「Nothing」と一致するもの

2 類似したものの中の異なったもの - ele-king

 いきなり興醒めな印象を与えかねないが、最近は定額制ストリーミングで新譜を聴いている。なかなかどうして面白い。特にアメリカとブラジルにハマっている。技術やセオリーが風靡していないというか、ちょっとしたアイデアで新たな聴こえ方を模索しているようなところが面白い。先日GONNOさんと少しミーティングした時に、アメリカは自分たちの音楽に若干飽きてきているような雰囲気がある、と言っていたが、その反映なのか、ソンゼイラのように、知っているはずのイかしたものを取り戻そうという意志なのか、ただただ深読みか、ともかく、量で煽ってくるストリーミングに弄ばれないためにはちょっとした自分なりのコツが必要だからそういうことから眺めてみている。アナログで買うのが一番いいですが……。

 僕は、ドラムやリズムから眺めてみると記憶に残りやすい。山にドラムセットを広げて、iPhoneとイヤホンで気になった曲をコピーするという奇妙なことをやっているのだが、それをすると曲の仕組みみたいなものが少しずつ見えてくる。USインディーやブラジルの新譜をコピーすると、この曲にはこのパターンでとか、ビートを安易に対象化するのではなくて、一つリズムのエンジンをシンプルな形でフレーズに言わば物象化しつつ、そこからは外れないようにしながら曲展開に合わせて自由に展開していくという手法を感じる。例えば、ケヴィン・モービーの新譜のリード曲“City Music”。イントロはギア1からスタート、ギターインに合わせてリムショットとタム、フロア回しのシンプルなフレーズになるのだが、ベードラとスネアの関係は「ドッチ(タ)フードドチ(タ)」で、それは曲が終わるまで続く。ギターが抜けてベースと少し付き合ってから、タム、フロアが自然と抜ける。歌と共にハットが入る。至極シンプルなフィルのあと間奏でリムショットがスネアに変ってギアが少し上がる。また歌で少しギアが落ちるけど、前の歌よりは少しテンションが高い。それらが繰り返されてリスナーを揺さぶる。ギターリフとフィルでギアマックス、と思いきや歌になる度少し下げつつ、やはり揺さぶりながら全体のテンションが少しずつ上がっていく。しつこいまでの歌とギターリフの繰り返しに呼応するギアの変化。あからさまには上がらず、そこどこに気が配られているけど、エンジンがあるからノレるし、気付いたら上がっている。フレーズが物象化とは言い過ぎかもしれないが、それは、アフロや例えばエルヴィンのようなエネルギーの塊みたいなエンジンが自由に発信されていくことへのリスペクトとパロディ、そしてそこからの展開はちょっとしたアイデア、その聴こえ方は、実に気が利いている!

 飽きていることの証明なのか、「クラブでアフリカものとか普通に流れている」とGONNOさんは言っていたが、その実は行ってないからわからない。でも、ハットを抜いて、キープはリズムギターに任せてみるとか、このノリで行きたいからエンジンは決めつつそこから曲に合わせて発展させていくとか、そういうちょっとしたことでも少し新鮮になるかもしれない。また、それは、色んな音楽を見渡せばいくらでもあって、別段新しいことでもないかもしれないが、それをポップスに落とし込もうとする意志が、ビートに、音楽に宿るだけでも聴こえ方は変わる。
 ただ、ここに危惧がある。これだけ真似したら、今度はそれこそただの対象化になってしまう。彼らが何を考えて何を聴いてそうなったのか、正確に捉えるには話でもするしかないが、深読みでも勝手な詮索でもいいからルーツや出発点を見つけないといけない。彼らだってきっとそこから始まっている。僕はそこにアフロを感じる。どこがや、と思うかもしれないが、対象化の貼り付けリズムとの差はストリーミングでも充分にわかる。なんでもないビートが気持ちいいなんて、それだけでアフロ的だと、言い過ぎでも言いたい。
 そこで、もう一つの危惧が、ストリーミングでのコピーという点。10代の最後の頃、ニール・ヤングをレコードで聴いてノリの違いにびっくりした。“Heart Of Gold”だったか、レコード屋もない小さな街でレンタル屋や一人の友達にかりてせっせとMDに移植して聴いていた頃は、所謂タメの効いたビートだと思っていたのが、7インチで聴いたらタマっているどころか躍動感に溢れていた。90年代のCDの音質のこともあると思うが、騙されたと思った。他にも例はいくらでもある。ライブもとても大事だけど、逡巡の傷跡が最もよく刻まれたレコードはノリも伝える。レコードはいい。
 グリズリー・ベアの新譜なんて、フレージング自体もアフロ的で面白かった。レオナルド・マルケスプロデュースのミニマリスタ『Banzo』#1は、場面とフレーズの関係とビルドアップは“City music”に似ているかもしれない。#2は、パルチード・アルトの今!といったら言い過ぎだろうか。#3は、最高のアンサンブル隙間の効いたドラムの間を、ベースがいくのが頗る気持ちいい。ドメニコ・ランセロッチは、『オルガンス山脈』で、ショーン・オヘイガンと組んで、融合を見事にポップスに持ち込んだ。トニー・アレン新譜も楽しみだ。

 もしかしたら、僕自身がハズレも多いレコード収集に若干飽きているだけかもしれない。少なくとも、一人で田舎にいるのも、何故かなんだか済まない気がしてくる時があるから、せめて新譜を聴きに、叩きに、山に行っていないといけない。そうしたら、昔のレコードもあらためて新鮮に聴けるような気がする。


チャヴ 弱者を敵視する社会 - ele-king

 歴史の思い上がり
 殺人と同じだろうよ
 これが生活といえるか?
 彼はずっと稼ぎ続けている
 ジョン・ライドン(PiL)“キャリアリング”(1979)

 もう取り返しがつかないところまで来ているのはわかっている。それでもいちおう、確認しておこう。仕事とは、本来は換金活動だけがそのすべてではない。仕事≠稼ぎ、いや、仕事>稼ぎ、だ。家事も仕事であり、ある種の芸術もしかり、もちろんボランティアも仕事である。地球上には、仕事とはボランティアでしかないと考えるオーストラリアのマエンゲ族のような人たちもいる。ヨーロッパ的な思考だけがこの人類の絶対ではない。が、しかしいつしか人にとって、働くこと=稼ぐことになった。稼ぎはないが仕事はできる、という人はいなくなった。経済至上主義の価値観はこの40年で、日本でもすっかり定着している。

 2011年に初版が刊行された、イギリスの気鋭の若手ジャーナリストによる処女作を読んで、背筋が寒くなるほど再認識したのは、すべてを利潤原理の風下においた、新自由主義なるものの恐ろしさである。経済的効率をすべてにわたって遵守させ、人間の生活保証よりもそれを優先させるこの考え方は、日本においても、大大大問題である。経済至上主義の社会においては、公共事業が私企業化するばかりか、政府さえもそう振る舞う。向上心のない労働者は切り捨てられるだけではない。醜悪なものとなり、憎悪される。ブロークン・ブリテインとは、自分たちの政策が招き入れた社会の底辺を、なんとまあ、自らこき下ろした言葉だった。

 『チャヴ 弱者を敵視する社会』で詳説されるのは──、ぼくなりの解釈で言わせてもらえば、ひとつには、新自由主義がいかに世界を変えて、いかに人びとの生活形態や思考、つまり価値観までをも巧妙に変えていったのかということである。その経緯において、労働者階級/貧しい人たちはより惨めな存在となったばかりか、社会から敵視されるにまでいたった。

 悔しかったらがんばりなさい、そう彼女は言った。あなたが貧乏なのはあなたが悪い、自分を責めろと。彼女は当初から決して人気があったわけではなかった。今は昔、ヤッピーみたいな連中(儲けてはブランドものの服を着て、高級車を乗りまわすような上流気取りの連中)は、サッチャー・チルドレンと呼ばれ、とくに文化の側からは徹底的に軽蔑されていたのだが(87年の保守党大勝と言われた選挙でも保守党43%、労働党32%、その他23%、事実上は退廃だったが、総議席数で過半数を上回る)……結局のところ、当時のヨーロッパで最強の権限を持った彼女は反革命をやってのけた。
 本書は、具体的にはマーガレット・サッチャーからトニ・ブレア、そしてデヴィッド・キャメロンまでのイギリス社会の政治的変容が描かれている。それは福祉国家の有名無実化への道程、労働者階級衰退のプロセスである。文化にあたえている影響もまったく少なくはない。昔のように労働者階級から良いロック・バンドが出てくることもなくなったことの背景も、本書を読めばおおよそ理解できる。もっとも本書において労働者階級の文化は、伝統的な白人のそれで、移民がもたらした文化についての言及はない。

 言うまでもなく、日本人にとって福祉国家というのは憧れである。隣の芝は青いだけかもしれないが、福祉依存だなんて、そんな逆風さえ羨ましく思ってしまう。いずれにせよ、それを継続することは困難なのだろう。が、しかし……もうなんというか、サッチャーがプログラムに着手し、実行したそれを、旧来はサッチャーと敵対するはずのブレアが磨き上げ、さらにまたキャメロンが誇張した、いわば福祉的なるものを破壊するためのシステム=新自由主義の残酷さ/狡猾さを、人生のあり方や感情、人間関係も変えてしまうそのタチの悪さをこうしてまざまざと知ることは、先にも書いたように恐怖ではあるが、それを食い止めるためにも必要なことである。ブレイディみかこの『アナキズム・イン・ザ・UK』や『ヨーロッパ・コーリング』を読んだ人には、その解説書としても読める。

 もっとも、ここは日本である。最近は、寅さんが若い女性に人気だというから、日本にはある部分はイギリスにはない緩さがあるわけだが、経験的に言えばそれもまったくの善し悪しで、オーウェン・ジョーンズが本書で促している階級にもとづく(政治)意識を曖昧なものにしている。まあ、エリート/富裕層に譲歩してもらうためにも、せめて日本からも年収500万以下の人たちが自分たちの政党と思えるような政党が出てくるといいのだが、『動物農場』を生きているようなこの国で、人がやる気を失うのは無理もない……。が、オーウェン・ジョーンズが言うようにそれでも抗議すること、中流という幻想を払拭すること、デジタル時代になっても変わらぬ相互監視的なムラ社会からいい加減脱却してコミュニティ精神を取り戻すこと、連帯すること、それは基本である。ただし──スペインでのテロやアメリカでの騒ぎが目に入る今日、なんとも間が悪いかもしれないが──、本書においてジョーンズがもうひとつ語気を強めるのはこういうことだ。

問題なのは、左派が国際問題を優先させていることだ。労働者階級の多くは戦争に反対しているかもしれないが、それは住宅問題や仕事をしのぐほど差し迫った問題ではない。日々、支払いに苦しんでいるとき、わが子が安定した仕事や手頃な住宅を必死に探しているときに、何千キロも離れたところで起きていることに注力するのはむずかしい。皮肉にもBNPが、こうした日常生活にかかわる諸問題に、増悪に満ちた解決策を示しているときに、左派の活動家たちは、大学のキャンパスの外に人を配し、ガザに関する活動をおこなっている。もう一度言うが、それも重要な問題だ。けれど、海外の不当な戦争と反対するのと同じくらいの熱意とエネルギーを、労働者階級の人々が抱える喫緊の問題に向けていないことはもっと問題なのだ。  オーウェン・ジョーンズ(本書より)

Love Theme - ele-king

 ラヴ・テーマ。愛のテーマ。こんなバンド名で、アンビエント/サイケデリック・アルバムなのである。なんという直球と屈折か。そう、現在活動休止中というダーティ・ビーチズのアレックス・ザング・ホンタイの新バンド「ラヴ・テーマ」は、われわれに不穏と官能を教えてくれる。その意味で、ラヴ・テーマにはダーティ・ビーチズ的なエレメントが確かに受け継がれている。あの不穏と官能のフィードバック・ノイズを想起してほしい。あえていえば『ステートレス』より、EP『ホテル EP』的だろうか。異国の地の、見知らぬホテルに掛かっていたバレリーナの絵のような、あのムード、あの空気。時に表出するサイデリックなミニマル・ロックなサウンドは傑作『バッドランズ』を思わせもする。

 アートワークに目を凝らしてみよう。モノクロームのアジアか。50年代か60年代か。それとも80年代か。どこかの店先か。グラスらしきものが見える。何か飲食する店か。いや別の何かを売買する店か。その不穏なムードとフェイクなエレガンス。ブラウン管のテレビに移る女性の顔。白黒だから、というわけでもないがどこか夜のムードが漂ってくる。時間が停滞したようなムード。遠く離れたブラウン管のTV映像には時間がない。ただ点滅するだけである。イマージュの点滅・消滅。都市の記憶のようでもあり、20世紀的な都市のアンビエント/アンビエンスでもある。つまりはラヴ・テーマのサウンドのムードそのものだ。煙の中に消えていくようなツイン・サックス。36mmフィルムの持続のようなドローン。煙のようなノイズ。霞んだリズム。東アジアの地で聴こえてきたジャズ。旅人の、音楽の、淡い記憶のような音楽、音響。グローバル資本主義が世界を覆い尽くす直前の、どこか猥雑な都市の光景と記憶のアンビエンス/アンビエント。

 ラヴ・テーマのメンバーは、サックスを演奏するアレックス・ザング・ホンタイと、同じくサックス・プレイヤーでもあり本作ではアレンジも担当しているオースティン・ミルン、シンセサイザー奏者サイモン・フランクの3人だ。彼らの音が濃厚な空気のように溶け合い、交錯し、混じり合い、ラヴ・テーマならではの濃厚なアトモスフィア生み出している。アルバムは彼らの即興的セッションを素材とし、ロンドン、LA、台北のあいだでデータの交換がなされ、編集・完成したという。1曲め“デザート・エグザイル”は、人工的でありながら生々しい弦の音(シンセだろうか?)に揺らめくようなサックスの音と音響的旋律が重なる。いくつものドローン、アンビエンス、ノイズの交錯が耳の遠近法を狂わす。A面3曲め“ドックランズ/ヤウマテイ/プラム・ガーデン”では霞んだサウンドのビートも加わりミニマル・サイケなムードが満ちてくる。ダーティ・ビーチズが『バッドランズ』でサンプリングした裸のラリーズのような雰囲気とでもいうべきか。真夜中のサイケデリック。続くB面では、アンビエント・ジャズな“シーズ・ヒア”から“オール・スカイ、ラヴズ・エンド”の前半を経由し、その後半でまたもビートが鳴り始める。フリーキーなサックスと霧のごときシンセサイザーのサウンドも官能的だ。この不穏な空気感、時間感覚はデヴィッド・リンチの映画のようである(と思っていたらなんとリンチが監督する『ツイン・ピークス The Return』に、あるバンドのサックス・プレイヤーとしてアレックスがゲスト出演している。まさに「いろいろと繋がってくる」2017年、といったところか)。

 21世紀の今、ありとあらゆる場所が「蛍光灯」の光で可視化され、感情と冷酷のあいだで無=慈悲化が進行している。二極化する21世紀的環境と状況の只中で、アルバム『ラヴ・テーマ』は黒の中に溶け合うような夜のムード/真夜中の音楽のアトモスフィアを鳴らしている。まるで異郷の都市を訪れた旅行者の彷徨のように、このアルバムはわれわれを迷宮に連れて行く。不穏と官能による愛のメランコリアのアンビエンスが、ここにある。

MOTHERF**KER - ele-king

 1992年にスタートしたレーベル〈Less Than TV〉は、日本屈指のレーベルで、これまでU.G MAN、bloodthirsty butchers、ギターウルフ、DMBQ、BREAKfAST、ロマンポルシェ……2MUCH CREW……などなど、ひと癖もふた癖もあるようなハードコアなバンドを輩出してきたことで知られる、まだ活動中だというのに、あまりの個性の強さゆえか、最近ではなかば伝説となっているが、この度、レーベルの栄光の25年が映画となって公開されるぞ! すごい、とにかく、観てくれ!

『MOTHER FUCKER』
出演:谷ぐち順、YUKARI、谷口共鳴ともなり他バンド大量
監督・撮影・編集:大石規湖|企画:大石規湖、谷ぐち順、飯田仁一郎|制作:大石規湖+Less Than TV
製作:キングレコード+日本出版販売|プロデューサー:長谷川英行、近藤順也
1:1.78|カラー|ステレオ|98分|2017年|日本|配給:日本出版販売|©2017 MFP All Rights Reserved.

公式HP:mf-p.net
@MFP0826 / facebook.com/MFP0826

■出演バンド
idea of a joke (コピー)、VOGOS、TIALA、NICE VIEW、U.G MAN、PUNKUBOI、2MUCH CREW、MILK、ジョンのサン、SOCIAL PORKS、THE ACT WE ACT、HARD CORE DUDE、碧衣スイミング、Dancebeach、トゥラリカ、ColorMeBloodRed、ECD+ILLICIT TSUBOI、脳性麻痺号、THE人生ズ、森本雑感+FUCKER、ゲバルト、泯比沙子+岡崎康洋(蝉)+Nasca Car、その他の短編ズ、V/ACATION、CUBEc.u.g.p、オオクボ-T+GENTAROW、オクムラユウスケ、デラシネ、GOD'S GUTS、idea of a joke、BREAKfAST、bloodthirsty butchers、Suspiria、ANGEL O.D.、BAND OF ACCUSE、Rebel One Excalibur、ENERGISH GOLF、ジャンプス、SiNE、Gofish、Ohayo Mountain Road、トンカツ、FAAFAAZ、odd eyes、Test Pattern、DODDODO BAND、MASTERPEACE、黄倉未来、WARHEAD、DEATHRO、ロンリーFUCKER、ニーハオ!、Limited Express (has gone?)、チーターズマニア

8/26(土)〜9/8(金)|渋谷HUMAXシネマ
9/9(土)〜9/15(金)|シネマート心斎橋
9/16(土)〜9/22(金)|シネマート新宿
9/23(土)〜9/29(金)|名古屋シネマテーク
9/30(土)〜10/6(金)|広島・横川シネマ
10/21(土)〜10/27(金)|桜井薬局セントラルホール
10/28(土)〜11/3(金)|京都みなみ会館
以降神戸・元町映画館他全国順次公開!
限定ステッカー付き特別鑑賞券1,300円絶賛発売中!
上映劇場窓口、ディスクユニオン13店舗、Less Than TVライブ会場にて限定ステッカー付き特別鑑賞券1,300円発売決定!

<ディスクユニオン取扱店舗〉
オンラインショップ、新宿パンクマーケット、新宿日本のロック・インディーズ館、渋谷パンク/ヘヴィメタル館、お茶の水駅前店、下北沢店、吉祥寺店、町田店、横浜西口店、千葉店、柏店、北浦和店、大阪店

※以下、資料より抜粋
Less Than TVって何なんだよっ!?

〈最低〉だから〈最高〉すぎる! 面白い事だけを追求して25年。

 あなたはご存じだろうか? 知ってる人は知っている。知らない人はもちろん知らない。名前は知っているけど何をやっているのか良く分からない、そして、虜になった人もその魅力を説明できない…。25年の間、ある意味で正体不明、謎の音楽レーベルであり続ける集団がいる。1992年、とにかく面白い事を探していた北海道出身でGOD'S GUTSの“谷ぐち順”を代表にU.G MANのUG KAWANAMI、DMBQの増子真二を中心とした仲間たちがノリと勢いと情熱でアメリカのBLACK FLAGのレーベルSSTやShimmy Discなどに憧れ立ち上げた世界的にみても奇妙奇天烈な音楽レーベル、それが“Less Than TV”だ。パンク、ハードコアを基本としつつも彼らの感性の下、あらゆるタイプのアーティストが紹介されてきた。bloodthirsty butchers、ギターウルフ、DMBQ、BEYONDS、ロマンポルシェ。……等。“Less Than TV”が音源をリリースしてきた一癖も二癖もあるバンドたちは異彩を放ち、その後メジャーデビューしたものも少なくない。しかしレーベル自体は今もなおアンダーグラウンドを暴走し続けている。
 気をぬいたら負け、ぶちかませ!!!
 なぜ集うのか? 彼らはそこを選び、今夜も地下で激しく音と笑顔をぶつけ合う。
 Less Than TVには誰でも参加することが出来る。ジャンルの縛りや年齢制限、上下関係、酒の強要、打ち上げの参加義務と言った古き良きロックにありがちなしがらみは一切ない。そして、ステージ上のミュージシャンは極めて偉大では無い。そのかわり、ステージの上で遠慮は無いし、一切の妥協も許されない、〈気をぬいたら負け、ぶちかませ!!!〉才能が無くても、技術が無くても本気で面白いことを追及してさえいれば誰だって主役になれる。だからこそ、そこに集い“Less Than TV”の空間を作るオーディエンスこそが偉大な表現者なのかもしれない。そんなイベントはいつでも花見や夏祭りの様に笑顔で溢れている。一体どうしてこの様な集団が生まれたのか?その答えを探ろうにも、あろう事か商売っ気すらも持ち合わせていない代表である谷ぐち順がもっともその祭りを謳歌しているのであった……。
 カメラは“Less Than TV”と共鳴してドキュメンタリー映画を崩壊させる。
 魅了されてしまった映像作家、大石規湖映画監督デビュー!
 そして、8歳の少年もハードコア・デビュー!

Oneohtrix Point Never『Good Time』を聴く - ele-king


Oneohtrix Point Never
Good Time Original Motion Picture Soundtrack

Warp / ビート

Soundtrack

Amazon Tower iTunes

 いま、「マックvsマクド」というキャンペーンをやっている。日本各地で「マック」と略されるマクドナルドのことを関西圏だけは「マクド」と呼ぶことから対立の図式を喚起し、購買意欲を煽っている。どうやら味も違うらしい。
 日本に初めてマクドナルドが出店される時、ネガティヴ・キャンペーンというものが盛んに行われていた。ウィキペディアを読んでみると、オープンした日時も場所も僕の記憶とは違っているのだけれど、マクドナルドが銀座三越の(店内ではなく)外壁部分にオープンした当日、僕はクラスメート7~8人と横一列に並んで、せーので「猫肉バーガー、下さい」と注文した。マクドナルドは猫の肉を使っているというネガティヴ・キャンペーンが浸透していたからである。窓口の店員さんはそのような嫌がらせは想定済みといった様子で「当店は100%ビーフを使用しております」と即答、僕らは「じゃー、それを下さい」と声が小さくなってしまった。これに対して、関西では「あんなものを食べるとマクどうかなるド」というネガキャンが行われていたと聞いた。深夜ラジオで誰かがそう言ったことを覚えている。「マクド」という略称はもしかするとそれが起源ではないだろうか。ネガキャンのかけらが定着してしまったのではないかと。少なくとも東京では「マクドウカナルド」という言い方は広まっていなかった。

 マクドナルドがオープンしたり、オイルショックが起きたりした頃、僕は洋楽といえばラロ・シフリンに夢中だった。「燃えよドラゴン」を入り口に、しかし、ブルース・リーにはまったく心動かず、テーマ曲を作ったラロ・シフリンに興味が向いた。そして、そのうちに〈CTI〉というレーベルに辿り着いた。初めて興味を持ったレコード・レーベルで、中学生が聴くようなものではなかったと思うものの、アニメ・ソングにも多用されていたからか、ジャズ・ファンク・フュージョンはやはり馴染みやすく、華やかなホーン・セクションとタイトなリズムを求めてデオダートやアイアート・モレイラといった南米音楽にもするするとアクセスすることができた。カタログを見ながらどんな音楽か想像している時間の方が長かったような気もするけれど。
 ジャズ・ファンク・フュージョンはそして、いつしかフュージョンと省略される頃になるとダイナミックさを欠き、トレード・マークだと思っていたホーン・セクションをカットするものまで現れた。ニューエイジの始まりだった。

 OPN のリリースには、ごく初期からニューエイジというタグが付けられていた。ヤソスやエリアル・カルマを追ってエメラルド・ウェブやエドワード・ラリー・ゴードン(ララージ)といったニューエイジの再発も同時並行的に増えつつづけ、そういう人になるのかなという側面もあったけれど、『リターナル』の冒頭に収められていた“Nil Admirari”などOPN自体はどんどんと変化していき、知名度が上がってからは『レプリカ』でそうした側面に少し揺り戻す程度だったと言える。その後の『ガーデン・オブ・ディリート』フォード&ロパティン名義やを聞いた人には彼がニューエイジとタグ付けされていたことさえ不思議なことに思えるかもしれない。現在は閉じてしまったものの、彼が運営していた〈ソフトウェア〉というレーベルも彼の興味がどこかに定まっているようには思えず、なんというか、フットワークが軽すぎて基本的な姿勢さえよくわからないところがこの人のいいところだと思えるほどである。そして、ソフィア・コッポラ『ブリング・リング』への起用をきっかけにOPNことダニエル・ロパティンは映画音楽にも活動のフィールドを広げ、早くもジョシュア&ベニー・サフディ『グッド・タイム』でカンヌ映画祭のサウンドトラック賞を受賞してしまった。日本人のカンヌに対する見方にはかなり疑問があるけれど、まあ、とにかくOPNはそういった賞を受賞した。おー。

 どんな映画なのか、作品を見てないので映画音楽としてどうなのかと言うことはわからない。最近だとダニー・エルフマンが音楽を担当した『ガール・オン・ザ・トレイン』はあんまり内容と合ってないじゃないかと僕は感じながら観ていた。日常のささいな変化からストーリーが大きく展開していく同作にエルフマンの曲はあまりに大袈裟だと思えたからである。反対にミカチューを起用した『ジャッキー』は音楽によって映像の中に連れ去られる感覚が素晴らしく、サブリミナル効果も含めて相乗効果は抜群だった。自分が想定していた使われ方とは違うものだったとトレント・レズナーが語る『パトリオット・デイ』も作品を何割り増しかよく見せていた。音楽に関してはあまり褒められない邦画でも『彼女がその名を知らない鳥たち』(10月公開)では、こんな使い方をするのかとかなり驚かされた。やはり映画とワンセットで聞かなければ映画音楽の良し悪しは判断できない。しかし、ここには『グッド・タイム』のサウンドトラック盤しかない。音楽だけを聞くしかない。

 なんだか知らないけれど、とにかく切迫している。虚無感を煽りつつ、まだ希望は捨てきれない~みたいな展開である。映画っぽい(映画だし)。パニック映画だろうか。それともギャング映画? 今年はクリフ・マルティネスが『ネオン・デーモン』で80年代初頭のダサいシンセ・ポップを退廃したイメージの中に上手く落とし込んでいたけれど、それと被る印象もある。ジャズ・ファンク・フュージョンがフュージョンへとパワーダウンしていく際にディスコを取り入れることでダイナミックさを失わなかった方法論。ダサくても生き延びることを優先するというB級感覚に裏打ちされ、ゴミ溜めの中からホーリーなものを立ち上げるという美学とも言える。『ネオン・デーモン』はピークを過ぎ、虚栄の都市と化している現在のロサンゼルスをスタイリッシュに描くという嫌味なアプローチがどこか子どもっぽくもあったけれど、そのような韜晦さからは距離を取っているという印象だろうか。『グッド・タイム』の方がもっとリアリティを重視しているのかもしれない。それこそホーン・セクションは一切使わず、シンセサイザーだけで押し通すために最後まで虚無感は消え去らない。そして、最後にイギー・ポップが歌い出し、ロック的な皮肉が充満する。そう、猫肉バーガーでも食わされたような気分である。

発売から10年を経たいま、
初音ミク/VOCALOIDを取り巻く状況はどうなっているのか?
その現在をあぶり出す!

●表紙イラスト: PALOW

●イラスト: vivi

●初音ミクの過去・現在・未来
佐々木渉 ロング・インタヴュー
大友良英 × 佐々木渉 対談
佐々木渉 × しじま 対談
伊藤博之 インタヴュー

●楽曲紹介
エレクトロニカ、フューチャー・ベース、ラップ / ヒップホップ、
オルタナティヴ / ロック、クラシカル、……
ネット上に氾濫するさまざまなボカロ音源を整理し、
再生数に関係なく厳選した90曲以上を紹介!
いまボカロ・シーンはどうなっているのか?
ここ数年の動向に焦点を絞った決定版カタログ!

●インタヴュー / 対談
Mitchie M × 佐々木渉
ピノキオピー
DECO*27
ATOLS × きくお (聞き手: ヒッキーP)
ばぶちゃん × 廻転楕円体 (聞き手: ヒッキーP)
松傘 × でんの子P
Super Magic Hats

●椎名もた (ぽわぽわP) 追悼対談
曽根原僚介 × Yuma Saito

●コメント
Laurel Halo / Oneohtrix Point Never / Big Boi (Outkast)

●コラム、エッセイ、クリティーク、etc.
上林将司 / かんな / 佐藤大 / さやわか / しま / 辻村伸雄 & 片山博文 / デンシノオト / 遠山啓一 × 米澤慎太朗 / 仲山ひふみ / HAPAX / 八木皓平 / 吉田雅史

●未発表曲ダウンロード用 アクセス・キー封入
※ダウンロード期限は2017年12月31日までです。

contents

------------ Chapter 1
Hatsune Miku 10th Anniversary 初音ミク10周年

佐々木渉 ロング・インタヴュー ▶初音ミクの過去・現在・未来
大友良英 × 佐々木渉 対談 ▶初音ミクが変えたもの――20年ぶりの再会
佐々木渉 × しじま 対談 ▶手塚治虫×冨田勲×初音ミク――
              狂気のコラボ作品がリリース!
伊藤博之 インタヴュー ▶クリプトン・フューチャー・メディア代表
             が思い描くのあり方

------------ Chapter 2
Expansion and Deepening of Vocaloid Music ボーカロイド音楽の深化と拡張

■how to sing like human
[dialogue] Mitchie M × 佐々木渉 ▶もしもボカロが使えたなら
[interview] ピノキオピー ▶「ボカロでしょ?」という壁をぶっ壊す
[catalog] 人間のように歌わせる技術
[column] 上林将司 ▶ヴォーカル・シンセサイザーの変遷
■electronica
[dialogue] ATOLS × きくお / ばぶちゃん × 廻転楕円体 ▶電ドラ四天王、降臨!
[interview] Super Magic Hats ▶ヒューマンなものを作りたい
[dialogue] 曽根原僚介 × Yuma Saito ▶追悼 椎名もた(ぽわぽわP)――
      『生きる』は死ぬために作ったんじゃない
[catalog] エレクトロニカ
[comment] Laurel Halo
[critique] 仲山ひふみ ▶ミクトロニカから遠く離れて
[comment] Oneohtrix Point Never
■future bass
[column] しま ▶Future Bassとボーカロイド
[dialogue] 遠山啓一 × 米澤慎太朗 ▶物産展やろうぜ!――
      フューチャー・ベースの隆盛を経て
■rap / hip hop
[dialogue] 松傘 × でんの子P ▶ボカロにしかできないことを
[catalog] ラップ/ヒップホップ
[comment] Big Boi (Outkast)
[critique] 吉田雅史 ▶ジルとミクの出会うところ
■alternative / rock
[interview] DECO*27 ▶メロディをメロディにしていく作業
[critique] さやわか ▶ボカロの本丸としてのVOCAROCK
[catalog] オルタナティヴ/ロック
■classical
[critique] 八木皓平 ▶「模倣」と「解体」~冨田勲と初音ミクについて~
[critique] デンシノオト ▶〈光〉のオペラ/『THE END』論
■various styles
[catalog] 様々な歌唱のあり方
[catalog] R&B、レゲエ、ジューク/フットワーク、ジャズ、etc.

------------ Chapter 3
Various Views Surrounding Hatsune Miku 初音ミクをめぐるあれこれ

上林将司 ▶「初音ミク」というMMORPGを始めて10年経った話
かんな ▶MikuMikuDanceの文化と歴史
佐藤大 ▶映像端子に音声端子をぶち込むように
辻村伸雄、片山博文 ▶歌う惑星――初音ミクのビッグ・ヒストリー的意味
HAPAX ▶初メテノ音、未ダ来ラズ――絶対的な孤独への道標

Call And Response Records - ele-king

 近々、『Quit Your Band! (仮題:バンドやめようぜ!)』という翻訳本を出そうと思っているんですけどね。別冊エレキングの『コーネリアスのすべて』に登場して日本の音楽における「洋楽の引用/誤用」と「なぜ日本人はおかっぱ頭なのか」等々、なんとも興味深い話を展開しているイアン・マーティンさん、『ガーディアン』や『ジャパン・タイムス』に寄稿する在日13年の英国人音楽ジャーナリストの氏が昨年上梓した本で、欧米ではけっこう話題になっております。英語ですが、この記事を読めば、「むむ」っと来るかも
 簡単に言えば、イギリス人が日本のロック/ポップス・シーンをばっさりと論じた内容で、とくにJ-POPやアイドルに「?」(シニカル)な人には必読本でしょう。また、ライヴハウスで活動しているバンドには勇気が湧いてくるかもしれないです。
 で、そのイアンさん、自分でレーベル〈Call And Response Records〉なるレーベルも運営して日本のインディ・ロック・バンドをフックアップしています。先日、初のレーベル・コンピ『THROW AWAY YOUR CDS GO OUT TO A SHOW』がリリースされました。日本の音楽メディアが紹介しきれていない、商業主義とは縁のない、エネルギッシュなバンドの音源が収録されています。
 以下、レーベル資料から抜粋。
 「本コンピレーションアルバム「THROW AWAY YOUR CDS GO OUT TO A SHOW」は、イアン・マーティンによる6ヶ月間の日本47都道府県のローカルインディー音楽取材旅の際に構想を得たものであり、東京のみならず取材先で出会った東北、中部、関西、中国、九州からのバンドが参加している。本コンピリリースにあたり、各都市でリリースイベント実施予定! 」
 9月から11月にかけて 広島、福岡、仙台、京都、名古屋、東京でイベントあり。
 日本はインディ・ロック・バンドの宝庫である。ぜひ、注目して欲しい。


https://callandresponse.jimdo.com/releases/various-artists-throw-away-your-cds-go-out-to-a-show/

弟の夫 - ele-king

「誰もが差別撤廃と難民について語る。だが、クィア・ピープルこそが最大の難民集団なのだ。」 ―ヴィーランド・シュペック、ベルリン国際映画祭パノラマ部門ディレクター (2016.03)

 「何故いまだにベルリン国際映画祭テディ・アワードのようなLGBTQ映画賞が重要なのか(英語)」と題された昨年のインタヴュー記事のなかで、このテディ・アワード(1987年創設。クィア ≒ LGBT 映画における世界示準のひとつ。毎年ベルリン国際映画祭全上映作の中から選出される)の共同設立者であるヴィーランド・シュペックは当時の「難民パニック」の最中に上記のように答えている。記事のタイトルからも窺えるように、近年「LGBT映画・映画祭・映画賞という枠組みはその役割を終えつつあるのではないか」といった意見を耳にするようにもなってきたが、ヴィーランドの発言はそうした一部の流れに対する牽制でもある。

 先ごろ全4巻で完結した漫画『弟の夫』を発表した田亀源五郎はおよそ四半世紀に渡り、日本においてゲイのエロティシズムをいかに表現するか、という道なき道を切り拓いてきたパイオニアである。もちろん彼より前にも「ゲイ・エロティック・アート・イン・ジャパン」として連綿と先行してきた作家たちの作品は──時代的な制約からあくまで極く一部の領域で共有される形で存在せざるを得なかったとしても──たしかな水脈として受け継がれていて、田亀作品にしても木の股からいきなり産まれたものではない。が、彼がとりわけ特異な存在であるのは、あくまで自身の欲望に根差した表現活動を続けながらも、それを可能な限り遠くまで届ける事に意識的な作家としての姿勢であり、ゲイ・メディア以外の媒体が田亀源五郎を発見するのは時間の問題だった、とも言える。

 より広範な、そしてより外側に想定された読者に向けて発表されることになった新作『弟の夫』において、田亀源五郎はこれまで自身が技巧を尽くして表現してきたゲイのセックスという、謂わばこれまでの主柱であった要素をすべて外した。いままで使わなかった題材を軸とし、作家として培ってきた技術を駆使して組み上げられた作品は、かつて日本に存在しなかった類の表現物として読者に届けられた。本作は「月刊アクション(双葉社)」に2014年11月号〜2017年7月号まで連載され、連載中の2015年には第19回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞した。また単行本は現時点で仏語、英語、韓国語にも翻訳されている。

 1人娘の夏菜と暮らすシングルファーザーの弥一には双子の弟である涼二がいたが、彼はカナダに渡って男性と結婚し、そこで亡くなる。涼二の死後、弥一にとっては「弟の夫」にあたるカナダ人ゲイ男性、マイクが日本を訪れて弥一・夏菜と3人で過ごした三週間の日々が綴られる、言ってみれば「遺族たち」の物語であり、海を隔てて顔を合わせることのなかった二者が出会うことで物語は動きはじめる。第1話のタイトル『黒船がやってきた!』に象徴されるように、日本人側にとってマイクは突如としてやってきた強烈な異文化圏の人として登場する。(ちなみにマイクがペリー提督と同じアメリカ人ではなくカナダ人に設定されているのは連載開始当時、アメリカではまだ全土では同性婚ができる状態では無かったからでもあるが、同時にアメリカとカナダのどこが違うか、などと考えることもない弥一・夏菜の「外国」への距離感をそれとなく示している)
 
 弟がたまたまゲイだった、ということを除けば弥一は同性愛に関して取り立てて知識も理解もない、ごく平均的な日本のヘテロセクシュアル男性として登場し、小学3年生の夏菜に至っては白紙状態である。また夏菜の「パパに弟がいたの!?」といった台詞からも判るように、弥一が涼二の存在を無いものとして扱ってきたことも明かされる。当然ながら日本のスタンダードに合わせて自分を隠す事などしないマイクが、この2人をはじめとした周囲に静かにかつ確実な影響を与え、当初はぎこちない緊張感を漂わせていた3人の関係が深まっていくさまは読者に深い感動をもたらす。ゲイのキャラクターが物語の単なるアクセントや色モノとしてではなく、本筋に欠かせない存在として機能している「良質のホームドラマ」が成立したこと自体画期的ではあるが(またこの作品には『現在カップルです』という状態の人が一組も登場しない、ということも付け加えておくべきだろう)、『弟の夫』が現在の日本にとって重要な作品である一番の理由はその点ではない。

 『弟の夫』において静かな凄みを帯びた瞬間は、メイン3人がそれ以外の人たちと接触する際のエピソードで顕著に現れる。同級生やその家族、近所の人、小学校の担任などの周囲の人々がマイクを見る視線、面と向かっては言われない言葉、外国人(+ゲイ)が良くも悪くも異物として扱われる空気、そうした一見些細に見える出来事によって引き起こされる感情の軋みに、自らの内部にもそうした「世間の目」が深く入り込んでしまっている弥一の煩悶を重ねることによって、この国ができるだけ見ないようにしているものが浮かび上がってくる。例えばこの作品のなかにもゲイの日本人は登場するが、マイクのようにオープンに生きている人物は皆無である。ロールモデルとなる日本人ゲイが存在しないこの世界は、残念ながらリアルなものだ。そして弥一はつい「日本ではあまり同性愛差別は聞かないって涼二も言ってた(とマイクから聞いた)」などと二重にも三重にも他人事のように口走ってしまう。

 自分ですら国外で「日本の同性愛者が置かれた状況はいまどうなっているのか?」といった漠然とした質問を受けることがたまにあるが、答えはじめると決まって「同性と付き合うこともセックスすることも違法ではない、ないが一方で国レヴェルで自分らの人権を守ってくれる法律もない。とくに都市部で(用心深く)暮らしていればあからさまな差別を受けることもないが、かと言って職場や家庭で気軽にカミングアウトできるような状況でもなく」などと無い無い尽くしで韻を踏みはじめてしまい、自分が話している内容に苛立ったまま終わる。『弟の夫』もそれに似た苛立ちと憤りを、あくまで穏やかなトーンの中に込めているが、苛立ちの対象が見えづらい事がまたそれに拍車をかける。

 見えづらい、とはつまり闘うべき相手の像が何だか定まらないと言うことである。「日本はキリスト教がベースにある国とは違って同性愛者に対する偏見は薄い」といった発想もそうした数ある煙幕のうちのひとつであり、よほど気力と体力と能力に恵まれた者でなければ個人として対抗できるようなものではない。『弟の夫』の涼二は賢明にもそれを悟って日本を出た。形式的にはどこまでも合法的な移民ではあるが、実質的に国を捨てる選択をしたのである。この涼二というキャラクターは、ほぼ追憶と伝聞と幻影としての姿でしか登場しないが(彼の顔が明瞭に描かれるのは物語も終盤に差し掛かる辺りである)日本と縁が切れてしまっても仕方がない、という諦めとともに渡航したらしい事はそれとなく示唆されている。

 「難民としてのゲイ」に関してやや脱線すると、イスラエルの映画監督、Yariv Mozerが2012年に制作したドキュメンタリー映画『The Invisible Men』の中である若いパレスティナ人ゲイの青年はこう言う。「自分はパレスティナ人だ、いつだって祖国のために闘う準備はできている」と。しかし彼の祖国で警察はゲイである彼を拘束し便器に顔を突っ込んで拷問したり、親族は「今度お前を見かけたら、殺す」と脅迫するような土地柄なので彼らは仕方なく(本来なら彼らの「敵」ではあるが、取り敢えず同性愛では罰せられない)イスラエルの首都テルアビブに逃げる。すると今度は「不法滞在のパレスティナ人」になってしまい、結局はNGOを頼って難民として第三国に移住する。「そんな寒いとこなんてやだ、しかもこの歳でいちから外国語を憶えなくちゃいけないなんて」などと不平を言いつつも、彼らにとって安全な場所は外国にしかない。冒頭に引いたヴィーランド・シュペックが言ったように、性的少数者は数の上では恐らく世界最大の「難民」と見做せるだろうが、厄介なことに世界のあらゆる場所に点在して生まれるので、自分の属する家族やコミュニティーが味方なのかどうかすら疑心暗鬼のままで育たざるを得ない。「✕✕人/✕✕族/✕✕教徒であるため」であるとか「住んでいる地域が紛争状態で」といった理由の難民集団とはまた違う、そして子供にとっては余りに重い、個としての困難が最初から付いて回るからだ。

「同性愛者が子供に悪影響だと考えるような大人の/その子供が同性愛者だったとしたら/その子が親に/カミングアウトしたら/自分にとって最も身近な人が/自分のことを良く思わない人生で出会う最初の敵になるかも知れない」―『弟の夫』第3巻 p.15

 物語の後半ではこんな風に考えるようになった弥一だが、涼二にカミングアウトされた当時、困難に直面した弟の姿をはっきりと捉えることはできなかった。弟のセクシュアリティーを受け入れたことにはしていても、それ以上の対話が深まることも無いままに弟は海を渡り「向こう側の人」になる。涼二の死後、向こう側からやって来た彼の配偶者との交流を経て、初めて弟の姿が生きた人間のそれとして立ち上がり、弥一は深い後悔と共に自分たちの将来についても思いを巡らすようになる。マイクが夏菜に与えた有形無形の影響と同じく、それはある種の希望ではあるだろう。が、いくら涙を流したところですでに彼岸に渡ってしまった人間はもう戻って来ない。遺された者たちは、故人の選択は恐らく正しかったのだろう、と願望混じりに推測するだけだ。追憶と踊ることは、どこまでも生きている人間のためにある慰めの手段なのである。

 奇しくも『弟の夫』の連載中にアメリカ合衆国全土での同性婚が合憲となった。オランダ(2001年)を皮切りに欧州はそれよりも先行している。また今年、アジア圏では初めて台湾で同性婚を認めない現行民法は違憲、との判断が下された。異性愛者ではない、というだけで侵害されている権利を取り戻すための運動が高まるなかで、「性的少数者の作品」というラベリングへの違和感を表明する声が上がってくるのは当然の流れではあるが、それは現時点でもまだごく限られた国・地域・階級の中で生まれ育つことが出来た者にのみ許されたものだ。日本で、中国で、韓国で、シンガポールで、マレーシアで、インドネシアで、ロシアで、その他ほぼすべての近隣諸国においいて「性的少数者の人権」が吹けば飛ぶような現実は微動だにしない。

 『ブエノスアイレス(1997)』、『キャロル(2015)』、あるいはまだ記憶に新しい『ムーンライト』と思い付くままに挙げてみれば、そしてとくにそれが話題作・大作であればあるほど、ひとたび日本の配給会社の手にかかると細かい事は脇に置いて兎にも角にもピュアな「愛の物語」として世間に放流されるのが常であって(この国では面倒くさそうなものは何でもかんでも愛に包まれてしまうのだ)、結果「ゲイとかレズビアンとか、この作品の素晴らしさはそういう属性を超えたところにあるのであって」になってしまう。しかし、それはあくまで宣伝上の方便でしかない。もし仮に『弟の夫』を最初から「愛の物語」として話を始めると、「ゲイの」という一番大事なものが背景に後退してしまう。これは乗り越えるどころか、よく見えない状態で消えていった、あるいは現在もこの国で見えなくされている者たちについての物語だからだ。

 カナダ人のマイクは「日本オタク」で日本語は話せるがペラペラ、というほどでもない(恐らく漢字仮名は読みこなせない)という設定で、日本語圏の読者としてはつい「図体はデカいのに子供みたい(=カワイイ)」と錯覚してしまうが、もちろん彼は成人であり、英語でならばずっと複雑にロジカルに語ることが出来るはずだ。言語の壁というハンデを押して何かを伝えようとするときの子供のような日本語が、本物の子供である夏菜の素朴な疑問と共鳴しながら弥一の耳に入り込み、その度に彼の中で常識が揺るがされる。弥一はひとつずつ自分の頭で考え、理解し、そして受け入れていく。本気で考えなくても済むような近道はないのだ。作者が向こう側で発している、「こちらの声は届いているか?」という通奏低音を読者が聴き取った時にようやく、『弟の夫』がいつの日か「愛の物語」になる道程のスタートラインに立つことが出来るのだ。


Peaking Lights - ele-king

 アーロン・コイエとインドラ・ドゥニの夫婦ユニットのピーキング・ライツは、2011年発表の『936』で知名度を大きく上げたが、その頃の評価というのは、アメリカ西海岸に1960年代から根付くヒッピー・カルチャーやサイケデリック・サウンドを現代に引き継ぐ存在、というものだった。2006年頃にサン・フランシスコで出会ったふたりは、ピーキング・ライツを結成して2008年にデビュー。当時はアブストラクトでフリーフォームな実験的サウンドをやっており、アメリカ各地を転々と移動しながら活動していた。その後、2011年に出発地であるウェスト・コーストに戻り、ロサンゼルスに拠点を固めて発表したのが『936』である。セカンド・アルバムにあたるこの作品は、デビュー時から一貫したチープなロー・ファイ・サウンドを基軸とするが、新しいテイストとしてシューゲイズに感化されたサイケデリックでコズミックな要素が露わとなり、ピーキング・ライツの音楽性を大きくアピールする傑作アルバムとなる。『936』発表時はちょうどチルウェイヴが盛り上がっていた頃でもあり、そうした側面からUS西海岸のサイケデリック・サウンドと結び付けて取り上げられることも多かった。翌2012年には、アリエル・ピンクやウォッシュト・アウトらも作品を出す〈メキシカン・サマー〉から『ルシファー』をリリース。『936』のでロー・ファイなサイケ・ダブとシンセ・ポップの融合を継承し、彼らの世界観を決定づけた。

 『936』や『ルシファー』には、サイケ・ロック、ソフト・ロック、シューゲイズ、アシッド・フォーク、フォークトロニカ、バレアリック、クラウトロック、アフロ、ミニマル・ミュージック、シンセ・ポップ、ニュー・ウェイヴ、シンセ・ポップ、イタロ・ディスコ、イタロ・コズミック、アーリー・シカゴ・ハウス、ルーツ・ダブ、ディスコ・ダブ、デジタル・ダンスホールなど、実にさまざまな音楽の痕跡が見つけられる。そうした要素が混然一体となり、どちらかと言えばメディテーショナルで幻覚的なサウンドだったのだが、2014年にリリースした『コズミック・ロジック』は、リズムやサウンドの輪郭が明瞭となってきた。フライング・リザーズへのオマージュ曲から、カーペンターズがカナダのプログレ・バンドのクラトゥを題材とした作品もあり、全体としてはポップな方向性が打ち出されていた。彼らが持つ音楽性の中でも、ニュー・ウェイヴ・ディスコやシンセ・ポップをより意識したものとなり、トム・トム・クラブを彷彿とさせる曲から、100%シルクのようなインディ・ダンス~ハウスに通じる楽曲も収められていた。こうした変化については、当時彼らがLAに新築したスタジオでの録音で、そうした録音環境の違いによるところもあったのかも知れない。『コズミック・ロジック』から3年ぶりの新作『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』も、そのドリームファズ・スタジオでの録音だ。

 『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』のサウンドは、基本的には『コズミック・ロジック』でのシンセ・ポップ路線に則り、と言うよりさらに強化したものだ。チープな味わいのアナログ・シンセと、インドラの幼女の歌声のようなヘタウマ・ヴォーカルという組み合わせは、もはやピーキング・ライツのトレードマークとなっているが、冒頭の“ドリーミング・アウトサイド”に見られるように、1980年代のテイストが今まで以上に色濃くなっている。そして、“スウィートネス・イズント・ファー・アウェイ”や“エクリプス・オブ・ザ・ハート”はじめ、レゲエやダブのテイストが強いところも本作の特徴にあげられる。このあたりはグレイス・ジョーンズやグウェン・ガスリーを筆頭に、1980年代初頭のニューヨークのディスコ~ガラージ・サウンドの特徴でもあり、『ザ・フィフス・ステイト・オブ・コンシャスネス』における影響の中でもとても重要な要素だ。スライ&ロビー的なレゲエとガラージ・サウンドが邂逅したような“コヨーテ・ゴースト・メロディーズ”では、タイトルどおりコヨーテの鳴き声を模すなど、ユーモア感覚も心憎い。ダンサブルという点では“エヴリータイム・アイ・シー・ザ・ライト”や“ワイルド・パラダイス”が挙げられる。ザ・クラッシュやトム・トム・クラブなど、ダブやアフロをモチーフとするニュー・ウェイヴ・ディスコの現代版と言えよう。昔のサウンドとの比較でいくと、“ラヴ・キャン・ムーヴ・マウンテンズ”はさしずめブロンディだろうか。“プット・ダウン・ユア・ガイズ”あたりは、いかにもラリー・レヴァンがパラダイス・ガレージで好んでプレイしていたようなナンバーで、この曲や“クウェ・ドゥ・ボン”での強烈なダブ・エフェクトも印象に残る。ピーキング・ライツが今までの西海岸のサイケ・サウンドから、ダブやレゲエを切り口にNYのダンス・サウンド方面へ路線を変更した、そんな象徴とも言えるアルバムとなった。

Klein - ele-king

 リー・ギャンブルの次はクラインときましたか。〈Hyperdub〉、やりますね。先日ローレル・ヘイローのアルバムへの参加が話題となったブラック・エレクトロニカの俊才=クラインが、〈Hyperdub〉とサインを交わしました。いや、これはビッグ・ニュースですよ。同時に、8曲入りEP「Tommy」のリリースも発表されています。リリースは9月29日。じつに楽しみです。



Artist: Klein
Title: Tommy
Label: Hyperdub
Release date: 29 September 2017

https://klein1997.bandcamp.com/album/tommy-hdb112

Tracklist:
01. Prologue feat. atl, Jacob Samuel, thisisDA, Pure Water & Eric Sings
02. Act One feat. Embaci & Jacob Samuel
03. Cry Theme
04. Tommy
05. Runs Reprise
06. Everlong
07. B2k
08. Farewell Sorry


アーティスト:Klein / クライン
タイトル:Only / オンリー
発売日:2017/07/19
品番:PCD-24644
定価:¥2,400+税
解説:大石始
※ボーナス・トラック2曲収録 ※世界初CD化

https://p-vine.jp/music/pcd-24644

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