。あんまりほかに取り柄がなかったけど、歌を歌った時だけちやほやされたから、ああ、これやればちやほやされるんだなと。不純な動機ですけど。

いやあ、バンドマンはたいがいそうそうじゃない?

二階堂:そうですね。で、自分の言葉なんか最初は全然なくて、例えば松田聖子さんの歌を松本隆さんと細野晴臣さんが作るとか、もっと昔でも坂本九さんの歌を中村八代さんと永六輔さんが作るとか、そういうのに憧れがあったので、シンガーソングライターとかフォーク・シンガーになりたいというのはなかったんです。でもチームでそういうふうにやるというのを、現代ではどうやったら出来るのかがわからなくて。とりあえずそういう人に巡り会うまではしょうがないのでひとりで作ったりしてたんです。どこに行ったら作詞家に会えるんだろう? と、わからないまま上京してきた。そういう話をイルリメくんに言ったら、じゃあ僕が作りましょうということで、『二階堂和美のアルバム』ができた。
 もともと彼の“今日を問う”という曲が、早口でまくしたてる笠置シヅ子さんの“買い物ブギ”みたいで面白いと思ってカヴァーしていたんです。それであんなのが出来ると思っていたら、ラヴソングとかゆったりした曲ばかり来たんでびっくりしたんです(笑)。私に合う曲というのでそういうのを作ってきてくれたんですね。
 そうやって憧れていたチームプレイをやれたのはすごく嬉しかったです。これから歌手って言っていくぞ、って。でも現実問題、ライヴでいつもミュージシャンを大勢集められるわけでもないのでひとりで弾き語りでやっていたら、やっぱりシンガーソングライターにみられるわけで……

それで最初の話とつながるわけですね。

二階堂:ええ。それで『にじみ』を出せた今ようやく、シンガーソングライターと言われてもいいかと思えるようになったんです。

チームプレイにしてもシンガーソングライターにしても、そういう”やり方”から自分で考えて作らなければなければならなかったことは大変でもあったでしょうけど、達成感はあるんじゃないですか。

二階堂:そうですね。最初は自己満足のような感じで『にじみ』を作りはじめたんですけど、録り終えた時に震災が起きて、改めて聴いてみたら、いまこれらの曲を聴いてもらうことで誰かを慰めることができるんじゃないかと思えたんです。だから出した。その辺から自覚的になってきました。逆にそういうことが出来なければやっていく意味はないと思ったんです。昔のふわっとしていた頃の方が好きだったという声も聞かないわけではないんですけど、でもいまはそういうふうに自覚的になっちゃってるんで……。
 まあでも、テニスコーツのさやちゃんとやる時のように、ふわっと音楽に身を任せるのももちろん好きなんですけど。

”いろいろあった”んだろうというのは、自分の意志ではなく、変更したり、コトが起きたり、引き止められたりすることが”いろいろあった”ろうと想像するんですが、人生はそういうものだと思いながらも、若い時は特にそういうことはなかなか受け入れられないと思うんです。“いろいろやる”とは違う、“いろいろある”ことというのは。ことに東京という場所は、そういうことを受け入れるのが難しい場所かもしれないとも思うし。

二階堂:ええ、そうかもしれない。でもだから震災の時も迷わなかったんだと思うんです。あのことで音楽を作れなくなったという話を聞いても意味が分からなかったくらいで。

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実家に帰って、僧侶としての生活をフィーチャーして来られる方は多いですけど、私としては家族の中で揉まれることがいちばん大変で。甥っ子や姪っ子も近所にいて、いまでこそ大きくなりましたけど、10年前は学校から帰るとむしゃぶりついてくるんですよ。いくら部屋にこもって作業なんかしてても。そのとき、それを差し置いてでも、私にはしたいことがあるんだろうか、この人たちのこのかけがえのない時間に遊んであげたいと思えてしまう。

ブログで、赤ちゃんが生まれたけれど、もともと他の人のペースで暮らすのに慣れているので苦にならないというようなことを書かれてましたよね。そういうことかなとも思ったんだけど。

二階堂:そういうことかもしれないですね。それに慣れるのにも3、4年かかってるんですけど、慣れてからは、そういう委ね方を……

ペースということは、”自分”ということですよね。

二階堂:そうそう。何かしていてもすぐに中断させられてしまう。「集中させて」というのが通用しない。でもそれを仕方ない、そういうものだと思って、限られた時間に集中するやり方を覚えたり…。

どうしても、どうしてか、女の人はそうならざるを得ないことが多いと思うんですよね。

二階堂:ええ、ええ、そうですね。

人に話しかけられてもまったく聞こえないくらい集中できるというのは羨ましい。

二階堂:とは言っても家族からはそういうふうに見えるかもしれないんですが……全然まだまだ勝手なことやってるように見えてるかもしれないんですけど、自分としては精一杯、他の人のペースで生きてるような気持ちなんですけどね。
 実家に帰って、僧侶としての生活をフィーチャーして来られる方は多いですけど、私としては家族の中で揉まれることがいちばん大変で。甥っ子や姪っ子も近所にいて、いまでこそ大きくなりましたけど、10年前は学校から帰るとむしゃぶりついてくるんですよ。いくら部屋にこもって作業なんかしてても。そのとき、それを差し置いてでも、私にはしたいことがあるんだろうか、この人たちのこのかけがえのない時間に遊んであげたいと思えてしまう。おばあちゃんに対してもそうなんですよね。それを差し置いてでもしなくちゃならない作曲だとか、ブログを書くことにしてもそうですけど、そういうことがあるんだろうか? と。そのイベントには私じゃなくても代わりがいそうだけど、おばあちゃんには代わりがいない、というような秤にかけるような感じで。でもそれも“欲”なんですよね、自分の。それで喜んでもらいたいという欲望、自分も役に立ってると思いたいという欲望。だから必ずしも肯定できない。でもそうやってバランスをとるというのも自分には必要な試練だったというか、とても厄介なことだったんです。お寺の仕事と音楽を両立することは、「大変だけどそれはそれ」と思えたけれど、家族との生活、というのは葛藤だらけでした。

お坊さんの仕事も“仕事”ということでしょうかね。

二階堂:うーん。もっと家事に近いですね。お花を活けたり、掃除をしたり、お客さんの相手をしたり。

お寺をキープすること。

二階堂:ええ、それこそおばさんたちが玄関先で長い話をしていくんですよね。私が時間に追われている時に、ほんとにどうでもいい話をゆっくりとされるんですよ。そういうのもむげにも出来ない。できれば、自分の美学としてなるべく忙しいそぶりをみせたくない。でもそうやって、パソコンさえ広げなければどうにか成り立っている時間の流れに、パソコン開いたらもうひとり分、みたいな。でも家族にはパソコンの向こうは見えないから……。だから味方が欲しいなあとずっと思ってた。

それで結婚?

二階堂:それもありますね。味方になってるかどうかはわかりませんが(笑)。若い人が家の中にいるというだけで嬉しい。

え、若いんですか?

二階堂:いえ、私よりだいぶん上ですけど、でも机を運ぶ時に手伝ってもらったり、スイカを持って行ってもらったりとか。そういう時に頼める若手が欲しかったんです。家の中には私以外は年寄りだけなので、机を運ぶとき、あ、反対側がいない……という状態なんで(笑)。

ははは。まさに高齢化ニッポンの縮図(笑)。でも、もともと東京より地元の方が好きだったんですよね?

二階堂:うーん、どうなんですかねー。もちろんいまは東京に戻りたいとは全然思ってないですけど……

若い時には自分探しとか居場所探しをするものですけど、二階堂さんの場合は「選べなかった」というところがあるわけですね。

二階堂:そういうことは考えないようにしたと思うんですけど、そりゃあツアーでアメリカに行ったり、スコットランドに行ったりして、いいなあ、そういうところにぽーんと行けたらいいなあと、何度か思うことはありましたけどね。スペインとか、そこで芸術をやっている友だちと何日か暮らしたりしてたら、そういうところで暮らせたらいいなあとか思いますけど、またひがみですよね。「家捨てちゃおかなあ」って本気で思ったこともありましたけどね、でもそれは現実的に性分として出来ない。うっとうしいとか言いながらも、家族を断ち切る勇気なんて全然ないので、結局は家にいることを選んで、そこから出来ることを作って行くということでしたね。

兄弟の少ない家族で大事にされて自由に育ちながら、大人になってみたら家族にいろんな形で縛られざるを得ないというのは、いまの日本社会ではけっこう多いと思うけれど、昔の家族主義時代とは違って、この人生の前半と後半を自分の中でつなげて行くことはけっこう難題になるんじゃないかと思うんですよね。ことに”後半”が早く来た場合には。そういうふうに考えると、『にじみ』には、“いろいろあってしまう”人生を前にした時に頭の中をひっくり返されるような発想があちこちにあるんですよねえ。

二階堂:それは仏教の話を聞かされている感覚なのかもしれないですね。普通に俗世間に暮らしていて、たまに仏教の話を聞いたらひっくり返されて行くというか。たぶん私はひっくり返したいなと思っているんだと思います。自分が仏教の話を聞いた時に気持ちいいんです。「お前はなにがしでもないよ」とか「わたしらにはどうすることもできない」とか言われたりすると、ちょっとすうっとする感じ。お寺に話を聞きにくる方ってお年寄りがほとんどなんですけど、布教師の先生にコテンパンにやられても笑ってるんですよね。例えば「あんたがた、お嫁さんの悪口ばっかり言っとるけど、自分のことは一個も反省せん。自分の物差しだけで考えるから」みたいな、そういうことを言われて笑顔になってるおばちゃんたちと、私の歌を聴いて笑顔になってる人の顔が似てるんですよね。

そういうふうにひっくり返されることで、ある部分、すごく楽になるんですよ。でも一方で、これで楽になっていいのか、という気持ちもある(笑)。

二階堂:(笑)楽になり方が問題なんですね。

だらしなくなるのではなくて……

二階堂:ええ、あくまでも自戒の気持ちというのは持ち続けるものだと思うんですよ。例えば浄土真宗の場合は肉も魚も食っていい、妻帯もいいんですけど、それはそういうことを止めることが出来ない自分の浅ましさを受け入れなければいけないということなんです。逆に「私は肉も魚も食べません、だからきれいなんです」と思う気持ちの方が悪いということなんです。人を蔑んでしまうでしょ?自分のダメさを分かることで低いところにいられる、そのことが強いということなんです。

ああ。背伸びしてるよりは転びにくそうですね。

二階堂:そうなんです。そういう発想を持っとく方が楽というか。人を責めてなんとかするよりは……。

だからメッセージソングではないのに、なにかそういうものがあるような作り方になるんですね。

二階堂:そうだと思います。そうは言ってもすぐ”ちくしょう”とか思うわけですよ。全然ちゃんとなれないんで、「なれない」ということを受け入れて行くしかないんですね。

けっこうよく怒るそうですね。テレビ見ながらとか……

二階堂:そうなんですよ。すぐ怒る。

そういうのは仏教的にはどうなんですか?

二階堂:怒らずにはいられないのが私たち、ということですね。

仏教徒も闘う時には闘うもんね。

二階堂:ええ。だから生きている間には悟りは得られない、というのが浄土真宗の考え方なんです。禅宗のお坊さんはまた考え方が違うとは思うんですけど。

そういうようなことを音楽に意識的に託したい、と?

二階堂:そうですね。若い人はお寺においでと言われてもたぶん来ないから、私の歌で少しでもそういうことを伝えられたらいいなと思いますね。私は一仏教徒なんです。伝道者である前に。だから自分で言ったこととかコラムに書いたことについて、「これって仏教的にどうなん?」なんて照合したりしてる。で、「これって結末が仏教的にちがうかも」とかね(笑)。

えー。まだまだだなとか? 俗っぽいぞ、と?

二階堂:ええ(笑)。いや、俗っぽくていいんですけどね。歌を出すときも、そこに仏教的解釈が一つ欲しい。“女はつらいよ”だったら”同じ過ち繰り返す”とか、「いつのまにやら現在でした」なら”気づいたような気になってそれも案外まとはずれ”とか。

ああ、そこがねえ! そのフレーズが頭の中で回っちゃうんですよ、私。

二階堂:え?

いや、私、毎日「気づいてる」からなあ。毎日、新たに「気づいた」と思ってる。

二階堂:あはは。そうなんですよ。ありがとうございます。聞いてる人の生活のワンシーンワンシーンで、一節一節が来るような、そんな歌が作りたいんです。例えば「暇なら来てね」という時に「お暇なら来てよね」というフレーズが出てくるというような……

なるほどー。「暇なら来てね」というフレーズはたしかに、あのフレーズなしには思い浮かべられないかも。気持ちよいフレーズということですね。

二階堂:そうそう。晴れた空をみたら「はーれたそらー」って浮かぶとか。そういうのが作りたいなーと。そういうことを田舎の片隅で、売れるとか売れないということとは関係なくやっていたら、高畑監督の耳にとまって、「いまのすべては過去のすべて」というフレーズがたくさんの人に届く機会が生まれた。そしていろんな人の今や過去に届く可能性が増えた。

ええ、最後になりましたが、ジブリから話が来た時にはどうでしたか?

二階堂:(笑)あー、いや、いよいよ来たか! って。

いやまったくそうですよね(笑)。

二階堂:ずっと「なんちゃって」で言ってたことが実現してしまったんですけどね。届くところに届いたという気持ちがしています。映画とともにあの歌を聴いてもらって。

『かぐや姫』の話はどのように思いますか?

二階堂:監督もおっしゃるように、月に帰るというのはまさに死だなと。命がふっとわいてきて、年齢とは関係なく突然断たれる、若い方が先に逝っちゃうというのも、皇子たちが次々に寄ってくる、欲深かったり嘘を塗りこめて自分を良く見せようとすると言うのも仏教の法話のようだし、姫が自分の存在についていろいろ葛藤するのも仏教的だと思います。これはもう作るべき方向、見ている方向は完全に一致してるぞと。『にじみ』をあれだけ聞いてくださった方なので信頼してだいじょうぶ、「まかせてください!」という感じでしたね。

『にじみ』での“メッセージ”がさらに深まる契機担ったという感じですね。二階堂さんの暮らしと、その中から歌になる生と死がどんなふうにつながっているのか分かった気がします。今日はありがとうございました。

彼らが“外”に行く理由 - ele-king

 リゾートではなく、他者としての海外に向き合うようなマジメな渡航体験がどのくらいあるのかわからないけれども、国外をツアーしてまわるアーティストたちの言葉にはやっぱりリアリティとしてのそれがある。「海外ツアーに出るアーティスト」なんていうと、大きな資本によって座組みされた存在であるような印象を持つかもしれないが、今回登場してもらうふたりが活躍するのはインディ・シーンであり、彼らは自身でレーベルやプロモーターとコンタクトを取り、音を介して生まれた互いへの純粋なリスペクトと信頼のもとに、ビジネスというにはあまりに有機的なつながりをたどって海外へと出かけていく人々だ。ポスト・インターネット的な環境において、こうしたことはやろうと思えばそう難しいことではないのだが、同じ環境のもとに、あまりそうしなくてもよい状況――海外の音も国内の音も即時的に同軸でキャッチすることのできる状況――が広がってもいるわけで、彼らのような存在は全体から見ればごく少数にとどまっている。そんなことにコストをかける必要なんてあるんだろうか? と感じるのは筆者ばかりではあるまい。
 だが、「ネットがあればいいじゃない」というのが確実にひとつの真理をえぐる態度だと思いつつも、その理屈によっておのれの自己完結型の出不精に窮屈なエクスキューズを与えがちな筆者は、彼らの体験がとても気になってしまう。コストをかけて外に出ていく理由が、はたして本当に自分に関係ないことなのか?

 個人的な話にかけてすみません。そもそもこの企画は、2000年代を通じてUSアンダーグラウンドのエキサイティングな震源地でありつづけたLAについて、かの地にゆかりの深いアーティストたちから話をきいてみようというものだったのだが、両者の言葉からは、「現地の注目ライヴ・スポット」「知られざるレコード・ショップ」「レーベルと人脈図」などなどといったトピックがつまらなく感じられるようななにか、そこが何を許し、どのように人々を生かしている場所なのかという、より深部にあるリアルを垣間見るような気がした。彼らも住民ではないから、旅行者としての視線も多分に混じっていることだろうけれども、だとすればなおさらわれわれがLAに聴きとるべきことのヒントが含まれているはずだ。

 それからもうひとつ、ちょっと話が飛ぶけれど、アナログ・メディアをめぐる――というよりも「物(モノ)」をめぐる――観念・認識にも新しいひらめきとショックを感じた。それがどんなものかは、まあ以下の対談をご覧いただきたい。アナログ・リリースが有効な方法として定着しきった現在でも、カッコだけのアナログ志向には多少辟易するけれど、そんなことは大した問題ではなかった。彼らの話をきいて、それさえももしかしたらとても大切なものかもしれないと思う。「聴くことがすべて、メディアなど問題ではない」とうそぶいていた時代がわたしにもありました……。
 ともあれ、お読みいただきたい。

■Sapphire Slows(サファイア・スロウズ)
広島出身、東京在住の若き女性プロデューサー。2011年に東京の〈Big Love Records〉から7インチ「Melt」でデビュー。つづいてロサンゼルスの〈Not Not Fun Records〉から「True Breath」をリリース。海外メディアからも注目された。その後複数のシングル・リリースを経て、2013年にはファースト・フル『アレゴリア』を発表。洋・邦を問わず、インディ・シーンのホットな場所でDIYに活動するスタイルに、Jesse Ruinsらと共通する時代性や存在感がある。

Sapphire Slows / Allegoria
(BIG LOVE/Not Not Fun)

Tower HMV Amazon

■倉本諒
カセット・レーベル〈crooked tapes〉代表、イラストレーター兼スクリーン印刷屋、Dreampusherとしての音楽活動に加え、執筆活動も行うなどマルチな才能を持った放浪家。ele-kingにも多数の記事を残している。とくにLAとのつながりが深く、アーティスト/ライター両者の視点を持ったレポートとアーティスト紹介にはつねに鮮度と強度がある。2013年12月より、自身の海外放浪体験をつづる連載「スティル・ドリフティング」がスタートしている。

レコ屋からつながったLAアンダーグラウンド

サファイア・スロウズさん(以下SS)は、〈ノット・ノット・ファン〉(以下〈NNF〉)にご自身の音源を送ったことがきっかけでリリースやツアーなどの活動に結びついていったわけですよね。そもそもどうして〈NNF〉だったんでしょう?

SS:最初は〈NNF〉か〈オールド・イングリッシュ・スペリング・ビー(Olde English Spelling Bee)〉か、迷ったんですよ。西の〈NNF〉と東の〈OESB〉みたいな感じで両方すごい実験的でかっこよかったから。でもなんとなくLAのほうがアーティストたちの顔が見える感じがしたというか。アマンダ(・ブラウン)とかね。あと、いろんな国の人の作品をポンとリリースしていたりして偏見とかがないと思ったから。よくよく調べれば、リリースしているのがみんな友だちだったりはするんだけど。

倉本:〈OESB〉の場合は、ある程度は匿名性を意識していると思うけどね。

そうですね。でも〈NNF〉とかって、「顔が見えて偏見もなさそうだから決めちゃえ」というにはあまりに個性があるというか。相性も含めて何かそこにたどり着くまでの順序や研究があったんじゃないかと思うんですが、どうですか?

SS:わたしが自分の音源を送ったときは、もう〈100%シルク〉(以下〈シルク〉)がはじまっていたんですよ。アイタル(『Ital's Theme』SILK-001)とザ・ディープ(『Muddy Tracks』SILK-002)もリリースされていて、それも大きかったかも。アイタルのダニエルはブラック・アイズ(Black Eyes)、ミ・アミ(Mi Ami)のハードコアからセックス・ワーカー(Sex Worker)のドローンを経てアイタルに至っていて、ザ・ディープはダブ/レゲエ。両方普通のハウスなんかじゃなかったんだよね。めちゃくちゃいいなと思ったし、この感じ、このモードだって。そんなふうに思うものって、そのときは他になかった。

なるほど。〈100%シルク〉って、2000年代のUSインディ・ロックが培ってきたノイズとかアンビエントとかダブみたいなものが、ハウスやディスコに重なっていった場所だと思うんですが、SSさんはそのダンス・ミュージック的な部分が混じるところに反応された感じでしょうか。

SS:べつにハウスとかテクノとかが好きというわけでもないし、インディ・ロックが好きなわけでもなくて、ジャンルとかに分けられない感じがぴったりきたんです。ハウスだったりって名づけるのがアホらしいような、まだ誰にも形容されていないようなもの。……〈シルク〉は結局ハウスになっちゃったけど、最初の頃はそうでもなかったから。

たしかにはじめはもっと混沌としてましたよね。

SS:だから「ダンスっぽいところに惹かれたのか」と訊かれればそうとも言えるし、そうでもない部分もあります。

倉本:そこはこだわってるよね、前から。ジャンルレスっていうようなところ。

SS:単に自分に知識がないからっていうこともあると思うんだけどね。ルーツが何かって訊かれたときに、何かに特化して聴いてきたわけじゃないから、うまく答えられない。最近は「ルーツがあるのが当たり前」みたいな考え方自体、古い世代の価値観なんじゃないかと思う。他の子たちがどうなのかはわからないけど、わたしとかわたしより下の、新しい世代の音楽の聴き方ってたぶん違うんだよ。少なくとも自分には過去にさかのぼってのわかりやすいルーツとかヒーローみたいなのはない。いまかっこいいかどうか、それだけ。

倉本:たぶん文脈でディグっていったりしないんだよね?

SS:そうだね。レコード屋で買っていると、「最近このレーベルのよく入ってるな」って気づくじゃないですか。そこで初めてレーベル名を意識して、調べてみて、過去にリリースされている音源も聴くという感じです。

あ、レコ屋をチェックするレディだったんですね。それならよくわかります。では〈BIG LOVE〉さんとか〈JETSET〉さんとかはわりと初めから馴染みの空間だったというか。

SS:うん。あと、いまはなき〈warszawa〉さんとか。だから、バイヤーさんの傾向にもろに影響を受けている面もあるかもしれません。

西の〈NNF〉と東の〈OESB〉みたいな感じで両方すごい実験的でかっこよかったから。でもなんとなくLAのほうがアーティストたちの顔が見える感じがしたというか。(Sapphire Slows)

うんうん。そう考えると、レコ屋の果たす役割はまだ大きいですね。フェイス商品なんかがとても具体的に入口になりますよね。

SS:わたしの場合、ネットだけじゃたどりつかなかったかも(笑)。

ネットショップの「おすすめ機能」に感心することもあるんですけど、あの機能が選択肢を増やす一方で、バイヤーさんとか店頭って選択肢を絞ってくれるものですよね。
 さて、レコ屋文化というところでは倉本さんともつながってきます。

倉本:オレがレコ屋で働いてたってだけでしょ!

うん。

倉本:いや、まあ、オレも結局はかなりの部分をネットでディグるんだけど、ネットの情報だけから得るものって実のところはそれほどリアルでもなくて。たとえばヴァイナルを一枚出すとするよね。それってそれなりに大変な作業でさ。お金もかかるし、リスクもあるし、そこまで儲けがある商売じゃないし。だから、ヴァイナルでいくつか出してるってこと自体が、こいつらは本気でやってるなっていうひとつの指標になるわけじゃない? もちろんインスタントな音源をウェブで共有ファイルにするっていうのも新しいムーヴメントだしおもしろいと思うけど、モノを作るっていうのはやっぱりひとつの「本気」なんだよね。
 オレがいいと感じるレーベルにはそれがあって、だからその意味では彼女が言うように必ずしもジャンルに因る興味ではないかな。もちろんジャンルもあるんだけどね。いまはジャンルとレーベルが1:1で結びついているわけじゃないし、音楽的にはバラバラだけど、何かしら世界観を共有している……そういう点でちゃんと人格を持ったレーベルが好きですね。

SS:「人格」っていう喩えはほんとにそのとおりだと思う。なんとなく「この人好き」っていうのと「この人嫌い」っていうのとがあって、嫌いな人とはつき合えない。そういう感覚がレーベルに対してもあるし、実際に中にいるアーティストとコミュニケーションをとってもそう感じていると思います。


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LA放浪記・エピソード0

倉本さんはなんでそもそも〈NNF〉だったんです? すごく人脈があるし、もはや半分LAの住人みたいな感じでもありますけど、音楽から考えるとそれほど共通項が見えない。

SS:うん、わたしもそれ知りたい。謎だった。

倉本:いや、オレ言ってなかったかなあ?

SS:訊いたかもしれないけど、たぶんその答えに「なるほどー」ってならなかったんだと思う。

はははは!

倉本:倉本:ああ、そっか。ほんと「そもそも」からの話になるんだけど、ロサンゼルスに〈ハイドラ・ヘッド・レコーズ〉っていうハードコアとかメタルから派生したオルタナティヴ・ミュージックをリリースしているインディ・レーベルがあるんだよね。もともとはボストンからはじまったんだけど、事務所をロスに構えてからはずっとそこで運営してるの。社長がアイシスのフロントマンなんかやってたアーロン・ターナーって人なんだけど。

うん。アイシスね。そんなところからはじまるんだ!

倉本:そう。で、アーロンがイラストレーター/グラフィック・デザイナーということもあって、自分たちで全部アートワークとパッケージもやってるんだよね。……それが、毎回すごいゴージャスで。デザインも印刷もヴァイナルのカラーとかも、全部凝りに凝ってる。00年くらいからヴァイナルの需要がグンと来たのって、そういうフェティッシュなマーケットができたからだと思うんだよね。だって、音はデータでゲットできるからさ。

SS:ただでさえ儲からないものにカネをかけるわけじゃないですか。だからそれ自体がPRというか、欲しくなるものかどうかっていうのが重要だと思う。

そうですよね。「フェティッシュなマーケット」って、音楽の話をする上で切り捨てがちな、けどじつは本質的なトピックだよね。それで、そこから〈ハイドラ・ヘッド〉に倉本さんが絡んでくるの?

倉本:そう。話を戻すと、オレはそこにバイトさせてくれって行ったの。アーロンはアイシスで日本にはちょこちょこ来日してて、オレは彼の仕事の大ファンだったから作品とかをトレードしたりして交流をはじめたのだけど、ああいう日本ではあり得ないクリエイティヴなレーベルの仕事現場を見てみたかった。だから「ちょっとLAに住んでみたいから、雑用で雇ってよ」って言ってみたら「いいよ、いいよ」って言うもんだからさ。

へえ。

倉本:だからオレほんとに行ったんだよ。

SS:それがおかしいよ。

ははっ、持ち前のドリフター癖が出たと。もしかして、それが初めての漂流なの?

倉本:そうそう。いや、ほんと軽いノリで「いいよ」って言うからさ。じゃあってことでマジで行ったんだよ。そしたら「誰だお前」ってなって(笑)。

(一同笑)

ベタ(笑)。

SS:そうなるわ(笑)。

「ちょっとLAに住んでみたいから、雑用で雇ってよ」って言ってみたら「いいよ、いいよ」って言うもんだからさ。マジで行ったら「誰だお前」ってなって(笑)。(倉本)

倉本:いやいや、ちゃんとアーロンには前もって連絡して他のスタッフのコンタクトをもらってたの。彼はすでにシアトルに引っ越してて事務所にはいなかったから。で、一応そのスタッフにメールはしてたんだけど、オレが行く一週間前にクビになってて(笑)。だから誰もそのことを知らなかった。んで焦って「これこれこういうわけで、オレは雇ってもらうことになってるんです」って事務所で事情を説明したの。そしたら「ちょっとアーロンに電話で確認してくる」って言われて、待たされて。アーロン的にも、いいとは言ったけど本当に来るとは思わなかったみたいなんだよね。電話ごしに「マジで来たのかよ!」って(笑)。……でも、本当にいい連中でさ。ちゃんと雇ってくれたんだよね。だからオレは週3くらいで働きに行った。

SS:それがすごいところだよね。日本だったらそんなの拒否されると思う。

倉本:そうかもね。まあ、そんなわけでロスでレーベルの雑用みたいなことをやりつつの貧乏暮らしがスタートしたんだよね。

すごいな、隣の県とかじゃないんだからさ……。でもまだまだ〈NNF〉まで距離があるね?

倉本:そうでもないと思うよ。オレと〈NNF〉のブリットなんか、蓄積してきた音楽的背景はすごい共有してる。ちょうどその頃からオレも〈NNF〉や〈ウッジスト(Woodsist)〉、〈ナイト・ピープル(Night People)〉なんかを通してUSの新たなサイケデリック・ムーヴメントにのめり込みはじめていたし。ドローン/パワー・アンビエントとかオブスキュア・ブラックメタル、ドゥームやスラッジなんかのシリアスな音楽にも魅力を感じているけれども、自分はもうちょっとフットワークが軽いつもりだったから。だから実験音楽的だけどクラシカルじゃないもの、エクスペリメンタルだけどもっとバカバカしいもの、それでいて、バックグラウンドにパンクとかハードコアとかがあって、粗くてロウで、っていうもの。もちろん基本はサイケで……そういうものにハマりはじめてたかな。だから僕のなかで〈NNF〉は全然延長線上だった。

なるほど。ドゥームとかドローンっていうのはわかるんですけどね。ハードコア(・パンク)からの〈NNF〉っていうのがちょっと意外でもあって。でもサイケが媒介だとすればとても腑に落ちる。

倉本:それに、パッケージ的にも当時の彼らってすごくおもしろかったよ。超D.I.Y.だし、まさにパンクだよ。普通のレーベルではあり得ない作り方をしてたから。本当に、あの夫婦(レーベル主宰のアマンダ・ブラウンとブリット・ブラウン夫妻)が好きなものを出していたよね。わけのわからない、ゴミみたいなものを(笑)。

SS:カセットばっかりだったよね、最初のころは。

倉本:そうそう、ヴァイナルもあったんだけどね。なんか、ラインストーンとかがわざわざ付いていたよね。クオリティもけっして高くはないんだけど、やっぱりすごく愛嬌があるし、センスがいいから、おもしろいなと思ってた。バンドもそう。サン・アローにしても、当時まだブレイクするかどうかっていうところで。

SS:いまはすっかり有名だもんね。

倉本:うん。それで、ロスに暮らしはじめて、〈NNF〉の連中も近くのギャラリーでライヴをやっていたから、夜な夜な、カネがないながらも遊んでたんだよね。そんななかでつながりが生まれたかな。彼らが僕を受け入れてくれた理由のひとつは、〈ハイドラ・ヘッド〉で働いているということもあったと思う。やっぱり当時有名だったし、みんな聴いてたからね。「ああ、〈ハイドラ・ヘッド〉で働いてるんだー?」みたいな。


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そこが受け入れてくれるもの

なるほどね。なんか、リアルにわかりました。アイシスと〈NNF〉なんて完全に別軸で捉えてるからさ。いっしょとは言わないけど、すぐ近くにあるものなんだっていう生々しい地図が描けた。
しかし、おふたりでは入口がぜんぜん違いますね。

倉本:共通するとすれば、彼らはすごくオープンなんだってことだよね。

SS:入口は違うけど、最終的にはいっしょだから。ぜんぜん違うところから入ってきて、同じファミリーとして受け入れられている感じ。うちらは日本にいるけれど、なんとなくファミリーっぽいよね?

倉本:まあ、とにかくオープン。

SS:でも、誰でもオッケーってわけじゃないと思う。見た目は違っても、どこかで合うところがあったんだと思うな。

倉本:いまでこそすごくたくさんデモが送られてくるだろうから、取捨選択ももうちょっとシビアかもしれないけど……。好奇心が生まれればどこから来た連中であれ受け入れてくれるよね。それはべつに彼らに限らず、ロスのローカルではわりと普通のことかもしれないけどね。頭おかしいよね、〈ハイドラ・ヘッド〉にしても。粋だなって。〈NNF〉や〈ハイドラ・ヘッド〉に出会わなかったらいまの環境もないわけだし、彼らにはいつも感謝してるよ。

SS:あははは。そういえば、その最初の出会いは聞いたことがあった。けど、やっぱり「そんなことあるわけない」って思ったんだと思うの。だから忘れてた(笑)。

倉本:いやいやいや、本当なんですよ。

SS:それで、ブリットには自分のテープを渡したんだよね? それはすごい強いよね。自分で作ったカセットをポンと渡されると、何より説得力があると思うんだ。

倉本:そうそう、それで、こっちのテープとかシルクで刷ったジンとかポスター渡して、「じゃあレコードちょうだいよ」って言ってトレードするの。

トレードって素晴らしいですよね。〈NNF〉って、レーベル自体はもう10年近くにも及ぶ活動をつづけているわけですが、時代の最前線に躍り出るのはここ数年のことですよね。倉本さんはその前のタイミングでファミリーに迎え入れられたの?

倉本:そうだね。でもまあ、ファミリーって感覚はないけど。いってもそこは人間同士だから、仲違いもあればいろいろだよ。

SS:倉本さんはそういうところ詳しいよね。

ははは! ゴシップ屋なんだ。

倉本:オレはね、そういうの好きなの。

おばちゃんだなあ。サファイアさんは、わりとそのへんはボーっとしてる?

SS:そうですねー。まったくわかんない。

倉本:でもね、いっしょに住んでるとそういうあたりはいろいろ気を遣うからさ。

SS:ああ、そうかー。それは敏感になるよね。

倉本:超めんどくさいなっていうこともあるよ。

なるほどね。そう考えると、生活ぐるみというか、レーベルにしてはけっこう密な関係ですね。サークルっぽい?

SS:いっしょに住みたいとは思わないな。住むとこなかったらそんなこと言ってられないけど。

倉本:オレは日本であんまりコミュニティに属してたっていうことがないんだよね。だから生活ぐるみな環境に憧れていたのもあるよ。いろいろやっててもなんか違うというか。受け入れられている感じがなかった。まあ大半は自分が悪いからなんだけど。パンクなりハードコア・バンドなりをやっていても、なんか違うというか。受け入れられている感じがなかった。もちろん、個人としての関係からのフィードバックは感じてたよ? でもどんな環境でも俯瞰で見ちゃう冷ややかな自分がいる。それでも、ロスへ行ったときほど受け入れられていると感じたことはなかったからなあ。生活とクリエイティヴが分離してないから。

あー。そこは、すごく訊きたかった。日本の外でやる理由。それから〈NNF〉型の音楽コミュニティについて。

それでも、ロスへ行ったときほど受け入れられていると感じたことはなかったからなあ。生活とクリエイティヴが分離してないから。(倉本)

サファイアさんは以前に弊誌でLAレポートを書いてくださいましたよね(https://www.ele-king.net/columns/002198/)。すごくいい記録を残してくださったんですが、あの紀行文のなかでもっともエモーショナルなシーンが、帰国を前に「帰りたくない」ってなるところです――

SS:あれは、あれが初めてだったから。あの時期はすごくいろいろなものが変わっていって、すごくテンパってたときでもあったから、とてもハイになっていて。行く前もすごく混乱していたし。

うんうん、そういう感じがとってもよく伝わってくる、みずみずしくて素敵なレポートでした。

SS:それに、あのときはまだ英語が話せなくて。

ええっ? そうなんですか。けっこう会話のシーンもありましたし、ツアーってしゃべれなきゃ無理かと思ってました。

SS:いや、多分しゃべれてはなくて、かろうじて聞き取れたところをしっかり覚えてたって感じかな。そのくらい印象的なことが多かったから。それでも理解できたのって実際話されてたことの3分の1以下とかだと思う……もったいないよね。まあ、ツアー中はとにかく夢中で頭が真っ白だったから、帰国したら以外とコミュニケーションとれてたのかな? っていうくらい。

へえー。

SS:でも、ぜんぜんしゃべれないから、「君はしゃべらない子なんだね」って言われた。すごくおとなしい静かな子だと思われたの。メールとかだと英語ばっちりだったから、当然できるものだと思われてたみたい。

そうなんですね……。でもあの文章のなかで書かれていたのは、音楽のコミュニティがあって、仲間がいて、それがそのままレーベルになっているっていう一種の純粋さへの感動だと思ったんですね。

倉本:オレはひねくれてるからさ。そういうふうにあんまり「仲間」とは言いたくないんだけどね。

ははは、ツンデレごちそうさまです。いや、でも、その意味もよくわかるんですよ。

倉本:うん。でしょ? だけど、彼女みたいなやり方をしていたり、オレみたいなやり方をしているやつが、べつに特別じゃないって思えたんだよね。

SS:そう! そうだね。

倉本:普通じゃん? みたいなね。

SS:特別扱いしないし。

倉本:彼女のやっていることもオレがやっていることも、普通。生活として見ているっていうかね。

ああー、生活。

SS:同じ高さで受け入れてくれて。それがナチュラルだと思うんだけど、日本でそうじゃなかったのはなぜなのかなって考えた。

それは、自分のまわりになかっただけで、日本でも探せばありそうってことですか? それともあの場所だからこそのもの?

SS:それ、いろんな人に言うの。日本にそんな場所はないよって。でもひとつ行き着いた結論は、日本が単純に狭いっていうこと。

ああー、面積としてね。アメリカはやはり一にも二にもあの広大な国土や人口、人種の多さっていう点で、日本とはあまりに条件が違いますよね。

SS:こんなに似た人がいっぱいいる! って思うけど、分母が違うし。〈NNF〉みたいにアンダーグラウンドな人たちとかじゃない、もっと普通の人が多数であることは間違いないと思うから、そういう部分が見えなかっただけなのかもしれないです。
 わたしカリフォルニアしか知らないけど、もっと保守的なところは保守的なんだろうなって。日本はずっとちっちゃいなかにシーンがあってすごいと思う。

彼女みたいなやり方をしていたり、オレみたいなやり方をしているやつが、べつに特別じゃないって思えたんだよね。(倉本)

同じ高さで受け入れてくれて。それがナチュラルだと思うんだけど、日本でそうじゃなかったのはなぜなのかなって考えた。(Sapphire Slows)

倉本:ロスに限って言えば、何かしらから逃げてる人が多いかな。

SS:そういう言い方はネガティヴだよ。

倉本:いや、でもネガティヴってだけでもなくて、それも含めてやっぱりロスは夢を求めてやってくる街なんじゃないかな。

なるほど。逃げるっていうのが、必ずしも「ルーザー」としてじゃなくて。

倉本:うん、そうじゃなくてね。ただ、そういう文化を育む場所として、アメリカがどうで日本がどうでっていう比較は、オレはちょっとできないなって思う。日本には日本のカルチャーの歴史があって、それはリスペクトしてるからさ。そこで自分がやっていけるかというと別問題だけど、その重さは感じているし、ロスと比較していいとか悪いってことを判断できないな。

そうだね。なるほどね。

倉本:僕も彼女もどうなるかわからないけど、ずっと続けられたらこっちのカルチャーともまた違うものになっていくのかもしれないし。

SS:ずーっと続けてたら、この時期のものをこういうカルチャーだったんだっていうふうに見直すことができるかもしれないけど、まだわからない。

倉本:これから何年もして、サファイア・スロウズに影響を受けて、音楽を作ったりDJをしたりするっていう女の子が出てきたりしたら、また環境は変わるかもしれないよね。

SS:わたしは、いい時代だと思う。

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インディ・カルチャーって、そういうこと。

ところで先ほどのお話のように、アメリカはいろんな点で非常に大きいわけで、シーンといっても多層的ですし、マーケットも一様ではないですよね。「ピッチフォーク」とか「タイニー・ミックス・テープス」のようなメディアに接しているかぎりでは、そうしたLAアンダーグラウンドってすごく大きな話題を提供しているように見えるんですが、実際のところどんなものなんでしょう?

倉本:いや、大したことないよね。

SS:たしかにね。

倉本:ただ、爆発的に売れたバンドはいくつかはいるんだよね。ピーキング・ライツとかはすごい売れたんじゃない? わりと若い子がみんな聴いてる、みたいなさ。

ピーキング・ライツみたいなものが――いや、わたしはもちろん好きなんだけど――爆発的に売れるっていうのは、すごいよね。いいことじゃない?

SS:どうかなあ……、そんなに売れたの?

倉本:いや、ピーキング・ライツはね、売れたよ。

SS:〈NNF〉史上もっとも(売れた)ってことじゃなくて?

倉本:それもそうだし、やってるハコなんかを見てもすごいんだよ。

SS:それは、いいことだよね。

じゃあさ、〈ヒッポス・イン・タンクス〉でもいいし〈メキシカン・サマー〉でも〈ソフトウェア〉でも〈キャプチャード・トラックス〉でも〈アンダーウォーターピープル〉でも何でもいいんだけど、「TMT」なり「ピッチフォーク」なりが喧伝する新興の小規模なインディって、ちゃんと局地的な評価だけじゃなくて、文化全般にインパクトを与えてるんだ?

倉本:うーん、難しいな。でも一部が盛り上がってますって話ではないよ、確実に。どっちかといえばメディアの構造の問題かな。日本と比較すると。いま言ったメディアは確実な影響力は持っているけれども、リアリティがあるわけじゃないから。

ああ、なるほどね。

SS:なんか、むしろ世界的には評価されてるけど、ロサンゼルスのなかでは変なレーベルだと思われてるって、アマンダがインタヴューで答えてた気がする。それはすごいわかるな。情報と、実際の地元での感じ方って違うと思う。

倉本:そうだね。なんだろう、アメリカのインディ・ミュージックって超オーヴァーグラウンドと超アンダーグラウンドっていう二極だけじゃなくて、その間のグレーな部分がすごく広いんだよね。そこに細かいマーケットもいっぱいある。レコ屋同士のネットワークとか、ディストリビューター同士のネットワークとかももちろん、さっきのインターネットの音楽メディアとか。そこに多様な市場が成立してるってことが、たぶん唯一断言できる日本とアメリカのシーンの違いだね。

うん、うん。日本とUKなんかは、そのへんの構造は似てるのかも。

倉本:だから、いま挙がったレーベルなんかは、みんなそのグレーな領域にいるんだよね。かつその上でギリギリに食えてる。だから音楽メディアにしてもそのあたりの新しい動きはつねに求めてる、っていう。

SS:アメリカは、アンダーグラウンドはアンダーグラウンドでちゃんと支えるシステムができあがってる。ジャーナリストもパブリッシャーもそう。みんなそれで食べていかなくちゃいけないから、一生懸命アンダーグラウンドのものをプロモートするよね。だからすごくアングラな音楽とかでも、著作権料やら何やらが食えるだけ入ってきたりするの。それって、日本とかじゃありえないかも。そういうところはいいなって思うかな。

アメリカのインディ・ミュージックって超オーヴァーグラウンドと超アンダーグラウンドっていう二極だけじゃなくて、その間のグレーな部分がすごく広いんだよね。そこに細かいマーケットもいっぱいある。(倉本)

単純に真似のできない部分ですね。

SS:それぞれのアーティストも、ひとつだけじゃなくてたくさんのレーベルから出していたりするじゃないですか。各レーベルには各レーベルの性格とかファミリーがあるけど、アーティストはさらにそこにたくさんまたがっているから、それだけでものすごくストーリーがある。だから音楽が難しくっても、そういう人脈図とかストーリーがあることですごく理解しやすくなるのかもしれない。

ああ、たしかに外にいる人間のほうが、原理主義的に音で判断しようとして難しくとらえてしまうかもしれませんね。そう、わたし、倉本さんがいったい何で生活してるのかっていうのもいまひとつ謎なんだけどさ。倉本さんが言うような「LA的時間」――彼らにお願いしたら最後、ありえないほど時間かけてミックスしてくるとかね、そういう時間感覚がどうやったら生めるのかなって……

倉本:いや、それはただやつらがガンジャの吸いすぎっていうことだけどさ。

はは。まあまあ、そうかもしれないけどね、じゃあそんな彼らがどうしてそうやってゆったり生きていられるのかっていうところを知りたいんだよね。何で生活できてるの?

SS:それ、わたしも知りたい。

倉本:そんなのは人それぞれ。言えない事情も言える事情もあるだろうけれども。

SS:まあ、そうか。

そうなの? それは本当にただそれぞれに個別具体的な事情があるだけっていう、一般化できない種類のことなの? なんかさ、US的なシーンの構造を移植することが無理でも、シンセいじってタラタラっと生きていけるヒントみたいなものがあるんだったら参考にしたいじゃない。日本だと、どんなに余裕かましてるふうでも、どっかで必死にバイトしなきゃ生活できないでしょ。まあ、経済の仕組みの話になっちゃうかもしれないけど。

倉本:なんだろう、いろいろ思うんだけど、さっき彼女が言った小さいマーケットで経済が回るって話は、音楽に限らずサブカルチャー全般に対して言えることなんだよね。やっぱり教科書的な意味で歴史の浅い国だから、文化の長い蓄積がない。だから音楽でもアートでも何でも、そういう文化を穴埋めしようと人々が貪欲な気がする。もちろんクリスチャニティーとかもあるけど。ギャラリーにゴミみたいなもの並べといても、近所のおじいちゃんが入ってきたりするし、21時以降にゼロで爆音でライヴやったりもするし。まあ、近所の人が怒って怒鳴り込みにくる可能性はあるとしてもね。でもぜんぜん関係ない人が外から覗きにきたりとか、よくも悪くも緊張感がない。

なるほどね、やっぱ宅急便の到着がちょっと遅くてキレてるようじゃ、簡単にはいかないか。さて、そんな場所にね、おふたりともいままた向かおうとしているわけですが。晩秋に向けて、USツアー&大西洋放浪がはじまりますね。

倉本:話、とんだね! いいけどさ(笑)。

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旅の行程、2013秋

倉本:サファイア・スロウズのツアーはどんな感じなの? 誰と回るのかな。

SS:その都市によって違うんだけど、やっぱり〈NNF〉な感じ、〈シルク〉な感じだよ。あとはジャーナリズム系。まずトロントではザ・ディープ周辺が住んでるから、それ系の人たち。大きめのイヴェント会社がプロモートしてくれてる。モントリオールはEzlv。あとマリー・デヴィッドソンっていう女の子もいる。ダーティ・ビーチズの知り合い。ニューヨークはたまたま〈CMJ〉があるから、そこにかぶせて行くの。ニューヨークは最後までなかなか決まらなかったけど、友達のアーティストに訊きまくって、プロモーターとかにもメールしまくって、最終的にはけっこういっぱい入ったかな。〈デス・バイ・オーディオ〉でトーン・ホークとかとやるの。わたしルーク・ワイアット(トーン・ホーク)大好き。あとホワイト・ポピーもいる。〈ゴリラVSベア〉とか〈ユアーズ・トゥルーリー〉プレゼンツのイヴェントがあったりもする。そのあとボルチモア、フィラデルフィア。このへんはコ・ラと行くの。そのあとはコネチカットの大学。そこの生徒さんが呼んでくれて。

倉本:大学でやんの?

SS:うん。すごいリベラルな感じだよ? その後がメキシコ。メキシコはサファイア・スロウズをはじめたばっかりのときにミックスを作ってくれっていうレーベルがあって、その縁。ダメ元でメールを送ってみたら返事がきて。しっかり組んでくれたんだ。そこ、ちょっと前にディーン・ブラントとかモノポリー・チャイルド・スター・サーチャーズとかも喚んでて、わたしと音楽の趣味が似てそう。そういうアングラなアーティストをガンガン招いててさ、すごいよね。

飛び込みだったりするものなんですか?

SS:結局はレーベルのプロモート会社とか仲間のつながりかな。あとはアーティスト同士のリスペクトっていうか、「お前の音楽好きだから」みたいな関係。

あ、それは理想的というか、演る方もうれしいですよね。

SS:うん。楽しい。ビジネスにはならないけど、結局そういうのがいちばん気合入ってたりするから。ポスター作ってくれたり、デコレーションを気合い入れてやってくれたり。頼んでないのにいろいろやってくれる。仲良くなれるしね。

へえー。それは素敵ですね。ニューヨークだ、〈CMJ〉だ、ってなると、観ている側も腕組みしてそう。ショーケースとして値踏みされるというか。

SS:観てる人は批評家だったり。でも初めてだからそれも楽しみ。ぜんぜん違う雰囲気のところを回るから、わくわくしてますよ。それに、最後にロスなんですね。

ああ、最後にホームへと。

SS:そう。最後にホームだからリラックスできる。ちょうどその頃倉本さんもLAに戻ってくるしね。

倉本:いや、戻ってこれればいいんだけど。

ん?

SS:戻ってくればいいじゃん。

倉本:いや、片道しか買ってないんだよ、チケット。

ははっ、すごいね。転がる石のように。かっけー(笑)。

倉本:いや、じゃあオレの予定を説明すると、そういうのはないよ。毎回ないよ。目的とか。

そりゃ、片道切符じゃね(笑)。

倉本:そう。人の家転がって。それだけだよ。

会いたい人たちがいるし、その人たちと遊びやすい環境なんじゃないかな。何か特別にすることがなくても、集まっていたら楽しい。(Sapphire Slows)

でも、今回ヨーロッパが予定にあるのはなぜですか?

倉本:あんまり行ってなかったから。ヨーロッパにも好きなアーティストはいっぱいいるし、いままでコラボレーションとかアートワークとか、モノ作りの過程でコンタクトを取って仲良くなった連中もいっぱいいるからね。そういうやつらが実際何をどうやっているのかっていう現場も見たいし。

そこはさ、いざ行ってみたら「マジで来たの!?」みたいなことにはならないの?

倉本:まあでも、こんな変なことやってるやつらはたいていオープンだよ、そこは。東京でもそうだし、ヨーロッパでもどこでも。貧乏なクリエイター同士はそういうもんじゃないかなあ。

なるほどね、そういうなかではやっぱり、LAというのはひとつのホームではあるのかな。そこを最終的な目的地として行くわけだよね?

倉本:いや……。まあ、そこはメディカル・ウィードとかもあるけど(笑)。オレは西海岸が過ごしやすいってだけだから。

本当にツンだな。何しに行くの? 本当に、「今回はこれやって帰ってこよう」っていうような目的はないの?

倉本:いや、ピート・スワンソンをシバいてこようってのはあるよ。

SS:ははは!

ああ(笑)、来日させようと奔走してたもんね。

倉本:うん。まあ、それくらいだよ。他にシバきたいやつはとくにいないね(笑)。なんかある?

SS:わたしは一回しか行ったことがないからホームっていうのはないけど、前回行って出会った人たちに、もう一度会いにいきたい。でも、音楽的にはホームかもしれないね。

倉本:なんか、場所じゃないよね。オレも彼女もたまたまLAだったってだけだよ。仲良くなって気が合った連中がそこにいるっていうだけ。

SS:LAのビーチに行きたいとか、そういうのもない。

倉本:もちろんサイケデリックとか、スケートボードとか。あの周辺のカウンター・カルチャーの歴史には魅了されつづけているけど、いちばん大きいのは人だね。

SS:会いたい人たちがいるし、その人たちと遊びやすい環境なんじゃないかな。何か特別にすることがなくても、集まっていたら楽しい。スタジオも持ってたりするし、夜はクラブに出かけたりとか。

人っていうのは、今回キーになるお話ですね。

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物(モノ)をつくること・モノにやれること

さて、ではパッケージに寄せるフェティッシュな興味というところでもうひとつ訊きたいんですが。おふたりはべつにベタな懐古趣味でヴァイナルに向き合っているわけでもないですよね。

SS:メディアってことで言えば、アナログもCDも何でも、わたしにとってはどれも同じで――だって最初から全部あったものだから、どれが古いとか新しいとかあんまり感じない――、その中から何を選ぶかっていうだけなんですよね。年配の人がノスタルジーで買うというのともぜんぜん違うし。音楽ってかたちのないものだから、作品として考えたときに、どれだけの人の手がかかっているかっていうことはすごく大きいと思う。すごくその音楽が好きだとしても、MP3なのか、凝ったディティールを持って他人の手間を経て作られたものなのかで、少しこっちの気持ちも変わってくる。そこは、どんどんこれからの時代で変化していく指数だと思う。いまはハードが小さくなって、ほとんど何も持たなくていい。わたしくらいの年代だと、その意味でモノがないのが普通だから。その反動は、もしかしたらちょっとあるかもしれないけど。

さっき、モノを作る、とくにヴァイナルなんて作っちゃうことに「本気」を見るというお話がありましたけれども、これって、「ポスト・インターネット的な過剰な情報社会への素朴なアレルギー」みたいなロジックでアナログ志向を断罪するのとは違うレベルの話だと思うんですね。けっこうちゃんと語られていい部分だと思う。ロハス的なモチベでアナログ礼賛、っていうおめでたい話と違うよね。モノの後ろに定量化できない財があるというか――人の手間だったり、関係だったり。その視点はあんまり聞いたことがないですね。

SS:おんなじ内容でも、人の気持ちとか手間がかかっているものと、インスタントで出されたものだと、どっちを買うかっていうのは単純に迷うと思う。経済の話になってしまうけれど。

簡単に比べられないですよね。倉本さんはまさにレーベルを運営する身でもあって、作っている側の視点もあるかと思いますが、まずなんでそういうことをやってるの?

音楽ってかたちのないものだから、作品として考えたときに、どれだけの人の手がかかっているかっていうことはすごく大きいと思う。(Sapphire Slows)

倉本:オレの場合は単純で、制作ってことが自分にとっていちばん簡単なコミュニケーションだから。ポスターでもテープでもジャケットでもなんでもいいけど、何かフィジカルがあって、それを「はいよ」って渡すのがいちばんわかりやすいでしょ? 「僕はこれこれこういうことをやっておりまして」って会って説明するのもいいんだけど、オレにとっては音とかアートワーク方が早い。もうそれは、どう受け取ってもらってもいいんだよね。嫌いだったら嫌いでもいいし。

SS:うん。ビジネス・カード渡されて、「僕こういうことやってて、あとでリンク送るんで」って言われても絶対見ないもんね。

あははは!

倉本:オレ、それできないしね。得意ではないし、めんどくさいし。それに、オレがこうやってドリフトできるのも、そういうコミュニケーションというか、モノのおかげなんだよ。言語を超えていくコミュニケーションだと思ってる。

SS:普通のコミュニケーションが下手な人多いかも。

なるほどなあ。お金というか、貨幣ってさ、貯めるものじゃなくて、何かと交換するためのものでもあるわけでしょ? コミュニケーションというか。そういうアクティヴなお金みたいに働いてるんだね、作品が。

SS:いっしょにツアーを回ったりしても、そのアーティストにとっていちばんわかりやすいものはやっぱり作品で、「彼女はこういう人で……」って紹介されてもね。なんやねん? ってなっちゃう。

倉本:まあ、そこで好奇心をそそられればべつにいいんだけど。僕らの世代もなかなかドライだから、言葉で言われたからってそいつのリンク先までにはなかなか行かないよね……。よっぽどのことだよ。でもフィジカルがあってトレードして、ってことになると、そこに生まれるつながりってすごく印象的なものになるし、否応ないところがあるから。

SS:音楽を聴いてもらうって簡単なことじゃないから。

ああー。

倉本:うん、簡単じゃないよね。

SS:インターネット広告をクリックするかどうかくらいの難しさがあるかな。すごくハーロルが高いと思う。

倉本:いまはほんと、大変だよね。

SS:どこクリックしても音が鳴るからね。

ははは。たしかに(笑)。

倉本:でも僕はちょっと事情が違っていて、いちアーティストとして自分の音を聴いてほしいっていうモチヴェーションがないからなあ。もっとすごく個人的な作業なんだよね。自分の快楽のためにやっちゃってるだけというか。そこはサファイア・スロウズとか、ちゃんとアーティストとしてやっている人とは違うかもしれない。たまたまおもしろいと言ってくれる人がいたり、気が合ったりする人がいるだけでね。
 でもなあ……。なんだろう、やっぱりモノじゃないと聴かないよねー?

ああ……、その言葉はね、深いよ(笑)。思っている以上に。

SS:わたしは、本当に、聴いてもらわないと何もはじまらないから。おもしろいもので、海外からアーティストが来たときとか、わたしが行ったときとか、初めはみんなわたしに超冷たいの。

ええー。

SS:冷たいっていうか、よそよそしいっていうか。日本人の女の子ってやっぱりちょっと浮くし、単純にわたしの見た目から、サファイア・スロウズが鳴らすみたいな音って全然想像つかないでしょ? それはよくわかるんだけど、でもライヴをした後は超態度が変わる! 納得するんだと思うの。音楽を聴いて。だから、どんなに説明したって無駄で、音楽を聴いてもらう以外に方法がない。

倉本:救われるんだ、そこで。

SS:うん、救われる。

倉本:いいっすね、それは。

SS:みんな自分の音楽を好きかどうかはともかく、とりあえずそこで初めて認めてもらえて、対等になる。そこで急にいろいろ話しかけられはじめるの。ナイト・ジュエルたちもそうだった。ライヴが終わったあとに距離が詰まる。


オレがこうやってドリフトできるのも、そういうコミュニケーションというか、モノのおかげなんだよ。言語を超えていくコミュニケーションだと思ってる。(倉本)

倉本:まあ、あとは、懐古趣味に戻るっていうのも、オレはわかるけどね。そういうフェティシズムはすごくあるから。カセットもヴァイナルもモノとして好き。アートワークは単純にCDよりも大きいほうがいい。

うん。それも結局は大きいというか、それなしには生まれてこないものかもね。

倉本:アナログ・シンセが好きっていうのも同じだよ。ソフトウェア・シンセもぜんぜんオッケーだし、ライヴだってそれで足りるだろうけど、単純にアナログ・シンセが好きだから。オレの場合、制作がシルクスクリーンだったり、モジュラーシンセだったりするけど、それって誰もが使えるわけではないでしょ。いちおう習得してる技術なわけで。そういうものを持っていると、なんていうか、黙っていられる。職人でいたい。

ああー。

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それが国内だとはかぎらない

倉本:うん。それに、わざわざテープ作るとかバカバカしいことをやっている時点で、人とコミュニケーションを取れる可能性が生まれてもいる。誰でもできるけど、たまたまバカバカし過ぎて人がやっていないということをね。やっぱりそういうのがいちばん好き。

SS:うん。わたしたちのやっていることなんて何の価値もないかも。

倉本:そうね。

活きた手段として、あるいはそのまま実存として、アナログ・メディアがあるんだね。

SS:どっちかというと、倉本さんはアートワークじゃん。わたしは中身をやってる。その違いは少しあるかも。

倉本:でも、サファイア・スロウズが〈NNF〉とか〈BIG LOVE〉から出してるのは、すごく彼女のヴィジョンに合っていることだと思うから、その点――自分のヴィジョンに合ったところにちゃんと収まってるっていうところでは、オレも同じだと思う。

SS:自分とピタッとあった場所を探し当てるというのは、みんななかなかできないことかもしれないけど――

倉本:いや、ないのかもしれないよ。ピタッと合う場所なんて。

SS:ああ、そうなのかなあ。

ひとつ言えるのは、自分が想像しているよりもいい環境っていうのは、じつはあるっていうこと。(倉本)

そっか、自分たちは幸運だということ?

倉本:うーん。ただ、ひとつ言えるのは、自分が想像しているよりもいい環境っていうのは、じつはあるっていうこと。

ああー。

SS:うん。生きていけるところってあるよ。

倉本:「あー、なんか新しいことやりたいと思ってるんだけど、やりづれえな」って思ってるような人がいても、わりとどっかにあるんだよ。べつに、国内でも。

SS:うん、本当にそう。そこにたどり着く手段って絶対あるよ。

倉本:それはネットを見ててもなかなか見つからないから、動くしかないんだけどさ。オレがサファイア・スロウズでいちばんすげぇなって思ってるのは、すごくオープンなところなんだよね、何に対しても。

そうなんだねえー。

SS:そうなのかな……。

倉本:うん。オレはもう、超排他的なアナログ野郎だけどさ。「あのバンドどうっすか?」「クソっすよ」みたいなね。

はは。まあ、「すべてがクソ」ってことにおいて逆にすべてにオープンだという感じもあるけどね。

SS:ははは。ぜんぜんわかんない!

倉本:それは……ないけどね。

(笑)

倉本:まあ、とにかく、彼女は日本人離れしてるくらいに物事に対して偏見がないと思うし、人に対して閉じてないよ。

なるほどなあ。

倉本:それが、音楽とか活動にも通じていってるのかもしれないし。

SS:閉じたくなる人もいっぱいいるけどね。でも、いますごくうまくいっていると思う。

ポジティヴな状況なんですね。あ、でも偏見なく物事に接すると、そうネガティヴってこともなくなるのかな。「ガラパゴス」という表現に顕著なように、ここしばらくは閉じることに一種の開き直りを見せる考え方にも影響力があったので、おふたりのお話は新鮮な感じがしました。ツアー、気をつけて行ってきてくださいね!


松浦俊夫 - ele-king

今年11年ぶりに新しいプロジェクト"HEX"でアルバムをブルーノートからリリースした松浦俊夫と申します。今年特に印象的だったダンス・ミュージックを10曲選びました。他にもKalabrese,Todd Terje,Tommy Rawson,Omar Souleyman,Moritz von Oswald & Nils Petter Molvaerなど素晴らしい作品が沢山発表されました。来年もたくさんの素晴らしい音楽に出会えますように。来年は夏のヨーロッパ・ツアーを筆頭にHEXの活動を本格化させていきますのでどうぞよろしくお願いします。

https://www.toshiomatsuura.com/
https://www.hex-music.com/
https://www.universal-music.co.jp/hex/

BEST DANCE TRACKS 2013(順不同)


Fat Freddy's Drop / Mother Mother(P-Vine)

Jimpster / These Times -Dixon Retouch (Freerange)

Koreless / Sun (Young Turks)

Diego Barber & Hugo Cipres / Poncho (Origin)

DJ Rashad & DJ Manny / Drums Please(Hyperdub)

Satanicpornocultshop / Maiden Voyage (neji/nunulaxnulan)

Bonobo / Cirrus (Ninja Tune/Beat)

Soy Mustafa / Bug In The Bassbin (Cinematic Recordings)

Haim / Falling-Duke Dumont Remix (Polydor)

Disclosure / January (Universal)

new releases in 2014 - ele-king

 1月1日。元旦早々、ディストピアですよ。ロンドンの電子音楽の急進派、アクトレスの新作『ゲットーヴィル』。アクトレスとは、UKのおけるもっとも目立ったデトロイト・テクノ・フォロアー(自らホアン・アトキンスの系譜だと主張)のひとり。すでに『スプラッシュ』(2010年)や『R.I.P.』(2011年)といった傑作を発表している。自身が主宰するレーベルからもゾンビーの『Where Were U In '92?』(2008年)やローンの『Ecstasy & Friends』(2009年)などの名作をリリース。パンダ・ベアがリミキサーに起用したり、テクノ・ファンのみならず、その名は幅広く知れている。今回は、新作『ゲットーヴィル』と、入手困難だったデビュー・アルバム『ヘイジーヴィル』も同時にリリースされる。
 1月8日は、知る人ぞ知る日本のパンク・ファンク・ダンス・バンド、ゴロ・ゴロのアルバムがリリース。ご機嫌な新年にぴったりの、パンクかつダンスのファンタジーだ。大穴狙いとも言える。
 さらにこの日は、本格的にヒップホップのトラック作りに着手したジョン・フルシアンテの、ブラック・ナイツなる新プロジェクトのアルバム『メディーヴァル・チャンバー』もリリースされる。ウータン・ファミリーのCrisisとRugged Monkのラップが見事に絡み合っている。
 1月15日は激戦日、いわば死のグループだ。注目のハードロック・バンド、快速東京の新作『ウィーアーザワールド』があり、およそ9年ぶりの新作を発表する銀杏BOYZの2枚同時発売、そして〈BLACK SMOKER〉からは奇才BUNとHIDENKAのふたりによるアルバムが出る。どれもが注目作だが、とくに銀杏BOYZの2枚は問題作で、好むと好まざるとに関わらず、話題をかっさらうだろう。そもそもこのバンドがノイズとテクノとサンプリング・アートに手を染めることを誰に予測しえたであろう。ライヴ盤のほうも青春パンクのノイズ/ドローン・ヴァージョンとも呼べる衝撃作だ。
 1月22日には、酔いどれブルース・ロック・バンド、踊ってばかりの国の待望の新作『踊ってばかりの国』が待っている。そして、1月末には、日本を拠点に活動するアンビエント・ユニット、イルハのセカンド・アルバム『Akari』がリリースされる。これ、アンビエント・ファンはぜひ気にして下さい。


■1月1日発売
Actress - Ghettoville
WERKDISCS/ビートインク

Actress - Hazyville
WERKDISCS/ビートインク

■1月8日発売
GORO GOLO - Golden Rookie, Goes Loose
Pヴァイン

BLACK KNIGHTS - MEDIEVAL CHAMBER
AWDR/LR2

■1月15日発売
快速東京 - ウィーアーザワールド
felicity

銀杏BOYZ - 光のなかに立っていてね
初恋妄℃学園

銀杏BOYZ - BEACH
初恋妄℃学園

HIDENKA x FUMITAKE TAMURA (BUN) - MUDDY WATER
BLACK SMOKER

■1月22日発売
踊ってばかりの国 - 踊ってばかりの国
ツクモガミ




 

 こんにちは、NaBaBaです。年の瀬迫る今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年もあっという間に過ぎてしまいましたが、ゲーム業界的には非常に盛り上がった1年でした。PlayStation 4とXbox Oneの二大次世代機も北米と欧州ではついに発売となり、どちらも品切れ続出の大人気のようです。

 そんな僕もじつはPlayStation 4の北米発売日である11月15日に、ロサンゼルス旅行に行ってきました。あいにくゲーム機そのものは手に入らなかったのですが、発売日の深夜販売に合流してみたり、個人のゲーム・ショップで店員さんたちといっしょに遊んだりして、向こうのゲーム熱を直に感じてきたのです。

 
L.A.市内のゲーム・ショップ『World 8』にて。店員さんたちと開封したてのPlayStation 4で遊んだときの様子。

 そしてこのロサンゼルスを舞台のモチーフにしているのが、今年最大の超大作である『Grand Theft Auto V』です。〈Rockstar Games〉の看板シリーズであり、昔『Grand Theft Auto III』が日本で発売されたときには、その暴力的内容から神奈川県で有害図書に認定されるという事件もありました。そうしたことから名前だけは知っている方も多いのではないでしょうか。

 そんなシリーズの最新作である本作は発売されるや否や、数々の記録を打ち立てています。まず開発費が約2.65億ドルと歴代ゲーム1位(2位は前作『Grand Theft Auto IV』の1億ドル)で、しかも発売初日に8億ドル以上売り上げ、発売6週で約2,900万本も売り上げるなど、化物みたいな数字が目白押し。さらにVGX等の数多くのアワードでもGame of the Yearを受賞しています。

 そんなあらゆる面において今年を代表し、また今世代の集大成と呼ぶにふさわしい本作のレヴューで以て、このコーナーも今年を締め括りたいと思います。

■進化・改善と新要素

 先程『Grand Theft Auto V』を今世代の集大成と呼んだのは、何も比喩的な意味ばかりではありません。〈Rockstar Games〉の作品としては、今世代に発売された『Grand Theft Auto IV』のオープンワールドゲームとしての骨格の上に、『Red Dead Redemption』の自然表現やランダムミッションシステム、『Max Payne 3』のシューティングシステム等といった長所を組み合わせた、正しく字のままの集大成として仕上がっているからです。

 舞台となるSan Andreas地方は、都市部と自然が織り成す、〈Rockstar Games〉の作品の中ではもっとも広大なもの。そこに詰め込まれているアクティヴィティも膨大で、現代のロサンゼルスに存在するであろう、あらゆる事物を徹底的に再現し、その上で現実では体験できないフィクションを織り交ぜています。シリーズはおろかオープンワールドゲームの中でも史上最大の物量だと密度と言っても過言ではありません。

 
シリーズ最大の舞台を、もっとも洗練されたゲーム・システムで楽しめる。

 さて、こうした進化と改善に対して、今回からの新要素はなんといっても3人の主人公によるザッピングシステムでしょう。本作ではMichael、Franklin、Trevorというそれぞれまったく別の境遇の3人組が、お互い協力して数々の犯罪に挑んでいきます。そしてゲーム的にもプレイヤーはこの3人を使い分けながら攻略していくことになり、ゲーム全体を通して非常に重要なシステムとしてフィーチャーされています。

 ではここから、前半はオープンワールドとメインミッションについて、後半は世界観の考察を交えながら、シナリオに対してこのザッピングシステムが持つ功罪について、考えていくことにしましょう。

本作の特徴についてはこの公式解説動画がもっとも纏まっている。

■3人の主人公と3種類の視点

 オープンワールドゲームとしてのこの主人公のザッピングシステムは、まずはミッション中でなければ基本的にいつでも自由に操作キャラを切り替えられるという点で、遊ぶ上での利便性に寄与しています。たとえば別々の場所にいる主人公たちを切り替えることで移動の手間が多少省けるし、また、いまやっていることに飽きても他の主人公に切り替えることで、心機一転して別のことに取り組むきっかけになるのが面白い。

 しかしそれ以上に個性や行えることが違う主人公たちを切り替えることで、ひとつの舞台を三者三様の角度から楽しむことができるのが効用としてはもっとも大きいと感じます。典型的なのがTrevorで、彼の破滅的な性格、言動はプレイヤーの遊び方をも自然と暴力的な方向に導いていく。MichaelやFranklinでは性格的に似合わない大量虐殺もTrevorだったら起こし得るし、実際そういう趣旨のイベントもたくさんあります。

 
Trevorの狂気はプレイヤーの暴力的衝動を掻き立ててくれる。

 前作『Grand Theft Auto IV 』でリアリティとシリアス路線の観点からトーン・ダウンしたシリーズ元来の暴力的ハチャメチャプレイが、Trevorというキャラによってリアリティを損なうことなく実現できた意義は大変大きい。シリーズのどのタイトルのファンにとってもうれしい改善だと言えます。

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■格好良い+ 格好良い +格好良い=超格好良い!

 『Grand Theft Auto V』の遊びの本軸となるメインミッションでも、先程のザッピングシステムは効果を発揮しており、ここではひとつの出来事を多角的に、かつよりスペクタクルに描き出すものとして、さらには攻略における戦術的オプションとしても機能しています。

 本作のメインミッションは前述した通り、3人が協力して大仕事に挑むパターンが多い。プレイヤーは異なる役割の3人を任意に切り替えたり、または自動で切り替わったりするなかでひとつのミッションを攻略していくことになります。

 これは簡単に言えば、3人の主人公の格好良い瞬間を切り貼りして、全体が構成されているという感じ。なので展開が常に引き締まっていて中弛みがなく、ひとつの出来事を多角的に見れるので物語としての厚みも増す。また役割が3人に分散するので、従来のゲームに見られた、主人公がひとりで全部やるみたいなことが起きず、リアリティにも貢献しています。

ミッション中のザッピングシステムの機能は、映像を直接見てもらうのが理解する近道だろう。

 メインミッションでは大抵の場合頻繁にキャラクターを切り替えることになりますが、こうしたシステムで懸念材料になるのが、キャラクターを切り替えたときに状況が把握しきれず混乱しかねないことだと思います。しかし本作では不思議なくらいこの問題は起きませんでした。

 それは良くも悪くもこのシリーズのミッションには、もともと戦略の自由度が無いからなのでしょう。とくに04年発売の『Grand Theft Auto: San Andreas 』以降のミッションは紋切型ばかりで、大局的な目線で立ち回りを考えたりといった、創意工夫を許す余地がありません。この点がいままでは欠点のひとつとして度々指摘されてきたわけですが、しかし本作に限ってはその指示された通りやればいいという単純さが、むしろ主人公を使い分ける際に混乱を抑制するプラスの効果を生んでいるのです。

 また違う立場のキャラクターに切り替える機能は戦略の幅には寄与しなくとも、局所的な戦術という意味では自由度を増やしてくれています。たとえば1人が迷路のような場所を進み、もう1人が遠方からスナイパー・ライフルで援護するというシチュエーションの場合、片方の操作に専念するか、交互に使い分けるか、またその割合等もプレイヤーの裁量に委ねられるのです。

 
定番の狙撃で援護する場面も、する側とされる側を自由に切り替えられるとなれば俄然面白くなる。

 そうした点を考えれば、紋切型という根本的な構造自体は変わっていませんが、むしろ紋切型としては、従来のゲームには無いシステムがとても新鮮で、かつそれがしっかり機能していて、とても面白いものに仕上がっていると思います。

■リーマンショック以降のアメリカ社会を切る

 問題はシナリオで、ザッピングシステムがほぼ完璧に機能していると感じた先の2件に比べて、こちらは不満に感じる部分が結構ありました。しかしその点を語る前に、まずは本作の全体的な世界観から考察していきたいと思います。

 このシリーズの世界観の特徴は、一貫してアメリカ社会の風刺であると思っていますが、本作ではとくにその傾向が強い。なぜなら今までのシリーズはギャングやマフィアといった裏社会の出来事を中心に描いていたのに対し、本作ではより一般人と表社会に近いところで物語が展開されるからです。

 もっともわかりやすい例が主人公たちに仕事を依頼するクライアントや敵対者たちで、これまでのような裏社会の犯罪者はほんのわずかで、かわりに実業家やFIBやIAA(FBIとCIAのパロディ)の捜査官、パパラッチやエクササイズ・マニアだとかいった、ほとんどが表社会や公的機関の人々。そんな彼らが金を稼ぐため、社会で生き残るため、あるいは狂気の結果として、主人公たちに不正行為の外注をするわけです。

 
実業家のDevin Weston。儲け話でそそのかしながら、報酬を出し渋る嫌な奴だ。

 さらに街を見回してみると、現代社会のさまざまな事物が強迫観念的に誇張されて描かれています。経済問題やセレブの堕落といった話題がニュースの紙面を賑わせ、IT会社のCEOは児童労働を高らかに宣言し、保守主義と社会主義の知事候補が日々過激な罵り合いを繰り広げ、TwitterやFacebookを模したSNSを見ると人々はヤクやセックスの話ばかりしている。

 
現実では建前の奥に隠している本音も、本作では皆堂々と曝け出している。

 そこから浮かび上がってくるのはリーマンショック以降のアメリカの姿です。不景気や相次ぐ社会問題に喘ぎ、しかしかつての栄華を捨てきれずに体裁だけ整えようと、皆が必死になっている姿がそこにはある。劇中ではどれも表現が過激で往々にしてコミカルに見えるますが、捉えている問題は極めて現実的でシリアスなものです。

 そんな世界において、主人公たちはある意味ではもっとも被害者なのかもしれません。なにしろほとんどの場合クライアントからは報酬が支払われない。これまでのシリーズでは仕事を請け負えば必ず報酬がありましたが、本作では何かと理由を付けてケチられたり、そもそも初めから無銭労働を強いられる場合も多い。

 当然主人公たちはジリ貧です。物語的にはもちろん、ゲーム的にも出費だけがかさみ、そのうち何もできなくなり、最終的には自ら企画立案した仕事=強盗に挑まざるを得ない状況に追い込まれていく。

 
本作の自主的な強盗の動機は、基本的に生活苦なのである。

 つまり本作は本質的には労働者の物語なのです。これは言うなればウォール街を占拠せよ運動で語られた、1%の富める者と99%の貧する者たちによって繰り広げられる死の舞踏なのです。問題の発露、あるいは解決に犯罪行為が選ばれているだけで、問題そのものはわれわれ一般人の生活のなかにあるものを捉えている。

 そして本作の凄いところは、こうした社会風刺を言うまでもなくオープンワールドゲームとして表現している点にあります。これまでゲームに限らずあらゆるメディアに社会風刺的な作品は存在しましたが、風刺の対象となる社会そのものを仮想現実的に再現してしまうことに関しては、このシリーズに勝るものは他にありません。とりわけ本作はいままで以上に一般人の目線に立った世界観と、先述したシリーズ最高のゲーム・システムが組み合わさり、シリーズとしてもメディア作品としても風刺表現のひとつの極みに達していると言えます。

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■三兎を追う者は何とやら

 問題はここから。世界観と全体的なテーマは文句なしですが、3人の主人公個々の物語として見ると話は違ってきます。結論から言えば主人公が3人になったぶん、視点が分散してしまい、両者とも十分に掘り下げきれないまま話が終わってしまう印象を受けました。

 少なくとも中盤までは大変面白い。ストリート・ギャングと決別し、より現実的な方法で成功を望むもうまくいかず悶々としているFranklinは同世代として共感できるし、家庭崩壊と己の性に苦しむMichaelはいままでのゲームには無かったキャラクター像でとてもユニークです。そんなふたりに正真正銘の外道であるTrevorが合流し、毎回乱痴気騒ぎをしつつも全体的に駄目な方向に堕ちていく様子は、まさに現代版死の舞踏といった感じで、悲劇でも喜劇でもありながら独特の緊張感がある。

 
ついには家族に出て行かれてしまうMichael。

 しかし後半以降になると途端に展開がマンネリ化してしまいます。まずFranklinは本人の目標を早々に達成してしまい、話の本筋にあまり絡まなくなってしまう。TrevorはMichaelのことをチクチク言葉責めするばかりで関係に進展がほとんどないし、3人のクライアントもほぼFIBに固定化されてしまう。

 
Franklinはときどき元ギャング仲間との絡みがあるだけで、後半はほとんど彼自身の物語が展開されない

 こうした後半のマンネリ化に続いて、終盤で物語が収束していく段になっても、個々の出来事にいまひとつ説得力が欠けているのです。極めつけはエンディングです。3種類に分岐するのですが、どれもいままで積み重ねた伏線を回収しきれずに終わるか、もしくはまるで打ち切りマンガのように強引に風呂敷を畳む感じになってしまい、いずれにせよ不満が残ります。

 以上のようなシナリオになってしまったところに、3人主人公というシステムの難しさを感じずにはいられません。エンディングについて、「もっと尺を取って個々の伏線にしっかり決着をつけるべきだった」と言うのは簡単ですが、おそらく律儀にそれをやっていたらただでさえ長大な物語がさらに気の遠くなる長さになっていたに違いありません。後半のマンネリも、3人の個々の物語を展開しつつ、本筋の大きな物語に歩調を合わせることの困難さが露呈してしまっています。

 どうすればうまくいったのか簡単には思いつきませんが、つまりはそのワン・アイディアが足りなかったということでしょう。結論としては一般的なゲームのシナリオとしてはユニークさも完成度も十分と言えますが、個人的にシリーズ最高だったと思っている『Grand Theft Auto IV 』の主人公Nikoの物語と比べると、今回の3人の物語は数段落ちるのが残念でした。

■まとめ

 お金をつぎ込めるだけつぎ込み、現在考えられる究極のゲームを作ったとしたら? その答えのひとつが『Grand Theft Auto V』であり、その圧倒的物量は前代未聞の領域。新しいシステムも含め全体的な完成度はとても高い。

 唯一、シナリオの後半以降の粗が目立ってしまうのが玉に瑕ですが、現代アメリカの風刺としてはこれ以上無いほど極まっており、総合的に見て『Grand Theft Auto』シリーズの名に恥じない傑作と断言できます。ゲーマーは勿論、普段ゲームに興味の無い人にも手にとってほしいと感じる逸品。

 最後に、『Grand Theft Auto V』はとても多義的な作品です。今回はゲーム・システムと物語という観点からレヴューしましたが、よりアメリカン・カルチャーに根ざしたところから本作を考察することもできるでしょうし、犯罪映画の数々と比較して語ることもできるでしょう。

 そして『ele-king』的には何よりも音楽ではないでしょうか。本シリーズは毎回劇中のラジオという形で、時代性に即したさまざまな実在の楽曲が収録されていますが、本作もまた古くはザ・スモール・フェイセスの『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』から、近年ならジェイ・ポールの『ジャスミン』等、幅広いジャンルの曲が選ばれています。

 こうした観点からのレヴューも非常に興味深いに違いありませんが、あいにく僕は音楽の専門化ではないので書くのは難しい。むしろ他の誰かが書いてくれないかな! という淡い期待を寄せつつ、本年のレヴューを締め括らせていただきたいと思います。それでは皆さん、よいお年を。



My Cat Is An Alien - ele-king

 2013年は6枚組が熱かった。枚数が増える傾向は非常階段や友川カズキによる10枚組み、メルツバウの11枚組みにカンニバル・コープスの12枚組み、アシッド・ハウスのトラックスボックスは16枚組みで、クイーンのロジャー・テイラーは数え方すらよくわからず、ハービー・ハンコックに至っては34枚組みまで膨らんだ。コニー・プランクの4枚組みなんて、だから、かわいい方でしたよね。そうしたなかで、もっともチャーミングな枚数といえたのが「6枚組み」だったことは間違いない。「6枚組み」がもっとも時代の空気を正確に反映していたのである。そう、東京事変は2枚減らすべきだったし、バジンスキーは1枚足らなかった!

 年頭を飾ったのはフィンランドからスパンク(これはコンセプトがかなり複雑)、そして、3月のアイアン・メイデンはともかく、6月にはバート・バカラックとECM、さらにスタイル・カウンシルから秋にはカシーバーと続き、年末にはボブ・ディランが放ったアナログ6枚組みが世界と萩原健太を震撼させた。なかでももっとも興味を引いたのがイタリアのオパーリオ兄弟によるマイ・キャット・イズ・アン・エイリアンで、これが話題の〈テレンスマット〉からリリースされた『エイリアン、オール・トゥー・エイリアン』に続くけっこうな新境地となった。ノイズ・ドローンでもアンビエント・ドローンでもなく、奇妙なほどスタティックで、しかし、トリップ性もある斬新なアプローチである。

 『サイコーシステム』というタイトル通り、映像の雰囲気がまずは変わってきた。PVでは単にレコードを回しているだけにもかかわらず、過剰にサイケデリックなムードが演出され、枯山水のようなイメージに終止した『フラグメンツ・サスペンディッド・イン・タイム』の映像表現とはまったく違うものになっている。かつてはアウター・スペースへと突進していった彼らのサウンドはトリノの工場街からアルプスにスタジオを移したせいか、どことなくアーシーな響きを帯びるようになり、それはそれでよかったのだけれど、外宇宙であれ、地表であれ、そこにはいつも人間は不在だったものが、ここでは人間の内面へと忍び寄る彼らのサウンドがはっきりと刻印されている。音楽と自分がやんわりと関係付けられているというか、彼らがこれまでに描き出してきた「鉱物」や「空間」とは異なるイメージが浮かび上がり、曲によっては外界と内面が引き裂かれているような印象もある。もしかすると初めて自分たち自身に興味を持ったのかもしれない(自意識太政大臣こと橋元優歩とは正反対の取り組み方である)。

 アウター・スペースを扱った『ザ・コスモロジカル・トリロジー』(05)でさえ3枚組みだった。宇宙に対する彼らの興味が無限大に膨れ上がり、それこそすべての音が消えた瞬間に、本当に宇宙空間に「いる」かのような気分にさせられた同作は、いつしか彼らのなかで初期衝動を終わらせてしまったのかもしれない。達成するということはそういうことだし、どれぐらいの意志が介在したのかはわからないけれど、それに続いた「自然」との係わり合いが次のステップになった後で、それを新たなゴールに見立ててしまうのではなく、アウター・スペースからイナー・スペースへの切り替え地点として十全に機能させたというのが正確なところではなかっただろうか。そして、イナー・スペースに新たな地平を見出した彼らは、まるで、アウター・スペースと向き合っていた時と相似形のような音響へと回帰しながらも、どこか違うニュアンスを放っている。ひとついえるのは、かつてよりも明らかにサウンドが重層的になっているということだろう(……にもかかわらず主義としてのノー・オーヴァーダブは貫かれている)。

 “バイポーラリズム(二極主義)”と題された曲は2種類のテンションを同時に経験させられているような構造を持ち、とくに彼らの変化を印象づける。バイポーラー・ディスオーダーといえば、このところハリウッド映画がやたらとテーマにしたがる双極性障害のことで、ソダーバーグ監督が『インフォマント!』(09)で取り上げた時点では字幕には反映されていなかったものが、最近は積極的に「双極性障害」という単語が字幕でもばら撒かれるようになった。『インフォマント!』で示された結論(というか事実)が示唆していたように、犯罪的なセンスを助長する傾向であるにもかかわらず、資本主義はこれを「能力」として買っていることは明らかである(逮捕したハッカーを司法取引で政府内のブレインとして取り込む感覚と同じで、それこそP2Pに対する日本政府の対応とはまったく次元が異なっている)。獄中からCEOへ。そのような可能性であり可否について彼らもこれを曲として表現しているということなのだろうか。いずれにしろ、中学生の頃から軽度の双極性障害に悩まされてきた僕にとって、こういった曲が与えてくれる効果には計り知れないものがある。マイ・キャット・イズ・アン・エイリンをセラピー目的で聴くようになるとは思わなかった。

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