「Nothing」と一致するもの

 レコード店〈LOS APSON?〉の開店30周年記念イベントが開催されることになった。その第一弾はラテン・シンガー、YOSHIRO広石と、横浜のプロデューサー LUVRAW(鶴岡龍)によるスプリット7インチのリリース・パーティで、7月3日、渋谷WWWにて開催。双方のライヴに加え、DJには画家の五木田智央、COMPUMA、店主ヤマベケイジ、そして思い出野郎Aチームのサモハンキンポーを、PAには内田直之を迎える。夏本番の直前、濃い時間を楽しみましょう。

イマジネーション武闘派なセレクトレコードショップ〈ロスアプソン〉の開店30周年記念イベント第一弾!
YOSHIRO広石と鶴岡龍 a.k.a. LUVRAWの競演ライブに、五木田智央×COMPUMA×ヤマベケイジの闘魂DJパーティー「GOLD DAMAGE」をフィーチャーして、遂にゴング鳴る!!!

2022年の秋にLOS APSON?とMAD LOVE RecordsのWネームでマジカル瞬間的に世に送り出した、YOSHIRO広石『それぞれの存在~Minority Pride』とLUVRAW『ANATATO』のスプリット7インチEPのリリースパーティーを、LOS APSON?の開店30周年記念イベントのひとつとして、渋谷WWWにて開催いたします!!!

御年84歳になられる、世界を驚かせた伝説の日本人ラテン歌手YOSHIRO広石と、当店の2018年間ベストでも第1位に選出済みのLOVEヴァイブ策士LUVRAWこと鶴岡龍の、それぞれのスペシャルバンドライブをメインに、画家である五木田智央、DJや音楽制作等で精力的に活動を続けるCOMPUMA、そしてLOS APSON?店主・ヤマベケイジの三人のゴルダメコアメンバーに、思い出野郎Aチームのメンバーであり、MAD LOVE Recordsの運営と、YOSHIRO広石の自伝本を刊行した焚書舎も主宰するサモハンキンポーをゲストDJとして投入して、久しぶりの復活となる「GOLD DAMAGE」をフィーチャーし、更にPA担当に内田直之を迎えて心地良い音場を作って頂き、LOVE♥桃源郷を目指します!?

どなた様もお誘い合わせの上、このレアな機会をお楽しみ下さいませ。
(山辺圭司/LOS APSON?)

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公演タイトル:
LOS APSON? 30TH ANNIVERSARY Presents YOSHIROとLUVRAW with GOLD DAMAGE
出演:
〈LIVE〉YOSHIRO広石/鶴岡龍
〈DJ〉五木田智央/COMPUMA/ヤマベケイジ/サモハンキンポー
〈PA〉内田直之
日時:2024年7月3日(水曜日)開場/開演 18:00
会場:WWW
前売券(2024年5月8日(水曜日)18:00発売):3,300円(税込・ドリンク代別)
前売券取扱箇所:イープラス< https://eplus.jp/losapson?/ >、LOS APSON?店頭
問い合わせ先:WWW 03-5458-7685

great area - ele-king

 類は友を呼び、謎が謎を引き寄せる。いくつかのヒントが表にあって、それが時に重なり時に離れて間にあるものを浮かび上がらせる。アウトプットに絡まる気配、そんな謎のフレーバーが音楽を面白くするのだ。我々はそれを求め、追いかけ常に未知なる何かに心を奪われている。そんなことをずっと繰り返している。
 かつてそんな存在の象徴であって今なおミステリアスな香りをふりまいている女性、ディーン・ブラント・アンド・インガ・コープランドのインガ・コープランド、現在ロリーナという名義で活動している彼女のレーベル〈Relaxin Records〉に所属するグレート・エリアもまさしくそんな存在だ。ディーン・ブラント周辺の音楽がリリースされる度に、もしやこれはディーン・ブラントの別名義なのではと疑ってかかってしまうように、最初にグレート・エリアの音楽を聞いた時にロリーナが始めた新しいプロジェクトなのではという考えが頭によぎった。打ち込まれた小さく広がる空間にメランコリックなシンセサイザーの音が鳴り、それを背にして生のベースが弾かれる。所在なくつぶやかれるヴォーカルはロリーナの鼻にかかったクセのある声とは少し違っていたが、そこに漂う空気は同じように素晴らしく、ひんやりとした生々しさが心をつかんで離さなかった。2022年の年末にリリースされたEP「Follow Your Nature」にどの程度ロリーナが関わっているのかはわからないが、彼女のレーベルからリリースされたそれは新たな謎と始まりを感じさせるものだった。

 その後グレート・エリアは23年にコンピレーションに収められた“Find Out Who Is Winning And Why” をリリースする。虚無感とやるせなさを表現したようなこの曲もまた素晴らしく次の展開が今か今かと待たれた。
 そうしてついに今年24年にデビューアルバム RR7『Light Decline』がリリースされたのだ(最初のアナウンスから1ヶ月も経たないうちのリリース、このスピード感もいかにもな感じだ)。アートワークはグレート・エリア、ミックスはローリナ・リラキシンというEPと同じ体制で作られたこのアルバムを聞いて感じるのはやはりその余白の素晴らしさだ。サンプリングで作られた土台と、弾かれるベースの間に広がる時間と空間、その重なりの中に生まれた隙間に打ちひしがれたちいさな虚無とかすかな希望が宿る。それは情報過多の現代から距離をとるようなものにも感じられるが、しかし同時に俗っぽさも併せ持っている。手の届かない高みにあるものではなく、手のひらからこぼれ落ちるような日常の、心の中の空白地帯、その小さな隙間をグレート・エリアは浮かび上がらせるのだ。
 タイトル・トラック “light decline"で始まるこのアルバムはサンプルに彩られミニマムにまとめられている。全ての曲は3分に満たず、2分台の曲が6つとそこに加わるには10秒ほど足らない曲が一つ、計7曲16分のアルバムはだが決して物足りなさを感じさせことはない。ここにはせき立てられるよなビートもなければ頭を殴りつけられるような刺激もない。存在するのは空気の色を映すようなサンプリングにシンセ、ゆるやかに進むベース、ドラムマシン、そして虚無と希望の間で揺れるロウソクのような彼女の声だ。淡々とそれでいてメロディアスで、その組み合わせが心を静かに揺らしていく。気にかけて手を伸ばした瞬間に消えていくような、暗い色をまとった鮮やかな魔法、儚さや美しさ、同じトーンで進んでいく曲たちはまるでどこか遠い場所で撮られた短編映画のシーンのように機能する。虚無感に包まれたブロードキャストのような “fun”、インガ・コープランドの気配を色濃く感じる ”the laws of physics” が重なり合うように繋がって一つのイメージが描き出されていく。シンセとベースで不安に揺れる”hazards”が頭の中に引きずり続けるような気配を残し、発掘された90年代のバンドのラフなデモ・テープのような”if you stop moving you don't exist, if you fall behind you're dead” がそこにまた違ったタッチを加えていく。そんな風にして狭い部屋に響くこの小さな音楽はしんみりと深い余韻を残すのだ。

 余談になるがこのアルバムのリリースがアナウンスされた時期にグレート・エリアはバー・イタリアのサポートで北米ツアーを一緒に回っていた。ディーン・ブラントの気配をまとったミステリアスなバー・イタリアとインガ・コープランドの雰囲気を感じさせる謎の存在グレート・エリアの組み合わせはいま、考えうる最高の組み合わせではないだろうか。それが実現されたツアーにおいてグレート・エリアはロンドンのヴィジュアル・アーティスト、ジョージー・ネッテルのプロジェクトではないかとまことしやかにささやかれ、僕らはそうして2010年の〈Upset The Rhythm〉、プラグというユニットに辿り着くのだ。そうやって謎が謎を呼び、少しずつ解き明かされ過去と未来が繋がっていく(もしかしたら文脈というのはこのようにでき上がっていくものなのかもしれない)。

 虚無と希望が同時に存在するグレート・エリアの音楽は結局、その余白に何を見出すかなのだろう。受け取り、考えることを委ねられた感覚こそがポップ・ミュージックとその周辺の文化の素晴らしさだと自分は思う(そうやって受け継がれ、数年経って答えが出る)。とにもかくにももの悲しく心を揺らす、グレート・エリアは最高だ。

Kavain Wayne Space & XT - ele-king

 ジャズが、ことにビバップと呼ばれる音楽が小綺麗な室内の舞台ではなく、ときには俗悪なナイトクラブの夜の営みにおいて、酔っぱらった客を満足させ、あるいは自らの欲望を満たすことで研磨されていったというなら、それがやがて即興へと、そしてたとえば欧州に渡りインプロヴィゼーションとして発展していったとき、ある種性的な衝動や名状しがたい欲望が隠蔽され、何か高尚なものの下位へとすり替えられていったというのは、いくらなんでも言い過ぎだ。むしろ率先して、ジャズの背後にあった猥雑さや悪徳から離れていったことで生まれた遺産の多くをすでに我々は知っている。

 しかしながらシカゴのフットワークの、その原点にある衝動、その爆発力に関してはどうだろうか。まずないことだが、進歩人諸氏は、90年代半ばの〈ダンス・マニア〉というレーベルから出ている12インチを気紛れで買ったりしないことだ。ゲットー・ハウス、その数年後にはジュークとも呼ばれるシカゴのアンダーグラウンド・ダンス・ミュージックは、不適切極まりのないエネルギーが充満している。「ち●●」や「●●こ」のオンパレードなのだから、これはもうけしからんです。とはいえ、もういちど考えるのもいいかもしれない。2010年代において、ローカルは消滅し、文化が減速したと言われながら、ほとんど唯一といってくらいに革新的と言われた音楽スタイルがどれほど猥雑なところから生まれたのかを。

 RPブーという、House-O-Maticsなるシカゴの伝説的ダンサー・チームの元メンバーにして、90年代末にはフットワークの青写真を作ったDJ/プロデューサーが、英国人ふたりのインプロヴァイザー、サックス奏者のシーモア・ライトとドラマーのポール・アボットと共演したライヴ音源(しかも最初のセッションは2018年だった)があると聞いて、警戒をもって接している人間がここにいることは、もう充分にご理解いただけたことだろう。もちろん嬉しさもある。それは、フットワークの可能性が広がっているかもしれないという期待、もうひとつは、たとえばハウス・ミュージックが発展していったうえで、AOR的な展開をしたときのつまらなさを知っている人間からすると、この組み合わせに興味をそそられるのもたしかだ。また、こんにちではインプロヴィゼーションと括られる音楽が、ともすれば鼻につくような、お高くとまった世界で完結しているとしたなら、これは良い薬だ。ぼくも一緒に恍惚となれるかもしれない。

 言うまでもないことだが、この演奏でキーになるのはRPブーだ。シカゴのフットワークのあのビートは音符だけで表現できるものではない。EQを深くかけた裏拍子のクラップ、スネア、ハーフタイムのリズム、そしてサンプリングの容赦ない反復——、あまりにも特徴的なこのダンス・ミュージックの魅力をシーモア・ライトとポール・アボットはある程度は尊重しながらも逸脱させ、その混沌を抽出し、破壊的な音楽へと舵を取ろうとしている。2曲目、とくにその後半からがまったく素晴らしい。もしこのメンバーのなかに政治的なアジテイターがいようものなら、ザ・ポップ・グループもしくはザ・マフィアのパンク・ファンク・ダブの更新版と呼びたいところだ。最近では、ジャズとエレクトロニック・ダンス・ミュージックとの共演に関してはコメット・イズ・カミングが評判だが、自分の好みで言えば、まったくもってRPブーたちのこれだ。作品化されたことに感謝したい。

酒井隆史(責任編集) - ele-king

 東北大震災が起きてしばらくした頃、なんとなく『十五少年漂流記』と『蝿の王』を読み返した。無人島に流れ着いた少年たちが権力をめぐって殺し合いに発展する後者と、基本的には仲良くやっていく前者という記憶があったので40年ぶりに読む『十五少年漂流記』はきれいごとにしか感じられないんじゃないかと予想しながら読み始めた。『蝿の王』は確かに印象は変わらず、『十五少年漂流記』はきれいごとどころか、仲間内に不協和音が生じたところで外敵が現れ、一気に団結が深まるという展開だったためにイスラムやロシアを敵視しなければ生き生きとしないアメリカを思い出し、攻撃性を内に向ける『蝿の王』と、外側に向ける『十五少年漂流記』という対比に印象が変わってしまった。1888年に書かれた『十五少年漂流記』は1871年に2ヶ月間だけ成立したパリ・コミューンの記憶を子ども向けの冒険小説にアレンジしたものなので、世界初の労働者自治政府やそれによって実現した社会民主主義政策の数々をフィクションにしたという側面もあり、労働運動にとっては貴重な文献の意味も持っているとはいえ、共同体のあり方として『十五少年漂流記』が構築したモデルは、少なくとも現在の世界にとってはあまり有益なものとはいえないのではないかという認識に改まったのである。

 これが、しかし、デヴィッド・グレーバーの思想を紹介する『『万物の黎明』を読む』で再度、価値観が覆った。『蝿の王』か『十五少年漂流記』か、という問いがそもそも間違いで、グレーバーのそれにならっていえば、この比較は「無人島に流れ着いた少年たちが互いに協力しあって平和的に過ごすという物語がなぜ名作として残されていないのか」という問いに変貌する。いわば内乱を肯定する『蝿の王』も、外敵を設定して挙国一致でまとまる『十五少年漂流記』も攻撃性を担保しているという意味では同じで、少年たちが平和裡に過ごすだけでは名作にならない世界に自分たちは生きているという認識がもたらされる。誰もお花畑には興味がない。『けいおん!』などという平和ボケしたアニメは無人島に舞台を移せばすぐに暴力性が発動し、内であれ、外であれ、血が流れてこそ共同体といえるものになると。

 そうなるとむしろ気になるのは『蝿の王』が昔と印象は同じだったことである。核戦争の恐怖に怯えながら1954年に書かれた『蝿の王』は1963年(冷戦初期)と1990年(冷戦終結直後)に映画化され、『漂流教室』や『ドラゴンヘッド』といったマンガに意匠替えもされ、殺し合いこそないものの「追放」というルールに置き換えられた『サバイバー』や『アイム・ア・セレブリティ』(ジョン・ライドンが出ていたやつね)といったリアリティTVの爆発的人気を通して、むしろ過剰に既視感を煽られていたのではないかという気がしてくる。「いじめはなくならない」という言い方なども同じ効果を与えてきただろう。「無人島でなくても狭いエリアに少数の人間が閉じ込められばいつしか争いになる」ことが「自然状態」であるかのようなヴィジョンがそこかしこに撒き散らされ、国家や統治機構に相当するものが人々を管理していなければ悲劇的な結末に至るというストーリーが常に上書きされてきたというか。昨年、TBSで放送された『ペンディング・トレイン』は電車ごと未来にタイムスリップするというサヴァイヴァルもので、社会における自己効力感をメイン・テーマとしていたものの、物語の後半になるとやはりグループ同士の抗争という見せ場が用意されていた。そうした要素がないと視聴者は納得しないという判断があるのだろう。

 デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』に興味を持ったのは、同書に「自然状態はなかった」という記述があると耳にしたからだった。人類が社会をつくる以前の状態を哲学者たちは「自然状態」と名付け、現代のような文明社会とは様相が異なるといって区別してきた。『蝿の王』と『十五少年漂流記』を読み返してから、この10年ほど、そのように定義されてきた「自然状態」という言葉が頭のなかでぐるぐると回り出し、「格差社会」というキーワードがそれを追って並走し始めると、この世界は適者生存のサヴァイヴァル・フィールドにしか見えなくなってくる。それこそ『ハンガー・ゲーム』や『イカゲーム』など人為的に仕掛けられたサヴァイヴァル・ゲームとして戯画化する流れや、マンガなどのタイトルには現世を通り越して「転生」や「来世」といったキーワードがあふれ、ごく普通のTV番組を観ていても「生きる」ではなく「生き残る」というフレーズが当たり前に使われている。人類は「自然状態」から「社会状態」に進歩してきたのかと思っていたら、「社会状態」がもはや「自然状態」と同じになっている。働いても働いても手取りが増えないと悲観する労働者と外国人が自分の仕事を奪うと吼えたてる右翼。弱者に向かって「終わってる」と勝ち誇る富裕層がいるかと思えば、自ら「詰んだ」と肩を落とす低所得層もそこかしこ。ホッブスによって「万人の万人における闘争」と性格づけられた「自然状態」が骨格ごとむき出しになっているイメージである。もしも、自分が原始時代に生まれていたら狩猟採集に明け暮れなければならないのは仕方がないと思うけれど、いまは原始時代ではないから、どこかしらに「蓄え」というものがあるはずで、『蝿の王』のような世界観のなかを生きていかなければいけないとはどうしても思えない。仮に「自然状態」がホッブスの考えるように闘争的なものだったとしても、そこから遠ざかるだけの豊かさを獲得してきたのが人類であり、現代文明ではないかと思うので、余計に納得がいかなかった。そこに「自然状態はなかった」と言い出した人がいるという。興味を持つなと言われても無理じゃん。

『万物の黎明』にはしかし、「人類史を根本からくつがえす」という副題がついていて、なんというか陰謀論みたいで、ライヒスビュルガーの類だったらどうしようという不安がまとわりついていた。荒俣宏監修の『世界神秘学事典』だって言ってみれば「人類史を根本からくつがえす」本だったし、『天才バカボン』や種村季弘を読んでもひっくり返るし、スティーブン・ジェイ・グールドやV・S・ラマチャンドランもひっくり返っちゃって、なんだったら北山修やエマニュエル・トッドでもひっくり返りそうな僕としてはむしろ根本からくつがえさずに地道にこつこつと研究している方が新鮮だったりするぐらいで。とはいえ、「自然状態はなかった」ってどういうこと? と会う人ごとに訊ねていたら、誰からも答えは返ってこなかったのに、どこからともなく、というか、河出書房新社から『『万物の黎明』を読む』が送られてきた。河出書房新社は『サピエンス全史』で「人類史をくつがえ」したばかりなのに、またしても「人類史を根本からくつがえ」そうとしている。こちらの副題は「人類史と文明の新たなヴィジョン」である。う~ん、やっぱりライヒスビュルガーめいているなー。『万物の黎明』というタイトルも考えてみればニューエイジを思わせる。新興宗教が豪華なパンフレットに印字しそうなタイトルだし。悩む。読むべきか読まないべきか(そうだ、ChatGTPに訊いてみよう!) 。

 おそるおそる本書を読み始めると、序文に続く監修者へのインタヴューで「自然状態はなかった」というのは本書を評したヴァージニア・ヘファーナンの言葉だと書いてあった。とはいえ、本書にそのような類のことが書いてあることは間違いないらしい。人類の歴史は巨大なモニュメントを残したヒエラルキー型の国家を中心に書き残されてきたために、平等主義でやってきた社会はなかったことのようになってしまい、歴史家の視界にはまったく入っていなかったと。僕の記憶では2000年に日経サイエンスが訳出したJ・ブレッツシュナイダーの論文で、メソポタミア文明を構成する北部の遺跡を調べると富裕層と低所得層の家が隣り合わせて建てられていることがわかり、収入格差によって住む場所が分けられるようなことはなく、意外と民主主義的だったことが判明したとされていたけれど、そういった文明の数々は悪目立ちするモニュメントを建設することがなかったために、なかったことにされてきたのだという。ハコモノ行政の鬼だった秦の始皇帝のような人物がいた共同体ばかりが歴史を構成する要素となり、それらをつなぎ合わせていくと原始的な社会から現代の文明社会へと続く「進化」の道筋があるような気がしてしまい、ヨーロッパ文明のような進歩的世界以外はみな未開と位置づけられ、それに「自然状態」のレッテルを貼ってきたというようなことだという。『万物の黎明』では、そうではなく、巨大モニュメントを建設することなく、平等主義を続けていた社会の方がむしろ文明的だったのであり、数もそっちの方が多かったのではないかと主張する。ルソーは社会契約論を構築するために人類の起源は不平等だったとする「自然状態」をいわばフィクションとして立て、そうした考えがフランス革命の理論的支柱となっていくわけだけれど、そもそもそうした「不平等から平等」へと刷新されなければいけない社会を営んできたことが例外的なことであり、多くの共同体は人類の黎明期からもっと平等だったというフィクションを新たにぶつけてきたわけである。権威型の社会がさも人類には不可欠なものだったという印象操作が働いていたのが歴史というものであり、系譜学的にいうならば、そのように書かれることで有利になる人たちがいたんでしょうと。そして、そのような進歩史観が行き詰まりを見せる現在を逆照射し、ヒエラルキー型の統治システムを必要としないアナーキズムに光が当てられていく。

 そのように言われるとなんとなく思い出すことがある。2003年にイラク反戦をテーマにサウンド・デモをやった時、最初は誰が何をやるかを決めず、適当に始めたら参加者がそれぞれに得意なことをやりだして最後まで騒ぎまくるだけで面白かったのに、これが2回、3回と続けるうちに、なんとなく得意なことを担当制にしてしまったためか、効率は上がり、デモに集まる人数も倍々で増えていったにもかかわらず、どことなく義務とか責任が生じたようになってしまい、楽しむことよりもやり遂げること、サウンド・デモという場所を維持することに主催の関心が移らざるを得なくなっていった。大きくしなければできなかったこともあるし、警察の棋聖線を突破してデモ隊が雪崩を打つダイナミズムなどは人数が多いからこそ面白かったことではあるのだけれど、誰が言い出すでもなく、1年間でやめてしまったのは、僕は「維持」することに負荷を感じるようになったからだと思っている。場を共有するために犠牲を強いられる人が何人かいて、それがなければ成り立たないのであれば続ける必要はないという感覚が暗黙のうちにみんなに伝わったことで、次はなかったのではないかと。ヒエラルキー型の統治システムが構築されていれば、そのようなことはなく、こうした組織は持続するのかもしれない。それが西欧社会などの権威的な国家のあり方だと『万物の黎明』が主張するのであれば、自分としてはそれは実感として理解していたという気もしないではない。こうした経験を経たことで、それぞれが得意なことを担当にしてしまうということが官僚制の始まりなのかなと考えたこともしばしばで、バンドの寿命について考える時もそのことは当てはまる。逆にいえば、グレーバーが主張する平等主義の社会は無数にあったかもしれないけれど、どれもが長くは続かなかったことにはそれなりの理由があったのではないかと思えてくる。本書には「持続する社会という評価自体(中略)倒錯的なユートピアに過ぎない」(瀬川拓郎)という発言もあり、アイヌ社会の分析を経て縄文時代について考えた文脈からは必要なだけの説得力もあるので、このあたりは僕の理解力が追いついていないのかなとは思う。考古学という学問自体、何をどう解き明かそうとしているのか、その思考様式や何やらがよくわかっていないので、彼らが『万物の黎明』のどこに興奮し、どんな可能性を述べ立てているのかもうひとつ距離を感じてしまうのだけれど。

『『万物の黎明』を読む』にはまた、権威的統制国家の行く末について否定的な言葉が並べられる反面、世界中に存在したとされる反権威的平等主義の社会には女性差別があったのかなかったのかということにまったく言及がない。驚くほどそのことには関心が払われていない。災害地にボランティアなどが集まると「気がつくと水まわりは女がやっている」と言われるように、自然発生的な組織論だからこそ、そうした役割の固定は深刻だと思うので、グレーバーたちが「人間を、その発端から、想像力に富み、知的で、遊び心のある生き物として」捉えているのならば、なおさらそこはスルーして欲しくなかった。本書の後半は人類学、考古学、哲学の専門家がそれぞれの領域で『万物の黎明』に触発された興奮を語り、「人類史を根本からくつがえす」ことに意識が絞られるあまり専門的過ぎて女性差別よりも重大な問題が事細かに語られているという印象が強い。僕としては水たまりが気になって先へ進めなかったところも多々あるというか、「人類史と文明の新たなヴィジョン」に女性たちの未来は含まれているのかどうか、それこそ序文にはあらかじめ「あれがなかったりこれがなかったりするのはゆるしてもらいたい」と特大のエクスキューズが打ち込まれているものの、これに関してはそういった言い訳は用意して欲しくなかった。今後、『万物の黎明』に触発されて無数のアナーキストたちが反権威的平等主義の社会をつくったとしても、その時の平等は権力や経済的なことがほとんどで、依然として女性が差別されたままではあまりにも無力感が強くのしかかる。「万物」という範囲の設定がここでは裏目に出ている。

 もっと書きたいことはあるし、それだけ議論を触発する本ではある。本書は1人で考えるよりも対話が大事だと強調していた箇所が何箇所もある。となると、書きたいことを書ききってしまうのはよくないのだろう。ちなみに僕は学校の授業で刷り込まれた「万人の万人における闘争」という考え方にいまのいままでインパクトを感じ、現代について考える上で不可欠な要素になっていたことにここへきてようやく気がついた。ジョン・ロックが同じく「自然状態」を定義する時に人々はもう少し助け合う存在なのではないかとしていたことは忘れ去っていたにもかかわらず。デヴィッド・グレーバーもホッブスやルソーは批判しているみたいだけれど、ロックについてはとくに言及はしていないみたいで、そこのところはよく分からなかった。それとも引用されていないだけで、『万物の黎明』では取り上げられているのかな。うむ。やはり『万物の黎明』も読まないとダメだろうか。うむむ。悩む。読むべきか読まないべきか(もう一度、ChatGTPに訊いてみよう!) 。

valknee - ele-king

Good girlには程遠い けどBad bitchていうよりこっち Ordinary Vibes (“OG” より)

 広範に渡る、近年の valknee の活動をひとことで説明するのは難しい。怒りや不満を糧にヒップホップのボースティングの力を使いオルタナティヴなギャル像として打ち立ててきたスタイルがあり、それを唯一無二の粘着ヴォイスとフロウでぶちまけることで確固たる個性を築いてきた──本丸の音楽活動としてはまずそういった説明ができるだろうか。一方、パンデミック禍に女性ラッパーたちと連帯し結成した zoomgals をはじめとして、ヒップホップ・フェミニズムの文脈でも重要な役割を果たしてきた点も見逃せない。ルーツのひとつにアイドル音楽もあり、lyrical school や和田彩花から REIRIE まで(!)楽曲制作に参加することでプロデュース力も発揮している。映画『#ミトヤマネ』の音楽のディレクションもしていたし、ときには、んoon や Base Ball Bear といった面々とコラボレーションもおこなってきた。自身の作品については次第に音楽性を変化させ、ダンス・ミュージックの直線的なビート感を貪欲に取り入れるようにもなっている。世の中の旬な話題から身近なネタまで独自の切り口でトークする音声メディア「ラジオ屋さんごっこ」も界隈で人気を得ており、それだけジャンル横断的な活動を展開しながら、やはり王道のヒップホップも捨てない彼女は、昨年オーディション番組「ラップスタア誕生2023」に出演し国内ヒップホップのメインストリームに殴り込みをかけたりもした。以上のように、valknee の活動は非常に多岐に渡ってきている。だが、いつだってルーツや好きなものに忠実に立脚しながら Ordinary な自身を誇っていく姿勢は全てに共通しており、その点では、紛れもないヒップホップ精神というものが軸にある。

 となると次に、アルバム・タイトルに掲げられている「Ordinary」というタイトルが気になってくる。ここには、昨年からシーンを席巻している Awich ら「Bad Bitch 美学」のムーヴメントや、「Xtraordinary Girls」を標榜するラップ・グループ・XG の快進撃など、メインストリームで脚光を浴びる女性ラッパーの活躍に対するカウンターの視点があるのだろう。ラップの技術や、ラッパーらしさというリアリティを武器にラップ・ゲームを戦う猛者たちの中にいて、valknee は「平凡」であることを掲げて闘うが、しかしそれは戦略的には分が悪い。普通じゃないこと/非凡なことを競うのがこのゲームのルールであるからで、だからこそ、valknee は「私の平凡さこそが私のリアリティ」という点に懸け、平凡さのリアリズムを徹底的に突き詰めることで非凡さへと反転させようとする。

 そこで援用されるのが、今作で全編に渡って鳴り散らかしている、数々のハイパー・ダンス・ビート。valknee の音楽性は、あるときを境に変化した。私はそれを hirihiri 以前/以後と呼んでいるのだが、他にもピアノ男やバイレファンキかけ子、NUU$HI といったトラックメイカーの攻撃的なサウンドを導入するようになり、作品をトラップ・ミュージックからハイパーでダンサブルなビートへと変貌させていった。時期的には2021年の後半くらいからだろうか。とは言え2020年の時点で “偽バレンシアガ”の RYOKO2000 SWEET 16 BLUES mix という歪なダンス・ミュージックをリリースしており、以前からそういった性質がなかったわけではない。だが、ハイパーな要素は明らかに途中から加わったもので、valknee の賭けはまずそこにあると思う。

 所属するコミュニティも変化した。〈AVYSS Circle〉や〈もっと!バビフェス〉といったイベント/パーティに出演するようになり、インターネットとリアルを行き来しながら熱狂的に盛り上がるオルタナティヴなユース・カルチャーに身を投じていった。とりわけ、仲間とともにキュレーションを開始した Spotify プレイリスト「Alternative HipHop Japan」の存在は大きい。なかなか可視化されることのなかったシーンの動きが素早く反映されるようになったことで、どこかふわふわしていた界隈の動向に輪郭が与えられるようになった。valknee はいま、オルタナティヴなシーンにおける姉御肌的なポジションを築きつつあるのかもしれない。

 valknee はそうやってサウンドだけでなく身も心もいまのオルタナティヴなシーンにコミットする中で、その音楽性を完全に身体まで落とし込んできている。ネバネバした声と耳をつんざくダンス・ビートの、いわば鋭角×鋭角のハイカロリーな衝突が良い塩梅で融合してきており、これだけ尖っているにもかかわらず聴きやすい。KUROMAKU プロデュースの “Not For Me” では phonk のビートに難なく乗り、“SWAAAG ONLY” や “Load My Game”、“Even If” といった曲のメロディやフロウの作り方は、完全にオルタナティヴ・ヒップホップのそれである。裏を返せば、ある程度このカルチャー/音楽のマナーに沿っているとも言えるわけで、もしかするとその行儀の良さは、評価が分かれる点かもしれない。だが、むしろそういった点こそが彼女の魅力であるように思う。自分の好きなものに対して忠実であり正直であるのが valknee の美点であり、本作はオルタナティヴ・ラッパーに転身した彼女の再デビュー・アルバムのように聴こえてくる点で、これまでとは違った種類の覚悟を感じる。

 そういった『Ordinary』の中にあって、“Even If” から “Over Sea” に至る流れはいささか特異だ。先日渋谷の街を歩きながら聴いていると、valknee は声を丸くして小声でそっと語りかけるように訴えかけてきて、気づいたらほろほろと涙が流れてしまった。

ねえ!Over sea あたしのはなし/目泳がし騒がしい街並みで/全世界中いないことになってる/ペンで描いた居たことの証 ( “Over Sea” より)

 ラッパーかくあるべし、というパンチラインだ。「し(-si)」の脚韻がいつもの valknee とは違った丸い小声で反復されることによって、「しーっ(静かに!)」という意味性が立ち上がってくる。あなたにだけ伝えるね、という優しい「し」。彼女はこうも歌う。

ちっさい声が伝わる/バカなミームみたいに/誰かしらに繋がる/点が線になってる/誰か誰か!じゃない/ないならつくる/輪になんかなんないでも/You stand out飛ぶ

 誰か誰か!じゃない。ないならつくる。そうか、ないなら作る! valknee が、オルタナティヴなコミュニティに身を投じてこの何年かやってきたことが分かった気がした。点が線になる。線は輪にならないかもしれない。でも、飛ぶ。……飛ぶ?! Ordinary=平凡さは、反転するどころか、海を越えて飛んでいくらしい。なんて最高なんだろう。

 全世界中の、いないことになっている人たち。自分のことを平凡だと思っている人たち。『Ordinary』を聴いて。Ordinary Vibes を出して、遠くに飛んで。いまあんなにたくさんの若手ラッパーとコミュニティを盛り上げている valknee が、客演なしで、ひとりでこの作品を歌うことの意義。新たなリスタート。このちっさい声が伝わりますように。あなたとともに海を越えて、全世界中に。

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