「Nothing」と一致するもの

ボーカロイド音楽の世界 2017 - ele-king

2017年のボーカロイド音楽シーンを大総括!

初音ミク10周年という節目を迎え、大きな盛り上がりを見せた2017年のボーカロイド音楽シーン。はたしてその実態はどのようなものだったのか? 同じく10周年を迎えた鏡音リン・レン、初音ミク中国語版の発売、マジカルミライ5周年、「王の帰還」現象と新世代の擡頭、『♯コンパス』コラボ曲の席巻、「砂の惑星」の大ヒット、加速するアンダーグラウンド……などなど、多くの事象が交錯した2017年のボカロ・シーンを、さまざまな切り口から整理し振り返る!

●巻頭インタヴュー:EHAMIC
●2017年に発表された楽曲/アルバムを精選、エッセンシャルな50曲/20枚を一挙レヴュー!
●さらにテーマ別に近年の動向を俯瞰:「ジャズ」「アンダーグラウンド」「中国」「ニコニ広告」

・執筆:あるか / アンメルツP / キュウ / しま / ヒッキーP / Fe / Man_boo / myrmecoleon
・イラスト:seri / きゃらあい

contents

VOCALOIDはボサノヴァ――an interview with EHAMIC (しま+小林拓音)

The World of Vocaloid Music 2017
ボーカロイドに関する2017年の重要トピック (しま)
初音ミク10周年のトピック (しま)
鏡音リン・レン10周年のトピック (アンメルツP)
まえがき ~みんながよく話す「ボカロ」という言葉~ (ヒッキーP)
2017年は新陳代謝の年 ~初音ミク10周年を祝った旧世代と無視した新世代~ (ヒッキーP)
ぼからんで見る「2017年」という時代 (あるか)

The 50 Essential Songs of 2017 (キュウ+しま)
The 20 Essential Albums of 2017 (キュウ+しま)

Various Aspects of Vocaloid Music
ボカロとジャズ (Man_boo)
ボーカロイド・アンダーグラウンド (ヒッキーP)
中国ボーカロイド・シーンの発展と現状 (Fe+しま)
VOCALOIDタグ動画におけるニコニ広告の拡大とそのランキングへの影響 (myrmecoleon)

interview with Shuichi Mabe - ele-king


集団行動 - 充分未来
CONNECTONE / ビクターエンタテインメント

RockJ-Pop

Amazon Tower HMV iTunes

  相対性理論――この文字列を目にしセックスの理論と勘違いする者はよもやおるまいが、しかしノーベル賞を授かったかの名高き物理学者よりも、2006年に結成されたかの軽妙なるポップ・バンドのほうを思い浮かべる者はそれなりに多くいるだろう。さほど彼らが00年代末期に残した衝撃は大きかったわけだが、それは彼らが意識的に「ポストYouTube」や「ソフトウェア」といった惹句を掲げ、「メタ」や「フラット」といった言葉が盛んに飛び交っていた同時代の潮流とリンクする活動をコンセプチュアルに展開していたこととも無縁ではあるまい。
 その相対性理論を脱退した真部脩一が、同じく相対性理論の一員だったドラマーの西浦謙助と、新たにオーディションで出会ったヴォーカリスト・齋藤里菜とともに起ち上げたプロジェクトが集団行動である。昨年1月より活動を開始し、6月にはファースト・アルバム『集団行動』を発表、年が明けてこの2月には早くもセカンド・アルバム『充分未来』をリリースしている。
 この集団行動なるいささかかぶいたバンド名を耳にすると、くだんの相対の性理論もとい相対性の理論と同じく、その背後には入念に練られたコンセプトが横たわっているのではないかと勘繰ってしまうが、どうやら今回はそういうわけではないらしい。むしろ現在の真部はわかりやすさをこそ索めているという。「どこかで聴いたことのある感じってポップスの条件だと思うんです」――そう語る彼は、「メタ」や「フラット」といったタームによって彩られた今世紀初頭の文化的喧噪を、それこそ相対化しようと目論んでいるのかもしれない。いままっすぐにポップ・ミュージックの王道を歩まんと試みる彼に、その心境の変化やバンドの成り立ち、新作の勘所について伺った。

「こんなのバンドじゃねえ」と言っている感じです。「ただの集団行動だろ」っていう(笑)。

まず何よりバンド名が印象的ですが、これには何かコンセプトがあるのでしょうか?

真部脩一(以下、真部):いや、今回はコンセプトは皆無ですね。とにかく「バンドをやろう」というところから始まっています。相対性理論のときは「曲ができたから人を集めよう」という形でスタートしたんですが、集団行動は「バンドを組むために曲を書こう」というところから始まっているグループなんですよ。

相対性理論脱退後は、ハナエさんやタルトタタンさんをプロデュースされたりVampilliaに加入されたりしていましたが、いままたご自身のバンドをやろうと思ったのはなぜですか?

真部:心境の変化というか、フリーランスになってプロデュースという作業に関わらせてもらうようになって、それはけっこう自分に向いているし得意だと思ったんですけど、でもそれを続けていくうちに、僕はひとりのリスナーとしてはプレイヤーの音楽が好きというか、構築された音楽よりも演奏された音楽のほうが好きだということに気づいたんです。小さい頃からジャズが好きだったというのもあって、このまま音楽にプレイヤーとして参入できなくなるのは心残りだなと。

相対性理論のときはあまりそういう感覚はなかったのでしょうか?

真部:相対性理論に関しては、主体性を持って取り組むようなバンドではなくて、むしろそういうものを排除していこうというか、そう見えないようにしていこうというバンドだったので、主体的に音楽に関わるきっかけがあるとしたらいまかなと思ったんですよね(笑)。

相対性理論はやはり時代性みたいなものを意識していたのでしょうか?

真部:相対性理論ってウェブを利用して仕掛けたバンドだと思われているんですけど、べつにそんなことはなくて、たんにウェブで扱われやすかったバンドだと思うんですよね。「ポストYouTube時代のポップ・マエストロ」と銘打っていたんですが、当時はいろいろなコンテンツがフラットになっていって、事件性やメッセージ性のようなものが暑苦しく感じられるようになっていって、僕もそういう暑苦しいものが好きではなかったので、自分の好みと時代性がちょうど合ったところでやっていたバンドなんです。だからけっこう意識的に当事者性を排除していた部分があって。

当事者性というと?

真部:当時「相対性理論はソフトウェアである」と謳っていたんですけど、要するに相対性理論は「発信者」ではなくて「どこかの第三者が作り上げたソフト」である、というふうに打ち出していたんですよね。

初音ミクのような感じですか?

真部:そうですね。ただそうなるとけっこう寿命が短かったというか。結局そのあとにSNSが出てきて、タイムラインという概念が登場して、また事件性みたいなものがフィーチャーされるようになってきた。それでちょっとバカバカしくなったというか、自分の得意としていたメタな部分に少し飽きちゃったんです。だったらひとりのプレイヤーとして一生懸命音楽を作りたいと思ったんですね。

なるほど。でもやっぱり「集団行動」というネーミングはだいぶコンセプチュアルですよ。

真部:そう見えますよね。でもたんに「バンド」という概念を目指しているだけなんです(笑)。じつはまだぜんぜんバンド的じゃないんですよ。バンドマンが「こんなのロックじゃねえ」って言うのと同じように、「こんなのバンドじゃねえ」と言っている感じです。「ただの集団行動だろ」っていう(笑)。まだバンドになっていない、ということですね。

メンバーもまだぜんぜん足りていないというようなことを仰っていましたよね。

真部:始まった時点でリズム・セクションすら揃っていなかったという(笑)。ギター、ドラム、ヴォーカルの3人でスタートしたので、ほとんどのパートを僕が演奏せざるをえない状態でした。だからこそバンドであることに意識的になったというか。

ベースは真部さんが弾いているのですか?

真部:前作まではそうですね。ファースト・アルバムはギター、ベース、キーボードを僕がやって、そこにドラムとヴォーカルが加わる形でした。ただ今回のセカンド・アルバムではサポート・メンバーに入ってもらっているんです。そうすると自然にバンド感が出てくるんですよね(笑)。ゴダールの『ワン・プラス・ワン』という映画の、ぜんぜんレコーディングがうまくいかなくて、1週間くらい試行錯誤して、ひとりパーカショニストを呼んでみたらなんかうまくいっちゃった、みたいな感じに近くて(笑)。やっぱりロック・バンドはちょっと他力本願だなと(笑)。いまはその状況を楽しんでいますね。

誰にでもできるところまで削ぎ落とされたもののなかに、その人じゃないと成り立たない要素がふと浮き上がってくる音楽がすごく好きなんですよ。

真部さんのリリックは、情景を想起させたり物語を紡いだりすることよりも、韻の踏み方だったり子音と母音の組み合わせだったり、音としての効果のほうに重きを置いているような印象を受けました。

真部:そう言っていただけて本当にありがたいんですが、自分としてはすごく薄味を目指しながらも、結局はドラマ性や意味性みたいなものを捨てられずにいたという感じなんです。以前東浩紀さんにお会いしたときに「君はPerfumeみたいな意味性のないものは書けないのか」と言われて(笑)。そこは自分の未熟な部分でもあって。言葉って並べてしまった時点でどうしてもドラマや意味が発生しちゃうんで、その扱い方に長けていなかった。それにそもそも、単純にドラマティックなものが好きなんですよね。なのでドラマ性や意味性を保ったなかでなるべく軽く軽く洒脱に、ということをやってきたんですが、最近はそれってちょっとわかりにくいのかなと思い始めていて。いまは、ベイ・シティ・ローラーズのようなもっとわかりやすいものを求めていますね。たとえばマドンナのファーストは、感情移入の懐が広くて、言葉もすごく平易なのに奥行があるんですよ。そういうものに挑戦したいと思っていて。

いわゆる「ナンセンス」みたいなものを目指しているのかなとも思ったのですが。

真部:僕は私的なことを歌詞にしているわけではないので、どうしてもストーリーテリングが平坦になってしまう。それを異化するための工夫として、ナンセンスが必要だったんです。でも、いまとなってはちょっと回りくどいかなと。今作は単純に、作詞家としてもう少し自分を軽量化する必要があるんじゃないかと思っていたんですよね。

ちなみに水曜日のカンパネラについてはどう見ていますか?

真部:ケンモチ(ヒデフミ)さんとは仲が良いんですよ。相対性理論を抜けて2、3年した頃かな、Vampilliaのメンバーとして知り合ったんですよね。(水カンの)“一休さん”という曲が出たときに、ケンモチさんから「真部くんさあ!」って電話がかかってきて(笑)。「YouTubeのコメント欄で相対性理論のパクリだってすごい叩かれてるんだけど、聴いてみたらたしかにそう思わせる部分あったわ!」って(笑)。

そう言われて実際に似ている部分はあると思いました?

真部:「そうですかねえ?」という感じです(笑)。そもそも僕だったらコムアイちゃんみたいなポップ・アイコンをきちんとコントロールできないと思いますし。ただ楽曲のクオリティとか、ケンモチさんはひとりの職人としてすごく達者な方なので、素直にリスペクトしていますね。

[[SplitPage]]

集団行動をやるうえでよく聴いているのはN.E.R.D.ですね。


集団行動 - 充分未来
CONNECTONE / ビクターエンタテインメント

RockJ-Pop

Amazon Tower HMV iTunes

真部さんと組むヴォーカリストは女性が多いと思うのですが、真部さんの理想のヴォーカル像はどういうものでしょう?

真部:すごくフラットなヴォーカルというか、無味無臭に近いヴォーカルですね。背景づくりでコントロールできる幅が大きいヴォーカルというか、僕が楽曲制作で試行錯誤をするなかで、その方法論的なものに対する効果が目に見えやすいようなヴォーカルはやっていて楽しいです。『リアル・ブック』に載っているリードシート1枚で足りちゃうような音楽、つまりすごく削ぎ落とされた形の音楽に情感が乗ってくる瞬間が好きで。誰にでもできるところまで削ぎ落とされたもののなかに、その人じゃないと成り立たない要素がふと浮き上がってくる音楽がすごく好きなんですよ。

ちなみに、昨年はV6にも楽曲を提供されていましたよね。

真部:しました。そこまで聴いていただいてありがとうございます(笑)。

僕はけっこうジャニーズが好きなんですが、彼らって歌い方やコーラスが独特ですよね。これまで組んできた女性ヴォーカリストたちとはまたちょっと違う感触だったのではないでしょうか。

真部:そうですね。僕はディレクションにはぜんぜんタッチしていなくて、だからこそできた部分もあります。女性ヴォーカルに慣れてしまっていたので、すごく勉強になりました。ジャニーズさんはキャラクターがはっきりしているというか、ユニゾンで歌っているときもそれぞれの声質がわかるのがおもしろいなと思って。

あれはおもしろいですよね。

真部:僕はマイケル・ジャクソンがすごく好きなんですけど、彼は暑苦しくないペンタトニックを使うんですよ。涼しいというか(笑)。でもそれは、その5音以外の部分こそが勘所で、そのはっきりした音以外の部分をどうやって埋めるかというところが難しいんですね。ベンドの具合だったり、上からしゃくるか下からしゃくるかとか、ロング・トーンにしてもちょっと上がるか下がるかというところで大きく変わってくる。そこにキャラクターが反映されるわけですが、ジャニーズのとくにV6さんはそれがピカイチなんですよ。自分の音にしちゃう技術が本当に職業的に優れている。そこはびっくりしましたし、その後の自分のディレクションやプロデュースに反映されていると思いますね。そういう意味ですごく勉強になりました。

集団行動のヴォーカルの齋藤里菜さんとはオーディションの場でお会いしたそうですね。彼女のどういうところにピンときたのでしょう?

真部:齋藤はよくわからない大物感があるんですよ(笑)。彼女は《ミスiD》というオーディションにエントリーしていた女の子だったんですが、たまたまその《ミスiD》の主催側の方と知り合うきっかけがあって、オーディションに同席させていただいたことがあったんです。《ミスiD》って自分を発信することに意欲的な人たちが集まっているんですが、そのなかに明らかに馴染めていない人がいて。まったくクリエイションの匂いがしないというか。それも新鮮だったんですが、齋藤はわりと対応力もあったんですね。試しに歌ってもらったときに、さきほど話したようなペンタトニックの、正確な部分とその他のノイズになっちゃう部分とがはっきり分かれていて。合っている音は合って聴こえるんだけれども、合っていない部分がぜんぶノイズに聴こえちゃう。それがすごかったんです。

ノイズというのはつまり、歌や人の声ではないものとして聴こえるということですよね。

真部:そうです。表現がまるでないというか(笑)。それを見て、「本当にピュアなヴォーカリスト」みたいなものの成長過程に立ち会えるのではないかと思ったのと、あと齋藤は度胸があって一生懸命やってくれそうな人だったので、僕が理想とするフロントマン像に近かったんです。

なるほど。今回の『充分未来』で齋藤さんのいちばん良いところが出ている曲はどれですか?

真部:2曲目の“充分未来”ですね。今回目指した方向性のひとつに、自分からすごく遠いところにあるものに歩み寄ろうというのがあって、齋藤は僕と出会ったときにはCDを2枚しか持っていなかったんですよ。

それは、ストリーミングで聴いているということではなく?

真部:ということでもなく、ストリーミング・サイトすら知らないという状況で(笑)。「何持っているの?」と訊いたら「西内まりやとテイラー・スウィフト」って返ってきたんですよ。

すごい組み合わせですね(笑)。

真部:そうなんですよ(笑)。今回のアルバムの曲が出揃い始めたときも、“春”とか“オシャカ”とか、わりとJポップのクリシェに近いものを聴いて「真部さん、やっと私の知ってる感じの曲が!」って(笑)。自分としては、今回の収録曲のなかで“充分未来”がいちばん既聴感が強いというか、「なんでいままでこれを書いていなかったんだろう」というくらい手癖に近い曲なんですよ。そういう自分の楽曲に、CDを2枚しか持っていなかった人がフィットしているのがおもしろくて。だから“充分未来”は僕と齋藤の共同作業をいちばん感じる曲でしたね。あと、齋藤がヴォーカリストとしての自意識みたいなものを獲得していく過程がいちばんいい形で表れているのが“フロンティア”ですね。齋藤は経歴が特殊で、キャリアのスタートからずっと抑圧されていたというか、「そういうの止めろ」ばかり言われてきたヴォーカリストなんです(笑)。だからすごく自意識を獲得するのが難しい環境にいるんですよ。でもヴォーカリストと自意識って切っても切り離せないものなので。

なるほど。それで“充分未来”がアルバム・タイトルになっているんですね。

真部:そうです。前作(『集団行動』)に関しては自分の作風にフィットしないものを楽しむというか、ちょっとした違和感みたいなものを残したまま作品として仕上げるという部分があったんですが、今回は“充分未来”のように自分らしさがはっきり出ている曲と、“オシャカ”のようなクリシェの曲が並んでいるアルバムにしたいと思って。なので既聴感みたいなものを基準に選曲していきました。どこかで聴いたことのある感じってポップスの条件だと思うんです。自分の作風に対する既聴感と、Jポップ一般に対する既聴感と、その両方が感じられるようなアルバムになるといいなと思ったんですね。

共同作業って一緒にやる人を好きになっていく過程なんです。

今回の新作は全体的に、前作よりも音楽的な幅が広がったように感じました。たとえばさきほど話に出た“フロンティア”にはラテンの要素が入っていますよね。

真部:それに関しては、たんに僕に時間ができたというか(笑)。メンバーが増えたおかげで、プレイヤーとして複数パートを弾くことから解放されて、アレンジの自由度が高まったんです。前作のときは、とにかくバンド感を打ち出そうとするあまりギター・ロックに終始してしまいましたけど、自然とバンド感が出てくるようになったので、今回はもっと幅広くやってみてもいいかなと思ったんです。

これは西浦(謙助)さんに尋ねたほうがいいのかもしれませんが、5曲目の“絶対零度”のドラムにはちょっとドラムン的なブレイクビーツが入っています。

真部:そのアイデア自体はファーストのときからあったんですが、正直言って僕はこういう生ドラムのブレイクビーツがあまり好きじゃないんですよね(笑)。デモを一度ブレイクビーツで組んでから「これはリアレンジしなきゃな」とずっと思っていたんですけど、サポート・メンバーが入った状況でやってみたら意外と行けたというか。時間が経ったことで自分の曲が自分の手から離れたような感じですね。僕自身の好き嫌いとはべつにアンサンブルが成り立った曲です。

今回のアルバムの制作中によく聴いていたものはありますか?

真部:集団行動をやるうえでよく聴いているのはN.E.R.D.ですね。プロデューサーだった人たちがバンドをやってみました、というところにシンパシーを感じるんです。

最近復活して新作を出しましたよね。そのアルバムですか? それともファースト?

真部:ファーストとセカンドですね。僕は学生時代にティンバランドとネプチューンズがど真ん中だった世代なんで、そういう自分の好きなものだと整合性を取りやすいというか、憧れを形にしやすいというか。

そのあとはカニエ・ウェスト一色みたいになりましたよね。

真部:カニエはべつの意味でもショックでしたね。僕はずっとプリンスが好きなんですけど、ロック・スターってちょっと殿上人のようなところがありますよね。プリンスにしてもデヴィッド・ボウイにしても、手の届かないところにいるというか。むかし鮎川誠さんが「レイ・チャールズなんて雲の上の人で、ロックなんて自分にはおこがましいと思っていたけど、ビートルズが出てきたときに先輩の兄ちゃんが自分の憧れの音楽をいとも簡単にやっている感じがして、それが自分もやる動機になった」と言っていたんですが、カニエが出てきたときも、そういう大学の先輩みたいな人がめちゃめちゃクールなことをやっているって感じたんですよ(笑)。「自分たちの世代のロック・スターだ!」と思ったんです(笑)。

たしかにどんどん登り詰めていきましたね。

真部:登り詰めて、いまはちょっと大変なことになっていますけど(笑)。

いまや音楽活動以外のことでしょっちゅう物議を醸していますからね(笑)。

真部:もう大統領選出てくれって話ですよ(笑)。

そういうロック・スターへの憧れみたいなものは、集団行動をやるうえでも出していきたい?

真部:そうですね。そのチャンスがあるならやりたいなとは思います。ただそれを「ロック・スター」という既存のフォーマットに当てはめるのではなくて、自分の作風だったり得意分野だったりを駆使して近づけないかなとは思いますね。

ものすごくコントロールしたいのに自分がコントロールして出てきたものに対してはストレートに良いと思えないという。

Vampilliaでは戸川純さんとも一緒に活動されていますが、ヴォーカリストとしての彼女についてはどう見ていますか?

真部:僕からしてみるとお師匠というか。僕はただのいちファンなんですよ。中学生のときに『Dadada ism』を聴いていたので、Vampilliaで一緒にいること自体違和感があるというか(笑)。こういうことを言うと戸川さんは嫌がるんですけど、本当に天才なんです。

もし仮に集団行動で戸川さんをヴォーカリストとして立てなければならないとしたら、どうします?

真部:はははは。戸川さんは日本の音楽の作詞のフォーマットを刷新した人でもあるので、その影響からは完全に逃れられないというか、やっぱり呑み込まれちゃうだろうなとは思います。でも、Vampilliaのときも最初はそんなふうに「戸川さんのペースのなかでしかできないだろうな」と思っていたんですが、蓋を開けてみたらそれとはぜんぜん違う次元の、思わぬ友情みたいなところからスタートしたんですよね(笑)。まず戸川さんと仲良くなるという(笑)。同じバンに乗って移動して、仲間みたいな感じでしたね。だから戸川さんとまた何かをやることになったら、同じようにまず友だちとしての仲を深めるところからですね(笑)。でも、共同作業ってそういうことだと思うんですよ。共同作業って一緒にやる人を好きになっていく過程なんです。だからそれは戸川さんに限らず、いまのメンバーに対してもそういった意識でやっているつもりです。

ではそろそろ最後の質問です。集団行動として新たにバンドを始めてみたうえで、「バンドでしかできないこと」ってなんだと思いますか?

真部:僕はそもそもひとりでものを完結させられないというか、そもそも締め切りがないと曲が書けないタイプなんです(笑)。だから締め切りを作ってくれる人が必要なんですね。あと僕は、自分という素材だけで煮詰めたものにはあんまり興味がないんですよ。だからそれを薄めてくれる誰かがほしいというか。でもそれと同時に、性格的にはすごくコントロール・フリークなので、矛盾もあって。ものすごくコントロールしたいのに自分がコントロールして出てきたものに対してはストレートに良いと思えないという。その折り合いをつけるために協力してくれる人がどうしても必要なんですよね。

自分では思いもつかない、予想外のものが入ってきてほしいと。

真部:入ってきてほしいですね。ものを作っている人は絶対にそうだと思うんですけど、自分の好き嫌いみたいなものがひっくり返される瞬間っていちばん感動すると思うんですよ。そうして自分の好き嫌いを超えたところで良いものに出会えることこそ幸せというか、それはクリエイターとしてはすごく純粋な部分だなと思いますね。じつは僕は作曲を始めたのが20歳を超えてからで、音楽を始めるのが遅かったんです。だから、それまでの自分が音楽を作ることを必要としていなかったという引け目があって、なるべくアーティスティックに振る舞わないようにしているというか、できるだけアーティスト性みたいなものから遠ざかることを考えてやってきたんですが、10年もやっているとそれがどうしようもなく滲み出てきてしまうし、凝り固まってしまうし、そこから逃れられなくなってしまう。それを中和してくれるのはやっぱりべつの人というか、自分に協力的に関わってくれる人なんだなということを改めて認識しましたね。

まだメンバーも最終型ではないですし、これからもそういう出会いを求めているということですね。

真部:お見合い大会みたいになっても困りますけどね(笑)。


集団行動の単独公演「充分未来ツアー」

2018年3月16日(金)大阪Music Club JANUS
OPEN 18:45 / START 19:30
チケット:¥3,500(D代別)
[お問い合わせ] 清水音泉:06-6357-3666

2018年3月22日(木)渋谷WWW X
OPEN 18:45 / START 19:30
チケット:¥3,500(D代別))
[お問い合わせ] HOT STUFF PROMOTION:03-5720-9999

IMAIKE GO NOW 2018

2018年3月24日(土)&25日(日)
※集団行動の出演日は3月24日(土)になります。
OPEN 13:00 / START 13:30(会場による)
前売り:1日券¥5,000(税込) / 2日通し券¥8,000(税込)
当日:¥5,500(税込)
ドリンク代:各日別途¥500必要
OFFICIAL HP:imaikegonow.com
[お問い合わせ] JAILHOUSE:052-936-6041 / www.jailhouse.jp

Various Artists - ele-king

 ロンドンのテクノ系レーベル〈Houndstooth〉(Call SuperやSpecial Requestの作品で知られる)の最新コンピレーションをここに挙げたのは、T.S.エリオットの詩、「The Hollow Men(空ろな人間たち)」の一節=『死せる夢の王国』をアルバム・タイトルにしているからではない。Lanark Artefax(ラナーク・アートファックス)の新曲“Styx”が聴けるからである。とくにエイフェックス・ツインのファンには聴いて欲しい。彼はここでドリルンベースとBurialを繋いでいる、いわば“Girl/Boy Song”のダークコア・ヴァージョンを披露する。昨年リリースされたペシミストのアルバムとも通底しているジャングルの変型。“Styx”は彼の前作にあたる「Whities 011」ほどではないが、悪くない。

 ラナーク・アートファックス、本名Calum MacRae(キャラン・マクレー)について簡単に紹介しておこう。グラスゴー出身の彼は、地元のDJ、ハドソン・モホークやラスティー、地元のレーベル〈LuckyMe〉や〈Numbers〉を聴きながら15歳で音楽をつくりはじめている。もっと大きな影響はエイフェックス・ツインとオウテカ、90年代のIDM、90年代の〈Warp〉。まあ、なかなかのオタクである(つーか、編集部小林じゃん)。初めて聴いたAFXは『ドラックス』だったそうで、たしかにあれもジャングルだが、個人的にはいまµ-Ziqの『Bluff Limbo』を聴くとすごくハマる。

 『死せる夢の王国』は、総勢25人のアーティストが参加している。そのなかには、コージー・ファニ・トゥッティと三田格推しのガゼル・ツイン、都会の下水のごとくこうした荒涼たる世界とは縁のないように見える伊達伯欣先生が絶賛のトモコ・ソヴァージュ、ほかに名が知れたところでは、Batuであるとか、Hodgeであるとか……の曲がある。とはいえ、全編通しての暗黒郷はひどく疲れるので、掻い摘んで聴くのがいいだろう。これはフィジカル無しの配信のみで、曲数も25。長いし、T.S.エリオットの「The Hollow Men」とは「こんな風に世界は終わる/こんな風に世界は終わる」というリフレインが最後にある長編詩で、そんな言葉がしっくるきてしまうのがいまのロンドンということだろう。

 ニューウェイヴの時代にもゴスはあったが、おおよそグラムの延長だった。不動産を買ってイングランドの土地の一部を所有するところから『ドラキュラ』がはじまることの意味とは関係なかったし、T.S.エリオットへの言及もなかった。が、ここ何年も続いているゴシックは、本当の意味でヴィクリア朝時代から第一次大戦後までのあいだ、長きにわたって続いたあの頃のゴシックに通じている。
 いま人は黒い服を好んでいる。黒い服は喪服だ。ヴィクトリア朝女王は早くに夫を亡くした未亡人であり、夫の死に執着する彼女は40年ものあいだ喪服を着続けた。いろんな喪服(黒服)がデザインされ、黒は大衆的にも流行った。そしてヴィクトリア朝女王は、未来よりも懐かしい過去、家族が幸福だった過去にしがみつくかのように、(19世紀なんで当たり前だが)モノクロの家族写真を飾った。
 また、ちょうどこの時代はテクノロジーの時代でもあった。電信機、カメラ、タイプライターに蓄音機、そして映画。先にぼくは伊達伯欣先生とは無縁に見えると書いたが、いや、科学が人間から奪ったものを意識しているという点では、漢方医の彼もまた充分にゴシックなのだ(!)。ゴシックは、小説にしろ絵画にしろ、やがて映画にしろ、社会で湧き上がる不安や不吉なざわめきを反映し、本能的なレベルで訴えるものが多い。……誰もがカラフルだった90年代初頭のような夏は本当にまた来るのかね。

01. Billie Holiday And Her Orchestra ‎– “Strange Fruit” (1939)
02. John Coltrane - “Alabam” (1963)
03. Bob Dylan - “A Hard Rain's A-Gonna Fall” (1963)
04. Nina Simone - “Mississippi. Goddamn” (1964)
05. Sam Cooke ‎– “A Change Is Gonna Come” (1964)
06. Aretha Franklin - "Respect" (1967)
07. James Brown - “Say it Loud - I'm Black and I'm Proud” (1968)
08. The Beatles‎– “I'm so tired” (1968)
09. ジャックス - “ラブ・ジェネレーション” (1968)
10. Sly & The Family Stone ‎– “Stand!” (1969)
11. The Plastic Ono Band ‎– “Give Peace A Chance” (1969)
12. Curtis Mayfield - "Move On Up" (1970)
13. Gil Scott-Heron - “The Revolution Will Not Be Televised” (1970)
14. Jimi Hendrix - “Machine Gun” (1971)
15. The Last Poets ‎– “This Is Madness” (1971)
16. Timmy Thomas ‎– “Why Can't We Live Together ” (1972)
17. Funkadelic ‎– “America Eats Its Young” (1972)
18. 友部正人 - “乾杯” (1972)
19. Sun Ra ‎– “Space Is The Place” (1973)
20. Bob Marley & The Wailers ‎– “Rat Race” (1976)
21. Fẹla And Afrika 70 ‎– “Sorrow Tears And Blood” (1977)
22. Sex Pistols ‎– “God Save The Queen” (1977)
23. Steel Pulse ‎– Ku Klux Klan (1978)
24. The Slits ‎– “Newtown” (1979)
25. Joy Division ‎– “Love Will Tear Us Apart” (1980)
26. The Pop Group ‎– “How Much Longer” (1980)
27. The Specials - “Ghost Town” (1981)
28. Grandmaster Flash & The Furious Five ‎– “The Message” (1982)
29. Time Zone Featuring John Lydon & Afrika Bambaataa ‎– “World Destruction” (1984)
30. The Smiths ‎– “Meat Is Murder ” (1985)
31. Public Enemy ‎– “Rebel Without A Pause” (1987)
32. じゃがたら - “ゴーグル、それをしろ” (1987)
33. N.W.A _ “Fuck Tha Police” (1989)
34. Mute Beat - “ダブ・イン・ザ・フォグ” (1988)
35. RCサクセション - 『カバーズ』 (1988)
36. Fingers Inc. ‎– “Can You Feel It (Spoken Word: Dr. Martin Luther King Jr.) ” (1988)
37. Underground Resistance ‎– “Riot” (1991)
38. Sonic Youth- “Youth Against Fascism” (1992)
39. Bikini Kill ‎– “Rebel Girl” (1993)
40. Goldie ‎– “Inner City Life” (1994)
41. Autechre ‎– 「Anti EP」 (1994)
42. Radio Boy ‎– 『The Mechanics Of Destruction』 (2001)
43. Wilco - “Ashes of American Flags” (2002)
44. Outkast - "War" (2003)
45. Radiohead - "2 + 2 = 5” (2003)
46. ECD - “言うこと聴くよな奴らじゃないぞ” (2003)
47. ゆらゆら帝国 - “ソフトに死んでいる” (2005)
48. Digital Mystikz ‎– “Anti War Dub” (2006)
49. 七尾旅人 - airplane (2007)
50. Kendrick Lamar ‎–Alright (2015)
次. Beyoncé ‎– Formation (2016)

 ブルックリンに住んでいると、タイムス・スクエアに行くことは滅多にない。夜でも昼のような電光の明るさ、多くの迷える観光客の多さ──ニューヨークの代表観光地だが文化の匂いはない。しかし、今回はミッキーマウスやクッキーモンスターの着ぐるみたちの写真攻撃を避けながら(チップを請求される)、タイムズ・スクエアにある映画館、AMCエンパイア・マルチプレックスにやって来た。3日間のイベント「インターファレンスAVフェス」、実験的ヴィデオアート、ライヴ・ミュージック……。しかも、ジェイリン、ライトニング・ボルト、サン・ラ・アーケストラが出演すると来たら、行かないほうが不思議である。
https://www.facebook.com/events/912546688904186/

 主催は、1972年からNYで現代アートをサポートするための実験的アート・プラットフォームを作って来た先駆者、クロック・タワーと公共のアート機関のタイムズ・スクエア・アーツ。こんな場所にこんな機関があったとは初耳だが、新世代のスタッフが繋げたのだろう。
 ヴィデオ集団のアンダーボルト&CO、ピーター・バー、サブリナ・ラッテがVJを担当、ロビーではザ・メディア、サフラゲット・シティ、ムーディ・ローズ・クリストファー、エトセトラ、ウィアード・ベイベズ・ジンなどが出展するジン・フェアも開催。ピザやプレッツェルを食べながらのゆるーくDJもいる。

 そして1日目のジェイリン。ステージに上がった瞬間から、もう彼女の世界。個人的に今回いちばんの衝撃。紙エレキングの年間ベストの3位に選ばれていただけあって、フットワークの鬼才と言われる彼女の音楽は、音を畳んだり曲げたり、ダークな音の粒が会場を弾け回る電子音楽。音とぴったりシンクロするヴィデオ・プロジェクションも素晴らしい。ロープが人間に、幾何学模様に、映像だけでも見る価値ありのAVフェスなので、音楽とコラボレートすると効果はさらに倍増。席のある映画館でありながら、人びとの体は揺れまくった。最後の曲は「インターネット、コンピュータ、ソーシャル・メディアで生活をめちゃくちゃにされた人びとに捧げる」。さすが。
https://www.brooklynvegan.com/jlin-sadaf-played-the-interference-a-v-festival-at-amc-empire-25-pics/

 2日目のライトニング・ボルトは人数制限で入れず、何度も見ているので写真参照。変わった会場でプレイするのが得意な彼らでさえ、タイムズ・スクエアの映画館でプレイするとは想像つかなかったであろう。
https://www.brooklynvegan.com/lightning-bolt-played-the-interference-a-v-festival-at-amc-empire-25-pics/#photogallery-1=2

 3日目はサン・ラ・アーケストラ。スウェーデンのゴートを思い出させる、きらきらの民族衣装に身を包んだ音楽集団総勢16人は、サックス、トロンボーン、チューバ、フルート、チェロ、コントラバス、ドラム、打楽器他で、ポリリズミックなジャズ・アンサンブルを奏で、そこに楽器の役割に近い、女性ヴォーカルが入る。御歳93(!)のマーシャル・アレンはアーケストラ唯一のオリジナル・メンバーで、サン・ラの音楽的指針を引き継ぎ、新アーケストラ音楽を展開させている。彼の指揮は、演奏者を、次! 次! ハイ次! と指差し、かなり強引でファンキー。音楽が膨らんだり萎んだり、自分のサックス・ソロも忘れない所がお茶目だが、サイケデリックな映像と合体すると、色の刺激が強すぎて、トリッピンな気分になる。客席をそぞろ歩きしたり、ステージでブレイク・ダンスをしたり、自由な精神の集団は、今回もっとも華やかで、会場からは拍手が鳴りやまなかった。
https://www.brooklynvegan.com/sun-ra-arkestra-played-the-interference-a-v-festival-at-amc-empire-25-pics/

 このイベントは全米からのアートへの寄付や、NYの公的資金、NY州立法機関などで提供されているが、NY市のアートへの支援愛が伝わってくる。文化イベントはだいたいダウン・タウンかブルックリンで行われるものだが、観光地のど真ん中で開催されるのはアンダーグラウンド文化が大衆と交差することを表しているのではとポジティブになる。NYは夜の市長も誕生する予定で、2018年はNYのアンダーグラウンド文化がどのように成長するのかが興味深い。

Yoko Sawai
2/22/2018

01. Meshell Ndegeocello’ - “Hot Night”(2002)

ポリティカル・コレクトネス(PC)を強く意識することは、表現者にとって規制や不自由さや縛りなどではなく、表現を磨くための糧になるということを彼女の音と言葉に接することで学ばされる。PCが表現を窮屈にするなんて考えるのは前時代的な甘い考えよ、芸風を磨き、洗練させなさい、ということだ。そう、洗練という言葉は、ミシェル・ンデゲオチェロの音楽にこそふさわしい。よく知られているように彼女は早くからバイセクシャルであることも公言してきた。

「Hot Night」が収録された『Cookie: The Anthropological Mixtape』という通算4作目となるアルバムの中には、「ハイクラスからミドル・クラスにゲットーまで」(「Pocketbook」)という歌詞があるのだが、たしかにここには汚い言葉もあれば、上品な言葉もあり、社会に“あるものはある”という前提の上で、しかし彼女なりの厳密な社会意識や政治意識に基づいた表現を追求している。ジャズ、ファンク、ゴーゴー、ヒップホップ、ポエトリー、ハードコア・ラップなどがあり、そういう点での風通しの良さも素晴らしい。

「Dead Nigga Blvd., Pt. 1」では「若いアホ共=young muthafuckas」が高級車を乗り回したり、カネを稼ぐことしか頭にないことを叱咤し、アンタたちを奴隷から解放するのに貢献したアフリカンはもっと立派だったと言う。が、また別の曲では「自分の財布にお金が入ってるのを見るのって好きでしょ、いいのよそれで」と優しく愛撫するように囁く。2パックやビギーに捧げられた曲もあり、さらになんと言っても、ロックワイルダーとミッシー・エリオットによる「Pocketbook」のリミックス・ヴァージョンではあのヤンチャなレッドマンがダーティなライムをかましている。そういう懐の深さがある。

だからタイトルの“人類学のミックステープ”は上手い。“あるものはある”。だが、達観や俯瞰とは違う。開き直りでもない。譲れない信念はある。「Hot Night」が素晴らしい。プエルトリコ出身のサルサ・シンガー、エクトル・ラボーの「La fama」からサンプリングされたファンキーなホーン・セクション、スーパー・デイヴ・ウェストの弾けるビートが“暑い夜”をさらに熱く、官能的に盛り上げる。冒頭のスピーチは、アンジェラ・デイヴィスが唱えた監獄産業システムについての演説で、彼女には『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』という著作がある。

つまりミシェルはこの曲で反資本主義をひとつの立脚点にしているが、逡巡がないわけではない。「なんかアタシったら革命のロマンティックな部分にだけ魅了されてるみたいだわ/救世主だとか、預言者だとか、ヒーローだとか」と自分にツッコミを入れる余裕はある。わかる。その上で「でもさ、それ以外に何がある?」と切り返し歌う。どこまでもクールに磨きかけられた言葉と音で。

アタシ達が生きてるこの社会はさ
レイプに、飢餓に、欲に、要求に
ファシストに、お決まりの政権、白人の男社会に、金持ちの男に、民主主義
それで成り立ってる社会でしょ?
パラダイスという名の世界貿易に悩まされながらさ


02. Crooklyn Dodgers 95 - “Return of the Crooklyn Dodgers”(1995)

昨年、『ザ・ワイヤー』というアメリカのドラマにハマった。メリーランド州ボルティモアの麻薬取締の警察と地元の黒人の麻薬組織/ストリート・ギャングの攻防を通して都市の犯罪や政治、警察組織の腐敗、ブラック・コミュニティの現実や諸問題などを描き出す、刑事ドラマとフッド・ムーヴィーを掛け合わせたようなドラマだ。HBOで2002年から2008年に放映され、非常に評価も高かった。それこそこの手のアメリカのドラマは“PCと格闘”(三田格の『スリー・ビルボード』評を参照)しながら、個々の人物や人間模様を巧みに、丁寧に描き、物語を作り出す点が見所でもある。

そのドラマの黒人のキッズのフッドでの麻薬取引のシーンを観て思い出したのが、スパイク・リーが監督したNYのブルックリンを舞台としたフッド・ムーヴィー『クロッカーズ』(1995)だった。両者が同じようなプロットとテーマだったのは、この映画の原作者である作家=リチャード・プライスが『ザ・ワイヤー』に脚本家として参加しているからだった。

そしてこの映画の主題曲と言えるのが、チャブ・ロック、O.C、ジェルー・ザ・ダメジャという3MCによるスペシャル・ユニット、クルックリン・ドジャーズ 95の 「Return of the Crooklyn Dodgers」である。ブルックリンに深い縁がありこの街への並々ならぬ愛情を持つであろう3MCは、しかし1980年代中盤以降、コカインやクラックといった麻薬そして暴力に蝕まれていったブルックリンの惨状を淡々と残酷なまでにライミングしていく。彼らはストリートとフッドを描写するライミングのなかに、この街の惨状の背景に、ベトナム戦争、社会保障の打ち切り、植民地主義、監獄ビジネスがあるという事実を巧みに折り込んでいく。

なぜ、僕がこの曲を選ぶのか。それは、過酷な現実を描くいわゆるリアリティ・ラップがプロテスト・ミュージックになり得るのか? という問いを考える際に真っ先に思い浮かぶのがこの曲だからである。N.W.A.の例を挙げるまでもなく、アメリカの保守層から、リアリティ・ラップあるいはギャングスタ・ラップは暴力を助長すると批判され続けてきた。けれども、暴力を賛美することと暴力が存在する現実を描写することは決定的に違う次元にあるということを『クロッカーズ』と「Return of the Crooklyn Dodgers」を通じて僕は知ったわけだ。DJプレミアの抑制の効いたブーム・バップ・ビートが最高にドープであることも付け加えておこう。


03. THA BLUE HERB - “未来は俺等の手の中”(2003)

「何時だろうと朝は眠い」という歌い出しからして秀逸だ。たったこのワンフレーズで労働者の憂鬱を見事にとらえている。あの出勤前の朝のメランコリーを――。時給650円の飲食店のバイトでくたびれた体とヨレヨレのジーンズの裾を引きずりながら休憩室へ行き、タバコの煙で白くなった休憩室で「自由とは何だ?」と自問する。レコードをプレスするが思うようには売れず、借金だけが増えていく。「明日は今日なのかもしれない」と理想と現実の乖離、肉体労働のルーティンに鬱々とする。状況は好転しそうにない。

ILL-BOSSTINOはこの曲で、『STILLING,STILL DREAMING』(1999)というクラシックを作り上げ、富と名声も得て名実ともに成功をおさめる以前の苦悶の日々を描いている。「未来は俺等の手の中」が発表されたのは2003年、この国でも“格差の是正”が叫ばれ始めた時代だ。エレクトロニカから影響を受けた変則的なビートと浮遊するシンセが織り成す、静寂と騒々しさを往復するO.N.Oのトラックは、BOSSの焦燥やもがきとシンクロしている。

この曲は中盤でTHA BLUE HERBのその後の成功をわずかに匂わせるものの、「しかし、何時だろうと朝は眠い」という冒頭のワンフレーズをカットインすることで労働者のメランコリーの深さから離れない。苦悶と微かな希望に留まる。仮に壮大な成功物語へと展開してクライマックスを迎えたとすれば、ラッパーのサクセスストーリーを描く曲になっただろう。「未来は俺等の手の中」はヒップホップ的セオリーを巧妙に回避することでスペシャルな1曲になった。この曲は当時、非正規雇用の労働者、フリーターの労働運動を担う人びとのあいだでも支持された。BOSSはクライマックスで、人びとのオアシスとして機能するダンスフロアの美しさを描いたのだった。


04. KOHH - “働かずに食う”(2016)

労働の拒否である。だが、労働の拒否は必ずしも怠け者の価値観を肯定することではない。KOHHは「俺は働かずに食う」「いつも遊んでるだけ/みんな仕事ガンバレ/やりたくなきゃ辞めちゃえ/時間がもったいない」と挑発的に、そう、エフェクトでヨレたように加工された声でまさに挑発的にフロウしている。せわしなく連打されるトラップのハイハットと不穏な電子音のゆらぎが挑発的な雰囲気を増幅させる。

が、KOHHが労働倫理に厳しいラッパーであることは、彼の活動を追っていれば容易に想像がつく。労働を否定して怠け者を礼賛しているものの、人一倍汗水流して働く人間もいる。それをダブルスタンダードだ、矛盾だと批判するのはお門違いだ。パフォーマンスはパフォーマンスである。KOHHというアーティストにとっての労働は皿を洗うことでも、HPの更新作業をすることでも、書類を作ることでもなく、絵を描き、ラップを録音し、ライヴをし、タトゥーだらけの身体を人前で見せる芸術活動である。

だが、さらにKOHHが一筋縄でいかないのは、芸術に生きることを肯定すると思わせておいて、「芸術なんて都合良い言葉」「言葉なんて音だ~/ただの音だ~」とそこさえもひっくり返して煙に巻いてくるところだ。KOHHのパフォーマンスには複数の、時に対立さえするメッセージが重層的に折り込まれている。

とはいえ、僕は「働かずに食う」という労働の拒否のパフォーマンスを真に受けるのは意義のあることだと思っている。一度道を踏み外してみてもいい。それは、労働と資本主義をいちど相対化する作業だ。問題はそこから個人がどう考えて行動するかにある。「働かずに食う」は『YELLOW T△PE4』というミックステープに収録されている。


05. Kendrick Lamar - “Hiii PoWeR”(2011)

近年の「ブラック・ライブズ・マター」のアンセムとなった「Alright」という意見もあろうが、しかしケンドリックの思想の根幹や原理は「Hiii PoWeR」に凝縮されているのではないか。2011年に発表され、ケンドリックの評価を決定づけたミックステープ/デビュー・アルバム『Section.80』からのリード曲だ。ビートはJ・コールが作っている。政治組織で言えば綱領のようなもので、ケンドリックの理想を明確に打ち出した曲だ。

「Hiii PoWeR」の3つの“iii”は、心、名誉、尊敬を表しているという。アメリカの体制や政府や社会制度というシステムによって憎悪を植え付けられ、自尊心を棄損され、打ちのめされつづけてきたアフリカ系アメリカ人が、心と名誉と尊敬の力でムーヴメントを起こし自分たちの帝国を築くのだと。すなわち自己変革を説き、自己変革が体制変革へつながると主張する曲で、マーカス・ガーヴェイ、キング牧師、マルコム・X、ブラック・パンサーなどの人物や政治組織がリリックに登場する。

だから、その理想は特別に目新しいものではないものの、この曲のリリックにも登場するヒューイ・P・ニュートンの自伝『白いアメリカよ、聞け(原題:Revolutionary Suicide)』にしてもそうだが、システムによっていかに健全な心や精神が歪められ、正常な善悪の判断が狂わされてきたのか、と体制や権力と個人の心や精神のあり方をまずつぶさに考察し、尊厳の回復を出発点にすることの重要性をいま一度考えさせられる。アレサ・フランクリンにも「RESPECT」という名曲がある。「Hiii PoWeR」そしてケンドリックの素晴らしさとは、自己変革と体制変革、精神と運動(ムーヴメント)を同時に思考し展開させることのできる洞察力にある。


長年アメリカのヒップホップをはじめとするブラック・ミュージックを紹介し続けてきた信頼すべきLA在住のライター/翻訳家の塚田桂子さんのブログ「hip hop generation ヒップホップ・カルチャーがつなぐ人種、年代、思考 、政治」の対訳と註釈を参考にさせてもらった。


06. Janelle Monáe & Wondaland - “Hell You Talmbout ”(2015)

「ブラック・ライブズ・マター」と呼応した数多くの楽曲の中で、R&Bシンガーのジャネル・モネエの「Hell You Talmbout」は、実践の場すなわちデモや集会でその威力を最も発揮する曲のひとつだろう。そういう場で歌われ、演奏されることを想定して作られているように思う。日本で言えば、デモのドラム隊の演奏とコールがあれば、この曲は再現できる。モネエとともに、彼女が設立したインディ・レーベル〈Wondaland〉のアーティストたちが参加している。警察や自警団の暴行やリンチによって殺害された、あるいはその疑いがあるアフリカ系アメリカ人の名前を挙げ、「say his name」「say her name」と聴衆に名前を叫ぶことをうながす。公民権運動に火を付けたと言われる、リンチの被害者、エメット・ティルや、警察の蛮行(Police brutality)の問題が広く議論されるきっかけになったとも言われるNY市警察による射殺事件の被害者、アマドゥ・ディアロ、ヘイト・クライムの被害者の名前も歌われる。

実際にライヴや集会と思われる場の映像をいくつか見たが、とにかく力強く、人びとを巻き込んでいく。ゴスペル・フィーリングにあふれ、ビートはドラムラインが激しく打ち鳴らす。モネエの出身地、アトランタに根付くマーチング・バンドの伝統が息づいている(『ドラムライン』という映画を観てほしい)。この曲の根幹にあるのは、慰めでも、説得でもなく、直接的な激しい怒りだ。ある欧米のメディアは、そのシンプルさゆえに力強く、コンセプト、演奏ともに“ground-level”の曲であると紹介している。つまり、“地べた”の怒りのプロテスト・ミュージックである。


[[SplitPage]]

07. NAS - “American Way”(2004)

ナズの曲の中ではマイナーな部類に入るだろう。『Street's Disciple』という2枚組のアルバムに収録されている。冒頭、「近年社会意識のある政治的なラッパーの出現が見受けられます。ヒップホップ界の新しいトレンドのようです」というコメントが報道番組のニュースキャスターのような口調で読み上げられる。そして、ナズは宣言する。「ナズはアメリカに反逆する」と。つまりこの曲でナズはアフリカ系アメリカ人の立場から“反米”を鋭く主張している。

『Street's Disciple』の発表は2004年、イラク戦争まっただ中の時代だ。ブッシュ政権の下で国家安全保障問題大臣補佐官と国務長官を歴任したアフリカ系アメリカ人の女性政治家であるコンドリーザ・ライスを“アンクル・トム”として槍玉にあげ、ファースト・ヴァースの最後を「フッド出身の議員が必要だな(Need somebody from hood as my council men)」というライミングでしめくくっている。

推測するにタイトルの“American way”=“アメリカ流”は、ブッシュを象徴とするワスプのアメリカ流とナズを象徴とする黒人のアメリカ流というダブル・ミーニングではないか。客演で参加するR&Bシンガーで元妻のケリスがフックで発する「American way」というアクセントはどこか皮肉めいているし、アルバムでこの曲に続くのはストークリー・カーマイケルやニッキ・ジョヴァンニ、タイガー・ウッズやキューバ・グッディング・ジュニア、あるいはフェラ・クティやミリアム・マケバなどの“黒人のヒーロー”を称賛する「There Are Our Heroes」という曲だ。

「American way」のごっついブーム・バップ・トラックは、アイス・キューブの「The Nigga Ya Love to Hate」でも使用されたジョージ・クリントンのデジタル・ファンク「Atomic Dog」のサンプリングから成るが、ナズはアイス・キューブのこの曲を意識していたに違いない。


08. A-Musik - “反日ラップ”(Anti-jap rap)(1984)

反米を主張したり、反米を掲げるラッパーやミュージシャンやアーティストに支持を表明することは容易いように見えるが、しかし、2018年現在、“反日”という主張あるいはテーゼや思想、もしくは問題提起ですら死滅状態である。どこか大事な問題が棚上げされている思いに駆られる……そんな時に「反日ラップ」を聴くと心が奮い立つ。

数年前に僕はこの曲でラップする竹田賢一さんと昼食をともにする貴重な機会を得た。ミュージシャンであると同時に、1970年代中盤以降のこの国のジャズ/フリージャズ、前衛音楽の音楽批評を牽引した音楽評論家の大先輩との対面に僕は極度に緊張していた。それでも「反日ラップ」についてだけはどうしても訊きたかった。竹田さんはギル・スコット・ヘロンやザ・ラスト・ポエッツの音楽やそれらに関する欧米の音楽ジャーナリズムを通じて “ラッピン”と呼ばれるアフリカ系アメリカ人の話術の文化を知り、自分でも試みたのが「反日ラップ」だったと語ってくださった。すなわち「反日ラップ」は、『ワイルド・スタイル』の日本公開や原宿のホコ天、あるいは1980年代のサブカルチャーや雑誌文化とは異なる水脈から生まれた日本のラップの初期の一曲である。

さらに重要なことは、アフロ・アメリカンの抵抗の音楽/芸術を日本のアジア諸国に対する経済的な植民地支配への抵抗と結びつけ表現したことだ。なにしろ「反日ラップ」のリリックの中身である。A-Musikのサイトにはリリックについてこう記されている。「『反日ラップ』のテクストは、東アジア反日武装戦線KF部隊<準>による『生まれ出でよ!反日戦士──フレ・エムシ第1詩集──』の冒頭に収録されている、『ワレらが旅立ち』という詩」であると。

そして、じゃがたらのホーン・セクションの要であったサックス奏者の篠田昌已、FLYING RHYTHMSでの活動やKILLER-BONGとのセッションでも知られるドラマーの久下恵生、シカラムータの大熊ワタルらが生み出す演奏は、ジャンク・ファンク・ジャズと形容したくなる猥雑なサウンドだ。

A-Musikはヒップホップ・カルチャーとは無縁だったし、いまも深い関わりはない。が、ブラック・カルチャーとは深い関係があった。ブラック・パンサーに多大な影響を与えたフランツ・ファノンのポストコロニアル理論は東アジア反日武装戦線の思想の背景でもあった。2パックの伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』を観たり、あるいは近年のケンドリック・ラマーの活躍を見るたびに、ブラック・パンサーの武装闘争路線なども含めた活動の総括や反省や回顧そしてそれらをめぐる議論が耕したアメリカの黒人社会の土壌がなければ彼らの存在もなかったのではないか、そんなことを思う。

いまの時代に反日を主張したり、問題提起することでさえ、僕だってカラダが底冷えするぐらいに恐ろしい。けれども、「反日ラップ」や「反日ラップ」を通じた東アジア反日武装戦線をめぐる議論はいまこそ意義があるのではないかとは思う。「反日ラップ」を作った勇気ある音楽家たちは偉大である。


9. THE HEAVY MANERS – “Terroriddim (Rudeboy Anthem) Feat. Killer-Bong”(2008)

ベースの太さと強靭なスネアとバスドラ、心をざわつかせるフライング・シンバルの細かい律動はそれだけで何かを訴えかけてくる底知れぬパワーを発することができる。その“何か”の背後や背景にはもちろん理屈や思想があるのかもしれないが、理屈や思想だけでもない。そのことは、レゲエ・ベーシスト、秋本武士率いるレゲエ・ダブ・バンド、THE HEAVY MANERSのこの曲の演奏を聴けば、それ以外余計な説明はいらない。

しかし、バンドの演奏だけではない。Killer-Bongのラップ、咆哮が凄まじい。Killer-Bongは「Terroriddim」というタイトルをヨレたようなフロウでくり返すが、その発音は「テラーリディム」なのか「テロのリディム」なのか判別不可能だ。もちろん全編をとおしてリリックもある。が、言葉の意味は断片的にしか入ってこない。ほとんど読解不可能だ。抵抗(プロテスト)というより、たしかにこれは全身全霊の身体の反乱(レベル)である。

この反乱には明確な方向性はないように思えるが、言葉や文脈を不明瞭にすることで広がっていく反乱の地平があるのだと教えてくれる。「Rudeboy Anthem」という副題のとおり、この曲は路面をのたうち回りながら生きるこの国のルードボーイのアンセム。「Terroriddim (Rudeboy Anthem) 」を渋谷のクラブで体感したときに全身から沸き上がってきた得も言われぬ感情や反抗心はいまだに説明できない。


10. JAGATARA - “都市生活者の夜”(1987)

JAGATARAとプロテスト・ミュージックであるから、「もうがまんできない」という選択肢もあった。『超プロテスト・ミュージック・ガイド』の執筆者のひとりである荏開津広は「クニナマシェ」をプレイリストに入れている。が、午前4時少し前のダンスフロアの何にも代えがたい高揚と思索と憂いの時間を生きる活力にする身からすれば断然「都市生活者の夜」なのだ。JAGATARAと江戸アケミの表現が総じてそうであるように、この15分にも及ぶ大作は、ダンス・ミュージックでありながら、いや、ダンス・ミュージックだからこそ、個人と集団がせめぎあい、結果的に人間が独りであるという事実を突き付けてくる。それはやはりどこか心許ないものの、とても心地良く、強烈なカタルシスを伴う。そのカタルシスが果たしてプロテストにつながるのかと問われると、いまだ答えに窮するのだが、「都市生活者の夜」がなければ乗り越えられなかった、人びととの連帯の日々が僕にはたしかにあったのだ。


11. Major Lazer - “Get Free ft. Amber Coffman”(2012)

僕はこの曲を、友人が教えてくれたジャマイカで撮影されたMVで知った。そして、そのMVの印象が強烈だった。舞台はジャマイカだ。ジャマイカの人びとの躍動が伝わってくる。汗、熱気、ダンス、匂い、煙。ジャマイカに行ったことはない。この映像は当然ジャマイカのいち側面でしかないし、だいぶロマンティックに描いているのだろう。それゆえに、そのあまりの美しさに同時に不安な気持ちになる。

例えば、水曜日のカンパネラのシンガポールの下町で撮影された「ユニコ」のMVで、コムアイがその街や食事や人びとともに呼吸し生々しく躍動する様にうっとりする一方で、しかしMONDO GROSSOの「ラビリンス」のMVで満島ひかりが香港の猥雑な街の中を踊り歩く姿にはどこか違和感を拭えないように(満島ひかりは大好きだが)。もしかしたらこれは何かが違うのではないかと。ここでの街や人はただの舞台装置や背景なのではないかと。それでも「Get Free」からは有無も言わさず、直接的に伝わってくるものがある。

ディプロ擁するメジャー・レイザーが作り出すゆっくりと波打つダンスホール・リディムと空間を広げていくエモーショナルなシンセ、そこに絡みつく元ダーティ・プロジェクターズのアンバー・コフマンの透き通ったヴォーカルとやるせなさと自由への希求をシンプルな言葉で綴った歌詞の組み合わせは、ジャマイカに息づく生活、文化、音楽へのリスペクトの上に成り立っている。ダンスホール・レゲエのリディムとルーツ・レゲエのブルースを見事に掛け合わせている。この曲を聴くときに体の中から引き出されるやるせなさと解放感は、日々の激しいストレスとプレッシャーから心をプロテクトしてくれる。朝方のダンスフロアで聴いて踊りたい。

interview with Tomoko Sauvage - ele-king


Tomoko Sauvage
Musique Hydromantique

Shelter Press

AmbientExperimental

Amazon

 Mark Hollisのように1枚の傑作を残せれば、その作品を最後に音楽をやめてもいい。とずっと思ってきた。けれど僕自身はいまだにそういう作品をつくれていない。
 去年の10月ごろ一時帰国したパリ在住のトモコさんと、町田良夫さんの家で食事をした。その時に、8年ぶりの新作をリリースするというトモコさんが「この作品が出せたら、もうこういう音楽をやめてもいいと思ってる」と言っていた。その作品『Musique Hydromantique』は、ele-kingでもデンシノオトさんのレヴューや、WIREなどの海外のメディアでも話題になっている。

 個人的に90年代後半から00年代中盤までは、デジタル・テクノロジーが音の世界でどこまで何ができるのかという、先が見えない楽しさの中で動いていた。グラニュライザーやロング・ディレイが一般的になった頃からアンビエントやドローンの量産がはじまって、デジタル・ミュージックへの関心が急になくなった。ちょうどその頃、西洋医学から東洋医学への意識の移行もあったので、時代に動かされた要素も大きいだろう。仲のいい友だちもライヴでラップトップを使わなくなりはじめたのは00年代後半。それからちょうど10年を経て1周したように個人的にはデジタル・テクノロジーおよび西洋医学の再評価がはじまってはいる。

 そんな流れの中で、即興演奏を加工・編集なく構成されたトモコさんのこのアルバムは、アナログな音を即興的にデジタルで加工して演奏をする。という、この時代を象徴するひとつの演奏スタイルの集大成的な作品のように思う。特筆すべきは、デジタル・リヴァーブ全盛の時代に大きな楕円形の会場でジェネレックのモニタースピーカー10台を鳴らすことで作り出したアナログ・リヴァーブを収録した1曲目だろう。
 最近は、アナログよりもデジタルの方がいい音楽も増えてきている中で、この音楽は、レコードの方が圧倒的にいい。はじめの数秒でそう確信してクレジットをみるとマスタリングはRashadBecker。初回限定版のクリスタル・レコードとジャケットのデザイン、そして音の透明感……、針を落とした30秒後には2017年のベスト・アルバムが決まった。

 音楽にとっていまも昔も変わらない大切なことは、音が「生じる」というその瞬間の神秘性だと僕は思っている。その音の発生する「瞬間」、そしてテクノロジーも含めた「現在」にこだわり続けて10年。ついに完成されたTomoko Sauvage(トモコ・ソヴァージュ)の音楽は、人類史にしっかりと刻まれる傑作だ。
 音の振動は周囲に影響を与えながら減衰していく。その影響は永遠に消えることはない。フランスから届けられたこの音楽が、世界中のあらゆる時間と場所で再生され、世の中の振動が、静逸な調和へと導かれることを心から願う。そんな想いもあってレヴューを書きはじめて、トモコさんにインタヴューまでしてしまったので、それを共有させてください。

水かさを変化することによって、調性、ハーモニーを少しずつ変えていっていますが、やっているのはそれだけです。録音は、西南仏の田舎のとある村にあるフェスティヴァルで、会場に使われた、いまは使われていない公民館のようなところで録音しました。

録音の環境や、機材に関して教えてください。

T:録音に関してですが、すべて4トラック、2本のマイク(ノイマンのKM184ステレオ)と、ミキサーからのステレオアウトです。
 ハイドロフォン(Aquarian Audio / H2a-XLR)は私は楽器の一部としてとらえています。waterbowlsは、大きさの異なる6つの磁器のボウルです。白磁で有名なフランス、リモージュ市のセラミック研究所で作ってもらいました。リムザン地方の山の中にある La Pommerieというアーティスト・レジデンスでのプロジェクトの一環です。いちばん大きいものは直径50センチほど、小さいものは直径20センチほど。水の量によって音程を調節します。それぞれのボウルの水の中にハイドロフォンを沈めて、左手で常にフェーダーの操作できるよう、私の左手にミキサー。右手は水の中、左手は乾いていてフェーダーの上、という感じで演奏をしています。レコードのジャケット写真のように、氷のしたたる音を使っていると思われる方が多いのですが、もっと簡素なドリップシステムで水滴をたらしています。ジャケット写真は、楽器から派生させたインスタレーション作品(2010年)のベルリンでの2度目の展示風景です
 磁器のボウルは私の身体の一部とでも思えてしまうぐらい、大切なものです。飛行機の移動で何度か割れてしまい、トイレで泣いたこともあります。氷が落ちてきたら嫌なので、私の大切なボウルの上には絶対つるしません! 壊れた破片をヤスリで磨いて、それでインスタレーション作品を作ったこともあります。インスタレーション用のボウルは、お店で買えるものを使っています。
 ここ8年間で、25カ国、100回以上コンサートをするうちに、ルーム・アコースティックにものすごく左右される楽器だということ、それをいかにコントロールするかを探ってきました。やっとマスターできた、と思えたのは去年あたりからです。スピーカーの数、位置、それからもちろんミキサーやミキサーのEQなどのクオリティやなどでもものすごく変わります。

それぞれの曲について教えてください。

1曲目:Clepsydra

T:2009年のアルバム『Ombrophilia』でも多用した、水滴でボウル鳴らすテクニックです。ボウルの水かさを変化することによって、調性、ハーモニーを少しずつ変えていっていますが、やっているのはそれだけです。録音は、西南仏の田舎のとある村にあるフェスティヴァルで、会場に使われた、いまは使われていない公民館のようなところで録音しました。楕円形、3層、真ん中が吹き抜けの変な構造になっていて、オーガナイザーが音響に詳しい方だったので、いろんなところにいろんな種類のスピーカーを置いてもらって、建物全体が良く響くようにしてくれました。
 スピーカーの一部として、ジェネレックの小さいスタジオモニター用スピーカーを10台位設置してくれたり、かなり豪華に音響を施してくれました!
 こういった、理解あるオーガナイザー、エンジニア、そしてそれをサポートする国の補助金(税金でまかなわれている)によって、私の音楽は育てられたと思っています。今回は全てフランス国内のそういった、オーガナイザー(でも彼ら自身もミュージシャンなど、若い人たち)のサポートによって録音を実現出来たので、アルバムはフランス語のタイトルにしています。ときどき建物がきしんで、みしみしする音が入っていますが、これは狙いではなく消せなかったものです。

2曲目:Fortune Biscuit

T:気泡の出る素焼きのセラミックを水に沈めることによって音をならしています。泡がはじける音、泡が穴から出てくる時の音が、毎回違うので、フォーチューンクッキー(アメリカ系中国の、中にメッセージが入ったクッキー)にちなんでタイトルをつけました。ビスキュイは、そういった素焼きのフランス語名です。これはマットな音環境の普通のスタジオで録音しています。80年代のソニー製のお宝高音質オープンリールで録音しています。

奇跡を信じて強く生きていかなければならなかった時期、フィードバックがきれいに鳴ることに、一種の奇跡を感じていたというか、日本語で言うと願掛けみたいのかな。強く祈るような気持ちが私の編み出したフィードバック奏法と密接につながっていると思います。

3曲目:Calligraphy

T:これは、私がここ8年以上オブセッションのように追求してきた、ハイドロフォンとスピーカーのフィードバックで演奏しています。もともと手芸用品のDMCの工場で、今はがらんどう、コンクリート、天井高6、7メートル、その部屋は小さめの35-40平米位だったと思いますが、残響が10秒ぐらいある、いままででも最高の音響で録音しています。スピーカーは4台のNEXO。普段は鳴らない周波数のフィードバックもどんどんなって、もう奇跡じゃないかと思うくらいすごかったです。以前鈴木昭男さんが、残響のあるところで笛を吹くと自分が天才になったみたいに上手く吹けるけど、野っ原に行って吹くと途端に天才じゃなくてがっかり、とおっしゃっていました。残響があるところだと鳴る以前の音が鳴るんだ、というような言い方をされていましたが、このフィードバックもそういうことですよね。フィードバックって、なんか幽霊みたいですよね。
 電気も音も目に見えないものだから、幽霊的なものがあるような気がします。
 時々どこからきているかわからないノイズとかがのったりして、すべて科学で証明できるものとはいえ、それでもなにか神秘を感じてしまうのです。
 じつは、当時3歳だった娘の病気が発覚したのが2013年の4月、その約4ヶ月後の演奏、録音です。
 奇跡を信じて強く生きていかなければならなかった時期、フィードバックがきれいに鳴ることに、一種の奇跡を感じていたというか、日本語で言うと願掛けみたいのかな。強く祈るような気持ちが私の編み出したフィードバック奏法と密接につながっていると思います。
 それで『Musique Hydromantique』というタイトルです。古代ギリシャなどで行われていた水占い。現代では占いの結果をどう解釈するかは個人の自由だし、それよりも、占う時の強い気持ちに、なにか意味があるんじゃないかと……
 “Calligraphy”では、複数のボウルの複数の周波数のフィードバックが同時に鳴っています。これ実は結構コントロールが難しいのです。左手でミキサーのフェーダーを超微妙にコントロールしながら、増幅しつつある周波数に耳を傾けて音が強くなりすぎないよう注意を払いつつ、減衰しつつある周波数のフィードバックを増幅するべきフェーダーをアップして……
 バランスポイントを微妙にキープし続ける、集中力を要するプロセスです。この録音ではそういった、瞑想に近い集中力に達することができたと思っています。
 それから、水を揺らし波を作ることで、増幅しつつある周波数が落ち着くんです。
 また、こぶしを水に浸すことによって水かさを増やすことも、増幅しつつある周波数を落ち着かせるテクニックです。その時にできる、カーブ、音楽用語でいったらポルタメント、グリッサンド、ピッチベンドが、とにかくすごく好きなんです。母書道をやっていた母が、完璧な美しいライン、カーブを描くために執拗に練習していたのを見て育ちました。なんかそれに通じるものがあるなーと思ってのタイトルです。インド音楽のガマカなんかに通じるものがすごくあるとも思っています。
 と、とにかく奥深くて、ここ8年間の私の人生の半分位をしめた(!)といってもいい水のフィードバック奏法、語り始めたら止まりません(笑)。
 ちなみに、フィードバックは、幽霊を写真に撮るように、録音が非常に難しいと感じます。一度録音エンジニアと語ってみたいです! 素人として思うのは、フィードバックって、フィジカルに身体に貫通する、骨で聴く音なのではと。身体で直接ヴァイヴレーションを受け取るというか。マイクはそれを感知できないところがあるみたいで、毎回録音に非常に苦労しました。
 実はこの3曲目も、もともと録音状態がひどくて、アナログやデジタル技術を駆使して友人に修復してもらったものなのです。この難しさが今回のアルバムに時間がかかったいちばんの理由です。
 余談ですが、つい先日スウェーデンでのコンサートで、私の到着時にエンジニアがスピーカーチェックのためにこのアルバム、『Musique Hydromantique』をかけていて、ああ音悪いなあと思いながら聴いていて、実際サウンドチェックしたらすごく音がよかったので、音が悪いのはアルバム……。次作は本当の音にもっと近づけるように頑張ります。

この作品を出したらこういう音楽をやめてもいい。とおっしゃっていましたが、WIREなどの世界中のメディアから反響を受けたあと、その心境に変化はありましたか?

T:ええええ、そんなこと言いましたっけ!? 全然覚えがないです。もしかしたら、次へ進むという意味で、違ったスタイルを追求したいという意味で言ったのかもしれませんね。以前から、この楽器は、私の幸せにしてくれる魔法の楽器だと感じていて、誰もよんでくれなくなっても一生演奏し続けているとおもいますよ。先週もレコーディングしていて、楽しくて仕方なかった。次作、早く出したいです。『Musique Hydromantique』はもうだいぶ時間がたってしまい、私がいまやっている演奏スタイルとはだいぶ異なりますが、次作は全然違った雰囲気になると思うので期待していてください(笑)!

悪女/AKUJO - ele-king

 昨年のワースト・ムーヴィーは『ワンダーウーマン』だった。ストーリーが単純な上にとにかくテンポが悪い。『ハリー・ポッター』シリーズは監督が変わってもテンポが遅いのは子どもに観せるという大前提があるからだろうけれど、『ワンダーウーマン』にそんな制約があるとも思えない。余韻がどうという場面もないし、じっくりと観せるシーンもなかったのに、どうしてあんなにゆっくりとしか展開しなかったのか。しかし、『ワンダーウーマン』は全米で年間3位の大ヒットだったという。『ワンダーウーマン』を絶賛している声を表面的に掬い取って見ると、世間のことは何も知らない女性が性善説に基づいてアクションしまくることがいいらしく、アン・ハザウェイやジェシカ・チャスティンといった中西部受けしない女優たちが絶賛し、ヒーローものにしては女性客が50%を超えていることがひとつの特徴だという。人類にはもともと悪い心はなく、悪魔がそうさせているだけなので、純粋無垢なワンダーウーマンがその悪を退治するという展開……と書くと、やっぱり子ども向けにしか思えなくなってしまうけれど、『スリー・ビルボード』もリベラルのおとぎ話みたいなところがあると書いたばかりなので、トランプ政権下で文化系リベラルが求めていた捌け口が集約された作品なのかなと思うばかりである。

 女が激しく戦闘するだけなら日本占領下の朝鮮半島を描いたチェ・ドンフン監督『暗殺』でチョン・ジヒョン演じるアン・オギュンも記憶には新しい。あれは銃があまりにも重くて、狙撃用のライフルを構えるだけでも大変だったらしい。そして、同じ韓国映画でチョン・ビョンギル監督『悪女/AKUJO』も冒頭から女の戦いっぷりは凄まじい。キム・オクビン演じるスクヒはいきなりヤクザの本部に乗り込み、組織ごと全滅させてしまう。ここまでがあっという間。ドミノ倒しのように殺されていくヤクザたちはまるで死ぬために生まれてきたかのように次から次へと倒されていく。物語はここから始まると言いたいけれど、警察に逮捕されたスクヒが連れて行かれたのは国家のためにさらに精度の高い暗殺マシンを養成する施設で、彼女はそこでさらに高度な訓練を施されることになる。この過程がまたシステマティックに構成されていて実に楽しい。スクヒはそして、国家が命じる暗殺をやり遂げればいままでとは異なる身分を国家から与えられ、自由の身になると告げられる。これが絶対に困難なミッションだろうと思っていると(以下、ネタばれ)、拍子抜けするほど簡単で、スクヒはすぐに釈放されて自由の身になれる。所内で産んだ子どもと共に彼女は新たな人生を生き始めることになる。


『悪女/AKUJO』

 その後に起こることは実はどんなストーリーでもよかったのではないかと思う。スクヒは要するに売春組織から抜けられない売春婦の比喩なのだと思う。彼女は徹底的に国家から監視され、それ以上は関わらなくてもよかったはずのことにも駆り出され、自分の人生などというものは持てないどころか、むしろ過去との接点は増えていく。『悪女/AKUJO』を観ていて僕はコリーヌ・セロー『女はみんな生きている』を思い出した。韓国の売春組織がどれほど高度なものかは知らないけれど、ヨーロッパのそれが極めて複雑で女性たちにとって絶望的な組織論によって支配されているかは各種ドキュメンタリーや国連がそれに関わっていることを暴いたラリーサ・コンドラキ監督『トゥルース 闇の告発』がアメリカでは上映できなかったことでも深刻さは伝わってくる(確かガスランプ・キラーがこれについてラップしていた)。フランスの新自由主義を批判するイントロダクションから始まった『女はみんな生きている』は次第にヨーロッパの地下に張り巡らされた売春組織の実態に肉薄していき、主役の女性たちはこれに思いっきりカウンターを食らわせることになる(ファンタジーとはいえ、その方法論はとても痛快だった)。『悪女/AKUJO』もこれと似た展開をたどり、クライマックスでは長丁場のカーアクションも圧巻だし、女性がアクションしまくるという意味では何も申し分はない。しかし、この作品は『ワンダーウーマン』と同じ客層を呼ぶことはできないだろう。それはスクヒにはあまりにも葛藤があり、それが物語を根底からドライヴさせている要因をなしているからである。逆にいえば口コミ型で広まったという『ワンダーウーマン』は何ひとつ葛藤がないことが女性客を引きつけたということなのだろう。

 どうして『ワンダーウーマン』を観たのかと聞かれれば、アメリカで再燃しているフェミニズムがどこかしらにテーマとして盛り込まれているからではないかと予想したからである。しかし、そのような要素はなかった。それどころか反トランプで動いている女性たちと『ワンダーウーマン』にもしも関係性があるとしたら、この運動はヤバいかもと懸念せざるを得なくなってしまった。『ワンダーウーマン』の幼児性がもしもウイミンズ・マーチやタイムズ・アップにも浸透しているとしたら、女性の尊厳というようなテーマからも一気にそれてしまうし、それこそカトリーヌ・ドヌーヴの言うように「女は子どもじゃない」と言いたくなる衝動も理解できないことはない。『ワンダーウーマン』は女性しかいないアマゾナスで育ち、世界のことは何も知らないという設定で、それは確かに子どもということでしかない。子どもが悪と戦う映画を女性客が喜んで観ているというのは……どうなんだろう。ソフィア・コッポラの新作『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』がそして、男性とは隔絶された女子寄宿学園で暮らす女性たちの話であった。1971年に公開された『白い肌の異常な夜』と同じ原作を映画化したもので、反戦や人種問題をばっさりとカットし、女性だけの空間に負傷兵がひとり紛れ込んでくるという設定だけを踏襲している。そして、男性に興味を示す女性たちの心理が事細かに描写され、前作よりも心理劇の要素が比重を増している(そして、アメリカ南部なのにヨーロッパにしか見えない衣装と)。


『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』

『白い肌の異常な夜』では負傷兵の体を拭くのは黒人メイドの仕事である(この時のセリフが実に印象的)。コッポラ版ではこのような仕事をニコール・キッドマン演じる園長のミス・マーサにやらせている。男性の肌に触れるマーサの内面を推し量るようなショットが最も雄弁にこの作品の意図を物語っている。キルスティン・ダンスト演じるエドウィナ、エル・ファニング演じるアリシアもコリン・ファレル演じるマクバニー伍長には興味津々で、クライマックスでマクバニー伍長が動き出すまでは男性にも女性にもいわゆる「理はない」としか言えない場面ばかりが積み重なる。結果的には悲劇ではあるものの、その過程は『白い肌の異常な夜』のようにあらかじめ男性=悪という描き方はせず、男性の内面はあくまで未知数になっているところが現代的だった。ウイミンズ・マーチやタイムズ・アップに対して、結果だけを見てモノを言うのはどうなんだろうという疑義がこの作品に潜んでいないとはとても思えないし、『ワンダーウーマン』を観てはしゃいでいた女性コメンテイターの感想を聞いてみたい作品ではある。とはいえ、『ワンダーウーマン』を監督したパティ・ジェンキンスはかつてシャーリーズ・セローンのブスメイクが話題を呼んだ『モンスター』を撮った監督でもある。リドリー・スコット『テルマ&ルイーズ』が元ネタにしていた事件を忠実に再現した『モンスター』はかいつまんで言えば、自分が愛した女性のために次々と男たちを殺していった娼婦の話である。世界のことは何も知らない、子どもみたいな女性が連続殺人鬼になるか、アクション・ヒロインになるか、パティ・ジェンキンスにとってはもしかすると大した違いはなかったのかもしれない。


『悪女/AKUJO』予告編

『The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ』予告編

 SWANKY SWIPE / SCARSでの活動でも知られ、数々のクラシック作品をリリースして人気/評価を不動のものとしたラッパー、BES(ベス)。MONJU / SICK TEAM / DOWN NORTH CAMPのメンバーとして、そしてソロ・アーティストとしてこれまでに膨大な音源をリリースし、近年の活発な活動にも注目が集まっているラッパー、ISSUGI(イスギ)。旧知の間柄であり、これまでにも幾度かコラボレーションしてヘッズを狂喜させてきた両者のジョイントによる噂のオリジナル・アルバム『VIRIDIAN SHOOT』(ヴィリジアン・シュート)のリリースへ向け、Teaserが公開! 同作のレコーディング風景を使用し、収録曲“RULES”をいち早くプレヴューしている。また2/21よりiTunes Storeでのプレオーダー受付とその“RULES”(Prod by GWOP SULLIVAN)、“WE SHINE”(Prod by GRADIS NICE)の2曲の先行配信もスタート! リリースはいよいよ来週、2/28!

*BES & ISSUGI 『VIRIDIAN SHOOT』 Teaser

BES& ISSUGI
VIRIDIAN SHOOT

2018年2月28日発売予定
レーベル:P-VINE, Inc. / Dogear Records

[トラックリスト]
1. ALBUM INTRO
 Prod by 16FLIP
2. SPECIAL DELIVERY
 Prod by GWOP SULLIVAN
3. NO PAIN MO GAIN
 Prod by GWOP SULLIVAN
4. GOING OUT 4 CASH
 Prod by GWOP SULLIVAN
5. NEW SCHOOL KILLAH
 Prod by 16FLIP
6. 247
 Prod by BUDAMUNK
7. RULES
 Prod by GWOP SULLIVAN
8. BIL pt3 feat. MICHINO
 Prod by GWOP SULLIVAN
9. EYES LOW
 Prod by 16FLIP
10. HIGHEST feat. MR.PUG, 仙人掌
 Prod by GWOP SULLIVAN
11. VIRIDIAN SHOOT
 Prod by GWOP SULLIVAN
12. SHEEPS
 Prod by DJ SCRATCH NICE & GRADIS NICE
13. BOOM BAP
  Prod by DJ SCRATCH NICE
14. WE SHINE
  Prod by GRADIS NICE
〈BONUS TRACKS〉
15. GOING OUT 4 CASH REMIX
  Prod by GWOP SULLIVAN
16. SPECIAL DELIVERY REMIX feat. MR.PUG
  Prod by GWOP SULLIVAN

Georg Gatsas - ele-king

 見たまえ。いま産業メガシティが生まれつつある。この10年、街の景観はおそろしいほど変わった。五輪を目前にいまも急激に変わりつつある。そこら中が工事だらけであり、スポーツジムだらけであり、広告だらけだ。東京だけの話ではない。ぼくの故郷の静岡もディストピア映画そのものの高層ビルおよびショッピングモールが建てられ続けている。共同体を破壊しながら。

 この血も涙もない再開発は世界中で起きている。イギリス映画でここ最近のロンドンの街並みが写されるのを見るたびに気分が落ち込む。自分がよく知っている時代のロンドンは見る影もないが、90年代後半にはすでにその兆候があった。企業の資本が入った大型クラブの登場は、都市がそのローカリティーや共同体よりもビジネスの主戦場であることを優先するというメッセージだった。「ロンドンはどこまで新自由主義化するのか?」マーク・フィッシャーが嘆く。「私たちは目的を持たない資本主義のラボラトリーのなかで暮らしている」。が、しかし、快楽主義的娯楽施設から文化を生み出すことはできなかった。ロンドンの文化を救ったのは、そうしたラボラトリーには属さない/属せない、疎外された人たち/場所だった。それがグライムであり、ダブステップであり、ベース・ミュージックだった。ギル・スコット=ヘロンが言ったように、革命は本当に放映されたりはしない。

 本書『SIGNAL THE FUTURE』は写真家のGeorg Gatsasによる、2008年から2017年までのロンドンのダブステップのシーンを中心にとらえた写真集だ。2008年というとダブステップがメインストリームの支配的なジャンルにまで上り詰めた時期で(なにせスクリームの「Midnight Request Line」が2006年だ)、むしろダブステップそのものは衰退が見えはじめた時期ではあるが、Georg Gatsasはその後のアンダーグラウンドを見逃さない。伝説となったクラブ〈プラスティック・ピープル〉をはじめとするアンダーグラウンド・クラブ・シーン(クラバーやその場面)、そしてDJやプロデューサーの写真が街の風景とともに展開されている。その風景写真がまず素晴らしい。
 Burialが表現したような、夜の街、雨に濡れて、人がいない街角からはじまる。再開発によって建てられたハイパーモダンなデザイン(魅惑的な未来都市)の高層ビル、スクリームをモデルにしたヘッドフォンの広告板(それらに混じってファティマ・アル・カディリやケイティBのポスター)、地下鉄とその監視カメラ群の写真が、ローファ、マーラ、コード9、スペースエイプ、アイコニカ、ジェイミーXX、リー・ギャンブル、シルキー、ヤングスタ、ローレル・ヘイロー、ピアソン・サウンド、ヴィジョニスト、ピンチ、DJラシャド、ザ・バグ、キキ・ヒトミ、PAN……などなどのポートレイトに混ざっている(つーか、このメンツのなかにジェイミーXXがいることに驚くんだけど)。

 4人のライターが原稿を寄せている。そのひとりは、偶然というかなんというか、たまたま先日レヴューしたばかりの『資本主義リアリズム』のマーク・フィッシャー。「Burialは私に悲しみを抱くことを許してくれた」というその原稿は、変わりゆくロンドンを例によって資本主義批判の立場で分析する。ファレル・ウィリアムスの“ハッピー”を新自由主義に支配された夢見るロンドンに重ねながらこっびどく皮肉り、Burialの『Untrure』においてもっとも重要な曲、“Archangel”にサンプリングされた一節、「If I trust you...」というなかば疑問的な言葉を解読する。
 ほかの3人の原稿も読ませる。都市を描写する音楽、リンスと FWD、家賃の高騰と疎外された人たち、「重要なものはアンダーグラウンドから生まれる」、アフロ・フューチャリズム、シャンガーンなどアフリカとの接続……、エトセトラ・エトセトラ。読んでいるとこの10年で何が本当に重要だったのかがあらためてよくわかる。ハイプ・ウィリアムスを現代のTGと表現した文章には個人的にとても共感した。

 いま冬を生きている。サマー・オブ・ラヴに対する冬、まさしく“レイヴ・カルチャーへのレクイエム”、その象徴がダブステップとグライムだったと。冬のはじまりであり、バレアリックとは対極の、しかしこれはしぶとく生きている道筋なのだ。それを携帯に突っ込んだイヤフォンで満足してはならない。足下から聴こう。アンビエントとしての低音。「いまの私たちにそれを信じることは難しいだろうが……」フィッシャーは意外なことにこう結んでいる。「資本主義リアリズムの冬は終わり、夏はやってくる」と。
 限定1000部という話だが、この時代を忘れないためのじつに貴重な写真と言葉である。もし私があなたを信用できるのなら……。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972