「Nothing」と一致するもの

Corey Fuller - ele-king

 ゴミがなくなった。道ばたに紙くずやポリ袋、空き缶やタバコの吸い殻なんかが転がっているのは、10年くらい前まではごくありふれた光景だったはずだけど、最近では街を歩いていてもめっきりゴミを見かけなくなってしまった。滅菌、滅菌、とにかく滅菌。汚いものは視界から全力で一掃。どうやら上層部には人間の痕跡を抹消したくてしかたのない連中が少なからず陣取っているらしい。

 伊達伯欣との Illuha で知られるコリー・フラー、彼の〈12k〉からは初となるソロ・アルバムは汚れに満ちている。それはまずアナログ機材に由来する独特のラフな質感に体現されているが、エレクトロニック・ミュージックの作り手でありながらそれほどテッキーでないところは彼の大きな持ち味だろう(元ドラマーである彼は、じっとしたままPCをいじくりまわすよりも、じっさいに身体を動かして機材を操るほうが好きなんだとか)。
 冒頭の“Seiche”は「Adrift」「Asunder」「Aground」という三つのパートに分かれている。弦とピアノの間隙に吐息が乱入する序盤、ティム・ヘッカー的な寂寥を演出するノイズの波がメロディアスなシンセの反復を呼び込む中盤、密やかな具体音と重層的なドローンとの協奏を経て穏やかなハーモニーが全体を包み込む終盤──アルバムのあちこちで繰り広げられる種々の試みを一所に集約したようなこの曲は、本作の顔とも呼ぶべきトラックだ。
 このアルバムの魅力のひとつは間違いなくそのあまりに美しい旋律にある。Illuha がどちらかといえばフィールド・レコーディングを駆使し、その編集作業に多くの時間を投入するプロジェクトであるのにたいし、コリーは今回のソロ・アルバムの制作にあたってメロディとハーモニー、つまりはコンポジションのほうを強く意識したのだという。その成果は2曲目の“Lamentation”にもっともよく表れていて、出だしのピアノの音を聴いたリスナーはもうそれだけで泣き崩れそうになってしまうことだろう。“Look Into The Heart Of Light, The Silence”のピアノも麗しいが、これらのコンポジションにはもしかしたら『Perpetual』で共演した坂本龍一からの影響が落とし込まれているのかもしれない。いずれにせよ重要なのは、それら美しい旋律を奏でるピアノの音が絶妙に濁っていたり具体音を伴っていたりする点だ。

 濁りということにかんしていえば、アイスランド語のタイトルを持つ“Illvi∂ri”がもっとも印象的である。この曲に聞かれるノイズは、コリーがじっさいにアイスランドで遭遇した出来事の結晶化で、深夜に強烈な暴風雨に見舞われた彼はすぐさまレコーダーを回し、風が窓を叩く音を伴奏に、その場にあった楽器で演奏をはじめたのだという。ピアノよりもそのノイズのほうに耳が行くこの曲の造形は、彼がダーティなものに目を向けさせようと奮闘していることの証左だろう。それは彼がアルバム中もっとも具体音にスポットライトの当たる最終曲に“A Handful Of Dust(ひと握りのほこり)”という題を与えていることからも窺える。
 汚れたもの、濁ったもの、それは壊れたものでもある。決定的なのは“A Hymn For The Broken”だ。タイトルにあるようにどこか聖歌的なムードを携えたこの曲は、「壊れたもの」にたいする慈愛に満ちあふれている。英語の「break」にはさまざまな意味があって、ひとつはもちろん「壊す」とか「壊れる」ということだけれど、その言葉は「breaking wave(砕波)」のように「波」という言葉と結びついたり、「dawn breaks(夜が明ける)」のように光が差し込むイメージと関連したりもする。コリーいわく、それこそがこの『Break』というアルバムのテーマなのだそうだ。ザ・ブロークン、ようするにそれは壊れそうになったり溺れそうになったりしながらも必死にもがいて光を索める、われわれ人間の姿そのものなのだろう。

 このアルバムはあまりに美しいメロディとハーモニーに彩られている。だからこそわれわれリスナーはその音の濁りやノイズにこそ誠実に耳を傾けたくなる。だって、汚れていることもまた人間のたいせつな一側面なのだから。

interview with J. Lamotta Suzume - ele-king

 リリースから1ヶ月が経とうとしているが、J・ラモッタ・すずめのニュー・アルバム『すずめ』に対する評判がすこぶるいい。街中やラジオでふと流れてきたりすると、ゆっくり浸りたくなる心地よさがある。J・ディラ譲りのビートメイクを生のバンド演奏に置き換え、エリカ・バドゥが引き合いに出される声で可憐に歌うスタイルは、ここ数年のソウル/R&Bにおけるトレンド(いわゆる「Quiet Wave」)を反映したものだ。しかし、彼女のサウンドは作為的なものよりも、ナチュラルで風通しのよいムードのほうが遥かに際立っていて、クリエイティヴの自由を謳歌しているのが伝わってくる。

 彼女が体現する自由のバックグラウンドには、様々なカルチャーが交錯している。もともとイスラエル出身で、現在はベルリンを拠点に活動中。自身のバンドにはデンマークやエジプトの出身者も参加し、アメリカのビート・ミュージック界隈とも接点を持つ。そして、アーティスト名は日本語の「すずめ」。昨年の来日公演も好評だったチャーミングな逸材は、同じくイスラエル出身/ベルリン育ちのバターリング・トリオと同じように、持ち前の多様性でもってソウルの新たな潮流を示す存在となっていくだろう。

 この後に続くインタヴューの質問作成にあたって、TAMTAMのジャケット・デザインなどで知られる川井田好應さんにアドバイスしてもらった。彼はJ・ラモッタが「すずめ」を名乗るきっかけを与えた人物。「Yoshiとはベルリンで偶然知り合って、とても良い友人関係を築くことができた。初めてのEP(2015年作「Dedicated To」)のアートワークを手がけてくれたりね。そして私は、日本の子守唄をサンプルした“Yoshitaka”という曲を書いて、彼にプレゼントしたの。(今回のアルバムの)日本盤ボーナストラックになっているわ」と彼女は語っている。出会いは人生を豊かにさせるし、自分の生き方は必ず自分自身に跳ね返ってくるというのが、彼女の話を聞くとよくわかるはずだ。


学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思う。

まずは音楽的ルーツの話から聞かせてください。イスラエルの伝統音楽に幼い頃から慣れ親しんできたと思いますが、どういったものをよく聴いていましたか?

すずめ:イスラエルはいろいろな国の人たちが集まってできた国だから、本当に多文化なの。イスラエルに住んでいる人は、70年前かそれよりもあとに、他の国から移ってきた人たちよ。私の家族は1960年代にモロッコから来たわ。だから、イスラエル音楽だと思っていたものでも、ヨーロッパだとか北アフリカのサウンドの影響を受けているのよ。私は幼い頃から、西洋の音楽に慣れ親しんできたわ。アメリカ発祥の音楽が大半だったけど、アフリカの音楽も聴いていた。だから幼い頃から聴いてきたイスラエルの音楽というのは特にないわね。私は人生のほとんどの間、ジャズを聴いてきたの。

ジャズとの出会いについても知りたいです。

すずめ:ジャズは深い愛情のようであり、私にとって故郷のような存在なの。初めてジョン・コルトレーンを聴いたときの衝撃は忘れられない。ジャズはアティテュードなの。それが私のバックグラウンドにあって、この音楽が自分の人生にあることを本当に感謝しているわ。自分にとっていちばん大きな学びを与えてくれたものだから。

テルアビブにいた頃には、ジャズ・スクールにも通っていたんですよね?

すずめ:ええ。学校へ通って、ビバップやスウィング、ハードバップなどいろいろなスタイルを学び、自分でもそれを生み出そうとした。音楽の道を歩みはじめた頃はブルーズの曲をよく歌っていたんだけど、その後、ジャズに出会ったときは衝撃的だった。こんなにもディープなんだと驚いたわ。
 ただ一方で、学校はツールを与えてくれることはできるけれど、私がミュージシャンになる方法は教えてくれないということに、ある時点で気づいたの。学校は、自立してやっていける方法を教えることはできない。私は芸術学校に対して批判したいことが結構ある。あそこで学べることはたくさんあるけれど、その反面、洗脳している部分も多いと思うわ。例えば、ジャズがどういうサウンドであるべきか、という昔からの考え方というのが根強くあって、そういうことを学校では教えている。それはある種の洗脳だと思うのよ。そういう伝統的な考え方から解放されるのには時間がかかるの。

なるほど。

すずめ:ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。ジャズはそういうものの象徴だった。でも現代の状況は当時のそれとは違う。だから当時のジャズを存続させることはできない。私たちアーティストは自由であるべきで、自分たちのフィーリングに従って創造するべきなのよ。その瞬間を大切にし、自分の現実や状況を理解しながらクリエイトするべきなの。私は枠にはめられたくない。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。
 だから 学校で芸術を学ぶことについては、デリケートな問題があると思う。私はいつか、そういう学校の先生になりたい。そして生徒に、自由について教え、自由になる機会を与えてあげたい。スタイルやルールを教えるのではなくて、「ルールなんてない」ということを教えていきたい。そういうことをよく考えているわ。

ジャズはその時代、その瞬間を反映している音楽だと思う。かつてのジャズには、アフリカ系アメリカ人のムーヴメントが反映されていた。自分のことはジャズ・ミュージシャンだと思っているけれど、当時のジャズのような音楽は作っていない。だって現代のジャズは当時のジャズとは違うものだから。

テルアビブでは〈Stones Throw〉や〈Brainfeeder〉といった、LAのビート・ミュージックやヒップホップが流行っていたそうですね。

すずめ:テルアビブとLAのビート・ミュージックには確かにコネクションがあるわ。テルアビブにもLAみたいに、夏のビーチや温かいヴァイブスといったアティテュードがあるから、音楽の感じも共通しているんだと思う。

あなた自身、J・ディラからの影響はかなり大きいらしいですね。彼の音楽とはどのように出会ったんですか?

すずめ:私がベルリンに移ったとき。2014年の春くらいかな。当時、私はジャズの勉学に励んでいて、ひとつのジャンルの音楽しか聴かないような、典型的な音楽学校生だった。ミュージシャンとしてのスキルを磨くために、宿題や課題ばかりやっていた。まるでジャズ以外の音楽は存在していないかのように、1930~50年代のジャズしか聴いてこなかった。ベルリンに移住してからやっと気づいたの、聴くべき音楽は本当にたくさんあると。そのときにJ・ディラの音楽を友達から教えてもらって、「一体、私はいままでどこにいたんだろう?」と思ったわ。J・ディラの音楽を知ってから、私の世界は全く変わってしまったの。

「About Love」というトリビュート企画をはじめたきっかけは?

すずめ:「About Love」はもともと、遊び半分のジャム・セッションとしてスタートしたの。毎年恒例のトリビュートにするつもりはなかったわ。J・ディラの音楽でジャム・セッションをやることが多くて、彼の誕生日(2月7日)の少し前に、いままでやったセッションをまとめてみようと思った。それを友達に聴かせたら、「ディラの誕生日の前に、それをリリースして彼に捧げるべきだよ」と言ってくれたの。それでリリースしてみたら、たくさんの人から温かいフィードバックをもらった。J・ディラのビートに対する私なりの解釈を聴くのが面白いって。だから彼の誕生日が近くなると、「もう一度セッションをやろう!」という流れになって毎年やるようになったのよ。

J・ディラのアルバムで、特に影響を受けた作品をひとつ挙げるなら?

すずめ:『Vol.2: Vintage』ね。このアルバムは何度も聴いたわ。彼のインストゥルメンタルの作品が大好きなの。

あなたはイラ・J(J・ディラの弟)とも交流していますし、あなたが住むベルリンの家に、ギルティ・シンプソンやファット・キャットが遊びにきたこともあったそうですね。

すずめ:イラとはベルリンで何度か会っているわ。「About Love」のアートワークは私が作ったコラージュで、イラと彼の母親にプレゼントしたものなの。彼らとハングアウトできたのは最高にクールだったわ。ギルティ・シンプソンは、友達に頼まれて私がインタヴューしたのよね。彼にいろいろな質問ができてとても楽しかった。音楽でコラボレーションすることはまだ実現していないけど、私は彼らの活動をサポートしているし、彼らの作る音楽は素晴らしいと思う。他にもLAのアーティストで強いインスピレーションを感じる人たちはいるから、そういう人たちともコラボレーションできれば嬉しい。例えば、MNDSGN(マインドデザイン)は特に影響を受けているアーティストよ。

すずめさんも含めて、ソウルやヒップホップをルーツに持ち、いろんなサウンドを融合させたミュージシャンがここ数年増えていますよね。そのなかで特にシンパシーを抱いている人は?

すずめ:たくさんいるわ。ここ数日間はソランジュの新しいアルバムをよく聴いていた。ものすごく興味深い作品だし、彼女の選択をリスペクトしている。アンダーグラウンドで、アヴァンギャルドで、実験的な、予想外れの、アトモスフェリックなサウンドを今回の作品で表現してきたのよ。あのアルバムは本当に美しいと思ったし、強いシンパシーを感じたわ。
 数ヶ月前は、ティアナ・テイラーのアルバムをよく聴いていた。カニエ・ウェストがプロデュースしていて、オートチューンを使っているのも関係あるかもしれないけど、サウンドがとてもいまっぽいというか新しいの。彼女のアティテュードやフロウ、ビート、そして作り出す雰囲気が大好き。
 それからネイ・パームもすごく好き。彼女にも強いインスピレーションを受けるわ。彼女の音楽には真実味があるし、自分のスタイルに忠実でいる。オーストラリアでライヴを観たんだけど、彼女が歌って、楽器を演奏するのは圧巻だった。

ベルリンの国際的な環境が、あなたの音楽に与えた影響は大きいと思います。どんなところに刺激されてきましたか?

すずめ:ベルリンは世界中からアーティストが集まっているから、アートをやる人にとっては本当に良いところよ。多国籍で多文化なところが、私がベルリンを好きな第一の理由ね。私には日本人、イラン人、パレスチナ人の友達がいるし、私のバンドにはデンマーク人やエジプト人のメンバーがいる。それって素晴らしいことよね。母国の言語ではなく、音楽という言語で繋がっている感覚が好きなの。地元のテルアビブでは同じようにいかないから。イスラエルを訪ねて来る外国人とは遊んだりするかもしれないけれど、音楽を作るとなれば、おそらくイスラエル人だけで集まってヘブライ語の曲を作っていると思うから。
 第二の理由は物価ね。昔からベルリン在住の人たちはどんどん高くなっていると言っているし、私もそう思うけれど、まだ手に届く範囲だと思う。もしテルアビブにいたら、朝から晩まで毎日働いて、生活費を補わないといけないだろうから。そうすると音楽制作する時間があまりなくなってしまう。ベルリンではその心配がないの。アメリカに行くことも考えたけれど、ニューヨークへ渡ってもテルアビブと似たような感じで、お金のために働いてばかりの生活になっていたと思う。

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自分の文化に必死でしがみついている人をよく見かける。まるで自分の文化が失われてしまうみたいに。でもそんなことは起こらない。文化は失われない。他の文化を知り、学ぶことによって、私たちは成長することができる。他の文化の美しさが見えてくれば、自分についての学びや、自分の文化をより深く理解することにも繋がるの。

具体的に出入りしているのはどんなところ?

すずめ:それは出演するアーティストにもよるわね。私にとって大切なのは、場所ではなくて内容なの。ベルリンでは《Poetry Meets Soul》という定期イベントがあって、そこは詩人、歌手、ラッパーなどの交流の場になっている。会場は毎回違うけれど、いつも素敵なところでやっているわ。あと、《Swag Jam》というヒップホップのセッションが毎週火曜日におこなわれていて、それは Badehaus という会場でやっているわ。ただ最近は、自分の活動に集中していて、自宅で音楽を作ったりコラボレーションしたりするようにしているの。だから最近はセッションに通うよりも、友達のコンサートに行く方が多いわね。
 ベルリンでは、ノイケルンやクロイツベルクでハングアウトしたり、そこでおこなわれるコンサートに行ったりするのが大好き。私はミッテというエリアに住んでいるわ。わりと中心部だけど、ノイケルンやクロイツベルクほど繁華街でもないところよ。あと、ベルリン市内は公共交通機関が発達しているから市内の移動もスムーズにできるの。そこは東京と同じね。

ベルリンでどんなミュージシャンと交流してきたのか教えてください。ジェイムス・ブレイクのようなエレクトリック系プロデューサーや、ベルリン芸術大学でクラシックを学ぶ人も身近にいたそうですが。

すずめ:それは本当よ。みんなスタイルに関してはとても自由なの。イスラエル人の友達でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に所属している人や、ベルリンでクラシックを学んでいる人も周りにいる。彼らの音楽的なバックグラウンドは私と全然違うけれど、とてもオープンだしどんなスタイルの音楽も聴くの。私がよく一緒にいるのは、やっぱりジャズをやっている友達ね。ベルリンのジャズ・スクールで一緒に勉強してきた友達もたくさんいて、彼らとはよく一緒にハングアウトしている。それからエレクトロニック系の音楽やR&Bシーンの友達もいる。ノア・スリーとも交流があるわ。彼は最高なシンガーだし、よくコラボレートしたいねと話しているわ。

今回のアルバム『すずめ』にも多くのミュージシャンが参加していますよね。昨年の来日公演にも参加していたドロン・シーガル(キーボード)、マーチン・ブウル・スタウンストラップ(ベース)、ラファット・ムハマド(ドラムス)が特に大きく貢献している印象です。彼らはどんな人なんでしょう?

すずめ:私にとって宝物のような存在よ。私のプロジェクトの核を成している人たち。アイデアやヴィジョンは私のものだけど、そのアイデアのベースとなっていたのは彼らのライヴ・サウンドだった。それに彼らは、実験的なことをすることに対してとてもオープンだし、彼ら自身のアティテュードを音楽に持ち込んでくれた。彼らがプロジェクトの要だったから、他のメンバーよりもたくさんの時間コミットしてくれたのよ。
 このバンドにはとても興味深いダイナミクスがあった。でも一緒に作業をはじめた頃は、お互いの文化のギャップがあったの。当たり前よね! イスラエルの男性とデンマークの男性とエジプトの男性がいて、その間に私がいて……私が3人とも選んだんだけど、彼らはいままで一緒に演奏したことがなかった。だから音楽についての意思疎通ができるようになるまで少し時間がかかったわ。でも時間が経つにつれて、お互い自然体になることができるようになっていったの。彼らには本当に感謝している。レコーディングで彼らが貢献してくれたものによって、音楽に生命が吹き込まれたから。

『すずめ』の制作コンセプトについて教えてください。サウンド面ではどういったものを目指したのでしょう?

すずめ:このアルバムの前に、同じバンド・メンバーでEPを録音したの。それはみんな同じ部屋でレコーディングしたのもあって、今回のアルバムに比べると荒削りでラフな仕上がりだった。そのときに比べて、今回はバンド自身も、レコーディングの環境やノウハウもレベルアップしている。
 サウンド面に関しては、マーヴィン・ゲイや70年代の〈モータウン〉、アル・グリーン、アリサ・フランクリンに強いインスピレーションを受けていて。カーティス・メイフィールドのアルバムみたいにしたいというイメージがあった。いまは2019年だけど、彼らから受けたインスピレーションをフィルターにして、当時の美的感覚を、私なりの現代的な解釈として表現したかった。オーガニックなグルーヴを表現したいと思ったのが、今回のプロジェクトをはじめるきっかけになったの。

リード曲の“Turning”について、背景やテーマを教えてください。

すずめ:“Turning”はテルアビブの実家に帰っているときに作曲したの。ピアノの前にひとりで座っていたときに、とても親密なフィーリングがあって、このサウンドは絶対に留めておきたいと思った。だからベルリンに戻ったとき、バンド・メンバーに私の表現したいサウンドを伝えたの。とても親密な感じで、ストーリーを物語っているような……まるで私がカメラになって、空の上からズームアウトしている状態で俯瞰している。それがゆっくりとズームインしてきて物語に入っていく。それがヴィジョンだった。
 私のなかでは、自分がいままでに聴いたことのないサウンドを作るつもりだった。ソウルとジャズの新しい表現方法だと思っていたの。でも、バンドのみんなは最初この曲で苦労していたわ。レコーディングする前も、「この曲はどうかと思うな。トリッキーなパーツもあるし……」と言ってたわ。だけど、私たちはポジティヴに制作と向き合い、“Turning”はバンドのみんなも大好きな曲になった。聴いたことのないサウンドを作るときは、参考になるものがないでしょう。「TURNING, TURNING,」と歌っている箇所だけど、それを作ることができて本当に嬉しい。これこそ私が作ろうとしていた音そのものだった。

「すずめ」はヘブライ語で「自由」という意味なの。だから私は自分にこの名前をつけた。私にとって自由は必要なものだから。みんなにとってもそうだと思う。それがルールよ。私は自由になりたい。

“Ulai/Maybe”ではヘブライ語で歌われていますが、どうしてそうしようと思ったのでしょう?

すずめ:“Ulai/Maybe”は、私がヘブライ語で歌っている数少ない曲のひとつよ。これは日本盤のボーナストラックにしたんだけど、理由はイスラエル大使館からたくさんの支援を得て日本に行くことができたからなの。ユキさん、アリエさん、その他大勢の人たちが頑張ってくれて、日本に行くという私の夢を叶えてくれた。自分の仕事の範囲を超えて、私の夢を実現するために応援してくれたの。だからこの曲は、東京のイスラエル大使館に捧げる曲なの。

昨年、実際に日本を訪れてみてどうでしたか?

すずめ:日本を去る数時間前、私は号泣していたわ(笑)。まさに夢が叶った経験だったから、本当にたくさんのことに興奮したわ。私はいつも自分の夢をメモに書き出して、部屋の壁に貼るということをしているの。そして時間が経過するにつれ、その夢に近づいているか、自分の状況と照らし合わせてみるのよ。毎朝起きると、そのメモを見るから、私は常にその夢を意識しているわけ。そのメモには「バンドのみんなと一緒に日本で公演する」と書いてあった。だから、ブルーノート東京から公演のオファーが来たときは、私にとって特別な瞬間だった。そして、日本に行ってからも特別な体験をいっぱいさせてもらった。私が外国人だからそう思うのかもしれないけれど、日本の人たちはとても親切な感じがする。世界中の人が日本に来てほしいし、日本人の暮らし方を見てもらいたいと思う。

今回のアルバムを『すずめ』と名付けた理由は?

すずめ:アルバムのタイトルは、もともと別の名前を考えていたの。けれど、日本に行ってから、このアルバムは私のいままでの物語や気持ちを表しているものだと感じるようになった。だからある意味、このアルバムは日本に捧げるものなの。日本という特別な場所やその文化に興味を持った自分がいるということ。だから、『すずめ』というタイトルにしたの。なぜ私がこのアーティスト名を名乗っているかを説明するために短編小説も書いたわ。

とても素敵なストーリーで、文才にも惚れ惚れしてしまいました。あの短編小説を今回のアルバムに封入することにしたのはどうして?

すずめ:日本にいたとき、「なぜ、すずめという名前なのですか?」と何度も聞かれて。私は即座に答えられなかった。なぜなら、その経験は私の人生を変えてしまうほど圧倒的なものだったから。その経験は私の考え方を変えた。今回のアルバムでは、自分の脆弱さを晒して、オープンになって、私がどんなものにインスピレーションを受けて、どういう経緯で「すずめ」と名乗るようになったのかを全てみんなと共有したかった。だから音楽に加えて、すずめについてのストーリーを封入することが理にかなっていると思ったの。「Yoshiがこの名前を教えてくれた」という短い回答もできるんだけど、それだけじゃなかったから。
 私はカルマを信じるけれど、カルマは直接的なものではないと思っている。何かを与えたら、すぐ何かが返ってくるような、そういうカルマは信じていない。このストーリーは、お互いがどうやって接し合うのか、その接し合い方というのがとても大事なことなんだ、という内容なの。自分の周りの人たちへの接し方が、自分にも同じように返ってくる、ということ。このストーリーに関与している全ての人によって、私は影響を受け、様々な感情を体験し、自分を「すずめ」と呼ぶということに繋がったの。

その短編小説のB面で、「単一文化主義はあまりに退屈で狭量です。違いを恐れないことには、たくさんの美があるのです」と綴られていたのが印象的でした。国境や文化を超えた多様性というのも、今回のアルバムのテーマなのかなと。

すずめ:その通りよ。あなたがいま言ったように、そのテーマが私の考えなの。「他の文化を恐れるのはもうやめにしない?」と言いたい。私の周りの人、友人たち、リスナーのみんなに伝えたいのは、他の人の文化を学ぶということはとても美しいことだということ。学べることは本当にたくさんあるから。他の文化を通して、人間として、アーティストとして、友人として成長できるから。自分の文化は常に自分とある。それは誰にも奪うことはできない。イスラエルだけではないと思うけど、他の国に旅行したりすると、自分の文化に必死でしがみついている人をよく見かける。まるで自分の文化が失われてしまうみたいに。でもそんなことは起こらない。文化は失われない。他の文化を知り、学ぶことによって、地球という社会の中で、私たちは成長することができる。他の文化を学ぶことによって、その文化の美しさが見えてくる。他の文化の美しさが見えてくれば、自分についての学びや、自分の文化をより深く理解することにも繋がるの。

最後に、あなたにとっての人生のルールは何ですか?

すずめ:「ルールはない」ということね。もちろん人生に必要なルールはいくつかあるけれど、自由になること、そして自由でいることが私のルールだと思う。私がここで言う自由というのは、あらゆる面における自由のことよ。じゃあ、あなたにとっての自由とは何? このインタヴューは、私がみんなにそれを問いかけることで終わりたい。『すずめ』は自由についてのアルバムよ。「すずめ」はヘブライ語で「自由」という意味なの。だから私は自分にこの名前をつけた。私にとって自由は必要なものだから。みんなにとってもそうだと思う。それがルールよ。私は自由になりたい。

interview with Courtney Barnett - ele-king

 こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけれど、僕にだってロック少年だった時期がある。ティーンのころのことだ。世代的に少し遅れての出会いではあったけど、いわゆるオルタナとかグランジ、ブリットポップに心を奪われていた。どこに目を向けても行き止まりにしか見えない田舎の風景を眺めながら、学校も家庭もぜんぶぶっ壊れてしまえばいいのになんて、わりとベタなことばかり日々考えていた。文字どおり屋上でひとり過ごしたことだってある。完全にイタい奴である。でもたぶん本気で信じていたんだと思う。こことは違う場所がどこかにある。こうじゃない世界がかならずあるはずだって。
 洋楽だけが窓だった。

 3月8日。O-EASTのステージでは昨年セカンド・アルバム『Tell Me How You Really Feel』を発表したコートニー・バーネットが一心不乱にギターをかき鳴らしており、その姿を観た僕は若かりし時分のことを思い出していた。彼女の音楽はいつだってここではないどこかを夢見させてくれる。いや、というよりも、そう想像することそれじたいの豊潤さを教えてくれる。
 翌日、幸運にも取材の機会に恵まれた僕は、前夜の昂奮を持ち越したまま彼女に、曲作りの秘密やこれまでの作品について尋ねていた。

自分のなかの言葉をどんどん出して表現していくことって、自分をさらけ出すことでもあるけど、「こんなこと考えてたんだ」って自分でも知らなかった部分がわかっておもしろい。

昨夜のライヴ、とても良かったです。自分がいわゆる洋楽を聴きはじめたころのことを思い出しました。オーストラリアはもちろん、アメリカやイギリスの音楽を聴く人って日本ではクラスにひとりいるかいないかくらいの規模感で、いわばマイノリティなんですけれど、日本のリスナーにはどういう印象を持っていますか?

コートニー・バーネット(Courtney Barnett、以下CB):昨日のオーディエンスはすごく大好き。みんな一緒に歌ってくれたし、笑顔がいっぱいだった。自分もやっていてすごく楽しかった。

いま日本では、いわゆる邦楽が好きなリスナーはもっぱらそれしか聴かなくて、閉じているというか、世界から分断されているような状況があります。

CB:日本がそういう状況だとは知らなかった。オーストラリアとはぜんぜん違うのね。私が最初に音楽を聴きはじめたころは、巷で流れている曲や流行っている曲を聴いていて、わざわざ自分から能動的に探して聴いたりはしなかった。でも10代になると、自分の興味の向くものを自分で追求しはじめる。自分がほんとうに聴きたい音楽を見つけるのはとても時間のかかる作業だった。自分の好きな音楽との出会いって、個人差があるんじゃないかな。

言語の壁みたいなものってあると思います?

CB:私の音楽は歌詞に重きを置いているし、自分の音楽についてコメントを貰うときも、歌詞を取り上げられることがすごく多い。じっさい歌詞は時間をかけて作っているし、曲の前面に言葉が出てきていると思う。でも、じゃあ言葉がいちばん大事かっていうと、自分でも断言できないから難しい。今回日本に来る前は南米にいて、そっちも英語が母語じゃないんだけど、ライヴに来てくれる人たちはみんなすごく楽しそうで、歌も一緒に歌うし、盛り上がって歓声も多いから、やっぱり人によって受け取り方が違うんだと思う。言語が同じ国、たとえばアメリカやオーストラリアでさえも、その場所柄というよりは人によって、音楽に対する反応や楽しみ方が違ってくる。世界中をツアーして気づかされたのは、音楽の楽しみ方は人によって違っていて当然ってこと。ここの国の人はこういうふうに聴く、って決まったものがあるわけじゃないと思う。
 あともうひとつ気がついたのは、周囲のエネルギーに左右されることが多いってことね。一部ガラの悪いお客さんがいると、自然に全体としてもガラが悪くなったり。そのへんは自分でも模索中だけど、一方で私じしんは素晴らしいバンドと一緒にツアーで演奏することができて、すごくありがたいと思っている。バンドが繰り出す音のダイナミズムは言葉の壁を越える普遍的なものだから、歌詞がわからなくても音を聴けばたぶん「怒っている」とか「悲しんでいる」という感情が伝わるはずよ。それはそれですごくパワフルなことなんじゃないかな。

おっしゃるとおり、あなたの歌詞は曲のなかで重要な位置を占めていると思いますが、詞を書くときはどういうプロセスを経るのでしょう? 言葉が先なのか、コード進行やサウンドが先なのか。

CB:毎回違うわね。決まったプロセスがあって、それを繰り返しやっているってわけじゃなくて。ただ、ノートに言葉を綴るという作業にはすごく時間を費やしている。たまにギターでコードを弾きながらノートを見て、そのコードに合う言葉がないか探すようなときもある。曲が先にできていて、まったく歌詞のない状態から、それに合う言葉を考えていくこともある。音楽が言葉のヒントになる場合と、逆に言葉が音楽のヒントになる場合の両方のパターンがあるのね。だから決まった方法はない。

これまでに作った曲で、もっとも苦労した曲はなんですか? 音は良いけどそれに合う言葉が出てこないとか、あるいは逆に、この言葉はどうしても使いたいけどそれに合う音が見つからないとか。

CB:両方ある。パズルのピースがぜんぶうまくフィットするように少しずつ調整していくこともあるし、ほんとうにうまくいかなくて、結果的に歌じゃなくてポエムにしちゃったり。どうしても言葉がしっくりこないときは、インストのまま寝かせることもある。カート・ヴァイルとのアルバム(『Lotta Sea Lice』)のなかに“Let It Go”って曲があるんだけど、これはどうしてもうまく歌詞が見つからなくて、ずっとインストのまま放置していたの。それがある日ピンときて曲にすることができた。だから、うまくいくタイミングが来るのを忍耐強く待つ。そういうふうにやっているわ。

言葉を紡いでいくときに、自分じしんが何を言いたいかよりも、言葉たちが何を言いたがっているかを考えて書くみたいな、そういう体験をしたことはありますか?

CB:似たようなことはあるね。曲を作っているときに、たとえば最初の一行が決まっていたりコーラスの部分が決まっていたり、先に鍵になる部分があって、それが自分にとってすごく印象的なものだったから、それを核にして曲を書こうってわかっているときもあるけど、逆に自分のなかでなんとなくこんな感じの言葉を使いたいんだけど、まだ言葉にできないなーってときはすごくフラストレイションが溜まる。でも、なんとかいろいろ模索していって、最終的にかたちになったときの達成感はすごく大きい。

必ずしも自分が言いたかったわけではない言葉が出てくることもあると思うんですけれど、それを自分の名のもとに発表することにかんしてはどう折り合いをつけています?

CB:とくに決まったメッセージとかアイディアがあるわけではなくて、何も考えずに、とにかくどんどん言葉を書いていくと、意味不明な言葉が出てきたり何度も何度も同じ言葉が登場したりして、ぜんぜん理に適ってないんだけど、それって逆に自分の潜在意識にあるものがそのまま出てきているんだというふうにも考えられると思う。何も考えずに書いたもののなかからすごく良いフレーズが出てくることもあるし。
 発表することにかんしていえば、躊躇することはほとんどないけど、ひとつだけルールがあるね。人を傷つけるようなことだけは絶対にしたくない。だから、たとえば誰かにたいして怒っていても、その気持ちは自分のなかに留めておく。あるいは怒りを表現する場合でも、相手を傷つけるようなことは必要ないよねって思ってる。自分のなかの言葉をどんどん出して表現していくことって、自分をさらけ出すことでもあるけど、「こんなこと考えてたんだ」って自分でも知らなかった部分がわかっておもしろい。

オートマティスムですね。歌詞を書くうえで影響を受けた詩人や小説家はいますか?

CB:うーん、「これ!」っていう人は出てこないかな。以前はいまより本を読んでいたけど、「この人が死ぬほど大好きで憧れてる」みたいな存在はいないね。自分が経験したことや吸収したもののすべてが、将来自分が作る作品に影響を与えていると思う。たとえばヴィジュアル・アートとか。あと、オーストラリアにいるときはよく舞台を観にいくんだけど、いろんなアーティストが違う芸術の分野でやってる表現を観るのってすごくおもしろい。分野は違っていても、伝えようと取り上げているものやテーマはすごく似ていて、それをみんながそれぞれのやり方で表現しているのを観るのはほんとうにおもしろいと思う。

その似ているテーマとはなんでしょう?

CB:もちろんひとつのテーマに限定しているという話ではなくて、いろんなテーマがいろんな方法で表現されていると思うんだけど、たとえばシェイクスピアは愛や憎しみ、裏切り、嫉妬、悲しみとか、そういったものを表現してるけど、他の人たちも同じようなものを取り上げているなとは思う。人間関係とか仕事とか、希望だったり絶望だったり、多くの人たちが共通のものを取り上げている。でも、当然それぞれの人が見ている世界は違うから、同じテーマでも人それぞれの見方や表現の仕方があって、やっぱりそれがおもしろいんじゃないかな。

では、ミュージシャンではいますか?

CB:パティ・スミスは音楽や曲作りも好きだけど、彼女は本も書いていて、その本もすごく好きね。彼女の人生すべてをとおして感じられるもの、生き方みたいな部分も大好き。あと、PJ ハーヴェイ。彼女は既成概念を押し破るというか、作品ごとにがらっとサウンドを変えるけど、そういうふうに彼女がアーティストとして、時間の経過とともに変化して進化を続けていることはすごく刺戟になった。オノ・ヨーコも良い意味で人の予想を裏切るというか、人が聴いていて心地良い音っていう、その概念さえも変えてしまうくらいで、やっぱりそういう人が好きだな。他にもたくさんいるけど、ちょっといまはすぐ思いつかない。

たまたまかもしれませんが、いま名前の挙がった人たちが全員女性なのは、「既成概念を押し破る」ということと関係していますか?

CB:たぶん無意識ね。若いころは何も考えずにニルヴァーナとかグリーン・デイとかを聴いてたけど、いまは世界中ですごく頑張っている、刺戟を感じる女性たちがいっぱいいるなって思う。

昨日のライヴではセカンド・アルバムからの曲が核になっていました。リリースから少し時間が経った現在の視点から振り返ってみて、あのセカンドは自分にとってどのような作品だったと思いますか?

CB:1年くらいライヴでやってきてるけど、時間の経過とともに曲じしんが進化しているように感じる。曲を書いてスタジオで録音して、リリースの段階ではほとんどライヴでは演奏されていない、すごくフレッシュな状態なわけだけど、お客さんの前で演奏することによって自然とそこから変化していく。「ここはこういうふうに弾いた方がいいな」「こういうのも付け加えてみようかな」ってなるから、どんどん曲が進化していく。歌詞についても、改めて「なるほど、ここはこういう意味だったんだ」というふうに、自分のなかで発見があったり。だから、曲にたいして違う理解の段階を楽しんでいる感じね。

昨夜はファースト・アルバムの曲も演奏されましたが、そちらはセカンド以上に時間が経過していますよね。変化していくうちに、当初考えていたことと違う意味合いを持つようになった初期の曲はありますか?

CB:変化っていうより、いろんな人との出会いや別れがあったり、あるいはまったく知らない人を見ながら曲を書いたりするなかで、懐かしさを感じることはあるかな。そこまで時間が経っているわけじゃないけど、この数年のあいだで自分なりに成長したところとか、考え方の違いとか、懐かしいなって。たとえば「この曲のこの部分は、ひょっとしたら当時、ユーモアで自分の気持ちを隠そうとしたのかな」って思うようなことがあって、もちろん当時の自分はそうとは認めないだろうし、そもそも気づいてすらなかったと思うけど、時間が経ったことでそういうちょっとした気づきを得ることはある。

いま何か進めているものはありますか? もうサード・アルバムには取り組みはじめているのでしょうか?

CB:言葉はいろいろ書いてるけど、歌っていうよりもポエム、詩ね。あとは絵を描いたりしている。まだ具体的な音楽作品の予定はないし、今回のアルバムのツアーが終わったら休みを取るかもしれない。でも言葉はつねに書いてるから、いくつか取り組んでいるものはあるけど、いつまでにこういう作品を出そうっていうのはとくに決めてないわ。

 前回の本コラムでは、〈俗流アンビエント〉という概念の成り立ちを紹介し、そこから見えてくる音楽蒐集・聴取の新しい意識について考えてみました。〈俗流アンビエント〉というタームに限らず、第一回目で紹介したオブスキュアな90年代シティポップのような、かつては音楽評論的な価値を付与されてこなかった音楽が、逆転的にその魅力をあらわにしてくるという状況は、いまさまざまな愛好家たちによって可視化されつつあるものです。こうした状況というのは単に、旧来の〈ディガー〉的な嗜好を持つ一部マニアが新たな漁場を発見し、そこで戯れるさまがたまさかSNS上で観察されるようになった、ということによるものなのでしょうか。まあ、そういう要素も少なからずあるとは思うのですが、そうした個人の趣向性云々の地平へ簡単に回収できない、もっと大きな流れが用意した状況であるようにも思うのです。

 ひとつには、前回も少し触れたとおり、ロック音楽に象徴されていた、表現主義的、作家主義的、記名主義的な、ポピュラー音楽における真正性崇敬とでもいうべきもものの弱体化ということが挙げられると思います。そうした真正性の不在というのは、例えばレゲエ~ダブなどの分野では、ダブプレートなどにみられるように自明の発想であったし、初期ハウスやテクノがその制作過程において人間の生演奏によらずリズムマシンやシーケンサーをたまたま駆使したこと、あるいはサンプリングを当然のものとしたヒップホップのトラックメイキング、それらが〈クール〉の地位へ登っていったことでもたらされた予想外の結果でもあったわけですが、いまやその傾向は音楽制作における不可逆的常識になっているといえるでしょう。また、そうした匿名性、反真正性志向を自覚的に展開し、ドラスティックに展開したのが初期Vaporwaveだったともいえるかもしれません。
 加えて、意味や政治性からの逃避(エスケーピズム)というものも大きな要因のひとつだと考えます。ある音楽が持つ、あるいは持たされている固有的意味性、もっといえば政治性というものを漂白したいという欲求は、現実世界における政治的言説の横溢と反比例的に符合するようにして(音楽と政治を不可分であるとする言説の興隆とパラレルな関係として)、リスナーの内に無意識的に肥大化するものだと考えます。実際、現実世界におけるきな臭い政治言語の跋扈は、いま誰しもが鋭く感得できるものでしょうし、そうした状況論と音楽を巡る議論も日々様々な形で現れています。(*1)
 〈オルナタティヴ〉以降のわかりよいエポックを挙げるなら、90年代後半から2000年代にかけて喧伝された〈音響派〉があるでしょう。いまになって考えるに、〈ロックの後〉を直截に表す〈ポストロック〉というジャンル名と連動するようにして急速に人口に膾炙した〈音響〉という言葉には、音の響きそのものを、音そのものに付与され続けてきた意味論(政治性)から開放させようとする欲求が孕まれていたように思います。このジャンルの成り立ちとして、それまでポスト・ハードコア的音楽(いうまでもなくそれは政治性と分かち難いジャンルでした)を実践していた音楽家が〈変節〉し、〈音響〉を志向したということがそうした欲求をよく表しているようにも思われます(もちろん様々な例があるので一概には言えませんが)。そういった視点でみるとき、〈音響派〉の音楽表評論上の華々しい成功を一旦捨象するなら、エレーベーターミュージック~ミューザック的なるものとの本質的共通項(脱意味論的、脱政治的傾向)が自然と浮かび上がってくるのではないでしょうか(じっさいに当時〈ポストロック〉を指して、毒にも薬にもならない〈ウォールペーパーミュージック=壁紙音楽〉と揶揄する言説も見受けられました)。
 また、脱政治性ということでいえば、いまリヴァイヴァルが喧伝されるAOR~ヨットロックも、あるいはシティポップもそうだと思いますし、ダンス・ミュージックにおける非政治的享楽性を抽出する用語としての〈バレアリック〉などもそうでしょう。

 さらにもうひとつ大きな要因として考えてみたいのは、エレーベーターミュージック~ミューザック的なるものに対立するものとして、これまでは前景的且つ自己完結的な存在であると見做されてきたポピュラー音楽が、背景・実用音楽化=ムード音楽化しているという趨勢です。
 そのためにまず、そもそもポピュラー音楽がもつ自己完結性とはいったいどのようなものなのかについて整理しておく必要があるでしょう。もちろん、「歌は世につれ世は歌につれ」という俗諺の通り、元来ポピュラー音楽にも、特定の時代のエートスやそれを形作るものとしての個人的経験の背景装置としての性格が備わっているということもできると思います(例:「あの夏の日、みんなで海にドライブに出掛けた時はヒットしていたあの曲かかっていたなあ」)。しかし、そうした性格と同じくらい、あるいはそれ以上に重要であろう、ポピュラー音楽をポピュラー音楽たらしめてきた大きな要素は、楽曲自体がその楽曲が形作る世界そのものを表象し、あるいはその世界そのものを指す存在として前景的に機能するという、ある種の自己言及性・自己目的性だったのではないでしょうか。よりわかりやすくいえば、「様々な文脈や用法から独立して、その曲それ自身だけで音楽としての価値がある」、そういうものがポピュラー音楽である、と言い直すこともできるでしょう。(*2)
 また、ポピュラー音楽の持つこうした性格は、録音技術並びに複製技術の亢進によってさらに強められることになっていきました。個人でレコードを蒐集し、オーディオシステムの前に鎮座してじっくりと作品を味わう……。こうした「聴くためだけの聴取」を可能にせしめたのは、レコードという複製メディアの特性でもありました。ヴァルター・ベンヤミンがかつて指摘したような、複製技術が芸術の真正性(アウラ)を霧消せしめてしまうだろうという予想は、いまひるがえって考えると、それが複製物であろうとも外殻をもった物体であり、それを所有するという物理的行為が担保されているうちにおいては、あまりに急進的に過ぎた見取りだったのかもしれません(*3)。それどころか、ポピュラー音楽においては、むしろそこに記録された音楽の自己存立性や真正性は、大量精算・大量消費という手順を経て多数の享受者間に大きな共同幻想が立ち上がることで、むしろ激しく亢進されてきたのではないでしょうか。
 また、メディア形態の変化という面からも、円筒レコードからSP盤、さらにLP盤へと収録時間や所持簡易性が向上するにつれて、産業側からのポピュラー音楽供給量も飛躍的に伸長し、果ては〈コンセプトアルバム〉のような、自己存立的音楽の極限ともいえるような表現主義的作品も頻出するようになっていったのでした。あるいは、レコードというメディアから目を転じても、ステージという殿堂に音楽を奉じ、そこへ多数の聴衆の一方向的な視線を過密させるロックコンサートなどの生演奏の場で、〈鑑賞するためだけの音楽〉としてのポピュラー音楽の自己存立性は力強く培養されてきたといえるでしょう。

 しかしながら、我々が永らく自明なものとしてきた、ポピュラー音楽のそうした一面が徐々に瓦解してきたのが、ここ3~40年の趨勢なのです。まさしく、ポピュラー音楽の実用音楽化、あるいは実用音楽への回帰、とでもいうべき状況を出来させた要因には、一体どんなものがあるのでしょうか。
 そしてまたそのことが、現在観察できるエレーベーターミュージック~ミューザック的なるもの前景化にとってどんな役割を果たしてきた、あるいはいま果たしているのでしょうか。次回はその部分について具体的な事例を挙げながらじっくりと考えていきたいと思います。

*1
こうした議論のわかりやすい例が「音楽に政治を持ち込むな」というやつでしょう。政治的言説への不満をつのらせながらも、一方では旧態然とした作家的人格を音楽家へ要求するがゆえ、ガス抜き(脱イデオロギー的方法論)の不全に陥っている例が、件の「音楽に政治を持ち込むな論」の気まぐれで間欠的な噴出だと言えるでしょう。いつも妙に不機嫌にみえる「音楽に政治を持ち込むな」論者が自らの鬱憤を抜本的に克服するためには、「音楽家が政治を語ることが好ましいかどうか」という議論ではなく、彼らが前提とする象徴主義的作家観を反省的に捉えるところまで遡らねば叶わないでしょう。しかし、「音楽に政治を持ち込むな論」自体が何やら党派的性格を帯びてきているいま、それもなまなかではないかもしれません。

*2
一般的イメージからすると、クラシック音楽にこそそうした自己完結性が元来備わっているように見做されますが、主にバロック期までは宗教的儀礼に伴うものであったり、宮廷や上流階級家庭内でのバックグラウンドミュージック的な役割が支配的でした。クラシック音楽においてそうした自己完結的作品性が前景化してくるのは、ロマン派以降の交響曲など大作主義的作品においてでありました。また、それと平行して集中型鑑賞を能動的に行う〈聴衆〉という存在が浮かび上がってくることを通して、更にその作品の自己存立性が強化されていくことにもなりました。ソナタ形式の洗練などを経て、そうした傾向が極限に達したのが19世紀であったとされますが、後の現代音楽界においても、〈純粋音楽〉といった用語の元、音楽の自己存立性を保全しようとする動きもありました。本稿では触れられませんでしたが、〈家具の音楽〉のエリック・サティを端緒として、現代音楽界においても自己完結性を批判的に捉える動きは反復的に発生していきます。先だってele-king booksから刊行された松村正人氏の著による『前衛音楽入門』は、そうした問題意識の元で読んでみても大変面白い本だといえるので、興味がある方は是非。

*3
ここでの筆者の論旨としては、外殻性をもったレコードというメディアについては「アウラの消失」という事態をただちに敷衍することは困難なのではないかというものだが、次回以降検討することになる〈外殻〉を持たないデジタル技術における複製については、この限りではないかもしれません。このあたりの問題は次回改めて立ち戻れればと思います。

 先日のモッキーとのライヴも超パンパンだった坂本慎太郎のほやほやニュースです。
(以下、レーベルからの資料のコピペ)
 サンパウロのO Ternoのニュー・アルバム『atrás/além』に、坂本慎太郎、デヴェンドラ・バンハート1曲参加。その参加曲「Volta e meia」を、zelone recordsより7inchリリース。
 ブラジル・サンパウロを拠点に活動するバンド、O Ternoのニューアルバム「atrás/além」に坂本慎太郎とデヴェンドラ・バンハートが1曲参加し、その参加曲「Volta e meia」の7inch vinylを、5月22日(水)にzelone recordsより発売が決定しました。 
 坂本慎太郎がソロ初LIVEを行なった、2017年ドイツ・ケルンで開催された”WEEK-END Festival #7”にO Ternoとデヴェンドラ・バンハートも出演。そこでの交流がきっかけとなり、O Ternoからのオファーで実現した今回のコラボレーションです。
 共演曲「Volta e meia」は、O Ternoの今までのソウル/ロック路線とはまた違う、淡いサウダージとメロウネスを醸し出す、洗練されたソフトサイケなMPB。c/wの「Tudo que eu não fiz」は、ニューアルバムの冒頭を飾る、ほのかにサイケな珠玉のトロピカリア/ソフト・ロック・チューンで、どちらも新作を代表する2曲です。
 zelone版7inchは坂本慎太郎によるアートワーク仕様になります。
 この「Volta e meia」は4月16日、ニュー・アルバム『atrás/além』は4月23日にブラジルより世界配信されます。

2019年5月22日(水) zelone recordsより発売!

Volta e meia / O Terno feat. Shintaro Sakamoto & Devendra Banhart

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SIDE A: Volta e meia / O Terno feat. Shintaro Sakamoto & Devendra Banhart [3:17]

Biel Basile – drums, mpc, percussion
Guilherme D’Almeida – bass
Tim Bernardes – vocals, acoustic and electric guitars, synthesizers
Felipe Pacheco Ventura – violins
Amilcar Rodrigues – flugelhorn, trumpet
Shintaro Sakamoto - vocals
Devendra Banhart - vocals


SIDE AA: Tudo que eu não fiz / O Terno [3:47]

Biel Basile – drums
Guilherme D’Almeida – bass
Tim Bernardes – vocals, electric and acoustic guitars
Felipe Pacheco Ventura – violins
Douglas Antunes – trombone
Amilcar Rodrigues - trumpet
Beto Montag - vibraphone

O terno: Biel Basile, Guilherme D’almeida and Tim Bernardes
Compositions, arrangements and musical production: Tim Bernardes
Co-production: Gui Jesus Toledo, Biel Basile, Guilherme D’almeida

Recording and sound engineering: Gui Jesus Toledo
Mixing: Tim Bernardes
Mastering: Fernando Sanches

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品番: zel-019 (45rpm)
発売日: 2019年5月22日(水)
形態: 7inch Vinyl (exclusive 7inch)
価格: ¥1,000+税
Distribution: JET SET https://www.jetsetrecords.net 
More info: www.zelonerecords.com

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●O Ternoプロフィール●  

Tim Bernardes、Guilherme D’Almeida、Biel Basileによるサンパウロのソウル / ギター・ロックバンドで、新世代ブラジル音楽の重要な担い手として注目を集める。
2012年6月、1stアルバム「66」をリリース。The Globe誌によって”ブラジルのバンドの最も印象的なデビューディスクの1つ”と、Rolling Stone Magazine Brazil による2012年の25枚のベストアルバムに選出された。 
2013年、Tom Ze EPのFeicebuqui Courtのために2曲をレコーディングし、EP 「TicTac-Harmonium」リリース。
2014年に、Charlie and the MalletsとLuiza Lianのような7つの他のバンドと共に、レーベル”RISCO”を結成。
同年8月、メンバーによって書かれた12曲を含む2ndアルバム、「 O Terno」をリリース。
2015年3月、バンドの編成が変わり、Victor Chavesが脱退し、現在のBiel Basileがメンバーに加入、そして新生O TernoとしてLollapalooza Festivalに出演。
2016年、RISCOレーベルの最初のコレクション、レコーディングに参加し、 5月下旬から6月上旬にかけて、”Primavera Sound Fes”を含むEUツアーを敢行。
9月には3rdアルバム「Melhor Do Que Parece」をリリース、”トロピカリズム、ロック、ソウル、そしてブラジルの音楽のミックス”、と世界的に評された。 
2017年、ドイツケルンで開催された”WEEK-END Fes#7”に出演。そのフェスには、ソロ初のLiveを行なった坂本慎太郎、そしてデヴェンドラも出演。 
同年、Vo, GuitarのTim Bernardesは、ソロアルバム「Recomeçar」をリリース。"現代ブラジルのブライアン・ウィルソン"とも評されている。

https://www.oterno.com.br

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Sam Kidel - ele-king

 音楽は気持ちいいほうが良いに決まっている。気持ち良さなしで生きることは不可能だと、UKはブリストルのヤング・エコーのメンバー、サム・キデルは2016年のQuietusのインタヴューで言っている。が、気持ち良さだけでは思考停止する。アドルノのそんなところに影響を受けてしまったキデルは、「快適さのために生まれた音楽」=「ミューザック」を反転させ、快適であると同時に政治的という『Disruptive Muzak(破壊的ミューザック)』なるコンセプトを練り上げた。いわく「アンチ資本主義アンビエント」。いかなるアンビエントも政治から逃れられないというのがキデルの意見だ。
 「破壊的ミューザック」においてキデルは、マーク・フィッシャーが『資本主義リアリズム』のなかでこれぞ中心なき資本主義のカフカ的迷宮だと説明した「コールセンター」のやりとりをサウンドコラージュした。物事がすべて合理的に、そしてスムーズにいくように見えながら反対側の現実へとすり抜けていくような感覚、何度もかけ直しながらなにげに希望が薄れていくその反対側の現実──〈The Death of Rave〉からリリースされた「破壊的ミューザック」は、この感覚をうまく捉えている。

 本国では昨年末にリリースされ、今年に入って日本のレコード店でも出回った『シリコン・イアー』なる2曲入りは、サム・キデルのコンセプチュアルなエレクトロニック・ミュージックのあらたなる成果だ。
 アナログ盤のインナーでは、それぞれの曲のタネ明かしが記されている。A面の“Live @ Google Data Center”は、曲目の通り「グーグル・データ・センターにおけるライヴ」……というわけではない(笑)。さすがにそれは無理だし、これはあくまでも「そのシミュレーション」、ということである。
 キデルは、グーグルのサーバ・ルームの写真および建築図面から“場”を推測し、ソフトウェアを使って“場”(スペース)の音響学的特性を推測した。彼はこれを「擬態ハッキング」(mimetic hacking)と呼んでいる。
 そのサウンドをたとえるなら、オウテカの「アンチEP」の21世紀版ないしはレイヴ系IDMとでも言おうか、「破壊的ミューザック」もそうだったけれど、キデルの音楽はあらゆるエレクトロニック・ミュージックの混合である。前作がアンビエント/ヴェーパーウェイヴに焦点が当てられていたとしたら、今回の“ライヴ@グーグル・データ・センター”はダンス・ミュージックに寄っている。
 グーグルやヤフーといった検索機能とニュース・サイトを併せ持つオンライン世界における問題点、おもにパーソナライズドに関する議論は、イーライ・パリサーの『フィルター・バブル インターネットが隠していること』(井口耕二訳/早川書房)という本に詳しい。利用していたつもりが、じつはインターネットに閉じ込めらているんじゃないかという感覚があるとしたらそれはどこから来ているのかということを掘り下げた本だ。キデルはそのヒンヤリとヌメっとした不気味な感覚をサウンドで表現しつつも、無機質な空間に不釣り合いなダンス・ミュージックのビートをぶつけている。かなり歪んだものではあるが。
 もう片面の“Voice Recognition DoS Attack”は、音声認識ソフトの誤作動(弱点)を応用したオーディオ・パッチに基づかれている。声を使ったアンビエント系IDMで、ロバート・アシュレー(『前衛音楽入門』参照)風ではあるが、遊び心たっぷりに展開している。
 それにしても……たった2曲で2400円は高いぞ! しかしまあ、それはともかく昨年ローレル・ヘイローのアルバムを出したフランスのこのレーベル〈Latency〉は要チェックだ。ほぼ同時にリリースされたMartina Lussiのアンビエント・アルバム『Diffusion Is A Force』も良かった。 

編集後記(2019年3月27日) - ele-king

 昨晩のDOMMUNEは最高にクールだったな。状況によってはビートルズさえも余裕で否定するワイドショー的価値観に対して、文化やアートからの見事な反論だったと思う。宇川直宏をはじめ、出演したDJもみんな素晴らしかったけれど、90年代にマニアック・ラヴに通っていたような古いファンにとっては、WADAさんとケンイシイが電気グルーヴだけをかけるというのはものすごく意味があることで、彼らのなかの強い気持ちを感じないわけにはいかなかった。また、40万人を越えた視聴者数というのは、電気グルーヴのファン以外の大勢の人たちも注目していたからで、今回のピエール瀧逮捕をめぐる報道のされ方や悪意あるSNS、そして回収処分などになにかしらの違和感、疑問を抱いている人たちが多数いたということでもあるのだろう。まあ、アンチも混ざっていたようだけれど、おおよそツイッターが人びとの気持ちを分かち合うために機能していたことも良かった。
 が、しかしそれにしても、辛気くさくなってもおかしくないような状況のなかだからなおさらそう感じたのか、彼らの音楽には妙な破壊力があるものだとあらためて思った。数日前の石野卓球のツイートからは彼の音楽への衰えぬ情熱を感じたし、逆境のなかでむしろ電気グルーヴは自らの存在感を強めているように思えるのだが、この先まだまだ困難があるにせよ、それがどんな名義になるにせよ、次作が楽しみにも思えてきた。ニュース番組から流れる“Shangri-La”を久しぶりに聴きながら、あらためて良い曲だなーと思ってしまったし、今回の件は6月末発売予定の紙エレで、自分なりの考えをまとめてみようと思っています。

interview with Akira Kobuchi - ele-king

 昨年末マンスール・ブラウンのレヴューを書いたときに改めて気づかされたのだけれど、近年はテクノやアヴァンギャルドの分野のみならず、ジャズやソウル、ヒップホップからグライムまで、じつにさまざまなジャンルにアンビエント的な発想や手法が浸透しまくっている(だから、このタイミングでエイフェックスの『SAW2』がリリース25周年を迎えたことも何かの符牒のような気がしてならない)。Quiet Waveと呼ばれるそのクロスオーヴァーな動向は、もはや2010年代の音楽を俯瞰するうえでけっして語り落とすことのできない一翼になっていると言っても過言ではないが、ではなぜそのような潮流が勃興するに至ったのか──いま流行の音像=Quiet Waveの背景について、元『bmr』編集長であり『HIP HOP definitive 1974 - 2017』や『シティ・ソウル ディスクガイド』の著作で知られる小渕晃に話を伺った。


もはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

ここ数年アンビエント的な手法がいろいろな分野に浸透していて、テクノの領域ではノイズやミュジーク・コンクレートと混ざり合いながらさまざまな展開をみせていますが、それはQuiet Waveというかたちでジャズやソウル、ヒップホップにも及んでいます。

小渕:今は求められている音像が、どのジャンルでもみんな同じですよね。歌モノをやっている人にもインストをやっている人にも、ジャンルの垣根を超えてアンビエントが広がっている。FKJなんかがそのちょうど真ん中にいる印象で。歌モノもやるしインストもやる、ハウスもやればジャズもやる。FKJにはぜんぶ入っている気がします。


FKJ
French Kiwi Juice

Roche Musique / Rambling (2017)

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Yuna
Chapters

Verve / ユニバーサル (2016)

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Nanna.B
Solen

Jakarta / Astrollage (2018)

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Richard Spaven
Real Time

Fine Line / Pヴァイン (2018)

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彼はフランスですよね。Quiet Waveは、たとえばユナはマレーシアでナナ・Bはデンマークというふうに国や地域がばらばらという点もおもしろいですが、やはりジャンル横断的なところが特徴ですよね。

小渕:歌モノとジャズなど他ジャンルの才能たちが一緒になってやっていますよね。もう分けてはやらなくなっている。

リチャード・スペイヴンを聴いて、当初ダブステップの文脈から出てきたフローティング・ポインツも同じ観点から捉えられるのではないかと思ったのですが、そのフローティング・ポインツが発掘してきたファティマもアンビエント的なタッチでLAビートとグライムを繋いでいます。

小渕:クラブ・ミュージックや四つ打ちの流れから出てきた人たちが今また歌モノをやっているというのはありますね。アンディ・コンプトンやノア・スリーがそうですし、エスカを手がけているマシュー・ハーバートや、FKJのレーベルメイトのダリウスもそうです。

ただジャンル横断的とはいっても、比較的ソウルとの親和性が高いのかなとも思ったのですが。

小渕:くくる側の意識次第だと思いますよ。たとえばトム・ミッシュって、昔ならロックに分類されていたと思うんです。でも今なら、彼の音楽はソウルとくくられることが多い。ですが、彼のやっていることは音楽的にはジョン・メイヤーに近くて。時代が違ったからジョン・メイヤーはロックと呼ばれているだけで。ジョーダン・ラカイもそうだと思います。今の人たちってもはやジャンルから解放されていますよね。それよりも出音がすべてみたいなところがある。その音像も時代が違ったら変わっていくものですが、今は圧倒的にアブストラクトでアンビエントな音が気持ち好いよねというモードになっている。

R&Bのサブジャンルというわけでもないんですよね。

小渕:R&Bって、何より歌の音楽なんです。とにかく歌を聴かせるためのもので、基本的にラヴソングなんです。Quiet WaveがR&Bと異なるのは、たとえば自らの孤独について歌ったりもしていて、けっしてラヴソング一辺倒ではない。そして、彼らは自分のヴォーカルも完全にサウンドのひとつとして捉えてやっている。たとえばソランジュも、最近出た新作については「私のヴォーカルだけじゃなく、サウンド全体を聴いてほしい」というようなことを言っています。R&Bのワクからはみだしている決定的な理由はそこなんです。

誰か突出した人がQuiet Waveのスタイルを発明して、みんながそれを真似しているというよりも、自然発生的にそういう状況になっていった、という認識でいいんでしょうか?

小渕:間違いなくそうですね。ヒップホップとかR&Bとか、ブラック・ミュージックって特に集団芸なんですよ。誰かひとりの天才が何かを発明する音楽ではない。みんなでやっているうちにすごいものができて、するとみんながそれを真似していく。だから個人ではなく、常にシーン全体がオモシロイ、興味の対象となる音楽なんです。Quiet Waveもそうです。ただもちろん、そのなかからフランク・オーシャンのような突出したヴォーカリストも出てくるわけですけど、サウンドに関してはそれを生み出したシーン全体がすごいのであって、誰かひとりが偉いという話ではないですね。


80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じています。けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れない。


Fatima
And Yet It's All Love

Eglo / Pヴァイン (2018)

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Andy Compton
Kiss From Above

Peng / Pヴァイン (2014)

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Noah Slee
Otherland

Majestic Casual / Pヴァイン (2017)

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Darius
Utopia

Roche Musique (2017)

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とはいえ、いくつか起点となった作品はあるんですよね?

小渕:Quiet Waveの2010年代の動きを決定づけた作品のひとつは、2011年のジェイムズ・ブレイクのファーストだと思います。イギリスの音楽ならではの特徴といえばレゲエとダブからの影響ですよね。それはジャマイカからの移民の多さがもたらす、アメリカにはないもので、イギリスの良い音楽家はみなレゲエやダブから影響を受けている。ジェイムズ・ブレイクの場合はダブですが、はずせないのはマッシヴ・アタックの存在です。今は彼らの子や孫の代が活躍している時代という言い方もできると思います。
 それともうひとつイギリスの音楽の特徴として、ニュー・オーダーやザ・キュアー、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの影響力の大きさを挙げることができます。そういった80年代のロックの音像って、イギリスで育った人には刷り込まれていると思うんですよ。その音像が10年代になって再び出てきたのかな、というふうに感じていますね。あとアメリカではザ・スミスの人気が00年代になってから火が点きましたよね。アメリカではUKのオルタナティヴなものが遅れて盛り上がる感じがあって、その影響が今になって出てきているのではないかと。だから今流行りの音像、Quiet Waveについては、けっしてブラック・ミュージックだけの文脈では語れないんですよね。

ブラックもホワイトもアンビエント的な音像に流れている。

小渕:今の時代への影響という点で重要なのがU2なのではないかという気がしています。彼らの『The Joshua Tree』という決定的な作品のサウンドを作ったのは、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワですよね。だから今流行りの音像、Quiet Waveも遡れば実は、アンビエントの第一人者であるブライアン・イーノに行き着くのかなと。

マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのシューゲイズ・サウンドをアンビエント的な観点から捉えたのもイーノでしたよね。その後じっさいにスロウダイヴとは共作していますし。U2にかんしても、イーノ本人のアンビエントとは分けて解釈する見方もあるとは思うのですが、僕は『The Joshua Tree』のギターの残響やシンセ遣いにはイーノとラノワの影響が強く表れていると考えています。

小渕:その通りだと、僕も思います。それで、イーノとラノワはU2の次にネヴィル・ブラザーズの『Yellow Moon』を手がけていますよね。

これもふたりの色が濃く出たアルバムですね。

小渕:収録曲のひとつがグラミーを受賞していて、音楽好きなら知らない者はいないくらいの名盤ですが、やはりその影響力はすごく大きいと思います。僕は初めてジェイムズ・ブレイクのファーストを聴いたとき、『Yellow Moon』を思い出したんですよ。ボブ・ディラン“With God On Our Side”のカヴァーが入っているんですが、完全にノン・ビートで、アンビエントな音像のなかをアーロン・ネヴィルがひたすら美しく歌っている。ジェイムズ・ブレイクが自分なりの歌モノというのを考えたとき、ダブのバックグラウンドと、ネヴィル・ブラザーズのあの曲などをヒントにして、自分なりのヒーリング・ミュージックを作ったのではないでしょうか。

すごく興味深い分析です。

小渕:他方でアメリカでは、ジェイムズ・ブレイクの1年後、2012年にフランク・オーシャンの『Channel Orange』が出ています。ふたりは共演してもいますし、ジェイムズ・ブレイクのファーストからの影響は少なからずあるはずです。加えて、フランク・オーシャンはニューオーリンズ育ちです。ネヴィル・ブラザーズのホームタウンです。そして、アメリカのサウスといえば、これはテキサス発祥ですけれどスクリュー&チョップです。その影響も大きいと思いますね。

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今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。


Tom Misch
Geography

Beyond The Groove / ビート (2018)

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Jordan Rakei
Cloak

Soul Has No Tempo / Pヴァイン (2016)

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James Blake
James Blake

Atlas / ユニバーサル (2011)

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Frank Ocean
Channel Orange

Island Def Jam / ユニバーサル (2012)

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もう少し近いところでQuiet Waveの源流となるような動きはあったのでしょうか?

小渕:ティンバランドがアリーヤとやっていたことは大きいですね。

あの赤いアルバムですか?

小渕:その前後です。今のアメリカのR&Bでは、アリーヤの影響力がすごく大きい。死により伝説になったからというのもあるのでしょうが、それ以上に彼女とティンバランドが90年代の終わりにやっていた音楽的な試みが今になってすごく効いている。ティンバランドはトラックを作るとき“下”=ドラムスをポリリズムで敷き詰めましたけど、そうして“上”には広大な空間を作りだしました。だから自由に歌えるし、アンビエンスも多い。“We Need A Resolution”などがその好例ですが、その影響が今いろいろなところに表れています。

目から鱗です。アリーヤをアンビエントの観点から捉えたことはありませんでした。

小渕:そのアリーヤ由来のアンビエント・スタイルの流れを決定づけたのが、ジェネイ・アイコです。彼女のオフィシャルなファースト・アルバム『Souled Out』は、完全に今の流れの先駆けですね。彼女は日系だから、わび・さびのような感覚も持ち合わせていて、それがQuiet Waveを表現するのに適していたとも思うんですけれど、ヴォーカルはそこまで歌い上げる感じではない。いわゆるディーヴァではないんですよ。では、どうやって自分のヴォーカルを活かすかというのを考えたときに、アリーヤのように小さい声でささやくように歌うことを選んだのではないかなと想像しています。2014年当時ジェネイ・アイコは、アメリカでは新しい歌モノのアイコンになっていました。ケンドリック・ラマーとも共演していましたし。そこでアンビエントな音像、アブストラクトなメロディ、囁くような歌、というフォーマットが確立されて、今に至る。それがアメリカの流れですね。

その流れに、ミシェル・ンデゲオチェロのような90年代組も乗っかってきている。

小渕:彼女はもともとこういうサウンドが好きな人でしたけれど、ブラック・ミュージックってやっぱりそのときの流行に乗っていかなきゃいけない、乗っていくからオモシロイ音楽なので、たとえばレイラ・ハザウェイのようなヴェテランも今はアンビエントなサウンドでやっています。ミシェルの場合はさらに、ディーヴァ系ではないので、今流行りのスタイルがハマるというのもあると思います。やっぱりディーヴァ系の人がQuiet Waveなサウンドでガーッと歌ってしまうと、「ちょっと違う」ということになってしまうのではないでしょうか。たとえばマシュー・ハーバートがサウンドを作っているエスカ、彼女はものすごいゴスペルを歌えちゃう人なんですよね。でもちゃんとハーバートの求める歌い方ができている。ほんとうにしっかり歌い上げてしまうとQuiet Waveにはハマらないのかなと思います。

ビヨンセはアウトだけど、ソランジュならイン、ということですね。

小渕:ソランジュはデビュー当時から姉とは違うオルタナティヴなスタンスでやっていて、ディーヴァとして歌い上げなかったんですよね。だからこそ、今のQuiet Waveの流行のなかでは姉より輝いている。ビヨンセは今に限って言えば、次に打つ手がないのかなという気もします。たった今は、あのハイパーな歌は合わないんですよ。ただ音楽の歴史は反動の繰り返しですから、いまこれだけアンビエントが流行っていると、次はまたハイパーな時代が間違いなく来ると思います。


10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。


Jhené Aiko
Souled Out

Def Jam / ARTium (2014)

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Meshell Ndegeocello
Comet, Come To Me

Naïve / Pヴァイン (2014)

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Eska
Eska

Naim Edge / Pヴァイン (2015)

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ビヨンセは『Lemonade』の“Formation”で#ブラックライヴズマターとの共振を示しました。サウンドは異なりますが、ソランジュも同じ年の『A Seat At The Table』で人種差別にかんする歌を歌っています。そういうポリティカルな要素も、Quiet Waveに影響を与えているのでしょうか?

小渕:コンシャスになっているというのは確実にそうでしょうね。たとえば今調子がいいのは、ほとんどがシンガー・ソングライターです。スティーヴィ・ワンダーが最大のロールモデルになっていて、逆にメアリー・J・ブライジのように誰かに書いてもらった曲を歌うというタイプのシンガーが出にくくなっている。それはやはり、自分の言葉で歌わないとリアルじゃないという、ヒップホップ以降の感覚が浸透した結果だと思うんです。

70年代のソウルも社会的・政治的でした。

小渕:ニュー・ソウルと呼ばれるものはそうですね。1971年にマーヴィン・ゲイの『What's Going On』が出て、ダニー・ハザウェイやカーティス・メイフィールドもすごく社会的なメッセージ性のある音楽を発していました。ただ『What's Going On』って、毎日聴きたい音楽ではないんですよ。毎日メッセージばかり聴いてはいられない。そこで、1975年にスモーキー・ロビンソンが『A Quiet Storm』というアルバムを発表していますが、ずっとコンシャスなものばかり聴いてはいられないよ、ということだったんだと思います。アメリカでは70年代半ば頃から増えてきた中間層に向けた、夜のBGMとして作っていた側面もあったと思います。中間層向けだから演奏も洗練されたもので、ベッドのうえのBGMでもあったからうるさくない。今のQuiet Waveの要素は、スモーキー・ロビンソンの“Quiet Storm”にすべて入っていたのかなという気がしています。「Quiet Storm」という言葉はその後ラジオのフォーマット、ひいてはジャンル名にまでなってしまうくらいでしたが、それくらいすごい曲だったんだと思います。

社会的・政治的であることに対するカウンターということですね。

小渕:今の時代の人びとにとっての『What's Going On』って、ディアンジェロの『Black Messiah』ですよね。ただあれは、ずっとそれだけを聴いていられる音楽ではない。Quiet Waveはその反動なんだと思いますね。あるいは「#ブラックライヴズマター疲れ」と言ってしまってもいいかもしれない。10年代の「ネオ・ソウル~Quiet Wave」の関係性って、70年代の「ニュー・ソウル~Quiet Storm」の関係性と非常に似ているんです。大きくて強いムーヴメントが起こると、必ずそのカウンターが来る、というのがアメリカの音楽業界ですね。

弁証法的ですね。

小渕:音楽はとにかくカウンター、カウンター、カウンターで進んでいくことが、歳を取るとほんとうによくわかります。その前に流行っていたものに対するカウンターが次の時代を拓いていく、そういう動きが何十年も繰り返されている。いま静かでアブストラクトなQuiet Waveが流行っているのは、そのまえのEDMやエレクトロ・ポップのブームが強大だったからこそだと思うんです。


テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。

Quiet Waveの流行は、テクノロジーの変化も関係しているのでしょうか?

小渕:実はそれが最大の要因かも知れなくて。今の聴取環境の主流は、欧米はサブスクリプションですよね。サブスクは定額だから、ずっとつけっぱなしで曲を鳴らすことができる。そうすると一日のなかで、うるさい曲をずっと続けて聴くことはなくて、むしろBGM的に流している時間のほうが多い。あと、サブスクはイヤフォンかヘッドフォン、あるいはスピーカーでもハンディなもので聴くことが多いと思うんですが、そういった機器で聴いたときに気持ちの良い音像って、音数が少なくて立体的なものです。Quiet Waveはそういう聴取環境の変化にも対応していると思いますね。これは細野晴臣さんがラジオで言っていたことなんですが、今の音はヴァーチャルだと。

それは、生楽器ではなく打ち込みである、という意味ですか?

小渕:いえ、打ち込みが2010年代になって進化したという話です。たとえば低音って、以前は実際に「ブーン」と出ていて、身体にボンッと振動が来ていたわけですけれど、細野さんいわく、今の音は実際には波動が出ていないんだと。でもあたかも低音が「ブーン」と鳴っているかのように作れてしまうと。

物理的に違ってきていると。

小渕:それは、ハリウッド映画のサウンドから始まり、波及してきたそうなんですけど、音楽で最初にやったのはDr. ドレーだったと思うんです。『2001』(1999年)は音楽の新時代のはじまりでした。あのアルバムは、ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』のために作ったTHXという映画用のサウンドシステムのシグネイチャー音で幕を開けます。あれは、「これから一編の映画がはじまる」という合図であるのに加えて、「これまでとはサウンドの次元が違うんだ」ということをドレーは言いたかったんだと思うんですよ。『2001』から打ち込みサウンドがかつてない、超ハイファイになって、ひとつ違う段階に入った。あのときと同じように、10年代になってから、テクノロジーの進化によって00年代とは異なる音像が作れるようになって、アーティストたちはそれを楽しんでいるんだろうと思いますね。ソランジュも新作について、歌詞を削ってでもビートを、サウンドを聴かせたかったと言っています。ひとつのドラムの音を決めるのに18時間かかったと。彼女のような人にとっては、10年前とまったく違う音楽を作れることがおもしろくてしかたがないんじゃないでしょうか。

Quiet Waveはヴェイパーウェイヴともリンクするところがあるのではないかと思っています。おそらくリスナー層はかぶっていないんでしょうけれど、ヴェイパーウェイヴもある意味で現代のアンビエントですよね。

小渕:おっしゃるとおりだと思います。いまのサブスク時代の聴取のあり方を考えると、20代とか10代にとっては、ああいうちょっとアンビエントなスタイルがいちばん合っているんでしょうね。僕はサンプリングが好きだからヴェイパーウェイヴもよく聴くんですが、小林さんのおっしゃるとおり動きとしては重なっていると思いますよ。

時代の無意識のようなものですね。

小渕:聴取環境の変化と制作機材の進化、そのふたつがいちばん大きいですね。それを背景に、アンビエントな音像とメロディのアブストラクトな歌モノが合わさって出てきたのがQuiet Waveで。もちろんそれは前の流行に対するカウンターでもありますから、次はきっとまた違うスタイルの音楽が盛り上がっていくことになるでしょうね。

φonon - ele-king

 昨年スタートしたEP-4の佐藤薫によるレーベル〈φonon(フォノン)〉が、初となるショウケース・イベントを開催する。題して《φonon 2days 2eras》。4月30日はDOMMUNEにて、5月2日は神楽音にて、と2日間にわたっての開催だ。詳しくは下記をご覧いただきたいが、Radio ensembles Aiida、Singū-IEGUTI、HOSOI Hisato、森田潤、EP-4 [fn.ψ]といった同レーベルからリリースのある面々のみならず、DOMMUNEには学者の市田良彦や毛利嘉孝も出演するとのことで、なんとも興味深い。GWの予定は空けておこう。


〈φonon〉初のレーベル・ショーケース・イベントが2デイズ開催決定!

2018年初頭に発動した〈φonon (フォノン)〉レーベル初の本格的ショーケースイベント「φonon 2days 2eras」が、4月30日と5月2日の元号をまたぐ2日間にわたりDOMMUNEと神楽坂の神楽音で催されることが決まった。

〈φonon〉はEP-4の佐藤薫がディレクターを務め、CDメディアを中心にエレクトロニクス/ノイズ/アンビエント──系のアルバム作品をリリースしている先鋭的レーベルだ。これまでに8枚のCDアルバムをリリースし、4月19日に2枚の最新リリースを控えている。

〈φonon〉試聴リンク:https://audiomack.com/artist/onon-1

そんな〈φonon〉のすべてがわかる2デイズだが、普段一同に会することの稀な東西のアーティストによる2日間のパフォーマンスに加え、4月30日のDOMMUNEでは思想史家・市田良彦と社会学者・毛利嘉孝を迎えたトークタイムも用意され、音と時代を超えるマニフェストが言葉と音量子によって語られることになる。(市田によるφonon 2018 活動報告は事前に必読! https://www.webdice.jp/dice/detail/5727/

出演アーティストは、Radio ensembles Aiida、Singū-IEGUTI、HOSOI Hisato、森田潤、EP-4 [fn.ψ](佐藤薫+家口成樹)──など、〈φonon〉から単独CDをリリースした面々を中心に、コンピレーションに参加したZVIZMO(テンテンコ+伊東篤宏)、4月19日にCDをリリースするbonnounomukuroとHeteroduplexなど、その顔ぶれはとても多彩。特に半数は関西圏のアーティストなので、めったにないこの機会を逃す手はないだろう。

両日のラインアップや詳細は以下のとおり。

《φonon 2days 2eras 概要》

■day 1(talk & live):
日時:2019年4月30日 (火・祝) 19:00〜
場所:DOMMUNE( https://www.dommune.com )
料金:¥3,000(要予約)

出演:
市田良彦
毛利嘉孝
佐藤薫
伊東篤宏
ほか…… (以上talk)

Radio ensembles Aiida
Singū-IEGUTI
HOSOI Hisato
森田潤
Heteroduplex
bonnounomukuro
ZVIZMO (以上live)

■day 2(live):
日時:2019年5月2日 (木) 18:00 open / 19:00 start performance
場所:神楽音( https://kagurane.com )
料金:Adv. ¥2,800 Door. ¥3,000

出演:
Radio ensembles Aiida
HOSOI Hisato
Heteroduplex
bonnounomukuro
EP-4 [fn.ψ]
伊東篤宏
森田潤
DJ 小林径

問い合わせ
φonon
sp4non@gmail.com

φonon オフィシャルサイト
https://www.slogan.co.jp/skatingpears/


CAFROM - ele-king

 スカやロックステディを取り入れながら、甘いメロディにハードな歌詞を載せるバンド、CAFROMがいまライヴハウスのシーンで話題になっている。昨年暮れに〈Feelin'fellows〉から出した1st EP「Letter To Young Djs」は瞬間的に完売、そのセカンドEPがこのたびリリースされる。
 CAFROMとは、松田CHABE岳二が下北沢のライヴハウスTHREEにて毎月9日に行われている〈9Party〉のために、身近なバンドマンに声をかけてはじまったバンド。新作は、はRAMONESとジャポニカ・ソング・サンバンチのカヴァー2曲(ひとつは反レイシズムの曲ですね)。完売した1st EPのリプレスも同時リリースされます。
 また、レーベルの元でもあり、このバンドの拠点である下北沢THREEのパーティ〈Feelin'fellows〉の拡大版が5月でリキッドであるので、そちらもぜひどうぞ〜。

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