「Nothing」と一致するもの

TOGETHER - Together - ele-king

PLP-7907

坂本慎太郎 - ele-king

 日比谷公園には開演1時間前に着いた。都心部では唯一と言える、広い森林地帯と明治時代に建てられた歴史的な建築物が残されているこの貴重な場所も、再整備という名のもとで木々が伐採され、風景が変えられようとしている。ぼくは公園の噴水を越えたところに昔からある売店で缶ビールを買ってベンチで飲んだ。こうした心和む変わってはいけない風景はどんどん変えられる。坂本慎太郎は歌う。「あざやかな夕闇につつまれて/ひとつずつ思い出が消えてゆく」

 なんでも日比谷公園は、日比谷の商業施設と巨大なブリッジで繋がれるらしい。渋谷の宮下公園の高級化をはじめとする、商業・オフィス高層ビルによる再開発が実現している「快適さ」は、その風景に溶け込める人たちのみを歓迎し、そうではない人たちを疎外する。「キャンドルがゆれる部屋でセンスのいい曲がかかり/大人たちが泣いている/何も感じない」、と坂本慎太郎は “義務のように” のなかで歌っている。

 梅雨の真っ只中だったがその日の天気は良く、湿度はあっても夕暮れになれば涼しいし、缶ビールも美味しい。ぼくは屋台でもう一本飲んでから、本番に臨むことにした。そして、かつてRCサクセションやボアダムスやフィッシュマンズなんかを聴きに来たこの場所で、いま坂本慎太郎を聴いている。ロックの予定調和をことごとく外したこのロックのライヴには、いつものことだが、いろんな人たちが集まってくる。年齢層もいろいろだし、ファッションもいろいろで、これほどリスナーの多様性が豊かなライヴもないのではないかと勝手に思ったりもした。形式化されたロック的な高揚感のないこのライヴは、しかしものすごく人気があり、チケットは抽選で運良く当たった者のみが購入できるのだ。

 1曲目の “できれば愛を” がはじまったとき、ぼくはその日3本目の缶ビールを求めて列に並んでいた。まだ空は明るく、ゆったりとしたビートが大気のなかに溶けている。ああ気持ちいい。歌は、胸にぽっかり穴があいた男が「はずかしいでしょ/あわれでしょ」と憐れみながら「ここにすっぽりとはまる/何か入れてください」と懇願する。「なんでもいいけれど、少しは愛を込めて」というリフレインは、柔らかい歌と曲のなかのとつとつとした歌詞において、私たちのなかの「空洞」と、それとは相反する強い何かをじわじわと喚起させる。いずれにせよ、坂本慎太郎の楽曲は、日比谷野音の解放感と相性が良かった。

 昨年のライヴは、ほとんどがアルバム『物語のように』からの楽曲を演奏していたが、今回は全作品からの選曲だったから、ファンには「次はどの曲を演るのだろうか」という楽しみもあった。 “めちゃくちゃ悪い男” (『ナマで踊ろう』収録)がはじまったときには当然歓声が上がったし、いや、 “鬼退治” (『できれば愛を』収録)も意外なほどノリノリで、“義務のように” から “仮面をはずさないで” ( 『幻とのつきあい方』収録)という、日本社会を辛辣に風刺しているように思える曲で前半は盛り上がった。

 ライヴの後半、気分はゆっくりと上昇する。ぼくが4杯目の缶ビールのために並んでいるときに “物語のように” がはじまり、この奇妙なほど緩やかな曲でオーディエンスの気持ちはさらにほっこりする。そして、しばらくしてはじまった “ディスコって” のグルーヴが場内をまるごと踊らせるのだった(野外での演奏が似合う楽しい曲だが、これもまた、日本のLGBT法への当てつけにも聞こえる)。

 続いて演奏された “ナマで踊ろう” は、この晩のクライマックスだった。それから “幻とのつきあい方” と “動物らしく”の2曲を演奏し、メンバー紹介をするとバンドはそのままステージから消えた。いつものようにアンコールはなかった(おそらくは、最後の2曲がライヴでよくあるアンコールに相当するのだろう)。野音にやって来た人たちのほとんどがそれをわかっているので、片付けられているステージを名残惜しそうに眺めながらも席を立ち、何人かはしばらくのあいだ席に座ったままライヴの余韻に浸っていた。

 ぼくは、自分にとってこの野音で見るライヴは、坂本慎太郎が最後になるかもしれないなと思った。だとしたら、ぼくにとっては、これほどそれに相応しいライヴもないかもしれなかった。完全に別世界が演出されるホールやライヴハウスでのライヴと違って、野音でのライヴは周囲の景色——高層ビルやらなんやら——が否応なしに視界のどこかに入ってくる。自分がいま暮らしている街のなかで聴いているんだなという意識をどこかに保持しながらその音楽に集中するという感覚はここでしか味わえないものだ。坂本慎太郎の音楽は、決してなにか思想を強制するものではないが、この生きづらい街で生きていくうえでの心持ちの調整を助けてくれる。この晩の、「今日めざめて君はそう決めた」を聴いて勇気づけられた人だって少なくないだろう。

 同じ形の繰り返しで出来上がったビル群が作り出す蜃気楼のグリッチのような光景の上に、赤や緑に光る企業ロゴの花が咲いている。ビル群に近づいて各階層の細部が見えるようになっても、全身を覆い尽くす高密度な湿気を孕んだ夏の空気が、その光景は本当に蜃気楼なのかもしれないと私に思わせようとする。湿気に喘ぎながら少しでも澄んだ空気を取り入れようと顔を上げれば、忠誠だけが取り柄の騎士たちのように等間隔に並んだ監視カメラと目が合って別の息苦しさをおぼえ、歩道の中に居場所を見出そうと立ち止まれば、私のシャツの裾を掠めるように猛スピードで電動バイクが走り去ってゆく。そのバイクが吠えたてるクラクションのドップラー効果の余韻も、どこかで別の誰かに向かって吠えている別のクラクションにかき消されてしまった。

 約四年ぶりに訪れた深圳の街は相変わらずサイバーパンクものの舞台のような、猥雑さと支配の曖昧なバランスの上に成り立っていた。以前、重慶に行ったときに現地の友人から「ここは『ブレードランナー』の街の造形にも影響を与えたサイバーパンクの街だ」と言われ、街全体に降り続いていた雨と、排水溝から立ち上る水蒸気がその話に説得力を持たせていた。しかし深圳はシリコンの街であり、今世紀に入ってから急成長したという街の成り立ちや、海沿いに位置して横長に成長しているという形状も含め、深圳の方がギブスンの小説に登場するスプロール化したLAや、『サイバーパンク2077』の中のLAに近いような印象がある。至る所に生える椰子もそのイメージの形成に協力しているようだ。
 『ニューロマンサー』に登場する「チバ」ではあらゆるものが手に入るが、この街にもそんな印象がある。深圳のあるエリアには伊勢丹や東急のような、百貨店の形状をした建物が大量に並んでいるが、その中で売っているのはエルメスのスカーフやルイ・ヴィトンのトランクなどではない。ドローンや電子顕微鏡、あらゆる種類のディスプレイやチップなどである。深圳の友人から聞いた話だが、この街でそれなりのスキルを持っていれば、iPhoneを300ドル程度で作れ、さらにはカスタムまでできるらしい。この街にある程度のまとまった期間滞在して、自分でシンセサイザーやドラムマシンを作ることができたら楽しいに違いないと思い、いくつかのモールを少し徘徊し、店主が無造作に置いた茶器や、別の店の主と打ち合っている途中の碁盤の下で影になったガラス・ショーケースの中を覗いてみたが、ある種の実用品向けのものが多く、ピッタリ目当てのものはうまく見つけられなかった。どこかにはあるのだろう。

合理化と支配

 北京がファシズムの力を使って推し進めるDX化に、深圳の存在がどれほど重要なのかは知らないが、見たもの全てがそのふたつを一直線に繋いでいるように思えてならない。レジに1ダースほどの決済ブランドが並ぶ日本と違ってWechat PayとAli Payのふたつの決済システムが非常に高い利便性を提供しているが、同時に国が個人の経済状況を把握することを容易にしている。街路に並んだ監視カメラは顔認証システムで警察と連携し、行動や経済状況から個人を格付けするシステムが出来上がっている。日本もマイナンバーをあらゆるものに紐づけることで経済状況や行動から体内まで把握しようとしているが、いまのところ利便性も安心も提供されず、国の方もうまく支配できるシステムを構築できないでいる。
 中国の小学校ではスマートフォンのアプリを使ってやらなければいけない宿題が出るらしい。デジタルの時代に適応させるための教育の一環ではあるようなのだが、家にお年寄りしかおらず、スマートフォンがない家の子どもたちや、経済的な事情などでスマートフォンが買えない家庭の子どもたちには、その宿題をやる方法がないそうだ。家庭の経済格差が教育格差を生み、教育格差が経済格差の再生産に繋がるという話は前世紀から言われ続けているが、DX化でそれが目に見えて加速するとは全く思っていなかった。中国に限らず、この世界がすでにそうなっているが、健康状態についても同じことが言える。経済的に力のあるものはあらゆる医療にアクセスすることができ、スマートウォッチなどで日々の健康状態を管理し、時間の余裕の中でマインドフルネスなどを駆使して心身の健康の維持ができる。そしてまたビジネスに取りかかる。しかし、心身のいずれかにでも健康状態に困難を抱えていれば、経済的な力を得るまでの障壁も多くなり、負のループがそこに生まれる。

 支配のシステムがうまく働けば、ある程度の利便性は確実に提供されるだろう。しかし、安心と安全が監視の強化によって提供されるかといえば全くそうではない。伊藤計劃が『虐殺器官』の中で書いたように、あるいはフーコーがアウトローと権力の構造的な蜜月関係について書いたように、それはまやかしなのである。市民にとってアウトローたちは危険な存在であるが、権力にとって危険な存在はアウトローではなく、その政敵である。治安が悪化すれば権力の側は「安心安全のために」というスローガンのもとで監視権力を強化でき、その監視は政敵に対して使われるのである。陰謀論のように聞こえるかもしれないが、日本共産党が公安の監視対象であるという事実が、この説を非常に説得力のあるものにしている。そして逆に完全にアウトローであるはずのカルトが権力の中枢にまで深く入り込んでいる。こうして権力は恣意的な善悪の空気を市民の中に作り上げていく。

 少し前に、このコラムを載せているele-kingの編集長である野田さんに誘われ、ジェフ・ミルズの作品に合わせて洗脳をテーマにしたDommuneの番組に出演し、トークに参加した。内容は大雑把にまとめればミクロ、マクロ、あらゆる角度から洗脳を検証し、脱洗脳へ向かうために音楽がどう機能できるのかというものだった。話の文脈上、私はそのときに洗脳を「自律心を奪い、恣意的に操作すること」と定義づけようとしたが、それに従えば先に書いた支配の形は洗脳と呼ぶに相応しいものだろう。
 私はこの番組にサイキックTVのTシャツを着て行ったのだが、これは「自律」を重要視しAnti-Cultを掲げるTemple Ov Psychick Youthの思想が、私を支えるバックボーンのひとつであり、私にとってのパーソナルな「自分だけの身体」「自分だけの精神」そして「自分だけの魔術」がとても重要で、ダンス・ミュージックをやる上で不可欠な要素だからである。

私の肉体

 私にはずっとサイボーグ願望がある。それは幼少期にキカイダーやターミネーターなどへの憧れから生まれ、成長した後も塚本晋也の『鉄男』や、石井聰互とアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンの『1/2 Man』、そしてクローネンバーグの諸作品などを経て、『攻殻機動隊』の草薙素子や『ニューロマンサー』のモリーへと引き継がれた。そこには冷たい金属が持つ生々しさや、クローム仕上げの眼窩へのフェティシズムと、自己決定あるいは自律の象徴であるサイボーグへの憧憬が同居している。先天的な要素でなく、純粋な自身の選択によって自分自身を形作りたいという願望である。身体的な部分では、この願望を少しでも埋めるために私はタトゥーを入れ、ピアスを着け、ネイルをしている。カリフォルニアのサイボーグ・コミュニティであるGrinderや、サイボーグ化によって色を聴くことができるようになった色盲の青年ニール・ハービソンにまつわる記事などを読んで希望を感じ、サイボーグ化が普及する未来を夢想していた。

 身体の気軽な改造は、フィクションの世界ではもちろん可能である。冒頭でも少し触れたゲーム、『サイバーパンク2077』の中で「もう少し身体のベースにいろいろなヴァリエーションがあれば」とか「男/女の性別の境界をもっとグラデーションにしてほしい」など、要望はいくつかありつつも、私は大いに身体の改造を楽しんだ。ヘアスタイルやタトゥー、ピアス、ネイルはもちろん、眼球のデザインまで変えることができたし、モジュール化した身体を改造して、理想の戦い方を追い求めることができた。しかし、その過程で私は思わぬ気づきに頭を打たれることになった。理想の身体を手に入れるためにはお金が必要であり、お金のためにはあらゆる仕事をしなければならず、仕事のためには仕事を効率的にこなせる身体にならなければならなかった。『サイバーパンク2077』の世界は企業が支配するデフォルメされた極度の資本主義世界だが、いまの私たちが生きるこの世界にもその兆しのような事象は多々見受けられる。

 私たちのほとんどはスマートフォンを外部記憶装置として機能させ、インターネットに繋がることと社会的なつながりを持つことをほぼ同義とし、テクノロジーなしには生きていけない身体になっている。これをある種のサイボーグ状態と呼ぶことは的外れではないだろう。テクノロジーによる身体の改造という点では、レーシック手術や美容整形も近いポジションに置くことができる。「もっと良い視力を手に入れたい」「もっと好きな顔にしたい」、こう書けば「先天的な要素でなく、純粋な自身の選択によって自分自身を形作りたいという願望」に合致するように思えるかもしれないが、パイロットが仕事を続けるためにレーシックをしたり、社会が持つルッキズムに劣等感を煽られての美容整形や、企業のルッキズムを抱えた審査をパスして仕事にありつくための美容整形をするとなったら、話は全く変わってくる。自分が望んだのか、何かに望まされたのか。

 社会は「売春」を悪とし、売春をおこなっていない者は汚れがないかのように振る舞っているが、ゴダールが「全ての職業は売春である」と語ったり、マーク・フィッシャーが「生きることの不可避な売春性」と語ったように、自身を物として売ることが避けられない社会になっている。アンディ・ウォーホルが「誰でも15分は世界的な有名人になれるだろう」と言った世界から55年が経ち、SNSが支配する「スマートフォンひとつで稼げる、誰にでもチャンスがある時代」になったらしいが、これは自身を物として売ることがさらに簡単になったというだけの話なのではないか。そして買う側の基準に見合わなかった人の困難が「自己責任」で片付けられるようになっているように思えてならない。この市場の原理が身体をも支配するのが現代のサイボーグである。これは私が理想とし、憧れたサイボーグ像とは全く異なったものだ。私が憧れたサイボーグはいつ自律を獲得することができるのだろうか。

そして私の精神と魔術

 17世紀に世界から魔術が失われ、純粋理性は悩みを抱える人間に対して「太陽光に当たってセロトニンを分泌させましょう」あるいは「この薬を飲めばそんなことは忘れて働けます」と説くようになった。私は以前、自身の抱える問題の解決の一助になればと臨床心理士のカウンセリングにかかったことがある。人選を間違えたのかもしれないが、話の行き着くところは「仕事ができるか」だった。私の精神が物質と経済活動における有用性へと分解され、全く自分のものではないかのような経験をすることになった。痛みを取り除くためにはシステムに身を委ねるか、寝そべり族のように太陽光を浴びながらシステムの崩壊を待つかしかないのだろうか。しかし、私は確実にその痛みを取り除き、束の間ではあるが私の精神に解放をもたらす場所をふたつ知っている。ひとつは多くの人が経験があるだろう利害関係に依らない人と人の愛情の中であり、もうひとつが暗闇に鳴る重低音の中である。「低音とエコーの向こう側」というのは私も所属するBS0Xtraのコピーであり、Protest Raveでもセッティングのときに低音を重要視している。「ONLY GOOD SYSTEM IS A SOUND SYSTEM」という言葉があるが、サウンドシステムという祭壇が放つ重低音という魔術は、何度も私の精神を救ってきた。私の精神が救われたことに対して、純粋理性や再魔術化後の世界がどういう説明をするかは知らないが、私はあくまで重低音と私の精神との関係の中に、自分だけの魔術を見出したいのである。

Temple Ov Subsonic Youth

 行動を支配し、肉体を支配し、そして精神を支配する。徐々に伸ばされてきた支配の触手。私はサイボーグとしてそれらに抵抗し、自身を守り、一時的にでも自律を感じたい。「自分だけの身体」「自分だけの精神」そして「自分だけの魔術」を手に入れるための儀式として、私は自分が望んだ装飾で身を覆い、ドラムマシンやシンセサイザーを外部の臓器とし「半分人間」の状態から重低音を響かせてみることにした。その儀式の名前は「Temple Ov Subsonic Youth」。このプロジェクトは、私が持つ解放へのパトスとポスト・ヒューマン的フェティシズムが絡み合った欲望のために始まった。願わくはこの欲望が、ダンスフロアを共にした者たちそれぞれの欲望に火を着けんことを。

Anthony Naples - ele-king

 アルバムごとにそのサウンドの表情を変え、より表現力を豊かに、そして幅を広げてきているアンソニー・ネイプルスですが、新作『Orbs』では、前作『Chameleon』(2021年)の方向性も踏襲しつつ、アンビエント・テクノ〜ダウンテンポの傑作アルバムを仕上げてきました。

 2010年代の幕開けとともにニューヨークのアンダーグラウンドではじまった彼のキャリアと言えば、そのDJプレイも含めてローファイなハウス・サウンドの要といった印象で、〈Mister Saturday Night〉〈The Trilogy Tapes〉、もしくは自身の〈Proibito〉でのそうしたハウス路線のシングル群で注目を集め、2018年にはフォー・テットの主宰レーベル〈TEXT〉からファースト・アルバム『Body Pill』をリリースし、その評価を確かなものにしたというのが初期のイメージです。
 本作へと通じる転機と言えそうなのが、その後にフランスの〈Good Mornign Tapes〉と自身の〈ANS〉からリリースしたアルバム『Take Me With You』(2018年)。すでに『Body Pill』でも片鱗を見せていたアンビエント・テクノ〜ダウンテンポ方面へのアプローチをさらに深めたアルバム・サイズの作品で、それ以前のシングルとはまた違った側面をみせはじめました。続く2019年のアルバム『Fog FM』も、いやこれも傑作でありまして、初期のハウス路線とその後のリスニング路線のバランスの良い配合のアルバムで、「ダンスもの」のアルバムとして非常にクオリティの高い作品を出してきたなという印象でした。このあたりでサウンド的にも初期のローファイな音質から、クリアでカラフルなサウンド・イメージへの変化も感じるられるものでした。
 そしてコロナ禍を挟んでリリースした2021年の『Chameleon』。多くのDJ出身のクリエイターたちがロックダウンな凡庸なアンビエントに埋没してしまった印象にあったあの時期に、キャリアのなかでも初めてとなるドラムやギター、生楽器のサウンドを取り入れたある種のポスト・ロック的な手法でダウンテンポ・アルバムを作り上げ、その色鮮やかな色彩のサウンドも相まってシーンに鮮烈な印象を与えました。同時期には「Club Pez」、2022年にはドイツの老舗重要ハウス・レーベル〈Running Back〉からもシングル「Swerve」をリリースし、こちらでは相変わらず高品質のハウス・トラックもリリースしています。
 こうした自身の活動とも併走しながら、〈Proibito〉を閉じた後に写真家でDJでもあるジェニー・スラッタリーと共同で設立した〈Incienso〉の運営においても、たびたびこの欄で作品を紹介していますが、ゴリゴリのクラブ・トラックから、DJパイソンを世に送り出したり、朋友フエアコ・Sのアルバムなどリスニングに主眼を置いた作品まで幅広くリリース、シーンの枠を広げるような多彩かつエポック・メイキングな作品をリリースし続けています。

 で、前段が長くなりましたがこうした動きを俯瞰し、これを補助線とすると、全く納得の音楽性を獲得したとも言えるのが本作ではないでしょうか。ボーズ・オブ・カナダを彷彿とさせるチルアウトなブレイクビーツ・ダウンテンポ “Moto Verse” でスタートするわけですが、こうしたダウンテンポ感覚や、例えば “Orb Two” “Gem” “Tito” などでつま弾かれるギターとエレクトロニクスの融合を果たしたサウンドは前作『Chameleon』での成果を感じさせる音楽性です。ただし、クリアな解像度の『Chameleon』に比べて、全体的な音質はわりと今回はローファイですね。そしてわりとフィーリング的に、「ニューエイジ〜バリアリック過ぎない」というのも本作の絶妙なムードを決定している要素で、そのあたりはグローバル・コミュニケーションなど1994年あたりのアンビエント・テクノを参照したようなメランコリックなムードを携えた『Take Me With You』を踏襲する感覚ではないでしょうか。
 またアルバムの中盤を締めるマイルドでスローなイーヴン・キック・トラック “Ackee”、“Scars”、そしてアルバムのハイライトとも言える “Strobe” あたりは、絶妙なダブ・ミックス具合も含めて、初期のローファイなハウス感を思い出したかのようなトラックでもあります。アルバム全体に対して、ここにはめ込まれた抑制されたハウス・グルーヴの見事な流れにとにかくハッとさせられるわけです。このセンスの良さ。これまでの作品、そして〈Incienso〉の作品群にも言えることですが、ある種のリスニング向けの作品で実験性の獲得や音楽性の拡張をしながらも、どこかダンス・ミュージック的な快楽性があるというのは彼の重要な立ち位置ではないでしょうか。こうした流れにDJ的な感覚が働いているのはもちろん間違いないでしょう。穏やかなサウンドながら昨年のフエアコ・S『Plonk』と同様に、リスニング・テクノを新たな地平線へと押し出すそんな確かな力強い意志を、その高いクオリティから感じさせる作品です。

Autechre - ele-king

 去る6月20日、突如オウテカによる最新ミックス音源が公開されている。彼らのルーツであるエレクトロやヒップホップからノイズ、アンビエントまでを横断する2時間強のこの旅は、フランスはレンヌのネット・レーベル、〈Neuvoids〉(neuvoids.bandcamp.com)のためにショーン・ブースがこしらえたものだそうだ。仙台の a0n0、ヒューマノイドピンチ、ESG、DJスティングレイオト・ヒアックス、〈CPU〉からも出している Cygnus、KMRU、故ピタ、盟友ラッセル・ハズウェル、BJ・ニルセンといったアンダーグラウンドな面々に交じって、ラッパーのウィリー・ザ・キッドや大御所ボブ・ジェイムズ、まさかのストラングラーズまでがプレイされている。下記サウンドクラウドから聴けます。

Ed Motta - ele-king

 80年代から活躍するシンガー・ソングライター、エジ・モッタはブラジリアンAOR~ジャズのヴェテランだ。4ヒーローのマーク・マックとコラボしたり、クラブ・ミュージックとも接点のあるアーティストだが、ここ10年のあいだも、タイトルどおりの内容の『AOR』(13)や、AORとジャズの両方を試みた『Perpetual Gateways』(16)など話題作を送り出しつづけてきた。前作から5年のときを経て放たれる新作『Behind The Tea Chronicles』は、なんともメロウでグルーヴィンな1枚に仕上がっている模様。発売は10月20日。先行シングル “Safely Far” が公開中です。

interview with Matthew Herbert - ele-king

馬は、猫なんかよりもはるかに深く人間とつながっている。人間と多くの関係をもったナンバーワンの動物なんだ。

 ユニークなることばは日本では「風変わりな」「奇抜な」といったニュアンスで使われることが多い。本来の意味は「唯一無二」だ。マシュー・ハーバートのような音楽家がほかにいるだろうか? ハウス、ジャズ、フィールド・レコーディングにコラージュ、コンセプト、メッセージ──どれかひとつ、ふたつをやる音楽家はほかにもいる。ハーバートはそれらすべてを、30年近いキャリアのなかでずっと実践してきた。しかも、シリアスなアーティストが陥りがちな罠、深刻ぶった表情にはけっしてとらわれることなく。ハーバートこそユニークである。

 90年代後半、彼はまずミニマルなテック・ハウスのプロデューサーとして頭角をあらわしてきた。トースターや洗濯機といった家にあるモノの音を用いた『Around The House』(98)、人体から生成される音をとりいれた『Bodily Functions』(01)などの代表作は、彼が卓越したコラージュ・アーティストでもあることを示している。ビッグ・バンドを迎えた『Goodbye Swingtime』(03)はひとつの到達点だろう。政治的な言動で知られる言語学者チョムスキーの文章がプリントアウトされる音をサンプリングしたりしながら、他方で大胆にスウィング・ジャズ愛を披露した同作は、ブレグジットに触発された近年の『The State Between Us』(19)にもつながっている。
 ここ10年ほどを振り返ってみても、一匹の豚の生涯をドキュメントした『One Pig』(11)、ふたたび人体の発する音に着目した『A Nude』(16)などコンセプチュアルな作品が目立つ一方、『The Shakes』(15)や『Musca』(21)では彼の出自たるダンスの喜びとせつなさを大いに味わうことができた。パンデミック前は意欲的にサウンドトラックにも挑戦、尖鋭的なドラマーとの目の覚めるようなコラボ『Drum Solo』(22)もあった。彼の好奇心が絶える日は永遠に訪れないにちがいない。

 この唯一無二の才能が新たに挑んだテーマは、馬。気になる動機は以下の発言で確認していただくとして、ロンドン・コンテンポラリー・オーケストラと組んだ新作『The Horse』ではサウンド面でも新たな実験が繰り広げられている。馬の骨はじめ、全体としてはフィールド・レコーディングの存在感とフォーク・ミュージック的な気配が際立っているが、自身のルーツの再確認ともいえるダンス寄りの曲もある。コンセプトとサウンドの冒険が最良のかたちで結びついた力作だと思う。
 もっとも注目すべきはシャバカ・ハッチングスの参加だろう。ほかにもセブ・ロッチフォード(ポーラー・ベア)やエディ・ヒック(元ココロコ)、シオン・クロスと、サンズ・オブ・ケメット周辺の面々が集結している。2010年代に勃興したUKジャズ・ムーヴメントのなかでも最重要人物たるハッチングスまわりとの接続は、長いキャリアを有するハーバートが現代的な感覚を失っていないことの証左だ(ハッチングスが若いころに師事した即興演奏のレジェンド、エヴァン・パーカーの客演も大きなトピックといえよう)。

 ちなみに本作で馬との対話を終えた彼は現在、バナナに夢中だという。スーパーやコンビニなど、いまやどこにでも安価で並んでいるバナナ。その光景がグローバリゼイションと搾取のうえに成り立っていることを80年代初頭の時点で喝破したのが鶴見良行『バナナと日本人』だった。どうやらいまハーバートもおなじ着眼点に行きついたらしい。早くも次作が聴きたくなってきた。

彼にお願いしたことは、「フルートを演奏した世界初のミュージシャンになった気持ちを想像しながら演奏してくれ」ということだけ。彼が参加してくれたのはほんとうに光栄なことだった。シャバカ・ハッチングスというミュージシャンはつねに疑問を持ち、考えている。

新作のテーマは「馬」です。音楽と馬との関わりでまず思い浮かべるのは、ヴァイオリンの弓が馬のしっぽからつくられていることです。つまりクラシック音楽の長い歴史は、馬なくしては成り立ちませんでした。また音楽以外でも馬は、移動手段としての利用をはじめ、人間と長い歴史を有しています。今回馬をテーマにしたのはなぜなのでしょう?

H:じつは最初から馬を選んだわけじゃないんだよ。馬のほうからぼくを選んでくれたんだと思う。最初のアイディアは、なにか大きな生き物の骸骨を使ってレコードをつくるといういうものだった。そこで eBay でいちばん大きな骸骨を検索したんだ。ティラノサウルス・レックスとか、恐竜のね。でもそれはなくて、購入することができるいちばん大きな骨は馬の骨だったんだ。だから馬の骨を買ったら、数週間後にものすごく大きな箱がスタジオに届いてさ(笑)。「なんてことをしてしまったんだろう」とそのときは少し後悔したよ(笑)。でもぼくはその骨格から楽器をつくりはじめて、それで音楽をつくりはじめた。そしたらどんどん馬の魅力に夢中になっていったんだ。馬や、馬にまつわる物語にね。馬は、猫なんかよりもはるかに深く人間とつながっている。人間と多くの関係をもったナンバーワンの動物なんだ。そこで、馬は自然界と人間の関係の謎を解き明かす鍵であり、その関係をあらわすとても素晴らしい比喩になると思った。そんな成りゆきで、今回のアルバムを作るに至ったんだよ。

通訳:そもそもどうして骸骨を使いたいと思ったのでしょう?

H:正直、それは覚えてない。そのアイディアを気に入ったのはたぶん、骨というものが多くの動物が共有するものだからだったと思う。骨は見えないけれども私たちのなかに存在しているものだから。毎回レコードをつくるたびにぼくにとって重要なのは、その作品制作をとおしてなにかを学ぶことなんだ。自分が知らないことに触れ、それを学び、そしてそれをオーディエンスを共有することがぼくの野心なんだよ。

以前は「豚」をテーマにしたアルバムを出していますよね。それと今回の「馬」とは、テーマのうえでどう異なっているのでしょう?

H:豚の場合、あれは一匹の豚の人生の旅路がアルバムの大きなテーマだった。その豚が生まれてから食べられるまでの人生を記録したのがあの作品。そして、その豚が食べられた瞬間にその記録はストップするんだ。その記録はある意味ドキュメンタリーのようなもの。ある一匹の豚のドキュメンタリー、あるいは物語なんだよ。僕は、あの一匹の動物の一生のほとんどすべてを知っていた。その豚が生まれたときも、食べられたときもその場にいたし、旅の間中ずっと一緒だった。でも今回の馬についてはなにも知らないんだ。競走馬であること、ヨーロッパ生まれであること、そしてメスであることだけは知っているけど、知っているのはその3点のみ。だから今回のアルバムはほとんどその馬の死後の世界のようなもので、その馬の霊的な旅、幻想的な旅、神聖なる旅といった感じなんだ。馬の骨を手にしたときからすべてが未知だった。つまりぼくにとってこのアルバムはドキュメンタリーではなく、探検や未知の世界であり、かなり抽象的な作品。この馬は数年前に亡くなったんだけれど、ある意味アルバムをつくることで、その馬のために死後の世界を作ったようなものなんだ。

非常にさまざまな音が用いられていますが、制作はどのようなプロセスで進められたのでしょうか? リサーチと素材の収集だけでかなりの時間を費やさなければならないように思えます。

H:そう。かなり大変だったね。今回はレコードの制作期間が半年しかなかったから、骨組が届いてから完成するまではとても早かった。最初はなにをどうしたらいいのかわからないままアルバムづくりをスタートさせて、まずヘンリー・ダグに脚の骨を使って4本のフルートをつくってもらったんだ。そのあと骨盤からハープをつくってもらい、サム・アンダーウッドとグラハム・ダニングに骨を演奏できる機会をつくるのを手伝ってもらった。そうやってできあがった新しい楽器の演奏方法を発見しながら素晴らしいミュージシャンにそれを演奏してもらったんだ。とにかく即興で音を演奏し、ストーリーをつくっていった。今回はカースティー・ハウスリーという監督と一緒に作業をしたんだ。彼女はイギリスの有名なシアター・カンパニー Complicite で多くの演劇を手がけている。そしてもうひとり、イモージェン・ナイトというムーヴメント・ディレクターとも一緒に作業した。ぼくと彼女たちの3人は、ドラマツルギー(戯曲の創作や構成についての技法、作劇法)について考え、物語の構成や内容について考えることにかなり長い時間を費やし、この馬の骨にまつわるストーリーと、音楽にまつわるすべての可能性について話しあったんだ。最初のアイディアがエキサイティングであったと同時にすごく厄介だったし、時間も限られていたから、けっこう途方にくれてしまってね。そこでカースティーとイモージェンが物語の構成を考えるのを手伝ってくれたんだ。

アウトサイダーやエキセントリックなひとたち、もしくはシーンの端っこで面白い音楽を作ってきたひとたちをこのレコードに招き、ここで彼らに自分の居場所を見つけてほしかったんだよ。そして彼らをこの空間で祝福したかったんだ。

今回の制作でもっとも苦労したことはなんでしたか?

H:もっとも苦労した、というか大変だったのは、その馬に対して誠実で忠実な作品をつくること。ぼくはその馬のことをなにも知らなかったから、自分が知らないものについて音楽をつくるというのはかなり難しいことだった。まるで、会ったこともないだれかのプロフィールを書くようなものだからね。もうひとつは、骨という唯一残されたその馬の一部に魂を見出すこと。骨はぼくが持っているその馬のすべてだったから、もちろんぼくはその骨に敬意を払いたかった。でも骨というものに魂を見出すことが最初は難しくてね。生きているものと違って、骨はカルシウムと炭素とシリコンでできている。骨はもう生きていないわけで、生き物の遺骨と魂の関係とは何かを考えるというのが、ぼくにとってはすごく複雑だったんだ。

“The Horse’s Bones And Flutes” では、馬の骨からつくられたフルートをシャバカ・ハッチングスが演奏しています。彼はサックス奏者ですが、日本の尺八などさまざまな管楽器を探究しています。また彼はアフリカの歴史を調べたり、非常に研究熱心です。彼の探究心について、あなたの思うところをお聞かせください。

H:最初に今回の件を依頼したとき、彼は「無理だね。俺には演奏できないよ」と言ったんだ。でも、もちろん彼は才能あるミュージシャンだから、10分後には完璧にフルートを演奏していた。そこでマイクをセットし、ひたすら彼に演奏してもらい、2時間かけてそれを録音したんだ。そしてその演奏をとにかく聴きまくりながら、僕らはたくさん話をした。僕が最初に彼にお願いしたことは、「フルートを演奏した世界初のミュージシャンになった気持ちを想像しながら演奏してくれ」ということだけ。そこから2時間の即興演奏ができあがり、ぼくがそのなかからとくにいいと思った部分をいくつか取り出し、曲をつくりあげたんだ。ぼくは彼の探究心が大好き。だからこそ彼を選んだし、彼が参加してくれたのはほんとうに光栄なことだった。シャバカ・ハッチングスというミュージシャンはつねに疑問を持ち、考えている。音楽というものはときに超越を意味するものだと思うんだ。そして、考えるということと降伏することのあいだにはとても複雑な関係がある。彼はかなり興味深い視点やヴィジョンを持ってるんだ。演奏や即興をやっているときはとくにそう。彼は演奏しているときつねに考え、つねになにかを創造しながらも、そこには同時に自由が存在する。彼のなかではそのアンバランスが成り立っていているんだよ。自由で好奇心旺盛でありながらなにかを達成しようとするのはすごく難しくて複雑なことだと思う。でも彼はそれをとてもうまく表現できていると思うね。

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人類が最初に音楽をデザインしたとき、それは複雑なものではなかった。でも人間が進化するにつれて、音楽もより複雑に進化してきた。だからぼくたちは出だしのほうの音をすごくシンプルなものにしたかったんだよ。

本作にはポーラー・ベアのセブ・ロッチフォードや元ココロコのエディ・ヒック、またシオン・クロスも参加しています(全員サンズ・オブ・ケメットでも演奏経験あり)。2010年代後半はロンドンを中心に新たなジャズのムーヴメントが勃興しました。これまでもジャズを小さくはない要素としてとりいれてきたあなたにとって、そのムーヴメントはどのように映っていますか?

H:イギリスには昔から面白いジャズが存在していて、その歴史は長い。以前は新しい世代は昔からの物語を引き継ぎ、昔からのまともなジャズを継承してきたんだ。イギリスのジャズにはつねに、ある種のアンダーグラウンドで探究的な伝統が尊愛してきたからね。でもいまはジャズとダンス・ミュージック、そしてリズムのあいだですごくエキサイティングなコラボレーションがおこなわれていると思う。ジャズの歴史のなかでリズムというのはこれまでとくには追求されてこなかったと思うんだ。でもいまの新しい世代は、ダンス・ミュージックからリズムとアイディアを借り、それを即興演奏にとりいれている。しかもそれをかなりうまくやっていると思うね。ぼく自身そういったサウンドが大好きだし、例えばシオン・クロスのようなミュージシャンはチューバを演奏しているけれど、ぼくはそこが好きなんだ。チューバは通常ジャズの楽器ではないからね。新しい楽器、新しい音、そして新しい声を見つけるというのは本当にエキサイティングだと思うし、彼らが集まっていっしょに演奏するようなコラボレーションがあるのもこのシーンの素晴らしさだと思う。彼らは互いにサポートしあっているし、まるでエコシステムのように機能している。ほんとうにポジティヴだと思うよ。

ひるがえって、エヴァン・パーカーやダニーロ・ペレス(Danilo Pérez)といった巨匠も参加しています。彼らを起用するに至った理由は?

H:エヴァン・パーカーはぼくの近所に住んでいるんだ。彼とは友人の紹介で知り合い、参加してもらうことになった。ダニーロ・ペレスとは数年前パナマで一緒に映画のサウンドトラックを制作したことがあって知り合ったんだ。ぼくにとって今回のレコードに昔の世代のミュージシャンも招くのは重要なことだった。今回は若い世代から年配の世代まで、幅広い世代のアーティストをフィーチャーしたくてね。楽器の製作者にかんしても同じ。ヘンリー・ダグは昔の世代の楽器製作者だし、ぼくらは彼以外に若い楽器製作者にも参加してもらった。ぼくはアウトサイダーやエキセントリックなひとたち、もしくはシーンの端っこで面白い音楽を作ってきたひとたちをこのレコードに招き、ここで彼らに自分の居場所を見つけてほしかったんだよ。そして彼らをこの空間で祝福したかったんだ。

馬と権力はこれまでずっと結びついてきたし、いまでもそれは続いている。王や貴族、権力を象徴するものとして。馬に乗れるということは、自然をコントロールできるということなんだ。馬は権力と自然を支配することの象徴なんだよ。

通訳:エヴァンとダニーロとの実際に曲づくりをしたプロセスを教えてください。

H:エヴァンは、彼がぼくのスタジオに来て、彼に骨のフルートを渡し即興で演奏してもらった。彼はサックスも吹いているんだけど、あれがいちばんの成功だったと思う。というのは、今回のアルバムでぼくにとって大切だったのは、音楽が自由であることだったから。その自由さで、馬の精神、想像力の精神、音楽家の精神を表現し、それを感じてもらいたいと思っていたんだ。エヴァンはそれを表現してくれた。彼は自由に、とても美しく、感動的なものをもたらしてくれたんだ。
 ダニーロとの作業はそれとは少し違っていた。パナマでレコーディングし、彼にも即興で演奏してもらったんだけれど、彼には馬と対話するように演奏してもらうようお願いしたんだ。「馬が出す音を聴いて、それに合わせてピアノを弾くれ」ってね。そうすることで新しい表現の形をいっしょにつくっていった。その異なるプロセスがそれぞれ違ったものをもたらしてくれたんだ。

2曲目の太鼓の響きや4曲目の旋律などからは、西洋ポピュラー・ミュージックとは異なる、民族音楽やフォーク・ミュージックと呼ばれるものを想起しました。そういった点もテーマの「馬」と関係しているのでしょうか?

H:原始的な楽器を使ったから、民族音楽のように聞こえないことはむしろありえなかったと思う。馬の皮やウサギの皮といった動物の皮を引き伸ばして作られたものだから、かなりベーシックな楽器なんだ。そのシンプルな太鼓を演奏しているだけだから、フォーク・ミュージックのように聞こえないほうが難しいと思うね。現代の楽器と比べると、その楽器から得られる音やテクスチャーの幅はかなり限られているから。ぼくは今回のアルバムで音楽の歴史も表現したかったんだ。人類が最初に音楽をデザインしたとき、それは複雑なものではなかった。でも人間が進化するにつれて、音楽もより複雑に進化してきた。だからぼくたちは出だしのほうの音をすごくシンプルなものにしたかったんだよ。2曲目では、最後にひとつのコードが出てくるんだけど、それはハーモニーの出現を表現している。そんな感じで、このアルバムでは音楽の進化も表現しているんだ。だからアルバムの最初のほうはフォーク・ミュージックのようにとてもシンプルにはじまり、そこからオーケストラのようになり、エレクトロニックになっていく。アルバムのなかで、音楽がどんどん複雑で奇妙なものに発展していくんだ。

本作には、かつてサフラジェットのエミリー・デイヴィソンが命を懸けて馬の前に立ちふさがった、その競馬場で録音した音も含まれているそうですね。フェミニズムもまた本作に含まれるテーマなのでしょうか?

H:あの音源を使ったのは、ぼくが権力の表現に興味があるから。もちろんフェミニズムはその重要な一部ではあるんだけれど、フェミニズムがテーマというわけではないんだ。馬と権力はこれまでずっと結びついてきたし、いまでもそれは続いている。王や貴族、権力を象徴するものとして。馬に乗れるということは、自然をコントロールできるということなんだ。馬は権力と自然を支配することの象徴なんだよ。そして、自分たちの楽しみのために馬を競わせる競馬という点もそうだし、女性が権利のために立ち上がるという点もそうだし、あの場面ではいくつかのストーリーがひとつになっているように思えたんだ。権力がどのように交錯するかを説明するための有力なストーリーがね。権力とフェミニズムの関係だったり、権力と環境の関係だったり、貴族制度と競馬、つまりはスポーツやギャンブルの関係、権力と搾取の関係もそう。権力がどのように社会と交差しているのかを表現するのに役立つと思った。ほんの小さな出来事だけれど、僕にとってあの出来事と場所は、権力にかんするいくつかの物語が結晶化したものなんだ。

ダンスフロアはたんにレッドブルやウィスキーを飲むための場所じゃない。ダンスフロアが政治的でありつづけること、政治化されつづけることは、ぼくはすごく重要なことだと思っている。

今回フィールド・レコーディングだけでなく、インターネットから集められた馬の鳴き声も使用されているのですよね? パンデミック中はIT関係のテック企業やシリコンヴァレーのひとり勝ちのような状況になり、富める者がさらに富むような側面もありましたが、それでもインターネットを使わざるをえない現代のアンビヴァレントについてどう思いますか?

H:インターネットのよさは、その巨大さ。インターネットは人間の脳の巨大な地図のようなもの。だから、クリエイティヴな部位もあり、怒りの部位もあり、セクシーな部位もあり、情報の部位もあり、機能的な部位もある。ぼくはその詰まり具合が好きなんだ。インターネットをとおして過去のさまざまな人びとやアイディアとコラボレーションできるのも素晴らしいことだと思う。それに、ぼくは新しい技術を使うことに興味があるんだ。たとえば機械学習とかね。馬の鳴き声を集めるために使ったのがこの技術。このアルバムでは非常に初期の原始的な技術である骨のフルートから機械学習にまで触れたかったんだ。

“The Horse Is Put To Work” や “The Rider (Not The Horse)” にはダンス・ミュージックの躍動があります。90年代~00年代初頭、あなたはハウスのプロデューサーとして名を馳せ、2021年の『Musca』もハウス・アルバムでした。あなたにとってハウス、もしくはダンス・ミュージックとはなにを意味していますか?

H:ぼくが最初にダンス・ミュージックをつくりはじめたころは、ダンス・ミュージックのレコード会社もそれをつくるアーティストもそれほど多くはなかった。それがいまでは何百万人、何千万人という人びとがそれをつくっている。だからダンス・ミュージックは以前と比べると薄くなり、パワーが少し弱くなった気がするんだよね。政治的な意味も希薄になってしまった。とくにハウス・ミュージックはアメリカのブラック・クィア・カルチャーとして、安全にプレイされるための場所としてはじまったのに。ダンスフロアはたんにレッドブルやウィスキーを飲むための場所じゃない。ダンスフロアが政治的でありつづけること、政治化されつづけることは、ぼくはすごく重要なことだと思っている。とくにイギリスでは政治も新聞も、どんどん右傾化してしまっているんだ。そんななかでダンスフロアのような安全な空間をつくり、それを育てていくことはほんとうに重要だと思う。なのにダンス・ミュージックの形態が、音楽的に言えば、少し保守的になってきてしまっているのは残念だよ。気候変動だったり、ぼくたちはいま実存的な危機的状況にあると思う。そんななかで音楽があまりにも保守的だったとしたら、それはぼくらの助けにはなれないと思うんだ。

これまでもあなたは人間の身体やブレグジットなど、さまざまなテーマの作品をつくってきました。ただ音の効果や作曲行為などのみに専念するアーティストがいる一方で、あなたがそうしたなにがしかのコンセプトを自身の音楽活動に据えるのはなぜなのでしょうか?

H:好奇心と、なにかを学びたいという気持ちだろうね。いまぼくは映画やテレビ音楽の仕事をしている。次のプロジェクトはバナナがテーマなんだ。いまはドミニカ共和国でバナナにマイクをくくりつけて、ドミニカ共和国からぼくの朝食として出てくるまでの道のりを録音し、記録しているところ。これはもう映画のような作品なんだ。映画であり、記録ドキュメンタリーでもある。今回バナナをコンセプトにした理由は、ぼくがバナナについてなにも知らないことに気がついたから。毎朝バナナを食べているのに、それについてなにも知らなかったから、バナナについて調べなきゃと思ったんだよね。バナナは世界でもっとも食べられている果物なのに、品種はひとつしかない。そして、パナマ病のせいで危機に瀕している果物なんだ。もしよかったらチキータ・ブランドについて調べてみて。バナナの歴史に暗い影を落としているから。

通訳:以上です。今日はありがとうございました。

H:こちらこそ、ありがとう。

DJ Girl - ele-king

 松島君に、DJ Girl(の曲)はかけるのかと訊いたら、彼は表情を変えずに「かけますよ」と言った。「けっこう盛り上がるんですよ」、と20代のDJは表情を変えずに付け足した。へぇ〜、盛り上がるんだ。いいなぁ、若いなぁ。松島君は表情を変えない。いや、でもね、気持ちはわかるよ。ぼくと同世代人たちも、若者と言える頃はあの手の曲(たとえば「Analogue Bubblebath 4」の1曲目)で狂ったように踊ったものだった。時代は変わっているようで変わっていないが、変わらないようで変わった。デトロイト出身のDJ Girlはジェフ・ミルズの大ファンだった。しかし彼女はジェフ・ミルズの模倣はしなかった。
 
 ぼくがDJ Girlに興味を抱いたのは、ノンディがきっかけだった。ノンディのアルバムは素晴らしい。フットワークとヴェイパーウェイヴとエレクトロニカが融合しスパークする、インターネットにおけるアンダーグラウンドなあやしげな動きから誕生した雑食のダンス・ミュージックで、さらに驚いたのは、彼女のアフロ・アメリカンとしての反抗心を象徴するアートワークのともすれば挑発的な政治性とは裏腹に、彼女が主宰するレーベル〈HRR〉——これがちょっと奇妙で「カワイイ」ことになっているのだ。マイメロ、クロミ ハローキティ? ノンノン? で、このギークな女子コミュニティのなかには8歳のTerri Howardsちゃんもいるし(AFXも真っ青の、「どうぶつの森」のグリッチを聴きたまえ!)、そしてDJ Girlもいると。ノンディの〈HRR〉は、DJ Girlのレーベル〈Eat Dis〉とネット・コミュニティとして繋がっているのだ。……にしてもこれは……いったい……なんというシーンだろうか……衝撃的というか、新しい何かが広がっているというか、恥ずかしながら歳も忘れて興奮してしまった次第なのである。(ノンディのアルバム・コンセプトを思えば、これは閉鎖的なオタク村でも退行現象でもあるまい)
 
 新しいと言ってもDJ Girlは、調べてみると2016年あたりから作品を出しはじめているので、すでにキャリアはある。コロナになって、デトロイトからテキサス州オースティンに移住したという情報も得た。アルバム『Hellworld』はノンディの『Flood City Trax』と同様に〈プラネット・ミュー〉からのリリースで、オールドファンはヴェネチアン・スネアズの『Songs About My Cats』などを思い出したりしている。つまりこれは〈プラネット・ミュー〉らしい作品と言えるのであって、フットワークにブレイクコアの激しさが混ざった“Get Down”ではじまる『Hellworld』には、多彩で奔放な、激しくて愉快なエレクトロニック・ミュージックが8曲収録されている。
  サイボトロンを彷彿させる“Technician”やラップをフィーチャーした“Opp Pack Hittin” にはオールドスクール・エレクトロへの愛情が注がれているかもしれないが、魅惑的なノイズや弾力性のある振動の楽しげな展開は若々しく新鮮だ。子供っぽいというか、いまノりにノっているというか、“Lucky” のような曲で見せる歪んだブレイクビートの暴走の合間に発せられる「俺ってラッキー」という声とのコンビネーションに生じる面白さに、このアルバムのひとつの魅力が象徴されていると言えるのかもしれない。頭が悪そうに見えながら決して悪くはない、いやしかし悪いかもというねじれた愉快な感覚は、おそらくはAFXに端を発しているのだろうけれど、サウンドでそれをうまく表現することは決して簡単なことではないのだ。もっとも、“When U Touch Me”のようなナイトコアの曲までこの老害が楽しめるはずはなく、本作を必聴盤と言うつもりもないけれど、面白いのはたしかです。エネルギーとユーモアがあって、“So Hot”のような曲を松島君が表情を変えずにDJでかければ、フロアはきっと笑顔に包まれるのだ。君たちの未来は明るいぞ。Peace!

Meitei - ele-king

 日本文化をテーマにする広島のプロデューサー、冥丁の国内ツアーが開催されることになった。7月21日にリイシューされるファースト・アルバム『怪談』(オリジナルは2018年)をベースにしたライヴ・セットとのことで、これは貴重な機会だ。東京、豊田、和歌山、熊本、福岡、うきは、京都の7都市を巡回。会場もユニークなところが多そうで、土地全体、空間全体で音楽を楽しめるかもしれない。詳しくは下記より。

Nondi_ - ele-king

 ジューン・タイソン。彼女はいまの私の母と同じくらいの年齢だが、私が母にジューンの話をしたとしても、きっと誰のことなのかわからないだろう。ジューンはいわば盗賊団のなかの女神で、サン・ラーのもっとも有名な曲の数々を歌った偉大な声だった。また、彼女は私が初めて出会った、実験的な音楽に取り組む黒人女性でもある。

 2023年の現在、さて、どれだけの黒人女性が冒険的な音楽活動を成し遂げているのか、数えるのは難しい。ダンスやR&B、ラップなど主流の音楽では、慣習の外に踏み出す人はほとんどおらず、いま、私の頭に浮かぶのはわずか3人だ。NkisiMoor Mother、そしてLazara Rosell Albear。みんなそれぞれ素晴らしい、が、金メダルに値するのは間違いなくNondiだろう。 彼女の『Flood City Trax』はすでに、ジャンル分けなど許さないエクレクティックな音世界を持っている。

 アルバムには、ジュークにインスパイアされたという彼女の言葉通りハードコアなトラック、“01-25-2022 ” がある。この曲は刺激的な故障であり、説明するのが困難なほど背徳的だ。女王の鞭よりも鋭い殺人的な魅惑をもって、クラブでリピートされもしたら胴体は疲労困憊してもなお回旋し続けるだろう。しかし、それは1曲だけ。このアルバムの真のリズムは、1曲目の "Floaty Cloud "からはじまる。ヴェイパーなメロディ、DIYベッドルーム・プロダクション、そして決して途絶えることのないビート。これはフロア専用のダンス・ミュージックではないし、そうなるように作られたものでもない。Nondiが駄菓子屋の子供のように自分の正直な気持ちに従ったことは明らかで、私たちは、彼女のこの知恵によってますます祝福される。夢見心地は早い段階からはじまり、最後のトラックまで止まらない。が、ジューク・ミュージックが安定を保つための地面に杭を打っているとしたら、彼女のオーラル・ヴィジョンの焦点はそこではないのだ。

 ジューン・タイソンのことを考えると、彼女の声は同時にラーの声でもあった。ジムクロウ時代を生き抜いた彼女らの世代は、貧しい隔離されたコミュニティで育ち、白人の差別主義者が所有する農園(プランテーション)の近くに住むか時給自足の暮らしをしていた。私はジューン・タイソンの美しさに、斧を持ったカントリー・ウェアの女性が佇むこの反抗的なジャケットと同じ感覚を覚える。他方でそれは、『カラーパープル』の記憶をよみがえらせもする。あの、貧しくても反抗的な姿勢を。これこそFAFO*ってヤツだ。

 また、このジャケットは、多くの黒人がよく知っている状況を明確に示してもいる。何百万人もの人びとの命を剥奪した1970年代以前の南部の生活を思い出しながら、この女性は斧を持って復讐に燃えているのだ。

 そして、新しいシンセサイザーの宝庫を切り開く準備ができている。ジャケットに描かれた小作人のイメージと、各トラックから発せられる鮮やかな色のコントラストは、Nondiのトラックスとその意図の奥に染み込んだフューチャリズムの深さを示している。これは、黒人としての生活の重圧に苦しむ魂を癒す温かいサウンドだ。Nondiは、私の飢えた心に語りかけてくる。K-POPやフェイクDJに疲れ、私はひとつの様式などには留まらないミュージシャンを渇望している。ようこそ、Nondi。


*「FAFO」はもともとブラック・イングリッシュ。2022年に米ポップ・カルチャーの文脈でも流行り、同年の流行語大賞に選ばれた。「火遊びをすると火傷するかもしれない」、あるいは「もう火傷してしまった」ということを伝える生意気な表現だったが、いっぽうでは「斬新な挑戦に遭遇したときの」仲間の「気概」を表現しているとし、Urban Dictionaryではこのフレーズに「自信の表明」の意味も含めている。


Nondi_ / Flood City Trax / Planet Mu

June Tyson. About my mother`s age now but if I mentioned June to her, I’m sure she’d have no idea who she was. But June was a goddess among thieves, she was the grand voice of many of Sun Ra`s most famous songs. She was also the first Black woman I ever encountered doing experimental music. And to be sure even in 2023, it is damn hard to count how many Black women embrace eclectic music outright. Sure dance, Rnb, rap etc, they dominate but outside of convention few tread. I can only count 3 off hand. Nkisi, Moor Mother, and Lazara Rosell Albear. All amazing in their own right but Nondi is definitely going for the gold medal. With “Flood City Trax”, she already has an eclectic sound world that mentions genres and promptly ignores them. By her own words, she was inspired by Juke and indeed there is a hardcore Juke track, “01-25-2022”. To say that the track smacks fails to illustrate how vicious it is. A killer headturner sharper than lashes from a dominatrix. If on repeat at a club, torsos would gyrate into exhaustion. But that is only one track. The true rhythm of the album starts from 1st track “Floaty Cloud Dream”. Vapor melodies, DIY bedroom production, and a beat that never truly snaps. This is not foot to the floor dance music nor was it made to be. It’s clear that Nondi follows her voice like a kid in a candy shop. We are all the more blessed by this wisdom. The dreaminess starts early and doesn’t stop til the very last track. While Juke music is a stake in the ground for stability, it isn’t the focus of her aural visions.

In thinking of June Tyson, she was the voice of Ra just as much as he himself was. Their generation straight out of the Jim Crow era, grew up in poor, segregated communities, DIY living near or on plantations owned by white racists. When I think of the beauty of June Tyson, I get the same feeling with the defiant cover of the woman in country clothes carrying an axe. It immediately conjures memories for me of the Color Purple. Poor but defiant. A real FAFO attitude.

The cover is a clear nod to conditions that many Black people know all too well. Recalling pre1970`s southern life that greatly disenfranchised the lives of millions, the woman is instead vengeful holding an axe ready to defend my people and cut open a treasure trove of new synth sounds too. The extreme contrast between the share cropper imagery from the cover and the vibrant colors emanating each track shows the depth of futurism seeping deep in the trax and intention of Nondi. Warm sounds that soothe souls suffering from the weight of Black life. Nondi is a musician that speaks to my starving heart. With K-pop and fake dj fatigue, I am famished for a musician that doesn’t give a fuck about clear genres. Welcome Nondi.

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