「Nothing」と一致するもの

Blessed Initiative - ele-king

 これは相当のアルバムだ。ヤイール・エラザール・グロットマンによるブレスド・イニシアティヴのファースト・アルバム『ブレスド・イニシアティヴ』。個人的には2016年ベストに入る。2016年の最先端音楽のモードが結晶しているからだ。
 イスラエル出身、現ベルリン在住のヤイール・エラザール・グロットマン(Yair Elazar Glotman)は、写真家の父を持つサウンド・アーティスト/プロデューサーである。本年、すでにKETEV名義としてアルバム『アイ・ノウ・ノー・ウィークエンド』(なんというタイトル!)をリリースしており、鋭い感覚の音楽ファンの耳を射止めていた。KETEVの漂白されたインダストリーなサウンドは強烈だが、このブレスド・イニシアティヴはそれをも(軽々と)超えてしまっていた。最先端音楽のモード=「ミュージック・コンクレーティズム」なサウンドが見事な音像/構造として結実していたからだ。今、ヤイール・エラザール・グロットマンの才能は大きな結晶化をみせつつあるのではないか。

 ヤイール・エラザール・グロットマンといえば、エンプティセットのジェイムズ・ギンツブルグとニンバスとしての活動も知られており、くわえて2015年には傑作ソロ・アルバム『エチュード』も発表している。特に『エチュード』は弦楽インダストリアルとでも形容したいほどのアルバムであり、現代音楽とインダストリアルなアンビエントが、生々しい音響空間の中で交錯していた。このアルバムでヤイール・エラザール・グロットマンは確実に飛躍した。凡庸なポスト・クラシカルなど消失させてしまうようなダーク・モダン・クラシカル・アルバムなのである。
 だが、本作『ブレスド・イニシアティヴ』は、その『エチュード』を超えている。本作は、現代の音/環境に発生する様々なノイズ(世界の環境音、デバイスが発生させる音、コンピューターが生成するノイズなどなど)を、ひとつ(にして複数の)の流れ=フロウとしてコンポジションしていく。いわばミュジーク・コンクレート的な手法によって、基底財となっているテクノからベース・ミュージックをバラバラに解体し、分断し、周期的なリズムを消失させていく。ヤイール・エラザール・グロットマンは、その微かな残骸を抽出し、新しい音響として、再構成し、その細やかなノイズのむこうに、まるで宗教曲のような清冽な響きや旋律をレイヤーしてみせるのだ(2曲め“ジャズ・アズ・コモディティ”など!)。そう、まるで世界/自己の救済への希求のように? 世界の再構築のように?

 私は本作を聴きながら、2013年に〈モダン・ラヴ〉がリリースしたザ・ストレンジャーの『ウォッチング・デッド・エンパイアーズ・イン・デコイ』を継承する(超えた?)アルバムが、とうとう生まれてしまったと思った。ノイズ、アート、テクノ、都市、廃墟、彷徨、人間、ロマン主義、その終わりとしてのノイズのフロウ、ビートの残骸、微かな賛美歌の痕跡、個、世界。それらが2016年的な精密なサウンド・コンクレーティズムな美意識の中で交錯し、脳神経に直接アディクションする……。ああ、なんという刺激か。なんという快楽か。
 繰り返そう。『ブレスド・イニシアティヴ』は、世界のノイズをミックスする。なぜか。世界の崩壊すらも美しい現象のように見据えるために、である。 この『ブレスド・イニシアティヴ』は、内面と刺激、個と外、そのふたつを、サウンドトラックのように繋げる。アルカの物語性を宙に浮かす「魂」の彷徨のような音響空間は、2016年の最後から2017年の初めにかけて、つまりこの「冬の時代」に、もっとも必要な音楽といえよう。ヤイール・エラザール・グロットマンによる「新しいペルソナ」には、今=同時代性のモードが強く横溢している。これぞ電子の福音ではないか。

PUNK`S NOT DEAD - ele-king

 2016年はパンク40周年だったので、自分でもそれにちなんだ書籍を作りたかったのだけれど、今年はそんな余裕を持てず、いまその年も過ぎ去ろうとしている。パンクって何だった? 何だったのか? そんなこともう忘れちまったかのか? はっきりしているのは、13歳のとき、ラジオで初めてそれを聴いて、ぼくはそれ以前のぼくとは別の人間になっていたってことだ。パンクを聴いたからいまのぼくがあり、聴いてなかったら違うぼくになっていた、このことは疑いの余地がない。
 The Quietusという音楽サイトにビル・ドラモンドの「PUNK`S NOT DEAD」というエッセー(というか、動画)が載っている。以下、その要約です。

 「セックス・ピストルズとザ・クラッシュによって定義されたパンクとは、マルコム・マクラレンとバーニー・ローズに形づけられたものだ。いわばパンク版ティン・パン・アレーは、イーストエンドの服飾産業によって世界に提示された。そのショックと目新しさは、しかし、100年前のミュージック・ホールや軽演劇とたいして変わらない。ギー・ドゥボールを混ぜたラリー・パーソンズ(ロックンローラー)のようなものだ。彼らのパンクは死んだ。
 しかし俺たちのパンクは死んでいない。それはこの島全域の公営住宅の狭い部屋のベッドルームのティーンエイジャーの想像によって生まれた。前の世代に何も期待しない10代のガキどもから。ベルファストからコヴェントリー、グラスゴーからブリストル、シェフィールドからマンチェスター、そしてリヴァプール。このパンクは、ピンクのモヘアセーターともチェックのボンデージパンツとも無関係だった。明らかにキングスロードとも服飾産業とも無関係だった。このパンクは、1977年2月29日マンチェスターのバズコックスによって出現した。それは止まらなかった、それは現在も起きている。
 親父(マルコム・マクラレン)の持ち物を燃やすロンドンでボロ切れ商売をやっているヤツ(ジョセフ・コー)なんかと俺たちのパンクはまったく関係ない。俺たち全員は親父と問題が絶えなかった」

 「俺たちのパンクは死なない」と、60を越えたビル・ドラモンドは力強く喋っております。なぜならそれは、10代の貧しいベッドルームから生まれたものだからと。ぼく個人は、セックス・ピストルズとザ・クラッシュによって定義されたパンクも否定できないのですが、しかしドラモンドのこれがパンク40周年で、もっとも響いた言葉だった。ロンドンの高橋勇人とも話していたが、ストリートでもライヴハウスでもなく、ベッドルームで生まれたというのがいい。


※ビル・ドラモンドは、以前TVの録画撮りで意にそぐわない編集にあい、以来TV出演依頼を拒み、依頼に関してはこうして自分で動画を用意して対応しているようです。

 1994年。オアシスが華々しくデビューを飾ったその年に、トニー・ブレアが労働党の党首になった。1997年。デーモン・アルバーンが「ブリットポップは死んだ」と言い放ったその年に、労働党が総選挙で大勝し、ブレア内閣が成立した。アンソニー・ギデンズの読者ならご存じだろう、いわゆる「第三の道」というやつである。当時ノエル・ギャラガーは首相官邸に招かれ、ブレアと握手まで交わしている。今年日本では「音楽に政治を持ち込むな」という言葉が話題になったけれど、ブリットポップというムーヴメントはまさに音楽が政治に利用された典型例だった。逆説的だが、だからこそ特に政治的なことを歌っていたわけではないオアシスが、あの時代の象徴たりえたのだろう。オアシスは、「最後の」ワーキング・クラス・ヒーローだった。

 そのオアシスの黄金期を追ったドキュメンタリーが公開される。監督は、これまでコールドプレイのMVなどを手がけてきたマット・ホワイトクロス。そして驚くべきことに、リアム&ノエル・ギャラガー自身が製作総指揮を務めている。バンドの結成から25万人を動員したネブワースの公演までの軌跡を描いた『オアシス:スーパーソニック』は、来る12月24日より角川シネマ有楽町ほかにて全国公開。そしてそれを記念し、監督であるマット・ホワイトクロスのインタヴューが公開された。
 われわれが知るところのギャラガー兄弟のイメージは、メディアによって作り上げられたものである。では「本当の」かれらは、一体どのような人物だったのだろうか? かつてかれらが抱いていた思いとは何だったのだろう? 以下のインタヴューを読んで、劇場へ足を運ぼう。

『オアシス:スーパーソニック』
監督マット・ホワイトクロス、インタヴュー

■このプロジェクトにはどうやって関わるようになったんですか?

マット・ホワイトクロス(Mat Whitecross、以下MW):フィルム・プロデューサーのサイモン・ハルフォンから連絡をもらったんだ。彼は以前長いこと、特に音楽業界でグラフィック・デザイナーをしていたことがあって、オアシスを知っていたらしい。彼は4番目のアルバムぐらいからアルバムのスリーブやシングル盤のアートワークなんかを手がけるようになったんだ。僕はその何年か前にジョー・ストラマーのプロジェクトでサイモンに会っていた。結局そのプロジェクトはギリギリのところでボツになったけどね。確かサイモンが僕に、「君はオアシスのファンかい?」ってメッセージを送ってきたのが始まりだったと思う。それから彼に会った時に、オアシスがすごく好きだと伝えた。その時は、オアシスがまた再結成することを僕に伝えるために連絡してきたっていうことを僕は知らなかったんだ。僕は、オアシスが、意見の相違は横に置いて、ツアーのドキュメンタリー映画みたいなものを作るのに同意してくれないかな、なんて思ってた。でも彼らは、ドキュメンタリーを作ることに、すでにほぼ同意していたんだ。だから、その時の話は、もう、「どんな映画を作るんだ」とか、「今彼らの映画を作るのか」とか、「彼らの生涯についての映画なのか」とか、「ある特定の時期に関する映画を作るのか」だった。
 それはちょっとややこしいことだった。僕は、「なあ、オアシスは、ひとりだけじゃないだろう。誰の映画になるんだ?」っていうことを聞きたかった。兄弟ふたりについてなのか、バンドの残りのメンバーはどうするのか、協力者たちも描くのかってことをね。
 興味深いことに、ノエルは以前サイモンに、ドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』が好きだってことを話していたんだ。『AMY エイミー』はまだそのとき世に出ていなかった。ノエルは、ボイスオーバーの手法が好きで、中年男が映し出されて「昔は良かった」みたいなことばかり言う、懐古主義的な作品になるのはいやだったらしい。『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』や『AMY エイミー』のいいところは、その瞬間に自分もいるような気にさせるところだ。どこか他の所にある作り物の撮影スタジオにシーンが移らないからだよ。ただ人の声が聞こえて、その時に現在進行形で自分がいるような気にさせるんだ。
 僕にとっては、もう互いと口をきいていないふたりが同じ部屋にいるような気持ちにさせるのはどうしたらいいかっていうことが大事だった。そうなると、ボイスオーバーが効果的なんだ。互いに話しかけながらも、どこから声が出てるかとか誰が何を言っているかとか心配しなくていいからね。すると、互いと口をきいていない兄弟が会話をしているような状況を作れる。それもボイスオーバーの利点のひとつだよ。

    


©Jon Gorrigan

■最初のリサーチから最後の編集までの過程はどうでしたか?

MW:僕たちはオアシスを知っていた。皆オアシスの大ファンだったんだ。だから、彼らに何が起こったかは大体知っていた。僕も、いくつかの出来事については知っていた。そのうちのどれくらいが本当かはわからないけれど。ジャーナリストもバンドもかなり大げさに言ったからね。でも、アムステルダムのフェリー事件とか、いくつかのことは知っていた。ウィスキー・ア・ゴーゴーのギグのことも知ってたと思う。それらに関連する他の出来事もね。だから、最初からリサーチはある程度済んでしまっているようなものだった。
 それらの出来事を振り返って再体験みたいなことをしたり、どんな資料が残っているか見るのは面白かったね。その後は、調査員のチームを登用して、編集者も登用して、これらの出来事を見ていくんだ。僕たち皆はある疑問を持っていた。皆がすべてを記録し始める前だし、人が携帯電話で写真を撮り始めるまでまだ5年は優にあるぐらいの時のことで、皆が携帯電話を持ち始める前のことだから、見つかった映像は、ほとんど偶然あったようなものなんだ。でもある意味でそれが良かった。なぜかといえば、僕たちが使った映像のいくつかは、誰も見たことがないものだったからね。でも同時に、いくつかの出来事に関しては、写真があるかもしれないし、誰かの記憶でしかないかもしれないってことだ。
 だから最初は、「どんな映画を作るのか」っていうのが大きな疑問だった。資料がなければ人の顔を見ることはできないし、じゃあ、どうするってことになったんだ。
 でも最初の段階では、とにかく映像を集めた。レコード会社の管理部から映像をもらったりした。初期に彼らを撮っていたカメラマンが何人かいて、彼らからコンタクトシート送ってもらった。そしてネットに載っている物も使った。
 YouTubeからもすごくいい資料が得られた。それに、古いテープを見つけることやテレビから映像を録画して共有することに熱中しているスーパーファンが彼らには大勢いて、彼らがそれをやってくれて本当に助かった。そうでもなければ、多くのものがすでに消えてしまっていただろうから。ファンだったらいくつかの物はこれまでに見たことがあるかもしれない。でも運良く、かなり早い頃からいろんな人がいろいろ送ってきてくれて、僕たちもあちこちにしまわれているのを発見できたんだ。でもほとんどが偶然見つかったものだった。当時は音楽業界がその価値をわかっていなかったんだろうね。このバンドがどれくらい成功するかとか、時を越えて有名になるなんて考えなかったんだろう。
 日本から突然ある映画が出てきたり、ウィスキー・ア・ゴーゴーやキング・タッツとかの初期のライヴからの映像で、〈クリエイション・レコーズ〉に渡されたものとかが出てきたんだ。それらのものは、どこかのファンがこれで何かができるって思ったから生き残ったものなんだ。だから、最初の調査の段階では、「映画ができるかな?」って感じで、もしできるのならば、「じゃあどんな映画なの?」って感じだったんだよ。で、どんな映画なのかは、前に進むにつれてようやくわかってきたんだ。

  


©Jon Gorrigan

■映画の中のアニメーションはどういういきさつで?

MW:この映画をボイスオーバーだけで作るっていうことは、資料がない場合どうするかっていう問題を生み出した。ある重要な時の写真が全くない場合もあった。そのひとつがニュー・キャッスルのギグ。結局最終的には、時間がないから入れないことに決めたんだけど、アムステルダム事件みたいなものをどうやって再現するのか、また2番目のアルバムの時のロック・フィールド・スタジオでのけんかをどうやって再現するんだっていうことになった。
 いろんな方法を考えて、多様なスタイルのアニメーションの話になったんだ。僕はマーク・ナプトンが率いるザ・ブルワリーっていうグループと長い間仕事をしていたことがあってね。彼は、僕たちのプロジェクトすべてに関わっていた。そうだな、『Sex & Drugs & Rock 'n' Roll(原題)』の頃からかな。ミュージック・ビデオやコマーシャルや映画とかいろいろ手がけた。でも、これはちょっと違った難しさがあった。映画作りは、「何かをアニメーションにするぞ」って考えた瞬間から、興味深い領域に入っていった。ドキュメンタリーの多くはアニメーションを使わないからね。またオアシスのスタイルと合わせ続けたいし。昔の資料から出てきたっていう印象は与えたくないし。ボイスオーバーを反映していないといけないし。気を付けないといけないことがいろいろあった。でも、アニメーションを使わなければ、映画の真ん中に大きなブラックホールができてしまうってこともわかっていた。だから、どんな方法にするかいろいろ検討したんだ。
 従来のアニメーションみたいにしようかって話もあった。彼らの顔は、わかりやすい。特にふたりの兄弟はね。だから風刺漫画家のような人を見つけて、彼らをアニメーション化してもらおうっていうことになったんだ。それでいくつかのスケッチを書いてもらったんだけど、なんとなく違う様な気がして、いろんな考えを出した。それで、入ってくる資料を見ていて、最初に来たのは、以前彼らと仕事をしたことがあるカメラマンたちからもらったコンタクトシートだった。僕たちは、「このコンタクトシートには何か特別なものがあるぞ」って思いながらそれを見続けた。何か、過去へと続く窓みたいに見えたんだ。
 そこでマークが、「なあ、見てくれ……」と言って、説明しはじめた。彼が言ったことのひとつは、「もしコンタクトシートが広がっているテーブルの2D世界を効果的に見ているなら、同じことを他の情報を使ってもできるはずだよ」ということだった。それは、ビデオを使ったり、電話の通話を使ったり、付箋紙を使ったり、リアムがノエルに書いたメモを使ったり、またノエルがリアムに書いたメモだったり。そしてページをめくるように入ったり出たりできるんだってね。そうやってあのアニメーションのスタイルが決まったんだ。

■メディアや人の目に映る彼らと現実の彼らはどう違いましたか?

MW:このふたりの兄弟に関しては皆が意見を持っているよね。実際にタブロイド紙はすごく極端で、ふたりを風刺的に描いたから、それが一般的な理解になってしまった。人は多かれ少なかれ、そのような目で彼らを見るようになったよね。だから「オアシスの映画を作っているのですが、当時についてどんなことを覚えてますか、どう思いますか?」なんて聞くと、皆はこのふたりに対してすごく厳しい意見を持っていた。そしてそれは、僕が実際に彼らに会った時の体験や、彼らに関する資料を調べて得た印象からはかけ離れていたんだ。
 彼らと一緒に時間を過ごすとわかるけど、彼らはとても頭がいい。ふたりともとても面白くて、自分がしていることに対して情熱を持っている。そして音楽が大好きで、あの3年間に起こったことを本当に喜んでいる。当時の出来事をタブロイド紙で読むと、パパラッチとの問題や人間関係とか、そういったバンドの外で起こっていたナンセンスで、彼らについての興味深いことではなかった。俳優にしろ政治家にしろミュージシャンにしろ、有名人なら誰でも言えることだったんだ。だから、それらは彼らを特別にした要素ではなかった。
 彼らの何が特別だったかっていうと、当時この国で音楽の世界で、また社会で起こっていたことなんだよ。だから僕にとっては、一歩下がって彼らに会って、人が考えている彼らの姿と現実との対比を見られたことがとても面白かった。僕たちの映画で少しバランスの取り直しができることを望んでいる。この映画を見たらふたりともどんなに頭が良くて、面白くて、才能があるかを見ることができると思うよ。

   


©Tim Abbot

 

■彼らにどんなことでも聞けるような気がしましたか?

MW:かなり最初の頃から彼らは話したいことなんでもいいよって言ってくれた。でも僕は、いったんはじまって、ふたりの仲の問題とか、成功するまでの過程で起こったこととか、子どもの頃のこととかになったら、「もう話したじゃないか」とか、「もうその話はやめよう」とか言われると思ってたんだ。でも、彼らは率直で、何度も同じことを話せたし、もう一度話したことに戻ることもできた。もしはっきりしないことがあれば、数週間後にまたその話に戻れた。それを嫌がる様子もなかった。「もうそのことは十分話しただろ」とか「この話はいやだ」とか、「その質問は言い方を変えてくれないか」なんて言うことは一度もなかったよ。全くね。
 最初の頃、どんな映画になるかっていう話をしたとき、僕は、「個人的にはタブロイド紙側の情報は十分聞いたって感じてる」って言ったんだ。「話の中でそういったスキャンダルにも触れることになると思うけど、僕は、もっと音楽の話や君たちに何が起こっていたかについて話したい。その時に起こったことは、なぜ起こったのか、どうやって起こったのか」って。パパラッチどもとの騒動や、解散間際に起こった出来事よりも、ネブワースの頃に起こったことにフォーカスしたいと伝えた。リアムもノエルもボーンヘッドもその方がいいって思ってくれたみたいだ。彼らは、自分たちの音楽がバカ騒ぎや彼らの抱えていた問題の中に埋もれてしまったのではないかということを気にしていたんだと思う。彼らに質問することが問題になることはなかったよ。どちらかといえば、僕の方がそういったスキャンダルについての映画ではなく、彼らの音楽活動に関する映画にしたいと主張していた感じだった。

■このプロジェクトの中で一番楽しかったことは?

MW:最初に入ってきた資料だね。それを撮った人以外は誰も見たことがないようなものが届くんだよ。バンドのメンバーは、ティム・アボットの映像を見たことがなかったらしい。昔見たことがあったとしても、次の日の朝に急いで見たとかで、ちゃんと見たことはなかったんだ。地球のほとんどの人は、それが存在することすら知らなかった。だから、その映像とか、また、後で日本からの映像とか、2番目のアルバムを作成している時の映像とか、ステージ裏の特別な瞬間などの映像とかが入ってきたときはすごく楽しかったよ。同じように、ジャーナリストによるインタヴュー映像なんかは、誰も聞いたことがなかったものだったりしたんだ。当時のジャーナリストたちも聞いたことがなかったんだよ。それが僕にとってはすごくエキサイティングだった。
 それから、特に興味深かったのは……。ギャラガー兄弟に何が起きたのか、彼らの関係は難しいって今では皆知っているし、ふたりのそれぞれにインタヴューはできても、ふたり一緒にインタヴューすることはできないってわかってた。でも、入ってきた映像を見ると、例えばティムが撮った『トップ・オブ・ザ・ポップス』の映像では彼らがふざけ合っているのが見えるんだ。ふたりの間に愛が見えるんだよ。すると突然失われたものが何かわかるんだ。もしかしたら……いや、彼らがなんとか仲直りしてくれるといいなって思うんだけど。
 そして、僕たちは皆彼らの間に愛があったってことを忘れていたし、また彼らも忘れていた。最初のセッションで彼らそれぞれと話す中で、僕が、「最初に一般的なことを聞いて、それから君の記憶を呼び起こすために映像をいくつか見せるね」って言って映像を見せたんだ。これは僕の思い込みかもしれないけど、かつてのふたりの関係はどんなものだったのか、また、どれだけ楽しそうにふざけ合っていて、どんなに親しい関係だったのか、それからどう展開して今はどうなったかを見て、彼らはふたりとも心を動かされているように見えた。それで、映画の中に当時のその瞬間に居合わせたような気にさせるような映像を含むことができるってことが分かったんだ。そこにカメラがあるということは、友達が撮っているっていうことでしょ。となると、そこに壁はない。見栄を張る必要はないからね。だから、そのとき何が起こっていたかっていうことを純粋に見ることができるんだ。

   


©Ignition

■映画で取り上げると、事前に決めていた曲や出来事はあったんですか?

MW:僕たちは進めていく中でどんな映画になるのかを発見していったんだ。最初にわかっていたのは、オアシスについての映画を作るチャンスがあるかもしれないっていうことだった。でもオアシスのどの部分の映画になるかはわかっていなかった。今のことなのか、昔のことなのか、それとも彼らのキャリア全体なのかはね。
 皆がそれぞれお気に入りの曲を持っている。僕のお気に入りは“Bring It On Down”だった。だからそれは1曲全部を入れなきゃと思ってたよ。それをモンタージュみたいにカットしてつなげて、その後にニューキャッスルでのけんかの場面を入れた。でも、結局それは編集でカットされちゃったんだ。すごく残念だった。僕が大好きな曲だったし、パンクっぽくて、粗野な感じでね。まだ映画には残っているけれど、僕たちが使いたい感じでは見せていないんだ。僕たちは静止画像を使って連続のアクション・シーケンスみたいに使ってよみがえらせた。だから、絶対映画に残ると思ってた。他の何をカットしてもね。でも結局ボツになったんだ。だから何が映画に残るべきかについての考え方を全く変えて、編集をした。
 フィオナは現場にしっかりと関わるプロデューサーで、サイモンがバンドとの連絡係で、ジェームスもいたし、また『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』と『AMY エイミー』っていう素晴らしい映画を作ったアシフもよく来て映画のだいたいのカットを見てアドバイスをくれた。彼らの感想は、「オアシスの歌を3曲ぐらいしか知らない人のことも考えないといけないよ」とか、「“Wonderwall”は絶対に入れないとね」といったものだった。僕はどっちにするか迷ってた。だって、彼らの曲は知られていたからわざわざ紹介する必要はないと思ったからね。でも特にアシフは、「彼らの曲は秘密兵器みたいなものなんだ。だから曲を使って、映画を見ている人に楽しんでもらうんだ」って言った。僕はそれに対して、「ん~、ファンはもう知っているし、使わなくてもこの世の終わりにはならないし」なんて思ってた。そこで思ったのは、ストーリーを伝える曲ならば使えると思ったんだ。だからいつも、それはそれがいい曲だからというよりも、ストーリーを物語っているからという理由で曲を使うようにした。


©Ignition

■このドキュメンタリー映画はノエルとリアムのストーリーの中でどんな役割を果たしていると思いますか?

MW:この映画が重大な役割を果たしているとまでは言えないね。ドキュメンタリーは結局僕たちの意見でしかないから。あるいはいろんな人々の記憶からコラージュを作っているにすぎないんだ。でも、あのバンドが達成したことや、彼らの歌の重要性や、その影響が今日まで人々に影響を与えているっていうことをこの映画が示しているんだと思う。
 彼らの影響はどの結婚式に行っても、どんなギグに行ってもわかる。今でもノエルがソロのツアーでどの曲を演奏しても、最初のコードを弾くだけで、後は聴衆が続けてくれる。もし仮に彼が引っ込んで、やかんを火にかけに行って、3分後に戻ってきたとしてもまだ皆は歌っているだろう。だからその意味では、この映画の重要性はどこにあるってわけでもない。
 僕たちが達成しようとしていることは、あの3年間にバンドが何をしたかっていうことを人々に思い出してもらうことなんだ。あの5人が達成したことは、本当にすごい。それから後に起こったことのために、また彼らの結末が面白おかしく扱われてしまったために、彼らの功績は、特に音楽の面で忘れられてしまった。だから僕たちはできるだけバランスを取り戻そうとしているんだ。
 人々が覚えているあの兄弟の姿っていうのは『サン』紙とか『ニュース・オブ・ザ・ワールド』紙とかのタブロイド紙が描いた姿で、現実をあまり反映していないからね。だから、できるかぎり、彼らの何がそんなに人の心を掴んだのか、何が人を魅了したのか、なぜ彼らは並外れた人物なのかを人々に思い出してもらうんだ。『ミラー』紙に書かれたとおりの人々じゃない。彼らは実在した実際の人間なんだってね。それが僕にとっては大切だった。だから僕たちがしたかったことは、ある意味で、バランスの取り戻しなんだよ。人びとは誇張された彼らの姿について話してきたけれども、彼らの音楽と人間関係について話してみようよって感じでね。


※『オアシス:スーパーソニック』は12月24日(土)より角川シネマ有楽町ほかにて全国公開

『オアシス:スーパーソニック』
監督:マット・ホワイトクロス(『グアンタナモ、僕達が見た真実』)
製作:フィオナ・ニールソン、ジェームズ・ゲイ=リース、サイモン・ハーフォン
製作総指揮:リアム・ギャラガー、ノエル・ギャラガー、アシフ・カパディア(『AMY エイミー』、『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』)
編集:ポール・モナハン/音楽:ラエル・ジョーンズ/再レコーディング・ミキサー:リチャード・ディヴィ/VFX&アニメ―ション:ザ・ブルワリー/VFX&アニメ―ション・スーパーバイザー:マーク・ナップトン/ミュージック・スーパーバイザー:イアン・クック、イアン・ニール
2016年/イギリス/英語/カラー/122分/日本語字幕:石田泰子/監修:鈴木あかね、粉川しの/配給:KADOKAWA
日本公式サイト:https://oasis-supersonic.jp/

Dexys - ele-king

 好きな本の一冊に、『アイルランド、自転車とブリキ笛』というのがある。タイトルからわかるように、アイルランドを舞台に、自転車を漕いで町から町へと旅する小説だ。物語からは大量のビールとともに、ペダルの音と人びとの声、ダンス、音楽(伝統文化よりも現代の大衆音楽、その痛快な言葉)が聴こえている。現代アイルランドといえばタックスヘイブンを指摘する向きもいるのだろうが、本書には国の分裂の歴史とイングランドの無慈悲差への怒りがこめられた政治的な話も出てくるものの、だが、基本的にはアルコールの霧に包まれた庶民の、ケルティック・ソウル溢れる話なのである。つまり、飲んでばかりでもうそろそろ身体がやばくなって医者の面倒になっても、おれはやるだけやったんだと、イェイツが生まれたからといって夢を打ち砕くほどの気候で、ダブリンの大気汚染はひどいし、そして現実主義者の国だけどな、というような。いや、もっと思慮深い物語なのだが。
 昔イギリス人の友人から、イングランドには「電球ひとつもまともに取り付けられない馬鹿な田舎モノのアイルランド人」というジョークがあるほど、アイルランド人はすました連中からの笑いモノだったという話を教えてもらったことがある。が、しかし、アイルランド人は義理堅く、人情家としても知られているとも。この季節(クリスマス前)にはよく耳にするシェイン・マガウアン(ザ・ポーグス)のあのコブシ回し、すなわち魂の揺さぶりからも、それはわかる。義理堅く人情深く、酒好き、そして脳天気──日韓ワールドカップのときにたまたまチケットが取れたのがアイルランド戦だったのだけれど、試合開始の2時間前には、スタジアムのまわりで500mlの缶ビール半ダースを抱えながら宴会をおっぱじめていたアイルランド人の大集団に、ぼくはシンパシーを禁じ得なかったものである。

 イングランド生まれだが両親がアイルランド出身であることから、2012年にデキシード・ミッドナイト・ランナーズ改めディキシーズとして再出発してからのケヴィン・ローランドは、30年前よりも、さらにダイレクトに、アイリッシュ/ケルティック・ソウルを追求しているようだ。本人たちの意志を越えてスーパー・ヒットしてしまって(カモン・アイリーンですね)崩壊したバンドだったが、デビュー前はザ・クラッシュのマネージャーだったバーニー・ローズも惚れ込んだという彼のデキシーズは、ザ・スペシャルズとも交差した、UKポストパンク時代における黒人“怒れる”ソウル”解釈の最良のバンドのひとつだった。もっともぼくと同世代人は、クリエイションから1999年にリリースされたローランドのソロ『My Beauty』(のジャケ)があまりにも強烈/衝撃すぎてしまい、そのことが過去のデキシーズへの見方にまったく影響がなかったといえば嘘になる……が、しかしそれもほんのわずかな時間で、長い目で見れば彼らのデビュー・アルバムを嫌いになったことは一度もなかった。同じように、デキシーズの地味な再活動も追っている人も少なくないだろう(いやいや、でも、あの頃デキシーズやザ・スペシャルズ、マッドネス、ザ・クラッシュやザ・ポーグスといったバンドを好きだった連中がネットをマメにチェックするとも思えないので、こうして半年後に「あ、出していたんだ」と気がついたりするものなのだろう。それはある意味、健全だ)。

 そう、本作『Let The Record Show』だが、じつはリリースは半年も前で、今日の情報速度で言えばもはや旧譜になるのかもしれないが、流行もクソもない、馬鹿な田舎モノの音楽であり、サブタイトル「Do Irish And Country Soul」からもわかるように、いや、わからないか……ロッド・スチュワートをはじめ、アイルランドの血を引くジョニ・ミッチェルやジョニー・キャッシュ、ビー・ジーズあるいは“煙が目にしみる”やトラッドなどをカヴァーしいているわけだが、2016年という、ビヨンセやソランジュのような、進歩的で政治的な“怒れる”R&Bが際だった年に、排水溝から湧き上がるこのソウル・ミュージックを聴いていると、それはそれでまた、たまらないものがあるのだ。
 それにしてもこのジャケット……写真……服装……これを見ただけでぼくは気持ちが上がってしまうのだが、さすがにこのセンスを読者諸氏も共有して欲しいなどとは思わない。もちろんこ洒落たカフェでネットをパチパチやっている連中に違和感を覚える若者もいよう。だからといって、この滑稽さ、洒脱さ、べたべたのエモーション、感傷、そしてパンクの香りとビールの匂いがわからない人を決してバカにしたりはしない。時代はとっくに変わった、という話ではないし、自己正当化など滅相もない。たんにぼくには、時代に逆行したいという思いを抑えきれなくなるときがあり、狂おしいほどヒューマンで、いまだに呆れかえるほどロマンティックなこの音楽を好きなだけなのである。

Novelist - ele-king

 Novelist(ノヴェリスト)はグライム・シーンで頭角を現した、若干19歳のMCである。サウス・イーストのルイシャムで育った彼は、14歳でMCとしてステージに立ちスキルを磨いたという。17歳の時にMumdanceとのコラボレーション「Take Time feat. Novelist」を発表、スカスカな909とベースラインの上で自らのスキルを見せつけた一躍有名となった。

 その後、〈XL Recording〉から「Novelist x Mumdance - 1 Sec EP」をリリース。荒削りな感覚を残した彼のトラックメイキング、ストレートな言葉と耳に残るラップNovelistのオリジナリティは際立っている。

俺はEndz(ストリート)からきた
俺の仲間もEndzで育った
1日中Endzにいる
クソなやつらは俺のEndzには来れない
(Novelist - Endzより)

 Novelistは、現時点では、もっとも評価の高いMCのひとりで、BaauerやChase & Statusにフィーチャーされ、ポップ・シーンでもその勢いは止まらない。
 初の来日パフォーマンスはPROXYサポートのもと、Carpainter (TREKKIE TRAX)、Double Clapperzなど国内外で存在感を増す東京のアーティストが共演。生で彼らのパフォーマンスを体感して欲しい。
 年明けの1月6日、場所は渋谷Sankeys TYO、料金は2000円!

Aphex Twin - ele-king

 えー、先日お伝えしたエイフェックスの謎の12インチ「Houston, TX 12.17.16」ですが、さっそく Discogs に登録されています。一昨日確認したときは4万3千円の値で出品されていたんですが、今日確認したら5万8千円に上がっていました。ひええ。ちなみにそれは、いちばん安いコピーの値段です。444万円で出品されているコピーもあります。ひええええ。アホですね。たいていのひとの年収を超えています。もはやギャグです。でもそういう「お祭り」のような事態を引き起こすことこそがエイフェックスの狙いだったのだとしたら、今回の限定リリースはそれ自体が非常によくできたポップアートであると言ってもいいのかもしれません。

 どんなサウンドなのかが気になりますが、購入者が音源を YouTube にアップしています。けっこうカッコイイです。

 Discogs によると、曲名はA面が「no stillson 6 cirk」で、B面が「no stillson 6 cirk mix2」。盤には「WAP348」と、ちゃんと〈Warp〉の品番も振られているようです。しかし、いまだ〈Warp〉のウェブサイト上では何もアナウンスされていません。続報を待ちましょう。

Hope Sandoval And The Warm Inventions - ele-king

 音楽がなしうる最良なことはなんでしょう? という質問をぼくはミュージシャン相手によくする。自分の意識を変える、気づきに契機になる……いろいろな人がいろいろな意見を述べる。どれも正しいと思うけれど、いまぼく自身がその質問に答えるなら、まずそれは酔えるからと言うだろう。生産的ではないし、それでは変革など起こらない。だが、ぼくが音楽を好きになったのは、陶酔できるからだった。学校や家のこともすべて忘れることができる。パンク・ロックも何かをしでかそうと、政治的な関心から聴いたわけではない。最初のうちは、ハマっていたかっただけ。音楽は最高のシェルターである。
 
 ホープ・サンドヴァルはそういうシンガーだ。彼女が歌えば景色は変わる。部屋は違う世界になる。すべてを忘れ、音のなかに沈むことができる。サンドヴァルは90年代にマジー・スターとして過ごした後、ザ・ウォーム・インヴェンションズの力を借りて、2001年に『Bavarian Fruit Bread』という名盤を発表している。ぼくはこのアルバムの素晴らしさをいつでも簡単に説明できる。これほど黄昏が似合う音楽はないと。知らない人は“On The Low”という曲を聴いてくれればいい。
 それから彼女は2009年にもアルバムを出しているだけれど、残念なことに前作ほど印象的なものではなかった。彼女の気体めいた声は変わらずも、決定的な旋律に乏しく、黄昏どきには『Bavarian Fruit Bread』をふたたび訪ねるしかなかった。
 なので、7年ぶりの3枚目『Until The Hunter』にも疑念がなかったわけではない。しかしCD購入にはなんの迷いはなかった。ホープ・サンドヴァルの新作なのだから。
 話は変わるが、サンドヴァルは、ここ数年、地味に作品を出している。たとえばマジー・スターとしてのシングルは2014年に出したり、2016年にはマッシヴ・アタックの新曲にもフィーチャーされていた。マッシヴ・アタックはこれで2回目の起用。彼女とマッシヴ・アタックが組むとはそれはもう黄昏どころではない。インクのように黒い真夜中になる。生きていれば、そのぐらいのほうが相応しい夜もある。
 
 結果からいえば『Bavarian Fruit Bread』にはおよばないものの、『Until The Hunter』には前作よりも佳曲が揃っている。良いアルバムだし、もし君がまだ彼女の音楽を知らないという、じつにもったいない人生を歩んでいるなら、最初の1枚として聴くのもアリだ。この、歌とギターのアルバムを──
 2曲目の“ The Peasant”におけるアコースティック・ギターとスライドギターの序奏を聴いたとき、たぶん、ほとんどのファンは嬉しかったはずだ。特筆すべき曲は、ほかに4曲目の“Let Me Get There”。カート・ヴァイルとのデュエット曲で、ふたりがハモるメロディはアルバム中もっとも滑らかで、キャッチーだと言える。それはひとりでとことん悦にいる類の光沢だ。
 アルバムで最高の曲は、“The Hiking Song”。間違いない。アコースティック・ギターのアルペジオは完璧なファンタジーを用意して、サンドヴァルの美しい歌声を迎え入れる。さあ丘に登って──と彼女は歌っている。何もかも忘れて丘に登ろうじゃないか。

Autechre - ele-king

 クラブ・ミュージックを聴くときの耳を用意するか。それとも実験音楽や現代音楽を聴くときの耳を用意するか。それによってオウテカの作品に対する評価は異なってくるだろう。
 前身のレゴ・フィートの音源を聴けばわかるように、オウテカのルーツはエレクトロやヒップホップにある。実際、90年代前半のかれらは〈Warp〉の「A.I. シリーズ」に参加する一方で、〈Mo' Wax〉のコンピレイション『Headz』にもトラックを提供していた。つまりかれらの音楽は、テクノとして聴かれると同時にアブストラクトなヒップホップとしても受容されていたのである。とはいえもちろん、「知性派」であるところのショーン・ブースとロブ・ブラウンのふたりは、誰にでもわかりやすい形でエレクトロやヒップホップを鳴らしていたわけではない。かれらのサウンドは「ポスト・ファンク」とでも形容すべき、あるいはわが編集長のかつての言葉を用いれば「メタ・ファンク」とでも呼ぶべきもので、決して万人に受け入れられるような大衆的な音楽ではなかった。にもかかわらず、ある時期までのかれらの音には、優れたポップ・ミュージックの持つ最高の快楽のようなものが具わっていたように思う。どれほど尖鋭的な試みをおこなおうとも、かれらの鳴らすサウンドの根底にはエレクトロやヒップホップに対する情熱が横たわっていた。そのように、テクノやヒップホップといったポップ・ミュージックとしての側面と、実験的あるいは前衛的な現代音楽としての側面とを絶妙なバランスで両立させていたのが90年代のオウテカだったのである。
 そのバランスが崩れていったのはいつ頃からだったろう。分岐点のひとつに『Confield』があったのは間違いないが、よりポップへの志向との決別が明確になったのは『Draft 7.30』だったろうか、それとも『Untilted』だったろうか、あるいは『Quaristice』だったろうか。
 いま振り返ると、『Confield』以降のオウテカの歩みは、どんどんポップさを切り捨てていく行程だったように思われる。もちろん、それはかれらの作品のクオリティが下がっていったという話ではまったくないし、かれらのヒップホップに対する情熱が失われていったということでもない(ショーン・ブースは『Draft 7.30』がリリースされたときのインタヴューで、ティンバランドやネプチューンズやジェイ・Zの独自性について語り、ブリトニー・スピアーズの“I’m A Slave 4 U”についても「良かった」という発言を残している)。だがかれらの、ポップとエクスペリメンタルとの間でかろうじて保たれていた、あのあまりにも危うい均衡にこそ魅力を感じていたリスナーには、00年代以降のかれらのサウンドはやたら浮世離れしたものに聴こえていたのではないだろうか。
 もしかしたら本人たちもそのことを自覚していたのかもしれない。10年代に入ってからのオウテカは、少しずつかつての均衡感覚を取り戻そうともがいていたように見える。そして、その長きにわたるリハビリを経てリリースされた『elseq 1–5』は、ついにかれらが往年の絶妙なバランス感覚を取り戻したことを告げている。

 通算12作目、『Exai』以来3年ぶりとなるこのアルバムは、フィジカルでは一切リリースされず、かれらのウェブサイト上でのみ販売された。前作も2枚組の大作だったが、今作はそれをはるかに上回る規模の超大作で、タイトルに「1」から「5」と冠されているように、CDに換算すると5枚組に相当するヴォリュームである。それゆえそのすべてを一気に聴き通すのにはかなりの体力を必要とするが、しかし不思議なことに忍耐力はそれほど必要ない。どういうことかというと、『elseq 1–5』は、00年代のオウテカの作品と比べて、かなりポップに仕上がっているのである。
 先行公開された“feed1”こそつい身構えてしまうような緊張感を醸し出しているものの、 “c16 deep tread”はオウテカらしいインダストリアルなヒップホップだし、ハードコア風パーティ・チューンの残骸を貼り付けたかのような“13x0 step”の出だしや、“latentcall”終盤のエレクトロには思わず胸が熱くなる。“chimer 1-5-1”にはかれらのキュートな部分が表れているし、“c7b2”や“mesh cinereaL”はある種の陽気さないし遊び心に溢れている。メロディアスな“pendulu hv moda”や“foldfree casual”は「EP7」に入っていてもおかしくない。このように、この超大作には「音を聴いてエンジョイすること」を促すトラックが数多く収録されている。
 とはいえ、かれらは何もヒット・ソングを量産する商業機械になったわけではなく、あくまでエレクトロニック・ミュージックのレフトフィールドを突き進む開拓者であることを堅持している。例えば“7th slip”には『Confield』のような官能的な実験があるし、複雑な展開を見せる長尺の“elyc6 0nset”には民族音楽のように聴こえる高音が差し挟まれていたり、かすかにダブ・テクノの香りを漂わせる“freulaeux”には4つ打ちと誤解させるような仕掛けが施されていたり、かれらはいまでも「“慣らされてしまったことへの服従”に抵抗する」ことを忘れていない。
 要するに、このアルバムではダンスへの欲求と思考への欲求とが、ポップへの志向とエクスペリメンタルへの志向とが、理想的な関係を結んで同居しているのである。オウテカはいまふたたび、エクスペリメンタリズムの使徒であることと同時に、ポップ・ミュージックの担い手であることも引き受けようとしている。この長大な『elseq 1–5』は、かれらの新しいマニフェストみたいなものだろう。だから僕たちは実験音楽や現代音楽を聴くときの耳ばかりでなく、クラブ・ミュージックやポップ・ミュージックを聴くときの耳も用意して、思う存分この素敵な超大作を楽しんだらいいのだと、そう思う。
 オウテカが、帰ってきた。

 去る10月に通算4作目のスタジオ・アルバム『ハネムーン・オン・マーズ』──UKダブの重鎮デニス・ボーヴェルがプロデュース、全盛期のパブリック・エネミーの仕事で知られるハンク・ショックリーも参加──をリリースしたザ・ポップ・グループの最新MVが公開された。監督は、元ジーザス&メリー・チェインのダグラス・ハート。ではどうぞ──


OG from Militant B - ele-king

パラダイス銀河3000

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