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ボストン市庁舎

ボストン市庁舎

監督・製作・編集・録音:フレデリック・ワイズマン/2020年/アメリカ/英語/274分/カラー/1.78:1/モノラル/DCP
原題:City Hall 字幕:齋藤敦子 
後援:アメリカ大使館 配給:ミモザフィルムズ、ムヴィオラ 
公式サイト:https://cityhall-movie.com/

Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ他全国順次公開中
© 2020 Puritan Films, LLC – All Rights Reserved

松村正人   Nov 17,2021 UP
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 原題を『City Hall』という本作のおもな舞台は米国北東部マサチューセッツ州の州都ボストンの市庁舎、監督は米国はもとよりドキュメンタリーなる形式を語るに避けてはとおれないフレデリック・ワイズマン。『ボストン市庁舎』はその半世紀にわたる作家生活の集大成ともいうべき一本で、上映時間も4時間半におよぶが、稠密な力学が働きなかだるみはおぼえない。むしろ40作を超えるこれまでの作品でとりあげてきた幾多の主題の変奏を編みあげる風合いがあり、交響するモチーフがさらに広大な主題をうかびあがらせる構成は圧巻である。本作は2018年の秋と翌年の冬に撮影をおこない本国では2020年に公開した。すなわち下院を民主党がおさえた中間選挙以後に撮りはじめ、最終的に混沌した様相を呈した大統領選の渦中での公開となった。そのわりには(トランプないし共和党への)直截的なものいいはすくない、とはいえ法と秩序の美名のもと分断を煽るトランプ政権への怒りの響きも随所に聴きとれる。ただし一本の映画をひとつの空間とみなすなら、国政の動向はむしろ『ボストン市庁舎』の作品空間の外でアートがひとしなみに免れえない時代の記名性のようにふるまっている。主眼となるのはあくまで地方行政の舞台である市庁舎とそこにおけるひとびとと、それをとりまく都市の空間の広がりである。この具体的でありながらとりとめもない取材対象に、ワイズマンは視点を定めず、じゅうぶんな知識はなく、しかしぞんぶんに撮ったのち、何ヶ月もの時間を編集についやしたという。

 編集の過程ではじめてテーマや構成があらわれるのはこれまでとかわらなかったとワイズマンは本作の取材にふりかえっている。テーマについてはひとことで述べるのもおこがましいが、ひとまず「公共」にまつわるとはいえるであろう。地方自治体の行政組織はどのように意思決定をおこない、地域住民や事業者や利害関係者はいかにそこにかかわるのか。古典的でありながら、多様性と複雑さのなかで流動化する現代の都市共同体における難問へのとりくみを『ボストン市庁舎』は丹念にすくいあげていく。
 特定の人物によりかからず、関係や構造自体を志向する(ことの多い)ワイズマン映画にはめずらしく、本作には主役級の登場人物が存在する。そのひと、マーティン・ジョセフ・ウォルシュ市長は1967年ボストン生まれの民主党所属の政治家で、市内ロチェスター地区のアイリッシュ系カトリック教徒の労働者階級の家庭に生まれ、17年にわたってマサチューセッツ州議会議員をつとめたのち、2014年の市長選で民主党の市議会議員ジョン・R・コノリーをしりぞけ当選をはたしている。

 『ボストン市庁舎』は都市の喧噪がつつむ市庁舎の遠景で幕をあける。そこでは道路の補修から公園や動物の管理、電線が切れて停電しただの家主が電気を止めただの、住民からの問い合わせがひきもきらない。市庁舎の一角の会議室ではウォルシュ市長を中心に警察関係者が出席した会議がすすんでおり、地域住民のケアと、それを阻む縦割り行政の弊害について話し合っている。出席者のまなざしと市長の饒舌は彼らが彼らの仕事に真剣にとりくんでいる証であり、以後展開するシーンを予告する緒言の役割も担っている。それを受け本編は市の予算編成、住居問題、同性カップルの婚姻、レッドソックスの祝賀パレードの警備、高齢者や障害者やマイノリティの支援、貧困対策、学校や博物館などの公立施設の内情、移民問題など、住民の日々の生活にいかに行政が多面的にかかわっているのか映し出していく。スクリーン上の人物はみな、ボストンに暮らすふつうの市民だが、ワイズマンのファインダーをとおると劇映画の登場人物めいてくるのはやはり不思議である。ノンフィクションの形式がもとより虚構性を帯びるのはいうまでもないし、いかに壁の目になろうとも撮影行為は往々にして被写体を演出してしまうのに、ワイズマン映画のリアリティの置き方はほかに類をみない。絵画的な構図とムダのないカット割り、おそるべき構成力とオーディションでも開いたかのような絶妙な配役といった方法論の連立方程式が特有のリアリティをもたらすのだとしても、解の求め方は対象ごとに千差万別で、その手ざわりもむろんおのおのことなっている。『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』と『ニューヨーク公共図書館』と『インディアナ州モンロヴィア』といった2015年以降の諸作は公共という主題の社会的な変奏のようなものだが聴き心地はことなる。それらの新作をみるたびに私はこのようなひとがこの空の下のどこかにいたという、シャシン的な事物感──おそらくそれは過去時制で語ることのできる数少ない希望のかたちである──をおぼえわけもなく幸福感につつまれる。

 『ボストン市庁舎』にも印象的な人物が多々登場する。とりわけ印象にのこったのは退役軍事会のチェックのネルシャツの青年と、大麻ショップの建設にかかわる集会の参加者たち。前者はイラク、アフガニスタンへの従軍経験もある元兵士で、やはり兵士で第二次世界大戦の欧州戦線で戦死した伯父ののこした手紙がきっかけで、戦友の話を訪ね歩きはじめたのだという。いかにも軍人あがりのアーミーカットのこの男性は数十人の聴衆を前にライフルを手にしながらしゃべっていて、なぜそんなものをもちだしてきたのかといえば、ライフル好きだった伯父のことをわすれないために購入したのだという。とはいえ家族に銃を購入した気持ちなんてそうそうわかってもらえることじゃない。そこで彼は沖縄戦を戦ったという隣人をたずねることにした。隣家の住人は男性が子どものころはおっかない近所のおじさんだったが、いまでは老いと病にさいなまれみる影もない。ところが彼がライフル銃を手渡すやいなや、老いた眼に精彩が宿り、銃をふりまわしては方々に狙いをつけはじめた。仰天する男性をよそに、老人はおもむろにひきだしを開け、なかにしまった袋から日本兵の金歯をとりだし、これをお前にやる、と手渡したのだという。「40年代の戦争を批判する気は毛頭ないが」と男性は聴衆に語りかける。「彼が不機嫌な理由が分かった」

 第二次世界大戦における米軍の遺体損壊は比較的よく知られた話で、その行為の戦争犯罪の側面に立ち入る紙幅も準備も本稿にはないが、戦場の狂気ばかりかそこには米国特有のゴシックな風土がかかわっている気がしてならない。このことは個人がその身で体験した出来事だけでなく、共同体や民族の記憶がときとしてトラウマのように働くことを思わせる。昔ながらの言い方を借りるなら、戦争はそれらを呼び出す機械であり、彼らは語りによる癒しとつながりでその呪縛を解こうとする、そのことは来賓のウォルシュ市長が自身のアルコール依存症体験を問わず語りに語りはじめる場面にもあらわれている。また退役軍事会セクションの冒頭のメイフラワー誓約やボストン茶会事件などを描いた絵画のインサートは入植にはじまるボストンの歴史を想起させもする。いうまでもなくそれらは戦いの歴史だが、太平洋戦争はむろんのこと、朝鮮、ベトナム、イラク、アフガニスタン──地球上のあらゆる戦争と紛争へ関与しつづけるのが米国の歴史であることも、本編に登場する退役軍人たちの幅広い年齢層はしめしている。
 むろん歴史、倫理、道徳などの主題はときに観念的に作動しともすればパターナルな力線をともなうこともある。さらにファクト/フェイクの二分法も加味しなければならない世界認識下で、ワイズマンは可能なかぎり共同体の成員の声をあつめ、デュアリズムを乗り越えようとする。そのなかには、『ニューヨーク公共図書館』のパティ・スミスやコステロのような著名人の姿はみえないが、定量的な統計がなんらかの合意をうかびあがらせることへの期待も感じさせる。いわば映画による民主主義と共同体の再生(再演)だが、このような作品が成立するには地方行政(という一見地味なテーマ)にかかわるアクターの多元性が不可欠である。

 ひるがえって考えるに、わが国は、みなさんの地元はどうだろうか。先日の衆院選では投票率の向上を期待したもののフタを開けたら戦後3番目に低い55.93パーセントと依然低調なままである。地方自体にいたっては事情はさらに深刻で、平成31年の統一地方選など首長選も議会議員選ものきなみ5割を切っていたはずだ。身近なところからなおざりになるのは私たちの暮らしに政治がいかに根づいていかないかの証だと、クリシェにもならないお題目をくりかえしているうちに、駅前の公園は開発業者にツブされてどこにでもあるブランド店がつまった珍妙な施設にさまがわりしたりする。場合によってはそのような建物がうめつくす街を「スマート」と呼んではばからないほどには、私たち住民の感性もジェントリーになってしまったのかもしれないが、どのような合意であっても共同体の成員すべてが右にならう必要などない──となれば合意形成の過程はいかにして共同体に開かれうるのか。かけ声倒れになりがちなこの課題に、地方行政はどのようにのぞむのか。『ボストン市庁舎』はその課題に向け、住宅、インフラ、教育などの現場で建設業者や学校の先生やデパートの経営者や住民らと膝をつめて話し合う職員の姿を記録している。むろんタイミングよくカメラの前で問題が解決するわけでもない、けれどもお役仕事に終始するでもない。公共というものの遅々とした、しかしそのようにすすむしかない歩みをまのあたりにする趣がある。

 何段か前で印象的だったと述べた、作品後半の大麻ショップ出店の場面もそのひとつである。出店先は市内ではけっして裕福ではない地区で、人種の構成比率も、会場をながめると有色人種が大半をしめている。大麻店の経営者は中国系、市役所の担当課の職員が同席するなかで、種々の懸念が噴出し集会は一時紛糾するが、すくなくとも居合わせただれもがその場をないがしろにしないことは弁えているようでもある。彼らの胸中にはおそらく雇用や地域経済の発展といった利益と犯罪や治安悪化への懸念といった「迷惑施設」につきものの期待と不安が同居している。基地や原発やカジノにも一脈通じるこの課題を、ワイズマンはそれぞれの意見に耳を傾け、多様な声の反響として描き出していく。他方で、ボストンという街のカラー、ニューイングランドの州都とも目される都市の多様性とリベラルさ、そしておそらくはそこからくる格差も、カメラはみのがさない。会社の規模のせいで公共事業から閉め出される中小企業、ホームレスやマイノリティ、ウォルシュ市長は2019年年頭の施政方針演説で「市長の仕事とは市民に扉を開けること」と述べるが、その扉にたどりつけないものがいることもまたわすれてはなるまい。機会の平等を建前にした能力主義が階級上昇をなんら保証しないことは、多くの論者が実証的にも指摘することで、いまなら感覚的にも飲み込みやすいであろう。トランプ政治は有権者のくすぶった怒りを燃料に分断を煽った。反対にウォルシュは分断線を超えて響く声を集めようとする。カギとなるのは地道な合意形成の過程であり、そのためには歴史的背景への再考と共有が指標となる。NAACP(全米黒人地位向上協会)会長との会談の場面では、ウォルシュ自身幼少期(70年代)に経験した差別撤廃のためのバス通学騒動の風化への懸念を表明してもいる。
 それを映すワイズマンはみずからの歴史観をつまびらかにすることはないが、おそらくはボストンという街の来歴にむかっていることは、都市空間のすみずみにおよぶ幾多のショットにもうかがえる。舞台となる市庁舎はもちろん、官公庁や高層ビル群や下町風の街並みから住宅地まで、季節の移ろいとともにスクリーンにあらわれる風景には、画面上部を支配する空の青やレッドソックスや緊急車両の赤と冬の雪の白のトリコロールを基調に、絵画的な均整と観衆の無意識に働きかける記号的な意味を有している。たとえばうっすらと雪がつもったカトリック教会の中庭ごしに消防車がサイレンを鳴らしながら走り去っていく場面。プロテスタンティズム上陸の地の片隅のカトリシズムの痕跡と、静けさを裂く緊急車両のサインの音──このなにげないカットの象徴性にふれられたら最後、私は頭からみなおさずにはいられなかった。おかげで9時間ついやしてしまいましたが、ワイズマン的方法が包摂する共同体の潜在的多様性こそ、上からのパターナリズムやエリーティズムをいなす手立てかもしれないと思いもした。

 最後に、このとき市庁舎の責任者だったウォルシュはバイデン政権発足後、労働長官に就任、現在はチャールズ川の対岸にある名門ハーバード大の法科大学院を出た台湾系2世の元女性市議ミシェル・ウーが市長をつとめている。

松村正人