「Nothing」と一致するもの

Félicia Atkinson - ele-king

 ブライアン・イーノの「非音楽家(ノン・ミュージシャン)」というコンセプト、あれは「楽器が弾けないけれど音楽を作れる」という表現よりも、「誰もがミュージシャンである」という逆説的な言い方のほうが意味は深くなる。ジョン・ケージの“4分33秒”ではないが、聴こえる音すべてが音楽であり、われわれはつねに音楽に囲まれているというコンセプトが、音楽というものの可能性を阻害する制度のいっさいに抗することでもあるように。その昔フェリシア・アトキンソンは、タイニー・ミックス・テープの取材に応えて、(ミュージシャンがリスナーに対して)「聴いて楽しんでほしい」と言うのはちょっと下品でしょう、と言った。「そうではなく、リスナーとミュージシャンが一緒にフォームを作って、そしてそれを問うこと」
 音楽を聴くという行為も創造的なのだから、最初から一方通行的に与えられたものを楽しむ(消費する)だけでは、音楽の可能性を矮小化してしまっている、もったいない、アトキンソンにしたら、そういうことなのだろう。だから自分の音楽がアンビエントと括られることにも、彼女なら窮屈に感じているんだろうな。これはバックグラウンド・ミュージックではないし、静的であることは、必ずしも平穏さや瞑想に着地するわけではない。静けさとは力強さだ、アトキンソンなら言う。
 
 それにしてもアトキンソンの学際的な探究心とその豊富な知識、柔軟な思考やそのとめどない理屈には舌を巻くばかりだ。ディレッタント的と言ってしまいそうだが、彼女の場合の知識は、自身の芸術的な欲望を穴埋めするような趣味的に蓄積されたものではない。フランスの、労働者階級出身でフェミニストの知識人は、どれだけ自由で平等で、創造的な人生を歩めるのかという実践における養分として、ジョーン・ディディオンからジル・ドゥルーズ、アンドレ・ブルトンからジャック・ケルアック、ギー・ドゥボールからジェイムズ・ジョイス等々たくさんの書物を横断的に読む。ただ学ぶのではなく「逸脱して学ぶこと」、そう彼女は言う。読書することひとつ取っても創造的な行為で、だからリスニングに関しても、集中して聴くことが唯一正しいリスニングではないと考えよう。リスニング行為それ自体にも思いを巡らせるのだ。(誤解されているようだが、彼女の創作とASMRが無関係であることは、TMTのインタヴューを読むとわかる)
 
 彼女の新作は、12歳でロバート・アシュレーを聴いた彼女が「声」における音楽的魅力について考察していたように……、と、ここまで書いたがいったん中断して、もう少し彼女の経歴を書いた方が良さそうなのでそうする。
 彼女はいわゆるエリートではないし、幼少期からクラシックを学べるような裕福な家の出でもない。経済力はないが文化を愛する両親のもとに生まれ、ビョークとキム・ゴードンとキャット・パワーとPJハーヴェイをアイドルとした思春期を過ごしている。90年代は『NME』と『The Face』を愛読し、マッシヴ・アタックとトリッキーのライヴを見たくてパリからブリストルに向かったのは16歳のときだった(けっこうミーハーである)。高校卒業後に学校で音楽を少し学んではいるそうだが、自分に合わなかったと辞めている。もっとも重要なことはジョン・ケージから学んだと公言しているが、それは独学。27歳で東京の〈Spekk〉からデビューするまでは、演劇の音楽をやったりしていたそうだ。
 また彼女は、自分のスタジオを持たないことを主義としている。リルケのように旅を好み、旅をしながら創作しているそうだ。初期はiPhoneやガレージバンドを使って作っていたほどで、Je Suis Le Petit Chevalierなるロック・バンドも同時にやっていたような人だったりする。自分自身を、作曲家でもポップ・ミュージシャンでもないローリー・アンダーソンや小野洋子のような中間的な存在に重ねている。そんな彼女が12歳でロバート・アシュレーを聴いたのは、看護師だった父親の趣味として家にシュトックハウゼンやジョン・ケージやアルヴィン・ルシエやコーネリアス・カーデューなんかのレコードに混じってそれがあったからだった。
 で、そう、彼女は大人になってアシュレーを再発見し、これまでも自身の作品において「声」はさんざん使っている。デンシノオトや渡辺琢磨のような昔からのファンにはもうお馴染みの「声」だろう。それでもアトキンソンにとっては、ゴダール映画、および『二十四時間の情事』、およびロベール・ブレッソン映画のような「ささやき声」を効果的に使っている映画作品から受けたインスピレーションを音楽のなかで全面的に応用することは、かねてからやりたかったことのひとつだったようで、それが本作『Image Langage』になった。
 もうひとつの動機としては、ゴダール映画におけるアンナ・カリーナの「ささやき声」のように、画像がなくても「声」のみで物語は構築できるというコンセプトがあった。この話を抽象化すると、以下のようになる。インターネット以前に人が得ていた情報源は、おもに身の回りにあった。本やレコードはもちろん、石や海辺もそうだった。それらは本と同じように、人がそのページを開くのを待っている。ひび割れるのを待っている、何かが明らかにされるのを待っている、開かれるのを待っている、そういう考え方にあると彼女は説明している。たしかにそうかもしれない。その気になれば、「声」それ自体からも音楽は聞こえるのだから。
 
 幸か不幸か、ぼくにはフランス語がさっぱりわからない。少しだけ英語も混ざっているようだが、ぼくのリスニング行為においては、必然的に、意味に左右されることのない音としての「声」が曲の構成要素のひとつとしてそこにある。ほのかな電子音とサックスが交流する1曲はインストゥルメンタルだが、“湖は話している”以降からは、ピアノや電子音の断片が控えめに描く風景のなかで、「声」が聞こえる。リスニングの旅をうながすサウンドと「声」のコンビネーションが、自然のイメージを仄めかすこともあれば、各々の物語をふくらませることもあるだろう。表題曲が素晴らしく思えるのは、それがまさに感性の彷徨をうながすからで、アメリカの詩人シルヴィア・プラスに捧げられた曲における不安定さにもぼくは魅力を覚える。まあ、ほかの曲に関しても、いつもとは違ったエクスペリエンス(音楽体験)において、だいたい良い気分になってしまうのだ。高尚な主題を、それこそアカデミックな実験音楽とポップ音楽との中間にまで調整させてしまえるだけの力量がこの人にはあるし、アトキンスの澄んだ音響には人をネガティヴにさせる要素がないので、ぼくはすっかり“楽しんでいる”。あ、ちょっと下品だったかな?
  
 イーノにしろ、アトキンソンにしろ、理屈っぽい人の作る音楽が必ずしも理屈っぽいわけではなく、エクスペリメンタルであることが音楽を難しくすることではないわけで、そもそも「実験」というのは、「結果がどうなるかわからないけれどやってみよう」ということを意味している。リスニング行為もまたしかり。それはオウテカが言う「慣れてしまうことに対する抵抗」だったり、アトキンソンの音楽のように迷うことの楽しさであったり、だいたいやってみてもいないのに、見たことがない世界を見ようってこと自体が無理な話なのだ。音楽にできることはまだある。

山本アキヲの思い出 - ele-king

山本アキヲとシークレット・ゴールドフィッシュ
文:三浦イズル


「ほな、行ってきますわ」

 アキヲと最後に電話をした数日後に、アキヲの突然の訃報が届いた。シークレット・ゴールドフィッシュの旧友、近藤進太郎からのメールだった。
 2021年秋頃からアキヲは治療に専念していた。その治療スケジュールに沿っての入退院だった。その間もマスタリングの仕事をしていたし、機材やブラック・フライデー・セールで購入するプラグインの情報交換なども、電話でしていた。
 スタジオ然とした病室の写真も送って来た。Logic Proの入ったMacbookProや、小型MIDIキーボード、購入したてのAirPodsProも持ち込んでいた。Apple Musicで始まった空間オーディオという技術のミックスに凄く興味を持っていて、「これでベッドでも(空間オーディオの)勉強ができるわ〜」と嬉しそうだった。

「夏までに体力をゆっくり戻して、復活やわ」

 明日からの入院は10日間で、これで長かった治療スケジュールもいよいよ終了だと言っていた。

「ほな、行ってきますわ。じゃ10日後にまた!」

 近所にふらっと買い物にでも行く感じで電話を切った。その日は他の友人にも連絡しなくてはいけないということで、2時間という短い会話だった。
 アキヲと俺はお互い本当に電話が好きで、普通に何時間も話す。あいつが電話の向こうでプシュッと缶を開けたら「今日は朝までコースだな」と俺も覚悟した。明日の仕事のことは忘れ、まるで高校生のように会話を楽しんだ。話題が尽きなかった。
 電話を切った後、アキヲが送ってきた写真をしばらく眺めていた。
 それは先日一気に購入したという、2本のリッケンバッカーのギターとフェンダーUSAのテレキャスターを自慢げに並べたものだった。

「リッケン2本買うなんて気狂いやろ!」
 中学時代父親にギターをへし折られて以来、ギターは弾いていなかったらしい。

「最近無心でギターずっとジャカジャカ弾いてんねん。気持ちええな」
「今さらやけどビートルズってほんますごいわ」
「ほんまいい音やで。今度ギターの音録音して送るわ」

 アキヲの声がいまだにこだまする。
 赤と黒のリッケンバッカーたちが眩しかった。


俺はそいつを知っていた——アキヲとの出会い

 シークレット・ゴールドフィッシュは1990年に大阪で結成された。英4ADの人気バンド、Lushの前座をするためだ。その辺りのエピソードに関しては以前、デボネアの「Lost & Found」発売の際に寄稿したので、そちらをご覧になっていただきたい。
 1990年、Lushの前座が終わり、ベースを担当していたオリジナルメンバーのフミが抜けることになった。フミも経営に携わっていたという、当時はまだ珍しいDJバーの仕事に専念するためだ(その店ではデビュー前の竹村延和が専属DJをしていた)。
 そんななか、近藤が「同級生にめっちゃ凄い奴がおるで」と言って、ベーシストを紹介してくれることになった。
「学生時代番長や」近藤は得意のハッタリで俺をビビらせた。当時勢いのあった大阪のバンド、ニューエスト・モデルのベース・オーディションにも顔を出したことがあったという(*)。「むっちゃ怖いで〜、顔が新幹線みたいで、まさにゴリラや」そして俺の部屋にアキヲを連れてきた。たぶん、宮城も一緒だったと思う。
 現れたのは近藤の大袈裟な話とは違い、体と顔はたしかにゴツイが、気さくで物腰の柔らかい男だった。しかも俺はそいつを知っていた! 忘れることもできないほど、俺の脳裏に焼きついていた人物だったからだ。
(*)現ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉氏の回想によれば、「ええやん、やろや!」となったそうだがその後アキヲとは連絡取れず、この話は途絶えてしまったそうだ)

 1989年か1990年に、(たぶんNHKで放送していたと記憶しているが)「インディーズ・バンド特集」的な番組を観ていた。新宿ロフトで演奏する大阪から来たというパンク・バンドの映像が流れた。彼らはインタビューで語気を強めて答えた。
「わしらぁ武道館を一杯にするなんてクソみたいなこと考えてないからやぁ」
 そう語る男の強面な顔と威切った言動が強く印象に残った。
 しばらくして、バイト帰りに梅田の書店で無意識に「バンドでプロになる方法」らしきタイトルの本を立ち読みした。その本の序文の一説に、先日NHKで見た「武道館クソ発言」とそのバンドについて書いてあった。それは否定的な内容で、そういう考えのもとでは一生プロにはなれない、と著者は断じていた。
「あいつや……」
 忘れようとしても忘れられない、あの大阪のバンドの奴の顔が浮かんだ。
 そう、近藤が連れてきた番長の同級生、目の前の男こそが「あいつ」だった。山本アキヲ。物腰の柔らかさと記憶とのギャップに驚いた。

 俺も最近知ったのだが、シークレットのメンバーは大阪市内の中学の同級生が半分を占めていたらしい。近藤進太郎、山本アキヲ、朝比奈学、近所の中学校の宮城タケヒト。皆、俺と中畑謙(g. 大学の同級生)とも同い年だった。彼らは「コンフォート・ミックス」というツイン・ヴォーカルのミクスチャー・バンドをやっていて、自主制作レコードもその時持参してくれた。同じ日に宮城も加入した。
「コンフォート・ミックス」のLPは在庫がかなりあったらしく、シークレットがCDデビューする前の東京でのライヴで便乗販売していた。当時の購入者は驚いただろうが、今となっては超貴重盤である。

  こうしてアキヲがしばらく、シークレットのベースを担当することになった。俺にとっては運命的な出会いだった。その友情はその後30年以上も続くのだから。


1991-アキヲと宮城が゙加入した頃-京都にて

 アキヲはシークレットのベースとして多くライヴに参加したが、仕事の都合で渡米したりするので、アキヲの他にも朝比奈、ラフィアンズのマコちゃん(後にコンクリート・オクトパス)など、ライヴの際は柔軟に対応していた。
 2nd EP「Love is understanding」では、アキヲが2曲ベースでレコーディングに参加している。東京のレコーディング・スタジオまで飛行機で来て、弾き終えると大阪へとんぼ帰りだった。今思えば仕事との両立も大変だったろうに、本当にありがたい。アキヲが他のメンバーよりも大人びていると感じたのは、そういう姿も見ていたからかも知れない。


LOVE IS UNDERSTANDING / SECRET GOLDFISH 1992

 シークレットは多くの来日アーティストのオープニング・アクト(前座)を務めていた。その中でも英シェイメン(Shamen)のオープニング・アクトは特に印象に残っている。
 俺たちのライヴには「幕の内弁当」というセットリストがあった。「もっと見たいくらいがええねん」と、踊れる7曲を毎回同じアレンジ、ノンストップで30分ほど演奏していた。
 せっかくシェイメンと一緒のステージだし、いつもの演奏曲も宮城のエレクトロ(サンプラー)を前面に出したアレンジに変えた。練習も久しぶりに熱が入った。アキヲはそのスタイルに合わせ、ベースラインを大きく変えて演奏した。

「ええやん、そのベース(ライン)」
「せやろ!」

 そのライヴでの「Movin’」のダンスアレンジは今でもかっこいいと思う。その時のアレンジが先述のEP「Love is〜」や「Movin’」のリミックス・ヴァージョンに、宮城タケヒト主導で反映された。


MOVIN' / SECRET GOLDFISH (Front act for SHAMEN,1992)


1991年の大阪にて

 シークレットの最初期こそ京都を中心にライヴをしていたが、活動場所は地元の大阪へと移っていく。心斎橋クアトロをはじめ、十三ファンダンゴ、難波ベアーズ、心斎橋サンホール、大阪モーダホールなどでライヴをした。
 ちなみに91年難波ベアーズでのライヴの対バンは、京都のスネーク・ヘッドメンだった。「アタリ・ティーンエイジ・ライオット」を彷彿させるパンク・バンドだった。アキヲとTanzmuzikのオッキーことOKIHIDEとの出会いはその時だったのかもしれない。
 心斎橋サンホールでは「スラッシャー・ナイト」にも参加した。出演はS.O.BとRFDとシークレット。そのイベントに向けてのリハーサルは演奏より、メンチ(睨むの大阪弁)を切られても逸らさない練習をした記憶がある。なんせ近藤と宮城が真顔でこういうからだ。「ハードコアのライヴは観客がステージに上がって、ヴォーカルの顔面1cmまで顔近づけてメンチ切るんや。イズルが少しでも目逸らしたら、しばかれるでぇ」
 アキヲは笑ってたと思う。俺も負けじとドスの効いたダミ声で「Don't let me down」と歌うつもりで練習した。当日、S.O.BのTOTTSUANがシークレットのTシャツを着て登場し、「次のバンドはわしが今一番気に入ってるバンドや!」とMCで言ってくれたおかげでライヴは超盛り上がった。予期せぬ事態にメンバー一同胸を撫で下ろした。

 10月にはデビュー・アルバムも発売され、そこそこヒットした。あまり実感はなかったが、心斎橋あたりを歩いていると、その辺の店から自分の下手な歌が聞こえてくる。と、同時に多くの「ライヴを潰す」とか「殺す」などの噂も耳に入った。それはかなり深刻で、セキュリティ強化をお願いしたこともあったほどだ。


1992-心斎橋クアトロ-4人でのステージ

 そんな状況下でアキヲとの関係が深まる出来事が起こる。英スワーヴ・ドライヴァーの前座、クラブチッタ川崎でオールナイト・イベントがあり、その夜にはそのまま心斎橋クアトロでワンマンという日だった。諸事情で近藤と宮城はそれらに参加できなくなった。ステージを盛り上げる二人の不参加に俺は不安になった。

「ガタガタ抜かしてもしゃあない、わしも暴れるし思い切りやろうや!」

 その言葉通りアキヲは堂々と4人だけのステージで、近藤のコーラス・パートも歌いながらリッケンバッカーのベースを弾いた。その姿とキレのある動きはまさにザ・ジャムのベーシスト、ブルース・フォクストン! しかもチッタでは泥酔&興奮してステージに上がろうとする外国人客を蹴り落としたり、演奏中に勢い余って転んで一回転しながらも演奏を続けたりしてめっちゃパンク! 派手なステージングに俺のテンションも上がった。

 大阪行きの新幹線で初めてアキヲと向き合って話した。距離が少し縮まった気がした。


Taxman - Secret Goldfish 1992 @ CLUB CITTA'


祭りの後

 心斎橋のワンマンも無事に終え、シークレットはさらに勢いづいた。が、元来気性の荒い個性的な集団だっただけに、ぶつかり合いも多々あった。若さだけのせいにはしたくないが、未熟でアホやった。俺も独善的だった。
 祭りはいつかは終わるものだが、神輿の上に乗ったまま、知らない間にそれは終わっていた。バンドもメンバー・チェンジをしながら、音楽の新しいトレンドが毎月現れる、激流のようなシーンのなかで抗った。次第にメンバー同士が会う機会も減った。
 正式に解散したわけでもなくフェード・アウトしていく。それは単に、皆がそれぞれ違う音楽や表現手法に興味が向かっただけだった。無責任ではあるが、ごく自然なポジティヴな流れで、決して感傷的ではない。もともと皆新しもの好きだったのだから。


アメ村で見たフードラム

 暫くアキヲをはじめとするメンバーとは連絡を取り合っていなかったが、96年頃大阪に行った時、アメ村の三角公園前にある、アキヲが働いていた古着屋に立ち寄った。
 Hoodrumのメジャー・デビュー直後で、レコードショップでは専用コーナーも作られていた頃だ。アキヲがどんどん有名になっていくのは俺も嬉しかったし、誇らしかった。
 その店に立ち寄ったのも、単に一緒にいた仲間にアキヲの店だよ、と自慢したかっただけだが、レジのカウンター越しで怠そうに座っていたのはアキヲ本人だった。メジャー・デビューであれだけメディアに露出してるのに、普通に店番もしているなんて、まさにシークレット時代のアキヲのままだ。かっこ良すぎる。
 まだ携帯もメールもない時代。アキヲは当時と変わらず接してくれた。考えてみるとアキヲとは、過去から今に至るまで一度も衝突したことがない。それだけ大人だったんだな、とふと思う。
それ以来、時々また連絡を取り合うようになった。

 ミックス作業が上手くいかなくなった時などアキヲに聞くと、
「ミックスっちゅうんは一杯のコップと考えればいいんよ。その中で音をEQなどで削って、上手に配置するんやで」
 今ではAIでもやってくれるマスキングという作業についてだ。
 当時その情報は目から鱗だった。今でもミキシングの真髄だと思っている。


2000年の夏、河口湖にて。居候・山本アキヲ

 2000年の夏、アキヲが河口湖の俺の仕事場兼自宅に、2ヶ月ほど滞在(と言えばかっこいいが居候だな)することになった。その経緯は割愛するが、アキヲはちょっといろいろと精神的に疲弊していたんだと思う。俺も同じ経験をしているので、それは思い違いではないだろう。

「富士山をみると背筋が伸びんねん。叱られてる気分やわ」


2000-西湖にて富士山をバックにするアキヲ

 富士北口浅間神社では「今まで訪れた神社で一番空気が凛としてるわ」など気分転換になったと思う。慣れてくると自転車に乗って一人で河口湖を一周したり、俺の実家の父親の仕事を手伝ったりして汗も流していた。
 夜になると必ず一緒に音楽を爆音で聴きながら酒を呑んだ。湖畔の古民家だったので、夜中の大音量に関しては問題ない。まだSpotifyなどの配信は当然ない時代。俺のレコードやCDライブラリを聞いた。時には湖畔で夜の湖を眺めながら。
 日課のように聴いていたのは、B-52'sやThe Clash、JAPANやコステロなどのニューウェイヴ、他にもグレイトフル・デッド、ティム・バックリィ等々。音楽なら何でも。クラシックから民謡までも聴いたりした。Cafe Del Marを「品質がええコンピ」と紹介してくれたのもこの時期だった。

 酒が深くなると職業柄のせいか、制作側の視点へと熱を帯びながら話題も変化していく。例えばこんな感じに。

「The Clashの『London Calling』 (LP)のミックスは研究したけど、あれは再現不可能や。誰にも真似できひん」

「(Tanzmuzikの2ndのつんのめるようなリズムについて)あれはな、脳内ダンスなんや。頭の中で踊るんやで」

「(大量に持参した89年辺りの当時一番聴かないようなDJ用レコードについて)今は陽の目を見ないこれらの音楽を切り刻み、そのDNAを生かして再構築して再生させるんや」──その手法で作られたSILVAのリミックスには本当に驚いたのを覚えている。

「リヴァーブは使わんとディレイだけで音像を処理するんよ」

 アキヲには音のみならず、何事に対しても独特の哲学とインテリジェンスがあった。感心するほどの勉強家で、読書家でもあった。何冊かアキヲの忘れていった本があるが、どれも難しい評論や硬派な文学だった(吉本隆明著『言語ににとって美とはなにか』など)。
 例えば不動産の仕事に就けば、一年掛かりで宅建資格を取得して驚かせる。他の仕事に就いた時も常にそうだ。そして、楽しそうにその仕事のことを話す。とことん深く掘り下げる。高杉晋作の句に置き換えると「おもしろき こともなき世を おもしろく」を体現していた。

 俺たちはギターの渡部さん(渡部和聡)とアキヲと3人で、シークレット・ゴールドフィッシュとして4曲レコーディングした。2000年の夏の河口湖の記録として。


2000-河口湖のScretGoldfishスタジオにてくつろぐアキヲ


あの最高の感覚

 いつだったかアキヲがまた大阪から河口湖に来た際、旧メンバー数人でスタジオに入った。
 まず「All Night Rave」を合わせたのだが、その刹那、全身が痺れた。これだよ。この感覚。タツル(Dr)のドラムとアキヲの太くうねるベース。全員の息の合った演奏とグルーヴ。一瞬で時が巻き戻された。そう感じたのは俺だけではないはず。皆の表情からも伝わってきた。

 バンドは結婚と似ているというが、俺は今でもそう思う。シークレット以来パーマネントのバンドは組んでない。ごくたまにベースで手伝うことはあったが、まあ正直興奮はしない。だけど、このセッションではアドレナリンが溢れた。この快感が忘れられないからだったんだな。


山本アキヲとシークレット・ゴールドフィッシュ

 今回のアキヲの訃報で多く人の哀悼の言葉を読んだ。アキヲの音楽と人柄が愛されていることを知り、本当に嬉しかった。と同時にモニター越しに「厳然たる事実」を突きつけられ、不思議な感覚に陥った。3月から気持ちの整理を徐々にしているつもりだったのに。
 俺の知らないアキヲの側面を知っている仲間もたくさんいるし、各々がアキヲとの大切な思い出や関係性を持っている。近藤や宮城たちは謂わば幼なじみだ。その心中は俺には計り知れない。
 ただ、今こうしてシークレット・ゴールドフィッシュのメンバーと気兼ねなく電話やメールもでき、本当に幸せだと感じる。アキヲの訃報を直接口で伝え、アキヲとの馬鹿な思い出話を笑いながらできたことは良かった。ネットニュースで聞いたという形にはしたくなかった。
  バンドとしての在籍期間や活動期間は短かかったが、20歳そこそこの多感な時期、一緒に経験したあの密度の濃い瞬間は永遠だ。
 アキヲのマスタリングで過去のアルバムをサブスク(配信)に入れる話もしてたが、今後どうするかはまだ決めていない。

 アキヲは昨年から、河口湖にマンションを買って引っ越すつもりで調べていた。冗談なのか本気だったのかは、今となってはわからない。俺も地元の仲間も、その話には大歓迎だった。これからも酒を飲みながら音楽の話をしたり、一緒に制作したりする将来を楽しみにしていた。そういえば河口湖は第二の故郷だといっていたなあ。

 アキヲとの話はここでは語りきれないし、語らない。ただ、全部を胸に秘めておくだけでもいけない、ともう一人の自分が言う。アキヲという人間の一面を知ってもらうためだ。
 アキヲの音楽がそれを一番多く語ってくれている。そう、俺たちは音楽家だ。

「イズルも俺もミュージシャンやないねん。抵抗あるやろ? アーティストとか」
「音楽家や。今でも俺らはこうして音楽に携わっている。感謝せなあかんくらい、これってむっちゃ幸せなことやで」
 酒をごくりと飲む音と一緒にあいつの叱咤する声が聞こえた。

 最後にアキヲが言った一番嬉しく、一番心強かった言葉を記して終わることにする。
「イズルがシークレットやるって言うんなら、わしゃあいつでもやるで!」

 アキヲ、ありがとう。

2022年6月30日

三浦イズル(Secret Goldfish)


"All Night Rave" Secret Goldfish (12/07/15)


https://secretgoldfish.jp/
Secret Goldfish in 1991 ;
Drums:Tatsuru Miura
Bass: Akio Yamamoto
Guitar:Ken Nakahata
Vocal & Guitar:Izuru Miura
Dance & Shout: Shintaro Kondo
Synth & Sampler: Takehio Miyagi

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アキヲさんとの思い出のいま思い出すままの断片
文:Okihide

■出会った頃

 たぶん91年かそこらの、なんかやろうよって出会った頃にアキヲさんが作ってくれた「こんなん好きやねん曲コンパイルテープ」。当時みんなよくやった、その第一弾のテープには、そのちょっと前にくれたアキヲデモのテクノな感じではなく、フランス・ギャル(お姉さんからの影響だと、とても愛情を込めて言っていた)やセルジュ・ゲンズブールの曲が入っていた。僕がシトロエンに乗っていたのでフレンチで入り口をつくったのか、そこからのトッド・ラングレンの“ハロー・イッツ・ミー”や“アイ・シー・ザ・ライト”、その全体のコンセプトが「なんか、この乾いた質感が好きやねん」って、くれたその場のアキヲの部屋で聴かせてくれた。その彼は当時タイトに痩せながらもガタイが良く、いつものピチピチのデニム、風貌からもなんとなくアキヲさんは乾いたフィーリングを持っていて、で、その好きな音への愛情や気持ち良さをエフェクトのキメや旋律に合わせて手振り身振り、パシっとデニム叩きながら、手で指揮しながら語ったくれた。
 その部屋には大きな38センチのユニットのスピーカーがあって、周りを気にせずでかい音で鳴らしてたのは僕と同じ環境で、その音の浴び方もよく似ていたが、昭和な土壁の鳴りは乾きまくってて、そんなリスニングのセッティングもアキヲさんの一部だった。
 そのテープの最後に入っていたYMOは、彼が少年期に過ごしたLA時代に日本の音として聴いたときの衝撃について話してくれた。初期のTanzmuzikに、僕がよく知らなかった中期のYMOへのオマージュ的な音色がときどき出てくるのも、こうした出来事があったから。
 そんなことがあって、アキヲさんには、その体格を真似できないのと同じように、真似できない音楽的感性の何かがあって、そこにはお互いに共鳴するものがあると気づいて、リスペクトする関係になった、そんな初めの頃のエピソードを思い出す。

 〈Rising high〉 のファーストが出て、やっとお互いいちばん安いそれぞれ違うメイカーのコンソール買って、少しは音の分離とステレオデザインがマシになったけど、それまではほんとにチープなミキサーと機材でやっていた。そのチープ機材時代の印象的な曲として、“A Land of Tairin”という曲がある。アキヲさんがシーケンスやコード、ベースなど全ての骨格の作曲を作って、こんなん……って聴かせてくれたものに僕がエフェクトやアレンジを乗せた曲。このノイズ・コードをゲート刻みクレシェンドでステレオ別で展開させたいねん!って、アキヲさんに指と目で合図しながら、2人並んで1uのチープなゲートエフェクタのつまみをいじって、当時のシーケンス走らせっぱなしで一発録りしたのを思い出します。
 あの曲のそんなSEや後半〜ラストに入れたピアノは僕がTanzmuzikでできたことのもっとも印象的なことのひとつで、アキヲさんだからこそさせてくれたキャッチボールの感謝の賜のひとつです。


■最後の頃。

 こんなして思い出すとキリがないので、最後の頃。アキヲさんが亡くなる前の数ヶ月ほどは不思議とよく会いました。僕が古い機材をとにかく売って身軽になってからやりたいなぁ、って機材を売りにいくって言うと、着いてきてくれてね、帰りに大阪らしいもの食べよって 天満の寿司屋に連れてってくれて、そしたら「久々こんなに食べれたわ!」って8カンくらい食べたてかな、ありがたいわって。その前のバカナルのサラダも。
 帰りに2人で商店街歩いてたら、民放の何とかケンミンショーのインタヴュー頼まれて、断ったけど「危ないわ、こんなタンズて」って笑ってて。

 たぶん最後に会ったときなのかな、気に入って買ったけどサイズ合わへんし、もしよかったら着てくれへん?ってお気に入りのイギリスのブランドの僕の好きなチェックのネルシャツを色違いで2枚。おまけに僕の両親に十三のきんつばも。
 で、最後のメールは、僕におすすめのコンバータのリンクだったと思います。
 彼はもちろん平常心、良くなるはずでしたから、マスタリングの仕事からそろそろ自作をと、ギターやベースも買ったばかりで意気込んでたし、なかなか音に触れない僕にも常に機材や音の紹介をしてくれていました。
 そんなことともに、僕のなかのアキヲ臭さっていうのは、クセのある人でパンクで短気であると同時に、20代の頃から僕と違ったのは、ことあるごとに、〇〇があってありがたい、〇〇さんには感謝やねん、って僕によく言っていたことで、アキヲさんは僕の感謝の育ての親でもあると今さら思うのです。 
 彼が面白がって興味を持った作曲のきっかけになったモチーフには、彼なりの独自な愛情が注がれてます。ターヘル名義のハクション大魔王やタンツムジークのパトラッシュ(たまたま思い出せるのがアニメ寄り)……、色々あるけど、アキヲさんの曲を聴いてる人のなかで産まれるおもしろさや気分を覗いてみたい気分にもなってきました(笑)。音楽は不思議です。アキヲさんと、アキヲさんの音楽に感謝。


■トラック5選


Dolice/Tanzmuzik
アルバム『Sinsekai』のあと、追って〈Rising high〉から出た5曲入りEPのなかのB1の曲。アキヲさんのセンチメンタルサイドの隠れ傑作と思ってます。〝最終楽章” のたまらん曲!です。実はデモはもっとすごくて、なにこれ!って絶賛するも再現なく、「あれ、プロフェットのベンダーがズレてたわ……」



Countach/Akio Milan Paak
着信音にしたい、この1小節。



Mothership/SILVA..Akio Milan Paak Remix
Silvaのリミックス、強いキックの隙間にノイズの呼吸するエロティックなアキヲ・ファンクの特異点。これもデモテイクは下のねちっこいコードから始まって上がってそのまま終わってしまうという、もっと色気のある展開だったのに……


Classic 2/Hoodrum
Fumiyaのフィルターを通してアキヲさんが純化されたカタチの傑作と思う。PVによく表現されたベースラインもアキヲさんらしくたまらないし、他に絡む抑えの乾いた707(?)のスネアは707のなかでいちばんカッコいいスネア。あの当時の2人の僕のなかの印象を象徴する。
 ほかにも、“HowJazz It”のサックスとオルガンの〝お話”合いのような裏打ち絡みも好きだし、“Classic 1”は青春期の鼻歌アキヲ節全開な面あって、シークレットのイズルやトロンのシンタロー……アキヲの好きな旧友の顔が不思議と浮かんでくる。
 あと1曲挙げようと思ったけれど、いっぱい出てくるのでここまでにします。
 サブスクにもあまり出てこないマニアックな曲も多いけど、是非機会があれば聴いてみてください! Radio okihide が出来ればかけたい曲やテイクが山ほどあります。

 アキヲさん、ありがとうございます。

文:Okihide

Ginevra Nervi - ele-king

 中国の動画サイトに投稿されたグラム・ロックの映像にはたいてい「精神汚染」というタグが付けられている。中国メディア全体が華美なことに敏感なのである。パンデミック前には視聴者がファッションを真似するという理由で複数の宮廷ドラマが放送中止となり、コロナ禍で最高視聴率をマークした「乘風破浪的姐姐」というオーディション番組も槍玉に上がった。30歳を過ぎた女性アイドルが生き残りを賭けて競い合う同番組は「アメリカズ・ゴット・タレント」を少しばかりヒネった企画だけれど、確かに本家よりもセットは豪華だった。そのトバッチリというのか、バラエティ番組も放送禁止の対象になったというので「快楽大本営」という番組を探して観てみたところ、なんのことはない「王様のブランチ」に歌って踊るコーナーがくっついたものを公開収録でやっている程度のものだった。これぐらいでもダメなのか……と。しかし、僕が違和感を持ったのは華美ということよりも「乘風破浪的姐姐」や「快楽大本営」でステージに上がる芸能人たちがあまりにもスタイル抜群の美男美女だらけだったこと。たまに客席が映ると日本の70年代を思わせる冴えない相貌の男女が客席を埋めていて、そのギャップは歴然だし、芸能人になる条件としてあからさまにルッキズムが肯定されているのだなあと。韓国でも「日本の女優はあまり美人ではない」という論評が盛んだったところに「だけど、個性的な顔の方が作品は記憶に残る」という意見が出てきて、あまりに同じような顔の女優が韓国には多過ぎるという方向に話が逆流するなどルッキズムが対象化されつつある感じを覚えたりもしたのだけれど、中国はまだとてもそんな感じではないのだろう。

 イタリアからネットフリックスやアマゾン・プライムの音楽を手掛けてきたジネーヴラ・ネルヴィによるデビュー・アルバムは、台の上に立って、さも10頭身であるかのように見せかけた本人がジャケット・デザインを飾っている。ハリウッド俳優がちょっとばかり体重を増減させただけで「肉体改造」と称するのが最近は普通になり、そういったギミックも含めてルッキズムをバカにした表現なのは明白で、アルバム・タイトルも「外見障害」と訳せばいいのか、「見た目がめちゃくちゃ」とでも訳すのか。彼女の場合は身長が低いことで人生に面白くないことが多かったとか、見た目で判断されてきたことに異議があるということなのだろうか。具体的にはもちろんよくわからない。いずれにしろ誤読も含めてデザインで多くを語ることには成功している。少なくとも僕はこのジャケット・デザインの「見た目」が気になって聴いてみようと思ったし。予備知識がないということは先入観もゼロで中身に接することができる。短いスキャットとドローンのミックスでアルバムは幕を開け、ミニマルと優しいインダストリアル・ノイズを組み合わせた“Variable Objects”へと橋渡される。クラシカルの素養は感じられるものの、アルカやOPN以降のポップな音処理が前景化し、彼らのグロテスクな要素が苦手だった人には爽やかな変奏に感じられる内容といったところだろうか。3曲目は“Twelve”、4曲目は“Seven”、5曲目は“Nine”とヒネくれたタイトル・センスが小気味好く、10年代に実験的と感じられた傾向をどれもスタイリッシュなポップ・ソングへとリモデルし、先行時代の作品をメタで楽しく作り変えたという風情。そして、じょじょに自分の持ち味に慣れさせていく。

 実験音楽なのに、とても軽やかでポップな印象さえ残すという意味ではローリー・アンダーソンのデビュー・アルバムが脳裏をかすめる。何度か聴いてみると重い部分もあり、とくに後半は実験的な色合いを剥き出しにしていくものの、構成の妙でそこはリスナーをさらりと深みまで導いてしまう。以前はビヨークそっくりの曲などもやっていたようだけれど、このアルバムにその片鱗はなく、そういう意味では完全に独自のサウンドを掴んだ瞬間がパッケージされている。やかましいを通り越したジャングルのフィールド録音にまったく踊れないパーカッションを組みわせた“Twenty”や複数のミニマル・ミュージックを混ぜ合わせてポリリズム化した“Zero, Two, One”や同じく“Eleven”も新鮮。異なる2つの要素をミックスする時に「こんな発想はなかった」と思うわけではないのに「こんな曲はなかった」と思わせてしまうのはやはりセンスがいいからだろう。エディット能力が優れていたとされるナース・ウイズ・ウーンドとは同じ能力を持ちながら逆方向の美意識を発揮しているということかもしれない。ストリングスを何重にもレイヤーさせた“Anmous”、アルバム・タイトルと呼応しているのかなと思わせる“An Interior of Strange Beauty”にはブレイクで意表をつかれ、2曲目の““Variable Objects””を重くアレンジした“Stasiv V”を経て♪多元宇宙で私は解き放たれる~と歌うヴォーカル・メインのエンディングへ。すべてを壊して再構築に再構築、再生に再生するという夢の歌。とにかく発想が豊かで、曲がヴァラエティに富んでいるにもかかわらず、アルバム全体に統一感があり、なかなか感動の1枚である。

『The Disorder of Appearances』を聴いて僕は久々にアヴァン・ポップという言葉を思い出した。森田芳光やタランティーノが最初に現れた時の「あっ」という、あの感じ。瞬間風速だけが人生だぜ、みたいな。わざとなんだろうけれど、サウンドにはあまり奥行きがなくて、本音をいえば異なったミックスでも聴いてはみたいところ。そのせいなのか、オーディオを変えてみると異様につまらなく聞こえる曲もあり、僕と同じ再生環境にない人にはどう聞こえるのかはちょっと未知数。できればイコライザー満載のミキサーを通して聴いてみたい。

Drexciya - ele-king

 今年2月だったか、いつぞやのパーティで Mars89 がドレクシアをかけたときは思わず雄たけびをあげてしまった。若い世代も聴いているのだという。
 昨年30周年を迎えたベルリンのレーベル〈Tresor〉が、ドレクシアのバックカタログのリイシュー計画を発表している。ジェイムズ・スティンソン没後20周年を記念した企画で、(彼が亡くなった)9月からスタート。どの作品もヴァイナル、CD、デジタルの3形態が予定されており、アートワークもすべて刷新される(今回新たにカヴァーを手がけるのは、デトロイト拠点の彫刻家、マシュー・アンジェロ・ハリスン)。
 第一弾として、1999年の『Neptune's Lair』が9月2日にリリース。以降、2000年の「Hydro Doorways EP」、2002年の『Harnessed The Storm』、2001年のEP「Digital Tsunami」とつづく。
 年明け後、2023年の2月には、スティンソンのソロ名義であるトランスフュージョンの2001年作『The Opening Of The Cerebral Gate』とEP「Mind Over Positive And Negative Dimensional Matter」が、3月にはシフテッド・フェイジズ名義の2002年作『The Cosmic Memoirs Of The Late Great Rupert J. Rosinthrope』がリイシューされ、シリーズは完結。
 これはコンプリートしたい。

interview with T-GROOVE & GEORGE KANO EXPERIENCE - ele-king

 片や、世界を股にかけて活躍するディスコ・サウンド・クリエイターで、泣く子も黙る生粋のディスコ・レコード・コレクター、再発プロジェクトやコンピレーション監修にも積極的に取り組む T-GROOVE。片や、i-dep や Jazztronik、sotte bosse のメンバーとして活動し、ストリートでもジャズをプレイしている豪腕のジャズ・ファンク・ドラマー:George Kano。そんな微妙に畑が違う両人が、ダンス・グルーヴというマスター・キーで互いにクロスオーヴァーし、熱量高くもスタイリッシュなアルバム『Lady Champagne』を完成させた。
 これまでの T-GROOVE は、一般的にリミックス・プロデューサーのイメージが強く、海外アーティストとはファイル交換でコラボレイトを展開してきた。ソロ・アルバムに加え、これまで手掛けてきたフランス・マルセイユ在住のユニット:TWO JAZZ PROJECT とのコラボレーション・アルバム『NU SOUL NATION』や、名門バークリー音楽大学助教授として後進を育成しながら自身の活動を続ける金坂征広(monolog / Yuki Kanesaka)と組んだ Golden Bridge の作品も、例外ではなかった。しかし今回パートナーとなった George Kano は、膝を突き合わせて意見を交換しながら音楽をクリエイトできる距離にいた。その濃密な関係性が、エモくパッショネイトであると同時に洒脱感さえ内包した、この生音アルバムの原点にデーンと鎮座している気がする。TWO JAZZ PROJECT のメンバーや新進ギタリスト:YUMA HARA など、従来の T-GROOVE ブレーンに加え、FLYING KIDS のキーボード奏者でサウンド・クリエイターとして活躍する SWING-O らキャリア組、それに bwp & funky headlights の黒﨑 “Mitchel” 洋之、大林亮三や Sho Asano といった若き有望ミュージシャンを多く起用したのも、今回のプロジェクトならでは。そして世界に通用する将来性豊かな実力派シンガー DAISUKÉ、J-Pop のイメージが強い Shohei Uemura(THREE1989)、ポエトリー・リーディングの FOUR LEAF SOUND (Tomoko Murabayashi)といったキャストにも、自分を踏み台にドンドン活躍の場を広げてほしいという彼のプロデューサー目線が効いている。そんな T-GROOVE、George Kano 双方にとって新しいステージを開拓した感のある『Lady Champagne』について、まずは彼らのその熱き胸の内を訊いてみた。


T-GROOVE

いま日本のジャズ・フュージョンとか、ジャズ畑の人のトラックを聴くと、リズムが小難しい割には軽く感じちゃうんです。そこに対抗したかった。(T-GROOVE)

海外アクトのリミックス・シングルを含めると凄まじいリリース数になりますが、T-GROOVE としては何枚目のアルバムに当たりますか?

T-GROOVE:ソロ名義だと最初に『Move Your Body』、次に『Get On The Floor』、それにTWO JAZZ PROJECT の『New Soul Nation』、金坂征広(monolog)とのユニット: Golden Bridge のアルバム『Golden Bridge』があるので、オリジナル・アルバムとしては合計5枚目ですね。Golden Bridge は2019年に出したので、今回は3年のブランクがあります。でもその間にも、リミックスを集めたコンピ『Diamonds : T-Groove Works Vol.1』『Double Platinum: T-Groove Works Vol.2』と、自分のアルバムから編集した『Cosmic Crush -T-Groove Alternate Mixes Vol. 1』が出ていますけど。

やっぱりスゴイ数だ!

T-GROOVE:海外モノなんかいつの間にか発売されてて、自分でも「これ何だっけ」というのもあったりします(笑)

GEORGE KANO

ジャンルに関係なく、ドラムが好きなんです。面白いドラムを叩いてれば、その人が好きになって研究して。〔……〕自分はカメレオン・ドラマーなので、何でも叩くんです。好きになると、自分のモノにしないと気が済まなくなる(笑)。(GEORGE)

そもそも GEORGE さんと組んだキッカケは?

T-GROOVE:実は知り合ったのは結構古いんですよ。2013年くらいに Dinky-Di というグループが「Ride On Fire」のアナログ盤をリリースして、GEORGE さんがそのドラムを叩いていたんです。僕は Dinky-Di のプロデューサー:Waq Takahashi さんと知り合いで、「Dinky-Di の新曲を作るから遊びに来ない?」と誘われて、レコーディング・スタジオで GEORGE さんを紹介されました。そこで、「いつか一緒にやれたらイイですね」という話をしました。

GEORGE KANO:それから間が空きましたね。

T-GROOVE:なかなか一緒に仕事する機会もないままだったんです。それが、GEORGE さんから「ソロ・アルバムを出したいんだけど、リリース先が見つからない」と相談を受けて、それなら自分がリミックスか何かで関与すれば、レコード会社が振り向いてくれるんじゃないかと思って。

GEORGE:それで音源を送ったら、もう次の日ぐらいに返ってきた(笑)

T-GROOVE はいつも仕事が早い(笑)

T-GROOVE:でも本格的にやりはじめたら、これはもはやリミックスを越えている、という感じになってきて。だったらベースやギターを録り直して、新曲にした方がいいんじゃないかと。それで i-dep のメンバーや YUMA HARA にダビングしてもらってでき上がったのが “Cityside Walk” で、これがこのユニットのデビュー曲になりました。元々はリミックス・プロジェクトとしてはじめたものが、意外に相性が良かったので、結果的にオリジナルで組んじゃいましょう、となったんです。そのタイミングで、立ち上がったばかりのレーベル〈URBAN DISCOS〉が、リリースできるものを探していたので、聴いてもらったら、イイネと。そこでカップリングが必要になって、何かのカヴァーがいいんじゃないかという話で。GEORGE さんは普段から路上ライヴをやっているので、ジャストな曲はないかな? と。

GEORGE:そこで “Cantaloupe Island” はよくストリートでやってます、と言ったんです。

T-GROOVE:それじゃあそのディスコ・ヴァージョンを作ろう、という流れになりました。

マーク・マーフィーのヴァージョンは何処から出てきたんですか?

T-GROOVE:シングルの両面がインストだと面白くないな、と思ったんです。だから片面に有名曲のカヴァーを入れたらいいんじゃないか、という単純なノリでした。それで探していたら、マーク・マーフィーの75年のアルバム『SINGS』に入っているのを見つけて。そしたら〈URBAN DISCOS〉の担当がたまたまマーク・マーフィーが大好きで、それならマーク・マーフィー版 “Cantaloupe Island” のディスコ・ヴァージョンを作ろうと。それで “Cityside Walk” とのカップリングでシングルを出しました。曲を見つけた後は、サクサクできましたよね?

GEORGE:そうですね。すぐにできました。

T-GROOVE:ヴォーカルは TWO JAZZ PROJECT のユニットのマリー(メニー)さんが歌ってくれたんですけど、元々スタンダードとか歌っている人だから、すごくいい感じに仕上げてくれました。

シンセのエリック・ハッサンとかギターのクリスチャン・カフィエロというあたりは、みんな TWO JAZZ PROJECT の人ですよね?

T-GROOVE:そうです。でも別に頼んだワケではなくて、マリーさんに歌ってほしいと言ったら、向こうで勝手にオーヴァーダビングしてきた(笑)。

頼みもしないのに(笑)。

T-GROOVE:彼らはいつもそうなんです。どんどんアイディアが膨らんできて、勝手にいろんなことをやっちゃうの。

他にもアチコチ参加していますね。

T-GROOVE:そうなんです。シンセサイザーとかエフェクトとかパーカッションとか得意な人たちだから、飛び道具みたいなのが欲しいときに、いろいろ入れてもらったりしました。首謀者のエリック・ハッサンは元々物書きで、小説家なんです。それで音楽もやってる、ちょっと変わった人ですね。TWO JAZZ PROJECT はみんな幼馴染みの4人組で、カップルがいたりして仲が良いんです。

その “Cityside Walk” と “Cantaloupe Island” のカップリング7インチと配信からプロジェクトがはじまったと。

T-GROOVE:そうです。でもコロナ禍もあってチョッとバッド・タイミングで、結構セールスは苦労しました。評判はすごく良かったので、1枚で終わらせるのはもったいない、と思っていたんです。そこで心機一転、アルバムはレーベルを移して。

GEORGE:そこからは怒濤でした。

T-GROOVE:勢いがついて、ミュージシャンを派手にしよう、とか。若手からヴェテランまで交友関係全員に声を掛けて。そしたら全部で18人(笑)。

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いままでディスコ・リミキサーのイメージが強すぎたので、そろそろそれを払拭したいと思っていたんです。〔……〕早くも想定外のことが起こっていて、Spotify のプレイリストで僕がジャズ・アーティストとして扱われているんです(笑)。(T-GROOVE)

すごいですよね。話を戻すと、最初に GEORGE さんがソロ・プロジェクトをやろうとしたとき、T-GROOVE を巻き込んだのはどういう発想だったんですか?

GEORGE:最初はただ自分のやりたいことをやっただけで、自分が気持ち良ければイイと思って作っていました。でも音を聴いてもらったら、「リミックスとかやってみたい」と言ってくれて。だからこんなに話が広がるとは、初めはまったく思っていなかったんです。でも上がってきたモノがすごく面白くて、T-GROOVE さんが関わってくれたら可能性が広がるかも、と期待が膨らみました。

ストリートではどんなジャズをやっていたんですか?

GEORGE:スタンダード・ジャズですけど、激しい感じで。普通に想像されるオシャレなジャズとは全然違います。

T-GROOVE:アヴァンギャルドな感じですよね?

GEORGE:パンク・ロックに近いジャズというか。

T-GROOVE:GEORGE さん自身、プログレとかロック好きですしね。

GEORGE:仕事的にはファンクとかラテン系のジャズなのですが、聴くのはロックが好きでした。

T-GROOVE:YouTube に様々なドラマーの代表的ドラム・パターンの動画を上げているんですけど、本当に幅広いジャンルをやっていますよ。

GEORGE:ジャンルに関係なく、ドラムが好きなんです。面白いドラムを叩いてれば、その人が好きになって研究して。そうしたら膨大な数になっちゃって(笑)。

T-GROOVE:バーナード・パーディのとか、再生回数ヤバイですよね。

GEORGE:自分はカメレオン・ドラマーなので、何でも叩くんです。好きになると、自分のモノにしないと気が済まなくなる(笑)。

T-GROOVE:生粋のドラム好きですよね。ドラムを叩くのが好き。

おふたりのプロジェクトなので、ドラムのミックスがデカイのは当然なんですけど、出自が見えにくいドラミングのスタイルですよね。スタンダード・ジャズみたいに上品な感じではないので、ロックが入っているとお聞きして腑に落ちました。それに T-GROOVE のディスコ・スタイルになると、四つ打ちのシンプルなドラムになるじゃないですか? そこはプレイヤーとしてどうなんでしょうか?

GEORGE:それなりの制約があるなかで、自分の色を出していくのが面白いんです。いくらでもガシャガシャできるけど、あえて抑えるのが面白い。ディスコ・ビートのなかに、少し自分のノリを出そう、という感じですね。

T-GROOVE もいつものディスコ・スタイルとは違いますね。最近はジャズ・ファンクにハマっていると聞いていますが。

T-GROOVE:せっかくいいドラマーを捕まえたんだから、こんなことやりたいなぁ、というのがあって。いつもの打ち込みの音でやると、“Lady Champagne” みたいなドラム・パターンはショボくなっちゃう。だから打ち込みじゃできないことをやりたくて。4つ打ちの曲は “Cantaloupe Island” と “Haven”、“Do It Baby” くらいかな。それに連れて曲の作り方も変わって、ドラムから叩いてもらったりしました。

GEORGE:こんなパターンがあるけど、どうですか、とか。

トラックメイカー的な作り方ですね。

T-GROOVE:それをループさせて肉付けしていって、粗方できたらまたフルでドラムを録り直して、またミュージシャンたちに好きなように録音してもらって、それを再びまとめる感じ。なかなか変わったやり方ですね。

それなりの制約があるなかで、自分の色を出していくのが面白いんです。いくらでもガシャガシャできるけど、あえて抑えるのが面白い。(GEORGE)

このアルバムは、T-GROOVE の従来作に比べて、良い意味でブッ飛んでるところがあると思う。そのパワーの源はドラムだと思うんです。いわゆる4つ打ちからハミ出して、ジャズ・ファンクらしい自由さがある。しかも相手はストリート・ドラマーでもある GEORGE さん。スピリットが違いますよね。

T-GROOVE:いま日本のジャズ・フュージョンとか、ジャズ畑の人のトラックを聴くと、リズムが小難しい割には軽く感じちゃうんです。そこに対抗したかった。バス・ドラムとかスネアの音作り、その辺を重いサウンドにするにはどうしたらいいのか。そこは徹底的にディスカッションしました。

GEORGE:こんなピッチの低いスネアの調整、したことないです(笑)。

T-GROOVE:すごく緩めてミュートをつけているんです。ある意味70年代的な。お手本として渡したのはシルヴァー・コンヴェンション。キース・フォーシーみたいなドラムの音にしてほしいって。それと MFSB のアール・ヤングだったり、ちょっとシックのトニー・トンプソン感もあったりで。

パワー全開でタム回すみたいな?

T-GROOVE:それでもかなり重いサウンドになりますけど、さらにコンプレッサーの掛け方とか、エフェクト関係を研究したんです。ミキシングにもメチャクチャ時間を掛けました。

GEORGE:叩いて渡した音が返って来たとき、音がスゴくて。どうやったらこうなるんだ? と。

T-GROOVE:GEORGE さんがメンバーとして在籍している i-dep のリーダーが褒めてくれたんですよね?

GEORGE:うちのバンド・リーダーが東京オリンピックの音楽監督アシスタントをやってたんです。彼が、「このドラム、どうやってこの音になるの?」とビックリして、「もう一回勉強し直そう」って。

ある意味、真っ当なエンジニアさんだと出てこない発想ですね。荒っぽく聞こえるけど、すごく凝って作り込んでいるという。そこがわかる人はすごく面白がるんでしょう。

T-GROOVE:そこは企業秘密ですけどね(笑)。松尾潔さんに、「音楽としても音響としてもハイクオリティですばらしい」とお褒めいただきました。ミキシングだったり、音響面のこだわりを評価してくださる方が多いのは嬉しいです。

今回は作曲を手掛けた曲が多いし、T-GROOVE にとって転機というか、ステップ・アップ作になりますね?

T-GROOVE:ステップ・アップというより、イメージ・チェンジですね。いままでディスコ・リミキサーのイメージが強すぎたので、そろそろそれを払拭したいと思っていたんです。自分は作曲するし、アレンジもやるし、オリジナルのアルバムだって出しているのに、それがリミックスの仕事に隠されてしまって、フラストレーションを抱えていました。そのときにコロナが来たので、実は半年から1年弱ほどクリエイティヴ・ワークを休んでいたんです。表ではそれ以前の制作物が発売されたり、リイシューのライナー・ノーツの仕事をしていたので、誰もお休みしているとは思っていなかったでしょうけど。でもそうやって一度リセットして、「さぁ、これからどうしようか」というところで GEORGE さんから話があって。もう全編ナマ音でやらないとダメかな、と思っていたので、これなら面白いコトができるかもと。現に早くも想定外のことが起こっていて、Spotify のプレイリストで僕がジャズ・アーティストとして扱われているんです(笑)。GEORGE さんと作ったのも、基本的にはディスコ・アルバムのつもりで作っていましたが、意外とジャズ・フュージョン畑の人が飛びついたみたい。GEORGE さんがそっち方面にプロモーション掛けたワケじゃないですもんね?

GEORGE:イヤイヤ、してないです(笑)。

T-GROOVE:結構ジャズ系プレイリストに入れられて、自分がジャズ・アーティストになっているという、予想外のクロスオーヴァーぶりなんです。

最近、和ジャズのアナログ再発が進んでいるじゃないですか。60年代から70年代初めの。あの頃の和ジャズの熱量、パワー感やミックス感と共通してますよね。いまそれをやってる人はほとんどいないから、その飢餓感を埋めてる面があると思います。特に苦労した曲はあったんですか?

GEORGE:“Timeless Groove” のゆっくりした感じは、結構苦労しましたね。キープするのが難しかった。ジャズでもこういうゆったりしたのはやってないので、挑戦でした。でもその苦労が面白いんですけど。

T-GROOVE:意外にもスロウなドラムを叩いたことがなかったんですって。もちろん上がりは完璧なんですが。

ストイックなトラックですもんね。

T-GROOVE:これだけは結構前にデモができていたんです。でも世に出す機会がなくて、リリースできていなかった。それが、この企画の趣旨に合いそうだからと蔵出しして、GEORGE さんにドラム叩いてもらって……。

GEORGE:めちゃくちゃイイ曲なので、「叩きます」と。でも叩いてみたらすごく難しかった。ただその他は、あまり苦労した印象はないですね。アッという間に曲が溜まっちゃって。

T-GROOVE:僕は “Shallow Naked Love” のダビングに手間が掛かりました。ブラス・セクションとかヴォーカルのアイディア、オルガンとか、どんどん音を重ねて、トライ&エラーを重ねて仕上げました。ミックスもかなりやり直しました。みんなのアイディアの賜物ですね。

せっかくなので、ライヴとかはできないのですか? 普通の T-GROOVE 作品だと、ライヴなんてあり得ないけど、これならできるのではないですか?

T-GROOVE:ミキシングまで含めてこのアルバムなので、自分のなかではここで完結しちゃっているんです。だからコレと同じサウンドをライヴで再現するのは、現実的ではないかな。

GEORGE:セッションみたいな感じなら、何とかなるかもしれません。

T-GROOVE:パーティーみたいな感じなら面白いかも。でも僕、ちょっと表に出るのが恥ずかしいので(笑)。でもライヴという固いモノじゃなくて、オープン・セッションみたいに気楽な形なら楽しそうですね。

いずれにしろ、他にはない面白いアルバムができたと思うので、これだけで終わらせるには惜しいと思います。

T-GROOVE:そうですね。T-GROOVE & GEORGE KANO EXPERIENCE をベースに、DAISUKÉ みたいな外部のシンガーを呼んで歌モノ・シングルを作るとか、バリバリのロックやフレンチ・レゲエをやってみるとか。実は今レゲエにハマっているんです。

GEORGE:制限されたなかでのグルーヴにすごく楽しみを感じて作りましたし、レゲエみたいにまだやってないジャンルが残っているので、これからも続けていけると思います。自分でも楽しみです。

T-GROOVE:ディスコ・ミュージックっていろいろなジャンルとミックスできるし、世界共通のビートでもある。だから GEORGE さんが持っているテクニックやセンスをフルに使って、続けていけたらいいなと思っています。

坂本慎太郎 - ele-king

 本稿は2022年5月9日月曜日のインタヴューおよび同年5月19日アップの記事のあとがきとして構想したものである。思いのほか時間がかかった事情についてはお察しいただくほかないが、その間聴きこむうちに『物語のように』の印象もまたかわりつつある。
『物語のように』は坂本慎太郎4作目のアルバムで、前作『できれば愛を』からはじつに6年ぶり。ただしあいだには3枚のシングルをはさむ。ことに2019年8月の「小舟/未来の人へ」から間を置き、2020年11~12月にリリースした「好きっていう気持ち/おぼろげナイトクラブ」と「ツバメの季節に/歴史をいじらないで」の2枚4曲(のちにEP化)は『物語のように』の露払い役を担うとともに、シングルの機動性を活かした率直な自己表出にはこの時期の坂本の思考を記録するドキュメンタルな趣きもあった。このことについては取材時にも指摘があったが、私どもの質問に坂本はコロナ禍によるライヴと制作環境の変化を要因にあげ、アルバム(本作のことです)の尻尾もみえていなかったからその時期のムードや考えを比較的反映しているかもしれないと述べている。とはいえ悲観や絶望が全面をぬりこめるわけではない。また同時に問題意識と音楽がぬきさしがたく結びついているわけでもない。坂本慎太郎らしい絶妙な屈折と脱力――とは誤解を招く言い方だが――があり、ほんのりとしたグルーヴがある。一連の楽曲でもっとも直截な「歴史をいじらないで」でひとつとっても、そこで描くのは歴史修正主義者たちの思想や行為よりも戯画化した姿である。それによりそのものたちの抑圧的な表情の裏にあるぬめぬめとした姿態があらわになるが、あたかも世界の表層を捲りあげる、そのような認識のあり方をさして「物語のようだ」ということは可能だろうか。坂本慎太郎はつねにすでにそのような資質を私たちの前にむきだしにしていたが、そのことに気づくには『物語のように』ということばの到来をまたなければならなかった――。
 この事後性ないし遡行作用はアルバム冒頭の“それは違法でした”に精確にあらわれている。本作でもとりわけ政治的なこの曲は音楽、映画、絵画、会話から恋愛にいたるまであらゆることが違法な世界を、おそらくは法や制度の恣意的な運用を是とする昨今の風潮を土台に誇張するが、主題はそのディストピックな世界観より「でした」という過去完了形にある。違法状態は過去のある時点でなりたち、現実に伏在しつつ(暴)力として顕在化することでその射程は過去におよぶ。歴史と不可分ではないこの機制は坂本のこの時期の問題意識の在処をあらすとともにシングルとアルバムをむすびつける。他方「違法」の文言で主題化する「法」とはいうまでもなく特定の国家や地域における社会規範であり、違反には罰則がともなう。現実世界では違法かいなかの判断には司法機関があたるが、坂本がこの曲でイメージする法は個々の法律というよりも人々を浸食しつづける権力の作用、フーコーが指摘する権力の編成としての法を思わせる。法は欲望を抑圧するともに新たな欲望を産出すると述べるフーコーにしたがえば、適法的なものこそ倒錯的でなければならない。坂本慎太郎の音楽に「あとの祭り」感がただようのはいまにはじまったことではないが、その淵源は上にみた法=権力の分節機能への透徹したまなざしにある。
『物語のように』でそれはきわまっている。とはいえ奇怪に入り組んだ無情の世界をみさだめるのは、それこそパンドラの箱をもって紛争の緩衝地帯でフラフラと踊るのにも似た離れ業なのかもしれない。坂本慎太郎の歌詞ではしばしば幻や幽霊やロボットやイヌやキジや鬼が象徴的な役割を担うが、『物語のように』にはそのような機能をもつ記号はひかえめで、作中の光景もどことなく日常にちかい。ファンタジーと私小説における虚構性の差異とでもいえばいいだろうか、あるいはリアルとフィクションが転倒した世界を反映したのか。物語を掲題しながらことばは煽情的なドラマを迂回し、良質の短篇集を読み終えたときにも似た余韻をのこす。もっとも本作はサブスク全盛期における野心的な音楽アルバムであり、“それは違法でした”にはじまり“恋の行方”で幕を引く全10曲40分のあまりの時間には山もあれば谷もある。演奏の布陣は過去3作をひきつぐが、サウンドはアンサンブルの輪郭をくっきりと描くより全体的に内向させるような捉え方をしている。隙間は多いが距離感はちかい、そのような質感の音でエレキ・サウンドやアメリカン・ポップス、ラテン歌謡のムーディなエッセンスをまぶした曲調がつきぬけた明るさのなか展開していく。むろんそこには星降るようなキラメキだけでなく、星をみあげるような慨嘆も存在する。前半の楽曲については取材時にもふれたのであわせてご参照いただきたいが、5曲目の“悲しい用事”でおりかえす後半にも、メロトロン風のフルートのリフも印象的な“スター”、本作ではやや異色でアーバンな“愛のふとさ”、坂本の弾くベースがジャグっぽい“ある日のこと”など、聴きどころはいくつもある。記号のせめぎあいを調停し、郷愁を避けるでもなく、さりとてそこに埋もれるでもない、坂本慎太郎の曲づくりはいよいよ円熟味を増しつつあるが、その妙手は作詞面にも敷衍すべきであろう。発言によれば、歌詞は曲のあとにおとずれることが多いようだが、本作ではその事後性が坂本慎太郎という音楽家の起源をいままで以上に鮮明に照らし出している。7曲目の“浮き草”の登場人物のように「一人で違うとこ見てる」にちがいない坂本慎太郎の独創的な観点と朗々とした響きがおりなすポップスに、私はやはり寓話(Fable)にも通じる普遍的な多層性をおぼえるのでである。

Hudson Mohawke - ele-king

 ひさしぶりだ。00年代後半に華々しく登場し、エレクトロニック~ヒップホップ~ベース・ミュージックの境界を書き換えたハドソン・モホーク。なんとこの夏、7年ぶりのオリジナル・アルバムがリリースされることになった。あいだにゲーム『Watch Dogs 2』のサントラトゥナイトなどを挟んでいるとはいえ、2015年の2枚目『Lantern』以来の新作なわけだから、これは期待せずにはいられない。発売は8月12日。
 現在、新曲 “Bicstan” とアルバムのさまざまな要素をひとつにまとめたティーザー音源 “Cry Sugar (Megamix)” をカップリングした先行シングル「Cry Sugar (Megamix)」がデジタルにてリリースされている(試聴・購入はこちらから)。この夏はハドモーで爆発しよう。

Hudson Mohawke
ハドソン・モホーク帰還!!!

待望の最新作『CRY SUGAR』を8月12日リリース決定!
アルバムのメガミックス音源 “CRY SUGAR (MEGAMIX)” と
新曲 “BICSTAN” を解禁!

ハドソン・モホークが8月12日 (金) に〈Warp Records〉より待望の最新アルバム『Cry Sugar』をリリースすることを発表! 合わせて新曲 “Bicstan” と映像作家 kingcon2k11 が監督した強烈な映像と共にアルバムのメガミックス音源 “Cry Sugar (Megamix)” が解禁!

Hudson Mohawke - Cry Sugar (Megamix)
https://youtu.be/l19Fxfk-QxU

Hudson Mohawke - Cry Sugar Megamix / Bicstan
https://hudmo.ffm.to/cry-sugar-megamix

アルバム全体の様々なパーツを一つにまとめ上げた “Cry Sugar (Megamix)” を聴くことで、本プロジェクトが持つサウンドやキャラクターを味わえることができると同時に、先行シングル “Bicstan” は、Roland TB-303 のアシッドなサウンドと躍動感あるガバ・スタイルのトラックに、浮遊感のあるボーカル、ケリー・チャンドラー風のクラシックなハウスのコード進行を組み合わせた、聴いた瞬間から体を動かさずにはいられない、ハドモ・サウンド全開のトラックとなっている。

2015年の『Lantern』以来の3rdアルバムとなる本作『Cry Sugar』は、パンデミックを経てついにクラブやライブイベントに戻ってくるすべての音楽ファンのモチベーションを高める音楽として、ハドソン・モホーク特有のアンセミックなサウンドがアルバム全体に余すところなく展開している。ハイカルチャーとローカルチャーを融合させることにおいては、もはや右に出るものがいないハドソン・モホークだが、彼こそが、2010年代を席巻したトラップミュージックの設計者で、世界中のパーティーからTVコマーシャルまで、今もなおあらゆる場面でその影響を感じることができる。

本作の背景にはアメリカの退廃があるという。アルバムのアートワーク (グラフィティシーンからキャリアをスタートさせた画家で映像作家としても活躍するウェイン・ホースことウィレハッド・アイラースによる) に描かれているように、我々はゴーストバスターズのマシュマロ・マンと腕を組んで、ジャックダニエルの瓶を片手に帰宅するところで、灰色の暴風雨という大惨事が近づきつつあるのを、ただじっと見つめている。そんな現実を目にし、ハドソン・モホークは、DJブースを指揮台に、放蕩と黙示録の間の緊迫したドラマを描き出している。ハドソン・モホークにとって本作は、故ヴァンゲリスの後期作品から90年代のジョン・ウィリアムスによるベタなメジャーコードのサウンドトラックまで、黙示録的な映画やそれらの音楽に深く影響を受けた最初の作品でもある。本作はいわば、文化的メルトダウンの黄昏を記録した映画の狂ったサウンドトラックである。

ハドソン・モホーク最新作『Cry Sugar』は、CD、LP、デジタル/ストリーミング配信で8月12日(金)に世界同時リリース! 国内盤CDにはボーナストラックが追加収録され、解説書が封入される。LPフォーマットは、ブラック・ヴァイナル仕様の通常盤とブルー・ヴァイナル仕様の限定盤で発売される。

label: Warp / Beat Records
artist: HUDSON MOHAWKE
title: Cry Sugar
release: 2022.08.12 FRI ON SALE

国内盤CD BRC711 ¥2,200+税
解説封入/ボーナストラック追加収録
輸入盤1CD WARPCD347
輸入盤2LP+DL(ブラック・ヴァイナル) WARPLP347
限定輸入盤2LP+DL(ブルー・ヴァイナル) WARPLP347I

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=12883

TRACKLISTING
01. Ingle Nook
02. Intentions
03. Expo
04. Behold
05. Bicstan
06. Stump
07. Dance Forever
08. Bow
09. Is It Supposed
10. Lonely Days
11. Redeem
12. Rain Shadow
13. KPIPE
14. 3 Sheets To The Wind
15. Some Buzz
16. Tincture
17. Nork 69
18. Come A Little Closer
19. Ingle Nook Slumber

Bonus Track for Japan

Keita Sano - ele-king

 ギシギシと鳴り響くノイズとサウンド・コラージュの渦、そして行く先を惑わすパーカッション、下から湧き上がってくるのは超ヘヴィーウェイトでダビーなダンスホール・リディム~マシン・ビート。そのサウンドの要を成しているのは、目の前の景色をひん曲げるほどのヘヴィー・サイケデリア。サノ・ケイタの新たなサイドとも言えそうなアルバムが届いたのは、今春。と、何度も聴き直しているうちにうだるような暑さがやってきたものの、なんだかむしろこの季節に相当しい感覚もある。

 パワフルなボトムでグルーヴを刻む、そんなロウなハウス・トラックで、2010年代のNYアンダーグラウンド・ハウスの牙城〈Mister Saturday Night〉など海外レーベルから多くの12インチをリリース、また名門、瀧見憲司の〈CRUE-L〉やプリンス・トーマスの〈Rett I Fletta〉からアルバムをリリースしているサノだが、2017年に共同主宰に名を連ねて設立したのが本作品をリリースしているレーベル〈MAD LOVE〉。本レーベルのもうひとりの主宰は、思い出野郎Aチームのパーカッショニストであり、アンダーグラウンドのダンス・シーンにおいてはDJとしても活動する松下源 aka サモハンキンポー。
 レーベルは、かの Wool & The Pants をいち早くリリースしたり、Ahh! Folly Jet やラテン・クォーター(新たな作品『pattern02』ももうすぐリリースされる模様だ)といった長らく作品をリリースしていなかった逸材をひっぱり出してきたりと、そのリリースはインディとダンスフロアとの距離感にしても、時代感覚にしても、提案という部分でどこか示唆に充ちたリリースばかりをおこなっている感覚がある。〈MAD LOVE〉は、これまでサノ自身の作品もリリースしていて、ポール・ジョンソンを彷彿とさせるボトム・ヘヴィーなディスコ・リコンストラクションものハウス『MAD LOVE』や『Come Dancing EP』といった12インチ、さらに彼のハウス・グルーヴとも、本作ともまた違ったサイドを提示する、コロナ禍のベルリンで制作されたというレイドバックしたメロウなダウンテンポ集『this love』を2020年末にリリースしている。

 そして巡って2022年、本作が〈MAD LOVE〉からリリースされたわけだが、冒頭に書いたように、それはヘヴィーでパワフルなグルーヴというある意味で彼のこれまでのハウス系の作品とも共通するテイストを持ちながら、一聴してわかるそのコラージュ感に溢れたラフな作風は、新たなサイケデリックなゾーンへと一歩踏み込んでいる。

 サウンドシステムから吐き出されるデジタル・リディムをそのままマイクでサンプルしたようなラフな音像のダンスホール・リディムの前半部(カセットではA面となる “The Peace of Mind”~“Chholia Riddim”)は、さまざまなコラージュとノイズ、どこか街の雑踏にいるような音の顆粒で塗り固められている。ひょっこりと中東や北アフリカあたりの街路に顔だけ出てしまいそうな、時空の歪みを感じる強烈なサイケデリアに包まれている。ここ最近のテクノにおけるダンスホールの受容とも共鳴しながらも、むしろ23スキドゥーやムスリムガーゼをケヴィン・マーティンがノイジーなダンスホール・ヴァージョンとしてリミックスなどという妄想も浮かぶ音像でもある。
 ちなみにカセットで聴いていると、B面は、幾分その混乱が晴れたヘヴィー・リディム “Fat Man Riddim” でスタート、変わって「スタラグ」からまさかのアートコア・ジャングルへと展開する “Peace”。ざらついたブレイクビーツ “Singing To The Moon (Bass Mix)”、そしてスペーシーなグライム “Stressful Blocks” など、A面とはまた違った景色を見せられていることに気づく。そして極めつけはパーカッションとノイズが欲望のままに高速回転していくカタストロフな “Skullptureeeee” へ、それは本アルバムのハイライトと言えるだろう。そしてエンディング・テーマのようなダウンテンポ “Mo Problem Feat. Shy Lion” で終わる。アルバムはジェットコースターのようにめまぐるしく景色を変えながらものすごいスピードで景色が変わっていくのだ。

 恐らくだが、彼がこれまでの作品にてこだわり抜いてきた、ハウスやテクノといったフォーマット性の強い音楽で自らの味を出すということから、その制作のベクトルを少々別の方向へとそのエネルギーをかたむけ、欲望のままにひとつ外に歩み出した感覚の作品という感じもする。が、もちろんそれこそコレまで彼が培ってきたそうしたハウスやテクノの音楽的土台があるからこその反射神経と蓄積したテクニックを痛感する作品でもある。ここで見せるのは、ある種のフィーリングはこれまでとは違った景色ながら、なんというか現場で、そして制作で築き上げてきた、アーティストとしてのキャリアというか下半身の強さを感じさせるサウンドだ。とにかくエネルギッシュなすごい作品なので、ぜひともLP化などがなされて海外でも聴かれて欲しい。

Les DeMerle - ele-king

 レアグルーヴ・ファンから支持を集めるドラマー、レス・デマールのライヴ盤2作がクリア・ヴァイナルでリリースされる。1枚は1978年の『Concerts By The Sea』、もう1枚はザ・レス・デマール・トランスフュージョン名義で1979年に送り出された『Transcendental Watusi!』だ。200枚限定プレス、ナンバリング付きとのことで、ご予約はお早めに。

レア・グルーヴ・ファンから絶大な支持を得るドラマー、レス・デマールの伝説のライヴ録音2タイトルがクリア・ヴァイナルで同時リリース。VINYL GOES AROUNDとfRUITYSHOPにて限定販売。

レア・グルーヴ・ファンから絶大な支持を得るドラマー、レス・デマールの伝説のライヴ録音『Concerts By The Sea』『Transcendental Watusi!』2タイトルがクリア・ヴァイナルで同時リリース。Pヴァインが運営するアナログ・レコードにまつわるプロジェクト「VINYL GOES AROUND」と中国の人気レコード・ショップ「fRUITYSHOP」での限定販売となります。

どちらも数多のアーティスト、DJにサンプリングされてきた怒涛のドラム・ブレイクと強烈なグルーヴでジャズ・ファンクリスナーを虜にしてきたアルバム。
ナンバリング付きの200枚限定プレスとなりますので、お早めにお買い求めください。

・VINYL GOES AROUND 予約ページ
https://vga.p-vine.jp/exclusive/vga-7816c/


[リリース情報①]
アーティスト:LES DEMERLE
タイトル:Concerts By The Sea
品番:PLP-7816C
価格:¥4,950(税込)(税抜:¥4,500)
*商品の発送は2022年7月下旬を予定しています。
*限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。

■トラックリスト
A1. Quetzal
A2. Ambidextrous
A3. Island Winds
A4. Music Is The Message
B1. San Quentin Quail
B2. Freedom Jazz Dance
B3. Sambandrea Swing



[リリース情報②]
アーティスト:THE LES DEMERLE TRANSFUSION
タイトル:Transcendental Watusi!
品番:PLP-7817C
価格:¥4,950(税込)(税抜:¥4,500)
*商品の発送は2022年7月下旬を予定しています。
*限定品につき無くなり次第終了となりますのでご了承ください。

■トラックリスト
A1. Manfred S
A2. Once Upon A Time
A3. Ear Food
B1. Transcendental Watusi
B2. Daggerpoint
B3. In Transit

µ-Ziq - ele-king

 90年代後半におけるUKのエレクトロニック・ミュージック、ことにAFX周辺(という言い方は他のプロデューサーに失礼だが、日本ではわかりやすいので敢えてそう書いている)の多くの作品、スクエアプッシャーにしろルーク・ヴァイバートにしろグローバル・コミュニケーションにしろ、そしてマイケル・パラディナスにしろ、あの時代の彼らをジャングルからの影響を抜きに話すことはできないでしょう。主要な影響源がNYエレクトロやシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノにあった90年代前半のやり方から、いきなりハンドルを切ったかのように、それがラウンジであれ、ジャズ‏・フュージョンであれ、インダストリアルであれ、ブレイクビートを使った自由奔放かつ創意ある組み合わせによるリズムを取り入れている。ジャングルにおけるリズムの進化のなかに、これは面白いことができそうだという可能性を見いだしたのだろう。『ドラムンベース・フォー・パパ』やカメレオンの「リンクス」、“カム・トゥ・ダディ”や“ガール‏/ボーイ・ソング”、『ハード・ノーマル・ダディ』……、そしてマイケル・パラディナスの『ルナティック・ハーネス』。

 もっともマイケル・パラディナスは、『ブラフ・リンボー』(1994)の頃から、たとえば当時度肝を抜かれた“ヘクターズ・ハウス”のような曲にも、いや、襲撃だったあのデビュー・アルバム『タンゴ・ンヴェクティフ』(1993)にだってレイヴ・カルチャーとの繋がりを示す痕跡はあった。それを言ったら、そもそもパラディナスをその気にさせた“アナログ・バブルバス”のブレイクビートからして遠からず繋がっている。だが、ジャングルを自分たちのリズムとして咀嚼するというか、より創造的に応用し、リスニング・ミュージックとして洗練させたのは90年代後半になってからの話だ。なんにせよ、AFX周辺がUKの移民文化とリンクする荒々しいアンダーグラウンドから生まれたそのリズム革命を自己流に解釈していったとき、彼らはもうひとつの高みに向かっていったと言えるだろう。その音楽にタグ付けされた、“ドリルンベース”という珍妙なネーミングは、ある意味バカバカしく、ある意味適切でもあった。ドリルの音でダンスするのは難しいが、あり得ないほど速い連打に笑えるかもしれない。

 『ルナティック・ハーネス』はそんななかの1枚で、いまではすっかりIDMクラシックに括られている、パラディナスの代表作の1枚だ。もっとも、リアルタイムにおいては、さきほど挙げたほかの作品のインパクトもそれなりに強くあって、とくにパラディナスの場合はAFXとの比較が不可避的だったりしたので、印象で言えばこの1枚だけが突出していたわけではない(それほどこの頃は濃密だった)。あるいは、在りし日のパラディナスが恐ろしく多作だったことも関係しているのだろう。1995年に初めて取材したとき(ele-king vol.01収録)、彼はすでに550曲作ってあると言っていたが、それはあながちハッタリではなく、『イン・パイン・イフェクト』(1995)以降、ファンキーなジェイク・スラゼンガー、フロアよりのタスケン・レイダーズ、テクノよりのキッド・スパチュラ、ジャジーなサンプルを多用したゲイリー・モシェレス等々、いろんな名義でいろんな作品を出しまくった。(そして近年は、この頃出し切れなかったものを出し続けている)
 だからこそ、『ルナティック・ハーネス』の25周年記念としてのリイシューには意味があるのだろう。ジャングルのみごとな応用とパラディナスの遊び心ある折衷的なアプローチのもっとも洗練されたアルバムは、いま聴いても、いや、いま聴くとなおのこと十分に楽しめる。つまり同作はいまや歴史から切り離されているわけで、だからもう、同じようなアプローチの他の作品のことは忘れて、この作品のみに集中できるのだ。“ブレイス・ユアセルフ・ジェイソン”なんて本当に良い曲だけれど、この頃は他にも良い曲がたくさんあったから。(歴史のなかで聴く醍醐味を失いつつある現在において、それを感じたいのであれば〈プラネット・ミュー〉をチェックしましょう)
 
 というわけで新作の『マジック・ポニー・ライド』の話をすると、「少なくともジャンルやスタイルに関しては『ルナティック・ハーネス』のフォローアップのようなものとして作られている」と〈プラネット・ミュー〉のサイトの紹介文に記されている。手法的には「続編」と見ていいのだろうが、趣は著しく違っている。だってこれは、「喜びとメロディ、ジャングルにインスパイアされた」と、まあ、ぶっちゃけたことが書いてあって、たしかにその通りの内容なのだ。
 もとよりパラディナスの音楽を特徴付けるのは、激しいリズムとメロディアスな上物にあったわけで、くだんの『ルナティック・ハーネス』はヴァリエーションの豊かさと完成度の高さにおいて傑作だった。その幅の広さのなかには、ラウンジ的なゆるさやユーモアもありつつ、ブレイクコアへの架け橋ともなるような暴力性も内包している。刃物恐怖症の身としては、ハサミの音?に聞こえるルーピングには、いまでも耳をふさいでしまうのだけれど、そこへいくと『マジック・ポニー・ライド』はじつに平和な作品だ。彼の家族への曲(娘のエルカをフィーチャーした曲があり、亡き父への曲など)があるように、これは愛情によって生まれた心温まるアルバムなのである。
 『ルナティック・ハーネス』のフォローアップ作と言っても、“ヘスティ・ブーム・アラーム”のような複雑なエディットで飾り立てるよりは、シンプルに聞こえることを意識したのだろうか、地味であることの美学(表向きの華やかさよりも地に味があること)に徹しているように感じる。そのことは最初の2曲を聴いてもらえればわかると思う。とはいえ、“ターコイズ・ハイパーフィズ”のように“ヘスティ・ブーム・アラーム”直系の曲もあるにはある。が、ぜんぜんドリーミーだし、向いているところが違いすぎる。繊細なメロディやアンビエント・タッチの柔らかい音色もまた今作の特徴で、シングル・カットされたリズムが強めの“グッドバイ”にしてもそう。
 
 パラディナスといえば、このところずっとレーベル・プロデューサーとしての仕事のほうがよく知られるところで、〈プラネット・ミュー〉は変わらず活動的だし、エレクトロニック・ミュージックのプラットフォームとしていまでも生き生きとしている。だが、ミュージック名義としての作家活動となると、90年代とは打って変わって、すっかり寡作な人になっている。先にも書いたように、ここ最近は未発表作品をまとめたアーカイヴ・シリーズ(1992年から1999年までの未発表曲が年代別に4枚のアルバムに分けられている)のリリースがあるぐらいで、昨年、スペインの〈Analogical Force〉からリリースした『スカーレイジ』(2021)が2013年の『チュード・コーナーズ』以来となる8年ぶりのオリジナル・アルバムだった。
 『スカーレイジ』を作ったこと、それからアイスランドでの乗馬が新作を作るうえでの重要な体験となったそうだ。なるほど、たしかにそんなイメージかもしれない。軽快で心地よく、もうこれは“ドリル”ではない。しかしね、実際馬のうえにまたがったりすると、思っている以上に高くて、硬くて、けっこう怖いんだよね。しかし、マイケル・パラディナスは、馬に乗ってアイスランドの大地を駆けていったと。
 アイスランドを駆ける馬かぁ……よくわからないけど、猛暑の夕暮れ時にビールを飲みながらそんなことを想いつつこのアルバムを聴いていたら、ほんのちょっと気分が良くなった。世のなかが暗く沈んでいる時期には(ここ日本ではとくにそうだよね)、このとんでもない多幸感はだいぶ場違いな気もするのではあるが、だいたいパラディナスは、昔から少しだけなんかちょっとズレている感じがあったし、そんなところが魅力でもあるので、うん、これはいいんじゃないでしょうか。

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