「Nothing」と一致するもの

主戦場 - ele-king

 及び腰でこれを書き始める。韓国の慰安婦問題に関するドキュメンタリーで、日韓の言い争いには巻き込まれたくないから。僕がこのドキュメンタリーを観ようと思ったのは韓国映画をもっと気持ちよく楽しみたいという思いからで、最近でいえばナ・ホンジン『コクソン』は2010年代後半のベスト3に入れたいほど僕は気に入っているし、イ・チャンドン『バーニング』やヨン・サンホ『新感染』といったエンターテインメントは公開されても、慰安婦問題を扱った『Herstory』や『I Can Speak』は日本では特別上映会というものでしか観られない(ので僕は観ていない)からその代わりという意味もある。ミン・ギュドン『Herstory』はとくにアメリカでの評価が高く、それはボスニア・ヘルツェゴビナ紛争でどれだけの女性たちが性的な被害に遭っていたかを描いたラリーサ・コンドラキ『トゥルース 闇の告発』やアンジェリーナ・ジョリー『最愛の大地』から続く#MeTooの流れに沿ったものであり、この後には多分、ノルマンディー上陸作戦で同様なレイプ行為が多発していたことを描く作品に続いたりするのではないかと予想される。「主戦場」というのはアメリカのことを指していて、それは慰安婦問題がアメリカでどのように受け取られるかを危惧した日本のナショナリストの発言から拾われたものだという。慰安婦問題についてアメリカで「20万人の女性たちが強制的に性奴隷にさせられていた」と報道されているのは誤りであり、彼らの認識を覆すための戦いという意味である。

 監督は日系アメリカ人のミキ・デザキというユーチューバー。最近はネットフリックスやフールーから大作映画が飛び出しているように、これもユーチューブから派生してスクリーンにステージを移した長編作品ということになるのだろう。冒頭から多種多様なニュース映像をマイケル・ムーアばりの早いテンポでつなぎ合わせていくので、ひとつの話題が飲み込めないうちに次の話題に進んでしまい、あたふたしかける。オープニングは彼がこの問題に興味を持ったきっかけからスタート。デザキはフロリダで生まれ、医大で学位を習得した後、沖縄や山梨県で英語教員を勤めていたことがあるという。その時の体験からなのだろう、「日本にも人種差別はある」という内容の動画をユーチューブにアップしたところ、日本ではテキサス親父として知られるユーチューバー、トニー・マラーノがこれに噛み付いてきたという。移民排斥を訴えるアメリカのオルタ右翼にとって、移民を受け入れないと表明してきた日本はいわば聖地であり、単一民族で国家を築き上げてきたことは彼らにとって大いなる理想といえる。そのテキサス親父はその頃、サンフランシスコに慰安婦像が建造されることに大反対していた。慰安婦像の何がそんなに問題なのか。自分に文句を言ってきたテキサス親父がそんなにも夢中になっている問題に興味が湧き、デザキは慰安婦について調べ始める……と、ドキュメンタリーを観ているだけではそのように受け取れるものの、パンフレットを読むと元朝日新聞の記者、植村隆がネトウヨに中傷されていると知ったことがきっかけで、この問題を知ることとなったと彼は答えている。はて、どっちなんだろう? アメリカでは日韓がこの問題で対立していることもほとんど知られていないため、なぜそんなことになったのかを理解したくなったと彼は続けている。

 取材は韓国と日本、そしてサンフランシスコ議会を行ったり来たりする。慰安婦問題にディープな興味を持っていなかった僕は、まずは韓国内で行われていた議論が興味深かった。慰安婦問題が表面化したのは90年代に入ってからだったけれど、家父長制が根強い韓国では、終戦後もいわゆる「汚れた存在」となった慰安婦は社会にすんなりと戻ることはできなかった。慰安婦たちがなかなかカミングアウトできない社会にも大きな問題があったという部分。それから慰安婦問題でたびたび俎上に上がってきたのが強制連行の有無で、プロの売春婦だったら問題はないとする見解もよく耳にするけれど、日本軍による強制ではなかったものの、ほかに選択肢がなくて慰安婦になった女性たちや韓国の業者に騙されて慰安婦になった女性たちは「反日」という文脈では声が上げづらい立場にあるというもの。具体的には、すべては日本軍が悪いとする「挺身隊問題対策協議会」と、日本には構造的責任はあるけれど、個別には韓国内の責任も問うべきだとするパク・ユハが対立し、ドキュメンタリーを観た後で調べてみたところ、パク・ユハは裁判で訴えられるほど韓国内では劣勢であり、日本では彼女の著作を右派も左派もそれぞれの文脈で評価しているということ。慰安婦といってもひとりひとりはみな異なる運命を辿り、まとめて論じることにそもそも無理があるんだなということがここまでではわかる。実際には人種的にも多岐にわたっていたそうだし。

 最も多くの時間が費やされているのは日本の右派と左派の議論である。どうやら同じ人数で同じ時間になるように配分されているらしい。論点は大きく「強制連行か否か」「慰安婦の数」「性奴隷の定義」などに整理され、細切れにされたインタビューがテーマに沿って再編されている。あたかも対論が行われているかのような例のスタイルである。もともと右寄りの人は右派の話をうんうんと聞き、左寄りの人はその反対となるのだとすれば、僕は明らかに左派であった。全体の90%近くが左派に説得力があり、とくに杉田水脈は喋れば喋るほどボコボコにされていくという感じに見えた。彼女の言葉尻を捉えるようなインサート映像もあったりして、そこは公平ではない気もしたけれど、彼女の理屈が一貫していないことは確かで、伝わってくるのは彼女の負けん気だけ、みたいな。右派の重鎮といえる櫻井よしこはほとんど発言はなく、ほかに藤岡信勝やケント・ギルバートらが右派として名を連ねている(歴史まで整形してしまう高須克哉は出てこない)。対して左派は吉見義明や林博史など。左派の話には納得するところが多かったけれど、人物的に印象に残った人はいなかった。まあ、冷静に喋っていたということなんでしょう。声が大きな人には負けるというか、僕は人類は良い方向に進むか悪い方向に進むかではなく、意志の強い人に引きずられるだけだと思っているので、これだけを見ても日本が右寄りになっていくのは当然だなあと思うばかり。

 右派の決まり文句としてたびたび出てくるセリフに「文書が残っていない」というのがあった。しかし、映画『日本のいちばん長い日』でも描かれていたように軍部は敗戦が決定的となるや記録文書を次から次へと焼却してしまったので、残っていないのは当たり前である。なので、右派も左派も当時の韓国の新聞記事だったり、細かいものをどんどん探し出してくる。そこからわかることはいろいろあるけれど、とくに印象に残ったのは慰安婦には未成年が少なからずいたということと、やはりそれは日本も批准していた国際法ではアウトだったということ。あるいは右派が主張するように慰安婦になることでいい思いをしていた人ももしかするといたのかもしれないけれど、どっちにしろ終戦と共に日本兵が渡していた軍票は紙屑同然になってしまったのだから、最終的には金を稼いだことにはならない。また「いい思いをしていたはずだ」という趣旨のことを繰り返す右派の主張はかなりしつこくて、外国人に生活保護を受けさせるなという在特会の主張を思い出すなあと思っていたら、実際に映像が在特会へと飛んでいったのは驚いた。バンクシーでもハロウィーンでもピエール瀧でも日本のニュースはすぐに金の話になるし、それはここでも同じだという印象。

 ドキュメンタリーのピークは慰安婦像を建てるかどうかで議論を交わすサンフランシスコ議会に移っていく。これが『バットキッド・ビギンズ』で描かれたサンフランシスコと同じ市なのかと思うほど、議論の応酬は凄まじい。結果は広く知られている通り、サンフランシスコ市は慰安婦像を建て、大阪市は姉妹都市を解消することとなった。後半はそのようにして世界にも積極的に働きかけていくネトウヨの背景に焦点が当てられる。安倍政権、そして日本会議である。スクリーンではこれまでに登場してきた右派の人脈図が示され、それらをすべて結びつけていた人物が浮かび上がる。日本会議代表委員などを務める加瀬英明にデザキはマイクを向ける。そこで語られることは(以下、ネタバレなので自粛。加瀬の従姉はちなみにオノ・ヨーコ)。話のスケールはさらに大きくなる。慰安婦に限らず戦後の賠償問題が俎上に上ると、必ずでてくるのが1965年に結ばれた日韓基本条約で、これによってすべては解決済みだという話になりがちだけれど、それはアメリカの都合で結ばせた条約であり、そもそも日韓をこのような関係に追い込んだのはアメリカの外交政策だと、オリヴァー・ストーンばりの歴史批判にデザキの論調も切り替わっていく。「主戦場」というのはアメリカを指していると先に書いたけれど、そもそも日韓で慰安婦論争が起きる種を蒔いたのがアメリカだという回帰性が示され、日韓基本条約が結ばれた時とは情勢が変わって、いまは日韓が争ってくれた方がアメリカには都合がいいのだなということも想像がついてくる。実際、現在の日本と韓国はともにアメリカから兵器を爆買いし(トランプになってからアメリカの軍事産業は30%の伸び率)、日本に関しては小松製作所などが軍需産業から撤退しなくてはならないほど日本政府に兵器や部品を買ってもらえなくなったというし。

 僕は学生時代に小さな本屋でアルバイトをしていて、お客さんに「韓国関係の本はどこですか?」と聞かれ、とくにコーナーもなかったので「うちには置いていません」と答えたら、いきなりものすごい剣幕で怒鳴りつけられ、それ以来、朝鮮人も韓国人もみんな嫌いになってしまったこともあるんだけれど、友だちができたり、水木しげるさんに3日連続で戦争の話を聞く機会があったりして、いつしかあの時のお客さんが怒鳴りつけるのも仕方がないことなんだなと思うようになった。一番いいのはやはり学校で現代史を教えてくれることだとは思うけれど、この作品で日本会議が政治の中枢にどれだけ食い込んでいるかを観てしまうと、学校教育に期待するのも無理がありそうだし、あー、めんどくさいなーと思うばかり。これだから政治は嫌いだ。

映画『主戦場』劇場予告編

Main Source - ele-king

 カナダ・トロント出身のK・カットとサー・スクラッチによって結成され、その後、ニューヨーク出身のプロデューサー/ラッパーのラージ・プロフェッサーが加入するという形でグループができ上がったヒップホップ・グループ、メイン・ソースによる1stアルバム『Breaking Atoms』と、ラージ・プロフェッサー脱退後にリリースされた2ndアルバム『Fuck What You Think』が、日本国内盤として再リリースされた。
 ピート・ロックやDJプレミアと並び称される、90年代のヒップホップ・ゴールデンエイジ(=黄金時代)のサウンドを作ったプロデューサーのひとりであるラージ・プロフェッサーだが、彼にとってもデビュー作となった1991年リリースの『Breaking Atoms』はプロデューサーとしての彼の名前を知らしめただけではなく、それ以降のヒップホップの流れを決定づけた一枚と言っても過言ではない。ジェームス・ブラウンなどに代表されるファンクのサンプリングを主体としていたヒップホップのサウンドプロダクションは、90年前後のデ・ラ・ソウルやア・トライブ・コールド・クウェストらの登場によって、サンプリングソースの多様化が進み、音楽的な表現がより豊かなものとなっていく。80年代後半に数々のヒップホップ・クラシックに携わりながら、89年に銃で撃たれ亡くなった伝説的なエンジニア/プロデューサーであるポール・Cの手ほどきを受け、十代からサウンドプロダクションのテクニックを一から学んだというラージ・プロフェッサーは、バラエティ豊かなサンプリングネタを、さらに複雑に組み合わせることで、もうひとランク上の音作りを実現する。『Breaking Atoms』からの先行シングルでもある“Looking At the Front Door”や“Just Hangin' Out”はこのアルバムを代表する曲でもあり、彼のプロダクション・スキルが特に際立った作品とも言えるが、当時感じた新鮮な輝きは、いま聴いても全く色褪せることはない。さらに“Just Hangin' Out”のカップリング曲でもあるポッセカットの“Live At The Barbeque”は、あのナズが世の中に出た最初の曲としても知られ、この曲がきっかけとなって、あの『Illmatic』が生まれたわけだが、この曲も含め、全体に充満したあの時代のニューヨークの熱気もまた、このアルバムの大きな魅力である。
 前述のようにメイン・ソースのメイン・メンバーであったはずのラージ・プロフェッサーの脱退後、80年代半ばからニューヨークのヒップホップ・シーンで活躍していたラッパーのマイキー・Dが新たに加入し、制作された『Fuck What You Think』。実はこの作品は当初はシングルのみリリースされただけで、アルバムとしてはお蔵入りとなったという、曰く付きの作品だ(1994年リリース予定がお蔵入りになり、その4年後に晴れて正規リリース)。その先行シングルである“What You Need”やおそらく日本限定でのシングル・リリースであった“Diary Of A Hitman”などを当時耳にしたとき、1stアルバムとの音楽的な違いに驚かされたことを記憶しているが、今回改めてアルバムを通して聴いてみると、意外なほど実に耳にフィットする。1994年といえば、ウータン・クランなどの登場によってヒップホップがよりハードコアな方向に進んでいた時期でもあり、彼らのこの方向性はある意味、時代にマッチしていたわけで、さらに20年以上越しに聴いてみると、当時、メイン・ソースの作品という先入観を持って接していたときのあの違和感はあまり感じない。ドラムとサンプリングネタがタイトに突き刺してくる先行シングル曲の“What You Need”や“Diary Of A Hitman”はもちろんのこと、ラージ・プロフェッサーの影響も多少感じさせるタイトル・チューンや、“Looking At the Front Door”と同じイントロで始まるポッセカット“Set It Off”など聞きどころも実に多く、「ラージ・プロフェッサー不在」という理由だけでスルーするには実に惜しい作品だ。今回の再リリースを機会に、短い期間の中での激しい時代の移り変わりも感じながら、1st、2ndともに聴いていただきたい。

世界で最初のハウスのレコードを作った男が綴るリアルな歴史

シカゴ・ハウスとは、どのように生まれ、どのように発展し、どのようにしくじり、どのように世界でもっとも愛される音楽スタイルになったのか

解説:西村公輝

自分のように、ハウス・ミュージック(とくにシカゴにおける)の成り立ちというものに少しでも興味を持っている者としたら、ハウス・ミュージック勃興期の出来事の大部分は想像/妄想を働かせる以外にない“ブラックボックス”と化しており、本書ではそれこそ目から鱗の剥がれ落ちるがごとくの貴重な証言が続々と飛び出してくることに感動する。 (解説より)

英「FACT mag」の“読むべきエレクトロニック・ミュージックの本10冊”のうちの1冊にも選ばれた、決定的なドキュメント

シカゴで生まれ世界で愛されているダンス・ミュージックの初期の物語

■著者
ジェシー・サンダース (Jesse Saunders)
1962年生まれ、シカゴ出身のDJ、プロデューサー。“ハウス・ミュージックのオリジネーター”と称されている。80年代、地元シカゴでハウス・ミュージックという新たな音楽ジャンルを発明し、1983年にハウス・ミュージック初のレコーディング作品となる“ファンタジー”を制作、1984年にはハウス・ミュージック初のリリース作品となるシングル「オン・アンド・オン」を発表する。その後、ハウス・ミュージックのクラシック、“ラブ・キャント・ターン・アラウンド”や、ハウス・ミュージックとしてはじめてビルボード・チャートにラインクインした“ファンク・ユー・アップ”といった初期ハウス・ミュージックの重要作品を次々と手がける。さらに、自身のレーベル〈Jes Say Records〉に加え、ラリー・シャーマンらとともに〈Trax Records〉を共同設立。〈Trax Records〉からは、数多くのハウス・ミュージックのクラシック作品がリリースされている。また、1986年には、ジェシーズ・ギャングとして、〈Geffen Records〉とメジャー契約し、アルバム『センター・オブ・アトラクション』をリリースしている。以降、現在まで、DJとして世界各国のさまざまなヴェニューでプレイし、プロデューサー、リミキサーとしても数多くの作品を手がけている。
https://www.jessesaunders.com/

■訳者
東海林修
青山学院大学大学院総合文化政策学研究科修士課程修了。青山学院大学総合文化政策学部附置青山コミュニティラボ(ACL)特別研究員。オンライン・ミュージック・マガジン「UNCANNY」を主宰、編集長を務める。またこれまで、A&Rとして様々な作品を手がけている。
市川恵子
エディンバラ大学大学院文学研究科中国文学専攻修了。国内広告代理店、音楽出版社にて、国内外のコンテンツビジネスを担当し、現在は主に、フリーの通訳者、翻訳者として活動する。

目次

プロローグ
第一章 サンダース家
第二章 ジェシー・ザ・DJ
第三章 ウェアハウス・ミュージック
第四章 ファンタジー──夢が現実になるとき
第五章 ハウス・ミュージック
第六章 不意打ちの痛み
第七章 新たな震源地
第八章 ファミリー・ツリー
第九章 間違った方向
第一〇章 終わり、そして、はじまり
第一一章 ハウス・ミュージックを愛するすべての人びとに

解説 世界はハウスの仮想庭園になった (西村公輝)

Overton's Window(常識の枠)を大きく開けたAOC(オカシオ・コルテス)。
政界に登場したニューヒロインは、私たちのカルチャーにどのような影響を与えるのだろう。

 去る1月上旬、オカシオ-コルテス下院議員がBusiness Insider(ビジネス専門ニュースサイト)のインタヴューで「MMT = Modern Monetary Theory(現代貨幣理論)」について言及し、再び全米を騒然とさせた。これは一部の政治・経済クラスタだけが騒いだものではなく、若年層を中心に注目されるAOCだからこそ政治・経済の枠を超えて多くの人を巻き込む騒ぎとなったといえる。

1000万ドル以上の所得のある超富裕層の税率を、60%から70%で課税することを支持します。

グリーン・ニューディールを成功させる方法に関しては、富裕層課税などいくつもの財源創出方法があります。

政府の赤字支出は良いことです。グリーン・ニューディールを実現させるためには、財政黒字こそが経済にダメージを与えるとするMMT の考えを、”絶対に”私たちの主要議論にする必要があります。

アレクサンドリア・オカシオ-コルテス

 このインタヴューが、誰もが「政府の財政赤字は悪いことだ」と思っていた”Overton's Window(常識の枠)”を、AOCが広げた瞬間となった。勿論このニュースが配信されるやいなや、そのコペルニクス的発想の転換に追いつくことのできない多くの人々は困惑し、バイラル・メディアでは、「借金を増やして良いわけがない」という当然の怒りの声から、「またインテリぶってるのか」「はいはい、炎上商法ね」といった冷笑めいた否定的なコメントも数多く寄せられた。しかし好奇心からMMTに興味を示す人たち、またはその先進的イメージから「AOCをサポートする」といった好意的なコメントも数多く投じられ、結果としてネット上には数多くの賛否両論の言葉が飛び交うこととなった。

 このAOCのインタヴュー報道を受け、保守派が怒りをあらわにしたことは想像に難くないだろうが、著名人たちもこぞって反応した。ビル・ゲイツは「MMTなんて狂ってるね、財政赤字は問題に決まってる」と一蹴。他にも現FRB議長のジェローム・パウエル、ハーバード大教授で元財務長官のローレンス・サマーズ、そして投資の神様といわれるウォーレン・バフェットまでもが、ゲイツと同様に一方的な批判を重ねた。その内容は「債務がGDPよりも速いペースで増加しているのだから 歳出削減が必要だ」、「ハイパーインフレにつながる」と判で押したようなものであった。

 他方で、ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマンは、NYタイムスで連載中のコラムでAOCの発した富裕層課税について触れ、「オカシオ・コルテスの提案はクレイジーに聞こえるだろうが、著名なエコノミスト達の真面目な研究とも完全に一致している。 米国では少なくとも73%、おそらく80%以上の富裕層税が適正だろう」と擁護。映画監督のマイケル・ムーアも、「誰がトランプをぶっ潰せるかって? 現在の民主党の大統領候補にはいない。オカシオ-コルテスが立候補すべきだろう。彼女がこの民主党進歩派の運動のリーダーだってことは誰もがわかっている。トランプを支持する視聴者の多いFOXの世論調査でさえ、富裕層の税率を70%に上げようという彼女の主張を、実に70%もの人が支持したんだ」とTV番組で声高に叫んだ。

 しかし、パウエルら批判者、クルーグマンら擁護者の双方いずれもが、MMTの呈する理論を代弁できているとは言えないだろう。MMTの真髄は、赤字財政であっても野放図に支出しても良いとするものでもなければ、富裕層に対する課税を強化しようというものでもないのだ。どのような理由でAOCは「財政赤字は良いことだ」と語ったのだろう。

 AOCの師・米大統領候補サンダースの設立したサンダース・インスティテュート。その経済政策担当で、サンダース自身と民主党上院予算委員会の経済顧問も務めた、NY州立ストーニーブルック大教授のステファニー・ケルトンは語る

MMTは、異なった経済や貨幣制度を調査するためのレンズのようなものです。

アメリカ、イギリス、カナダや日本を見て、これらの国々は独立した主権国家で不換紙幣と呼ばれるものを使用しているという意味で似ています。

自国通貨を発行できる国は、請求書が払えなくなるような状況に陥ることはありません。

 そして、その国債を発行することによる政府支出の上限は、「過度なインフレ圧力」なのだと加える。経済に余剰な供給能力があるのならば赤字支出可能だということだ。ステファニー・ケルトンは、90年代に投資家のウォーレン・モズラーやニューカッスル大学教授のビル・ミッチェル、ミズーリ大教授のL・ランダル・レイらとMMTの基礎を築いたチャーターメンバーだ。MMTの理論が成り立つ前提条件は他にも、変動相場制や、多額の外貨建て債務を有していないことなどが挙げられるが、いずれもケルトンが言及した国々に条件が符号する(そう、我が国もだ)。

 AOCの発した「政府の黒字は経済にダメージを与える」とする発言も、一見して矛盾するように感じられるだろう。しかし政府が民間部門から過大に徴税したり、緊縮的な政策を続けて財政を黒字化させるということは、それだけ経済を巡る貨幣を取り上げることに他ならないのだ。

 現実が経済学を裏切っている。現実を経済学で説明できない。人々の信頼を失い、ジレンマに苦しみ続けた経済学がようやく出した解答が、このMMTだといえるだろう。政府は赤字支出により、国民経済を発展的に管理する必要があり、そのためにこそ国家が存在している。人々がかつて畏怖の対象としてきたリヴァイアサンこそが我々の経済活動をまわす原動力だったと気づかされる。

 米国ではトランプ大統領の登場以前から、深刻な格差の拡大が社会問題となり、それによって世論も二極化した。民主党支持者の60%が社会主義に好意を示し、教育や社会保障への予算割り当ての増額を望む一方、従来のリバタリアニズムを堅持する共和党支持者の多くは、税や政府予算の規律を重視するばかりか、移民への社会的保障が国家運営を阻害するとして批判さえ加えてきた。

 「神の見えざる手」を過剰に信仰するリバタリアニズムや「自己責任論」が、ネオリベ思想にも直結する形に収斂した。そのカウンターとして現れたのが反ネオリベのトレンドである。主流メディアにおいてしばしばこのように語られるが、これは事象を正確に説明しているとはいえない。ネオリベとあまり変わらない「第三の道」を継承したかつてのオバマのリベラル政権下においてこそ、現在に続く反ネオリベ・反緊縮の種が萌芽を待ちわびていたと見るべきだろう。

 リバタリアニズムとリベラリズム両者の瓦解、それによって生まれた反ネオリベの芽がトランプ政権を産み、そしていま、サンダースやAOCを切望するポピュリズムの声となったのだ。

 ポピュリズムとは民衆のデモクラシーを求める声とも言える。そもそもリベラル・デモクラシーは、社会に見放された落後者に対しても、民衆の意思たる代表制をもって人権を保障し、救済するためのシステムであったはずだ。しかし、80〜00年代を通して「ネオリベラリズム」や、ネオリベのマイルド版である「第三の道」に破壊され続けたリベラル・デモクラシーは、いつしか過度なリベラリズム(個人の自由を強調する指向性はリバタリアニズムにも近い)とデモクラシーとに乖離した。

 それらに反発する民衆の声がいま、本来的な意味で、人びとの生きる土地やコミュニティーを愛する純粋なデモクラシーへと進化を遂げるかたちとなった。それこそがポピュリズムの、地べたに根を張る民主主義の本来の姿ではないだろうか。

 Neil YoungやRed Hot Chili Peppers、Vampire Weekendのようなアウトサイダーと呼ばれるロック・ミュージシャン、そしてNASやDiplo、Stieve Aokiといったストリート出身のクラブミュージック牽引者たちのサポートによって、3年前にサンダース旋風が吹き荒れたことは記憶に新しい。

 16年の大統領選に旋風を巻き起こした若者のデモクラシーを求める声は、”#FeelTheBern”のハッシュタグを生み、Cardi Bの”Vote for Daddy Bernie, bitch”へと、そして21 Savageのリリック”I couldn’t imagine, my kids stuck at the border(なぜ子供たちが国境で拘留されているのだ)”に呼応するAOCに引き継がれ、いまなお大きく響きわたっている。

 本コラムを通読いただけた方には、なぜ2019年にアレクサンドリア・オカシオ-コルテスが、そしてMMT=Modern Monetary Theoryがたち現れたのかご理解いただけただろう。それは、人びとが望んだ民主主義が、そこに結実しただけなのだ。

RAINBOW DISCO CLUB 2019 - ele-king

 絶対行く価値アリの、2010年5月2日にはじまったレインボー・ディスコ・クラブ(RDC)は、今年で10年目を迎える。音楽好きがDIYではじめた野外フェスが(しかも、いわゆるメジャーなアーティストがいっさい出ないフェスが)、かれこれ10年も続いているのは、主催者側の並々ならぬ努力もさることながら、ひとえにこのフェスティヴァルそれ自体が信用されているからだろう。エレクトロニック・ミュージックを愛する人間であるならば、RDCはいちどは行くべきフェスであり、出演者の時間表を気にしながら行動するフェスに飽きた人間が行ったら、楽園かと思えるようなフェスである。何度も言うようだけど、家族連れが多いのもRDCの特徴。
 今回は、第一回目に出演したDJハーヴィーをはじめ、〈ラッシュ・アワー〉、DJ NOBU、ベンUFO、瀧見憲司といったお馴染みのメンツに、マシュー・ハーバートやヨシノリ・ハヤシなど話題のアーティストも登場。伊豆の素晴らしいロケーションのなかで生まれる3日間の音楽コミュニティ、ひとりでも多くのひとに楽しんでもらいたい。

■RAINBOW DISCO CLUB 2019

日程:2019年4月27日(土)9時開場/12時開演~4月29日(月・祝)19時終演

会 場:東伊豆クロスカントリーコース特設ステージ(静岡)

出 演:
〈RDC Stage〉
DJ Harvey
Rush Hour Allstars (Antal / Hunee / San Proper / Masalo)
Matthew Herbert
DJ Nobu b2b Wata Igarashi
Ben UFO
Move D
Palms Trax
Jayda G
Kenji Takimi
Yoshinori Hayashi
Sisi
Kikiorix

〈Red Bull Stage〉
Leon Vynehall
Maurice Fulton
Tijana T
Captain Vinyl (DJ Nori + Muro)
Cro-Magnon
DJ Sodeyama

料金:
通し券(2泊3日)20,000円
*規定枚数に達しましたら当日券の販売はございません。
*20歳未満の入場は保護者同伴の場合のみご入場いただけます。
*中学生以下はチケット不要です。

キャンプ券 4,000円
*炭を使用するBBQは禁止。コンロ、バーナーのみ可能。
*アルコール類、瓶、缶の持ち込みは固くお断り致します。

駐車券 3,000円
*駐車場出入庫は1回1000円別途必要。

オフィシャルサイト:
https://www.rainbowdiscoclub.com

第4回 愛と生存ンンン……。 - ele-king

 三月は〈おしまい〉になっていた。何もかもがだめだった。布団のあいだにうずくまってスマホでソリティアをしたり指の皮を血が出るまで剥いたりしていたら一ヶ月が終わった。神はなぜこんな血の出やすいところにエンターテインメントを用意したんでしょうね。正直今も左手の人差し指で親指の皮をめくりながらこの文章を書いている。
 やらなければならない種々のことを全て先送りにした。何もしたくなかったし、実際にほとんど何もしなかった。全部が恐ろしいほどおっくうで、身体の外側の時間の流れに全くついていけないと感じていた。アルバイトだけは通えていたが、アルバイト以外では人に会わなかった。何もかもが遠かった。
 三月はだめだ。私にとっては冬よりもきつい。着替えて一歩外に出ればつい一ヶ月前まで渇望して止まなかった太陽があるのに、どうしても部屋から動けない。冬の〈おしまい〉には「こんな気候なら仕方がない」という説得力と納得があるが、春の〈おしまい〉は外的要因に己の不調の理由をなすりつけにくいほど陽の光がうつくしい。苦しい。私は一生この天気を「行楽日和」と形容できない。

 だが不思議と今シーズンはその場にいるのが耐えられないほどの精神の下降はなかった。奇妙な凪だ。「ヘル日本」なニュースが常態化しすぎて怒ることにすら疲れていたのかもしれない。いや、性暴力に、公務員の韓国差別に、入管の人権無視に、こんなにたいへんなことばかり起きているのに新元号だのオリンピックだのどうでもいいニュースばかり流すテレビに、ずっと怒ってはいたし、これは自分の現実なのだという意識もあったが、その一方でなんだか妙に全てが自分から遠かったのだ。普段なら内臓がどよめいてその場で手足をばたつかせたり唸ったりせずにいられないようなときでも、「ああ、そうか」と思ってしまえている自分がいた。悲しくてムカついてとりあえずほうぼうに署名をしたが、それ以上の具体的な対処法がわからず、ゴジラになって全部踏み潰したいなあなどと考えていた。
 思うに、短い間に大量かつさまざまな問題を視界に入れすぎたために、視界の縮尺がどんどん小さくなっていき、世界に対する目線がゴジラになっていったのではないか。渋谷109からTSUTAYAまでの徒歩経路を表示したマップより山口県から青森県までの徒歩経路を表示したマップのほうが漠然としているのと同じで、広い範囲の大量の問題を見ようとした結果視点が上空になって細部が見えなくなっていくのだ。どうしようもないたくさんの細かい何か。何から手をつけていいかわからない。これもう全部ダメじゃない? 全部踏み潰したい。グシャッ。踏んだ後は足の裏を拭く。

 しかし同時にこういうときほどむしょうに人間がかわいく見える。アルバイト先に行くために地下鉄に乗ると、乗り合わせた人がやけにかわいい。眠る人の眉間のしわ、使い込んだカバン、四隅が剥がれかけのスマホケースなどを、あまり長く見ると失礼なので一瞬だけ風景として目に入れて、みんな生きててかわいいな~と思って噛みしめる。老若男女関係なく、なんというか、月齢を重ねた生き物がそこにいることそのものがどうしようもなく素敵だ。電車の窓から見えるたくさんのマンションは虫の巣のようで、一生懸命作られた穴一個一個に人間がいっぱい寄り集まって暮らしていると思うと、なおのことかわいい。自分の生活を全部棚に上げて、全部かわいい。

 この気持ちも「ゴジラになって全部踏み潰したい欲」と結局は同根なのだろう。すなわち私のなかの野放図な殺意も野放図な好意も、結局は対象と向き合いたくないという無責任な気持ちだからだ。殺意を握りしめていても私は実際に生きている人間のエネルギーを前にしながらそれを実行しようとは思わないし、全員かわいくても「じゃあ今からこの全く知らない人と手を繋いで見つめあって一時間喋って」と言われたら絶対に拒否する。これは個体に向けた気持ちではないのだ。現実的な結果を望むならベクトルを決めなければならない。私(ゴジラではない)の身体から全方位に向けて広域攻撃を撃っても威力は分散してしまって効果がない。対象に攻撃されかねない距離まで近づいて、対象を定めてエネルギーを使わねばならない。(常に現実的な結果を求めることが正しいわけでは当然ないが、「やるからには勝ちたいじゃん」とも思う。)すなわち、どのような気持ちに基づいてやるにしろ、仕留めたいものがあるなら対象と本気で向き合わなければならない。

「向き合う」とは対象に影響されて自分が変化する可能性を受け入れることだ。対象と食うか食われるかの場所に立つことだ。相手と関わったことについて責任を引き受ける覚悟を持つことだ。そして向き合うことは愛である。嫌悪だろうが好意だろうが、対象について考えて考えて考えて考えて「向き合った」なら、それは愛としか呼びようがなくなる。
 しかしここまで書いてきて改めて思うけれど、「向き合う」行為は本当に特定の種類のエネルギーを大量に必要とする。ここに力を注ごうと決断する勇気もいるし、実際にそこに注ぐ力も必要だし、もし力が足りなくなったときには撤退を決める覚悟も必要だ。「生存」する行為にエネルギーを集中させていて「向き合う」余力がいっさいないとか、あるいはほかのエネルギーならば用意できても「向き合う」ためのエネルギーだけは枯渇しているとか、私一人の実感だけでもたくさんの状況が思い出せる。人間のエネルギーは些細なことですぐ変わり、容易に矛盾する。落ち込みがあるのはどうしようもない。

 そこまでわかっていてもやっぱり何もできずにいるのはつらくて悔しい。気持ちの上でどうにも解決しがたいものがある以上、なおさら言葉で繰り返しおのれのキツさを許しておきたい。実際無理なんですよ、泥みたいに布団の上で潰れて昼まで寝て親に用意してもらったご飯で生きてんのが本当に申し訳ない。でも今の状況を「立て直す」には、やっぱり呆然としながら消極的に生存にしがみついている状況を積極的に肯定するしかない。どんなに泥でも、生存を手放さない選択は立派だ。えらい。すごい。クソ、ごめん、いいんだ、いいんだよ。

interview with Matthew Herbert - ele-king

 ぼくの知り合いにひとり、本人はきわめて政治的な人間だが、聴く音楽のいっさいは政治とは無関係なものを好むというひとがいる。彼を思うと、ノスタルジックなジャズやMORを好んでいる人間が必ずしも政治的に無関心で保守的であるなどということはないと断言できる。その彼はビッグ・バンド・ジャズが大好きだ。
 マシュー・ハーバートのアイデアは、そういう意味でも面白い。がなり立てるパンクやラップではなく、ノスタルジックなスウィング・ジャズとエレクトロニカとの混合。エレクトロニカも、基本、耳(とその刺激を解析する脳)を面白がらせる快楽的な音楽であり、政治的な作品は、たまにサム・キデルのようなひともいるにはいるが、それは少数派だ。
 快適さのなかにメッセージを忍び込ませるやり方がぼくは好きだ。
 マシュー・ハーバート・ビッグ・バンドは、かつてそれをやってきた。甘くノスタルジックな演奏を交えながら、グローバル資本主義経済を糾弾する2003年の『グッドバイ・スウィングタイム』のことだ。

 『ザ・ステイト・ビトウィーン・アス』は、ブレグジットを契機に始動したプロジェクトである。2年以上を費やし、当初はEU離脱の日とされていた3月29日にきっちりリリースされた。『グッドバイ・スウィングタイム』と同様に、ノスタルジックなスウィング・ジャズとエレクトロニカ(+執拗なフィールド・レコーディング)との混合であり、しかし今作には、そうしたハーバート自身のクリシェを打ち砕く異質さがある。その異質さには、今作のより深い政治性が絡んでいる。自分が英国人であることを強く意識しながら作られた『ザ・ステイト・ビトウィーン・アス』からは、イギリスそしてヨーロッパなるものに直結するサウンド、響き、伝統が否応なしに聴こえてくる。そしておおよそ音楽は晴れやかではないが情熱的で、スリリングに展開する。ダークな曲、メロウな曲、ダンサブルな曲、ドローンからIDM、ジャズからアンビエント……と、まあ、ヴァラエティに富んだ内容で、いつものようにフィールド・レコーディングを活かし、音の細部にまで凝っている。多少重たいが、聴き応え充分の力作である。
 このアルバムを聴いたとき、ぼくにはわからない点がいくつかあったので、ぜひハーバートに取材をしたいと思っていた。なぜ、この作品のアートワークが「木」なのか、残留派であるハーバートは、では離脱派にはっきりとノーが言えるのか(残留派にも離脱派にもそれぞれ言い分がある)、アルバムから聞こえる動物たちの声は何なのか、アルバムにはハーバートのイギリス愛も混じっているのではないか、そもそも現代において左翼とは何なのか、などなど。すべての疑問に彼なりに答えてくれた。(※文末に来日情報あり)

僕はEU離脱に関して多くの嘘を撒き散らした何人かの政治家に対してすごく憤りを感じている。でも、「離脱」に投票した人たちに対しては、友情や協力の意志がある。僕は安定した、幸せな社会で暮らしたいんだ。

政治的であり、なおかつ作品としての魅力を高めようとするとき、そのバランスというのは難しいと思いますが、このアルバムはぎりぎりそれを成し遂げているし、あなたがこの作品に注いだ熱量がどれほどのものかわかる力作だと思いました。音楽的にも、ジャズ、クラシック、エレクトロニカ、ダンス・ミュージック、ミュージック・コンクレート、ドローンなどといったこれまであなたがやって来たことが集約された作品ですよね。すべてを投入して作ったというか、そんな印象を持ちました。

ハーバート:かなり苦労して完成した作品ではあった。何に苦労したかというと、当然音楽を作ることが大前提としてあるわけで、新聞記事を書くわけでも、ドキュメンタリー映画を作るわけでもない。音楽作品でありながら、イギリスにおける政治の現状を反映したものにしたかった。ただその現状というのが、もうめちゃくちゃで……(苦笑)。
つまり、何かについて曲を書いていると、その10分後には状況がまったく変わっている。だから書いていたものをやめて、新たな状況について今度は書きはじめる。で、その10分後にまた状況が一変する。そこの両立が非常に難しかった。それに加え、長いあいだ自分は誰に聞いてもらいたくてこの音楽を作っているのか、戸惑いもあった。いままさにEU離脱を含めた政治状況の渦中にいる人たちが対象なのか、それともヨーロッパにいる人たちに向けて我々の立場を説明したくて書いているのか、それとも20年後にこれを聞く人たちに向けて書いているのか。どういう視点で語るのか、なぜこれをいま伝えなきゃいけないのか、というのが制作中に何度も変わっていったんだよ。

イギリスのEU離脱をめぐる議論は、いまだどこに着地するのかわからない状況というか、カオスになっているようですね。とりあえず、3月29日に離脱することはなくなったわけで、その日をリリース日に決めていたあなたにとってこれは良かったのか悪かったのか、どうなんでしょうか?

ハーバート:すごく良かったと思っている。というのも、我々は国としてまだどんな形であろうとEUを離脱する準備がまったく整っていない。国は激しく分断されたままだ。僕が作る音楽は、僕にとっては大事なもので、参加してくれた人たちにとっても大事なものかもしれないけど、人の生死に関わる問題じゃない。でもEUは多くの人の生死に関わる重大な問題だ。だから僕としては、延期になったのは良いことなんだけど、依然としてどうなるのか先がまったく読めない。あり得ない状況だよ。3年ものあいだこの件について話し合ってきたにも関わらず、いまだにEU離脱とどう向き合うべきかわかっていない。まさにいまのイギリスの政治のどうしようも無さが浮き彫りになった形だと思う。

先頃は反ブレグジットのデモに100万人が集まったという報道がありましたが、100万人というのはすごい数ですね。おっしゃるようにいまはまったく先が読めない状況ではありますが、あなたが望んでいるのはいかなる決着なのでしょうか? 

ハーバート:まず何よりもEU離脱をやめるべきだと思っている。そもそも馬鹿げた考えだった。しかしながら、誰も自分たちの声に耳を傾けてくれない、と感じている人はこの国大勢いる。彼らはこの国の政治に対して長いあいだ失望していた。自分たちの意見は汲み取ってもらえない。生活も不安定で、職もない。満足な医療制度も得られず、自分たちが住むコミュニティーとの繋がりが感じられない。そういう人たちの多くが「離脱」に投票した。なぜなら「離脱すれば自分たちの生活が良くなるから」と言われたからだ。でも実際は、EU離脱が生活の向上をもたらしてくれることはない。むしろこの国をより貧しく、より孤立させるものだ。前向きなものでは決してない。
だから僕としては、もしEU離脱をやめるなら、そういう人たちに改善策を与えてあげなければいけないと思っている。「離脱」「残留」に分断されてしまった国民をどうにかしてまたひとつにまとめないといけない。そもそも「離脱」「残留」という分け方自体、人が創り上げたものでしかないから。そこに明確な線引きはもともとなかったはずなのに、分断の原因になってしまった。個人的に思う今後の最良の展開は、もういちど国民投票を行うことだ。そうすべきだと思っている。今度は、具体的な実施計画に対して投票するのだ。そうすることがもっとも賢明だと思う。政治家が決められないのであれば、国民が決めるべきだ。

今回のアルバム制作の発端は、ブレグジットに対する憤りだったと思いますが、おっしゃるようにEUに残留すればすべてが解決するような問題ではないように思いますし、じっさいアルバムのテーマはより大きなものへと発展していますよね? 

ハーバート:そうだね。アルバム制作をはじめた頃は、政府の動向を細かく追っていて、EU離脱問題とそれに纏わる政治状況だけに絞った作品を作ろうと思っていた。でも途中で、めちゃくちゃなアルバムだってことに気づいた。政府がめちゃくちゃだったからね。その動向ばかりに目を向けていたために全く意味のなさない、どうでもいいものになっていた。
だから途中で決めたんだ。我々にとって本当に重要な問題を取り上げようと。その最たるものが気候変動だ。実はEU離脱問題は、我々が直面する本当の危機的問題から我々の目を逸らすためのものでしかない。イギリスだけの問題ではない。他の国もそう。気候変動や経済格差こそが本来取り組まなければいけない問題だ。今EU離脱問題に費やしている予算は本来気候変動に使われなきゃいけないものなんだ。

先ほどイギリスが分断されているという話がありましたが、タイトルの『The State Between Us』も分断されてしまったイングランドを意味しているのでしょうか?

ハーバート:必ずしもそういう意味でつけたわけじゃない。もちろん、見た人が好きに解釈してくれればそれで良いと思っているよ。タイトルの元々の発想としては、政府(政治)が人と人のあいだに入ってきたらどうなるか、というものだ。例えば、僕は近所の人たちと共有した価値観もたくさん持っている。田舎に住んでいるからまわりは農家が多い。でも、彼らの多くが「離脱」に投票をした。だから僕にとってタイトルが意味していることは、政府が自分とお隣さんとの関係の障壁となったとしたらどうなのか、ということ。自分はどんな感情を抱けば良いのか、と。僕はEU離脱に関して多くの嘘を撒き散らした何人かの政治家に対してすごく憤りを感じている。でも、「離脱」に投票した人たちに対しては、友情や協力の意志がある。僕は安定した、幸せな社会で暮らしたいんだ。だからタイトルは、以前は何の問題もなかった社会に、政府や組織が介入することで問題が生じてしまったらどうなるか、ということを意味している。

こうやっていろいろ考えてみたんだけど、イギリスならではのもので特別な何かを見つけることができなかった。それはつまり、自分がどこで生まれたかなんて所詮地図上のある場所にたまたま生まれたってだけのことだからだ。この国の好きな部分もあるし、好きじゃない部分もある。それはスペインや他のどの場所に対しても言えることだったりする。そういう部分も含めて、アルバムはイギリスらしさとは何かを追求しようとした側面もある。

“You're Welcome Here”の“Here”とはイングランドのことだと思いますが、あなたは今作を作るためにブリテイン島を旅したそうですね。それはなぜですか? それは、もういちどあなた自身のアインディティティないしはイングランドという国のアインディティティを確認したいから?

ハーバート:“You're Welcome Here”の“Here”はイギリスのことだけではなく、音楽も意味している。例えば「このアルバムは君を歓迎するよ」「このアルバム、この音楽の世界にようこそ」とかね。
イギリスのアイデンティティに関心があったというのは、その通りだ。だから、自分では行けなかったから人にお願いしてアイルランドの国境を端から端まで歩いてもらった。それから「離脱」に大半の人が投票したグリムズビーという町にも行った。それから同じく「離脱」に投票した地元のケント州にも長く滞在した。各地に実際に足を運ぶことが大事だった。アルバムにはロンドンで録音された音源はとくに使っていない。ロンドンの合唱隊は参加してくれているけど、ロンドンで録った「音」は入っていない。
僕にとってイギリス人であることのアイデンティティはますますわからなくなってきている。子供の頃に聞かされた「イギリス人たるものはこうあるべき」という価値観にしても、大人になってみるとそうではなかったと思うことがほとんどだった。僕は1970年代に幼少期を過ごしたわけだけど、人種差別、男尊女卑がまかり通っていた時代だったし、男性に支配された社会だった。いまでも男性が社会を支配してはいるけど、少しずつ変化していると感じる。「イギリス人であるというのはどういうことか」というのをずっと考えていたんだけど、例えば「僕は田舎が凄く好きだ」「でもスイスやイタリアや日本にだって美しい田舎はある」と思った。じゃあ、「ユーモアのセンスがすごく気に入っている」と思ったけど、他の国にだってユーモアはある。「この国の音楽がすごく好きだ」と思っても、アメリカやアフリカの国だって良質の音楽を排出している。
こうやっていろいろ考えてみたんだけど、イギリスならではのもので特別な何かを見つけることができなかった。それはつまり、自分がどこで生まれたかなんて所詮地図上のある場所にたまたま生まれたってだけのことだからだ。この国の好きな部分もあるし、好きじゃない部分もある。それはスペインや他のどの場所に対しても言えることだったりする。そういう部分も含めて、アルバムはイギリスらしさとは何かを追求しようとした側面もある。

冒頭の鳥のさえずりが聞こえる場面ですが、場所はどこでしょうか? なぜそこからはじめたのですか? 

ハーバート:あれはドイツにある森のなかで録ったんだ。そこには意図があって、今回のEU離脱問題はこの国とドイツとの関係が多分に関係していると思っている。第二次大戦後ずっとこの国はあの戦争と本当の意味できちんと向き合えてないと思う。ドイツの人たちの方が、あの戦争が自分たちの生活にどう影響をもたらしたかを受け入れている。でもこの国ではまだ神話化されている部分が大きい。というのは、勝利国だったために、内省する必要がなかったんだ。戦争に自分たちがどう関わったかということに対してね。だからとくにドイツに対する誤解は多い。それにアンジェラ・メルケルの方が、メイ首相よりもずっと優れたリーダーだ。彼女(メルケル)の考えにすべて賛同するわけではないけど、国家の首席としてはずっと優れている。そんなわけで、「ドイツの木」からアルバムをはじめるという発想が気に入ったんだ。

「木」と言えば、アートワークにも「木」をあしらいました。また、アルバムの冒頭の曲では木が切られているであろう音がチェーンソーの暴力的な響きとともに挿入されています。「木」は明らかにこのアルバムの象徴としなっていますが、それはなんの象徴なのでしょうか?

ハーバート:EU離脱問題を「木」に置き換えて考えたら面白いと思ったんだ。僕からすると我々は存続危機に直面している。つまり、気候変動によって我々が当たり前だと思っているものがこれからどんどん失われていく。我々人間が行いを改めなければ、人類を含む多くの生き物が絶滅するだろう。これこそが本当の危機だ。だから僕は、何人かの政治家の発言に耳を傾けるよりも、「木」に耳を傾けたいと思ってしまう。自然との向き合い方を考え直さないといけないと思っている。だからこの世界を違う視点から見てみるいい機会だと思った。

あの曲の途中で挿入される歌はなんですか?

ハーバート:曲は僕が作曲したもので、歌詞は16世紀の詩人のジョン・ダンの言葉を引用している。

ビッグバンドでやるのは 11年ぶりと久しぶりですが、今回のテーマをいつものようなエレクトロニカ・スタイルではなくビッグバンドでやりたかった理由はどういったところでしょうか?

ハーバート:ビッグ・バンドの大きな魅力は、ある一定の水準で音楽を奏でられる人だったら誰でもバンドに参加できる、ということだ。例えば、イタリアやスペインやドイツに行ってアルバムのレコーディングを行った際、見知らぬ演奏者の前に譜面を配布さればそれで済んだ。すぐにでも演奏をはじめられる。民主主義的な形態だと感じるね。さらにそこに合唱が入るわけで、アルバムに参加しているのはみんなプロの歌い手ではなくアマチュアの合唱隊だ。そうやって民主主義的な生き方を体現しようとしている。ただ政府を批判するだけでなく、その代替案を提示しているんだ。僕からすると、ビッグ・バンドと合唱隊はいい代替案だと思う。コミュニティーを生み、創造性を生み、協調性があって、経済活動でもあり、人種や性別も関係ない。有用なメタファーだったんだ。

参加した人たちの人数が、数百人とも千人とも言われていますが、CD盤面の記されている名前がそれですよね。これはすべて世界のいろいろな場所でのライヴの際に参加した人たちの名前なのでしょうか? そしてそうした人たちの名前を記したのにはどんな意味がありますか?

ハーバート:全員の貢献をきちんと示したかった。というのも、こうして君と話をしているのは僕だけど、実際は大勢の人がこの作品を支えている。コミュニティを表しているんだ。実はバンドの名前にも納得がいってない。僕の名前が前面に出てしまっているからね。でもSpotifyやApple musicといったサービスのなかで、聴き手にとって作品を見つけやすいというのも大事だった。まあ、せっかく参加してくれたのだから名前を記すのは礼儀でもあると思った。ライヴでも土地土地で新しい人たちに参加してもらった。例えばマドリッドに行ったときは、ステージ上に僕のバンド・メンバーはたったの3人だけで、残りの115人はそこで初めて会う人たちだった。ローマでもベルリンでも同じだ。日本で去年ライヴをやったときも、日本人のバンドと合唱隊に参加してもらった。ライヴの度に違うライナップだったんだ。

イギリスに対しては相反する思いを抱いているのはたしかだ。今回気付いたのは、ある国の国民として生きる上で鍵となるのは価値観なんだということ。どんな価値観を持っているか。だから僕にとって大事なのは……。僕がイギリスでもっとも誇りに思えるのはNHS(国民医療サービス)、それとBBCだ。

今作であなたがあらたにトライした音楽的な実験があるとしたら何でしょうか?

ハーバート:実験と言えるかわからないけど、さまざまな場所を録音した。NHSの病院でも録音したし、首相別邸のChequersの周りを自転車で回って録音もした。それからある人にイギリス海峡を泳いでもらったし、別の人に第二次大戦の戦闘機で飛んでもらった。他にもイタリアの第一次大戦の最前線だった古戦場を歩いてもらったし、アイルランドの国境の端から端までも歩いていろいろ録音してもらった。これ以外にもいろいろなフィールド・レコーディングを行ったよ、

動物の声をフィーチャーした“An A-Z Of Endangered Animals”を収録したのはなぜでしょうか?

ハーバート:僕にとってはこういったことこそが本当の問題だ。生態系の多様性の崩壊だ。野生動物や昆虫の数が激減している。非常に深刻だし悲しい問題だ。今回アルバムに音を収録した絶滅危惧種の動物たちは10年後、15年後にはその声を聞くことがもうできなくなっているかもしれないんだ。絶滅に瀕した動物たちによるコーラスだ。

まさかご自身でフィールドレコーディングされたわけじゃないですよね?

ハーバート:さすがにそこまではできなかった。そうするには費用がかかりすぎるからね。

最後シェリーの詩を歌った“Women Of England”で終わっていますが、あなたこの作品でイングランドを批判してもいますが、同時に愛してもいますよね? “Women Of England”を聴いてそう思ったのですが、いかがでしょうか?

ハーバート:イギリスに対しては相反する思いを抱いているのはたしかだ。今回気付いたのは、ある国の国民として生きる上で鍵となるのは価値観なんだということ。どんな価値観を持っているか。だから僕にとって大事なのは……。僕がイギリスでもっとも誇りに思えるのはNHS(国民医療サービス)、それとBBCだ。国民全員が少額を払うことで、多くの恩恵を得られる機関だ。そういうのは喜べる、前向きな積立だ。それ以上に、優しさ、平等、公正さといった価値観を現れでもある。でもそういう価値観がこの国ではいま脅威に晒されている。そこに僕は怒っている。いま右翼の多くの人は我々もアメリカを見習うべきだと思っている。でもいまのアメリカは非常に残酷で分断された国で、社会のお手本とするには最悪の国だ。

あなたが愛するイングランドというのは、ファンキーな“Fish And Chips”のような曲に表れていますよね? 

ハーバート:いや、あの曲はグリムスビーという街で録音したものなんだけど、グリムスビーはかつて漁業が盛んな街だったのに、その漁業が衰退してしまった。僕にとってこの曲はニューオーリンズの葬送曲のイメージで、漁業の死についての歌をパーティ調に奏でることで皮肉を込めているんだ。

4月に来日しますが、楽しみにしています。どんなプレイをするつもりでしょうか? 話せる範囲でお願いします。

ハーバート:そうだな。本当になんとも言えないんだけど、DJセットというのはつねに即興だと思っている。だからとりあえずいろんなジャンルからのいろんな音楽を持っていって、あとはそのときの感覚で作り上げていく。でも、まあ、基本はハウスとテクノで、そこに実験的なものや、新しいノイズなんかも盛り込んでいきたいとは思っている。まあ、基本はその場の即興だよ。

ブレグジットを遠目で見ながら、もしも左翼思想というものが世のなかで弱い人たちを助けるという思想だとしたら、はたしていま弱い人たちは誰なのかということを考えてしまうのですが、あなたの意見を聞かせてください。

ハーバート:そんな複雑な話じゃないと思っている。実際よりも事情は入り組んでいると我々に思わせるのも政治的罠のひとつなんだ。この国が抱えている大きな問題というのは、数年前に大きな経済危機があって、その際に経済を持続させるために政府が国民の税金を金融産業に投入した。保守党政府は、経済的にいちばん底辺にいる人たちに負担をさせたんだ。つまり障害者、生活保護を受けている人、貧しい人、子供、シングルマザー、女性。そういう人たちへの補助を減らすことで、銀行が引き起こした負債のツケを底辺の彼らが払う羽目になった。それこそがこの国の根本にある不正であり、EU問題もそれに対する反動だった。保守党が築いた社会構造に対する人びとの不満の表れだった。だから僕にとって弱い人たちというのは、他の人が起こした問題のツケを払わされている人たちだと思っている。


ハーバート来日情報!
Hostess Club Presents...Matthew Herbert DJ Tour 2019

HOSTESS CLUB ALL-NIGHTERのレジデントDJでもあったダンスミュージック / サンプリング界の鬼才マシュー・ハーバート、各地で豪華ゲストを迎えるDJツアーの開催が決定!

東京
2019年4月22日(月)代官山UNIT
with Yoshinori Hayashi and 食品まつり a.k.a foodman
Open / Start 19:00
Extra Sound System Provided by PIONEER DJ

北海道
2019年4月23日(火)札幌 Precious Hall
with Naohito Uchiyama and OGASHAKA
Open / Start 20:00

福岡
2019年4月24日(水)福岡Kieth Flack
with T.B. [otonoha / under bar]
Open / Start 20:00

京都
2019年4月25日(木)京都 CLUB METRO
with metome (Live Set)
Open / Start 20:00

Ticket:
東京公演 5,800円(税込)
札幌 / 福岡 / 京都公演 5,300円(税込)

https://ynos.tv/hostessclub/schedule/20190422.html

Fennesz - ele-king

 音楽──ことエレクトロニック・ミュージックを作ろうとするとき、まずは機材を揃えようとするのが多くのひとが考えることだろう。しかしながら音楽の面白さを決定するのは、機材の数や値段やレア度ではない。機材を揃えなければ良いエレクトロニック・ミュージックが作れないなんてことはないし、もしそうならそれは限られたひとたちだけのものになってしまう。オーストリア人のクリスチャン・フェネスは、90年代末、ただそこにあったものだけで音楽を作った。ギターとノートパソコン(そしてフィールド・レコーディング用のマイク)、これだけあれば,魅力的なノイズから官能的なエレクトロニクス、心揺さぶられる叙情だって描くことができるのだ。
 フェネスの長いキャリアにおいて、名作と言われるアルバムはすでに複数枚ある。ロマンティストとしての彼の資質が存分に注がれた2001年の『Endless Summer』、OPNの『リターナル』を名作というのであれば、その先駆といえる2008年の『Black Sea』、それからジム・オルークとピーター・レーベルクとの共作『The Magic Sound Of Fenn O'Berg』(1999)、坂本龍一との『AUN』(2012)──まずはこの4枚、近年の作品でいえば、2014年の『Becs』も面白かったし、同年にリリースされたマーラーをモチーフにした『Mahler Remix』も、はっきり言って、近年のモダン・クラシカルないしはテクノからクラシックへのアプローチという数多ある作品のなかではダントツだった。
 以上の6枚は、フェネス入門編。
 上記の6枚以上にも、フェネスにはいくつもの良い作品がある。ほこりっぽいダブステップの地下室からやって来たキング・ミダス・サウンドとの共作『Edition 1』(2015)も興味深い1枚だったし、多作でありながら、フェネスは毎回違うことをやりながらひとを惹きつける作品を出し続けているという希有なアーティストである。

 『アゴーラ』は、2014年の『Becs』および『Mahler Remix』以来の5年ぶりのソロ作品になる。制作前に、どんな理由からかはわらないが、フェネスはスタジオを失った。つまり新作は、スタジオを失ったフェネスにとっての最初のソロ・アルバムになる。
 始終ベッドルームで、しかもヘッドフォンで作業することは、決して望んだ環境ではないのだろう。が、それでもフェネスは、ギターとノートパソコン(そしてフィールド・レコーディング)という、ただそこにあるものだけで圧倒的な音響を創造している。
 それはおもにギターによるドローンで構成されている。1曲目の“In My Room”は、タイトルがこの作品の出発点を物語っている。スタジオではなく、自分のベッドルーム。それは窮屈かもしれないし、音響設備としても不充分だろう。だが、曲は閉所恐怖症でもなければ箱庭的でもない。あたかも壁をぶっ壊して、突き抜けていくように展開する。ギターによるドローンの重奏が、絶え間なくどんどん広がってく。続いては、フェネスの十八番である自然をモチーフにした“Rainfall(雨降り)”だ。ギターの周波数のレイヤーが波のように押し寄せ、絡み合い、うねっていく。やがて雫の音が聞こえ、そしてノイズ混じりのギターのコードストロークが霧のなかで重なる。
 “Agora”(広場)は、いわゆるウェイトレス的な曲だ。重さはなく、気体のような音響がうごめいているようだ。それは霊妙であり、不穏ではないが甘ったるくもない。なんとも奇妙な雰囲気を有している。そして最後の曲“We Trigger the Sun(我々が太陽を誘発する)”は、このアルバムにおいて唯一はっきりとしたメロディを持った美しい曲となっている。その美しさは、おそらく、フェネスのなかの夢見る力のようなものから生まれているのだろう。浜に打ち寄せる波の煌めきをミニマルな模様として捉えたアートワークもお見事。

Matmos & Jeff Carey - ele-king

 これは嬉しいお知らせです。去る3月15日、プラスティック製品に焦点を当て環境破壊をテーマに取り上げた意欲的な新作、その名も『Plastic Anniversary』を〈Thrill Jockey〉からリリースしたばかりのマトモスが、この5月に来日公演を開催します。同伴者は電子音楽家のジェフ・キャリーで、東京4会場、京都1会場をまわります。いったいどんなパフォーマンスを見せてくれるのやら……期待大です。

Joni Void - ele-king

 デビュー・アルバムは『セルフレス』というタイトルだった。セルフィーが撮りまくられる時代に「自分がない」と訴えていたのである。セカンド・アルバムは少し難しくなる。「Mise En Abyme(ミザナビーム)」とはフランス語で深遠な状態を作り出すことを意味し、日本語では「紋中紋」と訳される。モチーフの中に同じようなモチーフが入れ子構造になっているというイメージらしく、具体的には電話やカメラ、ゲームやヴィデオといったデバイスに残っている自分の痕跡をなくし、言葉になっていない他人の声をソースとして使うことによって、昔の自分を再構築するということのようである。短絡的に言えば自分という存在は複数の他人との関係のなかに存在していると考えるラカンの思想を音で表現するということになるのだろう。他人に「いいね!」をされなければ存在していると思えない、いわゆる承認欲求が蔓延しているSNS時代にはありがちというか、遅すぎた発想だし、そのような理屈が先にあったと知っていたら初めから聴かなかったかもしれない作品なんだけれど、そうとは知らずに聴いていた僕は、この作品が非常に面白く聞こえ、ミュジーク・コンクレートの傑作とされるリュック・フェラーリの『Presque Rien』をポップにしたような印象まで受けてしまった。そして、これが調べてみたらゴッドスピード・ユー・ブラック・エンペラー!のレーベルからリリースされていたのである。先入観のない音楽体験ほど人を驚かせてくれるものもない。あれよあれよという間に僕はジョニー・ヴォイドの過去音源にも手を伸ばしてしまった。

 ジョニー_リッパーの名義で2010年から5枚のアルバムをリリースしてきたジャン・クザンが2017年から使い始めたミュジーク・コンクレート用の名義がジョニー・ヴォイドのようである。生まれはフランスで、14歳から独学で音楽を学び、2012年からはゴッドスピードユー~やティム・ヘッカーが拠点としていたカナダのケベックへ移住、ジョニー_リッパー名義では主にサウンドクラウドやバンドキャンプで作品を発表してきたものが名義を変えてからは〈コンステレーション〉とタッグを組んだという流れになっている。ケベックに豊穣なDIYシーンがあったことが彼をベッドルームから外へと誘い出し、パフォーマーとしての成長を促した上にオーガナイザーとしての活動にも発展していったという。フランスにいた頃は『アメリ』のヤン・ティルセンやフィリップ・グラスの映画音楽に影響を受け、サンプリング・ミュージックとしてのボーズ・オブ・カナダベリアルに多くを学んだとも。そして、彼にとっての最大のヒーローはなんとBBCレディオフォニック・ワークショップに在籍していたデリア・ダービシャー(後にホワイト・ノイズ)で、細かく切り刻んだサンプリングや偶然性といった方法論はさほど珍しいものではなくなったと思うものの、音楽を演奏せず、徹底的にテープ編集にこだわるのは彼女の方法論に追従したいがためのよう。またミュジーク・コンクレートにポップな要素を持ち込むのも『ドクター・フー』のサウンドトラックを手がけていたダービシャーの影響といえるらしい。

 2017年の『セルフレス』はややとっちらかった印象が強かったものの、その後の失意を背景にしてつくられたという『ミザナビーム』は縦横なイメージの広がりがあるにもかかわらず、全体のまとまりはよく、上に書いたようにボーズ・オブ・カナダやベリアルをミュジーク・コンクレートの文脈で受け継ぐものと考えていいと思う(『IDMディフィニティヴ』に2019年のページがあったら、完全にこれが大枠ですね)。オープニングは混沌としたフィールド・レコーディング(?)。続く“Dysfunctional Helper”から前半はメランコリックなコンポジションが並び、彼がタイム・トラヴェル実験と呼ぶ時間感覚の遡行が柔らかな感触とともに意識の反芻を織りなしてゆく。とくに“Lov-Ender (with YlangYlang)”というシャレたタイトルの曲はストレートにベリアルを思わせるところがあり、しかも、闇の中からベリアルを引っ張り出そうとする衝動も併せ持つ重層性が素晴らしい。似たような曲を畳み掛けているようでいて、周到に回避されている回帰性と微妙にずれてゆく感傷性やリズムは確かにモチーフの入れ子構造をなしており、パズルを解き明かすように耳を傾けたくなってしまうことは確か。話し中の電話音やファックスの送信音などで構成された“No Reply (Interruption)”を挟んで、後半は徐々に躍動感に満ちていく。アシッド・ハウスが床を踏み外したような“Safe House”、コーネリアスの悪ふざけを思わせる“Cinetrauma”、後半のハイライトといえる“Voix Sans Issue”では「音声なし問題」というタイトルとは裏腹にヴォイス・サンプルだけで複雑に絡み合うドローンをつくり上げているように聞こえるのだけれど……。最後の2曲はジョニー_リッパー時代の作風に戻り、それまでとは打って変わってアグレッシヴで重厚な曲調で締めくくられる。実験的な音楽であることをすっかり忘れてしまうほどイメージの展開が豊かで、見事な力作である。マーク・フィッシャーには悪いけれど、時代は前に進んでいる。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972