「Nothing」と一致するもの

interview with Akira Rabelais - ele-king

 米シカゴ在中の異才アキラ・ラブレー(作曲家、ソフトウェア開発者)にはじめて会ったのは、2007年、デヴィッド・シルヴィアン欧州ツアーに参加した際立ち寄ったドイツ・ケルンでのこと。ツアー中盤、いまだ捉えどころのないデヴィッドから「紹介したいアーティストがいる」と言われ、その「アキラ」という名前の人と––詳細不明のまま––演奏会場に隣接したカフェで落ち合った。「この人とは酒が飲めそう!」と出会い頭に思い、開口一番ツアー中のこと日本でのことなど私事を捲し立ててしまった。アキラさんはその笑止千万な話しをひとしきり聞いてくれた後、ウィットで生き生きとした音楽やイメージを物腰穏やかに語ってくれた。私はその革新的なアイディアに興奮しつつ自分が恥ずかしくなった……。
 別れ際、彼は1枚のカードを手渡してくれた。ツアーバスに戻ってから、その魔術的な抽象画と古代文字が添えられたカードを眺め続けた。プラハに向かう深夜のハイウェイは闇に包まれていて、国境上空では怪鳥が鳴いている。私はその護符(カード)を大切に保管した。
 それから十数年近い歳月が過ぎて、私は偶然、大阪のNEWTONEレコードでアキラさんの再発盤レコードを入手した。その夢幻の響きはときを超えてまったく色褪せることなく、活き活きと私の前に立ち現れてきた。早速アキラさんに手紙を書いた。

 以来、機会ある都度にアキラさんとやり取りをしてきましたが興味が尽きないので、ele-king 野田さんに直談しインタヴューを行いました。ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に起こった抗議活動が全米のみならず世界に広がりをみせる中、2回に分けて取材しました。以下その全文です。

これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。(渡邊琢磨)
作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。(アキラ・ラブレー)

音楽のみならず、開発されたソフトウェアも謎めいた魅力に満ちており、あなたの音楽的バックグランドを推し量ることは容易ではありません。

Akira Rabelais(以下、A):音楽の初仕事は、あるオペラ作品のためにパート譜を作成することだった。最初の給料で彼女にシルクのパジャマを買ったので、そのときのことはよく憶えているよ……音楽やアートとのつながりは、私がテキサス南部育ちということと関係がある。私は人里離れた競走馬の牧場で育った。ハイウェイの中途から挨拶するのに立ち寄るような場所だ。私は牧場で自然を声帯模写した。コヨーテ、鳥、馬と一緒に歌った。母はアーティストで、バッハ、サティやブラームスを弾いていた。私の最初の楽器は農場を取り囲んでいた有刺鉄線を射撃用の鉄の板に打ち付けることによって即興的に作り出したものです。

広漠とした大自然の記憶ですね。一方であなたは、ミュージック・テクノロジーやコーディングの卓越した技術をお持ちです。こうした技術や知識も音楽を始めた頃に習得していったのでしょうか?

A:いや、私がコンピュータを使いはじめるのはもっと後になってからだよ。大学生の頃、DMCS(註1)を使いはじめて、そのソフトを覚えることに夢中で何百時間もラボで過ごした。仲間の学生が私のやっていることに気づいて、電子音楽をやってみたらと勧めてくれた。それで、“Max”や“KYMA”(音楽やマルチメディア向けのビジュアルプログラミング言語)を使いはじめるようになったんだ。

それから、あなたは大変独創的なソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発されました。このソフトに関してご説明いただけますか? またこのソフトはご自身の作曲ツールでもあるのでしょうか?

A:最初に開発した「Argeïphontes Lyre」(以下:AL)は、私のカルアーツ(カルフォルニア芸術大学の通称)の修了制作だった。「AL」は、トム・エルベ(註2)の下で学んだ結果生まれた。私が独自のオーディオ・フイルターの着想を得たのはアニメーションのクラスでのことだった。友人に、Blender(3DCG制作ソフトウェア)のアニメーション部分をプログラミングした人がいて、彼のアニメーションソフトはスイッチをオンにするとキャラクターが四方八方に飛び出てくるのだけど、そのソフトに触発されて「自分も同じことを音でやらなければ」と考えたんだ。そしてそれが結果として、“Eviscerator Reanimator”(「Argeïphontes Lyre」に包摂されているオーディオ・フィルターの一種)になった。いまの「AL」は、6ヴァージョン目です。それは、DSP・フィルター、ジェネレーター、オーデイオ、ヴィデオ、そしてテキスト合成の集合体のようなもので、私はそれをC言語、オブジェクティブC、C++で書いていて、再結合、変異、歪み、たたみ込み、対称性という概念を主体としている。最初のヴァージョンでは視覚情報の合成 ( 音声から映像への変換、映像の編集等々)を伴っていたが断念してしまった。直近ではカオス理論にハマっていて、どうやってそれを取り込もうか研究中。「AL」は私の庭のようなものです。私は庭仕事が好きで、雑草を抜いたり、収穫したり、新しいことを見つけたり、そのアイデアをまるで花のように育て……ときに、「AL」は道具として使える詩のようでもあります。ほとんどの私のアルバムで"AL”を使っています。「AL」は、僕のウェブサイトから無料でダウンロードできます。(註3)

あなたが大学時代にトム・エルベに師事していたとは驚きです。私も“SoundHack"のいくつかのプラグインを使ったことがあります。

A:彼は大学院時代の恩師です。彼がカルアート時代に唯一(研究室で)指導した生徒が私です。彼はいま、カルフォルニア大学のサンディエゴ校にいますよ。そして大学時代の師は、ビル・ディクソンでした。彼のことは君も知っているだろう。フリー・ジャズの演奏家で……

え! トランペッターのビル・ディクソンですか! セシル・テイラーとの共演盤を持っていますよ!

A:はい。私は彼の即興演奏のアンサンブルで、3年間演奏していました。話しは変わるけど、君のプロジェクト(註4)のために“緊縛美”というフィルターを書いたよ。オーディオストリームが縄や糸の束のように、ねじり合わさって結び目をつくるというイメージが“緊縛美”になったんだ。君に送ったオーディオ・ファイルの中で、そのフィルターを聴くことができると思う。

はい、たしかに。原音にあまり干渉しない有機的なフィルターですね。この“緊縛美”について、もう少し説明してもらえますか? これも「Argeïphontes Lyre」から派生したフィルターの一種なのでしょうか?

A:そうです。「AL」のなかで試せますよ。女性の身体の周りに結び締め付けられたような縄のようなサウンドチャンネルという、ただの思いつきなんだけどね。

あなたは開発したソフトウェアを無料でシェアされていますね。近年、音楽に限らず大手メーカーのソフトウェアやアプリケーションが軒並み月額制、サブスクリプション化されました。私的にはフリーソフトにはいまだ想像的で、なかには使い勝手すらも(有償ソフトよりも)良いものがあります。これはシステムの問題だけではないと思うのですが。

A:君の言いたいことはよくわかるよ……個人もしくは少人数で開発するフリーソフトにはたいがい、創造的なスピリットがある。お金や必要以上の意見は創造的な表現をブロックしがちだ。私はサブスクリプションのファンではない。だからPro Toolsを使うのをやめたんだ。

そうした変遷を経て、あなたはいまやクラシックとなった名盤 『Spelle-wauerynsherde』(Boomkat Editions : BKEDIT015-COL)を生み出します。
これは本当に驚くべきアルバムです。一聴しただけでは制作プロセスがまったく推測できません。この作品が作られた経緯、制作過程を教えていただけますか?

A:『Spellewauerynsherde』は三つの言葉なんだ。つまり、Spell(呪文)、Wavering(揺らぎ)、Shard(破片)という。私は大学でラッキー・モスコヴィッツという作曲家、指揮者に学んだ。彼は、60年代後半にバックパックひとつでアイスランド中を旅しながら、失われゆくアートフォームであった哀歌の独唱などをアンペックス製のリールテープに次々とドキュメントしていった。彼は帰国後そのテープをクローゼットに片付けたまま忘れてしまった。それを、30年後に私が発見したんだけどテープの状態はとても酷かった。私はそれを慎重に修繕してハードディスクに保存し、ラッキー自身や学校の図書館、そして私自身用にコピーを作った。彼は悲劇的な人だった。酒の問題を抱え、私が大学を卒業した2年後に夭逝してしまった。このアルバムを作りはじめたのは彼が亡くなってまもなくの頃だった。
 彼の収集した音を20分程度使って制作をし、1年後に作品は完成した。このアルバムをリリースしてくれるレーベルを数年、探して回ったけどなかなか見つからなかった。そんな折に突然、デヴィッド・シルヴィアンから彼がスタートする新レーベル〈Samadhisound〉から何かリリースしないかという手紙を受け取ったんだ。デヴィッドは、このアルバムを気に入ってくれて承諾してくれた。それからさらに18ヶ月かけて、ジャケットデザインを探し求めたが、ようやくLia Nalbantidouというフォトグラファーの写真を見つけ、アルバムは2014年にリリースされた。
このアルバムの技術的な点を説明しておくと、たいはんの楽曲は、“タイム・ドメイン・ミューテーション”および、“コンボリューション”(という技術で)構築されている。“ミューテーション”は、トム・エルベから学んだテクニックだ。私のコンボリューションは、トムの“SoundHack”に基づくものではあるけれど、タイム・ドメインの部品を追加した。このアルバムでは基になった音を再文脈化しているけれど、その音の本質にある有機性は保たれていると思う。その作業プロセスは、トラックのヴァリエーションをいくつか作って、それを数日間、再生し続けて自分の潜在意識に浸透させ……それから調和的な修正を加えるというものだった。

註1:DMCS(Deluxe Music Construction Set)は、86年に制作された初期の音楽制作ソフト。
https://en.wikipedia.org/wiki/Deluxe_Music_Construction_Set

註2:米国の電子音楽の重鎮でコンピューターミュージック会社”SoundHack”の代表。

註3:「Argeïphontes Lyre」は、下記リンクよりフリーダウンロード可。
https://www.akirarabelais.com/o/software/al.html

註4:アキラ・ラブレーと渡邊琢磨は“Soundtrack recomposed project”という企画でコラボレーションを行なっている。同作には(仏)のアーティト、 フェリシア・アトキンソンも参加している。7月下旬、渡邊主催レーベルより配信限定リリース予定。

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コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか?(渡辺琢磨)
願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。(アキラ・ラブレー)

ご友人の作曲家が収集したヒストリックな音とオープンリールが時代を越えてあなたの作品に生成変化したということでしょうか。あなたの作品はパーソナルでありつつ、出来事や他者との関わりから生まれた作品も多いような気がします。コラボレーションに関して考えをお聞かせください。とくにハロルド・バッドとの共作に関して個人的に興味があるのですが……

A:私にとってコラボレーションは常に難題です。自分のやり方がハードルを上げてしまうのです。去年リリースした『cxvi』(Boomkat Editions : BKEDIT018)ではコラボレーション作品に取り組みました。完成まで10年かかりましたが、結果には満足しています。ハロルド(バッド)は、素晴らしい人です。彼が自作の”Avalon Sutra”で作業をしていた時に、デヴィッド(シルヴィアン)が私たちを結びつけた。それで友達になりました。彼の場合一緒に作業するのはとても楽でしたよ。

そういえば、私もデヴィッドを介してあなたとドイツでお会いしましたね。話しは変わりますが、コロナウィルスによって世界が激変しました。あなたの生活や表現にどのような影響を及ぼしましたか? また、こういった厳しい状況をどう捉えていますか? よろしければ教えてください。

A:パンデミックが表現にどのように影響するか説明するのは難しいですね。私はというと、作業する時間が増えました。願わくば、人びとが少し内省的になってもらえたらと。これからどのように生きたいか、どういう影響を世界に与えているのかを考えてもらえたらと思います。

ありがとうございます。全米では、ジョージ・フロイドさんが白人警官によって殺害された事件を期に大規模なプロテストが起こっており、この抗議デモはいまや世界中に広がっています。あなたが住んでいるエリア(イリノイ州シカゴ)での状況を教えていただけますか。

A:私は、シカゴのダウンタウンから電車で北に一駅のところに住んでいるので、デモが自宅のあたりまで来ます。数千人のプロテストの参加者が通り過ぎていくのを見ました。私が目撃したデモはとても穏やかで、まるでパレードのようでした。残念なことに一部の地域はとても危険な状況で、ニュースでも見ましたが衝撃的でした。

ドナルド・トランプは事件発生当初は傍観し、後に差別や暴力を煽るような発言をまたしてもツイッターやメディアで繰り返しています。このことは世界的に報道されています。

A:彼や彼の支持者が合衆国に対して行なってきたことは悲しく、恥だと感じています。意図的に無視することや、悪意のある不寛容を賞揚し正当化することは容認できません。

日本ではアーティストやセレブリティーの政治発言は敬遠される傾向があります。これは米国の状況とは異なると思いますが、アーティストが政治に言及することについてどう思われますか。

A:思うに、私は誰からも学ぶことができる……キム・カーダシアン(※著名なモデル)から何か学べるだろうか? わかりません。アートとアーティストは同じではないということを憶えておくのは大事だと思う。ヒーローに実際会ってみるとたいてい、幻滅しますからね。

あなたは過去に何度か日本を訪れていますね?

A:日本は好きです。素晴らしい瞬間の記憶がたくさん残っています……舞踏の先生と一緒に踊ったり、新宿で道に迷ったり、新幹線でコーヒーとカツサンドを食べたりしたこと。福岡の小さなレストランで友人と“タクシードライバー”の酒を飲んだこと、日本の風呂、東京でカラスと歌ったこと、誰もいない山形のホテルのバーでマンハッタンを飲みながら雪が降ってくるのを眺めたこと、神社で節分のキャンディーをキャッチしたこと。こうした瞬間、というより、やはり人なんですよ。

その“タクシードライバー”のお酒のラベルは知人のアートディレクター、映画ライターの高橋ヨシキさんによるデザインですよ。

A:そうなのか!? ワオ、それは最高だね。


 アキラ・ラブレーと音のやり取りをしていると──ピアノや弦の音が変調するように──生活時間は“歪み"、日常も“変異"していく一方、均質化された思考や審美性、価値観等は解体されていく。蝋燭の炎のように小さくゆらゆらと持続/変化する音が、現実を明るみに出していくような行程は「内」から「外」を求めつづけた暗澹たる日々の羅針盤のように作用した。パンデミック後、最初のメールではお互いの国のこと、見えている景色のこと、国政等々についてやり取りし、美味しいお茶の淹れ方を(何の脈絡も無く)教えていただいた。ソフトウェアやコードは書く人つくる人次第で、詩にもなるし、社会問題を提起することもできる。(ele-king booksから出版されている『ガール・コード』も是非ご参照ください。)私もC言語の勉強を再開しましたが……早くも挫折寸前です……。アキラ・ラブレーとの音の往来は、7月下旬リリース予定の染谷将太監督『まだここにいる』recomposed project に収蔵されています。詳細は適時こちらから(https://www.ecto.info/

 

アキラ・ラブレー(Akira Rabelais)
テキサス南部で生まれ。作曲家、ソフトウエア設計者、著述家。ビル・ディクソンに作曲、および編曲を学び、カリフォルニア芸術大学では 電子音楽のリーダーであるモートン・スボトニックおよびトム・エルベに師事し修士を修める。幼少期、彼は農場を囲んでいた有刺鉄線を金属板に打ち付けることによって最初の楽器を作り出した。 その後、音や映像を巧みに歪めたりノイズ を加えるなどの操作ができる独自のソフトウェア「Argeïphontes Lyre」を開発。彼は自身のソフトウェアを書くことを詩を書くことになぞらえる。数あるフィルターは形骸化蘇生法、ダイナミックFM音源、時間領域 変異、そしてロブスターカドリールなど独特な言葉で綴られているように。

Akira Rabelais official https://www.akirarabelais.com/
bandcamp https://akirarabelais.bandcamp.com/

BES & ISSUGI - ele-king

 大きな話題を呼んだ『VIRIDIAN SHOOT』から早2年。復活した SCARS としての活動も順調な BES と、今年新作『GEMZ』をリリースしている ISSUGI、日本が誇るふたりのラッパーがふたたびタッグを組んでアルバムを送り出す。タイトルは『Purple Ability』で、多くのゲストたちが参加。発売は7月3日。さらに輝きを増した BES & ISSUGI の化学反応に注目だ。

SCARS / SWANKY SWIPE としての活動でも知られるラッパー、BES と最新作『GEMZ』のリリースも話題な MONJU / SICK TEAM のラッパー、ISSUGI によるジョイント・アルバム第2弾『Purple Ability』が〈DOGEAR RECORDS〉からリリース! SCARS から STICKY、MONJU から Mr.PUG、仙人掌が参加! 本日よりアルバムからの先行配信もスタート!

◆ SWANKY SWIPE / SCARS としての活動でも知られ、SCARS『THE ALBUM』(06年)、SWANKY SWIPE『Bunks Marmalade』(06年)、ファースト・ソロ・アルバム『REBUILD』(08年)といったクラシック作品をリリースして人気/評価を不動のものとし、近年ではソロだけでなく復活した SCARS としての活動も活発なラッパー、BES(ベス)。
◆ 東京から国内ヒップホップ・アーティストを中心に様々な音楽を06年から現在まで途切れなく発信するレーベル、〈DOGEAR RECORDS〉に所属し、MONJU / SICK TEAM のメンバーとして、そしてソロ・アーティストとして膨大な音源をリリースしており、バンド・サウンドを取り入れた最新作『GEMZ』のリリースも大きな話題となっているラッパー、ISSUGI(イスギ)。
◆ 旧知の間柄であり数々のコラボレーションをこれまでにリリースしてきた卓越したスキルを持つ両者がガッチリと手を組み、18年にリリースしたジョイント・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』はその年の年間ベスト・アルバムにも選出されるなど各所で絶賛され15カ所に及ぶライヴツアーを敢行。早くもこのタッグでのジョイント・アルバム第2弾となる『Purple Ability』がリリース決定!
◆ 客演には SCARS から STICKY、MONJU から Mr.PUG、仙人掌が参加! そしてプロデューサー勢には前作に続き D.I.T.C. 関連の作品で知られ、ISSUGI ともこれまでに幾度もコラボしているNYのプロデューサー、GWOP SULLIVAN や DJ SCRATCH NICE、GRADIS NICE、16FLIPと『VIRIDIAN SHOOT』にも参加していた面々の他、フレディ・ギブスやカレンシーら数多くのアーティストとコラボしているベイエリアのプロデューサー、DJ FRESH、〈DOGEAR〉からの作品リリースでも知られる ENDRUN、BES と ISSUGI ともに初顔合わせとなる FITZ AMBRO$E が参加! BES & ISSUGI の化学反応は常に 200% HIP HOP。
◆ 6月19日よりアルバムのリリースに先駆けてM1 “ Welcome 2 PurpleSide” (prod by Gwop Sullivan)、M8 “Trap to Trap” ft 仙人掌, Mr.PUG (prod by DJ Scratch Nice)の2曲の先行配信が iTunes Store / Apple Music、Spotify などでスタート! また iTunes Store ではアルバムのプレオーダー受付も同時にスタート!

[アルバム情報]
アーティスト: BES & ISSUGI (ベス&イスギ)
タイトル: Purple Ability (パープル・アビリティ)
レーベル: P-VINE, Inc. / Dogear Records
品番: PCD-25291
発売日: 2020年7月3日(金)
税抜販売価格: 2,500円

[TRACKLIST]
01. Welcome 2 PurpleSide
 prod Gwop Sullivan
02. SoundBowy Bullet
 prod 16FLIP & DJ Scratch Nice
03. Callback
 prod DJ Fresh
04. Purple Breath
 prod Gwop Sullivan
05. 大丈夫?
 prod Fitz Ambro$e & DJ Scratch Nice
06. Interlude
 prod 16FLIP
07. Hits a stick
 prod DJ Scratch Nice
08. Trap to Trap ft 仙人掌, Mr.PUG
 prod DJ Scratch Nice
09. Belly
 prod Endrun
10. Stack the ...
 prod Gradis Nice
11. Skit
 prod Gradis Nice
12. Inner Trial ft Sticky
 prod DJ Scratch Nice
13. 明日への鍵
 prod Gradis Nice
14. Nice Dream
 prod 16FLIP
15. BoomBap pt2
 prod Gwop Sullivan

[Profile]
SWANKY SWIPE / SCARS としての活動でも知られ、SCARS『THE ALBUM』(06年)、SWANKY SWIPE『Bunks Marmalade』(06年)、ファースト・ソロ・アルバム『REBUILD』(08年)といったクラシック作品をリリースし、人気/評価を不動のものとしたラッパー、BES (ベス)。
〈DOGEAR RECORDS〉に所属し MONJU / SICK TEAM のメンバーであり、ラッパーとしては元よりビートメーカー名義 16FLIP としてもこれまでに膨大な音源をリリースしてきた ISSUGI (イスギ)。
今はなき池袋の伝説的クラブ、bed が生んだ卓越したスキルを持つ両者が手を組み2018年にリリースしたジョイント・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』はクラシックと絶賛された。
早くもジョイント・アルバム第2弾となる『Purple Ability』がリリース。

Denki Groove - ele-king

 ウィー・アー・バックといえば LFO だが、ちがう、電気グルーヴだ! 2019年3月の騒動以来、長らく配信停止となっていた彼らの音源が、去る6月19日、SpotifyApple MusicYouTube などの各種ストリーミング・サイトにてふたたび視聴可能となっている。フィジカル盤の出荷も再開されているようだ。めでたい。
 
 ちなみに、石野卓球は6月6日に配信再開を切望するツイートをしているが、これがきっかけとなったのだろうか。

 なお、レーベルサイドによる配信停止や商品回収といった「自粛」には抗議の署名運動も起こっており、最近では宮台真司/永田夏来/かがりはるき著『音楽が聴けなくなる日』(集英社新書)という本も出ている。あらためて「自粛」の意味について考える良い機会になるだろう。

Fools - ele-king

 リスナーを親しみやすく快適な世界に連れて行き、開放性と好奇心の深い感覚を維持しながら、発見されていない何かを探求する──レーベルからこんな風にセルフ・プロモーションされたらもう書くこともないのだが、2020年の奇妙な時期に、これほどポジティヴで好奇心を誘う作品がリリースされて耳に届いたことは幸運だった。
 部屋で音楽を楽しむしかないとき、アムステルダムの〈Music From Memory〉のカタログは、アンビエント、ニュー・エイジ、圧倒的熱量でしかなし得ない発掘音源、また、それに呼応するような新譜でもって、好奇心と共にぼくたちを甘美なサイケデリアに導いてくれた。グリズリー・ベアのドラマーであるクリストファー・ベアのソロ・プロジェクト『Fool's Harp Vol. 1』は、極まったホームリスニングと孤独のなかによく浸透してくれる、〈Music From Memory〉の新たなマスターピースに他ならない。

 2012年『Shields』のリリース後、メンバー感の距離をおいたというグリズリー・ベアが、2016年に再集合して、2017年にリリースした『Painted Ruins』は、インディ・ロックと呼ばれているなかでもっともリズムのエッジが効いた作品のひとつだった。絶対トニー・アレン好きでしょ、では済まされないアフロのロックへの取り込み方が絶妙で、例えば“Four Cypresses”は、アフロビート的リズムをエンジンにして、そこに集まってくるようなシンセとギターが相俟ってビルドアップしていくというアフロ的陶酔から、ロック的展開も忘れずにいきなり超ロックなフィルのあとちゃんとサビになだれ込んでいくあたり、プレイはもちろん曲の根幹にもアフロの要素がさりげなく入り込んでいて独特の質感を得ている。“Aquarian”のやたら長いアウトロもそれだけでアフロぽいが、8ビートでも気持ちよさそうなギターリフに対してアフロビート的ドラムが続くのも痛快。そもそも、このドラマーは、8ビートを叩かせてもリズムを把握する空間がめちゃくちゃ大きくて、気持ちいいしどこか変わっている。例えば、“Mourning Sound”では、それがよくわかる。再集合でのお互いのアイデアからはじまったものが、次なるアイデアで融解し、バンドサウンドを勝ち得ているかのようなロマンを感じて、そのリズムアイデアの発信にドラマーが関与していないわけもなく、また純粋にドラミングの魅力にも溢れていたので、そのとき強くクリストファー・ベアの名前を刻んだのだが、Foolsとしてさらに正体を暴いてくれた。

 2019年の夏に6週間の期間を設けて、各楽器を自分で録音して、そこに即興で音を重ねながら作った今作品は、アルバムというよりミックステープに近いという。「一連の楽器の探求を行い、直感に従い、何が形になるかを見ながら、一時的に別の世界に移動して音楽に関連性を感じさせる瞑想的で自己反映的な性質を発見していった」というようなことを自身のインスタグラムで見受けたが、素直に受け取ってよいほどに、孤独な作業に対してムードは重くなく、遠くで鳴っている音を、丁寧にたぐり寄せているかのようなサウンドスケープは、「発見されていない何か」に思えてくる。楽器探求のあり方としてこれほど刺激的なところもそうだし、アンビエント的でありながらリズムのもつ少し強引な力が生き生きと働いていて、リスナーを強要せずにスピーカーの前から離さないというところもあまり他の作品で出会わない魅力かもしれない。
 #1“Rintocco”のアンビエントらしい心地よい音の切れ間から、#2“Source”でコンガが登場してウーリッツァーと揺蕩うあたり、曲間までも機能しながら、たしかにリスナーを開放的な空間へ運んでくれるし、曲の後半で絶妙なところでドラムが登場する感覚は、たしかにミックステープのようでもある。あまり、ネタバレしても仕方ないのだが、その後も作品通してアンビエント的でありながら、ちょうどよいところでリズムがでてくる感じがニクい。#9“Thanks”は、アンビエントとクラブミュージックの親和性をどことなく感じられて、同じく〈Music From Memory〉からリリースされているJonny NashやKuniyukiさんと少し重なる部分もあった。7拍子が気持ちよい#11“Nnuunn”は、少しノンスタンダードぽさもあって親しみやすい。孤独のなかで作られたこの作品は孤独のなかにあって、親しみやすく、よく響く。
 タイトルにVol.1とあるだけに、Vol.2にも期待です。レコードの豊穣な音質を、贅沢に小さい音で聴きながら待ちましょう。

Villaelvin - ele-king

 2000年代にはリアルなアフリカを舞台にした超大作がハリウッドでも次から次へとつくられ、小品にも忘れがたい作品が多かったものの、現在では『ブラックパンサー』のようにおとぎ話のようなアフリカに戻ってしまうか、そもそもアフリカを舞台にした作品自体が激減してしまった(90年代よりは多い。あるいはセネガルなど現地でつくられる作品にいいものが増えてきた)。アフリカに対する注目は音楽でも同じくで、ボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロがライヴ・エイドから20周年となる2005年に世界8大都市で「ライヴ8」を同時開催し(日本ではビョークやドリームズ・カム・トゥルーが出演)、G8の首脳にアフリカへの支援を呼びかけたり、ベルギーの〈クラムド・ディスク〉がコンゴのコノノNo. 1をデビューさせてアフリカの音楽に目を向ける機会を増大させてもいる。これに続いてデイモン・アルバーンはアフリカ・エクスプレスを組織したり、コンゴの現地ミュージシャンたちと『DRC Music』を制作、ベルリンのタイヒマン兄弟も同じくケニヤなどに赴いて『BLNRB(ベルリンナイロビ)』や『Ten Cities』といったコラボレイト・アルバムを、マーク・エルネスタスはセネガルでジェリ・ジェリ『800% Ndagga』をそれぞれつくり上げている。こうした動きはしかし、第1次世界大戦前にイギリスとドイツが次々とアフリカ各地を植民地にしていったプロセスともどこか重なってみえる、個々の動きとは別に全体としては複雑な感慨を呼び起こす面もある(ディープ・ハウスのアット・ジャズが早くから南アフリカのクワイトにコミットしていったことも多面的な要素を持つことだろう)。アフリカの音楽産業は、規模でいえば1に南アフリカ、2にナイジェリアである(北アフリカとフランスの関係は煩雑になりすぎるので省略)。西アフリカを代表するナイジェリアではイギリスとアメリカの資本が暴れている一方、この数年で東アフリカを代表し始めたのがウガンダで、同地にもイギリスやドイツ、そして中国の資本が相次いで投入されている。イギリスのコンツアーズとサーヴォが現地のパーカッション・グループとつくり上げた『Kawuku Sound』、ゴリラズのジェシ・ハケットによる『Ennanga Vision』……等々。

 「先進国から来る人たちは演奏を録音して持って帰るだけ。出来上がったものを聞かせてもくれない」という不満は以前から少なからずあったらしい。アフリカと先進国の関係を変える契機が、そして、クラブ・ミュージックとともにやってくる。ウガンダのクラブ・ミュージックを牽引してきたのはDJ歴20年を超えるDJレイチェルと、2013年ごろから始動し始めた〈ニゲ・ニゲ・テープス(Nyege Nyege Tapes)〉である。東アフリカ初の女性DJとされるDJレイチェルはレコードも売っていないし、わずかなCDも高価で手の届かないものだったという90年代からDJやラップを始め、それは彼女が中流で、平均的な家族よりもリベラルな親だったから可能だったと本人は考えている(https://blog.native-instruments.com/globally-underground-dj-rachaels-journey/)。ウェデイング・プランナーとして働く彼女は結婚式で使うサウンドシステムをDJでも使いまわすことでなんとか生計を立てているようで、CDJが国全体でも3台しかないというウガンダではレンタルも簡単にはできないという。一般的にウガンダで音楽を楽しむにはスマホしかなく、それは『Music From Saharan Cellphones』(11)の頃も現在もあまり変わっていないらしい。ヒップホップからゴムまで横断的に扱うDJレイチェルの流儀に応えるかのようにして、そして、〈ニゲ・ニゲ〉がスタートする(詳細はあまりに膨大なので詳しくは→https://jp.residentadvisor.net/features/3127)。〈ニゲ・ニゲ〉の特徴を2つに絞るなら最新のエレクトロニック・ミュージックと伝統的な過去の音楽を等価に扱っていること、そして、ウガンダだけではなく、南に位置するケニアやタンザニア、あるいは西アフリカのマリやマダカスカル島東方に浮かぶレユニオンで活動するプロデューサーたちの音源もリリースしていることだろう(〈ニゲ・ニゲ〉のリリースで大きな注目を集めたタンザニアのシンゲリを紹介するコンピレーション『Sounds Of Sisso』については→https://www.ele-king.net/review/album/006179/)。〈ニゲ・ニゲ〉自体は音楽を生み出す母体として機能しているというよりDJ的な編集センスで存在感を示しているといえ、その頂点に位置しているのが現在はカンピレ(Kampire)である。DJレイチェルと同じくアクシデントでDJになったというカンピレは音楽に対する知識がなかったことが幸いしたと自身のユニークさを説明する。彼女がミックスすると、嫌いだった曲まで魅力的に聞こえてしまうので、僕もかなり舌を巻いた(ということは以前にも当サイトで書いた)。

 「ウガンダのアンダーグラウンドはどんどん大きくなっている。〈ニゲ・ニゲ〉は国際的に認知され、多くの西側メディアがウガンダを記事にしている」(DJレイチェル)


 そして、〈ニゲ・ニゲ〉が2018年にクラブ専門のサブ・レーベル、〈ハクナ・クララ(Hakuna Kulala)〉をスタートさせる(ようやく本題)。「安眠」というレーベル名とは裏腹にあまり聞いたことがない種類のベース・ミュージックをぶちかますケニヤのスリックバック(Slikback)やウガンダのエッコ・バズ(Ecko Bazz)などアルバムが楽しみなプロデューサーばかりが名を連ねるなか、〈ニゲ・ニゲ〉のハウス・エンジニアを務めるドン・ジラ(Don Zilla)と、ベルリンからやってきたエルヴィン・ブランディによるユニット、ヴィラエルヴィン(Villaelvin)のコラボレイト・アルバム『Headroof』がまずは群を抜いていた。バンクシーのように公共空間を使ったアート表現でも知られるというブランディはこれまで3人組のイエー・ユー(Yeah You)として4枚の実験的なアルバムをリリースした後、ソロでは本人名義の「Shelf Life(賞味期限)」などでアルカもどきの極悪インダストリアル路線をひた走り、とくにアヴリル・スプレーン(Avril Spleen)名義では混沌としたサウンドを背景にリディア・ランチばりの絶叫を聞かせてきた(それはそれで完成度の高い曲もある)。これがドン・ジラと組んだことでグルーヴを兼ね備えたインダストリアル・テクノへと変化。ドン・ジラ自身は昨年、やはり〈ハクナ・クララ〉から「From the Cave to the World」でデビューし、シンゲリを意識したようなトライバル・テクノや不穏なダーク・アンビエントを披露したばかり(コンゴ出身の彼は自分の音楽をコンゴリース・テクノと呼んでいる)。2人が起こしたアマルガメーションはアフリカとヨーロッパの音楽が混ざり合うという文脈でもすべてが良い方に転んだといえ、それぞれの音楽性が互いにないものを補完し合うという意味でも面白い結果を引き出している。インダストリアル・ノイズをクロスフェーダーで遊んでいるようなオープニングからシンゲリにはない重量感を備えた“Ghott Zillah”へ。タイトル曲の“Headroof”ではコロコロとリズムが変わる優雅なインダストリアル・アンビエントを構築し、これだけでも次作があるとすれば、それは〈パン〉からになるような気がしてしまう。ゴムをグリッチ化したような”Ettiquette Stomp”からアルヴァ・ノトとDJニッガ・フォックスが出会ったような“Zillelvina”へと続き、”Hakim Storm”ではチーノ・アモービを、ダンスホールを取り入れた“Kaloli”ではアップデートされたカンをもイメージさせる。全編にわたって知的でダイナミック。想像力とガッツにあふれたアルバムである。



〈ハクナ・クララ〉の最新リリースはアフリカ・エクスプレスにも参加していた南アのインフェイマス・ボーズによるメンジ(Menzi) 名義のカセット「Impazamo」で、これがなんとも不穏でダークなインダストリアル・ゴムに仕上がっていた。〈ニゲ・ニゲ〉がこれまで大々的にプッシュしてきたシンゲリとはだいぶ異なっった雰囲気であり、こうした方向性はしばらく維持されるに違いない(シンゲリを発展させたリリースももちろん〈ニゲ・ニゲ〉は続けている)。さらには、この夏、〈ニゲ・ニゲ〉の最初期からリリースを続けてきたナイヒロクシカ(Nihiloxica)のデビュー・アルバムが〈クラムド・ディスク〉から、という展開も。母体をなすのはドラムセット1人に7人のパーカッションが加わったウガンダの伝統的な打楽器グループ、ニロティカ・カルチャラル・アンサンブル(Nilotika Cultural Ensembl)で、この編成で彼らは昨年、〈メガ・ミュージック・マネージメント〉から『KIYIYIRIRA』というラヴリーなアルバムをリリースしたばかり。これにイギリスでアフロ・ハウスの佳作を連打してきた〈ブリップ・ディスク〉から“Limbo Yam”をリリースしていたスプーキー~Jとpq(もしかして〈エクスパンディング・レコーズ〉から『You'll Never Find Us Here』をリリースしていたpqか?)がプロデュースとシンセサイザーで加わり、ニロティカにニヒリズムの意味を加えたナイヒロクシカと名称を変形させたもの(pqは前述したエッコ・バズのプロデューサーも務めている)。イギリスの地下室とアフリカの伝統を結びつけたと自負するナイヒロクシカは2017年に〈ニゲ・ニゲ〉からカセットでデビューし、1年間ツアーを続けたことで伝統音楽「ブガンダン」に対する理解を深めたと確信し、そのままスタジオ・ライヴを収めたEP「Biiri」を昨年リリース、これをアルバム・サイズにスケール・アップさせたものが『Kaloli』となる。怒涛のドラミングは冒頭からアグレッシヴに響き渡り、まったくトーン・ダウンしない。次から次へとポリリズムが乱れ飛び、スリリングなドラミングをメインにした構成はさながら23スキドゥー『Seven Songs』の38年後ヴァージョンだろう。本人たちはこれを「ブガンダン・テクノ」と称し、「不吉なサウンド」であることを強調してやまない。エンディング近くに置かれた“Bwola”などはそれこそ『地獄の黙示録』でウィラード大尉が血だらけの顔を河から浮かび上がらせたシーンを思わせる。エンディングでは少し気分を変えるものの、全体に漲るパッションはとても暗く、情熱的である。

 世界中からヴォランティア・スタッフが集まり、4日間も続くという〈ニゲ・ニゲ・フェスティヴァル〉(CDJは2台!)はもちろん警察から狙われ、今後は新型コロナウイルスの影響も避けられないだろう。ウガンダはしかし、政府がしっかりとした広報機能を兼ね備えていないらしく、コロナ対策もオーヴァーグラウンドで人気のヒップホップやダンスホールが音楽に乗せて民衆にその知識を伝え、いまのところ死者はゼロだという。つーか、タンザニアでも6月7日に終息宣言が出たものの、「神の恩恵により新型コロナウイルスを克服できた」というマグフリ大統領の言葉を聞くとかえって不安に……。韓国とともにメガ・チャーチが猛威を振るうウガンダはLGBTに対してかなり厳しい視線を向けるらしく、前述したDJレイチェルもレズであることがわかった途端に友だちを何人か失ったそうで、〈ニゲ・ニゲ〉に集まる人たちのなかには、そこが「安全地帯だから」という理由も少なからずあるらしい。

 健全なオーヴァーグラウンドがあり、必要なアンダーグラウンドが機能している。ウガンダの音楽状況をイージーにまとめるとしたら、そんな感じになるだろうか。そして、それはなかなか容易に手に入るものではない。

井手健介と母船 - ele-king

1.

 かつてアメリカのボストンに、霊媒として名を馳せた「マージャリー」ことミナ・クランドンというひとがいた。彼女には、あのコナン・ドイルも惚れ込んでいたそうだ。橋本一径の『指紋論』によると、マージャリーは1923年から自宅でラップ音やテーブル浮揚といった超常現象を来客たちに披露していた。「支配霊」のウォルターを呼び出して客と会話をさせたり、エクトプラズムを生成したり……。さらにエクトプラズムはウォルターの手として実体化し、歯科用の蝋型に親指を押し付けて指紋を残した。幽霊が存在することを自ら証明するためのその指紋は、幽霊との「コンタクト」の場であった交霊会の出席者たちに手土産として配られたという(皮肉にもその「幽霊指紋」は、マージャリーのいんちきを証明してしまうことになるのではあるが)。

 映画『リング』の透視能力者である山村志津子(山村貞子の母で、実在した超能力者の御船千鶴子をモデルとする)しかり、幽霊、超能力者、オカルトなどなどは、証しを立てることを常に要求されてきた。それらは現実の「いま、ここ」にないものであったり、「いま、ここ」を超え出たものであったりするからだ。けれども、ないものがあること、現実の規範や決めごとを超えたなにかがあることを明らかにするのは、きわめて難しい。なぜなら、それらは「ない」のだから。あるいは現実を超えてしまっているのだから、現実の規律に縛られ、そこから逃れられずに生きるわたしたちにとって、理解できるものであるはずがない。心霊とは、現実のまったきオルタナティヴである。

2.

 『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』において井手健介と母船は、現実にないものを歌っている。井手は「エクスネ・ケディ」、バンドは「ザ・ポルターガイスツ」というオルターイーゴを纏って。そのペルソナは、現実を超え出るためのものだ。

 “ポルターガイスト” では「どうして触れられないの?」、「どうして目に見えないの?」、「もいちどさわって/さわらせて」と、エクスネ・ケディが跳ねるビートにのってだみ声で呼びかける。ラップ現象にも近い「ポルターガイスト」とは、実体がない、いたずらな幽霊ないしは心霊現象であり、黒沢清の映画で言えば(赤い服を纏った女やジュラルミンケースから出てくる少女ではなく)、消化器や瓶を倒したり、看板を落っことしたりする、あれである。だから、ポルターガイストに触れられるわけがないのだ。いっぽうでポルターガイストは、現実の生を超え出てしまった死者たちからのコンタクトである。そのコンタクトをたしかなものとするために、エクスネ・ケディは霊に証しをねだる。「夜明けの足あと」、「寝床はどこなの?」。「足あと」とは「ウォルターの指紋」であり、「寝床はどこなの?」とは幽霊の身元確認だ。

 あるいは、ものがなしげな “人間になりたい” でエクスネ・ケディは、「人間になりたい動物」と「人間をやめたい人間」を混在させた「ぼく」を歌う。“人間になりたい” は、あの有名な洞窟の比喩についての歌だろう。「人間になりたい動物」は、「きらきらの影絵」を恍惚として見つめる縛られた「人間」にあこがれている。そのほうが楽だからだ。いっぽうの「人間をやめたい人間」は、影絵に見惚れたまま受動的な「かなしいYES」を「繰り返す」人間の態度に飽き飽きし、くだらない現実からイグジットしたい。エクスネ・ケディは現実を生きる人間(あるいは、人間がつくりだす現実を生きること)と現実を超え出た非人間とに引き裂かれている。

 ざっくりと言ってプラトンは、「影絵」を目に見える現実に、「影絵をつくりだす実体」をイデアにたとえたわけであるが、ここで前者を心霊現象、後者を「霊それ自体」のアナロジーとして考えてみたらどうだろう。ポルターガイストは幽霊の影絵だ。現実に縛られた人間たちは、霊それ自体という実体には決して触れらない。心霊現象を通してコンタクトすることしかできないのである。現実を超え出た霊とのコンタクトを求めれば求めるほど、人間は現実に括りつけられていることに自覚的にならざるをえない。

 とにかくエクスネ・ケディは、現実にないものを執拗に歌う。「人の子だってバレないように/過去から来たって知られないように」(“ささやき女将”)。「宇宙の果てで踊ろう」、「地球の外で歌おう」(“おてもやん”)。「妖精たちが泳ぐ海で/わたしはずっと待っている」(“妖精たち”)。がしかし、それらの歌はむなしいのぞみや祈りのようにも聞こえる。「映画は終わるものでしょう?」(“ぼくの灯台”)と、エクスネ・ケディはこのアルバムの最後で諦念を口にしている。

 いっぽう、映画の起源に影絵を見るならば、「映画の終わり」は現実に立ち戻ることではなく、逆説的に現実からの解放を意味する。はりつけにされたままで影絵を見つづけるのはもう終わり。さあ、くもりのない心の瞳でもって、完全な形を保った世界の真の姿を見よう。──霊それ自体と触れ合おう。かように “ぼくの灯台” の詞は両義的である。

3.

 霊、妖精、地球の外にある宇宙、時間のねじれ。オルターイーゴを纏い、現実の外をシアトリカルな発声と発想で歌う『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』は、音楽それ自体も現実を超え出ようとする響きを持つ。

 石原洋がプロデュースした『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』の音楽的なテーマは、「人工的でギラッとしたロック」であり、「グラム・ロック」であり、「70年代の黄金期のブリティッシュ・ロック」であったと井手は言う(https://www.ele-king.net/interviews/007600/)。たしかに “ささやき女将” では、井手と墓場戯太郎、北山ゆう子、羽賀和貴といった母船のメンバーたちが、霊媒となってT・レックスを降霊している。“イエデン” では井手がマーク・ボランを口寄せするも、ぴったりと憑依させることに失敗し、ずれたままコミカルかつシアトリカルなファルセットでねちねちと歌いつづける。デイヴィッド・ボウイの『ロウ』からの残響がみだらにこだまするのは、“妖精たち” である。“ロシアの兵隊さん” のメロトロン、(ブリティッシュではないものの)“ぼくの灯台” でのアル・クーパーふうの大山亮のオルガンの音も忘れがたい。

 とくに印象に残るのは、北山のドラムの響きだ。ドラムを色彩豊かに鳴らすため、ミキシングを自在に操り、一曲ごとにミュートの具合い、チューニング、録りかたなどを変えているようにも感じる。フィルインから始まる “妖精たち” や “おてもやん” ではスネアドラムやバスドラムの胴鳴りが強調され、それによってサイケデリアが生まれている。打数の多さによって陶酔的で不穏なビートの織り物を編み上げた、まるでグル・グルのような “おてもやん” は、ほとんど北山のドラムが主演の曲だと言っていい。

 サイケデリック・ロックを直接的に想起させる意匠が少ないにもかかわらず、『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』にサイケデリアを感じるのは、そうした「人工的でギラッとしたロック」である点による。かつての「グラム・ロック」や「70年代の黄金期のブリティッシュ・ロック」を夢見ること。ジェントリフィケートさせずに野卑で軽く、安っぽいムードを音に宿すこと。頽廃的なロックを人工的に演出すること。そうすることで生まれた音楽は、「2020年のニッポン」という現実から優雅に遊離するという意味でサイケデリックにほかならない。

4.

 「イデケンスケ」と何度か、もごもごとゆっくり口に出して言ってみると、次第に「エクスネケディ」の音が立ち現れる。井手健介からエクスネ・ケディへの変態は、現実を超え出るためのトランスフォーメーションである。現実の外からのコンタクトの証しとして、ここに『エクスネ・ケディと騒がしい幽霊からのコンタクト』というアルバムが残された。それはまるで、幽霊の指紋のようだ。

 6/8から、NY市は第一段階のビジネスが再開した。第一段階とは建設業、製造業、卸売業、一部の小売店、農業、林業、水産業である。それと同時にレストラン、バーは外で飲むのは大丈夫と、たくさんの人がバーでテイクアウトのドリンクを買って、バーの前でたむろしている。が、レストランの外でのダイニングプランは第二段階(6月下旬を予定)で、まだである。が、レストラン側はその準備として外にテーブルを置きはじめ、それでたくさんの人たちがバーの前でたむろしはじめた。クオモ州知事は「これでまたコロナ感染者が増えたら、ロックダウンを考える」とご立腹である。段階的な再開計画に準拠していないビジネス、とくにバーやレストランについて州全体で25000件もの苦情があったと語り、規則に違反しているバーやレストランは、酒類免許を取り上げるということである。まだまだ慣れないことなので、手探りでやっている。
https://gothamist.com/food/photos-new-yorkers-are-trying-day-drink-away-pandemic
https://gothamist.com/news/coronavirus-updates-june-14-2020

 とはいっても、この暖かい陽気で外に出る人は止まらない。最近は、みんなマスクをしているだけで、パンデミック前とほとんど変わらなくなっている。10人以上の集まりも大丈夫になり、5月末から続いている抗議活動もまだ継続している。ソーシャルディスタンスはほとんどないし、NYでは禁止されている花火も毎日のように上がっているし(どこで調達しているのだろう)。ニューヨーカーは、そろそろ気が緩んできたらしい。

 パンデミックでNYを離れた知り合いも徐々に戻ってきている。ライヴ活動はまだできないが、スタジオでジャムったり、ルーフトップでアンプラグドでライヴをしたり、個人的な集まりで音を出しはじめている。ライヴストリームはもう恒例化しているが、インスタグラムだと必ず音が遅れるので、残念ながら、なかなか見ようという気がしない。向こうは、だいたい家でやっていて、こっちが家でパジャマ姿で見ていても、なんだか気分が上がらないし、やっぱり現場でのライヴ感が恋しい。
 と思ったら、9月のUKバンドのライヴのチケットを取ったという友だちがいて、9月にライヴが再開するのか? UKのバンドがNYに来られるのか? と訝しげだが、そろそろライヴ活動が戻ってくるか。

 そのライヴストリームだが、このパンデミックのなかで、きちんとマネタイズできている例もある。音楽会場のエルスホエアはルーフトップの季節になり、毎週金曜日7~10時、ルーフトップからのライヴストリームをはじめた。その名もサン・ストリームス(https://www.instagram.com/p/CBTy-YZgjxW/)。
 このイベントでは、その日のアーティストがもっとも関心を持っている組織に集めたお金を寄付する。抗議活動に行かないならここに寄付して、ということである。前回のイベントminecraftでは、$6500を集め、すべてをBlack lives matterに関する国家保釈基金に寄付をした(https://elsewither.club/)。
 会場やレーベルがオーガナイズしてくれると、たくさんのバンドが一気に見られるし、知らないバンドももれなく見られるので、見甲斐がある。バーガーレコーズたちが企画したメモリアルディのイベント(https://www.facebook.com/events/548428185822225/)は50弱バンド、DJが参加で、12時間のライブストリームをやっていた。

 NYのライブストリームのリスティングはここで見られる。https://www.ohmyrockness.com/features/15570-concert-livestreams

 まだ第一段階だが、NYは再開し、地下鉄も通常本数に戻り、普通に戻ってきている。第二、三、四と順調に再開してくれることを願う。

R.I.P. Keith Tippett - ele-king

 サウス・ロンドン勢からゴー・ゴー・ペンギンと、英国のジャズが注目を浴びるようになってきた昨今だが、そもそもこうした英国ジャズの基盤が形成されたと言えるのが1960年代で、その中でもキー・パーソンのひとりだったピアニストのキース・ティペットが去る6月14日に亡くなった。1947年8月25日にブリストルで生まれたキース・ティペットは、かれこれ50年のキャリアを誇るベテラン・ミュージシャンで、2010年代に入ってからもソロ作やリーダー作、ほかのミュージシャンとの共演作などいろいろと出し、ソフト・マシーンに同行して来日公演なども行うなど元気な姿を見せてくれていた。2018年に心臓発作で倒れたが、2019年初頭には復帰してライヴを行っていて、最後まで現役で野心的な演奏を貫いた。

 その死後に早速デヴィッド・シルヴィアンが追悼コメントを残しているが、彼がジャパンを解散した後の1991年に発表したソロ・アルバム『エヴリシング・アンド・ナッシング』にはキース・ティペットも参加していて、デヴィッドが即興演奏に進むうえでとても大きな指針となってくれたようだ。これに象徴されるように、キース・ティペットはジャズ、フリー・インプロヴィゼイション、ロックの中間に位置し、それぞれの世界を繋ぐ触媒のような存在だったとも言える。そもそも彼が頭角を表した1960年代後半は音楽界全体が革命期にあり、ジャズ界でもロックなどを融合した新しいサウンドが急速に広がっていた。もともとジャズ、ブルース、ロック界の交流が盛んだったロンドンはその一大中心地であり、キース・ティペットもその渦の中にいたひとりだ。最初はクラシック・ピアノを学んできたキースだが、ジャズに進んでからは1968年にエルトン・ディーン、マーク・チャリグ、ニック・エヴァンスらと自身のバンドを結成する。このキース・ティペット・グループのメンツは後にキング・クリムゾンやソフト・マシーンにも関わってくる面々で、すなわちジャズ・ロックとかプログレッシヴ・ロックの人物相関図の中心にキースはいたのである。そうしたジャズとロックに跨るキースのスタンスは、ファースト・リーダー・アルバムの『ユー・アー・ヒア・・・アイ・アム・ヒア』(1970年)にも表われていて、フリー・ジャズとジャズ・ロックの中間をいく演奏の中、ビートルズの“ヘイ・ジュード”の一説が飛び出すなどポップな側面も見せたアルバムである。

 この時期のキース・ティペットは、彼のグループごとキング・クリムゾンへ参加して『リザード』(1970年)、『アイランズ』(1971年)を録音している。クリムゾンがもっともジャズに接近していた時期で、とくに『アイランズ』におけるクラシカルで幻想的な世界から、攻撃的で前衛的なジャズ・ロックへと転じる構成は、キースが大きな役割を担っていたことを物語る。この2作の間にはセンティピードという50人にも及ぶジャズ・ロック・オーケストラを主宰し、ライヴ演奏にアルバム『セプトーバー・エナジー』(1971年)のリリースと精力的な活動を行なっている。ロバート・フリップがアルバム・プロデュースを務め、クリムゾン、ソフト・マシーン、ニュークリアスらの面々が参加し、ジャズ・ロック、フリー・ジャズ、プログレッシヴ・ロック、カンタベリー・ロックなどが混然一体となったこの一大プロジェクトは、当時のロンドンのジャズ~ロックの集大成であり、それをまとめたキースのオーガナイザーとしての能力は並々ならぬものだった。その勢いで制作したキース・ティペット・グループのセカンド・アルバム『デディケイテッド・トゥ・ユー、バット・ユー・ワーント・リスニング』(1971年)は、彼らの最高傑作であると同時に英国ジャズ・ロックの金字塔に数えられる1枚だ。前作に比べてアヴァンギャルドな側面が目立ち、よりフリー色が強まっていった作品であり、ロバート・ワイアットを加えた大迫力の3連ドラムやゲイリー・ボイルのエッジの立ったギターなど聴きどころの多いアルバムである。

 1970年頃のキース・ティペットの参加作品を見ると、ハロルド・マクネア、キース・クリスマス、シェラ・マクドナルド、イアン・マシューズなど、ジャズ、ロック、フォークと様々だ。そうした中でブライアン・オーガーのバンドと行動を共にしていたシンガーのジュリー・ドリスコールと出会って、彼女のソロ作『1969』(1971年)にピアノ演奏とアレンジで全面参加し、この共演をきっかけにふたりは結婚する。スウィンギン・ロンドンのヒップスターだったジュリー・ドリスコールの結婚はセンセーショナルな出来事だったが、その後ジュリー・ティペットと改名し、彼女の音楽もキースの影響で変わっていった。彼らはキース&ジュリー・ティペット名義でもいろいろ作品を残しているが、クラブ・ジャズ世代にとっては2009年にノスタルジア77が夫妻を招いてセッションしたアルバムが印象に残っている。ノスタルジア77のベン・ラムディンによるティペット夫妻へのリスペクトの念が高じて生まれたセッションだった。

 キース・ティペットはとにかく多彩に活動してさまざまなアルバムを残した。ロバート・フリップのプロデュースによるソロ作『ブループリント』(1972年)、パーカッション奏者のフランク・ペリーや妻ジュリーらとのオヴァリー・ロッジでの2枚のアルバム、センティピードに続くビッグ・バンドとなったキース・ティペッツ・アーク、さらにトレヴァー・ワッツ率いる即興集団アマルガムへの参加、キース・ティペット時代からの盟友エルトン・ディーンのグループのナインセンスへの参加、同じく盟友ニック・エヴァンス率いるドリームタイムへの参加、元クリムゾンのデヴィッド・クロスとのロウ・フライング・エアークラフト、英国ジャズ界の重鎮スタン・トレイシーとのピアノ・デュオなど、ここに記していくといくらスペースがあっても足りない。ハリー・ミラーやルイス・モホロなど南アフリカ共和国出身のミュージシャンとも共演が多く、大編成のフリー・ジャズ演奏を行う一方で、アシッド・ジャズ期にはエース・オブ・クラブズというクラブ・ジャズ・ユニットでも演奏していたりと、本当に振れ幅が広く、多方面に影響力を持つミュージシャンだ。こうした振れ幅の広さでは現在の英国ではシャバカ・ハッチングスあたりを思い浮かべるのだが、そうした人たちのパイオニア的存在がキース・ティペットだったのである。

interview with Wool & The Pants - ele-king

 東京の底から音楽が聴こえる。それは世界が静まりかえったときに、よりよく響く。「なぜ(why)」彼はその音楽を演り、「どう(how)」表現するのかにおいての「どう」の部分では、彼の音楽はじつに独創的である。独特の籠もった音響は、1970年代の古いダブのレコードのように粗く陶酔的で、そしてイメージの世界に向かわせる。もっともWool & The Pantが描くのは、人影もない午前2時の侘びしい通りであり、孤独であり、そこには友だちや恋人の姿さえみえない。それでも、Wool & The Pantsのファースト・アルバム『Wool In The Pool』には滑らかな光沢がある。街の灯りがひとつそしてまたひとつ消えていくようであり、遠くてまばたく光のようでもある。つまり、この日本において、Burialの時代に相応しい音楽とようやく会うことができたのである。

 「アルバムはPPUの人が選曲したんです」、長身の德茂悠は身体を斜めに折り曲げながら、曲で歌っているあの声で喋りはじめる。3人組のバンド、Wool & The Pantの首謀者が彼=德茂である。
 「大学くらいから宅録をはじめて、PPUの話が出たのが2017年くらい、それまで録っていたものを全部送って、PPUが選曲しました。入れたくない曲もあったし、もっと気に入っている曲や曲順も送ったんですけど、PPUがそれは嫌だと。でも、PPUが提案した流れを最終的に僕も気に入りました。あのアルバムはPPUの功績がでかいです」
 彼はまず、アメリカはワシントンのインディ・レーベル〈Peoples Potential Unlimited〉、通称PPUの功績について喋る。ファンキーで、ソウルフルなダンス・ミュージックの発掘で知られるこのレーベルから彼らはデビューした。これは面白い話である。オブスキュアな黒人音楽、ヴィンテージのブギーを探しているリスナーから一目置かれているPPUは、日本でもファンは少なくない。しかし彼らは日本のインディにはそれほど興味はないだろうし、日本のインディを聴いているリスナーでPPUを知っている人も多いとは思えない。そして、PPUは“サウンド”に拘っているレーベルである。
 「歌詞を送ってくれって言われたんで、友だちに英訳してもらって送ったんですけど、完成品に歌詞カードは付いてなかったですね(笑)。読んでないんじゃないかな」
 いや、そんなことはない、向こうの人は歌詞をすごく気にする。6月某日、コロナ第一波が収束したかに思えるなか、Pヴァインの会議室でソーシャル・ディスタンスを取りながら、ぼくたちは話した。

 德茂悠と会うのはこれが4回目で、ちゃんと話すのは3回目。1回目はレコード店で、2回目はお好み焼き屋だった。ぼくはひたすらビールを飲み、彼はノンアルコールだった。酒を飲まないのは体質的なことらしいが、ストイシズムが德茂の人生の通奏低音であることは、彼が高校時代ボクサーであったことからもうかがい知れるだろう。
 しかも、ただボクシングをやっていたのではなかった。全国大会に出場するような強豪校の選手だった。朝、昼、夕、夜と空いている時間はすべてボクシングに費やしていたと言うが、同時にヒップホップが好きで、ヒップホップをかけながら練習に打ち込む高校生でもあった。
 「ヒップホップがめちゃくちゃ好きでしたね」と、もとボクサーは回想する。「ボクシング部はみんなヒップホップが好きで。僕はそこでけっこう躍起になって、俺がいちばん面白いの知ってるぞ、みたいな。ヒップホップめちゃくちゃ掘ってて、それをかけながら練習できたんですよ」
 「リズムが重要だった」と德茂は語気を強める。「ボクシングはBPMが大事だから」、そんな彼が高校時代とくに好きだったのはECDの『ホームシック』だった。もちろん、ゼロ年代の世代である彼は、リリースされてから何年も経ってから聴いている。それでもこれが彼の音楽の原点において重要な一作となった。

 音楽にのめり込むきっかけは、病気で入院したことだった。ボクシングの特待生として大学入学予定だった高校3年生のときの出来事で、半年のブランクは彼の人生に進路変更を強いたが、その半年を德茂は無駄にはしなかった。音楽ばかりを聴いて過ごし、彼はますます音楽にのめり込んでいく。
 「大学で上京して、いろんなレコード屋にも行けるようになったんで、ヒップホップ以外の音楽も聴くようになりましたね。で、そのうち音楽をやってみたいっていう気持ちになったんです。でもいっさい何も楽器を使っことはなかったんで、まずはネットでECDが使っていた機材を調べました」

大げさなものは嫌いなんですよ。過剰にドラマチックに演出するのも嫌いだし、過剰に壊滅的に絶望的な歌とかも苦手で。自分の生活に近い淡々とした感じというか。

最初はECDを手本にしてたんだね?

德茂:その頃『失点 in the Park』のCDが再発されて初めて聴いたんですが、当時の自分は曲を作ったことも無いし何もわかってなかったんで、サンプルがループしているだけみたいな、とにかく簡単なものに思えたんですよ(笑)。これなら俺もできるかも? みたいに思ってしまって。それで、あるときECDの部屋の写真を見て、そこにあった機材を買おうと。それがいまも使っているやつです。ローランドの機材なんですけど、高くて買えないので、安いジャンク品を買いました。姉の彼氏にヤフオクで落としてもらって(笑)。あとでお金払うからって。

なんで自分で落とさなかったの(笑)?

德茂:ヤフオクのアカウントもなかったし、クレジットカードも持ってなかったんで。

ローランドのなに?

德茂:MC-909。全部入っているやつですね。いまでも使っているのはそれです。ジャンクなので、できないことがいっぱいあるんですよ。

ジャンクでも一応は使えるんだ?

德茂:一応使えます。ただメモリーが壊れていて保存ができないんですよ。なので電源切ったら終わりっていう刹那的な仕組みで。

じゃあ別の何かに残しておかないと(笑)。

德茂:(iPhoneの)ボイスメモで録音しているだけなんですよ。作ったものをボイスメモで録音して、それで終わりですね。

それをずっと続けてるの(笑)?

德茂:最初からそれをずっと続けてて、いまもそのスタイルです。

だからパラ音源が残っていないんだ。

德茂:iPhoneのボイスメモのスペックがあがっていくにつれてどんどん音がよくなるっていう。

はははは。

德茂:いまだに0っすね。音楽的な話になったら困るというか、「ギターなに使ってる?」みたいな話できないです。


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 最初はインストゥルメンタルからはじまった。トリップホップ──ポーティスヘッドやマッシヴ・アタックなどを参考にしながら曲を作って、CDRに焼いた。それを大学で配ったことが第一歩だったという。
「けどやっぱり誰もまともに聴いてくれなかったですね。それでも作り続けて、CDRを何枚か作っていくなかで、自分の声を一回だけ吹き込んだんです。そうするとけっこう聴いてくれて。良いか悪いかは別として、面白がってくれたんですよね」
 彼は昔のことをよく覚えている。ここでは端折っているが、あたかも昨日のことのように事細かに話している。「本当はラップしたかったんですけどね。でも、家でリリックを書いたときに文字量がエグいってことに気づいて。歌と比べると圧倒的に多いじゃないですか。こりゃ時間かかるなと思ってやめたんですよね」

 音楽は彼の生活そのものだった。彼の生活を支配するのは音楽だけだった。「ずーっと宅録していて」と彼は続ける。「しばらくしてタワレコでバイトをはじめたんですよ、大学も全然楽しくなかったんで。その頃マッシヴ・アタックの『ヘリゴランド』とかフライング・ロータスの『Los Angeles』とか出た頃で、好きな新譜がたくさん出てて、音楽を聴いているのは超楽しかったんですけど、大学にはあんまり友だちはいないし、パーティな感じにも馴染めなかったんです。で、タワレコで働いているとき、偶然いまのメンバーがお店に買いに来たんですよ。『お前見たことあるぞ』みたいなことを言われて、『お前同じ大学だろ』みたいな。それで『バイト終わったら飯いかない?』って。それがけっこう嬉しくて。そいつがいまのベース(榎田賢人)なんですけど」
 まあ、音楽の話ができる友だちができることは、そいつの人生において大きな財産である。ふたりは情報交換した。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンからフガジ、ジェームス・チャンスにDJシャドウ……いろんな音楽を聴いたようだが、そもそも德茂は上京してからの多くの時間をレコード店で働いている。それはおのずと音楽の知識が身につくことを意味しているが、ぼくがもっとも興味深いと思ったのは、彼の口から突然段ボールの名前が出たことだった。
 『Wool In The Pool』のサウンドは、ノン・ミュージシャン的なアプローチによる創意工夫から成り立っている。あらかじめ教科書があり、楽器の演奏スキルを上げるために鍛錬して演奏する音楽ではない。教科書を破り捨て、スキルよりも発想を重んじるアートとしての音楽だ。つまり、彼のやり方はポストパンクのバンドと同じである。ヤング・マーブル・ジャイアンツやレインコーツやワイヤーやジョイ・ディヴィジョンやそういうバンドたちは、演奏力しか取り柄のないバンドよりも数百倍面白い作品を作っている。Wool & The Pantsはこの系譜にいる。
 「CDRを配りはじめた頃、ベース弾いてくれないかって、初めて一緒に録音しましたね。ちょうど僕はブラック・ダイスにハマっていたんで、彼のベースをコラージュしたりして。いま聴いたらめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど、そのときに彼となら面白いことできるかなと思ったんです」
 德茂がライヴを意識したのは、同級生たちが就職先を決めるべく忙しくする大学4年のときだった。その数か月後には、同級生たちは自分の人生の安定のために紺のスーツに身を包んで、朝晩満員電車に乗っている……というのに、彼の頭にあったのはどうしたらバンドでライヴができるようになるかだった。
 「みんな就活してるなか、ライヴのことを考えていましたね。ライヴするなら、じゃあメンバー3人必要なんじゃないかって。とりあえずドラム必要だよねって。いまのドラム(中込明仁)を誘いました。そいつも同じ大学で、バトルスのDVDを見せたりして、一所懸命練習してもらいましたね(笑)」
 「食えるタイプの音楽にたどり着くとは考えてなかったので、ぼくは大学3年の終わりくらいに就職決めてました。1社だけ受けて1社受かって。でも入って1週間で辞めました(笑)。で、ユニオンに入ったんです。だからライヴをはじめた頃はユニオンで働いている時代ですね。ユニオンではスワンプ/フォーク担当でした」

あるときECDの部屋の写真を見て、そこにあった機材を買おうと。それがいまも使っているやつです。ローランドの機材なんですけど、高くて買えないので、安いジャンク品を買いました。姉の彼氏にヤフオクで落としてもらって(笑)。

 当たり前の話だが、バンドとはそう簡単にはいかないものである。卒業後にベースは個人的な事情で東京を離れ、バンドはドラムとのふたり組で活動する。数年後、地元でハードコア・バンドを組んで歌っていたベース担当は、個人的な事情によって再度東京にやって来る。バンドは3人編成に戻ったが、まとまりは悪かった。
 「Wool & The Pantsと名乗る前に、別の名前でやってて、ベースと半々でまったく違うタイプの曲を作って交互に歌ってました」、德茂はバンドがどのようにディペロップしていったのかを話しはじまる。「2012年〜2014年まで、3年くらいやりましたね。2015年くらいにいまのスタイルに近いバンドのイメージが浮かんで、それをやりたいと。そのイメージだと全曲僕が考えた曲をやることになっちゃうんですが、なんやかんやでふたりは受け入れてくれて。ベースはその頃このバンドとは別にハードコア系のバンドを組んでました。それも結構面白くて灰野敬二さんと対バンしたりしてました」
 そしてスライ&ザ・ファミリー・ストーンからの影響についての説明を加える。「僕の方向性も少しづつ固まっていきました。ヒップホップに戻っていったんですけど、大きかったのはスライでした。スライの作品にはすべてがあるじゃないですか。ヒップホップ、ダブ、テクノ、スワンプ的でもある。めちゃくちゃハマりましたね。それで、スライ的なことを別のスタイルでやってみようかなって思いはじめた頃に、バンド名をWool & The Pantsに変えました」

それは、クール・アンド・ザ・ギャングのパロディなわけでしょ?

德茂:フェイクっぽい名前にしたかったんで。シリアスな名前とか、クールな名前にはしたくなかったんです。
 当時ジェームス・パンツにハマっていたんで、パンツ欲しいなって(笑)。で、カールトン&ザ・シューズとか、衣類系いいなみたいな。あとスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーン、プリンス・アンド・ザ・レボリューションとか格好いいバンドってだいたい「and The〜」付いてるなと。メンバーからは「別にいいんじゃない?」みたいな感じでしたけど、僕はけっこう気に入ってて、Wool & The Pantsって名前を思いついたときに音楽性も固まっていった気がします。

ライヴのほうはうまくいったの?

德茂:うまくいってないですね。最初は、無力無善寺とかUFOクラブあたりでやってたんですけど、客5人くらい。友だち多めなバンドにマウントされてました。

1stアルバムの時点で音の世界観ができてるんだけど、これっていうのはどうやって生まれたんだろう? 社会からなのか、自分の内面からなのか?

德茂:内面ですかね。社会的なことは内面にも影響してるはずなので。言葉に関してはボクシングの挫折がひとつ大きいですね。試合が近づくと、朝練・昼練・夕練・夜練ってあったんですよ。空いてる時間は全部ボクシング。それが無くなって、いろいろ考える時間が増えて、そこを少しずつ音楽で埋めていった感じですね。とくに今回アルバムに入っている曲の半分はその頃、18〜20歳くらいのときに書きました。“Bottom Of Tokyo”の詞もその頃ですね。

18歳の青年がなんで女性言葉で? 

德茂:いくつか理由はありますけど……女性の言葉の方が表現しやすいと思ったんじゃないですかね。もちろん男性の言葉で書いている曲もありますけど。

それは德茂くんのなかに、女性性があるってことなのかな?

德茂:うーん。僕がめちゃくちゃ女系一家で。小さい頃父はずっと単身赴任で、ずっと離れて暮らしていたんですよ。姉がふたりで僕が末っ子で。母親と姉ふたりのなかで暮らしてて。いとこも三姉妹なんですよ。親族があつまると女の人ばかりで(笑)。そういう環境で育った影響はあるかもしれないです。

“Bottom Of Tokyo”は底辺の生活を歌っている曲じゃない? 18歳のときの歌詞なんだね。

德茂:そうです。その頃からあまり変わらないですね。

作品のリリースについてはどう考えていたの?

德茂:興味を持った人が聴いてくれればいいかなって思ってましたね。だからどこからリリースするとかはとくに考えずに、Soundcloudにずっとあげてました。ユニオンで働きながらライヴして、Soundcloudにできた曲をあげるっていう。二桁再生されたら嬉しいなって感じで。

ずーっと曲は作り溜めていたわけでしょ?

德茂:めちゃくちゃありますね。

メモリーがないわけだからどうやって保存してたの?

德茂:ボイスメモですね。全部ボイスメモです。

全部ボイスメモなんだ。

德茂:ボイスメモをPCに出して。それで送ったって感じですね。

Soundcloudにあげてたものも?

德茂:そうですね。無料サイトでWAVファイルに変換しただけっすね。

それで独特の籠もった感じが出てるのかなあ。

德茂:でもめちゃくちゃフィルターかけてますね。フィルターかけて、その上で劣化して。リー・ペリーからの影響ですね。スライの『暴動』とリー・ペリーの『スーパー・エイプ』、ずっと僕の音触りのゴールがそこなんです。で、ふたりともメロディははっきりしてるじゃないですか。あのざらついた音と、そうじゃない僕のメロディとで、いまの音楽になりましたね。

作ってるときはひとり?

德茂:“Bottom Of Tokyo”だけ3人でスタジオ入ってミックスしてますけど、他の曲はすべて、僕が家で全部の楽器を演奏して録ってます。

それまでの生活は
ひどく貧しくて
わたしの性格も
ひどく貧しくて
くたびれた
“Bottom Of Tokyo”

 “Bottom Of Tokyo”は貧しい生活にうんざりして人知れず旅に出る女性の心情が歌われている。“Just Like A Baby Pt.3”は、「僕と外へ」「逃げて」と繰り返す。“Sekika”は「星の出ない夜も」「月の出ない夜も」「愛されない」といい、そして“Wool & The Pants”では「まあいいのさ」と何度も繰り返される。永遠のやり切れなさがここにはある。Wool & The Pantsはそうしたネガティヴな感情をドライに表現する。そして、ダンス・ミュージックとダブを通過したサウンドは官能的でさえある。そうすることでWool & The Pantsは、この見通しが暗い日々を乗り越えているのだ。
 あるいは決別すること、これもまた彼の歌詞を特徴付けるコンセプトであり、とりわけ“Edo Akemi”という曲は、朝早く、部屋を片付けて旅立つ人の覚悟をもった心情にリンクする。それは彼がインディで感じてきた同調圧力への決別にも思える。
 その“Edo Akemi”は日本のポストパンクにおいて重要バンドのひとつ、じゃがたらの“でも・デモ・DEMO”のカヴァーだが、やかましいオリジナルとはまるっきり別のむしろ囁くように静かな、完璧なまでに自分のサウンドに変換したカヴァーだ。

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大きかったのはスライでした。スライの作品にはすべてあるじゃないですか。ヒップホップ、テクノ、ダブ、スワンプ的でもある。それで、スライ的なことを別のスタイルでやってみようかなって思いはじめた頃に、バンド名をWool & The Pantsにする。

Wool & The Pantsは独自のサウンドを持っているけど、“Edo Akemi”なんかはその独自なところがすごくよく出ている。完全に自分のサウンドにしちゃってる。

德茂:(陣野俊史の)『じゃがたら』って本を大学生のときに読んだんですが、江戸アケミさんにすごく感情移入した時期があったんです。じゃがたらの1st(『南蛮渡来』)がめちゃくちゃ好きで。ただ自分が音楽をやるうえでは、絶対に真似はしたくないというのがあって。オリジナリティはずっと意識してました。ニュー・エイジ・ステッパーズが好きなのは、ダブだけどダブじゃないからです。ジェームス・チャンス、ESG、KONKのようなNY勢もそうですよね。ファンクでありファンクじゃない。僕が好きな音楽はみんなそうですね。オリジナルな解釈を持っている。

このアルバムを聴いたときに、ひき籠もってる感じ? もってる音色、ドラムの音にしてもそういうものを感じたし。それは意識してるんですか? このくぐもったような音とか。

德茂:もちろん、くぐもったような音は狙ってやっています。もともと僕の声が籠もっているんで、籠もった声でドラムだけクリアになってても合わないので。ただ、完全にフィーリングだけでやってます。

ミキサーはあるわけでしょ?

德茂:ないです。MC-909のなかで全部やってます。録音からミックスまで。歌録りは家にあるギター・アンプにマイクつないでそれのアウトから入れてます。でもどうでもいいんですよ、めちゃくちゃに録っても最終的にどうせ絞っちゃうんで。

機材を増やそうとは思わないんだ?

德茂:うーん、でもMC-909のジャンクじゃないものが欲しいっていまだに思ってますね。これしか使えないんで。

そういう意味でいうと、まさに德茂くんの生活から生まれた音だね。金をかけて作った音楽ではないっていうか。

德茂:アルバム出すために、スタジオで録音する、これくらい必要だ、お金稼ごう、みたいなのがしっくりこないんですよね。家にあるものだけでも面白いものはできると思うので。

ワンルーム・マンション?

德茂:ワンルームです、めちゃくちゃ狭くて、機材とベッドって感じです。4万円くらい。それ以前は3万円で、天井が落ちてきて引っ越しました(笑)。"Bottom Of Tokyo"ですね。

最近はUSのヒップホップではスタンディング・オン・ザ・コーナーにハマってるんだって?

德茂:そうなんです。3年前くらいに友だちが教えてくれたんですよ。「ちょっと似てるんじゃない?」って。たしかにやってることは違うけど音質が近い。スタンディング・オン・ザ・コーナーの音って、ロフト・ジャズの音。屋根裏の音っていうか、僕は地下だけど、メインステージにはどっちもいないっていうか。サン・ラについての曲があって、サン・ラは「別の場所へ行こう」って、グレイト・エスケープ的なことを歌っていたじゃないですか。だけど、サン・ラの曲をパロディしながら「僕らの世代はもう行く場所も無くなっている」っていうことを歌っているんですよ。“エイント・ノー・スペース”って。

そういう同世代の音や言葉って気になる?

德茂:気になるし、新しい音楽は好きですね。

次の新しいアルバム作ってるの?

德茂:作ってます。いまも点けたまんまですね、機材。

停電とかしたらやばいね。

德茂:めちゃくちゃヒヤヒヤしてますね。でもよくあるんですよ、落ちちゃって。年末から来年頭には出したいってずっと思ってます。

働いているとき以外は曲作ってるの?

德茂:いや、それもそれで疲れてきちゃって。働いて、家帰って本読んで、寝るって感じで。土日に曲作るって感じです。

曲のインスピレーションっていうのはどこからくるの?

德茂:普段の生活からですかね。大げさなものは嫌いなんですよ。過剰にドラマチックに演出するのも嫌いだし、過剰に壊滅的に絶望的な歌とかも苦手で。自分の生活に近い淡々とした感じというか。自分の温度の音楽を作ってる感じです。

いま作っているものって、アルバムとして作る最初の作品になるわけだけど、テーマとかコンセプトはあるの?

德茂:あります。前作は結果としてダブとファンクが中心に出来たものだと思っていて、次のアルバムもダブは引き続き残るんですけど、JAZZとヒップホップを混ぜたものになるかなと思ってます。あと最近歌い方がようやく定まってきた気がしてます(笑)。

好きなヴォーカリストっているんですか?

德茂:います。マッシヴ・アタックは客演も含めてヴォーカルが良い曲が多いと思います。声でいったらMFドゥームとかメソッド・マンも好きですね。

今回のアルバムのなかで、アルバムを象徴している曲名は何だと思いますか?

德茂:“Bottom Of Tokyo”ですかね。

ちなみにこの緊急事態宣言のときは家から出ないでいたの?

德茂:仕事が週3日あったので。それ以外は散歩だけですね。

音楽以外で楽しみってなに?

德茂:本が好きで。小説ですね。宇野浩二とかミシェル・ウエルベックとか。最近は金子薫って人も好きで読んでます。

 こんな感じで、彼との1時間半ほどのお喋りは終了した。始終と淡々と喋っているが、若い世代らしく会話のなかでは、ロバート・グラスパーなんてダサいとか、思い切りが良い言葉がどんどん出てくる。敵を作りそうなことは言わない、優等生ばかりが目立つ昨今のインディ・シーンにおいて、こういう性格は浮いてしまうのだろうけれど、いままでレコードでしか聴けなかったWool & The Pantsのデビュー・アルバムがこの6月にはCDとして流通することになった。すべては作品で判断されるだろうし、「なぜ(why)」彼はその音楽を演り、「どう(how)」表現するのかにおいての「なぜ」の部分も、年内もしくは年明けにリリースされるセカンドで、より明らかにされることを願っている。

※WATPのインスタはこちらです。https://www.instagram.com/woolandthepants/

Alfa Mist & Emmavie - ele-king

 先日トム・ミッシュとユセフ・デイズの共演アルバム『ワット・カインダ・ミュージック』がリリースされたが、サウス・ロンドンではこうしたコラボが盛んだ。アルバム単位では昨年もベーシストのダニエル・カシミールがジャズ~ソウル・シンガーのテス・ハーストと組んだ『ディーズ・デイズ』がリリースされたが、アルファ・ミストとエマヴィーによる『エポック』もそれに近い路線の作品だ。ただし、このミニ・アルバムはもともと2014年に発表されたものの再リリースとなり、新たにリマスタリングが施されている。『ディーズ・デイズ』がブロークンビーツなども交えた硬質のフュージョン・ジャズ調だったのに対し、『エポック』はずっとR&Bやヒップホップ寄りの作品となっている。それは、そのままアルファ・ミストとエマヴィーの音楽のベースとなっているものだ。ちなみにアルファ・ミストはトム・ミッシュ、ユセフ・デイズともコラボを行なってきていて、『ワット・カインダ・ミュージック』がリリースされたタイミングで『エポック』が再リリースとなったのも何かの縁かもしれない。

 アルファ・ミストにとっては昨年の『ストラクチュラリズム』に続く最新アルバム『オン・マイ・オウンズ』がリリースされたばかりであるが、こちらは完全なピアノ・ソロ作である。映画音楽的で緻密な構成も感じられた『ストラクチュラリズム』、ジャズ・ピアノとポスト・クラシカルの中間に位置するような『オン・マイ・オウンズ』に対し、『エポック』はもっとラフなスケッチ的作品集で、あくまでエマヴィーの歌との共存を目指した音作りになっている。『ストラクチュラリズム』やその前の『アンティフォン』(2017年)にはシンガー・ソングライターのジョーダン・ラカイをフィーチャーした曲もあり、また彼のアルバムの『ワイルドフラワー』(2017年)にも参加したり、2015年のEP「ノクターン」ではトム・ミッシュとの共演も披露しているが、『エポック』はそんなコラボの原点にあるものだろう。

 一方のエマヴィーは本名がエマヴィー・ムボンゴというロンドンを拠点とするアフリカ系のシンガーで、主にヒップホップやR&Bの分野でセッション・シンガーとして活動している。ドルニック、IAMNOBODI らと共演し、自身でもEPの「シームレス」、「L+VEHATER」(共に2013年)、アルバムの『ハネムーン』(2019年)といった作品をリリースしている。エマヴィーとしても『エポック』は彼女の活動初期にあたる作品で、これをきっかけに翌年のアルファ・ミストの「ノクターン」でも再び起用されている。

 もともと7曲入りのEPだった『エポック』だが、今回の再リリースに際しては1曲加えた8曲となっている。その追加曲の “エナジー” は『ストラクチュラリズム』にも参加していたロッコ・パラディーノ(ピノ・パラディーノの息子)がベーシストとして参加し、“フライ・アウェイ” という曲はエマヴィーと一緒に仕事するシンガー・ソングライターのドルニック・レイが共同プロデュースを担当する。また “シング・トゥ・ザ・ムーン” はローラ・ムヴーラの作品のリワークとなっている。アルファ・ミストはピアノやキーボード全般に加え、ビート・プログラミングを行なっている。むしろ『エポック』は彼のビートメイカー的な才能にスポットを当てたものと言えるだろう。“インソムニア” ではラップも披露していて、彼の音楽的基盤においていかにヒップホップが大きなものかを物語る。
 エマヴィーの歌はエリカ・バドゥ直系とも言えるようなスタイルで、『エポック』は全般的にネオ・ソウルの王道を行くような作品である。J・ディラのプロダクションに影響を受けているアルファ・ミストだが、『エポック』はエリカ・バドゥ、J・ディラ、コモン、ディアンジェロなどによるソウルクエリアンズの世界観を継承しているのは明らかだろう。またジャズ的な見地ではピアノ使いはやはりJ・ディラとも交流のあったロバート・グラスパーにも重なる。そして全体的に沈み込むようなダウナーでメロウな作品が多いところは、やはりロンドンらしさと言えるかもしれない。振り返ると1990年代から2000年代にかけ、ロンドンにはスペイセックやブレイク・リフォーム、ディーゴやカイディ・テイサンらによるシルエット・ブラウンなど、ジャズのエッセンスも加えた良質なダウンテンポ・ソウルを提供するユニットがあった。本作もその系譜を受け継ぐ作品と言えるだろう。

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