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「その蛍光の服を脱げ。タンスの奥からチェックのシャツを引っ張り出すんだ!」と太文字で商品ポップに書き込んでみた。着ているもので行動様式や主義主張を規定されるのは愚かしいことではあるが、我々のライフスタイルはそんな象徴性が生み出すささやかな意味に支えられて営まれていると言えなくもない。「蛍光の服」とは長引くエレクトロ・ブームを、「チェックのシャツ」とはまさにいま追い風を受けんとしているグランジ・リヴァイヴァルを象徴させるつもりで書いている。
グランジ、エモ、ギター・ポップ......みなそっけないチェックのシャツを着ている。だらっと着ていればグランジ、元気よく着ていればエモ、清潔感があればギター・ポップだ。ひどい偏見ではある。だが「引っ張り出せ」と書くのは、いま確実に90年代のグランジ・ロックに対する再解釈・再評価の気運が高まりつつあるからである。USインディ・ロックのモードは、ゼロ年代後半を象徴する柔らかなサイケデリアから、ディストーションとギター・コードが導くハードな感覚へと移行をみせている。余談だが、UKやオーストラリアがこの2、3年でかなり素直なペイヴメント・フォロワーやソニック・ユース・フォロワーを地味に生み出し続けているのに対し、本場USがグランジに正面から向き合うまでには、ノー・エイジや〈ウッドシスト〉一門といった新しい形のローファイを咬まさなければならなかったという逡巡には意義深いものがある。
ファン・アイランドは、「アニマル・コレクティヴのゼロ年代」を透過したグランジでありエモでありパワー・ポップだ。アニマル・コレクティヴは、人と世界の多様性をどこまでも受け入れていくような新しい想像力を、極彩色のサイケデリック・ポップとして吐出した。それはゼロ年代最大の果実だと言っても過言ではないだろう。ファン・アイランドには確実にそうしたゼロ年代的な想像力が引き継がれている。
"デイジー"を聴くのが手っ取り早い。メタリックでメロディアスなギター・ソロが力強い8ビートに伴われて機銃掃射のように続いたのち、それがはたと凪いで、オルガンと4声のコーラスが唐突に顔をのぞかせる。そこには多声的なアレンジによってわっと広がる生命感と、その構築性ゆえのわずかな閉塞感がある。楽曲全体に施された、薄めのもやのような残響処理は――それはずっと「シューゲイザー」と誤称され続けたが――前掲の新世代ローファイとも切って語れない重要な要素だ。4声のコーラスは、このリヴァーブのなかで1千人のようにも1億人のようにも聴こえてくる。それはスタジアムでの合唱を思わせるが、決してひとつの旗のもとに集まってひとつの歌を斉唱する20世紀的なイメージではない。めいめいが何か福音のようなものの予兆をとらえて、天を仰いでいるような雰囲気だ。
ファン・アイランド。ブルックリンを拠点に活動する5人組。2007年にセルフ・リリースで『デイ・オブ・ザ・グレイト・リープ』というアルバムを発表しているのがファースト・アルバムとなるようだ。その後ミニ・アルバムを1枚はさみ、セルフ・タイトルのセカンド・アルバムである本作は〈サージェント・ハウス〉からのリリースとなる。部分的に聴くだけなら、彼らの音はスーパー・チャンクの人懐っこさ、ウィーザーのソング・ライティング、プロミス・リングのようなエモ本流の疾走感、あるいはグランジの中に息づくハード・ロック的なギター・サウンドを思い起こさせたりするだろう。90年代のロック周辺を好む耳には親しみやすい、また懐かしささえ湛えた音だ。本人たちも音楽的な影響について「90年代半ばのディストーテッド・ポップ、ギター・ロック全般。とくにスマッシング・パンプキンズやウィーザーが大きい」(スピナー)と語っている。たしかに、あのヘヴィなギター・リフの端々に宿っているのがスマッシング・パンプキンズだと言われれば大いに納得がいく。
だが全体として非常に個性的な音楽性を持っている。スマッシング・パンプキンズ的な重くロマンチックなギターは、3本で絡みながらプログレ的な壮大なジャムへと流れ込んでいく。ジャムといっても成り行きまかせの冗長なものではない。はっきりとベクトルをもった、とてもブリリアントなものだ。特徴的なのはパッセージの激しい転換で、雄々しいギターに先導されて力強く駈けるフレーズのなかに、それを寸断するような展開がしばしば挟み込まれる。例えばコーラスであり、アコースティック・ギターの響きであり、異なったリズム・パターンである。そしてその激しい落差の中に一瞬ぽっかりと異次元が開き、オルガンやコーラスが厳かに降ってきたりする。異なったものの狭間に一瞬のぞく祈りのような感覚。これがファン・アイランドの正体だ。ギター・アンサンブルもしくはギター・ソロがかなりの時間繰り広げられるのも彼らの特異なスタイルだが、その歌のようになめらかで言葉以上に雄弁なギターに胸を熱くし、スタジアムの歓声のような合唱が沸き起こってくるのを聴き取るや、そこに生じるミメーシスの力に打たれ陶然としてしまう。曲は切れ間なく繋がれ、トータルとしてシンプルなモチーフを......祈りを浮かび上がらせる。何への祈りだろう。未来だろうか。演奏と曲の力で、しかもイヤホンで聴くCDからこれほどの迫力とポジティヴな世界観を感得できるというのは希なことだ。本当に風変わりなバンドだと思う。
しかし彼らは90年代リヴァイヴァルという動きが、シンセ・ポップやトロピカルなサイケ、ドリーミー・シューゲイズ等の浮遊感志向から、重めでハードな音への単純な揺り戻しではないということの好例でもある。2000年代というプリズムによって、ようやく90年代という時間が、歴史として分光され始めたのではないだろうか。2010年代をスタートするにあたって、1990年代の参照を後退として断罪するのは早計である。『ファン・アイランド』は、そのように感じさせる熱、そして何かしら未知の力をあふれさせた1枚だ。
自主制作で発売されたCD-Rやライヴがすでに口コミで話題になっているPredawn。このたびリリースされる全国流通盤を聴き、ライヴを観て、さらに本人から話を聞いて、すっかり筆者もぞっこんになってしまった。
Predawnは、新潟生まれ/東京の郊外育ちの23歳、清水美和子がギターで弾き語るソロ・ユニット。6歳頃にピアノの課題で作曲をはじめて以来、少しずつ曲を書きとめるようになった。いまでは作曲は日常のいち部であり、ときにはセラピーにもなっているという。すべてのパートを自身で演奏し、セルフ・レコーディングにこだわって制作された7曲入りのミニ・アルバム『手のなかの鳥』は、そうして生まれてきた曲のなかでも、比較的明るめなものばかりだそうだ。
清廉として、愛くるしい歌声とメロディ。ときにアルペジオでつま弾かれるアコースティック・ギターは、森の日だまりが似合うような心地よいサウンドを奏でる──。そんな形容詞の似合う日本の女性シンガーソングライターは数多くいるだろう。しかし彼女の音楽は、英語で歌っていることもあるが、非常に洋楽的なセンスを感じさせる。個人的には、アン・ブリッグスなど60~70年代のブリティッシュ・フォークの情景と、ザ・サンデイズ(90年代のイギリスのギター・ポップ・バンド)のピュアな躍動感をここに感じたが、欧米のネイティヴかのような土着感と、オルタナティヴな感性を同時に感じさせるのが、Predawnの魅力だ。
ちなみに手元の資料で彼女がフェイヴァリットに挙げているのは、スパークルホース、ヴェルベット・アンダーグラウンド、ウィリー・メイソン、ポール・ウェスターバーグ、マイルス・デイヴィス、エリック・サティ、ジェシー・ハリス、レディオヘッド、デス・キャブ・フォー・キューティーなど。インタヴューではグラスゴーの音楽ばかり聴いていた時期もあると言っていた。
ライヴはというと、曲間のMCでは「この林檎のお酒が美味しいんです」みたいに、ふにゃふにゃ~っとした一面を見せるいっぽう、演奏になると途端に凛とした表情を見せる。やさしい歌の魅力はもちろん、中学生からやっているというギターの演奏力もたしかだ。
インタヴューでは、自然体でありつつも、たしかなクリエイティヴィティとセンスを感じさせる発言が多々あった。演奏から録音までをすべてひとりでおこなったのも、彼女の表現欲求の高さや、手作り感を大切にしたい部分ももちろんありつつ、他人には委ねられないセンシティヴな世界観があるからなのだろう。女性らしい可愛らしさの奥に、時折、表現者としての強い眼差しを感じた。
どっちが主導権を取っているのか、『ウエルカム・トゥ・マース』というサウンドトラック盤をリリ-スしていたサイモン・ジェイムスとUKヒップホップのDJフォーマットがタッグを組んでデビュー・アルバムをリリース。これがほぼ全編でモーグ・シンセサイザーを使い倒したスペース-エイジ・ブレイクビーツの快作に。
90年代中盤に巻き起こったモーグ・リヴァイヴァルは〈アスフォデル〉のようなレーベルを通じて新旧が入り乱れ、ビッグ・シティ・オーケストラのようなアンダーグラウンド人脈にまでティプシーの名義でポップ・ミュージックへのアプローチを促し、元々のジャン・ジャック・ペリーにまでデヴィッド・シャザムとのジョイント・アルバム『イクレクトロニクス』をつくらせるまでになったと思ったら、00年代もしばらくするうちに跡形もなく消えてしまった。レイディオヘッドやゴッドスピード・ユー~が予兆となって暗い時代になったと......その通りになってしまったのである。
スペース-エイジ・ブレイクビーツといえばダン・ジ・オートメイターとクール・キースのドクター・アクタゴンである。ストリートではなく、実験室生まれのヒップヒップと呼ばれたアクタゴンは、まさにスペース-エイジ・リヴァイヴァルと足並みを揃え、絶好調のギャングスタ・ラップとまったく同じ時期にひとつの可能性を開いた......と思ったものの、誰ひとり続くものはいなかった。いや、アウトキャストがいたか。アクタゴンに少しばかり先駆けたアウトキャストは、それでも03年にはその異端ぶりを終息へと向かわせる。やはり00年代とスペース-エイジは肌が合わなかったらしい。なにが......ま、いーか。
サイモン・ジェイムスとDJフォーマットにどんな勝算があるというのだろう。フライング・ロータスが示した方向性だって、その気分だけをいえばレイディオヘッドやゴッドスピード・ユー~に呑み込まれたものではなかったとは言いづらいものがある。むしろ、そのなかで培われたものも大きかったのではないだろうか。ザ・サイモンサウンドは、しかし、そんなものとはまったくの無縁である。モーグ・クックブックやジェントル・ピープルがポコッと出てきたときと気分は同じ。好きだからやっているんですよといわれれば、好きだから聴きますねと続けるしかない。
いきなりクラフトワークをサンプリングした"ツール・ド・マース"。一転して重いビートにぷよぷよのシンセサイザーが絡む"ムーン・ロックス"。モンド直球の"インサイド・ザ・カプセル"、宇宙時代のポーティスヘッドみたいな"ビトゥイーン・ザ・ウェイク・アンド・ザ・スリープ"......果たして彼らはヒップホップ界のジョー・ミークになれるかなー。
いよいよ南アフリカのワールドカップがはじまる。実はこれを書いているのは10日の昼過ぎだ。まさに今夜の開幕を控えているわけである。ワールドカップのことを考えると仕事どころではない。原稿などとてもじゃないが書けない。それほど無性に興奮してくるのだ。
ワールドカップを前にして、僕は2冊の本を読んだ。『マラドーナ新たなる闘い』(河出書房新社)――これはマラドーナが監督に就任してからのおよそ1年にわたる動向を現地に住む日本人のジャーナリストの藤坂ガルシア千鶴という方が追ったもので、とても面白かった。僕にとって今回のワールドカップは、マラドーナの喜ぶ顔を見たい、それだけであると言ってもいい。マラドーナを応援する人は、いまからでも読んでおいたほうがいい。アルゼンチン代表の試合をさらに楽しめるだろう。もう1冊は『ワールドカップは誰のものか』(文春新書)――これは後藤健生というベテラン・ジャーナリストが書いた本で、ワールドカップの歴史における政治の介入やFIFAの権力闘争など生臭い歴史を綴っている。書いてある内容の2/3は知っていることだったので新鮮味はなかったが、しかし南アフリカの状況についての情況をいちど整理したかったし、予習にはなるだろうと思って読んだ。
南アフリカは大変な国である。BBCのワールド・ニュースを観ても、今回のワールドカップにはアンビヴァレンツな感情が見えてくる。虹色の国というマンデラのヴィジョンの終焉が見えるだろう、と悲観する記者さえいる。南アフリカという特殊な歴史を有する、激しい格差社会と生々しい人種対立のなかで開かれるのだ。新設したスタジアムには小綺麗なトイレがあっても、スタジアムの近くで暮らす人たちの家には水道すらない。お祭り気分とゲットーの温度差、あるいはまた、土地の国有化によって国外へと逃亡する白人、白人多国籍企業を受け入れる黒人活動家へのジレンマ......なんともハードでやっかいな現実ばかりで、それを思えば、僕も脳天気に浮かれている場合ではないと思えてくる。ワールドカップという計り知れないエネルギーを放出する祝祭が、いったいどんな影響を南アフリカにもたらすのだろう。
『ネクスト・ストップ・ソウェト』シリーズは、今年に入って〈スタラト〉レーベルがリリースしている南アフリカで録音された音楽のコンピレーションである。「次はソウェト」......ちなみにソウェト(Soweto)とは「South-Western Townships」の略で、ヨハネスブルグ南西に広がる南アフリカ最大の黒人居住区だ。推定200万人が住んでいると言われ、1976年6月16日にはソウェト蜂起という暴動が起きている。アパルトヘイト政策と白人支配にいいかげん頭に来た学生たちの抗議運動からはじまったこれは、白人との対立を強め、大量の犠牲者を出した大惨事となったものの、そのいっぽうでは国中の黒人たちがアパルトヘイトの現実を知る機会にもなり、アパルトヘイト時代の終結へと向かう契機ともなった、と言われている。
ソウェトは、南アフリカにおけるブラック・アーバン・カルチャーが育まれた場所でもある。すなわちアフリカン・ルーツとは切り離されたディアスポリックなブラックが育った場所とも言えよう。彼らは映画のドラマを、そしてまたジャズを欲した。その欲望のなかで50年代のジャイヴとズールー音楽が結合し、南アフリカのアンダーグラウンド・ジャズは生まれるのである。1960年のシャープビル大虐殺(反抗した黒人たちをシャープビル警察が虐殺した事件)以降は当局からのミュージシャンへの弾圧も強まったというが、しかし音楽は彼らの闘いのサウンドトラックとしての機能した。それがゆえ、音楽は絶えることがなかったという話だ。
『ネクスト・ストップ・ソウェト』シリーズは、60年代から70年代における南アフリカのアンダーグラウンド・ミュージックへの案内である。この時代の音源は、当たり前だが、ほとんど外の世界に知られていなかった。このシリーズは、ダンカン・ブルーカーとフランシス・グッディングというふたりの研究者による南アフリカのレコード考古学に関する長年の努力の成果である。
『vol.1』はジャイヴ・サウンド、『vol.2』はR&B/ソウル/ファンク、シリーズ完結編の『vol.3』はジャズだ。言うまでもない話だが、僕をふくめ多くの音楽ファンは南アフリカのこの時代のアンダーグラウンドな音楽のことなど知らない。が、音楽は知識で聴くものではない。素晴らしいのは、これを聴いていると、60年代から70年代のソウェトの甘美な瞬間が見えてくることだ。まさに音楽の素晴らしさ。デューク・エリントンやルイ・アームストロングは南アフリカのゲットーで模倣され、そして彼の地の匂いのなかで変異している。そう、ズールーとアメリカのブラック・ミュージックとの出会いは、ときおり信じがたいほど雄大な響きを持つ(嘘だと思うなら、『vol.3』の1曲目を聴いて欲しい)。いずれにしても、とても興味深いコンピレーションであることは間違いない。そんなわけでこのシリーズを部屋で鳴らしながら、僕はリフティイングしているのである(より困難な2号球で)。
ところで、ワールドカップ前にもう1冊読もうと思って手元にある読みかけの本がある。『アンチェロッティの戦術ノート』(河出書房新書)である。ACミランを率いて、チェルシーの監督を務める名将の戦術論であるが、これを読んでいるとわが国のサッカー戦術の無邪気さをあらためて思い知ることになる。ゲームにおいて相手はミスるものではあるという現実に基づかれたイタリア人のフットボール観とその戦術は、頭に来るほど大人である。まあ、いい。ワールドカップは日本代表を応援するために観るのではない。世界のフットボールを堪能すするために観るのである。僕にとっては......ですけど。
広尾の〈DOMMUNE〉のうえにある〈SUPERCORE〉という、このエリアに似つかわしくない怪しげなカフェで(入口にはスターリンの『虫』とプライマルの『スクリーマデリカ』が飾られている)、ここ最近はよくビールを飲んでいる。オーナーご自慢のカップに注がれた生ビールは格別に美味しい。
明るい店内にはつねに音楽が流れているが、それは実はナカコーの選曲によるものだそうだ。実際、そのカフェで何度かナカコーを姿を見かけている。この、青森からやって来たサイケデリック・ロックの使者は、いわゆる猫背なので、すこしばかり酔っていると、ホントにネコと見間違えてしまう。彼の実験的なエレクトロニック・ミュージックのプロジェクトの名前を思いだそう。ニャントラ――である。
これだけ世のなかが"健康"と"明るさ"ですべてを包み込もうとしている時代において、青森からやって来たニャントラは、その真逆の"iLL"なる言葉を自分のプロジェクトの名前に選んで、しぶとく活動している。かつてスーパーカーとして宇宙誕生の瞬間まで見てしまったであろうこの男は......iLLとして試行錯誤を繰り返しながら、彼のロック・サウンドを探求している。カフェから流れる音楽――ミニマル・テクノ、ヴェルヴェッツ、ザ・XX、あるいはビートルズやロキシー・ミュージック等々――は、ニャントラの毎日のサウンドトラックようである。
![]() iLL / Turn a Ki/oon |
iLLは今回、ある意味では無茶なことをやっている。アルバム1枚をいろんなミュージシャン/DJとのコラボレーションによって作るというものだ。アルバムには、山本精一+勝井祐二、向井秀徳、POLYSICS、ALTZ、Base Ball Bear、DAZZ Y DJ NOBU、the telephones、MEG、RYUKYUDISKO、moodman、ABRAHAM CROSS、aco、ASIAN KUNG-FU GENERATION、clammbon......が参加している。このリストを見ても、ほとんどすべての人がいったい何のことなのか想像がつかないだろう。サイケデリックなニャントラは、いったい何を考えているのだろうか。
〈SUPERCORE〉でナカコーと会った。
聴く前から、もうイメージで聴かないという人が多いでしょ。まずは聴いて欲しい......というのがありますけどね。知らないっていうだけで、価値のないモノとされるような感じはあんま好きじゃないので。ああいうモノもあるけど、別のモノもある、それは面白いけどな。
■じゃあ、今日は夢のある話をしてもらいましょうか。
ナカコー:はははは。
■やっぱ夢がないとね(笑)。
ナカコー:はははは。
■何度も訊かれているだろうけど......、なんでこんな企画を考えたの?
ナカコー:段階があるんだけど、まずはやったことがないことをやろうと。それで、コラボ・アルバムはやったことがないと。最初はそこ。
■なんでコラボ・アルバムを?
ナカコー:自分と日本のミュージシャンとの距離感というのがずっとあったから。てか、自分のなかにそれがあったから。一歩引いた目で見ていたというか。だから、コラボをやれば、逆にお客さん的な目線で作品を作れる。
■そうなんだ?
ナカコー:それは面白いかなと。新鮮だし。
■言い方悪いけど、他力本願というか。
ナカコー:はははは。そうだね(笑)。
■DJ的とも言えるよね(笑)。
ナカコー:はははは、そうだね。
■なるほどねー。自分がいままで距離を感じていたっていうのは、どういうこと?
ナカコー:いや、もともと邦楽あんまり聴かないから。アンダーグラウンドなものやオルタナなものは聴いてたけど、日本のポップスとかロックはそんなに聴いていないからね。バンド付き合いもあるわけじゃないし。だから、それを実際に経験してみようと。自分はやっぱ、日本の音楽の場所にいるわけだし、だけど、そこをいままであんまり見てなかったからね。自分と同じところでやっている人たちがどんな風に考えているのか知りたかったというのもあるし......そこは大きかったかな。
■で、知ることはできた?
ナカコー:うん、できたかも。ある程度は。
■それは夢のある話だった?
ナカコー:夢があるかどうか知らないけど、良い経験だったけど。良い気分転換だったし。
[[SplitPage]]会ったこともない人といっしょにやるのがスリリングなんですよ。向井くんとも会ったことなかったし、ポリシックスにも会ったことなかったし。ベースボールベアーも、ノブくんも、アジカンも、クラムボンも......ほとんど会ったことがなかった。
■いろんな日本のミュージシャンやDJとコラボして、良かったところは何ですか?
ナカコー:やる前に、自分はきっと柔軟に違いないと思っていたんだけど、実際にやってみて柔軟だった。
■はははは。なにそれ?
ナカコー:ちゃんと相手に合わせることができる。チューニングができる。それはコミュニケーションが取れるってことだから。
■なるほどねー。最初にこの企画の話を聞いたときに思ったことがあるのね。たとえばDJやクラブというのはシーンがあると思うのね。DJだけではなく、オーガナイザーやクラバーをふくめて、自分はこのシーンのいちぶであることを自覚していると思うのね。多少の音楽性は違ってもだよ。やはりそこには風営法だったり、社会的に自分たちの"シーン"ということを自覚しなければやっていけないところがあると思うのね。翻ってロックはどうかと言うと、シーンという意識がすごく希薄に思えるんだよね。日本のロック・シーンと言われても、もうわけわからないでしょ?
ナカコー:まあ、でも、下北のシーンとかありますけどね。秋葉とか。
■ああ、そうか。ハードコアのシーンもあるよね。でも、UKやUSなんかと比較すると、この国のロックは何が最良であって、どんなバンドに未来が託されているのかよくわからないし、どのシーンにいま注目したらいいのかっていうのもない。向こうはロラパルーザとかさ、あるいはビースティーのチベット支援とかさ、なにか理想があってそれでバンドが集まるじゃん。日本でそういうのって知らないし......。だから、ナカコーが持っていた"距離感"は他のバンドも持っていたかもしれないなと思うの。だって、これだけたくさんのロック・バンドがいて、そして、言ってしまえばバラバラなわけでさ。だからね、そういう意味で、ナカコーが今回やっている試みは、極論すればシーンがないなかでやっているわけだからさ......すごいことだよ(笑)。
ナカコー:はははは。
■甘くはないというか、そう簡単に理解されるものじゃないと思うんだよね。
ナカコー:ただ、今回ここにいるのが日本の音楽のすべてじゃないからね。これが日本の音楽シーンだとも思っていないし。
■そうだよね。ナカコーがキュレーターを務めたプチ・フェスティヴァルみたいな。
ナカコー:そうですね。それはあるかも。海外の人に、これはいまの日本の音楽のひとつの姿ですって、そういう感じでは出せるかな。
■iLLやっていて、対バンに困ることはある?
ナカコー:まあ。
■正直なところ、仲間が欲しいって気持ちはあったのかな?
ナカコー:仲間というか......、まず何を考えているかわからないし、だけど、いっしょに音を出してみて、で、何を考えているかわかったという(笑)。
■なるほど(笑)。あのー、今回の企画は、本当に冒険的なことをやっていると思うんだよ。こんなこといまどき誰もやらないし、自分が興味のない外の世界とはまったく関わりたくないというのがいまの日本社会だから、すごく世のなかに逆らっているとも思うんだよ。だけどさ......ポリシックス聴いている子がDJノブに興味を持つかな? アブラハム・クロスを聴いている子がアジカンを聴くかな? おたがいはなっから「自分とは違う」という意識でいるのがいまなんじゃない?
ナカコー:うーん、そうなんだけど、そこは聴いている人の感性によるし、ひょっとしたら"アリ"かもしれないし。うん、たしかにそうなんだけど、聴いてみないとわからない。
■それはたしかにそうだね。
ナカコー:聴く前から、もうイメージで聴かないという人が多いでしょ。まずは聴いて欲しい......というのがありますけどね。知らないっていうだけで、価値のないモノとされるような感じはあんま好きじゃないので。ああいうモノもあるけど、別のモノもある、それは面白いけどな、それにどっぷり浸からなくても......。
■そうだよね。やってみて、このコラボした人たち全員に共通しているモノって何だと思う?
ナカコー:うーん。
■DJノブからベースボールベアーまで。
ナカコー::「すげー、わからない」ということと「すげー、わかる」ということが共存している。なんて言うか......「聴けばわかる、でも、聴かないとどうやって作っているのかわからない」、そういうところがあって。ベースボールベアーの音楽も何かをやろうとしていることはわかる。みんなに「わかる」と「わからない」がある。
■"分断化された10年"という言葉があるんだけど、いまはとにかくみんなバラバラだと。たとえばアブラハム・クロスの小さなシーンとアジカンのシーンには回路がないでしょ。ナカコーはそこを繋げたいと思っているの?
ナカコー:できれば繋げたいと思っている。
■それは夢のある話だね(笑)。
ナカコー:はははは。フェスとかで......、ロッキングオンのフェスでもなんでもいいんですけど、このメンツでやったらお客は揺れ動くよなーとは思うんですけどね。
■揺れ動くって?
ナカコー:まあ、それが良いか悪いか別にして、こっちのほうが健全というか、同じようなバンドばかりが続くよりは、むしろこっちのほうが繋がるんじゃないかなと思うんですけどね。
[[SplitPage]]■ナカコーはなんで日本の音楽を聴かないの?
ナカコー:なんでだろ? それわかんないですけどね。
■僕があんま日本の音楽を聴かない理由は音が魅力的じゃないからで、やっぱ歌詞が重要だったりするんでしょ。で、その歌詞がさ......『脳内革命』ってわかる? いわゆる自己啓発本ってヤツなんですけど、「あなたは偉い」「あなたは間違ってない」「あなたは輝いている」とか書いてあるのね。それを読んでサラリーマンは前向きになるんだけど、で、だから売れているんだけど、音がつまらない歌詞重視の日本の音楽の言葉って、ほとんど自己啓発じゃない。それがすごくイヤなんだよね。
ナカコー:はははは。
■ねぇ(笑)。「言われたくないぜ、お前には」、って(笑)。だから......ナカコーも「君は世界でいちばん輝いている」とか歌えば売れるよ(笑)。
ナカコー:はははは。そうかな(笑)。
■もちろん歌詞も重要だけどさ。iLLもそういう意味では、まずは、たぶん音が好きなわけでしょ?
ナカコー:まあね。
■だからね、今回のコラボ・アルバムはたぶん、純粋に面白い作品を生みたいことだと思うし、意外なほど音にまとまりを感じたんだよね。もっと支離滅裂になるかと思っていたけど、意外なほど整合性があったね。
ナカコー:そうっすね。自分が現場にいるし、どんな音を出されても自分がまとめるみたいな気持ちがあったから、最後の仕上げみたいのは自分でやるから、まあ、統一感は出るだろうなって思ってました。それはあったほうがいいと思っていたし、あるだろうなと思っていた。
■いっしょにスタジオに入ったのは誰?
ナカコー:山本(精一)さん、勝井(祐二)さん、ポリシックス、ベースボールベアー、テレフォンズ、アブラハム・クロス、クラムボン......。
■向井秀徳は?
ナカコー:データのやり取りだけだったね。忙しかったから。オレがリズムトラックとかオケを作って、それで向井くんが歌とシンセを入れてきて。
■ミニマル・テクノだったもんね。
ナカコー:向井くんと話したときに、お互いムードマンが好きだということで、そこで「よく、わかった」と。作りやすかったですけどね。
■たしかにインパクトがある曲だよね(笑)。
ナカコー:はははは。
■DJに関してはみんなリミックスだよね?
ナカコー:頼んだのはオレが大好きなDJですね。
■ノブくん、ムードマン、アルツ、みんな良かったんだけど、なかでもアルツのミックスがちょっと素晴らしいと思ったな。よりサイケデリックなクラウトロックというか。
ナカコー:そうですね。原曲は3コードのロックなんですけどね。
■ムードマンはクラスターがミニマルやったみたいな音だったね。ノブくんはダビーでアシッディなエレクトロニック・ダブ......。
ナカコー:どっちも格好いいですよね。
■ハルカっていうのは?
ナカコー:それは曲名(笑)。
■はははは。
ナカコー:はははは。
■アジカンの"新世紀のラブソング"はiLLがミックスしたの?
ナカコー:そうそう。
■それもアリなんだ。出たばかりのシングルなのに、よく許可してくれたね。
ナカコー:そうですよね。びっくりしました。
■アジカンがいちばん浮いているよね。
ナカコー:それはまあ。
■悪い意味じゃないよ。やっぱ歌詞がしっかりあるし。
ナカコー:たしかにアジカンがいちばん難しかった。
■メッセージがあるというか、言葉が強いからね。
ナカコー:そう、それを消しちゃうと曲の意味もなくなっちゃうしと思って。最初はぶつぶつ切っちゃおうって思っていたっだけど、それだとアジカンをやる意味がないなと。しかもアジカンと自分がいちばん接点がないようにも思っていたし。それはわかっていたんです。でも、接点がない同士でやるのもいいかと。リミックスは、あと琉球ディスコもやりましたね。
■それがMEGちゃんが歌っている"遙"という曲だね!
ナカコー:はははは。そうっす。
■失礼しました(笑)。でもさ......ダンス色が強くない?
ナカコー:それは意識したわけないんですよ。やったらそうなっちゃった。なんかね、気がついたら4つ打ち聴いているみたいな、それが自分のモードでもあったし。
[[SplitPage]]自分が自分のことをやっているよりも、こうやって人と広がっていくほうの面白さというのもあるんですよね。参加してくれた人たちもみんなそういう感性を持っている人たちだと思うんです。だから参加してくれたと思うし......。
■今回は実現できなかったけど、やりたかった人っていますか?
ナカコー:七尾旅人くん、瀧さんとか......。
■ピエール瀧?
ナカコー:はははは。
■はははは。
ナカコー:やっぱ電気グルーヴは巨大なんで(笑)。
■たしかに。
ナカコー:影響も大きいし、日本の音楽の重要な要素だから。でも、ちょうど忙しかったみたいで。
■残念だったね。それこそ彼の歌詞は聴きたかったかもしれない(笑)。ちなみにリミックス以外はぜんぶナカコーが曲を書いているの?
ナカコー:いや、ベースボールベアー、テレフォンズは彼らの曲ですね。
■テレフォンズとはどういう関わりがあるの?
ナカコー:彼らのアルバムをプロデュースしたんで、今回はもっと深くプロデュースしてみたいなと思って。
■AC/DCがディスコやったみたいなバンドだなという印象なんだけど。
ナカコー:いや、いろいろ考えていると思いますよ。
■そのアイデア自体は面白いと思うんだけど。
ナカコー:もっと幅広く音楽を聴いているし。
■じゃあ、この先もっと変化していくかもしれないんだね?
ナカコー:たぶん、そうだと思います。海外からの影響もあるし、ダンス・ミュージックとロックということの組み合わせを考えているし。
■僕は唯一、このベースボールベアーっていうバンドを知らなかったな。どんなバンドなの?
ナカコー:『ロッキングオン・ジャパン』とかでよく見るバンドというか......すごく乱暴な説明ですけど。
■なるほど。
ナカコー:20代半ばのバンドで、すごく人気ありますよ。前から名前は知っていたんだけど、自分のなかではさっき言った「わかる/わからない」の共存の度合いが強いバンドだったから、頼んでみようって。
■「わかる」部分って?
ナカコー:やっぱバンドとしての結束力ですね。そこはオレもずっとバンドやってたからわかる。バンドとしての生き方......みたいなの。
■じゃあ「わからない」ところは?
ナカコー:うーん。......「なんでそこまでバンドにこだわるの?」っていう。
■はははは。
ナカコー:バンドを解散したオレからみると(笑)。
■分裂しているものがあるんだね。
ナカコー:そうかも(笑)。
■まあ、じゃあ、これは......とにかく作ったからあとは聴いてくれた人がどう思うか、というところに賭けているアルバムなんだね。
ナカコー:たぶん。きっと邦楽メインで聴いている人たちにいくと思うから。
■そうだろうね。DJノブが千葉を拠点にどんな音楽活動をしているのか初めて知るとっかかりになるかもしれないしね。これを聴いてアブラハム・クロスのファンになる人がいてもおかしくないものね。
ナカコー:そうだね。そうなったら、すごく良いですよね。
■ILLがいま見ている......でっちあげかもしれないけど、シーンのようなモノが見えればね。
ナカコー:うん、ただシーンというのが、まったく繋がっていないのがもったいない気がします。
■ここ1年、何回かオム二バスのライヴに行ったんですよ。そうすると、自分の目当てのバンドが終わると多くのファンが帰ってしまう。そういう状況が僕はずっと不健全だなと思っていたのね。相対性理論のライヴが終われば客は帰る......とかね。でも、それってよく考えてみれば、シーンがないってことなんだよね。シーンがあれば、パンクでもテクノでもラップでも、オム二バスのライヴの最後まで見ようとするじゃない。でも、シーンがないから単体のアーティストにしか興味が集まらない。そういう意味では、まあ、勇気ある挑戦でもあったね。
ナカコー:はははは、そうかもしれないですね。
■良くやったなーと思いますよ。
ナカコー:よく参加してくれたなーと思いますね。
■そうだね。
ナカコー:参加した人たちも「これどうなるの?」って思いがあったと思いますよ。
■それはそうだよね。
ナカコー:でもきっと、面白いものになると信じてくれたんだと思うんですよ。
■中村くんの人徳でしょうね。
ナカコー:いや、これで初めて会う人ばっかだったし(笑)。
■会ったこともない人とよくいっしょにやったね。
ナカコー:会ったこともない人といっしょにやるのがスリリングなんですよ。向井くんとも会ったことなかったし、ポリシックスにも会ったことなかったし。ベースボールベアーも、ノブくんも、アジカンも、クラムボンも......ほとんど会ったことがなかった。
■そうかー。
ナカコー:音楽があるから、知らない人とも話せるからね。
■なるほどね。ナカコーはこのアルバムで、たしかに他の人たちがやらない"努力"をしたんだろうなとは思いますよ。
ナカコー:努力というか、自分が自分のことをやっているよりも、こうやって人と広がっていくほうの面白さというのもあるんですよね。参加してくれた人たちもみんなそういう感性を持っている人たちだと思うんです。だから参加してくれたと思うし......。それをリスナーの人も共有してもらえたらいいんですけど。
■大きく言えば、分断された島宇宙を繋げたかったんだろうし、そういう努力はもう日本では誰もしなくなったからね。ただし、ここまで努力してみても、誰もこっちを振り向かないかもしればいし、空振りするかもしれないでしょ。知らなかった音楽を知りたくない、そんなこと求めてないって人だっているわけだし。その覚悟はある?
ナカコー:もちろん。まったく空振りするかもしれないって覚悟はありますよ。
■できれば夢のほうに話が進んで欲しいけどね。
ナカコー:はははは。ですねー。夢は夢だから(笑)。
■最後のクラムボンとの曲が、なんかそんな感じだね。淡く終わっていくような......。
ナカコー:まあ(笑)。
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HENRIK SCHWARZ AND KUNIYUKI
ONCE AGAIN REMIXED-SOULPHICTION REMIXES
MULE MUSIQ (GER)
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PHONIQUE
OUR TIME OUR CHANCE-WAHOO REMIX
DESSOUS (GER)
»COMMENT GET MUSIC
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今日にいたるまでクラウトロックはポップにおける巨大な影響のひとつとしてあり続けている。たとえばそれはレゲエと同じように、実に広範囲にわたってその影響の痕跡を残している。ブライアン・イーノからデヴィッド・ボウイまで、セックス・ピストルズからオアシスまで、アフリカ・バンバータからデトロイト・テクノまで、ポーティスヘッドからLCDサウンドシステムまで......クラウトロックの影響を受けていないジャンルがあるとしたらJ-POPぐらいだろう。それほどまでにクラウトロック(このギャグとして発せられた造語)は、欧米のポップ(ロックだけではない。テクノはすべてその恩恵にあずかっている)における重要なアイデアである。
その昔、偉大なるリロイ・ジョーンズがブラック・ミュージックの本質を「chainging same(変わってゆく同じもの)」という言葉で表現したことを受けて、評論家のサイモン・レイノルズはクラウトロックの、とくにノイ!のトーマス・ディンガーによるドラミングをホワイト・ミュージックにおける「chainging same」であると書いたことがあった。なるほどーと思ったものだが、しかし後から考えてみれば、日本のバンド――コーネリアス、バッファロー・ドーター、ゆらゆら帝国、ボアダムス、あるいはヘアー・スタイリスティックスといった連中には多かれ少なかれクラウトロックからの影響が聴こえる。白人だけに相性が良いわけでもない。
1990年代初頭はフリー・ジャズとスピリチュアル・ジャズ、その後半は〈スタジオ・ワン〉、ゼロ年代前半はポスト・パンク、そして最近ではダブステップのコンピレーションをせっせとリリースしている〈ソウル・ジャズ〉レーベルが2010年に送り出すのはクラウトロックである。これは興味深い話だ。何故ならこの20年、トレンドセッターとしての役目を果たしているこのイギリスのレーベルが、いまになって70年代のドイツの実験的なロック・バンドに手を伸ばしている。レゲエの7インチや70年代初頭のスピリチュアル・ジャズのオリジナル盤の隣には、これからカンやアモン・デュールが並ぶというわけだ。
実はクラウトロックに関して言えば、ここ数年、イギリスではその手の文献が出版され、また、レディオヘットをはじめオアシスやプライマル・スクリームといった大物までもがその影響を取りいれたこともあってか、再評価の熱が高まっている。1970年代なかばにイーノが発見し、それを真似てデヴィッド・ボウイが取り入れて、あるいはポスト・パンクにおいてはジョン・ライドンやザ・フォール、キャバレ・ヴォルテール等々がその先鋭性を評価し、それから1995年にはジョリアン・コープが70年代初頭のドイツのロックにおける精神錯乱にスポットを当てて『クラウトロックサンプラー』を上梓した。これまでも何度もドイツの波は来ている。ただ、今回はようやく歴史的に......というか、まあ、教科書的にそれを俯瞰しようとしている。
よって話は1967年のドイツの学生運動からはじまる。活動家、ドイツ赤軍、コミューン文化の拡大、ドラッグ・カルチャーの氾濫、これら政治的騒乱と平行して繰り広げられた電子音楽の実験――カールハインツ・シュットクハウゼンはホルガー・シューカイに教え、あるいは松村正人が思い入れを持って語るヨゼフ・ボイスの指導のもとでコンラッド・シュニッツラーが学んでいる。それは、ナチスの悪夢といっしょに過去を消去された当時の若者に"ゼロ年"という意識を植え付け、さらに熱を呼ぶ。そしてそれは、非・音楽、反・メロディーと反・リズムという、どんな過去ともリンクしようとしない破壊的な試みをうながすのだった。その最大の実験がシュニッツラー率いるKlusterだった、といまでは言われている。
CDでは2枚組、全24曲を収録したこのコンピレーションは思っていたよりもずっと良いできだ。1曲目はカンの"ア・スペクタクル"、1978年の曲で、見逃されがちな時期の曲だが、いま聴いても素晴らしいし、コズミック・ディスコの隣で鳴っていても何ら違和感はない。そしてハルモニア、ポポル・ヴー、コンラッド・シュニッツラー、ファウスト等々といった有名どころが続いて、1枚目の最後はノイ!の大クラシック"ハロ・ガロ"。2枚目はクラスターのコズミック・サウンドからはじまる。それからメビウス、アモン・デュール・II、アシュ・ラ・テンペル、タンジェリン・ドリーム、レデリウス等々。カンの後期のヒット曲"アイ・ウォント・モア"に続いて、締めはアンビントの先駆者のひとり、ドイターのドローンによる恍惚としたトリップで終わる......。ダモ鈴木在籍時代のカンが収録されていないのは大いに不服だが、それでもこれだけよく揃えたものだと思う。入門編としては上出来でしょう。
アンカーソングはロンドン在住の日本人青年である。彼は音楽をやるために渡英し、働きながら活動を続けている。彼の音楽はインストゥルメンタルのエレクトロニック・ミュージックだが、実は、すでに数年前から日本では若いリスナーから幅広く支持されている(過去のミニ・アルバムはともに1万枚近くのセールスがある)。これは、アンカーソングがロンドンから送ってくれた便りである。
ロンドン、それは世界中のありとあらゆる人種が共存する街で、週末のOxford Streetの様相は、まさに「メルティング・ポット」そのもの。その中には、世界の音楽シーンの中心地であるこの街で成功することを夢見て、海外からやって来た人びとも少なくありません。まさにそんな外国人のひとりである自分が、この街でミュージシャンとして生きる日常について、綴ってみたいと思います。
まずは簡単に自己紹介をさせて頂きます。
僕はAnchorsong(アンカーソング)という名前で、ロンドンを中心に音楽活動をしています。2004年に東京で活動をスタートさせ、3年後の2007年10月に、ここロンドンに引っ越してきました。現在はこの街のクラブやライブハウスを中心に、ジャンルを問わずさまざまなパーティーで演奏しています。ロンドンでは、ライヴハウスとクラブのあいだにあまり隔たりがないのですが、ここでは敢えて、前者を中心に活動するロック/ ポップス系と、DJを中心としたクラブシーンに分けて、書いてみたいと思います。
アンカーソングのライヴ風景
まずロック/ポップス系のシーンでは、やはりオルタナティヴ/インディー系が人気です。東ロンドンに店を構える〈Rough Trade Records〉に足を運べば、スタッフによって厳選された世界中のアーティ ストによる作品の数々が、有名無名を問わず、所狭しと並べられています。なかでも現在とりわけ注目を集めているのは、いまやトレンドの発信地として認識されつつある、NYはブルックリン出身のバンドです。MGMT、Vampire Weekend、Grizzly Bear、それにAnimal Collective等々、メジャーで成功しているバンドのみならず、Bear In Heaven、 The Hundred In The Hands、Pains of Being Pure At Heartなど、現地でまさに人気に火が点こうとしているバンドまで幅広く取り扱っていて、流行に敏感な音楽ファンで店内は常に賑わっています。個人的には、〈XL Records〉傘下の〈Young Turks〉から新作を発売したばかりのHoly Fuck、また彼らと同じくカナダ出身のBorn Ruffiansというバンドに注目しています。
クラブ/ダンスミュージック系のリスナーがよく足 を運ぶのは、Central Londonにある〈Phonica Records〉です。テクノ、ハウス、エレクトロ、どれをとってもまさにダンスミュージックの本場であるロンドンならではの洗練されたセレクトで、現場でプレイするDJたちにとっても欠かせないレコード屋となっています。なかでもやはり、いまもっとも勢いがあるのはDubstepのシーンで、SkreamやBengaはもちろんのこと、Burialを擁する〈Hyperdub〉を主催するKode 9、Scuba、Ikonika、Joy
Orbison等々、ユニークな才能が次から次へと登場して、シーンに更なる活気を与えています。
個人的に注目しているのは、「Vacuum EP」のリリースで一躍脚光を浴びたFloating Points、デトロイトの新星Kyle Hall、そしてAaron Jeromeの変名プロジェクトであるSBTRKTなどです。
レコード業界も不況の煽りを受けているというのは紛れもない事実のようですが、クラブやライヴハウスといった現場では、その事実を感じさせないほどに、連日大いに賑わっています。
先日は〈Heaven〉にて開催された、Holy Fuckのライブに足を運んできました。ロンドンではクラブとライブハウスのあいだにあまり大きな隔たりがないというのは先に述べましたが、今回のイヴェントはまさにその事実を体現するかのような内容で、先述のSBTRKTがサポートとして出演していました。レーベルメイトであるという点を除けば、両者のあいだにはさほど共通点がないようにも思われますが、集まったHoly Fuckのファンたちはラップトップを使用したSBTRKTのパフォーマンスにもしっかり反応してい て、ロンドンのオーディエンスの懐の広さを、あらためて感じさせてくれました。生演奏とエレクトロニクスをユニークなバランスで組み合わせたHoly Fuckのパフォーマンスはとてもパワフルかつ新鮮で、満員御礼となった会場は大いに盛り上がっていました。
過去もいまも変わらず、音楽ファンにとってロンドンは本当に刺激的な街で、僕自身、シーンを外から見ているだけでなく、その一部になりたいという希望を胸に、この街にやってきました。
とくに頼れそうなアテがあるわけでもなかった僕は、渡英したばかりの頃はブッキングを見つけるのに苦労した時期も、少なからずありました。当時は駆け出しのバンドらに混じって、街の小さなパブでよくライヴをしていました。ロンドンには小さなパブが星の数ほどあって、そのなかには簡易なステージを設置しているところがたくさんあるため、それだけアーティストにとって演奏する場が多いということでもあります。
また日本とは違い、出演する上でバンドにノルマがかせられることはまずなく、それは若者たちが気楽に音楽をはじめるのを促す要因にもなっていると思います。
ロンドンではアーティストのブッキングやマネージメントが、アンダーグランドにまでしっかりと行き渡っていて、どんな小さなパブであってもエージェントやプロモーターを通して出演するというのが一般的です。
現在、僕はSOUNDCRASHというプロモーターにマネージメントを担当してもらっています。彼らは〈KOKO〉や〈Cargo〉といったロンドンのクラブを中心に、〈Ninja Tune〉や〈WARP Records〉のアーティストを軸にした、数多くのコンサートやイヴェントをオーガナイズしていて、僕はこれまでに、DJ Krush, Jaga Jazzist,Hexstatic, DJ Vadimなどのアーティストのサポートを務めてきました。つい先日には、収容人数3,000人を誇るロンドン市内でも最大規模の会場のひとつ、〈The Roundhouse〉にて、〈Ninja Tune〉から新作を発売したばかりのBonoboのサポートを務めさせてもらいました。
会場となったザ・ラウンドハウス
ロンドンのオーディエンスはとても素直で、いいと思ったときにはとても熱のこもったレスポンスを見せてくれますが、逆に退屈したときには、たとえそれがヘッドライナーのパフォーマンスであっても、冷ややかな反応を見せます。とくに今回の僕のようなサポートアクトの場合は、オーディエンスの多くが事前に予備知識を持たずに来ているため、彼らを楽しませることができるかどうかは、まさにその日のパフォーマンス次第と言えます。
そういう意味でもソールドアウトになった今回の公演は、これまででもっともやり甲斐のあるショーのひとつになりました。開演直後は様子を伺っていたオーディエンスが、どんどん盛り上がっていくのが手に取るように見え、最初は5割程度しか埋まっていなかったフロアも、演奏を終える頃には超満員になっていて、3,000人のオーディエンスから大きな拍手と歓声を頂きました。こういうシチュエーションは、本当にいいパフォーマンスが披露できたときにだけ経験できることなので、僕にとって非常に忘れ難い夜になりました。
そして満を持して登場したBonoboは、集まったお客さんをさらに盛り上げる、素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。今回はストリングスやホーンセクションを交えた、総勢12名によるフルバンド編成での公演で、マルチインストゥルメンタリストであるBonoboことSimon Green本人はベースを中心に演奏しつつ、バンドを見事にまとめあげていました。
また今回の公演にはFlying Lotusの"Tea Leaf Dancers"のシンガーとしても知られるAndreya Trianaが全面的に参加していて、新世代の歌姫として大きな支持を得つつある彼女が、その抜群の存在感を誇る歌声で、オーディエンスを大いに湧かせていました。終演後、いつまでも鳴り止まない歓声と拍手を前に、ステージ上のSimonはとても嬉しそうな表情を浮かべていました。SOUDCRASHのクルーも「これまでにオーガナイズしたコンサートのなかでも最高のもののひとつになった」と、大いに満足している様子でした。
白熱したステージを展開するボノボ
ロンドンに来て約2年半、シーンの刺激を毎日のように肌で感じられるこの街での生活は、本当に魅力的だと思います。非常に競争率が高い業界であることは事実ですが、実力のあるアーティストが評価され、そしてのし上がっていくという古き良き体制が、この街のアンダーグランドシーンには、いまもしっかりと根付いています。
最近、日本では海外に出たがる若者が少なくなったという話を時折耳にしますが、僕の知る限りでは、そういうった刺激を求めてこの街にやってきている日本のアーティストはたくさんいて、それぞれがさまざまな形で、その個性を表現しています。この記事を読んでくれた方が、この街で音楽をするということに少しでも興味を抱いてくれたのであれば、この上なく幸いです。
■アンカーソングのサード・シングル「The Lost & Found EP」は〈Lastrum〉より発売中。また、アンカーソングは7月29日、ele-king@DOMMUNEに出演決定!
僕は、オフタイムではルーツ的な音楽を聴くことが多い。スカやレゲエといったジャマイカの音楽だったり、ジャズ/フュージョン、ソウル、ファンク、ディスコ、ブルース、カントリー、ソフト・ロック、ワールド・ミュージックなどなど。日頃、主張が強くてうるさいものばかり聴いているので、なるべくけれんみのないものを求めてしまうのかもしれない。生活や街に根付いたような表現だったり、推敲を重ねて削りだされた作品は、たとえどんなジャンルの音楽であってもけれんみなく響くものだ。
キセルのニュー・アルバム『凪』は、まさに推敲を重ねて削りだされた美しさを持つ作品だ。が、よ~く見つめてみると、美しさと同時に「いびつ」をも有している。生活に根付いているようで、どこか「ねじれ」ている。そんな面白さがあるアルバムである。
あまりに音楽が日常の空気と溶け込んでいるためか、最初の1~2回は、うっかり聴き過ごしてしまうくらいだった。〈これまででもっとも音数が少ない〉と言われた前作よりさらに音数は少ない。演出も抑制されていて、作為的なものを徹底的に排除したアルバム......、最初はそう思っていた。しかし、聴くたびにその本当の輪郭と細部が浮かび上がってくる。その巧妙さに感嘆する。つまり、実はさりげなく演出を加えている、そんな塩梅が今作『凪』のポイントではないだろうか。
キセルの音楽をひと言で表すなら、モンドな感性で彩られたフォーキーなポップス、ということになる。ノスタルジックな日本語の歌と穏やかな演奏を核にしながら、レゲエをはじめとしたカリブ・ミュージックのリズムとシンセサイザーやテルミンなどの空間的な音が、若干のエキゾチズムとサイケデリックな風味を与えている。うまいなぁと思うのは、「さあレゲエやってます」とか「ダブを取り入れてますよ」といった主張を感じることのないアレンジだ。それは耳を澄ませば聴こえてくるレゲエのリディムであり、電子音だ。音が削がれていった結果なのだろうが、考えてみると、ものすごモダンかつオルタナティヴな試みのように思える。彼らはさも平静な顔で、どこにもないような音楽を奏でているわけだから。
兄弟"ふたり"のユニットであるということが大きく関係しているのかもしれない。ふたりで演奏するわけだから、大人数のバンドよりも音数を減らす必要がある。また、ふたりで演奏できる範囲で、最大限に曲を表現しなければならない。だから、なおさら音を吟味しなければならない。アルバムを何度も聴いていると、いろんな発見がある。多様な音楽のエッセンスを1曲のなかに見つけることもできる。あらゆる音楽の"素"を取り出して再構築されているのがわかる。もうひとつ、キセルの音楽の特徴のひとつとしてよく言われる、空想的な世界観だ。新作『凪』も、じっくり覗き込んでみると日常の風景とは少々異なる世界が広がっていることに気付かされる。
キセルの独自性がさらに磨かれた通算6枚目のアルバム『凪』。長い付き合いになりそうだ。