アズ・ワンなどの名義で知られるUKテクノのヴェテラン、カーク・ディジョージオがDJ活動から引退することを表明している。80年代前半から40年近くDJをやってきたという56歳の彼は、現在、腎臓の問題によりペースメイカーを装着せねばならない状況にあるそうだ。そのため、ヘッドフォンやDJブース、モニターのような電磁機器から物理的に距離をとらざるをえないとのこと。
ただし創作をやめるつもりはないようで、モニターから距離をとってできるスタジオ内での作業に集中するとのこと。彼は今年、『Modal Forces / Percussive Forces』および『Robe Of Dreams』の2枚のアルバムに加え、ブルー・バイナリー名義でも『Origins』を発表している。早期の快復と今後の活躍に期待したい。
「Nothingã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
2000年代以降の坂本龍一は、この時代だけでひとつの物語だ。『async』をはじめとする彼の大胆な挑戦は、これからさらに語られていくことだろう。そんな坂本の、音楽的冒険の契機のひとつとなったのは、アルヴァ・ノトやニューヨーク〈12K〉との出会いだろう。
今週木曜日、7月13日から10月15日までの3ヶ月のあいだ、〈12K〉のレーベルメイトが中心となって完成した坂本龍一追悼盤がリリースされる。計41人のアーティストによる5枚組。まずはそのメンツを見て欲しい。そしてぜひ聴いて欲しい。
坂本龍一追悼盤 『Micro ambient Music』
小さなものにこだわり続けた坂本龍一の音に呼応した
41名の音楽家たちによる追悼
全未発表39曲。3ヵ月間の限定公開。
「アンビエントは僕の手を離れた」とブ゙ライアン・イーノが言うほど、アンビエント・ミュージック(環境音楽)の解釈は広がっている。その中で坂本龍一が求めた「環境、音楽、音」は何であったのか。坂本が所属していたニューヨーク「12K」のレーベルメイトが中心となって集められたこの追悼盤で、その一部が解き明かされる。
ここからもまた、坂本の「音」は広が゙り続ける。
公開期間:2023年7月13日(木)~2023年10月15日(日)
特設サイト:http://microambientmusic.info/
*Bandcamp 販売のみ 1タイトル 1,800円 5枚セット 5,500円
※収益金の一部は Trees For Sakamoto に寄付されます。
参加アーティスト
Alva Noto, AOKI takamasa, ASUNA, Bill Seaman, Chihei Hatakeyama, Christophe Charles,
Christopher Willits, David Toop, Federico Durand, hakobune, Hideki Umezawa,
Ian Hawgood, ILLUHA, Kane Ikin, Kazuya Matsumoto, Ken Ikeda, Lawrence English,
Marcus Fischer, Marihiko Hara, Miki Yui, Nobuto Suda, Otomo Yoshihide,
Rie Nakajima and David Cunningham, Sachiko M, Sawako, Shuta Hasunuma,
Stephen Vitiello, Stijn Hüwels, SUGAI KEN, Takashi KOKUBO, Taylor Deupree,
Tetuzi Akiyama, The Factors, Tomoko Sauvage, Tomotsugu Nakamura, Tomoyoshi Date,
Toshimaru Nakamura, Tujiko Noriko, Yui Onodera
2017年の『Fly Or Die』で注目を集め、その野心的なスタイルで将来が期待されていたものの、昨年亡くなってしまったジェイミー・ブランチ。才あるこのジャズ・トランぺッターが生前ほぼ完成させていたというアルバムがリリースされることになった。パンクやノイズからアフロ・カリビアンの要素までが含まれる作品に仕上がっているようだ。CDの発売は9月6日。注目しよう。
Jaimie Branch『Fly or Die Fly or Die Fly or Die』
2023.09.06(水)CD Release
2022年8月22日39歳という若さで亡くなった、ダイナミックなジャズ・トランペット奏者/作曲家ジェイミー・ブランチによる、瑞々しく、壮大で、生命力に溢れた遺作となるアルバムが完成。メンバーには、チェリストのレスター・セントルイス、ベーシストのジェイソン・アジェミアン、ドラマーのチャド・テイラーが参加。
ジェイミー・ブランチが亡くなった時、彼女が率いたフライ・オア・ダイの新作はミキシングを残すのみで、ほぼ完成していた。遺族と共に完成までこぎ着けたこのアルバムは、デビュー作『Fly Or Die』から変わらないメンバーと制作されたが、その音は随分と遠いところへと我々を導く。パンク・ジャズのダイナミズムとノイズから、アフロ・カリビアンの陽気なポリリズムまでがここには刻まれている。かつてないほどにフィーチャーされているジェイミーのヴォーカルは、ハードコアとソウルの間を深く揺れ動く。美しいという形容こそが相応しいアルバムだ。(原 雅明 ringsプロデューサー)
ミュージシャン:
jaimie branch – trumpet, voice, keyboard, percussion, happy apple
Lester St. Louis – cello, voice, flute, marimba, keyboard
Jason Ajemian – double bass, electric bass, voice, marimba
Chad Taylor – drums, mbira, timpani, bells, marimba
with special guests-
Nick Broste – trombone (on track 5 & 6)
Rob Frye – flute (track 5), bass clarinet (track 5, 6 & 7)
Akenya Seymour – voice (track 5)
Daniel Villarreal – conga and percussion (track 2, 5, 6 & 7)
Kuma Dog – voice (track 5)
[リリース情報]
アーティスト名:Jaimie Branch(ジェイミー・ブランチ)
アルバム名:Fly or Die Fly or Die Fly or Die
リリース日:2023年09月06日(水)
フォーマット:CD
レーベル:rings / International Anthem
品番:RINC109
価格:2,700円+税
販売リンク:
https://ringstokyo.lnk.to/WQEQcd
オフィシャル URL :
http://www.ringstokyo.com/jaimie-branch-fly-or-die-fly-or-die-fly-or-die-world-war/
DMBQが各地のクアトロでおこなっている2マン企画「DMBQと…」シリーズの最新公演が決定した。今回は名古屋クアトロにて NO BUSES との2マン。独自の路線をひたすらに突き進む稀有な2バンドの競演は今回が初で、かなり珍しい組み合わせといえよう。チケットはチケットぴあ、e+、ローソンチケットなどで7月22日より発売予定。
公演情報:
「DMBQとNO BUSES」
9月20日(水)
名古屋クアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,000 当日¥5,000
お問合せ:名古屋クラブクアトロ
TEL.052-264-8212
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[7月20日追記] * NEW!!
本日、新たに2公演の情報がアナウンスされた。梅田と渋谷の両クアトロでの開催で、前者ではドミコと、後者ではエンドン、ジム・オルーク&石橋英子と競演する。これは豪華です。見逃せません。
公演情報:
「DMBQとドミコ」
10月5日(木)
梅田クアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,000 当日¥5,000
お問合せ:梅田クラブクアトロ
TEL.06-6315-8150
「DMBQ, ENDON, Jim O'Rourke & Eiko Ishibashi」
10月10日(火)
渋谷クアトロ
開場18:45 開演19:30
チケット:前売¥4,000 当日¥5,000
お問合せ:渋谷クラブクアトロ
TEL.03-3477-8750
音楽のはじまりが4万5千年前だとされているのは、ドイツ南西部のとある洞窟で発見された最古の楽器、としか解釈のしようがない人工的に穴が開けられた骨の推定年から来ていると、音楽学者のポール・グリフィスは書いているけれど、しかしながら、ジョン・ケージの “4分33秒” を真に受けて議論するなら、ホモ・サピエンスが誕生した数十万年前からそれ(音楽)はすでにそこにあったということになるわけだ。いや、だけどね、やっぱ音楽ってのは、ある明確な周波数や空気圧の振動が時間のなかで規則的/不規則的に発せられてこそそれを音楽と認識するのだろうし、だからこそ楽器ってものが発明されたんじゃないの。いや、違う、だからその考え方が間違っているとケージは言っているんだよ、いやいや、それは理屈だって。いやいや、そもそも音楽が記譜され制度化したことで云々かんぬん。このエリート主義め! なんだとこのわからず屋!(以下、2時間続いた)……この手の話を酔っ払った者同士がしてはいけないことは、もう何十年も前から知っていたというのに、最近またやってしまった。口論になり、そしてなだめ合い、まあこういう話ができるのも●●(名前が入る)だから嬉しいよ、などと憐憫めいたことを言っては、なにかのきっかけでふたたび口論になるという、ウロボロス状態が続くのであった。(はぁ〜、疲れた疲れた)
フィールド・レコーディングというのは、そういう意味では、これが音楽か否かという疑問をつねに内包しながら、録音された自然音/環境音などを音楽として提示する面白いスタイル/ジャンルである。水の音を聴く。数十万年前のホモ・サピエンスも水の音を聴いていたことだろう。1686年の松尾芭蕉もそうだ——「古池や蛙飛び込む水の音」。しかしながらタイムマシンを使って17世紀の江戸の俳人に『Selected Ambient Works, Volume II』を聴かせようものなら、4万5千年前のドイツ南西部の洞窟のなかの笛を吹いている人たちの前でベートーヴェンの交響曲を聴かせようものなら、ぶったまげるどころの騒ぎではないだろう。人間の感受力、音楽を聴き取る能力は時代のなかで拡張されてきている。万博博覧会の時代では、ショトックハウゼンの演奏や電子音楽は人びとを不快にさせもしたというけれど、21世紀のいまならより多くの人が受け入れることができるのだ。ただ、4万5千年前の人類と1686年の松尾芭蕉と21世紀の我々とでは、水の音の聞こえ方は違っているのかもしれない。そして水の音は4万5千年前も現在も同じであって、しかしじつは局面においては同じではなくなっているのかもしれない。
セルビア共和国のベオグラード出身で、旧ユーゴスラビアの女性作曲家リュビツァ・マリッチ(Ljubica Maric)から多大な影響を受けたマニャ・リスティッチは、クラシック音楽出身のヴァイオリン奏者であり詩人でありサウンド・エコロジストであり、いくつかの作品ではフィールド・レコーディングを多用している。彼女は、クロアチアの南アドリア海に浮かぶコルチュラ島——ぼくとしては美しい景色を思い浮かべるが、マニャに言わせれば、そこは「何世紀にもわたるヨーロッパの権力と資本の変遷を調査するのに最適な場所」で、「一種の辺境の歴史的中心地であり、比喩的に言えば、神に見捨てられた王国」——を拠点にアンビエント的感性の豊かな作品を制作している。去る4月、彼女がLAの〈LINE〉(アルヴァ・ノトやウィリアム・バシンスキーなどの作品で知られるレーベル)からリリースした『Awakenings(目覚め)』は、水の音のアルバムである。
水……といっても、オーシャンブルーな海辺でもリゾート・ホテルのプールでも深い自然のなかの渓流でもない。廃墟となった旧ユーゴスラビア軍施設、古代の採石場、古代の水族館、村の水路などといった、彼女が暮らしている島のいろんな場所の(水の音というより)水中の音で、綺麗な水も綺麗ではない水もあって、快適さとはだいぶ違う。ほとんどの音は水中マイクによって録音されている。水中の音ばかりだが、曲によっては、壊れたピアノやおもちゃのシンセサイザーの音が重ねられている。とはいえアルバムは始終、水の音、ただただ水の音が鳴っている。彼女はそれを曲として編集し、並べて、1枚のアルバムにした。まずは、これを音楽として感受できるかどうか、試してみるのは一興である。このクソ暑いなか、涼しそうなアルバムを選んでいるように思われた方もいるかもしれないが、そういう意図はないのであります。
2時間の口論に疲れた帰りの電車で、後味の悪さを少しでも解消しようとメールをしてみる。「まあ、本音で話し合えたってことで」「まだ言い足りない」「……」「今度会ったらボコボコにしてやる」「……」。そういえばマニャ・リスティッチは、ロンドンの俳句コミュニティ兼レーベルの〈Naviar Record〉から、俳句を主題としたアルバム『The Nightfall』(これも良い。ぜひご一聴あれ)を2018年にリリースしている。「俳句は、三行で構成される日本の伝統的で短い形式の詩です。俳句は、人生と自然についてのより深い考察につながる客観的な経験の瞬間についてのものです」——このような文言がレーベルのサイトには記されているのであるが、ジョン・ケージも俳句が好きだったし、芭蕉の俳句は録音こそされてはいないが、アンビエント的感性の表出であることは間違いない。閑さや岩にしみ入る蝉の声……を聴きに旅に出ようかな、マジで。
K まず1曲目にびっくりした。最近のポップスの模倣というかクリシェをやっているけれど、これはギャグなのか本気なのか。3曲目とか5曲目のヴォーカルもすごくいまっぽいから、本気かな。
W たしかに1、3、5曲とめっちゃポップスですね。でも言われるまで気づきませんでした(笑)。ぼくはこういう、UKのビートにいまっぽいポップスのヴォーカルが乗ることって、そこまでびっくりしないんですよね。
K 感じ方に世代の差が出たね(笑)。
W 世代差じゃないでしょ。
N なんでも世代差にしちゃいかんね。
W なぜなのか考えてみると……たとえば「planet rave」というスポティファイのプレイリストがあるんですが、これはいわゆるY2K的な視点から再定義したダンス・ミュージックを集めたプレイリストで……
K Y2K的な視点って? 2000年になるとコンピュータが1900年と勘違いして大変なことになるぞって騒がれたやつ?
W いや、00年ごろの音楽のリヴァイヴァルってことです。その代表とも言えるピンクパンサレスとかピリは、UK産のビートにめっちゃポップスのヴォーカルが乗っかってます。最近だと、エリカ・ド・カシエールが作曲に加わったニュー・ジーンズの新曲 “Super Shy” もビートが明らかにUKで、さすがにコレはびっくりしました。
K (ピンクパンサレス、ピリ、ニュー・ジーンズを聴いてみる)なるほど、00年ころっていわれてウーキーあたりを思い浮かべたけど、どちらかというとジャングルのリズムを崩した感じ、ジャングルのフィーリングが大きいね。万能初歩くんが好きなアイドルのニュー・ジーンズは検索するとやたらジャージー・クラブって出てくるけど、この曲はジャングルとUKガラージの部分のほうが強いように聞こえる。
W 自分はこういう曲もたくさん浴びている。なのでUKダンスの真打ちたるオーヴァーモノがいまのポップスのメロディをとりいれていることは、彼らがデビュー・アルバムを送り出すうえで、つまりより広いフィールドにかちこむうえでは自然なことだと映ったし、スッと入ってきましたね。
K インタヴューでオーヴァーモノの片方、トム・ラッセルが、最近聴いているのはアメリカのR&Bやポップスで、自覚的にUKのアンダーグラウンドからは距離をとったって言っていたけど、ぜんぜんUKらしい要素は入っているよね。現役のクラバーとしてはどう? 個人的には2曲目とか終盤の “Is U”、“So U Kno 2”、“Calling Out” とか、やっぱりUKガラージのリズムを聴かせてくれる曲がぐっとくるんだけど。
N 2000年代以降のUKは、インディ・ロックでもダンスでもUSのR&Bとヒップホップが大好き。ただ、その背後には依然としてジャングルがあって、これはいまでもほんと大きい。いまもっともイキの良いジャングルを聴きたければ Tim Reaper や彼のレーベル〈Future Retro〉をチェックするといいよ。オーヴァーモノはすでにポップ・フィールドにいるけど、活力あるアンダーグラウンドがその土台にはある。
W 偉そうな言い方になってしまいますが、まずハウスやテクノのDJがフルレングスでアルバム1枚分、カッコよく仕上げるのってすごく難しいことだと思ってます。でもそこを軽々と超えたオーヴァーモノはすげーなあと、いちリスナーとして素直に感じました。
N それはホントそうだね。
W インタヴューにもあるとおり、場所問わずまさに車で流せるような雰囲気もありますよね。ぼくは最後のスロウタイの使い方にしびれました。スロウタイをフィーチャーしたなら、そりゃもうディスクロージャー “My High” 的な、超ラジオ向けシングルをつくりたくなりそうなものですが、あくまでビートが主体でありつつ、きっちりヴォーカルも料理されてる(笑)。
K スロウタイ、5月にレイプ容疑で法廷に呼び出されていたけれど、その後どうなったんだろう。無罪を主張していて、裁判は来年に開始されるみたいだけど……事実だとしたらすごく残念だよね。
W そうですね……。他方で “So U Kno” は京都拠点の Stones Taro がリミックスしたり、まさにゴリゴリのバンガーですよね。
K この曲めちゃくちゃかっこいいよね。ダークさもありつつの、声のサンプルの反復に降参してしまう。
W だけど全体としてはクラブ・バンガーの12インチをただ寄せ集めただけという感じにはなってない。このシーソー感覚は不思議でした。このバランスにかんしてはジョイ・Oよりも好みかもしれない。あのミックステープは最高ですが、ちょっとだけアンセム感が物足りないと思っていたので。その点、オーヴァーモノはバッチリって感じでした。
K オーヴァーモノのもう片方、エド・ラッセルのテセラはチェックしていた? ぼくが最初に聴いたのは “Nancy's Pantry” (2013)で、といっても12インチで買ってたわけではなくて、〈ビート〉から出ていた〈R&S〉のコンピ『IOTDJPN』(2014)で聴いたんだけど、けっこうロウなブレイクビーツをやっている印象だった。オーヴァーモノも “BMW Track” (2021)とかはその延長線上に置ける曲だと思うけど、今回のアルバムはやっぱりだいぶポップさが増していると思う。ヴォーカル入りだからかな。UKらしく加工されてはいるけれど。
W テスラは正直、あまり積極的にはチェックしてなかったですね。「硬派」ってことばが出ましたけど、そこが自分的にあまりハマらなかった理由かもしれません。「ポップさ」「キャッチー」というのはすごく乱暴にまとめると、要はより開けた感じですよね。テセラの12インチから感じる硬派さは狭い空間で男たちが踊る汗臭さを感じます。だけど、今回のオーヴァーモノのサウンドは男も女もいる感じです。なぜかって考えたとき、やっぱりUKガラージ/2ステップはひとつのキーじゃないかと。サイモン・レイノルズが『WIRE』で、UKガラージでは「the girls love that tune(女の子たちがあの曲を気に入ってる)」が宣伝文句になるんだ、と指摘しています。その文句はテクノやドラムンベースだと基本的にディスになると(笑)。「たしかに」って思いました。男だけじゃなく、女性も含めて、いろんな人に開けてる音楽。
N それは偏見、テクノもジャングルも女性リスナー/クラバー多いって(笑)。
K ともあれ日本でもこういう素朴に良質なダンス・ミュージックがもっと市民権を得られるようになるといいな。
サックスの音がとにかく軋んでいる。古いドアを開けているような音。ギーギーと耳障りで世界が壊れていく気分。ノルウェイ(現ベルリン)のサキソフォン奏者によるソロ3作目は、パベル・ミリヤコフやローレル・ヘイローといった近年のコラボレーターとの作業が反映された様子もなく、基本的なフォーマットは5年前のデビュー・シングル “Adjust”に立ち返ったような7曲入りとなった。前作のようにダブやドローンと組み合わせることもなく、シンプルにサックスの演奏を聴かせるかたちで、オーヴァーダビングもなし。それこそ原点に戻ったという意味で自分の名前をアルバム・タイトルにした……のかなと。ミニマルの要素を強めて、前作『Cracks』のような物語性を回避し、一部だけを拡大する醍醐味。鎖骨を強調したアルバム・ジャケットはレヤ『Eyeline』の別カットみたいなテイストで、いわゆるクィア・アートを強調している。
管楽器では圧倒的にトランペットが好みなので、これまでサックスの演奏に深く親しんできたとはとてもいえず、サックスがメインの曲で僕が忘れられない曲といえば(立花ハジメ『H』のようにサックスを別な楽器に置き換えると別な味が出そうな曲は除外して)アルトラボックス “Hiroshima Mon Amour”やフィリップ・グラス “Are Years What? (For Marianne Moore)”など数えるほどしか思い浮かばない。ベンディク・ギスケのサックスはそうした数少ない曲のどれにも似ていず、むしろエルモア・ジェームズのブルース・ギターなどを想起してしまう。気持ちよく吹くわけではなく、内面の葛藤が音に出るタイプ。でも、どうやらそういうことではないらしい。幼少期をインドネシアで過ごしたギスケはディジェリドゥーが身近にあり、それに慣れ親しんだせいで、現在のような吹き方になってしまったものらしい。内面ではなく、身体性に導かれた結果だと。
とはいえ、今回はプロデューサーにベアトリス・ディロンが起用され、弾むようなテンポがこれまでとは一線を画す作風になっている(“Adjustt”はもっとダウンテンポの部類だった)。ウラ・シュトラウス “I Forgot To Take A Picture”を倍速にしているような曲が多く、いつものようにサックスが軋み、重く沈み込もうとしても、リズムが停滞を許さない。ディロンらしくトライバルな妙味を効かせたパーカッションが、おそらくはループされているせいで、サックスも一気には調子を変えようがないといった曲の進み方。ループ(多分)なので、グルーヴにも限界があり、ダンス・ミュージックにもインプロヴィゼ’ションにも着地しない。同じ方法論を繰り返すことでリズムに支配されない身体性を探り出そうとしているというか、“Rusht”ではテンポを変えていく試みなどもあり、J・リンのバレエ音楽『Autobiography (Music From Wayne McGregor's Autobiography)』に近いものが感じられる。そうか、観念的にはジュークへのアンサーなのか。オープニングからやたらとテンポが速いのはそのせいだったか。アカデミックな舞台に進出したジュークをフォローし、アコースティックに特化したかたちで発展させる試み。そう考えると個人的にはかなりすっきりする。久々にブラック・ミュージックとは異なる身体性の追求で面白い音楽を聴いたかもしれない。力任せに踊る世界ではあるけれど、そのことがまったく美しくないというわけではない。
“Startt”“Rise and Fallt”“Rusht”“Slippingt”と身体性を強く感じさせるタイトルに混ざって1曲だけ違和感を覚えるのが“Rhizomet”。ドゥルーズのアレだろうか。それとも単に「根っこ」という意味だろうか。このところツイッターが自滅していくのでよく考えることだけれど、ツイッターがダメになったのはイーロン・マスクがCEOになってからではなく、トレンドを表示するようになってからだったのではないかと。ツイッターというのはそれこそ根っこのようにあちこちに広がって誰と誰がつながっているのかよくわからなかったから情報がアナーキーな価値を持つことができたのに、多くの人が集まっている場所や話題を可視化してしまったことで、ドゥルーズのいう「ツリーからリゾームへ」を逆行し、旧来の情報システムと同じ凡庸なヒエラルキー思想に絡め取られてしまったのではないかと。ツイッターの利用者も自由な表現から情報のコマに格下げされてしまったというか。逆にいえば大多数がどこにいるのかを把握していないと権力というのはやはり不安なんだろうな(大衆自身も「権力」に含まれる)。まったくの余談でした。
エンディングのみビートレスで、軋んだサックス音が地を這い、戦い済んで日が暮れていく感じでしょうか。ここだけはトランペット奏者のジョン・ハッセルが思い浮かぶ。