「Nothing」と一致するもの

ジョン・フルシアンテ、そして彼の近作と非常に結びつきの深いRZAを通し、ウータン・クランファミリーの一員として知られるブラック・ナイツはフルシアンテに出会うことになった。「こんなに素晴らしいコラボレーションの関係を他人と築けるとは思わなかった」とフルシアンテ自身が述べるように、互いへのリスペクトと、それぞれのキャリアにとって新鮮でもある出会いは、彼らに1枚のアルバムを作らせる……それがこの『メディーヴァル・チャンバー』だ。
フルシアンテが楽曲・トラックをプロデュースし、ブラック・ナイツのふたりがラップする。先にコンセプトを固めることなく、フルシアンテから投げられたトラックにリリックをのせ、最終的にはそもそもとは大きく異なるかたちをしたものへと変化していったというこの作品からは、彼らが試行錯誤を重ねながらも、コラボレーションを楽しんでいる様子がうかがわれる。
プロデューサーとしての角度を深め、つねに歩みを止めずに己が道をゆくフルシアンテの、新たな一歩に注目したい。


■BLACK KNIGHTS / MEDIEVAL CHAMBER
(Produced by John Frusciante)
(RUSH!×AWDR/LR2)

日本盤には、先行ダウンロードで話題になった“Never Let Go”、そしてジョン・フルシアンテのオリジナル“Wayne”のリミックスという豪華な日本盤ボーナストラック2曲に加え、高音質Blu-spec CD 2、日本先行発売など、日本びいきのジョンらしい特典が満載。さらに目玉として、バルーチャハシム氏による日本盤限定スペシャル・インタヴューも付属! 買うならば絶対に国内盤をおすすめしたい。

Tower HMV AMAZON iTunes

発売日:2014.01.08
定価:¥2,200
曲リスト:
1.Drawbridge
2.The Joust
3.Medieval Times
4.Trickfingers Playhouse
5.Sword In Stone
6.Knighthood
7.Deja Vu
8.Roundtable
9.Keys To The Chastity Belt
10.Camelot
11.Never Let Go -Bonus Track for Japan-
12.Wayne Remix -Bonus Track for Japan-


Sleaford Mods - ele-king

 マドンナの監督2作目『WE』を観ながら、クライマックスでセックス・ピストルズが流され、英王室の話なのに“プリティ・ヴェイカント”をチョイスするとはさすがだと思っていた翌日、つづけてオリヴィエ・アサイヤス監督『カルロス(第2部)』にはテロリストたちが検問を突破するシーンでデッド・ボーイズ“ソニック・リデューサー”が使われていた。ドイツ国境の検問が見えてくると、あの、ミドル・トーンの強迫的なベース・ラインが鳴り始め……w。サントゴールド『トップ・ランキング』に収録されていたトニー・マターホーンでディプロがループさせていたアレですね。

 昨年、YouTubeで“ドンキー”を観てからというもの、スリーフォード・モッズなるヒップ・ホップ・パンクのバンドが気になりまくり、アナログは日本に渡ってくる前に売り切れてしまったらしいんだけど、年末になってようやくCD化されたものを確保し、年が明けてバカヤローとばかりに再生してみると、M10のイントロダクションはどう考えても“ソニック・リデューサー”w。久しぶりにヤサグレたモードに埋没している。スリーフォードというのは、イギリスの地名らしく、そこでモッズをやっているということらしい。モッズというのは、その後、スキンヘッズとかスエードヘッドとかになって、リチャード・アレンがシリーズで小説化して、日本でいえば『シャコタン・ブギ』みたいになって(違うかな?)、さらにはモリッシーが歌にして、ブリットポップにも強く影響を与えてからはどうなったのか知らないけれど、そもそもはスウィンギン・ロンドンでリヴァイヴァリスト・ジャズを気取ったシャレものだったわけで、それを名乗ろうと。いまさら、モッズですよ。

 レイジーでチープ、リズムの骨格はヒップ・ホップの影響下にあり、一時期のECDを思わせるところも少なくはなく、歌い方はジョニー・ロットンを淡白にした感じ。もしくはエミネムがジョナサン・リッチマンをバックにザ・ストリートをカヴァー……みたいな。アナログ(のファースト・プレス)にしか歌詞カードはついてないそうで、だから、何を歌っているのかぜんぜんわからないんだけど、だいぶ口汚いことをわめいているらしい。数少ないレヴューを読むと「無慈悲」だとか「迷惑」だとかロクな形容詞が並んでいない。アルバムはすでに5枚めで、これまでのレーベルは全部、崩壊した模様。デビュー作はパンクかと思えばジャングルだったり、ジミ・ヘンドリクスにもなれば、フィラデルフィア・ソウルとわけがわからない。そういったエネルギーがすべて枯れ果てて、新作はかなりシンプルになったということか。リリース元はノイズやドローンばかり扱っているレーベルなので、どういうことなんだろうと思って調べてみると、中心メンバーらしきアンドリュー・ファーンは元々はインファントという名義でネオ・ウイージャからデビューしていたIDM系のプロデューサー。それは、しかし、長くは続かず、7年前にバンドに乗り換え、それもすでにバンドキャンプには「バンドやってたけど、あれは憎むべきもの」みたいなことが書いてあったり(https://sleafordmods.bandcamp.com/)。

 おそらくはバンドが崩壊したから、IDMの方法論を思い出して、それをパンク・サウンドに似せようとしたとか、そういうことなんだろう。“ドンキー”をよく聴くと、スネアの入れ方などは、IDMでやっていたことがかなり活かされていることがよくわかる。ヴォーカルがなければ〈モダーン・ラヴ〉にも匹敵するトラックなのである。ほかの曲はオルガンすら買えないスーサイドみたいだったり、ニュー・ウェイヴの発掘モノにしか聴こえないものもあるんだけれど……そう、最初は、これ、こういうのはブーリン家の姉妹ならぬブレイディ家のみかこさんの担当じゃ~んなどと思いながら聴いていたんだけど(まあ、言葉のこともあるし、大半はその方がいいと思うんだけど)、細かいところはそうでもないかなと思うところもあって、ここまで書いてしまいました。いずれにしろ、2013年は本当に波にのったようで、ついに7インチ・シングルを3枚もリリースし(それまではCDのみ)、いくつかのプレスからは「詩人」と呼ばれるようになったということで。

OPPA-LA - ele-king

 夏の「江ノ島OPPA-LA」と言えば我々日本のクラバーだけでなくその景色の良さと海へのアクセスの良さも相まって多くの来日アーティストからも人気のスポットとなっている。ここ数年「冬の江ノ島OPPA-LA」もとても熱い状況になっている。昨年暮れにはCOSMICの伝説Daniele Baldelliがプレイしたり、20周年を迎えたIDJUT BOYSも近年は来日の度に必ずプレイをしている。そして日本のアンダーグランド・シーンにも深い愛情を持つ店長和田さんを中心としたローカルの方々の努力と熱意が支持され都内からも足繁く通うファンを獲得した一因だと感じる。
 そんなOPPA-LAに今週〈Black cock records〉のGerry Rooneyの出演が決定した。多くのファンが居ながらもいまだベールに包まれた部分の多い同レーベルを知る絶好の機会です。
 2014年初sunday"SUNSET"session!!  終電までのPartyなので冬の湘南の夕暮れでも眺めながら是非!

Gerry Rooney──New Year Japan Tour 2014
sunday””SUNSET””session

2014/1/12sun at EnoshimaCurryDinner OPPA-LA
OPEN/START 15:00 // FIN 22:30
MUSICCHARGE : 3000yen

Gerry Rooney──New Year Japan Tour 2014

act
Gerry Rooney
(Velvet Season&The Hearts Of Gold/ Black Cock / Lucky Hole)
DJ IZU
WATARUde(R.M.N. / GOD SERVICE)
wakka(SLOPE)

art work
Bush

soundsystem&pa
松本音響

Special Thanx
AHBpro
Pioneer DJ

more info
0466-54-5625
https://oppala.exblog.jp/


interview with GORO GOLO - ele-king

 ツイッターのタイムラインに江戸アケミbotのツイートが流れてくる。いわく、「内から出てくる踊りってことね。その人が我を忘れて動き出す時の。それが本物の踊りじゃん?」
https://twitter.com/akemiedo/status/414420578909421568)。


GORO GOLO - Golden Rookie, Goes Loose
Pヴァイン

Tower HMV iTunes

 江戸アケミ的な意味ではGORO GOLOの音楽は純度の高いダンス・ミュージックだ。GORO GOLOのフロントマン、スガナミユウは自分の踊りについて「音が肉にぶつかって、肉が揺れているだけ」と語っているから。でもGORO GOLOはじゃがたらみたいにコワいバンドじゃない(じゃがたらがコワかったのかどうか、実際のところを僕は知らないけれど)。ポップで、ユーモラスで、ダンサブルで、観客をあたたかく歓迎するソウルフルなバンドだ。だからGORO GOLOのショーをぜひ覗いてみてほしい。観客たちは思い思いに身体を揺らし、そしてその場にいる誰よりもスガナミユウがマイク片手にめちゃくちゃに踊りまくっている(叫び散らし、ハンド・クラップしながら)。
 バンドの演奏も踊っている。つまり、ロールしている。ラグタイムからモダン・ジャズへと至る約40年にあったであろう熱狂と、その後にやってきたリズム・アンド・ブルースやロックンロール、そのまた後にやってきたソウルやファンクを全部混ぜ込んで、パンクの態度でロールしたのがGORO GOLOの音楽だ。
 12年ぶりのリリースとなるGORO GOLOの2ndアルバム『Golden Rookie, Goes Loose』は、オープンリールで録音された抜けの良い超高速のダンス・ミュージックが約22分収められている。笑いあり、涙あり、そしてもちろん怒りもあるアルバムだ。

 音楽前夜社というクルーを主宰し、〈ロフト飲み会〉や〈ステゴロ〉といったイベントでライヴ・ハウスの未知の可能性を拡張せんとするスガナミの言葉と態度には、気持ちいいくらいに一本の筋が通っている――そしてそれはGORO GOLOの音楽に間違いなく直結しているのだ。ここに取りまとめた対話を読んでいただければ、きっとそれがわかっていただけると思う。


GORO GOLO “MONKEY SHOW”

もともとは「GORO GOLO」ってバンド名もないようなゆるい、ただ「集まって鳴らしてみよう」みたいなもので。

スガナミさんには昨年、何度もライヴにお誘いいただいてとてもお世話になりました。そこで僕はGORO GOLOのライヴを何度か観ているんですけど、GORO GOLOの歴史については全然知らないんですね。1月19日の〈音楽前夜社本公演〉でもHi,how are you?とかあらべぇくんとか、すごく若い子たちを巻き込んでいます。なので、そういうGORO GOLOをよく知らない世代にバンドの歴史を説明していただけますか?

スガナミ:結成はですね、1999年なんです。当時、高円寺で友だち8人で共同生活をしていて、そのコミュニティの仲間たちで結成しました。もともとは「GORO GOLO」ってバンド名もないようなゆるい、ただ「集まって鳴らしてみよう」みたいなもので。

共同体みたいな?

スガナミ:うん。それで、この音楽性でGORO GOLOとして活動をはじめた最初のきっかけが、NHKで放送したスペシャルズの1979年か1980年の日本公演のブートのライヴ・ヴィデオをみんなで観たことで。それがすげーカッコよくて。白人も黒人もいるんだけど、みんな自由に動きまわって演奏していて、すごく楽しそうで。「この感じ、やろう!」と。でもそれでべつにツートーンをやろうっていうことにはならなかったんだけど。俺ら結構ひねくれてたから「スカはなし」、みたいな(笑)。
 だけど「この楽しい感じでやろう」と。そういう共通認識でちゃんとまとまって、曲作りもはじめて、GORO GOLOでライヴするようになりました。そうしたなかで、角張(渉)さんと安孫子(真哉/銀杏BOYZ)さんがやっている〈STIFFEEN RECORDS〉から「アルバムを出さないか?」っていう話が来て、2002年にファースト(『Times new roman』)を出すことになるんだけど。この頃は6人組で。

ヴォーカルの方がもう1人いたんですよね。

スガナミ:そうそう。『Times new roman』は10月頃に出たんだけど、これ、その翌年の1月に実家の事情があって、もう1人のヴォーカルが帰省しなきゃいけなくなっちゃって。そこで「じゃあ、いっそやめちゃおう」ってことで一回解散して。

じゃあ、アルバムを出してすぐに。

スガナミ:すぐです。それでずーっとやってなくて。6年後か5年後に、ドラマーのmatの結婚式があって、「その二次会でGORO GOLOで演奏しよう」って話になって。それでやってみたら楽しくて、ちょくちょくライヴとかも誘われるようになったんです。「ちょっと継続してやってみようか」みたいな感じでゆるくはじめたんだけど。曲も結構溜まってきていたので、2012年に何か音源を出そうって思ったんです。それがちょうど風営法、いわゆる「ダンス規制法」が話題になっていた頃で、DJユースの7インチ作ろうっていう話になって。どこからリリースしようかって話をしていたときに、やっぱり古巣の〈STIFFEEN RECORDS〉から出すのがすごく面白いんじゃないかって思って。それで、角張さんに相談させていただいて、お忙しいなか手伝ってもらいました。

なるほど。それが去年の8月に出た『GOD SAVE THE DAINCING QUEEN EP』ですね。GORO GOLOの曲って、スガナミさん以外にもみなさんで書いてるんですか?

スガナミ:うん。ドラマー以外はみんな曲を書いています。今回の2ndだと、俺の曲の他にしいねはるか(キーボード)の曲とベースのきむらかずみの曲なんだけど。

どういう感じで曲を書いているんですか?

スガナミ:歌ものは俺がほとんど書いてて、インスト曲を他のメンバー2人が書いてます。歌ものはざっくりとしたものを俺が持ってきて、あとはドラマーのmatに「やりたいリズムで叩いて」って言って。この“GOD SAVE THE DAINCING QUEEN”は、ありえないほど16(ビート)が早くて。

ははは。

スガナミ:「これ、すげーウケるね! これやろう!」って言って作った曲ですね。だから、リズムありきでメロディーを乗せたりもします。いまはそのやり方が結構多いですね。インストだったら、誰かが持ってきた1つのリフから広げるとか。はるかの曲だったらまるっとピアノで作っちゃって、それに肉付けするみたいな感じ。


ソウルとかジャズとかを自分たちの音楽に変換したときに、スピードを上げるとすごく新鮮になるというのがアイディアとしてあって(笑)。

そうなんですね。“GOD SAVE THE DAINCING QUEEN”もそうですけど、GORO GOLOには「速さ」という要素があるじゃないですか。

スガナミ:速さね(笑)。

GORO GOLOはすごく速いです。さっき取材前に野田努さんが「ポーグスみたいだね」っておっしゃってたんですけど、GORO GOLOの速さというのは、スペシャルズとか、やっぱりそういうパンキッシュな面からきているんでしょうか? 僕は全然知らないところですけど、もともとは〈西荻WATTS〉とかのパンク・シーンに出自があるというのも関係しているんですか?

スガナミ:あるね。

なぜGORO GOLOはあんなに速いんですか?

スガナミ:退屈なのが耐えられなくて(笑)。

ははは。

スガナミ:スピードに逃げるというか(笑)。あはは! やっぱりスピードがあるとさ、聴きづらくなったりもするじゃん? それでも……突破したい、みたいな(笑)。何かをこう駆け抜けたいときに、スピードができるだけ速い方が……気持ち良いんだよね。はっはっはっはっ!

ははは! 曲もすごく短くて駆け抜けて、アルバム自体もすごく短くてすぐに終わりますよね。

スガナミ:あと、ソウルとかジャズとかを自分たちの音楽に変換したときに、スピードを上げるとすごく新鮮になるというのがアイディアとしてあって(笑)。それは昔からそうなんだけど。考え方としてはパンクに近いかもね。レコードを間違って回転数上げて再生したらすごくイケてるな、みたいな。逆もあると思うんだけど。すごく遅くて良いのもあると思うし。その感覚に近いかな。

GORO GOLOの音楽って、リズム・アンド・ブルースなどのブラック・ミュージックやロックンロールとかを詰め込んだガンボ・ミュージックだと思うんですけど、それはスガナミさんの趣味なんですか? メンバーのみなさん、そういうのが好きなんですか?

スガナミ:鍵盤のはるかはもともとラグタイムとかが好きで。ソウルやファンクが好きなのはベースのきむらと俺なんだけど。GORO GOLOをやるようになってからいろいろディグりだしたんです。ファーストの頃って、そこまでまだマッチングしてないというか、まだ音楽自体に魂を入れきれてないというか。表面的にファンク的なものでやっていた面もあったんだけど。でもいまはそれがわりと血肉化できるようになったと思う。それはたぶん、音楽をたくさん聴いてきたということもあるし、あとは年食ったってのもあると思うんだけど(笑)。

味が出たんですね。

スガナミ:味が! 自分たちのニオイみたいなものが出るようになった。

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自分自体が「自由に振る舞ってほしい」っていうことの象徴。「好きにしてください」と(笑)。プチャヘンザもないですし、フィンガー・ポインティングもない。

GORO GOLOは一貫してダンス・ミュージックだと思うんですよね。スガナミさんもライヴのあいだすごく踊ってる。そして観客を煽り立てる。「踊らせる」ことにすごくこだわっていると思うのですが、なぜそれほど「踊り」にこだわるんですか?

スガナミ:本能的なものでやってるんだけど。形容としては「ダンス」とかっていう言葉でもなくて。最近よく「音が肉にぶつかって、肉が揺れているだけ」と言っているんだけどね(笑)。

それはライヴからすごく感じますね。

スガナミ:お客さんに対しては「楽しんでほしい」っていう気持ちで向かってやっています。自分自体が「自由に振る舞ってほしい」っていうことの象徴。「好きにしてください」と(笑)。プチャヘンザもないですし、フィンガー・ポインティングもない。

たしかに、煽り立てていても「自由に振る舞ってほしい」というのは強く感じますね。

スガナミ:それを自分でやってみせて「こんな感じで、どうでしょう?」みたいな(笑)。

よくスガナミさんはジェームス・ブラウンみたいだと言われるじゃないですか。でもスガナミさんのダンスって、それとはまた全然ちがう(笑)。

スガナミ:全然ちがう(爆笑)。天野くんよく気づいてくれた(笑)。

言葉が悪いですけど、どこか不器用というか、踊れてないというか(笑)。

スガナミ:そうそうそう(笑)。全然踊れていないから。顔の黒さもあると思うんだけど(笑)、JBって言われることが多くて。でも、JBの映像って俺ほとんど観たことないんだよね。

そうなんですね。

スガナミ:うん。ノーザン・ソウルとかさ、ソウルのダンスってあるじゃん? そういう形を俺は知らないから、「肉が揺れているだけ」なんだよね。たとえば音楽が鳴ってそれにただ反応すれば、みんな絶対に変なはずなんだよ。ちょっと人目を意識するというか、「こんな感じでしょ……?」みたいに踊る人もいるけど、「そういうんじゃねえから!」みたいな(笑)。あっはっはっは! ただ鳴ったものに対して純粋に反応してみたらどうなるかと。そこと勝負、って考えてみたんだけど。

「肉が揺れているだけ」なんだよね。たとえば音楽が鳴ってそれにただ反応すれば、みんな絶対に変なはずなんだよ。ちょっと人目を意識するというか、「こんな感じでしょ……?」みたいに踊る人もいるけど、「そういうんじゃねえから!」みたいな(笑)

先ほどもおっしゃっていましたけど、GORO GOLOとスガナミさんのアティチュードにはやっぱり「楽しませる」というのがあると思うんですね。ライヴもショーのようで、継ぎ目なくどんどん曲がつながっていって、ドラマティックな感じだと思うんです。ライヴは構成を意識してやっているんですか?

スガナミ:そうですね。意識はすごく、してる。観ている人の集中力ってさ、たぶんそんなに続かないって思うんですよ。僕自身もそうだし。でもそこで、30分だったらいかに30分を楽しんでもらうかというときに、構成はすごく大事だと思っていて。余分なところは余分なままで残しておいていいんだけど、そこもちゃんとシュールな感じに仕上げるというか(笑)。だから全体を通してそれこそ継ぎ目なく面白いっていうのは意識してますね。自分たちがピエロ、道化みたいな感じ? 大道芸というか。お客さんや聴いている人よりも、自分たちが下にいるっていう感覚はすごくあって。「ピエロでやっているんで、よかったら観ていってください!」みたいな(笑)。

実際は黒人になりたいなんて思っていなくて。日本人――日本人というか自分たちがチャンプルーした音楽をどれだけ作れるかだと思っていて。「日本人である」というか「自分である」っていうことだと思うんだけど。

スガナミさんがやってらっしゃる〈ステゴロ〉(日本初のバンド版Back to Backトーナメント。2組のバンドが間髪入れずに演奏し合い、観客がその勝敗を決める)の発端になったA PAGE OF PUNKのツトムさんとの対話で、スガナミさんは「ピエロであることがパンクだ」ということをおっしゃいましたよね。

スガナミ:セックス・ピストルズもそうだったと思うし。あれはもっと鋭利なピエロだと思うんだけど(笑)。俺らはもっとパーティーというか、「楽しんでほしいな」っていうところで、ピエロ。

GORO GOLOの音楽においてはスガナミさんの言葉がすごく重要だと思っています。でもスガナミさんの言葉って、直接的というよりは一本ズラして、ワンクッション置いて歌うという面がありますよね。たとえば“GOD SAVE THE DAINCING QUEEN”は風営法についての曲なんですけど、直接的にはそうは聞こえない。スガナミさんの言葉でそのクッションになっているのが諧謔性やユーモアだと思うんです。“MONKEY SHOW”がとくにそうだと感じるんですが、この曲については他のインタヴューで「黄色い肌で何を鳴らそう」っていう曲だとおっしゃっています。それについて詳しく教えていただけますか?

スガナミ:JBみたいだって言われるのもそうだし、取り入れている音楽性には黒人のフィーリングもあるので勘違いされがちなんだけど、実際は黒人になりたいなんて思っていなくて。日本人――日本人というか自分たちがチャンプルーした音楽をどれだけ作れるかだと思っていて。「日本人である」というか「自分である」っていうことだと思うんだけど。「どれだけ自分であれるか」というところがすごく重要だと思っています。“MONKEY SHOW”も、その「黄色い肌で何を鳴らそう」というところにつながるんだけど。あと“MONKEY SHOW”に関して言えば、自分たちが道化だという、「これはお猿さんのショーです アイアイアイアイ」と言っているその虚無感がありますね。ハードルをくぐっている感じ、その刹那みたいなものを落とし込んでいる。ダンス・バンドゆえの切なさみたいな(笑)。楽しんでもらってなんぼなんだけど、そこにはすごく空虚なところがあって、でもそこもすごく重要。

“Blues Re:”はそういう歌詞でしたよね。

スガナミ:そうだね。おどけてなんぼ、でもおどけてるとこにちゃんと切なさがあるというのがやっぱりソウルやブルースだと思うし。

なるほど。先ほど言った“GOD SAVE THE DAINCING QUEEN”は風営法に関係していますが、スガナミさんがじゅんじゅんに提供された“2014年のガールズカラー”という曲は、直接的ではないものの新大久保の反韓デモとかヘイトスピーチを受けての曲ですよね。そういう時事的なものに対する瞬発力というのがいまのGORO GOLOにはあります。

スガナミ:それはA PAGE OF PUNKのツトムさんとかと仲良くなりはじめたというのも大きいです。関心事についてのポップ・ミュージック、もしくはダンス・ミュージックとしての機能の仕方にどれだけ肉薄できるかということも考えていて。音楽が隠れ蓑になるじゃないですか。必ずしも全員に伝わらなくてもいいとは思っていて、だから自分たちはこういう音楽性なんだと思うんです。でもいまの時代、メッセージがないとすごく強度の弱い音楽になってしまうと思います。だからそこに関しては、歌詞は本当に気にしてやっていますね。

最近気づいたんだけど、本気でやればやるほど人ってすごく笑うんだよね。っていうことは、人間はすごく滑稽だということなんだけど。

なるほど。あとユーモアに関して言えば、スガナミさんは松本人志がすごくお好きですよね。僕は全然通っていないところなんですが……。

スガナミ:好きだねー。すごく好きですね。とくに好きなのが『一人ごっつ』(1996~1997年)。フジテレビでやっていた『ごっつええ感じ』(1991~1997年)が終わって、深夜枠で『一人ごっつ』をはじめたんだけど、その頃の松ちゃんの尖り方がヤバくて。他にも『働くおっさん人形』(2002~2003年)、『WORLD DOWNTOWN』(2004年)、『考えるヒト』(2004~2005年)とか、斬新な番組がすごく多くて、いちばん尖っていた時期だと思う。いまだに『ガキ使(ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!)』だけ毎週観てる番組なんだけど(笑)。松ちゃんの独自性、ブラックなユーモアのセンス、飛躍や解放の仕方がすごく好きで。ユーモアという面では、松ちゃんには本当に影響受けていますね。僕にはなんにも及ぶ部分はないんですけど。松ちゃんはコントでキャラクターが乗っかっちゃう。自分のなかにもう生まれちゃっているというか、コント中にそのキャラクターになっちゃってるっていうか。それを松ちゃんは「憑依」って言うんだけど。キャシィ塚本っていう……。

知ってます(笑)。

スガナミ:知ってる? あれとかもそうなんだけど。俺のなかでもライヴのときって憑依してる感覚はあるんだけど(笑)。あと『一人ごっつ』でいうと、番組のワン・コーナーで、松ちゃんがただひたすら踊りながら商品の値段を言っていくやつがすげー面白くて。その踊りがとにかく面白いの! ノープランで挑んでる感じがすごく面白い。その動きを見ていて、「あっ、これやっぱ、ノープランでやってるからいいんだなあ」と思って。だから、ライヴ中は自分を解放するわけじゃないけど、面白くさせるために動いているところはあるね。でもそれとまた別の視点として、「笑わせよう」と思ってやらない、というのを大事にしてて。最近気づいたんだけど、本気でやればやるほど人ってすごく笑うんだよね。っていうことは、人間はすごく滑稽だということなんだけど。自分は本気でやっているから、「なんでそんなに笑うんでしょう?」って思ってるんだけど(笑)。あはははは! 本気でやればやるほどいいなって思う。夢中でやると、人はすごく楽しんでくれる。

ライヴ中も汗だくですもんね。バンド・メンバーも全員が一丸となっているというか。それに関して言えば、みなさんライヴ中はドレスアップしていますよね。ここ最近のロックってずっとドレスダウンしていると思うんですが、あえてGORO GOLOがドレスアップしているのは、パンクの様式やブラック・ミュージックに対する敬意なのかなと。

スガナミ:昔はモッズとかの文化が好きでめかしこんでた部分もあったんだけど。いま、なんでみんなでスーツを揃えてやっているのかなあって考えたときに――観にきてくれるお客さんって、学生の方もいらっしゃると思うんだけど、社会人の方は土日でも平日でも仕事をしてからスーツを脱いで来るわけじゃないですか? その代わりに俺らがスーツを着てやるというのがあって。「いまは俺たちが代わりに営業中なんで、自由に楽しんでほしい」というのがあるんだよね。その上でのスーツというか。モッズとかってもっとピシっとしてるんだけど、いまのスーツはちょっとデカめで良いんだよね。あれ、ノー・ベルトなんだけど。オレンジ色でさ、あまり見ないよね、ああいうの(笑)。

そうですね。

スガナミ:だからカッコつけたいというよりは楽しんでほしいっていう部分が大きいですね、やっぱり。

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〈ロフト飲み会〉はそれこそ昔、細野晴臣さんも中華街(ライヴ)で言ってたんだけど、「音楽は添え物ですので、好きに食べて飲んでいってください」っていう。そんなものでいいんじゃないかとも思うし。そこで機能できる音楽って素敵だと思うんですよ。

なるほど。話は変わりますが、スガナミさんの音楽前夜社としての活動も含めて、GORO GOLOはシーンの引っかき回し役になってると感じるんですよね。〈ステゴロ〉もそうなんですが。

スガナミ:なるほど、たしかにね。考えることがちょっと人とちがうのかな。普通にイヴェントやろうってときに、たぶんみんなメンツとかから決めると思うんですよ。対バンや自分がやりたい人で決めると思うんだけど、俺はイヴェントの趣旨から考えるところがあって。「飲み放題、飲み会にしたらいいんじゃないか……?」みたいな。

〈ロフト飲み会〉(毎月1回、〈新宿LOFT〉で行われるイヴェント。ドリンクチャージ1000円のみで飲み放題、毎回ジャポニカソングサンバンチが「余興」として演奏する)ですね。

スガナミ:〈ステゴロ〉だったら、「UMB(アルティメット・エムシー・バトル)みたいなことできないかなあ」とか。ライヴ・ハウスの可能性を探っている感じはあるんだけど。シーンに対しては、たまたまやってる人がいないということでもあるんだけどね(笑)。

そうですね。僕も実際にバンドをやっていて、オーガナイザー的な人はあまり多くないと感じます。

スガナミ:そうなんだよね。もちろん演者さんの並びは大事だと思うし、サーキットのイヴェントも面白いと思うんだけど。でも音楽自体や場所/スペースの本質に迫るようなものをやりたい。そういう方が自分も出たいと思うし。音楽をやっていくことに対してルーティンになっちゃうのが嫌だっていうのがあるんだよね。あとは「このバンドはこういう形だったら絶対もっとよく見せられるなあ」というのもある。たとえば、〈ステゴロ〉に出演しているのはとくにハードコアとかパンクのバンドで、もともと曲が短くて興奮するバンドたちなんだけど、なうなるとやっぱり、それを楽しむ人たちしか観にこなくなっちゃう。いまだったらダンス・ミュージックとかの方が先鋭的だし興奮するところがたくさんあると思うんだけど、もう一回(パンクやハードコアに)光を当てるとしたら、矢継ぎ早に戦う方が興奮するんじゃない? と(笑)。そのジャンルに対しての火の点け方だね。〈ロフト飲み会〉はそれこそ昔、細野晴臣さんも中華街(ライヴ)で言ってたんだけど、「音楽は添え物ですので、好きに食べて飲んでいってください」っていう。そんなものでいいんじゃないかとも思うし。そこで機能できる音楽って素敵だと思うんですよ。

スガナミさんの活動は非常に幅広いのですが、そのなかでGORO GOLOってどういう位置にあるんですか?

スガナミ:音楽人生のなかで初めてちゃんとやったバンドだし、自分のでがっちりステージに立ってるのはGORO GOLOしかないから……生きがいというか(笑)。生きている感じがする場所ではあるんだよね。ジャポニカ(ソングサンバンチ)とかMAHOΩ(共に音楽前夜社のバンド。MAHOΩは2013年に解散)とかは、もうちょっと俯瞰的というか、見え方として丸腰じゃないというか。GORO GOLOはやっぱりそれとはちがって、本当に……さらけ出す感じというか。本質的……「本質的」っていう感じでもないなあ……うーん……。

「核」みたいな?

スガナミ:「核」みたいな。うんうん。「心臓」みたいな。

アルバムの話に戻るのですが、ファーストも今回のセカンドも、ジャケットに男女がいますよね。

スガナミ:ああ、たしかに。

これは?

スガナミ:これはモーリス(アルバム・デザインを担当したYOUR SONG IS GOODの吉澤成友)さんの意図。たぶん。ファーストのジャケットもモーリスさんが描いてくれてて。

ファーストのアルバム・タイトルには「roman」と入ってるじゃないですか? GORO GOLOの曲にはどこかしら男女のロマンス的なところがあるって思うんです。それほど直接的に出てこないんですけど。

スガナミ:たとえば“GOD SAVE THE DAINCING QUEEN”はダンス規制法に関するものなんだけど、「踊ってるあの娘を眺めてただけなのに」というふうに、対象として「あの娘」って使うことはある。でも「女の子と踊ろうよ」っていうのはあんまりない(笑)。

あはは。

スガナミ:なんかね、そこはないんだけど(笑)。でも“セックス・マシーン”じゃないけどさ、どこかちょっと卑猥な方がいいと思ってて。ソウルとかってさ、ちょっと下世話っていうか。

スガナミさんのライヴ中のジェスチャーも……セクシャルなものがありますよね(笑)。

スガナミ:「セクシャル」っていうか、汚れてる(笑)。本能的であるべきだなって思うんだよね。行儀よくてもあんまり響かないなあと思って。

こうやってもう一回出てきたんだけど、ルーズ、っていう感じがすごく自分たちらしいなあと思って。でも「ルーザー(loser)」ってつけちゃうほど、まだ負けてないというか(笑)。で、「Golden」をつける(笑)。

『Golden Rookie, Goes Loose』というアルバム・タイトルがいいですよね。「黄金のルーキーがルーズになった」。

スガナミ:ははは! まさしく俺たちのことなんだけど(笑)。もともと「GORO GOLO」ってバンド名には意味がないんですよ。今回その頭文字取って、なにか意味をつけようっていう話をジャポニカの千秋としてて。ふたりで大喜利みたいにして話しているときに、「『Golden Rookie, Goes Loose』っていいじゃないっすか」って千秋が言って。「それすげーいいね」っていって、そうなったんです。あともう一案として、「Golden Rock, Golden Love」っていうのもあったんだけど(笑)。ははははは!

ははは!

スガナミ:あまりにダサすぎるって(笑)。「これは5枚目のアルバムだろう」と(笑)。アルバム・タイトルの意味合い的にはやっぱり……。俺らが21(歳)の頃ってさ、こういうエッセンスとしてソウルとかファンクとかジャズが入った音楽をやっている若い人ってあんまりいなかったから、ルーキーっぽい扱いをされてて。で、こうやってもう一回出てきたんだけど、ルーズ、っていう感じがすごく自分たちらしいなあと思って。でも「ルーザー(loser)」ってつけちゃうほど、まだ負けてないというか(笑)。で、「Golden」をつける(笑)。

活動休止から立ち上がって、セカンド・アルバムを制作して、GORO GOLOは今後もどんどん続けるんですか?

スガナミ:そうですね、やりますね。今年中にもう1作品ぐらい作りたいなあと思っていて。また曲作りをはじめて。

へー、すごい!

スガナミ:やー、ちょっと頑張って、老体に鞭打って(笑)。ははは!

「老体」だなんてまだそんな……。

スガナミ:いや、いま、32(歳)だからね。

全然じゃないですか。

スガナミ:いやいやいや。だって、天野くんはいま何歳?

24歳です。

スガナミ:24かー。若いなー。いちばんいいときに世の中に出てくなー。はははは!

でも、スガナミさんがGORO GOLOでファーストを出されたときは、21歳とかじゃないですか?

スガナミ:うんうん。でも俺たちはその後すぐ地下に潜るから。

スガナミさん、昔ちょっと引きこもっていたということをおっしゃってましたよね。

スガナミ:うんうん。

音楽前夜社の初期の活動は宅録とかで。

スガナミ:そのときはちょっと引きこもりから脱しはじめてるんだけど。それ以前は五厘(刈り)にして、布切れを着て公園を散歩するっていう毎日(笑)。

はははは!

スガナミ:ほとんど修行僧のような毎日。で、ポエトリー・リーディングしてるっていう謎の時期があって。その頃もすごくいいんだけど。その頃の作品も出したいなあと思ってる。そこからまた音楽前夜社とかをやるようになって、フィジカルが高まるっていう感じかな。


オール・ジャンル、濃いヤツらだけでやる。これは本当に面白いと思います。どうなるかわかんないんだけど(笑)!

最後に1月19日のイヴェント〈音楽前夜社本公演〉についてお聞かせください。

スガナミ:音楽前夜社がはじまってから、〈音楽前夜社本公演〉ってイヴェントを何度かやっているんです。今回、今年の1月19日に下北沢の〈Basement Bar〉と〈THREE〉を併用して、お昼から18組のミュージシャンが出ます。俺がこの2年間ライヴ・ハウスで出会った人たち、自分が好きな人たちに18組も出ていただいて。いま観るべき18組が揃ってくれたので、ほんとオススメです(笑)! すごいメンバーだと俺は思っているんですけど。

すごいですよ! 年代もジャンルも関係なく並んでいるという。

スガナミ:リリースの近いバンドも多いです。

僕ら(失敗しない生き方)がこの3日後(1月22日)にリリースですね。

スガナミ:Hi,how are you?も2月の頭とか(2月5日に『? LDK』をリリース)。DIEGOも出すし(昨年12月に『ヒッピーヤンキーミシシッピー』をリリース)。いま、とくに自分より若い人たちの世代がすごく好きで聴かせてもらってるんです。出演者には天野くんみたいな20代前半から中盤のバンドが多くて。脳性麻痺号やSUPER DUMBとか、年上の人たちとも交わってほしいなあなんて思いながら。A PAGE OF PUNKやodd eyesも出るし、天野くんたちにはぜひハードコアのバンドも観てほしいという思いがある。

そうですね。ぜひ!

スガナミ:オール・ジャンル、濃いヤツらだけでやる。これは本当に面白いと思います。どうなるかわかんないんだけど(笑)!

R.I.P. 大瀧詠一 - ele-king

 2013年12月30日、夕刻と報道にあったから、私は大瀧詠一さんが倒れたとき、湯浅学、牧野琢磨、山口元輝といっしょに新大久保のライヴハウスの舞台の上にいたことになる。われわれ湯浅湾と黒パイプとオプトラムとがホスト役でもう何年やっているか忘れたが年末恒例の〈黒光湯〉というイベントが昨年は飛び石的に2デイズあって、28日につづくその日は二日目だった。演奏はいつもながらではあったけれども、今年最後の演奏はほとんど練習しなかったわりに大きな失敗がなかったのはなにかの力が働いていたからかもしれないというと神秘主義にすぎるけれども、大瀧詠一さんは音楽と音楽の歴史の、ほとんど神秘的ともいえる系譜を聴きとる霊妙な耳をもつ音楽家であった。
 湯浅さんは著書『音楽が降りてくる』(河出書房新社)所収のナイアガラでの日々をふりかえった「Fussa Struggle 1977 ある丁稚奉公の記録」をこう締めている。
「あるとき師匠がこうおっしゃられた。『おまえもこういう仕事を将来やるんだろうけど、知識だけでどうにかなると思ったら大まちがいだぞ』」
 いまもそれをキモに銘じているという。ポップスの、とくに1950年代から60年代なかごろまでの古今東西の大衆音楽史を知悉していたプロデューサーであり、作曲編曲家であり、じつはたぐいまれなヴォーカリストとであるとともに特異な語り口をもつ音楽の語り部でもある総合音楽家が知識に依存しないことが音楽(と音楽にかかわるもの)に大切であると若者に告げる、そこには年長者のありがちなふくみはなかった。私はその場にいたわけではないし、大瀧さんにもお目にかかったことはないうえに音楽を熱心に聴きはじめた小六のころ最後のスタジオ盤『Each Time』(1984年)が出て、はっぴいえんどからはじまった活動期の15年を終えた大瀧さんは自他の歴史を発掘する作業にうつられていたが、そのことばには公約数的な箴言のまやかしは微塵もなく、過去の無数の音群との対話でつちかった耳の、あるいは音楽に対する鼻のめっぽう利く究極の粋人の孤高から導きだしたものがあった。大瀧さんは音楽史の巨星であるが星群をつくらなかった。ちかよりがたさを感じていたのは後発ゆえのひけめかもしれないが、いくら説明しても、本人さえ思いもよらない系譜とのつながりがあとからあとから湧いて、実像が遠のくように思えたのは私に父親のそれを思わせた。こちらが経験したことのない時代を生き、それが表現に結実し、その影響は私の知るかぎりの隅々まで広がっているが黙して奏でない。過去がただ深まる。それは山下達郎氏――達郎さんのバンドの屋台骨だったドラマー青山純さんも2013年に亡くなられたのだった――や細野さんともちがうのである。追いつけない深みにある実像が私に父を思わせたのか、70年代生まれの音楽ファンにとってのたんに世代差も手伝ったのか。私は20代のとき “幸せな結末”(1997年)はあったけれどもそれにしても過去からの残響、とても深い場所からの残響であり、音楽業界が過去最大の売り上げを記録しようとしていた当時、一代かぎりの完成したポピュラー・ミュージックの方法論は90年代のアーカイヴ主義のなかでも異彩を放っていた。さらに15年ちかく、風にのった神話のようにわすれたころに聞こえていた新しいアルバムも出すことなく大瀧さんは世を去った。文字よりしゃべり(ラジオとかね)をおもしろがった知識としてのことばは、細野さんが新聞にコメントしたとおり、大瀧さんといっしょにどこかにいってしまった。知識だけではないのは重々承知ですが。それもまたドルフィーいうところの音楽と同じということなんだろうか。もちろん音楽はのこっている。しかしながら大瀧詠一の肉体の消滅で日本の音楽史はひとつの分母をうしなった――というのは大瀧さんの分母分子論とはまったくちがうが、それはまたここ数年批評家よってたかって議論してきたことのさきがけだったが、肉体がなくなることが象徴の喪失に転化する、大瀧さんは音楽家としての後半生を意図的かどうかはさておき、そのようにもっていった。そしてゼロ除算は数学的に定義できない。
 2013年12月31日、大晦日の7時のニュースに大瀧さんの訃報が流れている。数分後には紅白がはじまる。100万枚売るアイドル・グループがいる一方に、オープニングでグランウド・ゼロ時代(?)の改造ギターを手にした大友さんが登場するこの状況はたしかに定義しがたい。その前提のもとで系譜を継ぐか、空位となった分母に別のなにかを代入するか、現在時のみに時制をとるかは私たちに大瀧さんがのこした宿題かもしれない。そんなことを考えながら、ケヴィン・エアーズ、山口冨士夫、ルー・リード、かしぶち哲郎、多くの方をうしなった2013年は暮れ、暦の上ではもう2014年である。(了)

 アナログ世代かCD世代かという議論があれば、僕は勝手に「12インチ・シングル・ジェネレイション」というタームを思い浮かべてしまう。ジャズ・ファンならLPだろうし、着うたフルで育った世代は「MP3のスカスカが懐かしい」というように、高校時代から普及しはじめた12インチ・シングルに馴らされてしまっただけともいえるけれど、身体性というのはそう簡単に変容できるものでもなく、CDが簡単に買えるようになっても(最初はヒドいものだった)、データ配信がこれだけ身近になっても、それに合わせて自分の体をカスタマイズできなかったと思うしかないような気がする。同じ曲を聴いていても、12インチならすんなり入ってくるものがCDではまったく身につかなかったり、データだと違う曲に聴こえていたりといったこともないとは言い切れない。どうか……している。

 12インチ・シングルは、なぜか日本では定着せず、そこで輸入盤文化とJポップやアイドルなどの日本文化も離ればなれになってしまった印象がある。「NME」がいつだったか、プリンスの特集を組んだときに「知られざる100の秘密」というような記事も載せていて、そのなかに「日本ではプリンスの12インチ・シングルが1枚もリリースされていない!」という項目があった。プリンスだけではなく、誰もリリースされてないんだけどなとは思ったものの、それぐらい欧米では12インチというフォーマットが当たり前になっているということをその記事は教えてくれたといえる。片面に1曲しか刻まれていない12インチ・シングルは、縮み志向の日本人には合わなかったのか、しかし、余白と感じられるだけのスペースがあるからこそ、そこにはやがてリミックスという手法が呼び込まれ、それが複雑化し、さらにはDJカルチャーを促すものがあったといえる。レイヴ・カルチャーの有無がどれだけ音楽文化に違いを与えてしまったかは、「オマル・スレイマンがビヨークをリミックス!」とか、そういったことがまったくといっていいほど日本では起きないことからもよくわかるだろう。12インチ・シングルはPCが普及するまで音楽文化における大きなプラットフォームだったのである……と、思いたい。

 20年ぶりに引っ越して、少し広い部屋に移ったために、なるべく買わないようにしていた12インチ・シングルを……また買い出してしまった。あー(嘆)。ドローンにも少し飽きてきて、ダンス・カルチャーに再び深入りしようかなという思いもあったからか、気がつけばヒドゥン・ハワイは揃える、リル・シルヴァは買い漁る、ウイリー・バンーズやなんだかよくわからない白盤がまたしても足元に溜まり出してしまった。幸い、断捨離教には入っていなかったので、いまのとことろは楽しいだけである。あー(嘆)。まー、せっかくなので、2013年のハイライトを12インチ・シングルで振り返ってみましょうか。


1月 Andrey Zots / Not So Secret Diary (Not So Secret Dairy)

 年頭はまずロシアからアンドレ・ゾッツがぶっちぎり。ロウリン・フロシュトがハンガリーで立ち上げたレーベル名をそのままタイトルにした6作目で、ファニーな響きもさることながら、全体にここまで実験的なミニマルも珍しい。前作まではヴィラロボスの影響下にあったことは免れていなかったにもかかわらず、ジュークを取り入れたイントロダクションから動物園を丸ごとループさせたような展開など、ミニマルの裾野が無限大に広がっていく。
1月はまた、リル・シルヴァ「ザ・スプリット」も相変わらず絶好調で、〈ラフ・ドッグ〉が発掘してきたグローイング・パームスのソロ・デビュー作「RK#7」もご愛嬌。

2月 Lord Of The Isles / SHEVC007 (Shevchenko)

 アンドレ・ゾッツでなければ、1月はジョージア州から彗星のように現れたHVLのデビュー作にしたかったところだけれど、同じようにミスター・フィンガーズを思わせるアトモスフェリックなディープ・ハウスなら2月はロード・オブ・ジ・アイルの8作目が圧倒的だった。キックもスネアもなしで10分を越えるロング・トリップを可能にした1枚で(ハットは少々入る)、延々と上昇しつづける音のスパイラルは『E2-E4』に似た世界を垣間見せつつ、デリック・メイにも近い部分を感じさせる。ほかには前の年に出た「ゴールド・ランゲージEP」ほどではないものの、レオン・ヴァインホール「ロザリンド」もまだかなりイケる感じで、〈モダン・ラヴ〉からデビューしたライナー・ヴェイルも今後が期待できる感じ。

3月 Amit / Acid Trip / Don't Forget Your Roots (Tempa)


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 3月はペヴ「アズテク・チャント」やウィリー・バーンズ=ブラック・ディアー……といいたいところだけど、「セカンド・カット」や「ヴィレッジ・フォーク」などのヒットで知られるドラムン・ベース・ヴェテランが前年からダブステップに手を染めはじめ、これにアシッド・ハウスを組み合わせた14thシングル「アシッド・トリップ」がダントツでした。まったくもってアイディアは単純。ヴィデオも最後で大笑い。フランスのアルビノにも似たようなことがいえる。

4月 Om Unit & Sam Binga / Small Victories EP (Exit Records)


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 これに関しては紙エレキングのブリストル特集(P.112)で長々と書いたので、そちらを参照ください。4月はほかにダブ・メックスのセカンド・シングル「ブロークンUFO」、イオマックの5thシングル「スプーク」、バーズメイキングマシーンのサード・シングル「2」、フローリアン・カップファーのデビュー・シングル「ライフトラックス」、Lヴィス1990「バラッズ」なども良かった。

5月 Various / Dark Acid (Clan Destine Records)

 〈クラン・デスティン〉が現在までに3集までリリースしているアシッドハウスのコンピレイション・シングルで、1枚めはなんといってもトーンホーク「ブラック・レイン」がハイライト。このPVを観て、音楽だけを聴いて……といっても無理だと思うけれど(最初に一回、映像を観ないで音だけ聴くことをオススメします)、いつにもましてトーン・ホークがソリッドにキメている(最近、ちょっと方向転換しちゃったみたいだけど……)。ほかにナッティマリの変名であるロン・ハードリータフ・シャーム(ドロ・ケアリー)をこの時点でまとめたところも慧眼といえる。ワイルド・ナッシングのEP「エンプティ・エステイト」にもちょっといいチル・アウトがありました。

6月 Serifu / Stucco Swim (Diskotopia)


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 5月はイナー・サイエンスによる音の乱舞が実に美しかった「サイレント・アウェイキングEP」も捨てがたいものがあったけれど、同じ日本人で6月はセリフのデビュー・シングル「スタッコ・スイム」がなかなかやってくれたという感じ。レーベルはディスコトピア。エスニックなイントロダクションからグッと惹きつけるものがあり、ドライヴの効いた2曲めに引き継がれ……と、ベース・ミュージックの新境地が次々と押し寄せる。いやー、これはカッコいい。どこかに和太鼓のリズムを感じさせる感触があり、それが全体にエスニックの裏打ちになっているのだろう。ディプロが見つけるのも時間の問題というか。同じようにスチール・パンで「ヴードゥー・レイ」をカヴァーしたジェレミー・デラー「イングリッシュ・マジック」もかなり斬新なアレンジで、マッドチェスターにトチ狂った覚えがある人は是非、聴いてほしい感じ(オプティモによるリミックス盤はもうひとつでした)。この人はターナー賞を受賞したことがある美術家なんだそうで、なるほどメイキング・ヴィデオもそれらしくアートっぽい?

7月 DJ Rashad / I Don't Give A Fuck (Hyperdub)


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 2013年の顔役のひとりで、野田努は「ローリン」を押しまくるけれど、僕はこっちが良かったピーッ。いかにもインプロ風に被せられたピーッという音のフリーキーさがたまりませんよね。アーリー・レイヴを思わせる不穏なシンセサイザーのループもいいムードを醸し出しているし、ピー……じゃなかった、Bサイドに収録されたフレッシュムーンとの共作「エヴリバディ」がまたM.I.A.を遅くしたような展開とデリック・メイを早回しにしたものが、どこかで接点を見出したというような曲で、実にけっこうでした。

8月 dBridge & Skeptical / Move Way (R & S Records)


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 エイミットやサム・ビンガ、あるいはダブ・フィジックスの陰にこの男ありというわけで、ここ数年、ドラムン・ベースの変容に立ち会ってきた〈イグジット〉主宰、ブリッジがジュークの影響をダンスホールで返したような直球勝負。ガッツ、ガッツでドタン、ドタンって、あまりな音数の少なさはS-X「ウー・リディム」にも匹敵するものが。つーか、ダンス・カルチャーというのはコレですよね。ヴェイパーウェイヴとかやめてほしいです。とにかく徹頭徹尾ビートだけで、快楽的なんだかストイックなんだかよくわからない~。追って10月にリリースされたテッセラの5thシングル「ナンシーズ・パンティ」もこれに影響されたんだろうか。

9月 FKA Twigs / EP2 (Young Turks)


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 前に書いたサウンド・パトロール(https://www.ele-king.net/review/sound_patrol/003359/)を参照ください。

10月 DJ Nigga Fox / O Meu Estilo (Principe)


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 アンゴラが起源とされるクドゥロのコンピレイション『バザーク』から2年、もっとも興味深かったリスボン・ベースのDJニガ・フォックスがついにデビュー! しかも、作風はかなりハウスに寄せていて、オソロしい才能を感じます。「ミウ・イシーロ」=「マイ・スタイル」を標榜するだけあって、本当に独特のものがあるし、ポリリズムすぎて詳しくはなんだかわかりませんが、クドゥロだけでなくルワンダから流れてくるリズム(?)やタラシンハ(?)、あるいはバティーダもミックスしてるとか(?)。とにかくウルドゥー語ヴァージョンなどを出していた頃のファン・ボーイ・スリーやトーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』の先を思わせるところもあったりと、ダンス・ミュージックの長い道のりを感じさせることしばしば。コレはマジやばいは。続いてリリースされた彼のお仲間(?)であるナイアガラは、しかし、かなりナゾ。10月はほかにヴァンパイア・ウィークエンドからバイオが少し垢抜けた「ミラEP」にルーマニン・ハウスではプリークとして知られるアドリアン・ニクラエ「アコースティックEP」もそれぞれ出色の出来。

11月 Shit And Shine / Blowhannon (Diagonal)


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 これは意表をついた。いままでもひと筋ではいかなかったハードコアというのか、サイケデリックというのか、それともマス・ロッックだったり、インダストリアル・ロックでもあったシット&シャインがハウス・シングルをリリース。そして、オルタナティヴ・ロックのエッセンスは見事にハウス・ミュージックに溶かし込まれ、異様なダンス・ミュージックに仕上がっている(ちょっとバットホール・サーファーズのサイド・プロジェクト、ジャックオフィサーズを思い出した)。いわゆるひとつの鉄槌感もあるし、なんだろう、インダストリアル・ハウスとでも呼べばいいのだろうか。しかも、B2にはセオ・パリッシュ「シンセティック・フレム」のエディット・ヴァージョンまで収録されて……(プロモ盤では「ディキシー・ピーチ」と題されていたものが、クレームでも入ったか正規盤ではセオ・パリッシュの曲名に変更されている?)。いや、しかし、もしかして、このままUSアンダーグラウンドのプライマル・スクリームになっちゃったりして…。

12月 Joe / Punters Step Out (Hemlock Recordings)


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 リリース・ペースはけして早くないジョーが続けさまにリリースした2枚のうち、後から出た方で、ちょうど1年前にスウィンドルがダブステップにマンボを取り入れたことに挑発されたか、オルガンをフィーチャーしたモンド・ステップで世界を少しばかりグニャリと歪ませてくれる。構成がとにかく大胆で、時間軸まで歪んだように聴こえるというか、「ダブステップは終わった」と言われてからが面白いと言わんばかり。カップリングはまるで上に挙げたシット&シャイン風で……あー、しかし、シャッフル感がぜんぜん違うかな、この人は。それこそ時間をかけるだけのことはある。12月はほかにマッドテオの8thシングル「インサイダー」、トム・ディシッコの6th「ノー・シンパシー」、グア・カモーレ「マシュタハ」もやってくれました。

 ……こうしてみると、まったくといっていいほどヒップ・ホップを聴かなくなったなー。ミックステープも落とすだけで長いからあんまり聴かないしなー。まー……それはおいといて、要するに12インチというのは短いから頭に入ってくるんですね。1日に詰め込める量なんて、実は限られているんだろう。昔は、「NME」のシングル・オブ・ジ・ウィークを毎週、チェックして、週に1枚、気に入ったシングルがあれば、それでかなりシアワセだったからなー。それでも年間にしてみれば50曲以上はフェイヴァリットになっているわけで、けして少なくはないわけだし。それこそ昔、よくやっていたのはデビュー作から3~4枚のシングルを好きな曲順で再構成したテープをつくってファースト・アルバムとして聴いていたこと。実際にファースト・アルバムが出ると、ほとんどの場合はがっかりで、どういうわけかそれ以上のものにはなってくれないという……。

vol.61:ウィリアムスバーグの終焉 - ele-king

再オープンしたサイレント・バーン
再オープンしたサイレント・バーン

 気分も新たな2014年。本年もよろしくお願いします。
 NY(アメリカ)のお正月はあっという間に過ぎ、2日から通常営業。年の初めだし初心に戻り、またトッドPからはじめたい。2年前、2012年初めに、NYのDIYシーンの未来を語ってくれたトッドPである。
 この時から状況は変化しているが、ブルックリンのDIY音楽シーンを支える彼のコンセプトは変わっていない。彼が引き続き、2014年の重要な鍵を握っていることは間違いない。ここ数年の彼は表立ったブッキングよりも、複数のプロジェクトを進めてきている。
 彼がどれくらい忙しいかというと……以下が同時進行しているプロジェクト。
1. 285 ケント::オールエイジのパフォーマンス・スペースの経営。(ウィリアムスバーグ、ブルックリン)
2. トランス-ペコス(旧サイレント・バーン) :: オールエイジの会場、アートスペースの経営。(ブシュウィック/リッジウッド、ブルックリン)
3. オトラス・オブラス ::アートギャラリーの経営。(トゥワナ、メキシコ)https://otrasobras.mx
4. ショーペーパー ::オールエイジを対象にしたNYエリアのショーリスティングの新聞の幹部。フルカラーのアートは毎回変わる。2週間に1回発行。https://showpaper.info
5. マーケット・ホテル:: 長い間閉まっているコンサート/アートスペース。再オープンに向けて。(ブシュウィック、ブルックリン)
 その他、ブシュウィックに、リハーサルスタジオ、多目的アートスタジオ、オフィス・スペースなどを貸している。https://toddpnyc.com

 2013年12月に、#1のトランス・ペコス(元サイレント・バーン)が約2年半の歳月をかけオープン。喜んだその1週間後の12月19日には、定番のDIY会場、#2の285ケントがクローズ。NYのメディアもすぐ反応している。
 https://gothamist.com/2013/12/19/is_285_kent_closing_tonight.php
 https://blogs.villagevoice.com/music/2013/12/...
 https://www.imposemagazine.com/bytes/285-kent-closes

トランス-ペコス
トランス-ペコス

 まずふたつのサイレント・バーンについて説明。
 元々のサイレント・バーン(951 wyckoff ave)は、2011年8月に強制撤退させられている。そして、2013年1月に新しいスペース(603 bushwick ave)で再オープンし現在に至る。その旧スペース(915 wyckoff ave)に、#1のトランス・ペコスが、2013年12月にオープン。旧サイレントバーン:603 bushwick ave(ブシュウィック) 新サイレントバーン(トランス・ペコス):951 wyckoff ave(ブシュウィック/リッジウッド)
 トランス・ペコスは、違法だった場所を合法に変え、ライヴを見に来る目的だけでなく、飲みに来たり、ハングアウトできる多目的場所にしたいという、トッドPの新たな挑戦だ。トランス・ペコスのオープンに辺り、トッドPは12月10日に声明をリリースしている。トランス・ペコスをこれからどのような場所にしていきたいかなど、彼の情熱が伺える。著者は、12月18日に現在ほとんどのブッキングを担当するノーザン・スパイ・レコーズのショーケースで、サン・ワッチャーズ(From Nymph)、ピーター・カーリン8、プラティナム・ヴィジョンなどのバンドを見た。地下やバックヤードも改装され、トッドPの思惑通り「ゼブロン、トニックなどの、NYの伝統的な音楽スペースのように、広い範囲での「新しい」音楽ジャンルの場所」に一歩近付いている。ここに希望を感じたが、次の日が285 ケントの閉店とは誰が予想しただろう。

オトラス・オブラス
オトラス・オブラス

 この285 ケントの終幕が、トランス・ペコスのオープンとどう関連するのかは謎だが、ウィリアムスバーグの重要なDIY会場を失ったのは事実だ。285 ケントの終わりは、ウィリアムスバーグの終幕を決定づけたとも言える。285ケントの最後のアクトとなったエストニアンのエクスペリメンタル・シンガー、100%シルクのアーティスト、マリア・ミネルヴァもパフォーマンスの最中、観客に向かって「私たちはいまここで、ウィリアムスバーグの最後を見届けている。個人的にも、この場所(285ケント)以外には行く必要はないと思っている」と言い放った。

285ケントの最後のアクトとなったマリア・ミネルヴァのライヴ
285ケントの最後のアクトとなったマリア・ミネルヴァのライヴ

 その他、ブルックリンの音楽ニュースは:
 最近ウィリアムスバーグに鳴り物入りでオープンしたラフ・トレードは、騒音問題のため暫くライヴは中止。
 現サイレント・バーンは、現在資金集めのためキック・スターターを展開。
 多目的会場、ブルックリン・ナイト・バザーに、12月27日~28日と、サイキックTV(最高!)を2日連続で見にいった。人はたくさん入っていたが、クリスマスの後だったためか、ガクッとヴェンダーの数が減っていた。
 11月22日からトッドPのウエブサイトのアップデートは停止している。

 これらが何を意味するのか、変化の速度は速く、新たな時代に入っていることには違いない。2014年、何が起きても動揺しない精神の強さ(これ大事)で観察を続けたい。みなさんと共有できたら幸いである。

ブルックリンでのサイキックTV
ブルックリンでのサイキックTV

Gatekeeper - ele-king

 映画館で映画を観るときには、ぜったい5分とか遅れてしまって開始前に着席できず、アクション映画などの派手なトレーラーが流れはじめているのを背に人の前を横切ったりして気まずい思いをするので、筆者にはこうしたときの感覚が映画館の体験と分かちがたく結びついている。それで、この6曲からなるEPの冒頭“ソード・オブ・ザ・ギャザリング・クラウズ・オブ・ヘヴン”を聴いたときには気まずさと笑いが込み上げた。総制作費何百億、みたいな映画のトレーラーでよく聴く気がするあの感じ……導入になるような短いセリフにつづいて、合唱付きの交響曲みたいなのがはじまって、そこに重ねて急激にクレッシェンドする戦闘機のようなSE、そしてその頂点で鋭く炸裂する、ドンという低音と四分音符分の金属音。あれが、嫌味なくらい再現されている。
 サンプリングではないらしいので、これは巧妙なパロディであって、片割れ(アーロン・デヴィッド・ロス)がフォード・アンド・ロパーティンの『チャンネル・プレッシャー』にも参加していたブルックリンのデュオ、ゲートキーパーは、今度は『ブレード・ランナー』のシンセ感ではなくて、エイティーズ・ブームの一段落とともに『ロード・オブ・ザ・リング』とか『トランスフォーマーズ』とか、もっといい例があるかもしれないけれど、とにかくあのSEが施されたシンフォニックな合唱付きに住み心地のよいディストピアを見つけたということなのかもしれない。最初のEP『ギザ』(2010)や〈ヒッポス・イン・タンクス〉からリリースされた『エキゾ』(2012)のへんなインダストリアル、ダークウェイヴには垢抜けない印象を受けたが、こちらはずっとコンセプトが明確で、趣味がいいとはいえないけれど、おもしろいと思った。
 声楽的な発声の歌やコーラスを用いるプロデューサーは増えたが、筆者は声をただ「素材」だとする人にも、声に神秘的な意味を汲みすぎる人にも距離を感じてきた。対するにゲートキーパーにはクラシカルなスタイルを持つ合唱作品のヘンさ(発声時の独特の表情とか「裏声」への素朴な違和感を含む)や、逆にその魅力やダイナミックさへの正直で開かれた態度があると感じる。彼らはたぶん、本当にそうした合唱作品が好きなのだ。もしかするとそれなりにその道の造詣も深いのかもしれない。『エキゾ』終曲は、マリー・シェーファーと〈ナイト・スラッグス〉とブレイクビーツの悪趣味な合体のようにも聴こえる。とすると、ある種のサントラを模すことであの過剰な金属性と人声のせめぎあいをクリティカルに高出力する今作には、現代版の“鉄への呪い”(トルミス)といううまいオチがつくかもしれない。『ヤング・クロノス』は「Inspired by a true story.」という喚起的なセリフで幕を開け、それが「ネオ・サピエント」のストーリーであるとつづけられている。

 インダストリアルというよりはEBMがトレンドの先端かもと言うならば、もしかするとそれを先取ってもいた彼らだが、それが“ハーヴェスト”のように、ソプラノのメリスマと掛け合わされていくところなどにも笑ってしまう。本当に品がないけど、心からエキサイトしているのだろうし、“インペラトリクス”や“ザ・ソイル・ハズ・サワード”などのコーラス部分も、とても「ウワモノ」という言葉では片付かない。ゲートキーパーのハイパーなエネルギーは、声というものを通してやっと存分な広さの放出口を得たのだと思える。ビートがせり出てきても、そのオブリガートであるかのように合唱パートが執拗に追ってくる。たとえばルチアーノの“”セレスシャル”に用いられているコーラス・サンプルなど、クォンタイズされないながらも繊細にビートを立てていくような洗練とは無縁だけれど、声やその始原的なエネルギーを安易なトライバリズムに求めず、真っ直ぐに西洋音楽の中心に突っ込んでいくような彼らには意外性と爽快さがある。

Actress - ele-king

 アルバムの1曲目がキラーだ。『R.I.P.』(2012年)も『Splazsh』(2010年)もそうだったかもしれない。今回も1曲目(“Forgiven”というのが曲名)を聴いたとき、心底格好良いと感じた。何回聴いても良い。その格好良さは、過去のテイストとは違う。とくにアンビエント色を強めた『R.I.P.』とは対照的だ。音色はくすんでいるがリズミックで、ダンサブルで、ファンクの躍動感がある。ドレクシアの後継者という言い方が使えるなら、このアルバムのためにあるかもしれない。ゲットーのダーク・ファンタジー、アフロ・フューチャリズム、想像力を働かすには、充分なほどの仕掛けがある。この原稿を書いている現在、午前中だし、寒い曇り空が広がっているので、『ゲットーヴィル』を聴くには申し分のない条件が揃っている。しかもテレビではプレミア・リーグの録画放送をやっている。スパーズがユナイティッドのゴールを脅かしている……

 年末から年始にかけては、子供とサッカー番組をぶっ通しで見た。もちろんW杯への予習をかねてだが、サッカーは、会話を持てないときの親子にとっては最高の潤滑油で、とくに好きになれないシティやチェルシーの試合であろうとも話のサカナとしてあまりあまる。小学生の中学年となれば、日本代表がロビンのいないオランダ代表に引き分けても喜ばないし、フランス革命とはニューキャッスルを意味する。ちなみに、昨年末三田格がレヴューで触れていたトルコは、サッカー・ファンのあいだでは欧州リーグの元スーパースターわんさといることで知られる。Jリーグとは比較にならないほど監督も選手も有名人が多い。チャンピオンズ・リーグを戦っているガラタサライ(イスタンブルの人気クラブのひとつ)の数年前の監督はライカールト(永遠のスター)だし、いまの監督はマンチーニ(前々インテル、前シティ監督)、クラブにはドログバ(元チェルシー/コートジボワール代表)とスナイデル(オランダ代表)もいる。かつてジーコを監督に招いたライヴァルのフェネルバフチェにはカイト(オランダ代表)がいる。トルコのシュペル・リガは、その熱狂も含め、欧州四大リーグに次ぐリーグへとなりつつあるとも言われている。ついでながら言えば、本田圭佑が前に所属していたCSKAはロシア陸軍のクラブが元になっているし、移籍先のACミランの会長は悪名高きベルルスコーニ、現在シティを抜いて1位のアーセナルは兵器工場の労働者のクラブからはじまっている。年末に亡くなられた大滝詠一さんは、日本音楽における分母としての「世界史」を強調されていたことで知られるが、サッカー・ファンは、否が応でも世界史と直面している。
 と、話は大きく脱線したが、まあ、単純な話、アグエロを見ているだけでも今年のW杯のアルゼンチンはかなり強いだろうとか……、日本の子供から見てもプレミア・リーグ(もしくはチャンピオンズ・リーグ)は面白いので、家族の会話をうながしてくれる。僕の週末の感情(悲しみや喜び、憂鬱と錯乱)に振り回されるJリーグと違って、帰属意識なんかにかき乱されることもなく、気楽に見れるところも良いのだろう(もちろん現地では日本以上の強い帰属意識の衝突が繰り広げられている)。
 いやいや、そうじゃなくても、アクトレス(ダレン・カニンガム)が、19歳まで、世界最高のリーグのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに所属していたという過去には興味をそそられる。稲本潤一も在籍したことがあるクラブだ。テクノ・ファンがここで思い出すのは、セルジオ・メンデスと一緒にアルバムを作ったブラジルのペレではなく、本気で野球選手を夢見たデトロイトのマイク・バンクスだが、アクトレスの数少ないインタヴュー記事を読んでいると、彼は、日々ストイックに人生を過ごしているバンクスとは正反対で、いかなるときもウィードを手放さない瞑想的な生活を送ってらっしゃるようだ。そのライフスタイルの違いは、音に出ている。『ゲットーヴィル』は、最初聴いたときはずいぶんトゲのある、暗いアルバムだと感じたが、繰り返し聴いているうちに気持ち良くなった。

 アクトレスがフットボーラーを辞めてDJになり、そしてレーベルをはじめた頃はマシュー・ハーバートに夢中だったというが、ほとんどの場合の彼は、自分の音楽を説明するのにデトロイト・テクノを引用している。ときに自分はホアン・アトキンス(デトロイト・エレクトロ)の系譜だと言い、『ダミー・マグ』という最新型を好むポストモダン小僧御用達メディアを相手取って、いまでもインナー・シティの“グッド・ライフ”は通用すると主張し、若いインタヴューアをたじろがせている。しかし、彼の音楽にはハウス的なカタルシスはないし、彼自身も言うように、損得勘定で作っている音楽だとは到底思えない。ただただ純粋な探求心があり、聴き手の度肝を抜く。
 怪我をしなければアクトレスは可能な限りボールを蹴っていたのだろう。『R.I.P.』のように死を連想させながら、情熱によって音を追求している彼の逆説的な前向きさにも、人生の舵を大きく別の方向に切ったことが関係しているのかもしれない。現在ウェスト・ブロムには、有名どころで言えばアネルカ(元フランス代表/元アーセナル~元チェルシー等々)がいる。ピークを過ぎた選手だが、ウェスト・ブロムはイングランド中部の歴史あるクラブだ。ダレン・カニンガムのポジションはどこで、どんなプレイヤーだったのだろう。 90年代なかばの数ヶ月だけ我がチームに在籍して、その後スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャで世界的評価をモノにしたブラジル人のジャウミーニャはザ・スミスのファンだったという。南米の選手らしく華麗なフェイントを駆使するミッドフィルダー(清水ではFWで使われていたが)がマンチェスターの暗い叙情詩のどこに共感したのか知るよしもないが、それを思えば、UKミッドランド工業地帯のアフリカ系のフットボーラーがUS北部の廃墟から生まれた電子音楽に共振することは驚くには値しないかもしれない。噂によればこれが最後の作品になるとか……どうせガセだろうとは思うけれど。

 アナログ盤の値上がりがきついし、YouTubeをパトロールするのが苦手なので、昔よりも難易度は高まっているように思うけれど、2014年も良い新譜に出会えますように。今年は、地上最大の祭典と呼ばれるW杯がある。サッカーと同じように、音楽を探究することは、個人的な意味を越えた何かにぶち当たる。それを世界史と呼ぼうが、社会と呼ぼうが、ブラジルでは、ディフェンダーをうまく騙すことは人生と深く関わりがあると思われている。ずるい子こそがうまい子になる。2014年は64年ぶりにトリックスターの聖地でW杯が開催される!

interview with Wataru Sawabe and Yusuke Satoh - ele-king



V.A.
カーネーション・トリビュート・アルバム なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?

TOWER HMV

 2013年12月14日、渋谷クラブ・クアトロのステージにはバンド結成から30年の節目の年を迎えたカーネーションが、年を重ねるごとに若がえる、回春というと何やらあやしげだけれども、その汗と音楽を迸らせていた。
直枝政広と大田譲を中心に、バンド・メンバーには張替智広(Dr)と藤井学(Key)、それにこの冬のツアーをサポートしたスカートの澤部渡と(スカートのメンバーでもある)カメラ=万年筆の佐藤優介の姿も。“Edo River”で前編を締め、直枝政広がプロデュースした『絶対少女』を出したばかりの大森靖子を加えたアンコール以降はとくに「さざなみ」というより高波に掠われるようだった。
いい大人といい若者による渾然一体とした音楽。それはそのまま、『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』と題したカーネーションのトリビュート盤にもあてはまる。
シャムキャッツ、森は生きている、失敗しない生き方、大森靖子といった新鋭から岡村靖幸、曽我部恵一、山本精一、さらには森高千里といったおなじみの方もそうでない方もまじえ、音盤という物体に乗った音楽のもつ構造を多角的に対象化したこのアルバムの発起人、上述の澤部渡、佐藤優介のふたりが、ときにおどろくほどざっくばらんに、カーネーションへ捧げた音盤を語りおろす。

僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているか提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。(澤部渡)

『なんできみはぼくよりぼくのことくわしいの?』は澤部さん、佐藤さんが発起人ということになっていますが。

澤部:カーネーションが30周年だから何かやりたいと思っていて、若手からカーネーションをもりあげることができたらいいなと思っていたんです。これもかなり正直な意見になるんですけど、20代のひとたちがカーネーションを知る機会が少なかったのがもったいない気がしたんです。

澤部さんは何歳ですか?

澤部:26です。

佐藤さんは?

佐藤:24です。

同級生でカーネーションを聴いていたひとは?

澤部:ほとんどいないですね。

あえて若手を中心でつくるということになったんですね。

澤部:もともとは中堅、大御所の方と若手半々の予定だったんですが、フタを開けたらちょうどいいバランスになったと思います。

人選はすんなり決まったんですか?

澤部:そんなに苦労はしなかったですね。

声をかけはじめていったのはいつくらいからですか?

澤部:今年の春くらいでした。

今年初頭にたちあがって、ちょうど一年かけてできあがったということになるんですね。参加された方と澤部さんなり佐藤さんなりが相談しながら選曲していったんですか?

澤部:ミツメは何枚かは聴いたことはあるといっていました。でも全部は聴いていないというので、僕がベスト盤を編んで、ミツメに送って、そうしたら“Young Wise Men”を選んできたんですね。

全バンドそういった対応ですか? 森は生きている(以下「森」)などは新作からのカヴァーですが。

佐藤:森の“Bye Bye”に関してはスタッフさんと相談して、彼らのイメージに合いそうな曲を選びました。

音楽性が多様で活動期間も長いとなると、固定的なイメージを結びにくい感じがあるのかもしれないですね。

澤部:ひとによっては実体がわからないというひともいるのかもしれませんね。

ひとりひとり相談しながらオルグして、それ以上に制作に立ち入っているんですか?

佐藤:お願いしてからはお任せでした。

曲順はどうやって決めたんですか?

澤部:一度みんなで集まって、どれがいいあれがいいとか、1曲めはあれがいいといって仮の曲順を決めていたんですけど。

佐藤:最初は“夜の煙突”を最後のトラックに置いてたんですね。カーネーション本人たちが参加しているからボーナストラック的な扱いで最後かなと思っていたんですけど、それが音が届く前のことで。会議のときに初めて届いた音を聴かせてもらったら、すごく瑞々しくて。届いたなかではどの若手よりも――

澤部:勢いがあった(笑)。

佐藤:これは最初に置きたいというのが満場一致で決まって――

澤部:それから、曲順を考え直したんですよ。いろいろ考えていたら、あるときふと気づいたんです。中間の並びはいろいろあったんですが、1曲め2曲めと最後の12、13はこれだというのがあって、それがデビュー・シングルではじまり、最新作で終わるという順序だったので年代で並べたらおもしろいんじゃないかって提案したら、それがバシッとハマったんです。

最初からそういうコンセプトだったんじゃなかったんですね。

澤部:想像以上にピッタリはまったんでビックリしましたね。

佐藤:ハハハハハ。

その大森靖子さんも参加していますが、存在感が突出しているというわけではないと思うんです。それがこのアルバムの完成度でもあるし、さまざまな解釈が入る余地がカーネーションの音楽にはあるということでもあると思うんです。これは難しいと思いますけど、おふたりがそれぞれいちばん気に入っているカヴァーはどれですか? 

澤部:僕はカメマン(カメラ=万年筆)かBabiさんですかね。

佐藤:(山本)精一さんのがすごく好きなんですけど、メロディとかも精一さんの曲のように聴こえてきて。

原曲は大田さんの歌唱ですね。あの儚げな感じが原曲と地続きな気がしますね。

佐藤:そうですよね。大好きです。


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それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。
(佐藤優介)

おふたりにとって好きなトリビュート盤というとどういったものがありますか?

澤部:流行った時期がありましたね。何聴いたかな。小学生のころ、はっぴいえんどのトリビュートが出て。『Happy End Parade』です。

〈OZ〉じゃないんですね。

澤部:さすがに〈OZ〉じゃないです(笑)。印象に残っているというか、ようはトリビュートのブームより僕らはちょっと後なんですよ。キンクスのトリビュートが出ても、シンバルズが参加して叩かれるといった時期で。あ、でも、yes, mama OK? のトリビュートのスタッフをやったことはあったな。

佐藤:僕はハル・ウィルナーの仕事は好きですね。クルト・ワイルとかディズニーとか、あの手は全部いいです。でもトリビュートなんて聴かないですよ。

澤部:発起人がそんなこといっていいのかって話ですけど。

でも現役の日本人アーティストの曲をトリビュートするのは心理的なハードルもあると思うんですね。おふたりだって、好きに解釈すればいいというだけじゃなかった気がしますが。

澤部:僕は解釈というよりは、トリビュートをやるとすればカーネーションというバンドの楽曲がいかにすぐれているかを提示できたらと思っていたので、いじり倒すというよりは削いでいくようになればいいなと思って作業していました。

削ぎ落としても残る部分を剥き出しにしたい。

澤部:そうですね。

カーネーションの良さはやはりメロディにトドメをさしますか?

澤部:いろいろあるんですよ。バンドがいかに成熟していたのかという、5人時代の折り重なるようなアレンジもすばらしいですし、3人になったカーネーションの強靱なグルーヴにはひれ伏すしかない。そういう視点からトリビュートだと見られないじゃないですか。いろんな時代の楽曲が並ぶわけですから、バンド自体に頼らない、なんていったらいいのかな、バンドの構造に頼らないで聴くものにするかといえば、頼るべきは詞とメロディなんじゃないかということですね。

イコール直枝さんの作家性ということですか?

澤部:直枝さんであり、僕のやった曲(“月の足跡が枯れた麦に沈み”)は矢部浩志さんのつくった曲なんですよ。もう『Parakeet & Ghost』くらいになると別のバンドって感じがしますけどね。すごく好きなんです。キャリアのなかでもある意味浮いていると思うんです。やっぱり外部にプロデューサーがいるからかな。地続きではあるんですけど、何かが突き抜けたアルバムだと思うんで。

『パラキート~』がもっとも好きなアルバムですか?

澤部:難しいんですけど、3位以内には絶対入ります。

佐藤さんにとってカーネーションをカヴァーするポイントというか、彼らをどう捉えていましたか?

佐藤:やっぱり直枝さんはすごいヴォーカリストじゃないですか。そこから離れて、それぞれの歌になったときにメロディがどう聴こえてくるか、個人的にすごく興味があったところなんですけど、すごく浮き彫りになってメロディが聴こえてくるというか、再発見できたメロディが多かった。僕らがカヴァーした曲は“トロッコ”という、メロディがすごく特殊な、他ではあまり聴かないような半音の動きがあったりして、好きな要素なんですが、カヴァーするにあたってはすごく悩んだんですよ。曲をどう活かすか、ということで自分がやる意味のようなものですね。みんな意識的にも無意識だとしてもそういうふうに考えてやってくれたと思うんで。

それ全体の調和を乱していないのがコンピレーションとしての完成度の高さだと思います。ちなみにタイトルは誰がつけたんですか?

澤部:カーネーションの曲の引用なんですけど、これもタイトルを決めないと案内も出せないというすごいギリギリの煮詰まったときに、とりあえずそれぞれ何か考えてこいという話になったんです。結局ふたりともいいのが思いついていなくて、スタッフさんと話していたときに、岡村ちゃんのトリビュート・アルバムがあったじゃないですか? 『どんなものでもきみにかないやしない』これは“カルアミルク”の歌詞の一節の引用ですけど、そういうクレバーなことをできないかということになって、スタッフさんがアルバムの収録曲の歌詞を読み上げていくんですよ。まったくクレバーな要素がないな、この会議は、と思っていたんですが(笑)、97年の『Booby』の曲名を読み上げたときに、会議の場がグッと締まったんですね。まさにこのトリビュートのことをいっているんじゃないかということで、これしましょうということになりました。

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本人もわからないくらいミツメの“Young Wise Men”のアレンジが変わっていて、それがすごい僕はおもしろかった。ある意味では、誰の思惑のなかにもなかったものができあがったんだという気がいして僕はよかったと思いました。(澤部渡)

漠然とした話になりますけど、おふたりは日本の音楽史でカーネーションをどういうふうに位置づけています?

澤部:なんなんだろうな、とよく考えるんですけど、そのときそのときにいいレコードを残してきたバンドなんだなということになりますよね。屈強というか。メンバーが抜けても、そのときそのときにつねにいいものを残している、それはすごく恰好いいと思います。でも続けているバンドってそこが恰好いいんだよね。

30年続けるというのは。

澤部:ねえ。

おふたりは30年、音楽をつづけていくことを想像できますか?

澤部:僕は30年やりたいとは思うんですけどね。たいへんだと思います。どうなるんでしょう。不安になってきた(笑)。

将来の不安はここでは置いておきましょう(笑)。

澤部:一度こうやってトリビュートで縁ができてしまったので、大先輩という感じになってしまいましたね。それまではただのファンでしたけど。……難しいですね。何いっても正解じゃない気がします。どう思います(と佐藤氏に)。

佐藤:単純に知られなさ過ぎているな、とは感じていたんです。こんなにいい曲をつくっているひとたちが知られていないのはすごくもったいないことだと思っていたし、知らないひとにとって「30周年」とかいわれると――

澤部:重いよね。

佐藤:重いし、若いひとたちに近寄りがたい存在になっちゃっている。それを危惧していたんです。でも最新作を聴いてもらえればわかりますけどいまでもすごくフレッシュじゃないですか。そんなバンドが知られていないのはすごくもったいないことだと思っていたんで。

枯れていない感じはありますよね。

佐藤:そうですね。演奏も勢いがすごい。

澤部:“ジェイソン”でいまだにあんなにバリバリにギター・ソロを弾くひとはいないよ。

佐藤:ぜんぜん「ベテラン」っていうイヤな重みがないですよね。フットワークは軽いし。

キャリアにものをいわせることはないですからね。

佐藤:それで敬遠されるようなことがあったら非常にもったない。だから今回若いひとたち、おもしろいことをできるひとたちに頼めたのはよかったと思います。

30年、40年となると。

佐藤:知らないひとにとっては、関係ないところにいると思っているんじゃないですか。30年というのはそれぐらいの距離になってしまいかねない。

それだけの作品数があるともいえるわけですからもっと端的に教えてくれよ、という気持ちは入門者にはあるかもしれないですね。

佐藤:だからカーネーションのファンよりも、僕はもっと広く知られてほしいと思ったので、ファンからしたら、もっと仲のいいベテランのひとがいるじゃないかという指摘もあるでしょうし、そのひとたちにやってもらってもすばらしいものになったと思うんですが、いま僕らが企画できることでいちばん広がりがある人選であり企画だったと思います。

身内感がですぎると広がりがかぎられる可能性はありますね。

佐藤:身内だけで聴いちゃうことになってしまいますから。もっと広く知られてほしいという気持ちがありました。

澤部:『Wild Fantasy』のころカーネーションが謳っていた「大人の聴けるロック」というキャッチコピーには頭をかしげたことはあったんですね。大人に向けてアピールするより若い世代にとっても純粋にいいじゃないですか。

佐藤さんがおっしゃった、瑞々しい感性がカーネーションの真骨頂なのだとしたら、それは逆のベクトルだったかもしれないですね。というか、カメマンもスカートも大人に受けのいいミュージシャンだという気もしますが。

澤部:そういわれるとそうかも(笑)。

佐藤:そうなの!?

澤部:僕は若者に聴かれている実感がないよ。この前昔の雑誌の記事に「高校生のムーンラーダーズファンが」というフレーズがあって、そうかムーンラーダーズにも高校生のファンがいたのか、と思いました。

いつの話?

澤部:80年代です。それを読んでドンヨリした気分になりました。

スカートには若いファン多いと思いますけどね。

澤部:いるんですかね(笑)。カメマンのほうが若いファンが多いでしょ。

佐藤:全然いないですよ。オッサンばっかりですよ(笑)。

目の前をオッサンが埋めつくしているんですか?

佐藤:前にはいないです。壁際に。でも嬉しいんですよ。

カーネーションはもとより、スカートもカメラ=万年筆も老若男女に聴かれるべき音楽だと思うんですけどね。

澤部:ほんとうにそうですよね。

ここ最近、澤部くんたちの影響かはわからないですが、音楽そのものに力を入れている若いミュージシャンが増えた気がします。ここに入っているひとたちは比較的その系譜に置かれるひとたちかなという気がします。

澤部:そうですね。

じっさいはパッとやったもののほうがうまくいったりすることも多いんでしょうけど、さすがに今回は悩みました。(佐藤優介)

ところで直枝さんたちにはいつの時点で作品を聴かせたんですか。

澤部:マスタリングが終わって、スタジオに来てもらったんですよ。トラックシートを見ないで聴いていて、1曲めが終わって次はミツメなんですが、曲がはじまってしばらくして歌がはじまって、直枝さんが「なんだっけこれ?」っていうんですよ。「ミツメです」っていったら、「いやそうじゃない。この曲なんだっけ?」って。本人もわからないくらいミツメの“Young Wise Men”のアレンジが変わっていて、それがすごい僕はおもしろかった。ある意味では、誰の思惑のなかにもなかったものができあがったんだという気がして僕はよかったと思いました。

矢部さんや鳥羽修さんが参加しているのはどういういきさつですか?

澤部:僕は最初、“オフィーリア”をやろうとしていたんだけど、リストを見て、矢部さんの曲が入っていないから、「矢部さんの曲を、俺やりますよ」となった時点で、スタッフさんから矢部さんに参加してもらおう、と提案があってその人が連絡してくれたら即快諾していただいたんです。で、さらにその人のアイディアでうどん兄弟とカメ万のコラボには鳥羽さんに参加してもらったんです。発起人の曲にひとりずつ脱退したメンバーが参加するかたちになったんですよ。

なるほど。でもカメマンは2曲やっているんだから。

澤部:“トロッコ”はマスタリング当日まで作業していましたから、誰かに参加してもらうのはムリでしたね。

なぜそれほど時間がかかったんですか?

佐藤:ずっと試しちゃうんですよ。まとめるのはずっと後になってからで……

でも考えてはいるんですよね。

佐藤:迷っているのが好きなんです。終わるのが好きじゃないんです。ずっとやっていたいんですけど、そうはいかないんですね。

ひとの曲をカヴァーするのでも幾通りも方法論を模索するんですか?

佐藤:はい。じっさいはパッとやったもののほうがうまくいったりすることも多いんでしょうけど、さすがに今回は悩みました。

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