「Nothing」と一致するもの

Bat for Lashes - ele-king

 全裸のナターシャ・カーンが、生気のない全裸の青年を抱えて立っている。
 それは例えばお姫様抱っこの男女転換版みたいなよくあるフェミニズム的構図ではなく、だらり。と肩から提げているのである。
 青年は、33歳の彼女よりかなり若く見える。ということは、交際していた年下の男を殺して、その死体をこれから埋めに行くところなのだろうか? それとも、自分が若い頃に恋に落ち、別れてしまった男のことを、三十路になったいまでも心情的に引きずって生きているということのメタファーなのだろうか?

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 「このアルバムでもっともブリリアントなのはジャケットだ」
 英国にはそういう趣旨のレヴューを書いたメディアもあった。
 まったくこの国の批評というやつには慈悲もへったくれもありゃしない。と思うが、ブライトンで保育士をしていたナターシャには、個人的に思うところもある(という情が入って来るあたり、わたしは生粋の日本人だが)。それに、本国での彼女のポジショニングを考えれば、もうちょっと日本で認知されても良いお嬢さんではないかと思う。
 デヴェンドラ・バンハートやトム・ヨークを魅了し、ビョークに「ブリリアント」と言われ、ベックともコラボ済み。というブライトン在住のナターシャ・カーンことBat For Lashesのサード・アルバムは、良い意味でも悪い意味でも洗練されている。「ビョークっぽい」と言われることの多いお譲さんだが、アーバン・エレクトロ・ヒッピーみたいだった1作目や2作目に比べると、今回のアルバムはぐっと方向性が絞られてエレガントになり、ケイト・ブッシュに接近している。"Laura"などはエキセントリックなファルセットでケイトに歌わせたくなるし、"All Your Gold"や"Oh Year"を聴いていると、これは21世紀版『魔物語』なのか。と思う。ケイト・ブッシュが1979年生まれだったらこんな曲を書いていただろうと思うほど、どの楽曲もビューティフルで才気に溢れているのだ。

 「彼女のアルバムは、ビョーク、ケイト・ブッシュ、PJハーヴェイなどの女性アーティストを髣髴とさせ、その事実が最大の弱点にもなっている」と書いたのはBBCのサイトのミュージック欄のレヴューだ。
 我が祖国で彼女の知名度が低いのも、この二番煎じ感が災いしているのかも知れない。二番煎じであるならば、同時代に同じ場所で生きているという連帯感を持つことのできない海外の人びとは、オリジナルの方を聴く。時代のギャップと、地理的・社会的ギャップは、距離感であることには変わりないからだ。

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 ナターシャ・カーンはパキスタン人の父親と英国人の母親の間に生まれた雑種ブリティッシュだ。
 「世界に何か新しいものが生まれるとすれば、それはハイブリッドだ」と言った我が祖国の文人、坂口安吾の提言の通り、英国の大衆音楽がネタ切れすることなく新たな「何か」を生み続ける理由は、この国が単一民族の国ではないからだと思う。
 とは言え、混血化が進む国では、その反動としての人種差別が活発化するのも必然のプロセスであり、ナターシャも十代の頃に「ファッキン・パキ」といじめられ、それが原因でヴァイオレントになって問題児になった時期もあったらしい。そんなバックグラウンドを持つ彼女が、ケイト・ブッシュのような真っ白なサウンドを志向しているという事実は、わたしにとっては全裸のジャケット写真よりよほど衝撃的だ。
 「主流と迎合するのは嫌」と言う彼女の音楽に、彼女自身の中に半分流れている(この国における)少数民族の血の匂いが全く感じられないのは何故なのか。
 やはり雑種である子を持つ親として、この辺はなかなかディープなサブジェクトである。

 裸のナターシャがだらりと肩から提げて立っているのは、本当は死んだ男ではなく、彼女が11歳のときに去って行ったという父親から受け継いだムスリム民族の血なのではないか。
 彼女の肩で生気を失っているのは、ロマンスの相手としての男ではなく、抹殺しようとして抹殺することのできない父方の血の呪縛ではないだろうか。

「夕べは眠れなかった 
あなたのことを忘れようとしたから
老いた男と海が歌っているのが聞こえた
銀色の感触 彼女は泣く 
忘れはしない 消えたわけでも 死んだわけでもない」
"The Haunted Man"

 彼女が前述の女性アーティストたちを超えるのは、彼女がこの亡霊を肩から下ろし、ハグを交わして一緒に踊りはじめるときだろう。そのときこそ、ナターシャは堂々と自らの個性を打ち出し、雑種ブリティッシュ・ミュージックを代表するレジェンドになる。
 そこに到達するまでの、並外れた才能を持つ女性の道程を示しているという点で、彼女のアルバムは1枚1枚がプレシャスな里程標である。

泉まくら - ele-king

 「ふつうの女の子」がどんな女の子のことを指すのか、そのニュアンスには各時代ごとの通念が反映されていて、一通りではない。加えて、いまのようにたくさんの「ふつうの女の子」がアイドルになってしまう時代には、「ふつうの女の子」の「ふつう」自体がパラドキシカルな特殊性を帯びてしまって、もはやどのような存在を指すのか判然としない。アニメ表現においても平沢唯から小鳥遊六花まで「ふつうの女の子」モデルは非常に多彩だ。
 しかし、「ふつうの」と形容詞で考えるからわからなくなるのかもしれない。彼女たちは「ふつうの女の子」ではなくて「ふつうに女の子」なのだとすれば、どうだろうか。振る舞いや境遇において「ふつうに」女の子をやっているだけで、それぞれはゆたかな個別性を持った存在。当然ながら「ふつうの」性質というものはなく、いつの時代もおのおのが個別の在り方をしながら「ふつうに」女の子として生きているだけだ、と。ただ、平凡ながらもそれぞれがそれぞれに生きてきた時間があるということを尊重するかどうか、こちら側=見る側のパラダイム転換があったのだ......とすれば、このおびただしい「ふつうの女の子」モデルの氾濫はとても好もしい状況なのではないかと思えてくる。

 「ラップをしちゃうふつうの女の子」として紹介されているMC、泉まくらの音楽には、こうした「ふつうに女の子」だらけの状況への祝福がある。それは無論、女の子のための安逸な応援ソングといったものとは異なる。"バルーン"の出過ぎない音圧や、主張するのではなくて人を容れるように空隙を残すプロダクションは、誰かを応援するためではなく、誰をも認めるための凹型の柔構造を成しているように、筆者には感じられる。おそらくその裏側には「生きること許されちゃったんだし」("ムスカリ")という感覚があるのだろう。「人生は苦しい」でも「人生はすばらしい」でもなく、人は人生を授けられてしまったという偶然をどう納得していくのか。ふつうに女の子として生きていくというのは、そのひとつの回答でもある。その回答は、他人の人生の偶然性や他人が選択したさまざまな生き方にもやさしく響きあうだろう。

 一方で、ラップそのものにもとても繊細なものを感じた。ヒップホップについてはまったく詳しくないので、そのスキルのほどを云々することはできないが、ポスト・チルウェイヴ、ポスト・ヒプナゴジックを生きるインディ・ロック好きの耳に、そして同じ時代の空気を呼吸する一個人の耳に、じつにすんなりと馴染む言葉だ。
 音節をつぶしながら、センテンスとしてはすんなりと日本語の収まりをつける。百人一首のテープを早巻きにするともしかするとこんな感じにならないだろうか? 考えてみれば、和歌の朗詠は抑揚としてとても平坦なものを持っていて、われわれはぼちぼち3千年近くをその抑揚とともに生きている。英語のラップ表現を日本の言葉の表現に落とし込むべく、さまざまな工夫と努力が多くの先人たちによって続けられてきたわけだが、そうした歴史にきちんと接続しながら、日本語に潜在していたラップ的な音節感覚との近接点を自然とあぶり出すような、天性の音感ならぬ音節感を、泉まくらは感じさせる。
 それはとくに"バルーン"に顕著で、そのことでもって作品中もっとも高い完成度をみせている。いまなら、何も知らずに耳にするとボカロ曲のように聴こえる人もいるかもしれない。独特の平坦な抑揚、舌っ足らずな萌えヴォイス。ボーカロイド表現の抑揚のなさは無感動や感情の抑圧ではない。「われわれもまた機械のように動く社会の歯車のひとつに過ぎない」等のメッセージや、「無感動であることを反抗の証として大人に眉をひそめられたい」といった動機はとくになく、もっと無邪気な明るさを持ったものだ。どちらかといえば、激しい抑揚によって感情表現をすることに対するブレーキ、自分の大きな声が他の声を圧迫したり不快にさせたりすることへの遠慮や忌避、まさに「生きること許されちゃった」他者への想像力のようなものと相性のいい音声ではないだろうか。泉の声は、無意識にせよそうした現在の音表現にもかすりながら響いている。

 ただ、断っておくと、実直にリリックを読むかぎりではそうしたことは見えてきづらい。"バルーン"のミュージック・ヴィデオでは、友だちや決まった恋人がいるものの、いっしょにいても孤独を再確認するばかりというセンシティヴな女の子の生活が描き出され、彼女は傷だらけの素肌を抱いてベッドにうずくまる。「あの娘の毎日がやけにドラマチックに見えだしてから急に笑えなくなったの」というサビにつづいて、カートのついたカバンをひきずって歩くその姿は、ガーリーかつ痛々しいその鉛筆イラストからも、90年代の自傷的な女流作品を引きずるようでやや古めかしい。あるいはヴォーカルにおいても少しチャラを思わせるようなところがあり、ピュアネスをむき出す痛みのような、やはり少し古風なフィーリングを感じなくはない。身体を消耗品だと言う("ムスカリ")詞にも、援交少女の形骸がある。

 しかし、ラップやトラック全体から受ける印象はまったく別で、そちらの方に泉の中心を見つける方が正しいのではないかと思う。"春に"のあまりにストレートな卒業モチーフは、まごうことなき現在の感覚だ。あるいは京アニ風にアップデートしたチャラと言ってもいいかもしれない。抜けるように透明な色の校舎や桜、田舎の風景が浮かび上がる。泉自身が福岡在住であることも大きいだろうが、ヒップホップの地方へのスポットの当て方として、新しい視点を想像していくことができるだろう。また、たどたどしい、ガレージバンド事始めといった手つきの(に偽装された)トラック(プロデュース:観音クリエイション)や、神聖かまってちゃんのように無防備で無遠慮なピアノもじつにいまらしい。こうしたエクスキューズのない感傷やナイーヴさを筆者はとてもいいものだと思う。『卒業と、それまでのうとうと』というタイトルからもわかるように、主要な舞台は学校であり、そこをエスケープしないし、塾にもちゃんと通う「ふつうに女の子」の表現としてとても鮮やかな筆致を持っている。現役の女子高生ではないようだが、筆者が高校生なら、彼女の発明に嫉妬を覚えたかもしれない。

 本作はデビュー作となり、曲数は少ないもののリミックスを多数収録したEPのような体裁をとっている。活動をはじめたのが2011年。ユーチューブへの"ムスカリ"の投稿からだということ以外、それまでの経歴はあきらかではない。リリースはフラグメントやドタマを擁し、日本の新しいヒップホップ表現を模索する〈術ノ穴〉、プロデューサーにはOMSBはじめ、観音クリエイション、AVEC AVEC、Lil'諭吉らが名を連ね、まだまだ未完成な部分を残しながらも、非常に期待されている存在であることは疑いない。本当は彼らプロデューサー陣の仕事やリミックス作についても詳述すべきだろうが、力不足で申し訳ありません。

vol.42 oorutaichi @ Japan Society - ele-king

 11月16日に、オオルタイチくん(愛称を込めてこう呼ばせていただきます)のショーが、NYのジャパン・ソサエティで行われた。彼のライブは、2009年のアメリカ・ツアー以来観ていないので、彼の音楽がどのように変化したのか、アメリカ人のオーディエンスはどう感じるのか。訊きたいことはいっぱいあった。ショーを次の日に控えて準備が忙しいさなかだったが、インタヴューをさせていただいた。


会場のポスター

お忙しいところ、時間をとっていただきありがとうございます。まず、オオルタイチくんが、ジャパン・ソサエティでショーをすることになった経緯を教えてください。

オオルタイチ:今年の3月に、横浜で芸術見本市みたいな、海外のパフォーマンス・アートのディレクターが集まるイベントがあり、僕はそこに、ダンサーの康本雅子さんとコラボレートして出演しました。そこに、ジャパン・ソサエティの塩谷陽子さんがいらっしゃっていて、アメリカに来ることがあればぜひ連絡して、と名刺をいただいたんです。僕も、新しいアルバムをリリースしてから海外ツアーをしていなかったので、またNYにも行きたい、と思い連絡をしたところ、こういうかたちであれば、という提案をしていただき、今回の開催になりました。

今回は、「コズミック・ココとオオルタイチ」という名義ですが、いつものショーとは違うのでしょうか。

オオルタイチ:塩谷さんが提案してくださった「パーティー」な感じにしたい、というイメージからはじまっています。『コズミック・ココ』というのは、僕の最新アルバムの名前で、そこから塩谷さんが「宇宙」というイメージを引き出されたそうです。今回は、20分/40分で2部に分けてプレイするのですが、参加するお客さんにも、宇宙をイメージしたコスチュームで参加していただくように呼びかけました。

以前にもアメリカでショーをしていますが、そのときの経験は、今回のショーや、それ以後のタイチくんの活動に変化を与えましたか。

オオルタイチ:前のアメリカでのショーは、2009年の3月でした。曲は変わっていますが、基本的なやり方は同じです。今回のジャパン・ソサエティのショーは、デコレーションがあったり、もっと雰囲気が出ると思います。

タイチくんの音楽は、宇宙的で、浮遊感漂う、無国籍な雰囲気を持っていて、そこにきき慣れない言葉が乗っていますが、何語なのでしょうか。あえて、理解しづらい言葉を使うことで、言葉の意味よりは、音やリズム、ビートに注目して欲しいということなのでしょうか。また、それは、海外のオーディエンスを意識してのことなのでしょうか。

オオルタイチ:まず言語に関しては、意図はないです。僕が音楽を作るときは、単純に、まずトラックをババっと作って、そこに即興で歌を載せて、いいラインだな、と思ったらそれを選んでいきます。自分がいいな、と思うものが、こういう言葉、サウンドになりました。海外のオーディエンスは、意識したことはないです。

ライブでは、タイチくんのパフォーマンスや映像も重要です。パフォーマンスにおいて、視覚的なものはどれほど意識していますか。パフォーマンスで、言葉は通じなくても、視覚で自分が訴えたいことが、オーディエンスに伝えられていると感じますか。

オオルタイチ:VJは、いつもスフィンクスという人たちに任せています。感覚的なことだけで、とくに込み入った打ち合わせもしないのですが、たしかに、大きな会場では、映像があると自分の音楽がより広がるのを感じますし、オーディンスに伝えるのを助ける気がします。

アメリカやその他日本以外の国でプレイするときに、気をつけていることなどはありますか。また海外でプレイするときのお客さんの反応の違いはありますか。

オオルタイチ:海外のお客さんは反応がストレートですね。音楽が入ってくるところにフィルターがないというか、入ってきたらそのまま、体の動きやモーションで、反応がダイレクトに伝わってきます。日本のお客さんにも、ストレートな反応をする人はたくさんいますが、やっぱりフィルターみたいなものを感じます。海外のお客さんは、すごい速いBPMのテンポにも、ガンガンついてきてくれます(笑)。日本の人は、体が動いていなくても、楽しんでいる、と感じるときもあります。

オオルタイチくんは大阪出身ですが、いまは東京在住とお聞きしました。東京に移った理由を教えてください。また東京に住む良い点と悪い点を教えてください。

オオルタイチ:東京には住んでないです(笑)。行きたいとは思ったのですが。いまは、もうちょっと音楽が作りやすくて、ある程度音を出せる環境をと思い、京都に引っ越しました。活動は東京が多くなり、WWWやネストなどでプレイしていますが、東京は、生活するのにお金もかかるし、大変だと思います。大阪は地元なので、盛り上げてくれる友だちもたくさんいます。

地元の大阪と、いま住んでいる東京で、タイチくんが、共感するオススメのアーティストを紹介して下さい。

オオルタイチ:東京出身で面白いと思うのは、トクマルシューゴくん、彼ももちろん好きですが、彼のバンドでパーカッションをしている、シャンソンシゲルというアーティストです。大阪では、みんな面白いんですけど、半野田拓くんという、サンプラーなどを使って、インプロをやっているソロギタリストが好きです。僕もいっしょにデュオみたいな形でやることもあります。

今回のアメリカ滞在はどれぐらいですか。いる間にぜひやってみたいことを教えてください。

オオルタイチ:今回は、全部あわせて3週間ぐらいです。NYの後は、西海岸(サンフランシスコ、ロス)に行って、合計7本ぐらいのショーをやります。やってみたいことは、無理だと思いますが、インディアンのコミュニティーに行ってみたいですね。自然というか、町とは違うところに行ってみたいです。あとは、レコード屋です(笑)。

このショーが終わった後の活動予定と、個人的に興味があり、今後やってみたいことなどを聞かせてください。

オオルタイチ:12月に東京と大阪で自分のイベント(※)をやろうと思っています。ソロでいつもやっている音楽を、生楽器でやるバンドがあってその企画です。個人的な興味は、最近田舎の方に引っ越して、生活を見直すというか、そんなにシリアスじゃないんですけど、いまはそういう時期なのかな、と感じています。

※オオルタイチ企画 / イーヴンシュタイナー Vol.7 and 8
東京 : https://www-shibuya.jp/schedule/1212/003056.html
大阪 : https://conpass.jp/2702.html

ライヴ・レポート
――コズミック・ココとオオルタイチ@ジャパン・ソサエティ 11/16/2012


オオルタイチ

 ジャパン・ソサエティに一歩入ると、エイリアンが頭の上でゆらゆら揺れる仕掛けのヘアバンドをつけた受付嬢たちに迎えられる。
 会場全体は、緑や赤のエイリアンのカラフルな風船や、金、銀、紫のピカピカしたテープ/ダングラーズで埋め尽くされ、アルミホイルや、エイリアンのヘアバンド、グロウ・ブレスレットやライト・セーバーなどを身につけた人たちがたくさんいる。
 メイン会場は奥だが、手前のスペースからもパフォーマンスを見ることができる。ジャパン・ソサエティの水を用いた風情ある雰囲気と、宇宙的な雰囲気、パーティー感、異国情緒、などなどがミックスされた独特の空間=コズミック・ココがそこにあった。ローカルのDJ Akiが、オオルタイチの登場まで、会場を盛り上げている。

 ショーは2部に分かれ、1部は前振り的セット。タイチくんは黒のTシャツで登場した。バイクのエンジン音からスタートし、あちこちにヒュンヒュン飛ぶスペーシーなビートや、ジャングリングでエスニックなヴォーカルが、多方向に駆け抜け、お客さんのヴァイブも急上昇。ダンスフロアはいつの間にか満員になっていた。

 2部は、タイダイ柄のカラフルTシャツに衣装替えし、ダンシーで、エレクトリックなチューンを連発する。1部は控えめだったタイチくんのパフォーマンスもどんどん前に出て、お客さんを煽ったり、ダンスも激しくなる。VJのスフィンクス・チームが、音楽と映像をシンクさせ、ムードを出し、会場と一体になって盛り上げる。反復的、アディクト効果のある音楽と映像が、全身に吸収され、お客さんも最高潮で、身体がルースになっていくのを感じる。いちばん前で見るのと、離れて後ろから見るのでは、また違う印象で、お客さんの動きを見たり、映像の手元を見たりして存分に楽しめた。タイチくんの音世界は、彼の着ていたTシャツのように色(特にカラフル)がついていて、それをうまく表現していると思う。


VJのスフィンクス・チーム


DJ Aki

 お客さんは、アメリカ人の男子が大半(オタク風)。今回のショーについて、ランダムに反応を聞いてみた。

ジャパン・ソサエティのお客さんの反応

このショーをどのように知ったか。

マックス(男):友だちから聞いた。

スコット(男):10月にジャパン・ソサエティで開催された、ホソエ・レクチャーの際に聞いた。

今回のショーの感想は?

マックス:とてもすばらしかったし、挑戦的だと思う。

スコット:すばらしかったの一言!

ショーのどの部分が印象的でしたか?

マックス:すべてだけど、ヴォーカルがよかった。あれは、ジバーリッシュなのかな。
(注)ジバーリッシュ......英語のタームで、スピーチのように話すことを指す。内容に意味がないことが多い。

スコット:VJも音楽も完璧だったし、なんといってもエネルギーに感動した。

日本のバンドとアメリカのバンドで、違いを感じますか? そうであれば、どのように。

マックス:難しい質問だけど、違いは感じる。日本のバンドは、キチンとオーガナイズされてる。アメリカのバンドはもっと感覚的かな。僕の個人的意見だけど。

スコット:日本のバンドは、もっとエモーションを感じる。アメリカのバンドは、ベース(低音)だけだね。もっと複雑なんだけど、ここだけでは、語れないよ。

1ヶ月にどれくらいショーに行きますか? どこの会場へ?

マックス:1回ぐらいかな。あまりいかない。

スコット:2~8回ぐらい。グラスランズ、パブリック・アセンブリーなどブルックリンの会場がほとんど。

好きなバンドを教えてください。

マックス:クラフトワーク、ギャング・ギャング・ダンス。

スコット:ボアダムス!

オオルタイチくんにメッセージを。

マックス:とても難しい仕事をしたと思う。こんな経験をさせてくれてありがとう。

スコット:次の夏に会おう!

 三田格+野田努が激しい議論の末に選出した約700枚にもおよぶテクノ作品を、全ページ・カラーで収録。これまでにありそうでなかったテクノの王道に迫るカタログとして、記念すべき一冊ができあがりました!

 本日から2日間、新宿タワーレコードのみの特設ブースで販売いたします! 編集部も参加、野田努もどこかのタイミングで現れますので、ぜひお声がけください!

 シュトックハウゼンからクラフトワークへ、クラフトワークからデトロイト・テクノへ、デトロイト・テクノからジャングル/ダブステップへ。アンビエント/ノイズ/インダストリアルからニューエイジへ。ムーグ・シンセサイザーからラップトップ・ミュージックへ......

 さまざまなジャンル名を横断しながら、この半世紀にわたって発展したエレクトロニック・ミュージックを追うスリリングな270ページ!
各年代ごとに最重要アルバムと最重要シングルを選んでいくスタイルなので、歴史を読み取りながらその発展を理解するには最適!
アート・ワークの変遷も、カラーなのでとても楽しく追っていくことができるのではないだろうか。

 毎日午前0:00くらいからバトルをはじめ、掲載作品の吟味を繰り返したという両氏。「載せられなかったボツ原稿も多いんだよねー」と、載らなかったさらに多くの作品を水面下にたっぷりと抱えた、熟議の末のベスト・チョイスであることをうかがわせる。

 「人から『テクノをわかりやすく説明してください』とたまに言われるんです。そういう時はかなり端折って『電子楽器で作った音楽』と答えているんですが、そうとも言えるかもしれないし、そうとは言えないかもしれない。(中略)長いあいだ使われてきたジャンル名にしてはあまりにも曖昧なんです。」というのは冒頭の対談からの引用だ。複雑に領域を拡大する電子音楽の起源や射程をどのようにとるか、このディスク・ガイドの前提となる対話が展開されている。
 応えて三田氏は、エレクトロニック・ダンス・ミュージックという「場」を異質なもの同士が共有したという歴史性にテクノの輪郭を捉え、「僕の場合はあくまでも軸足は90年代のレイヴ・カルチャーに置いておいて、そこから遡行できるものと発展したものとして認識できるものだけを対象にしたつもり。核になる時代がはっきりとあって、いかにも通時的なカタログのようにつくっているけれど、年代が持っている意味はまるで違う。」と述べる。
 二者の視点を反射しながら「テクノとは何か」ということから考え直す、重要作にして必携、保存版! このつづきはぜひお手にとって読んでください!


TECHNO definitive 1963 - 2013
テクノ・ディフィニティヴ 1963 - 2013

¥2,625(定価)¥2,500(本体)
三田格+野田努・共著
A5判 書籍:978-4-906700-62-2


PLVS VLTRA - ele-king

 ブルックリン/フィラデルフィアを拠点としていたイーノンというバンドは2009年に力尽きた。日本での知名度の低さと反比例して海外で熱心にツアーを行っていた彼らを、ユーチューブに誰かがアップするライヴ動画で僕は毎日追いかけていた。しかし、ある日、動画のなかでドラマーが代わっていた。古くからいたドラマーのマット・シュルツは脱退し、ホーリー・ファックのメンバーとなっていた。イーノンはサポート・ドラマーを迎え入れるも、グルーヴを失い、やがて活動をやめてしまった。バンドとしての解散のアナウンスはなかったが、しばらくして、残った夫妻メンバーのジョン・シュマーサルとトーコ・ヤスダはそれぞれのインタヴューでバンドが終ったことを語っている。2010年に息を止めたシアン・アリス・グループ(現:オー)も似たような終わり方だった。

 この作品は、ベーシスト/ヴォーカリストとしてザ・ヴァン・ペルト/ザ・ラプス/ブロンド・レッドヘッド/イーノンといった数々のインディー・バンドを渡り歩き、現在はセント・ヴィンセントのバンド・メンバーである在米日本人トーコ・ヤスダの初のソロアルバムである。アメリカ在住の日本人がスペインの国章から引用した言葉を名義にし、オーストラリアのレーベルからギリシャの神殿のタイトルの作品をリリースしたことになる。このゴッタ煮の感覚はアルバムの音にも通じている。
 プロデュースは元ブレイニアック/イーノンのリーダー、そして現在はカリブーのバンド・メンバーであるジョン・シュマーサルが手掛けている。つまり、90年代と00年代のUSインディー・ロックの荒野を駆け抜けてきたイーノンのふたりが「テン年代」にあげる第一声といえるだろう。

 しかし、はたして、ここで聴かれる音は2003年頃のイーノンが示したインディー・ポップ的なるものの化石のように感じられてしまった。覚えやすいメロディを全編にわたり導くトーコのキュートなロリータ・ヴォーカルも、キャラクター性は強いがシンガーとしては弱いため、途中で食傷気味になってしまう。雑多な音が飛び交うバック・トラックにしても、飛び出す絵本のようにコミカルで収まりがよいのはイーノンの頃からさすがなのだけれど、脈絡がなく、むなしく過ぎ去ってゆく印象だ。どうも奇をてらおうとしているだけのポップソングに聴こえてしまう。てらうにしても2003年との明らかな変わり映えがほしい。得意の短調メロディは冴えわたっているので、本当にもったいない。
 「おもちゃ箱をひっくりかえすような」行為自体がクールだと言いにくくなってしまった。それはトーコ・ヤスダが、箱の中身も変わっていないというのに、おもちゃ箱をひっくり返すことに熟練してしまったがゆえである。何度ひっくり返してもまた同じようにおもちゃが配置される。

 あからさまにピート・ロックやJ・ディラである"サンキッストゥ"で打ち鳴らされるヒップホップ・ドラムなどを聴くと、同時代を同郷(ブルックリン)でしのぎを削っていたはずのギャング・ギャング・ダンスによる2011年の楽曲"ロマンス・レイヤーズ"とどうしても比べたくなる。なるのだが、ギャング・ギャングが自分たちのサイケデリアにヒップホップを引きずり込んだようなオリジナルの姿勢がプラス・ウルトラには見つけられない。ただの模倣にとどまっている(ちなみに、この曲にはサン・ラ・アーケストラのダニー・レイ・トンプソンが参加している)。作中後半の"ライク・スパイス"には昨今のポスト・ダブステップ的なベース・ミュージックへのアプローチがあるのは、このアルバムの流れのなかではすこし意外だった。ただ、ヴォーカルが雑然としていてどうにもトラックを乗りこなせていない印象が生まれてしまっている。

 「PLVS VLTRA」=「PLUS ULTRA」とは、「より彼方へ」というラテン語で前進を意味するスペインのモットーであり、国章に記されている言葉だ。しかし、この音楽は未だに2003年をひきずっている。そのため、どうも自虐的なユニット名に聞こえてしまう。彼方(2012年)へ赴いているリスナーへ向けて「俺の屍を越えてゆけ」というようなメッセージなのだろうか? プラス・ウルトラも含め、みんなもうとっくに2012年にいるというのに。

 価値観を揺さぶられるような刺激的でサイケデリックな音楽がほしいのであれば、この作品にそれを望まない方がよいかもしれない。しかし、90年代~00年代を乗り越えてきたエキスパートなのだから、ニッチな場所にはまろうとすることなく、ぜひともトーコとジョンのコンビには新しく挑戦的でフレッシュな作品を聴かせてほしい。元イーノンではなく、ましてカリブーやセント・ヴィンセントのサポート・メンバーとして以上に、現役のトーコ・ヤスダとジョン・シュマーサルでいてほしい。どうしても、僕はファンとしてこの先ずっと期待し続けてしまうだろう。なにしろ、大人気になることもないまま90年代から地道にUSインディーで活躍していた(日本)人たちが、何度もバンドの解散を乗り越えて、音楽を止めてしまうことなく作品を発表してくれているだけでも喜ばしいのだから。ぜひぶっ飛んだ次作を。

掘り出し物は個人コレクションに! - ele-king

 昨年3月にはじまったという一箱レコード市をご存知だろうか?
 個人コレクターが集まり、ジャンルは問わないながらもレコード限定で店をひろげるイヴェントのようだ。公式サイトを見るかぎりでは誰でも出店できるが、スペースの関係上でひとり一箱、参加費は1000円。販売終了後はDJパーティーもあるとか。
 「ジャンクショップで安売りされているようなレコードはおすすめしません」とあるから、業者の在庫処分ではなく、あくまで個人の趣味と交歓の場所として企画されているのだろう。場所はバーで、飲食ができるのもうれしい。
 リアルな店舗を構えるレコード屋が減少の一途をたどるなか、フリー・マーケットのフォームをうまく応用しながら、レコード屋の持っていた意味を回復しようとするような取り組みではないだろうか。次回で6回めとなるようだが、時間や予定が合えば、こうした場所で休日を過ごすのもいいかもしれない。詳細は公式サイトでチェックしよう!

■公式サイト
https://www.oneboxrecordfair.com/

「第6回一箱レコード市まであと1週間です!!! 17:00からレコード市とフランス家庭料理、そしてライブDJ等。夜中まで楽しめる。
500円以下の箱が多いですよ!!」

■日時
2012年11月24日(土)17:00~

■場所
Bar Dynamo
東京都杉並区高円寺北3−1−1アサヒビル1F

ミツメ - ele-king

 夢を見ることがあまりにも困難になった時代における、とてもささやかな、擦り切れたような、くたくたになったドリーミー・ポップ。「次に住むなら火星の近くが良いわ」("fly me to the mars")、その言葉の主はSF趣味を披露するとともに、ノスタルジックなまどろみの中で少しずつ推進力を得ていく。その原動力は、強さや責任や倫理では、ないと思う。彼らはとても迷惑そうにしながら、それでも春のあたたかい夢が終わったことを知っても、それを渋々と受け入れたり、やっぱり拒んだりしようとする。「思い出を残らず洗い流そうよ」――川辺素の、歌が不得意になった草野マサムネのような不安定なファルセットで、ミツメはふらふらとどこかへ飛んでゆく。とても頼りなく、寂しげに。

 彼らはどこに向かおうというのだろう? いや、どこにも向かっていないのかもしれない。この国の抽象表現に、「以前/以後」という極端な文脈が敷かれたのだとして、筆者がミツメをどうしても憎めないのは、「以前」への未練のようなものを、そのサイケデリック・ギターの裏に、あるいは輪郭の薄い言葉の陰に、そっと忍ばせているように思えるからである。あるいは、「以後」の表現が、抑圧されてか無意識にか、なんとなく遠ざけてきた倦怠の気分を、ミツメはふわっと拾い上げている気がする。いわば『eye』は、「以前」と「以後」のあいだにできた溝に滞留した残ガスである。あとには、柔らかいリヴァーブの温もりが――。
 また、「以後」の表現では、旅立ちや船出といった図がその中心的な遠心力として機能していたと思うが、奇遇にも、『eye』でも旅が、ひとつの皮膚感覚として通底している。が、ミツメには最初からどこにも行く気がないように思える。ウトウトした白昼夢を稲妻のようなサイケデリック・ギターが襲う"春の日"の残響は、『homely』(2011)以降のオウガ・ユー・アスホールと合わせ鏡になってキラキラ響き合っているが、そこにあるのは後悔や諦念や終末観では、ないだろう。「長い夢を見ていた/春の朝に/私は遠い日の事を思った」――ここにあるのは、ひとつの季節が終わったことをぼうっと眺める、抵抗に近い平静さだ。
 
 春の朝に目覚めた主人公はその後、とくに目的地の設定もなく、豪快なジャム・セッションや、カントリー風味なチルアウトをゆらゆら楽しんでいく。そう、ぼーっとしているといろいろなものを聴き逃しそうになるが、『eye』がここまで聴き手を飽きさせないのは、その気ままさゆえである。ガレージ・ロック、フォーク・ポップ、ニューウェイヴ、シューゲイズなどを自在に混合し、"hotel"ではヴェルヴェット・アンダーグラウンドのバラード曲に愛を囁くが、ここには同時代のチルウェイヴから拝借したダンス・トラックめいたシンセ・ポップさえある。
 それにミツメは、単なる教養豊かなフォーク・ポップのバンドではない。彼らは歌の入っていない時間を思い思いに楽しむことができる。"cider cider"や"towers"の終盤における、春の嵐のようなノイズ/ギター・ジャム。"fly me to the mars"が携えるコズミックなシンセ・ストームや、ニューウェイヴな"Disco"が見せつける輝かしいギター・ソロ。繰り返しになるが、オープニングの"春の日"は、オウガ・ユー・アスホールと双璧を成すスロー・テンポなトランス・ロックだ。そして、オウガが新たな進路に選んだのが"夜の船"や"記憶に残らない"のメランコリアだったとすれば、ミツメが選ぶのは"煙突"のひしゃげたノスタルジアだ。彼らは夢と追憶の狭間で、それでも微睡もうとする。

 夢を見ること、ある種の現実に対して目を閉じてしまうことはいま、間違いなく大きなリスクだろう。ミツメと言えども、それを悪戯に奨励している風ではない。そのあとには余計な空白が残るだけだ......。『eye』はしかし、夢を見ることそのものがひとつの夢となってしまった2012年の空気を、そうだと知りつつも深く吸い込み、また、ふうっと吐いている。少しだけ色を変えたスモークとして。
 そう、ここにあるのは、いわばリスクとしてのドリーミー・ポップだ。この先にはきっと、何もない。だが、来たるべき季節に向けて、ぐっと力を溜めこんでいるようでもある。「僕らの未来には何かがなくはならない」という強迫観念と縁を切って、無目的なピクニックに出掛けてしまうこと――。それはひとつの知恵として、代わる代わる押し寄せる抑圧への抵抗として、ここで鳴っている......とてもサイケデリックに。

Mr Fingers - ele-king

 2012年を振り返ったときに、「ハウス・ミュージックへの回帰」というのがひとつあると思った。メインストリームではザ・XXの『コエグジスト』がそうだったし、大物プロデューサーとなったフィリップ・ズダールの手がけたカインドネスにもそのセンスはうかがえる。アンダーグラウンドではジョイ・オービソンとボディカが新世代の感覚でハウスの再解釈を試みている。もうすぐ〈ニンジャ・チューン〉からリリースされるフォルティDLの3枚目のアルバムにも、UKガラージを通過したハウス感覚が良く出ている。また、LAの〈ノット・ノット・ファン〉周辺は相変わらず90年代のハウスにハマっているようだし......。

 UKガラージがハウスへと回帰することに僕は最初は複雑な気持ちを抱いていたが、考えてみれば好ましく思えるフシもある。ハウス・ミュージックは周知のようにゲイ文化から生まれていることもあって、色気、エロティシズム、女性的感性とファンクが混在している。ミニマル・テクノの淡々とした陶酔、UKガラージのごついのり、レイヴの狂騒とも違っている。気品があって、しかし実はもっとも背徳的に狂っているのがハウスだったりする(笑)。

 ジェイミーXXやジョイ・オービソン、フォルティDLらの作るハウスはすごく良いと思う。DJミックスを目的としただけの機能的なハウスやDJ御用達のエディットものよりも、ずっと生き生きとしている。UKガラージを通過した若さが独創的な解釈を生んでいるのだろう。ただ、彼ら新世代のハウス・ミュージックにおいては、いまのところ"ストリングス・オブ・ライフ"や"キャン・ユー・フィール・イット"のような、絶望の深みのなかでさえ、誰も彼も幸せにしてしまう曲は生まれていないんじゃないかと思う。"ストリングス・オブ・ライフ"や"キャン・ユー・フィール・イット"のような曲は、夜明け前のアナーキーな時間帯に平和的な共有意識を与える曲でもある。
 無理にこじつけるつもりはないのだが、ことに昨年暴動のあったUKからは、いつ壊れてもおかしくないような緊張感をアンダーグラウンド・ミュージックから聴き取ることができる。ハウス的感性ないしはアンビエント的な感性が意識的にか無意識的にか求められているようにも思えるのだ。

 ラリー・ハードのミスター・フィンガーズ名義の『アムネジア』は1988年にUKの〈ジャック・トラックス〉からリリースされたディープ・ハウス/アシッド・ハウス/アンビエント・ハウスの古典中の古典だが、実は長いあいだブートが出回っていただけだった。今回が23年ぶりの正式な再発となる。
 "キャン・ユー・フィール・イット"ではじまるこのアルバムには、"ビヨンド・ザ・クラウド"のようなディープ・ハウス、そしてアシッド・ハウスのクラシックが並んでいる──"ウォッシング・マシン"、"スターズ"、"ミステリー・オブ・ラヴ"、あるいはどうしようもない名曲"ザ・ジュース"など、80年代のラリー・ハードのベストが詰まっている。

 "キャン・ユー・フィール・イット"はミュージック・インスティテュートのアンセムとなって、"スターズ"はのちにカール・クレイグにサンプリングされてもいる。デトロイトのデリック・メイ系列の連中が目標にしていたのがラリー・ハードだった。それからおよそ25年、結局、時代は『アムネジア』の引退を許さなかったようである。

interview with kuki kodan - ele-king


空気公団 - 夜はそのまなざしの先に流れる
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 新しいことをやっていると思っていたら、「70年代が帰ってきた」と言われた......山崎ゆかりと空気公団は、はじめからある種のズレを抱えて年を重ねてきたようだ。今年で第一期結成から15年になるが、ベテランという風格も古びた様子も感じられない。特定の世代から支持を受けているというふうでもなく、どちらかといえば考え方やライフ・スタイルを同じくする人々から愛されるバンドであるように見える。実際のところ、彼らの音楽はとくに新しいわけでも古いわけでもない。そうした価値観の外で、自分たちが大事にしているものに正直に、忠実に制作しているという印象がある。自分を表現することから一歩引くこと、引いた部分に人を引き入れること。そのような音楽のあり方を空気公団は大切にする。おそらくそのために新しいものからも古いものからも少しずつズレるのだろう。彼らは、そのズレさえも大切に思っている。

 今月、空気公団は新作となるフル・アルバム『夜はそのまなざしの先に流れる』をリリースする。先を読んでいただければわかるように、本作は独特の録音スタイルとコンセプトによって組みげられた意欲作だ。筆者のようにこれまで彼らの音をそれほど耳にしてこなかった人も、この冒頭1曲ばかりは足を止め、手を止めて集中せざるを得ないだろう。なにも難しいものではない。むしろ人が自然に耳をひらくことをうながすべく録られた音である。詞があり曲があり、そこに人がすっと入っていけるように隙間(=ズレ=空気)がつくられている。むしろこの「隙間」をどうつくっていくかということに思念をこらした作品であるとさえ思われる。
一種の公共空間を設計することが、ポップスの役割かもしれない。たくさんの人間の思いや気持ちをのせられる無限容量の共用スペースを、そのときどきに様々に生み出してきたのがポップスではないのか。......一方では「初期ユーミン」などと形容され、また一方でクラムボンやキセルに比較され、筆者自身は美術館で演奏したりするアート寄りなバンドだと思っていた空気公団は、そのどれからもズレながら、あくまで自分たちのやりかたでポップスの限界を押し広げている。

天空橋から

どうやって録音しようかと話していたときに、じゃあ空気を録音するっていうのをもっとメインに考えていこうってなって。それでライヴをそのまま録るというところにたどりつきました。

今作『夜はそのまなざしの先に流れる』の1曲目なんですが、これはすごく長い導入部を持ってますよね。

山崎:そうですね、はい。

この長さ、このパート自体が、アルバムというものの時間性ではないなというふうに思ったんです。この奇妙な感触や尺はなんなんだろう、っていう。そのとき、この作品が演劇とともに演奏されたライヴ録音であるということの意味が立ち上がってくるように感じました。

山崎:ああ。

おそらくそれって、この「天空橋」っていう場所を舞台に立ち上げるために必要な時間だったんじゃないか。あのパートはきっと、なにかパフォーマンスが行われていた部分なんですよね?(※1

山崎:あれは、もともとセリフを入れてた部分なんですよ。あとでセリフをカットしたんです。

ああ、そうなんですね。

山崎:そこは津軽弁で物語の筋書きをしゃべってたんですが、カットしたといういきさつです。

全体の録音から、声だけきれいにトリミングしたということですか?

山崎:いいえ。あのオケははじめに録ってあったもので、それに合わせてしゃべってるんですよ。だからあとから声だけ取っ払ったかたちになります。物語の説明なんてべつにいいか、ということになりました。

なるほど。すごく不思議な感触がありました。生演奏でも編集作業でもなくて、もっとべつの力の作用によって成り立った空間だっていう感じがすごくしました。ナレーションがあったということは、アルバムにはなにか設定があったということなんですか?

山崎:いつもまずコンセプトを考えてからアルバムを作るんです。今回は、「人に穴があいている」っていうことを発見して、その穴が何なのかっていうことを探しに行くところからはじまっていて(※2)、それを導入で説明しているんですね。演劇が入ってくるっていうことも念頭にあったので、そうなると歌以外の部分も大切になるな、とは思っていました。それで最初の部分は長く取っています。あれを1曲めにするっていうのはみんなに反対されるかなと思ったんですけど、意外にアリになりましたね。

演奏自体もプログラムの冒頭だったんですか?

山崎:そうですね。曲順通りに演奏してます。

あ、そうなんですね。なんというか......フィールド・レコーディングっていう言葉は、自然の音とか、音楽という意図で編まれていない音を録音することを指しますけども、この冒頭の演奏は、この日のステージをフィールド・レコーディングしたもの、という感じがしました。ちゃんと音楽として組織された音なんだけれど、それが鳴っている場所自体を、ひとつの自然として記録したというか。

山崎:もともとあの部分って、コードしかなかったんですよ。コードだけをひたすらみんなに聴かせる。演奏する人たちとは、「ひとりフレーズをやったら、それにつながるフレーズをまたべつの人がやるというふうにしよう」ってそれだけ決めてました。なので、最後のほうになるとワン・フレーズみたいになって楽器が3つ分重なる部分があると思うんですけど、最初はそれをわからないように演奏しています。パーカッションはその場のノリです。まあ、みんなその場のノリでやってるんですけど......基本的には「天空橋」っていうキー・ワードしかないっていう状態です。あとは、パフォーマーがいるんだ、歌詞はこれだ、これは録音されてるんだ、っていう情報だけは共有されていて、みんなそこから想像してやっています。

「天空橋」っていうキー・ワードはどこからきたものなんですか? あえてそこは明示しない感じでしょうか?

山崎:「天空橋」って言ってますけど、天空橋って行ったことないんですよ。

あれ? 実在する場所なんですか?

山崎:羽田空港の近くですよ。

あー! あるかもです。

山崎:曲を作っているときに、ふと「天空橋に」って言葉が口から出てきて、あれ、天空橋って何なんだ? って思って、自分で調べたら、なんか駅があるらしい。特に場所の設定として天空橋がいいって最初から決めてたわけではないんです。

明確な設定もないし、イメージもとくに統一しないし、天空橋が実在すると知らない人もいるかもしれないくらいのあいまいなキー・ワードだったんですね。

山崎:そうですね。

ライヴ盤とライヴ録音のコンセプチュアルな違い

ライヴ盤......っていうかライヴのときのテンションがあまり好きではないんですよね。なんか、作品を作るっていうよりはその場のお客さんを楽しませるという感じとか。そのちょっとした余裕が生まれている感じがあんまり好きじゃないなって思うんです。

はあ、なるほど。そういういろんな偶然性をはらむような、ライヴ録音というスタイルでこの作品を録ろうとされた意図はどんなところにあるんでしょう?

山崎:いつも空気公団って、録音をメインにしているんですよ。で、手紙みたいに1年に一回はぜったいアルバム出したいなって思ってるんです。次はどうやって録音しようかと話していたときに、じゃあ空気を録音するっていうのをもっとメインに考えていこうとなり、それでライヴをそのまま録るというところにたどりつきました。

でも「ライヴ盤」ではないわけじゃないですか、これは。

山崎:ライヴ盤......ライヴのときのテンションがあまり好きではないんですよね。知ってる曲を演奏するから楽しいし、やり慣れているっていう、そのちょっとした余裕が生まれている感じがあんまり好きじゃないなって思うんです。それで、もうちょっと作品を作っている感じにするために、新曲を演奏しようと考えました。といって、ステージでやるわけだから、録音してる様だけを見せるというのもどうなんだって気もました。音楽をもうちょっと立体的にみせられる方法を思い浮かべたときに、演劇かなと。

へえー。どういうふうにポスト・プロダクションを加えていったんでしょう。8割9割そのままだってことはないんですよね?

山崎:8割9割......そうですよ。ベーシックは全部そのままで、ほとんど差し替えはしていないです。全部録ったあとで、間違えた音を録り直さなきゃね、とは言っていたんですけど、スタッフも「べつにやり直さなくてもいいかもね」とのことだったので、じゃあこれにしようかと。

劇の人たちのズシン、バタン、みたいのは聴こえないですね。

山崎:そこはカットしました。

あ、そこもライヴ盤とはちがう性格のものだって感じがします。スタジオ録音ではないんだけど、スタジオ録音的な作品として完成させようとされている。それは、その場にあったことをそのまま記録しようというライヴ盤とはちがいますよね。そのあたりの差がしっかり考えられて作られていると思いました。

山崎:生(ナマ)なんだけど「生」感を消してるんですよ。だけど、演奏してる人の気合い自体は生というか。歩き回ったりしてますしね。ドラムは囲いで録っていて、スネアなんかも曲によっては替えたかったんだけど、それはできなかった。

前作にあたりますかね、『春愁秋思』のライヴ盤があるじゃないですか。あれとかはヴィデオ・カメラの粗悪な音も積極的に活かすかたちですよね。要は、そこにそういう場所があった、そういう音楽が鳴っていたということのリアルな記録や証拠みたいな性格のものだと思うんです。そういう、ライヴ盤らしいライヴ盤である前作の方法から得たこととか、今作につながった要素があればうかがいたいんですが。

山崎:やり方はいろいろあるってことですね。スタジオでひとりずつ、ドラム録って、ベース録って、っていうやり方じゃなくても録れるし、そういう機械も増えてる。もっとクリアに録って......みたいな欲求も生まれてくるのかもしれないですけど、あんまりそういうのないんですよ。あんまり分離のいい音すぎるのもどうかと思うし。言い方が難しいですよね、「ライヴ録音」っていうのが適当なのか......

ライヴの緊張感をうまくスタジオ・アルバムの単位に落とし込んだような、新鮮な方法ですよね。

山崎:お客さんも緊張してて。1曲めの後なんかも、ふつう曲の終わりとかに拍手があったりするじゃないですか。曲の終わりがわからないというのもあるけれど。でもこれの場合は誰かがパチって叩いて終わった、みたいな。

なるほど。そういう、仕組まれた音が鳴ってるのに環境として録っちゃうというような、コンセプチュアルな仕掛けがあるような気がしておもしろかったです。資料には、山崎さんのことをシンガーとかソング・ライターとかじゃなくて「アルバム・コマンダー」って書いてあったんですけど......

(一同笑)

(笑)そういうコンセプト込みでの指示を出すシンガー・ソング・ライターをうまく呼び表す言葉がなくて、そう表現したのかなあと思いました。言いたいことはすごくわかります。

山崎:3人は空気公団なんですけど、3人だけが空気公団じゃない。そういうところから来てますかね。

山崎さんは、すごく若いときに朝の音を毎日ひたすら録音してたんだという記事を読んだんですよ。

山崎:(笑)

そういうときに音に映り込むものってなんだろうなと考えると、ちょうどこのアルバムの全体の音が、それを人工的に再現した感じに近いのかなと思いました。             

山崎:ああー。

※1...2012年7月6日、日本橋公会堂にて『夜はそのまなざしの先に流れる』が開催された。舞台上では演劇ユニット「バストリオ」による演劇が繰り広げられ、アルバム収録曲すべてが初演奏された。新作『夜はそのまなざしの先に流れる』はこの公演の録音をもとに制作されている。

※2...
いつもの帰りの電車で
ふとあることに気がついた
それは「穴」であり
わたしはそれが何なのか
ぼんやりとわかるが説明できない
これは何であるのか
人々に「穴」があいている
そこからいつもとは全く違うルートで
目的地を目指す
その道すがら思考する
この「穴」は何であってどこに続いているのか
目的地には知らなかったわたしがいた
(『夜はそのまなざしの先に流れる』プレス資料より)

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4層の物語

昔は30テイクとか40テイクとか録って、そこでいいものができれば「ああ、よかった~、録れたよ」って感覚もあったんですよ。けど、重ねていけば重ねていくほど、自分だけが深くなって、まわりとの距離がどんどん広がっていくんですよね。


空気公団 - 夜はそのまなざしの先に流れる
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音響的なものに対する感性や感度の一方で、詞も気になるところです。1曲めばかりで恐縮ですけど、「いつもの通りを抜けてみたら/知らないふたりに/会える気がする」の「知らないふたり」ってなんだろう、ってちょっとびっくりしましたね。「知らない人」とか「知らないあなた」なら予想の範疇なんですけど、「知らないふたり」って単位は何なんだろうと。

山崎:はは(笑)、そうですか。

発話主体からみて、「知らないふたり」ってどんな存在なんだっていう。

山崎:ヴォーカルはナレーションになればいいと思っていて。歌っている人がいるとその人が主人公みたいに見えますけど、じつはその人じゃないんだっていう感じがいちばん好きですね。だからかなあ。

人と人との関係をみていきたいっていうようなことですか?                     

山崎:どうなんでしょうね......。書いてるときは、その「ふたり」っていうのは、自分とこれから会いにいく人っていうイメージだったんですけどね。いままでの自分と君じゃない、まったく新しいふたり、っていうような。

ああ、なるほど。すごく俯瞰の視点ですねえ。この詞の前には「誰かを待つ人/探して見つけた人/抱き合う別れる人/会えなくなる人」っていう、いろんなカップリングを暗示する描写があるので、そういう関係性自体をみつけようとしているのかとも思ったんですが。「あなた」じゃなくて、関係に自分の気持ちが向かうのはポップ・ソングとして変わってますよね。

山崎:そうやって言われるとなんか、書いてよかったなあって(笑)。えーと、手前にドラムがいて、奥にベースがいて、向かって反対側に、前から順にギター、キーボード、わたし、と......まあ、横に3列になっているんですが、その3列のあいだを4本の帯として、それぞれの帯でバラバラの物語が展開されているんですよ。

あ、へえー。

山崎:4つの線のそれぞれにパフォーマーがいて、異なる線の人同士はたがいに挨拶することもあるんだけど、基本的にはそれぞれの線の上で世界が完結している、っていうのがバストリオの今野さんが考えていた。今野さんに「ここはこういうことを言っているから、こんなふうにやってくれる?」みたいな指示は全然してないんです。音楽って顔がないから、その顔になり得るような何かがほしい......音楽の世界を立体に見せてほしい、みたいなことは言いましたけど。

音はみなさんあらかじめ聴いてるんですよね? 脚本ではなくて、音を聴いておのおのの解釈で動くって感じですか?

山崎:一度、稽古を見に行ったんですよ。そしたら男女でペアを組んで、それぞれにお題が与えられて、そのお題をどう表現するかということを話し合っていたんですね。歌詞の意味ではなくて、歌詞に出てくる単語をお題? として。たとえば「角部屋」のチーム。「角部屋」って歌詞に出てくる言葉なんですけど("あなたはわたし")、それをどう表現するかというのをペアで表現し、そこで出てきたものを今野さんが「これはいいね、これは使おう」って決めてました。

なるほど。それで、その4組は舞台は同じだけど、それぞれに違う次元のストーリーを同時進行していると。

山崎:歌詞もそうなんですけど、全部を言い切っていないんですよね。間(あいだ)が抜けてるって言われたことがあって。それぞれの行をレイヤーとして見ると、今回の4つの線も同じで、4面の層になっている。今野さんがやろうとしていたのは、その4枚が重なったときに見える色があるっていうことなんですよね。たとえば。

へえー。実際すごくコンセプチュアルに組み立てられたステージだったんですね。ステージの上から見ててどうでした? 音との絡みとか。

山崎:あんまり見てる余裕がなかったですね。曲間とかクリックもあるし、どこから誰が入ってきてというのもヘッドホンで確認しながらだったので......ほぼ録音と同じでしたね。リハーサルは当日だし、通しの稽古もあったんですけど音は出してないんです。音だけの最終リハーサル時の録音を流しながらバストリオの8人が踊っていました。本当に、初めてのものを作る、という感じでしたね。

緊張感はみなぎってますよ。

山崎:あんまりにも緊張感のあるアルバムってどうなんですかね? 演奏している側には踊っている人の動きが見えてるものだから、やっぱり自分のなかに入り込むというよりは、出すって感じが強く働いてて、すごく音が太いんです。だから差し替えられなかったんですよね。

あ、後から録り直したものとテンション的に違ってて、差し替えられなかったと。

山崎:そうそう、同じにはならなかったですね。

「空気」というキー概念――結成を振り返る

ライヴハウスとかもみんな大体壁が黒いですけど、ここで絶対やらなきゃいけないのか? というようなことも、観ていくうちに考えるようになって。ライヴをして、お客さんを増やしていって......っていうのではないやり方があるんじゃないかなあ、と。

へえー。ライヴ盤の話ももうちょっと聴きたいんですよ。ヴィデオ・カメラの録音も採用するというのは、演奏された音をいかに精緻に録るかというのとはまたべつの意図があるからですよね。音自体ではない、あるなにかを録ろうとしているわけで。

山崎:いい空気かどうか、ということを基本に考えてますね。もちろんいい機材があればそれで録りますけど、毎回揃えられるわけじゃないし。やっぱりあるんですよ、すごく空気が濃いときが。澄んでるというか。あと、一気に丸くなるとき。お客さんとか自分たちとか場所の空気がうまく噛み合うと、すごく大きい、丸みたいになるんですよ。どんな録音のときでも、それはアルバムに入れたいなと思います。

そのときその場所でしか生まれなかったというような、体験の一回性みたいなものを記録したいということですよね。でも、そこで聴いていたファンだけが買えばいいというものでもないわけじゃないですか。

山崎:そうですね。昔は30テイクとか40テイクとか録って、そこでいいものができれば「ああ、よかった~、録れたよ」って感覚もあったんですよ。けど、重ねていけば重ねていくほど、自分だけが深くなって、まわりとの距離がどんどん広がっていくんですよね。そうじゃなくて、一気に録ろうと。いいものを出そう、出そうとするのではなくて、自分がいま思ったこと、感じたこと、それがうまい具合に空気になっていくのを録れるといいなって思います。それに、ヴィデオ・カメラについてるふつうのマイクの音って古い、昔っぽい音がしませんか.....なんか、削られてるんだけど、なんかいい音......。

空気っていうのは、ほんとにキー概念ですよね。その朝の音の録音にしてもそうですし、空気公団という名前にもなってますし。とすると、空気公団って名前は......「公団」っていうと戦後スキームの歪みとか矛盾みたいなものを象徴するみたいな響きがありますけれども(笑)、空気を仕切っていい塩梅に配分するっていうようなイメージでしょうか。アイロニーがあったりはするんですか?

山崎:(笑)漢字がよくて、どうしても。あと、ふたつの単語に分かれるのがいい。ただそれだけでした。みんななんか、わりと横文字だった。横文字だとカッコいい。けど、そんな感じじゃないしな、と。それで、そのときのメンバーに「じゃ、今日から空気公団ってことで」って言ったんですけど、そしたらみんなに「やだよ」「恥ずかしいよ」って言われました(笑)。

ははは!

山崎:みんなもっとカッコいいのに、なんか収まってる、って。

(笑)でも、漢字がいいからって、「空気」と「公団」をもってくる理由にはならないですよね?

山崎:なんでか思いついちゃったんですよね。最初はパンク・バンドに間違えられたりしました。

(一同笑)

ありえますねー。

山崎:そのころ「団」とかなかったし......。空気公団を名乗りはじめたあと、ある人がライヴをやったほうがいいよ、ホームページを持ったほうがいいよって言ってくれて、「ああ、ライヴか」と思ったんです。それでライヴ・ハウスを探してたら、面接なしでうちですぐやれるよっていうところがあったんです。で、そこに行ったら、骸骨から血が出てるみたいなポスターが貼ってあったりとかして。

あははは。

野田:僕、当時初めて名前をきいたころのことを覚えてるんですよ。当時は『ele-king』っていうテクノの雑誌をやっていて(旧『ele-king』)。コーネリアスとかを表紙にしてたんですけれども、ちょうどそういうものに対するアンチテーゼみたいなかたちでサニーデイ・サービスとかが出てきたんだよね。曾我部くんとかははっきりと僕なんかがプッシュしていた音楽に対して反対の立場で意思表明をしてたんです。彼とはそのころ知り合ったんだけど、あのときのサニーデイのはっぴいえんどというコンセプトは、ある意味では1990年代後半だからこそあえてやったというようなところがあって。やっぱり彼の上の世代、フリッパーズ・ギターとかへの違和感が彼にはっぴいえんどという選択肢を与えているんだと思うんですけど、そのへんはどうだったんですか?

山崎:結成したときは、いろんなところに声をかけたけどべつに誰が何をするでもなくという状態で、自分たちで売るしかないなって、自分たちで店を開拓して売ってたんですよ。それがきっかけでCDを出すことになるんですけど、そしたらいろんな雑誌とかが取り上げて、レヴューしてくれるようになったんです。で、それを見たら「70年代の音楽が帰ってきた」みたいに書かれてて、「あれ? 70年代なんだ」ってそのとき思いました。

ああー。意識してたわけじゃなかったんですね。

山崎:新しいことをやってると思ってたのに、あれ? そういうことだったんだ? って(笑)。大貫さんがやってきたこと、と。

野田:さすがにユーミンではないだろうというのは僕も思いましたけどね。

うん。いまとなっては活動全体からもまったくそういうイメージが結びつかないですね。学校の先生に「きみはバンドをやったほうがいい」って言われた、というインタヴューも読みましたけれど、その先生の言葉の意図ってどういうところにあったんでしょう。何を聴かせたんです?

山崎:いや、ただ手に負えないと思ったんだと思います。

ああ(笑)、え? 悪い生徒だったんですか。

山崎:悪い生徒ではないんですけど、あんまり言うことをきかなかった。曲を先生のところに持っていくと、「歌詞を黒板に書け」って言われて、書いたら「この歌詞に出てくる男の人は何歳の設定なんだ」とかきかれたりして、そういうことをやっているうちに、何を教わりたいのか疑問に思いました。

いちばん初めのメンバーは女性ばっかりなんですよね。

山崎:女3人と男1人なんですけど、よく女性4人グループって書かれてましたね。

(一同笑)

山崎:男だけど髪が長かったんで、そのせいもありますかね。で、またその髪が長いっていうのも70年代的ってところになんとなく重ねられたのかもしれないです。

ほんとに、全然そういうバンドのコンセプトはなかったんですか?

山崎:全然ないですね。その当時はすごくたくさんのライヴを観に行ったんです。そのなかで、空気公団が何をやったらいいのか考えましたね。なんか疑問がいろいろありました。伝統や習わしめいたやり方の中で何を守っていくのがいいのか。ライヴハウスは大体壁が黒いですけど、わたしたちの音楽もここに合うのか? って観ていくうちに考えるようになって。それと、ライヴをして、お客さんを増やしていって......っていう以外にやり方があるんじゃないか、というようなことですね。

なるほど。

山崎:2度めにライヴをやったのはスパイラル・ホールなんですけど、そのときは「空間」というタイトルをつけました。スクリーンをステージの前に降ろし、その後ろで演奏して、それをカメラで撮ったものをスクリーンに映してるっていうステージです。

絵本とのコラボがあったり、いろんな不定形を試みているのも、基本的には同じ疑問から生まれたものだということになりますか?

山崎:そうですね。聴き方は自由であっていいと思うし、聴かれ方も自由であっていいと思うので。いろんなところで音楽が鳴っていてほしいとも思うし。

空気の創造というか、画一的なもののなかに押し込められるのではなくて、鳴っている場所ごと作るっていう、それが「空気公団」ということなんですかね。

山崎:音楽が主役でいいと思うんですよね。音楽がまず目の前にあって、演奏してる人はスクリーンの後ろでもいいじゃないかって。なんというか、自分たちがバンドだというふうにはあまり思ってないですね。音楽があって、それを演奏しているだけというか。メジャーでデビューしたときの録音で、ギターがほんの3音しか入らないアレンジを考えて、「ここにギターを3音入れたい」って言ったら、「ライヴしたときのことを考えてごらん」と返されまして、ライヴすることを考えるものなんだなってそのとき思いました。ギターが3音だけだったらその人はそこまで何にもしてないことになるんですよね。

(笑)

山崎:そういう考え方もあるんだ、って思いましたね。

あらゆる型を窮屈に思ったんですね。けど業界とはソリが合わなかったという。

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アニメ『青い花』と

いちばん最初にメジャーでデビューしたときの録音で、あたしはギターがほんの3音しか入らないアレンジを考えて、「ここにギターを3音入れたい」って言ったら、「ライヴしたときのことを考えてごらん」って返されたんですよ。ライヴすることを考えるものなんだなってそのとき思いました。


空気公団 - 夜はそのまなざしの先に流れる
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ところで、話は変わるんですが、2009年にアニメ『青い花』のオープニング・テーマを担当されてますよね。この曲("青い花")はライヴ盤にも入っていますけど、お好きな曲なんですか?

山崎:あれはリクエストが多いっていうのもあって。

そうなんですか。アニメのOPって、もうエモーションを盛りに盛って、疾走感を出しまくってという、かなりはっきりとした感情表現が求められるのかなという印象がありますけれども、あの曲はピアノのシンプルなイントロが逆に強烈なインパクトを持ってますよね。

山崎:依頼をされて、出した案のひとつですね。こんな感じですかね? って。1曲めはちょっと違うかなってことになったんですけど。歌詞はほとんど添削なしでそのままでした。思ったとおりに書いていいですよって言われて書いたものです。

初めにある程度の指定を受けて作られるわけですよね。ストーリーや内容の説明を受けるんですか?

山崎:マンガ本をもらいました。それを見て好きに書いていいですよって。録音も好きにしていいよということでした。

あ、かなり自由なんですね。では依頼されたかたは、もしかするともともと空気公団のイメージでオープニングを考えていらっしゃったのかもしれないですね。

山崎:いつか(空気公団に)お願いしたいと思ってくださってたというお話をききました。

ああ。ちゃんと狙いが定まっていたような、すごく腑に落ちる引き合わせだと思いました。あれは女性同士の恋愛、しかもうら若い女子高生同士の恋愛が描かれた作品で、それが鎌倉の明媚な風景のなかで展開されるじゃないですか。淡い光と繊細な関係性、みたいなモチーフが大切にされてますよね。実際、そういう部分に対するひとつのアンサーとして曲が書かれているんでしょうか。

山崎:思ったとおりにやっただけ、という感じではあって......あんまり、オーダーに対して「わかりました」って応えられるタイプではないので。読んでみて印象的だったコマ、そこからふくらませた話を書こうと。そのときはまだ結末がなかったんですよ。

ああ、いちばん最初ですもんね。ちなみに印象的だったコマってどんな部分だったんですか?

山崎:女の人の横顔で、うしろに、その人の気持ちを表す吹き出しみたいなのがある......まだそれが言葉になっていない、そういうコマですね。言葉にしてないんだけど、なんだかわかるというか、奥行があるというか。そういうのが印象的だったかな......。

世間一般としてストレートな恋愛ではないわけなんですが、そういうテーマ性への意識などはありましたか?

山崎:いや、なんの抵抗もなかったですけどね。

先ほども触れた、山崎さんの歌詞のなかの「ふたり」問題もそうなんですけど、山崎さんの「ふたり」とか「あなた」というのは、恋愛関係があるようでいて、ベタな恋愛とか相聞歌に回収されないような種類のものだと感じるんですね。なんというか、届きようもない「あなた」というか。どこかで性別も年齢も関係ないような点に行き着く「あなた」というか......。2人称をどんなふうに使っていらっしゃるんですか?

山崎:見えてるものだけが正確なものじゃないから......人のなかにもう一個あるわけで。なんというか、心みたいなものが。だから「あなた」とか「きみ」とか言ってるけど、目の前に現れてる人っていうよりは、もうちょっともやもやした記憶のなかの人のことだったりするかもしれないです。これから出会う人とか。

つねに微妙な関係性に焦点があって、『青い花』の音楽を依頼されたかたも、山崎さんの音や詞のそういう部分を必要とされたんじゃないでしょうか。

山崎:さっき言ったことと重なりますけど、ヴォーカルがナレーションみたいだったらいいですね。男女でも、何でも、物語が繰り広げられているのを隙間からのぞいて、その様子を書いてるってふうにしてるんです。だから「あなた」とか「きみ」とか「ぼく」とかがちょっと遠く感じるのかもしれない。でも、それを見つつ、そのなかに入っていく自分という視点もある。あんまり深く考えてないかもしれない(笑)。

あまり激しい感情表現をされませんよね。「嫌い」とか「憎い」とか、どぎつくて直接的な表現を避けながら作っておられるのかなというふうにも見えます。

山崎:言葉が簡単だと、安いというか。直接的な言葉......たとえば「嫌い」って言うときの「嫌い」の範囲ってすごく大きい気がしませんか。言葉だけで何でも完結させる必要はないし、音楽だけで何かを理解させなくてもいいかなあとは思います。音楽と言葉が同時に鳴って、言葉の消えかける瞬間、和音、そんなところからいろいろなものを感じとってもらえるはずだから。みんなそこに潜んでいるものをおのおの見つけて、ああこれが空気公団かって思ってくれているという感じがしてますね。なんか空気公団のお客さんって、ひとりで聴いてくださっているかたが多いようなんです。

ああー。

山崎:みんなで聴いてほしいんですけど(笑)。

(一同笑)

いや、わかりますよ。それ重要な観察じゃないでしょうか。だから......その音楽が自分との間で成立してほしい、1:1で向かい合いたいという感じになる構造を持ってるってことかもしれないですね。あんまり人と聴くものじゃないかも。

山崎ゆかりとラヴ・ソング

言葉が簡単だと、安いというか。直接的な言葉......たとえば「嫌い」って言うときの「嫌い」の範囲ってすごく大きい気がしませんか。言葉だけで何でも完結させる必要はないし、音楽だけで何かを理解させなくてもいいかなあとは思います。

ちなみに、せっかくなので恋愛とかラヴ・ソングについておうかがいしたいんですが、音楽を作る上で恋愛というテーマを意識したことはありますか?

山崎:うーん、ないかな......。むしろ意識してできるようになりたいですよね。

でもほとんどラヴ・ソングに聴こえるって話もあると思うんですよ。

山崎:その相手の人がひたすら好きっていうよりは、その人を活力にしてるというか、その人がいるおかげで自分が生きていけるんだというような......結局、自分で完結してる。その人が死んじゃったらどうしようとか、そういうラヴ・ソングじゃないんですよね。誰かがいて自分が生きているという、そういう感じかもしれない。

「きみ」もたくさん出てきます。

山崎:まず、「ぼく」が主人公の曲が多いんですよね。ヴォーカルが女の人で、曲中で「わたし」って言ってたら、ズレがないというか。そこにズレが欲しいですね。歌ってる人が曲のなかの一人称と同一人物じゃなければ、聴いている人もそこに入っていけるじゃないですか。それで「ぼく」が歌うとなると、相手は「きみ」になるっていうことなんです。

ああー。べつに少年に仮託してるってわけじゃないんですね。

山崎:聴いてる人がもっと自由になったらいい。

主体がつねに歌い手とイコールじゃないっていうのは、ロックとかポップスのなかでは異端的ですよね。「I(アイ)」を中心にして表現をする、歌う言葉がすなわちその人の揺るぎない実存を表す、みたいな定式があるわけじゃないですか。そこを避けていくのはなぜなんですか? 

山崎:音楽ってもっと自由だったらいいのにって思ってたことですかね。バンって言い当てられちゃって、考える隙がないというのはもったいないって。

それが一種、引いたカメラみたいな構図を引き出すんですかね?

山崎:空気公団の音楽って、毎日のなかになんとなく流れてて、ふと気づいたらそこにある、みたいになればいいと思ってたんですよ。真正面から流れてるというよりは。ひとりのときにだけ流れていることがわかって、背中をポンと押すようなものであればいいなっていう。

むき出しの主語で実体験を書いたことはないですか?

山崎:嘘は書いてないですね。誰かの話を聞くのが好きで、その人の話してる表情が強く印象に残るし、そういう風景を写真で撮っている感じです。言葉で「これだ」ってひと言で表現してしまうと、みんな同じものしか見えなくなる。ズレてズレてズレて、空気公団というものができあがっているんじゃないかと思います。

なるほどなあ。空気公団とズレ......。"日寂"って曲は、詞がアナグラムみたいになっていますよね。ええと、「るいへくおの/ろここてせよに(/もととひにかず/しはみなんばざ/とつづく)」......

山崎:ああ、それは後ろから読んだだけなんですよ。後ろからよむとちゃんと歌詞になってるんです。リハーサルのときに違う歌詞を逆さにして歌ってたら、「それでいいんじゃない?」って感じになって。
 べつに、ふだんから歌詞がどう読まれてもいいって思ってるわけじゃないんですけど、そういうズレってすごくいいもので、しかもみんなが空気公団になれる。その音楽に入れる。それに、それぞれの思う空気公団の音楽もみんな違っていたりして、それがいいと思うんです。

これ、ニコ動(ニコニコ動画)だったか、逆回転させたものが上がってましたよ。

山崎:ええー、すごい(笑)。

楽しいですよね。ズラす人がいたら戻す人がいて、ちゃんと戻るわけじゃない......っていうかむしろもっとズレてるんだけど、そのときちょっとだけ世界の厚みは増している、みたいな。

山崎:いいんじゃないですか。かっこいいと思いますよ!

ズラしという仕掛けがあったからこそ、思いがけないコミュニケーションが生まれて、思いがけない作品の表情をえぐり出したというか。

山崎:中心はあるんですよ。どう読まれてもいい、どう思われてもどうズレていってもおもしろいんじゃないかって思う反面、やっぱり自分たちのなかに中心はあるわけなんです。それを明かさないというだけで。

詞ではなくてヴォーカルのほうはどうですか? 山崎さんの歌い方にも、空間にズレを生むようなものを感じます。

山崎:ほんとですか?

それこそ"青い花"の「きみがいて」の「て」とか。極端な話、その「て」の歌い方があるから、「あ、ここに出てくるきみって量産的なラヴ・ソングのきみじゃないんだな」みたいに感じるというか。「きみ」のニュアンスとかイメージも多層的になるんですよね。

山崎:歌詞のなかにもっと入っていってもらうためには、ヴォーカルにクセがないほうがいいというか、そこは気にしてます。登場人物を歌うためっていうよりは、景色を見せるために、って思ってますね。ライヴでも真ん中に行かないんですよね。いつも端にいるんです。空気公団を「町」だと考えると、ヴォーカルが中央にいる必要はないかなと。

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30を越えること

わたしは、空気公団の音楽って、毎日のなかになんとなく流れてて、ふと気づいたらそこにある、みたいになればいいと思ってたんですよ。真正面から流れてるというよりは。


空気公団 - 夜はそのまなざしの先に流れる
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なるほど。芸能の世界だと、女性ってなんだかんだと若さとか容姿の追い風を受けたりする部分もあるじゃないですか。そうじゃなくて、ミュージシャンとして20代を越え30代を越えていくときに、大事になるものとか感じることとかはないですか?

山崎:うーん、あんまり考えたことないかなあ......

もちろんそういう魅力を消費されるようなバンドではないと思うんですけど。

山崎:最初から古くならないような気がしていたし、いつまでもやっていけるかもしれないというふうに思えましたけどね。そういうことをよくメンバーと飲みながら話してました。
 でもだからといっていまも昔と変わらない気持ちかといえば、そんなこともないけど、貫くのがいちばんだって思いますかね。昔言ってたんです。自分たちを砂山だと思って、その砂山を、光が差しているところへ崩れながらでも少しずつ移動させていこうって。移動させるたびにそれはボロボロ崩れていっちゃうんですけどね。自分たちが変化していくっていうんですかね。でもあるとき、もう砂山を移動させる必要はない、「ここに砂山がありますよ」って言いに行けばいいんだって思いました。自分たちが出ていこうというふうに考え方を変えたんです。(移動できる砂山ではなくて)一定の場所にもっとしっかりと作ってしまおう。そういうふうに考えはじめたのは、20代の終わりだったかもしれないですね。

ああ、へえー。

山崎:やっぱり、揺るがされる瞬間ってあるんですよね。でも、もう揺るがないなと思ったんでしょうね。そこから、はじめに言ったような、何十テイクも録っていいものを作ろうっていう考え方じゃなくなったように思います。もっと自由でじゃないかってなってった。

なるほど。揺るがないことで、むしろ自由になるんですね。

山崎:自分を表現したいって思ってるわけではないんですよね。気持ちがあるのってもっと奥なんです。自分をアピールしたいというよりは、自分のなかで見えてるものをもっと外に、って思ってました。

音楽と年齢との関係になにか変化があったりはしないですか?

山崎:べつにないかな。曲を書くぞって思ったときに、歌詞のなかに出てくる男の人の像がふわっと見えてきたりするんですよ。でもその人がいっしょに年をとってるかどうかもよくわからないですね。とってるかもしれないですけど。

空気公団、新しいコミットメントの可能性

昔言ってたんです。自分たちを砂山だと思って、その砂山を、光が差しているところへ崩れながらでも少しずつ移動させていこうって。でもあるとき、もう砂山を移動させる必要はないと思って。「ここに砂山がありますよ」って言いに行けばいいんだって。

ではもうひとつ。山崎さんはソロとしてではなくて、バンドというかたちで活動しているわけじゃないですか。いまって、たとえば家族ですら、とても偶然的な集団として考えられてたりして、人と人がいっしょに集まっていることの意味が昔ほど自明ではないと思うんですね。この10年、ソロやデュオで音楽やる人もとても増えましたし、バンドってものの意味も空洞化してると思うんです。そんななかで、人と関わって音楽をつくっていくことにどんなことを見出していらっしゃるんでしょう?

山崎:自分ひとりが考えてることってほんとに大したことがないんですね。とくに自分で曲を書いて詞を書いてると、アレンジも想像できたりして。自分は人が好きなので、がっちり合わなくても、ちょっとでも交わっている部分の色を大切にしようって思います。
 わたしの場合、自分ひとりで突き詰めたものって、自分の思ってるものじゃなくなる気がする。逆に。

人と人が交差するかもしれないプラットフォームを準備することのほうに意識があったりするんでしょうか。

山崎:人数が多いといろんなところに点が置けるので。

ライヴ盤もお客さんふくめたくさんの人が参加してるし、今回のも劇の方々が入ったりと多くの人で構成されてますよね。そうやって人を集めていくというか、同じ意志を持ってるわけでもない、いろんな人の集まる場所を作っていこうという考え方の根本には、何があるんだろうって思うんです。

山崎:うーん、なんでしょうね。

べつに互いがベタベタしてる関係でもないし。

山崎:3人だけでも欠けているので。3人でやれることは限られてる。だけど、そこのなかには思いが強くあるので、それをわかってくれる人を巻き込んで、もっとおもしろいことができればいいのに、とは思ってますね。上手い下手じゃないですね。窓をいっぱい持たせて、どこの窓から入ってきてもいいよってふうにさせたい。

人が集まると軋轢が生まれると思うんですよ。まあ、必ずしもそうじゃないかもしれませんけど、人が多いほどストレスも生まれるし、やっぱりそのリスクを避けたくて、多くの人はそこからなるべく隔たって自分の自由なスペースを確保したいって思ってると思うんですよね。いまはそれである程度不自由なく暮らせる条件が揃っているんで。でもそうではないところでつくっているのはなぜなのか......

山崎:でもそれなら空気公団の音楽はちょうどいいですよ。ひとりで聴く人が多いから。

ははは。それもそうですね。なんで矛盾するんだろ。そうそう、そうやって多くの人が交わりながらもベタつかずにひとりでうまくやってけるんなら、うちらもそうしたいんですよ。......っていう気持ちがすごいあるんですけど。

野田:さっきからうかがってると、共同体とかコミュニティに対する山崎さんなりの視点っていうのがはっきりあるよね。ヴィジョンとして旧来的でない共同体のかたちが頭に描かれているようにも見えますけど。

そうそう。そんなものがあるのなら社会としても知恵を拝借すべきじゃないですか(笑)。

山崎:「主張したいのは自分だ」っていうのを後ろに置けばいいんじゃないですかね。わかんないけど。CD作りたてのころに、ミックスのエンジニアの人とかによく言われたのが、「『もっと上げてほしい』じゃなくて『もっと下げてほしい』みたいな要望が多いねー」ってことだったんです。「もっと自分の楽器を落としてほしい」とか、下げる方向のことばかりお願いしてたんだけど、「ふつうは上げてくれって言うもんだよ」って。不思議がってましたね。

それは一種、共存を可能にするスタイルだってことなんですかねー。

山崎:うーん、町を表現するというか、そういうときに重要になるのは、そこに流れているメロディをどうやって伝えるか、だと思うんですよね。

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明日とはきみのこと

流れると、止まるじゃないですか。レコードって。でもまたすぐ明日も来るというか。「明日」っていうのが「きみ」なんですよ。「朝」も「きみ」です。自分はやっぱりひとりでは生きていけない、というか。音楽にはもっと力があるというか。

まとめのようになりますけれども、"夜と明日のレコード"の「明日」とか「レコード」のイメージってどういうものなんですか?

山崎:これは自分たちのことを言っているような気がして、メンバーもいちばん好きな曲なんです。ここにでてくる彼は、最初に夜に似たものを見せてくれる。彼女に対して。でもそれは「秘密」だと思う。自分なかの。音楽ってどういうものか、ということでもあるし。コミュニケーションに似たものだと思うんですよね。ひとりでは成り立たないものというか。夜と朝があるみたいに、自分と相手もいて。

アルバム後半は、どんどんテンポ・アップしていきますよね。夜のイメージのなかから、光とか朝とか希望みたいなものがなんとなく暗示されて、この曲が現れてくる。そこで「レコード」にどんなイメージを見ていらっしゃるのかなと思ったんです。

山崎:レコードにこだわっているというわけではないんですけど、音楽ってもっと人を支える力があるということは書きたかったです。スケート・リンクみたいなところに――それがレコードなんですけど――、男女が、ひとり立ち止まって、ひとりぐるぐる回ってて、という絵を想像してました。流れると、止まるじゃないですか。レコードって。でもまたすぐ明日も来るというか。「明日」っていうのが「君」なんですよ。「朝」も「君」です。

アルバムのことが立体的に見えてきてよかったです。今日はありがとうございました! ちなみに、「人に穴があいている」感覚についてもおうかがいしたいですね。ふつう、人のなかには心臓とか魂とかカタマリを見るものじゃないですか。その逆ですよね、穴は。

山崎:それは電車に乗っているときだったんですけど、ホームには楽しそうにしてたり、携帯をいじってたり、抱き合っている人だったり、いろんな人たちがいて、でもそのみんなに穴が空いているように見えた......すごく言いにくいというか、どう説明していいかわからないんですよね。

うーん。そこもこじつけになるかもしれないですけど、中心が空洞として捉えられることで、人びとに交通のためのスペースを敷いているようにも思えますね。足すじゃなくて引く、盛るじゃなくて減らす、カタマリではなくて空洞、そこもほんとに一貫してますね。

山崎:もう、演奏者やパフォーマンス、デザインの方すべてにその穴の話をしているんですけど、みんな「なるほど、ああ、そうなんですか......」って......(笑)。

(笑)。うーん、とか思いながら、なんだろう穴って、とか思いながら、めいめいに穴のイメージを浮かべつつ制作していると。

山崎:1曲めで花束を持っていた男の人は、10曲めの明け方ではもうその穴が何なのかを探す旅に出てしまったので、花束はしおれてしまった。扉を開けると明日があった。それが、穴。そのふたつの曲には山本精一さんを、と思って。

あ、やはりこのふたつの声が山本精一さんですか。なるほどー。すごく大事な部分をそっと歌ってらっしゃいました。謎がいろいろ解けましたよ。

空気公団『夜はそのまなざしの先に流れる』
(DDCZ-1840)
発売日:2012年11月21日
価格:3,000円(税込)

【収録楽曲】
1.天空橋に     
2.きれいだ     
3. 暗闇に鬼はいない
4. 街路樹と風    
5. つむじ風のふくろう
6. 元気ですさよなら 
7. にじんで     
8. 夜と明日のレコード
9. あなたはわたし  
10. これきりのいま  

【参加ミュージシャン】
奥田健介(NONA REEVES)
山口とも
tico moon
山本精一

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■ライブ情報

空気公団 LIVE TOUR 音・街・巡・旅 2013
――夜はそのまなざしの先に流れる 2013.2.11ー2013.6.15 

2013年2月11日(月・祝日) @渋谷WWW

演奏:空気公団 / ゲスト:山本精一

Info: https://www.kukikodan.com

https://www-shibuya.jp/schedule/1302/003174.html




空気公団オフィシャル・サイト:https://www.kukikodan.com/

interview with Evade - ele-king

E王
Evade
Destroy & Dream

Kitchen

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 11月下旬に発売予定のレコード・カタログ、『テクノ・ディフィニティヴ 1963−2013』を野田努と共に書き進めていて、最後の章に設けられた「PRESENT」があと1枚書ければ終わりというところで僕は迷っていた。カナダのピュリティ・リングにするか、マカオのイーヴェイドにするか。香港が中国へと返還されたタイミングで法律が変わることを怖れた弁護士や医者はほとんどがヴァンクーヴァーに移住したという話は聞いたことがあるけれど(いまやホンクーヴァーと呼ばれている)、続いてポルトガルからマカオが返還された際にモントリオールに人が動いたという話は聞いたことがないから、カナダとマカオには何ひとつ接点はないだろうし、どちらもいわゆる4ADタイプのサウンドだという以外、共通点はない。この比較は難しい。強いていえばどちらがよりテクノかなーということを考えるだけである。どちらにしたかは...発売日を待て(なんて)。

 前号のエレキングに載せるつもりで『デストロイ&ドリーム』をリリースしたばかりのイーヴェイドにインタヴューを申し込み、さっそく質問を送った直後に尖閣問題が浮上。東京都民が4度に渡って選んだ男が中国との戦争も辞さずなどと快気炎を上げてしまったためか、中国での暴動は官製デモというやつだったらしいけれど、肝心のイーヴェイドからもまったく返事が来なくなってしまった。チン↑ポムに聞いたところでは上海ビエンナーレにも日本の芸術家はほとんどが欠席だったそうで(林くんは夜の街で大変なことに...!)、政治と芸術が絡み合う楽しい季節の到来かと思いきや、質問に対して真剣に考えていたら遅くなってしまったということで日中問題を超えて届けられたインタヴューを以下にお送りいたしましょう。ヴォーカルと歌詞を担当するソニア・カ・イアン・ラオ、ギターのブランドン・L、プログラム担当のフェイ・チョイの3人がそれぞれに答えてくれました。


ソニア

"インサイド/アウトサイド"は、自分たちの運命をコントロールできない人たちについて書きました。時々、私たちはなぜこの世界に存在しているのかわかなくなります。たくさんの疑問に取り囲まれていて、たくさんの状況が私たちの心や価値を苦しめます。

マカオではあなた方は突然変異? それとも同好の音楽仲間はけっこういるんですか? マカオの音楽状況も併せて教えてください。

ブランドン:マカオは人口50万の小さな都市なので、大きな音楽シーンはありません。ほとんどの人は広東のポップ・ミュージックを演奏していて、ほんのわずかな人たちがエレクトロニックやインディを演奏しています。でも、幸運な事に状況はここ数年良くなってきていて、たくさんの若者たちが音楽で新しい事に挑戦し、発展しているところです。将来は、より大きな音楽シーンができるだろうと信じています。

ソニア:私見ではマカオのミュージック・シーンは多様だといえます。しかし、それは音楽の砂漠ともいえます。多様な理由はたくさんのポップス、ロック、ポスト・ロック、メタルロック、ジャズなどのミュージシャンがいるからです。そして、音楽の砂漠という意味は、お金になる音楽しか作らなかったり演奏しないミュージシャンが多く、そのような人たちは政府の助成金を利用することが可能なのです(マカオの政府はアートのグループや、ミュージシャン、ドラマ制作などに助成金を出しています)。助成金のせいで自分の作品に自己満足してしまうアーティストたちがいて、私はそのような状況に不安を覚えます。

マカオが中国に返還されて13年。マカオでは日常的にポルトガル文化と中国文化がせめぎあったりしているんでしょうか? 可能ならあなたがたの文化的バックボーンを教えて下さい。

ソニア:過去、マカオはとても平和な場所で、マカオの人たちはとても純粋でした。現在、マカオにはたくさんのカジノが建ち、たくさんの観光客が毎日訪れていますが、そのことによって私たちは平穏を失ってしまいました。さらにマカオの人たちは物の考え方も変わってしまったようです。健康、家族、友情、愛とは対照的に、彼らはお金や地位がすべてに勝ると思っています。この社会が発展しているのか後退しているのか私にはわかりません。私は昔の平穏なマカオが好きでした。一方では、複雑になったマカオについて深く考えさせられることもたくさんあり、それは私の音楽にいろいろなアイデアを与えてくれます。もしマカオが昔のように平穏だったら、社会や世界の問題についておそらくはあまり考える事はなかったでしょう。

(注*外側から見ればマカオはいま、カジノができたりして様々なことが起きつつあり、「もっとも面白い街」といったようなことが言われているけれど、住んでいた人たちにとっては単に「面白い」では済まない変化だということが彼女の答えからは察せられる。東京都民が4度に渡って選んだ男が東京にカジノをつくろうとしているのは、彼が目の敵にしているパチンコ店を壊滅させ、ウソかホントか半島への送金を止めさせたいのが主な動機で、要するに人種差別が発想の根幹にはある。それは東京に「面白い」変化をもたらすだろうか)

8年前にイーヴェイドを結成したきっかけは? 〈4daz-le Records〉というのは、あなたたちのセルフ・レーベル?

ブランドン:最初はソニアと僕が同じバンドで演奏していました。2004年に僕らはダンス・ミュージックのパーティでフェイと出会い、お互いエレクトロニック・ミュージックを作りたかったので、イーヴェイドを結成しました。〈4daz-le Records〉はマカオのエレクトロニック・ミュージック・レーベルで、有名なマカオのミュージシャン(Lobo lp)のレーベルです。僕たちのファーストEPは2009年に〈4daz-le Records〉からリリースされました。

ソニア:私たち3人の相性はぴったりです。みんな音楽が大好きで、音楽を作るのも大好きです。自分たちのやりたい事ができることをとてもラッキーだと思います。

ファーストEPに収録された"シーサイド"では「会社にいて、窒息しそう(In the company,I can't breath)」、"インサイド/アウトサイド"では「外に出たくない(I don't go outside)」「先のことは考えたくない(I don't see the future)」と、追い詰められて死にそうな人たちに思えるのですが、辛い毎日を送っているのですか?

ソニア:私が両方の曲の歌詞を書きました。"シーサイド"は、毎日、オフィスで働いている女性がいつか海辺に行って休暇を取りたいと思っていることを書きました。でも、実際には思っているだけで仕事のせいで海辺に行くことができなかかったのです。"インサイド/アウトサイド"は、自分たちの運命をコントロールできない人たちについて書きました。時々、私たちはなぜこの世界に存在しているのかわかなくなります。たくさんの疑問に取り囲まれていて、たくさんの状況が私たちの心や価値を苦しめます。私たちは自分たちの人生を理解するために「外側」へは行けなくて、ただ漠然と「内側」に留まっているのです。私は本を読んで、人生、死、魂、運命、UFO、昔の宇宙人、神秘的なことなどを調べるのが好きです。自分が書いた曲のどれかがリスナーにちょっと重いと思わせるのは、たぶんそのせいだと思います。

フェイ:僕の意見では、"イエス"と言えます。人生は難しいし、この社会にはうんざりすることがあります。もしこの街で生き延びたいのなら、自分の人生を意味のない仕事や教育に費やす必要があるでしょう...。しかし、悲しいことにそれが高水準な生活をもたらすわけではないのです。たとえ一生懸命働いたとしても。なぜなら、僕たちの街ではすべての物価が狂ったように高いからです。この社会に僕たちはゆっくりと殺されていくでしょう。でも、他に選択がないのです...。

「回避する」というバンド名は逃避的な気分を表していますか?

ブランドン:バンド名は僕がつけました。実のところ、この名前には特別な意味はなく、聴く人の解釈に任せています。

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フェイ

僕たちのサウンドを統一したかったし、「世界の終わり」についての物語を僕たちの考えや文化で語りたかったからです。だから僕たちの母国語である広東語を用いる事がベストな方法でした。

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自分たちで音楽を始める前はどんな音楽をよく聞いていましたか?

ブランドン:アンビエント、UKベース、シューゲイズなどです。フェネス、スロウダイヴ、ウールリッヒ・シュナウス、ソロウ、ディスクロージャーみたいな(注*ソロウはおそらくネオ・フォークのバンド、ディスクロージャーはUKガラージ)

ソニア:コクトー・ツインズ、ニーサ、オータム・グレイ・ソレイス、ビヨーク、RF&リリ・デ・ラ・モラ、マーゴ・グリアン、レイト・ナイト・アラムナイ、ピアーナ、サマンサ・ジェイムズ、キンブラ、マジー・スター、ファニー・フィンク、キャロライン、ザ・ポストマークス、ケレン・アン、テレポムジークなど(注*ニーサはスペインのポップ・デュオ、オータム・グレイ・ソレイスはアメリカのシューゲイザー、RF&リリ・デ・ラ・モラはライアン・フランチェスコーニが一度だけ組んだジョイント・プロジェクト、マーゴ・グリアンはアメリカのSSW、レイト・ナイト・アラムナイはアメリカのハウス・ユニット、ピアーナはたぶん、盛岡のIDM、サマンサ・ジェイムズもハウス、キンブラはオーストレイリアのロック、キャロラインはたぶん、J‐ポップ、ポストマークスはUSインディ・ロック、ケレン・アンはシャンソン、テレポムジークもフランスのダウンテンポ)。

フェイ:ブロンド・レッドヘッド、デヴィッチ、エリージャン・フィールズ、アスピーディストラフライ、コールドカット、DJクラッシュ、マッシヴ・アタック、ザ・バグ、ゴス−トラッド、クリプティック・マインズ、ブレイケイジ、DJマッド、AM444、サウンドプルーフ、サブモーション・オーケストラ、エイジアン・ダブ・ファウンデイション、スミス&マイティ、ベリアルなど(注*デヴィッチはアメリカのポスト・ロック、エリージャン・フィールズはアメリカのポップ・バンド、アスピーディストラフライはシンガポールのフォークトロニカで、イーヴェイド『デストロイ&ドリーム』をリリースした〈キッチン〉の主宰者、クリプティック・マインズ以下はイギリスのダブステップ、AM444はオランダと上海を行き来するトリップ・ホップ、エミカもイギリスのダブステップ、サウンドプルーフはニュージーランドのハウスでユニトーン・ハイファイの別名義、サブモーション・オーケストラは広義のダブステップ)

ギター・ロックとダブステップを等価に扱い、共存させようとするスタイルは意識的につくりあげたのですか? それとも自然にこうなった?

ブランドン:このスタイルは自然にできてきました。僕たちが新しいトラックを作るとき、最初は自由に演奏してみて、それからトラックのテーマに合うようにアレンジしています。特に僕たちにはルールがないのです。たぶん、あるトラックはアンビエント、ある曲はアコースティック、ある曲はピュアなダブステップのスタイル、またはドリーム・ポップという形になりますが、僕らはただトラックのテーマを決めているだけで、どんな音楽のスタイルも受け入れようと思います。

フェイ:僕もこのスタイルは自然にできてきたと思います。なぜなら、最初、僕たちはどんな種類の音楽を作りたいか良くわかっていなかったからです。だから個人的なテイストやコンセプトをただ合わせてみようとしました。僕たちの中の誰かはドリーム・ポップが好きで、また他のメンバーはシューゲイズが好きで、また他のメンバーはダンス・ミュージックが好きで...。だから僕たちはこの感覚で何か新しいものを作り出そうとしました。そしてそれが最終的にはあなたが聴いている僕たちの音楽になっているのです。

ダブやレゲエの影響は否定できないと思いますけど、好きなダブ・アルバムを1枚だけあげるとしたら?

フェイ:ハイ・トーンかな? 『アンダーグラウンド・ウォッブル』。

ファーストEPが2009年のリリースですから、ジェームズ・ブレイクの影響はないと思いますけど、彼の音楽性に共感はありますか?

フェイ:はい、僕はジェームス・ブレイクのミニマルなスタイルが好きです。彼らのライヴ・パフォーマンスはシンプルだけど、とてもカッコよくて、僕たちのライブパフォーマンスをシンプルにするための良いお手本になっています。

ブランドン:ジェームス・ブレイクの音楽はスゴいですね。彼は、ポスト・ダブステップ、ソウル、エクルペリメンタルなどたくさんのクールなジャンルをミックスして、彼自身のユニークなサウンドを作り出しています。昨年のデビュー・アルバムのほかにも、2010年にリリースされた"CMYK"というトラックは素晴らしかったです。とくに僕たちはUKエレクトロニック・ダンス・ミュージックとエクスペリメンタル・ミュージックの要素に感化されています

広東語で歌ったり、英語で歌ったりするのは、なぜそうしようと?

フェイ:僕たちは最初のEPでは広東語と英語の両方を使っていました。最初は特に明確な方向性を持っていなくて、あれは僕たちのサウンドとテクニックのテストのようなものだったのです。しかし、『デストロイ&ドリーム』ではソニアは広東語だけで歌っています。僕たちのサウンドを統一したかったし、「世界の終わり」についての物語を僕たちの考えや文化で語りたかったからです。だから僕たちの母国語である広東語を用いる事がベストな方法でした。

『デストロイ&ドリーム』がシンガポールの〈キッチン〉から出ることになった経緯を教えてください。

ブランドン:すべては2009年に始まりました。その年の3月にアスピーディストラフライとフリカのアジア・ツアーがあって、僕たちはマカオでサポートをやりました。その縁で、アスピーディストラフライのリックス・アングにファーストEPのマスタリングを頼みました。2010年には〈キッチン〉が僕たちの新作に興味を持ってくれて、それからまたいろいろあって、ようやく今年に入ってリリースされたんです。〈キッチン〉のリックスとエイプリルにはとても感謝しています。

『Destroy & Dream』はいわゆる前作よりもスキル・アップした状態で、完成度の高さを感じます。方向性には初めから迷いがなかったんですね?

フェイ:ありがとうございます! このアルバムでは最初からとてもクリアな方向性を持っていました。昔やったことのあることではなく、なにか新しくてユニークなものを作りたかったのです。前のEPみたいに「テスト」ではもうなく、僕たちの心の中にあるコンセプトがゴールだということに気がつきました。僕たちは心の中に、世界がどのようなものなのかとか、どのように終わるのかを想像した絵コンテがありました。あなたや僕の目の前で世界が崩壊し、破壊されるとき、どんな気持ちになるかということをサウンドを使って描写しようとしたのです。何もできなかったり、何も変えられないときの落胆の気持ちや、ただ死を待つか自殺するしかないときの気持ちなど。このアルバムを作り始める前は、マイクを使って映画や録音からサンプリングをして、自分たちのサウンド・ライブラリーを構築しました。これがこのアルバムの「トーン」を作り出す鍵になっていると思います。

ソニア:歌詞の点から言うと、『デストロイ&ドリーム』は解体と再生について書きました。最初から私たちはみんなこの方向性で固まっていました。このアルバムを聴くオーディエンスたちに人生、世界、宇宙との関係について考えてもらえたらいいなと思っています。

ジョン・ケージを思わせる具体音を頻繁にミックスするなど、主旋律が表現していることとは正反対のイメージを1曲のなかで表現しようとするのはなぜですか? 情報量の多い音楽にしたいということ? それともその方がメロディが引き立つと考えている? フロイトの考え方を表すには適しているように思えましたが。

ソニア:最初に私たちはメロディと歌詞を合わせます。なぜならば、私はいつも曲と歌詞を最初に書くからです。それからフェイとブランドンに曲のコンセプトを話して、フェイがミックスとアレンジをします。

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ブランドン

僕たちはフルタイムのミュージシャンではなく、みんな働いていて、だから実際にこのアルバムを完成させるための時間はあまりありませんでした。でも僕たちがやりたかったことは、細部まで気を配った良質なアルバム作りでした。だから時間の問題に打ち勝たなければいけなかったのです。その唯一の方法は睡眠時間を削ることでした...zzzzzzz

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『デストロイ&ドリーム』を仕上げるまでに最も大変だったことは?

フェイ:僕にとって一番挑戦しなければいけなかったことは時間です。僕たちはフルタイムのミュージシャンではなく、みんな働いていて、だから実際にこのアルバムを完成させるための時間はあまりありませんでした。でも僕たちがやりたかったことは、細部まで気を配った良質なアルバム作りでした。だから時間の問題に打ち勝たなければいけなかったのです。その唯一の方法は睡眠時間を削ることでした...zzzzzzz

ブランドン:僕にとって一番難しかった挑戦は、トラックを何度も調整することでした。トラックができあがるたびに、もう数日、時間をかければこのトラックはもっと良くなるのではないかと思いました。だから、何度も何度も細かく調整していました。

ソニア:私に取って一番難しかった挑戦は解体と再生といったテーマの歌詞を広東語で書くことでした。広東語には9つの音の高低があるので。

韓国のグーゴルプレックスとカナダのピュリティ・リングでは、どっちが気になりますか?

ブランドン;カナダのピュリティ・リング。

ソニア:カナダのピュリティ・リングに興味があります。

フェイ:両方。

クアラルンプールやジャカルタにもいいミュージシャンはけっこういると思いますけど、なぜ、リミックスは3曲とも日本のミュージシャンに依頼したんでしょう? とくにフィヨーネ(Fjordne)のリミックスはフリージャズのセンスを大胆に持ち込んでいて、イーヴェイドにはない雰囲気を出しているのは面白い広がりでした。

ブランドン:マカオに「ピントムジカ(Pintomusica)」 というCDショップがあって、素晴らしい日本のアルバムをたくさん売っているんです。〈プログレッシヴ・フォーム〉や〈ノーブル〉、〈スコーレ〉、〈フラウ〉などの日本のレーベルのアルバムは簡単に見つかります。そういった日本の素晴らしいミュージシャンたちの音楽を僕たちはずっと聴いていたので、日本のミュージシャンにリミックスをしてもらおうと決めました。フィヨーネの『ザ・セッティング・サン』 は素晴らしいアルバムで、彼のジャズからの影響やアコースティック・ピアノ、それからユニークなサウンドスケープを僕たちの新しいアルバムに持ち込むのは面白いと思いました。同じくサーフ(Serph)やオカモトノリアキもリミックスに誘いました。僕たちは彼らのアルバム『ハートストリングス』や『テレスコープ』が大好きだからです。彼らがリミックスをやってくれてとても嬉しかったです。

ソニア:それからフィヨーネのフリージャズは私たちが作リ出すことができないものなので、この曲はイーヴェイドの違う面を表しています。彼にはとても感謝しています!

東京でやったライヴは映像だけ観ましたけれど、暗くてノイジーで様子がよくわかりませんでした。演奏の手応えはありましたか? ちなみにいままでで、どこでやったライヴが最もいい感触を得られましたか?

ソニア:あの時、私たちはまだ『デストロイ&ドリーム』の制作中でした。だから、このパフォーマンスは『デストロイ&ドリーム』スタイルの初期段階のようなパフォーマンスでした。実際に暗くてノイジーな感じを表現したかったのです。

ブランドン:これは僕たちの日本での初ライヴでした。すべての準備やスタッフの人たちもプロフェッショナルでした。ハルカ・ナカムラ、kadan、ミヤウチ・ユリ、Ngatariそして Luis Nanookみたいな素晴らしいミュージシャンたちと同じステージをシェアできて、とても光栄でした。

24時間以内にLAかベルリンのどちらかに移住しなければならないとしたら、どちらを選びますか?

ブランドン:ベルリン。

ソニア:ベルリン。

フェイ:ベルリン。

『デストロイ&ドリーム』は「関係性(relationship)」がテーマだと聞きましたが、なぜそれをテーマにしようと思ったのですか?

ソニア:2009年に黙示録やUFOといった神秘的なことに興味を持つようになりました。人間の魂や生命、死などに。それらについて曲を作りたいと思ったのです。

いわゆる中国からの移民は中国人同士でソサエティを築き上げ、他の人種と交流を持たないと聞きます。あなた方はこうした習慣には反対だと考えていいのですか?

ブランドン:私たちは長年、マカオに住んでいるので、移民の人たちの実際の気持ちについてははっきりとはわかりません。自分たちのここでの経験から言うと、世界には異なる人たちや異なる人種いて、ここではそういった異なる文化が受け入れられています。

アルジャジーラのメリッサ・チャンが国外に追い出された件について意見があれば教えてください。アルジャジーラ・イングリッシュの北京支局が閉鎖されたことにも。この質問はスルーでも可です。

ソニア: メリッサ・チャンさんは素晴らしいジャーナリストだと思います。彼女が中国政府のダークサイドをリポートしこことで、人びとは考えや疑問を持ちはじめました。マカオや香港は幸運で、世界中のニュースや情報にケーブルテレビやチャンネルによって簡単に素早くアクセスできます。一方、これはわたしの個人的な好みですが、電気を生み出すために石油や原子力を使う国々は資源のリサイクルをしないのかとか、なぜ政府はUFOの存在を隠すのかとか、なぜケムトレイルやハープ計画があるのかといった他の問題にも興味を持っています。

歌詞を書く上で制限を感じたことはありますか?

ソニア:私の問題はひとつの曲にたくさんのアイデアを持ち込み過ぎることです。だからそのことに気をつけないと。

いま、具体的に「デストロイ」したいことは?

フェイ:法律、政府、社会のシステム。僕たちが必要なのものは"真の"自由です。(了)

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