「Nothing」と一致するもの

Bwana - ele-king

 昨春〈LuckyMe〉からフリーで配信されたミニ・アルバム『Capsule's Pride』を覚えているだろうか? それは、大友克洋の映画『AKIRA』英語版の台詞と、芸能山城組が手がけた同作のサウンドトラック音源からのサンプリングによって構築された、じつに興味深い作品だった。制作者はトロント出身でベルリンを拠点に活動しているDJ/プロデューサー、ブワナ。すでに「Over & Done」や「Baby Let Me Finish」、「Flute Dreams」といった12インチで高い評価を得ていた彼だけれど、『Capsule's Pride』のブレイクによってその名はより幅広い層へと知れわたることとなった。そんな注目のプロデューサーがこの秋、初めての来日を果たす。詳細は下記をチェック。

漫画家・大友克洋さんが原作・監督をつとめたアニメ映画『AKIRA』のサウンドトラックをリミックスしたEP「Capsule's Pride」が、2016年にスコットランド・グラスゴーに拠点を構える人気レーベル〈LuckyMe〉から無料配信されたことで一躍有名となったトロント生まれ、現在はベルリン在住の若手プロデューサーのBwanaが初来日を遂げる!!

数年前に『AKIRA』のサウンドトラックがアナログ盤で再発されたことをきっかけに同アルバムをもとにして映画からセリフなどをサンプリングし話題をさらったBwana。現在YouTubeでも漫画『AKIRA』のカットを用いて、全曲フル音源で公開されている。

★10万回以上も再生されている「Capsule's Pride」はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=8nCg3D6tnLk

初来日となる今回はカッティング・エッジで洗練された若手DJ陣を主軸にジャンルレスなゲストを迎えているパーティー《sHim》に出演。翌週にはソウルでもギグが決まっている。

title: sHim
2017.10.20 (FRI) OPEN: 23:00
at CIRCUS Tokyo

DOOR: 2,500YEN
ADV: 2,000YEN
チケット… https://ptix.at/31VI85

GUEST DJ:
Bwana (from Berlin)

B1 Floor:
AKARI (SUNNY)
EITA (THE OATH)
REN (World Connection)

1st Floor:
Atsu
Keiburger
Koki (Bohemian Yacht Club)

■CIRCUS Tokyo
3-26-16, Shibuya, Shibuya-ku, Tokyo 150-0002 Japan
+81-(0)3-6419-7520

■Bwana
カナダ/トロント出身のBwanaは2015年より本格始動。Will Saul主宰の〈Aus Music〉からリリースした「Flute Dreams EP」は、音楽媒体の間で普遍的な支持を得て、2014年ベストEPのひとつとして賞賛された。タイトル・トラックは、SashaとHuxleyのBBC Radio 1のEssential Mixes、Laurent Garnier、J. Phlip、Jacques Greeneらがパワープレイ。彼の2度目となった〈Aus〉からのリリース、「Tengo EP」は、John Digweed、Skreamなどがこぞってプレイしさらに名声を得た。
DJとしてはロンドンのFabric、ベルリンのPanorama barなどでプレイしハウスやテクノ以外の幅広いジャンルを混在させるBwanaの能力、その多様性が高く賞賛されている。
現在、ベルリンを拠点とするBwanaは若手プロデューサー/アーティストとして新しい音とアイデアをさらに探求し続けている。
https://soundcloud.com/nathanmicay

Carmen Villain - ele-king

 カルメン・ヴィランはもともと売れっ子モデルで、60年代のマリアンヌ・フェイスフルやニコを彷彿させる金色の長い髪の彼女は『ヴォーグ』や『マリクレール』の表紙を飾っていた。しかしながらサン・シティ・ガールを知って音楽にのめり込むと、カルメンはモデル業を辞めてまでも歌い、ギターを弾きはじめた。ギターだけではない、カルメンは鍵盤からドラムマシンのプログラミングまで自分でやってしまう。メキシコ人とノルウェー人の両親を持ち、アメリカで育った彼女は、プリンス・トーマスなどの協力を得ながらオスロの名門〈スモール・タウン〉から2013年に最初のアルバム『Sleeper』を出しているわけだが、自らの顔写真をジャケでは使わず、あくまでも音楽で勝負という硬派な姿勢を貫いている。そもそも〈スモール・タウン〉という、音楽ファンに支持されているインディ・レーベルからデビューしていることからも彼女のアティチュードがうかがえよう。
 つい先頃、彼女はセカンド・アルバム『インフィニット・アヴェニュー』を出したばかり。これがかなり良い。静謐でフォーキーな響きを前面に出しながらもエレクトロニクスも効果的にミックスされたその美しい作品には、昨年高く評価されたノルウェーの歌手、ジェニー・ヴァルも参加している。また、日本盤にはボーナス・トラックとしてバイオスフィア(ノルウェーの大物アンビエント・ミュージシャン)、クララ・ルイス(ポストパンクの雄、ワイヤーのグラハム・ルイスの娘!)、そしてジジ・マシンの3者によるリミックスが収録されている。(ちなみにジャケットの写真はジーナ・ローランズ。60年代~70年代に活躍したインディペンデント映像作家の父、ジョン・カサヴェテスの妻にして女優。ジム・ジャームッシュがリスペクトを込めて『ナイト・オン・ザ・プラネット』で出演させている)

 そして来週、カルメン・ヴィランが来日する。小岩ではライヴ(メルツバウとテンテンコも出演)。代々木八幡のNEWPORTではDJ(コミューマさんも出演)。 NEWPORT では、なんとエントランス・フリーの上に先着でSmalltown Supersoundのレーベル・サンプラーとステッカーが貰える!

"OurTurn#2"
@小岩 BUSHBASH

10/4(水) 19:00 - \2000+1d
Carmen Villain(Smalltown Supersound)
Merzbow
テンテンコ
dj:
Joakim Haugland
李ペリー
Minoru Kakinuma

https://bushbash.org

NEWSOUND feat. Carmen Villain
@代々木八幡 NEWPORT

10/7(土)20:00 - 24:00
DJ: Carmen Villain, Joakim Haugland (Smalltown Supersound), COMPUMA
エントランス・フリー(別途1オーダー)
https://nwpt.jp/



Carmen Villain
Infinite Avenue

Smalltown Supersound,/カレンティート
Amazon

WaqWaq Kingdom - ele-king

 ワクワク・キングダム、すなわち「わくわく王国」というユニット名に、大阪の下町のシンボルである『Shinsekai(新世界)』というアルバム・タイトル。ヨーロッパからのリリースとなるどうにもいかがわしい作品なので、西洋人から見たサイバー・タウン大阪をイメージしたものかと思われるかもしれないが、やっているのはキング・マイダス・サウンドのヴォーカリストで、イラストレーターでもあるキキ・ヒトミと、DJスコッチ・エッグ名義でのゲームボーイを使ったハードコアなパフォーマンスが知られ、またベーシストとしてシーフィールやデヴィルマンといったバンドでも活動するイシハラ・シゲルという欧州在住の日本人に、イタリアのエクスペリメンタル系パーカッション奏者のアンドレア・ベルフィによるユニット。大阪出身のキキ・ヒトミは1990年代にロンドンへ移住し、東京出身のイシハラ・シゲルも2000年頃からベルリンを拠点に活動しているので、もともとの日本人の感覚に、ヨーロッパから見た日本のイメージが組み合わさっているとも言える。キキ・ヒトミは現在ドイツのライプツィヒ在住だそうで、その地元のレーベルである〈ジャータリ〉を根城に活動している。レーベル名が示すように、主にダブやレゲエ、デジタル・ダンスホール系の作品を出しているところだ。キキ・ヒトミはここから2016年に『Karma No Kusari(カルマの鎖)』というソロ・アルバムを出したが、デジタル・レゲエなどに混じって日本の演歌も歌い、ヨーロッパのメディアからは「演歌ダブ」という名で面白い作品と評価を受けた。ザ・バグことケヴィン・マーティンと詩人であるロジャー・ロビンソンが組んだキング・マイダス・サウンドでは、トリッキーとブリアルをかけあわせたようなドープで実験的なトリップホップ~ダブステップをやっているが、そこでも日本語の歌詞を取り入れている。常々、ホレス・アンディやケン・ブースなどのレゲエ・シンガーのこぶしの効かせ方は、日本の演歌歌手に近いものがあるなと思っていたそうで、そうした発想がレゲエのビートで演歌を歌う『カルマの鎖』へ繋がったようだ。収録曲の“ピンクの着物”は、藤圭子を意識したそうである。

 それから約1年ぶりとなる『新世界』は、演歌を含めた日本の歌と、ダブやアフロなどのワールド・ミュージック、ダブステップやデジタル・クンビアなどがさらにシェイクされている。サイモン・フォウラーによる魑魅魍魎としたジャケット・アートワークに、ポールによるマスタリングが加わり、『カルマの鎖』にあったポップな方向性が、サイケデリックで混沌とした世界へと導かれている。クラブ・サウンドやエレクトロニック・ミュージックの世界でワールド・ミュージックにアプローチした例としては、ここ数年ではクラップ!クラップ!モー・カラーズマーラなどがあり、それぞれ独自の手法やサウンドを持っているのだが、『新世界』は表面ではクラップ!クラップ!のようにカラフルな色使いを感じさせつつも、キング・マイダス・サウンドの頃から見られるドープでヘヴィなダブ・サウンドが中心にあり、実に骨太な作品だ。そうした中、途中で和風とも中華風とも東南アジア風とも言えない音色が差し込まれ、少しユーモラスなところを感じさせる点は、オンラの『シノワズリ』シリーズと共通の味わいである。“アイ・ウッド・ライク・トゥ・レット・ユー・ゴー”や“バード”の無国籍なエキゾティシズムは、アルゼンチンのデジタル・クンビア勢に通じるところもあり、それにニューウェイヴ的なアグレッシヴ感覚を混ぜている点も特徴だ。“オー・イッツ・グッド”はダブ色が濃いパンク・ファンクで、アンドレア・ベルフィのトライバルなラテン・パーカッションも生かされている。ESGとザ・ポップ・グループがジョイントし、それをリー・スクラッチ・ペリーがミックスしたような曲とでも言おうか。また、全てが土着的なワールド・ミュージック系というわけではなく、中にはSBTRKTのようなフューチャリスティックなベース・サウンドの“ブロウ・イット・アップ”もある。“ラヴ・ゲーム”はパーカッシヴなアフリカ系のナンバーで、プリミティヴな要素とそれに反するようなフューチャリスティックな要素がうまく融合している。“ステップ・イントゥ・ア・ワールド”はアルバム中でもっともヘヴィでドロドロとしたベース・サウンドだが、コーラスがブロンディの“ラプチャー”のメロディを引用するという遊び心もある。“ココ・セイズ”は「森羅万象」や「花鳥風月」といったフレーズが出てくる日本語の歌。神秘的なイメージの曲で、時代で言えば平安時代や奈良時代をイメージしているのだろうか。“ワクワク・ドリーム”はボカロ風のヴォーカルで、花魁とか舞子とか情緒的な光景が思い浮かぶ一方で、アニメ的なポップでキッチュな表情も見せる摩訶不思議な和の世界。和のメロディの取り入れ方は、YMOのそれに近いところも感じさせる。「演歌ダブ」とはまた異なるキキ・ヒトミのユニークな和の世界を見せてくれる。


第2回:バクダン、ミサイル、てやんでい - ele-king

バクダンとは地球である
パンパーンッ、ドカン、ドカーンッ

 パンパーンッ、ドカン、ドカーンッ。民衆はバクダンが好きだ。ひとを殺したり、殺されたりするのが好きだっていってるわけじゃない。そういうことじゃなくて、なにかがふっとんだ、ガラガラ閉店みたいなその感覚が好きなのだ。ハラハラ、ドキドキ。ハラハラ、ドキドキ。ああ、たまんねえ。
 じっさいのところ、バクダンってのはぶっぱなしたら制御不能だ。意図していないものもふくめて、一瞬にして、そこにあるものすべてをふっとばしてしまう。他人だけじゃない、自分の命や人生もひっくるめて、残酷なくらいすべてを無に帰してしてしまうのだ。おしまいだ、おしまいだ、ぜんぶおしまいだ。この何世紀か、民衆をひきつけてやまなかったのは、そんなカタストロフそのものなんじゃないかとおもう。
 で、いつもおもうのだが、これって地球にちかいんじゃないだろうか。ちょっと子どものころをおもいだしてほしいのだが、台風で停電になって、雨戸をしめて、あやういところは窓に板をうちつけて、そんでもってロウソクをかこんで、暗がりのなかで家族や友人とくっちゃべっていたとき、妙な高揚をかんじやしなかっただろうか。ハラハラ、ドキドキ。ハラハラ、ドキドキ。ああ、たまんねえ。地球だ!
 この非日常的な感覚っていうのだろうか、外からはパンパーンッ、ドカン、ドカーンッと異様な音がきこえてきて、一切合切がふっとばされている。しかも、それでひとにも被害がでているわけで、とても残酷なわけだ。でもそれでもいやおうなしに、なんにもねえところからまたあたらしい生をいきることになる。それが自然だ、カタストロフだ、再生だ。きっと、民衆がバクダンにひかれるのは、そこにおなじようなものをかんじているからじゃないだろうか。バクダンとは地球である。
 でも、国家はそういうのをだいなしにしてしまう。バクダンでも、いまだったらミサイルでもいいが、民衆の武器をとりあげて、たんなる殺人兵器にしてしまうのだ。戦争の論理である。殺るほうも殺られるほうも、人間はただの人口でしかない。だって、無差別に大量殺戮するのだから。何人ぶっ殺せたのか、ひとが数にしかみえなくなる。あるいは、まだなんにも撃ちこまれていなくても、こわいよ、こわいよ、死んじゃうよって恐怖があおられると、みんな思考停止させられてしまう。
 で、生きのびるためには、国のいうことをきかなきゃいけないとおもわされてしまうのだ。ぜったいに無意味だとわかっていても、「ビービッビッ、緊急速報です」とかいわれると、地べたにひれふして、頭をかかえたりしなきゃいけない。これ、政府のお偉方がいっているだけじゃない、マスコミもほんきだ。
 このまえ、北朝鮮がミサイルをぶっぱなしたとき、たまたまテレビをつけていたら、地べたにひれふさないで、目をキラキラさせながら空をみあげていたおじいちゃん、おばあちゃんがいて、それをみていたクソみたいな記者が、「あなたたちなにやってんですか!」って、まるで犯罪者でもぶったたくかのように叱責していた。チッ、おまえがなにやってんだ、このやろう。
 人間が人口でしかなくなっている。国にいわれたとおりにうごくコマでしかない、数でしかない。ジジイ、ババアをみならいやがれ。ひとはミサイルがとんでくるとかいわれたら、テンションあがってみにいっちまうものなのだ。敬老、だいじ!
 だから、いまこそいっておかなきゃいけないんだとおもう。バクダンの想像力をとりもどせ。殺人兵器をもてってことじゃない、ムダにひとをぶっ殺せってことじゃない。この手に地球の力をにぎりしめろってことだ。ハラハラ、ドキドキ。ハラハラ、ドキドキ。バクダンとは地球である。パンパーンッ、ドカン、ドカーンッ!

ハクション、ちくしょう!

 さて、そんなことを考えるのに、すごくいいなとおもったのが、ドラマ『僕たちがやりました』だ。主人公は窪田正孝扮するトビオ。ボケ高にかよう2年生だ。ふだん、オレの人生はソコソコなんだ、そんなもんでいいんだと、ちょっとばかし、人生にあきらめの気持ちをもっているのだが、べつにくらいわけじゃなくて、通学中にチラッと女子高生のパンツがみえちゃっただけで、うひゃあ、こりゃたまらんと心躍らせ、「ソコソコ、サイコー!」っておもっちゃうような高校生だ。自分、ビンビンであります。
 高校では、フットサルの部活にはいっているのだが、かんぜんに名前だけの部活で、毎日、部室で友だちとくっちゃべったり、マンガをよんだり、AVをみたり、人生ゲームをやったりして、ダラダラ、ゴロゴロと時間をすごし、帰りには、もうちょい遊んでいこうぜってことで、ボーリングにいったり、カラオケにいったりしてかえるみたいなことをやっている、そんな日常だ。友だちはマルとイサミ。そしてOBにして、空前絶後、超絶怒涛の大金持ち、パイセンだ。
 このパイセンをお笑い芸人の今野浩喜がやってるのだが、これがまたいい味をだしている。20歳くらいの役なのだが、みためは30代。高級車をのりまわしているものの、イガグリあたまにサングラス、そして白のノースリーブに短パンとサンダルっていう、すげえダサイかっこうだ。いわゆるダメ人間で、いつもハイテンションなのだが、絵にかいたようなトンマでなにをやらせてもダメ、ダメ、ダメ。高校時代は友だちもなく、つかいっぱしりにされていて、卒業してからは、就職もせずにプラプラしていたのだが、トビオたちが遊んでくれるので、毎日、高校にあそびにきていた。
 第1回の放送で、センコーにつかまって、「おまえみたいなクズはもう学校にくるな。わかってるだろ、おまえは生きていても、なんの意味もないクズなんだ。どうぜ、カネしかとりえがないしな。へへへっ」みたいなことをいわれて、歯をくいしばって号泣するシーンがあるのだが、いやあ、わたしはカネこそないものの、おなじダメ人間として、もう涙なしじゃみられなかった。こ、今野さんっ……!!! とにかく、今野さんの演技をみるだけでもおすすめだ。ぜひ、ユーチューブでもみてもらいたい。
 とはいえ、4人でたのしくやっていたのだが、ある日、転機がおとずれる。マルがおとなり、ヤバ高の市橋ひきいる不良軍団につかまってしまったのだ。監禁されて、おなじくらいよわっちい子とたたかわされて、勝ったらかえっていいといわれて、死闘のはてに勝利したのだが、殺さなきゃダメだといわれて首をしめるも殺しきれない。で、ボーナスラウンドとかいわれて、マッチョな不良に半殺しにされたのだ。血まみれのまんま素っ裸にされて、ダンボールにつめられ、トビオたちのところにおくられてくる。箱をあけたら……。で、トビオたちは決意した。アイツら、殺ス。トビオたちの復讐戦がはじまった。ヤレ、ヤレ、ヤッチマエ。
 それで今野さんが材料を買ってくれて、みんなでいっぱいバクダンをつくった。ハラハラ、ドキドキ。ハラハラ、ドキドキ。やばい、たのしすぎる。もちろん、ほんとうに殺すわけじゃない。ヤバ高の窓ガラスのちかくにしかけて、かるくパリンッ、パリンッてのを期待していたのだ。みんなで夜中にしのびこんでバクダンをしかけ、翌日、屋上でながめながら爆破をした。
 ジャスティス、そうさけびながら今野さんがスイッチをおすと、パンパーンッ、ドカン、ドカーンッ。あっ、あれ……。マジでヤバ高がふっとんだ。マジヤベエ! じつは夜中しのびこんだときに、今野さんがスッころんで、はずみでプロパンガスのまえにバクダンをおっことしちまったのだ。不良軍団が火車になってもだえ苦しんでいる。10人死亡。自分、地球をかんじます……。ハクション、ちくしょう!

やりたいときにやりたいことをやるだけだ
オープン・ザ・ゲート!

 トビオのソコソコの人生がふっとんだ。まず、ソッコウで今野さんがとっつかまる。やべえ、逃げろっ。みんな、事前に今野さんから300万円ずつもらっていたので、それで逃亡生活をおくろうとした。でもトビオはマルにうらぎられて、カネをもち逃げされてしまう。あの、クソやろう。すぐに警察にみつかって、もみあいになりながらも逃走。でもそのときに、ズボンとクツをひきはがされてしまった。ひとり裸足にパンツ姿で、街をさまよう。おしまいだ、おしまいだ、ぜんぶおしまいだ。
 そうおもったやさき、たすけてくれたのがホームレスのヤングさんだ。「ズボンないの?クツないの?」ときいてきたのでハイというと、これあげるという。ズボンとクツだ。すかさず、「歯はみがいた?」ときいてきたので、首を横にふるとついてこいという。スッとコンビニにはいってでてきたとおもったら、トビオのポッケに歯磨きセットがはいっていた。うおおお、マジかよ。おどろいたトビオをみて、ヤングさんがニッとわらって「オレ、窃盗二段だから」という。やばい、かっこよすぎだ!
 ヤングさん、オレついていきます。というか、社会生活なんてなくても、これで生きていけんじゃねえか。そうおもって夜、寝ようとおもっていたら、ヤングさんがこうつぶやいた。「トビオ、やりたいときに、やりたいことをやるだけさ。人間の可能性はまだ半分しかひらかれちゃいない」。うおおお、名言がでました。ハイッていって寝ようとすると、とつぜんヤングさんがトビオにとびのってきた。トビオのズボンをぬがし、ケツをプリンッてさせてまたこういうのだ。「やりたいときにやりたいことをやるだけさ。トビオッ、オープン・ザ・ゲート!」。なんて日だ。
 ヤングさんがつよすぎて、あらがえない。でも、それでトビオがピイピイ泣いていると、パッと手をはなしてくれた。ヤングさんの哲学だ。やりたくないことはやらなくていい。ホラッ、いけよと。で、トビオは号泣しながらダッシュで逃げた。オレはいったいなにをやっているんだ。自問自答だ。ふと、携帯をみれば、親や妹、おさななじみの蓮子ちゃんから、じゃんじゃん連絡がきていた。留守電をきいてみれば、かあちゃんが泣きじゃくっていて、マジで心配してくれている。
 それをききながら、トビオはふたたび涙をながし、こうおもった。いまつかまったら、未成年だから死刑にはならないけど、社会的には死を意味するだろう。世間からも一生、クソみたいなあつかいをうけるわけだ。でも、それでもまわりから、どんなあつかいをうけることになっても、ぜったいに変わらずに自分のことをおもってくれている人たちがいる。死んでもなおいっしょに生きる。この社会の道徳や利益なんかじゃとらえられない、そんなものとびこえちまった無償の生ってのが、この世のなかには存在してるんだ。もう、それだけでいいじゃないか。トビオは自首を決意した。

ギッコンバッコン、ギッコンバッコンー、ズッコンバッコンー!!
あるのは無希望、それだけだ

 と、そうおもったときのことだ。なんと、目のまえに今野さんがいるじゃないか。ええっ! 「ムショよりー、ふつうにー、シャバが好きー、アイッ!」。今野さんはそういうと、すげえキレのあるダンスをひろうした。ふ、ふざけてんのか? じつは今野さん、ムショにはいっているあいだ、ひたすらあたまのおかしいことをいいまくっていた。とりしらべで犯行動機をきかれてもこうこたえる。「吟じます。ギッコンバッコン、ギッコンバッコンー、ズッコンバッコンー!!」。このやろうと、ポリにけりとばされたりしたのだが、必死にたえる。で、そのあいだに真犯人が名のりでてきて、無罪放免となったのだ。
 バンザイ、バンザイ、万々歳! 4人でおちあってよろこんでいたが、そこで今野さんがほんとのことをいってしまう。そう、ほんとうに真犯人がいたわけじゃなくて、今野さんのお父さんが事件をモミけしたのだ。じつは今野さんのお父さん、裏社会の帝王で警察にもコネがある。で、殺人犯の父親とかいわれるのがイヤだから身代わりをたてて、事件をヤミにほうむったのだ。「ホレッ、ヤミのなか、ホレッ、ヤミのなか、ホレッ、ヤミのなか……」。みんなで手拍子をとって連呼してみるが、いえばいうほどくらくなる。
 トビオは良心の呵責で生きた気がしない。死んだ10人の顏があたまからはなれないのだ。ウヴェッ、ウヴェッ。ゲロにつぐゲロ、そしてさらなるゲロである。自首したい、でももうできない。自首したい、でももうできない。アァッ、アァッ、アァッ、アァッ、オレはなんでダメなんだ。気づけば、学校の屋上にのぼっていて、えいっといって夕日にむかってジャンプした。とびおり自殺だ。しかし人間、そうかんたんに死ねやしない。いいかんじに木にひっかかって、ちょっとしたケガで入院となった。
 病院で目をさますと、そこにはヤバ高で爆発にまきこまれ、下半身不随になった市橋がいた。バイクのレーサーになりたいという夢をたたれ、おまけにヤバ高の友だちだとおもっていた連中にも、おまえはおわったんだとコケおろされ、抜け殻みたいになっていた。かれはかれで社会的に死んだのだ、いろんな連中にぶっ殺されたのだ。
 それをみて、トビオはもちろん犯人なわけだし、もともとこいつ死んだらいいのにとおもっていたのだが、自分の経験とかさなって共感してしまう。心から応援しようとおもって、リハビリをささえ、いっしょにカラオケにいって尾崎豊の「卒業」をうたったりして、親友になった。
 でも、それで希望がみえたとおもったのだが、そんなときに市橋の唯一の肉親だったおばあちゃんが病死してしまう。しかもわるいタイミングで、トビオがおさななじみの蓮子ちゃんとつきあっちゃうのだ。市橋も蓮子ちゃんにホレていたってこともあって、かれは希望をぜんぶうしなっちまう。トビオに、コングラチュ・ネーションっていって、病院の屋上からとびおりてしまった。死亡だ、この支配からの卒業だ。アァッ、アァッ、アァッ、アァッ。もうなんにもみえやしねえ。あるのは無希望、それだけだ。

明日をぶっ殺せ
バクダンの想像力をぶちかませ
それがこの地球を命がけで生きるってことだ

 これでトビオはおもってしまう。自首したい、自首したい、自首したい。そうおもって、ほかの3人にもはなしたら、みんなおなじ気持ちだという。みんな社会的には死ぬことになるだろうし、今野さんにいたっては、20歳こえているから死刑だろう。でも、それでもやらなきゃダメなんだと。もともと、ヤバ高の不良軍団がよわいものいじめをしていて、そんな弱肉強食の社会をぶちこわそうとおもって、かるいバクダンをしかけた。つよいものに服従する、そんな自分の世界観をふっとばしたかったのだ。
 でも、やってみたらムチャクチャひとを殺しちまって、しかも裏社会のドンと警察がグルになって無罪放免。こんどは弱者になった市橋とかをいたぶりつくすハメになっちまったわけだ。管理された社会のなかで、勝ち組として、ソコソコの人生をおくっていきましょう、よわいものたちを犠牲にして。ふざけんじゃねえ。もういちどだ、もういちどこの社会をふっとばしてやろう。
 ただ自首したってダメだ。モミけされるにきまっている。相手は裏社会と警察そのもの。どうしたらいいか、どうしたらいいか。想像力を全開にしよう。4人で必死に知恵をしぼる。ハラハラ、ドキドキ。ハラハラ、ドキドキ。ああ、たまんねえ。こういうとき、ひとってのはたのしくてしかたながい。
 で、つくりだしたわけだ。バクダンを。もじどおりのバクダンじゃない。真のバクダンだ、想像力そのものだ。まず、街じゅうにビラをばらまいた。ただのビラじゃない。裏面に万札をはったビラである。街じゅうのひとが狂喜乱舞してうけとっていく。で、ある有名アーティストのライブにこいとよびかけた。そこに4人でのりこんでいって、ライブをジャック。そして、マスコミもひともすんげえたくさんいるなかで、これまでの経緯をぜんぶぶちまけたのだ。僕たちがやりました!
 じゃあ、どうなったのかというと、とつぜん、ライブ会場に裏社会の人間がのりこんできて、トビオたちはラチされてしまう。で、なぶり殺されそうになったところ、今野さんの反撃だ。裏社会の人間をひとり刺し殺してしまう。警察につかまって、しかも事件はもみけされそうになった。今野さんのお父さんが手をまわしたのだ。今野さんはいちど誤認逮捕されたせいで、頭がおかしくなっちまった、それで自分がやったんだとおもいこんでしまって、トビオたちをまきこんで、あんなふうにさわいだんだってことにされたのだ。ほれ、ヤミのなか、ほれ、ヤミのなか、ほれ、ヤミのなかと。
 でも、そうは問屋がおろさない。さいご、トビオがひとり決起する。高校の屋上にあがり、バクダンをもって、全校生徒、そしてマスコミのまえで、泣きながらさけぶのだ。「僕たちがやりました! 僕たちがやりました! なんでつかまえてくれないんですか、なんで、なんでぇ、うおお、うおおおお!!!」。そういって、バクダンのスイッチをおす。もちろんガラスがパリン、パリンとわれただけだ。でも、これでトビオは逮捕。バクダンから事件の真相もあかるみになって、みんなとっつかまることになった。
 こんなはなしなのだが、なんとなくでもドラマの思想はつたわっただろうか。強者になってひとを支配するのも、弱者になってひとに支配されるのも、まっぴらごめんだ。どっちにしても、この腐った社会のなかで、明日はちょっとだけ強者になりましょう、もうちょっとよくなれ、もうちょっとよくなれと、毎日毎日、その努力を強いられるだけのことだ。明日のために、明日のために。ソコソコの人生。
 そんな人生をぶっこわすとしたら、もうバクダンしかない。でも、それがたんなる殺人兵器になったとき、いくらでも国家や国家のミニチュアみたいな連中に利用されてしまう。強者の論理にまきこまれて、気づけば自分もその一員になってしまうのだ。だから、もしそこからもぬけだそうとするならば、そんな殺人兵器さえも無に帰すようなバクダンをぶちこむしかない。パンパーンッ、ドカン、ドカーンッ。明日をぶっ殺せ。バクダンの想像力をぶちかませ。それがこの地球を命がけで生きるってことだ。自分の人生を爆破しよう、なんどでも、なんどでも爆破しよう。バクダン、ミサイル、てやんでい。あばよ!

『ドリーム』 - ele-king

 『バッド・フェミニズム』(亜紀書房)の著者、ロクサーヌ・ゲイは同書で「マジカル・ニグロ」というタームを持ち出し、2012年のアカデミー賞にノミネートされた『ヘルプ』を酷評していた。オバマが大統領になったことを記念するかのようにつくられた一連の黒人映画を代表する作品である。「どれだけ黒人がすべての難題を解決できちゃうんだよ」と呆れ、自らもハイチ系の黒人であり脚本家でもある彼女は、ハリウッド映画に「マジカル・ニグロ」が出てくるといつも「あー、またか」と白けてしまうという。興味を持って調べてみると、窮地に陥った白人の主人公(だけ)を魔法のような力で助けてしまう黒人は1950年代からその存在を頻繁にちらつかせ始め(『手錠のままの脱獄』)、「そんなやついねーだろ」というニュアンスを込めてわざわざ「ニグロ」と称されているらしい。スパイク・リーもこの問題には早くからブーたれていたり、新聞などでも「マジカル•ニグロとしてのオバマ」という政治批評が書かれたりと、僕が知らなかっただけで、この件に関してはすでに多彩な議論が繰り広げられていた。「マジカル・ニグロ」を演じる俳優のナンバー・ワンはモーガン・フリーマンだという結論も出ている。なるほど。フェイスブックのCEO、マーク・ザッカーバーグが家庭用の人工知能「ジャーヴィス」の声をモーガン・フリーマンに依頼していたというエピソードはそれを補強する最後のピースになるのかも。

 では、「マジカル・ニグロ」が実在していたらどうだろうというアングルを持ち出してきたのがセオドア・メルフィ監督『ドリーム』になるのかもしれない。NASAがまだバージニア州にあってNACAと呼ばれていた時代に数学者としてアメリカの宇宙開発に尽力していたキャサリン・G・ジョンソンを始め3人の黒人女性が人種差別に苦しめられながら、アメリカでは初となる有人宇宙飛行を成功させるまでの話である。現職の職員にも、NASAにはかつてこうしたスタッフがいたことを覚えているものはなく、完全に忘れられていることから映画化の話がまとまったものらしい。キャサリン・G・ジョンソンは現在99歳でまだ存命。ジョンソン役を演じるのはTVドラマ『エンパイア』のクッキー・ライオンとして知られたタラジ・P・ヘンソンで、数学の天才とはいえ、日常生活にも心を配る常識人として丁寧な演技に勤めている。エンジニアとして雇用条件を満たすために州との駆け引きで洒脱なところを見せるメアリー・ジャクソン役にはR&Bシンガーのジャネール・モネイ。意志が強く、ムードメイカーとしての役柄もあるのだろうけれど、モネイが作り出した人物像は実に魅力的だった。そして、最も感動的だったのがIBMのコンピュータ室長に這い上がるドロシー・ヴォーン。『ヘルプ』で名を挙げた(!)オクタヴィア・スペンサーがこの役を演じ、自分のことだけではなく、黒人女性全体の雇用を考えて先回りする機転の早さを印象付ける。

 『ドリーム』がどれほど史実に忠実で、どれぐらいマジカル要素が入っているのかを検証する知識は僕にはない。ジョンソンやジャクソンの夫たちがあまりに優しすぎて、しかも黒人女性の仕事に理解があるので、『ゲット・オン・ザ・バス』のような映画を観た後には素直に受け取れない面もあるものの、ここに登場するのは最下層ではなく、早くから中流化し始めていた黒人たちなので、あながちウソでもないのだろう。無駄な詮索はしても仕方がない。あくまでもスプートニク・ショックに沈むNACA(NASA)という白人主体の組織を成功に導いた「マジカル・ニグロ」は本当に実在したし、「マジカル・ニグロ」というのはご都合主義が生み出した空想の産物ではないと言いたげなムードがじっとりと伝わってくる。ただし、白人のために難題を解決するという「マジカル・ニグロ」の定義からすれば、黒人たちみんなのことを考えて行動したヴォーンの存在はその範疇に収まらず、さらに大きな意味を持ってくる。僕はどちらかというと主人公よりもヴォーンの行動に感動を覚えた口で、あまりにも映画的な描写ではあったけれど、計算室からコンピュータ室まで彼女たちが闊歩していくシーンはかなり爽快だった。おそらく公民権運動のピークといえるワシントン大行進とイメージをダブらせたのだろう。『ドリーム』の原題は「Hidden Figures」で、いわば「縁の下の力持ち」だから、表に出て輝く存在ではないということもタイトルは表している。実際にジョンソンとジャクソンは裏方であることをまっとうしている(だから忘れられてしまったのだろう)。しかし、ドロシー・ヴォーンはそれだけにとどまらず、ビジネス・マネージャーとして次世代にも継承されてしかるべき手腕を発揮したのである。

 「マジカル・ニグロ」に正当性を与えようとするのが『ドリーム』なら、そのこと自体が新たな人種差別を生み出す契機にもなりうると訝しんでいるのが『ゲット・アウト』だろう。リー・ダニエルズの成功が引き金になったのか、このところ黒人の映画監督が矢継ぎ早にデビューしているようで、『ゲット・アウト』もアメリカではコメディアンとして知られるジョーダン・ピールのデビュー作にして黒人同士の階級差もしっかりと飲み込んだスリラー映画である。同作は服装から握手まで、もはや単一の文化を共有することはなくなった黒人同士のすれ違いをこれでもかと描き、もはや「ブラザー」などという呼びかけは、この映画の後には何も意味をなさないものに思えてしまう。『ゲット・オン・ザ・バス』に残っていたなけなしのユニティも砕け散ったということか。
 クリス・ワシントン(黒人)は、恋人であるローズ・アーミテージ(白人)に両親を紹介したいと言われ、二人して車で向かう。設定ではニューヨーク郊外に移動するだけとなっているけれど、ロケ地はアラバマだったようで、クリス・ワシントンを演じるダニエル・カルーヤの表情が一瞬、緊張を帯びたようになるところはメタ・フィクション的にも興味深い。娘の恋人が黒人であることを知らなかった両親は、そして、まったく動じることなくクリスを大歓迎し、その反面、夕食時にはローズの弟が差別的な態度を剥き出しにする。ここから『ゲット・アウト』はどんどん迷路のようなつくりになっていく。この映画は設定がわかった瞬間がほとんどオチなので、これ以上、ストーリーは辿らない。トム・ティクヴァ『ヘヴン』や大塚祐吉『スープ』など設定や大まかなストーリーは何も知らないで観た方がはるかに楽しめる作品はやはり確実に存在するし、『ゲット・アウト』はどこへ向かっているのかさっぱり見当がつかない間が最も楽しいので。この文章を読んでいるあなたはすでに多くを知りすぎてしまった。

 全体的に『ゲット・アウト』は限りなくB級に近いエンターテインメントとして仕上げられている。美術や人物造形もどこかわざとらしい。しかし、ポリティカル・コレクトネス、いわゆるPCについては考え込まされる。ここに描き出されている(白人)社会は黒人を差別し、下に見ることはない。ご近所=ネイバーというものをテーマにしたいくつかの古典を下敷きにしていることはわかるものの、いわゆるネイバーズと新参者を分け隔てるものに人種という物差しが使われていないかのように物事が動いていく仕掛けも巧妙で、それこそPCが世界の隅々まで行き渡ったらこんな世界になるのかなという理想郷のような味もにじませている。だから、主人公は違和感を覚えながらも、誰に対しても「おかしいじゃないか」とか「黒人の命も大事」などというようなことは口に出すきっかけすらなく、ある意味、手も足も出ないままクライマックスへ滑り落ちていく。主人公は「ゲット・アウト=出ていく」タイミングをまったく掴めない。それはどこから始まっていたのか。70年代? 80年代? 90年代?
 誰ひとり差別されることなく、魔法のような力など持っていないにもかかわらず、すべての黒人が「マジカル・ニグロ」として扱われる世界があったとしたら……それが現代であり、『ゲット・アウト』が誇張して伝えるニューヨーク郊外だろう。2本の作品を立て続けに観ると、あからさまな人種差別を受けながらも、自らの夢に向かって突き進む『ドリーム』はまるで現代よりも良い時代であったように思えてしまい、黒人のみならずすべてのマイノリティが尊重され、嫌な思いをしない世界がディストピアのような錯覚に陥ってしまう。この2本は是非、セットで鑑賞することをお勧めしたい。

注*本誌でも書きましたが、アフリカン・アメリカンという呼称は新たな差別語としてアメリカでは退けられるつつあるということで、ここでは「黒人」という単語を使っています。同時にアメリカでは「ブラック・リスト」を「レッド・リスト」などと言い換えることで「ブラック」という言葉に悪い意味を持たせないという流れもあるそうです。


『ドリーム』予告編

『ゲット・アウト』予告編


Kassel Jaeger - ele-king

 ミュジーク・コンクレートはサウンドの接続と変化の実践であり、音が実体から切り離されたとき音響イメージが聴覚にどう影響を与えるかを思考する実験でもある。いうまでもないがその祖はピエール・シェフェールで、その手法の多くがピエール・アンリに負っている。さらにはリュック・フェラーリやフランソワ・ベイルなどの現代先端シーンへの多大な影響力も忘れるわけにはいかない。そしてそれらはシェフェールが設立したGRM(フランス音楽研究グループ)という現代音楽/電子音楽史上の重要な組織へと繋がっていく。つまり先進とオーセンティックを合わせ持った音楽史へと至り、やがて複雑に分岐していく。
 同時にその唯物論的な芸術の実験・実践は、ヤニス・クセナキスの電子音楽、ピエール・ブーレーズの現代音楽のみならず、第二次世界大戦後のフランスにおける言語/映像における接続の実験にも交錯可能である。例えば小説におけるアラン・ロブ=グリエ『迷路の中で』やル・クレジオの初期作品『大洪水』『物質的恍惚』に代表されるヌーヴォーロマン、映画史におけるヌーヴェルヴァーグの映像と音響、中でもジャン=リュック・ゴダールが発展させ80年代から90年代にかけて現実化したソニマージュ映画『パッション』『カルメンという名の女』『右側に気を付けろ』『映画史』『新ドイツ零年』などの参照点へ線を引くことは可能なのだ。思わずフランスという地のマテリアリズム/唯物論的な芸術の系譜について饒舌に語りたくもなってしまう。
 しかし、それはむしろフランスという地の芸術運動であるというよりは、ヨーロッパの芸術が20世紀初頭におけるダダやシュルレアリスム、そして未来派など即物的マテリアルの新しい使用方法というアンチ・ロマン主義的な芸術を生み出したことと深く関係していたことはいうまでもない。ではなぜアンチ・ロマン主義なのか。まずは第一次世界大戦直前の20世紀型テクノロジーの予兆がもたらすある種の技術賛美思想によって19世紀的な芸術思想を超克するという一種の世代的な芸術闘争だった。次に第二次世界大戦を挟みヨーロッパはイタリアとドイツのファシズムを経験したことでそのアンチ・ロマン主義はアンチ・ファシズムを内包したものに「上書き」された(ヴァルター・ベンヤミンの「政治の芸術化/芸術の政治化」)。
 つまり「戦後」ヨーロッパの20世紀型マテリアリズムは、脱ロマン主義(近代の終わり・現代の始まり)と反ファシズム(世界戦争後の世界)という二重の屈折を内包していたわけである。ゴダールの屈折も分かるというものだし、ジル・ドゥルーズが『シネマ2』で『ドイツ零年』や『イタリア旅行』のロベルト・ロッセリーニ以降などの戦後的映画において統一的な時間の持続が失われた問題を論じたことも分かってくるだろう。

 ここで話は一気に現代に飛ぶ。フランスを拠点とする1981年生まれの音響作家カッセル・イエーガー(Kassel Jaeger)の新作『アスター』(Aster)についてだ。〈エディションズ・メゴ〉(Editions Mego)からリリースされたこの新作は大変に素晴らしい。彼はこれまでも〈セヌフォ・エディションズ〉(Senufo Editions)、〈アンファゾムレス〉(Unfathomless)、〈エディションズ・メゴ〉、〈シェルター・プレス〉(Shelter Press)などのマニアから一目置かれるレーベルからアルバムをリリースしており、現代的なミュジーク・コンクレートを考えるときに忘れてはならない重要な作家でもある。また、フランソワ・ボネ(François Bonnet)名義でGRMのエンジニア/ディレクターを務める人物でもあり、いわゆるアカデミックな系譜にいる音楽家ともいえる。あの〈エディションズ・メゴ〉傘下の電子音楽/現代音楽リイシュー・レーベル〈リコレクションGRM〉(RECOLLECTION GRM)の監修を行い、現代のシーンと電子音楽の歴史を繋ぐことに多大な貢献もしているほどだ。
 しかし、その彼の楽曲も含めた2010年代以降のヨーロッパ発のエクスペリメンタル・ミュージックには20世紀的芸術が抱え込んでいた屈折は既にない。ロマン主義的な感性とマテリアリズムを程よくミックスさせることでミュジーク・コンクレート的なサウンドを2010年代に相応しいアンビエンスとしてリ・コンストラクションさせようとする意志を感じることができるのだ。これは00年代の初頭のグリッチ・ムーヴメントがあまりにマテリアリズムに傾き過ぎたことへの反動といえるが同時に00年代末期から00年代前半にかけて流行った過剰にロマンティックなアンビエント/ドローンとは似て非なるものにも思える。
 単に甘いコードを持続させたものではない。音響と音響をエディットし音楽の気配と断片を生成することで一種のポエジー(=詩学)を生んでいるのである。2017年のカッセル・イエーガーは、〈エディションズ・メゴ〉からジム・オルークとのコラボレーション・アルバム『ウェイクス・オン・セルリアン』(Wakes On Cerulean)をリリースしていることからも象徴的だが、近年の汎ヨーロッパ的なエクスペリメンタル・ミュージックは、2010年代的初頭的なアンビエント/ドローンの系譜というよりは、90年代の初期シカゴ音響派の系譜にあると考えた方がいい。じじつ初期シカゴ音響派にはリュック・フェラーリ的なミュジーク・コンクレートからの影響が強くあった(例えばジム・オルーク『ルールズ・オブ・リダクション』)。
 また2016年に〈シェルター・プレス〉からリリースされた ステファン・マシュー(Stephan Mathieu)とアキラ・ラブレー(Akira Rabelais)とのコラボレーション・アルバム『ツァウバーベルク』(Zauberberg)も「新しい音響詩学」とでも形容したいコンクレート・アンビエンスなアルバムに仕上がっていた(彼は90年代の音響実験の系譜を意識的に継承しようともしているようにも感じられる)。

 〈エディションズ・メゴ〉からリリースされた新作『アスター』は、その「続編」といえなくもない仕上がりである。そのうえミュジーク・コンクレート的な技法を継承しつつも、新しいダーク・アンビエント/ミュージックとして聴取することは十分に可能なのだ。不思議な「聴きやすさ」がある。1曲め“Aster”から横溢している冷たい洞窟の中のような音の質感には独自のアンビエンスが生成しており、聴き手の耳をいつのまにか引き込んでいってしまうサウンドとなっている。その細やかな静謐さは、次第に音量を増していくサウンドの中に粒子のように聴覚空間に散らばっていく。この音の質感、動き、空間、構築、構成を存分に味わうことで、ミュジーク・コンクレートの現代的活用という現在のエクスペリメンタル・ミュージック・シーン先端性を満喫することができるだろう。
 本アルバムは、「その」音が本来の姿(イメージ)から切り離され、「この」音のみの実存/存在となり、そこから新たな音的状況が生成・変化を遂げている。特にアナログ盤D面、データだと7曲めからラスト9曲めに収録されている“Ner”、“Uminari”、“L'étoile du matin”の闇の中の光のような音響空間は、音のみで新しいイマジネーション/イマージュを生み出しているかのように聴こえた。そして、そのサイレンスな終焉。いわば音なき世界へ。それはいわば真夜中の音=イマージュだ。夜とはロマン主義の象徴である。確かにこのアルバムでは、そこかしこに夜の鳥の鳴き声のような音が聞こえてくる。

 本作も含めた現代のエクスペリメンタル・ミュージックにはもはやアンチ・ロマン主義は感じられない。とはいえ単純なロマン主義への心理的回帰でもない。ではその音はどのようなムードを鳴らしているのか。一種の滅びゆくもの、廃墟へのアンビエンスではないか。この『Aster』も同様である。廃墟的、遺跡的なものへの親和性。夜の廃墟。夜の鳥。夜の化石。夜の遺跡。夜の痕跡。夜の発掘。夜の聴取。アートワークの物体のむこうに光るものが、そのような音響=イメージを象徴しているようにも思えてならない。

dialogue: Arto Lindsay × Wataru Sasaki - ele-king

 7月2日。それは、代官山の晴れたら空に豆まいてにて、アート・リンゼイとジム・オルークによる共演ライヴが催される日だった。その公演を体験するために、札幌から駆けつけたひとりの人物がいる。クリプトン・フューチャー・メディアで初音ミクの開発を担当した佐々木渉である。一見、互いに何の接点もないように見える組み合わせだが、『別冊ele-king 初音ミク10周年』で掘り下げたように、じつはミクのバックグラウンドにはアヴァンギャルドの文脈が横たわっている。つまりアート・リンゼイもジム・オルークも、佐々木渉にとっては心より尊敬すべき先達なのだ。とりわけアートは5本の指に入るほどの存在で、きわめて大きな影響を受けたという。であるならば、こんな機会はめったに訪れないのだし、アート・リンゼイ初音ミクも同じ『別冊ele-king』シリーズで特集を組んでいることだし、ふたりにはぜひとも対面していただくしかない――そのような経緯で始まったこの対談は、しかし、予想以上にぶっ飛んだ展開をみせることとなった。以下、その様子をお届けしよう。

これは、Orangestarさんというクリエイターのヒット曲で、メロディ・ラインを蝉がカヴァーして歌っています(笑)。 (佐々木)

(真顔で)ビューティフル。 (アート)

佐々木渉(以下、佐々木):僕は20年間アートさんの音楽が大好きで、『Noon Chill』や『Prize』の頃からアルバムが出るたびに毎回何十回も聴いていました。高校生の頃にアートさんの(ソロ名義の)音楽を聴き始めて、そのあとに昔のDNAやアンビシャス・ラヴァーズを聴きました。

佐々木さんはリスナーとしてずっとノイズ・ミュージックやアヴァンギャルド、テクノ・ミュージックなどを聴いていて、そこから機材に興味を抱いてシンセサイザーなどの開発に携わるようになり、クリプトン・フューチャー・メディアという会社で「初音ミク」というヴァーチャル・シンガーを企画したプロデューサーです。

アート・リンゼイ(以下、アート):VOCALOIDだよね。すごくおもしろかったよ。

佐々木:ありがとうございます。

アート:あのソフトウェアがどうやって機能しているのか完全にはわからなかったんだけど、誰かが歌って、それを代わりにキャラクターが歌っているの?

佐々木:(画面を見せながら)シーケンサーにMIDIの打ち込みでメロディと歌詞を入れるんです。

アート:ああ! いまわかったよ。

佐々木:そういう仕組みなので機械的な歌になってしまうんですが、いまはどうやったらエモーショナルなことができるようになるか研究しています。

アート:もっと不自然にしてみるというのもおもしろいかもしれないね。

佐々木:そうですね。僕はノイズ~アヴァンギャルドだとかいろんな音楽を聴いてきたなかでも、ブラジルや南米などで楽器に新しいアプローチをしている人たちが大好きなんです。エルメート・パスコアールさんやトン・ゼさん、あるいはドイツのギタリストで、ダクソフォンという楽器を作っているハンス・ライヒェルさんだとか、そういう常識からはずれたかたちで動物や人の声を使って演奏する人が好きで、人間がふつうに歌うよりももっと奇抜なことだったり、機械にしかできないことをやりたいと思っています。VOCALOIDは、ある意味ではヴォコーダーの延長線上にあるものなんですが、自分としては創作楽器を作っているつもりですね。もっとビリンバウやダクソフォンみたいな表現ができるようになれば、と思っています。

アート:ビリンバウのように聴こえる音楽を作りたい?

佐々木:音程が急激に大きく揺れたりだとか、そういうふうにいままで聴いたことのない音が出ることが重要だと思っていて。あとは小節や瞬間的なピッチ変化が音楽のグリッドに合わないかたちの表現がいろいろとできればいいなと思っています。

アート:(VOCALOIDについて)なんとなくはわかるんだけど、まだちょっと(把握するのが)難しいね(笑)。どうやってVOCALOIDにメロディを歌わせているの? マイク? サウンド・ファイル?

佐々木:MIDIで入力することもできますし、歌で入れることもできます。試しにいま、歌でメロディを入れてみたものをかけてみますね。(曲を流す)……これは、人の声を真似てインプットしたものですね。

アート:ロボットのように聴こえるけど、いいロボットだね。ロボットみたいに聴こえさせたい人にはいいかもしれないね。トップ・シンガーにはロボットみたいな人たちがけっこういるしね(笑)。そういう人たちがこれを使ったらいいと思うよ。

佐々木:SoundCloudなどに音源をアップロードしているインディ・ミュージックのクリエイターの一部がVOCALOIDを使ってくれていて、ロボットっぽい声で歌わせたりしているんですよね。

アート:とても素晴らしいと思うよ。スパニッシュ・セクシーな女性の声を作ったりしてみてもいいんじゃないかな(笑)。(セクシーな声を発し始める)オオウ、ハァァ、ヤヤァ、ハァァ、って嘘っぽい感じでね(笑)。ダッダッダッダッ……「その声をやめて早く歌え!」っていう感じの音を作ったらいいと思うよ。

佐々木:そういう呼吸の音を再現するのはいまはまだ技術的に難しいんですが、これからどんどん発展していくと思います。ちなみに、ラップを作っている人たちもいるんですよ。

しま:たとえばこんな感じで……(松傘の曲をかける)

アート:これは中国語?

佐々木:モティーフは日本語ですが、イントネイションをVOCALOIDでグチャグチャに訛らせてますね。日本人の耳で聴いても、ほとんど創作言語みたいなものです。

アート:これすごく好きだな。

佐々木:機械なので、やろうと思えばいろいろと変なことができるんですよ。

アート:僕のギターもこんなふうにできるよ。(声を発し始める)アぁ、ウぉウ、イぃャ、ウぁエ……

佐々木:まさにそうですよね(笑)。僕は『Prize』でフィーチャーされていたアンチポップ・コンソーティアムのビーンズとアートさんのヴォーカルのバランスがすごく好きで、(そういうふうに)声の表現の垣根を崩して、ギリギリのことをやっている人たちはすべて憧れの対象でした。

アート:質問があるんだけど、EQやピッチをいじくることで男性の声を作ったりすることは簡単なのかな?

佐々木:そういう技術は発展しつつあって、われわれもいまVSTプラグ・インという声を変換する機械を作っています。完成したらお送りします(笑)。

アート:オーケイ。それは男性の声だよね?

佐々木:そうですね。男性の声もモデュレイションできます。初音ミクは男性のクリエイターがとても多くて、男性のクリエイターが女性的な心情風景を表現して曲を発表するのにVOCALOIDを使う人がいっぱいいるんですね。

アート:ライヴのステージで使うこともできるの?

佐々木:そういう技術もいま開発されているところですが、いまはまだそれほどきれいに男性の声を女性の声に変換するものはないですね。

アート:考えさせられるね(笑)。……男性の声、女性の声、犬の声、ビリンバウ……(いろんな声を発し始める)タラとぅータリー♪ イェールッ! おォおォ、バインっ! オぉー、タラりぃールらー、デでデぇーデリぃー♪ ぐゎーん……ピープッッ! ワーー、ヴォウッ!

佐々木:ご存じかどうかわからないですが、日本のヴォイス・パフォーマーの巻上公一という――

アート:イェ! マキガミ!

佐々木:はい(笑)。イメージとしては、その巻上さんのパフォーマンスをデジタル・エフェクトで3歳の女の子が歌っているように自然に変換する装置などが、これからできるようになっていくと思います。ブレンドするというか、声の表現方法と、声の年齢や性別の部分をあとで機械で組み合わせることができるようになります。なので、人間が犬の声で歌ったり、人間が豚の声で鳴いたりするようなことも可能になるでしょうし、そういう方向に進みたいなと思っています。

アート:なるほど。まだそれは可能じゃないんだね?

佐々木:まだ可能ではないですが、実現はもうすぐ近くまできています。

アート:マキガミとは知り合いなの?

佐々木:僕は20年前に大友良英さんのワークショップやセッションに参加させていただいたことがあって――

通訳:ヨシヒデ・オオトモ、ご存じですか?

アート:イェ。

佐々木:そこでのシリーズに巻上公一さんやダクソフォン奏者の内橋和久さんというギタリストの方も参加されていて――

アート:(内橋和久を)ああ、知っているよ!

佐々木:僕はそういう日本のアンダーグラウンドなアヴァンギャルド・ミュージシャンたちからいろんな影響を受けたので、かれらといろんなことができたらいいなと思っているところです。ちなみに、日本のインターネットのアンダーグラウンド・シーンでは、蝉の声を使った歌もあるんですよ。

アート:蝉? (声を発し始める)クシクシクシクシ、クシクシクシクシ……

しま:Orangestar?(蝉の声を使った曲を流す)

佐々木:そうそう。これは、Orangestarさんというクリエイターのヒット曲で、メロディ・ラインを蝉がカヴァーして歌っています(笑)。

アート:(真顔で)ビューティフル。

(一同笑)

佐々木:こういうアプローチをリアルタイムで使えるようになったら、ミュジーク・コンクレートの限界を超えて、アヴァンギャルド・ミュージックにも応用できるようになるんじゃないかと。

アート:ああ、本当にそうだね。欲しいよ!

佐々木:日本のクリエイターにはこういう常識はずれなことをやる人たちが一定数いるので、そういう人たちと音楽をおもしろくしていきたいですね。昔のジャパノイズの精神はネットでも形を変えて進化すると思っています。

僕はカエターノ・ヴェローゾさんたちのブラジル人シンガーの声のアンニュイなニュアンスが世界でいちばんきれいだと思っているんですが、いまの機械ではそれがまったく再現できないんですよね。 (佐々木)

僕とカエターノと彼の息子で人の歌声を分析したりするのは好きなんだけど、フォルマントのような視点から聴くことはないので、とてもおもしろかったよ。 (アート)

アート:もし僕のギター・フレーズを録音したサウンド・ファイルをVOCALOIDに入れて、女の人の声でプレイしたらどうなるのかな? ライヴじゃなくてもいいんだけど、ギターの音はきれいに変換できる?

佐々木:ええっと、人力で、すごく時間をかければ、できます。ただ、それをもっと高速化してリアルタイムでできるようにする技術は、そうですねえ……あと3~5年くらいでできるようになるんじゃないかなと思います。日本だと名古屋大学の研究で近いものがあったり……

アート:あァぁ……(ものすごくがっかりした様子で)長いね! オートチューンやメロダインあたりのソフトウェアから盗んだらいいんじゃないかな?

佐々木:そうですね(笑)。いまも参考にしてやっています(笑)。

アート:オートチューンはライヴで機能するよね。オートチューンだとピッチやキーだけしか変えられないけど、これ(VOCALOID)は表現やパーソナリティが入ってきているからおもしろいと思うよ。

佐々木:人がある歌を聴いたときって、やっぱり「人が歌っている」と認識してしまうんですけど、音は人間の印象のまま、感情的なエモーショナルな部分を楽器でグチャグチャにしたらすごく刺戟的な音になるので、おもしろいと思っていますね。よくわからない悲鳴のような音に聴こえたり、聴いた人が混乱したりするのがとてもおもしろいと思っています。

アート:たとえば、女の子の歌に聴こえるようにするためにピッチを上げたりするよね。他にはどんな手法を使っているの?

佐々木:声には「フォルマント」という他の楽器の音よりも複雑な成分があるんですが……たとえばこれは先ほどの歌ですが、これのフォルマントを操作すると……(曲を流す)こういうふうにロボット・ヴォイスにしたり、声の構造を変化させたりすることができるんですね。

アート:フォルマントというのはどういうものなの?

佐々木:これ(フォルマント)を変形させると子どもっぽく聴こえたり、年をとった声に聴こえたりする、そういうような成分ですね。声の周波数の特徴的なピーク成分構造みたいなものですね。いまわれわれはマルチバンドのフォルマント・コントロール・システム(VST)を作っていて……

アート:フォルマント……不思議だね。

佐々木:あとは声の震えですね。ヴィブラートもそうですが、声のなかにはいろいろな揺らぎがあって、母音成分の先頭などに、特徴的な振動成分が入っているので、それを操作して、耳に刺さる声を作ったり、フォルマントと組み合わせて子どもが甘えたような表現を作ったりするのもおもしろいと思っています。

アート:(日本語で)アリガトウゴザイマス! (「フォルマント」は自分にとって)新しい言葉だよ!

佐々木:僕はカエターノ・ヴェローゾさんたちのブラジル人シンガーの声のアンニュイなニュアンスが世界でいちばんきれいだと思っているんですが、いまの機械ではそれがまったく再現できないんですよね。

アート:あと50年くらいかな。

佐々木:50年後か100年後か、自分が亡くなったあとに開発されることを願いますね(笑)。

アート:あなたの息子さんが孫にそれを伝えるくらいだね(笑)。

佐々木:そうですね(笑)。

アート:僕とカエターノと彼の息子(モレーノ・ヴェローゾ)で人の歌声を分析したりするのは好きなんだけど、フォルマントのような視点から聴くことはないので、とてもおもしろかったよ。……これは、とても、(日本語で)オモシローイ。このソフトウェア(VOCALOID)で、いろんな特徴的なピッチやフォルマントから、声を作り上げているわけだよね。たとえば小林さんの声を録音したら、ピッチやヴォリュームなどのパラメータが見えるよね。でもそういうピッチやヴォリュームみたいなものは使わないんだよね? ちょっと興味があるんだけど、佐々木さんはもっと人間らしい声を作ろうとしているんだよね?

佐々木:ある意味そうですね。もっと、いまある楽器よりも繊細に震えた声ができると嬉しいです。

アート:その音をより人間らしくするために、人間の声の分析みたいなことをやっているの?

佐々木:はい、それもしています。いまは人間の声の分析が最重要項目です。

アート:それがすごくおもしろいね。

佐々木:人間の声はとくにスピリチュアルなもので、人間の歌でなぜ人間が感傷的になったり感動したりするのかということ自体は解明されていないんですよね。だから感情が混ざった声や、情報の多い声の可能性は無限だと思ってます。それと、人間だけではなくて動物、たとえば鳥の鳴き声などにも魅力的な要素がいっぱいあって、それをシンセサイザーに移すという実験にも興味があるので、そういうこともやっています。鳥の鳴き声から高音のきれいな成分を抜いてきて機械で扱えないか、という実験ですね。シンセに入れてモデュレイションをするという感じです。

アート:鳥の声は美しいよね。いま泊まっているアパートには部屋の角にベッドが置いてあるんだけど、そのどっち側にも窓があるんだよね。一方の窓からは朝に鳥のさえずりが聴こえて、もう一方の窓からは学校でバスケットボールをやっている子どもたちの「キュッ、キュッ」っていうゴム靴と木の床が擦れる音が聴こえてくるんだ。それがとても美しいステレオ・サウンドなんだよね。

佐々木:わかります。日本は環境ノイズが多いので、エイフェックス・ツインが日本に来たときに、ホテルで「狂った音がする」と喜んでいたらしいですよ(笑)。

アート:ああ、エイフェックス・ツイン! 東京はつねに音が鳴っているよね。室内にいると聴こえなかったりするけど、外に出たら必ず何か音がしているもんね。オノ セイゲンを知っている?

佐々木:はい。大好きです。

アート:彼と何かスタジオでレコーディングをしたいと思っていて。彼はリヴァーブと空間を使ってふつうだと作れないようなサウンドを作ろうとする人だから、すごくおもしろいんじゃないかと思っているんだ。

佐々木:彼はマイクの距離感と、サンプリング・リヴァーブを組み合わせて、ものすごく細かく音響を操作しますよね。

アート:リヴァーブとVOCALOIDとを組み合わせたらすごくおもしろいと思うな。たとえば、「オネガイシマス」という言葉だと、「オネ」の部分は大きいスペースのある部屋を使って、「ガイシ」の部分は中くらいの部屋を使って、「マス」の部分は小さい部屋を使って、そういうふうにスペースを効果的に使うともう少し人間っぽく聴こえるんじゃないかな。それを大げさにしすぎるんじゃなくて、微妙な加減にするのが大事だと思うね。

佐々木:VOCALOIDは、「アーッ」とか「ハァーッ」とか、息の音だけで抑揚をつけたりすることも技術的には可能なんですね。息とリヴァーブをうまくコントロールすると新しい音が生まれる気がします。

アート:インクレディブル!

佐々木:僕はアートさんやオノ セイゲンさんの音楽と同時に、キップ・ハンラハンの音楽もすごく好きで聴いてきたんですが――

アート:ああ、キップ。

佐々木:〈American Clavé〉のレーベル・カラーと言えるサウンドデザインが大好きで、空間を広く使いつつ、パーカッションの音だけすごく近いところで聴こえたり、独特の遠近感がある、そういう音楽がいちばん好きだったんですね。だから今日はお会いできて光栄です。アートさんら、みなさんが作ってきたニューヨーク・アンダーグラウンドの音楽は死ぬまでずっと聴き続けると思っています。そして、いま、ネットを介して世界中のアンダーグラウンドな音楽にインスパイアされながら楽器を作れることを幸せに思います。

アート:今日はすごくおもしろかったよ。

佐々木:(鞄から荷物を取り出す)ギターに接続すると初音ミクの声が出るエフェクターがあるので、プレゼントします。

アート:アァッ! バッテリーはある?

佐々木:単三電池を入れないと動かないですね。

アート:パワー・サプライでも動く?

佐々木:パワー・サプライでも大丈夫ですよ。

アート:ヴォルテージは?

佐々木:9Vなのでふつうに使えると思います。

アート:(袋を開け、エフェクターを見て)オォッ! (ミクに話しかける)ハロー! ハウ・アー・ユー? オーケイ、オーケイ。(日本語で)スミマセン。ドーモ、ドーモ、ドーモ! ドーモ、アリガトウゴザイマス! また日本に戻ってきたら会いたいよ。ブラジルには行ったことある?

佐々木:まだないです。すごく行きたいですね!



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interview with Takuma Watanabe - ele-king


渡邊琢磨
ブランク

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 『ブランク』にもその音源を収録する染谷将太監督の短編映画『シミラー バット ディファレント』をはじめて目にしたのは2014年、〈水戸短編映画祭〉に招かれて渡邊琢磨と壇上で話したとき、短くも他者とのかかわりを繊細にきりとったこの映画を渡邊琢磨の音楽は静謐にいろどっていた。あれから3年、同年のソロ名義の前作『アンシクテット(Ansiktet)』が呼び水になったのか、翌年の冨永昌敬監督の『ローリング』、今年に入ってからは吉田大八監督の『美しい星』など渡邊琢磨は映画音楽をじつによくし、映画と音楽の関係がともすればアニメのそれに似通いがちな昨今の風潮の向こうを張る旺盛な実験精神をしめしてきた。ことに『美しい星』は今年の邦画界でも評判をとったのでご記憶の方もすくなくないにちがいない。内容については本媒体の水越真紀の秀抜な評文にゆずるとして、映画が公開するひと月前あたり、私はぶらぶらしていたとき、渡邊琢磨に近所のまいばすけっとの前でばったり会った。聞けば、これから『美しい星』のサントラのマスタリングなのだという。私は渡邊琢磨の音楽を聴くのは、まいばすけっとに行くことの数億倍は楽しみにしているが、はたして『美しい星』のサントラは期待をうわまわる出来映えだった。さらに間を置かず、新作『ブランク』を手にするとなるとよろこびもひとしおである。またこのアルバムは前作からつづくサイクルをいったん閉じるものであり渡邊琢磨にとっての映画と音楽の在り方の回答のひとつでもある。
 毎度ながら、対話は個別具体的な作家評はもとより近況報告まで、多岐かつ長時間にわたった。渡邊琢磨の音楽から現状を透かし見れば話題は尽きない。おそらく坂本龍一とダニエル・ロパティンの試みをおなじ視野におさめられるのは彼をおいてほかにいない。
 どういうことか、みなさんが目にしている印象的なジャケット写真を撮影したその日、ぐずついた日々の幕間のような熱暑にみまわれた東京の渋谷で(映画)音楽家渡邊琢磨に話を訊いた。

映画音楽がおもしろいのも、音楽家個人の作家性の問題にとどまらないからですよ。基本的には映画の演出効果の一環ですし、その点、匿名的なものですが、それでかえって、相関的に音楽がつくられる。

『ブランク』を聴くと、今年の『美しい星』や一昨年の冨永昌敬監督の『ローリング』など、琢磨くんが近年手がけた映画音楽は前作の『アンシクテット(Ansiktet)』(2014年)とひとつながりのように思いました。言い方はわるいかもしれませんが、ひとの土俵で自分のやりたいことをやっていたというか。

渡邊琢磨(以下、渡邊):一面的には、おっしゃる通りです(笑)。牧野(貴)さんの『Origin Of The Dreams』(2016年)もふくめ、付帯音楽の仕事は、僕がつくりたい音楽の実験の場にもなっています。

『アンシクテット』の意味は「顔」で、イングマール・ベルイマンの作品名の引用ですよね。当時すでにそういうことをやっていこうと思っていたと今回あらためて気づいたんですね。

渡邊:あのアルバムの制作を経て、映画監督にサウンドトラックの提案ができるようになりました。低予算でハリウッド映画にひけをとらない音楽がつくれます! というような(笑)。

低予算というのは魅力的だものね。

渡邊:卓録でハリウッドできますよ! というわけです(笑)。とはいえ、計画性があったわけではなく、アルバム制作後、映画音楽の仕事が重なっただけですが。『美しい星』の音楽を担当することになったのも、冨永昌敬監督の『ローリング』をみた(吉田)大八監督が、同作の映画音楽に興味をもったことがきっかけです。

『ローリング』は音楽がながれつづける映画でしたよね。

渡邊:冨永監督は、編集の際に1曲の劇伴を異なるシーンで再利用して、各々の場面や登場人物のエモーションを異化効果的に、重層的にしていく手腕があるのですが、『ローリング』の音楽制作時には、あえて厳密に「ここのTC(タイムコード)から、この位置まで(音楽を)当ててます」という指示書きをつけて完成した曲を送っていました。制作のスケジュールが少々タイトだったので、逆にバタバタとこちらの思惑通りことが運びました(笑)。それが意外に評価いただいた次第です(笑)。

いやよかったですよ。音楽も、映画をひっぱる推進力になっていたし。

渡邊:映画のハイライトあたりに、尋常じゃないテンションの男が電気ドリル片手に主人公を追いかけてくるって、これはもう脚本で読むかぎり、とてもサスペンスフルなシーンのはずですよ! でも、冨永監督が演出した本編シーンをみると、おかしなことに追いかけられてるはずの主人公が切羽詰まってない、なんとなく逃げてる(笑)。音楽家としては大変困ったシーンです(笑)! そこであえてサスペンスに寄せた劇伴、というかこれは冨永監督と私の共通見解で、『ゴッドファーザーⅡ』の暗殺シーンの音楽パロディをつくりまして、それを当てたところ、緊張感を煽る音楽と、滑稽な登場人物たちの挙動のアンバランスさが、さらなる異化効果、なのかすらもわからない不条理な名場面になりまして(笑)。

それが斬新とうけとられると――

渡邊:実際どうなのかわかりませんが(笑)。してやったり、という感じでしょうか(笑)。

『アンシクテット』のとき、お金がないから卓録でオーケストラやるんですよ、と琢磨くんはいっていて、それはそうなんだろうと思いつつ、考えてみればその手法自体が汎用可能な方法になっていたのが、ふりかえって考えるとおどろきでした。きのう『アンシクテット』から『ブランク』をつづけて聴いたんですが、そうすると発見があるんですね。

渡邊:やり方がわかってきて調子に乗ってるのかもしれません(笑)。でもなにがしかの企画や前提条件ありきではなく、自分が聴いてみたい音楽を制約なしでつくることが、結果、映画音楽などの仕事のシミュレーションになってますね。『アンシクテット』をつくっていた時点ではあくまで、映画音楽のようなテクスチャーで自分の音楽をつくる、それで完結でしたから。事後、映画監督との共同作業に派生していったのは、おもしろいながれではありますが。

たとえば往年のハリウッド映画のサントラを卓録でやると聞くと、いかに生の音をPCで再現するかという部分に耳がいきがちですが、それをふくめたサウンド総体に独自性があったんだと『美しい星』のサントラや『ブランク』を聴いて思いました。ところがそれも『アンシクテット』の時点にすでにその萌芽があったということが遡及的に理解できたんですね。

渡邊:シンフォニックな生楽器の響きと、電子音ないしダンストラックなどの機械的な響きの整合性をはかるのは、サンプリング技術などが発達した現代にあっても悩ましい問題です。表層的には異種の音の垣根などなさそうに思えますが、そこには楽曲や音響上の問題だけではなく、ジャンル固有の歴史的文脈や修辞法による先入観もあり、実際、アレンジやミックスの段になると、個々の音の差異に生理的な違和感をもつことが多々あります。とはいえ、その水と油をあえて混ぜる好奇心には抗えませんし、当初から関心がありました。

生楽器なりオーケストラなりと電子音楽をブレンドするのは、だれでも考えつくんですが、ジェフ・ミルズにしろカール・クレイグにしろ、彼らのオリジナル以上になるかといえばそうではないもんね。

渡邊:演奏者と作曲者、または編曲者の関係性にも依拠する問題かと思います。作曲者に明確な音のイメージがあっても、その音をどのように記譜して演奏者に伝えるかを熟慮しなければなりませんし、音符や記号に忠実な演奏をしても、作曲者の意図に沿わない場合もあります。そういう作曲者の苦悩というか、演奏者と作曲者の障壁の解決法として、様々な記譜法が20世紀以降に考案されてきたわけですが、私的には、演奏者の想像力を頼りにするか、もしくは仮想オーケストラでてっとりばやく具体化するか(笑)、いずれにせよ、いろいろハードルがありますね。かといってポスト・クラシカルだとか、そういうサブジャンルに逃げ込むのもイヤですし。

ポストロックはむろんのこと、琢磨くんはジャズにせよ、ラテンやロックでもいいんですが、そういうことの中心にはいかないように気をつけているようにみえるんですが、それは意識的なんですか。

渡邊:結局ラテンといっても、僕の場合〈アメリカン・クラーヴェ〉というか、キップ・ハンラハンですからね(笑)。自分はラテン音楽の当事者にはなりえないですが、周縁からラテンというか、移民、多民族のアンサンブルにアプローチして音楽をつくる、それもある種ラテン的なおもしろさだと思います。ラテン音楽の歴史やなりたちの複雑さを考えると、人種や文化のちがいから生じる摩擦ありきの音楽も、広義の意味でラテンじゃないかと。映画音楽がおもしろいのも、音楽家個人の作家性の問題にとどまらないからですよ。基本的には映画の演出効果の一環ですし、その点、匿名的なものですが、それでかえって、相関的に音楽がつくられる。染谷監督の『ブランク』などは、音楽制作に関しては自己完結してますが、映画の主題ありきですし、ふだん自分ではつくらない音楽がひっぱりだされています。そうした想定外のところにいかないと、なんにせよおもしろくないというのはありますね。

染谷さんの『シミラー バット ディファレント』は、以前琢磨くんが〈水戸短編映画祭〉に呼んでくれたときに上映したのをみましたが、あれがおふたりの最初の共同作業ですよね。

渡邊:そうです、2013年なので『アンシクテット』の1年前。

染谷さんとの出会いはそもそも――

渡邊:冨永昌敬監督の映画『パンドラの匣』(2009年)の打ち上げ会場に、冨永監督に呼ばれてお邪魔したら、たまたま隣の席が染谷くんだった。それがきっかけで一緒に遊ぶようになって。『シミラー バット ディファレント』の音楽を手がけたのは、出会ってからだいぶ時間も経っていて、いちおう僕が音楽担当になってますけど、染谷監督から映画音楽の依頼がきたわけでもなく、「映画音楽ってどうすればいいんですかね……」「そうねぇ……」とかいう相談からはじまったんですよ(笑)。あーだこーだ話しているうちに、面倒になってきて1曲つくって送ったところ、結果的に音楽担当になったような感じです。

自主制作でしたよね。

渡邊:そうです。仕事という感じでもなかったですね。映画によっては、映像に音を当てる前段階から音が聴こえてくるような作品がありますが、染谷監督の映画にも独特のグルーヴのようなものがあって、音楽の方向性は比較的つかみやすいです。もちろん軌道修正が必要になることもありますが。『美しい星』は、少々大変でした(笑)。

吉田監督のどういったところがたいへんだったんですか。

渡邊:大八監督がたいへんというより、音楽制作の期限に対して必要とされる曲数が、少々多かった(笑)、そういう時間的な問題です。それでかつ、大八監督から「この曲にはもうちょっとベースが欲しいですね」等々いわれると「ベースは後回しです!」とか、なりますよね(笑)。

ベースって音楽的な意味でのベースということ?

渡邊:大八監督は音楽に関しても独特の嗜好がありまして。監督は趣味でベースも弾くのですが、ミック・カーンが好きなんですよ(笑)!

私もそうですが、ベーシストといってミック・カーンとコリン・ムールディングとパーシー・ジョーンズを挙げるひとはたいがいひねくれていますよ。

渡邊:あまりベースっぽくない演奏をするベーシストですね(笑)。なのでわりと詳細な音のオーダーもあったりするのです。時間があればいくらでも実験したいのですが。

工程の話でしたね。

渡邊:そうです。

でも『美しい星』は本編もそうですが、音楽もよかった。ここにこういった音をつけるのかと思いました(笑)。

渡邊:制作期間中は終始ハイテンションでした(笑)。楽しかったです。

“Messenger”とか、亀梨(和也)くんの場面でこれでいいのかなと思いましたよ。

渡邊:ぼく自身、あれが正解なのかどうか半信半疑でしたよ(笑)。

ああいう疑似ワールド・ミュージック的な音楽は、私は琢磨くんがやっているのを知っているからおもしろがれるんだけどよく考えると唐突だよね。

渡邊:あのシーンには別テイクがありまして、最初は他のシーンとも整合性のある音楽を当ててたのですが、大八監督から「もっと振り幅出してください」というリクエストが再三きまして、その結果、ああいう擬似ワールド・ミュージックになりました(笑)。最初の数テイクがNGになったので、ひとまず、素地にしてたデータを全部捨てて、サンプリングのネタ探しをするという。シンフォニックな映画音楽をつくりたいという、こちらの思惑からどんどん逸脱していくプロセスに切り替えました(笑)。アフロ・ポップのレコードから数拍をサンプリングして逆再生したり解体したり、なんかヘンだなと思いつつ「振り幅だからな」と自分にいいきかせながらつくった曲を送ったら、大八監督から「これです!」というOKをいただきまして。「これなんだぁ……」とは思いましたが(笑)。

吉田監督のミック・カーン好きに助けられたかもしれないですね。

渡邊:(笑)独断ではあの曲は当ててませんね。亀梨さんの場面で、音楽的にここまで振り切ってもいいということが分かったので、そのあとの金沢の海岸で橋本愛さんが覚醒するシーン(“Awakening”)も躊躇うことなくつくれました。

幅を承知して自由度が高まったんですね。

渡邊:タガが外れました(笑)。


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特定の映画のために書き下ろした音楽を、パーソナルな作品に作り変えるという、領域横断的なプロセスに興味がありました。その作業の過程で映画作品のイメージが漂白していって、その結果、本来的な機能を失った用途不明の音楽だけが残りました。この使いどころ、用途不明な状態にある音楽が、ぼくの考えるアンビエント・ミュージックなのかもしれません(笑)。


渡邊琢磨
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映画においても音楽のつけ方はいろいろありますよね。演出効果と考えることもできるし異化効果とみなすこともできる。琢磨くんの基本的なスタンスはどのようなものですか。

渡邊:基本的には、映画の主題によって自分のスタンスは変調します。異化効果などの方法論を踏まえるまでもなく、映画の見せ方は監督の感性、場合によっては人柄に依拠してますし、そのシーンをどう見せるべきかは、やはり監督の意向ありきです。その前提の上、あくまで音楽でこちらの解釈を提案します。ただバジェットや製作事情を音楽をつくる上での制約にはしたくないですね。音楽予算が潤沢になくても、ある場面からハリウッド大作映画のような音を想起したら具体化する方法を模索します。とにかく一度、具体を提案してみないことには、監督も判断できませんし。ただ、こういうなりたちの仕方が基準になってしまうと、それ以降は、琢磨くんだったらできるでしょ的なことになるので厄介です(笑)!

吉田さんだって、冨永さんのでそういうことをやっていたから琢磨くんにお願いしたわけだから、次はまたちがうことをやってくれますよね、という含意ありきだったでしょうからね。

渡邊:じつは『美しい星』のラッシュには『ローリング』のサントラがテンプトラック(既製曲を監督のイメージとして仮当てしておくこと)として当ててあって(笑)。黒澤明監督と武満徹さんが『乱』の音楽制作時に、マーラーみたいな音をつくってください、つくりませんというような既製曲を巡って侃々諤々するのはべつの次元で大変だと思いますが、過去の自己作品が仮当てされてあって、かつ、その曲に合わせて編集まで施してあって、これはなかなか厄介だと思いましたよ(笑)。別の映画のためにつくった音楽なので、そのイメージを払拭しなければならいし、元来、金沢の海岸に円盤が登場するシーンではなく、水戸の荒野で悪巧みをするロクでなしたちというシーンのためにつくったわけで(笑)、でも、それでかえって意気込んで、アルペジエーターでシンセをグワングワン鳴らして、のっけからトランスでいこうと思ったんです(笑)。同作のトークイベントのさいにも同じような話しをしたのですが、デヴィッド・シルヴィアンのツアーにいったじゃないですか――

そうでした! ということは、琢磨くんはミック・カーン好きにはぴったりじゃない(笑)。

渡邊:なのですが、大八監督は、僕がデヴィッド・シルヴィアン・ツアーのメンバーだったことは制作中は知らなかったのです(笑)。『美しい星』の打ち上げ会場かどこかで、覚醒のシーンの音楽はどう着想したんですか? というような話しになって、そのさい、デヴィッドの欧州ツアー中の出来事に言及したのです。欧州ツアーの中盤はベルリンだったのですが、そのとき、前ノリしたんですね。到着した日はオフで、ぼくはバンド・メンバーとは別行動でベルクハインに行ったんです。たしか、〈Perlon〉のレーベル・イベントだったと思うのですが、雰囲気とお酒にストレスも相俟ってたいへん昂揚しまして(笑)、その場にいた見知らぬカップルと仲よくなって、酒を奢ったり奢られたりしながら踊っていたんです。その瞬間の恍惚さと、できあいの友情はとてもリアルだったのですが、結局、朝になってお開きになり、そのカップルとは連絡先も交換せずわかれてタクシーも拾えず、数時間後にはデヴィッドの公演があるし、その後はまたバスに乗って夜走りでオッフェンバッハまで移動しなければならない。一挙に現実に引き戻されました(笑)。こういう一過性のリアルは、「覚醒」シーンと通底するなと思って、作曲のあいだ、その夜の出来事を思い返してました。金沢の海岸に出現する円盤や、宇宙人に覚醒したことは当人にとっては紛れもない事実ですが、あくまで一過性のリアルであって、事後的に現実に立ち返るわけですが、その瞬間は恍惚とともに壮大に円盤を出現させたい(笑)! 要するにこれは異化というより、その場面でみえてる状況を音楽でさらに煽って明確化することで、事後的に「あれはなんだったのか?」という価値転倒が起こるというか、解釈が分岐するような演出効果かなと。SF映画のおもしろい部分でもあると思うのですが。

それをおこなうには作品に内在しながら批評性が求められますよね。

渡邊:そうですね。原作も、三島由紀夫作品のなかでは異色ですし。

三島という点にも解釈の幅がありますからね。

渡邊:そうなんですよ。最初の打ち合わせのとき、大八監督とあまり明確な意見交換ができなかったので、仕事の内容としていろいろ伏線というか、落とし穴があり過ぎるような気がして、少々疑心暗鬼になりましたよ(笑)。

さっきおっしゃったアフターアワーズについていえば、昂揚はそのあとに現実が来ることがわかっているから昂ぶるのかもしれないですよね。

渡邊:その途上がすでに気持ちのマックスかもしれませんね。クラブの扉の向こうから、キックの低音が聴こえてきたときとか、バーカウンターからクラウドを遠巻きに見てる瞬間とか。

音楽にも過剰さのなかにそのあとの予兆がありましたよね。

渡邊:やはり相関的なものですね。ある一方だけでは成り立たない。

と同時に、音楽と映像との関係が短絡しないから一度目は素通りしてしまう場面が見直すとちがう印象になるとも思うんです。そしてそれは琢磨くんのここさいきんの音楽にも通底しているとも思うんですね。『アンシクテット』以降、曲数も多くないし大作主義ではないから聴くことへの負荷はないけれど1曲ごとに多様なレイヤーがありますよね。

渡邊:それは音楽にかぎっていえば、カテゴライズされることに対する拒否反応かもしれません(笑)。映画音楽の場合、監督やスタッフとの共同作業という点で、つねに重層的な仕事です。

いま琢磨くんがかかわっている映画音楽はありますか。

渡邊:ここ数ヶ月は『ローリング』あたりから地つづきだった感じがひと段落したところですが、年末から12月にクランクアップする若手監督の映画音楽にとりかかる予定です。

べつのプロジェクトはどうですか。現在構想していることなどあれば。

渡邊:Mac買い替えたいですね。

それいまここでいうことじゃないよね(笑)。

渡邊:いや、データの量がハンパないんですよ(笑)! しかもそれらは基本的にひとの作品のためのデータなので。音素材だけならHDDに移し替えてしまうのですが、アプリケーションやらプラグインやらになると判断が難しいし、自分の作品に着手するにあたっては、五線紙と同じで、まっさらなところからはじめたいというのもあるし。とはいえ次はポスト・プロダクションでなにかをつくるのではなくて、アンサンブルを一発録りしたいですね。いい加減ピアノ・クインテットやアンサンブル編成のレコーディングに着手したいです。

PCで構築する音楽と譜面の音楽にとりくむさいの構えはどうちがいます?

渡邊:ピアノ・クインテットの場合はバンドというか、メンバーが決まっているので、彼らに向けて音を書いているというか。彼らの演奏を受けて曲を改訂したりもします。逆に、彼らの表現の嗜好性や音色、そして技術的なことも含め、不相応なものはつくりません。

ピアノ・クインテットも、私は〈水戸短編映画祭〉に呼んでいただいたときに拝見しましたが、あれの時点では――

渡邊:2014年で結成してしばらく経ったころです。メンバーはチェロの徳澤青弦とヴァイオリンの梶谷裕子、コントラバスは千葉広樹、最後にヴィオラの須原杏がメンバーになってだいたい固定しました。このメンバーで演奏するときのテクスチャーというか音色の妙が好きですね。ふだん彼らは多方面で活動していますし、詳細な記譜や指示を出さなくても彼らの音楽的感性とキャパシティで作品を解釈してくれることが多々あります。会っていないときにいろいろやっているんだなぁ、というのがそれでわかる。それにたいして、作曲者本人は単調な生活を送っているわけですが(笑)。

だれかと音楽をつくるさい、変化というか意想外の演奏を聴きたい、と考えている?

渡邊:結局のところ、作曲者にとって演奏者の技量や特性は未知数ですし、これは楽器法などにも通じますが、たとえば、弦楽器奏者に重音を指定する際、ラ→ドよりも、ド→ラの方が弾きやすいとか、開放弦を使ったほうがより響くとか、そういう楽器の特性上、多少の改訂を施した方が作曲者の本意に沿ってる場合が多々ありますし、私的には弦楽器なら弦奏者に、ある程度の判断を委ねたほうが、よい意味で意想外に奏功すると思います。作曲者だけですべて判断するには、相応の経験が必要になりますし、それは演奏者とのやり取りを通して身につくものですからね。ただこちらも奏者が手癖に固執したり、一般論を持ち出してきたときは、何がしかの奇策で対応しますよ(笑)。ただ最近はどの分野においても、旧来のやり方や枠にとらわれないことを模索する音楽家やアーティストがいますし、こういうやりとりは比較的、容易だと私的には思います。ただしミーティングであれば建設的なやり取りができますが、メールやネットを介したやりとりだと、いっそう、こじれることもあります(笑)!
 ピアノ・クインテットもアルバム1枚分くらいの曲はあるのですが、もう少し可能性を模索してからレコーディングやライヴを頻発させたい。とくに音源化すると、それが決定稿になってしまうので。五線紙上にある音符の段階なら、いくらでも改訂できますからね。

リリースは来年くらい?

渡邊:そうですね。映画音楽などの仕事で得た実感やアイディアなどもフィードバックしつつ、つくれればよいなと。

海外での活動はどうですか?

渡邊:2016年に牧野貴さんとハンブルグ国際短編映画祭で『Origin Of The Dreams』の現地ライヴ上映を企図したさい、ケルン在中のパーカッション奏者、渡邉理恵さんを介して、ジョン・エックハルトというコントラバス奏者を紹介されて、彼はエヴァン・パーカーとの共作からクセナキスの作品演奏までかかわるツワモノでして(笑)、彼を中心に弦楽アンサンブルを編成することを考えたのですが、結局、日程の関係で実現しなかったので、なにがしかの機会を探ってます。あとは、こちらの弦楽アンサンブルとの共演を打診をしている海外のアーティストがいて、のちのちレコーディングやコンサートを行う予定です。なんにせよ、グローバルな視座だけでなく、異質性ありきです。ローレンス・イングリッシュに『ブランク』のマスタリングをお願いしたさいもどういう仕上がりになるかまったく予想できませんでしたが、彼の音響に対するアプローチ自体に興味があったので、どういう仕上がりであれ楽しみでした。結果、すばらしかったですし。

彼と仕事したことは?

渡邊:はじめてです。彼が主催するレーベル〈Room40〉の動向には、以前から興味がありましたが、たまたま〈インパートメント〉の下村さんからローレンスがマスタリングも手がけるという話しをうかがって。彼はやはりアーティストですし、マスタリングに特化していえば、多少懸念する部分もありましたが、エンジニアリングの観点でもすばらしい耳をしていると思いました。

彼がふだんやっているような音楽ではないですもんね。

渡邊:そうですね。ただ職人性を求めたわけではないですし、マスタリング・エンジニアと比較すると、多少の作家性はついてると思いますが、それ自体とてもオーガニックなものだったので。音質は変化しましたが、違和感はまったくなかったです。そういう趣向性自体とても刺激的でした。

『ブランク』は『シミラー バット ディファレント』『清澄』『ブランク』という染谷将太監督の3作品の音楽を再構成したアルバムですが、別々の映画に書きおろした楽曲を1枚のアルバムに再構成するさい、統一感を出すために留意した点はありますか?

渡邊:まず、特定の映画のために書き下ろした音楽を、パーソナルな作品に作り変えるという、領域横断的なプロセスに興味がありました。その作業の過程で映画作品のイメージが漂白していって、その結果、本来的な機能を失った用途不明の音楽だけが残りました。この使いどころ、用途不明な状態にある音楽が、ぼくの考えるアンビエント・ミュージックなのかもしれません(笑)。この本来的な機能を音楽から剥奪するというプロセスが、音の統一感に作用してるように思います。

そのなかで使用している雨音、和楽器、パイプオルガン、合唱、鐘の音などのマテリアルの記名性になにがしかの意図はある?

渡邊:どういう音楽が映画『ブランク』に相応なのかまったくわからない反面、なにを当てても正解にみえてくるという、ひとを食ったような問題が制作当初あり(笑)、かつ、染谷監督からとくに要望がなかったので、ひとまず、なにか極端なことにトライしてみようと思い、映像上、可視化されてない現象や動きに、私の一存で音を当てて、どこまでそのシーンが変容するか見てみようと、そういう実験をやってみたんです(笑)。そのさい、雨、風、鐘といった、どちらかといえば効果音に相当する音と、なにがしか先入観のある音、例えばパイプオルガン=教会とか、三味線=日本の情景であるとかを取捨選択し、それらを音から想起するイメージとは相反するシーンに当ててみたのですが、さすが『ブランク』というだけあって、スポンジのように、どんな音でも吸いとってしまいました。

ある側面からみると等価もしくは無秩序と思えても、秩序や管理、あるいは支配が別のなにかにとってかわっただけ、もしくはほかのレイヤーに移行しただけということは、社会構造もしくは、インターネットの仕組みなどを考えれば容易にわかりますし、もはやそこになんの疑いもなくユートピアをみるひとはいないと思います。

アンビエントといえば、マスタリングを担当したローレンス・イングリッシュの作風のいったんもそのようなものですが、琢磨くんは彼らのようなアンビエントないしエクスペリメンタルな音楽の現在の在り方についてはどう考えます?

渡邊:ポピュラー音楽とはまた別の観点で時代や社会状況が反映されてると思いますね。それもすごい速さでリフレクションしてる。最近は少しおちついた気もしますが、たまに突然変異体が時勢に即して出現しますよね(笑)。なぜそういう音色や音像になったのか、方法論的にはまったくわからないけど、あきらかにいまの状況の裂け目から生まれた音だなと、そこは明瞭だと思います。ローレンスの新譜『Cruel Optimism』を聴いてみてくださいよ。音に尋常じゃない批評性を感じます。あぁ世の中狂ってるなぁと、その事実を音で再認識して、それで癒されるという重層的なアンビエント・ミュージックですよ(笑)! 音に関していえば、耳がいいひとが手がけるものは、それがエクスペリメンタルであれ、フィールド・レコーディングの音であれ、音楽的ですね。ローレンスや、クリス・ワトソンもそうですが、彼らがつくる、あるいは録る音はノイズにしろ虫の声にしろ、可聴領域的にも心地よい(笑)。音楽はいろいろ聴きますが、映画音楽など時間に追われる仕事をやると、朝6時くらいから作業を開始して、夕方までに1曲納品するというような生活サイクルにせざるえないのですが、その後さらに聴ける音楽を考えると、耳の耐性的にもキャパオーバーでなかなか難しい。でもお酒を飲んだりボーッとするときになにか音が流れててほしいなと思ったとき、手にとるのはやはりポピュラー音楽ではなく、エクスペリメンタルというか、カエルの声や雨音、せいぜい、やさしい笛の音などになるんです(笑)。そういう生活実感を経て一層、アンビエントや実験音楽に嗜好が寄るようになりました(笑)。

ちょっとジョン・ケージ化してきた?

渡邊:概念的にですか?

それもありつつですが。ちなみに、ケージ的な概念についてはどう思います?

渡邊:なかなか複雑ですよね。ケージ的な概念といっても表層的な意味においてですが、環境音やノイズを意識的に音楽に取り込むことが、ここまで常態化した現在、ジョン・ケージが提唱してきたことはあらためて言及するまでもないと思いますが、たとえば“4分33秒”をコンサートで聴くのは、いまだに稀有な音楽体験になると思いますし、それはやはり革新性うんぬん以前に作品がよいのだと、あえて申し上げたい(笑)! 偶然性を採用した諸作でも、ほんとうにコインを投げて音を決めたのか? と勘ぐりたくなるような美しい曲もあって(笑)。逆に、武満さんの音楽評論などを通して考えると、ケージの東洋思想に対してはいささか抵抗したくなるし。まぁ、ぼくにとってジョン・ケージは、沈黙でも、きのこでもなく、音大時代に読んだ『サイレンス』と、あのチャーミングな笑顔ですよ(笑)!

音のヒエラルヒーについてはどう考えます? すべての音が等価であると、琢磨くんは考えなさそうですが。

渡邊:たとえば、異なる文化に属するラテン音楽のリズムなどを活用して作曲するさいに、どこまでラテンと自分の趣向を相対化して音楽をつくれるのか考えるわけですが、メロディや和声進行を非ラテン的なものにしても、それがクラーヴェのリズム構造に即してないと、あのキップ・ハンラハンが招集する強靭なプレイヤーたちは真価を発揮しません、というより、「Oh No」とか残念そうな表情でいいやがるので、たいへん腹立たしいんです(笑)! そこでリズム構造だけは採用して、その上に自分なりの旋律をつくればよいとか思うのですが、このリズムの磁場というか重力が相当なもので、なにをどうやっても、ラテン音楽風の既成概念をふりほどけない(笑)。これには面喰らって頭を抱えましたが、結果どうにか自分の音楽に引き寄せることができました。しかし彼らと一緒に飲みにいって、あの尋常でない酒量につきあった結果、体調を崩したので、やはりラテンに抗うことはできませんでした(笑)。それは冗談ですが、ある側面からみると等価もしくは無秩序と思えても、秩序や管理、あるいは支配が別のなにかにとってかわっただけ、もしくはほかのレイヤーに移行しただけということは、社会構造もしくは、インターネットの仕組みなどを考えれば容易にわかりますし、もはやそこになんの疑いもなくユートピアをみるひとはいないと思います。話しが飛躍しましたが、一面的にはすべての音が等価なこともありえるかもしれませんが、疑念は晴れません、自分の性格上(笑)。ただ平坦な意味で、あのひとのドラムよいなとか、先述のように、あの虫の声いいなとか、そういうこともありますし、やはり音楽的な志向の問題かなと。『ブランク』の音楽も、ほとんどすべて自分でコントロールして自己完結でつくっていますが、工程上、一番最後に音に触れたのは、ローレンス・イングリッシュですし。

別ヴァージョンがあるわけではないので比較はできませんが、つくるのがひとりで完結したぶん、マスタリングではじめてのひとと組んだのは結果的によかったのかもしれませんね。

渡邊:彼はオーストラリア在住なので、カンガルーみながらマスタリングしたのかなと思っていました。

すべてのオーストラリア人がカンガルーのそばで暮らしているわけではないですけどね。

渡邊:(笑)ブリスベンなので都会だとは思いますが、オーストラリア大陸から派生した電気が音に影響してるかと思うと興奮します(笑)。 (了)


Rat Boy - ele-king

 ラット・ボーイは、英エセックス出身のジョーダン・カーディー率いるバンドだ。ライヴやプレス対応はジョーダンを含めた4人でおこなうが、作品の制作にはジョーダンのみが関わるという、変則的な活動形態を特徴としている。ちなみに作品でのジョーダンは、ほぼすべてのパートを自分で演奏する。ケンドリック・ラマーが“Lust”でラット・ボーイの曲をサンプリングしたりと、外側ばかり注目されがちなジョーダンだが、アーティストとしても確かなスキルを持っているようだ。

 そのスキルは、デビュー・アルバム『Scum』でも遺憾なく発揮されている。ブラーやスーパーグラスあたりのブリットポップを想起させる“Ill Be Waiting”もあれば、“Revolution”や“Laidback”では軽快なラップも披露してみせるし、“Boiling Point”なんて、ゴスペル風のコーラスにハードなギター・サウンドとヒップホップが交わるカオスで満たされている。しかし、筆者がもっとも驚かされたのは“Move”だ。ジョーダンがラップしている背後で聞こえるのは、なんとビッグ・ビート。1990年代のイギリスでブームになったこの音楽を、1996年生まれのジョーダンがピックアップするという面白さに、筆者は瞬く間にやられてしまった。本作のサウンドには、ブラー、スーパーグラス、ザ・ストリーツ、ファットボーイ・スリム、ザ・スペシャルズ、アークティック・モンキーズといった、英国ポップ・ミュージック史の欠片が至るところで見られる。

 こうした本作を聴いてまっさきに思い浮かんだのは、ブラーが1993年に発表したアルバム『Modern Life Is Rubbish』だ。このアルバムでブラーは、T・レックスやジュリアン・コープなど、英国ポップ・ミュージック史の欠片をかき集めた。さまざまな影響源が詰め込まれたそれは、ブリットポップ・ブームに先鞭をつけた作品のひとつとして、いまも多くの人に愛されている。全英アルバム・チャートのトップ10入りを逃すなど、商業的には大成功と言えなかったが、1990年代の英国ポップ・ミュージックを語るうえでは欠かせない傑作だ。
 本作は、そんな『Modern Life Is Rubbish』の2010年代版と言いたくなる作品だ。もちろんそう思わせるのは、本作にブラーのデーモン・アルバーンとグレアム・コクソンが参加していることもあるが……。かつては歴史をかき集めたブラーも、いまはかき集められる歴史になったのだなと、感慨に耽ってしまう。

 ラット・ボーイのトレードマークである、バーバリー仕様の車とスクーターも見逃せない。バーバリーといえば有名なファッション・ブランドの名前だが、筆者からするとチャヴを連想させるものでもある。チャヴとは、イギリスで増加している粗野な下流階層を指す言葉。バーバリーの偽物を身につけているという“イメージ”で人々に伝えられ、清掃員、工事現場作業員、ファストフードの店員として働いてることが多いそうだ。また、イギリスではチャヴが差別の対象になっており、“Chav Scum”でネット検索してみると、チャヴに対する胸糞悪い差別的書きこみがいまも見られる。
 ジョーダンがバーバリー仕様の車やスクーターを用いるのは、そうしたイギリスの現況を表現するためだ。その表現がもっとも明確に見られるのは、“Revolution”のMVだろう。このMVは、バーバリー仕様の車に乗って登場するラット・ボーイの面々が、工事現場作業員やファストフードの店員に扮するというもの。これはあきらかに、チャヴの“イメージ”を意識している。

 だが当然、その“イメージ”を利用して、チャヴをあざ笑うのがジョーダンの目的ではない。本作で言えば、“Revolution”には不安定な世界情勢に向けた疑問が込められているし、“Sign On”は失業がテーマだ。くわえて、“Trumptowers Interlude”というド直球な小品まである。ここまで書けば、本作の言葉がどの視点から紡がれているかは明白だろう。ジョーダンは、日々の生活で抑圧されている人々や、辛い目にあってる者たちの視点から音楽を鳴らしている。だからこそジョーダンの音楽は、騒がしく楽しそうな雰囲気を醸しつつ、その裏に哀しみと怒りが宿っているのだ。本作を聴いて、“辛い日々の中でも楽しく生きていこうというアルバム”と感じたとしたら、それは少々的外れだと思う。確かに本作は、楽しい瞬間もたくさん描いている。しかしそれは、“辛い日々の中でも楽しく生きていこう”という柔なものではなく、“楽しまなきゃ生きていけない”という切羽詰まった想いが根底にあるからだ。そうした想いをジョーダンは、健全なシニシズムと鋭い批評精神を通して表現する。

 それにしても、現在の社会を見つめたアーティストのデビュー・アルバムが同じ年に、しかもイギリスから出たというのはなんとも興味深い偶然だ。社会問題についても積極的に発言するデクラン・マッケンナの『What Do You Think About The Car?』や、現在の社会で生きることの難しさを繊細な言葉で描いたロイル・カーナーの『Yesterday's Gone』など、これらの作品はすべて今年リリースされたものだ。こうした状況を見ていると、イギリスの音楽に新しい声が多く入ってきたと感じる。そして、その声は近いうちに世界中の人々に注目されるのではないか。そんな素晴らしい時代の前兆を本作に見いだしてしまうのだ。


Bibio - ele-king

 は、早い。昨年アルバムを発表したばかりだというのに、そしてこの春EPをリリースしたばかりだというのに、ビビオったらもう新たな作品を完成させてしまいました。しかも、またがらりとムードを変えております。今回のアルバムはここ何年かのあいだに即興で作られた楽曲のコレクションとのことで、どうやら「場所」がテーマになっているようです。発売日は11月3日。なお、国内流通仕様盤CDは500枚限定となっているため、手に入れたい方は早めに予約しておいた方が良さそうですよ。

BIBIO presents: PHANTOM BRICKWORKS

“場所”をコンセプトにした9つの楽曲をまとめた最新作を発表
自身が撮影した美しい映像とともに新曲を公開
国内流通仕様盤CDは500枚限定

僕はゴーストを信じてない。でも何かに取り憑かれた場所というのは存在すると思う。場所を取り巻く環境は絶えず変化する。それは必ずしも良い方向ばかりにではないし、自然でも、善意にもとづいたものでも、政治的な理由によるものでもない。その場所が何を見てきたか、その場所がどういった存在だったかということそのものから生まれる雰囲気が、変化をもたらすことがある。

『Phantom Brickworks』は、何年間かかけて僕が書きためてきた、ほとんど即興で作られた楽曲のコレクションになってる。これらの音楽は、特定の景色や時間に対する心の扉を僕に与えてくれた。それは現実の物事から、架空のもの、もしくはそれらの組み合わせだったりする。人間は、場所に漂う空気や雰囲気にとても敏感だ。その場所が持つ歴史的背景を知ることで、それらは強まったり、劇的に変化する。何かしらの形で、音や声まで聞こえる場合もある。その場所には、きっと伝えたい想いがあるんだと思う。 - Bibio

どこか懐かしく温かみのあるサウンドと独自の世界観で、幅広い音楽ファンやアーティストから支持を集める〈Warp〉の人気アーティスト、Bibio(ビビオ)が、“場所”をコンセプトに書きためた9曲を収録した最新作『Phantom Brickworks』のリリースを発表し、収録曲「Phantom Brickworks III」のショート・バージョンを自らが撮影した美しい映像とともに公開した。

Bibio • ‘Phantom Brickworks III’ (Edit)
https://youtu.be/xyp14lXevig

本作『Phantom Brickworks』は、11月3日(金)に世界同時リリースされ、500枚限定となる国内流通仕様盤CDには解説書が封入される。またCDはクラフト紙製のインナースリーヴとアウタースリーヴ付きの特殊パッケージとなり、2枚組LPには、ダウンロード・コードが封入される。

Labels: Warp Records / Beat Records
artist: BIBIO
title: Phantom Brickworks
release date: 2017/11/03 FRI ON SALE

国内仕様盤CD BRWP290 ¥1,857(+税)
特殊パッケージ / 解説書封入

ご予約はこちら
amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/B075T3HY24/
iTunes Store: https://apple.co/2fD1v67

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