![]() 服部峻 - Moon noble |
2013年の暮れにひっそりと、だがレーベルオーナーの強い熱意とともにリリースされたミニ・アルバム『UNBORN』を耳にして、作曲家・服部峻の並々ならぬ才能に末恐ろしさを感じさせられた聴き手は少なくなかったことにちがいない。ミニマリスティックに反復するバス・クラリネットの響きから始まるそれは、ジャジーなドラムスが演奏に加わると、少しずつ何かがゆがみ、ねじれ、気づけばどことも知れぬ夢幻の世界に聴き手を誘っていく。眼前にありありと演奏する姿が浮かぶほど緻密に構築された「生音」のあたたかさが、しかしけっして現実世界にはありえないような仕方で、奇妙な空間を導出していく。眼にしたはずの演奏者は、具に観察してみるならば、いまやヒエロニムス・ボスの絵画のように不可解だ。今回のインタヴューで服部峻はなんどか「快楽成分」なる言葉を発していたが、正しく彼の音楽から聴こえてくる狂乱は「快楽の園」だった――だがすぐさまそうした連想を断ち切るようにしてひややかなグリッチ・ノイズが通り過ぎてゆく瞬間に、聴き手はこれが現代の楽園であることにいまいちど刮目させられることになる。それは録音芸術のひとつの幸福なありかたとでも言えばいいだろうか。
ふだん生活する世界においてさえ、過剰に有意味化された「無音」とまるで意味が剥落した「騒音」とに取り囲まれながら、音盤を前にしたわたしたちは果たしてなにを聴いているといえるのだろうか? 少なくとも服部峻の音楽において「聴こえない音楽」を云々することは徒労だ。それに聴覚的類似から「現代音楽」や「民族音楽」や「ジャズ」や「ノイズ」やその他のあらゆる既成のジャンルを並べ立てて彼の音楽を語っても仕様がない。それはそうした言葉を闊達自在にすり抜けていく。そしてこの意味で彼の音楽は優れてポップ・ミュージックなのである。だがそれは同時にわたしたちを「軽やかな聴衆」にしておくことにとどまるものではない。楽園として立ち現れた服部峻の音楽が、アップル・ミュージックを渉猟する現代の聴き手に対して投げかける「聴こえない問い」を、快楽のただなかで手掴みにする機会をも与えてくれるからである。
そして前作の発表からちょうど2年が経ったいま、服部峻の新たなアルバム『MOON』がリリースされる。初のフル・アルバムであり、来年公開予定の映画『TECHNOLOGY』のサウンドトラックでもある。音だけ先に届けられた。それはアルバムがたんなる映画の付属品ではないことを意味する。だがたしかに映画がなければ生まれ得ない作品でもあった。その理由は下記インタヴューをご参照いただければと思う。今回のインタヴューでは、これまでほとんど謎に包まれていた作曲家・服部峻の経歴から音楽観までを語っていただいた。もちろんアルバムのことも。『UNBORN』の制作過程の話であったり、『MOON』の誕生秘話といったものが、彼の音楽に新たな視点をもたらすことになるだろう。
■服部峻 / Takashi Hattori
大阪在住の音楽家。映像作品も手がける。映画美学校音楽美学講座の第一期生。当時まだ15歳だったにもかかわらず特別に入学を許可される。2013年12月、6曲入りの初作品集『UNBORN』を〈円盤レコード〉より発表。2015年11月、自身初のフル・アルバム『MOON』を〈noble〉よりリリース。
中学を卒業すると同時に大阪から上京して一人暮らしをはじめたんですが、渋谷のタワレコが好きで、よく5階のニューエイジのコーナーに行っていたら、ちょうど菊地成孔さんの『デギュスタシオン・ア・ジャズ』が発売されていて。
■さっそくですが、服部さんがこれまでどのように音楽と関わってきたのかを、とりわけ最初のアルバム『UNBORN』より前のことを教えていただけませんか。
服部:最初に音楽に触れたのはピアノ教室に通っていたときですね。母が音楽療法士だったこともあって小さい頃から習わされていたんです。そこに通いながら、小学校の高学年になる頃には家で作曲をしたりしていて。もっと高度なこともやりたいと思って、中学3年生のときには音楽学校に通って、MIDIの打ち込みを教わってアレンジの手法を勉強したりしていました。中学を卒業すると同時に大阪から上京して一人暮らしをはじめたんですが、渋谷のタワレコが好きで、よく5階のニューエイジのコーナーに行っていたら、ちょうど菊地成孔さんの『デギュスタシオン・ア・ジャズ』が発売されていて。それまで菊地さんのことは知らなかったのですが、調べてみると東京大学でジャズの講義をしているとあって、面白そうだから通ってみることにしました。
■のちに『東京大学のアルバート・アイラー』として書籍化された講義ですね。
服部:そうです。15歳だったんですが、高校をサボってモグりにいってました(笑)。そしたら9月に映画美学校というのが開講して、そこで菊地さんが音楽理論の講師を務める、と聞いたので、これは行くしかない! と思ってそこに通うことにしました。だから菊地成孔さんからは強い影響を受けていると思います。そのころはライヴとか、音楽活動らしい活動はしてなかったのですが、楽曲を制作してデモテープを送ったりということはしていて。そしたら音楽ディレクターの加茂啓太郎さんに声をかけていただいて、あるレーベルのデビュー予備軍としてスタジオを使わせてもらえるようになったんです。エレクトロニカのアーティストとして。でも当時ぼくは高校生で一人暮らしをしていて、生活していくのが精一杯で、体力がなかったというか、あまり曲が作れなかった。10代の終わりになってからやっと根性が出てきたというか、楽曲制作をこなしていくことができるようになったというか。だからそのときはあまり期待に応えることができなかったし、積極的に音楽活動をしていたというわけでもなかったですね。
■服部さんはそれまでどのような音楽を聴いていたんですか?
服部:子どもの頃はクラシック音楽をよく聴いていて、エリック・サティが好きだったので真似して曲を作ったりしていました。でもやっぱり上京してからいろいろな音楽を聴きだすようになって、そっちの影響のほうが大きいと思います。映画美学校の岸野雄一さんとか、その界隈の方たちにいろいろ教えてもらったりして。それと、同じ時期に菊地さんの東大講義をサポートしてる団体主催のインプロ・ワークショップがあったんですね。それをジャズのアドリブのワークショップだと思い込んで応募してみたら、ジョン・ゾーンのコブラをやることになって、想像していたものとぜんぜんちがった(笑)。でも遊び感覚で参加することができてとても楽しかったです。横川理彦さんとかイトケンさんとか、外山明さんなんかが講師を務めていて。その時に横川さんから「ディアンジェロを聴いてみたらいいと思う」って言われて……。
ジャズのアドリブのワークショップだと思い込んで応募してみたら、ジョン・ゾーンのコブラをやることになって。(中略)その時に横川理彦さんから「ディアンジェロを聴いてみたらいいと思う」って言われて……。
■インプロのワークショップでディアンジェロを勧められたんですか(笑)?
服部:そうなんです(笑)。でもそのときに初めてディアンジェロを聴いて、ものすごく感銘を受けて、いまでもブラック・ミュージックは大好きです。
■コブラには何の楽器で参加されたんですか?
服部:カシオトーンを持っていたのでそれで参加しました。僕そんなに持っている楽器の数は多くなくて。すでにプロツールスを持っていたので、それを使ってエレクトロニカだとか、電子音楽ですね、そういうのを作っていたので。当時から完全にラップトップ派です。そこからまた欲深いんですけど、映像なんかも作りはじめたりして、映像と音楽を合わせてYoutubeにアップしたりしました。
■現代音楽や、実験音楽と言われるようなものは好んで聴いたりしていましたか?
服部:高校生の頃はよく聴いていたんですけど、じつはそういう路線に傾倒したりはせず、いまはポップスばかり聴いているんですよ。電子音で終始「ピーーーーー」って鳴ってるだけみたいな、ああいうのはあんまり聴かない。池田亮司さんなんかは音圧の快楽みたいなところで攻めてくるから「サイコー!」だと思うんですけど、もっと堅苦しい、アート寄りのコンセプチュアルな音楽は、なんだか血が騒がないというか、音楽としての快楽成分が少ないっていうのかな。調性がないじゃないですか。いまはフランク・オーシャンとかクリス・ブラウンとかにハマってます。
■現代音楽でもたとえば、ミニマル・ミュージックとかは快楽的なものもあると思うのですが、どうですか?
服部:はい、フィリップ・グラスとか大好きです。でも好きなアーティストは誰かって訊かれたら、やっぱり宇多田ヒカルとかになってしまう(笑)。でもポップスって盛り込む要素に比重がかかっているじゃないですか。何をテーマにするか。そういうのは楽曲制作をするときにすごく参考になります。
やっぱりぼくは音楽としての構造がギリギリあるものの方が好きなんです。完全にフリーっていうのはあまり……。「むちゃくちゃ」って快楽成分を感じないというか。
■上京していきなりコブラに参加されたようですが、即興音楽に興味が向かうことはなかったんですか?
服部:そうですね……やっぱりぼくは音楽としての構造がギリギリあるものの方が好きなんです。構造がなくなるギリギリの領域で、かろうじて保たれている音楽というか、本当はあるんだけど瞬間的になくなったりもする、というような。完全にフリーっていうのはあまり……。「むちゃくちゃ」って快楽成分を感じないというか。やっぱり人間は、人類共通の感覚というのか、うれしいときには笑顔になるし、悲しいときには泣く。ものを食べたときの「おいしい」という感覚とか「いい匂い」みたいな価値観って、言語とか肌の色とか関係なく、そこは世界共通。音楽を聴く上での「気持ちよさ」にも、きっと人類に共通する感覚があると思うんですね。DNAに刷り込まれてるというか。
だから、たとえば現代音楽の世界でいくら「新しいことをやっている」と言われても、人間が本来「気持ちいい」と感じる共通的な価値観からあまりにも乖離したものだった場合、ぼくはあまり魅力を感じない。退屈な音楽だなと感じると思う。やっぱりどこかにそういう「聴いていて気持ちいい」要素は絶対あってほしいと思うし、自分が作る音楽には入れたいと思う。「テクノロジーとしての目新しさ」に固着するんじゃなくて、新しい快感、今までにない旨み成分のようなものを音楽で模索したいなと思っています。一言でいうと、血が騒ぐ音楽ですよね。たとえば黒人音楽にはブルーノートとかフェイクとか、十二音階の鍵盤の、外側にある領域、ピッチがぐにゃりと可塑する瞬間があるじゃないですか。ピアノの外にある音、そういうものにこそ魅力があると思っていて。リズムとかも、ディアンジェロは完全にズレているわけじゃないですか。でもきっちりと刻んでしまうとグルーヴは生まれてこない。どこかズレていたりヨレていたり、はみ出ていたりするところに快楽成分が潜んでいるんだと思うんです。だからそういうものを独自に研究して自分なりのアプローチで、いままでにない「聴いていて気持ちいい・新しい発見のある」音楽を作っていきたいと思っています。
“Humanity”という楽曲を制作している途中にちょうど震災と福島の原発事故が起きたんですね。あれで自分のなかから複雑な調性音楽が湧き上がってきたというか
■そうした音楽がひとつの作品として結実したものが前作『UNBORN』でもあるわけですね。あのアルバムはどういった経緯で制作していったんですか?
服部:曲作りはずっと続けていて、高円寺にある円盤というレコードショップの店長、田口さんからCDを出さないか、というお話をいただいたんです。それで既存の3曲と、お話をいただいてから新たに作った3曲の、合計6曲でアルバムを完成させたのですが、そのころから音楽活動にもやっと本腰を入れ始めたというか。それまでは自分の作風があまり固まっていなかったんですが、なんとかしてアルバムをまとめなきゃ、とにかく作品として仕上げなきゃ! と『UNBORN』を制作していくなかで、徐々に自分の作風も固まっていったと思います。
■アルバムを制作することが音楽活動に向かうきっかけになったんですね。
服部:はい。でもたんにアルバムが完成したから作風が固まったというわけでもないんです。『UNBORN』に収録されている“Humanity”という楽曲を制作している途中にちょうど震災と福島の原発事故が起きたんですね。あれで自分のなかから複雑な調性音楽が湧き上がってきたというか。震災の衝撃のようなものを受けて、自然と自分の作風が変わっていった。それまではのほほんと曲を作っていたんですけど、そういった安全な場所から世界が転がり落ちていくような感覚を体験して、インスピレーションのようなものを得たといいますか。精神的なダメージは大きかったんですけど、原発事故のニュースなんかを見ていると、どんどんアイデアが出てきた。そこから、放射能についてとか、電力のこととかいろいろと調べていくうちに、変な話なのですが、アーティストとして表現欲をものすごく掻き立てられて。だからそれ以降の作品は作風が変わりました。“Humanity”を完成させるのに拘らず、丁度、長い曲というのもあっていろいろと実験してみたんです。
■アルバム制作と重なるようにして起きた震災と原発事故が服部さんのなかで音楽活動の境目になっているということですね。
服部:そうですね。それ以前は私生活ものんびりだったので(笑)、このままじゃいけないと思って。やらないと、って。なのでじつは『UNBORN』っていうタイトルにも、そういう意味を込めたんです。日本がこれからどうなるかはわからない、でもここを境に新しい人たちがどんどん出てくるだろうっていう意味を。いまは時代の変わり目なんだけど、未来は予測不能な状態にあるじゃないですか。でもまだ誕生していないけど、絶対に何かが生まれ出てくるはずだという確信だけはあったんです。「渦中の音楽」。それをタイトルに込めました。
■『UNBORN』に収録されている楽曲のなかで震災前に作っていたのはどれなんですか?
服部:後半の“World’s End Champloo”と“Lost Gray”の2曲が完全に震災前で、“Humanity”が震災を跨いでいて、前半の3曲が震災後の新曲なんです。ちなみにタネ明かしすると、『UNBORN』っていうアルバムは楽曲の制作順序と逆に曲順を並べていて、それは宇多田ヒカルのベストアルバムの真似ですね(笑)。まぁそれはいいんですけど、やっぱり震災前に作った曲を聴き返してみると、かわいらしいというか、作風がちょっとちがうなと思う。今回のアルバム『MOON』は当然「震災以降」の作風で統一されてますが、『UNBORN』は「以前」と「以降」が境目を跨いで同居した作品なんです。
Takashi Hattori “Humanity”
■“World’s End Champloo”はもともと映画に使われた楽曲だったと聞きました。
服部:そうなんです。ぼくの友だちで映画監督の遠藤麻衣子さんという人がいて、彼女が沖縄を舞台にした『KUICHISAN』っていう映画を撮ったんですね。高江って場所を知ってますか? 沖縄の東村にあるジャングルみたいなところで、いまヘリパッド問題っていう政治的な問題も抱えてて。パワースポット的なスポットでもあって、時空が歪んでる場所。その高江に住んでる音楽家の石原岳さんの三男の子が主演を務めていて。高江自体は映画の中心的な舞台ではないんですが、シーンとして映っています。この映画のエンドロールに使われている楽曲で、沖縄が舞台なので“World’s End Champloo”という曲名にしました。インディ映画なので、日本で大々的に上映とかはしてなくて、非流通の作品なのですが。それが遠藤監督の第1作。去年、次の2作めを撮るから同じように音楽をやってくれと頼まれたんですよ。『UNBORN』を発表したら、やっぱり反響があって、ちょうど新しいアルバムを出さないかという話もいただいていたんですね。だから最初はサントラとしてアルバムを出そう! と思って、遠藤監督の誘いも引き受けました。
西洋のテクノロジーと東洋のテクノロジーの衝突がインドを舞台に起こっている、というような内容なんですが、「これはインドに行かないとわからない」って言われて、それにはぼくも納得したんです。すぐビザを申請して、飛びました。
■遠藤麻衣子さんとはどこで知り合ったんですか?
服部:バンドで知り合ったんです。自分がリーダーだったわけではなくて、シンセノイズで参加していたバンドがあって。高円寺の〈円盤〉では10代のときにちょいちょいライヴしてました。でもバンド自体はぼくも遠藤もそんなにやる気がなくて。だからそこで知り合ったけどバンドはすぐ辞めて、二人でよく遊んだりしてたんです。で、そんな彼女の頼みだから、2作目の映画音楽の話も引き受けたんですけど、最初はなかなかうまく曲が作れなかった。
インドを舞台にした『TECHNOLOGY』という映画なんですけど、実験的な内容で、プロトタイプの映像を見て、反応に困ってしまったというか。ストーリーがあるわけでもないし、セリフもあまりなく、結末も「ヌヌ~ン……」みたいな映画で。だからどういう音楽をつけたらいいのかアイデアが浮かんでこなかった。それで遠藤にあれこれ問いただして、最終的に喧嘩みたいになっちゃったんです。自分としては、本当は協力したいけど、内容が内容なだけにやりたくないって。彼女がどんな曲を求めているのかスケッチされたノートも送ってもらったりしたんですけど、そこには「全てを超越した音楽」とか「神が眠る音楽」とか抽象的なことしか書いてなくて、その文章がまた映画の内容とも乖離してる。それでスカイプでまたミーティングして、最終的には口論になり、終いには「ほんとバカ」みたいな悪口の言い合いになってしまった(笑)。そのときに「そんなにできないんならお前、インドに行ってこい!」って言われて、その時はインドなんて本当に行けるとも思っていなかったので、「行ってやらぁ!」って言っちゃったんですね。それがトントンと話が進んで、9月に本当に1週間だけインドに行けることになったんです。遠藤は、今回の映画で「西洋と東洋の文明衝突」みたいなものをテーマにしていて、西洋文明が最近うまく機能しなくなっていて、それを東洋の文明が飲み込みかけている、その西洋のテクノロジーと東洋のテクノロジーの衝突がインドを舞台に起こっている、というような内容なんですが、「これはインドに行かないとわからない」って言われて、それにはぼくも納得したんです。すぐビザを申請して、飛びました。
ぼくは海外には、いままでニューヨークとかオーストラリアとかコペンハーゲンには行ったことがあったのですが、アジアには行ったことがなかったんです。だから初めてのアジアで、インドの下調べもせずに、ツアーでもなく。とにかく現地で見るもの見てこなきゃ、という状況。何が何でもインスピレーションを得ないといけない。それで、一週間しかないし、ぼくは英語も話せないのでやっぱり本当に大変でしたね。最終的にニューデリーとアーグラとワーラーナシの、北インドの3都市を回ったんですけど、やっぱり刺激的で、これはオリジナル・アルバムとしても作れるかも、という今回のサントラ兼オリジナルアルバムという複合コンセプトも浮かんできて。それに原点の映画音楽の製作も、インドを巡って見聞きしたものを、そこから出てきた激しいアイデアをとにかく形にすれば遠藤監督の映画にも合うんじゃないかとも思って。
ニューデリーとアーグラとワーラーナシの、北インドの3都市を回ったんですけど、やっぱり刺激的で、これはオリジナル・アルバムとしても作れるかも、という今回のサントラ兼オリジナルアルバムという複合コンセプトも浮かんできて。
それで帰ってきてすぐ楽曲制作に着手しようとしたらぶっ倒れてしまった。約3ヶ月間、耳も聞こえなくなってしまったんですね。帰国直後は、鼓膜が詰まってしまったのと、副鼻腔炎っていうのを発症してしまったのと、あと肺もやられて喉もやられて。熱も出てお腹もこわして。皮膚まで膿んできたんですよ。全身ダウン状態でした。だから曲を作り始めたのは2015年になってからなんです。トップバッターでデリーをイメージした“Old & New”っていう曲がすぐにできたんですね。これは映画のためというよりも自分がインドで体験したことをもとに作ったんです。でもそれを監督に送ったらとても気に入ってもらえて。そこから他の曲もどんどん作っていきました。映画のほうも第2稿第3稿と映像が送られてきて、それを見ているとだんだん言いたいこともわかってきた。で、“Old & New”で使ったフレーズを別の曲にも使ったりして、他の曲に広げていくと、こんどは広がりすぎて映画の中で使いきれないほどアイデアがどんどんできてきて。映画のオーダーにはないけど気に入った音の素材ができたとき、それを発展させて一曲に仕上げて送ったり。『MOON』は最初はサントラとして引き受けて、予定では6曲くらいの感覚だったのですが、インドから帰ってきてどんどん構想が膨らんで、これはフル・アルバムにできると確信して、最終的には12曲になった。実際の映画に使われているのは曲のほんの一部分だったりが多いので、『MOON』は純粋なサントラとは言えないし、でもオリジナル・アルバムとまではいかないし、だからとても特殊な作品に仕上がったと思います。音楽的にもヴァラエティ豊かでエキセントリックなものになりました。
■『MOON』はアルバムの冒頭からサックスがフィーチャーされているのがとても印象的なのですが、それには何か意味があるんですか?
服部:『TECHNOLOGY』に出てくる男の子がサックスを吹くんですよ。なので映画を観ていただけたらアルバムの楽しみ方も広がってくると思います。たとえば他にも、5曲めの“Rickshaw”っていう曲は、映画でも使われているんですが、アルバムに収録されている音源とはちがっていたり。だから映画で使われている音源と『MOON』というアルバムのなかに収録された楽曲との差異も楽しんでもらえたら、と思います。
■インドの楽器を多用しているのも映画との関連からなんですか?
服部:そうですね。やっぱりオーダーがあるので、それは参考に作っています。あと高校生のころにタブラ・マシーンを渋谷の楽器屋さんで買って、それを録音して使ったり。ほとんど使っていなかったんでやっと日の目を見ることができました(笑)。
■ふだんインド音楽を聴いたりはしていたんですか?
服部:はい、もともとワールド・ミュージックが好きだったのでけっこう聴いてはいました。もしも映画にストーリーがあって、ドラマがあったりしたら、曲もそれに寄り添ってインド音楽のようにしようと挑戦したかもしれないですけど、そこまでオーダーもなかったですし、実験色の強い映画なので、音楽も好き放題にできました。遠藤監督もその方向を求めていたと思います。
■仲直りはできたんですか?
服部:喧嘩はいまだに根をひいていますね……。
■(笑)
服部:映画が完成したら「よかったね」ってなるかもしれないですけど。
■じゃあ来年になるんですかね。
服部:そうですね。当初の予定では今年中の完成を目指していたんですけど、映画の製作はやっぱり資金面が大変みたいで、来年完成、公開予定です。
ぜんぶ打ち込みで作ってます。打ち込みというのもアレだし、本当は「魔法です」って言いたいところなんですけど。既存のループを貼りつけているわけじゃなくて、フレーズは細かいところまでひとつひとつ作曲してピアノロールに打って作ってます。
■『UNBORN』と比べて、『MOON』では制作手法を変えたりはしましたか?
服部:インドに行って自分のなかで浮かんできたものなんですけど、今回は主旋律をあまり使わないようにしました。『UNBORN』はほぼ全曲に主旋律があるんですよ。でも『MOON』では“Pink”っていう曲以外はほぼ主旋律がないんです。これは映画の中で結婚のテーマみたいな感じで使われる曲なんですけど。今回はループ・フレーズを多用してますね。
■サンプリングした音源を貼り付けたりしているんですか?
服部:いや、「Logic」を使ってぜんぶ打ち込みで作ってます。打ち込みというのもアレだし、本当は「魔法です」って言いたいところなんですけど。既存のループを貼りつけているわけじゃなくて、フレーズは細かいところまでひとつひとつ作曲してピアノロールに打って作ってます。なので音程を微妙に上げたりとかできるんですよ。アーティキュレーションを変えたりとか。
■それは何かの生演奏を参照してそういうニュアンスを付け加えていくんですか?
服部:うーん、というよりは頭の中でできることを何でもやってしまいたいと思っていて。とにかく細かいところまで作り込みたいので。ちがうアーティキュレーションを何回も書き出して、それで上手くいくのを採用したりしているんです。シンセとかでもランダマイズさせて10回ほど書き出して、同じフレーズでも10通りの波形ができるので、ポイントポイントでいちばんいい瞬間っていうのを切り抜いて、フェードで繋げてひとつの音にするのがぼく得意なんです。ずっとエレクトロニカを作っていたからそういう波形編集が十八番なんですね。ぐにょぐにょって変化する音が得意というか。ひとつにつながっているんだけど、ぐにゃぐにゃ変わってくみたいな。なので音色的には楽器なんですけど、生音を目指しているというわけではなくて、どっちかというとむしろパソコンを使った制作でしかできないような表現をやりたいと思っています。だから実際のアーティキュレーションを忠実に再現させたいかというとそういうわけでもない。実際の楽器にはあり得ないオクターブの飛び方とか、息継ぎのない木管系のグリッサンドとか、ユニークなほうが聴いてて面白いし、自分も作ってて面白いと思える。バンドでの活動だったりすると、ミュージシャン同士のセッションで次にどうなるかわからない、何が起こるかわからない要素を楽しみながら作り上げていけるじゃないですか。ひとりでの制作の場合、とくにインストって精神世界そのものみたいな感じで、とにかく浮かんでくるものをできるだけ形にしようと思っています。
実際のアーティキュレーションを忠実に再現させたいかというとそういうわけでもない。実際の楽器にはあり得ないオクターブの飛び方とか、息継ぎのない木管系のグリッサンドとか、ユニークなほうが聴いてて面白いし、自分も作ってて面白いと思える。
■服部さんの音楽を生演奏で実現させたいと思うことはないんですか?
服部:ありますあります。むしろ理想はぜんぶ生演奏というか、実演したいですよね、曲のとおりに。ただ実際にやるとなると難しすぎて弾けないんですよね。早すぎて。だから困っていますが、いつかオーケストラを使って本当にやれたらなと思っています。
■生演奏を参照していないだけに、実現困難なアーティキュレーションを施したりしていますよね。
服部:そうなんですよ。自由に作っているので。あとスケールも頻繁に変えてしまうので、実際にやるとなると、たとえばピアノだと1小節ごとに4回チューニングを変えなきゃならなかったり。だからまずはそれを演奏できるピアノを開発しないと駄目ですね(笑)。
■電子楽器だったらできそうですけどね。
服部:そうそう、電子楽器だったらできるんですけど、とにかく実演したいです。
■生音と電子音というと、たとえば最近は初音ミクに代表されるボーカロイドを使って、デスクトップ上で「声」を生成することもできるようになっています。服部さんはご自身の楽曲制作にボーカロイドを取り入れようと思ったことはありませんか?
服部:現状としてはあまり好きな音ではないですね、でもやっていることはじつは自分といちばん近いと思っていて。曲作りのやり方が。ノートを振って指令を出すわけじゃないですか。こういう歌い方でここを曲げてとか。でもボーカロイドを使った優れた作品はどんどん出てくると思う。いまはまだ音がガビガビというか、いかにも「機械」な感じで、その感じがむしろ好まれている節もあると思うんだけど。今後技術的にも確実に進歩していくだろうし、たとえば忠実にマライア・キャリーみたいな声質で、しかも張りあげ声からホイッスルヴォイスから、デスヴォイスやウィスパーヴォイスだったりが、ぜんぶ再現できるようになっていくと思うんです。それで椎名林檎みたいな歌詞を歌わさせられる。そうなったらぼくもボーカロイドに手を出すと思います(笑)。そういうことができるようになると、そうとう面白くなってくると思う。あれも究極のひとりミュージックじゃないですか。ぼくもひとりで作る音楽というのを突き詰めていきたいので、ボーカロイドを使った作品にはつねに注目はしています。
クリス・ブラウンとか宇多田ヒカルとかが大好きなんです。だからそういう音楽もやりたいんですよね。でもそれと並行して自分の表現も続けていきたいですね。ひとりでやる音楽だと、じつはもう次にどんなアルバムを作ろうか考えているんです。でも完成させるのに10年くらいかかりそう。
■お話をうかがっていて、服部さんにとっての「電子音」は、「生音」に対立する別のものというよりも、「生音」の概念を拡張していくものとして捉えられているように感じます。
服部:やっぱり生の魅力っていうのはあるわけじゃないですか。たとえばデジタルと言われるものはつねにアナログの技術に押されてきたっていう側面がある。そういうアナログの魔力とか、生音の魅力にはどうやったって勝てない時代がずっと続いていたと思うんです。でも最近になってよくやく、デジタルでしかできない表現もどんどん増えてきて、ぼくはそれを追求していきたいし、それが面白いんです。いまだにアナログ至上主義者みたいな人たちはいて、そういう人たちはCDでさえ許せなかったりしますよね。レコードじゃないとダメっていう。でもデジタルの世界でも、ハイレゾ音源までいくと、そうでないと注ぎ込むことのできない情報量と、伝達の早さの魅力がある。アナログとデジタルはそれぞれ良さがあって、どちらかに甲乙つけるのはもはやナンセンスだと思います。
音楽的にもデジタルでの作曲は、リアルでは再現できない領域の演奏が試せる。曲の小節間でチューニングを変えたりとか、フレーズごとにインストゥルメントを変えてフェードで繋げたりとか。生の楽器って、楽器そのものがもつ制限のなかで人間がどうやって演奏するのかという問題がある。でも機械のなかではそういった制限はないから、より自由な作曲ができる。そこは大きな魅力だと思います。ぼくはべつにアナログや生音のアンチなのではなくて、生音でもデジタル・ミュージックでも、どちらの世界も分け隔たりなく聞ける、リスペクトできる、純粋に楽しむことのできるような音楽シーン作りに貢献したいです。
■ご自身の楽曲を生演奏で実現することのほかに、今後やりたいことはなにかありますか?
服部:さっきも言ったのですが、ぼくクリス・ブラウンとか宇多田ヒカルとかが大好きなんです。だからそういう音楽もやりたいんですよね。〈エイベックス〉とかそっち系で楽曲を提供する仕事をしたい。でもそれと並行して自分の表現も続けていきたいですね。ひとりでやる音楽だと、じつはもう次にどんなアルバムを作ろうか考えているんです。というかずっと前から考えていて、タイトルも曲順も決まっていて。でもそれは超大作というか、完成させるのに10年くらいかかりそう。本当はそれをデビュー作にしたかったんですけどね。でもそれがなかなか難しいので、『UNBORN』のなかにその伏線を張った曲を3つ入れたんです。とはいえ、とてつもなく時間がかかりそうなので、それを完成されられるかどうか、いまはまだなんとも言えません(笑)。
■その構想しているアルバムは、実際に曲作りをはじめたりしているんですか?
服部:まだ着手はしていないんです。ライフワークじゃないですけど、ゆっくり作っていきたいと思っていて。そう考えるとやっぱり10年くらいかかるんじゃないかなぁ。でも、最近曲を作るスピードがどんどん早くなっているんですよ。『MOON』の最後に“Forgive Me”っていう曲があって、あれは映画のエンドロールに使われているんですが、15日間で完成させて、自分としては相当早かったんです。むかしは、たとえば“Humanity”なんかは1年くらいかけて作っていたので。だからこのまま曲作りのスピードが上がっていけば、10年も待たずにでき上がるかもしれないですよね。まぁ、いまはまだなんとも言えません(笑)。