「Nothing」と一致するもの

Amyl and The Sniffers - ele-king

 これはかっこいいぞ。メルボルンのパンク・バンド、アミル・アンド・ザ・スニッファーズがセカンド・アルバム『Comfort to Me』を〈Rough Trade〉から9月10日にリリースする。
 スリーフォード・モッズの新作を聴いていたひとは、“Nudge It” でヴォーカルのエイミー・テイラーがフィーチャーされていたことを覚えているだろう。「資本 資本/私はただの動物」(“Capital”)、「知性があることを証明してよ」(“Don’t Fence Me In”)、「夜が訪れたら このナイフの出番/ちゃんと家に帰り着くために」(“Knifey”)と、ストレートなパンク・サウンドに載せて歌われるリリックはとても喚起力豊かでメッセージ性も高い。墓場で踊る “Security” に車で叫ぶ “Guided By Angles” と、MVもクールなのでぜひチェックを。

Amyl and The Sniffers
電光石火の稲妻パンクス凱旋!
最新作『Comfort to Me』9月10日発売!
早くも2ndシングル「Security」をビデオと共に公開!!!

ストレートでピュアなパンク・サウンドを継承し、フー・ファイターズ、ウィーザー、キング・ギザード・アンド・リザード・ウィザード、スリーフォード・モッズをも虜にしたオージー・パンクスの星、アミル・アンド・ザ・スニッファーズ。先日セカンド・アルバム『Comfort to Me』を9月10日にリリースする事を発表した。アルバムの発売と同時に公開された「Guided By Angles」は既に各所で絶賛される中、早くも2ndシングル「Security」をビデオと共に公開!中毒性のあるフックと、フロントウーマンのエイミーの気迫のこもったボーカルが印象的な1曲!

Security
https://www.youtube.com/watch?v=j5DZA2NLYis

Guided By Angles
https://www.youtube.com/watch?v=Z--D1flPLnk

2020年末にバンドはプロデューサーのダン・ラスコム(ドローンズ/コートニー・バーネット)とスタジオに入り、最新作『Comfort To Me』のレコーディングを行った。アルバムの歌詞は、ボーカルのエイミー・テイラーが影響を受けたラップのヒーローや無数のガレージバンドが由来となっており、ニック・ローネイ(ニック・ケイヴ、アイドルズ、ヤー・ヤー・ヤーズ)がミックスを手掛け、バーニー・グランドマン(マイケル・ジャクソン、プリンス、ドクター・ドレー)がマスタリングを手掛けた。

アミル・アンド・ザ・スニッファーズ待望の最新作『Comfort to Me』は9月10日に世界同時リリース。ボーナス・トラック「Crave」を追加収録し、歌詞対訳・解説が付属する国内盤CDに加え、輸入盤CD/LP、デジタルと各種フォーマットで発売される。輸入盤LPは通常盤のブラック・ヴァイナルと限定盤のローマー・レッド・ヴァイナルの2種類が発売される。

先日公開されたシングル「Guided By Angles」へのメディアからのコメント:

「Guided By Angles」は中毒性の高い傑作 ──THE FADER
大きなリフと雷鳴のようなドラムの上でエイミー・テイラーがカタルシスのある聖歌のようなヴォーカルを朗々と歌い上げる独特のポストパンク・エッジを持つトラック ──The Rolling Stone
ライオット・ガールの名曲を思い起こさせる盛り上がった曲だ ──Consequence of Sound
信じられないほどのスリルがある。リード・シンガーのエイミー・テイラーの無限のカリスマ性を表現した公式MVはさらに素晴らしい ──PAPER
ヴォーカルのテイラーは、宇宙の構造そのものを探究している。それは、この世とその先にあるものをつなぐエネルギーであり、私たちを仲間と一緒に団結させるものだ ──PASTE


Amyl and The Sniffers
アミル・アンド・ザ・スニッファーズは、エイミー・テイラー(vo)、ガス・ローマー(b)、ブライス・ウィルソン(ds)、デクラン・マーチンス(g)の4人組バンド。2016年にオーストラリアのメルボルンでバンドを結成した。オーストラリア、ロンドン、北米でも複数のライブがソールドアウトさせ、英国の有名音楽誌Q Magazineが主催するQAwardsの新人賞にもノミネートされた。2019年5月に〈Rough Trade Records〉からデビュー・アルバムを『Amyl and The Sniffers』リリースし全世界から注目を浴びた

label: BEAT RECORDS / ROUGH TRADE
artist: Amyl and The Sniffers
title: Comfort to Me
release date: 2021/09/10 FRI ON SALE


国内盤CD
国内盤特典:ボーナス・トラック追加収録/解説書・歌詞対訳封入
RT0250CDJP 2,200円+税
BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11967

・日本盤CD(解説・歌詞対訳付/ボーナストラック追加収録)
RT0250CDJP / 4580211855225 / 2200円+税
https://tower.jp/item/5223953

・輸入盤CD
RT0250CD / 191402025026 / OPEN
https://tower.jp/item/5223950


・輸入盤LP
RT0250LP / 191402025019 / OPEN
https://tower.jp/item/5223951


・限定輸入盤LP(ローマレッド・ヴァイナル仕様 / Indie Exclusive)
RT0250LPE/ 191402025002 / OPEN
https://tower.jp/item/5223952

Interstate - ele-king

 いまの、アンダーグラウンドなハウス・シーンの盛り上がりを語るうえで、〈Shall Not Fade〉に言及しないわけにはいかない。サウンドパトロールでも紹介したが、これほど継続的なリリースをこなしながら、一定のクオリティを保つレーベルはそうそう見当たらないだろう。バルトラや DJ ÆDIDIAS のように、インターネットから勃興したハウス勢にクリエイティヴィティを発揮する場を与え、あるいはフランケル&ハーパーやラグジュアリーのようなアップカミングな才能を紹介し、そしてシンシーやシャドウ・チャイルドのように既にキャリアを築いているDJたちの作品もリリースする。いやはや、これはもう隙が見当たらない。
 
 そんな粒ぞろいのレーベルのなかでひときわ才能を輝かせていると感じるのが、ドイツのDJ、プロデューサーのインターステートである。彼を紹介するテキストは日本語はおろか英語でも見つからなかったので、彼について知るべくインスタグラムを拝見したところ、そこには「プロのマインクラフト・プレイヤー」、そして蛇足かのごとく「インターステートとして音楽も作っているよ」とあった。ポストにはスケートボードかヴァイナルの話題しかない。この良い意味で適当かつ不真面目な感じ、というよりもカジュアルな雰囲気はなんだか共感してしまう。彼は新世代のハウス・プロデューサーなのだ。さっそく紹介しよう。

 もともとはDJスワッガー名義でモダンなUKガラージ・トラックをいくつかリリースしていたが、対して今回のインターステート名義による『Dominion Swing』は、ディープ・ハウス、あるいはローファイ・ハウスに仕上がっており、UKガラージめいたベースラインやファンキーなメロディ、そしてときおり挟まれるアンビエント・トラックなど折衷的な部分はありつつも、彼の作品においては、かつてないほどにストレートな4つ打ちのハウスを感じる作品になっている。
 
 アルバムのアートワークに注目してみてほしい、いわゆる「ニュートンのゆりかご」を模したものに見えるが、この玉どうしがカチカチと音をたて衝突を繰り返しながら躍動するさまは、そのまま今作のムードに通ずるように思える。オープナーの “Doublet Doureet” の小気味よいベースライン、あるいは “Two To Get Ready” のパーカッシヴなビートに耳をそばたてると、えんえんとぶつかり合い反復する玉どうしの光景をはっと想起させられるのは僕だけだろうか。まさに繰り返すのみの「ニュートンのゆりかご」を、意味なくぼうっと見つめてしまうかのように、僕はこのハウス・アルバムの音に気づいたら没入してしまう。そしてこれを反復的なビートという視点から見たとき、今作におけるベストは “Appliance” ではないだろうか。僕の鼓動と同期するかのような繰り返しのリズムには、踊らせる要素があり、同時にスピーカーをまえにして黙って聴き込みたくなるようなデリケートな側面もある、素晴らしいディープ・ハウスに仕上がっている。

 ちなみにヴァイナルでは2枚組で、各盤の最後には、A面に “Habitat”、B面に “Misty”、C面に “Bubblebath”、D面に “Yosemite” が配置されている。インターステートは、どんなに素晴らしいハウス・ミュージックとて、それがフルレングスだと集中力が維持し難いことをよく知っているようだ。それぞれ盤の最後にアンビエント、ダウンテンポ、あるいはインタールードがあることによって、僕らがときおり休憩をはさみながら、この細部までこだわられた上質なハウス・ミュージックを、思いゆくまで堪能できるよう配慮している。

 ハウスにおける反復という作法を踏襲しながら、ここまで飽きさせず最後まで聴かせるLPを作ったのは脱帽もの。それもこのLPはヴェテランによるものではなく、まだまだフレッシュな若い才能によって提供されているのだ。このサウンドを聴いていると、受け皿となっている〈Shall Not Fade〉の審美眼が間違いないことがよくわかり、同時に、このレーベルを基点とした若い世代におけるハウス、あるいはディープ・ハウスの活況も感じられる。僕はこのスケートボードとヴァイナルを愛する青年から放たれる、カチカチと衝突を繰り返すかのような反復的なハウス・ミュージックに、不思議な没入と共感を感じてしまうのだ。

Drug Store Romeos - ele-king

 いまのロンドン・シーンのバンドと言われてドラッグ・ストア・ロメオズのようなバンドを想像する人はおそらくほとんどいないだろう。みなが想像して思い浮かべるのはジャキジャキのギターに喋るようなヴォーカル、それにときたまサックスが入ってきて心をかき乱すような焦燥感のあるようなバンドが大半なはずだ(それはシェイムだったりブラック・カントリー・ニューロードだったりブラック・ミディだったりスクイッドだったりする)。共通した音楽性がないのがシーンの特徴だ、そんな言葉も初期には聞こえてきたが、いまではほとんどのバンドが乱雑に「ポストパンク」という言葉でくくられている(それに少しウンザリしている人もいるかもしれない)。

 だがドラッグ・ストア・ロメオズはそうではない。ドラッグ・ストア・ロメオズの音楽は夢の世界からやってきたかのようなドリーム・ポップだ。それはブロードキャストをよりサイケデリックにドリーミーにしたようでもあって、ヴォーカルのサラ・ダウニーの揺れ動くささやき声は、頭の中に映像(それは記憶のタイムラインとでも呼びたくなるような連続したものだ)を浮かばせながら進むベースとドラムに運ばれて、心を穏やかに弾ませる。そしてその上を漂うシンセサイザーの音色がこれは夢の世界と現実との間に起こっている出来事だと主張するのだ。

 アルバムの1曲目、“Building Song” は物語全体のイントロダクションとしての効果を発揮して、ベースとドラムのふたつの楽器がリラックスしたスタジオでのウォーミングアップのような雰囲気を漂わせながらゆっくりと意識をストレッチさせていく。そこにギターの音が重なり、シンセサイザーの音が加わって徐々に緊張感が高まっていき、そしてサラの歌声が入った瞬間に一気に夢の世界への扉が開く(繰り返し聞いてわかっていてもこの瞬間はゾクっとする)。続く紫の光を帯びた “Secret Plan” の進むベースがこの世界への浸透感をさらに深める。“Secret Plan” に限らずドラッグ・ストア・ロメオズはベースが柔らかく引っ張っていくような曲が多い印象だが、このベースこそがドラッグ・ストア・ロメオズが持つ心地よさ、陶酔感を作り出しているものなのではないかと思う。
 そして “Frame Of Reference” だ。この曲はアルバム以前に発表されていた4つのシングルの中で唯一アルバムに収録された曲だが、この曲に現在のドラッグ・ストア・ロメオズの魅力の全てが詰まっていると言っても過言ではないだろう。心が躍り出しそうな軽快さがあり、調子に乗った無敵の若さがあって、ドリーミーで、それと同時に少しの苦さもある。この曲がアルバムのハイライトとして存在し、そしてシューゲイズの匂いを薄く残した “Adult Glamour” で締められる。“Adult Glamour” はおそらくこのアルバムに収録された曲の中で最も古い時代に作られた曲だと思われるが(サラがベースを弾いていた時代の曲だ)、この新しいヴァージョンは感傷と余韻を持って15曲に渡るアルバムの旅路を終わらせるエンディング・テーマのように響き渡る。

 このアルバムはある種の映画のようなものなのかもしれない。小さな街の小さな映画館でかかる青春映画、ドラッグ・ストア・ロメオズのデビュー・アルバム『The World Within our Bedrooms』はその名の通り彼らが10代後半の時間を過ごしたベッドルームから生まれた。ロンドンから電車で40分ほど離れたハンプシャー州フリートという郊外の街の思い出、そこで彼らは出会いバンドを組み、後にレコードの溝に刻まれることとなる共通の時間を過ごした。

 バンドの結成のストーリーはこうだ。15歳のときにジ・インベシルという80'sハード・コア・パンク・バンドを組んで3年ほど活動していた幼なじみのチャーリー・ヘンダーソンとジョニー・ギルバートは年上ばかりの界隈(みんな30歳は年上だった)にうんざりし、もっと自分たちの世代の音楽をやってみたいとバンドを辞め、ふたりで〈Burger Records〉のバンドに影響を受けたような曲を作りはじめた。
 一方、公開されているどのビデオを見てもわかるように、とにかく動きがキュートで魅力的なサラ・ダウニーは大学に入学した18歳のときにそろそろ自分はバンドに入るべきだと思い立ち、メンバー募集がされているインターネット上の掲示板を眺めはじめた。そして Facebook で同じ大学に通う人たちがベースを募集しているのを発見した。これこそ自分の求めていたこと、そう思ったサラは即座にメッセージを送り、その翌週にロンドンの楽器屋でベースを買った(ベースが弾けないなんていうのはまったく問題になるとは思わなかった)。会って話をしてみると全員が徒歩5分以内の範囲に住んでいることがわかり、それからお互いの部屋を行き来してのサラのベース特訓がおこなわれた(こんなに近くに住んでいるのにインターネットを通してバンドを組んだという現代的なアクセントがこのストーリーに深みを与える)。サラの古い友達の提案を受け入れてテネシー・ウィリアムズの戯曲「欲望という名の電車」から名前をとったバンド、ドラッグ・ストア・ロメオズの物語はこうしてはじまる。

「ドラッグ・ストア・ロメオズをはじめたときはほんとに楽しくて。大学の講義が終わった後にサラの家に集まって、みんなで音楽聞いて、演奏して、映画見て、料理を作ってキッチンで踊ってたんだ」

 当時のことを振り返るチャーリーのこの言葉はまさに『The World Within our Bedrooms』と名付けられたこのアルバムを現した言葉なのかもしれない。そのときから紆余曲折があり何度かのモデルチェンジを経た後にサラがキーボードの前に立って歌いはじめ、チャーリーはギターからベースに持ち替え、ジョニーがドラムを叩くという現在の布陣に落ち着いた。アルバム未収録の曲だが「サラのフェイク・オールド・ベッドルームにて」という言葉が添えられた “Jim, Let's Play” のビデオはその時代のドラッグ・ストア・ロメオズの姿をロマンティックに表現したビデオなのかもしれない(実際に10代の頃と思しきジョニーの姿がそこに映っている)。

 そしてこの物語には部屋の外の世界も登場する。燃えさかるロンドン・シーン、ドラッグ・ストア・ロメオズは郊外の街、フリートからそのシーンにアタックをかけたのだ。サウス・ロンドンのライヴハウスにたむろするポストパンク・バンドやそのファンたちにドラッグ・ストア・ロメオズが受け入れられたのは、いまのシーンはどのような音楽をやっているかではなく、どのような態度で音楽をやっているかが重要視されているからなのだろう。バラバラな服装のバラバラな人たち、近くにいる誰かみたいになろうと思う人もいればそうすることを選ばない人もいる。ドラッグ・ストア・ロメオズは独自性を保ったままロンドンのヴェニューに通い続けた。
 楽器をかついで駅へと向かう。ライヴが終わった後の深夜の電車には様々な人がいた。酔っ払ったサラリーマン、新米の兵士、郊外の親たち、フリートの自宅へと帰る電車の中での交流がまたドラッグ・ストア・ロメオズの世界をより豊かなものにしていった。夜明けを待つベッドルームにロンドンで感じた空気が運ばれて、そしてそれが夢の世界にも現れる。ドラッグ・ストア・ロメオズの音楽が小さな部屋で作られたドリーム・ポップ以上のものであるように感じられるのはきっとこれが理由なのだろう。シーンから距離を置いた独自の音楽でありながらも、その空気に触れて、そんな風にはしないことを選んだ強い選択の意志がそこにはあるのだ。

『The World Within our Bedrooms』、ドラッグ・ストア・ロメオズのこのデビュー・アルバムはフリートという郊外の街に暮していた3人の思い出の集大成であり、これから先の未来へと続くはじまりの第一歩でもある。現在は3人ともロンドンに引っ越しているようだが、今後どうなっていくのか楽しみで仕方がない(先日ブラック・カントリー・ニューロードのサポートとしてヨーロッパを回るツアーが発表された。繰り返しになるが、いまのロンドン・シーンはこんな風にジャンルを越えて繋がっていくのだ)。そんなことを考えてワクワクし、再び紫色の夢の世界に入っていく。時間が経って、変化して、後からシーンを振り返ったときに選ぶ何枚かのアルバムに、僕はきっとこのアルバムを選ぶだろう。違うからこそそうである、幸せを運ぶこの奇妙なアウトサイダーこそシーンを映す鏡になるのだ。

Jaubi - ele-king

 イギリスではいろいろな国のミュージシャンが活動するが、その中でもインド、パキスタン、バングラデシュ出身のミュージシャンが数多く見られる。もともとこの3国はイギリス領インド帝国としてイギリスの統治下にあり、現在でもその移民や子孫が多く住んでいる。ジャズの分野においても、アフリカ系やカリブ系と共にインドやパキスタンの血筋のミュージシャンは多い。もともとその血筋ではないミュージシャンにもインド音楽の影響を受ける者がいて、たとえばテンダーロニアスもそのひとり。昨年彼はレジェンドであるタビー・ヘイズ作品集の『ザ・ピッコロ』において、“ラーガ” というインド古典音楽の旋法であるラーガに取り組んだ演奏を見せた。さらに『テンダー・イン・ラホール』という作品は、パキスタン北部のパンジャーブ地方に赴いて現地のミュージシャンと共演した録音をまとめたもの。そのときに共演したのがジャウビというグループで、タブラやサーランギー(弓奏楽器の一種)などのインド古典楽器を用いてラーガを演奏していた。『テンダー・イン・ラホール』に続いてリリースされた『ラーガス・フロム・ラホール』もジャウビとの共演で(録音は2019年4月)、テンダーロニアスが単なる思いつきのアイデアでインド音楽に取り組んでいるのではなく、中長期的な視点でじっくり取り組んでいることを示している。

 『ナフス・アット・ピース』はそんなジャウビによるアルバムである。ジャウビとはパキスタンのウルドゥー語で「何でも」という意味で、語源的には生命力、命、長寿、永遠といった意味合いがある。ジャウビのメンバーはアリ・リアズ・バカール(ギター)をリーダーに、ゾハイブ・ハッサン・カーン(サーランギー)、カマール・ヴィッキー・アバス(ドラムス)、カシフ・アリ・ダーニ(タブラ、ヴォーカル)という4人で、テンダーロニアスもフルートとソプラノ・サックスで録音に参加する。レコーディングは2019年4月にパキスタンのラホール、2019年8月にノルウェーのオスロでおこなわれており、『テンダー・イン・ラホール』と『ラーガス・フロム・ラホール』に続く録音と言える。ジャウビ自体は2016年からシングルやEPなどを制作してきており、それら一連の作品を発表してきたロンドンの〈アスティグマティック〉から『ナフス・アット・ピース』もリリースされた。
 ちなみに〈アスティグマティック〉はポーランドにもブランチがあって、EABS(イーブズ)などポーランド系のアーティストの作品も多い。『ナフス・アット・ピース』にサポート・ミュージシャンとして参加するラタミックことマレック・ペンジヴャトゥルも、ポーランド出身のキーボード奏者で EABS のメンバーでもある。また “シーク・リフュージ” という曲ではオスロのザ・ヴォックス・ヒューマナ・チェンバー・クワイアという合唱団もフィーチャーされている。

 アルバム・タイトルにあるナフスとはアラビア語(パキスタンや北インド地方で話されるウルドゥー語の源流にはアラビア語があり、同じイスラム教の文化を有する)で自己や自我を指し、神の手によって訪れた平和の中で自我が解放・浄化されるというような意味合いとなる。ジャウビのデビュー作の『ザ・ディコンストラクティッド・エゴ』はJ・ディラのカヴァーなどヒップホップと北インドの音楽を融合したものだったが、やはり自我をテーマとしていて、『ナフス・アット・ピース』の前にリリースされたシングルで、ガスランプ・キラーなどをリミキサーに迎えた “サタニック・ナフス” など、ジャウビは一貫して自我や精神の在り方を説く作品をリリースしていて、そこにはイスラム教の宗教観が強く関与しているのだろう。また、パキスタンにおけるアフガニスタン難民を描いたと思われる “シーク・リフュージ(避難所を探し求めて)” など、政情不安からくる北インドやイスラムの社会情勢なども作品の中には盛り込まれる。アルバム・ジャケットのヒジャブ(ベール)を被った女性はアリ・リアズ・バカールの母親で、神への祈りを捧げているところだ。

 美しいギターとサーランギーの旋律に神聖なコーラスがフィーチャーされる “シーク・リフュージ” は、まさに祈りの音楽ということばがふさわしいだろう。“インシア” はエキゾティクなメロディーを持ち、北インド地方固有の音楽をジャズやジャズ・ファンクで解釈した作品。ジャウビのメンバーの演奏とテンダーロニアスのフルート、ラタミックのキーボードも有機的に結びつき、全体的に非常に奥行きと陰影に富んだ演奏となっている。“ラーガ・グルジ・トディ” はサーランギーによるラーガ演奏をもとに、途中からダイナミックなジャズ・ファンク、ジャズ・ロックへと変化していく。途中のドラム・ソロも迫力に富み、ジャウビの音楽のダークで重厚な側面が表われた楽曲だ。“ストレイト・パス” はタブラとサーランギーのコンビネーションが北インド音楽特有のもので、そこにテンダーロニアスのフルートが加わってスピリチュアルなムードを醸し出していく。
 ラタミック作曲による “モストリー” はヒップホップ的なビート・パターンを持つジャズ・ファンクで、テンダーロニアス周辺でいくとモー・カラーズやアル・ドブソン・ジュニアなどに近いタイプの楽曲。北インドの音楽は独特の哀愁に包まれた曲が多いが、“ザーリ” もそうしたムードに包まれる。エレクトリック・ヴァイオリンのようなサーランギーの音色が印象的だ。“ナフス・アット・ピース” は往年のマハヴィシュヌ・オーケストラ的であり、ゾハイブ・ハッサン・カーンのサーランギーはジャン・リュック・ポンティのヴァイオリンのような役割である。テンダーロニアスのソプラノ・サックスも鬼気迫る演奏で、彼のジャズ・ミュージシャンとしての力量を再確認させるプレイだ。全体を通して『ナフス・アット・ピース』は、北インドの音楽と結びついた独自の個性を持つスピリチュアル・ジャズ・アルバムと言えるだろう。

Loscil - ele-king

 アンビエント・ミュージックには癒しの効果があるのはたしかだが、このジャンルには思考をうながす効果をはらんでいる作品もある。「この音楽体験はいったい何なんだろう」というわけだ。ロスシル名義で知られるカナダの「音響彫刻家」スコット・モーガンの新譜は、そのふたつを同時に作動させている。まずひとつの楽曲がある。それをひとつのビッグバンとして、いくつもの宇宙が生成される。モーガンはまずブタペストの22人による弦楽オーケストラに演奏を依頼し、それを3分の曲として7インチのヴァイナルにカットした。その曲はおそらくまずサンプリングされ、10通りの加工を施され、その結果、時間も趣も違う計70分にもおよぶ10曲が生まれた。どのような方法で加工したのかはぼくは知らない。とにかくそれが今回のアルバムとなった。モーガンはその作品に『クララ(Clara)』、ラテン語で「明るさ」を意味する言葉を冠している。「これはいったい何なんだろう」
 その作風はブライアン・イーノによるかの有名な「アンビエント・シリーズ」に近いかもしれない。優雅で、ときに天使のようなサウンドが湧き上がり、ときにパーカッシヴな要素が微妙に絡み合っている。再生する音量や再生の仕方(スピーカー、ないしはヘッドフォン)によっても聴こえ方が変わってくるだろう。アンビエント・ミュージックのコンセプトを復習するにももってこいだ。

 アルバムは闇にはじまる。あるいは、暗い宇宙空間を漂泊しているのかもしれない。まあとにかく、そんな感じなのだ。モーガンは長年、リスナーからのフィードバックで「あんたの音楽からは闇を感じる」という感想と、もうひとつ「あんたの音楽は瞑想的で落ち着きがある」というふたつの感想を聞かされてきたという。本作を作るにあたって彼は、自分の作品におけるそうした二面性を意識した。そこは闇かもしれないが、しかしそれは絶望ではない、瞑想の暗喩なのだ。
 ブタペストのオーケストラを使った理由に、文化的な意味はない。インターネットでいろいろ検索した結果、制作予算内で雇えたのがたまたま彼らだった。打ち合わせもネットを通じておこなわれ、録音データもまたネットで受け取った。アルバム中、オーケストラの生演奏がそのまま使用されている箇所はごくわずかかもしれないが、この作品の温かみが弦楽器から来ていることは間違いない。曲が進むにつれて、じょじょに平穏な気配が広がっていくのだけれど、それはたとえば、ゆっくり時間をかけて変化する空を眺めているかのようでもある。とくにアルバムの後半にかけて控え目に感じられる平穏な感覚は、じつに素晴らしい。
 これはアンビエント・ミュージックだ。リスナーが何かをするときの邪魔にならない音楽であり、無視することもできる音楽。仕事をしながら聴くこともできるが、音の世界に没入することもできる。ちなみにモーガンは1998年から作品を発表し続けているベテランで、今作が13枚目、メインストリームではないが世界中に熱心なファンを持っている。カナダのブリティッシュ・コロンビア州の南海岸という豊かな自然と隣接した場所で音楽を制作しているというが、じっさい彼は「自然の劣化(気候変動)」をテーマにしたアルバム(2016年の『Monument Builders』)、雲の細部を描写した写真を掲載したアルバム(2019年の『Equivalents』)など、たびたび自然をモチーフにしている、そんななかでも本作はより抽象性の高い、広漠とした宇宙を思わせる音楽が鳴っている。モーガン自身が自分の音楽はモノクロームだと言っているように、カラフルなサウンドとは言い難い。が、しかしそれはたぶん「明るい」のだ。
  

映画:フィッシュマンズ - ele-king

ジェイムズ・ハッドフィールド(江口理恵・訳)

 『映画:フィッシュマンズ』の終盤で、こだま和文は故・佐藤伸治が残した、この映画を一刀両断する批評のような気のきいたしゃれを思い出す。「お腹いっぱいって嫌だね」
 フィッシュマンズの進化は、より少ないことから多くを成し遂げる方法を探る、着実な蒸留のプロセスにあったといえる。佐藤が歌詞を極限のむき出しの状態にまで削ぎ落す一方、グループの音楽は、メンバーが縮小されるほど、可能性の広がりを見せた。監督の手嶋悠貴はそれに倣うことなく、小野島大の巨大な便覧のような『フィッシュマンズ全書』に近い、膨大な全能のデータを書き出すような映画を生み出した。3時間近くにおよぶこの作品は、ハードコアなファンが待ち望んだ、DVD『男達の別れ98.12.28@赤坂BLITZ』や『記憶の増大』を補完するような、徹底したオーラル・ヒストリー(口述歴史)である。それほど熱心ではないファンには、長い苦行のように感じるかもしれないが、そもそも彼らが3時間のドキュメンタリーをわざわざ観るとも思えない。
 映画の大部分が年代順の形をとっており、大学時代から1999年の佐藤の早すぎる死まで、バンドの歴史を丁寧に追い、最後に佐藤のいないフィッシュマンズの控えめな継続活動を描くコーダで終わる。手嶋は大量のVHSテープのアーカイヴを使用して、メルボルン(デビュー・アルバム『Chappie, Don’t Cry』のレコーディングを行った)での観客の少ないライヴから、1998年12月28日のライブの最終曲まで、バンドの軌跡の様々な場面での親密な姿を垣間見せている。
 しかし、この映画の真骨頂は、生き残ったメンバーやプロデューサーのZAKを含む重要人物たち、マネージャーの植田亜希子、音楽ライターの川崎大介、(さらに、UA、ハナレグミ、YO-KINGなど、定番の有名人の知人たちも登場)などのインタヴューの数々だ。映画の最初では茂木欣一が佐藤との出会いの場である大学のキャンパスの音楽室を再訪し、最後のほうでは日比谷野外音楽堂も訪れる。続く柏原譲が奥多摩の川辺の通路で話すシーンは、『LONG SEASON』 のジャケット写真が撮影された場所で、2019年の台風19号ハギビスで崩壊してしまったところでもあり、非常に痛切に心に迫ってくる。このシーンは、映画の、微かにへこんだような空気感を捉えている。手嶋は祝祭に乗り出すつもりだったのかもしれないが、ときにレクイエム(鎮魂歌)のようにも感じられる。

 『映画:フィッシュマンズ』はバンド内の力学を上手に捉えており、ときに記録を正そうと意識的に努力しているようにもうかがえる。ギタリストの小嶋謙介とキーボーディストのHAKASE-SUNが辞めることになった経緯やフィッシュマンズがポリドールとの契約によって──もっとも永続的な音楽を残した結果があるにもかかわらず──事実上、破滅してしまったことなどについて、深く、ときにどうでもよいディテールに延々と入り込む。佐藤が投影していた、自由奔放な性格というペルソナを考えると、フィッシュマンズのキャリアの初期に、最初の大ヒットを出すためにやるべきことの詳細なリストを記した手書きの日記を見るのは興味深い。ポリドールが彼らを次のスピッツにしたがっていたと、いま驚くのは容易だが、フィッシュマンズ自身がそのわずか数年前に、同じようなメインストリームの観客を獲得しようと試みていたのだ。
 佐藤のダークサイドについても示唆されてはいるのだが、彼を悲運の人物に見せようとはしていない。しかし、手嶋は、ミュージシャン佐藤の最後の1年が肉体的かつ精神的にも脆い状態になっていたことについて、真剣に議論する機会を逃してしまったのかもしれない。植田が、『男達の別れ』ツアーの頃には、佐藤がいかに疲労困憊し、酸素吸入をしなければならなかったことを明かしており、彼を助けるためにもう少し何かができたのではないかと思わずにはいられないのだ。

 本作で明らかになったことの多くは、熱心なファンにとっても新鮮なものだろう。手嶋は、フィッシュマンズを故人のフロントマンと同一視してしまう一般的な傾向を正してくれたことでも評価できる。エンドクレジットで流れる再結成されたフィッシュマンズの演奏に合わせて流れる佐藤の声のように、佐藤自身は映画のなかの、どこにでもいて、どこにもいない。『Orange』のロンドンでのレコーディング中、カフェテラスでのんびりとギターを弾いているような、もっともくつろいだ瞬間にも、その何気ない物腰とは対照的に強烈な存在感を放っている。(映画に出てくるインタヴュイーのなかでもっとも辛辣なHAKASEは、実際の佐藤は、ナイーヴなファンが想像したがるような、天真爛漫な楽天家のイメージとはかけ離れていたと語っている)

 正直なところ、私は『映画:フィッシュマンズ』が彼らの音楽の手法や完璧なダブ・ホップ・コンボがいかにして世田谷三部作のような崇高な高みに到達したのかについて、もう少し洞察を与えてくれるのではないかと期待していた。映画に収められているライヴの記録映像は、ほとんどがかなりお粗末なクオリティで、カムコーダーで撮影されたギグのヴィデオやスーパー8の映像、写真などのモンタージュの音楽の断片には度々アルバムからの音源が当てられている。ようやく曲の完全なパフォーマンスを見ることができるのは、映画の最後の1時間になってからで、1998年12月に赤坂ブリッツで行われたコンサートのローファイなヴィデオが登場する。この映像は露出度が高すぎてハレーションを起こしている状態で、彼らのキャリアのなかでもっとも多く記録されているライヴの映像にしてはあまり貢献していない。それよりも佐藤の自虐的なMCのクリップの方が、はっきり言って輝いている。

 映画のクラウドファンディングのキャンペーンで手嶋は、日本の自主製作による音楽ドキュメンタリーは、音源や記録映像のライセンスを取得するための莫大な費用にぶち壊されることが多いと説明した。同情を禁じ得ないが、そのような制約があるからこそ編集により有効な厳格さが求められ、本作でもインタヴューと音楽そのものの満足できるバランスが保たれるべきだった。もしも『映画:フィッシュマンズ』の意図が鑑賞者にオリジナル・アルバムへの回帰を促すことだとしたら、文句なしの成功といえるだろう。しかし、単独の映画としては過ぎたるは及ばざるがごとしであるがゆえに物足りなさも残る。

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水越真紀

 フィッシュマンズのバイオグラフィーであり、佐藤伸治のそれでもあるこの映画は、基本的には若い頃から順に話が進む。けれども人間の記憶はもちろんそんなふうには収まっていない。残されているものは偏在しているし、改変されているところもある。因果関係が逆になっていることだってあるかもしれない。それを「物語」と呼ぶ人もいるが、そのような、不正確とも言える「記憶」そのものがその人であることの証でもある。そして実はどの「記憶」も、例えば佐藤伸治が亡くなってからの22年がその人に及ぼした変化とともに考えれば、ちっとも不正確なんかではないことも明らかだ。映画には、「今思い出しながら、考えながら話をしている人」がいて、純粋に過去に撮られた映像がある。それだけですでにふたつの「時間」があるわけで、さらにそれが前後行き来したり重なったりしながらいくつもの「時間」が行き交う。それがフィッシュマンズの音楽にとても合っていて楽しい。
 そういえば、佐藤伸治はフィッシュマンズを結成する前に「時間」という名前のバンドを組んでいた。25年前に雑誌の『ele-king』でインタヴューしたときに、そのバンド名の意味を訊ねると「いやー、ライヴのとき、「時間です」ってステージに出ていって、最後に「時間でしたー」って終わるのが面白いかと思って」なんて言っていた。例によってちょっとニヤニヤした感じで……。本当はもっと深い意味があったのか、それともただ冗談を言いたくて思いついた名前だったのかはわからなかった。あの頃、音楽ライターにとって、佐藤伸治のインタヴューというのは恐ろしい仕事だった。少なくとも私は怖かった。事務所のスタッフには「こないだは取材中に消えました」なんておどかされるほどで、とにかく話が短い。こちらから見ればシャイなのか、いたずらっけなのか、わざとなのか性格なのかわからないけれど、なんだかニヤニヤしながらこちらを見透かしたように笑ってるようでもあり、それこそ何も聞けないまま「時間でしたー」ってことになるのがオチだった。
 この映画はそんな佐藤伸治の「時間」の映画だと、2度目に観たときになんとなくわかった気になった。「時間」というバンド名は冗談を言うためではなく、佐藤伸治が生涯、抱えていたテーマだったのではないかと。この映画を観ていてわかったような気がしている。

 『映画:フィッシュマンズ』を観ていて感じるのは、「時間」というものは直線的に流れるものではないということだ。まさに、『LONG SEASON』完成後のインタヴューかなにかで、佐藤伸治がそんな話をしているシーンがある。〈普通に生きてる時間の流れじゃない時間がこの曲の随所にある。「今日が来て明日が来て」という日常で過ぎる時間だけじゃない、頭のなかにある時間もある〉というような短いシーンだ。フィッシュマンズの歌といえば、なんでもない日常の刹那の輝きやその景色を描いたものだとよく言われていた。冷戦が終わった後のあの頃は、いわゆる大きな物語が廃れ、文学でも音楽でもミニマリズムが主流になっていく時期で、佐藤伸治の作る歌詞はその時代の気分のなかでも、きわめて優れた表現だったように思う。けれども佐藤伸治のなかでは少し違っていたのだ。違うと言うより、単に刹那だの日常ということではなく、もっと悠久で、もっと広角で見た「時間」なるものを見つめていたのだと、私は22年後のこの映画に教えてもらった。
 アリストテレスが言ったように、「時間」とは変化のことだ。変化のないところに「時間」は流れない。逆に言えば、変化がある限り、「時間」は逆方向にだって流れることもある。「歴史にイフはない」とは厳密には間違ったことかもしれないのだ。とにかく「時間」はもっと複雑に存在しているし、とくに人の頭の中にある「時間」の多様さや繊細さはどれほどの想像力をつかえば感じることができるか、あるいは写しとることができるのか、ぞくぞくするようなテーマではないか。そのようなものを、佐藤伸治は『空中キャンプ』の次に作った35分に及ぶ大作「LONG SEASON」で、今度は言葉から音に比重を移して表現しようとしていたのだろうか。この曲では幻想的に重層的に、多層な流れで景色が移り、時間が移るように、この映画でもそのようなことが起きていくことに気づく。『映画:フィッシュマンズ』で時間が入り乱れるように構成されているのは、まさに佐藤伸治の世界観そのものなのではないだろうか。とくに後半、『宇宙 日本 世田谷』から“ゆらめきIN THE AIR”に至る混乱の時期、現在に語るメンバーたちの表情、ライヴや歪んだ映像のMV、ライヴで演奏されるデビュー曲、あの寒い寒い雨の日の音楽葬……フィッシュマンズに流れていた当たり前の日常が少しずつ軋み始める時期だ。20年以上経ったからと言って、この頃のことを、落ち着いて話せる当事者たちがいるだろうか。答えは否だ。誰にも「整理」などできていない。当時のフィッシュマンズにおとずれた危機はあまりにも大きくて、とくに茂木欣一の告白には胸がつまる。その、「いま現在」の感情や思いと当時の映像のつぎはぎが、前半のバイオグラフィー的な編集とは打って変わったカオスになる。それは図らずも、“LONG SEASON”のライヴで体験したような、景色がぐるぐると歪んでいくような混乱を思わせる。もちろん体験としては天と地のように違っているはずだが、無造作に、ファンノートのように継ぎ接いでいるようでいて、前半から中盤、そして語り手たちの当時とこの22年と現在の異なる混乱や思いを伝える後半への流れは緻密に計算されているのかもしれない。

 増補版が発売されたばかりの『佐藤伸治詩集ロングシーズン』のたまたま手に触れたページを開くと、たいがいの割合で、佐藤伸治は「時間」を意識して曲を作っていたんだなと気づく。「パラダイス パラダイス 時の流れに押しつぶされて」「明日はどうでもよかった 今は笑ってた」「風が吹けば未来が笑う」「20年前に見てたような何もない世界が見えた」「楽しかった時が終わって 気づいてみたら寂しい人だった」「終わらない夜にReady Go」「そんな眼差しが時を止めてくれる」……。ほんとに無造作に開いたページで待っている佐藤くんの「時間」。そういうなかでも私が昔からいちばん印象深かったのは“Go Go Round This World!”の「いったいいくつの時を過ごしてきたの 60年70年80年前の感じ 本当に確かだったのはいったいなんでしょうねえ」というところ。こうやって見える景色、この「感じ」に、大雑把な言い方だが、ものすごくたくさんの人が共感している。これは「伝わる」感覚なのだ。これが「伝わる」という人間同士の不思議にふるえてしまう。
 22年前、佐藤伸治がいなくなったとき、この映画に出てくる身近な人たちばかりでなく、フィッシュマンズとの時間が止まることになったファンは少なくないと思う。例えば私はこの間、何度かライヴを見たり、出版物に関わったりもしてきたにもかからず、私の「フィッシュマンズ時間」は失われたままだったかもしれないといま思っている。2019年のライヴで少しの変化が実はあったが、それでもこの映画を観たことで、私の「フィッシュマンズ時間」はようやく動きはじめた。それには、この時期というものもあったように思う。コロナ自粛で、もっと大きな時間がすっかり止まってしまう感覚を覚えていたということと関係があるのではないかと。きっとそうだ。この映画がコロナ自粛の最中に完成したことは偶然ではないように思われる。去年、何度も感じていたことは「あれからまだ1年も経っていないのか」ということだった。中年になって以降、こんな感覚は初めてのことだった。歳をとって思うのは「あれは昨日のことのようだ」である。とにかく時間は加速度つけて過ぎてゆくようになる。しかしコロナ自粛ですべてが止まってしばらく経つと「あれはもっとずっと前のことのようだ」と変わった。つまり「時間」が止まりつつあったのだ。
 佐藤伸治はこんな「時間」のことを考えていたんだろうなと思う。これはひとつの発見だ。ファンじゃなければ楽しめない映画かと言われれば、半分くらいはそうかもしれない。でも、才能豊かで音楽が好きで好きでたまらない男の子が音楽を抱きしめて、抱きしめられ過ぎてゆく架空のドラマとして観ることはできると、私には言える。私なら観られる。その物語もまた、映画を貫く「時間」のひとつだ。

 ところで私はとても幸いなことに、この映画を二度観ることができた。ぜひもう一度は観るつもりだけれど、一度目はZAKのマスタリングの前の段階の版で、二度目は後のものだった。耳に自信があるわけではないが、音の違いが映画そのものを変えていることに驚いた。圧倒的なのだ。ZAKなし版でも「ずっと前」が聴こえた時に、バンドの音が変わった!ことは十分に伝わってきていたが、ZAKの手が入った後のバージョンではそういうのとは違う作用が起きていた。どういうことかといえば、音が良すぎて、古い映像の前半部分ではどこか違和感のようなものがあるのだ。違和感というとネガティヴに聞こえるかもしれないが、それが物語の枠としてとても面白い効果を持っている。フィクショナルな雰囲気というか、わざと気づかないくらい、音と映像のフォーカスがずらされているような、あるいは音に反応するフィルターがかかっているような。それが後半になって、そう“ずっと前”から後の世界では、その音と映像がピッタリと合焦してくるように聴こえる。前述した後半に起き始めるカオスとその合焦した世界に息を呑む。できれば音の良い環境で観られることを勧めます。

Jun Togawa - ele-king

 1981年に歌謡テクノユニット“ゲルニカ”に参加して本格的な音楽活動を開始した戸川純。そこから今年で40周年となるのを記念し、アルファ/YENレーベル時代にリリースしたソロデビューアルバム『玉姫様』(1984年)と、ライヴアルバム『裏玉姫』(1984年)が、カラーヴァイナル仕様のLP盤で再発売されることが決定した。『裏玉姫』は当初カセットテープだけで発売されたもので、今回が初のLP化。濃厚な個性と多彩な活動で80年代を牽引し、現在も後進の女性ロックアーティストに多大な影響を与え続けている彼女の足跡を振り返る重要な機会となりそうだ。

〈シンガーソングアクトレス 40周年記念 『玉姫様』『裏玉姫』VINYL REISSUE〉
2021.9.29 IN STORE
完全生産限定盤
各定価:¥4,070(税抜価格¥3,700)
発売元:ソニー・ミュージックダイレクト


戸川 純/玉姫様
30cm 33 1/3rpm Vinyl: MHJL-198
Original release: 1984/1/25
●完全生産限定盤
●2021年ニューカッティング
●クリアレッドヴァイナル(透明赤)仕様
●封入特典:特製ステッカー
ゲルニカ活動休止を受け、自己プロデュースで1984年リリースしたソロデビューアルバム。女性の生理をテーマにしたタイトル曲や、バロック曲(パッヘルベルのカノン)に自作詞を付けた「蛹化(むし)の女」を含み、唯一無二の世界観が存分に表現された本作は、彼女を一躍80年代サブカル女王の地位に押し上げた。現在も日本の女性ロック史に刻まれる名盤としての存在感を放っている。
Side 1
1. 怒濤の恋愛
2. 諦念プシガンガ
3. 昆虫軍
4. 憂悶の戯画
5. 隣りの印度人
Side B
1. 玉姫様
2. 森の人々
3. 踊れない
4. 蛹化の女


戸川 純とヤプーズ/裏玉姫
30cm 33 1/3rpm Vinyl: MHJL-199
Original release: 1984/4/25
●完全生産限定盤
●2021年ニューカッティング
●クリアピンクヴァイナル(透明ピンク)仕様
●封入特典:特製ステッカー
前作『玉姫様』と同年に、当初カセットテープだけで発売された初のライヴアルバムを、今回初めてアナログLP化。1984年2月19日、東京・ラフォーレミュージアム原宿で収録。バックのヤプーズ(泉水敏郎/中原信雄/比賀江隆男/立川芳雄/里美智子)と共に全編パンクでハイテンションな演奏を展開。現在でも戸川純のライヴの大詰めで歌われる「パンク蛹化の女」収録。
Side A
1. OVERTURE
2. 玉姫様
3. ベビーラヴ
4. 踊れない
5. 涙のメカニズム
Side B
1. 電車でGO
2. ロマンス娘
3. 隣りの印度人
4. 昆虫軍
5. パンク蛹化の女

戸川 純 ソニーミュージック特設サイト
https://www.110107.com/jun_togawa40th/


同じく初ヴァイナル化されるヤプーズ作品。

8月18日(水)発売
ダイヤルYを廻せ!
品番:PLP-7171
価格:¥3,850 (税込)(税抜:¥3,500)
★初回生産限定
ダダダイズム
品番:PLP-7172
価格:¥3,850 (税込)(税抜:¥3,500)
★初回生産限定

 戸川純のユーチューブ「戸川純の人生相談」もはや18回目を迎えています! 戸川純が欽ちゃんファミリーに?


https://www.youtube.com/watch?v=7kahgnKElao

2021年7月26日 - ele-king

 ここ10日ほどずっと気が重いのは、もちろん小山田圭吾について考えているからだ。そもそもオリンピック開催に反対のぼくが、小山田圭吾がそれに関与したということに失意を覚えないはずがなく、また、問題となった二誌の記事の内容に関しても、一次資料に当たったわけでないが、ネットで明らかになっている部分だけ見ても擁護しようがない。自分自身のふがいなさも痛感している。音楽シーンにはぼくのようにROとQJを読まない人だっているわけだし、ぼくの仕事は人格をチェックすることではない。とはいえコーネリアスの特集号を2冊も作っているのだから、これらの記事に目を通し、これはいったい何だったのかを本人に問い、語らせるべきだった。下調べが徹底していなかったという批判はあって然るべきだ。

 ぼくが小山田圭吾と初めて会話したのは、1999年のたしか夏も終わりの頃だったと思う。きっかけは『ファンタズマ』だ。エレクトロニック・ミュージックばかりを聴いて、渋谷系と括られているシーンとはとくに接点のなかったぼくに、ひとりの友人がこれは聴いたほうがいいとCDを貸してくれたのである。ぼくは『ファンタズマ』を素晴らしい作品だと思ったし、折しもロックの特集を考えていたこともあって、小山田圭吾の友人でもあった彼が取材のセッティングをしてくれたというわけだ。以来、小山田圭吾とは主に取材を通じて何度も会うことになるが、ぼくにはとても「いじめ自慢」をするような人には見えなかったし、露悪的だったこともなかった(これは擁護ではない、ただそうだったという事実を書いている)。
 米国の出版社による「33 1/3」というポップ・ミュージック史における傑作アルバム1枚についてひとりの著者が一冊を書くシリーズがある。ジャンルで言えばロックがメインで、日本では村上春樹が訳したビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』が有名だ。このなかの1冊として(そして日本のロック・ミュージックのアルバムとしては最初に)2019年にコーネリアスの『ファンタズマ』は刊行されている。「コーネリアスは西欧の音楽ファンの世界地図にJ-POPを載せる上で重要な役割を果たした」という紹介文とともに。
 コーネリアスは日本の大衆文化の国際的な評価に大いに貢献した。海外での知名度は高い。ゆえに今回のニュースは海外の有力メディア(『ガーディアン』や『ピッチフォーク』)でも報じられている。彼の音楽作品は道徳心を説くものではないし、暴力を駆り立てるものでもないが、件のニュースはコーネリアスの評価や今後の活動にダメージを与えるだろう。小山田圭吾は多くを失った。「社会など必要ない」と言ったのは新自由主義の起点となったマーガレット・サッチャーだが、彼が発表した謝罪文にも「社会」がなかった。いまコーネリアスを総合的に評価するうえでの難しさはそこに集約されているのではないかと思う。
 だが、『ファンタズマ』や『ポイント』が部屋に籠もってひとりで音楽を作っていた多くの若者の創作意欲を促したのは事実だし、これら作品を純粋に楽しんだリスナーやその音楽に癒されたリスナーが世界中に多数いることも事実だ。エレキングは基本的にリスナー文化を醸成することを目的としている。作品は世に出たときから作者の支配下から離れ、それを享受したもの(=リスナー)のなかで育まれるものだ。コーネリアスの音楽を愛している人たちが障害者への虐待を肯定することは100%ないだろうし、ファンの心のなかにある『ファンタズマ』や『ポイント』が汚れることもないだろう。
 ことの大小はともかく、誰にだって人生において失敗はあるだろうし、少なくともぼくにはある。この文章を書いているのも、今回の騒ぎと自分が決して無関係だとは思っていないからだ。コーネリアスが失ったものは大きい、しかし時間はまだ十分にある。なんらかのカタチをもって解決して欲しい。それがすべてのファンが願っていることだろう。

 今回の件でもうひとつ気が滅入ったのは、彼の息子、小山田米呂への執拗な罵詈雑言だ。こんな前近代的ムラ社会のつるし上げが、21世紀のいまもネット社会にあるということが本当に悲しい。「親の七光りで書かせやがって」などと言ってくる輩もいたが、小山田米呂は彼の若い感受性をもってOPNのような10年代を代表する電子音楽やシェイムのような若いバンドについて言葉を綴れる書き手であり、可能性を秘めたミュージシャンだ(そもそも米呂とぼくは、コーネリアスとは関係のないところで出会っている。若い世代のインディ・ロックについての若い書き手を探していて、それがたまたま小山田圭吾の息子だった)。近い将来、彼がまたあの軽妙な文体で若い世代の新しい音楽について書いてくれることを願っているし、堂々と音楽活動を続けて欲しい。

R.I.P. Peter Rehberg - ele-king

 7月23日、ピタことピーター・レーバーグが逝去。明け方に見たガーディアンの見出しには53歳とあった。心臓発作だったという。レーバーグはエレクトロニック・ミュージックをダンスフロアから引き剥がし、エレクトロニカを先導したラップ・トップ・ミュージシャンの先駆者である。フェネスとともに現代音楽やミュジーク・コンクレートをリヴァイヴァルさせた中心人物といっていい。ウィーンを拠点にラモン・バウアーらと共同で運営していた〈メゴ〉からは自らの作品だけでなく、フェネスやヘッカーなど実験的なエレクトロニック・ミュージック(=ジム・オルークいわく「パンク・コンピュータ・ミュージック」)を矢継ぎ早にリリースすることでエレクトロニカというタームを引き寄せ、1999年には彼自身のソロ作『Get Out』と、フェネス及びジム・オルークと組んだ『The Magic Sound Of Fenn O'Berg』によってテクノのサブ・ジャンルに位置していたエレクトロニック・リスニング・ミュージックを一気に格上げすることとなった。また、コンピュータをサウンド・メイキングの主役としたことでDJカルチャーによって葬り去られた“演奏”を復活させ、ライヴにラップ・トップを持ち込むという早すぎたアクションは観客からパフォーマス中に罵声を浴びせられるという事態も招くことになった。〈メゴ〉が10年の歴史に幕を閉じてからはレーバーグひとりで〈エディション・メゴ〉を新たに立ち上げ、マーク・フェルやOPNなど2010年代の主役となる才能も幅広くフック・アップし、カテリーナ・バルビエリやヴォイシズ・フロム・ザ・レイクなど数えるのが面倒なほど幅広い才能にチャンスを与えている。一方で、ワイアーのギルバート&ルイスによるドームを全作再発するなど過去に向ける視点にも確かなものがあり、2012年にはミュジーク・コンクレートの再発や未発表作品に的を絞ったサブ・レーベル、〈リコレクションGRM〉からも話題作を多数リリース。元エメラルズのジョン・エリオットにA&Rを委ねた〈スペクトラム・シュプール〉やジム・オルーク専門の〈オールド・ニュース〉など6つのサブ・レーベルも併走させ、よくこんがらがらないなと思ったことがある(複数のサブ・レーベルを展開していた〈ミュート〉が彼の理想だったらしい)。レーバーグや〈メゴ〉は現代音楽をポップ・ミュージックの領域に近づけたといってもいいだろうし、エレクトロニック・ミュージックに現代音楽の使える部分を再注入したでもいいけれど、明らかに〈ラスター・ノートン〉や〈パン〉といったレーベルは〈メゴ〉の遺産の上に成り立ち、その裾野はいまも広がり続けている。

 レーバーグとステファン・オモーリー(Sunn O))))から成るKTLが初めて日本に来た際、僕は松村正人とともに一度だけレーバーグに取材したことがある。コンピュータ・ミュージックとブラック・メタルの融合と自称していたKTLはオモーリーのギターとレーバーグのノイズだけで構成され、ビートがないにもかかわらず、ゆらゆらと体を揺らしながら聴くことのできる有機的なノイズ体験であった(オモーリーも後に〈エディション・メゴ〉傘下で〈イディオロジック・オーガン〉というサブ・レーベルを始める)。お天気雨の日に赤坂の外れで会ったKTLは二人とも適度に話し好きといった印象で、簡単に打ち解け、ジゼル・ヴィエンヌが舞台のためにふたりにコラボレイトしないかと持ちかけてきたことがKTLの始まりで、奇妙なロケーションでレコーディングしたことやヨーロッパでは彼らの作品が不本意にもファシズムと結びつけられて批判されていることなどを語ってくれた。この時期、バックボーンがまだよくわからなかったオモーリーがアメリカで起きているドゥーム・メタルの動向やそれらとの距離感を冷静に説明してくれたのに対し、レーバーグは人間関係の行き詰まりから〈メゴ〉を閉鎖しなければならなくなったことや日本のライヴでは羽目を外し過ぎてしまった失敗談など、どちらかというと、話を盛り上げたい性格なのかなという話し方だったように記憶している。プライヴェートではマイルス・デイヴィスしか聴かないというオモーリーに対して、ミュジーク・コンクレートどころか、若い頃はニッツィアー・エッブに夢中だったというレーバーグの回想も興味深く、それを聞いて『Get Out』の暴力性が何に由来するのか少しは謎が解けた気もする。それこそボディ・ミュージックから最先端の実験音楽へと音楽性を発展させた彼のキャパシティに驚かざるを得なかったというか。

 レーバーグの演奏を最後に観たのは六本木のスーパーデラックスで行われたフェン・オバーグのリリパだった。『The Return Of Fenn O'Berg』から8年ぶりとなるサード・アルバム『In Stereo』のために行われたもので、その時のライヴも『Live In Japan』としてリリースされている(https://www.youtube.com/watch?v=r_trm302p_I)。初期に比べて諧謔性は抑えられ、ニュアンスに富んだドローンを演奏するレーバーグがそこにいた。ラップ・トップに意識を集中させる彼の眼差しは真剣そのものであり、罵声を浴びせるようなオーディエンスはなく、誰もが彼らの曲を静かに聴き入っていた。R.I.P.

 「泣きすぎた」「悶々とした」「整理がつかない」「まっすぐ家に帰れない」など様々な副反応を引き起こしている『映画:フィッシュマンズ』ですが、なんと、東京オリンピックのCMに“SLOW DAYS”が使われています。


https://www.youtube.com/watch?v=Ea3zr8b4STM

 スペイン放送協会のCMです。スペインの人にはこう見えているということなんでしょう……。

 そして、『映画:フィッシュマンズ』の公開と同時に各サブスクでHONZIのソロ・アルバム『ONE』(96)『TWO』(00)のストリーミングも始まっています。詳しくは『永遠のフィッシュマンズ』に書いた通りですが、ZAKのプロデュースによる『ONE』、佐藤伸治の逝去を受けて“いい言葉ちょうだい”をカヴァーした『TWO』と、傾向がぜんぜん異なる2枚のアルバムです。A-Decade-In-Fakeのメンバーとして17歳でデビューしたHONZIさんはフィッシュマンズとはまったく異なる音楽的バックボーンを有し、幻想的な作風を存分に楽しむことができます。
 ちなみに『永遠のフィッシュマンズ』で柏原譲に「やけになってて」と指摘されていたHONZIさんがこれでもかと爆発していた演奏はおそらく「宇宙 日本 奥田イズム」のツアー・ファイナル、野音での“Go Go Round This World”ではないでしょうか。ほとんどノイズと化しているキーボードに敢然とアンサンブルをかませていくフィッシュマンズの演奏がまたスゴいです。

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