「Nothing」と一致するもの

デイヴィッド・シルヴィアン - ele-king

ジャパン解散後、なかば人目を避けるように暮らしながら、純粋なまでに自らの芸術活動を貫く──
デヴィッド・シルヴィアンの評伝の大作、いよいよ翻訳刊行!

いまだに根強いファンを持つデヴィッド・シルヴィアン。
探求心と美学を失うことなく、いまだにコンスタントな活動を続けているこの芸術家は、いったい何を考えなが ら、どこで、どんな風に作品を作ってきたのか?
膨大な資料、発言、証言をもとに、彼のソロ活動を音楽の観点から、そして歌詞の観点から詳細に綴る、デヴィッド・シルヴィアンの評伝がいよいよ刊行される。

「デヴィッド・シルヴィアンはなんだか謎そのものに思える。
ジャパン後の人生で最高の音楽を作っていながら、彼はほとんど隠遁者のようになってしまった」
「私としては、シルヴィアンが歌を書いたときどこに暮らしていたか、結婚していたかどうか、どのレコード会社に所属していたか、
どんな精神的・哲学的思想が彼の作品にみなぎっていたか……といったことが違いを生むと考えている」
「音楽が作られた状況を表わすのだ。作品を聞けば自ずとわかるはずだと言う人もいるかもしれないし、実際そうなのではあるが、
新しい次元を開いてくれるささやかな状況説明は、まったくの別物なのだ」
(本書、序文より)


目次

PART 1:ふさわしい語彙を求めて
今やひとりぼっちの僕/より良い世界が目の前に/広がる可能性/過ぎ去りし日々/ふたたび戦いに敗れ

PART 2:救済への道
波に足を取られて/愛の家へと/歓喜に倒れ込んで/恩寵は僕の知人/弾丸は放たれた

PART 3:灰色の空
真実の始まり/ネクタイを直せ/世界がすべて/仕返ししてやったんだ/時代の終わりの歌/影たちは息を潜め/さすらいに飽きて/あたりに家はない

 バンクシーの作品を見ていると、グラフィティ・アートというのは、何を書くか、ではなく、どこに書くか、がアイディアの9割なんだなとよくよくわかる。ロンドンのテイトやNYのメトロポリタンなどの美術館、ディズニーランドや動物園、パレスチナの分離壁から観光名所まで。アイロニックで、しばしば反芸術的なほど思い切った叙情的、感傷的でわかりやすい物語を臆面もなく盛り込むバンクシーの作品は、それが描かれ、置かれる場所によって即座に無敵の攻撃力を備えてしまう。

 2013年10月に選ばれた「場所」はニューヨーク・シティ。毎日、市内のどこかに作品を展示するという告知に、ファンやマスコミは大騒ぎ──この映画の主役はこの展示そのものだ。文化的なアートの街は、再開発で金持ちしか暮らせなくなっている。猥雑と多様性と変化と寛容の空間だった「都市」は、広告が貼りめぐらされ監視カメラに見守られる、清潔で安全で流動性のない不寛容な空間に成り果てている(これは世界中ほとんど同じことだ)。

 そもそもグラフィティ・アートは存在を許されていないものだった。生まれた瞬間から消される運命にあって、多くの敵に囲まれている。その運命に逆らって束の間の表現として現れては消える花火みたいなもので、いいとか悪いというものではなく、都市とはそういうものだった。ところがバンクシーのグラフィティ「作品」は行政の特別扱いで保存され観光名所になったり、あるいは壁ごと売買されたりする。他のグラフィティ同様いつ消されるかわからない非合法な存在ながら、オークションで高値をつけて流通もするという矛盾がまた別の敵視を呼んだりもする。「都市や屋外や公共の場所こそ、アートが存在するべき場所なんだ。アートは市民とともにあるべきだ」と言うバンクシーがこの作品で描いたのは、1970年代くらいまで「都市」と呼ばれていたあの空間そのものだ。いや、違う。資本主義の商品でしかなくなり、消滅しかかっている都市の(懐かしい)空気をも相対化して、21世紀の新たな都市空間を作り出している。“展示”をお祭りのように楽しもうとする市民やファン、どこかに金儲けのチャンスがないかとうかがう画商や“庶民”たち、“落書き”を一刻も早く消そうとする者や保存しようとする者も、アンチ・バンクシーの手で重ね書きされた作品の“修復”をする者もいる。汚れていく壁、正体不明、群がる群衆──それぞれがそれぞれのやり方でこの予測できない事件を体験し、楽しもうとする。狂奔するメディア、さらに思いがけない裏をかくバンクシー。
 “展示”によって現れるすべての現象が、いまではすっかり鳴りを潜めている「都市的なもの」を活性化する。この映画もまたそのひとつだ。2013年10月にニューヨークで起きたことを追いかけるこの映画は、バンクシーの展示へのリアクションへのリアクションでもある。

 すべては、追いきれないほどのスピードで疾走する。案の定であり予想外であり、既知であり未知であるそれらエピソードのひとつひとつが追いきれないほどの意味と無意味のシャワーになって頭の中を揺さぶる。どんなメディアも、どんな野次馬も、どんな反骨のグラフィティ作家も、あるいはどんな資本主義的野心すら、バンクシー独特の手法と行動力が凌駕する。再開発ラッシュで更地だらけになってきた東京の、オリンピック後の生き方にまで想像が伸びてゆくだろう、きっと。

Leftfield Groove 2 - ele-king

 ダンス・ミュージックで使われるレフトフィールドという言葉はとてもざっくりとしている。ハウス、テクノ、ヒップホップ、ドラム&ベース、ダブステップなど、何か特定のジャンルを指しているわけではないけれど、そのいずれにもレフトフィールドと呼べる領域は存在していて、レコード店でのポップなどにこの言葉が添えられる作品には、おしなべて共通した雰囲気が漂っている。
それを「自由で実験的」と言ってしまえばそれまでだが、最も重要なのは作品のどこかにダンスフロアとの接点が必ず残されている点だ。なぜなら「レフト」が存在するためには「センター」という前提が必要で、ダンス・ミュージックの「センター」に位置するダンスフロアという起点があるからこそ、レフトフィールドとしての意義が明確になるからだ。
 起点から遠く離れるほど異質になっていくが、それでもやはりフロアで機能し得るこの手のトラックはDJにとって非常にプレイのしがいがあるもので、上手くセットに組み込めば驚くほど新鮮で不思議な体験をもたらしてくれる。踊る側にとってもドラミングにおけるシンコペーションのように、そこにはズレによる心地よさがある。今回ここに選んだのは、前回とは違うかたちで素敵なレフトフィールドぶりを響かせている5作品だ。


Dynamo Dreesen, SVN & A Made Up Sound - Untitled - SUED

 ダブステップ・シーンから火が点いた2562ことア・メイド・アップ・サウンドは近年、そのイメージから離れていくように、尖った実験性を持ってダンスフロアに面白い提案を投げかけている。レフトフィールド・サウンド筆頭レーベル〈スード〉から発表したこのコラボレーションもそのひとつ。

Don't DJ - Gammellan - Berceuse Heroique

 ドント・ディージェイという名前からもレフトフィールドぶりが伝わって来る彼は、デビューから一貫してポリリズムによるミニマルな陶酔性を探求している。中でも特にこの”ガムラン”は出色の仕上がり。

PST & SVN - Recordings 1 - 4 - Recording

 何度も制作を共にしているポーン・ソード・タバコ(PST)とSVNのふたり。簡素な4つ打ちリズムの中に潜むロウなテクスチャーとじんわりと滲み出てくるトロピカルなムードによる反復の快楽がたまらない。

Frank Wiedemann - Moorthon EP - Innervisions

 00年代を代表するアンセム“レイ”を生んだアムの一員、フランク・ヴィーデマンの初ソロ作品に収録されているトラック。電子音による特異なセッション空間とグルーヴを実現している。

The Durian Brothers / Harmonious Thelonious / Don't DJ - Diskanted - Emotional Response

 ドント・ディージェイ、そして彼が参加するプロジェクトであるザ・ドリアン・ブラザーズ、ひび割れたトロピカルサウンドが特徴的なハーモニウス・セロニウスの楽曲をコンパイル。その共通項にあるのはやはりポリリズム。

Babyfather - ele-king

 ヒップホップの歴史を紐解けば、ハイプ・ウィリアムスという名前に出会う。ハイプは、ミュージック・ヴィデオにおいてラッパーをローアングルで撮った映像作家で、つまり、ラッパーを必要以上にでっかく見せた作家だ。USヒップホップ史には「ハイプ以前/ハイプ以降」という言葉さえある。UKのディーン・ブラントと名乗る男性とインガ・コープランドと名乗る女性が自分たちのプロジェクト名になぜ彼の名前を選んだのかは、いまところ秘密のままである。名前を盗用するにしても、なぜそれが「ハイプ・ウィリアムス」だったのか……、真っ当に想像していけば、ヒップホップ的映像の型=クリシェを作ったことへのおちょくり、パロディ、たんなるジョーク、シニカルなユーモアだったとなる。クリシェを弄ぶこと、おちょくることは、ディーンとインガのハイプ・ウィリアムスの作品に共通した態度だった。だが、そこにはリスペクトもあるように感じさせてしまうところが、彼らのややこしさでもある。
 それはドープでサグなイメージをバラ撒きながら、じつは頭で聴く音楽ということだ。他界した天才フットボーラー/戦術家のヨハン・クライフは、サッカーを足ではなく頭でやった人だった。ハイプ・ウィリアムスにとっての音楽も頭で作るものだった。彼らの音楽は基本インストだが言葉は欠かせないし、言葉は両義的に思えた。そもそも彼らは自身の名前からバイオからすべてをでっち上げて登場したのだから。

 ハイプ・ウィリアムス解散(?)後、しばらくディーン・ブラントなる名義で活動を続けていた彼だが、昨年からベイビーファーザー名義を使いはじめている。ほかにも@jesuschrist3000ADHD名義とか……ややこしい。覚えられたくない、というわけではない、覚えられたいけれど通常の覚え方では覚えられたくないということなのだろう。
 で、baby fatherとは未婚の父を意味する言葉で、スコットランドのヤング・ファーザーズを意識してなのか、あるいは本当に彼が未婚の父なのかはわからない。とにかく彼は2015年にディーン・ブラント名義で『Babyfather』なるアルバムを〈ハイパーダブ〉から配信のみでリリースすると、配信のみでベイビーファーザー名義の『UK2UK』、2016年の1月にはARCAが参加した曲「Meditation」を〈ハイパーダブ〉からフィジカル・リリース、さらに『Platinum Tears』を無料DLでリリースしている。そしてここに〈ハイパーダブ〉からフィジカル・リリースのアルバムのお出ましである。

 「これが私に英国人であることの誇りを与えます(this makes me proud to be British)」という言葉からはじまり、言葉はアルバムのなかで何回も繰り返される。移民の子として生まれ、クラブで働き、苦労しながら俳優になったイドリス・エルバの言葉で、彼にとって(そしてディーン・ブラントにとっても)〝英国人としての誇り〟〝英国人としてのアイデンティティ〟を覚えるのはクラブ・カルチャーであり、音楽というわけだ。ディーン・ブラントにしては、まっすぐなメッセージである。

 実際、新作の『BBF』は途中なんどか引き裂かれながらもUKブラック・ダンス・ミュージックのタフさにおいて楽観的な結末へと展開する。ディーン・ブラント名義の、2012年の〈ヒップス・イン・タンクス〉からの作品2014年の〈ラフ・トレード〉からの作品では、バラードを歌ったり、フォークをやったり、ゲンズブールをへろへろにしたような歌を歌ったりと、わけのわからない方向に走った彼だが、『BBF』の特徴は、彼が明らかにクラブ・カルチャーに寄っていることだ。
 ヒップホップ・ビート、レゲエのダンスホール、ブレイクビート、グライム、ゲットー・ミュージック……いかにもUKらしい、初期マッシヴ・アタックのような、UKの雑食的クラブ・カルチャーから聴こえる多彩なビートの数々、そしてベースとメランコリーがある。Micachuが歌う曲は、マッシヴ・アタックにトレーシー・ソーンが参加した“プロテクション”を彷彿させなくもない。ARCAが参加した“Meditation”もリズムはダブ/レゲエだ。ジャマイカ色はところどころに出ていて、アルバムで躍動するリズムからは、移民が作ったUKのストリート・ミュージックへのシンパシーを感じる。アートワークで描かれている、再開発されたロンドンの嫌みったらしいほど高級で美しい光景に消されているロンドンを描いているのだろう。

 日本でOPNがこれだけ評価されて、(まあ、OPNにクラブというコンセプトはないので比べるのも間違っているのだけれど、同じ時期に注目されたエレクトロニック・ミュージックとして、しかも欧米ではOPNと同じように高評価だというのに)なぜ日本ではハイプ・ウィリアムスが……ディーン・ブラントが……という思いがぼくにはずっとある。あまりにもUK的な捻くれ方が日本では受けない原因なのだろうか。ライヴにおけるストロボもボディーソニックな音響も、頭を使わせる仕掛けも、ぼくに言わせればハイプ・ウィリアムスのほうが上だった
 まあ、取材を受けるわけではないし、過去の数少ない取材でも嘘ばかりだったし、ディーン・ブラントはわかりづらいアーティストのひとりではあるが、この新作は思いのほかダイレクトに響く。何かの間違いで怪しげなラジオ局の電波をキャッチしてしまった、しかもそのラジオ番組では現代の、最高にハイブリッドなUKダンス・ミュージックがかかっていたと、そんな感じのアルバムで、英国人でなくても楽しめる。ひとりでも多くの人に聴いて欲しい。

interview with Hocori - ele-king


Hocori - Duet
Conbini

J-PopSynth PopHouse

Tower

 Hocoriのふたりの話には、「(笑)」が多い。
かたや聞き手への気づかいや持ち前のエンターテインメント精神から。かたや謙虚さや韜晦、自分たちへの客観的な視線から。心地よく笑いが差し挟まれ、空気がほぐされていく。とても自然で落ち着いた間合い。Hocoriの音楽の魅力もちょうどそんなふうだ。

 現在の音楽にかつてほどのカルチャー的な求心力はないかもしれないが、それでもポップ・ミュージックにはまだまだ役割がある。10代のめちゃくちゃさや20代の機動力ではなく、少し引いたような落ち着きの中に、苦みもけだるさも熱もとけているHocoriのダンス・ナンバーは、イヤホンの中でふと筆者を我に返らせ、ときおり忘れがたいフレーズをあたまの中に繰り返しては帰路の足取りを軽くしてくれる。ちょうどいい音で、ちょうどいい距離感で、少し深めに間合いに入ってくる。それは年齢が近いせいもあるかもしれない。本で読むものとも映像として入ってくるものともちがうやりかたで、日常の中にとけこみながら、その風景を少し揺すぶって弾ませてくれる。彼らの息づかいを通して、いま生きている場所へのシンパシーの回路が開いていく。

 桃野はモノブライト、関根はgolf、それぞれ別にバンドの活動があり、彼らはそれらと並行して、つくりたいときにつくり、やりたいことだけをやり、出せそうになったら盤を出すというこの「ホコリ」を積み上げている。そうした緩やかなスタンスに、彼らの音の気持ちよさと鋭さのヒントがあるだろう。ガツガツいくだけが能ではなく、ただ続けるだけが吉でもない。このたびリリースされた5曲入りEP『Duet』を題材に、彼らのありかたについて訊ねてみよう。

■Hocori / ホコリ
ロック・バンドMONOBRIGHTのフロントマン桃野陽介と、エレクトロ・ポップ・バンドgolf、映像グループSLEEPERS FILMにて活動する関根卓史による音楽デュオ。2014年に結成され、2015年7月、ファースト・ミニ・アルバム『Hocori』を発表。アパレル・ブランド〈ユキヒーロープロレス〉とのコラボ盤『Tag』などにつづき、2016年3月、モデルの田中シェンを迎えた企画盤『Duet』をリリースした。

以前お話をうかがってから、少し時間が経ちましたね。Hocori自体はとてもマイペースにご活動されているユニットだと思うんですけれども、この間、おふたりはそれぞれどんなことをされていたんですか? 桃野さんはバンド(モノブライト)のほうが動き出したりしましたよね。

桃野陽介(以下桃野):そうですね。バンドのほうの曲をつくったり、レコーディングのタイミングも近かったので、Hocoriと並行してかなり引きこもり気味に集中していました。引きこもるのは珍しいんですけどね。でも、ライヴもなかったですし。

ああ、年内はなかったですもんね。

桃野:ただ、今回は関根さんがトラックをまるまるやっているので、僕はメロディとか詞だけというか──バンドではけっこう頭を使ってデモをつくっていたけど、こっちのほう(Hocori)では関根さんのトラックに感じたものを乗せていく、というやり方になりましたね。

関根卓史(以下関根):より合作っぽくなっているかもしれないですね。『Hocori』は半分くらい桃野くんのデモから起こした曲があったけど、今回は一からつくっていったんですよ。僕から投げて桃野くんから返してもらう……そういう曲しかないんで。

それは大きくちがいますね。今回の盤を考える上で根本的なことかなと思います。関根さんはSLEEPERS FILMのほうでお仕事として映像をつくったりという時間が長かったんですか?

関根:そうですね。あとはミックスとか、そういう仕事もわりとやっていました。自分のgolfのほうの音源も作っていましたが……、ついに出せなかったですね(笑)。

桃野:ついに(笑)。

ははは。きっと、このHocoriっていうプロジェクトは、その意味ではやりやすいんでしょうね。リラックスしてつくれるというか。

関根:停滞しないっていうか。いい感じに責任が分担されるので(笑)、重くないんですよ。

桃野:そう、重くない。

関根:すごくいいですね、それが。健全って感じ。

あはは。縛られずに、やりたいことだけやれると。

関根:そうですね、やったことのないことをやれたりとか。かなり貴重なことだと思います。

そうやって自分たちのペースを保てるのは、このユニットの肝かもしれないですね。ほんとに、のびのびつくられている感じがします。

今回はもうちょっと「聴かせたくて」つくった感じがあるかなと思います。目の前にいるひとたちに。(関根卓史)

さて、リリースなどを読むかぎりだと、今回の作品はかなりはっきりコンセプトが掲げられていますね。「聴いて見てオシャレになれる新しい1枚の続編」。

桃野:ははは。

とすれば、この一枚の中におふたりの「オシャレ」の観念とか基準が反映されているというふうに読めますが、どうですか? 

桃野:まずは、好きなことをやってますよね。それから、デュエットということを意識しているので、コラボレーションの要素は強いです。あと、以前は曲をつくってから──つまり盤を出してからライヴをやるという順番でしたけど、今回はライヴをすることで「こんな曲も欲しいな」という必要が生まれてきたことも大きいかもしれません。僕だけで歌ってるのもなあ……って。いっしょに歌おうよというノリが出てきましたね。

ライヴのプロセスは今作にとって大きい、と。

関根:それは大きいですね。むしろ、その雰囲気がいちばん先にあるかもしれません。

なるほど、そう言われてみれば『Hocori』はもっとベッドルーム感が強かったかもしれないですね。

関根:そう、それに比べれば、今回はもうちょっと「聴かせたくて」つくった感じがあるかなと思います。目の前にいるひとたちに。

前に向ける感じ、一歩出る感じはよくわかります。まず関根さんにおうかがいしたいんですが、今回も総じてファンキーなシンセ・ポップで、そのあたりは前作の延長上にあるものかと思います。一方で、たとえば音色的にトレンドとして意識したものなんかはありますか?

関根:ああ……トレンドとはけっこう無縁かもしれないです。でも僕の中のトレンドはあって、今回はLinn Drumの音をたくさん使いたかったのと、707(Roland TR-707)っていうリズムマシンも使いたかった。あとはエレキ・ギターを使いたかったですね。

ねえ! そこは印象深かったですよ。1曲目もそうですけど、その次とかも(“Game ft.田中シェン”)。

関根:そうそう、ロングトーンのエレキ・ギターが使いたかったんですよ。そういうふうに、やりたいもののキーワードはあって。自分でちょうどブギーっぽいものとかシンセ・ファンクとかをよく聴いていたので、その影響もあるかもしれないですね。あとは前回いただいたハウスの本(『HOUSE definitive 1974 - 2014』)をずっと読んでましたよ(笑)。

おおー、ありがとうございます。ブギーはやっぱり、ここしばらくは流れが来てたみたいですけどね。その意味では、トレンドは意識せずとも、時代とちゃんとリンクしている部分はあるんじゃないですか。

関根:ああ、自然とそういうところはあるのかもしれないですね。……そうできているのかわからないなあと思いながらつくっていたんですが。

でも、“Free Fall”はファッション・ブランド〈ユキヒーロープロレス〉さんのショーケースで使われるということですよね。それは流行とか世間とも無関係でいられない部分というか。この曲は、ショーケースのお話ありきでつくられた曲ですか?

“Free Fall”

関根:発端としてはそうですね。むしろ曲のイメージとかは向こうからいただきました。ミュージシャンの方ではないので、具体的にこうつくってほしいというような要望があったわけではなくて、印象だけですけども。「バーンといく!」みたいな。

桃野:感覚的なものを伝えてくださったわけです(笑)。

ははは。でもファッション・ショー的な場所でかかるわけですよね。ランウェイで鳴るっていうようなことを意識しました?

関根:プロレスとかだとオープニングが重要じゃないですか。入口の曲というか。それに相当するものをつくってほしいということだったので、僕らなりに考えまして。……本当にこれで合っているのかというのはわからないですが。

桃野:そもそも〈ユキヒーロープロレス〉の手嶋(幸弘)さんというひとが、ファッションの方ではあるんですが、プロレスとか特撮とか、ヒーロー的要素を取り込んでいらっしゃるんですよ。だから曲のイメージなんかも「闘いの前の男の気持ちを……」みたいにおっしゃって。でも、「闘いの前」といっても……僕は闘ったことがないというか、闘わずに生きてきたわけでして。

関根:30数年間ね(笑)。

あはは! 深夜の愛を歌ったりされているわけですからね。

桃野:そう。でもとにかく熱いものをお持ちの方なんですよね。レスラーのパッションがあるというか。だからファッションと僕らが交わるといっても、このかたがすでに変化球といいますか。ファッション業界において。

ああ、王道ではないと。

桃野:そう、言っていることもそうだと思うんですよね。僕は前の作品のときから、Hocoriでは夜の歌を歌いたいと思っていたところがあるので、その気持ちとうまく合わせられるようなものにしたいなと──言葉はプロレスっぽいものを意識しながらも、夜の男女の雰囲気やメッセージになっていればいいかなって考えていました。

なるほど。歌詞の冒頭のカウントダウンみたいな部分(「3.2.1 Are you ready?」)も、闘いの幕開けを告げるようなイメージだったり?

桃野:そうですね。格闘的な言葉を散りばめてやりたいなというところですよね。

関根:盛り上がっていく雰囲気を解釈するとこうなったという。

「そうでもないひと」代表として、こんなに楽しいことができるよというものを示せたらいいのかなと思います。何か……ポジティヴなものを。(桃野陽介)

なるほど。では「前に行く」雰囲気が感じられるのは、曲そのもののコンセプトでもあるわけですね。……しかし闘ってこなかったひとが考える闘いの曲というのはおもしろいです。

桃野:普通の家庭でしたしね。パンクの人でもないし……。

関根:怒ってない。

桃野:そう、怒れてない。だけど、どっちかというと僕のほうが怒っていると思います、関根さんと比較したら(笑)。

ははは。怒りが根本にある音楽もありますけれども、おふたりのモチヴェーションからは遠そうですね。

桃野:それに、何かに秀でる人生を歩んできたわけでもないので。「そうでもないひと」代表として、こんなに楽しいことができるよというものを示せたらいいのかなと思います。何か……ポジティヴなものを。

怒りを楽しいものに読み替えるというか。その感じはよくわかります。

桃野:いままでより明るい要素を考えようという気持ちは、わりとはっきりあったと思います。

関根:そうだね、すぐマイナーになっちゃうので。

たしかに(笑)。

関根:僕の中では勝手にハードロックっていうのもありました。すごく浅いハードロックだけど。

ギューンっていうのはね、ほんと今回チャーム・ポイントっていうか。すごくいいですよね。関根さんのすごく巧妙な……老獪といってもいいようなプロダクションづくりによって、なんともオシャレに仕上げられていると思います。

関根:ヤなかんじのギターをね……入れてるんですよ(笑)。

だからすごく楽しくつくられていつつ、攻めた曲にもなっていると思うんですが、一方では「お仕事」の作品でもあったわけじゃないですか。

関根:題材をもらってつくったという意味では、まあ、そうではありますね。

そういうのは、Hocoriとしては初めてになりますか?

関根:そうですね。

それは、クリエイティヴの上ではなにか作用があったと思います?

桃野:僕は、何かテーマをいただいてつくるというのが好きなので。マイペースにつくっているのとはちがう刺激があった気がしますね。「ない発想」をいただく、というか。

関根:僕らのプロジェクト自体がそういう発想の下に成り立っているから──

桃野:外部からの刺激でつくる、みたいなね。

関根:そう、もともとこのふたりの間での成り立ち方でもあるから、けっこう自然に受け入れられましたね。何の違和感もなく、Hocoriっぽい音楽として消化できているかなと思います。

ええ、ええ。お仕事というと「割り切る」ものというイメージがありますけど、ぜんぜんそんなふうな感じがないですね。

関根:むしろ楽しんでいるという感じですかね。とくに今回はそういうひととお仕事できている。あくまで僕らのスタンスを理解してくれた上でいっしょにやろうよと言ってくれているので。だから、「仕事」であるために何かができなかったというようなことはないですね。

桃野:そうですね。「男」とか「闘い」とかも、べつに押しつけられるわけではなかったですから。「Hocoriの中のそれをお願いします」というような。

絵を描いていたりとか、発想を楽しむひとなんだなあと思うところがあって、ものづくりを楽しむひとなのかなあと。(桃野)

なるほど。2曲目の“Game ft. 田中シェン”ですけれども。ピアノからはじまって、ファンキーなベースが入ってきて、シンセやらギターやらが入って……って音数が増えていきつつもミニマルな感じが崩れないですよね。抜き差しが絶妙です。これは田中シェンさんが入るということで、詞とかに影響はありました?

“Game ft.田中シェン”

桃野:もともとデュエットというか、コラボ的なものをやりたい気持ちはあって。それは最初のミニ・アルバムの頃からアイディアとしてはありましたね。田中シェンちゃんは、“Lonely Hearts Club”のMVに出てもらっていたので、そこからのきっかけです。インスタグラムとかを見ていても、絵を描いていたりとか、発想を楽しむひとなんだなあと思うところがあって、ものづくりを楽しむひとなのかなあと。歌は聴いたことがなかったんですけど……というか一回も歌ってないかもしれないですけど、そういう心意気のひとはいい声だろうと予想して。きっとお願いしても大丈夫だろう、なんとかなるだろうと思ってお願いしたら、「やってみたいです」ということになりました。

そうなんですね。お願いする前から曲はできていたんですか?

桃野:デモみたいのはありましたよね?

関根:そうですね、でも同時進行だったかな。「これを歌ってください」という感じではなかった(笑)。ちゃんと用意ができている段階ではないのに「やってくれよ」と言っている感じで、ちょっと無茶なお願いだったかもしれません。

でも、まさにそれこそインディ的なつながりというか。準備できたものの上に座ってもらうっていうのじゃなくて、ある意味理想的ですね。

関根:そうですね。いつになったらその曲が出てくるのかなって思われていたとは思いますが。やるって言ったけど、何をやるのかなーって(笑)。

桃野:何かやりたいなあというくらいでずーっと止まっていたので(笑)。

じゃ、田中さんがどんな声だったりヴォーカリゼーションだったりっていうことは何も知らずに進めていった?

桃野:まるで知らなかったですよね?

関根:そんなことありえるのかという。ほぼぶっつけ本番なかたちでしたね。

すごい(笑)。でも結果とてもハマりましたね。

関根:めちゃくちゃよかったですね。

桃野:やっぱりよかったじゃん! と。「ジャケ買い」に近いものがありましたけどね(笑)。やっぱいいジャケっていいアルバムなんだなという喜びに近いものが。

ははは。でも、それを曲でもって実証したわけですから、結果オーライというか。もともと歌い上げるようにはつくられていませんしね。どちらかというとコーラスっぽい感じで。

関根:そこはそうかもしれませんね。

では、彼女が歌ってくれるものとしてではなくて、いちおうご自身の曲のような感じで言葉をつくられているわけですね。

桃野:そうですね……二人称的なものを出した歌をHocoriでやりたいなと思っていたので、どっちみちハマるような気はしてましたかね。さすがに別のひとでもいいとは言いませんけれども、歌として「二人の関係」を歌うものであれば大丈夫かなあと。

二人称的というのは、二人の関係性に焦点があたるものっていう意味ですかね。なるほど。

桃野:そうなればいいなあと。“God Vibration”もそういう曲のつもりなんです。でも今回はとくに夜の営みっぽい曲なので……それはできたらかわいいひとがいいなあと。

ははは!

桃野:欲望が注ぎ込まれていますね(笑)。

かつけばけばしくないというか、少し中性的な雰囲気もあって、素敵な方ですよね。サウンドの点ではどうですか。とくにそういうことには左右されることなく?

関根:そうですね、これ自体はかなりミニマルにつくったもので……ベースラインだけで曲の展開を構成していく感じなので、どう料理してもいいトラックだなあと自分では思っていて。そこに桃野くんがおもしろいリリックとメロディを持ってきてくれたので、奇妙な感じで。これは成功だなあと感じました。

どんどん空気が入れ替わってもいいと思っているし、濃くなってもいいと思ってるし。さらに違和感を乗せられるひとをくっつけられれば楽しい、みたいな。(関根)

桃野さんも本当に桃野節というか、独特のフロウをお持ちですからね。ああ、これこれ、きたぁ! っていう。はっきり記名性を持った歌唱ですよね。しかも関根さんのトラックに対してこってりめというか……

関根:そうですね(笑)。こってりしたものが乗ってくるのが本当に楽しくて。

桃野:Hocoriはそれが売りですね(笑)。どんなに濃くしてもけっこうちゃんとマイルドに混ざるという。僕はけっこう安易なので、この曲なんかはトラックをもらったときに「ピアノではじまる曲かあ」と、すぐにホール&オーツを思い浮かべたので、じゃそういう感じにしようと思いまして。

関根:PVが送られてきましたね。“プライヴェート・アイズ”のPVが。

ははは!

関根:ぜんぜん思っているものがちがったんですけど、やっぱいいなと思いましたね。おもしろいです。

Hocoriはマインドもインディだし、音楽もわざわざポピュラリティにおもねるようなものじゃないのに、プロダクションが本当に整ってるんですよね。そこはあんまりインディ感がないというか。目立たないけどキメが細かい。今回は他のゲスト迎えられて、きっと手ごたえがおありだと思います。

関根:二人とも閉じたものにする気はなくて、どんどん空気が入れ替わってもいいと思っているし、濃くなってもいいと思ってるし。さらに違和感を乗せられるひとをくっつけられれば楽しい、みたいな。

この曲は現段階での、そのひとつの極点かもしれないですね。

関根:ああ、そうかもしれないですね。僕ら的にも。いちばんわからなかったかもしれない。最後まで。いったいどうなるのかが(笑)。

桃野:(田中シェンさんの)歌知らないでやってますからね。

関根:きっと良いに違いないということだけで、全員をつれていった。

ちゃんと駅に着きましたね。

関根:ほっとしたって感じです。

前回のインタヴューでも言っておられたとおり、桃野さんの独特の韻律と語呂合わせというか、意味はわからないんだけどこれでしかない、なぜかストンとはまる、というものがあるじゃないですか。フレージングふくめ。

桃野:ははは。いや、その、この曲の詞の場合は、行為をどう音楽的に伝えるかという問題もあったので……。

結果バンド名でそれをほのめかすという(笑)。
※(「a-ha ABBA リフレインしてAH-BA」“Game”歌詞より)

桃野:ABBAとかa-haという形で(笑)。

こういう奇蹟みたいなものがあるわけですよね、関根さん。

関根:これが来るとほんとに僕は楽しくて。なんだよこれ、と思って(笑)。

桃野:意味はないわけですから、「a-ha」とか言ってても。

あー、すごいエイティーズとか好きなんだなー、くらいにも聴こえますしね。

男二人組っていうと、どうしてもエレキ・ギターとヴォーカルみたいなスタンスですもんね。エイティーズって。(桃野)

“狂熱の二人”なんですけども。これはもう、最強感がやばいです。無敵感というか。男声コーラス最強ですね。

桃野:これはライヴで先にやってたんですよ。

関根:それがすごくよくって。ウケもよかったし、僕らも楽しいから。……僕と桃野くんの声って、ぜんぜん合わないんですよね。合わないというか、ちがうというか。だから録るとすごくおもしろいんですよ。

ヴォーカルの比重がわりと半々ですよね。

関根:曲名で「二人」って言ってるだけあって、かなり「デュエット」な曲になりましたね。

桃野:ライヴでよかったっていうこともありますけど、盛り上がるというか、明るいのもひとつやっとこうか、ということで。

関根:明るくなってるかは謎だけど(笑)。まあ、二人で歌えるいい感じのが欲しいということになって。

Hocoriでこんなにがっつり関根さんが歌われるのは──

関根:初めてですね。Cメロ歌っちゃってますよ。

ははは。私はこの曲がいちばん好きなんですよ。男性が二人で暑苦しく歌うっていうのがいいですよね。

関根:最近あんまりないですよね。そこは思いましたね。

ホール&オーツはちがうとはいえ、少しそういう気分もあったんですかね。

桃野:男二人組っていうと、どうしてもエレキ・ギターとヴォーカルみたいなスタンスですもんね。エイティーズって。

関根:(ギターに対して)オマエ、出てきちゃったな、みたいなパターンすごくあるもんね。ずっと後ろにいたのに(笑)。でもまあ、僕はどうせ出るならがっつり出ようと思って。そこはすごく意識しましたね。
 でも、僕と桃野くんの声が混ざると、びっくりするくらい僕の声が前に来ないんですよね。自分のをめちゃくちゃ前にしないとそろわない。ほんと、恐ろしいくらい出てこないんですよ。

いや、恐ろしい声をしていらっしゃいますから。それは単に声量の問題とかではなくて?

関根:たぶん占めてる音域が全然別だと思うんですよ。

桃野:僕は中域をずーん! とひた走るような声なので。

関根:僕のほうはもうちょっと上と、下に滲んでいるので……いくらやっても絡まないんですよ。

桃野:ドンシャリが(笑)。たぶんいちばん耳にくる中域を僕ががっつり占めちゃっているから。

関根:でも逆に言えば、うまくヴォーカルを配置できるんですよ。なので、音像としては一体になっていると思います。ミックスのイメージとしては真ん中が桃野くんで、まわりが全部僕、というような。そこはおもしろかったですね。

桃野:サビとかすっごい混ざりましたよね。

だからといって、強い個がひとつあって、それをもうひとつが包んでいるというよりは、ちゃんと競合しているというか。「狂熱の二人」っていう感じがしますよ。ということは、歌詞とかは自分の部分だけ分担して?

関根:そうですね、いちおう考えて。

桃野:でも掛け合いをしようというときは、関根さんが「こんなメロどう?」って投げてくれたものに歌詞をつけたりはしました。

音なりメロディなりを優先してつくられているということですよね。ものすごく複雑な詞というわけじゃないですから、もともとそこまで作りこむということはないのかなとは思いますが。

関根:そうですね。

それこそクラシックなヒップホップみたいな、みんなでワイワイやってる感じ、それでコーラスまでやっちゃうようなイメージをなるべく持てればいいなって。(関根)

この曲は本当に好きなんですよ。つくる上で、仮想のライヴァルというか、これに対抗しようというようなものがあったりしました?

関根:それは、まったくないんですよ。すごくオリジナルなものだと思います、その意味では(笑)。なにか、「できちゃった」という感覚がありますね。

桃野:『狂熱のライヴ』って意味ではレッド・ツェッペリンですが(笑)。

関根:名前だけね! 

桃野:あの雰囲気はすごくイメージしたんですけどね。「ギターがこっちは歪んできたぞ、どれどれこっちも……」みたいな。

関根:まあ、ノリはね(笑)。

ははは!

桃野:そう、ノリは(笑)。でも、いびつさ、ということだと、レッド・ツェッペリンはすごくいびつですよね。

関根:うまいのかうまくないのかよくわからない。

桃野:たぶん、どっちかの比較で言えばうまくないのかもしれない。でも、4人混ざったときのノリみたいなものがかっこいい。その意味ではこの曲もそういう揺れがあるような気がします。

関根:僕はHocori全般について、ポップス──も、そうなんですけど、わりとヒップホップに近いイメージを持ってつくっているところがあるんですよね。たとえば“狂熱の二人”とかも、それこそクラシックなヒップホップみたいな、みんなでワイワイやってる感じ、それでコーラスまでやっちゃうようなイメージをなるべく持てればいいなって。この曲もほとんどワン・ループでつくっているんですけど、それこそアフリカ・バンバータだったりとか、みんなでガヤガヤとやってるノリが出てたらいいなって思います。まあ、比較になっているかどうかはわからないですけど(笑)。

トラック自体が、そういう空気なりノリなりを乗せるための枠というか乗り物になっているというか。それはたしかに感じられますよ。

関根:そうですね、そういうものがあるようになればいいなというふうには思っています。気持ちとしてはカニエ・ウェストに近いというか(笑)。

ええ、ええ。曲がとても開かれたものだっていうのはわかります。趣味性はあるけどけっして閉塞しないし。

関根:やりたいことやりつつ、みんなと混ざって、それで新しいものにしようと考えているというか。ヒップホップのひとたちのそういうマインドが好きなんです。「いいよね」とか言いながら、ほんとにいいかどうかわからないものをみんなでつくっていっちゃう、みたいな。すごくシンプルなことをやっているんだけど楽しい、という感じ。

「作曲」ではなくて、なにか空気を混ぜていくというような考え方ですかね。

関根:そうですね。だから枠組はシンプルなほうがいいし、それでいて特徴がちゃんと出たほうがいいし、きれいにまとまらないほうがいいし。

でもほんとに、そのシンプルなベースラインがとても艶っぽかったり、とにかく洗練されているんですよね、関根さんのつくられる音っていうのは。しかし、いま「みんなと混ざる」っておっしゃいましたけど、実際は二人ですよね(笑)。二人だけど「みんな」って雰囲気は、言われればたしかに感じますね。

関根:二人だし、閉じた空間という気がするけど、でも何かいろんなものを巻き込んでつくっているイメージではあるというか。

桃野:想像はしていますね。いろんなひとを巻き込むような感覚は。しかし“狂熱の二人”っていう曲で、歌い出しが「狂熱の二人」っていうのは……

(一同笑)

桃野:もう、すごいベタな……。でもサビ始まりなんだ、みたいな(笑)。

関根:洒落たタイトルはなんだったんだ、って(笑)。

ツェッペリンを下敷きに感じさせつつ、でもすごいテンションのタイトルで素敵ですよ。普段使わない言葉じゃないですか。

関根:言い過ぎ感がありますよね。

そう、過剰さがいいですよね。邦題つけたひとはすごいと思うんですけど、「熱狂」はあっても狂熱ってふつう言いませんから。

桃野:マスタリングのとき、間違えられてましたからね、この曲。「熱狂の二人」になってました(笑)。普段使わない言葉だから、パッと見て「熱狂」ってインプットされちゃったんでしょうね。

その違和感は大事なものだと思いますよ。ほんとのところはどこから付いたタイトルなんですか?

桃野:先に詞ができていたんで……。でも、もともとは英語のタイトルで縛りをつけていたんですけど、1曲くらいは日本語もいいんじゃないかと。それに「狂熱の二人」でしかないという感じもあったので(笑)。ライヴでもずっと呼び名がない状態たったんですよ、この曲は。

あと、「の」の用法も特殊。『進撃の巨人』の「の」みたいな。どういう「の」なんだっていうところにもインパクトというか違和感があります。

桃野:それは、『狂熱のライヴ』だったので……。

いや、「ライヴ」ならわかるんですけど、「二人」っておかしなことになりませんか(笑)。そういう違和感が、詩ってものを生む。

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ちゃんと前に進んだ感じは僕らの中にもありました。まったく関係のない別のことをやったわけではなくて、前の作品を踏まえた上で、音楽的に前に進めたのかなと。(関根)

ではぜひ4曲目のお話も。これは「4曲目」というよりも“Intro”(『Hocori』収録)のリ・エディット的という……?

関根:そうですね。「リ・エディット」ということにしたんですけど、僕の〈Conbini〉ってレーベルにはもうひとり相方がいて、〈ENNDISC〉っていうレーベルをやってるひと(DEGUCHI YASUHIRO)なんですが、そのひとといっしょに前の作品の1曲をぐちゃぐちゃにして、再構築して。そしたらこうなったという感じです。

リ・エディットというかたちだからこそできたことかもしれないんですが、最初、わりと流行とは無縁のところでつくった盤だとおっしゃっていたじゃないですか。でも、この曲はある意味でいちばん流行を感じるというか。

関根:いまっぽい?

そうそう、いまっぽいと感じましたね。それこそオルタナR&Bみたいなものから〈PCミュージック〉みたいな音楽性までの間をとるような。

関根:たしかにそれは多少あるかもしれないですね。

それはやはり「リ・エディット」みたいなかたちだからこそできた実験、みたいなことでしょうか?

関根:そうですね、Hocoriらしさみたいなものを僕も出口さんもつかめているからこそ考えられることというか。もともと歌が入っていて、それもすごくよかったんですよ。もともとのアレンジに歌詞をつけていたものがあったんです。でもそのまま出してもおもしろくないということで、再構築しようと。それはわりと気軽な感じでやったんですけどね。

あ、気軽な感じで。唐突に終わる感じもありますね。やりかけ感というか。

関根:いい曲っぽいんだけど……みたいな(笑)。

そうそう、いい曲っぽいんだけどここまでなんだ? という感じ。5曲目を1曲としてカウントするかどうかはいったん措くとして(“Game”のインスト。コンセプチュアルな1曲と考えることもできる)、4、5曲というコンパクトなものなのに、けっこう多彩な音楽性が盛り込まれているんですよね。前作からは基本的な方向性は変わらないながらも、すごく異なった作品だと思います。

関根:そうですね。煮詰められた感じもしますしね。ちゃんと前に進んだ感じは僕らの中にもありました。まったく関係のない別のことをやったわけではなくて、前の作品を踏まえた上で、音楽的に前に進めたのかなと。

桃野:より混ざって、ちゃんと音をつくれる体制になったんじゃないかなという気がしますね。

世界中でいちばん僕が僕の声に飽きているんです! そこをどう楽しくやるか。(桃野)

関根さんに対して、前回から差別化してとくにやってほしかったこととかはありました?

桃野:一方的な要望はとくになかったですけど、いっしょに歌いたいというのはありましたよ。やっぱりgolfのフロントマンというのもあるし。Hocoriで関根さんの声を聴きたいなということは大きかったと思います。……僕の歌にいちばん飽きているのは僕なので。

関根:あはは!

桃野:たぶんそうなんですよ。世界中でいちばん僕が僕の声に飽きているんです! そこをどう楽しくやるか。音楽は自分が楽しい、大好きなものなんだけど、その音楽をやる上で自分の声をどう楽しむかという問題がありますからね。そのときに、コーラスだったりとか、ちがう声というものが僕にとってはすごく大事で。

声って、プロダクションというのとはまた別のレベルでも意味を持ちますもんね。

関根:そうですね、かなりのレベルで音楽の識別子になるというか。絶対的におもしろいものですし。絶対にそこがオリジナルになりますから。

桃野:最終的に、決定的にちがってくるものは声ですからね。

たしかにそうですね。ひとの声を聞くときは音楽的な耳で聞いてしまうものですか?

桃野:僕、けっこう誰の声か当てるの得意なんですよ。テレビっ子なんですけども。いつも当てっこしてるんです。「あ、いまの声は有村架純ちゃんだ」とか。……まあ、主にドラマです。

(一同笑)

桃野:CMの曲なんて、たまにわからないときは調べたりして。

テレビっ子のドラマ好きというのは以前もおっしゃっていましたけれど、言葉とか世界観にも影響ありますもんね(笑)。関根さんのことはヴォーカルとしてはどう見えます?

桃野:僕は好きですね。最初に聴いたイメージは、やっぱりバンド畑からすると、マシュー・スウィートの──

ああー! たしかに。

桃野:そう、ちょっとハスキーというか、なんというか。あの声の感じがあって、じつはギター・ポップとかはめっちゃハマるんだろうなとか思いながら聴いてはいて。……だからマシュー・スウィートだと思ってしゃべります。

ははは!

桃野:ははは! そういうイメージを、初めてしゃべったときにも持ちました。歌声のほうがいいですけども。

Hocoriのまわりには、どこかギター・ポップ的なものも感じられるかもしれないですね。直接的に参照する部分はないと思うんですけど、成分の中に含まれているというか。お二人ともそこは共通していますか?

桃野:もともとの立ち位置みたいなものにはあるかなと思います。

関根:僕自身はそんなに熱心に聴いていたわけではないんですけど、やっぱり言われることが多くて。

へえ。いまピンときました。

自分らからただ自然に流れ出しているものが、懐かしいものになっているというか……原体験が出てきているんでしょうね。(桃野)

桃野:僕はモノブライトとかで「いい曲」風にしたいなと思うときは、基本マシュー・スウィートの『ガール・フレンド』(1991年)を聴きますね。いい曲いっぱい入ってるんで。

ははは! でも、なるほどですね。「いい曲」の概念そのものになっていると(笑)。

桃野:あれはほんと、そうですよね。まずあのアルバムを聴いて、それで方向性を決めるんですよ。でも、そうやってつくっていくとだいたいコード感が近くなってしまって。

リアルタイム……じゃないですよね?

桃野:いや、僕その頃、小3ですもん。さすがにあんな毛皮のコートを羽織って「寒いね」みたいなことは……

(一同笑)

ちょっとませてますね。

桃野:まだしも『キミがスキ・ライフ』(2003年)とかなら、奈良美智さんのジャケットとか可愛いですけど。

それもまたちょっとませてるとは思いますが(笑)。でも流行云々は意識しないながらも、お二人ともちょっと古いものに気持ちが惹かれるんですかね。そういう、ある種「懐かしい」モードはこれからのHocoriにも基本的に引き継がれていくものです?

関根:どうなんだろう、わからないですね。たしかに言われてみればちょっと懐かしいものなんですけどね、全部。

桃野:自分らからただ自然に流れ出しているものが、懐かしいものになっているというか……原体験が出てきているんでしょうね。10代のときに刺激を受けたものが、リアルタイムではないにしろ、身体に染みついたものとして出てきている。

関根:でも、どうしたって懐かしくて哀しい感じになるんだよね、たぶん。

ああ、「どうしたって」そうなる。それはほんとにこのユニットの個性ですね。“God Vibration”のPVとか、あの駐車場のターンテーブルで外国人が踊っている感じ……あの切ない、夜が回って音楽が回ってっていう感じ。あそこには回るということが醸し出すノスタルジーみたいなものがありますよね。その上でHocoriの音楽はホログラムみたいに回るんですよ。

桃野:アナログ世代ではけっしてないんですけどね。でも、回るっていうのは何かあるかもしれないですね、音楽との間に共通するものが。

メリーゴーランドとか、懐かしいものは回る(笑)。

関根:繰り返す、とかね。それはあるかもしれないです。

どうしたって悲しくなるというのは、どうしたって懐かしくなるってことでもあるというか。

関根:意識しなくてもついて回るのかなあ。限りなく未来感を描いているつもりでも、僕らがやるとどこか懐かしくなってしまう。

桃野:未来っていうのはすでに懐かしいですよね。……これ、なんかカッコいい言葉じゃない?

ははは。でも、わかりますよ。『未来世紀ブラジル』とかっていうとほんとに懐かしくなってしまいますけども。

桃野:どのみち全部懐かしいものってことにもなっちゃうかもしれないですよ。自分たちが新しいものだと思ってつくっていても。ポストロックとかが出てきたときも、無理してんなって感じたりしましたもんね。これ、ジミヘンとかがセッションでやるようなことじゃない? 無理して新しくない? って。ジミヘンのライヴの余韻の部分を曲として出しているのがトータスみたいな感じがしてて。

ああ、なるほど。当時は「壁紙の音楽」って呼ばれていたくらいなので、当たっているんじゃないでしょうか。マイク前でエゴを剥き出しにして歌うのに対して、壁紙みたいな音楽がポストだという。

和感を大事にしているというのは、新しさを求めているということでもあって。毎回、新しいプロダクションをつくっているイメージではありますね。(関根)

では、本当に「狂熱のライヴ」をやることはないんですか?

関根:やりたいよね。

桃野:びっくりするほどライヴの予定が決まってないんですけどね(笑)。

いや、コンセプトの上だけでも(笑)。今回はぜったい哀しくしないぞ! とか。

関根:それは、ぜんぜんあり得ますね。

それでもどうしても哀しくなってしまうなら、それも素晴らしいですね。なんでしょう、お二人から考えつかないような音って。

桃野:なんだろう……。

関根:スタイルじゃないんだろうと思うんですけどね。ジャンルとかではない部分で新しさがあると、思いもよらないことになるかもしれない。

桃野:かといって、トム・ヨークみたいに工事現場の音を録って……っていうような方向もはたして新しさなのかどうか。本当に新しいものって、何なんでしょうか……。

そういう話になってきますよね。

桃野:新しいものなんて生まれうるのか、みたいな。

関根:僕の中では、Hocoriの作業というのは、「○○みたいに」っていうふうに思ってつくらないことが多いんです。本当に。違和感を大事にしているというのは、新しさを求めているということでもあって。毎回、新しいプロダクションをつくっているイメージではありますね。アウトプットとして新しい感じが出ていないのは、まあ、キラキラな音にしていないからですかね……。

ああ、なるほど。キラキラふうに想像させるところはあると思うんですけど、実際キラキラじゃないですよね。

関根:だから、新しい音楽という意味ではすごく意識してつくっているんですよね。自分たちでコントロールできないもの同士がぶつかったところに何かないかなあとずっと思っている、というか。

桃野:本当に新しいものを探すのはすごく大変なことなので、やっぱりいま新鮮な音を探すということになるかもしれないですね。それが違和感につながるものなんですかねえ。

Hocoriは、お互いが違和感を与えあっているわけですもんね。

桃野:そうですね。僕は、ソロで、ひとりで音楽活動をやるというのはぜんぜん考えられないタイプで。たとえば「関根さんがやろうとしてたのはこういうことか」って、発見することで何か新しい要素に出会いたいんです。そうじゃないと自分の楽曲が退屈に感じちゃうんですよ。

ただでさえご自身の声に飽きているのに(笑)。それで、違和感に出会いにくいソロ活動はあんまり考えられないと。

桃野:僕はそうなんですよね。予想しかつかない。予想通りでしかない(笑)。ソロってそうじゃないですか!?

(一同笑)

桃野:だから、予想通りを新しいと思ってやれる方というのがうらやましいです。それでユニットを組んだりバンドを組んだりということになりますね。

それはおもしろいですね。ソロだからこそほんとにやりたかったことがやれる、というわけではない。

桃野:そうですね。

Hocoriは新しい記号を準備するとかそういう派手な新しさを示すユニットではないと思うんですけど、「そういえばあまり聴いたことがない」という意味では攻めていますよね。ただ、趣味が良すぎて。すごく地味な差を突いてくるわけじゃないですか、関根さんなんて。けっしてわかりやすい新しさじゃないんですよね……。

関根:わかりやすくはないかもしれないですよね(笑)。

雑食的にいろいろなものを取り入れるけど、いまのプロダクションでやるし、流行もうまく入れるけど、最終的には強烈な個性に落とし込んでいく──そういう感じが好きなんです。(関根)

では、音楽にこだわらずにいまかっこいいな、おもしろいな、と感じるものは何でしょう? ポップ・ミュージシャンでもあるわけなので、流行と切れてはいても、何がかっこいいかという感度はバリバリ働いているわけじゃないですか。

桃野:テレビばっかり観てますね……。いまパッと思いつくのは、ハリウッドザコシショウですかね。去年、自分の中で大ブレイクした芸人さんなんですよね。最近は天変地異というか、こんなものが理解されるんだろうか、っていうようなものがボンボンと注目されていて、お笑いってすごいんですよ。僕はグランジが好きだったんですけど、なにか、そういうひっくり返されるような驚きがあるんです。ニルヴァーナみたいな。

ちょうど話題になっていますね。賞を取られた?

桃野:でも、新しいというよりは、スタンスはずっと一貫していて、時代のほうがはまったという感じなんです。

関根:僕、その賞を獲ったネタを見たんですけど、たぶんあれでもめちゃくちゃポップスに落とし込んだんじゃないかな。でも、それってすごく大事だなって思った。本当にアンダーグラウンドなんだけど。僕も昔からすごく好きだったんですよ。

桃野:ものまねってものを破壊して、めちゃくちゃ似てないことをやっているだけなんですよ。あえて言葉で説明するなら。ただの破壊活動なのに、それを成立させるものが何なのか……。

関根:漫☆画太郎だよね。

桃野:音楽でいうと誰だろう。レジデンツとか? ……それは音楽なのか? ってところまで行っているのに、ちゃんと音楽として成立させるっていう、ちょうどそんな感じなんですよ。

へえー。やっぱり、シーンが成熟しているからこそ賞をもらえる、みたいなところもあるんでしょうか。

桃野:それはあるんでしょうねえ。

関根:いろんなタイプのひとが出てオッケーな状態にはなっているのかもしれないですよね。

そこは音楽も難しいですよね。産業としては行くとこまで行ってどん詰まっているのに、それを破れるようなものを見つけて評価できるのかというと……。

関根:あそこまでバンっと出られるかというと、難しいかもしれないですね。

桃野:ジャンルももういっぱいあってよくわからないし。だから、そのひとの発想に触れるということになってくるのかな。

「ひと」はたしかに違和感の源泉ですよね。関根さんはどうですか? 最近カッコいいと思うものは。

関根:僕は、ベタですけど、去年はあれを聴いていたんですよ。ダニー・トランペット&ザ・ソーシャル・エクスペリメント。

おお!

関根:すごく好きで。さっき言っていたようなことと重なるんですけど、とにかくみんなで何かおもしろくていいものをつくろうというムードがすごくあるんですよ。それで、雑食的にいろいろなものを取り入れるけど、いまのプロダクションでやるし、流行もうまく入れるけど、最終的には強烈な個性に落とし込んでいく──そういう感じが好きなんです。去年は本当に、そればっかり聴いてましたね。

へえー。関根さんの映像にもそういうムードはあるかもしれないですね。

関根:どこかちゃんとジャンクで、でもどこかリッチな部分が残っているという感じ。それが好きなんですよ。音楽ではそれが衝撃的にヒット作でした。僕の中では。

「ホコリまみれ」になった音楽を楽しめたらいいなと思いますね。(桃野)
いまの出会いの中に、きっと次の出会いが入ってるんじゃないかっていう感じ。そこでハプニングは起こると思うんですよね。(関根)

固有名詞がきけてうれしいです。Hocoriはプロジェクトをふたりで完結させるつもりでもないというお話でしたが、ここから考えられる展開としてはどんなことがあるんでしょうか?

桃野:この企画盤をつくって、「ホコリなもの」──プライドという意味ですけど──って、意外とひとつじゃないなと思ったんです。音楽一筋ではなくて、大なり小なり、みんな何か持っているじゃないですか。マンガでもテレビでも。誰かの中に、そういう「ホコリなもの」を感じたときに、コラボなんかをやっていければなと。ユキヒーロープロレスさんだったら、自分のファッションという土俵に特撮とかプロレスを持ってきたりしているし、シェンちゃんだったらイラストとか。そうやって「ホコリまみれ」になった音楽を楽しめたらいいなと思いますね。

わざわざ「どうコラボレーションするか」って、形から考える必要はない。

関根:ひたすらハプニングを期待していますね。

期待というのは、「ハプニングを獲りにいく!」という能動的な意味ではないですよね(笑)。

関根:どこかにいつも転がっているものなんですよ。きっと(笑)。

そのスタンスはいいですね。いまっぽいとすら言えるかも。獲りにいかなくてもあるじゃないか、出会えるじゃないかと。

関根:出会えるんじゃないかと思うし、いまの出会いの中に、きっと次の出会いが入ってるんじゃないかっていう感じ。そこでハプニングは起こると思うんですよね。何もないところに突然生まれるわけではないかなって。

音楽のありかたとしてすごく健康──健康というとヘンなニュアンスが混じりますけど、やりたいときにやって、出せるときに出すっていうのが、それが音楽だっていうところがあると思います。祝福すべきありかたじゃないですかね。

関根:気持ちのいい音楽のやり方、つくり方ですよね。そうじゃなきゃいけないって……やっぱりちょっと思います。

桃野:こういうことって、なかなか、意外と成立しないですから。あと、曲数的にはやっと8曲9曲ってくらいになるので、ようやくツーマン・ライヴができます(笑)。

関根:ようやく。これまでは30分以上できないっていうのがあったので。

ははは。でも、今回ライヴの中から発想された曲があったように、ライヴができるとまたいろいろ動いていきそうですね。

桃野:まだ決まってないですけど、そうですね。

音楽的には、「夜の音楽」が「昼の音楽」になったりという展開はないですかね? 4曲めなんて資料には「この曲を通して伝えたいことは『深夜0時、僕の電車で。走らなきゃいけない愛(レール)がある』」って書いてありますから。

関根:ははは! だからなんだよ、っていう。この曲は歌詞をCDに載せていないので、代わりに何が重要なのかを言おう、って(笑)。

桃野:簡潔に書こう、って(笑)。

ははは。その「夜感」ですよ。そのテーマはやっぱり不動なんでしょうか。

桃野:いや、昼に愛が落ちていれば、拾いにいきますよ。でも、何か、落ちてる感じがしないんですよね。それでやっぱり夜ばっかりになってしまう。

昼に愛が落ちていれば、拾いにいきますよ。(桃野)

では、何か年齢が上がるなりいろんな変化を迎えることで、昼の音楽が出てくるかもしれないですね。

桃野:高齢者になれば昼の愛が見つかるかもしれないですね。

それはきっと早朝ですね(笑)。

関根:早朝の愛。カロリー低そうでいいね。

桃野:でもまだこの年齢だと、みんな日中働いて……っていうサイクルになるじゃないですか。だからやっぱりまだ夜ですかね。

以前も言いましたけど、若いひとがポップスで夜の愛を歌うっていうのは、いまはけっこう珍しくないですか。夜の愛っていうテーマを歌うのは難しいんだなって。

桃野:昼にがっつりした愛があると、それは夜までがっつりつかっちゃうことになると思うので、10分以上の尺がないと歌いきれなくなると思いますね。

関根:そうなの(笑)?

桃野:夜だったらもう、バッと表現できるんですけど、昼はきっと尺が必要です。

ユニットのイメージが曲のテーマといっしょになって入ってくるというのは、すごくおもしろいことだと思います。Hocoriは夜の愛。──そんなふうに単純に考えてはおられないでしょうけど、突発的な人たちではないということは重要だなと。

関根:そうですね。そういう、何か同じものを見ているところはあると思います。そこがガラッと変わることがあるかどうかはわからないですけど。

桃野:バンドでやれないことをやっているという面もあるので、ひとつのテーマ性を持った歌詞をどこまで書きつづけられるのかというチャレンジもありますね。

なるほど。いつか切り干し大根のように低カロリーな愛を歌われるときにも、きっと関根さんは絶妙のトラックを準備してくださると思うので、年を経るのも楽しみにしています。

Ryu Okubo - ele-king

 オオクボリュウ、通称ドラゴン、先日亡くなられた水木しげる先生に多大な影響を受けながら、日米のヒップホップを呼吸するように聴いて育った、新進気鋭の、いま注目の若手イラストレーター/アニメーターです。PSGの〝寝れない !!!〟のPVのアニメーションが話題となってから、あれよあれよという間に売れっ子になってしまいました。いまやPOPEYE、BRUTUS、TRANSIT、Numberなどメジャー誌での挿絵……。後藤正文や快速東京、group_inouなど音楽関係のMVをやったりと大忙しです。時代はオオクボリュウで間違いないです。
 ele-kingでもずいぶんとお世話になっています。『HOUSE defintive』と『ボブ・ディランは何を歌ってきたのか』の表紙イラスト、紙エレキングでの「転生バカボン」(文:三田格)、前回の紙エレキングvol.17では政治特集の扉ページのイラストを描いてくれました。
 言うまでもなく、彼はカタコトというヒップホップ・グループのラッパーでもあります。
 オオクボリュウの初の個展、4月8日からはじまります。悪いことは言いません。絶対に行ったほうがいいです。

Jesu / Sun Kil Moon - ele-king

 パオロ・ソレンティーノの新作『グランドフィナーレ』を観ていたら、サン・キル・ムーンの楽曲が使用されているだけでなくマーク・コズレックが本人として画面のなかで歌っていて一瞬目を疑った。そのほんの3日前ほどに渋谷で同じ人物が歌うのを観ていたからというだけでなく、そこで「日本人は痩せてるよね。俺なんか赤ん坊がいるみたいだよ……」などと言いながら自分の腹を叩いていた中年と、セレブばかりが集まるホテルを舞台にしたスノッブだが華麗なイタリア映画の現在とは、住む世界が限りなくかけ離れているように思えたからだ。イェスーとサン・キル・ムーンのコラボレーション・ステージとなったその日もコズレックは周りをどこか緊張させる厄介な中年男としての自分を隠さず、がなるようにマイクに向かって声を放っていた。僕はその日は彼のそんなキャラクターにすでに馴染んでいたが、その前年のサン・キル・ムーンの単独公演には終始ハラハラしたものだ。演奏を中断してまで観客をからかい、笑っていいのかよくわからない皮肉めいたジョークを繰り返す。メディアから最大限の評価を与えられた『ベンジ』の曲をやると言って歓声が上がれば、「そんなに『ベンジ』が好きなの? ピッチフォークに洗脳されているの?」と言って微妙に気まずい空気を生み出していた。

 だがじじつ、『ベンジ』は美しいアルバムだった。自身のごく周囲で起こった数々の死と、そのことに動揺せずにはいられない自分の弱さとが弦の震えが見えるような繊細なフォーク・ソングによって晒されていた。私小説的に綴られた言葉も音もよくできていたが、佇まいはどこか危うくもあった。ソレンティーノが共鳴したのはおそらくその死の香りであり、『グランドフィナーレ』では老いていく男がそれでも美への執着と感傷を捨てきれない様が描かれている。サン・キル・ムーンのきわめて個人的な歌は、だから映画のなかでもベッドルームでも、聴き手が普段奥に閉まっている惨めな感情をゆっくりと解きほぐす。

 本作は長らく親交があるジャスティン・ブローデリックによるイェスーとの共作である。ブローデリックといえばゴッドフレッシュでの活動がその代表だが、アルバムの前半はノイジーでややヘヴィなギターがよく鳴っており、そこでコズレックが低音を聞かせているのはなかなか新鮮だ。あるいは80年代の終わりから90年代のはじめに鳴っていたような、あのエモーショナルでヒリヒリとしたギターがじっくりと空間を埋めていく“グッド・モーニング・マイ・ラヴ”はすぐに聴き手を無防備にするだろう。陰影に富んだ“ア・ソング・オブ・シャドウ”のような曲はまったく新しくもないノイジーなギター・ロックだが、ゆっくりと陶酔させてくれる。サッドコアという言葉を思い出すひともいるだろうし、ボニー“プリンス”ビリーことウィル・オールダム、モデスト・マウスのアイザック・ブロック、スロウダイヴのレイチェル・ゴスウェル、ロウといったいかにもな参加メンバーを知るとともに90年代末から2000年前後のギター・ロックのムードを感じるひともいるだろう。

 だがコズレックの声が聞こえてくれば、これは紛れもなくサン・キル・ムーンのアルバムだと思える。ときにブツブツとつぶやき、ときにたっぷりとバリトンを聞かせるその歌はいつも親密な打ち明け話のようで、そこでは自分が普段隠しているものを代わりに告げられているように感じられる。アルバムはたっぷりと79分もあり、その間コズレックは相変わらず死にまつわる自分のエピソードを繰り返す。自分の親類からニック・ケイヴの息子まで死は平等に絶対的な真実で、そして彼はうまくそのことに対処できない。じつにサン・キル・ムーンらしいアコースティックなフォーク・ソング“フラジャイル”の通り、彼の歌はもろい自分を隠さない。人前でナイスに振る舞うこともできず、年を重ねても、重ねるほどに扱いづらい感傷は増していくばかりだ。アルバムは中盤から打ち込みを導入しつつ、よりアンニュイなムードになっていく。10分近くあるピアノ・バラッド“エクソダス”では『ベンジ』でも歌われた親類の死が繰り返され、そのスローな歌とともに沈みこまずにはいられない。

 それでもラストの14分あるアトモスフェリックな“ビューティフル・ユー”はラヴ・ソングで、コズレックはどうにか自分を保つように愛の言葉を歌に乗せようとする。彼のなかでは……いや、少なくない人間にとって、誰かを想うことは生への執着と不可分であり、だから死へ向かうことの混乱が歌になるのだろう。マーク・コズレックのサッドな歌はどこまでも憂鬱だが、自分と聴き手をなだめるようにピースフルに響いている。

David Sylvian - ele-king

 ポップスターを止めてアートの道に入る人は珍しくないけれど、デイヴィッド・シルヴィアンほどその転換をはっきりと、潔く打ち出している人もそうそういない。
 UK音楽業界の伝説的な仕掛け人サイモン・ネピア・ベル(ヤードバーズ〜Tレックス〜ワム)がニューウェイヴ時代に手掛けた美形4人組のバンド、ジャパンの中心人物だったデイヴィッド・シルヴィンは、バンドを解散させると、華やかなポップの世界から身を退いて、さっそうと芸術的冒険に乗り出す。ジャズ、エレクトロニック・ミュージック、アンビエント、フリー・インプロヴィゼーション、エレクトロニカ/IDM……それら音楽シーンの周縁的領域は、ジャパン時代のファンの誰もが望んでいたことではなかったかもしれないが、それでもデイヴィッド・シルヴィアンは、ポップの世界への未練を残さず、ときには思い悩みながら、しかし自らの芸術的な欲望に忠実に突き進んでいる。
 この度ele-king booksから刊行された世界でたった一冊の評伝、本書『デイヴィッド・シルヴィアン』の原題は『周縁にて(On the Periphery)』という。文字通り、シルヴィアンが飛び込んだ〝周縁〟をことこまかに解説するもので、ジャパン解散後のソロになってからのすべての作品、共作、全歌詞、そしておもだった共演者のすべてが丁寧に紹介されている。
 坂本龍一をはじめ、ジョン・ハッセル、デレク・ベイリー、フェネス、ステファン・マシュー、大友良英、サチコM、高木正勝……などなど多くの個性的な共演者たち。シュトックハウゼンやジョン・ケージといった現代音楽の巨匠やAMMを起点とするフリー・インプロヴィゼーション・シーンのソロ活動をやるうえで参照した音楽家たち、そしてタルコフスキーやコクトーなど、インスピレーションの源となった作家たちについても詳細に解説されている。
 本書『デイヴィッド・シルヴィアン』は、もちろん稀代の音楽家たる彼のいまのところ世界でたった1冊の評伝であり、その冒険的な活動の軌跡の詳細を追ったものではあるが、同時にこの30年間におよぶエクスペリメンタルな音楽シーンの変遷をも眺望できる。(伊達トモヨシがデレク・ベイリーが好きでなぜアンビエントへと転じたのか、松村正人が好きなモノとは何か……などなど、その他いろいろな発見もある)
 たいへんな大著であり、とにかく、ものすごい情報量ではある。デイヴィッド・シルヴィアンが発表してきた、ひとつひとつの作品の背後には、これだけの情報が孕んでいるということでもある。それは過去と未来、あらゆるジャンルを横断する。
 ぜひ、デイヴィッド・シルヴィアンという名の大いなる周縁的冒険を知っていただきたい。

デイヴィッド・シルヴィアン
クリストファー・ヤング (著)/沼崎敦子 (翻訳)

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Kerridge - ele-king

 サミュエル・ケーリッジの新譜『ファタル・ライト・アトラクション』が、カール・オコーナー(リージス)主宰の〈ダウンワーズ〉からリリースされた。〈エディションズ・メゴ〉が送り出した刺客イヴ・ドゥ・メイの新譜と並んで、2016年初頭の重要トピックといえよう。これらの作品にはインダストリアル/テクノのモードを刷新する新しさがあるように思える。それは何か。ひとつは人間以降の世界への渇望ともいうべき終末論的な雰囲気が濃厚であること。さらには、そのアトモスフィアを体現するために、サウンドの分裂性や分断性がより推し進められ、テクノの領域に強烈なノイズが侵食していること。とくに『ファタル・ライト・アトラクション』は、その傾向が非常に強い。まさに、闇の中に生成する光とノイズの饗宴だが、ベルリンで開催されたアブストラクトでモダンなテクノ・ミュージックのフェス〈ベルリン・アトーナル〉でのパフォーマンスを元にしているという点も大きな要因かもしれない。

 〈ベルリン・アトーナル〉は、ディミトリ・ヘーゲマンにより1982年から開催され、ベルリンの壁が崩壊した1990年にその歴史に幕を下ろした「伝説」のエクスペリメンタル・ミュージック/テクノ・フェスで、2013年に23年ぶりの復活を遂げている。
 2015年の同フェスにおいては、トニー・コンラッドとファウストの名盤『アウトサイド・ザ・ドリームシンジケート』のパフォーマンスをヘッドライナーに、リージス、ペダー・マネーフェルト、モーリッツ・ヴォン・オズワルド、マイク・パーカーらのパフォーマンス、カンディング・レイとモグワイのバリー・バーンズの競演、そして日本からはリョウ・ムラカミを迎えるなど、じつに見事なアーティスト・キュレーションで話題を呼んだ。しかも会場は、2014年に続き原子力発電所跡地=クラフトヴェルク(現在はディミトリ・ヘーゲマンの〈トレゾア〉がある建物内にある工業スペース)という。

 ケーリッジのライヴ・パフォーマンスの模様は、映像でも(わずかな時間だが)観ることができる。会場である原子力発電所跡地=クラフトヴェルグは、まるで西欧の廃墟となったカテドラルのようなダーク・ロマンティックな雰囲気を漂わせており、まさに完璧なロケーション。その巨大な天井の高さは日本では再現不可能とも思えるほどで、薄暗い巨大な空間に縦に長くそびえる純白のスクリーンに投影される光と影と音響のコントラストが途轍もなくクールだ。これは会場で体験してみたいという欲望を強く持ってしまう。

 このアルバムには、そんな彼のパフォーマンスの記録が冷凍保存されている。高圧的な電子ノイズと、歪んだアジテーション・ヴォイスと、性急なリズムによって脳髄を刺激するようなサウンドは、この会場からの影響も大きいとも思えるが、しかしもともとケーリッジの音楽/音響の中に炸裂していた終末論的な思想とフィードバックを起こした結果でもあるのだろう。私などは、その融合の結果として、本作のようなインダストリアル/テクノ「以降」の現在を象徴するような作品が生まれたのではないかと想像してしまう。

 1曲め“FLA1”からして凄まじい。高周波電子ノイズとアジテーション・ヴォイスのループとレイヤー、錆びた鉄を打つかのような打撃音、生々しい電子音、性急なキック、強烈な電子ノイズが鼓膜を強烈に刺激する。このような音こそ、2010年代のインダストリアル/テクノのモードを刷新するサウンドではないか。ノイズから律動へ。アタックから絶滅的光景へ。光の律動(爆心地?)のような終末的な音響。不穏な世界の空気を、モダン/クールなアートフォームにトランスレーションしてきた先端的なインダストリアル/テクノが描き出す光景は、いま、別の領域へとシフトしつつある。光の臨界点の中で。

 それほどまでに、このアルバムが放射している光の刹那のようなノイズには新しいモードを感じるのだ。もはやインダストリアル/テクノというよりも、パワーエレクトロニクス/テクノとでも形容したいほどである。リリースされたばかりのジェノサイド・オルガンの新譜(最強にして最高)とともに聴いてもまったく遜色がない(とあえていってしまおう)。

 2010年代的なインダストリアル/テクノのネガティヴ・モダン・モードは、いま、刷新されたのかもしれない。怒りと衝動、それを俯瞰する人類絶滅以降の冷徹さ。光。絶滅的。そんな「いま」の気分とモードが、このアルバムには、たしかにある。 だが、それは世界不穏そのものであり、いま、西欧社会がクラッシュしつつあることの反映でもあるはずだ。そう、音楽は世界の無意識を映し出す鏡なのだから。

Aphex Twin - ele-king

 1日前から話題になっていたようです。エイフェックス・ツインのライヴ音源(1992年、BBCのラジオ番組『Peel Session』のための演奏/1993年、シェフィールド・ハーラム大学でのライヴ音源)がsoundcloudにアップされて聴かれまくっています。我々のように遅れて知った方もいるかと思い、お知らせします。

 1992年といえば、エイフェックス・ツインが最初に脚光を浴びた年でした。その年の夏、ちょうどポリゴン・ウィンドウ名義の作品を出して間もない頃でしたが、イギリス在住の知り合いにお願いして彼の取材を試みたことがあります。すべての質問に対してすべてひとことで答えられてしまい(例:サマー・オブ・ラヴのときあなたは何をされてましたか? 答:夏は大好き)、そのとき代役を務めたイギリス人はちょっとムカついてましたが、写真はしっかり撮られていて(ちょうど“クオース”のジャケの写真のような構図でした)、あとから思えば当時の彼は20歳そこそこ、リップサーヴィスなんてやってられない年頃。撮られた写真では、彼は階段を走っているように見えました。
 その初々しさ、駆け抜けていくような若さが出ている初期ライヴ音源です。

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