「Nothing」と一致するもの

Loski - ele-king

 「グライムのゴッドファーザー」と呼ばれるワイリーの自叙伝『Eskiboy』に、ワイリー自身がこのように語っている箇所がある。

いまのUKのブラック・ボーイがもっともやってはいけないのは、殺し合うことだ。社会はそれをプログラムしている──ドラッグ──実際のところ、何かクソみたいなものに巻き込まれるように仕向けるものが多い。でも違ったようにもできるんだ、もしお前が俺のブラザーだって分かったら、なぜだってお前にパンチしたり、ナイフや銃を抜いたりしなきゃいけないんだ?

 ワイリーはここで、ロンドンのギャング同士のビーフのことを問題にしている。本作『Mad Move』でデビューした Loski も、そんな南ロンドン・ケニントンを本拠とする「ハーレム・スパルタンズ(Harlem Spartans)」というギャングのメンバーだ。彼らは、410、150 といったギャングと敵対し、67 や 86 といったギャングとは協力関係を結んでいると言われている。そうした南ロンドンの敵対関係の中で、お互いのラッパーは、インスタグラムライブで、あるいはYouTubeビデオやラップ・チューンで、敵対するギャングを挑発し合っている。彼らがビデオ中にフードやダウン、マスクで顔を隠しているのは、言うまでもなく同じエリアの中で襲われるのを防ぐためだ。

 モノトーンで、どれも「似たような」ドリル調のトラックは、ビーフを演出するための舞台装置である。また、ホットな挑発・ビーフの裏側には冷たく悲しい現実がある。ギャングスタのメンバーの中で、10代や20代はじめで命を落とす者がいる。例えばハーレム・スパルタンズのラッパー、SA/Latz は道端で何者かにナイフで刺されて運ばれた病院で亡くなった。ワイリーが言っているのは決して比喩ではなく、本当の意味で「殺し合って」いるのだ。
https://www.thesun.co.uk/news/6876884/camberwell-stabbing-victim-pictured/

 前置きが長くなったが、ハーレム・スパルタンズ所属の Loski のソロ・デビュー・アルバム『Mad Move』がリリースされた。Loski のラップのトーンは常に一定で、トラックに対するメロディの置き方は非常に独特で耳に残る。2016年リリースの“Hazards”など、ドリル・トラックで一躍ヒットした Loski のフル・アルバムは待望であった。

 シングルで先行リリースされた DigDat とのコラボ・チューン“No Cap”は、8小節ごとにヴァースを交代していき、掛け合いのようにラップを披露していく。「No Cap」という言葉(正直に話す、といった意味である)自体はUSヒップホップから生まれたスラングだが、そこにUS/UKの垣根はないようだ。UKギャングスタの界隈で人気を博するストリート・ブランド「トラップスター(trapstar)」から、フェンディ、オフ・ホワイトといった高級ブランドへと着こなしをクールにアップグレードし、ガルウィングをあけて走る Loski は、DigDat とともに、いかに自分のギャングが上か、また服やナイフ、銃について、淡々とラップしていく。そのあまりに淡々としたフロウには彼の冷静さ、余裕さが感じられるが、冷静さの中には常に Opps (敵対するギャング)への脅し文句が散りばめられている。

[DigDat]
トラップシーズン2だ、太い客をデトックスさせないようにな
80年代みたいに街角でトラップ、ビギーと D-Roc みたいに
束がシューズボックスに入りきらない、リーボックしか入ってなかったのを思い出す

 ここでは札束を入れるシューズボックスの話からスライドして、Loski の次のヴァースでシューズの話が繋げられる。

[Loski]
ディースクエアード、 ルイヴィトン、あと少しのフェンディ、
クールなキッドにはギャルが寄ってくる
俺のエリアを荒らすなよ、もしやっていいならこの若僧はスプラッシュ*してる
スニーカーに500以上つかう、ジェット・リー以上

 アルバムには“Hazards”の続編“Hazards 2.0”などドリル・チューンが半分、そしてもう半分はアフロビーツ・トラックが収録されている。

 アルバム後半に収録されている“Boasy”。アップテンポなドリル・トラックに乗っかる Loski の中でとりわけ耳を引いたヴァースがあった。

[Loski]
Amiri jeans、洒落たキッズ、スワッグニュー
じゃあなんで俺がリアルかって、俺には人生を変えられる瞬間があった
でもブロックに戻れば、それがドリルを犠牲にやることかどうか
他のラッパーにはきっとわからないだろう
すごくうまくいっているときですら、あれ**が流れるんだ

 1本10万円は下らないアミリジーンズ。成功したキッズである Loski がなぜかその人生を肯定しているように聞こえないのは、そのあとのラインで、Tiggs Da Author が「俺たちはみんな友達がシステムにロックされてしまう」と歌っているからだ。ここではシステムを警察と読み替えられるし、ロックするとは刑務所に入れられてしまうことだと読める。Loski の苦悩とは過去の記憶に苛まれたり、大切な仲間を失ってしまう状況からの逃れられなさだろうか。彼はこの状況を音楽で表現し、ブロックを抜けだそうとする。ドリル・チューンは単に敵対するギャングを脅すだけではない。彼が歩んできた人生を必死に描くアートであり、おそらくこの現実を肯定するための手段であるのだ。Loski の冷たくハードなラップからは南ロンドンの現実が滲み出てしまう、このアルバムはそんな生生しい感覚をまとったアルバムである。


* 「スプラッシュ」とは「ナイフで刺す」という意味。
** 前後の流れから「血」ではないかと推測した。

Rupert Clervaux - ele-king

 昨年来日を果たし、この5月には再来日も決定しているロンドンのプロデューサー、ベアトリス・ディロン(Beatrice Dillon)。彼女との共作で知られる音楽家にして詩人のルパート・クレルヴォー(Rupert Clervaux)が、ソロ名義としては初となるアルバム『After Masterpieces』を5月24日にリリースする。同作は古代の神話や認識論、言語や音楽の起源などをテーマに扱っているそうで、〈RVNG〉からのリイシューが話題となったLAのシンセ奏者アンナ・ホムラー(Anna Holmer)や、かつてルパートが創設/プロデュースしたUKのポストロック・バンド、シアン・アリス・グループ(Sian Alice Group)のメンバーであり、その後オー(Eaux)の一員としても活動していたシアン・エイハーン(Sian Ahern)、サックス/トランペット奏者のエベン・ブル(Eben Bull)が参加しているとのこと。リリース元がロンドンの気鋭のレーベル〈Whities〉というのが最大のミソで、『After Masterpieces』は同レーベルにとって初のフルレングス作品となる。これは期待。

https://whities.bandcamp.com/album/after-masterpieces

魂のゆくえ - ele-king

 未来に希望が持てるかどうかは、次の世代のことを想像してみるとわかる。ますます肥大化する高度資本主義経済、広がる格差、暴走する政治、止められない気候変動……。2020年に生まれた子どもが働き盛りになる2050年をおもに科学の力で予想したときに、様々なデータが示すのは絶望的なものばかりだ。つまりたんなる主観とか思いこみではなくて、客観的な事実や計算で証明されたものだということ。それを知りながら、子どもをこの世界に産み落とすのは現代の罪なのだろうか? いま、思想やカルチャーなど様々な層でダークなムードが立ちこめているが、多くの人間が明るいイメージを未来に抱くことができないのは間違いない。

 『タクシードライバー』や『レイジング・ブル』といった70年代からのマーティン・スコセッシ作品をはじめとして、シドニー・ポラック、ブライアン・デ・パルマといった大物との仕事(脚本)で知られる映画作家ポール・シュレイダーの監督・脚本作である『魂のゆくえ』は、現代というのがいかに憂鬱な時代であるかを語るのに、トランプ政権以降ますます重くのしかかってくる環境問題をまずその入口にしている。主人公はニューヨーク郊外にある小さな教会「ファースト・リフォームド」の牧師を務める男トラー(イーサン・ホーク)。教会は小さいものの由緒正しい歴史を持ち、長くそこにいるトラーはそれなりに信頼を得ているようだ。あるとき、彼は信徒の女性メアリー(アマンド・セイフライド)から夫がひどくふさぎこんでいるから話を聞いてやってほしいという相談を受ける。実際に夫マイケルに会って聞くところによると、夫婦は環境活動家であり、そのため授かった子どもが産まれることは喜ばしいことと思えないと吐露し始める。未来はどう考えても破滅的だろうと。マイケルは鬱を患っていた。
 そこからトラーがたどる心境の変化や行動は、『タクシードライバー』を現代にアップグレードしたものだと言っていい。つい最近もプロットだけ見れば同作を彷彿とさせるリン・ラムジー『ビューティフル・デイ』があったばかりだが、『魂のゆくえ』はそちらよりも精神的に近い。すなわち脚本家本人の手によって、70年代後半のアメリカを覆っていた閉塞感を見事に捉えた名作を想起させる物語が生み出されているのだ。だがはっきりと異なる点があって、『タクシードライバー』が持っていたスコセッシが得意とするところのロック感覚がここには(当然だが)まったくなく、ひたすら静謐かつ重々しい空気に覆われている。髪をモヒカンにして鏡に映る自分とにらみ合ったロバート・デ・ニーロは当時における反社会的ロック・ヒーロー像に他ならなかったし、社会の底辺で犠牲になっている少女を救うというヒロイズムがそこにはいくらか乗っていたはずだ。ベトナム戦争の後遺症を引きずっていた作品とはいえ、その根底には、世界はより良い方向に変えられるはずだというカウンター・カルチャーからの精神がまだ流れていたように思う。しかし、『魂のゆくえ』のトラーの姿がTシャツにプリントされたり、ロック・バーの壁にポスターで貼られたりすることは絶対にないだろう。彼はひとり、よく整頓された清潔な部屋で酒に浸るばかりだ。『タクシードライバー』においてトラヴィスがベトナム帰還兵だったことと、本作のトラーがイラク戦争で息子を失くしていることも示唆深い対比だ。どちらもアメリカ政府の横暴の被害者なのだが、トラーの場合それが直接な体験と身体性を伴っていなかったためだろうか、ひたすら孤独に閉じこもっており、自身も抑鬱状態にある。

 心を壊していたマイケルが銃で自殺してしまい、彼に少なからず同調していたトラーは遺言に従い環境汚染が進む港湾のほとりで葬儀をおこなう。合唱団がニール・ヤングの“Who's Gonna Stand Up?”を歌う――「地球を救うのは、立ち上がるのは誰だ? そのすべては、わたしとあなたからはじまる」――。そのことがメディアに報じられると、皮肉にも自身が所属する教会が環境汚染の原因を作っている大企業の寄付を受けていることがはっきりする。未亡人となったメアリーと交流を続けながらも、ますます内省を深めていくトラー。そして……。
 この世界で子どもを持つことに深い罪悪感を抱くマイケル、自分の所属する組織が環境破壊に加担しているのは間違いだと気づくこととなるトラー、両者は世間的な価値観から言えば狂ってしまった人間だということになるのだろう。けれどもふたりは、良い世界であってほしいと――とりわけ次の世代にとって――願っているだけだ。現代で生き抜くためにはその願いを「なかったこと」にするしか方法はない。いま鬱は大きな社会問題だとよく言われるが、もしかすると、世界が良くあってほしいと思い悩む人間のことを「鬱」と呼ぶシステムになっているだけなのかもしれない。主人公が宗教に関わる人間であり、彼が壊れていく物語だということも、現代において何かを信じることの困難をよく表している。

 映画は終盤のクライマックスに向けてスピリチュアルな問いに向かっていくのだが、これもまた、科学やデータでは絶望を乗り越えられない時代であることを示しているだろうか(トラーが神秘的な体験をするシーンはタルコフスキーの『サクリファイス』からの引用が指摘されている)。けれども癒着にまみれたキリスト教(教会)もまた、アメリカの民の救いにはならない。音楽を手がけたラストモードのアンビエントもまた厳かさを増していくが、当然キリスト教的な響きとはかけ離れたものだ。そのムードのなかいくらかドラマティックに訪れるラスト・シーンがトラーにとっての救済だと言えるのか、あるいはどこまでも世界を変えることの不可能性を示しているのか、その判断は難しい。
 しかしながら、少なからずカウンター・カルチャーやアメリカン・ニューシネマの時代の当事者であったポール・シュレイダーがいま70歳を過ぎ、わたしたちが直面しているもっとも重い問題を見据えながら、軽々しい希望を抱くことができない映画を産み落としていることには恐れいる。いま次の世代のことを思いやることは、未来を良くしたいと願うことは、どこまでも絶望し、狂うことである。その重さを、静かな怒りを、わたしたちはここでただ受け止めるしかない。

予告編

Amgala Temple - ele-king

 ノルウェイの音楽的良心たるジャガ・ジャジストですが、その中心人物であるラーシュ・ホーンヴェットによるプロジェクト、アムガラ・テンプルが来日します。ジャガ・ジャジストはライヴも高い評価を得ているバンドだけに、初となるアルバム『Invisible Airships』をリリースしたばかりのアムガラ・テンプルがいったいどんなパフォーマンスを披露してくれるのか、気になるところです。5月18日から21日のあいだに都内3箇所をめぐるツアー、詳細は下記よりご確認を!

ジャガ・ジャジストから派生したジャズロック・プロジェクト、アムガラ・テンプル待望のジャパンツアー決定!

ジャガ・ジャジストのコア・メンバーである Lars Horntveth を中心に Amund Maarud、Gard Nilssen というノルウェーの異能プレイヤーが集結したアムガラ・テンプルは、ジャズ・ロックの系譜を受け継ぎながらもプログレからサイケ、クラウトロックまで飲み込んだまさに2020年代を迎えるに相応しい先鋭的なサウンド! ライヴの半分近くはインプロ(即興)で構成されるなど二度と同じ演奏をしないライヴ・アクトとしても熱狂的な支持を集めている彼らのパフォーマンスをお見逃しなく!

「Avenue Amgala」(ライヴセッション映像)
https://youtu.be/G-Lb29r7A24

Amgala Temple:
Amund Maarud (electric guitars)
Gard Nilssen (drums, gongs, bells, melodic drum)
Lars Horntveth (bass, keys, lap steel, guitar & vibraphone)

Amgala Temple (with member of Jaga Jazzist) JAPAN TOUR 2019

2019年5月18日(土) CROSSING CARNIVAL'19
会場:TSUTAYA O-EAST、duo MUSIC EXCHANGE、clubasia、WOMB LIVE、TSUTAYA O-nest
時間:Open / Start 13:00(時間予定)
チケット料金:¥4,800 (税込 / ドリンク別)

チケット ※枚数制限4枚
イープラス:https://eplus.jp/crossingcarnival19/
問い合わせ:SOGO TOKYO(03-3405-9999)

2019年5月20日(月) 六本木VARIT
Live :
・Amgala Temple (with member of Jaga Jazzist)
・東京ザヴィヌルバッハ・スペシャル
(坪口昌恭:Keys / David Negrete:Alt. Sax, Flute / 宮嶋洋輔:Guitar / 角田隆太:Bass (from ものんくる) / 守真人:Drums)
時間:Open 18:30 / Start 19:00
チケット料金:Adv. ¥2,800 / Door ¥3,300 (+1 drink order)

チケット発売/予約受付開始日:4月20日(土)
イープラス:https://eplus.jp
購入ページ:
https://eplus.jp/sf/detail/2939610001-P0030001
問い合わせ:六本木VARIT(03-6441-0825)

2019年5月21日(火) Shibuya 7th FLOOR
Live :
・Amgala Temple (with member of Jaga Jazzist)
・guru host (坂口光央+一樂誉志幸)
・角銅真実
時間:Open 18:30 / Start 19:00
チケット料金:Adv. ¥2,800 / Door ¥3,300 (+1 drink order)

チケット発売/予約受付開始日:4月20日(土)
イープラス:https://eplus.jp
7th FLOOR メール予約:4/20 (土)~5/20 (月) (nanakaiyoyaku+0521@gmail.com)
件名に公演名、本文にお名前(フリガナ)、予約人数をご記入ください。
ご予約の確認がとれましたら返信いたします。
*入場順:①イープラス(整理番号順)、②メール予約/その他のご予約の順番となります。

[アルバム情報]
タイトル:インヴィジブル・エアシップス / Invisible Airships
アーティスト:アムガラ・テンプル / AMGALA TEMPLE
レーベル:P-VINE
品番:PCD-24818
定価:¥2,400+税
発売日:2019年3月6日(水)
日本語解説:山﨑智之

-収録曲-
1. Bosphorus
2. Avenue Amgala
3. Fleet Ballistic Missile Submarine
4. The Eccentric
5. Moon Palace

https://p-vine.jp/music/pcd-24818

 この世から真っ先に消し去るべき概念のひとつに「男らしさ」がある。学校や会社に通っている男性は少なくとも一度は体験したことがあるはずだと思うのだけれど、これだけアイデンティティ・ポリティクスが猛威をふるう昨今においてさえ、男性にたいし暗に「男らしさ」を要求してくる連中のなんとまあ多いことか。しかもたいていの場合、当人たちは無自覚だから厄介だ。もしかしたら僕自身、誰かにたいしそのような身ぶりを強制してしまっているかもしれない。そのときは、ごめんなさい……としかここではいえないが、とまれ家父長制と呼べばいいのかマッチョイズムと呼べばいいのか、あるいは体育会系というのかホモソーシャルというのか、状況によってあてがうべき言葉は異なるだろうけども、ほんとうに因習というのは根が深い。

 2017年にリリースされたファースト・アルバム『Yesterday's Gone』によって大きな躍進を遂げたUKの若きラッパー=ロイル・カーナーは、とにかく「男らしさ」から遠ざかろうともがいている。ように見える。彼はいつもくよくよし、なよなよしている。ように見える。無論、褒め言葉である。彼の簡単な略歴についてはこちらを参照していただきたいが、そのリリックはドラッグ体験の自慢や血塗られた抗争とは無縁であり、トラックもまた雄々しさや猛々しさから距離をおいている。トラップのようなUSのメインストリームでもなく、ストリートを反映したグライムでもなく、あるいはルーツ・マヌーヴァに代表されるような、UKの音楽に特有のジャマイカからの影響を忍ばせたスタイルでもない、いわば「第四の道」を模索し続けているのがロイル・カーナーというアーティストではないだろうか。

 まもなく発売される彼のセカンド・アルバム『Not Waving, But Drowning』は、そのような「第四の道」をさらに推し進めたものとなっている。昨年、男性が弱さを吐き出すことについて議論を提起したのはジェイムス・ブレイクだったけれど、カーナーもまた自らのナイーヴでフラジャイルな「内面」や「感情」を臆することなく表現するラッパーだ。とはいえその題材は必ずしもミクロな恋愛や友情に限定されているわけではなく、たとえば“Loose Ends”や“Looking Back”では、これまで白人には黒人とみなされ黒人には白人とみなされてきたという彼の、混血としての社会的な葛藤が吐露されている。そんなふうにぼろぼろになっている自分をさらけ出し、ラップすること。そのスタンスにはブレイクとの親和性も感じられるが、それ以上に、カーナーをフックアップしたUKのソングライター=クウェズからの影響が大きいのではないか。

 日本ではなぜかそれほど人気のないクウェズだけど、彼は歌い手であると同時に特異なサウンドの作り手でもあって(昨年ひさびさにリリースされたEP「Songs For Midi」も良かった)、にもかかわらず近年は裏方にまわりっぱなしの印象があるが、たしかに彼の手がけたソランジュティルザなんかを聴いているとプロデューサーとしての才に恵まれていることはわかるので、もしかしたらそっちで食っていこうと考えているのかもしれない。まあなんにせよ『Yesterday's Gone』に引き続き本作でも5曲に参加しているクウェズは、カーナーのセンシティヴな言葉の数々を活かすべく大いに尽力している。その奮闘は“Still”や“Krispy”におけるピアノの響きや細部の音選びに、あるいは著名なイタリアン・シェフであるアントニオ・カルッチョの名が冠された“Carluccio”の奥行きに、あるいはカーナー同様クウェズがフックアップしたシンガーであるサンファ、彼による美しいヴォーカルが堪能できる“Desoleil (Brilliant Corners)”の旋律や残響によく表れている。

 しかし、このセカンド・アルバムにおける最大の功労者はじつはクウェズではない。本作の鍵を握るひとりは、2曲で作曲とプロダクションを務めるトム・ミッシュである。彼はカーナーに飛躍の機会を用意した人物であり、これまでふたりは幾度もコラボを重ねてきた。ミッシュの2016年のミックステープ『Beat Tape 2』やシングル「Reverie」、あるいは昨年大ヒットを飛ばしたアルバム『Geography』にはカーナーが客演しているし、逆にカーナーの『Yesterday's Gone』にはミッシュが招かれている。まさに盟友と呼ぶべき関係だろう。そのミッシュが手がけた“Looking Back”はもたつくビートの映える1曲で、他方“Angel”も背後のもこもこした電子音が耳をくすぐるのだけど、ベースをはじめとする低音部も魅力的だ。ここでドラムを叩いているのがユナイテッド・ヴァイブレイションズのユセフ・デイズだというのは見逃せない。おそらくは南ロンドンという地縁によって実現されたのだろうこのコラボは、カーナーとUKジャズとの接点をも浮かび上がらせ、じっさい、カーナーは5月にリリースされるエズラ・コレクティヴの新作にも参加している。

 そして、ミッシュ以上に重要なのがジョーダン・ラカイの存在である。本作全体を覆うメロウネスや叙情性は、6曲で作曲とプロダクションを担当するラカイによって誘発されている感があり、たとえばジョルジャ・スミスを迎えた“Loose Ends”や“Sail Away Freestyle”のアダルト・オリエンテッドな音像は、いわゆるクワイエット・ウェイヴの文脈に連なるものといえる。なかでも決定的なのは“Ottolenghi”だろう。これまた高名なシェフであるヨタム・オットレンギを曲名に持ってくるあたり、もしラッパーでなければシェフになりたかったというカーナーの料理好きな一面が強く表れているが、背後にうっすらと敷かれたシンセの持続音はそれこそイーノ=ラノワを彷彿させ、とにかくせつなさとはかなさが爆発している。すべてが過ぎ去っていくことを電車の進行と重ね合わせるリリックも、それを写真というテクノロジーによる時間の切断と結びつけるMVも印象的で、ほかの曲でも「過去」という単語がキイワードになっていることから推すに、この“Ottolenghi”こそが『Not Waving, But Drowning』を代表する1曲なのではないだろうか。

 ここで忘れてはならないのが、インタールード的な役割を与えられたスポークン・ワードの小曲、アルバムのタイトルにも採用された“Not Waving, But Drowning”だ。カーナーの祖父によるものだというこの言い回し、20世紀前半のイギリスの詩人スティーヴィー・スミスに着想を得たこの一句は、僕たちにとてつもなく残酷な現実を突きつけてくる。

溺死した男についての記事を読んだ
その男の仲間は、彼が海から手を振っていると思ったらしい
でも彼は溺れていたんだ

 手を振っているんじゃない、溺れているんだ(Not Waving, But Drowning)──。文字どおり死にそうなくらい苦しんでいるのに、楽しそうにしていると受けとられてしまう、そのようなリアルを毎日毎日毎日毎日生き続けなければならない人びと、頼れる友もいなければ帰るべき場所もないような人びと、つまりはあなたに向けて、ロイル・カーナーは丁寧に言葉を紡いでいく。まるで、それもいずれは過去になると、慰め、そっと寄り添うかのように。そう、僕たちは「自分たちで新たな過去を作らないといけない」(“Carluccio”)。
 社会の要請する「男らしさ」から遠く離れ、ヒップホップの王道からも距離を置き、己のか弱き魂を吐き出しながら、ミッシュやラカイに協力を仰ぐことで今日的な音像にアプローチしたカーナーのセカンド・アルバムは、彼の「第四の道」がオルタナティヴであることを証明すると同時に、そんなふうに規範に苦しめられている人びとをときに涼やかに、ときに暖かく包みこむ。これほど優しくて愛おしいラップ・ミュージックがほかにあるだろうか。

The Comet Is Coming - ele-king

 エレキングの紙媒体で2018年の年間ベスト・アルバムのトップ2に輝いたのが、シャバカ・ハッチングスの参加するサンズ・オブ・ケメットの『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』だった。アフリカ系女性活動家たちの名前をそれぞれ曲名につけたこのアルバムは、アフリカをルーツとするディアスポラを立脚点に、音楽を通してアフロフューチャリズムを表現した作品だ。南ロンドンのジャズ・シーンを、コンピの『ウィ・アウト・ヒア』のプロデュースなどを通じて文字どおり引っ張るシャバカ・ハッチングスにとって、ディアスポラ的な視点やアフロフューチャリズムはたびたび作品に投影されてきたものであるが、サンズ・オブ・ケメットの音楽面や演奏面を見ると、ブラス・アンサンブルとアフロ・カリビアン・サウンドの融合ということがまずある。『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』については、そのカリビアン系の中でもジャマイカのサウンドシステム文化と結びついた点が顕著で、コンゴ・ナッティなどのラガマフィン~ジャングルMCを交えていた。ディル・ハリスのミキシングも通常のジャズのアルバムとは異なるレゲエ~ダブ的な録音スタイルで、個人的にはかつてのザ・クラッシュとかザ・ポップ・グループ、ピッグバッグやマッドネスあたりを想起させたわけだが、ジャズというよりもそうしたポストパンクとかニューウェイヴに近いアルバムだったと思う。シャバカが関わるユニットでは、メルト・ユアセルフ・ダウンもパンク~ノーウェイヴ色の強い演奏だが、彼のもうひとつのユニットであるザ・コメット・イズ・カミングの新作『トラスト・イン・ザ・ライフフォーズ・オブ・ザ・ディープ・ミステリー』は、もはやジャズという音楽的形式を完全に形骸化させてしまうような作品と言えるだろう。

 ザ・コメット・イズ・カミングはキング・シャバカを名乗るシャバカのほかに、シンセサイザー演奏やエレクトロニクスを操るダン・リーヴァーズ(ダナローグ)とドラマー兼ビートメイカーのマックスウェル・ホウレット(ベータマックス)がいる。ダナローグとベータマックスはもともとサッカー96というユニット名で、エレクトロ・ジャズ・ファンク~コズミック・シンセ・ブギーとでも形容すべき音楽をやっていたが、成り立ち的にはそのサッカー96とシャバカが合体したものと言える。プロデュースやアレンジはダナローグとベータマックスがだいたいおこなっていて、どちらかと言えば彼らふたりが主導権を握るユニットと言えそうだ。メルト・ユアセルフ・ダウンはポストパンクやノーウェイヴ的な演奏と述べたが、同じ〈リーフ〉からリリースとなるザ・コメット・イズ・カミングの方は、シンセやエレクトロニクスがサウンドの軸となっており、そのあたりが違いと言えるだろう。ファースト・アルバムは2016年の『チャンネル・ザ・スピリッツ』で、“ジャーニー・スルー・ジ・アステロイド・ベルト”や“スペース・カーニヴァル”といった楽曲名に示されるように、サン・ラーの精神を継承するようなエレクトリック・ジャズ・ファンク、サイケデリック・ジャズ・ロックを展開していた。スペイシーなSEとシンセによるアシッドなベース・ラインを持ち、シャバカ関連のユニットの中でもエレクトロニック度がひときわ強いので、クラブ~DJサウンドともっとも親和性が高いとも言える。2017年のEP「デス・トゥ・ザ・プラネット」に収録された“アセンション”という曲などは、デリック・メイによるスエノ・ラティーニョのジャズ版とでも言うような輝きを放っていた。

 『トラスト・イン・ザ・ライフフォーズ・オブ・ザ・ディープ・ミステリー』はその『デス・トゥ・ザ・プラネット』以来の新作となるセカンド・アルバムだが、サンズ・オブ・ケメットと同様にジャズの名門〈インパルス〉へ移籍してリリースしている。とは言っても『ユア・クイーン・イズ・ア・レプタイル』がそうだったように、一般的なジャズからはかなり乖離したものとなっている。録音は少し前の2017年2月と8月にトータル・リフレッシュメント・センターのスタジオでおこなわれ、〈ビッグ・ダダ〉からアルバムも出していたシンガー・ソングライターのケイト・テンペストがゲスト参加。そのほか面白い繋がりとして、ロウ・エンド・セオリーを主催していたダディ・ケヴがマスタリングをやっている。
 SF映画のサントラのようにアトモスフィアリックなビートレス・ナンバーの“ビコーズ・ジ・エンド・イズ・リアリー・ザ・ビギニング”でアルバムは幕を開け、続く“バース・オブ・クリエイション”もまるで異星人が奏でるようなスペイシーなダウンテンポ。このあたりはサン・ラー譲りのコズミックな感覚が支配しつつ、1960年代にディック・ハイマンとかピエール・アンリあたりがやっていたスペース・エイジ・ジャズの面影も感じられる。ここまではシャバカのテナー・サックス、もしくはバス・クラリネットも控えめだが、“サモン・ザ・ファイア”では曲名どおりに火を噴く。地響きのように不穏な唸りを上げるシンセ・ベースは、ベルギーのマルク・ムーランがテレックス以前にやっていた伝説のジャズ・ロック・バンド、プラシーボの“バレク”を彷彿とさせるもので、思いっきりエフェクトをかけたシャバカのサックスはまるでサイレン音のようだ。“スーパー・ゾディアック”はアンビエントな出だしながら、律動的なジャズ・ロックのビートへと変わる。グループ名どおりハレー彗星を思わせる曲で、シャバカのエモーショナルなサックスのブロウで終わる。そこから浮遊感に満ちた“アストラル・フライング”へという動と静の対比も見事だ。ベータマックスの変幻自在のドラミングが映える変則ブロークンビーツ調の“タイムウェイヴ・ゼロ”、ケイト・テンペストのスポークンワードをフィーチャーした重量級コズミック・ジャズ・ファンクの“ブラッド・オブ・ザ・パスト”、アフロ・リズムとアンビエントが出会ったニュー・エイジ的な“ユニティ”、そしてファラオ・サンダースを想起させるシャバカのサックスによる“ザ・ユニヴァース・ウェイクス・アップ”でアルバムは幕を閉じる。かつてアフリカ・バンバータがクラフトワークの影響を受けて“プラネット・ロック”を作り、ヒップホップとエレクトロの道を切り開いていったが、そうした異文化の衝突から新しいものが生み出されていく初期衝動に満ちたアルバムである。


 シークレット・プロジェクト・ロボット(SPR)は、20年前にはじまった。当初はマイティ・ロボットという名前だった。マイティ・ロボット場所であり、ヴィジュアル・グループであり、DJ、プロジェクトの名前だった。コンタクト・レコーズから彼らのショーやヴィジュアル作品などを収録したDVDをリリースした後、その精神を引き継ぐ次の冒険としてシークレット・プロジェクト・ロボットがはじまった。
 NYに引っ越して来たばかりだった私は、マイティロボットを発見してからというもの毎日のように通った。彼らはブルックリン(ウィリアムスバーグ)のDIYバンド(ヤーヤーヤーズ、ライアーズ、アニマル・コレクティブ、!!!、オネイダなど)を積極的にブックした。フェスやパーティ、アートショーを開き、毎日のように人を集まる場を作った。
 彼らがシークレット・プロジェクト・ロボットとなってからは、最初はウィリアムスバーグ、次にブッシュウィックと場所を移した。こうして彼らは20年間DIY精神を保持したまま、生き延びてきている。新しい場所に引っ越して1年、彼らはあらたな決断を持った。それは2019年4月末、いまの場所を別のビジネスに譲ることだった。

 アートスペースからはじまった彼らは、ブッシュウィックに移ったときからアートスペースだけでやっていくのは厳しいと感じていた。しかしアートは売れなくてもアルコールは売れることに気付くと、彼らはバー、カフェを続けてオープンした。シークレットを維持することができたのはそのおかげだ。なので、新しいシークレットもアートギャラリー兼バーとしてオープンした。アンダーグラウンドなDIYギャラリーから合法的なバーとなったわけである。が、バーによって金はまわせるが、彼らは自分たちのやりたいことはこれではないと気づいた。で、今回の決断へと至ったのである。

 現シークレット・プロジェクト・ロボットは閉店するが、同所はデス・バイ・オーディオ・アーケードというゲーム制作会社が、ワンダーヴィルと改名して引き継ぐことになった。キックスターターで資金を募り、目標金額を達成した(https://www.kickstarter.com/projects/markkleeb/wonderville-arcade)。ゲームやピンボールがあるヴェニューになる予定で、いままでジプシーのようにいろんなDIY会場を転々としていた彼らだが、ようやく自分の場所を見つけたというわけ。。
 ライトニング・ボルトのブライアンGもゲームを作っているし、ブルックリンのDIYシーンはゲームへと向かっているって? 

Nivhek - ele-king

 13歳でパンク・ロックを好きになることは、メインストリームの大衆文化から外れて生きることを決断するしかないということだったが、21世紀も20年近くが経過した現在においてはかつてと同じことを意味しない。60年代にサイケデリック・ロックに心酔することは映画『モア』のような人生が待っていたかもしれないが、柴崎祐二の論によればそれは新種のイージーリスニングとして機能しているらしいし。
 かつて普通じゃなかったものは、やがて普通の大衆文化のなかに組み込まれる。世のなか保守的になったと言われるが、じつは他方で、かつて普通じゃなかったものへの許容度は上がっているといえるのかも。逆にいえば普通じゃないものを探すのは難しく、メインストリームから外れて生きることも、生き方を選び取ることも困難な時代だとは思う。リズ・ハリスは、いまでも、メインストリームから外れて生きることを決断するしかないと思わせてくれる数少ないひとりである。

 リズ・ハリスの、Nivhekという名義によるアルバムが彼女自身のレーベルからリリースされた。グルーパー名義で知られる彼女だが、これまでもいくつかのプロジェクト名義でも作品をだしてきている。とはいえそれらは複数人によるプロジェクトで、ソロではグルーパー名義のみだった。
 グルーパーというのは、彼女が幼少期に属していたグルジェフ系のコミューンにおける共同体の単位のようなものが“グループ”で、“グルーパー”とはグループを構成する個人の名称だった。ピッチフォークのインタヴューによれば、彼女は11歳で“グループ”を去っている。彼女はそれまでポップ・ミュージックに触れる機会を持たなかった。が、やがて彼女はニルヴァーナを好きになり、大学にも進学して環境科学を学んだ。彼女はソーシャルワーカーとなって、アニマル・コレクティヴのツアーに誘われるまで音楽は趣味/余興だった。いまでは彼女はマネージャーも雇わず、ツアーはひとりで出かけ、通販のアナログ盤を自分で郵送する完全なDIYインディ・ミュージシャンとして生きている。彼女はソロ活動の名義はすべてグルーパーで統一している。
 Nivhek、ニヴヘックと読めばいいのかどうかわからないがとりあえずそう表記しておく。それはおそらくはひとの名前で(女性の名前かもしれない)、リズ・ハリスの新しいソロ名義である。ニヴヘックは、ただし、リズ・ハリスの旅の記録でもある。このアルバムにはポルトガルのアゾーレス諸島、ロシアのムルマンスクでのセッションが含まれているそうだ。
 アルバムは、『Grid of Points』よりも実験的である。曲は“死”にリンクしている。生を謳歌するのがポップ・ミュージックの大前提としてある。しかしリズ・ハリスの音楽は“死”に優しく寄り添っているようだ。

 『After Its Own Death/Walking In A Spiral Towards The House』はアナログ盤で2枚組、1枚目が“After Its Own Death(それ自身の死のあとで)”、2枚目が“Walking In A Spiral Towards The House(家に向かってうずまきを歩く)”。どちらの曲も組曲的な展開で、歌ではなく声が、聖歌隊が、ビブラフォンの音に溶け込んで、ときおり挟み込まれる電子音やギターやピアノ、フィールド・レコーディングなどと重ねられている。とくにビブラフォンはこのアルバムを特徴付けている。それは全編にわたって響き、かろうじてメロディを奏でている。
 音は遠くで鳴っているようだ。スピーカーから虚空が映し出される。来世からの音響だというひともいれば、睡魔を誘うというひともいれば、憑依した場所の音楽、あるいは夢に支配された音楽というひともいる。
 ぼくは彼女の音楽を聴いていると取り残されたような気分になる。まったく自分がこの日常に馴染めてないことに気が付いて、いや、まずいまずい、そんなことでは生活をやっていけないぞとその感覚を追い払おうとする。が、しかしリズ・ハリスの音楽はまさに幽霊のように、ひとをその日常から引きはがそうとする。静かだが強力な残響によって。

マキタスポーツ - ele-king

平成という時代を鳴らすように──マキタスポーツ「平成最後のオトネタ」

 2019年3月27日、マキタスポーツによる「平成最後のオトネタ」と銘打ったライヴがおこなわれた。ちょうど原稿に追われていた時期でもあったのだが、なんとか仕上げ、草月ホールに駆けつけた。 はたして始まった「平成最後のオトネタ」ライヴは、平成の30年──それはちょうど、マキタスポーツが上京してからの30年と重なるという──を総括するような見事なものだった!
 オープニング、オウム真理教からSMAP解散、はたまたささやき女将まで、世間やワイドショーを騒がせたフラッシュ映像が流されたあと、マキタスポーツ十八番とも言える長渕剛のパロディが披露され、場内は笑いに包まれた。いや、正確に言うとパロディではなく、FNS歌謡祭で歌われた“乾杯”の完コピなのだが、ともかく、長渕自身の過剰なアレンジを再現するマキタスポーツの姿に客席は沸いた。

 芸人・ミュージシャンとしてのマキタスポーツは、アーティストの似顔絵をスケッチするような「作詞作曲モノマネ」や、アレンジひとつで楽曲をがらりと変容させてしまうようなパロディ芸に定評がある。その根底にあるのは、音楽に対する鋭い分析眼に他ならない。その人をその人たらしめている要素を正確に分析することによって、「作詞作曲モノマネ」もできるしパロディとしてズラすこともできる、ということだ。その点において、マキタスポーツのパフォーマンスは、古川ロッパの声帯模写からタモリや清水ミチコにいたる文体模写的なモノマネの系譜にある。そのようなたしかな分析眼のもと、ライヴ冒頭では、ミスチルをはじめとする個性的なアーティストが「作詞作曲モノマネ」され、パロディ化されていた。あるいは“X-WORLD”という演目では、X-JAPANの代表曲“紅”に対して、次々と各国風(中国風、ジャマイカ風、ロシア風……)のアレンジが加えられていた。ここに遠く、大瀧詠一『LET'S ONDO AGAIN』の試みが響き合う。後半冒頭にあたる「マッシュアップシリーズ」では、「サチモス」と「音頭」を掛け合わせた“STAY TUNE音頭”が披露されていたが、そこではやはり、“LET’S ONDO AGAIN”や“イエローサブマリン音頭”といった一連の大瀧詠一ワークスを思い出す。
 さらに、“縁の下の力持ち”という演目では、米津玄師“Lemon”や星野源“Pop Virus”に使用されている効果音に注目し、その効果音をネタにした芸をしていた。パフォーマンスの中身を言葉で説明するのは難しいし、正直野暮ったいところもある。笑いつつ思ったのは、J-POPのサウンド的なアップデートに対応するかたちでマキタスポーツの芸それ自体も更新を目指されている、ということだ。平成とはなにより、J-POPが定着し大きく更新した時代でもあった。

 そんなマキタスポーツによる「平成31曲オトネタメドレー」は圧巻だった。それは、「平成31曲」を面白おかしくパロディ化するとともに、「平成」の時代精神を見事に切り取っていたからだ。例えば、ZARD“負けないで”に対しては、同曲における自己啓発要素とその暴力性が強調されるかたちでパロディ化されていた。あるいは、あらゆる歌詞における「きみ」を志村けん風に「チミ」と言い換え、楽曲の世界観を台無しにしてしまうネタ。「愛のままにわがままに僕はチミだけを傷つけない」(B'z“愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない”)「振り返るといつもチミが笑ってくれた」(藤井フミヤ“TRUE LOVE”)「たとえばチミがいるだけで」(米米クラブ“君がいるだけで”)などなど、真面目な歌詞の世界に突然、変なおじさんが割り込んでくるようでおかしいのだが、同時に、J-POPがいかに「きみ」という二者関係のみを問題にしていたか、ひいては、いかにJ-POPが社会に背を向けていたか、が示されているようでもあった。

 だとすれば、マキタスポーツのネタのおかしさとは、J-POPそのものが、そして平成という時代そのものが抱えるおかしさなのではないか。だって、マキタスポーツの表現は、アーティストなり楽曲のもっている一面を拡大し強調するものなのだから。マキタスポーツの芸におかしさを感じるとすれば、それは同時に、ネタ元である平成のJ-POPたちにおかしさ(滑稽さ・奇怪さ)を感じていることに他ならない。誰もがなんとなく抱いている感触を、実際に言葉にし、表現にし、明らかにすること。そのような行為を一般に批評と呼ぶ。マキタスポーツが批評的だと言われるゆえんだ。「平成最後のオトネタ」は、社会が深刻になるほどに自己啓発的でポジティヴになる、J-POPのありかたを、平成という時代を、鋭く批評していた。

 ラスト、「アンコール」(という演目があること自体がマキタスポーツおなじみの皮肉である)で披露された、「誰かがなんとかしてくれるはず」と連呼する「大丈夫、たぶん」という曲は、J-POPで歌われがちな〈大丈夫ソング〉的なものが、実際は無根拠な〈他力本願ソング〉であることを指摘するものだと言える。その意味で「大丈夫、きっと」は、最近のライヴではしばしば披露されていた曲ではあるものの、とくに「平成最後のオトネタ」のラストを飾るにふさわしい曲だった。

 と、ここまでなかば解説的に書いてきた。しかし、さらに踏み込もう。徹底した分析眼のそのさきへ。メタメタな分解作業のそのさきへ。ここからは、いち受け手としての矢野利裕が見たマキタスポーツの姿だ。

 どんなに分析しても解けない魔法がある。どんなに分解しても残るなにかがある。マキタスポーツが徹底的にアーティストを分析するとき、むしろその態度はロマン主義的に映る。長渕剛を徹底的に分析し、再現しようとするとき、突きつけられるのはむしろ、どうしたって長渕剛になれない、ということである。あるいは、どこまで行ってもマキタスポーツはマキタスポーツだ、ということである。マキタスポーツの変幻自在で批評的なパフォーマンスに触れたときに感じているのは、逆説的なことながら、マキタスポーツの圧倒的な身体のほうなのである。
 マキタスポーツの著書『一億総ツッコミ時代』(講談社文庫)を振り返りながら考える。あらゆるものにツッコミを入れ続けた平成の終わり、起こっていることは身体性の復権なのではないか。あまりにも細分化したマナーとコードに張り巡らされた現在、求められているのは、説明不要の圧倒的な身体の躍動ではないか。それは例えば、他の追随を許さぬ長渕剛のような。
 考えてみれば、長渕剛がそうだったのだ。よしだたくろうになりたくて、ボブ・ディランになりたくて、ブルース・スプリングティーンになりたくて──でも、最後の最後は長渕剛以外の何物でもなくて。その誰にもなれなさのさきに、唯一無二の〈おかしさ〉に満ちた長渕剛の身体の躍動があった。どこかで聞いたことのある言葉やメロディかもしれないが、長渕剛が歌うとき、そこには唯一無二のオリジナルな響きがあった。人によっては笑ってしまうほど、しかし無視できないほどの過剰な表現。マキタスポーツが完コピしようとしたのは、そんな長渕剛的身体だった。それは知的な批評以上に、躍動的な身体を目指すことの表明である。

 いや、このことすらマキタスポーツの表現は織り込み済みなのだろう。というのも、今回のライヴでは、「記憶の森」という身体で魅せる堂々たるパフォーマンスがなされたからだ。このミュージカル仕立ての新作が、個人的には傑作だった。「香川照之の名前が思い出せない」というあまりにも日常的なひとコマについて、延々と20分かけて「記憶の森」のなかをさまよいながら、マキタスポーツがひとり三役で歌い、踊る。この仰々しい20分が本当に馬鹿馬鹿しくて、おかしくておかしくて。ずっと笑っていた。わけのわからない凄みすら感じた。必見である。
 非常に本格的な振り付けだったが、昨今のミュージカルの流行を意識しただけではない。たいしたことないことに対して仰々しく歌って踊る、それによっておかしな世界が出現する、というミュージカルの表現が、マキタスポーツのライヴには必然的に求められていたのだ。その身体ひとつの躍動で世界が一変するような表現こそを、平成の終わりのマキタスポーツは追求していたのだ。まわりくどいことを言っているようだが、なんのことはない。現在のマキタスポーツはとくに、パロディの元や文脈を知らなくとも、表情や動きがすでにじゅうぶんにコミカルであり、面白くて笑えるところがある。音楽に詳しくない人や子どもにだって喜んでもらえるように。 不思議な言いかただが、あらゆるアーティストに変身し「モノマネ」するマキタスポーツを通して、マキタスポーツの身体性を再発見されるのだ。
 そして、このようなありかたを強く体現するのが、西野カナ“トリセツ”のパロディ、“トリセツおじさん”に他ならない。だんだんとポンコツになってくる「おじさん」の様子を「トリセツ」風に歌ったものだ。今回のライヴでは、「平成31曲オトネタメドレー」のラストを飾っていた。
 なぜ俺は、この“トリセツおじさん”がこんなにも好きなのか。それは、この曲を聴くときいつも、西野カナのパロディを通して、歌い演奏するマキタスポーツの唯一無二の「おじさん」的身体が迫り出してくるように感じるからだ。頭では西野カナの替え歌を聴いているわけだが、触れているのはマキタスポーツの「おじさん」的な身体の躍動、リズムとメロディである。この意味と躍動の二重性に、妙に心動かされてしまうのだ。本当に。マキタスポーツの本領は知的な批評性ではない。かと言って、難しいことを考えないノリの良さでもない。徹底した批評のさきに再発見される身体の運動である。その運動や振動に触れることがマキタスポーツのライヴにおいて大事なことである、と思っている。
 しかし、個人的には、あらゆる音楽がそうなのだ、と思う。僕らはともすれば、音楽の歌詞に感動しているように錯覚するが、本当は音楽をめぐる躍動感に触れているのではないか。その躍動感をほんの一部でも自分のものにしようと、鼻歌を歌ったり、面白おかしくモノマネをしたり、カヴァーをしたり、カラオケで歌ったりするのだ。そこにこそ、音楽の喜びがある。そのような喜びとともに軽薄に広がっていく歌のかたちがある。その軽薄さを前面に押し出すものとして、コミックソングのようなものがある。
 ここまでくると、半分告知を兼ねていることを言わねばならない。本文冒頭で筆者が追われていたものとは、『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』という書籍の最後の最後の原稿作業であった。明治時代のオッペケペー節に添田唖禅坊。エノケンにあきれたぼういず。美空ひばりにスネークマンショー。そして、現在ではピコ太郎やマキタスポーツにいたるまで。さまざまな局面で音楽は笑いとともに歌われ、広がっている。そのような笑いとともにある音楽の、その無限の広がりの一端を僕なりに紡いだのが、『コミックソングがJ-POPを作った』という本である。でも、お世辞とかステマとかではなく、そのような音楽の軽薄な部分に強く目を向けさせたひとりが、僕にとってはマキタスポーツだったのだ。先日の「平成最後のオトネタ」には、平成という時代を彩ったありとあらゆる音楽の喜びが、マキタスポーツという身体の借りながら鳴らされているような感触があった。願わくば、自分の本において少しでもそのような感触が存在しますように。

Carpainter - ele-king

 いま日本の音楽シーンにおいて何がオルタナティヴなのかということを考えたときに、僕が最初に思い浮かべたのは〈TREKKIE TRAX〉だった。彼らは昨年、レーベルとしてのベスト・アルバム第2弾『TREKKIE TRAX THE BEST 2016-2017』をリリースしたり、Maru & ONJUICY による「That's My S**t」のような強力なシングルを送り出したり(ONJUICY はその後スウィンドルともステージで共演)、813Jaymie Silk といった海外勢も果敢にフックアップするなど、どんどんその勢いを加速させていっている感がある。フィジカルでのリリースも着実に重ね、少なくとも当初の「ネット・レーベルのひとつ」というイメージはすでに大きく超え出ていると言っていいだろう。そんな〈TREKKIE TRAX〉から届けられた最新作2枚がこれまたどちらも魅力的だから困ってしまう。

 2年前に三浦大知のヒット曲(『仮面ライダーエグゼイド』主題歌)をプロデュースしたことでより広汎な層へもその名を轟かせることとなった Carpainter は、〈TREKKIE TRAX〉の創設者のひとりであり、同レーベルの核たる TREKKIE TRAX CREW のメンバーでもある(ボカロ・リスナーにとっては八王子Pやアナマナグチのリミックスも記憶に新しいだろう)。そんな彼による「勝利宣言」と題されたニュー・アルバムは、まさにいまの〈TREKKIE TRAX〉の勢いを象徴するような1作だ。
 終盤の“Wut U Tryin”や“Noctiluca”のようにブレイクスに光を当てた曲たちもチャーミングなのだけど、まずはやはり表題曲“Declare Victory”や先行公開された“Mission Accepted”のレイヴィなサウンドに耳を持っていかれる。じっさいには体験していない世代による独自のレイヴ解釈といえばゾンビーを筆頭にあげることができるが、Carpainter はよりスマートというか、継承の仕方がもっと素朴で、それはこのアルバムのもうひとつの顔であるデトロイト由来の美しい上モノたちについても言える。タイトルからして最高な“Future Folklore”はそのロマンティシズムを堪能するのにうってつけの1曲だし、ポーター・ロビンソンがセットに取り入れたことで話題となった“Sylenth Warrior”のミニマリズムも、ある時期のジェフ・ミルズやカール・クレイグ、リッチー・ホウティンあたりを彷彿させる仕上がりだ。もちろん、レイヴとデトロイト・テクノというのはこれまでも Carpainter の音楽を特徴づける大きな要素だったわけだけど、本作ではそれが成熟の域にまで達している。30年近く前の音楽に触発されているにもかかわらず、レトロ感が稀薄なのもポイントで、それはおそらく彼が10年代以降のベース・ミュージックの感覚をナチュラルに体得していることに起因するのだろう。双方のエッセンスを巧みに両立させたのが冒頭の“Transonic Flight”である。

 Native Rapper のファースト・アルバムも負けていない。これまで〈TREKKIE TRAX〉から2枚のEPをリリースしている彼は、プロデューサーであると同時にみずから歌唱をこなすシンガーソングライターでもある。ゆえに、種々の押韻や“Passion Fruit”、“Like a Swimming Pool”などの言葉遊びに体現されているように、彼の最大の魅力はその歌詞にこそ宿っている。“Swag Girl”の「ハイレゾの街、しばしおさらば/機内モードで全部チャラにしよう」という表現にも唸らされるが、より印象的なのは一昨年シングルとして発表された“Keep It Real”だ。「誰だって多少の変わりたい願望でちょっとおしゃれしてみたり/ずっと変わんねえなって褒め言葉受けて、らしくありたいと思ったり」という心理描写のあとに、「アップデイトした携帯電話/使いづらくてもすぐ慣れてしまう/SNSの次に来るのはなんだ」と今日のインフラにたいする感慨を接続してみせるところには、彼がどのように現代のリアリティを切りとろうとしているかがよく表れている。
 もちろんトラックのほうも忘れちゃいけない。きめ細やかなサウンドがめまぐるしい展開を見せる“Rainy Dance”や、先を急ぐように切り刻まれる電子音と ゆnovation によるピアニカが見事なコントラストを織り成す“Grand Melodica”といった曲には、トラックメイカーとしての Native Rapper の才が凝縮されている。シンプルにテクノとしてアガるのは表題曲の“TRIP”だが、歌詞も含めてキラーなのはやはり、上述の〈TREKKIE TRAX〉のベスト盤にも収録された、彼の代表曲たる“Water Bunker”だろう。ここには、朝四時頃にひとりでフロアに佇んでいるときの感傷がすべて詰め込まれている。

 レーベル主宰者のひとりである Seimei は昨年、取材したときだったか UNIT で会ったときだったかは忘れてしまったけれど、〈Warp〉や〈Brainfeeder〉のような存在になることを目標にしていると熱く語っていた。その夢ははっきり言ってもう、ほとんど実現してしまっているのではないだろうか──〈TREKKIE TRAX〉から立て続けにリリースされたこの2枚の新作は、そう思わせるに足るだけのクオリティと、そして何よりパッションに満ちあふれている。

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