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FUMIYA TANAKA & TAKKYU ISHINO - ele-king

LIQUIDROOM 20th ANNIVERSARY
-HISTORY OF TECHNO-

djs
FUMIYA TANAKA
TAKKYU ISHINO

vj
NAOHIRO UKAWA
with REAL Rock DESIGN
(FULL GENERATIVE AI VJ SET)

2024.08.03 saturday
LIQUIDROOM
open/start:23:00
TICKETS:¥4000(+1drink order別) 
先着先行:6/15(sat)10:00-7/7(sun)23:59
https://eplus.jp/sf/detail/4123530001-P0030001

・注意事項
※ご入場の際、ドリンクチャージとして700円頂きます。
※本公演は深夜公演につき20歳未満の方のご入場はお断り致します。本人及び年齢確認のため、ご入場時に顔写真付きの身分証明書(免許書/パスポ ート/住民基本台帳カード/マイナンバーカード/在留カード/特別永住者証明書/社員証/学生証)をご提示いただきます。ご提示いただけない場合 はいかなる理由でもご入場いただけませんのであらかじめご了承ください。

歴史は夜作られる

 夜は、昼に対するオルタナティヴだ。いつだってそう、歴史は夜作られる。とはいえ、何もわかっちゃいなかった。90年代がはじまったばかりの頃、ある程度、ハウスやテクノの知識はあったし、そうタグ付けされたレコードも所有していた。クラブに行って踊ってみたりもした。だが、じつは何もわかっちゃいなかった。自分はただ、それまで好きだったロックの耳で、ハウスやテクノを聴いていたに過ぎなかった。ダンス・ミュージックとしての、身体的で、肉欲的な、解放の音楽を、感覚や魅惑がつねに優位にたつ、言うなればこのエクスタシーの音響科学の本質を30年前のぼくに教えてくれたのは、田中フミヤと石野卓球である。
 すばらしく安全で、しかしまったく安全ではない自由。熱狂的で過激な欲望が、この音楽文化のイマジネーションと創造性の原動力になる。彼らふたりが日本のテクノ史において重要なのは、まさにそこだ。フロイト的に言うならイドの解放。テクノに対するこうした解釈、すなわち週末が楽しみでならないライフスタイルの喜劇と悲劇を、その最高の瞬間の数々を、この日本で、ディスコもハウスも知らない世代に叩き込んだ偉大な、罪深きDJたち(笑)。ダンス・ミュージックとしてのテクノが彼らからはじまったとは言わない。しかし、それをこの日本にいっきに広めたのは、間違いなく彼らだった。
 ふたりはある時期からは、それぞれの道へと進んで、それぞれの音楽を更新し続けている。同時に、あれから30年、シーンの細分化は加速し、多くのサブジャンルが生まれている。みんなが同じ場所にいるということは、いまでは滅多に見られない。だから、いまいちど、彼らふたりのDJというだけでじゅうぶんに胸アツなのだ。「history of techno」などというお題がなくても、彼らがまたその夜、歴史の新たな1ページを作ってくれるだろう(もうひとりのすばらしい共演者、我らが宇川直宏がREALROCKDESIGNとタッグを組んだ、フルAIによるVJとともに)。
ele-king 野田務

Westbam & Takkyu Ishino - ele-king

 なんとウェストバムと石野卓球がタッグを組み、東阪ツアーをおこないます。東京は2月7日(金)LIQUIDROOM、大阪は2月8日(土)Club joule。ウェストバムといえば、われわれも『夜の力』という自伝を翻訳刊行していますけれど、ドレイクやタイラー、ケンドリックなど、昨年リリースされたアルバム『The Risky Sets!!!』のそうそうたるゲスト陣を見てもわかるように、ドイツにおける伝説級の大物です。昨年はベルリンの壁崩壊30周年ということでその壁でプレイしたりと、いまだハングリー精神も衰えることなく……それがご存じ盟友=石野卓球との共同ツアーとなれば、これはもう行かない理由がありません。詳細は下記。

Takkyu Ishino - ele-king

 一連の騒動から数ヶ月。いまだ Yahoo! や Google を賑わせている石野卓球だけれど、先月から鬼のような勢いでリリースを重ねてもいる。6月12日にはじまった毎週1曲ずつのシングル投下は、現在“Turkish Smile” “Koyote Tango” “John RydoOn”と続いており、今週は“Chat on the beach”が、そして来週は“Bass Zombie”がリリースされる予定だ。
 建前と同調圧力とビジネスの都合が入り混じった泥水の降り注ぐなかを、タトゥーや渡独や数々のツイートによって、すなわち確固たる決意とユーモアをもって見事に切り返してきた石野卓球。この一連のシングルも、彼の反撃の一手と捉えて構わないだろう。いま日本で誰がいちばんオルタナティヴかって、卓球をおいてほかにあるまい。今後彼(ら)がどのような活動をしていくのか気になるところだが、ひとまずはこの5週連続リリースの完結を見守ろうではないか。

石野卓球、 新曲の5週連続配信リリースが決定!

石野卓球の新曲5曲が、6/12(水)より、5週連続で、各ダウンロードストア及びサブスクリプションサービスで配信されることが決定。全てのジャケット画像も公開された。

配信日と楽曲タイトルは以下の通り。

6/12(水) Turkish Smile
6/19(水) Koyote Tango
6/26(水) John RydoOn
7/3(水) Chat on the beach
7/10(水) Bass Zombie

6/12(水)に配信される“Turkish Smile”は、2018年、実験的ファッションプロジェクト・Noodleのオリジナルムービー(https://youtu.be/Xt5ddL7fQlc)に提供した楽曲のフルバージョン。既に石野卓球のDJでも使用されており、世界中のフロアを沸かせている1曲。

“Turkish Smile” “Koyote Tango” “John RydoOn” “Chat on the beach”の4曲は、ミックスを石野卓球と得能直也が、“Bass Zombie”は石野卓球と奥田泰次(studio MSR)が手掛けている。マスタリングは、全曲、木村健太郎(kimken studio)。“Chat on the beach”には、ゲストとして吉田サトシがギターで参加。各曲のジャケットは、石野卓球がコンセプトとディレクションを、杉本陽次郎がデザインを担当した。

尚、全曲、ハイレゾ配信(WAV 24bit / 48kHz)も同時スタートとなる。

■“Turkish Smile” “Koyote Tango”配信リンクまとめ(Linkfire)
Turkish Smile – https://kmu.lnk.to/58eNS
Koyote Tango – https://kmu.lnk.to/IklKi

■石野卓球(Takkyu Ishino) プロフィール
1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル《Love Parade》のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ《WIRE》を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。
2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。

HP – https://www.takkyuishino.com/
Twitter – https://twitter.com/takkyuishino?lang=ja
Instagram – https://www.instagram.com/takkyuishino/

Takkyu Ishino - ele-king

 一連の騒動から数ヶ月。いまだ Yahoo! や Google を賑わせている石野卓球だけれど、先月から鬼のような勢いでリリースを重ねてもいる。6月12日にはじまった毎週1曲ずつのシングル投下は、現在“Turkish Smile” “Koyote Tango” “John RydoOn”と続いており、今週は“Chat on the beach”が、そして来週は“Bass Zombie”がリリースされる予定だ。
 建前と同調圧力とビジネスの都合が入り混じった泥水の降り注ぐなかを、タトゥーや渡独や数々のツイートによって、すなわち確固たる決意とユーモアをもって見事に切り返してきた石野卓球。この一連のシングルも、彼の反撃の一手と捉えて構わないだろう。いま日本で誰がいちばんオルタナティヴかって、卓球をおいてほかにあるまい。今後彼(ら)がどのような活動をしていくのか気になるところだが、ひとまずはこの5週連続リリースの完結を見守ろうではないか。

石野卓球、 新曲の5週連続配信リリースが決定!

石野卓球の新曲5曲が、6/12(水)より、5週連続で、各ダウンロードストア及びサブスクリプションサービスで配信されることが決定。全てのジャケット画像も公開された。

配信日と楽曲タイトルは以下の通り。

6/12(水) Turkish Smile
6/19(水) Koyote Tango
6/26(水) John RydoOn
7/3(水) Chat on the beach
7/10(水) Bass Zombie

6/12(水)に配信される“Turkish Smile”は、2018年、実験的ファッションプロジェクト・Noodleのオリジナルムービー(https://youtu.be/Xt5ddL7fQlc)に提供した楽曲のフルバージョン。既に石野卓球のDJでも使用されており、世界中のフロアを沸かせている1曲。

“Turkish Smile” “Koyote Tango” “John RydoOn” “Chat on the beach”の4曲は、ミックスを石野卓球と得能直也が、“Bass Zombie”は石野卓球と奥田泰次(studio MSR)が手掛けている。マスタリングは、全曲、木村健太郎(kimken studio)。“Chat on the beach”には、ゲストとして吉田サトシがギターで参加。各曲のジャケットは、石野卓球がコンセプトとディレクションを、杉本陽次郎がデザインを担当した。

尚、全曲、ハイレゾ配信(WAV 24bit / 48kHz)も同時スタートとなる。

■“Turkish Smile” “Koyote Tango”配信リンクまとめ(Linkfire)
Turkish Smile – https://kmu.lnk.to/58eNS
Koyote Tango – https://kmu.lnk.to/IklKi

■石野卓球(Takkyu Ishino) プロフィール
1989年にピエール瀧らと電気グルーヴを結成。1995年には初のソロアルバム『DOVE LOVES DUB』をリリース、この頃から本格的にDJとしての活動もスタートする。1997年からはヨーロッパを中心とした海外での活動も積極的に行い始め、1998年にはベルリンで行われる世界最大のテクノ・フェスティバル《Love Parade》のFinal Gatheringで150万人の前でプレイした。1999年から2013年までは1万人以上を集める日本最大の大型屋内レイヴ《WIRE》を主宰し、精力的に海外のDJ/アーティストを日本に紹介している。2012年7月には1999年より2011年までにWIRE COMPILATIONに提供した楽曲を集めたDisc1と未発表音源などをコンパイルしたDisc2との2枚組『WIRE TRAX 1999-2012』をリリース。2015年12月には、New Orderのニュー・アルバム『Music Complete』からのシングルカット曲『Tutti Frutti』のリミックスを日本人で唯一担当した。そして2016年8月、前作から6年振りとなるソロアルバム『LUNATIQUE』、12月にはリミックスアルバム『EUQITANUL』をリリース。
2017年12月27日に1年4カ月ぶりの最新ソロアルバム『ACID TEKNO DISKO BEATz』をリリースし、2018年1月24日にはこれまでのソロワークを8枚組にまとめた『Takkyu Ishino Works 1983~2017』リリース。現在、DJ/プロデューサー、リミキサーとして多彩な活動をおこなっている。

HP – https://www.takkyuishino.com/
Twitter – https://twitter.com/takkyuishino?lang=ja
Instagram – https://www.instagram.com/takkyuishino/

TAKKYU ISHINO×WESTBAM - ele-king

 電気グルーヴの新作のリリースを間近に控えている石野卓球だが、この春、彼のテクノ・パーティ、STERNE(シュテルネ)が15周年を迎える。おめでとうございます~。そのアニヴァーサリー・パーティは3月3日(金)、場所は渋谷womb。ゲストはドイツからウエストバム。最強のタッグが15年目の夜を演出する! 前日の2日にはウエストバムがドミューンにて21時からDJプレイ。どうか見逃さないでくれよな。

https://www.womb.co.jp/news/2017/02/22/sterne15th/

石野卓球 - ele-king

 そう、いよいよ90年代が始まる。1993年のYMO再生(実質上、テクノポップの終焉)から、そして『テクノボン』を経由して1995年までのおよそ2年間は、「90年代」というディケイドにおける重要なモード・チェンジの時期だったと思う。その象徴のひとつが、1995年の『Dove Loves Dub』だった。「電気グルーヴの石野卓球」ではなく「テクノ・プロデューサー、石野卓球」としての最初の作品である。
 大友克洋のアートワークがもたらす相乗効果も大きかった。これは、同年リリースのケンイシイ『Jelly Tones』(当然、森本晃司監督による「EXTRA」MVのCD-ROM付きの初回盤)とともに、アンダーグラウンドなテクノがいままさにポップ・カルチャーの最先端にまで勢いをのばしているのだという、あの頃の高揚感へと繫がった。ジャンルが現在のように細分化される以前の、混沌としているがゆえのテクノの魅力とでもいうべきものがあった。電気のボックスセットからバラ売りするというカタチ(そうでもしなければ、テクノのソロ作品をメジャーで出すことは不可能だった)で同時リリースされた『Dove Loves Dub』と砂原良徳『Crossover』は、ある種の時代精神(!)のなか、聴き狂ったものだった。私は、電気と同じくらい熱心に卓球とまりんのソロを聴いた。
 インダストリアルな魅力も兼ね備えたほど多彩な内容の『Dove Loves Dub』以降では、それとは対照的に渋いハード・ミニマル・テクノを打ち鳴らす1998年の『Berlin Trax』が好きだったけれど、それを言ったら2004年の「Title」シリーズ、2010年の『CRUISE』などゼロ年代の諸作品も忘れるわけにはいかなくなる。基本的にポップなイメージで見られる石野卓球だが、しかしソロで見せる音楽性はまったくのアンダーグラウンドで、ある意味ディープで、しかも素晴らしく洗練されているのだ。

 そして、『CRUISE』から約6年ぶりに新作『LUNATIQUE』は、たしかな経験とスキルに裏打ちされた、まさに大人のテクノ/ダンス・ミュージックと呼ぶに相応しい仕上がりだ。何回も聴けば聴くほど新たな発見がある。心地良く、ビートも音色もメロディもシーケンスもベースも、すべてのパートがそれぞれ自然と体内に染み入ってくるようだ。あるトーンが持続し、反復し、展開し、グルーヴの低熱のようなものが入ってくる。まさに身体に「効く」音楽!
 エロティシズムが主題だと言うが、全編にうごめく柔らかい音色は、たしかに官能的だ。ニュー・オーダーも影響を受けているイタロ・ディスコ的なセンスも伺える。たとえば“Fana-Tekk“や“Crescent Moon”など、かなり中毒性が高いトラックだが、しかし、それにしても、なぜこんなに気持ち良いのだろうか……。
 冒頭の“Rapt In Fantasy”からしてそうだが、シーケンス・フレーズとビート、パーカッションとベースなど、ジャスト一歩手前の微妙なズレを伴っている。そのズレが独特のグルーヴを生み、さらにアルバム全編を通して伸縮するような大きなグルーヴを生んでいる。電子音なのにウネウネとして生っぽいのである。
 “Fetish”も最高だ。水のような持続音、シルキーなシンセ、断続的に散らばるビートと、伸縮するベースなど、まさに官能と快楽だ。また、“Die Boten Vom Mond”や“Selene”などのアンビエントなシンセとミニマルなリズムとの重なりを聴いていると、ふと90年代のレーベル〈クリア〉の諸作品(モーガン・ガイストなど)を思い出してしまった。要するに、聴く場所を選ばない、ダンスとリスニングとのバランスがじつに良いのだ。

 もっとも本作は、マニアだけを相手にするアルバムではない。『LUNATIQUE』はポップでもある。YMOのファーストやセカンドにあったポップ・センスをも彷彿させる。何と言ってもメロディが残る。宇川直宏による官能テクノ雑誌のようなアートワークも、本作のポップ感を見事に象徴している。ぜひ特殊仕様の初回盤を手にとってほしい(完売してしまったかもしれないが……)。『Throbbing Disco Cat』(1999)に匹敵する名ジャケだ。
 そう、彼はいつどんなときだってユーモアを込める。つまり6年ぶりのこのアルバムは、粋なのだ。大人テクノの粋! 90年代の自分に教えてあげたいほどの力作である。

電気グルーヴ vs 神聖かまってちゃん - ele-king

 7月25日、奇しくもよい子たちの終業式である。リキッドルーム恵比寿移転8周年を記念するイヴェント「電気グルーヴ vs 神聖かまってちゃん LIQUIDROOM 8th ANNIVERSARY 」が終わり、夏休みモードと猛暑が残した熱気にあてられながら帰路についた三田格と橋元優歩であったが......
以下、往復書簡形式にて本イヴェントのレヴューをおおくりします!


■神聖かまってちゃん1:橋元→三田

三田さんへ

 たぶん今回はリキッドルーム自体のアニヴァーサリー・イヴェントということもあるので、なかばゲスト的なスタンスというか、ワンマンでがっつり魅せるときの構成ではなかったのかなとは思います。ですが、生で観るのは初めてだったので、ふつうに"ロックンロールは鳴り止まないっ"が鳴りだしてすごくテンションあがったりしました。これは2曲めでしたね。かつてはじめてこの曲を耳にしたのは、地元のツタヤでだったんですが、不思議とそのときの体験と同質なものを感じました。

 というのは、ああいう場所でかかっているBGMって、ときどきびっくりするほどダイレクトに耳に届いたりするじゃないですか。それで、そのときはまずピアノのリフが聴こえてきたんです。今回も「わあはじめて観るなドキドキ」とか思ってぼーっとなっていたとこにピアノが聴こえてきました。そのあとはっと気づくと徐々にの子のヴォーカルが届いてくるんですね。ヘッドホンなんかでUSBメモリみたいに脳に音を直挿しすると、の子っていう意味性とか言葉から先に入ってくるんですけど、空間的に再生されるとあの強烈なピアノが先にきて、ノイジーな外気をなぎ払う。そしての子がそのノイジーなところ(≒社会空間)に入ってくるのを助けるんじゃないかなと思ったんです。かまってちゃんのバンド力学について、そんなふうにまずいろいろと考える部分がありました。MCのかけあいなんかでも同じ構図なんだな、とか。

 しかしあの歪みない(笑)メロディ、奏法ってなんなんでしょう。三田さんが、音楽を聴くというのは感情の幅を聴くこと、というふうに以前におっしゃっていてすごく合点がいったんですけど、ピアノ教室とかだと一般的にはそれを音の強弱で表現するように教わるんじゃないかと思います。繊細なタッチの使い分けで陰影をつけろ、みたいな。monoのキーボードがそういうタッチに対応できるようになっているのかどうかは知りませんが、すごく平坦で明瞭ですよね。メロディも過剰にエモーショナルで、引きを知らないというか。でもすごく感情の幅を感じます。菊地成孔さんは『ele-king vol.6』で、テレビのサントラだと感情のはっきりしたところから使われてしまうというようなことをおっしゃってました。それで言えば、monoのは感情のピーク・ポイントばっかりずっとつづくアニソンとかに近い方法を感じますが、同時に作家主体や感情の幅......というか大きさなんですかね......もはっきりあって、感心します。

 の子は感情そのものでした。すごく客観的に事態を見ていて、ステージを進行して構成していく意識も明確に感じるんですけど、そういう冷静さと食い違わずに、というかそれをなかに含みこんだ巨大な一個ですね。あの感情にふれているだけでなにかを観にきた気持ちになります。清志郎とかジョン・ライドンとかと比べてどうですか? あと、CDだと少しぼやけるんですけど、ライヴではあのヴォイス・チェンジャーがすごく自然に身体と結びついているのがよくわかりました。あれはシャウトなわけで、ふつうに叫ぶんじゃ限界があるから呼び出された表現だと思うんです。あれだと性別も超えられるから、表現できる感情の幅も単純に2倍になるというか。

 だから"白いたまご"も"黒いたまご"もすごくよかったです。はやくライヴで聴くべきでした。わたしは『つまんね』が好きなんです。『つまんね』のときにチルウェイヴって言っといてよかったです! "黒いたまご"なんてとくにそうですけど、すごくディスコっぽく演奏されててなるほどと思いました。チルウェイヴからシルク(〈100%シルク〉)への流れがすっぽり収まってるじゃないですか! 無意識でしょうし、もしかしたら関連がないかもしれないですけど、時代ってそんなふうにとらえられていくものじゃないですか。

 かと思えば"通学LOW"のノイジーでエクスペリメンタルなジャンク・サウンドは目も綾という感じで、これもかっこよかったです。中盤の腰の部分をすごく支える好演奏でした。ちばぎん、みさこといった個性はこういうところで頼もしいというか、リズム隊はゆったりと、あるいはふわっと後ろから見守りながら、ファンキーな表情とかミクスチャーっぽいヘヴィさみたいなものまで、けっこういろいろ地味に試している印象でした。"いかれたニート"なんかも面目躍如ですよね。これもすごくよかったです。

 "聖マリア記念病院"は、恥ずかしながら知らなかったのですが、うちに帰って聴くとポニーテールとかもっと言えばダン・ディーコンとか、それからハイ・プレイシズとかをクラウドっぽくしたというか、シューゲイザー化したという感じの、しかもUSインディを勉強しましたというような道順をぜんぜん持たない、なにか別ルートからそれをやったという具合の、なかなかの子の次の展開を期待させる問題作なんですよ。PVもすばらしい。けどこれのライヴの印象がぼやけてるんですね。曲名だけすごい記憶に残って。だからおそらく、これだけはライヴでうまく表現しきれなかったんじゃないかと思います。動画では初見で驚く曲なんで、もっと衝撃を受けたはずなんですよ。(ちょっと、リンクは削除されててこれだけしかないんですけど https://www.youtube.com/watch?v=P8ayUSEP6Fs

 だいたいこういったところが大まかな感想です。会場の雰囲気も親密だけど閉鎖的ではなくて、よかったです。飛んでくるヤジとか声援がすごくニコ動っぽいというか、文字で見えました。「死ね」って超合唱してましたけど、ぜんぜんカラッとしてましたね。噴き上るとかでもなくて。メッセージというより、これはやっぱり歌になるまで練磨されたものだったんだなと思いました。イギリス人が"ホワットエヴァー"とか合唱するかんじで、むしろソングライティング力すら再確認させられるという「死ね」でした。

 なんかかなり全肯定って感じなんですけど。


■神聖かまってちゃん2 三田→橋元

橋元さんへ

 楽しんでますね。初めてみると、そうなのかもしれないけど、僕は全体にスランプなんだなと思いました。MCで枝豆ばかり食べていて、曲がつくれないといってた通り、次にどうしていいのかわからない感じがライヴにも出てた。これまでやってきたことを捨てるわけでもないから、まずは罵りが芸みたいになっていて、いまのままで固定すると泉谷しげるになるしかないし、オーディエンスと別なコミュニケイトのチャンネルを探ってる感じもあった。自然にやるのはまだ抵抗があるみたいだから、やたらと目を剥いて見せていたけど、やっぱり過剰だったよね。首も前はあんなに振ってなかったんじゃないかな。前みたいに曲に集中できないのかもしれないけど、無理に気持ちをアップさせる曲よりは"いかれたニート"のようにベターと這いずるような曲調は悪くなかったので、いろいろやらないで、ヘヴィな曲ばかりやるのも手だったんじゃないかとは思った。そこは電気グルーヴとの対バンという企画が災いした部分でもあるでしょう。電気グルーヴがステージで「神聖かまってちゃん」というバンド名を口に出したのは2回ぐらいだったと思ったけど、神聖かまってちゃんは何回、電気グルーヴと言ったかわからないぐらい連呼してたよね。それだけ意識してたんだろうし、だったら、電気グルーヴの曲を自己流にアレンジしてやった方がまだしもだったよね。

 以前だったら、会場を本当に白けさせてしまうようなことも平気でやれたのに、そうはしないのか、そうはできなくなったのか、良くも悪くもプロフェッショナルになってはいるので、感情の幅が狭くなっていることも確かです。もしかするとそのことに葛藤があるのかもしれないし、いちばん気になったのは「若い」ということを2回もMCで言っていたこと。僕は少なくとも若いから神聖かまってちゃんに注目したわけではないので、そこに価値観を置いてもしょうがないと思うんだよ。もしも、以前のようにはできないという葛藤をそこに(無意識に)すり替えてしまうなら、あまりいい結果を生むとは思えないし、そもそもこういったことは言葉に頼らない方がいいはずなので、その辺りは早めに抜けて欲しいとは思った。いわゆる自分を見失っている状態というやつなんだろうけど、清志郎に言わせれば「自分を見失ってからが面白い」ということなので、いまの状態をなるべく楽しんでいただきたいとは思いますけど。ただ、の子のスランプがそれほど本格的じゃないのは、ほかの誰かが引っ張るモードではなかったので、まだまだ余裕があることも確か。バンドのいいところは全体をドライヴさせる人が交代できるところだよね。これがテクノのプロデューサーだと名義を使い分けたりして気分を変えるんだろうけど、バンドはひとりだけが消耗していくとすべてが終わってしまいかねないので、ホントにヤバかったら、ドアノブ少女ことみさこちゃんとかがもっと出張っていって、の子を休ませるようなステージングになっていくはずだから。つーか、みさこちゃんがぜんぜん喋ってくれなくて残念だった! 僕の場所からはハイハットの下側にみさこちゃんの意地悪そうな口だけが見えていて、顔がぜんぜん見えなかったんですよ! 口だけでもスゴいインパクトだったけど!

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■電気グルーヴ1 橋元→三田

三田さんへ

 ああ......。三田さんのおっしゃることは、言われればどれもそのとおりだと思います。たしかに、こんなにきっちりしたものなのかというふうには感じました。ちゃんとしたライヴをやるんだなと。なにが起こるかわからないというふうではなかったです。そこは数々つたえられているような不安定で緊迫したステージを観てみたかったとは思います。ただ、そういう事件性が目的化してしまうのは最悪なので、そのときそのときの自然さに合わせてやるのは間違ってないとも思います。以前のような種類のエネルギーとのギャップをまだ肯定的に解決できていないことは、「目をむく」ことにあらわれているわけですから、在り方の模索が大きい課題になっているわけですよね。お客さんの雰囲気はほぼ見守る体勢だと思われますが、そのように流動性の低い客層を抱えることは諸刃というか、「泉谷しげる」を超先鋭化させる方法があればそれもよしと思いますが、なにかすごくオリジナルなやり方で、まためちゃくちゃな層を巻き込んでほしいです。

 「若さ」の問題はわたしも気になりました。それは言わない方がいいというか、当人的にも偽りのある言い方じゃないかと思いました。「目をむく」同様に、過去と比較しての不全感とか焦りとかから出てきているように見えます。

 電気グルーヴのほうもうかがっていきたいと思います。わたしでも知っている有名な曲ばかりでしたが、わー歴史的なユニットのライヴを観た! というミーハーなテンションの上がり方以外には、わたしのテクノ・ヴォキャブラリーの貧困さのせいかあまりどう楽しんでいいかわかっていなかった部分があります。いろんなジョークなんかが散りばめられているのかもしれない、でもきっと自分には何割かしかわかってないのかも、という具合です。そこのところを解説いただけませんでしょうか。トークもおもしろいし、笑顔もピースフルで、居酒屋のマスターが「楽しんでいってよ」って言って調理場に消えていく感じがよかったです。すごく上級の芸をみんなでおおらかに満喫するといったアダルトな雰囲気を感じました。

 後ろの映像が「アシッド・ハウス」とか「ボディ・ジャック」とか身体的に音楽を受け取るようにというようなメッセージをサブリミナルに発信しつづけるのが不思議でした。脳でキャッチするメッセージを用いて、身体的快楽もしょせん脳で感じていることだというようなアイロニーを表現しているのでしょうか?

 あとは「富士山」の大合唱がみるみるうちにビートを骨抜きにして、日本的な一気コールみたいにベタッとしたものへと変貌していったのが、インスタレーションのようでおもしろかったです。


■電気グルーヴ2 三田→橋元

橋元さんへ

 ローリング・ストーンズは70年代にライヴで「サティスファクション」だけはやらなかったらしいんだけど、80年代になるとまた演奏し始めたんだって。要するに「お望みのローリング・ストーンズをお見せしましょう」という境地だよね。いまの電気グルーヴもそれだと思う。石野卓球という人は調子が悪くても絶対にそれを気取らせないから、本当に楽しいのか、楽しそうにしているだけなのか、まったくわからない。とんでもないショーマン・シップの持ち主だよね。の子と違って、音が鳴り出した途端に、自分が真っ先に音のなかに埋没していったように見えたし、それだけでオーディンスも引きずられる。余計なことを考えさせずに、掛け値なしに楽しませてくれたと思います。20周年のときは、あれが5時間続いてもまったく飽きなかった。最近、よく言っている「電気グルーヴでございます」というのは、僕にはどうしても「三波春夫でございます」に聞こえるよね。

 神聖かまってちゃんのライヴが40点ぐらいだとしたら、電気グルーヴは90点以上の満足度だったかな。ただ、結果を知った上で、どっちかひとつしか見てはいけないといわれたら、やっぱり神聖かまってちゃんを観たいなと思うんだよ。それは、いま、かまってちゃんが変化し続けているからで、電気グルーヴはいつ観ても同じともいえるから。こういうのは週刊誌的な興味でしか観ていないとも言えるので、自分を「金髪豚野郎」並みの下衆だと自覚することも必要だとは思う。どっちに転ぶかわからない不安定な「人間」に対する興味が優先して、完成された芸を楽しめないんじゃ、ワイドショーと視線は同じだから。人間が大事なのか、音楽が大事なのか、切り離せるのか、切り離せないのか、といった議論はさておくとして。

 「ジャック・ユア・ボディ」とかはサブリミナル・メッセージじゃなくて、曲に合わせてアシッド・ハウスの曲名を羅列してるだけで、「みんな、あの時は楽しんだよね」ということだと思うよ。『あの花』でアナルたちが「ハム太郎」の落書きを見つけた時と同じ? だから、橋元さんみたいに受け止めてしまう世代がいることはきっと想定してないだろうねw。「身体的快楽もしょせん脳で感じている」のは多分、橋元さんだけで、あの時、ときどき、橋元さんが視界に入ったんだけど、あれだけみんなが踊りまくっているフロアーでたったひとりだけ鍾乳洞かと思うほど微動だにしなかったでしょう。僕は橋元さんがいちばん恐ろしかった。しかも、本人的には「ミーハーなテンションの上がり方」だと言うじゃないですか。計り知れない溝を感じます。電気グルーヴが終わっていくとしたら、こういうところからかもしれない......とか。

 あと、『ガリガリ君』を聴いていて、いまニコ動なんかでアニメのシーンにブレイクコアなんかを勝手に合わせている「作品」は全部、電気グルーヴの拡大再生産でしかないなーとも思った。コミュニケイション機能としての部分を除いてしまったら、20年前と同じことをやっているだけで、なにも新しさはないなーと。電気グルーヴが世の中に訴えかけたことがまだ有効だから、ああいうことになっているんだなと。

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■電気グルーヴ3 橋元→三田

三田さんへ

 いやいや、ちがうんですよ! わたしの前にいたふたりくらいみませんでした? 女の人と男の人で、女の人は20代後半ぽくて、男の人は20代前半かへたしたら10代。このふたりがまたピクリともしなかったんですよ! どころか男性の方はなんかしらないけどどんどん後退してきて、ただでさえ背が高いのに真後ろのわたしにどんどん接近するものだから、前が見えないし、そのたびにわたしもうしろを気づかいながら後ずさりしなきゃいけないしで、ちょっとイライラしたくらいです。ふつう前になだれることはあっても、バックするなんてことありますか?

 たぶん彼や彼女もよくわからなかったんだと思うんですね。自分もあんまり動いてない自覚はあるので、「ここの三角形ヘンだよな」とか思いながら、でもそのふたりが許されている空間なので、ありがたいな、とか思ってました。たぶんまだまだ同じような人がいます。あと、あれでも橋元はのっています。(ながらくヘッドホンのなかに音楽があると思っていたので、端的にライヴ空間で音を聴くことに慣れていないのと、壇上に人が立っていたら目を見て話を聞かなきゃいけないという父のしつけのために、超、壇上の人の目を見ていたため身体が動きにくかったのです。)

 要は馴致の問題というか、三田さんがおっしゃるようにそれが完成された芸ならなおのこと、その芸の「見方」「楽しみ方」の学習が必要なのではないかと思います。われわれは学習が足りなかったということです。ただ、もし新しいものであれば、あるいはリアル・タイムで聴いていたら、すんなり理解していたかもしれません。新しい音楽を聴くことはやっぱりラクなことです。人間、歴史を知ってゆたかになるものだと思いますので、チルウェイヴをだらだら聴くだけじゃだめだなともわかってるんですよ。(そのこととチルウェイヴ自体の意義とは別ですが。)

 この理屈は踊っている人にも同様に当てはまります。踊っているのは馴致の結果ではないのかという。それでべつになんの不具合もないのですが、踊らない人がいることに筋がとおります。もし、それをかけたらサルも踊る、草花がそっちに向いて咲いたり逆を向いたりする、そんなレヴェルでビートやリズムを正当化する人がいれば、そういう人には疑問を付さざるを得ないです。

 「ショーマン・シップ」は本当によく理解できました。「若さ」という言葉の詐術というか暴力の大きさを飲み込んでいる感じはわたしにもよくわかったので、やっぱりすごいんだなと思います。『ガリガリ君』とニコ動のお話もよくわかるというか、ニコ動には大して通じていないのでなんとも言えないのですが、この前の〈100%シルク〉のイヴェントで、スーパー旅館など奇怪な施設のお座敷や、そこで供されるすきやき鍋、歌い騒ぐホワイト・カラーのイエロー・モンキー、そうしたものが消費社会のなかで演じたこっけいな役割を批評的に切り出そうとするように、昔のCMが使用されていたんです。そのヴィデオ作品の既視感たるや、『ガリガリ君』を1歩も超え出ないものではありました。ゴージャスなビーチや高層ビル街のイメージも批評なのかそのまんまなのか多用されていましたが、同様です。シルクの功罪を見る思いがしました。ジュリア・ホルターアマンダ・ブラウンのいないシルクは、ああした解釈をたやすく許します。関係ないですけど、トロ・イ・モワが"タラマック"のヴィデオでみせたのは、枯野でセーターを着てやる手持ち花火であって、輝く摩天楼やイビサに上がる打ち上げ花火じゃないですよ。『ガリガリ君』を超えるなら、日本の"タラマック"を作らなければならないと思います。

 そして、かまってちゃんの"聖マリア記念病院"のPVは"タラマック"に通じるものがあると思います。これはわたしとても好きなんです。このフィーリングをステージに持っていったりできたら、三田さんがおっしゃっていたような、これまでの在り方とはまったくちがうかたちで、会場をしらけさせたり夢中にさせたりできるかもしれないなと思います。


■まとめ 三田→橋元

橋元さんへ

 電気グルーヴと神聖かまってちゃんという組み合わせはわかったようなわからないようなところがあるよね。最後まで観て「なるほどー」とも思わなかったし、だからといって、まったく合ってなかったとも思わなかったし。前に湯浅湾と相対性理論のジョイント・ライヴを観たときは、最後に合体ヴァージョンもあったので、接点をそのまま見せてくれたような気もしたんだけど、電気グルーヴのエンディングにの子が出てくるということもなかったし。そういう意味では別々のライヴを立て続けに観たという印象を超えなかったので、企画イヴェントとして考えると、そこはちょっと物足りなかったかなと。まー、でも、この暑いなか、橋元さんの挙動も含めて楽しいひと晩を過ごさせていただきました。あと、気がかりなのは、あれだけ卓球が「買うな、買うな」と連呼していたTシャツが実際には売れたのかどうかでしょう。頼むから、その結果を誰も教えないで欲しいけど。


Tシャツの商品名は「フォーエヴァーTシャツ」であった。どこかの田舎のおじいさんが描いたという触れ込みで、ふたりの似顔絵に「いつまでも...」と筆文字で添えられてある。
それは、三田格の指摘する「芸」をめぐるスタンスや経験の問題について、この日電気グルーヴと神聖かまってちゃんの双方を照らした奇妙な光源であったように、またいっけん無関係な両者が偶然にも交差してしまったモチーフでもあるように、橋元優歩には思われたのであった......La Fin

石野卓球 - ele-king

 YMOとクラフトワークとアンディ・ウェザオールとパレ・シャンブルグを聴いた後、という非常にヘヴィな状況で、もう帰ろうと思っていたんだけど、石野卓球がDJをはじめた途端にどんどんひとがフロアから出て行くという滅多にない光景を見てしまったものだから、それまでのすし詰め状態から自由に踊るくらいの余裕ができたダンス・フロアのど真んなかにわざわざおりていったら、卓球の繰り出す魔術的なビートに絡めとられて、しばらく踊り念仏と化してしまった。以前はほんとにしょっちゅう聴いていた彼のDJだけど、最近は本当にごぶさたしていて、それでなのか懐かしいようなとてもフレッシュなような、いろんな感覚がぐるぐると渦巻いた。

 初回から昨年まで、13年分の〈WIRE〉コンピに収録された卓球の曲を古い順に並べた今回の企画盤は、たぶん初回からずっと〈WIRE〉に通い詰めているようなオールド・ファンに同じような感覚をもたらすんじゃないかと思う。本作に関連したインタヴューでもアルバム収録の本人解説でも語っているように、初期の頃にはこのフェスの顔になるような、アンセム的な曲をオーガナイザー自ら提供している感じで、実際会場でも何度も耳にしてすごく記憶に残っているトラックが多い。途中からそういう意識が変わって、〈WIRE〉でのプレイ中に使うわけでもない、コンピの中の一曲というものになったという。当然、後半にいくに従っていわゆるオオバコ映えする派手なトラックからBPMも下がって、地味で実験的な曲が増えていくんだが、だからといって卓球らしさというか、「味」みたいな部分が減退しているかというとそんなこともなくて、むしろ歳を取るにつれてそのひとの本性が顕わになるみたいなところもある。
 去年のコンピからの収録曲"Five Fingers"は5拍子で、イントロからしばらくは普通の4/4のストレートな曲からは感じえない妙なきもちわるさがある。だんだんと音数が増えるとその異物感も緩和されて、卓球の持ち味のひとつであるトランシーな上物が輝き出すと、あっという間にその世界に引き込まれる。去年、WIREコンピを入手した後すぐループで聴いていて、この曲がすごく耳に残ったのを覚えている。そのときは5拍子だからっていうのはパッとわからなかったけど、いっぽうで彼が昔Mijk Van Dijkと作ってヨーロッパ中でヒットしたUltra-Takkyu vs Mijk-O-Zilla名義のトラックとよく似たハマリ系のトランシーさを持っていて、ずっと変わらない本質的な快楽原則を追求した部分と、そのチャレンジングな冒険とがこんな具合にブレンドされるのはすげえなと思ったのだ。しかも、それ1回では飽きたらず、今年のWIREコンピでも、今度は7/4拍子というまたも「変」なリズムを探求するという筋金入りの変態っぷりを披露している。
 毎年欠かさず〈WIRE〉に遊びに行っているロートルとしては、当時小学生だったリアル・キッズがいまや成人して堂々とオールナイトで酒飲んで大暴れできる年齢になってると改めて考えると衝撃を受けるが、そういう人たちがこのアルバムで石野卓球の〈WIRE〉における変遷をはじめて振り返るとどういう風に聞こえるのかは結構興味がある。おじさんは、懐かしさもあるから初期の曲にはもちろんかなり思い入れもあるし、いまでも全然かっこいいと思うんだけど、いまの耳で聴くならこっちかなというのは07年の"St. Petersburg"とか09年の"Slaughter & Dog"とか、もしくはボーナス・ディスクに入ってる10年の"Carrie"あたり。でも、こないだShin Nishimuraくんと、若いクラバーは、パンチの効いた往年の"ザ・テクノ"みたいなノリはあまり体験してないから、そういうのが逆に新鮮なんじゃないかと話していて、実際彼が自分のパーティに石野をゲストに呼んで「クラシック」をテーマにオーガナイズした晩も、どう見ても20代前半の若いお客さんが、10~20年前の曲でガンガンに盛りあがっていた。たぶん、90年代に一般化した編集/DJ的な聴き方や、00年代のiPod的シャッフル感すら遠くの過去のものにする感性を、彼らはもっているに違いない。

 歌謡曲でもロックでも、購買力があって思い入れが強いのは中高年のファンだから、そういう人たちに向けて再結成や懐メロ的な展開して一稼ぎっていうのはもうどこでもあたりまえの光景になってしまったけど、年代的にもキャリア的にもそろそろそういう部類に入りそうな卓球が、こういう「思い出を振り返る1枚」みたいな装いの企画をこなしながらも実際はまったく明後日の方向へひょいひょいと走ってることは感動的ですらある。

Denki Groove - ele-king

 数か月前に『SNOOZER』でタナソー相手に話したことだけれど、いまどき海外で活動したり、海外のレーベルから作品を出すこと自体は20年前と比較して特筆すべき話でもなくなった。ある意味ではいいことだが、ロック・バンドでもDJでも、いまではそれは珍しくないし、むしろこの日本において自力でレーベルを運営して、それを継続させ、作品を出し続けるほうがずっと特筆すべき話に思える。そっちのほうがより困難そうだ。
 また、最初に有力な海外レーベルと契約した先駆的な3人、ケンイシイや横田進、DJクラッシュをはじめ、そしてコーネリアスやボアダムスといった連中はただたんに海外リリースに成功したわけでない。彼らは海外の連中に大きな影響を与えていった。欧米の物真似に終わらず、むしろ音の更新をうながす存在だった。
 とはいえ、90年代初頭の日本にとって海外リリースが夢だったのは事実だ。当時UKに行くと、オーディオ・アクティヴやUFOといった連中の知名度の高さに驚かされたものだったが、洋楽で育ったミュージシャンにすればそれはひとつの夢であり憧れだった。およそ20年前の、そうした海外リリースがはじまりつつあった時代に電気グルーヴはデビューしている。「808ステイトは大好きだけれど、同じことをやろうとは思わない」と、当時の彼らは言った。

 電気グルーヴが国際的な成功を得ることはなかったけれど、彼らはケンイシイやDJクラッシュにはできないことをやった。それは、この国で暮らしている、より多くの子供たちに新しい音を喜んでもらうことだった。アンダーグラウンドのエネルギーを咀嚼して、ポップに吐いた。それはそれでまったくもって価値のある行為だし、誰にでもできることでもない(うちの子供たちも電気グルーヴにはノれる)。彼らは働き者の農夫のように土地を広く耕し、たくさんの種を蒔いた。多かれ少なかれ、日本のテクノ・シーンは彼らの大衆性の恩恵を授かっている。ゆえに石野卓球はこの10年、日本においてもっともリスペクトされるDJ/プロデューサーになった。
 つまり電気グルーヴには"ポップ・スピリット"というものがあった。その精神は、あまたのJポップのクリシェでもある恋愛ソングや自己啓発ソングとは100万光年かけ離れた場所で燃えていた。彼らはテクノとナンセンス・ギャグを追求したが、5人のマニアに褒められる音よりも5000人の子供が喜ぶそれを選び、何か言ったつもりになっている人を嘲笑するかのように意味のない言葉を好んだ。彼らのポップ・スピリットには因習打破的なところがあった。電気グルーヴは面白かったのではない。面白すぎたのだ。ドラッギーなテクノ・バラード"虹"は、ある種の狂乱の彼方に広がる素晴らしい叙情だが、こうした曲は無我夢中のなかの過剰さがなければ生まれなかっただろう。

 この時期になぜベスト盤なのかわからないが、とにかく出た。選曲は『ビタミン』以降からで、個人的に思い入れのあるファーストとセカンドからは選ばれてない。また、シングル中心なのであの素晴らしい2枚――『ビタミン』と『ドラゴン』のなかの君が好きなあの曲も入っていないかもしれない。それでもこのベスト盤には愛された曲が詰まっているし、砂原良徳のマスタリングとエディットが楽しめる内容になっている(とくに"虹"の新しいヴァージョンが僕は気に入っている)。
 最近は時代が一周も二周もしているので、シンセ・ポップやレイヴ・ソングはトレンドにもなっているのだけれど、アルバムを聴いていると自分がいま何年に生きているのかこんがらがる。それだけ彼らの音は時代とともにあった。時間は情け容赦なく、嵐のように過ぎていった。本当に、アッという間だった。なかば自虐的なアートワークと電気グルーヴという文字は、2011年の春にはそれなりの想像を掻き立てる。

Mutron - ele-king

 そう、たとえば、初期のLFOと石野卓球がいっしょにフランクフルトのスタジオに入ってヴィデオゲームに興じている姿を想像してみよう。そのロボティックなミニマリズムから察するにエレクトロニクスに対するフェティシュな感性をもった音楽のようだが、曲によってはジャーマン・トランスめいた哀愁も感じる。関東在住のミュートロンによるデビュー・アルバム『Stratum』は、恐ろしく一途な、言うなれば現代解釈されたオールドスクールなテクノ"トランス"アルバムである。

 ミュートロンの活動は2001年にはじまっている。peechboy、CMT、KEIHINらと結成したDOEL SOUND FORCEがその最初だというが、DOELが解散する直前の2002年にはゾンビ・ネーションが主宰する〈デカスロン〉からデビューEP「Hsart ep」をリリースしている。2004年には〈デカスロン〉から2枚目のシングル「Hologramized Memories」もリリース。2006年には〈20001 IN SOUND〉のコンピレーション『ELECTRO DYNAMIC VOL.2』に収録されると、翌年は石野卓球による『Gathering Traxx Vol. 1』にも収録されている。そして2008年には自身のレーベル〈Codona〉を立ち上げている。また、ベロシマのリミックスを手掛けてそれがフランク・ムラーの〈ムラー〉からも出ていて、つまり、こうした彼の経歴からも、そしてもちろんサウンドからもジャーマン・トランス直系というか......1曲目の"Gate to The Gloom"のサンプリングはフィンガーズ・インクの"スターズ"かと思ってしまったけれど、2曲目"DISCOnect"の4/4キックドラムとキュートなミニマルが僕の頭を20年前のフランクフルトやアントワープに飛ばす。"Pulse Matrix"も〈WIRE〉そのものだが、DAFを思わせるリズム感とレトロでバウンシーな電子音との組み合わせに彼のセンスが出ている。昔ながらのビルドアップするスタイルのディープなトランス"Cold/Hot"があるいっぽうで、クワフトワーキッシュなシンセ・ポップ"iCasio"もある。ジェフ・ミルズ風のループに卓球風のリズムトラックがブレンドされたような"Insecr2010 RE-EDIT"、あるいはダークな"Crooked"などアルバムにはいろいろあるけれど、おおよそそのセンスはジャーマン・トランス的だ。たとえば声がループする"Meccha And Flying Saucer"を聴いていると、おじさんは90年代なかばのベルリンで聴いたマイティ・ダブ・キャッツ(ノーマン・クックのトランス・プロジェクト)を思い出してしまうわけです。

 そういえば、昨年は〈トレゾア〉の音源が再発されたり、プラスティックマンのベスト盤がリリースされたり、今年に入ってからもアリル・ブリカのアルバムがイエスパー・ダールバックのマスタリングで再発されたりと、テクノ再評価の機運が地味ながらにある。ダブステップ世代が昔のアシッド・ハウスやデトロイト・テクノを再発見している真っ直中だという事情もあるのだろうけれど、が、しかしミュートロンの音は電気グルーヴに代表される日本の土着的なテクノ・シーンと強く結ばれているようだ。ま、まさか......いよいよジャーマン・トランス・リヴァイヴァルか!? まあ、もう20年経つのだからそれが起きても不思議ではない。だいたい20年前の東京のテクノ・シーンの起爆剤となったのは、デトロイトでもシカゴでもなく、ドイツのトランスだったのだ。
 「テクノはいま盛りあがっている」とミュートロンは主張する。「DOMMUNEを見てもわかるとおり、多くのビューワーがいますし、インターネットを使って積極的に海外とやり取りをして、自分の音楽を広めている人が多く存在すると思います。クラブへ行けば、普段はテクノを聴かないような人たちまでが、大箱でテクノを聴いて踊っています。私がよく訪れる青山OATHでは、長いときは昼前くらいまでテクノに限らずですが、そういった趣向の音楽で盛り上がっています」

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