「Nothing」と一致するもの

編集後記(2018年7月4日) - ele-king

 さすがに昨晩は爆睡したので、イングランドとコロンビアの試合は見逃した。録画で観るといまひとつ力が入らないんだよなぁ。
 その前日はたいへんだった。23時からのブラジルとメキシコの試合を見終わったあと2時間睡眠して、日本とベルギーの試合を午前3時から観た。終了後2~3時間ほど寝てから出社し、いま作っているブラジル音楽の本の入稿準備をした。
 午後は、アカの入ったゲラを持って、デザイナーの渡辺光子さん(松村正人の奥様ですね)の事務所まで行って校正の直しをしてもらった。渡辺さんが集中して作業しているあいだ、ぼくは松村と雑談。その最中に、故郷の友人から35年ぶりのメール。なんという日だろうと思いながら、夕方の6時前に渡辺さんのところを出て会社に戻ってから、編集者の小熊俊哉君と合流してPiLのライヴに向かった。
 短い睡眠と忙しさによる疲労は、老体に生やさしくはないけれど、時間限定とはいえアルコールによってある程度は解消された。
 そんなわけで六本木のEXシアターの席にビールを片手にどっかり座っていたのだが、ぼくは席の番号を読み違えていて、しかもそこは石野卓球とピエール瀧の席だったのだ。暗闇のなかでどこかで見た顔が……「ちょっとちょっとお客さん、マナー悪いよー」とピエールから注意されてしまった。ほんと、なんという日だろう。

 さて、ライヴの前半は、新生PiLの2作からの楽曲が続いたが、後半の“Death Disco”以降は、ジョン・ライドンが自ら切り拓いたポストパンクという広がりにおいて、その黄金期が過ぎたあとに発表された曲が演奏された。“This Is Not A Love Song”~“Rise”の演奏中、ガン踊りしている卓球……たしかにこの2曲がこの夜のクライマックスだった。とくに“Rise”はすごかった。

 俺は間違っているかもしれない
 俺は正しいかもしれない

 ジョン・ライドンは例によって少々ふざけながら、しかし曲の後半はマジな声を交えてなんども執拗にこう繰り返す。

 Anger is an energy
 Anger is an energy
 Anger is an energy……

 1983年の初来日のライヴで、ぼくがもっとも印象にのこっているのは“Religion”だ。なぜなら、その当時の硬直したパンクの幻想(パンクとはかくあるべきであるというオブセッション)を嘲笑するかのように、基本ひょうきんで、ほとんどおちゃらけていたジョン・ライドンは、その曲を演奏したときだけはすごんでいたし、マジだったからだ。今回のライヴでそれに相当する曲は間違いなく“Rise”だった。

 というわけでいまでも頭のなかで“Rise”が鳴っている。「怒りこそエネルギー。さすれば汝とともに道は立ち上がろう」……本当は、日本とベルギーの試合の雑感を書こうと思っていたのだけれど、なんだかそれどころではなくなってしまった。PiLのライヴには、いまの日本にもっとも欠けているものがたしかにあった。 

PREP - ele-king

 ロンドンの4人組のバンド、プレップ。降り注ぐ太陽と透明なプールサイドを思わせる彼らの音楽は、80年代という時代特有の煌きを2018年に再生する。モダンなシティ・ポップ? むろん懐古主義ではないし、そもそも過去は再生できない。そうではなくプレップの奏でる音楽は、ポップ・ミュージック特有の「エンドレス・サマー」を提示しているのだ。終らない夏。永遠の夏。
 それは幸福の記憶である。それゆえ刹那のものでもある。すぐに消えてしまうものである。存在しないものだ。夢だ。だからこそ切ない。胸を打つ。求める。プレップは、そんな感情を弾むようなメロディと、美しいハーモニーと、踊らせてくれるリズムによって結晶する。

 結論へと先に急ぐ前に、彼らの経歴を簡単に記しておきたい。プレップのメンバーは、ルウェリン・アプ・マルディン(Llywelyn ap Myrddin)、ギヨーム・ジャンベル(Guillaume Jambel)、ダン・ラドクリフ(Dan Radclyffe)、トム・ハヴロック(Tom Havelock)ら4人。活動拠点は、ロンドンであり、近年はアジア諸国での評価も高く同地でツアーを敢行し、好評を博しているという。日本にもこの2018年5月にツアーで訪れ、演奏を披露した。
 メンバーについて簡単に説明をしておこう。まず、ルウェリン・アプ・マルディンはクラシック/オペラ・コンポーザーで、キーボード奏者である。彼の豊かな音楽素養によって生まれるハーモニーは、プレップの要だ。そのルウェリンに声をかけた人物が、「Giom」名義でハウス・ミュージックDJとして活動するドラマーのギヨーム・ジャンベル。彼がバンドのビートを支えている張本人である。
 ふたりがデモ曲を制作し、「ドレイクやアルーナジョージなどのレコーディングに参加し、グラミーにノミネートされたヒップホップ・プロデューサー」のダン・ラドクリフにデモを送り、結果、メンバーが3人になった。サンプリングを駆使したモダンなトラックメイクはダン・ラドクリフの手によるものだ。
 さらに、ダンの友人でもあるヴォーカリストにしてシンガー・ソングライター(Riton、Sinead Hartnett、Ray BLK等と共作歴あり)のトム・ハヴロックも加わり、超名曲“Cheapest Flight”が生まれたというわけだ。一聴すれば分かるが、この曲にはポップの魔法が宿っている。微かな切なさが堪らなく胸に染み入る。

 こういった1970年代から1980年代にかけて流行した音楽のテイスト、いわばAORやディスコ、フュージョン、ブルー・アンド・ソウル系の音楽は「ヨット・ロック」と称されている。サンセットビーチやリゾート感の心地よさや切なさを表しているのが理由らしい。言いえて妙だ。夏の陽光、黄昏、哀愁、美しさ。優れた作曲と卓抜な編曲と演奏によって支えられた音楽ともいえる。たとえばネッド・ドヒニーなどを思い出してみても良いかもしれない。
 また、近年、世界的に再発見されているらしい山下達郎、大貫妙子などの日本の70年代後半から80年代前半のシティ・ポップや、近年のニューエイジ・ムーヴメントともリンク可能である。つまり「いまの時代ならではの再発見音楽の現在形」ともいえる。われわれの耳は「同時代的な感覚として80年代的なリゾート感覚」を強く求めているのだ。
 2016年にプレップは、“Cheapest Flight”を含む4曲入りのEP「Futures」をリリースしたわけだが、どうやら“Cheapest Flight”以降、日本のシティ・ポップをたくさん聴き、自分たちの音楽との近似性を確認したようである。「Futures」のオビがいかにも日本の80年代風なのはその表れだろう。今年の来日時、SNSで佐藤博の『awakening』(1982)のレコードを嬉々としてアップしていたことも記憶に新しい。

 彼らは「バンド」といっても、運命共同体的な重さはない。聴き手にとっても、そして作り手にとっても「心地よい音楽」を生み出すことを目的としている。「一種の音楽工場」と彼らは語るが、そこから生まれる音楽は、なんと混じりけのないピュアなポップ・ミュージックだろう。
 ふり注ぐ光のように清冽で、透明なプールサイドのように美しい。そしてそれらがとても儚いものだと感じさせるという意味で、どこか切ない。だが、そんな儚い美しさの瞬間があるからこそ辛い人生は尊くもなる。そんな感情を“Cheapest Flight”は放っている。当初、匿名的であった彼らだが、この曲のヒットによって音楽ファンに広く知られることになった。“Cheapest Flight”は、Spotify再生回数300万回誇るという。

 本作『Cold Fire』は、2年ぶりの新作EPである。オリジナルは計4曲収録で、日本盤CDにはさらに2曲のボーナス・トラックが加えられている。
 1曲めは人気の韓国人R&Bシンガー、ディーンがバッキング・ヴォーカルで、アンダーソン・パークの楽曲のプロデュースも手がけた〈HW&W Recordings〉のポモがリード・シンセサイザーで参加しているタイトル・トラック“Cold Fire”。 シンセのリフもキャッチーで耳に残るポップ・チューンだ。大胆に転調するソングライティングも見事。
 2曲めはポートランドのウーミ(Umii)のメンバーであるリーヴァ・デヴィート(Reva DeVito)が起用された“Snake Oil ”。アンビエント/R&Bなムードのミディアム・テンポのなか小技が聴いたトラック/編曲に唸ってしまう。
 3曲めはウルトラ・ポップ・トラック“Don't Bring Me Down”。夏の光を思わせるどこまでも爽やかな曲だ。テーム・インパラのMVの振付けを手掛けたTuixén Benetによってロサンゼルスのコリアタウンで撮影されたMVが印象的だ。
 4曲めはメロウ&ポップな名曲“Rachel”。どこか“Cheapest Flight”の系譜にある曲調で、夏の切なさ、ここに極まるといった趣である。まさに黄昏型の名曲。

 そして5曲め(日本盤ボーナス・トラック1曲め)は、マイケル・ジャクソンの“Human Nature”のカヴァー。マイケルのカヴァーというより、作曲・演奏をしたTOTOへのオマージュといった側面が強いようである。自分たちとTOTOを良質なポップ・ミュージック・ファクトリー的な存在として重ねているのだろうか。曲の本質を軽やかに表現する名カヴァーといえる。
 ラスト6曲め(日本盤ボーナス・トラック2曲め)は名曲“Cheapest Flight”のライヴ・ヴァージョンである。録音版と比べても遜色のない出来栄えで、彼らの演奏力の高さを証明しているようなトラックだ。録音版より全体にシンプルなアレンジになっている点も、「Futures」と「Cold Fire」の違いを表しているようで興味深い。以上、全6曲。程よい分量のためか、何度も繰り返し聴いてしまいたくなる。なにより曲、編曲、演奏、ヴォーカルが、実にスムース、ポップ、メロウで、完璧に近い出来栄えなのだ。

 世界はいま大きく動いている。普通も普遍も現実もまったく固定化されず、常に変化を遂げている。変動の時代は人の心に不安を呼ぶ。そのような時代において、あえて「普遍的なものは何か」と問われれば、「一時の刹那の、儚い夢のような幸福感」かもしれない。しかも「幸福感」は人の心に残る。それをいつも希求してもいる。だからこそポップ・ミュージックは、どんな時代であっても幸福の結晶のような「永遠の夏」を歌う必要があるのではないか。
 プレップはそんな普遍的なポップ・ミュージックを私たちに届けてくれる貴重な存在なのだ。サーフ・ミュージックのザ・ビーチ・ボーイズ=ブライアン・ウィルソンが実はサーフィンと無縁だったように、ヨットとまったく無縁でもプレップの音楽に心を奪われるはず。そう、ポップ・ミュージックだけが持っている永遠の/刹那の煌めきがあるのだから。

DYGL - ele-king

 デイグローが7インチEP「Bad Kicks / Hard to Love」をリリースするんだけど、初期のエコー・アンド・ザ・バニーメンを彷彿させるギターのカッティングとダンサブルな展開、これ、そうとう格好いいです。

 収録曲は、イギリスのとある港町の教会を改築したスタジオにおいて、なんとオープンリールを使用してのアナログ・レコーディングによって制作されている。そうなると、くだんのシングルはアナログ盤で聴きたくなるのが人の性というもの。この宝物は7月25日にたった1000枚の限定でリリースされる。どうか逃さないで。

(予約こちら)
https://dayglotheband.com/preorder

DYGL
Bad Kicks / Hard to Love

SIDE A “Bad Kicks“
SIDE B “Hard to Love”
2018/7/25(水)発売
1500円 (税抜)/1620円 (税込)
HardEnough


■LIVE INFO

08/11(土) RISING SUN ROCK FESTIVAL 2018 in EZO

08/18(土) SUMMER SONIC 2018@TOKYO

Klein - ele-king

 凄まじかった。今年の3月、渋谷WWWβの奥深くに降り立ったクラインは満面の笑みを浮かべ、ひっきりなしに大きく身体を揺らし続けていた。けれど、アゲアゲとかイケイケといった言葉をあてがいたくなるその佇まいとは裏腹に、会場に響きわたる音塊たちはどこまでも実験的かつ尖鋭的で、なんとも形容しがたい抽象性に満ちていた。どう見積もってもパリピが歓喜する類のサウンドではないのに、本人はパリピのようにノリノリという、じつにアンバランスな光景。
 こういう二項対立はあまりよろしくないとは思うのだけど、あえて単純化して言うならクラインは、いわゆる「知性」ではなく「感性」ですべてを押し切ってしまうタイプのアーティストだ。『Only』も「Tommy」も、けっして緻密な論理やコンセプトに基づいて生み出されたものではない。「しっかりと考えて作ったわけじゃない」と彼女は公演前の取材で告白している。本人としては自分の頭のなかにあるものを、ただ素朴にアウトプットしているだけなんだとか。クラインの音楽が持つあのわけのわからなさはつまり、彼女のいわば「無意識」によって生み落とされていたということになる。
 ちなみに、これまでに発表されている音源はどれもあらかじめリリースを前提としていたわけではなくて、周囲が出したいと望むから「オーケイ」と了承していたにすぎないのだという。ホモ・ルーデンス。とはいえ最近は「ちゃんと音楽を作っている」という意識も芽生えはじめているそうで、3月の時点で彼女は「いま作っているアルバムで、ほんとうの意味で“音楽”を作っている」と語っている。すなわち、5月末に上梓されたこの最新EP「cc」は、初めてリリースを前提として意識的に作り上げられた作品なのである。

 いわゆる「感性」や「無意識」の赴くまま自由奔放に制作に打ち込んできたアーティストが、急に「ちゃんと意識して」音楽を作りはじめたりなんかしたら、一気に強度が下がってしまうんじゃないか……なんて一抹の不安が頭をよぎったこともあるけれど、クラインはこの新作でそんな猜疑を軽々しく吹き飛ばしてくれている。
 これが「意識的」ということなのだろうか、うめき声の断片が次々と折り重なる2曲目“Slipping”を聴くと、彼女が自分の声の聞かせ方に長けてきているのがわかる。ミュジーク・コンクレート的な音響実験が繰り広げられる4曲目“Born”をはじめ、全体的に洗練度が上がっている感じがするのもその「意識的」の成果なのかもしれない。
 とはいえこれまでの彼女を特徴づけていたわけのわからなさも健在で、細やかな音声の反復にゲーム音楽の破片がまぶされる3曲目“Stop”も、変調され最小限まで切り刻まれた音声がきらきらと流星のように降り注ぐ5曲目“Explay”も、なぜか途中で唐突に謎めいたドラムの乱入を許しているし、6曲目“Apologise”や最終曲“Last Chance”が鳴らす不気味なのにどこかキュートさを携えたサウンドは、相変わらず文字に置き換えるのが難しい。「アンビエントとしてはアンビエント不足だし、ダンス・ミュージックとしてはダンスの要素が足りない。コーラスもあるけど、それもいわゆるコーラスではない」とクラインは自らの音楽について説明しているが、そのどこにも属せない音の組み合わせ方、彼女の「感性」や「無意識」によって紡ぎ出されたそれは、本作でもじゅうぶんに堪能することができる。

 実験音楽という場所にもブラック・ミュージックという場所にも固定されないこと――ドローン、エレクトロニカ、R&B、その他もろもろの狭間を絶妙な平衡感覚で回遊するこの「cc」を繰り返し聴いていると、彼女の「無意識」はその固定されなさを研ぎ澄ませることに全力を注いでいるんじゃないか、と、そんな気がしてくる。
 ナイジェリア生まれの母を持ちながらもそのルーツを際立たせることはせず、むしろバッハなどのクラシック音楽を聴いて育ったことを強調するクライン、その分裂についてチーノ・アモービは「無場所性(Nowhereness)」という言葉を用いて説明しているけれど(紙エレ最新号参照)、「no-where」は「now-here」でもあるわけで、まさにそういう場所ならざる場所こそが「現在」のエレクトロニック・ミュージックの尖端なのだ。そして、であるがゆえにそのノーウェアネス=ナウヒアネスはこれからの10年を方向づけることにもなるだろう。クラインこそはその嚆矢である。

ShadowParty - ele-king

 ニュー・オーダー×ディーヴォ……!? なんとも気になる組み合わせです。ニュー・オーダーで活躍中のベーシスト=トム・チャップマンとギタリスト=フィル・カニンガム、そしてディーヴォで活躍中のギタリスト=ジョシュ・ヘイガーとドラマー=ジェフ・フリーデルの4人が集合した新バンド、シャドウパーティ。そのデビュー・アルバムが7月27日に〈ミュート〉よりリリースされます。現在白熱中のワールドカップに合わせて制作された先行シングルのMVが公開中です。いやー、やっぱりこういう感じのロック・サウンドには抗えませんね。アルバムが楽しみ。


シャドウパーティ、W杯を祝福し新MVを公開!
新作は7/27発売!

ニュー・オーダーとディーヴォのメンバーによる4人組ロック・バンド、シャドウパーティのデビュー・アルバム『シャドウパーティ』が7/27に発売される。その発売に伴い、また現在開催されているサッカー・ワールドカップを祝福し、新作より先行シングル“Cerebrate”のミュージック・ビデオを公開した。

決勝トーナメント1回戦のメキシコ対ブラジルのキックオフ直前に急遽公開されたこのビデオは、サッカーに情熱を傾けるメキシコの少年を描いている。
なおニュー・オーダーは、1990年サッカー・ワールドカップ・イタリア大会において、イングランドの公式応援ソング“ワールド・イン・モーション”をリリースし全英1位を記録している。

先行シングル“Cerebrate”
[YouTube] https://youtu.be/bk6uLLwrT1o
[Apple Music / iTunes] https://apple.co/2I3pBGd
[Spotify] https://spoti.fi/2FtqEKh

シャドウパーティは、ジョシュ・ヘイガーとトム・チャップマンがボストンで出会ったことがきっかけとなり、2014年に結成された4人組バンド。

ジョシュ・ヘイガーは、ザ・レンタルズの元メンバーであり現在はディーヴォでギターとキーボードを担当、トム・チャップマンは、2011年ニュー・オーダーの再結成以来のベーシスト、フィル・カニンガムは、元マリオン、現ニュー・オーダーのギタリスト、ジェフ・フリーデルは、ディーヴォのドラマーとて活躍中だ。

ザ・ヴァーヴのニック・マッケイブがその素晴らしいギターの音色をアルバムの中の2曲“EvenSo”と“Marigold”で披露する一方で、ア・サートゥン・レシオやプライマル・スクリームなどで知られるシンガー、デニス・ジョンソンがその美声をアルバムで6曲に渡り聞かせており、先行シングル“Celebrate”の歌声も彼女である。

加えて、LAで活動するDJのホイットニー・フィアスがコーラスで参加したり、先日のマンチェスター・インターナショナル・フェスティヴァルでニュー・オーダーやエルボーのために12台のシンセによるオーケストラ・アレンジをしたマンチェスター在住のジョー・ダデルがその卓越したオーケストラ・テクニックを見せている。

シャドウパーティのサウンドは、その時々によって、数多のシンセ・サウンドのオーケストレーションに心奪われ、80年代風のビートが唸るギターとヴォーカル、そこに甘美なハーモニーが華を添える。

レコーディングはボストンやLA、マンチェスター、マックルズフィールドで行われた。

[参加アーティスト]
ニック・マッケイブ(元ザ・ヴァーヴ)
デニス・ジョンソン(プライマル・スクリーム作品等へのヴォーカル参加)等

[商品概要]
アーティスト:シャドウパーティ (ShadowParty)
タイトル: シャドウパーティ (ShadowParty)
発売日:2018年7月27日(金)
品番:TRCI-64
定価:2,100円(税抜)
JAN:4571260587847
解説:村尾泰郎/国内仕様輸入盤CD

[Tracklist]
01. Celebrate
02. Taking Over
03. Reverse The Curse
04. Marigold
05. Sooner Or Later
06. Present Tense
07. Even So
08. Truth
09. Vowel Movement
10. The Valley

■シャドウパーティ (ShadowParty)
メンバー:ジョシュ・ヘイガー(G, Key) / ジェフ・フリーデル(Drs.) / トム・チャップマン(B) / フィル・カニンガム(G)

2014年ボストンで結成。2018年7月27日、デビュー・アルバム『シャドウパーティ』リリース。

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Autechre - ele-king

 先日8年ぶりとなるヘッドライン来日公演を終え、変わらぬ反骨精神を見せつけてくれたオウテカですが、彼らが4月にNTSラジオで披露したロング・セットがCD、ヴァイナル、デジタルの3フォーマットにてリリースされることが決まりました……のですが、ええっと、ちょっと待ってくださいね。彼らのセットは2時間×4日の計8時間あったわけだから……なんと、CDに換算すると8枚組です(絶句)。前々作『Exai』が2枚組の大作で、前作『elseq 1–5』が5枚組相当の超大作で、今回は8枚組……どんどん膨張しております。でもこれ、内容はかなり良いです。これまでのオウテカとこれからのオウテカがみっちり詰まっています。発売日は8月24日。ぼく? もちろん買いますよ。

Autechre.
NTS Sessions.
24 August 2018.

先月6月13日(水)、実に8年振りとなる超待望のヘッドライン公演を行い、平衡感覚すら奪われるような漆黒のライヴ・パフォーマンスで超満員のオーディエンスを沸かせたオウテカから新たなニュースが届けられた。4月、突如始動したオウテカはロンドンのラジオ局「NTS Radio」に4度に渡って出演。DJセットを期待したファンの予想を裏切るように、すべて新曲のみで構成された各日2時間のロング・セットを披露し、リスナーの度肝を抜いた。今回は計8時間にも及ぶその新作『NTS Sessions.』が、CD、アナログ盤、デジタル配信で8月24日(金)にリリースされることが決定! 解説書とデザイナーズ・リパブリックがデザインしたジャケ写ステッカーが封入された国内流通盤は500セット限定となる。

Autechre@恵比寿 LIQUIDROOM ライヴ・レポート
https://www.ele-king.net/review/live/006336/

各種仕様は以下の通り。


Autechre.
NTS Session 1.

1. t1a1
2. bqbqbq
3. debris_funk
4. I3 ctrl
5. carefree counter dronal
6. north spiral
7. gonk steady one
8. four of seven
9. 32a_reflected

Autechre.
NTS Session 2.

1.elyc9 7hres
2. six of eight (midst)
3. xflood
4. gonk tuf hi
5. dummy casual pt2
6. violvoic
7. sinistrailAB air
8. wetgelis casual interval
9. e0
10.peal MA
11. 9 chr0
12. turbile epic casual, stpl idle

Autechre.
NTS Session 3.

1. clustro casual
2. splesh
3. tt1pd
4. acid mwan idle
5. fLh
6. glos ceramic
7. g 1 e 1
8. nineFly
9. shimripl air
10. icari

Autechre.
NTS Session 4.

1. frane casual
2. mirrage
3. column thirteen
4. shimripl casual
5. all end


NTS Sessions. LP Complete Box Set.
12枚組LPボックス・セット。特殊ハードケース+インナースリーブ。ダウンロード・カード付。

NTS Sessions. CD Complete Box Set.
8枚組CDボックス・セット。特殊ハードケース+インナースリーブ。500セット限定の国内流通盤には解説書とデザイナーズ・リパブリックがデザインしたジャケ写ステッカーを封入。

NTS Session 1.
NTS Session 2.
NTS Session 3.
NTS Session 4.
3枚組LP。アウタースリーブ+インナースリーブ。ダウンロード・カード付。

Sparkling 竹井千佳画集 - ele-king

女の子の心をわしづかみにする大人気のイラストレーター、竹井千佳。初のイラスト全集ついに発売!

いつも竹井さんの作品を見る時呼吸がうまく出来ず心臓が喉に詰まる謎の感覚に陥る…
ただ苦しくない、むしろ気持ちよ過ぎて…なんだこれ!どんな感情なんだ…
待てよ、これがまさか…心躍る…?
心躍りたい方、ファンシースーパーキュートハッピーキラキラガールズを超えたリアルが詰まった竹井ワールドをお楽しみ下さい!
(簡単に言うと大勢の人の中で好きな人を見つけた時の感情)――渡辺直美


パステル調で色鮮やか、キラキラと弾ける様に楽しいポップな感性と、抑制の効いた品格ある日本画の風情や、昭和の少女たちに迎えられた塗り絵のような奥深い世界観を併せ持つ魅力的な作品たち。
女の子たちに見え隠れする「醒めた眼差し」「ポジティブなエネルギー」「ちょっとイジワルで小悪魔的でさわやかな色気」も感じる彼女の表現は多くの女性の支持を呼び、メディアやブランドコラボでの活躍も目立つ存在に。
最近では有田哲平が司会を努めるTBS『夢なら醒めないで』のスタジオ・デザインや、雑誌『andGIRL』とコラボしたコーヒー・カップのイラスト提供、原宿ではコスメブランドの大型壁面ポスターが飾られ、地元である宇都宮市とコラボした観光誘致パンフレット「ナイショの宇都宮」が各公共機関で配布されるなど、幅広く活躍。
キュートな女子だけの人気に留まらず、今正に目が離せない竹井千佳の世界に存分に触れることのできる初のイラスト集です!


楽譜と解説 - ele-king

思弁的作曲に関する覚書――杉本拓『楽譜と解説』に寄せて

 カバーに覆われていない、剥き出しのままの灰色の表紙。表表紙にはタイトルと著者名が銀箔のように輝く文字となって刻まれている。ひっくり返して裏表紙を眺めていたら、濃淡のある灰色の平面に一箇所だけ黒い点がついていることに気がついた。よく目を凝らして見てみると、灰色に見えた表紙は黒の経糸と白の緯糸が平織に編み込まれることによって作られている。けして均等ではない編み具合が濃淡を生み出していたのだ。そして裏表紙の右下辺りからは経糸がひょっこり飛び出していた。黒点に見えたそれはおそらく何かの拍子についた傷なのだろう。しかし本当にそうだろうか。もともとその箇所だけ黒点に見えるように経糸が飛び出していたのではないか。あるいは使用するうちに黒点がついていくような装幀としてあらかじめデザインされていたのかもしれない。もちろん装幀を手がけた人物に訊けば「答え」はわかるだろう。だがたとえ「答え」を手中に収めたとしても、いまここに黒点のついた書物があるという事実からは、あり得たかもしれない複数の「答え」を考え出してみることができるはずだ。

 ギタリスト/即興演奏家/作曲家としていわゆる実験音楽シーンで活躍してきた杉本拓による、待望の、初の単著が〈サボテン書房〉から刊行された。杉本はこれまでもブログから雑誌まで様々な媒体で文章を発表するなど活発な言論活動をおこなってきており、なかでも角田俊也と吉村光弘とともにゼロ年代半ばから後半にかけて編集・発行していた「音と言葉をめぐる批評誌」の『三太』は、同時代のローカルな「実験音楽」を制作者の視点を交えつつ言語化していく貴重かつ重要な試みだった。そこでは杉本は自らの作品の解説をはじめ日常生活の体験談からアート作品や書籍など様々な対象を取り上げつつ、多くの人々が自明のものとして素通りしてきた音と音楽をめぐる問いに真正面から向き合うような言葉を書き連ねていた。全編書き下ろしによる本書『楽譜と解説』はこの『三太』で問われてきた問いが一層の深化を見せひとつの形を成したものだと言ってもよいだろう。2002年から2016年のあいだに手がけてきた作曲作品を取り上げて、実際の楽譜を交えて時系列順に解説していくという本書の内容は、音を聴くだけではわからなかったような作曲の構造が詳らかにされるなど、主にゼロ年代以降の杉本の作曲活動を俯瞰できる一冊となっている。しかし同時に楽曲の解説はあくまでもきっかけに過ぎず、そこから彼が音楽をどのように考え実践しているのかといった哲学的思索が随所で披瀝されることにもなる。ときには本文を大きく凌駕する分量の注釈がつけられていることもあり、それだけでも一本の論考たり得る濃厚かつ刺激的な読み物となっている。

 秋山徹次と中村としまるとともに90年代終わりに企画していた即興イベント「The Improvisation Meeting at Bar Aoyama」をはじめ、即興演奏家として、それも当時の言説を踏まえれば「音響的即興」とも呼ばれたような活動をしてきた杉本は、2002年ごろから作曲活動に重きを置くようになっていった。その動機は一見するとシンプルであり、「即興ではできないことをやる」(1)ことにあったという。一般的に言って、即興演奏では他の誰にも真似できないような個性的表現が尊ばれる傾向がある。だが杉本にとって「『作曲』でやりたいことのひとつはこの『個性』を抹殺すること」 だった。ただしそれはオリジナリティを消し去るという意味ではない。「いろんなもの——つまりシステムに支えられているがゆえの個性的表現や技法——をとっぱらったあとに残るもの、それが『オリジナル』であるなら、それは抹殺の対象ではない」(2)。ここには「個性」に対する興味深い捉え方がある。つまり即興演奏における「個性」とは、他の誰にも似ていない純粋な「オリジナリティ」などではなく、つねにすでに他者に侵され規定されてしかあり得ないものとして捉えられているのだ。杉本が「抹殺」する対象としたのはこうしたいわばまがいものの「個性」だった。それはかつてデレク・ベイリーが「非イディオム的即興」と呼んだ方法論を彷彿させもするが、言うまでもなくベイリーと同じく杉本もまた、まっさらな「オリジナリティ」を取り出すために「個性」を批判しているわけではない。「誰でもできる、しかし実現が困難であるような状況」(3)を志向する杉本にとって、「個性」を剥いだ先にあるのは、先走って述べるならば「即興の可能世界」とでも言うべきものだった。たとえば集団でおこなわれる即興演奏について杉本は次のような想いを馳せている。

 即興においては順番にひとりずつ音を出すなどということはけっして起こりえないだろうと誰もが思っていても、それは習慣と制度の問題にすぎず、もしかしたら私たちがいま「即興」と呼ぶもののなかに、「順番に演奏する」というような形式(あるいは様式)を含む、そんな音楽のありかたがありえたのではないか(4)

 すなわち「習慣や制度」といった「個性」を取り去るとき、そこには「即興においても論理的には可能なこと」(5)が浮上してくるのである。論理的には可能であるにもかかわらず、通常はほとんど聴かれることがない演奏。それは即興演奏が「自由」だとされているがゆえに胚胎する「不自由」とも関係するだろう。自由に演奏してよいはずの即興演奏において無意識のうちに形成されてしまう暗黙のルール。率直に言って、即興演奏だから「自由」に演奏してよいということは、「自由」でないかに聴こえる演奏をしてはならない、ということへと容易に反転する。何が「自由」であり何がそうでないのかは時代や環境および状況に左右されるのだとすれば、「自由」を志向する即興演奏は「習慣や制度」であるところの不文律のルールに積極的に縛られていく行為だとも言えるだろう。いずれにしても「順番にひとりずつ音を出す」ということは即興演奏であれば原理的には生起し得るはずである。杉本が作曲をおこなうことの動機のひとつにはこうした「異なる即興の可能性」(6)を具現化しようとする側面がある。

 私のいう「即興」は、じっさいにそうなることはまずなかったとしても、論理的には可能なそれのありかたすべてを含む。そして、そのなかからとても起こりそうにない即興演奏の状況を考え、そしてそれを導く、というのも「作曲」によってできることなのではないかと私は考える。(7)

 ここで即興と作曲は対立をなしていないことに注意してほしい。むしろ作曲は「個性」に満たされた即興によって逆説的に覆い隠されてきた、即興それ自体の可能性を救い出すことへと向けられている。繰り返しになるが「自由」を志向する即興演奏はそうであるがゆえに「不自由」を胚胎する。その結果、本来ならどのような演奏でもおこなわれてよいはずの「自由」なセッションにおいて、ある一定の型が生まれ、あたかもそれをなぞるかのようなクリシェに陥ってしまうことがある。ひとつとして同じではないはずの即興演奏がどれも似たり寄ったりになってしまうことについては、かつてギャヴィン・ブライアーズがデレク・ベイリーに対して向けた批判を想起することもできるだろう(8)。ブライアーズが即興に見切りをつけて作曲活動を本格化したように、杉本もまた作曲へと目を向け始めたわけだが、彼の場合即興とはまったく別の問題系へと飛躍したというよりも、先に見たような「即興それ自体の可能性」を従来の即興概念を超えて摑み取ろうとするテーマが横たわっていた。「私の本業は実験音楽であり、音楽を作ることは、それをとおして、音楽とは何かを問いたいからなのである」(9)と主張する杉本にとって、ある種の作曲とは即興における音楽の問いを別用のアプローチとして探り直していく作業に他ならない。

 そしてその問いのひとつは次のようなものだっただろう。先に述べたように杉本は即興演奏の論理的な可能性、いわば即興の可能世界について言及していたのだった。彼の作曲活動においてはさらに作曲それ自体の可能世界を現出する試みがなされていく。一般的に言って作曲は事前の準備として演奏の前におこなわれるものである。だが杉本は作曲→演奏→聴取という単線的なヒエラルキーからは想像もおよばないような作曲の在り方を提起する――演奏や聴取の後に作曲することは可能か? という驚くべき問いとして。たとえばある作曲作品があるとき、そこでは記譜された規則やルールに基づいた演奏がおこなわれることになる。だがその演奏を聴くわたしたちにとって、あるいは演奏された音そのものにとって、同じ音楽を導く規則やルールは必ずしもひとつとは限らない。そこからは実際の記譜とは別の規則やルールを排除するに足る理由づけを得ることができないからだ。後に述べるように厳密に言えばどのような音楽においても複数の規則やルールを想起することは可能だろう。しかしよりそうした側面を想起させる音楽とそうでない音楽という区分けはできる。あからさまに特定の作曲ルールを想起させる現代音楽や、身体感覚としてルールが浸透したポップスからは思考し難いもの。「aka to ao」(2006)という楽曲について杉本は、「私の曲に限っていえば、じっさいの音を導く規則が複雑ではないのと、完成した曲であってもそれが現実には有限の時間と空間を占める以上、それを聴いて、私のもちいた規則とは別の複数の規則を推測することが可能になるだろう」(10)と書き記している。

 複数の規則を推測する(speculate)こと。言い換えるならば作曲の思弁(speculation)へと赴くこと。「aka to ao」において杉本はひとまずこうした作曲の思弁が可能であることを示したと言える。さらに可能であるばかりか推測=思弁される規則は複数だとされていることを見落としてはならない。すなわち「個性」の先にある即興/作曲の可能世界はつねに複数であり、そうであるがゆえにたとえ一回的なライヴ・パフォーマンスがおこなわれたとしてもけして他の可能性を排除することがない。このような音楽を聴くことは特権的ではなくあくまでも偶然的な体験だ。複数の可能性のなかから理由なしで到来した一回を聴くことは、聴取体験を脱神秘化し、民主化し、もっと言えば聴くことと聴かないことが限りなく近づいていく。そしてそれは「音と聴取の相関」から離れた場所にある作曲それ自体の可能性を明かすことになるだろう。こうした問題についてわたしは以前次のように書いたことがある。

 かつて批評家の佐々木敦は、体験を前提とし聴かれることを目指しているという点においてコンセプチュアル・アートとは異なるものとしながら、「一回性の中に、他の可能性を排除するに足る理由づけ」のないような、「聴かなくても聴いてることと無限に同じになる」ようなものこそが、「即興的な、偶然的な要素を取り入れたヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」だと述べていたことがある。いわば充足理由律を否定する思弁的な作曲に可能性を見ていたのであって、それは音をあるがままにするはずのケージ主義的な実験音楽の多くの試みが、しかし音の物的状態ではなく、あくまでも聴くこととの関わりにおいてのみ可能な実践でしかなかったのに対して、聴取および演奏とは区別された作曲それ自体を提起していたジョン・ケージ自身の試みにおいては、「聴取と音の相関」を抜け出す手掛かりをみることができるのであり、その方向性を相関主義の隘路に陥ることなく推し進めたものとして「ヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」を捉えることもできる。(11)

 杉本の音楽はまさしくこの意味で「ヴァンデルヴァイザー以後の作曲の方法論」だと言うことができる。そしてそれは演奏や聴取とは区別された作曲それ自体を思弁する試みとして、いわば「思弁的作曲」とでも呼ぶべきものとして捉えることができるだろう。もちろん杉本自身は「思弁的作曲」などという言葉は一切発していないし、本書『楽譜と解説』のなかのどこにも登場することがないということはここで強調されなければならない。それはあくまでも彼の音楽を形容するために持ち出されているに過ぎない。そしてさらにこの言葉は、中世ヨーロッパにおいて実践的な音楽に対置されるものとして探究された「ムジカ・スペキュラティヴァ」や、それをもとにジョスリン・ゴドウィンが理性を超越した音楽のエゾテリックな原理を解明しようとして描いた「思弁的音楽」とも関係がない。杉本の音楽における思弁は極めて実践的な音楽において遂行されていくからだ。作曲を演奏および聴取に先行する事前の準備として捉えるのではなく、まったく反対に、すでにある音や演奏、あるいは聴取といったものを手掛かりにして、あり得べき作曲のルールを考え出していくこと。それはまた聴取を特権化する俗流音響派論とも異なる。正確にはあらゆる解釈へと開かれていることは必要だが十分な条件ではない。あくまでも論理的に可能な即興/作曲それ自体の可能性が問われているのだ。

 その根拠となるのが聴取と音の事実性である。「人は何らかの文脈のもとで音楽を聴いている。そして、そう聴いてしまった事実は変えようがない」(12)。この事実性によって「聴取と音の相関」はいわば内破へともたらされる。たとえばライヴ演奏をおこなっていると見せかけてスピーカーから録音音源を流していた吉村光弘の例や、ラップトップから電子音を流していると思わせて人間の声を発していたマッティンの例を杉本は挙げている。「タネが明かされたあとも、そのときその音楽をどのように聴いたか、という聴取体験そのものは変わらない。吉村くんのコンサートでは、それを生のフィードバックとして、マッティンのコンサートでは、それをコンピュータによる合成音として聴いていたという事実は変えようがないのだ。それに聞こえた『音そのもの』が変わるわけでもない(そんなことは不可能だ)」(13)。ある作曲作品が実演され、ある音が生起する。そこに立ち会うわたしたちは、特定の音の発生と個別の聴取体験を経ることになる。この事実が作曲の思弁――聴取および演奏とは区別された作曲それ自体へのアクセス――を可能にする。たとえ後から作品の「真相」を知ったとしても聴取と音の事実性は変わることがないからだ。実際の楽譜があったとして、作曲者が手がけた規則やルールがその音楽を生み出していたことを事後的に知ったとしても、音と聴取の事実性が消えない限り、それを起点にして複数の作曲作品を推測=思弁することの強度は損なわれることがないのである。

 2014年、遂に杉本は「思弁的作曲」を明示的に実践することになる。ヴァンデルヴァイザー楽派のスイスの作曲家マンフレッド・ヴェルダーによる作品「4 performers」を演奏したときのことである。カルテットで実演する際に、4人がそれぞれ別の楽曲を同時に演奏しようということになったという。ただし「4 performers」に指示されていない音を出すわけにはいかない。あくまでも同時に演奏されなければならないからだ。メンバーの中には身体動作だけを指定した「楽曲」を同時に演奏した者もいたというが、そこで杉本は「mada」(2014)というあくまでも音を指示する楽曲を制作した。それは「4 performers」とは異なるルールに基づいた作曲作品だった。にもかかわらずまったく同じ音響結果をもたらし得る作品でもあった。「mada」について杉本は次のように説明している。

 これが書かれた目的はただひとつで、「4 performers」の演奏中に弾かれた私のギターを、まったく違う譜面を使ってたどることが可能であるということを、じっさいに譜面を作ることで、いってみたかったからだ。(……)遠い未来、「4 performers」のあるページを演奏した録音物と私のこの譜面が同時に発掘されたとしよう。(……)未来の人は、録音された曲を聴いて、それがどのようなルールで演奏されたと思うであろうか?(14)

 この楽曲は実際には弾かれることがなかったそうだ。というのも演奏中に杉本は「mada」の譜面を一切見ることがなかったのである。たしかに杉本自身は弾かなかったかもしれない。そして多くの聴き手にとってもそれは弾かれなかったと解釈されるかもしれない。だが音そのものはそれが弾かれたことを否定することがない――だからこそ「未来の人」は「4 performers」の録音物を「mada」として聴くことになるだろう。このことはたとえ「未来の人」があらわれなかったとしても、つまり誰ひとり「mada」として聴くことがなかったとしても、それが「mada」という作品であり得る可能性を示している。このとき音は作曲によって組織づけられ構築されるものではなく、むしろ複数の作曲作品が導き出される源泉として、あるがままの姿であり続けていることになる。それは音楽を人間による創作として捉えるというよりも、すでにある音の論理を観察することから音楽を「発見」していく作業だと言い換えることもできる。だからこうした試みは必ずしも人間によって組織づけられた音響でなければならないわけではない。たとえば周囲の環境から聴こえてくるサウンドであったとしても、規則性やルールを見出していくことによって、その音を体現する複数の――この複数性が重要だ――記譜作品を制作するという、類を見ない音楽の愉しみを夢想することさえできるだろう。

 本書の半ばあたり、純正律だけを用いて制作した最初の作品である「quartet」(2013)の項からは、微分音や倍音列を用いた純正律の音楽についての記述が多くなる。2002年に演奏することになったラドゥ・マルファッティによる作曲作品にギターのハーモニクスを用いる指示があり、それをきっかけに杉本はハーモニクスや倍音列に関心を抱いていったという。「私の微分音音楽への取り組みは、まずクォーター・トーンに始まり、しだいにそれを倍音列上の音に近似値としてあてはめるようになり、最後には純正律に向かうこととなった」(15)。なかには高次倍音の求め方や実際の鳴らし方まで詳細に記されている箇所もある。ヴァイオリンのハーモニクスだけを用いて脱基音主義を実践した「solo for violin」(2014‐2015)や、上方倍音に加え実際には鳴ることのない下方倍音を7つの楽器に割り振った「septet」(2015)など、現在の杉本の興味はこうしたところにこそあるのだろう――言うまでもなく同時に、発音と沈黙の時間的な構造化(「for castanets」(2014‐2015))や、声と官能(「Songs」(2016‐))など、杉本の興味範囲はけして微分音音楽だけに収束しているわけではないものの、しかしそのようにして作られた音楽においてもまた、わたしたちはこれまでに見てきたように作曲の思弁へと赴くことができる。それだけにとどまらず本書が開示する杉本拓の音楽思想は、音を介したあらゆる出来事に潜む即興/作曲の可能世界へと聴き手を誘うことになるのである。

(1) 同前書、6頁。
(2) 同前書、6頁。
(3) 同前書、74頁。
(4) 同前書、24頁。
(5) 同前書、24頁。
(6) 同前書、25頁。
(7) 同前書、26頁。
(8) 「演奏の展開はいつも同じで、まず手探りのようにはじまり、まんなかで盛り上がり、静かにおわる。この曲線がかならずついてまわる。これ以上の形式がないとしたらまったく空疎だとしかいいようがない」「いま私がインプロヴィゼーションに反対しているおもな理由のひとつは音楽とそれを創造している人物とがかならず同一視されてしまうことだ。(……)そのために、インプロヴィゼーションでは、音楽じたいが自立することができない」(ギャヴィン・ブライアーズの発言、デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』236~237頁)。杉本による即興批判はブライアーズと問題意識を共有しているように思われる。たとえば杉本は次のように述べている。「私の体験では次のような即興が多かった。まず、それぞれが周りの反応をうかがうようにして音を出しながら、やがて、1つや複数の旋律やリズムが重なるようにしてモチーフのようなものができ上がり、これが発展していくなかでまた変化が現れ、それが別の展開を生み出していくことになるのだが、ある時点でネタがつき、また探り合いが始まる。これが繰り返される」「多くの即興的要素をもった演奏は、他者の発する音が契機となって、それに反応するように音を出していくから、ある音(ひとりひとりの奏者による塊としての音も含まれる)それ自体がひとつの存在(曲の本体というべきか?)として認識されることはない」(『楽譜と解説』25頁)。
(9) 同前書、51頁。
(10) 同前書、49頁。
(11) 「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」。
(12) 『楽譜と解説』、63頁。
(13) 同前書、62頁。
(14) 同前書、147頁。
(15) 同前書、96頁。

Nanaco+Riki Hidaka - ele-king

 囁き声、ウィスパー・ヴォイス。声帯を震わせることを逃れた空気は、音から求心性と核を奪い、むしろ拡散させる。拡散された音は、まるで垂らし落とした蜜が水の中に希釈さていくように、どこまでも膨らんでいく。だから、ウィスパー・ヴォイスは「小さな囁き声」だとしても、どこまでも、遠く我々の内部にも浸透してくる。クロディーヌ・ロンジェの声…、シャルロット・ゲンズブールの声……。そして佐藤奈々子の声。

 今作『Golden Remedy』は、前若手ユニット「カメラ=万年筆」とのコラボレーション作『old angel』以来約5年ぶりとなる新作である。
 アーティスト名表記も「Nanaco」と改めた彼女が今回コラボレーターに選んだのは、アヴァンギャルドからヒップホップまでジャンル横断的な活躍を見せるNY在住の若手鬼才ギタリスト、Riki Hidakaだ。
 一見意外と思われるこの組み合わせだが、これまでの佐藤奈々子のキャリアを振り返るならば、ごく納得のゆく共同作業だとも思える。70年代屈指のシティ・ポップ名盤とされるファースト・アルバム『ファニー・ウォーキン』ではソロ・デビュー前の佐野元春との共作だし、80年に結成したニューウェイヴ・バンド「SPY」では加藤和彦をプロデューサーに迎えていた。また、2000年作『sisters on the riverbed』ではR.E.M.を手がけたプロデューサーであるマーク・ビンガムとも邂逅するなど、その時代時代において自らの鋭敏な感性の元旺盛なコラボレーションを行ってきたのだから。
 かつて70年代後半同時期にデビューしたベテランたちに、ドメスティックなポップスを再生産する道を選んだ者たちが少なくないなか、佐藤奈々子の身軽さ、そして時々の音楽へのシャープな眼差しは傑出していると言えるだろう。

 今作は、まずRiki Hidakaによって作られた楽曲に対して、Nanacoがメロディと詞をつけていくという作業によって制作が進めれたという。Riki Hidakaによる楽曲は、そのギター・プレイの独創性はもちろん、メロディー/歌詞先行による制約が無いからであろうか、非常に奔放だ。マリアンヌ・フェイスフルによる名作『ブロークン・イングリッシュ』における特異な音響処理とシューゲイザー的世界が融合したようなM1“Old Lady Lake”、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとニコによる“オール・トゥモローズ・パーティ”を思い起こさざるを得ないドローン揺らめくM4“I Will Mary You”、硬質且つストイックなフォーキー世界がまるで森田童子を思わせるM5“美しい旅人”、堅牢にして靭やかなバンド・サウンドがコートニー・バーネットの楽曲にも通じるM7“未来の砂漠でギターを弾く君と私”など、これまでの佐藤奈々子の音楽を大胆に更新し、NanacoとRiki Hidakaによる音楽を新たに作り出そうという喜びに溢れている。
 しかしそれでもなお、いやだからこそというべきか、我々聴くものの耳、そして内部にもっとも広く深く浸透してくるのは、Nanacoの歌声とその言葉なのだ。聞き手がどれだけ様々な音楽と重ね合わてみようとも、やはりそのウィスパー・ヴォイスによって、Nanacoが特異な存在であるということが明示されるのだ。
 
 そう、Riki Hidakaによる楽曲は、あくまでNanacoの歌声が浸透圧を上げることに一番の作用を発揮している。ウィスパー・ヴォイスに含まれた空気成分が、汎空間的な音像と一体になるとき、歌声はいよいよその到達範囲を広げていく。
 その声は、空気に絆されホロホロと芯を解体していき、我々の内奥に浸り来ることになる。そして時に慄然とするほどに言葉が意味を運び込みもする。だからこの作品は、その先鋭的な音楽的相貌に反して、第一級の「ヴォーカル・アルバム」であるとも言えるだろう。もしかすると、囁き声ほどに我々が心をそばだててしまう音は無いのかも知れない。

編集後記(2018年7月2日) - ele-king

 カタルーニャ州で磨かれた美しきポゼッション・フットボールは、その楽園の対岸にあるPK戦という暗黒郷に引きずり込まれた時点でやばいなと思った。120分のあいだ74%ボールを支配していたスペインが負けたこと、ガーディアンいわく“ディナー・ジャズ・フットボール”、フットボールの戦術を再定義した華麗なスタイルが過去の幻影となったことのショックは小さくない。しかし、そもそも今回の代表にもうシャビはいなかったのだ。そして日曜日の夜(日本時間の月曜日の明け方)、決勝戦の舞台に立つ1チームは、ロシア、コロンビア、クロアチア、スウェーデン、スイス、イングランドのなかのどれかということが決まった。

 土曜日の試合は、素晴らしかった。選手入場前の表情をカメラがとらえたとき、いかにも重たいものを背負っている神妙な顔つきのメッシとは対照的に、エムバペ(※紙エレではムバッペと誤読しておりました)ときたらこれからサッカーすることに喜びを隠せない少年のようだった。フランスとアルゼンチンの一戦は、いまのところぼくのなかではベスト・ゲームだ。あの試合を観た人は、この先も忘れられないであろう、不滅のプレーを目撃した。一陣の風がフィールドを駆け抜ける。この試合のあとに悲しみがあるとしたら、つねにスタジアムを埋め尽くす12人目のプレイヤー(アルゼンチン・サポーター)が見れなくなること、そしていつになっても子供のようなマラドーナの喜ぶ姿が見れなくなったことだ。

 で、何を聴けばいいかって? まさかアストラッド・ジルベルトの“So Nice”というわけにはいかないので、ここはフレンチ・テクノの王様、ロラン・ガルニエとルドヴィック・ナヴァールによるアンセム、“アシッド・エッフェル”で決まりでしょう。

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