「Nothing」と一致するもの

Tomoyoshi Date - ele-king

 アンビエント作家の伊達伯欣が傑作と名高い『Otoha』以来のソロ・アルバムをリリースする。タイトルは『438Hz As It Is, As You Are [あるがまま、あなたのままに]』。
 どういうことなのか、以下、伊達本人からの説明をお読みください。

 

 このレコードは、母方の祖母の姉(*)の家にあった1950年代につくられたDiapasonのアップライト・ピアノで録音されました。そのピアノは、70年に渡る引越しと調律を経て、今は我が家のリビングにあります。大量生産前のピアノで板も厚く、音の響きが良いのですが、ネジや衰えてきた基盤を交換しなければすぐに緩んでしまうため、調律ができなくなってしまいました。そこで調律師さんと相談した結果、一番緩んでいる、絞めることのできないネジに巻かれている弦の音に、全体の調律を落とすことで全体を合わせていくことにしました。「As it is(それがあるがままに)」

*山田美喜子:1964年に現代邦楽の日本音楽集団を結成し、世界で初めて琵琶を五線譜にした演奏者・指導者。

 夏に調律した際には、少し無理をして442kHzで調律をしたのですが、冬の調律は438kHzにしました。これからこのピアノは、物質の老朽化と共に、年々ピッチが下がっていきます。僕は朽ちていくピアノを弾いて、その時だけにしかできない音楽を、録音し続けていこうと思っています。

 レコードに針を落としたその時、その場で音が生まれ、その針の周りの空気や温度・湿度によって音は常に変化します。その音はさらに、聞く人の生活のすべてに影響を与え、その人の身体と精神の周波数に影響を与えます。一度発生した音の影響は永遠に減衰しながらも、この世の中に残っていくものです。

 438kHzの調律で製作されたこの作品は、聴く人のその時の気分や周波数に合わせて、好きな速度でピッチを調整してもらうことを念頭に作成されました。45回転のレコードを少し早く回せば、このピアノを442kHzに蘇らせることもできます。33回転の早めでも、遅めでも、あなたの好きなように回転数を調整してください。僕は録音したピアノの音が引き伸ばされた音がとても好きで音楽製作を続けています。今作も原曲より遅くしたピアノの音のほうが気に入っています。ゆっくりしたいときはゆっくりとした音楽で、あなたの周りの空間や生きものたち、あなた自身の身体と精神のピッチを調整してみてください。「As You Are(あなたのままに)」
 
 
 アルバムは2022年12月19日にフランスの〈laaps〉からリリースされる。bandcampはこちらから

Tomoyoshi Date
438Hz As It Is, As You Are [あるがまま、あなたのままに]
laaps


JAGATARA - ele-king

 JAGATARAのCDがリマスタリングされて再発される。今回はOTOの強い要望により、新たに久保田麻琴(ex.裸のラリーズ、久保田麻琴と夕焼け楽団、サンディー&ザ・サンセッツ 他)によってリマスタリングされている。すべて限定生産。発売は、2023年1月25日、江戸アケミ永眠から33年目の命日。詳しくはこちら(https://www.110107.com/jagatara2023/4)を参照ください。

 今回再発されるのは以下の5枚。

〈JAGATARA 2023 CD REISSUES〉

完全生産限定盤
2023.1.25 IN STORE
発売元:ソニー・ミュージックレーベルズ
●紙ジャケット/高品質Blu-spec CD2仕様
●2023年版最新リマスタリング by 久保田麻琴
ソニーミュージック特設サイトURL
https://www.110107.com/jagatara2023/


JAGATARA/BEST OF JAGATARA~西暦2000年分の反省~
Original release: 1993.2.24
CD: MHCL-30791~2(2枚組) / ¥4,400 (tax in)

江戸アケミ死後の1993年にリリースされた2枚組ベストアルバム。“財団法人じゃがたら”時代のシングル曲「LAST TANGO IN JUKU」に始まり、キャリア全時代から代表曲が選ばれているが、随所にアケミのライヴMCやモノローグも挿入され、オリジナルとはまた違った聴感を残す。またDisc 1:5~8、Disc 2:1は1989年ニュー・ミックス。

 Disc 1
1. LAST TANGO IN JUKU*
2. でも・デモ・DEMO**
3. BABY**
4. クニナマシェ**
5. 裸の王様
6. もうがまんできない
7. ゴーグル、それをしろ
8. 都市生活者の夜

Disc 2
1. みちくさ
2. つながった世界 FUCK OFF!! NOSTRADAMUS
3. ある平凡な男の一日 A DAY IN THE LIFE OF A MAN
4. 中産階級ハーレム―故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ― MIDDLE CLASS HARLEM
5. SUPER STAR?
6. そらそれ(MANTLE VERSION)
7. HEY SAY!*
*…財団法人じゃがたら **…暗黒大陸じゃがたら


暗黒大陸じゃがたら/南蛮渡来
Original release: 1982.5
CD: MHCL-30793 / ¥2,750 (tax in)

“暗黒大陸じゃがたら”名義で1982年バンド自身のレーベルUGLY ORPHANからリリースした1stアルバム。初期からのパンク的要素とのちの黒人音楽~アフロ要素が混在し、闇雲なパワーと危うさを孕んだ本作は、発表と同時に国内の代表的なロック・メディアから高い評価を受けた。本作のジャケット・デザインは再発の度に変更され全部で4種あると言われるが、今回のCDは初回発売盤LPに準拠している。Track 9、10はLP未収録。

1. でも・デモ・DEMO
2. 季節のおわり
3. BABY
4. タンゴ
5. アジテーション
6. ヴァギナ・FUCK
7. FADE OUT
8. クニナマシェ
9. 元祖家族百景
10. ウォークマンのテーマ


JAGATARA/裸の王様
Original release: 1987.3.25
CD: MHCL-30794 / ¥2,750 (tax in)

“JAGATARA”として初のオリジナル・アルバムとなる2nd。アケミの精神的不調による休養を経て、前作『南蛮渡来』から5年後の1987年にバンド自身のレーベルDOCTOR RECORDSから発表された。ファンク・ナンバーを中心に長尺曲4曲で構成され、“和製アフロビート”と呼ばれるスタイルを確立した作品。
本作のジャケット・デザインは色違いで数種類存在するが、今回のCDは初回発売盤LP(青色)に準拠している。

1. 裸の王様
2. 岬でまつわ
3. ジャンキー・ティーチャー
4. もうがまんできない


JAGATARA/ニセ予言者ども
Original release: 1987.12.10
CD: MHCL-30795 / ¥2,750 (tax in)

『南蛮渡来』、『ロビンソンの庭』(山本政志監督映画サントラ)に続いて1987年3枚目のアルバムとなった作品で、バンド自身のレーベルDOCTOR RECORDSからリリースされた。収録全4曲すべてアンセムと呼ばれるほどの充実度を誇り、ますます冴えわたるアケミの詞作と共にアフロ/ファンクを血肉化した安定期のバンドの自信漲る演奏を堪能できる。これが彼らのインディ時代最後のアルバムとなった。

1. 少年少女
2. みちくさ
3. ゴーグル、それをしろ
4. 都市生活者の夜


JAGATARA/それから
Original release: 1989.4.21
CD: MHCL-30796 / ¥2,750 (tax in)

満を持してBMGビクター(当時)から1989年にリリースされたメジャー第1作。ジョン・ゾーン、ハムザ・エル・ディンら海外勢も含む多数のゲストが参加。一部録音とミックスをパリで行い、ミキシング・エンジニアにはゴドウィン・ロギー(アスワド、キング・サニー・アデ他)を起用。音楽的にはカリプソ、ヒップホップ、フォーク等の要素も交えた多彩にしてゴージャスな作風となったが、後の瓦解の予感も忍ばせる。CDデザインは初回発売盤LPに準拠している。前回CD発売時未収録だったシングル曲「タンゴ(完結バージョン)」を追加収録。

1. TABOO SYNDROME いっちゃいけない症候群
2. GODFATHER 黒幕
3. BLACK JOKE 気の効いたセリフ
4. CASH CARD カード時代の幕開け
5. つながった世界 FUCK OFF!! NOSTRADAMUS
6. ある平凡な男の一日 A DAY IN THE LIFE OF A MAN
7. 中産階級ハーレム―故ジョン・レノンと全フォーク・ミュージシャンに捧ぐ― MIDDLE CLASS HARLEM
8. ヘイ・セイ!(元年のドッジボール) HEY SAY!
9. タンゴ(完結バージョン) TANGO (COMPLETE VERSION)


JAGATARA Profile
1979年、江戸アケミ(vo)を中心に“エド&じゃがたら”として活動開始。その後“財団法人じゃがたら”“暗黒大陸じゃがたら”等改名を重ね、1986年頃より“JAGATARA”に固定。初期のライヴではアケミがステージ上で全裸になり流血、ニワトリやヘビを食いちぎる等の奇矯なパフォーマンスが一般誌でも報道され悪名を馳せる。1981年のOTO(g)加入前後よりシリアスに音楽を追求する姿勢に方向転換。アケミの精神的不調による活動休止(1984~86)を挟み、1989年『それから』でBMGビクター(当時)よりメジャーデビュー。その後も旺盛なライヴ/レコーディング活動を展開したが、その矢先の1990年1月27日、アケミが不慮の事故で急死し、活動休止。その後もナベ(b)、篠田昌已(sax)とメンバーの物故が続くが、OTOを中心に存命メンバーが折に触れて集結しライヴを行う。アケミ他界から30年目となる2020年1月、“Jagatara2020”として新曲を含むCD『虹色のファンファーレ』を発表、豪華ゲストを多数交えて敢行した復活ライヴは大反響を呼んだ。その後コロナ禍により活動休止を余儀なくされたが、2022年夏には橋の下世界音楽祭(愛知県豊田市)に出演、2年半ぶりのライヴ復帰を果たした。

 *おことわり
JAGATARAがかつて発表した楽曲の一部には、現在では不適切と思われる歌詞内容を含んでいるものがあり、お客様によっては不快に感じられることがあるかもしれません。しかし、それらは当時の時代背景の中で、ヴォーカリストの故・江戸アケミをはじめとするJAGATARAのメンバーが、弱者・マイノリティーの立場から真摯に生み出した表現であることを鑑み、当時の内容のままで発売いたします。ご了承ください。

Horse Lords - ele-king

 ロックを聴かないロック・バンドもどきのバンド、ホース・ローズは、この10年間じょじょにその存在感を増し、そして今回の〈RVNG Intl.〉からの通算5枚目のアルバムによって、それこそかつての——音楽的には同類ではないが——バトルズのようなもはや無視のできない存在になっている。
 あるいは、もっとわかりやすく90年代におけるトータスのようなバンドを思い浮かべることもできそう……ではあるが、あの時代のポスト・ロック勢とはアプローチが違う。彼らが現代音楽の要素をロックに落とし込んだのに対して、ホース・ローズのミニマリズムはアカデミーの外部から来ているし、そもそもロックに落とし込んですらいない。ロック・バンドのフリをしているが、ボルチモア出身の4人組が影響を受けているのは、ディスコやハウス・ミュージックであり、エレクトロニック・ミュージックであり、アフリカ音楽のミニマリズムであり、さもなければアメリカのバンジョー・スタイルのブルーグラスだったりする。しかもそれを、ただ感覚的に「いいね」しているのでもない。極めて理論的に、西欧音楽の限界の外側へといくための知恵として咀嚼している。抜け目ない連中なのだ。
 
 ディスコやハウス・ミュージック、アフリカ音楽のミニマリズムに影響を受けているということは、ホース・ローズの音楽には陶酔があるということだ。彼らの音楽を少しでも聴けば、しかしこの音楽が理論的で、楽曲には複雑な拍子記号が散りばめられていることがわかる。が、彼らの驚異的な演奏能力はリスナーの頭を混乱させるためにはない。思考をふっ飛ばす(相対化する)ためにある。つまりある種の恍惚状態で、ある意味CANのアップデート版であり、ときにはジャジューカやラ・モンテ・ヤングのようなトランス・ミュージックの変異体だったりもする。
 しかしながら非西欧の音楽の流用に関して、ホース・ローズはとくに慎重に考えている。ヴァンパイア・ウィークエンドを反面教師とし、白人がアフリカの音楽の表層を誇張することを回避するようかなり意識しているようだ。だから彼らは、わかりやすい「アフロ」はやっていない。
 アルバム冒頭の“Zero Degree Machine”におけるミニマリズムへのこだわりとその素晴らしく流動的な展開には非西欧的な音階が巧妙に配置され、トランスの精度を上げている。“Mess Mend”(この曲名は、資本主義支配に対抗する労働者の地下抵抗運動を描いた幻想文学に由来する)はハウス・ミュージックめいたピアノにはじまりながら、唐突に濃縮されたジャズ/ブルースの断片の雨あられとなる。変拍子にはじまる“May Brigad”ではサックスが暴れ、ディス・ヒートを圧縮したかのようなタイトな躍動を見せる。1949年に一種のユートピア共同体として設立されたポーランドの通り名を題名とした“Solidarity Avenue”なんていう曲もあるが、バンドがすでにアルバム・タイトルもってこの音楽を「同士たちの客体(Comradely Objects)」と手短に説明しているように、リスナーがこの音楽を介して好き勝手に仲良く感じればいいだけの話である。
 ドローンからはじまる10分あまりの“Law Of Movement”では、強度の高いリズムが挿入されるとURのエレクトロ・ファンクに接近しながら催眠的な境地に達し、クローサー・トラックの“Plain Hunt On Four”にいたっては言葉が音に追いつけないほど異次元のグルーヴを創出している。それを構成する音階もリズムも、そしてその空間も、本質的な意味でのエクスペリメンタル(実験/体験)であって、いや、もう何だこれはというか、舌を巻くしかないです。なんにせよ、ホース・ローズは過去の様式を参照しまくって再構成するバンドではなく、既存の音楽の歴史や本質を咀嚼し、まだ足を踏み入れられていない領域に足を上げているバンドなのだ。
 バンドは、(なかば冗談めいて)ハウス・ローズ名義でハウス・ミュージックをやるかもしれないそうだが、いや、ぜひやっていただきたい。彼らはただ楽理を極めているのではなく、その研究心は哲学や社会学にもおよんでいる。彼らの特殊な音階も、『ワイアー』の記事によれば、歴史的12音階へのフェミニズム的批判の影響にもうながされているそうだ。まあ、本格的な知性派ということで。ちなみに、ホース・ローズはここ数年、地元の友人であるマトモスあるいはザ・ソフト・ピンク・トゥルースの諸作に参加している。

大規模なフェスティバルはなぜ消えたのか。
その後の音楽フェスの原型となったフェスティバルが遺したものとは?

たくさんの困難を乗り越えて、世界の音楽を紹介してくれたのが「ウォーマッド横浜」だった。 ──ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
現在、日本で隆盛をきわめる「フェス」の、その実質的な原点が「ウォーマッド横浜」だった。だがあれだけの巨大イベントも、今は語られることはない。そのナゼ、隠された秘密を、企画立案者だった横浜市の担当者が紐解いてみせた書籍。日本の地方行政のあり方にも踏み込んだ、相当にユニークな日本芸能史・そのエピック。 ──藤田正(音楽評論家、プロデューサー)

1991年から1996年にかけて、横浜博覧会跡地(現・臨港パーク)ほかで開催された国際的文化イベント「WOMAD横浜」の内実を、当時、横浜市の担当者だった著者が生々しく語る。未発表写真多数。

特別寄稿:ピーター・バラカン、布袋泰博(スキヤキ・ミーツ・ワールド実行委員長)ほか

写真:菅原光博、石田昌隆、菊地昇

未発表の貴重な写真を網羅:都はるみ、坂本龍一、スザンヌ・ヴェガ、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、パパ・ウェンバ、ユッスー・ンドゥール、デティ・クルニア、照屋林助、りんけんバンド、ほか

四六判 256ページ

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* 発売日以降リンク先を追加予定。

interview with Plaid - ele-king

 ぼくはプラッドのこのアルバムを、ことさら傑作とは言わないけれど、大好きな音楽だとは言える。ぼくはときどき気を失いそうになる。2022年は『アーティフィシャル・インテリジェンス』と『セレクテッド・アンビエント・ワークス 85-92』と『UKOrb』がリリースされてから30年目だ。この30年で、世界がどれほど変わり果てたことだろうか。つまり、『アーティフィシャル・インテリジェンス』と『セレクテッド・アンビエント・ワークス 85-92』なんていうのは、いまもっとも聴きたくないアルバムなのだ。あんなにラブリーで、平和で、無邪気で、穏やかでありながら驚きもあって、不安や心配事などなく、日々の些細なことにもワクワクしているようなエレクトロニック・ミュージックなんて冗談じゃない。聴いたら泣くだろう。
 だいたいブライアン・イーノのアンビエントやクラフトワークのテクノ・ポップと違って、あの時代のエレクトロニック・リスニング・ミュージックは、20歳前後の若者のベッドルームに設置されたお粗末な機材によってカセットテープに録音された曲ばかりなのだ。その音楽が歴史を変えたし、若者たちの価値観やライフスタイルをも変えた。金のかかった立派なスタジオで生まれた音楽にはできないことをやってのけた。そんな音楽をこの「暴力と恐怖の時代」(©三田格)に聴いたら、泣いてしまうに違いない。

 プラッドの『Feorm Falorx』は、ロマンティックなノスタルジーに満ちている。このノスタルジーはいま、なにか強い意味を持ちえてしまっている。失われしものが凝縮されているのだ。
 前作『Polymer』で見せた未来への不安とは打って変わって、惑星FalorxにおけるFeormという架空のフェスティヴァルをコンセプトとした『Feorm Falorx』はその対極というか、あまりにもキラキラしている。明日への不安や心配事がない世界だ。もともとプラッドはエイフェックス・ツインと同胞だったが(良くも悪くも)目立たない正直者で、オウテカとも実験仲間だったが(良くも悪くも)優しかった。エド・ハンドリーとアンディ・ターナーのふたりは、そうした自分たちの特徴をこのアルバムでは良き方向へと集中させている。
 以下、エドが答えてくれた。今日日なにか希望なり安らぎがあるとしたら、この世界にプラッドがまだ存在できているということだと誰かが言った。まったくその通りだ。

災害もパンデミックもとんでもない気候変動もなく、絶望的な恐怖に震えながら暮らしていたわけじゃなかった時代。そういういまよりシンプルな時代を振り返っていたのかもしれない。

新作の『Feorm Falorx』を聴かせてもらいましたが、とても美しく、ダンサブルで愛らしいエレクトロニック・ミュージック、しかも今回は親しみやすい音楽だと思いました。なので、いまからお話を訊くのが楽しみです。よろしくお願いします。さて、パンデミックがはじまってからどんな風に過ごされていたのですか? 

エド:誰もがいっせいに閉じ込められて、僕はロサンゼルス、アンディはロンドンでロックダウンになって。それからはためらいがちに、かなりゆっくりと、人びとが外出するようになってきて。音楽イヴェントや社交に関しては、依然として様子を見つつという部分があると思う。僕はフランスで過ごすこともあるんだけど、レストランに行くにしても何にしても、まだ慎重に、とくに冬になるとやっぱりみんな少し不安になってくるからね。ただありがたいことに音楽はどこにいても作れるからそれはずっとやっていた。大部分がエレクトロニックだからほぼどんな状況でもラップトップを開きさえすれば作業できるし、そこはラッキーだった。でもパンデミックのトラウマみたいなものはあって、実際多くの人にとってこのウィルスはかなり致命的で、実際友人や家族を亡くした人もたくさんいるわけだからね。いずれにせよ全世界が同じようなことを経験するというのも不思議なものだと思う。そういうことを想起しつつ、それが音楽に紛れ込むこともあっただろうね。みんなが共有できる体験だというのは良い面なのかもしれない。そんなことはごく稀だからさ。

ロックダウン中は制作に集中できたという人もいましたが、プラッドはどんなでしたか? 

エド:最初はそうなると思っていたんだ。音楽を作る時間がたっぷりできたぞと。でも実際はずっと家で隔離されていて何もインプットがない状態だったから難しかった。外出もせず社交もせずにいたら乾涸びてしまったというか。最初はクリエイティヴィティのちょっとした噴出があったけれど、1〜2ヶ月経つとそれもあまりなくなってしまった。というわけで僕らにとってはそれほど創造的な時間とは言えなかったな。

パンデミック中は、多くのアーティストが経済的な苦境に立たされましたが、いまもギグやDJをしたりして、音楽で生計を立てているのでしょうか?

エド:まあ、外出の機会が減ったから支出も減ったけど。でも厳しかったよ。ただし僕らは自営業者だから少し政府から助成があったんだ。その受給資格がない人は本当に大変だったと思う。納税額で決まるんだよ。税金を払ってたら助けてもらえるという。それで僕らは何とかなったんだ。まあいずれにしろ大打撃だったことに変わりはないけど、それでも多くのミュージシャンに対して助成があったからね。

ちなみに感染はしましたか? 質問者は軽症でしたがいちど感染しています。

エド:僕はかなり初期の頃、2020年の3月だった。ものすごい重症というわけではなかったけど、それでもかなり明らかな症状が出たよ。それで3週間ほど隔離生活を送って。年齢が年齢だからもっと悪化してもおかしくなかったけど幸い大丈夫だった。

時の経つのは早いもので、2022年は〈Warp〉の『アーティフィシャル・インテリジェンス』がリリースされて30年も経ったんですね。どんな感想をお持ちですか?

エド:そんなに経ったなんて思えないけど、経ったんだよね。時間は進んでいるわけだ。年を取ると過去を振り返ってもそれほど昔のことに感じないんだ。でも実際はそれだけ時間が経っているという。音楽がどのように変化、進化してきたかを考えると面白いよね。ものすごく変わったとも言えるし、ある意味ではそれほど変わっていないとも言える。でも何が変わったって、いまでは非常に簡単に、世界中の音楽にアクセスできるようになったこと。たとえば30年前は、もしどこかの国の音楽を聴きたいと思ったら専門店に行く必要があったわけだよ。その音楽へのアクセスのしやすさがもっとも大きな変化のひとつだと僕は思う。いつでもどこでも、どこの音楽でも聴くことができるという。総じて言うとそれはポジティヴな変化だと思う。選択肢の多さに圧倒されることもあるけどね。僕たちの音楽も間違いなく変わったしね。プロダクションがだいぶ良くなったという意味でもそうだし、より多様な音楽に触れて、受けた影響の幅が広がったという意味でも。当時自分たちが作った音楽は、時代遅れに聞こえるものもあるし、いつ作ったのかわからないようなものもある。作られた時代を特定するのが難しくなってきてるよね。我々はこれまでにエレクトロニック・サウンドにも慣れ親しんできて、世界中の楽器の音を聴いて、あらゆる音楽に晒されている。だから全部が混ざっているし融合しているんだ。

そういうなかで取りかかった新作になりますが、制作はどんな感じで進んでいったのでしょうか?

エド:かなりの部分をそれぞれが個別に作ったんだ。僕はその時々に滞在している場所で作って、アンディはだいたいロンドンで作っているという。僕は少々ノマドっぽいタイプでひとつところにずっと留まらないから。そして最終的にはロンドンで数日かけて2人でそれまで作ったものを検討する。リモートのち集合だね。やり方としてはこれまでとすごく似ていて、依然として最新のテクノロジーやソフトウェアにすごく魅力を感じるんだ。毎年のように新たな発展があるし新しい方法が出てくるから。つまり今回の制作もこれまで長年やってきたやり方と同じで、終盤でコラボレーションするという感じだった。アルバムの形が見えはじめてきたら集合し、作ったものを一緒に聴いて一緒に調整する。でも最初のアイデアは個別に考えることが多い。それにインターネットの速さのおかげで待ち時間もほとんどなくリアルタイムで一緒に作ることもできるしね。共同作業できるワークステーションも多いし、一緒に作る方法はたくさんあるんだ。

前作『Polymer』のときは環境問題がテーマとしてありました。新作『Feorm Falorx』にもなにかテーマがあるようでしたら、そのことについて教えてください。

エド:アンディには、我々が別の惑星に行ったという主題があったんだ。もし彼がここにいたらうまく説明してくれると思うけれど、アルバムのテーマは、僕ら2人がその惑星で開いたコンサートなんだよ。物理的な惑星かもしれないし異次元的な惑星かもしれないし、僕自身は確信も持てないけれど、たしかにそこにいたんだ。はっきりと覚えていないだけでね。そういうわけで、それがテーマ。まあ明らかに、ファンタジーや逃避、別の存在といったテーマ、あるいは真実とも関係があるだろうね。
 偽情報ということに関して言えばいまは非常に奇妙な時代でもある。ただアンディ的には実際にその惑星に行ったということがメインテーマなんだ。彼がそう言うならそうなんだよ。ファロークスという惑星で行われたFeormというフェスティヴァル。Emma Catnipがアートワークとグラフィックノーベルを手がけていて、惑星までの道程やフェスティヴァルの様子といった一連の旅を描いている。彼女はその世界を再現するためにAIも駆使していて。というわけでアートワークやヴィデオは、彼女の目と想像力を通した、ファロークスにおける僕らの経験を表現したものなんだ。つまりこのアルバムはファロークスで過ごした日々を記録した日記のようなものだね。

アルバムは前半と後半とでは趣が違いますよね? 前半は、ダンス・ミュージックに特化していると思いましたが、いかがでしょうか? 

エド:明確に半分に分けられるかどうかはわからないけど、そこは聴く人次第だからね。このアルバムには間違いなく、自分たちの過去や受けてきた影響、エレクトロやファンクといったものを反映されていると思っていて。だから他のアルバムと比べて後ろを向いている部分が多いかもしれない。もちろん昔のサウンドをそのまま再現しようとしているわけではないけれど、昔の音楽のあからさまな引用がある。新しいものを作ろうとしつつ、伝統的あるいはノスタルジックな要素があって。でもそうだね、終盤にかけては……とくに最後の曲なんかは遊びの要素はグッと減ってシリアスになっていて。フェスティヴァルだからアルバムの大半は陽気だけれど、最後に少しだけシリアスな雰囲気が漂ってくるという。そういう二面性はたしかにあると思う。ただそれほどはっきりした区切りがあるかどうかはわからないな。

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たしかに4/4拍子ではない拍子記号が多いかもしれないね。いままでもやってきたけど、今回は7拍子系が多いかな。単純にやっていて楽しかったというだけで何かちゃんとした理由があるわけではないんだ。

30年前には、プラッドの音楽では踊れないという批判がありました。そんなプラッドの歴史を思うと、今回は意外と、とくにアルバムの前半なのですが、キャリアのなかでもっともダンスに結びつきやすい展開かなと思いました。ディスコ風の“Wondergan”なんて、昔ならぜったいやっていなかったタイプの曲じゃないですか?

エド:そうそう。それがさっき話した、自分たちが受けてきた影響を振り返るということにつながっていて。これまではあまり直球のダンス・トラックを作ることはなかったけど、今回はそういう要素も入っているんだ。普通のダンスっぽい曲というのはめったにやらないから作っていて楽しかったよ。

それはやはり、長らく続いたパンデミックによる禁欲生活から解放された快楽主義への欲望から来ているのでしょうか?

エド:それも少しあったかもしれない。ロックダウンが解除されて世界が開かれていくことを祝うという。そして踊ったり、人と会ったりすることの単純な喜びとね。

『Polymer』はテーマがテーマなだけにダークでインダストリアルな感触をもった作品になりましたが、今作は冒頭に言ったように、前作とは打って変わっておおよそ軽やかで愛らしく、いくつかの曲からは、ある意味オプティミスティックな感覚さえ感じたのですが、作っている当人としてはこの作品をどんな風に捉えていますか?

エド:やっぱりフェスティヴァルだから、たしかに軽やかで、外を向いていると思う。それからフェスティヴァルでの、幅広い音楽に触れるという経験にも近いかもしれない。あとは喜び、軽はずみ、楽しむこと。もちろん全曲がそうというわけではなく、フェスティヴァルでの経験は多様で、雨が降ってきたりといった逆境もあるし。ほとんどは楽しくて、ほとんどが軽いけどね。

オープナーの“Perspex”など美しくて、キラキラしているのですが、どうして、このような音楽性の作品を作る心境になったのでしょうか?

エド:まずこれは常に言えることだけど、僕らは特定のスタイルで曲作りをするわけではなく、自分たちらしいとしか言えないようなスタイルを開拓してきた。ただしその前にはもちろん、たくさんの音楽があり、たくさんのアーティストがいるから、僕らの曲作りはそういった経験を踏まえたものだと言える。一方で、なかにはかなりパーソナルな意図が込められている曲もあるんだ。個人的な感情や出来事を具体的に描いているわけではないけど、すごく個人的なものだったりする。軽薄で楽しいだけの曲もあるし、ファンキーなグルーヴをひたすら追求した曲もあるけどね。ただ多くの曲は、僕らの人生で起こった出来事と関係があって、それを明確に言わないだけで、そこには悲しみだったり喜びだったりの私的な表現が含まれている。
 今回のアルバムには、フェスティヴァル以外の特定のテーマはないけど、個々の曲にはそういった私的なものがあって。たとえば“Perspex”に関して言うと、ある亡くなった友人に関わっていて。もちろん歌詞はないけど、その人生を讃えたり、光になって宇宙と再結合するとかそういうね。メタなレヴェルで何かを伝えようとするというか、言葉にするのが難しい、あるいは言葉にしたら安っぽくなりがちだけど音楽でなら言える、というかね。

5曲目の“Cwtchr”は、リズムもシンセも1992年風の音色に感じたのですが、意識されましたか? 

エド:これもさっきのノスタルジアの話の一環だね。パンデミックの最中に、より幸福だった過去を振り返るという。物事がもっとシンプルに見えていた時代……と言ってもそれは自分たちが住んでいる場所を含む世界の一部の地域に限った話だけど、すべてがもうちょっと意味をなしていた。災害もパンデミックもとんでもない気候変動もなく、絶望的な恐怖に震えながら暮らしていたわけじゃなかった時代。そういういまよりシンプルな時代を振り返っていたのかもしれない。あの曲はかなりビンテージな感触があるよね。もちろん92年当時も音楽を作っていたわけだけど、当時自分たちが作っていた音楽にはそういう92年感がなかった。つまり当時作るべきだった音楽をいま作っているということかな。

ハイテンポで展開される“Nightcrawler”以降は、とらえどころのない、ある意味プラッドらしいエレクトロニック・ミュージックが続きますが、このあたりは、前半で油断させておいて、後半で驚かすというか、プラッドの実験的な側面、未来的なところを出したかったという感じなのでしょうか? 

エド:たしかにアルバムとしての流れが他の作品とは違うかもしれない。かなり多様なサウンドスケープになっていると思う。他の音楽を聴く時にも対比があったり衝撃や驚きがあったりするものが好きだし、間違いなく今作にもそういった対比を生み出そうという試みはあったと思う。過去を振り返る部分もあれば未来志向の部分もあって。懐かしかったり未来を想像したりね。

後半とくに拍子記号的にもユニークなアプローチをしているように思いました。

エド:たしかに4/4拍子ではない拍子記号が多いかもしれないね。いままでもやってきたけど、今回は7拍子系が多いかな。単純にやっていて楽しかったというだけで何かちゃんとした理由があるわけではないんだ。

アルバムからは話が逸れますが、音楽以外でいま楽しみにしていることは何でしょうか?

エド:DIYを少々。壁を作ったりボイラーを設置したり。物理的な世界で何か作ることを学んでいるよ。アンディはロックダウン中にちょっとガーデニングをやって野菜を育てたりしていた。あとは散歩かな。年を取ったら自分を大事にしないとね。最近はフランスにいることも多くて、散歩するのが楽しいというのもあるし。ただ全般的には小説を書くわけでもなく抽象画を描くわけでもなく音楽一筋だね。他の人とのコラボレーションも多いし、さっき言ったように常に音楽の新しい作り方、新たなソフトウェアも取り入れようとしていて、だから音楽だけで十分忙しいんだ。

最近だと、自分の楽しみに聴く音楽はなんになりますか?

エド:かなり幅広く聴いているな。エレクトロニック・ミュージックもいろいろ聴くし、探求すべき音楽は世界中にあるわけだから果てしない。制作中はあまり聴かないけどね。現在のところこれと言ってとくに聴いているアーティストはいないかな。ただいまもたまにDJをやるからダンス・ミュージックもけっこう聴くし。あとはままで聴いたことがなかったクラシックなんかもね。

いま流行っている音楽や話題になっているような新しい音楽を聴いたりしますか? たとえばケンドリック・ラマーやビヨンセだとか。あるいは、若手で面白いとおもったプロデューサーはいますか? ロレイン・ジェイムズとか。

エド:甥と姪がいろいろ聴かせてくれるから、それでケンドリック・ラマーも聴いたりするよ。まあ外出先でもかかっているしね。あとは仕事仲間からいろいろ聴かせてもらうことも多い。たとえばRival Consolesなんかは僕らと似ているからっていうことで聴かせてもらったし。僕らはヒップホップを聴いてブレイクダンス好きとして育ったからヒップホップの耳は持っていて、いかにヒップホップが発展して変化してきたかもわかる。特定の意味や社会的メッセージを持つ音楽が復活しているのは喜ばしいことで、そういう観点から言うとケンドリックのような人は素晴らしいと思う。僕自身にとって音楽的にもっともエキサイティングなものではないけど、歌詞だったりの部分でね。というわけでさまざまな音楽に触れる機会があるし、もちろん実験的な音楽もいろいろ聴くよ。自分たちも半分実験音楽みたいなもので、ポップ・ミュージックへの大きな愛を持ちつつ実験音楽をブレンドするという感じだからね。

そうですね。今回も良いアルバムをありがとうございました。 (了)

Satomimagae - ele-king

 独特の静けさを携えた実験的なフォーク・サウンドを響かせるSatomimagae。彼女がおよそ10年前に録音し、自主で発表していたデビュー・アルバムがリマスタリングされ、拡張版となって復活する。いうなればSatomimagaeの原点にあたる作品だ。その『Awa (Expanded)』は2月23日、〈RVNG Intl〉よりリリース。CDは日本盤のみで〈PLANCHA〉から。まずはヴィデオも公開された “Inu” を聴いてみて。引き込まれます。

Satomimagaeが自主制作でリリースしていたデビュー・アルバム『Awa』の10周年リマスター・拡張版がRVNG Intl.からリリース決定。先行ファースト・シングル「Inu」がリリース&MV公開

昨年RVNG Intl. / Guruguru Brainから傑作アルバム『Hanazono』をリリースした、東京を中心に活動しているエクスペリメンタル・フォーク・アーティスト、Satomimagae。彼女が2012年に自主制作でリリースしていたデビュー・アルバム『Awa』を再考し、新たな活力を吹き込み、その10周年記念として拡張版『Awa (Expanded)』がRVNG Intl.からリリースされることが決定致しました。CD版はPLANCHAからのリリースで、日本のみです。

収録曲から先行ファースト・シングル「Inu」がリリースされ、同時にミュージック・ビデオも公開されました。

Satomimagae “Awa (Expanded)” 2023/02/23 release

Artist: Satomimagae
Title: Awa (Expanded)
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Cat#: ARTPL-187
Format: CD / Digital
Release Date: 2023.02.03
Price(CD): 2,000 yen + tax

昨年RVNG Intl. / Guruguru Brainから傑作アルバム『Hanazono』をリリースした、東京を中心に活動しているエクスペリメンタル・フォーク・アーティスト、Satomimagae。彼女が2012年にリリースしていた魅力的なデビュー・アルバム『Awa』を再考し、新たな活力を吹き込み、その10周年記念として拡張版『Awa (Expanded)』のリリースが決定。

2011年から2012年にかけてSatomimagae自身によってレコーディング、ミキシング、マスタリングされたこのアルバムは、彼女の特徴である叙情的なアトモスフィア、アコースティック・ギター、環境芸術の組み合わせを支えるソングクラフトに対する鋭い耳と広い目のDIYアプローチを伝えている。大きな衝撃というよりも深い余韻を残す『Awa』は、 Satomimagaeの世界にあるいくつかの物語の起源の1つである。

『Awa』は、彼女が7年の間、ほとんど一人で音に没頭していた間に書いた曲を集めたもので、大学で化学と生物学を学んでいた時期と一部重っている。大学では毎日授業、毎晩研究室での実験という生活が繰り返された。その密閉された空間で、ファンタジーの世界が形成され、彼女が慣れ親しんだいくつかの楽器 (古いアコースティック ギター、フェンダー ベース、そして彼女の周囲のフィールド音) に手を伸ばし、その出来事を音楽の文脈の中で捉え、考察していった。彼女の声を含む音の受容体の集合体から、苔の膜、宝箱、灰、蝋などのイメージが浮かび上がる。土と幻想の錬金術、そして音楽の伝統を超えて機能するフォーク・アルバムが形成された。

自宅と実家を行き来しながら、やかんの音、家財道具の音、子供たちの遊ぶ声など、日常生活の中にある不思議な音やリズムと自分の歌を融合させるという新しい試みに挑戦している。映画のサウンドトラック、古いフォークやブルースのレコードの質感、中南米、アフリカ、中東の音楽、そして実験音楽からインスピレーションを得て、彷徨いながらも正確で、荒々しくも確かな音のコンピレーションが生まれたのである。重要なのは、これらの楽曲が元々含まれているノイズも含めて元の音色が尊重されていることで、リヴァーブやディレイなど、音に手を加えることは避けている。そして、それぞれの曲は以前の作品とは明らかに異なっており、このアルバムはデザインによって分類されている。この思想が『Awa』の耐久性の鍵である。それは群れであり、銀河である。

この頃のSatomimagaeの音楽は、主に一人で作られていたが、『Awa』では3人のミュージシャンが重要な役割を果たしている。ライヴに参加することもあるTomohiro Sakuraiは「Kusune」と「Riki」でパワフルなギター演奏とヴォーカルを披露している。ジャズ・トランペッターのYasushi Ishikawaは「Beni」で彼女の歌詞に明確なソット ヴォーチェを加ており、Kentaro Sugawaraは「Tou」でより深い情感を与えるピアノ演奏を見せている。

『Awa』は10年前に自主制作でリリースされ、一部のレコード・ショップで販売され、ささやかな反響を呼んだ。2021年に発表された『花園』を完成させた後、彼女はこのファースト・アルバムの奇妙な音楽にインスピレーションを求めたのだ。初期の作品にありがちなことだが、ファースト・アルバムを欠落したもの、欠陥のあるものとして認識していた。しかし、しばらく間を置いてから、そのアルバムを見直すと、新鮮な発見があった。単なる設計図ではなく、その手触り、心意気は比類なきものだ。Satomimagae自身の手によって蘇り、Yuya Shitoがリマスタリングし、Will Work for Goodのデザインによる新パッケージで生まれ変わった本作は、彼女の近作を愛する全ての人への贈り物となるだろう。

Track List:
01. #1
02. Green Night
03. Inu
04. Q
05. Koki
06. Mouf
07. Hematoxylin
08. Bokuso
09. Tou
10. Kusune
11. Riki
12. Kaba
13. Hono
14. Beni.n
15. Hoshi
16. Mouf Remix

Satomimagae ‘Inu’ out now

Artist: Satomimagae
Title: Inu
Label: PLANCHA / RVNG Intl.
Format: Digital Single
Release Date: 2022.11.30
Buy/Listen: https://orcd.co/j2jerro

Satomimagae – Inu [Official Video]
YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=vS_DXxb47cE

Directed by Kanako Sakamoto
Featuring Hideaki Sakata
Second cameraman: Bobby Pitts II
Assistant: Hidemi Joi

Satomimagae:
東京を中心に活動しているアーティスト。ギター、声、ノイズで繊細な曲を紡ぎ、有機的と機械的、個人的と環境的、暖かさと冷たさの間を行き来する変化に富んだフォークを創造している。
彼女の音楽的ルーツは中学生の時にギターを始めたことから始まる。父親がアメリカからテープやCDに入れて持ち帰った古いデルタ・ブルースの影響もあり、10代の頃にはソング・ライティングの実験をするようになる。その後PCを導入したことで、より多くの要素を加えた曲を作ることができるようになり、彼女の孤独な作業はアンサンブルへの愛に後押しされるようにななった。大学で分子生物学を専攻していた時にバンドでベースを弾いていたことから、様々な音の中にいることへの情熱と生き物や自然への情熱が交錯し、それが彼女の音の世界を育んでいったのである。
この間、アンビエント音楽、電子音楽、テクノなどの実験的でヴォーカルのない音楽に没頭するようになり、聴き方の幅が広がっていった。サンプラーを手に入れ、日本のクラブやカフェでのソロライブを始めた。苗字と名字を融合させた「サトミマガエ」は、彼女の独特のフォークトロニックな考察を伝える公式キャラクターとなった。
初期のアンビエント・フォーク・シンセサイザーを集めたファースト・アルバム『awa』(2012年)は、ローファイ/DIYのセルフ・レコーディング技術を駆使した作品である。2枚目のアルバム『Koko』(2014年)では、彼女は控えめでライヴ感のあるパフォーマンスと、フォークの伝統に馴染んだ温かく牧歌的なエネルギーの冷却を追求した。続いて、『Kemri』(2017)では、より豊かな和音とリズムで伝えられる人間的な感覚に触発されて、この効果をバランスよく調整している。彼女の2作品をリリースしたレーベル、White Paddy Mountainとそのディレクター畠山地平の影響を受けて、スタジオ環境の中でよりコンセプチュアルな方向に進むことができたが、彼女の作曲やレコーディングのプロセスは、自分で作ったものであることに変わりはない。
そしてNYの最先鋭レーベル、RVNG Intl.へ移籍してのリリースとなる『Hanazono』では、URAWA Hidekiのエレクトリック・ギターとバード・コールが加わったことで、子供のような魅力を持つSatomiの微細なヴィジョンが融合している。Satomiの姉であり、アルバムやウェブサイトのすべての作品を担ってきたNatsumiの直感的なビジュアルが、温かみのあるものとクールなもの、手作りと機械で作られたものが混ざり合うというSatomiの夢を、彼女の別世界への窓のように機能する木版画で見事に表現している。
2021年には最新アルバム『Hanazono』に由来する繊細な周辺の花びらの配列である”コロイド”を構築した。自身の楽曲から4曲を選曲しリアレンジした『Colloid』を引き続きRVNG Intl.から発表した。

Terri Lyne Carrington - ele-king

 グラミー賞を受賞するジャズ・ドラマーであり、過去10年間女性やトランス、ノンバイナリーの人びとの声を高めるために精力的に活動してきたテリ・リン・キャリントンは、2022年9月に発表した作品『New Standard vol.1』で、ジャズの物語を変えようとしている。

 このアルバムは、テリのキュレーションによる101人の女性作曲家の楽譜集「101 Lead Sheets By Women Composers」(ジャズで主に使われる楽譜はリードシートと呼ばれ、メロディーやリード・ラインとコード・シンボルだけの簡素な表記で構成される)がもとになっており、ここからの11曲がアルバムに収録されている。この楽曲集には、1922年のリル・ハーディン・アームストロングの作品から、学生が2021年に書いた曲まで、ほぼ1世紀にわたる女性の楽曲が集められているが、そのなかからハーピストのブランディー・ヤンガー、クラリネット奏者のアナット・コーエン、ヴォーカリストのグレッチェン・パーラトからアビー・リンカーン、カーラ・ブレイらの作品が選ばれ、演奏者は、キャリントン(ドラム)、クリス・デイビス(ピアノ)、リンダ・メイ・ハン・オー(ベース)、ニコラス・ペイトン(トランペット)、マシュー・スティーブンス(ギター)中心に、アンブローズ・アキンムシーレ、ラヴィ・コルトレーン、サマラ・ジョイ、ジュリアン・レイジなどの11人のゲストを迎える構成になっている。ヴォーカル・ナンバーから意匠を凝らしたコンテンポラリーな作品、フリーフォームなものまで、ジャズの幅広さを証明した選曲であると同時に、各ゲストが、冒険心を持って新たな価値観に向かっているような演奏が曲の端々に窺える。

 ドラマーとしてハービー・ハンコックや、ウェイン・ショーターとの共演で知られるテリ・リン・キャリントンは、ジェームス・ブラウンのバックバンドをしていたサックス奏者の父親の影響で幼少期から音楽活動を開始し、その天才的な才能を買われ偉大なミュージシャンの舞台にも立っていた。11歳のときオスカー・ピーターソン・バンドにゲストとして迎えられ、その演奏に感銘を受けたバークリー音楽大学の創設者は、キャリントンに全額奨学金を提供した。高校から週1回の授業を重ね、同校卒業後はニューヨークやロサンゼルスを拠点に活動。教育者としても活動を広げ2007年には母校の教授に就任、2018年には、Berklee Institute of Jazz and Gender Justiceという新しい学部を創設した。

 楽譜集を作るきっかけとなったのは、この学部の最初のオープンイベントを開催するときのことだった。学生たちと女性が書いた曲を演奏しようという企画が持ち上がり、標準的なリードシートとされる教材「The Real Book」を見たところ、女性が書いた曲がひとつしか見つからなかった。その瞬間からテリはこのジャズにおける “作られた物語” を編み直す作業を着々と地道に進めていった。

 1960年代以降ジャズが全米の大学の正式な基礎過程に定着してからというもの、約40年以上にわたって、学生やプロのミュージシャンは、ジャズ・スタンダードのリードシートをこの「The Real Book」に頼ってきた。じつは、この「The Real Book」の初版は、ビバップ時代に流行った曲を手書きのチャートに書き写ししただけのものだったとも言われている。ここに手書きされたものがいつしかジャズの正典として、確固たる位置を占めるようになっていく。

 テリは、長年のキャリアのなかで男女の意識をすることなく多くの実力者と出会い共演してきた。そのなかには、作曲もできる女性が当たり前のようにいた。しかしこうした女性の実力は、十分に残らないことを「The Real Book」が示しており、それと同時に、ジャズや作曲について学ぶとき、男性だけが書いた教材に基づいていることに気づいた。

 「New Standardsは、未来のミュージシャンのためのものでもある」とテリは答える。「高校生や大学生、偉大なプレイヤーから初心者まで、このリードシートから何かを見つけられると思う。だから、大学の図書館に置いてほしいし、高校の教育者が教えるための道具として使ってほしいのです」

 「New Standard vol.1」は、テリとマシュー・スティーブンスのプロデュースによって作られたが、これはまだ「Vol.1」に過ぎない。これに誰かが続き、楽譜集から101曲すべてを録音し世に広めた後には、ジャズの姿はまたいまとは違ったものになっているだろう。テリがしていることは、公平な歴史の編み直しであり、それは同時に新たなジャズの価値を見出すことでもある。

Ripatti Deluxe - ele-king

 フィンランドの電子音楽家ヴラディスラフ・ディレイことサス・リパッティがリパッティ・デラックスの名義でアルバム『Speed Demon』を発表した。リリースはサス・リパッティ自らが立ち上げた新レーベル〈Rajaton〉からである。フィンランド語では「raja」は「境界」「限界」「境界線」「容量」などを意味するらしい。そして「ton」は「ない」を意味するという。となればこの「ラジャトン」という言葉=名前は、境界線をなくすとなる。つまりボーダーレスだ。サス・リパッティは境界を無化しようとしているのか。じっさい『Speed Demon』はまさにエレクトロニック・ミュージックの境界線を最高速度で超えていくような凄まじいアルバムだ。サス・リパッティは、ヴラディスラフ・ディレイ名義で2020年にリリースした『Rakka』以降、別のモードにギアチェンジしたかのようである。いま、われわれはひとりのアーティストが別の何かに生成変化していくさまを目の当たりにしているのだ。

 このアルバムについて、サス・リパッティは「いままで聴いたことのない初期のレイヴやハッピー・ハードコアなどをランダムに見つけて、それに大量のエフェクトをかけてループさせたり、くり返したりして聴くようになったんです。それがすごく刺激的で面白いなと思って、それからは自然な流れでやっています」と語っている。音を聴いてみると、それらの音楽の痕跡が高速で展開し接続され変化していくようにも聴こえてきた。1曲のなかでもテンポが微細に変化しており、電子音楽でありながら、時間が伸縮していくような独特の感覚を得ることができたのである。高速で境界を越える音楽? 本作はまさにそんなアルバムだ。全13曲、34分。電子音楽空間を一気に駆け抜けるようなアルバム体験ができる。
 
 では「スピードデーモン」とは誰か。その問いにサス・リパッティは、「若くして様々なスピードで駆け抜けてきた自分自身かもしれません」と述べている。そしてこのように言葉をつなぐ。「それは社会や文化かもしれないし、ひとりひとりの背後で時を刻んでいる主時計かもしれない。私はその存在を周囲で見たり感じたりしています」とも。つまり、「スピードデーモン」は、リパッティ自身でもあり、同時に社会・文化であり、その背後に流れている「時間」そのものだというのだ。おそらくアルバム『Speed Demon』の主題も「時間」ではないか。不穏にして性急。性急にして停止。停止にして超越。そんなハイスピードで展開するアルバムを聴き終えると、何か途轍もないものを聴いたという感覚だけは得ることができる。しかし何が起きているのか、起きていたのかさっぱり分からない(ような気がする)。
 
 なぜか。1曲のなかにも複薄の要素が矢継ぎ早に連続しているからではないか。こちら側の認識の速度を超えている音楽/音響なのである。じっさいアルバム中盤の “Ultraviolet Blues” と “Speed Breathe” 以降、アルバムの情報密度とテンションは極限まで高まり、ビート、アンビエンス、ノイズがほんの数10秒ごとに接続され変化していくわけだ。生成変化という言葉ですら生やさしいと思えるほどの冷酷な野獣のような音響なのだ。しかし未踏の世界の民族音楽のような音響には、奇妙な祝祭感とでもいうべきムードも満ちているのだ。不穏な世界に満ちる祝祭感とでもいうべきか。これは明らかにコロナ禍の世界を反映したものだろう。そもそもアルバム冒頭、1曲目の曲名が “The New Beast Is Coming” であり、13曲目(アルバムのラスト)の曲名が “My Best Friend” なのである。「新しい獣が来る」ではじまり、「私の親友」で終わるアルバムなのだ。何か異様な世界が展開している。そんな予兆だけは強く理解できるアルバムだ。私見だが人間以降の世界における未知との遭遇のサウンドトラックのようなアルバムだと思いもした。

 マスタリングは、音楽家としての活動を停止、マスタリング・エンジニアとして活動を続けることを宣言したステファン・マシューが担当している。このアルバム独特の乾いた電子音を損なうことなく、ここまで高品質な音に仕上げられるのは、まさに彼だけだろう。そしてアルバムのムードを決定つけるほどに印象的なアートワークには、ファッション誌、広告、CDジャケットなどを手掛ける日本人フォトグラファー横浪修の写真を用いている。「時の試練に耐える作品群を作ること」とサス・リパッティが述べるように、プロダクトとしての完成度も一級品である。

追悼:崔洋一 - ele-king

『十階のモスキート』(83)が崔洋一のデビュー作だと知ったのはだいぶ後のことだった。そもそもどうして『十階のモスキート』を観に行ったのかも覚えていない。『水のないプール』が妙な余韻を残す映画だったので、同じ内田裕也が主演だから観ようと思ったとか、そんなあたりだろう。内田裕也演じる警察官がパソコンを操作するシーンは『ブレイドランナー』が公開された翌年だと思うと相当チープなテクノロジー描写に見えたはずだし、僕の父親は60年代からIBMのコンピュータを日常的に使っていたので、かなりキッチュな光景に見えたことも確か。だけど、いまとなってはあのシーンが一番面白かった気がする。和室にあぐらをかいてランニング姿でコンピュータをいじっている様は等しく反体制的な気分を反映していたにしても『太陽を盗んだ男』の実験室よりも現実味があり、どこか日本がむき出しになっていたからだろう。考えてみるとITビジネスで人生の一発逆転を狙っている構図はいまでも変わらずに存在し、むしろプログラマーが増えたことで日本中が『十階のモスキート』であふれているともいえる。『十階のモスキート』は僕にとって『遊びの時間は終わらない』と『松ヶ根乱射事件』とともに不動の「派出所の警官3部作」をなしている。

 崔監督の名前を最初に意識したのは大方の人たちと同じく、それから10年後に公開された『月はどっちに出ている』(93)を観てから。同作は在日2世の監督が自らのアイデンティティをストレートに投影した作品で、それまでどこか隠すようにしか描かれなかった在日を堂々と、そして、快活に描き、ルビー・モレノ演じるフィリピーノとのラヴ・ストーリーに仕上げた快作だった(モレノが大阪弁で「もうかりまっかー」と発音するのが面白かった)。『月はどっちに出ている』以前にも80年代には『ガキ帝国』や『伽耶子のために』など在日2世を描いた作品がポツポツとつくられることはあったけれど、『月はどっちに出ている』が話題になってからは『エイジアン・ブルー』『息もできない長いKISS』『新・仁義なき戦い』『親分はイエス様』と、多様なテーマで在日2世たちのライフ・スタイルが相次いで描かれるようになり、さらに『GO!』が決定打となって00年代前半は在日2世を描いた作品がラッシュ状態に突入する(『RUSH!』という作品もあった)。これに『シュリ』や『JSA』といった韓国映画の大ヒット、04年からブームとなった韓流ドラマの勢いも手伝って日本国内で韓国文化の存在感が一気に増すと、これに抗して「嫌韓」というキーワードが05年に浮上し、いわば目に見えない差別から可視化された差別へと変わっていく。そうしたなかで崔洋一は彼の代表作となる『血と骨』(04)を完成させる。

『月はどっちに出ている』も『血と骨』も原作は梁石日。いずれも自伝的内容で、実父の人生を描いた後者はあまりにも壮絶だった。かまぼこづくりや金貸しでのし上がっていく金俊平をビートたけしが演じ、役者としてはこれがたけしの代表作といえる。ヤクザ映画でも刑事ドラマでもないのに家族に対するDVのシーンがとんでもなく激しくて、どちらかというと在日の方たちのイメージを悪くすることに貢献したような気がするほど。伝わってくるのは在日朝鮮人が日本で生きる時の気迫であり、崔洋一もビートたけしもその一点にかけてテンションを上げていく。そうなってしまうものはしょうがないだろうという衝動の表現というのか、力づくで生きていく金俊平の描写にはまったく妥協というものがなかった。金俊平は韓国・済州島出身だそうで、彼が最後に韓国ではなく北朝鮮を目指した理由は今年公開された『スープとイデオロギー』というドキュメンタリーを観て初めて知ることができた(複雑すぎるので説明は省略。『血と骨』を観ていまだにクラクラしている人にはお勧めしたい)。『血と骨』が公開された前後には『偶然にも最悪な少年』『ニワトリはハダシだ』、そして『ガキ帝国』を撮った井筒和幸監督による『パッチギ!』と力作がダンゴになり、『月はどっちに出ている』と『血と骨』がそうしたボルテージの高さを維持した屋台骨になっていたことは間違いない。在日の人たちをいつまでもいないかのように扱うわけにはいかなかっただろうし、崔洋一が考える契機を与えてくれたのである。そして、偶然なのか、第一次安倍内閣成立とともに在日2世を描いた映画作品は一気に退潮してしまう。だいぶ経って12年に『かぞくのくに』が話題になった程度か。

 崔洋一の魅力はもっとほかにもあるだろう。角川映画も撮りまくりだし、北方謙三や高村薫といったハードボイルドの系譜を際どい描写で撮り続けたのも明確な個性である。わからないのは結果的に劇映画の遺作となった『カムイ外伝』(09)で、崔洋一で『カムイ外伝』だったら絶対に面白くなると思っていたのに……これがどうしても理解不能だった。民衆の力が社会を変えると考えていた白土三平の思想に疑問を持ちながら大島渚が『忍者武芸帳』を撮っていたことに違和感を持っていたと崔洋一は話していたことがあるから、そこは素直に白土三平の思想を反映するのかと思いきや、どうもそうとは取れず、何を伝えたいのか僕にはよくわからなかった。崔監督にはお会いしたこともなく、どんな人となりかも知らないので、作品を観た以上のことは何も書けないのだけれど、ぶっ飛ばされるのを覚悟で「『カムイ外伝』、よくわかりませんでした!」と話を聞きにいくべきだったなあと思うばかり。R.I.P.

非常宣言 - ele-king

 パンデミックに拡大自殺を掛け合わせた社会派エンターテインメント。挙動不審の男が飛行機にウイルスを持ち込み、乗客が感染し始める。何も知らされない乗客たちはスマホで事態を察知し、だんだんとパニックに……という2時間半のジェットコースター・ムーヴィー。ダレるどころか予期しないことが次から次へと起こって気が休まらず、スピーディーな展開についていくのみ。ハリウッドがやりそうな企画だけれど、いまは韓国映画がこういうのをやるんだなと。壮大なスケールのパニック映画にソン・ガンホとイ・ビョンホンという韓国映画の二大看板がそろって出演というのはポール・ニューマンとスティーヴ・マックイーンが『タワーリング・インフェルノ』(74)で共演したことを想起させる。街の名士や富裕層がまとめて地獄を見る『タワーリング・インフェルノ』は建築業者の手抜き工事が原因だったのに対し、正体不明の男が飛行機という閉鎖空間に致死性ウイルスを持ち込むというアイディアは現実の世界で模倣犯が出たらやばいんじゃないかと心配にもなるし、こういうのをメタヴァースで体験できるようにしたら5分で満席になりそうだと思ったり(あまりにリアルだと機長が死ぬあたりで心臓マヒりそうだけど)。

 現実に近いテーマであり、スケールが大き過ぎて破綻しないだろうかという心配もあった一方、最初から犯人を特定していることでどこの国からウイルスが出たかという議論はしなくて済むといえるし、世界中で起きたパンデミックの影響を機内に縮図として表現すればいいわけだから、むしろ多くのことが省略できて、人類がいまだ手に負えずにいる問題をコンパクトに落とし込むにはいいアイディアだったんだなと。しかも、北朝鮮が崩壊した時に韓国に押し寄せかねない難民の群れをメタファーに使った『新感染 ファイナル・エクスプレス』(16)の成功で韓国映画はすでにパニック・ムーヴィーのフォーミュラは持っているわけで、同作の美術を手掛けたイ・モクウォンが機内の美術も担当したと聞けば、高速鉄道のなかで大量発生するゾンビをパンデミックに置き換えるだけですでに半分ぐらいはできていたとも思うし。また、飛行機が逆さまになってしまうシーンは韓国で10年以上人気が衰えない絶叫マシーン、ディスコパンパンのイメージをダブらせたのかなと。遠心力で振り落とされるのが楽しいディスコパンパンは、立ち上がったり、自撮りに挑戦する者もいるけれど、よく怪我人が出ないなと思う過激なアトラクション(https://www.youtube.com/watch?v=0xlZfoElzcE)。登場人物の心情とメリーゴーラウンドを同じ無限ループとして見せた『ベイビー・ブローカー』と同じく、大事な人を助けようとすると自分も犠牲になるという部分で重なるところがある。

 全体的には特定のヒューマン・ドラマを掘り下げず、ここ3年でパンデミックが引き起こした騒ぎを務めて表層的に描くことで、『非常宣言』はフィクションであるにもかかわらずドキュメンタリーに近いものとして追体験できる作品となっている。いまでは薄れてしまったけれど、人が咳をするだけで敏感になっていた感じや人との距離感が変わり始めた頃の生理的な行動様式など現実の世界で混乱を招いたファクターが細かく拾われていて、ああ、あんなこともあった、こんなこともあったと思う場面があちこちにあり、よくも悪くもSNSやスマホが世界の動きに影響しているところが過去のパニック映画とは決定的に異なっている。情報が伝わる速度が早いし、情報があらゆる方向から飛んでくるので判断力を失い、パニック度がいやでも上がる(フェイク・ニュースの類いがもたらす混乱は省かれているのに、それでもかなりややこしい)。ソン・ガンホ演じるク・イノ刑事は飛行機に搭乗しているわけではなく、同時進行で地上を走り回り、犯人の周辺を捜索していくうちにある製薬会社の存在にたどり着く。警察の動きは梨泰院クラッシュで見せた体たらくがウソのように機敏でムダがない。

 観ながら何かを考えるには適さない作品だけれど、それでも最初に引っかかったのはやはりエッセンシャル・ワーカーの認知のされ方。機内に感染が広がっているという情報が共有され、誰であれウイルスに侵されるとわかっても乗客と乗務員のヒエラルキーは強固なままで、むしろ乗客の要求は強さを増す。乗客の死は定石通り捨て駒のように描かれるのに対して乗務員の死が多少は丁寧に描かれているのは意図的なのだろう。1人ぐらい乗務員の仕事を放棄して責任をまっとうしない役回りがいてもよかったと思うくらい、乗務員は厳しい条件に置かれていることが印象に残る。次に気になったのは、事態を把握してすぐに「アメリカと連絡を取って」というセリフが無造作に出てきたこと。それは飛行機がハワイに向かっている便だったからなのか、それとも日常的に問題解決のパートナーとしてアメリカの存在が大きいのか。北朝鮮のミサイル情報をアメリカに確認する日本政府と同じ感覚が韓国にもあるということなのだろうか。亡くなった機長に替わってイ・ビョンホン演じるパク・ジェヒョクが操縦する飛行機は、しかし、アメリカに着陸を拒否され、(以下、ネタバレ。できれば公開後にお読みください))一転して進路を成田に向ける。最も考えさせられた展開がここから。アメリカ同様、ウイルスに感染した乗客が乗った飛行機の着陸を認めなかった日本は自衛隊機を差し向け、旅客機に向かって機銃掃射を始める。着陸を認めないという判断はわかるものの、明らかに民間機とわかっていて発砲する国だと日本は思われているのか。現在の日韓関係がこのシーンには凝縮されている。このシークエンスはさすがに切なかった。

 パク・ジェヒョクたちが経験する苦境はしかし、最終的に本国である韓国に戻ることも拒否されるところからストーリーは最後の佳境に入っていく。政府は必死になってワクチンを探し出し、着陸地点が決定されるも、感染の拡大を恐れた国民の半分が着陸に反対し、空港の滑走路を反対派のデモ隊が占拠する(賛成のデモ隊と衝突する)。飛行機の乗員も乗客も着陸を断念し、パク・ジェヒョクがどこへ進路を定めたかは不明。このあたりは少し韓国の大衆的な美学が色濃く投影されているのか、死の予感が作品全体を妙なテンションで包み込んでいく。そして、ク・イノ刑事は「死の予感」を超える「死の予感」でこれを乗り越えようとする。拡大自殺を図る犯人と飛行機の乗員・乗客、そしてク・イノ刑事はいわば3通りの死をプレゼンテーションし、3通りの結末が導かれていく。この作品で自己犠牲がヒーローの要素になっていることは間違いないけれど、犯人が拡大自殺を図る動機も刑事が飛行機を救おうとする動機も「母を強く思う気持ち」とリンクしていることが示唆されていて、いわば母との関係が人を殺しもし、人を助けもするという対比になっている。これらを図式的に整理してみると「母を強く思う気持ち」と「自己犠牲」のどちらかを持っているよりも、その両方を持っていることが韓国では最強のカードだということになる。それと同時に政府側の総指揮を取るのは大統領ではなく若い女性大臣というのも見逃せず、いわば主人公たちは母を思い、若い女性と力を合わせて娘を守るという図式も見て取れる。未曾有の問題解決にあたって年寄りの男がまるで必要とされず、日本だと『シン・ゴジラ』で官邸メンバーがずらっと並んでいたのとはだいぶ違う。

 同じく飛行機を舞台とした作品で、サイモン・ウエスト監督『コン・エアー』(97)にもヒューマン・ドラマを掘り下げる要素があればもっと名作になっただろうと思うように、『非常宣言』もパンデミックの記憶がない世代が観る頃にはディティールやリアリティは共有されず、いわゆるエンターテインメント作品として認識されるだけだろう。現在、小学生か中学生ぐらいの子どもが10年か20年後に観たら、どのように感じるのか、その方が気になるというか。ちなみにソン・ガンホやイ・ビョンホンは本サイトでも何度か触れていて説明不要だと思うけれど、犯人役のイム・シワンが主役を務めた韓国ドラマ『他人は地獄だ』(19)はめちゃめちゃ怖くて、それこそソウルに行くのも怖くなるぐらいだったことをあえて付け加えたい。『他人は地獄だ』で死ぬほど怖い目に合わせられたイム・シワンが錯乱して『緊急宣言)で復讐を果たしたと考えた方が納得がいくほど……

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