このアルバムを巨大資本がすべてをコントロールしようとする都市の隙間で、ネズミやカラスと暮らす都市生活者に捧げる。 ──Mars89(アルバムのライナーノーツより)
「日本」や「東京」は、これまで何度も西洋から描かれてきた。しかしながら、たとえば大友克洋が『AKIRA』の連載をはじめた1982年、映画『ブレードランナー』における酸性雨に濡れた未来のロサンジェルスのなかにカットインされた「日本」はエキゾティシズムそのものだったし、1984年の『ニューロマンサー』の舞台となった「千葉シティ」や「ニンジャアサシン」にいたってはなかば荒唐無稽なファンタジーだと当時のぼくには思えた。無理もなかろう。生活者目線で言えば、代官山にも麻布にも銭湯があって、地方から上京したぼくのような学生は家賃2万ほどの風呂無しアパート生活が標準だった時代だ。稲垣足穂が極貧生活を送っていた東京のほうが身近に感じたくらいだった。
ゆえにヴェイパーウェイヴがルーピングした「80年代日本」は、面白くはあるがそれはアメリカのサブカルチャーにとって都合良くステレオタイプ化された「日本」にもなっている。昨年ピッチフォークに掲載された「シティ・ポップの無限ライフサイクル」なるエッセーは、インターネット時代における分裂的なノスタルジアの特性と、シティ・ポップがことのほかYouTubeとTikTok、さらにはアニメと親和性が高いことを論じている。こうした西洋からの日本神話をいまや日本の側でも利用するので、エキゾティシズムとしての「日本」や「東京」は手が付けられないほど膨張している。ゆえに、経済大国世界二位などと言われた時代の低所得者の生活と同時に衰退した現在におけるそれもまた周縁化されるわけだが、ひとつだけ神話と現実の両方に共通していることがある。資本主義的ユートピアの消滅だ。
Mars89の話からは、彼の音楽のインスピレーション源のひとつに東京があることがよくわかる。迷路のようになったいまの渋谷駅が象徴的だろう。世にも奇怪な拗くれた街=東京の音。世代的に見れば、彼のなかにはエキゾティシズムとしての「東京」もあるのかもしれない。が、1994年にゴールディーが“Inner City Life”で表現した都市生活者の痛みと愛も『Visions』にはある。たったいま、働きながら音楽を作っている、汗をかいて生きているひとりの生活者の視点をもって描写される現在の東京、ブランド化(再開発)によって周縁化された東京とそのマージナルな領域で生きている人生、コロナ禍で味わった葛藤とダンス・ミュージック。
これは、すべてを焼き尽くしてしまいそうな猛暑日になる前の、6月なかばに録った記録になる。アルバムの傑出したエネルギーの根源について聞き出そうと取材ははじまったが、話は広がって、後半は政治の話題にまで及んでいる。ちょうど選挙前だし、このタイミングでの掲載で良かったのかもしれない。今日の「日本」とは国際社会ではひとつの階級となっていることが、国境を越えて活躍しているこのDJ/プロデューサーにはわかっているようだった。
例えば朝の渋谷でクラブから這い出てくると、同じくどこからともなく出てきたネズミやカラスと道で一緒になるじゃないですか。嫌がる人も多いけど、実はそこで一緒に生きているはずなんです。例えばバンクシーもたくさんネズミを使うじゃないですか。
■作品を聴いて、すごくびっくりして。レヴューに書いたことなんだけど、いままでやってきたことを踏まえた上で、それとはまた違うところに行こうとしているというか、最初いきなり四つ打ちで、あれ? 間違えたのかな、と(笑)。
Mars89:(笑)。いままで、いわゆる4×4のキックは一切使ってこなかったですよね。
■ではテクノなのかというと、音の遠近感も歪ませ方もテクノの人のセンスではないな、とも思いました。ベリアルがディープ・ハウス(“Moth”のこと)をやってもハウスにならないのと同じで、かなり独特なサウンドを作っている。そもそも、『Visions』はいつから作はじめたんですか?
Mars89:もともと〈Bedouin Records〉から出そうという話があったので、けっこう前に何曲か作っていたんです。ヴォリュームがあるのを出したいね、という話だったんですけど、そこからあまり進まなかった。で、ちょうど2020年のコロナ禍に入ってから、それまで作ったものを全部作り直して。
■てことは、一回作っていて、それをまた作り直したと?
Mars89:そうですね。だから100%コロナ禍に入ってからできたものです。
■2017年に最初のカセット・テープ「Lucid Dream」を出して、そこからシングルをコンスタントに出してるじゃないですか。それを考えると、もう少し早くアルバムがあっても良かったのかな、という感じもするし。でも、エレクトロニック・ミュージシャンってシングルをたくさん作って、アルバムってそんなに出すものじゃなかったりするし、人によるとは思うんですけど。Mars君は、アルバムってどういう風に捉えてますか?
Mars89:これまでは、何曲もたくさん作るまでの忍耐力がなかった。4曲くらい作ったら満足して、すぐ出したくなって、レーベルに送って、という感じでした。3曲のEPとかでも、一応まとまった雰囲気を考えてるんですけど。
■そうだよね。「End Of The Death」は5曲入っていて、そこには世界観がある。これは全部違う曲だし、考え方によってはミニ・アルバムぽい感じもあって。
Mars89:そうですね。
■だから、今回人から「Mars89がアルバム出したんだよ」って言われて、「あれ、まだ出してなかったんだ?」って(笑)。
Mars89:ヴォリューム的にフル・アルバムというのは初めてで、これまでアルバムとEPの間くらいのものを何作か出してますね。
■〈Bedouin(Records)からオファーがあって、2020年から作りはじめて。一回作ってあったものを全部やめて。
Mars89:そうですね。
■トム・ヨークのリミックスが2019年?
Mars89:あれは元々Undercoverのショーの劇伴的に作ったもののリミックスだったりするんで、ほかの作品とは違うんですけど。
■今回の音楽性というか、方向性はどうやって決まっていったんですか?
Mars89:やっぱり、コロナ禍というのが大きかったんでしょうね。単純に言うと、これまでの日常だったダンスフロアというものが失われて、人と人の熱気のぶつかり合いみたいなのが一切なくなった。それを求めて、YouTubeで昔のアシッド・ハウスやイリーガル・レイヴの映像を観たりして、「いい過去があるんだなー」という気持ちになったりしてました。自分が経験したものではないのでノスタルジーとは厳密には少し違うのかなと思うんですけど、自分が得られなかったものに対する憧れというか、それがこの先あるかどうかもわからない状態で、その欲望が(新作の)モチベーションになりましたね。
■クラブのDJブースに立つ回数もすごく増えただろうし、ダンスフロアの現場で経験したものがフィードバックされたことも大きかったのでは?
Mars89:それもあって。普段当たり前だと思っていた、満員のフロアのなかで知らないやつの汗とかが服について嫌な思いをすることすら懐かしいというか。あのときの、密閉された空間で肺が圧縮されたり、空気が押さえつけられる酸欠状態の感じが懐かしくなることはありました。
■クラブの熱気への郷愁というか。
Mars89:肉体的なものに対する郷愁。
■いわゆるテクノのリズムを取り入れたのは、どういうことなんですか?
Mars89:いままでは、Deconstructed(脱構築)とはちょっと違うとは思うんですが、クラブが当たり前にあるときは、いわゆる4×4というリズムがいちばん機能的なんですけど、でも自分はなんかもっと挑戦したい気持ちがありました。どんなリズムで踊れるんだろう、とか、身体の動かし方の可能性なんかも考えながら、4×4以外のリズムを探して、作っていたんですね。もちろんそれは、4×4がもっとも機能的に身体を動かすだろうということをわかった上でやっていました。でも、逆にフロアがなくなったことによって、機能的に身体を動かす4×4というリズムがフロアがない現場ではもっと重要な気がしたんです。身体がそれを求めているというか。いろいろなリズムを試したんですけど、あの失われたフロアの感じをいちばん思い出させるのは4×4かもしれないな、と。
■なるほど。
Mars89:あとはシステム・カルチャーから受けた影響もあって、ステッパーズの4×4とサブ(ベース)が持っている肉体にダイレクトに影響するパワーというか、その圧力に対する渇望みたいなものがありました。
■Mars君はそれこそ、アフリカン・ヘッド・チャージとか、80年代の〈On-Uサウンド〉の作品に影響を受けているわけだけど、自分の作品として出して来るものはまた違うじゃない? ダブやレゲエの影響を受けながら、ストレートにはやらないよね。
Mars89:あんまりそこは意識してないですけど、好きなものと、普段遊んで得たものは違うので。
[[SplitPage]]ダークなものとか、憂鬱なものに対して、それをそのまま発散させたいというか。ポジティヴに変換するということ自体が嘘臭く感じてしまった。なので、閉じの感じがそのまま出ています。
■作るときはどんな感じで作ってるの?
Mars89:作るときは、最初は簡単なリズムから打ちはじめて、ずっと座ってるよりは途中で動き回ったりして。その動きをまた曲に落としこんで、という感じです。
■あと、今回は違うけど、バスドラの音をパーカッションのように使うじゃない? あれはなんで?
Mars89:なんなんでしょうね。システム(・カルチャー)の音楽って低音域のヴァリエーションがすごいじゃないですか? あれに憧れがあって、ジャングルみたいにブレイクスの下で伸びるサブ(ベース)もやってみたいし、ダブステップみたいなサブが伸びてその隙間で他のパーカッションが鳴って、みたいなのも好きだし、もっとインダストリアル・テクノみたいにゴリッとした低音が響くのも好きだし、ニューウェイヴみたいなもっと乱雑に打ったものも好きだし、というところで、いろいろ良いとこどりして組み合わせを探ってる感じですかね。
■その自分のインダストリアルなところってどこからきてるんだと思う?
Mars89:元を辿ると、幼稚園くらいの頃に『AKIRA』にめちゃくちゃハマったことが大きいんじゃないかと思います。
■幼稚園!
Mars89:最初は映画で、そのあと親が芸能山城組のサントラを持っていたので、それをよく聴いてました。あれはガムランとか使ったバリ島の音ですけど。
■幼稚園で、ディストピアを知って(笑)。
Mars89:そうですね(笑)。映画のイメージがやっぱり強かったんです。乾いた瓦礫だったりとか、そういう世界観が。もう少し大きくなってからは『パトレイバー』や『攻殻機動隊』も好きでしたけど。
■ぼくの世代は幼稚園でウルトラマンやウルトラセブンだったけど、ある程度大人になってから、作品の意味を理解したりするものだよね。
Mars89: そうですね。ぼく、関西出身なんですけど、小さい頃に阪神淡路大震災があって、そこらじゅう瓦礫だらけだったというのもあります。
■どの辺りに住んでたの?
Mars89:兵庫県の伊丹市です。
■じゃあ思い切り直撃したんだ。それ、何歳の頃?
Mars89:小学校入る直前とかで、『AKIRA』を観ていた時期ですね。『AKIRA』のなかで都市が瓦礫だらけになるじゃないですか。現実でも高速道路とか落ちて瓦礫だらけだし、というので、あんまり遠い話じゃなくてけっこう身近な話として見ていたのかもしれない。実家は崩れはしなかったんですけど、家のなかはめちゃくちゃになって、しばらく知り合いの家に避難したりしてました。おじいちゃんおばあちゃんがやっていた商店が潰れたりとか。そういう世紀末感がある時代ではありましたね。テレビつけたらノストラダムスやってたりとか。「酒鬼薔薇事件」もあったし。
■あれも神戸だっけ?
Mars89:はい。あとはサリン事件もあったりとか。だから、なんか常に世紀末感があったのは覚えてます。
■そういう瓦礫の世界への郷愁がある?
Mars89:郷愁というよりは恐れに近いと思うんですが、自分のなかには瓦礫の世界が常にある感じはしています。視覚的なものだと、例えば、いま笹塚で中村屋の工場を崩して半分瓦礫になってるんですけど、その後にショッピング・モールとタワマンが建つことになっています。でも、そんなタワマンよりも、いまの瓦礫のほうが美しく感じます。新宿のNEWoManができるときも、建設途中の鉄骨剥き出しのほうがいまの状態より美しいと思ったりしたんで。そういうコントロールされ切ってない状態へのフェティシズムはある気がします。それとは別にある意味、いまも瓦礫の世界を生き抜こうとしているというような意識もあって。この瓦礫を共有する者たちで支え合って、新しい世界を想像したいと言うような気持ちと言うか。コミックのほう『AKIRA』でも最後に市民の力で瓦礫のなかから新しいものが生まれようとしてましたし。
■街の再開発に対する嫌悪感というか、違和感があると。それは『Visions』のテーマでもあるよね。でも、アルバムにはいろいろなテーマが詰まってるでしょ?
Mars89:いままでの人生で考えたことをギュッと詰め込んでいますね。
■アルバムには、「カラスやネズミと暮らしている都市の生活者に捧げる」というようなことも書いてあって、それはどういうことなの?
Mars89:例えば朝の渋谷でクラブから這い出てくると、同じくどこからともなく出てきたネズミやカラスと道で一緒になるじゃないですか。嫌がる人も多いけど、実はそこで一緒に生きているはずなんです。例えばバンクシーもたくさんネズミを使うじゃないですか。あれも、いないことにされているけどそこに一緒に暮らしてる人へのオマージュだったりしますし、そういう感覚です。
■なるほど。音楽の話に戻ると、シングルで出した「Night Call」とアルバムは繋がっている?
Mars89:あれは〈SNEAKER SOCIAL CLUB〉から出したんですけど、やっぱりグライムやダブステップのようなUKの都市の音楽を、自分のローカルな都市に当てはめて作ってみようと思って。
■それで "North Shibuya Local Service" なんだ。
Mars89:そうですね。幡ヶ谷の近辺でずっと生活してたので、ああいうタイトルになりました。あとは、ちょうどコロナ禍に入ってすぐ、自警団みたいなのが夜も開けてる店を叩いてまわっていたり、宮下パークがオープンしたのもその頃だったので。(「Night Call」では)そのローカルな都市の情景を自分なりに描いてみたいな、と。
■で、なぜダブステップをやろうと思ったの?
Mars89:元々別のレーベルからオファーがあって、BPM140のEPを作って欲しいと。そのBPMで自分が面白いと思うものを詰め込んでみた、という感じです。だから、実はダブステップを作ろうという気持ちはなかったんですよ。
■なるほど。でもそれと同じことをアルバムではやらなかった。作ってる時期は重なってるわけでしょ?
Mars89:ほぼ同じですね。でも『Visions』のほうはより自分のプライヴェートな作品という色が強いんじゃないかな。
■自分の生活みたいな?
Mars89:生活とか、自分の好きだったものとかを含めたこれまでの人生から、その先に向けて、という。半分以上は自分に向けて作っているような気持ちです。それに比べて「Night Call」はもっと外に向けて作っているという違いですかね。
■「Night Call」は、やっぱりダンスフロアに向けて作っている感じだよね。『Visions』には内省的な部分もあるし、同時に攻撃的な過剰さがあるんだけど、ただ、全体的にダークで、ただここまで妥協無しでダークサイドを突っ走るのはしんどいんじゃないかと思ったんですけど。
Mars89:あの時期、精神状態的にはどうしてもダークにならざるを得なかったんです。それとダークなものとか、憂鬱なものに対して、それをそのまま発散させたいというか。ポジティヴに変換するということ自体が嘘臭く感じてしまった。なので、閉じの感じがそのまま出ています。
■このダークさは何を反映してるんでしょう?
Mars89:基本的には、コロナ禍に入ったというのが大きいでしょうね。そのなかで自分個人というより、社会と向き合って絶望的な気持ちになった。とはいえ、生きていかなきゃいけないし。自分が生きてかなきゃいけないだけじゃなくて、みんなが生きていかなきゃいけないし。都市生活者に向けて、「けっこうヤバいけど生きていこう」という感じです。
■コロナ禍になって、生きるってどういうことだろうとも考えたよね。
Mars89:そうですね。ただ生命があることが生きるということなのか、という。
■では、アルバムのなかのアグレッシヴな感覚はどこからきてるの?
Mars89:この状態での破滅への願望とか、自滅への願望と、それと正反対の生きていくんだ、という気持ちのせめぎ合いがアグレッシヴな部分に反映されているのかもしれない。
■内面の葛藤みたいな。
Mars89:そうですね。
■曲順というのもこのアルバムでは大切なんでしょう?
Mars89:そうですね。一応ストーリーがあります。
■最後2曲が、激しいカオスから、それとは違うところへ行こうとしてるような印象を受けましたね。
Mars89:そこは野田さんがレヴューに書いてくれた通り、カタストロフィーが訪れている最中ではあるけど、その先にある希望に向かって一歩踏み出したい、という気持ちがあります。
■ドラムンベースぽいフレーズがあるけど、それもストレートに展開するのではなく、断片化して、コラージュ的に使ってるじゃない?
Mars89:今回どの曲でも、けっこういろいろなパーツを細切れにして断片的に使っているんですが、例えば、ドラムンベースのハードなパーティとかウェアハウスでのレイヴとかがYouTubeの画面の向こう側の世界になっている。自分が欲している世界と、自分のいる世界とのあいだに、ディスプレイというどうしようもない物体があって。で、求めているけどなかなか手に入らないというプレッシャーに押し潰されそうな感覚があるんです。距離感が縮まらない感じを表現したかったというのはある。
[[SplitPage]]肉体的にも精神的にも解放されること、都市生活のプレッシャーからの解放というか、そういう効果がいちばん魅力な気がしてます。
■去年の年末号(『ele-king vol.28』)で、年間で一番良かった作品としてThe Bugの『Fire』を挙げてたと思うけど、『Visions』を作ってるときに影響を受けた音楽ってあります?
Mars89:もう、あらゆる音楽から影響を受けているんですけど、でも世代的には90s前半のドラムンベース、初期のメタルヘッズとか、あの辺ですね。『レイヴ・カルチャー』にも書いてありましたけど、郊外でのレイヴ・パーティーというユートピア的なものから、都市生活者の憂鬱に対する表現へと変わっていった時期の音楽にはすごく影響を受けました。あとは、オウテカが「反レイヴ法」(クリミナル・ジャスティス・ビル)を受けて出した曲(「Anti EP」)とか。
■アルバム・タイトルを『Visions』にしたのはなんでなんですか?
Mars89:『Visions』ってそのまま視界という意味と、未来像や幻視といった意味があるんですけど、その自分の現実の視界と未来の幻視が重なった状態というか、(ウィリアム・)ギブスンの『ガーンズバック連続体』に近い感覚というか、その差異や、そこからくる渇望みたいなイメージですね。
■曲名にはどんな意味があるんですか? 最後の "LA1937" とか、1937年のロスに何かあったんだろう?って。
Mars89:ある男が自分の想像する黄金時代として1937年のLAをヴァーチャルで作って、そのなかに住もうとする、という映画があって。そういうネガティヴなノスタルジーみたいなものをイメージしました。手に入らないものに対する渇望ですね。それは『13F』というB級っぽい映画ですが、ほかのどの曲名も、そういう好きな映画からのリファレンスがあります。
■"Goliath"は?
Mars89:"Goliath"と"Auriga" と"Nebuchadnezzar"は、全部船の名前。"Auriga" は『エイリアン』シリーズで、"Nebuchadnezzar"は『マトリックス』、 "Goliath" は80年代にやってたUKの同名映画に出てくる海に沈んだ豪華客船の名前です。あと『天空の城ラピュタ』に出てくる空飛ぶ戦艦の名前もGoliathでしたね。
■「Lucid Dream」を飯島(直樹)さんのところで買ってから5年も経つわけだけど、Mars89の音楽が日本でも理解されてきているという手応えはありますか?
Mars89:あんまり考えたことはないかな。でも、出演する場所は増えているし、見てくれる人も増えているし、ちょっとずつ認知が広がっているのかな、ということは感じています。
■パンデミック以前には、シーンができつつあったのかな?
Mars89:どうなんだろう……。東京でのシーンというものがよくわかってないかも。内側にいるから、わからないんだと思うんですけど。ただ、ぼくらから下の世代はジャンルとしてのシーンはないような気がするし、すごく細分化されているけど、とくに孤立しているイメージはない、という感じです。フワッとした「東京のクラブ」みたいなものはありますが、それがシーンと呼べるものなのかはわからないですし、それはいまも同じかな。
■パンデミックがあって、クラブ・カルチャーにとっては大きなダメージがあって、でもいま再開しつつあるじゃない。(DJなどを)やっていて(パンデミック以前に)戻りつつあると思う?
Mars89:そうですね。徐々に戻りつつあるんだろうな、という手応えはあります。パンデミック以降、クラブで遊ぶ子は若い子しかいなくなって、若い子は若い子だけでイベントやっていて。そうすると変なクラブのルールとかに接さずに、20歳になったからクラブに来て自分たちの独自の審美眼でパーティをやってて。それとコロナ以前に連綿と続いてきたものがいま繋がろうとしてる感じがありますね。
■それは良い兆しだね。しかし、Mars89君のDJでみんな踊る? あんまり踊らせるタイプに思えないけど(笑)。
Mars89:踊ってるといいな、という(笑)。
■実験的すぎるんじゃない(笑)?
Mars89:でもコロナ禍を経て、四つ打ちというものへの考え方が改まった部分もあって、前に比べると4×4のリズムを使う比率は少し増えました。
■好きなDJとかいます?
Mars89:もちろんいますし、いろいろな人をつまみ食いして聴くんですけど。例えば、オランダのDJ マーセル(DJ Marcelle)とか。P.I.Lかけたり、ジャングルかけたり、いきなりハード・テクノかけたりとか一見めちゃくちゃなんですけど独特のノリがあって、面白いです。
■面白い曲をセレクトする人が好きなんだ?
Mars89:そっちも好きですし、身近だとDJ NOBUさんのようにしっかりひとつのスタイルを突き詰めてフロアのためのDJをする人もいいなと思いますし、KODE 9のような新しい世界を見せてくれるような人も好きです。
■クラブ・ミュージックとかクラブ・カルチャーは、なぜ良いと思いますか?
Mars89:ひと言で話すのは難しいな(笑)。肉体的にも精神的にも解放されること、都市生活のプレッシャーからの解放というか、そういう効果がいちばん魅力な気がしてます。それと同時に新しい考え方とか、目を開くチャンスに出会える場でもあると思います。
いまの日本の現状では、その可能性がものすごく少ないとはいえ、その可能性が存在することを示すだけで、意味があると思います。それこそマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』での「他の可能性を考えられない状態」こそが絶望的なものだと思うし、他の可能性があることを示すだけでも未来は違ってくるのかな、と。
■『Visions』は、いまの東京や日本を反映している作品でもある。で、ぼくは日本のことを考えると、暗いことしか思い浮かばないんだよ(笑)。Mars89が夢を人に語れるとしたらどんな夢がある?
Mars89:絶望だけ見せつけるのは、なんか無責任な気がしているんですね。いまの現状が絶望的なことはみんなわかりきっていて、じゃあどうするの、という。やっぱり可能性を追い求めたいという気持ちがあって。
例えば、個人商店がどんどん潰されてショッピング・モール化していくこととか、大麻の使用罪が検討されていたりすること、同性婚も選択的夫婦別姓も認められないとかってことに、全部「仕方ない」で片付けることを良しとするような風潮があるような気がします。でも仕方なくはなくて、小さな個人商店が元気に自分たちのスタイルでやっていける可能性だってあるし、ドラッグが非犯罪化する可能性だってあるし、同性婚なども然り。いまの日本の現状では、その可能性がものすごく少ないとはいえ、その可能性が存在することを示すだけで、意味があると思います。それこそマーク・フィッシャーの『資本主義リアリズム』での「他の可能性を考えられない状態」こそが絶望的なものだと思うし、他の可能性があることを示すだけでも未来は違ってくるのかな、と。
■Mars89が自分の作品を作ったりDJをやったりする上で、大切にしていることって何でしょう?
Mars89:DJは、フロアとのコミュニケーションが大事で、自分が持ってるものとフロアが持ってるエネルギーのぶつかり合いを大事にしていて、そのなかで自分が持っているものを出していくというものなんですけど、曲を作る方に関しては、もっとプライヴェートで、ごく個人的なものの延長としてリアルなものを描けたらいいな、と。あまり聴く人のことを考えてなくて、自分はこの社会のなかでこういう生活をしていて、こういうことを考えている、ということを抽象的なものとして伝えてみる、という感じですね。その両方に通じるものとしては、前へ向かうエネルギーがあって欲しいと思っています。
■今回のアルバムでも、労働者階級に対する共感みたいなことを書いているけど、日本は階級社会ではないけど、明らかな格差社会で、ということだよね。そのメッセージはどういうところから出てきたの?
Mars89:格差があって、その拡大が進んでいくなかで、いわゆる新自由主義に支配されてしまうと、運が良かった金持ちとか、先祖が金持ちだったり権力を持っている人たちと、そうではない人たちにバツっと別れてしまう。そのときに自分や自分の周りの人って、いわゆる労働者階級で、経済的な勝ち組に入る人ってそうはいないだろうと思って。自分の目線と同じような高さの人に向けて、というのはあります。
■日本の音楽で、その経済格差をいう作品って、意外と少ないんだよね。地球温暖化とか環境問題なんかはわりとテーマにする人がいるんだけど。
Mars89:基本的に生存権の問題で、全部繋がっていると思います。マイノリティやマージナライズドされた人たちは、経済的にも不当な扱いを受けやすいので経済格差を考える上でそこは無視できないと思いますし、いまの新自由主義社会をそのままにアイデンティティや環境の問題を考えることが可能とも思えません。例えばいまの社会で、企業に対する性的マイノリティ受容を促進する文脈で、ゲイのカップルは社会のなかで男性として働いている場合、カップルとしての総資産は男女のカップルや女性同士のカップルより多いから、ゲイ・フレンドリーの方が企業として儲かるよ、みたいな言説を目にしたことがあって。でも人権ってそういう経済的な利益の引き換えではないよね、と思うし。自民党の杉田水脈の「生産性」発言だって根は同じ。いまの社会って経済的な成功不成功というものがあらゆる価値観の中心にある感じがしてて。そういうのがあるから、今月プライド月間だったりするんですけど、いわゆるLGBTQフレンドリーというものが企業の広告のツールになったりとか、ピンク・ウォッシングやグリーン・ウォッシングがあったり。まだまだ利益優先というところが強いので、問題にしっかり向き合うためには、そのルールから脱するべきだと思っています。
■それこそ黄色いベスト運動なんかは、環境対策によってガソリン税を上げられたことに怒った地方の労働者たちが起こしたデモだったわけで。
Mars89:例えば脱プラスチックしましょう、と言ったときに、レジ袋の1枚数円というのが、総資産が少ない人の方が絶対負担が大きいし、経済格差というものを正すことを前提としないと、良いものを長く使いましょう、という運動を貧困層はそもそもできないし。環境問題への取り組みとしても、格差を正すことを入れないと成功しないと思うので。それこそSDGsとかのなかには格差の解消ということも含まれているけど、そこはあまり省みられていない気がするし。
ぼくなんかの周りでも、インボイス制度の話だったりとか、消費税が今後増えるかも、とか、消費税はそもそも要らなくない、という話をしたりしています。いまの日本は大企業優遇で、金利下げて円安になって、海外行くにしても高いし。円安が進むと、日本の(食料)自給率が低いから、いろいろなもののコストが上がって、収入増えてないのに、物価が上がって。言うならセルフ経済制裁状態なんじゃないかな、とかそういう話はします。
■Mars89の周りでは、そういう社会や政治のことを話題にする人が多いんだね。だとしたら日本の音楽シーンもだいぶ変わったというか。
Mars89:似たような人が集まってくるんで(笑)。でもこの社会の問題に向き合って生きてると、考え方次第ではありますけど、基本的に負け続けてるような気持ちになりがちなわけじゃないですか。で、負けるのに慣れちゃって、負けを受け入れつつ、来たる絶望的な未来に対する贖罪というか、ある種言い訳的に意見表明をしている。というような精神状態に陥ってしまったり、諦めてしまいたくなることも少なくない気がするので、あんまりそうはしたくないし。明るい未来を諦めたくないんですよね。
だから『Visions』のどの曲も、街に生きている人をイメージして作っているんです。普段クラブで会う人もそうだし、街だからこそ生まれる職業、例えばメッセンジャーとかフード・デリバリーとか、身近にやってる人もいるし、そういう街での生活を描きたかったんですね。
それと、少し先の未来のサウンドトラックというイメージもありますね。それは、瓦礫だらけの東京と、ショッピング・モールだらけの東京と、両方のパラレル・ワールドを合わせたイメージで、なんとかそこで生き抜こうとしている人たちに向けてと言う感じですね。
小林:パンデミックがあってから、あの激しいThe Bugでさえアンビエント作品をたくさん作ったじゃないですか。そういう方向になりはしなかったんですか?
Mars89:なぜか全くならなかったです(笑)。
■むしろ逆にダブステップを作ったりして(笑)。
Mars89:それこそベリアルの「Antidawn」はすごく好きなんですけど、それに対していまの自分が抱えてるものは全然これじゃなくて、どちらかというとThe Bugの『Fire』のムードなんです。一回全部破壊し尽くす感じというか。だから、アンビエントを聴くという感じではないです。コロナ禍がはじまったときにみんな「ステイ・ホームしよう」と言っていても、「家にいても平気なやつはいいよな」と思ったし(笑)。例えばメンタル・ヘルスケアとかでも、みんなチルを求めるけど、そんな余裕なんかない。仕事のストレスを一時的に忘れて、明日からまた仕事頑張ろうとか、そういう傾向も資本主義のシステムのためのパーツとして人を形成していくための手法のひとつじゃないか、と思ったりしてて。そういう怒りとかもあって、アンビエントにはいかなかったですね。