「Nothing」と一致するもの

ダニエル・ミラーからのメッセージ - ele-king

みなさんこんにちは、ミュート・レコードのダニエル・ミラーです。
1978年のはじめ頃、ケンジントン・パークロードにあったRough Tradeショップでの出来事をよく覚えています。
ちょうど私がやっていたバンド"The Normal"の最初の納得のシングルを持ち込んだ時のことです。
その時に店番をしていた、Rough Trade創設者のジェフ・トラヴィスとリッチ・スコットがその曲を少し聴いてくれて、その場で契約してくれることになりました。
まさに人生が変わったような瞬間でした。
それによって私は、ミュートレコードを発足させ、自分が大事に思い敬愛するアーティストたちと一緒に働くことができるようになりました。
言ってみれば、それはインディペンデントのレコードショップが持つ最高の力であり、
アーティストをサポートし勇気づけるものだと思います。

もちろんその時からは音楽を取り巻く環境も大きく一変しました。
それでも、私は今でもインディペンデントのレコード店の力を信じています。
そこはミュージック・ラヴァーの中心であり、音楽をよく知る人々が
みなさんの音楽の好みを良く理解してくれています。

みなさんもご存じの通り、いますべての店が閉まっています。
しかし、彼/彼女らはオンラインサービスやメールオーダーを通じて営業しています。
私はみなさんにそのサービスを使って注文し、サポートていただくことを奨励します。
レコードショップが生き残るのはとても重要なことです。
現在起こっている危機は永遠に続くことはありません。
私たちは、ミュージックラヴァーやアーティスト、レーベルの未来についてよく考える必要があります。
どうぞ、みなさまお大事になさってください。
ありがとうございました。

MUTE創始者 ダニエル・ミラー

Hiroshi Yoshimura - ele-king

 近年ますます再評価の進んでいる環境音楽家の吉村弘。幻の『GREEN』がついに復刻されることになった。もう一度言います。超入手困難だった、あの『GREEN』です(オリジナルは1986年)。リリース元は『Hosono House』など細野晴臣の一連のリイシューや、日本の環境音楽にフォーカスしたコンピ『Kankyō Ongaku』で大きな注目を集めた〈Light In The Attic〉で、アンビエントやニューエイジなどに特化したシリーズないしサブ・レーベルの〈WATER COPY〉第1弾作品となる模様。デジタル版はすでに3月20日にリリース済みで、ヴァイナルとCDとカセットが夏にリリース予定とのこと。これは買い逃せません。オフィシャル・ページは下記リンクより。

https://lightintheattic.net/releases/6773-green

Squid - ele-king

 下着の次はイカときた。30周年という節目を終え、また〈Warp〉が活気づきはじめている。先日のジョックストラップにつづいて、新たにブライトンの若き5人組、スクイッドがファミリーに加わった。現在お披露目として “Sludge” が公開されているが、なんでもこの曲は、最近新作をリリースしたばかりのレジェンド、ワイアーのサウンドチェックをしていたときに着想を得た曲なのだという。ポストパンクの新星としてUKインディ・シーンに新たな風を巻き起こすのか? ちなみに仕掛け人は、昨年ブラック・ミディをフックアップしたプロデューサーのダン・キャリーとのこと。注目です。

Squid
BBC【SOUND OF 2020】にも選出! UKツアーは全てソールドアウト!
ダン・キャリーが仕掛ける注目の大型新人バンド、
スクイッドが〈WARP〉との電撃契約を発表!
ポストパンクな新曲 “SLUDGE” をリリース!

ブライトンで結成された、オリー・ジャッジ(ドラム&リードボーカル)、ルイス・ボアレス(ギター&ボーカル)、アーサー・レッドベター(キーボード、弦楽器、パーカッション)、ローリー・ナンカイヴェル(ベース&ブラス)、アントン・ピアソン(ギター&ボーカル)から成る5人組バンド、スクイッド。

アデルやサム・スミス、ハイムなどのトップスターたちを輩出してきた BBC【Sound of 2020】にも選出され、現在予定されているイギリスツアーは完全にソールドアウトとなるなど、ブラック・ミディやソーリーらの登場で勢いを増す次世代UKインディ/オルタナ・シーンの中でも、最大級の注目を集める彼らが〈Warp〉との電撃契約を発表! 合わせて〈Warp〉からの初リリースとなる新曲 “Sludge” をリリースした。

Squid – Sludge (Official Audio)
https://youtu.be/b0GHHmjovM8

この楽曲のアイデアはポストパンクを代表するバンド、ワイアーのサポートとしてサウンドチェックをしていた時に着想を得たという。過去の楽曲に比べてパーカッシブさが増し、音楽的にも進化を遂げた新曲 “Sludge” の中では、たった一年ほど前に彼らがシーンに登場した時から抱き続けているワクワクするような実験性と遊び心を放棄することなく、そのエネルギッシュなサウンドをより開かれたものにしている。非の打ちどころのない音楽的センスと扇情的なライヴ・パフォーマンスで評判を呼んできたバンドにとって、この楽曲は新章の幕開けにふさわしい作品と言えるだろう。

またフランツ・フェルディナンド、リリー・アレン、テーム・インパラ、ザ・キルズ、ブラック・ミディらを手掛けるプロデューサー、ダン・キャリーが彼らをサポートしていることも見逃せない。そんな名匠をも味方につけ、野生的かつ唯一無二な創造性を見せつける彼らの動向に今後も目が離せない!

label: WARP
artist: Squid
title: Sludge
release date: NOW ON SALE

TRACKLISTING
01. Sludge

R.I.P. Manu Dibango - ele-king

 新型コロナ・ウイルスの感染者・陽性反応者に世界の著名人の名前が上がり、連日のように報道されているが、音楽界ではマヌ・ディバンゴが感染し、パリの病院で亡くなったというニュースが3月24日に発表された。ヨーロッパの中でもイタリア、スペインに続いて感染死者数が1000人を超えたフランスでは、ロックダウンが敷かれて外出や集会の禁止令が出るなど、まるで戦時下のような緊迫した状態が続いていると聞く。そうした中、マヌ・ディバンゴがどのような経路でコロナに感染したのか明らかではないが、1933年生まれの享年86才と高齢だったので、感染による死亡のリスクが高かったのだろう。アフリカのカメルーン出身のサックス奏者で、アフリカ音楽を世界に広めた第一人者として知られる彼の死にショックを受けた人は少なくなく、SNSではジャイルス・ピーターソンやアンジェリーク・キジョーなどが追悼のコメントを寄せている。

 ここからはマヌ・ディバンゴの音楽を振り返りたいが、私はレア・グルーヴ的な方面からマヌの音楽を知るようになり、彼の作品の全てを聴いてきたわけではないので、クラブ・サウンドやダンス・サウンドとの接点からマヌの音楽を紹介したい。これまでアフリカ音楽がワールド・ミュージックの一部として注目を集める波がいくつかあり、大きな波では1980年代初頭にキング・サニー・アデ、ユッスー・ンドゥール、モリ・カンテなどが出てきて、欧米でもデヴィッド・バーンやピーター・ゲイブリエルなどがアフリカ音楽に傾倒するようになった時期がある。それ以前に遡るとフェラ・クティがいて、元クリームのジンジャー・ベイカーやロイ・エアーズなどがそのサウンドに魅了されて共演してきた。フェラ・クティ、トニー・アレン、ジンジャー・ベイカーが共演したライヴ盤は1971年のリリースだが、この頃のロンドンにはアサガイ、オシビサ、マタタなど多くのアフリカ人バンドがあり、ほかのヨーロッパ諸国でもアフリカや中南米からの移住者がいろいろと活動していた。中でもフランスはアフリカ系移民が多く、そのひとりであるマヌ・ディバンゴはカメルーンからの移住者だった。当時はアフリカ音楽にジャズ、ロック、ファンクなどを結び付けるのがトレンドで、フランスだとラファイエット・アフロ・ロック・バンド(アイス)やケイン・アンド・アベルなどが代表的なバンドだが、マヌ・ディバンゴもそうした中から頭角を現した。そして1972年リリースの『ソウル・マコッサ』によって彼の名前は世界中に広まるが、マコッサとはカメルーンの言葉でダンス・ミュージックを指す。

 マコッサはマヌ・ディバンゴの音楽をそのまま示すものだ。彼が最初にフランスで出したレコードは1964年のEPで、その中ではルンバやチャチャチャなど当時の流行のダンス音楽をやっていて、1969年のファースト・アルバムはその名も『サクシー・パーティー』と、一貫してダンス・サウンドやパーティー・ミュージックを指向している。アフリカ音楽が持つ生命力や開放感をダンス・サウンドとして表現していたのがマヌだった。『ソウル・マコッサ』はアメリカはじめ世界のさまざまな国で発売され(『オ・ボソ』とタイトルを変えてリリースもされている)、タイトル曲の “ソウル・マコッサ” が大ヒットした。当時、日本でもトヨタ車「カローラ」のCMに用いられたほどだ。ラファイエット・アフロ・ロック・バンドやアフリークなどいろいろなカヴァーが生まれ、アルマンド・トロヴァヨーリの “セッソ・マット” などそのフレーズを用いた曲も多い。プレ・ディスコとも言える曲で、ヴァン・マッコイの “ハッスル” などは明らかにその支流となっている。ヒップホップのサンプリング・ソースにも多数使われており、要するに一度聴けば耳に残って離れない単純明快さがある。ジャズ・ピアニストのジョルジュ・アルヴァニタスが参加するなど実は演奏的にはしっかりしたものであるが、ポピュラー音楽としては誰もが口ずさめる単純明快さが決め手で、それがおよそ半世紀に渡ってダンス・クラシックとして存在してきた理由だろう。

 『ソウル・マコッサ』には “ニューベル” という曲も収録していて、こちらはより土着的なアフロ・ファンク色の濃い渋めのナンバーだ。デヴィッド・マンキューソのロフト(アメリカでは彼が『ソウル・マコッサ』を初めてプレイした)、ラリー・レヴァンのパラダイス・ガレージなどのアンダーグラウンド・クラブではむしろこちらの方が好まれ、後にマスターズ・アット・ワークもリミックスしている。1973年の『マコッサ・マン』は “ソウル・マコッサ” の続編的な “ウェヤ” や “センガ” はじめ、さらにダンサンブルなアルバムだ。“ペペ・スープ” はアフロ・ディスコ~コズミックの源流に位置付けられる楽曲で、フランスでもセローンのコンガスやマルタン・サーカスの “ディスコ・サーカス” はじめ、ディスコ・サウンドにアフロの要素が入り込むようになったのはここからと言える。『アフロヴィジョン』(1976年)ではよりディスコに接近した “ビッグ・ブロウ” のヒットを放っていて、当時の日本でも故中村とうよう氏によって、フェラ・クティと共にマヌが本格的に紹介されるようになった。この近辺の1970年代のリリースでは、もともとライブラリーとして制作され、サイケデリックな電子音を交えたよりトライバルなサウンドの『アフリカデリック』(1972年)、同じくライブラリーでブラック・プロイテーション的なジャズ・ファンク色の強い『アフリカン・ヴードゥー』(1972年)、超カルトなサントラ盤の『カウントダウン・アット・クニシ』(1975年)などが後にレア・グルーヴとして発掘された。

 1980年代に入ると、スライ&ロビーと組んでジョスリン・ブラウンやグエン・ガスリーらをフィーチャーし、レゲエなどにも挑戦した『ゴーン・クリアー』(1980年)、ビル・ラズウェルのプロデュースでハービー・ハンコック、ウォーリー・バダルー、バーニー・ウォーレル、モリ・カンテらをフィーチャーし、エレクトリック色の強くなった『エレクトリック・アフリカ』(1985年)と、時代に即したサウンドもやっている。1987年にはマテリアル、ビル・ラズウェル、ハービー・ハンコック、ブーツィー・コリンズ、グランドミキサー・D.ST.、スライ&ロビーらと一緒に “マコッサ・’87(ビッグ・ブロウ)” として “ソウル・マコッサ” をリヴァイバルさせているが、この頃より始まったレア・グルーヴの波によってマヌの音楽が再評価されるようになった。私も最初はこの “マコッサ・’87(ビッグ・ブロウ)” からマヌ・ディバンゴの世界に入った口であるが、マヌの作品と出会わなければ、アフリカ音楽というものに興味を抱くようになったかどうかは怪しい。フェラ・クティと共に、アフリカ音楽におけるターニング・ポイントとなった偉大なミュージシャンである。

 冒頭に戻るが、マヌ・ディバンゴはアンジェリーク・キジョーにとって偉大なアフリカ音楽の先人で、2ヶ月ほど前にパリで一緒にリハーサルをしたそうだが、そのときのヴィデオではマヌの代表曲である “ソウル・マコッサ” を楽しそうに演奏していた。演奏風景ではまだまだ健在という様子だったので、彼の死が非常に残念であるとともに、新型コロナ・ウイルスの恐ろしさが改めて知らされる。

interview with Little Dragon (Yukimi Nagano) - ele-king

 スウェーデンのイェーテボリから登場したリトル・ドラゴンはどこかミステリアスで、でもポップさとか可愛らしさも持つ風変わりなバンドだ。ヴォーカリストのユキミ・ナガノ、キーボードのホーカン・ヴィレーンストランド、ベースのフレドリック・ヴァリン、ドラムス&パーカッションのエリック・ボダンからなる4人組で、学生時代の仲間がそのまま大人になってバンドを組んでいる。ユキミ・ナガノが日系スウェーデン人ということもあり(父親が日本からスウェーデンに移住した日本人のインテリア・デザイナーで、母親がスウェーデン系アメリカ人)、またかつてクラブ・ジャズの世界で知られた存在だっただけに、親近感を抱く日本のファンも少なくないが、彼女のどこか妖精のようにフワフワとしながらコケティッシュさも持つヴォーカルと、エレクトロ・ポップ、インディ・ロック、オルタナティヴR&B、ハウス、ニューウェイヴ・ディスコ、シンセ・ブギーなどさまざまな要素がきらめくサウンドが結びつき、ほかになかなか見ないような独自の個性を生み出している。

 これまでに5枚のアルバムをリリースし、特に『ナブマ・ラバーバンド』はグラミー賞にもノミネートされるなど高い評価を得て、世界中のさまざまなフェスでも大活躍している。そんなリトル・ドラゴンにはいろいろなアーティストから共演やコラボのオファーが届き、ゴリラズフライング・ロータスサブトラクトケイトラナダバッドバッドナットグッドDJシャドウマック・ミラーリトル・シムズなどの作品にフィーチャーされてきた。そんなリトル・ドラゴンが心機一転してレーベルを〈ニンジャ・チューン〉へと移籍し、ニュー・アルバムの『ニュー・ミー、セイム・アス』を完成させた。進化を続けるリトル・ドラゴンがまた新たなステージに進んだことを象徴する作品であり、堅実でありながら型にはまらないR&B、ポップ、エレクトロニックという独特のスタイルに新しい方向性を見いだしながら、変わることなく若々しい精力的なサウンドを鳴らしている。同時にアルバムには内省的な空気も感じられ、ユキミの特徴的な歌声は、移り変わるものごとや憧れの感情や別れを告げることに思いを馳せている。今回はそんなユキミ・ナガノにリトル・ドラゴンを代表して話をしてもらった。

クープでは曲を書いているわけでも歌詞を書いているわけでもなく、操り人形のような気持ちになることもあった。誰かが作ったものをそのまま運ぶ仲介人みたいなね。だからジャズを聴くのがイヤになったことさえあった。

1996年にイェーテボリの学校仲間が集まって結成されたリトル・ドラゴンは、アマチュア時代を経た後、2007年にファースト・アルバムを発表してから『マシーン・ドリームズ』(2009年)、『リチュアル・ユニオン』(2011年)、『ナブマ・ラバーバンド』(2014年)、『シーズン・ハイ』(2017年)と5枚のアルバムをリリースしてきました。いろいろキャリアを重ね、『ナブマ・ラバーバンド』はグラミー賞にもノミネートされるなどアーティストとしても確立された存在になったと思いますが、ここまでの活動を振り返ってどのように感じていますか。

ユキミ・ナガノ(Yukimi Nagano、以下YN):いろいろあったわね。いろいろ(笑)。ここまで来るのに一晩しか経っていないような気がするけど、たくさん曲も作ったし、たくさんライヴもしてきた。いいことも悪いことも経験したわ。でもそれができたのは、私たちについてきてくれるファンがあったからよ。だから、ファンのみんなにはすごく感謝してる。

誰かひとりが突出するのではなく、メンバー4人が作曲、演奏などすべてに渡って平等な形で参加する民主的なバンドのリトル・ドラゴンですが、学校の仲間ということはあるにしても、ここまで長くやってこられた秘訣などあるのでしょうか?

YN:私たちは初期の頃からお金を全部均等にしてきた。誰が書こうが、誰が作ろうが、収入を山分けしてきたのね。その作品自体は全員で作ったという意識だから。それがみんなの意識につながって、うまくいっているのかもしれない。バンドが有名になっていくと、5人のうち2人だけどんどんお金持ちになって、他のメンバーは全然なんてことよくあるでしょ(笑)。ツアーにはみんなで出るし、労力はそんなに変わらないはずなのにね。それが解散の原因になったりする。それは避けたいわ。

新作の楽曲のパブリッシングについても、メンバーが関わった分だけそれぞれパーセントで印税の分配比率が記されていました。ほかのバンドなどではこうした記載を見ることがなく、とても面白く感じたのですが、いつもこんな感じでクレジットするのですか?

YN:そうね。全員が全力で作品制作に取り組んでいるから、毎回そうしてる。どの曲も全員の手が入らないと完成しないと思って制作してるの。だからクレジットにそれを書くのがフェアかなと思ってね。

ユキミ・ナガノさん自身についてはかつてクープというニュー・ジャズ・ユニットに参加したのがシンガーとしてのデビューで、スウェル・セッション、ヒルド、日本のスリープ・ウォーカーにも客演するなど最初はクラブ・ジャズ・シーンで知られる存在でした。それがリトル・ドラゴンのエレクトロ・ポップ調の作品へと変わったとき、戸惑いを感じたリスナーも多かったことを覚えています。そもそも音楽のスタートはリトル・ドラゴンだったわけですが、あなた自身はこうした変容についてどう捉えていましたか?

YN:どのフェーズも自分のキャリアにおいてはなくてはならなかったと思う。いまだから冷静になって言えることだけどね。当時は複雑な気持ちだったわ。クープではフロント・ウーマンだったけど、曲を書いているわけでも歌詞を書いているわけでもなく、操り人形のような気持ちになることもあった。誰かが作ったものをそのまま運ぶ仲介人みたいなね。そこに自分の気持ちは入っていないのに。だからジャズを聴くのがイヤになったことさえあった。ジャズ・シーンから距離を置きたくて。でもいまはもう何も気にならない。ジャズは大好きだし、もちろん聴くようになったしね。だから現状を変えようと思ったら、多少は大胆なこともしないといけないと思う。男性主導の業界の中で若い女の子が生きていこうと思ったら、強すぎるぐらい強くないといけない。それが自分の意に反しててもね。私はそれが得意じゃなかった。いま思えば、クープでの経験にはたくさんの気づきがあったから、私にとって必要なことだったと思う。大勢の人の前で歌うのが好きなんだってことが分かったし、自分のキャリアの序章になったと思ってる。

「私って、これが得意なのかも」って気づく感覚は、ある意味で罠なのよ。その気づきを機に、それしかできなくなってしまうから。成長しようと思ったら、心地が悪いと思う状況に身を置いて、ビギナーに戻らないと。

リトル・ドラゴン、クラブ・ジャズ・シーンでの活動、そしてホセ・ゴンザレスと共演するなどシンガーとして非常に広い間口を感じさせ、またフェアリーなヴォーカルによってビョークに比較されたこともありますが、シンガーとしての自身をどのように分析しますか?

YN:「変わったね」って言われるのは最高の褒め言葉だと思っているの。いちアーティストとして、そういう風に言ってもらえるのは嬉しい。同じことを繰り返すのはいやだから。アーティストとして、シンガーとして、常に新しい私を開拓し続けたい。「私って、これが得意なのかも」って気づく感覚は、ある意味で罠なのよ。その気づきを機に、それしかできなくなってしまうから。私はそれを恐れてる。成長しようと思ったら、心地が悪いと思う状況に身を置いて、ビギナーに戻らないといけないものなのよね。でもそれってすごく難しいことだから、「変わった」って言われることでその努力が認められている気がして嬉しいの。

ユキミさん個人への質問が続きますが、あなたはお父さんが日本人の日系スウェーデン人です。お父さんから何か日本のこと、文化などについて教えてもらったことはありますか?

YN:たくさん教えてもらった。父は70年代にスウェーデンに移住してきたけど、彼自身もアーティストで、自分では気づいていないかもしれないけど、父は私にすごく影響を与えてるわ。日本人的な規律ある人で、働き者だった。生き方を背中で教えてくれたって感じね。毎日必ず家に帰ってきたら、自分の制作をしてた。家賃を払うのに必死になってしまうかもしれないけど、自分が好きだと思えることがあるんだったら、少しでもいいからそれを毎日必ずやるべきよ。それを自分の行動で示してくれた。だから私もそれを見て、毎日詩を書いていたわ。そんな父の存在がなかったら、音楽で食べていけるようにはならなかったと思う。普通の父親とは違って、私の音楽に対する情熱をすごく応援してくれたのよね。「これをやりなさい」なんて言われたことは、一度もないわ。彼が心配してたのは、私が頑張りすぎることぐらい。ただ父は純粋な日本人だけど、日本の音楽を聴かせられた記憶はないのよね。あの世代の人たちって、ボブ・ディランとかジョニ・ミッチェルとかが好きでしょ(笑)。父もそうだから。

スウェーデンのローカル・バンドだったリトル・ドラゴンですが、ファースト・アルバムに収録された “トゥワイス” がアメリカのTVドラマに使用され、ロバート・グラスパー・エクスペリメントもカヴァーしたことによって、アメリカから世界へとリトル・ドラゴンが知られるようになったと思います。『ブラック・レディオ』(2012年)をリリースした頃にグラスパーへインタヴューした際、ユキミ・ナガノの声がとても好きで、コラボしたいアーティストの筆頭に挙げていたのですが、彼のことはどう思いますか?

YN:知らなかった。すごく光栄だわ。ぜひ一緒に仕事したいわね。彼の音楽ももちろん好きだし、人間的にも尊敬してる。“トゥワイス” のカヴァーも本当に光栄なことよ。さっきも言ったみたいに、10年前だったらジャズと聞いただけで嫌悪感を抱いてたから、断ったかもしれないけど!(笑)。いまは、ジャズへの愛を取り戻したからね。こういうのって、面白いのよね。予想もしてない人が私たちの音楽を好きって言ってくれたりする。全然関係ないジャンルとかね。びっくりすることがよくある。私はいつも思っているんだけど、一度曲をリリースしたら、その曲はもう自分のものではないの。みんなのものになる。子どもと一緒よね。成長したら一人前になって、もう親のものではなくなる。曲にも命があって、どう成長していくのかを見るのが楽しいの。

これまでコラボしてきたアーティストはゴリラズ、フライング・ロータス、サブトラクト、フルーム、ケイトラナダ、バッドバッドナットグッド、ビッグボーイ、デ・ラ・ソウル、DJシャドウ、ティナーシェ、マック・ミラー、フューチャー、ラファエル・サディーク、フェイス・エヴァンス、リトル・シムズなど多岐に渡ります。特に印象深かったコラボ、また影響を受けた共演者はありますか?

YN:これまでやってきたコラボレーション全てにいい影響をもらってる。中でもフェイス・エヴァンスは私たちが初めてコラボしたアーティストなんだけど、私がもともと大ファンだったの。アイドルみたいな存在。それで会いたかったけど、叶わなかった経験もあったりして。オファーしてみたら、彼女自身は私たちのことを知らなかったんだけど、お子さんが聴いてくれてたみたいでね。子どもたちが「この人たちかっこいいからやった方がいいよ!」って言ってくれたから、実現したのよ。嬉しかったわ。憧れのヴォーカリストとコラボできて、夢が叶った気持ちだった。

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私たち人間は地球という同じ惑星にいて、生きて、死んで、そして違う生命に生まれ変わるけど、地球に生きる生命であることには変わりがないということね。

これまで〈ピースフロッグ〉 〈ビコーズ・ミュージック〉から作品をリリースし、今回の新作『ニュー・ミー、セイム・アス』は〈ニンジャ・チューン〉からのリリースとなります。アルバムに先駆けて2018年に「ラヴァー・チャンティング」というEPをリリースしているのですが、〈ニンジャ・チューン〉へ移籍したきっかけは何ですか?

YN:〈ビコーズ・ミュージック〉との契約を終える段階で関係者の人たちと話をしていて、〈ニンジャ・チューン〉でA&Rをやってるエイドリアンと繋がったの。彼は本物の音楽オタクなのよね。音楽の仕事をする相手に真の音楽好きを選ぶのは、すごく大切なこと。〈ニンジャ・チューン〉は私たちの音楽をサポートしたい、もっと多くの人のもとに届けたいって言ってくれた。インディペンデントなレーベルだから直接的にサポートしてもらえるし、今後がすごく楽しみだわ。

『ニュー・ミー、セイム・アス』というタイトルにはどのような意味が込められているのでしょう? 「新しい私、変わらない私たち」という逆説的な言葉なのですが。

YN:潜在的な意識の話なんだけど、自分は変わったと感じたとしても、身体は変わらないってこと。たしか7年で身体の細胞は入れ替わるらしいんだけど、それでも身体自体は同じ。年を取っていくだけ。まずはそれが、人間全般に対しての『ニュー・ミー、セイム・アス』の意味ね。それからバンドとしての意味は、10年前の私たちとは全然違うんだけど、一緒に音楽をやっているという事実は変わらないってこと。あとはもっと深い意味で言うと、私たち人間は地球という同じ惑星にいて、生きて、死んで、そして違う生命に生まれ変わるけど、地球に生きる生命であることには変わりがないということね。

レーベルからのインフォメーションによると、自立と前進を促す “ホールド・オン”、失われた愛についての “ラッシュ” はじめ、“アナザー・ラヴァー”、“サッドネス” とポジティヴなものから悲しみを歌ったものまで、心の動きをなぞった歌詞が多いです。アルバム全体を通して何か訴えたかったものはありますか?

YN:全体をひとつの旅として聴いてほしい。アルバムのトラック・リストはみんなで慎重に考えたものなの。最近は曲単体で聴く流れになってきてるから、曲順とかをあまり気にしない人も結構いるけど、アルバムをひとつの作品として考えたい。私たちはオールド・ファッションな人間だから。“サッドネス” の曲調は明るいけど歌詞は暗い。そのあとにはダンス・ララバイの “アー・ユー・フィーリング・サッド?” が来るわよね。「心配しないで、心配しないで、うまくいくから」って歌詞で、子守歌なんだけどダンス・トラックになってる。“アナザー・ラヴァー” のトラック自体は昔から持ってた曲だったんだけど、歌詞は付けてなかったのね。それである日マジック・マッシュルームをやったときにすごく効いて、とてもサイケデリックな体験をしたの。泣いて、泣いて……そしたら突然、一緒にいた人の痛みを私が感じたのよ。感じられるはずないのにね。そのときのことを歌詞に書いて “アナザー・ラヴァー” に付けたの。ヴォーカルをレコーディングするときにも涙が止まらなくて、鼻水も止まらなくて、ぐちゃぐちゃになって、なぜかすっごく感情的になっちゃった。だから制作過程自体がエモーショナルだったのよね。

『ナブマ・ラバーバンド』ではロビン・ハンニバル(クアドロン、元ライ)が共同プロデュースで参加し、デ・ラ・ソウルのデイヴ・ジョリコーが作曲にも加わっていました。『ニュー・ミー、セイム・アス』はメンバー4人のみですべて作っていて、その面では初期のプロダクションに近いわけですが、アルバム制作に関してこれまでと何か違う点などありますか?

YN:色々な人が携わっていると、「何か忘れているんじゃないか」「もっとできることがあるんじゃないか」って、被害妄想的になりがちなのよ。デイヴはいいミュージシャンだから音楽的にもすごく助けてくれるし、ロビンは敏腕プロデューサーで、彼のアレンジで曲が流れるようにスムーズになる。アルバムを商業的に成功させるのに、いいプロデューサーが必要なのは事実だしね。でも今回は、その妄想を払拭することに決めたの。売れるアルバムを作るのが目的だったら、もっとメインストリームな曲を作るようにするわ。もちろんメインストリームな曲がいい曲じゃないって言ってるんじゃなくてね。多くの人に好かれるのは嬉しいことよ。でも、売るためにアルバムを作るのはやめた。「マックス・マーティンに気に入ってもらえれば、ラジオでたくさん流してもらえるかも」なんて、いまはそれを望んでないのよね。音楽を作るっていうのは取捨選択的で、自分たちらしい音楽を作るか、コマーシャル・ミュージックを作るかなのよ。ミュージシャンがそれを選ぶの。だから今回、私たちは決めたの。「これを気に入ってくれる人もいれば、そうじゃない人もいる」って。「自分たちの好きな音楽を作ろう」ってね。

“ホエア・ユー・ビロング” と “ステイ・ライト・ヒア” にサックスとギターで参加しているジョエル・ウェストバーグはどんなミュージシャンですか? 確か『シーズン・ハイ』でも演奏していましたが。

YN:昔からの友人で、素敵なミュージシャンよ。ドラマーであり、サックス奏者であり、プロデューサーでもある。サー・ワズっていう名前でもやっていて、長年私たちのライヴのサポートもしてくれているの。昔からいろいろなところから声がかかるような、優れたミュージシャンなのよ。それなのにあるときを境に、何ヶ月も自分の部屋にこもるようになった。「何してるのよ?」って訊いたら、「自分の音楽を作ってるんだよ」って。聴かせてって言っても、後でね、後でねって全然聴かせてくれなくて(笑)。最終的には公に出す勇気が出たみたいで、演奏もヴォーカルも自分でやってる曲をリリースしたわ。彼のことを誇りに思う。ミュージシャンとして尊敬してるから。それで今回のコラボレーションは彼から申し出てくれたの。サックスがうまいから、私たちの曲に良いエッセンスを加えてくれたわ。

ある日マジック・マッシュルームをやったときにすごく効いて、とてもサイケデリックな体験をしたの。泣いて、泣いて……そしたら突然、一緒にいた人の痛みを私が感じたのよ。感じられるはずないのにね。

エレクトロ・ポップと形容されることが多いリトル・ドラゴンですが、その中にはインディ・ロック、オルタナティヴR&B、ハウス、ニュー・ディスコ、シンセ・ブギー、ダブステップなどさまざまな音楽がミックスされています。『ニュー・ミー、セイム・アス』に関してはどんな音楽の要素が強いと思いますか? 個人的には “ホールド・オン” や “サッドネス” などダンサブルな曲がまず印象に残り、『99.9%』(2016年)に参加したケイトラナダの作品に通じるものを感じたのですが。

YN:難しいわね。私たちにジャンルは関係ないのよ。音楽ライターにとっては大事かもしれないけどね!(笑) ジャンルにはめて説明しないといけない仕事だから。でもごめんね、ミュージシャン自身が自分の音楽をジャンルに当てはめるのはもったいないと思ってるのよ。ポップです、ロックです、ヒップホップです、っていうのはちょっと違うの。音楽は説明するものじゃないわ。ティーンエイジャーだったら、自分のレコード・コレクションのためにラベル付けが必要なのかもしれないけど(笑)。私たちはもっと折衷的でありたいし、聴く人を混乱させたい。だから、あまり説明したくないの。例えば「エレクトロ・ポップだよね」って言われたとしても、「そうね」としか言わない。そう思うんなら、そうかもって。ジャンルは気にしないわ。他の国よりもアメリカで人気があるのは、そのせいかもしれない。新しいもの好きで、典型的なものを好まないリスナーが多いから。

エリック・ボダンが演奏するメロディ・ハープ(簡単にメロディを奏でられる小型のハープ)が多くの曲で使われていて、その円やかでキラキラした音色がアルバムのカラーにも影響を与えていると思います。どのようなアイデアでこの楽器を取り入れたのですか?

YN:最初は冗談だったのよ(笑)。スタジオにたまたまあって。珍しい楽器が目の前にあると、弾きたくなるのがミュージシャンの性分だから(笑)。それで弾いてみたら、「いいね、レコーディングしよう!」って。最終的にはほとんどの曲で使って、このアルバムの象徴みたいなサウンドになった。曲と曲を繋ぐ役割を果たしてくれていると思う。

後半は “ホエア・ユー・ビロング”、“ステイ・ライト・ヒア”、“ウォーター” とメロウで内省的な曲が続くのですが、この流れは何か意識したところがあるのですか?

YN:バンドの間にそういう感情が漂っている時期があるのよね。内省的で、回顧的な感情が。生死とか、変化について考えたりとかね。だからこのあたりの曲には、バンドのそういう雰囲気が反映されてる。その一方で “アー・ユー・フィーリング・サッド?” とか、“ホールド・オン” とか、明るい曲もある。そのバランスを見るようにはしたわ。前半は明るくて、後半は暗い。A面とB面みたいな感じで、両方楽しめるようになってるの。

最後にニュー・アルバムに関してどんなところを聴いて欲しいかなど、ファンに向けてのメッセージをお願いします。

YN:アルバムを最初から最後まで、トラック・リストどおりに聴いてほしい。人生を旅してるような気持ちでね。意味は自分で作ってもらって構わない。私も自分にとっての意味を心の中に持っているし、自分なりの意味を持つアルバムを聴くのは、安心するものだから。

Zebra Katz - ele-king

 マイケル・フランティとロノ・ツェによるザ・ビートニグスやジーザス&メリー・チェイン“Sidewalking”など、1988年はインダストリアル・ヒップホップが生まれた年だった。アフリカ・バンバータとジョン・ライドンのタイムゾーン“World Destruction”が最初だという人もいるけれど、あれはどう考えてもインダストリアル・エレクトロ。クロームやキャバレー・ヴォルテール、あるいはDAFやスロッビン・グリッスルによるストイックでファナティックなインダストリアル・エレクトロを陽気な世界に解き放ったという意味で“World Destruction”は大きな分岐点をなすけれど、ここでは割愛。ジーザス&メリー・チェイン“Sidewalking”はラヴ&ピースに湧くレイヴ・カルチャーにダンス・ノイズ・テラーというカウンター・パートを促し、エイドリアン・シャーウッド率いるタックヘッドがその中核的存在だった。アルバム1枚で解散してしまったザ・ビートニグスはいわゆる発展的解消を遂げてディスポーザブル・ヒーローズ・オブ・ヒポプリジーとして少し路線を変え、92年にニューヨークで観たライヴはちょっと物足りなかったことも覚えている。ザ・ビートニグスに対して膨れ上がった虚像はその後もミート・ビート・マニフェストー、レニゲイド・サウンドウェイヴ、アレク・エムパイア、ココ・ブライス、ヴェッセル、クリッピングアレキサンドル・フランシスコ・ディアフラと続き、いまだに僕はインダストリアル・ヒップホップから逃れられない。黒人と白人の価値観が極端な形でクラッシュしている状態に強く惹かれてしまうからだろうか。ナイン・インチ・ネイルズもファーストは好きだし。

 そして、まさかこの流れにジブラ・キャッツが加わるとは思わなかった。ジブラ・キャッツことオージェイ・モーガンは2012年にディプロの〈ジェフリーズ〉から“Ima Read”でデビューしたダンスホールMC。この曲は当時、ファッション・ショーなどにも使われ、彼自身もグレース・ジョーンズをリスペクトするなどとてもファッショナブルな存在なので、そのまま一気にメジャーな存在になるのかと思ったら、その後の活動がどうもヘンだった。ジャマイカ系アメリカ人の彼はアメリカで大きく出るよりはイギリスの音楽に心惹かれるものがあったようで、グライムやベース・ミュージックを好むようになり、リリースもどんどんアンダーグラウンド化していく。かなりナゾのレーベルだったフィンランドの〈シグナル・ライフ〉から(フランスではその手の草分けとなった)フレンチ・フライとのカップリング・シングルまでリリースし、暗く沈み込むような“Sex Sellz”(13)はあまりに異様な曲だったので“Ima Read”の路線に戻ってくれ~とさえ思ったほど。この曲はちなみにレーベル・オーナーのティース(Twwth)によるリミックスがなかなか良いです。2014年からはディプロの〈マッド・ディセント〉に戻ってエルヴェやレイラとジョイント・シングルをリリースし、それきり姿を見ないと思ったら彼はゴリラズのツアー・メンバーに加わっていたという。ぜんぜん知らなかった。


 “Ima Read”から8年後となったデビュー・アルバムが、そう、驚いたことにインダストリアル・ヒップホップに様変わりしていたのである。冒頭からズガガガとノイジーにインダストリアル・パーカッションが打ち鳴らされ、まるでスロッビン・グリッスルかザ・ビートニグスのようで、“Sex Sellz”でも最低限度は保たれていたオシャレのラインは軽く踏み越えられている。ラップというよりはぶつぶつと語りかけるようにつぶやくのが最初から彼のスタイルで、それが不穏なサウンドトラックを得ることでこれまでになかった迫力を帯びている。歌詞の内容はダンスやセックスに関することが多いらしく、「赤面(Blush)」とかクンニリングスを思わせる曲名(Lick It N Split)が並ぶので、もしかするととても官能的な効果を高めているのかもしれない。“Monitor”ではダークなシンセ~ポップ、“Zad Drumz”ではジャングルやなども取り混ぜつつ、“Necklace”ではいきなりアシッド・フォークが来て、シンプルなトライバル・ドラムだけでドライヴさせる”In In In”や“Sleepn”が個人的には好み。”Moor”はそれこそレニゲイド・サウンドウェイヴを思わせる。そう、アルバム・タイトルの『Less is Moor』とは何だろうか。「Less is More」ならミニマリズムが流行っている現在、より少ないことが豊かさにつながるという意味だし、それに引っ掛けていることは明白だけれど、「More」ではなく「Moor」である。ムーア人のことであれば、北アフリカのブラック・ムスリムを表し、レイラとのシングルも「Nu Renegade EP」というタイトルだったので「レニゲイド=(キリスト教から)イスラム教への改宗者」という意味もあるから、より少ないことで二グロになれる」とか、そんな感じなのかなと。

 ……と、思い悩んでいたら、坂本麻里子さんからインタヴュー・マガジン(Interview Magazine)でムーア・マザーがジブラ・キャッツのインタヴューをしているよという情報が。それでピンと来た。『Less is Moor』をリリースしているのはムーア・マザーのセカンド・アルバム『The Motionless Present』をリリースしていた〈ヴァイナル・ファクトリー〉である。彼女の名前と掛けていたのである。インタヴューというよりはかなり雑談に近い2人のやり取りを読んでいると、それはますます確信に変わった。ムーア・マザーもジブラ・キャッツの作風が変わってしまったことに触れ、「ファック・ユー」度が少し増したと指摘している。アルバム・タイトルの真相はゴリラズのツアーに参加したことで、ジブラ・キャッツを取り巻く環境がかなり変化し、彼は自分もスタッフを増やして大掛かりな組織を組まなければやっていけないと感じたことに由来し、それを前提に様々な仕事のオファーが来るようなになったものの、それでも自分は最小限の機材や人数でやっているんだということを示したものだという。オープニングは“Intro To Less”、そして、充実した音楽を楽しんだリスナーはエンディングで”Exit To Void”へ投げ出される、という構成。なかなかの自信ではないだろうか。ムーア・マザーも「2曲ほどリミックスしたい曲がある」と告げるなどアルバムへの共感を様々に示している。また、同じインタヴューでジブラ・キャッツの作品が大きく変貌を遂げた裏にはシーガ・ボディーガ(Sega Bodega)というプロデューサーの存在が大きいと彼が話していたので、ほぼ同時にリリースされた『Salvador』(Nuxxe)というアルバムも聴いてみたところ、これもまた奇妙な内容のものであった。“Lick It N Split”にフィーチャーされているシャイガールも去年から気になっていたファッション系のラッパーで、おー、こんなところでつながるのかーという感じ。

 インダストリアル・ヒップホップ・ネヴァー・ダイズ!ということで。

実際に、今ほど魅力的で「プログレッシブ」な瞬間もないでしょう。
なぜなら、問題は「どうやって支払うのか」ではないと示されたからです。アレクサンドリア・オカシオ=コルテス議員

 「財政の絶大な力」を、今こそ発揮させるべきだ。

 この国はずっと死にかけていたのに、コロナ恐慌を機に覚醒したかのように、「政府はもっと金を出せ」と言う人たちが突如として増えた。新聞やテレビの報道でも「現金給付」や「消費減税」を求める視聴者や識者、コメンテーターの声が伝えられ、彼らが「ポピュリズム」だと揶揄して憚らなかった積極財政を後押しし、財政の門番ケルベロスのように座して動かなかったプライマリーバランス(基礎的財政収支)を覆そうとしているようだ。NHKでさえ「新たな借金に頼らざるを得ない状況と言えそうだ」として、緊縮財政の宣伝機関としての看板を下ろそうとしている。

 しかし、彼ら緊縮財政派の脳内にあった「財政破綻の危機」は一体どこに行ったのだろうか。コロナショックが訪れる前は--たとえ消費増税不況の最中にあっても--あんなに「国民一人当たりの借金は900万円」だと財政危機を煽っていたのに、たいした変わりようである。

 彼らの論理に則れば、政府が今般の不況対策として考える数十兆円規模の赤字国債を発行し、財政出動してしまったら、財政が破綻してしまうのだろうから、たとえ親の会社が倒産し進学を諦める子どもが増えようが、借金が膨らみ自己破産する人が増えようが、所得を失い首をくくる人が増えようが、何を置いても、赤字国債の発行と財政出動を阻止しなければいけないはずだ。でなければ、将来世代にツケを残すことになるからだ。

 ところが彼らはそうしてはいない。いったい、どういうことだろうか?

 これは、例え国債を発行して何十兆円も財政出動したとしても、彼らが従前からプロパガンダしていた「財政破綻」や「ハイパーインフレ」、「円の信認の毀損」などということは、絶対に起こらないことを、彼ら自身が認めてしまったかっこうになるだろう。

 多くの人が、政府の予算は集められた税金の中から支出していると勘違いしているが、実際の政府会計はそうなってはいない。今回のコロナ恐慌で明らかになったように、政府は税金という財源などなくても、自由に支出している(もちろん国債も税金で償還されてはいない)のだ。

 日本での経済対策費は15兆程度と予測されている--これは後程批判するとして--が、アメリカでは220兆円という前代未聞の巨額の経済対策を予定しているという。

 それもそのはずだ。アメリカのセントルイス連邦準備銀行のブラード総裁は、コロナ対策のための閉鎖行動により、米国の失業率が4~6月期に30%に達する可能性があり、GDPは50%低下するとの予測を3月22に発しているが、それほどのショックをもたらす未曾有の大恐慌がやってこようとしているためだ。

 この昨今の世論の変わりようについて、AOC(オカシオ=コルテス議員)とサンダース大統領候補の経済顧問・ケルトン教授の、3月24日のTwitterでのやりとりから要旨を少し抜き出そう。

事実として、今ほど魅力的で『プログレッシブ』な瞬間もないでしょう。
なぜなら問題は『どうやって支払うのか』ということではなかったと示されたからです。
政府に支払う能力があるかとか、兵站がうまく機能しなければならないという問題も、最初からなかったのです。
我々が今まで他人を人道的に扱ってこれなかったこれらの言い訳が、なぜ、突然煙の中に消え去ってしまったのでしょうか。 オカシオ=コルテス議員

経済への打撃を和らげるために、誰も2兆ドルの支出パッケージを税金で払おうなどと考えないでしょう。
もし税金で払おうとするのなら、それは狂気です。

政府は税金を原資とせず、インフレにならない限りは連邦支出を拡大できるのです。

議会は、財政支出法案を通したあと、FRBに特定の銀行口座に金額を書き込むように指示するだけです。
しかし、政府はその事実を認めませんでした。代わりに、すべてを「税金で支払う必要がある」と偽ったのです。ステファニー・ケルトン教授

 この二人は3/20のThe Interceptのラジオ番組でも対談し、コロナ恐慌に対する具体策も語っているので、ここからも要旨を抜粋する。AOCの言う魅力的で『プログレッシブ』な瞬間とは、どういうことだろうか。

インシュリンが買えず、苦しみ死にそうな人がいるのは今も、そして以前も同じです。
今、医療保険の欠如を緊急事態と考える人たちには、なぜ1ヶ月前、半年前、そして1年前に緊急事態ではなかったと考えたのかと問いたいです。
アメリカは死にかけていたのです。対処療法ではなく恒久的措置が必要です
問題の多くが相互密接であるため優先順位を付けるのは難しいですが、債務モラトリアムやUBI(ユニバーサル・ベーシックインカム)も講じる必要があります。そして今は出血を止めることが先決ですので、全ての働く人々への小切手給付も併せて必要です。
オカシオ=コルテス議員

今提案されている1兆ドルで不十分なら、さらに用意する必要もあります。
対策には二つの重要なことがあり、まず家計の現金流入を増やすこと、そして現金流出を止めることです。
企業の従業員に対する支払いのサポートや直接の現金給付も大事ですし、家賃や住宅ローン、納税や社保料、学生ローンの支払いのモラトリアムも重要です。
光熱費、住宅ローン、家賃、健康保険料をどれだけ猶予できるかによりますが、1兆ドルの対策では小さすぎるかもしれません。
3700万の雇用が来週には失われようとしている、カタストロフィーが雪崩になって押し寄せるのですから、できることは全てやるべきです。
ステファニー・ケルトン教授
出典:How to Save the U.S. Economy, With Alexandria Ocasio-Cortez and Stephanie Kelton

 また、上記のやりとりは筆者のブログでもまとめているので、興味あれば参照願いたい。

 AOCやケルトン教授は、政府や人々が、全ての人々の人権を再認識し、その権利としての医療や教育、社会保障制度を整備していくべきだと訴え、それこそが「プログレッシブな瞬間」だと捉えているようだ。

 日本に関しても、緊縮財政や消費増税でデフレ化した経済、そして自由貿易や規制緩和などのネオリベ政策によって、社会的資本はないがしろにされ、庶民の富を搾取し、富裕層がより富を貯めこむような、危機に脆弱な社会構造が作られてきた。公務員数は半数に削減されたばかりか非正規公務員は激増した。医療や社会保障費は削減され、感染症対策の要となる国立感染症研究所や地方衛生研、保健所の数や予算、そして大学の科学研究費や病院のベッド数までもが削られてきた。その結果、この20余年で国民の所得の中央値は120万円も減少し、貯蓄ゼロ世帯は全体の4割にも届こうとしている。独身女性の3人に1人が、子供の7人に1人が、そして高齢者の4人に1人が貧困となる格差社会が形成された。

 我が国はありとあらゆるものを「無駄」と判断し削減してきたが、国の「店じまい」でもするつもりだろうか。何かを無くすということは、そこで生まれる需要やGDPが消えてなくなるということだ。物事に過剰なまでの優劣をつけた結果、弱者が搾取され、格差が拡大したことは火を見るより明らかではないか。

 この国に生きる人々は、国を豊かにするための最も重要なリソースだ。それは優れた能力を持たない人間や、障碍を持つ人たちであっても同じだ。彼らには消費し、総需要を高めるという他に代えがたい能力がある。無駄なものなどない。それが今、その弱い立場の人たちを中心に悲惨な状況に追い込まれているのだ。

 未曽有の危機を前にした今になって、ようやく現金給付や消費減税すべきだといった積極財政を求める声が上がっているが、MMTerやポストケインジアンが言うように、最初から、国家の予算には上限などはなかった。

 ケネディ大統領とノーベル経済学賞を受賞したトービン教授も、1960年代からその事実を理解していた。「財政赤字も政府債務も、本来はインフレにならない限りはどんな規模でもいい。それ以外はタワゴト」なのだ。


出典:山本太郎街頭記者会見より

 危機の今だからこそ、誤り続けてき認識を変え、社会構造を転換しなければならないだろう。

 ケルトン教授と同じくMMTの創設者であるビル・ミッチェル教授(ニューカッスル大)は以下のように発する。

日本政府は、財政均衡論を振りかざすテロリストのような人たちの餌食になってしまった。テロリストたちは執拗に、(赤字国債を発行すると)財政破綻する、債券市場から見放されると主張して、それを国民に浸透させようと嫌がらせを続けてきた。
ビル・ミッチェル教授

 ミッチェル教授の言うテロリスト達によって、我が国は世界から「Japanification=日本型デフレによる経済停滞」と反面教師にされる存在にまで成り下がった。ハーバード大学元学長で米国の財務長官も務めたサマーズ氏の発言も以下に引用しよう。

パンデミックにより米国の経済は「Japanification」に直面した。
米経済には財政出動を半年も待つ余裕はない。
一段と積極的な財政政策が必要だ。
ローレンス・サマーズ元財務長官

 世界は今、コロナショックに端を発した大不況を経験しているが、Japanificationの重篤患者である日本では、昨年から、10~12月期のGDPがマイナス7.1%にも落ち込むという消費増税不況が始まっていた。そして今、コロナウィルスの感染爆発が待ち受ける。加えて、東京五輪が延期されることが決まり、その経済的余波も訪れるだろう。諸外国の何倍もの大きさの大恐慌が予測されることを忘れてはならない。

 しかし日本政府がその緊縮の呪縛を解き、苦しむ人々のために、そして国民経済のため対策を立てているとはとても思えない状況だ。

 3月25日現在、日本政府が予定する経済対策は総額で約15兆円と予想され、検討されてきた給付金政策には年収の条件等をつけ、現金ではなく商品券を配るという案に落ち着こうとしている。また消費減税は見送られ、休業補償の申請条件にも厳しいハードルが設けられる。

 こういった状況に対し、自民党の安藤裕議員を中心とするグループ、また国民民主党れいわ新選組の山本太郎氏共産党、そして立憲民主党の福田昭夫・落合貴之議員を中心とするグループは、政府に対し消費減税と積極財政を求めた。緊縮派と揶揄されてきた立憲の逢坂誠二議員でさえ、50兆円規模の対策の必要性に言及している。

 与党の非主流派と野党の非主流派が次々に声を上げる状況となっているが、この動きを絶対に政府を動かす国民運動とするべきである。今回のコロナ恐慌を機に、経済と社会のあり方を変革し、Progress(前進)させなければならないことを我々は学んだ。3月24日のツイッターでは、「#現金よこせ」というタグがトレンド入りしていたが、国民の声は明解なのだ。「財政の力」が絶大であることを、今こそ知らしめるべきだ。

今、何が起こっているかを見て、そして学んでください。
この危機を乗り越えたとき、私たちは、通貨発行政府の支出能力について、理解を向上させ、新しい境地を見るでしょう。
そのことがもっと必要になるのです。
ステファニー・ケルトン教授

最後に、我が政府に対して、私達市民が財政主権を有することを伝えるための署名ページを二つご紹介したい。

1)「消費税・新型コロナショックへの緊急財政出動を求めます」2020年3月22日薔薇マークキャンペーン提言
https://rosemark.jp/2020/03/22/rose_shock-1/

2)日本ベーシックインカム学会による「国債を財源に全ての国民に20万円ずつ給付する緊急提言」
https://onl.tw/bu3HybH

 4月1日~3日のスクエアプッシャーの「JAPAN TOUR 2020」3公演、4月17日~18日のボノボ(+ジョン・ホプキンス)の2公演、4月21日~23日のサンダーキャットの「JAPAN TOUR 2020」3公演が開催延期となった。新型コロナウイルスによる海外渡航中止/制限を受けてのこと。楽しみにしていたファンも多かったし、編集部も残念でならないが、こればかりは仕方がない。ただし、主催者によれば振替公演を開催すべく現在調整中のことで、チケット購入者はそのまま同チケットが使える。また、払い戻しも可能で、その対応に関しても現在調整中とのこと。いずれにしてもチケットはそのまま保管するように。
 周知のように、ほかにもこの手の来日中止は相次いでいるし、国内のミュージシャン/DJの多くがギグのキャンセルをしている。そしてオリンピックの延期がほぼ決まった昨日、手のひら替えしで小池都知事は感染予防の対策を強化する考えを示した。場合によっては都市封鎖の可能性もあるという。安部首相のオリンピック対応もそうだが、残念なことに海外から言われなければ動けない日本が相変わらずいまもある。
 破壊的な被害で窮地に面しているイタリアでは人々が歌を歌っているように、音楽はこんなときの救いだ。音楽は家で聴くことができる。お金の余裕のある人はCDやレコードを買って、スクエアプッシャーと来月発売のサンダーキャットの素晴らしい新作を聴こう。
 あらたな開催日程は決まり次第、BEATINKのホームページで発表される。たいへんだろうが(みんなたいへんだ)、ガンバって欲しい。

「Acid Mothers Temple vs COVID19」大作戦 - ele-king

 新型コロナウイルスの感染拡大により多くの国々でロックダウンが始まるなか、アシッド・マザーズ・テンプルは外出を制限されている人々のため、「Acid Mothers Temple vs COVID19」大作戦と銘打ち、コロナ狂騒の期間限定で過去にリリースした全作品をYouTubeにアップした。
 故ジェネシス・P・オリッジをはじめ世界中に熱狂的なファンを持ち、4月からの北米ツアー中止という苦渋の選択をしたばかりのAMTからの太っ腹な贈り物(その数およそ90タイトル!)とともに、この苦しい季節を乗り切ろう。

Acid Mothers Temple vs COVID19

4月9日から予定されていたAcid Mothers Templeの北米ツアーは、コロナウイルス拡散の渦中、最後の最後まで状況を静観し熟慮検討した結果、大変残念ながらキャンセル、延期と決定いたしました。
しかし今や全世界レベルでコロナウイルスが拡散し、各地で外出自粛、商業施設の休業閉鎖、イベントのキャンセルが相次ぐ中、Acid Mothers Templeから、外出自粛を強いられる皆様へ、ささやかな贈り物として、過去にリリースした全作品の音源を、このコロナ騒動の期間限定で、Youtubeへアップロードすることにしました。ライヴ活動を通し、我々の音楽を求める方々へ、直接届けられない現状だからこそ、この機会に我々が過去にリリースした膨大な作品群を、インターネットを通し、自由に聞いていただけるようにと思い立った次第です。この先もまだどうなるのか全く予想がつかない状況ですが、せめて我々の音楽が、今世界にあふれまくる不安を、少しでも払拭する手助けになることを祈って。


As the spread of the coronavirus continues to escalate, after careful observation and considered thought we have very reluctantly decided that we must cancel and postpone the Acid Mothers Temple North American tour that was scheduled to begin on April 9.

As the virus spreads across the globe, self-isolation and compulsory quarantine measures have been put in place in many countries, and concerts and other events are being cancelled as venues and businesses pull down the shutters. But as a small gift to everyone currently in isolation, for the duration of the pandemic we have decided to upload all of our previous releases to Youtube. In the current circumstances it is sadly impossible for us to bring our music to our fans live, but we hope you will get some solace and enjoyment from it on the internet instead. Who knows where the world goes from now, but for now we offer a prayer that our music, even in a small way, may help to counter the globally rising tide of anxiety.

Acid Mothers Temple Official YouTube Channel
https://www.youtube.com/channel/UCeRTV_iOE_loRiMciVwur-w/videos


R.I.P. Gabi Delgado(ガビ・デルガド) - ele-king

 ガブリエル・デルガド・ロペス、通称ガビ・デルガドが3月22日に死去していたことが複数の海外メディアで報じられた。61歳だった。死因は現在のところ公表されていないようだが、彼のキャリアにおけるもっとも有名なプロジェクト、DAFの相方だったロベルト・ゲイルが彼の死を確認しているという。
 ガビがヴォーカルを務めたバンド、DAF(ドイチュ・アメリカニシェ・フロイントシャフト )は、1978年にドイツで結成されたパンク・バンドであり、やがて磨かれるその際だったサウンド──言うなればジョルジオ・モロダーのパンク・ヴァージョンとも喩えられるエロティックかつパンキッシュなエレクトロニック・サウンドによって一世を風靡した。その影響はボディー・ミュージックからデトロイト・テクノ、ウェストバムから石野卓球などじつに広範囲にわたっている。

 DAFに関しては、1979年のファースト・アルバム『Produkt Der Deutsch-Amerikanischen Freundschaft』から第一期の最終作となった5枚目の『Für Immer』までのすべて必聴盤だが、1枚選ぶとしたら3枚目の『Alles Ist Gut』だろうか。ドイツ語のヴォーカルで「アドルフ・ヒトラーで踊れ」と挑発する彼らの代表曲“デア・ムッソリーニ”は、DAFそしてコニー・プランクの3人が作り上げた強力なエレクトロ・パンク・サウンドで、極度にマシナリーなリズムと凄まじいエロティシズムが混じり合う(まさにJ.G.バラード的な)並外れた曲のひとつである。
 名曲はたくさんある。最初は7インチ・シングルでしか聴けなかった“ケバブ・トラウム”は、のちの12インチ・ヴァージョンもふくめ人気曲のひとつだ。トルコ移民を排斥しようとするネオナチへのしたたかなカウンターだが、DAFの素晴らしいところは、そうしたきわどい政治性もエロティシズムとユーモア(ポップのセンス)に包んでしまうところだった。もちろん“Liebe Auf Den Ersten Blick ”を忘れるわけにはいかない。4枚目の『Gold Und Liebe』に収録された曲で、当時このPVを見たときには本当にぶっ飛ばされた。サウンドも動きもほかのパンクとはまったくの別モノである。

 スペイン生まれであるガビがラテン(ファンク)にアプローチしたソロ・アルバム『Mistress』も名盤であり人気盤だが、ぼくはDAF解散後のデルコム(Delkom)も好きだった。スエーニョ・ラティーノに触発されたであろう、サバ・コマッサなる女性とのプロジェクトのひとつで、1990年に発表された「Superjack」はラテン・クラフトワーキッシュ・アンビエント・ハウスの名作だ。ここでも機械へのフェティシズムとエロスとの融合が見事に具現化されている。
 
 DAFは卓球主催の〈WIRE〉にも出演しているが、ぼくは2014年の来日ライヴにも行った。ライヴは往年のヒット曲のオンパレードだったが、そこにガビ(とゲール)がいるだけでぼくは満足だったし、そこいた人たち全員もそうだったに違いない。ガビはたくさんのフォロワーを生んでいるが、結局のところそれは彼らにしかできなかった音楽だったし、いまだにDAFのようなバンドなどいないのである。

野田努

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 戦争があったことを忘れたがっている時期があった。矢作&大友の『気分はもう戦争』はそういうことに苛立ちを覚えて描かれたマンガであった。「『戦争を知らない子どもたち』を知らない子どもたち」という揶揄まで飛び出し、冷戦末期ともなると戦争は確かに現実味に乏しい行為であり、感覚でもあった。リリアーナ・カヴァーニ監督『愛の嵐』(74)に影響されて沢田研二やパタリロがナチスの制服を着てもとくにお咎めはなく、『トップ・ガン』や『ランボー』といった戦争映画もアクションを見せるための「背景」でしかなかった。ところが欅坂46がナチス風のファッションでデビューした際、世界規模で避難が巻き起こったことは記憶に新しく、第二次世界大戦を扱っているにもかかわらず『野火』のリメイクや『サウルの息子』の方が現代にとって切迫感や現実味を増していることは確かである。復興が最優先の時期には戦争のことは積極的に忘れたかったのかもしれない。そして、豊かになってから呼び覚まされる政治意識というものがあり、どこかでそれは入れ替わったのである。どこが転換点だったのだろう。僕はパンクもひとつのきっかけだったと思う。セックス・ピストルズがナチスの腕章を付けたスージ・スーたちとテムズTVに出演し、スロッビン・グリッスルはアウシュビッツ収容所を曲の題材とした(前者が”No One Is Innocent”でナチスの生き残りをベースに起用したというのはさすがにウソだった)。そして、ドイツではDAFが「Der Mussolini」をリリースした。タイトルはムッソリーニだけれど、歌詞にはアドルフ・ヒトラーがフル・ネームで5回も出てくる。それ以上の内容はなく、政治思想と呼べるものとはほど遠い。とはいえ、ドイツでアドルフ・ヒトラーの名前を歌詞にのせることはかなり挑発的なことだったはず。日本では角川文庫で普通に読めたけれど、2016年にバイエルン州が歴史の資料として『我が闘争』を復刊しようとした際もすさまじい論争が巻き起こり、ドイツでヒトラーに言及することが尋常ではないことを窺わせた。それを1981年に22歳のガビ・デルガドーは大胆にもやってのけた。♪ムッソリーのダンス、アドルフ・ヒトラーのダンス、ジーザス・クライストのダンス、共産主義のダンス、右に、左に、腰をくねらせ、手を叩く!

 DAFを先頭グループとするノイエ・ドイッチェ・ヴェレは全体に政治意識が強かった。パレ・シャンブルグは西ドイツの首相官邸の名称だし、アインシュツルツェンデ・ノイバウテンは活動の起源がそもそもスクウォッターズ運動に由来する。70年代にもバーダーマインホフのような政治運動と結びついたアモン・デュールや労働問題を背景にしたと思われるクラフトワークの『Man Machine』もあることはあったけれど、大半はタンジェリン・ドリームやアシュラなど逃避傾向の音楽に傾いていた。それらが一転してノイエ・ドイッチェ・ヴェレでは覆り、「独米友好」を名乗るDAFも戦後のドイツがアメリカに依存しすぎていることを皮肉ったネーミングだと推測させるものがあり、DAFという頭文字はナチス政権下の労働組織だった「ドイツ労働戦線(Deutsche Arbeitsfront)」とのダブル・ミーニングを狙ったものとしか思えない。明確な政治目標のようなものはなくても、豊かになった社会に少しでも波風を立てたい。あるいは逃避的な音楽が社会との接点を持ちたがらなかったのとは対照的に、ドイツに限らず世界中のパンクやニュー・ウェイヴはヒッピーとは逆に社会の注目を集めることに肯定的だったという価値観の転換にも誤差はなかったので、DAFも例外ではなく、最も効率よくそれに成功した部類に入るといえるのではないだろうか。とはいえ、DAFの歌詞は政治に比重が置かれていたわけではなく、官能的なものの方が多く、「アメリカのTVにプレスリーが現れた」ようなルックスや効果が与えたショックも大きかったことだろう。ピナ・バウシュのように官能性をいっさい排除したバレエが好まれる国であり、ドイツ産のポルノは世界中のどの国にも売れないと言われてしまうわけだから。

 “Der Mussolini”が収録されたサード・アルバム『Alles Ist Gut』は最高にカッコよかった。シンプルで威圧感も適度にあり、身体性を突出させたところが他のノイエ・ドイッチェ・ヴェレにはない魅力だった。シークエンスされたベースと生ドラムのズレも気持ちよく、パワーを全開にするだけでなく、“Der Räuber Und Der Prinz”のように力を溜め込むようなアレンジを施すことによって抑制された官能性を引き出した曲もまたよかった。だけど、僕はその直前に唯一のトリオ編成で録音された”Tanz Mit Mir”がいまだにベスト・ソングである。DAFがパンクだった時代の名残りをある程度フォーマット化し、疾走するリズムを追いかけるようにかき鳴らされるヴォルフガング・シュペールマンのひしゃげたギターが小気味好く神経を刺激する。この編成でアルバムが1枚あってもよかったよなと僕はいまでも思い続けている。そうすればDAFがパンク・バンドとして残す知名度ももう少し上がり、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレのイメージももう少し分かりやすいものになったのではないかと。4人編成から2人に人数を減らし、3枚のアルバムをヴァージンに残したDAFは6作目となる『1st Step To Heaven』で、さらにサウンド・スタイルを変えていく。生ドラムを捨て、当時でいえばヒューマン・リーグやプロパガンダを追うようにしてシンセ~ポップに切り替えたのである。ミックス・エンジニアとしてこのアルバムに参加したトム・シィエル(後にサン・エレクトリック)に聞いた話では、このアルバムはほとんどガビ・デルガドーが単独でつくり上げたものであり、ロベルト・ゲールは(クレジットはされているものの)何もしなかったに等しかったという。通訳を介して聞いた話なのでニュアンスには自信がないけれど、ガビ・デルガドーはそれだけ責任感が強いとシィエルは訴えたかったようにも聞こえた。そして、その経験はおそらくガビ・デルガドーに次の時代をもたらすことになった。

 トム・シィエルの言葉を信じるならば『1st Step To Heaven』でドラム・プログラミングに取り組んだのはガビ・デルガドーであり、ヴォーカリストだった彼が機材と格闘したことは想像にかたくない。“Voulez Vous Coucher Avec Moi Part II”にはラべルのクラシック“Lady Marmalade”もサンプリングされ(ハッピー・マンデーズが“Kinky Afro”で丸パクリしたアレである)、1986年とは思えない技術の駆使である。『1st Step To Heaven』には収録されず、DAFにとってラスト・シングルとなった「The Gun」(87)にはハウスと表記されたリミックス盤もある(どちらかというと、これはニュー・オーダー“Blue Monday”などを混ぜたディスコ・ヴァージョン)。87年の時点で、つまり、J・M・シルクの“Jack Your Body”がリリースから1年をかけてイギリスのヒット・チャートで2週に渡って1位となり、ハウス・ミュージックがオーヴァーグラウンドで初めて認知された年にはガビー・デルガドーはハウスに興味を持っただけでなく、自らハウス・リミックスにも手を出し、ベルリンで最初にハウス・パーティを開いたとされ、翌年春にはDAFのバック・カタログから“Liebe Auf Den Ersten Blick”をジョセフ・ワットにリミックスさせるところまで一気に突き進んでいる。そして、「The Gun」から大袈裟なシンセサイザーのリフを取り除き、ベース主体のトラックとして生まれ変わらせたものを2年後にデルコム“Superjack”としてリリースする。DAFが2人になった時も引き算がネクストを生み出したとしたら、ここでも余計なトラックを間引いただけで次の段階に歩を進めたのである。ただし、“The Gun”から“Superjack”に至るまでには意外と長い試行錯誤も続いている。ガビー・デルガドーとサバ・コモッサが最初にタッグを組んだらしきFX名義“Freak”はソウル・サーチャーズを思わせるゴー・ゴーとニュー・ビートの中間のような曲調で、『Alles Ist Gut』に対する郷愁がほの見えるし、〈ロウ・スピリット〉からとなった2ハード・アウト・オン・ハイ名義“One Good Nite On Hi87”はエレクトロを基調とし、それこそトーマス・フェルマンズ・レディメイドのパクリっぽい。2ラティーノ・ジャーマンズ、フューチャー・パーフェクト、フューチャー(Futur)、アンティ~タイムと、なぜか曲を出すごとに2人は名義を変え、ようやくデルコム名義でアルバム『Futur Ultra』に漕ぎ着ける。しかし、これは808ステイトやジョーイ・ベルトラムがレイヴ・カルチャーをハードな様相へと向かわせた1990年には少し合わないものになっていた。この時期の2年間はあまりにも物事が急速に展開していった時期だった。

 91年にデルコムは2ラティーノ・ジャーマン名義で“Viva La Droga Electronica”をベルリン・トランスの〈MFS〉からリリースする。これはとても興味深いことで、89年にノイエ・ドイッチェ・ヴェレからダンス・カルチャーへと乗り換えた「先駆者たち」を集めたコンピレーション『Teutonic Beats: Opus Two』のラインナップを眺めてみると、簡単にいえばパレ・シャンブルグからトーマス・フェルマンやモーリツ・フォン・オズワルドが紆余曲折を経たものの最終的にはデトロイト・テクノを目指し、DAFがトランスに向かったという流れが見えてくる(新顔ではウエストバムやマイク・インクことヴォルフガング・フォイトも参加)。決定的だったのは94年にやはり〈MFS〉からリリースしたヴーヴ・デルコム・フォース名義“Generate Eliminate”である。それこそ808ステイトやジョーイ・ベルトラムの後を追ってハード・トランスにも手を出したとしかいえない曲で、デルコムと組んだヴーヴはリエゾン・ダンジュオーズ解散後にベアテ・バーテルがグトルン・グートと組んだマタドールでもミックスを担当するなど、この時期の要注意人物である。パレ・シャンブルグはホルガー・ヒラーがいたこともあって諧謔性のイメージが強かったし、骨太で官能的なリズムに執着のあると思えたDAFがトランスに向かうというのは、なんというか、逆ではないかという疑問を僕は長いこと拭いされなかった。それこそDAFはリズムだけを突出させたスタイルがボディ・ミュージックを生み出したと考えられていることもあり、リズムに工夫のないトランスに落ち着くのは納得がいかなかったと。しかし、おそらくそのようなイメージの元になっているのはロベルト・ゲールのドラムであって、ガビ・デルガドーには実はリズムに対する深い執着はなかったのかもしれない。ガビー・デルガドーがこだわったのはいつでもスタイルであり、ルックスが重要な要素だったDAFもそうなら、ハウスに手を出した動機も同じだったに違いない。そのことが最も強く表れているのはガビ・デルガドーにとって唯一のソロ作となった『Mistress』(83)である。あの時、彼はブリティッシュ・ファンクのブームに乗ろうとしたのだろう。彼は、そして、それを本当にカッコよく決めたと思う(あのジャケットにやられて僕はアロハ・シャツを集め始めるようになってしまった)。

『Mistress』というアルバムは、スイスに移住して作られたアルバムで、ドイツでは売れずに日本ではかなり売れたらしいけれど、ジャーマン・ファンクの伝統という耳で聴くと、70年代のファンク・ブームを支えたクラウス・ヴァイスの昔からベルリン・スクールやジャーマン・トランスを経て、現在のヴォルフ・ミュラーへと続く、揺れのないリズムを志向するドイツの国民性をあまりにも明瞭に浮かび上がらせ、その迷いのなさにはたじろがざるを得ない。ひと言でいうと音楽的にはあまり大したものでないにもかかわらず、スタイルだけで引きずり倒していく快感を教えてくれたのが『Mistress』だった。複雑な音楽性に耳が慣れていくことだけが音楽鑑賞ではない。デザインや時にははったりも音楽文化を構成する大事な要素である。そう、ブルー・ロンド・ア・ラ・タークやキッド・クレオールでは最後のところで満足のいかなかったラテン・ファンクのインチキ臭さをここまで存分に楽しませてくれたアルバムはほかになかった(キッド・クレオールのコーティ・ムンディはパレ・シャンブルグのプロデューサーも務めた)。コニー・プランクがスゴいのかもしれないけれど、ガビ・デルガドーが残したもののなかでは僕はどうしてもこれが最高の1枚であり、2枚の12インチ・シングルは愛聴盤の範囲を超えている。そうでなければフューチャー・パーフェクトやDAF / DOSまで追ってみようとは思わなかったし、『Mistress』でベースを弾いているバイセクシュアルの弟、エデュアルド・デルガドー・ロペスが参加するカスパー・ブロッツマン・マサカーまで追うことはなかった(カスパー・ブロッツマンはピーター・ブロッツマンの息子)。

 ヴーヴ・デルコム・フォースに思いっきり失望させられた僕はその翌々年、意外なところでガビ・デルガドーの名前を聞く。初来日したアレク・エムパイアが、彼の最初のマネージャーはガビ・デルガドーだったというのである。ある日、彼の前に現れたガビ・デルガドーがマネージメントしたいとオファーしてきたものの、アレク・エムパイアはガビ・デルガドーどころかDAFのことも知らなかったという。最初に聞いた時は僕も意外だったけれど、ヴーヴ・デルコム・フォースがハード・トランスをやろうとしていたことや、ガビ・デルガドーがDAFに加入する前はピート・ハインとチャーリーズ・ガールズというパンク・バンドを組んでいたことを知ると、そんなに意外でもないのかと思えてくる。ピート・ハインもノイエ・ドイッチェ・ヴェレのなかでは比較的ノーマルなパンク・バンド、フェルファーベンでヴォーカルを務め、ピート・ハインがファルファーベンを抜けてミタグスポーゼを結成した時にはガビ・デルガドーもDAFと掛け持ちでメンバーを務めていたことがある。ミタグスポーゼは吐き捨てるように「ドュッセルドルフの日本人!」と歌っていたグループで、さすがにあんまりいい気持ちはしなかったけれど、そのような攻撃性をクラブ・サウンドの文脈で実現していたアレク・アンパイアにガビ・デルガドーが惹かれてもおかしくないことは確かだろう。とはいえ、ガビ・デルガドーが本当に考えていたことは僕にはわからない。彼にとって最も大事なことはなんだったのだろう。2003年にDAFが再結成され、ドイツではナショナル・チャートを駆け上がったことや、2010年代には配信専門の〈ガビ・ユーザーズ・クラブ〉を設立して矢継ぎ早に彼はソロ・アルバムをリリースし始めた。そして、生前最後となった曲は“Tanzen(ダンス)”だった。R・I・P。

三田格

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 D.A.F.のヴォーカリストであるガビ・デルガドが逝去しました。この突然の訃報に大変な悲しみを感じております。ガビは、パフォーマーかつソングライターとして、果敢にその表現を前進させ続けてきたアーティストでした。彼は音楽とユース・カルチャーに関してとても強いヴィジョンを持っており、それによってバンドは全てのエレクトロニック・ダンス・ミュージックに多大な影響を与えることができました。その影響は今なお続いています。80年代に入ってMUTEの最初の作品「Die Kleinen und die Bosen」から最近に至るまでの数年間、ガビやD.A.F.と共に働けたことを、わたしはとても誇らしく思っております。D.A.F.のパートナーであるゲールと、彼の家族や親密だった方々にお悔やみ申し上げます。

ダニエル・ミラー(MUTE創始者)

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