「Nothing」と一致するもの

 とてもとても久しぶりに行った戸川純のライヴで、初めて生の"玉姫様"を聴いた。わかいころ、生理痛が激しかったり、その最中に喧嘩をしたときなんかにこの歌を口ずさんだりしたもんだ。原稿がかけないのも彼の"無神経な"一言にいちいち腹がたつのも、社会が私を拒絶して一人ぼっちな気がしてしまうのもすべてはこの女体の神秘のせい、いつもの理性的な私じゃないもののせい、コントロール不能ではあるけれど、いずれにしても「私」の一部のせい、だけど神秘神秘......。

 怪我をして杖をついていると聞いていたし、パフォーマンス自体には正直そんなに期待していなかった。ところがそんな意に反して、そのライヴは素晴らしかった。休憩を挟んで2時間たっぷり、ほとんどはスツールに掛けたままだったけれど、何曲かでは立ち上がり踊ってもいた。声はとてもよく出ていた。
 フロアはいっぱいに埋まっていた。30代と思わしき男女。古くからのファンたちかもしれないが、もう少し若く見えるひとたちもいた。
 彼女らしいMCも含めて、10年以上のブランクをこえて、何の違和感もなく、そのステージに引き込まれていた。
 ほとんどすべてが懐かしい曲ばかりだったけれど、古臭さはなく、それどころか、80年代よりも切実な思いで彼女の歌を聴くのではないかと思われるような人びとは21世紀の日本にますます増えているようにさえ感じる。
 彼女があちこちに忍ばせていた、あるいははっきりと歌っていた、管理社会化や対人コミュニケーションの困難、孤独など、最近では「生きづらさ」と総称される苦悩は、経済環境の変化も手伝って、あの頃よりも広範囲に、激烈に拡大し続けてきた。

 戸川純がずっと歌ってきた大きなテーマは、「思いの伝わらなさ」だ。恋人でも親子でも他人でも、彼女の思いは決して伝わらない。自分はただの肉塊でしかない"諦念プシガンガ"も誰にも見えないものが見えてしまう"Fool Girl"も恋から覚めるのは髪を切ったからだという"セシルカット"もそのものずばりの"昆虫軍"も"バーバラ・セクサロイド"も"ロリータ108号"も"レーダーマン"そうだし、"隣のインド人"もそうだった。"蛹化の女"も同じだ。他者は異種であり、隣人は異人であり、恋人の心ははるかに遠い。
 と考えると、"玉姫様"はまったく違う歌に聴こえてくる。女性の生理の神秘さを率直に歌ったというよりも、むしろ、生理中であろうとなかろうと通じない思い、すれ違い、互いの思惑違いのその責任は双方にあるにもかかわらず、自分が生理中だからね、仕方ないね、私はいまちょっと変なんだよねなどと白旗を揚げて見せている、とりあえずここは自分のせいだと言えばどちらも傷つかずにすむという思いがよぎった瞬間を思い出す。そういうとき、じつは悔しくもあったことも......。だって本当は双方に原因があるのに、双方が歩み寄るべきなのに、自分にもコントロールできない自分の中のなにやらを差し出してコトを収めようとするなんて、なんという事なかれ主義かと。すべては時間の節約、ディスコミュニケーションによる心の消耗の削減のためだ。

 どうせ「思いは伝わらない」のだ。どこまで話してもたぶん平行線は免れない。

 戸川純がこのように繰り返し歌ってきた「伝わらなさ」は、80年代までは主に女性と子供に集中した苛立ちだったと思う。校内暴力や登校拒否、(話し合いではなく)わざわざ法規制しなければ解決不能と判断された男女の雇用均等問題などに少しずつそうした苛立ちは現れ、やがて90年代以降、社会全体に充満するようになった気分ではなかったろうか。するとどうなったか?
 暴れる子供にはリタリンを飲ませ、プレゼン下手な自分はプロザックで鼓舞する。さまざまな非主流的気分に細かな病名をつけて、「憂鬱」はうつ"病"に昇格させられた。ADHDやうつ病がフィクションだというつもりはないけれど、そうした診断が、人びとの、社会全体の「伝わらなさ」に対する不安を和らげたとは言えないだろうか? 夫婦喧嘩の理由を生理のせいにしたときのように?
 こうした解決法は、ネオリベラリズム経済ととても相性が良かったのではないか。伝わるまで話あったり、伝わらない者同士がその状態のまま同じ空間にいることはとても効率の悪いことだ。ピル1錠でその場が収まるならこんなに簡単なことはないではないか。
 一方で、戸川純は、繰り返しその「伝わらなさ」という悲しみを歌うことで、「伝わらなさ」自体に抗議し続けてきたように思う。彼女の作る歌詞の特徴のひとつである、(自己制御不能な)情念を(理性的な)理屈でとことん説明しようとする姿勢というのは、「生理だから仕方ないね」という解決方法に対する抵抗だったのではないか。

 この日、たくさんのMCの中でとても引っ掛かりを感じたひとことがあった。アンドロイドのコールガールの諦観を歌う"バーバラ・セクサロイド"の時だったか、「あたしはフェミニストじゃないですよ」と言ったのだ。どうしてわざわざそんなことを言うんだろう? そういえば80年代から、彼女はよく似たようなことを口にしていた。「私は不思議ちゃんじゃないです」をはじめ、ファンが妄想する戸川純像をいちいち丁寧に修正しようとしていた。彼女のMCもインタヴューも、いつも本当に丁寧で、時にはくどいほど繰り返し、違う言葉で同じことを説明してくれようとすることもある。このこともまた、「伝わらない」ことをあんなに歌っている彼女自身が、時間と言葉を掛けることでいつか伝わることを実は信じている、あるいは願っている証左なのかもしれない。
 このライヴは10月から1月半にわたって新宿ロフトで行われた〈Drive to 2010〉というイヴェントの中のプログラムのひとつだった。純ちゃんは怪我をしていて、ほとんどの歌はスツールに掛けたまま歌われた。私は10数年ぶりに見る彼女のステージに、正直言ってそんなに期待していたわけではなかった。けれども、想像以上に、いや、以前に見ていたいくつものライヴ以上に、この日の戸川純はすばらしかった。90年代には開演が1時間以上押すこともあったけれど、この日はオンタイム(!)で登場し、声はあの頃以上によく聴こえたほどだ。休憩を挟んだものの、たっぷり2時間、ときおり立ち上がったり踊りさえした。純ちゃんは戻ってきていたんだと、満員のフロアも含めて本当にそう思えるものだった。

 ここにきて、抗うつ薬の副作用に人びとの関心が向きはじめている。大手メディアが「自閉症が個性と認められるまで」(ニューズウィーク日本版)のような記事を掲載するということは、自閉症は個性のひとつだという考え方も理解を得られるようになってきているかもしれない。効率的に(安直に)コミュニケーション不全を解決しようとする焦りが社会的に和らいできたことと、戸川純がふたたび歌いはじめていることは、無関係とは言えないのではないだろうか。

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入りとしてはヒップホップだったけど、スケボーやりながら、ルーツ・レゲエとかハードコアを聴いたり、吉田拓郎のアナーキーさに惹かれたりもしましたね。フィッシュマンズとかハナレグミを聴きまくってた時期もあるし、銀杏ボーイズも聴いてた。めちゃめちゃですね。PJハーヴィーとかモルディー・ピーチーズとか......。

Love Music Love Skate
これから先もずっと
No Busy No Money
これから先もきっと - "SMG"

ピーターパンのようにスケート
友だち、Family、Honey
ラヴ・ソング作ってMoneyっていうかHobby - "That's Me"



S.L.A.C.K.
Whalabout?

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 素晴らしい才能だ。東京板橋地区(Skate Board Bridge)から登場した弱冠22歳のラッパー/トラックメイカー/スケーター、スラック。

 2008年、100枚限定で自主制作で発表した『I'm Serious(好きにやってみた)』は一部のマニアックなヒップホップ・リスナーのあいだで話題を呼んだ。評価を決定付けたのは、今年2月、下北沢を結成地とするヒップホップ・クルー、ダウン・ノース・キャンプ主宰のレーベル〈DOGEAR RECORDS〉からリリースしたデビュー・アルバム『My Space』だ。ジェイ・ディー、マッドリブ、クリプス、ネプチューンズ、MFドゥーム......を彷彿とさせるラップとサウンド・プロダクション。それは時間をかけて、より多くのリスナーのもとに届いている。

 言葉が曖昧になるほど日本語と英語を織り交ぜた、囁くような、ときに呟くようなフロウとライム。チープなビート。もたつきながら前に進むグルーヴィーなシークエンス。ソウルやジャズ、ブルースなどブラック・ミュージックからのサンプリング。それらによって構成された彼の音楽性は、『My Space』の時点でほぼ完成されている。そして、9ヶ月という短いスパンでリリースされたセカンド・アルバム『WHALABOUT』。ちなみにその間、実兄のパンピー、ガッパー、スラックから成るPSGのデビュー・アルバム『David』も出ている。スラック本人はPSGのアルバムは「兄貴の趣味」だと言うが、いずれにせよ、この3枚をいま、このとき、しっかり聴いておかない手はない。

 『WHALABOUT』で言えば、ソウルフルなヴォーカルのサンプリングからはじまる"That's Me"、R&Bシンガーのように、ファルセット・ヴォイスとフェイクを巧みに操り、溶けてしまいそうなほど甘く切ない世界を描き出す "Another Lonely Day"は出色の出来だが、僕がスラックの音楽に強く惹かれる理由は、音楽に感じる甘ったるい感傷やときめきを呼び起こす瑞々しさと無邪気さ、そしてそれらを響かせながら音楽や人生に対するシリアスな哲学を表現している点にある。最高に晴れた日に余計な悩みをすべて忘れて聴きたくなるような音楽でありながら、そこには切実な想いが込められているのだ。

ラップはいつからはじめたんですか?

スラック:12歳ぐらいですね。兄貴(PSGのパンピー)は中3ぐらいからトラックを作り出して。スペシャ(スペースシャワーTV)とかで洋楽のPVを観て、ベースボール・キャップを被る感じを知って。当時は、リンプ・ビスキットとナズがどう違うのかも、ジャンルの違いもわからなかった。キッド・ロックもヒップホップだと思ってたぐらいだから。スケボーを同じぐらいのときにはじめて、「じゃあ、何聴く?」みたいなノリで、ロックとかパンクとかレゲエとかヒップホップを聴きはじめましたね。授業中に適当に暇つぶしにリリックを書いたりしてた。ラッパーは人のことを馬鹿にしたり、やっちゃいけないことをやるのかなって思ってたから、酷いことばっかり書いてた。

例えば?

スラック:批判ばっかっすね。アイドルをディスしたり、それがはじまりだった。スケボーやってる知らないお兄さんたちからもいろんな音楽を教えてもらいましたね。

お父さんがかなりのレコード・コレクターらしいですね。

スラック:親からの影響もありますけど、ヒップホップ自体は親の影響ではないっすね。俺がまだヒップホップを知らない頃から、家でブラック・ミュージックとかヒップホップが当たり前のようにかかってはいたけど。親父はストーンズとかの世代だから、白人がやってるブラック・ミュージックもかかってました。だいたいこういう感じに歌うとかは気づかないうちにしみ込んでいったのかもしれない。

日本の音楽は?

スラック:はっぴいえんどにハマたりしましたね。親父に「レコード、ある?」って訊いたら、もうごっそり出てきて。スケボーのヴィデオでかかってる曲を「これ、何?」って訊くと、ツェッペリンのレコードが出てきたり。

じゃあ、10代の頃、ポップ・チャートに入るようなJポップは聴いてなかった?

スラック:一時期、俺も普通の子たちと一緒に仲良くしたいと思って、そういうのも聴いてみたけど、何が良いのかわからなかった。

小学生の頃、まわりの人と話が合わなかったんじゃないですか?

スラック:そうっすね。小6からスケボーとか音楽にはまったから。それぐらいの子供ってカード・ゲームがばりばり楽しいみたいな感じじゃないですか。

まあ、そうですよね。いまの独特なラップ・スタイルも最初から?

スラック:いや、そんなことはないですね。日本語ラップをばりばり聴いて日本語でやってたし。ニップスさんのラップとか好きでした。俺は英語を喋れないんですけど、昔からまわりが多国籍な感じで、帰国子女のラッパーたちがいっぱいいるなかで動いたりしてましたね。小学校で初めてできた親友も外人だったし。いまもまわりに外人がいますね。

ダウン・ノース・キャンプにもいるんですか?

スラック:ひとりだけ、OYGっていう、Budamunky(『WHALABOUT』で2曲トラックを制作している日本人トラックメイカー)と一緒にやってるLAのラッパーがいますね。

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12歳でラップをやりはじめたとき何年でした?

スラック:いま22歳で10年前だから......

ということは、小6で99年かー。その頃だと、ウータン・クランとか?

スラック:ウータンのPV真っ盛りでしたね。あと、ナズの"Nas Is Like"とか。

ティンバランドとか?

スラック:ネプチューンズがPVにちょっと写ってるぐらいのときですね。まだ、こいつら誰だ? みたいな時期。コーンみたいなミクスチャーも流行ってましたね。だから、ヒップホップは中途半端な時代だったのかもしれませんね。

当時は楽しかった?

スラック:なんでも良かったですからね。スケボーやって、無駄に反抗したり、適当に音楽を突っ込んだラジカセをママチャリに入れて遊び出かけたり。

遊び方はいまも昔も変わらない?

スラック:変わってないけど、ちょっと人に知られてきたから、少し(まわりの目を)意識するようになりました。

ぶっちゃけ、不良だった?

スラック:不良の奴らとかやんちゃな奴らと学校では一緒にいたけど、そもそも趣味がずれてた。俺は学校終わったら、すぐに家に帰ってスケボー持ってちょっと遠い公園行って、そこのローカルなお兄さんとスケボーしてた。みんな金髪でピアスを開けてるときに、俺だけ坊主でラインを入れてましたね。『Up In Smoke』とか観て、悪い黒人の奴らがかっこいいなって。

ヒップホップ好きの不良の友だちもいたわけですよね?

スラック:ヒップホップの人たちは悪いことを悪いことだと思ってやる人が多いけど、スケーターは自分たちがやってることが悪いのに悪いと思ってなかったりする。ワルに憧れたりしない子供でしたね。兄貴にくっついて、兄ちゃんの友だちと遊ぶって感じだった。つねに兄貴の年齢の友だちが多かった。ワルよりも自由の方が好きでしたね。

ワルより自由か......なるほど。10代の頃に不自由だと感じていたことは?

スラック:やっぱり子供だから舐められますよね。板橋は田舎が近いんで、特攻服着たような人たちもいたし。でも俺はそういうのには関わらなかった。小6の頃から、頑張って原宿とかにヒップホップの店を探しに行ったりして、黒人に呼び込みされて怖えー、みたいな(笑)。

まわりにいた外国人はどこの人だったんですか?

スラック:アメリカ人とかスペイン人とかコロンビア人とかですね。スケボーやってる友だちは何人かわからないような奴がいっぱいいましたね。町でスケボーしてると、日本に来たんだけど、日本語も全然わからないから、つまらねーみたいな奴が声をかけてきて仲良くなるっていう。どこでもすぐに友だちはできた。普通の日本の環境だと、外国人からしたら、なんでこんなことを守らなきゃいけないのってことが多くて。そういうのもこっち側はけっこう自由にやってたから。

いろんな音楽を聴く中で最初からヒップホップにはまった感じなの?

スラック:入りとしてはヒップホップだったけど、スケボーやりながら、ルーツ・レゲエとかハードコアを聴いたり、吉田拓郎のアナーキーさに惹かれたりもしましたね。フィッシュマンズとかハナレグミを聴きまくってた時期もあるし、銀杏ボーイズも聴いてた。めちゃめちゃですね。PJハーヴィーとかモルディー・ピーチーズとか、一度サブカルっぽいところに行って、ヒップホップはダサいんじゃないかって思ってたときもある。それが高校の頃ですね。かっこつけて、型にはまり過ぎてる感じがダサいなって。でも、ベスくんやシーダくんが出てきたぐらいから、日本語なのにラップがヤベェなって。俺も英語のラップに日本語をはめるっていうのはずっとやってたんですけど、それをうまくやってる人がまわりにいなかったから。

あ、そうなんですね?! 真面目にヒップホップを作ろうと思ったのはいつぐらいから?

スラック:『My Space』を今年2月に発売して、その1年前ぐらいから作りはじめたから、2年前ぐらいからですね。かっこつけてるけど、やり切ってるヒップホップのダサいかっこ良さがわかって。解放し切っている感じがわかった。

トラックはサクサクできちゃう?

スラック:めちゃくちゃ作りますね。『My Space』を作ったときに『WHALABOUT』は7割ぐらいできてた。1日1曲ぐらい作ってた時期もあったし。

大雑把に言うと、『My Space』はソウルフルで『WHALABOUT』の方がビートの組み方がラフだし、ファンキーですよね。

スラック:まだ日本語のヒップホップで表現できてない重要な部分をやりたかったんです。

重要な部分というのは?

スラック:感覚なんですけど、遅れ方とかですね。ビートの鳴ってるところを完全に理解して、めちゃくちゃにずらしてもはまるみたいな。みんな昔からフロウ、フロウって言うけど、そうじゃなくて、なんかあるんですよ。耳で聴いて良いとかじゃなくて、感覚的な、音的な声の強弱の角とかが英語のラップには当たり前のようにあって、そこがヤバさの判断基準だったりする。

外国人で好きなラッパーは誰ですか?

スラック:いろいろです、特定の人はいま思い浮かびません。

カジモトやMFドゥームなんかはどうですか?

スラック:あー、そういうラップも好きっすね。BudamunkyはLAで10年間ぐらいトラックを作ってたんですけど、Budamunkyに向こうのラッパーのかっこいい奴を教えてもらったりしてますね。インフェイマスMCとか。まだそこら辺はリスナーとしては初心者ですね。

パンピーくんとかイスギ(ダウン・ノース・キャンプ)とか、最近周りの人たちがワッと出てきたじゃないですか。それはスラックくんひとりが頑張ったっていうよりも状況が整ってきたんじゃないかなと想像したんだけど......どうですか?

スラック:でも、板橋レペゼンとかはどうでもよくて。地元愛とかも正直ないし。そんなのよりスキルとか音楽の良さだから。

ある種のコミュニティとか仲間が形作られたのはいつ頃なんですか?

スラック:ダウン・ノースに「入れてください」って言ったことはあるんですけど(笑)、「入れるとかそういうんじゃないから」って言われて。「気が合っているだけの奴らだから」って。だから、「ダウン・ノースのメンバーですか?」って訊かれてもわからないです。そう言ってくれる人もいるけど、単純に気が合ってやりやすい友だちが集まってるだけなんで。俺らで勝ち取ってやろうぜ、やってやろうぜ、みたいのは全然どうでもいい。単純に良い音楽を作るために活動してて、かっこいいラッパーと間違いねぇって奴と仕事してたら、こういう風に絞れてきたし。......まあ、バビロン(無駄な要素)はとりあえず嫌いですけどね。

クルーにいるからとりあえずフィーチャリングで参加したり、アルバム出すみたいな文化がヒップホップにはあるじゃないですか。そういうのは違うなと?

スラック:ヒップホップ的にはそれもあるし、ある意味ではかっこいいやり方でもあると思う。こいつは俺らの仲間だからフィーチャリングで入れるみたいな。リスナーが聴きたくないなら聴かなければいいだけだから。それを批判してる時間がもったいない。俺がやるならかっこいい友だちをフックアップして、音楽がかっこいいほうが満足いきますね。

ちなみに、いま、ダウン・ノースの人たちと遊ぶときは何するんですか?

スラック:リラックスしてますね。スケボーしたり、酒飲んだり、飲まなかったり......いろいろっすね(笑)。暇があったら、出さない作品も無駄に作ってるし。安定剤ばりにビート作ってないと病んだり、スケボーしてないとストレス溜まったりしちゃいますね。

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バイトとかは?

スラック:最近、バイト辞めちゃって。やっといた方がよかったかなーって。そういう生活のリズムみたいのがあって、それがむちゃくちゃになると怖くなりますね。地に足着いてない感じになって。

アルバムを出す前からライヴはしてました?

スラック:ライヴはかなりやってましたね。音楽のことばっかでしたからね。かっこ悪りーものはかっこ悪いだろって感じで、くそ生意気な少年でしたね。

ところで、「slack」という言葉には「ゆるい」とか「いい加減な」とかいう意味があるわけだけど、この名前にした理由はなんですか?

スラック:辞書で言葉を探してて、「ゆるい」とか、そういう意味があったから選びました。適当に名前の響きもいい気がするって感じだった。後々、外国人の友だちに「スラックって名前をよく見つけたな。ホントお前そのものだよ」って言われて。後から気に入り出した感じですね。最近、雑誌とかでも「ゆるキャラ」とか「適当」とかが使われ過ぎてて、逆にちょっと使いたくなくなってきたけど(笑)。


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『WHALABOUT』には"適当"って曲があって、「適当に敬意を」ってラップしてますしね。

スラック:適当は口癖なんですよ。それを意識して使ってるんじゃないかって思われるのは、めんどくせぇなって(笑)。

デビュー・アルバムを出すときは、自分のことを誰も知らないわけじゃないですか。緊張感や力みみたいのはありました?

スラック:ないっすね。小6ぐらいからアルバムを作ることばっかやってたんですよ。通算どんだけ作ってるんだぐらいアルバムありますよ。実際、いまから『My Space』と『WHALABOUT』よりもヤバいのを作れって言われたら、1ヶ月で作る自信ありますね(笑)。『My Space』を出すときは、赤(字)にならないかなって心配はあったけど。最初は自主で刷って売ろうとしてたんですよ。全部手続きが終わって、8万円、母ちゃんに借りて、それを振り込みに行く途中に落としたんですよ。神隠しなんですよ。「へ?!」って(笑)。そしたら、〈DOGEAR RECORDS〉から出さないかってモンジュ(ダウン・ノース・キャンプ)に言われて、一か八かで、ここ(〈ウルトラ・ヴァイヴ〉)で審査通って出せたからラッキーかなって。

初回は何枚?

スラック:100とか300ぐらいですね。完全なる無名だったから。兄貴はマスタリングみたいのはやってくれましたけど、兄貴のフックアップで出せたわけでもないし。

『WHALABOUT』は?

スラック:PSGのアルバムを出して得た兄貴サイドのリスナーもいるから。

PSGはひとりでやるのとはまったく違う?

スラック:全然違いますね。俺の音楽を超聴いてる人は、PSGのアルバムは「なんでやったんだろう?」ぐらいの感じだと思いますね。そういう人もいました。音楽自体は優れてると思うけど、俺の趣味じゃないものもあって。あれは兄貴の趣味ですね。でも兄貴のセンスは信じてます。やりたくない曲はリリックでもやりたくないって言うし、実際"Yes."って曲でこのトラック大嫌いだって言ってる。俺のビートも兄貴が選んで、曲順を決めたのも兄貴ですね。でも最終的にはいいアルバムなんじゃないかって思ってます。

でも、ソロもPSGも楽しんでるのが伝わってきますよ。とくにサンプリングを本当に楽しんでるなーって。ソウルやジャズやブルースをサンプリングして新しい音楽を創造する感覚は、〈ストーンズ・スロウ〉のセンスに近いものを感じますね。

スラック:〈ストーンズ・スロウ〉から出すのは夢っすね。それはずっと昔から言ってる。ダム・ファンクが来日したときに、Budamunkyと一緒に声をかけたら、Budamunkyが〈ジャジー・スポート〉から出してるレコードをLAでかけてて超調子良いよって言われて。

いい話ですねぇ。〈ストーンズ・スロウ〉から出すのが夢ということだけど、アーティストとしての目標みたいなのはありますか?

スラック:ちゃんとヒップホップのかっこ良さがわかっている人に評価されたいっすね。

曲ごとにテーマは決めてから作るんですか?

スラック:あったりなかったり。意味なんてない曲はいっぱいありますね。"適当"とかは意味はないですし。

『WHALABOUT』には"意味なんてないさ"って曲がありますよね。でも僕は逆にそこに主張を感じたんです。"That's Me"の「Musicのみ」という言葉にも強い決意を感じるし、『My Space』のちょっとハウスっぽい"Think So"の「普通の生活して楽しくできればいいと思うんだよ」ってリリックにも「意味なんてない」っていう言葉の裏側にある信念が垣間見える。

スラック:ヒップホップはもっとお手軽な遊びの延長線上じゃないですか。それなのに日本のシーンはアメリカのヒップホップのビジネス化に影響を受けて、なんか知らないけど、良くない部分で目立つことを真似してる奴も多い気がする。贅沢は別にしなくていいんで、ただ最低限の金と良い音楽を作るための環境が欲しいだけなんですよ。旨い飯は食いたいけど、その分働かなくちゃいけないならいいよって(笑)。

「その分働かなくちゃいけないならいいよって」のは僕もよくわかるんだけど、それは......世代的な感覚だと思います? 2001年に小泉純一郎が出てきて、まあ、たぶん板橋も格差社会の餌食になっただろうし(笑)。

スラック:うちのマンションとか中流階級ぐらいの感じなんですけど、ベンツとかBMWとか多かったりして......、う~ん、でも、みんなビビって大学無理やり入って後悔したりして、俺はそういうのが嫌で。

ビビって入るっていうのは?

スラック:就職とか時間稼ぎっすね。俺らはぎりぎりゆとり教育触れたぐらいなんですよ(笑)。

というと?

スラック:好きなことを完全にやり切りたいなって。ビビっちゃって時 間を無駄にしてる友達を見て苛立ってリリック書いたりはしますね。もっと動いて言いたいことも言ったほうがいいと思うんですけどね。

何にビビってるんだろう?

スラック:わかんない(笑)。環境っすかね。友だちを失うのが怖かったりとか。

ということは、スラックくんはやはり異端ということだ。

スラック:でもPSGでよく話すんですけど、俺らがど真ん中だと思ってやってたことが、いろんなリスナーから変わってるとか癖があるとか言われて、それにいままで気づいてなかった。ちょっと変わったことをやるのは好きだったんですけど、いちばんかっこいいと思うことをやって来たつもりなんで。

サウンド的にはアメリカのメインストリームのヒップホップからの影響も強いですよね。

スラック:けっこう聴きますね。アメリカのメインストリームのヒップホップを俺らなりに舐めた感じでやってる。でも、最近はどちらかと言えば嫌いっすね。なんか音が高い。車で自分のアルバムを聴いた後に、向こうの新譜を聴くとシャリシャリしてて。低音なしで聴くとホントにひどくて。

MP3で聴くのを想定した音になってますよね。アナログへの拘りがあったりはする?

スラック:パソコンのなかに曲がたくさんありますよ。友たちがくれたりするから。アナログはサンプリング・ネタばっかり買ってますね。レコードプレーヤーは生まれたときからあるから、逆に執着心がないですね。

なるほど。ちなみに歌詞カードを付けないのには理由があるんですか?

スラック:歌詞を付けちゃうとラップのやり方がわかっちゃうかなって。こういう日本語をこういうフロウでラップすればいいんだって。英語に聴こえるけど、実は日本語だって部分がかなりあると思うんですよ。聴き取れるところだけ聴いて欲しい。ベスくんとかシーダくんとかもそうだけど、リリックは何回も聴いてればわかってくるから。

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S.L.A.C.K.
My Space

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『My Space』と『WHALABOUT』の違いを本人が分析すると、どうなんですか?

スラック:『My Space』のときに気づかなかった部分が『WHALABOUT』にはありますね。俺、ディアンジェロとかめちゃくちゃ好きなんですよ。例えば、久保田利伸さんはJポップとして聴かれてるけど、R&B風のJポップとして聴かれてるじゃないですか。キャッチーだったり、さわやかだったり、いい印象の裏にある渋い煙たいかっこ良さを雰囲気で感じさせられればいいなって。俺も出し過ぎぐらいの黒さを出して、法律とかモラルとかでははかれない、本当の良し悪しだったりを知ってもらいたい。

それは作品を世に出してリスナーに音楽で何かを伝えたいって気持ちが芽生えてきたってことですか?

スラック:でも、正直伝えたいことはなくて、ただ俺がやりたいことを完全に出し切って、「こんなのはどう?」って感じですね。そういう単純な一連の流れなんです。

なるほど。

スラック:そのなかでシーン......じゃないですけど、音楽に対して歯痒いような気持ちも出てきますね。

シーンという言葉で思い出したんだけど、さっきレペゼンという意識はないって話してたけど、ダウン・ノースは下北沢が拠点ですよね?

スラック:俺はそんなに下北に関わってないけど、ダウン・ノースで遊ぶときの家が下北にあったりしますね。あと、床屋が好きな感じなんですよ。

どういうこと?(笑)

スラック:下北の床屋によく行くんですよ。刈り上げがすごくうまくて。だから、床屋に行く感じのヒップホップですね、美容院というよりは。無理してでも金払って床屋行って、かっこつけるっていう。そういうヒップホップの感じが出せたらいいなって。反メインストリーム主義というか反抗精神がつねにあるべきものが、無闇にタレント化したり、ブログを頻繁に書いてみたり、そういうのが目立ってて。なんでそこを頑張ってんだよって。もっと違うところ頑張れよって。最終的に批判はないんですけど、俺がいちばん良いと思ってるものは行動で示してるんで。自己アピールっすね。

俺は自分の足でクラブに行き
自分でフレンズを選び
自分で曲を作る
シーンのルールには興味もない
Musicのみ Musicのみ
"That's Me"

馬鹿みたいに夢語って
大人なんて馬鹿に見えた
"Another Lonely Day"

自分の言葉がある。ナンセンスもある。それは落ち着きや諦念とはまったく逆のベクトルにある。彼は、大人の熾烈な生存競争から積極的に降りてしまっているように見える。上を目指すために「めんどくせぇ」ことに関わるよりも、スケボーや音楽を無邪気に楽しむほうを好む。好きな娘や気の合う仲間たちと過ごすことを選ぶ。ある友人は「フィッシュマンズみたいだね」と言ったけれど......そう、たぶん。

それは頭の固い頑固オヤジからはモラトリアムだとか、軟弱だとか揶揄されるような......しかしいまや首相さえもこの国の成長そのものを否定する時代に突入してしまったのだから......若者は成熟のあり方を自分たちで作り出すしかないのだ。それはある意味幸運な時代なのかもしれない。

スラックのCDを気軽に手に取って欲しい。君の時間や金が無駄にならないことを僕が約束する。まあ、万が一少しぐらい無駄になったとしてもいいじゃないか。それもひとつの冒険だ。「適当に敬意を」――

 深夜の12時をまわった頃だ。ブースでは替わったばかりの二木信がフォクシー・ブラウンが歌うレゲエをプレイして、そらからもう一発、ダンスホールに繋ぐ。僕はマイクを持ってDJを紹介。闇のなかからヤジが飛ぶ。ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ! よく知っている声......と思ったら高橋透さんが荒声を上げながらDJブースの前までやって来る。そして、その晩初めて会う二木に向かって「営業DJしてんじゃねーぞ、おら!」とでかい声でピシャリ。ひぇ~、そんなこと言わないでやってよ、透さん......。11月22日、ここは静岡市両替町。リアル・アンダーグラウンド、〈rajishan〉。

 それは21日の夜からはじまった、クラブ〈FOUR〉の4周年を祝うパーティだった。二日目のその晩はスペシャルということで〈rajishan〉と〈FOUR〉との共同開催となった。何故ならアンドリュー・ウェザオールがやって来る。〈エレクトラグライド〉のために来日していた彼は、翌日静岡まで来てくれたのだ。僕といえば、当初の予定ではイギリスの生んだ偉大なインディー・レーベルの祝祭に向かうはずだったけれど、躊躇なく予定を変更した。地元のパーティに参加することにしたのだ。

 時間を戻そう。21日の夜......えーと、7時過ぎぐらい? 両替町の裏通りにある〈PERCEPTO RECORD〉に二木を連れて行く。店内には、メルツバウ、ヘア・スタイリスティックス、ECDなんかのCDが壁にずらっと並んでいる。そして棚にはソウル・ミュージックとパンクの中古盤がごっそりある。全国の物好きな連中にはすっかり有名なこのユニークなお店を経営するのは、アイデア・オブ・ジョークの森川アツシさんだ。僕が初めてストラグル・フォー・プライド(SFP)のライヴを観たのも、森川さんが静岡で企画したイヴェントだった。あのときSFPはECDと一緒に静岡でライヴをやった。たしか......2003年の5月だ(清水エスパルスがジュビロ磐田に惨敗した夜だった)。

PERCEPTO RECORD〉はいまでも"ハート・オブ・オルタナティヴ"だ。僕はたちは......やけのはらのこと、中原昌也のこと、ドリアン君のこと、七尾旅人のこと等々、いま身近にある素晴らしい音楽について話した。「ローリン・ローリン」はもうとっくに売り切れてしまったんですよ、と彼は言った。いま追加注文分を待っているんです。へぇー、すごいね、あれは本当に良い曲だよね。うん、すごい良い曲。「ローリン・ローリン」は口ずさんでしまえるほど聴いている。やけのはらのパートを暗記するほどに。

「来年は、やけのはらとドリアンを静岡に呼びたいんだよね」と森川さん。それは良い、見たい! 中原昌也も呼ぼう! とか、テキトーなことを言っている間に、二木はお店にあった得体の知れないインディー盤を2枚買った。

次はのだやにGO! 二階の座敷には、その晩のゲストとして東京から来てくれたDJ NORIさんがいた。今年DJ生活30周年を迎えた大ベテランだ。そして、〈Luv & Dub Paradise〉を主催する五十嵐慎太郎とその仲間たち――市内で服屋〈NEWPORT〉を営む三ヶ尻吉伸君、〈FOUR〉を切り盛りする海野隆之君、〈Luv & Dub〉を手伝うDJ Rumy、で、二木も一緒になっておでんを貪り、ビールを飲んだ。

 きっとどこの町にも音楽好きがいる。ダンス・ミュージック好きが何人か集まればパーティがはじまる。DJが生まれ、クラブがオープンして、クラバーがやって来る。より多くのアルコールが消費され、より多くの汗とより多くの小便が流され、より多くの水が飛ぶように売れる、より多くの夢とより多くの虚無が生まれる......静岡もそうだ。
 この15年以上ものあいだ、静岡のクラブ・シーンは他のどの町とも同じように、良いときも悪いときもあった。最悪なこともあれば最良のこともある。その町でいちばんのDJはその町を仕切る......などという幻想がこのシーンを支配したこともあった。派閥ができて、仲違いも生まれた。いろんな試練が小さな町の小さなシーンを襲った。

 どこかで聞いたような話だろう? でもね、静岡のような小さい町は少なからずそうした影響から逃れられない。いろいろ大変なことが起きる......面倒な事態に巻き込まれる......ところが、町の音楽好きは自分たちがやってきたことを止められない。過去の努力が報われることを信じているというよりは、本当にそれぐらいしかやりたいことがないからだ。犬が走ることを止めないように......いや、この喩えはよくない。

 とにかく、その曲がりくねった歴史のなかで、シーンの開拓者として、あるいはテクノDJとして初期からずっとそこにいるDJ KATSUは、昨年、10年ものあいだ地元のDJ連中やDJ予備軍たちに12インチを配給し続けていたレコード店〈MASSIVE RECORD〉を失った。シーンは動揺した。涙した人もいれば失笑した人もいた。それでもおおよそは親身になっていた。が、新しくはじめたクラブも思うようにいかなかった。静岡、大丈夫?などと東京の関係者たちが囁いた。大丈夫だ、静岡ではテクノとサッカーは信仰なのだ。たぶん。

 同じようにシーンの初期からいる五十嵐は、10年前に自分の店を失い、彼の歯も失っている。それでも懲りずにパーティを続けている。3年前に家族の事情によって静岡を離れ、東京を拠点にするようになったいまでも、五十嵐は静岡と東京を往復する。僕は長いあいだこの男の正体がわからなかったが、いまは理解しているつもりだ。DJ KATSUについても、ある程度は。

 DJ KATSUと五十嵐――ふたりとも長くシーンに関わりながら、それなりの代価を払ってきた。必要以上に手痛い目にも遭っている。タフと言えば本当にタフな連中だ......というか、高くを望まなければなんとかなるのだ。ま、いっか。それでなんとかやっていける。だから(......と言っていいのかどうか)静岡には他にも面白いDJやクラバーが何人もいる。みんなに共通しているのは、町に対する愛情と遊びへの飽くなき追求心だ。それが彼らを町に出させる。この町のミュージック・ラヴァーが週末を部屋で過ごすことなど、まず許されない。
 
 二木がおでんを食べているその前で、僕はビールをがぶ飲みしていた。21日の晩、そうしなければならない理由が僕にはあった。個人的な理由であり、共同体的な理由でもある。その日の午後、静岡のサッカー競技場では、清水エスパルスが公式戦4連敗を喫した。これでリーグ戦3位以内の望みも途絶えた。試合内容も希望を持てるものではなかった。この敗戦はサポーターをしたたかに打ちのめし、土曜日の夜のアルコールをうながした。チクショー、今夜は飲むぜ、二木! と言ったところで、話は盛りあがらないので、僕は二木を〈rajishan〉に連れて行くことにした。

 〈rajishan〉......それは静岡で暮らすミュージック・ラヴァーにとって"帰る家"だ。ここではDJ NOBUがまわし、ヨーグルトもALTZもDJ HIKARUも、あるいはイルリメも、とにかくこの国の腕の良いDJ連中がこの小さなハコでまわしている。バーのカウンターにはディスチャージのレコード(1984年のベスト盤『Never Again』)がいつまで経っても飾られている。このハードコア・バンドは自分たちのジャケに何度かサッチャーの顔を引用したものだけれど、その本当の意味をあの頃の僕はわかっていなかった。もちろんいまは骨身に染みてよくわかる。つまり、それほど彼らは"痛めつけられていた"のだ。「Life is like a pubic hair on a toilet seat」――「人生とは便座の上の陰毛のようだ」、ディスチャージはこう言ったものだった。「sooner or later you get pissed off」――「遅かれ早かれ、うんざりするときがくる」

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 その晩は〈SCUBA〉というパーティで、ブースには若い女性DJがいた。思わず鼻の下を伸ばす二木に冷や水を浴びせるかのように、彼女はハードなダブステップやグライムを繋ぐ。いま流行のハウシーなダブステップなんかではない。重たくてラウドなダブステップだ。格好いいね~。二木と一緒にしばらくその場にいることにした。「これって爆音で聴くとパンクだね~」などと話しながら踊った。ダブステップやグライムの魅力のひとつは、パンキッシュなハードさにある。クラブで聴くとそれがよくわかる。あのゴリゴリしたベースラインが、抑圧された感情をえぐってくるようなのだ。激しく身体を揺らしている二木を見ながら、僕はそう思った。

 それから僕たちは〈FOUR〉に行くことにした。〈rajishan〉から〈FOUR〉まで歩いて1~2分。夜の町をゆっくり歩きながらクラブに着くと、DJはちょうどSHOさんからNORIさんに替わるところだった。SHOさんもNORIさんや透さんと同じように、この国のオリジナル世代のひとりだ。1986年、NORIさんと透さんがNYに行ったその年、六本木の〈玉椿〉で働いていた五十嵐にハウス・ミュージックの洗礼を浴びせたDJのひとりでもある。

 SHOさんからNORIさんへ、オリジナル世代がブースに並ぶと、フロアの温度は否応なしに上がる。NORIさんがまわしはじめると、いたるところから叫び声、そしてクラッカーが鳴る。4周年オメデトー! NORIさん30周年オメデトー!などという雄叫びがハウスのビートに合間に聞こえてくる。その「オメデトー」は心の底からのオメデトーだ。

 東京のゴージャスなクラブに慣れた人がここに来たら肩すかしを食らうかもしれない。なんじゃこりゃ? これがクラブ? そう言うかもしれない。そんなヤツはさっそと帰ってくれ。地方の小さな町で、資本の後ろ盾もなくクラブを続けることは並大抵のことではない。というか、とてもクラブ営業だけではまわしていけない。海野君も昼間は他の仕事をしながら、夜は〈FOUR〉に顔を出す。まったくのDIY、まったくのインディペンデント・クラブ。このクラブのスタッフのひとりには、DJのCITYBOYがいる。彼は元々は東京の子で、働きながら都内でDJをやっていた。数年前、転勤で初めて静岡にやって来た彼は、町のシーンが気に入ってしまい、永住を決めた。それから会社も辞めて、いまは〈FOUR〉のスタッフのひとりとして働いている。

 NORIさんのパーカッシヴなハウスに身を任せながら〈FOUR〉で踊っていると、海野君から静岡のヒップホップ・チーム〈SUGAR CRU〉のメンバーを紹介された。二木も一緒ということで、いろいろと自主制作のCDをもらった(その音源についてはいずれ二木が紹介してくれる)。彼らは、その晩、最近両替町にできたヒップホップの小屋〈VIGO Black〉でイヴェントがあることを教えてくれた。〈VIGO Black〉のことは、実はSFPの今里君から聞いていた。この夏、今里君が静岡に行ったときに行ったそうだ。

 二木を連れて、〈VIGO Black〉に出向いた。そこは〈FOUR〉からほんの1~2分の、市内の小さな歓楽街のど真ん中にある。入口にはヒップホップらしい雰囲気が、集まってくる子たちからビシビシと溢れている。着ている服、年齢(若い!)、歩き方、そして音楽......。僕と二木はすっかり圧倒されながらこの文化の真っ直中でしばらく佇んでいた。「すげー、いいクラブでしたよ」と今里君は言っていたが、本当にそうだった。

 〈FOUR〉に戻ると、バーのあたりは夜の王族たちで溢れかえっていた。クラバー、町の顔役......ごっそりいる。DJ KATSUも来ていた。彼に会ったのは久しぶりだったので、いろいろ話したかったのだけれど、僕の口は重たくなっていた。「また店をやりますよ!」と、静岡のベテラン・テクノDJは頼もしい言葉を叫んでいた。そうか、それはすげーな、マジでがんばってくれよ。それにしたって......七転び八起きというか、このヴァイタリティは......。それともこれはレス・イズ・モアということなのだろうか......。

 ここのクラブ・シーンでは有名な話だが、DJ KATSUと五十嵐はある種のライヴァル同士だ。フランキー・ナックルズとロン・ハーディのようなものだ......と言ったら怒られるだろう。本当に哲学の違いなのかもしれないし、ただの意地の張り合いかもしれない。大方の見方としては、いまとなっては大した話じゃない。DJ KATSUがテクノなら五十嵐はハウスだが、それはマクロで見れば、カレーが好きかハヤシが好きかの違い程度だ。もちろん、小さな町ではどうしても週末の客を取り合うことになってしまう......。しかし、いまはそんなことを言っている場合じゃない。そうだろ! と我々はここ数年、何回も〈rajishan〉で話している。背中を丸めながらカウンターに並んで、いい歳した連中が酒臭い息を相手の顔に吹きかけながらムキになっているわけだ。

 話は変わるが、静岡のような小さな町の利点は、意見が違うヤツとも同じ場所にいざる得ないということだ。え? どういうことかって? つまり、東京みたいな大きな町では、会いたくないヤツとは会わなくて済ませることができる。しかし、小さな町では行く場所が限られているのでそうはいかない。とりあえず遭ってしまうし、一緒にやっていくしかない。もはや家族みたいなもので、共存するしかない。こうして地方特有のバレアリック感が育まれるのだ。

 二木は、僕の高校の同級生である森藤の家に泊めてもらうことになった。この年になって、高校の同級生でいまでも一緒に踊ってくれるヤツはもう森藤ひとりしかいない。淋しい話だが、46という年齢を考えれば妥当かもしれない。ちなみにこの男は、10年前は週末になると夜ひとりで高速を飛ばして西麻布の〈Yellow〉まで行って、朝まで踊って、そして朝日を浴びながら静岡まで帰ってくる生活を続けていた男だ。そう、彼は心底ダンス・ミュージックが好きなのだ。
 森藤は奥さんと一緒に〈FOUR〉まで迎えに来てくれた。もちろんただ来ただけではない。しっかり踊っていった......。
 そして午前3時過ぎ。僕は、二木をよろしくね~と言ってから〈FOUR〉を後にして、ひとりで夜の町を歩いて家に帰った。どうやって帰ったのかはあまり記憶にはないのだけれど......。

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 22日の夜8時、場所は再びのだやの座敷。透さんとDJのWang-Gung、地元のDJのYamada、そして五十嵐、海野君、あるいは二木と一緒に食べて、ビールを飲んでいた。透さんは前日に神戸でDJをやってその足でそのまま静岡へ、Wang-Gung君は江ノ島の〈OPPA-LA〉でDJをやってそのまま静岡へ、というふたりともご苦労なスケジュールだ。Wang-Gung君はデトロイト系のパーティでよくまわしている。働きながら好きでDJをやっている。この国の多くのDJと同じように。
 で、しばらくすると......なんとまあ驚いたことに、ムードマン一家が入ってきた。ムードマンに会ったこと自体が久しぶりだった。この一家は、三重の〈Eleven〉に参加して、そのまま静岡に寄ったという。急遽その晩〈FOUR〉でまわすことにしたそうだ。いやー、恐れ入る。彼らはどんな小さなパーティでも呼ばれれば行くのだろう。大雑把に言って、どこまでも音楽を愛するこういう人たちが、この国のクラブ・カルチャーのもっとも美しい場所を支えているに違いない。そういう意味で、ここはまだシーンの純粋さが保たれている......と、思っていたら、東京から下北沢〈SLITS〉店長だった山下直樹さんまで登場。ウェザオールのDJを聴きに高速バスに乗ってきたそうだ。で、地元の先輩で「両替町ブリストル化計画」を目論むKAKEIさんもやって来る。座敷に上がるなり第一声は「どうしたのよ、清水!」、ああ、ようやく僕と話が通じる人が来た。「いや、もう、健太は限界なんですかね?」、「すぐそういうこと言ってはダメだよ~」とKAKEIさん。なんの話かって? 清水エスパルスの話ですよ!

 10時を過ぎた。みんなでクラブに行く。まずは〈rajishan〉へ。

 〈rajishan〉では、五十嵐――DJネームはHakka-K(歯がないので)がすでにプレイしている。彼のキャラを物語るように、どっぷりと濃厚なハウスで攻めている。それから五十嵐より20も若いDJ Rumyにバトンタッチする。濃厚なハウスからセクシーなハウスに替わるとフロアからは思わず安堵のため息が漏れた......ようだった。
 12時からは二木の番だ。1時からは僕だ。酔いを醒ますためにウーロン茶をがばがば飲む。フロアでは地元のテクノDJ、YSKが暴れている。「清水どうしちゃったんだよぉぉぉぉ!」と彼は叫んでいる。そう、YSKは、地元の若手を代表するテクノDJであり、生活における軸ってもんを知っている男でもある。彼の叫びは僕の叫びでもある。奥ちゃんもいた。奥ちゃんもDJで、自分でもパーティを主催したり、DJ NOBUを静岡に呼んだりしている。〈FUTURE TERROR〉があるときは千葉まで行っている。
 役者が揃ってきた。暗闇の奥からは透さんの鋭い眼光が光り、DJ KATSUの姿も......、だんだん気合いが入ってきたので、僕は思わずマイクを握る。そして先述したようにしっかり二木を紹介してやった。「DJ Rumyさん、そして東京からやって来た二木信です!」

 久しぶりのDJは緊張する。レコードは前日の夜に慌てて選んできた。忙しくて選曲している時間がなかった。テキトーだったが、最初の曲を何するかだけはけっこう悩んだ。ビリー・フューリーの甘いバラードにするべきか、それともジニアスにするべきか。ジニアスはオール・トゥモロウズ・パーティのドキュメントタリー映画の試写に行って、もっとも感動したアクトだった。あのオルタナの祭典において、ウータン・クランの最年長者は特別な存在感を発揮していた。あらためて格好いいと思った。
 さあ、なにからはじめよう。二木の横に並んで考えた。ふと、数年前ここで初っぱなにアニマル・コレクティヴの"ザ・ソフテスト・ヴォイス"をかまして客にドン引きされた記憶が脳裏をかすめる。思わず、バッグから「リキッド・スウォーズ」を探した。そして、かけた。それから何をかけたのかは、書かない。neco眠るの「Dashi Culture」のALTZミックスは受けたよ。ありがとう、宮城。......それはまあともかく、今回は、自分のミックスの致命的なまずさを誤魔化すためにMCをやることにした。「えー、次の曲はですね、僕が今年いちばん気に入っているシングルです」とか言いながら、ブリアルをかけるわけだ。はははは。何やってんだか......。

 僕の次はKAKEIさんだ。KAKEIさんはずいぶんとエクスペリメンタルな選曲だった。彼がDJをしているとビートインクのスタッフに連れられてアンドリュー・ウェザオールがやって来た。前日の〈エレクトラグライド〉でウォッカを飲み過ぎたらしく、僕と同じ年のDJはホテルで休んでいたそうだ。が、ウェザオールは容赦ない握手攻めに遭い、そして背中をまるめて〈FOUR〉に向かった。僕もウェザオールの後を追って〈FOUR〉に行った。
 〈FOUR〉では透さんがまわしている。ファンキーなテクノがフロアを盛り上げる。ボーダーシャツを着たウェザオールがブースに入る。そして"孤独な剣士"は、いかにも彼らしいエレクトロ調のイルなミニマルをミックスする。あれほどミニマルは嫌いだと主張していた二木もフロアで踊っている。ま、いっか。
 しばらく踊ってからドリンクを買いにバーに行くと透さんがいた。「二木君、DJにとってもっとも大切なものは何かわかるか?」、ゴッドファーザーのひとりはバカでかい声で若い音楽ライターに問いかける。「何でしょう?」「それはな......」、二木の目をじっと見つめて話している。「スケベ心だよ!」、80年代のNYのアンダーグラウンドを経験しているこのベテランは、いきなり本質をぶつける。二木の顔がこわばっている......。
 議論に熱中するふたりをよそに僕はふたたびフロアへ戻る。いやー、こんなに踊ったのってすげー久しぶりだ。楽しいね! そう思いながら......あれ、そういえば、一緒に来たはずの我が妻はどこへ? クラブ内を探し回ったがどこにも見あたらない。〈rajishan〉にでも行ったのかな?
 踊りながら、どんどん気になってきたので、ミニマルで踊る二木を強引に連れ立って〈rajishan〉に行く。時間は......たぶん、4時前だろう。

 〈rajishan〉ではいつの間にか五十嵐がまわしている。仕方ない、しばらく彼の濃厚なハウスを浴びるよう。しかし......うー、さすがにもう飲めないな......でも、レッドアイを一杯。カウンターにいるミックンもすっかり音にハマっているようだった。気がつくとDJの石川君がいる。いつの間に二木がまわしている。そしてKAKEIさんとのバック・トゥ・バックがはじまる。店内にはムードマンの姿が......。
 ミックン、もう一杯レッドアイを......で、このあたりから記憶が途切れていく......森藤もいたな......たしか......。気がつくとソファーの上で寝ていた。
 やばいやばい。「野田、もう一回、〈FOUR〉行かねーか?」......誰だ? 森藤か? わかった、待てよ、行きますよ......DJは二木とKAKEIさん。二木がヒップホップをかけるとKAKEIさんは実験的なダビーな音で返す。うー、頭のなかがどうにかなりそうだ......。それから〈FOUR〉に行ってもう一杯。悪徳の液体が身体から感覚を奪っていく......って、何をいまさら......もうとっくにそうだった。DJはまだウェザオールで、相変わらず彼はエレクトロ調のミニマルだった。ドッチー・ドッチー・ドッチー・ドッチー......フロアで東京からやって来た友人たちに遭う。おお、藤井君じゃないか、すげーな、みんな......俺は......もうダメかも......付き合いの悪い男だと思わないでくれ......胃のなかから生暖かいものが喉のあたりまで上がってくる......もうこれ以上フロアにいてはならない......地獄のような虚無感が襲ってくる、悪魔のように容赦なく......トイレの前には人が並んでいる......五十嵐にひと言断って店を出る。
 通りをふらついてコンビニに入って、お茶を買うかどうか考えた。考えても無駄だった、財布は妻が持っているのだ。自分のレコードバッグ、衣類がどこに置いてあるのか記憶を辿った......。あとは記憶力と逆流したがる胃酸とどっちが速いかの勝負だ......。そ、そう、じ、じ、じ、じぃぃぃぃ人生とは......。


 
 翌日の昼過ぎ、五十嵐から電話。「お疲れで~す! あのさ、あの後、〈rajishan〉でムードマンと透さんのバック・トゥ・バックがはじまっちゃってさ、もう最高! すごかったよ!」......48時間マラソンを完走したばかりのランナーは元気な声でそう言った。そうか、それは良かった。本当に良かったよ......お疲れさま、みんな......それから永遠のルーディーたち......。
 今回の話はこれでおしまい。これはきっと日本のいろんな町に転がっている話。こんどはキミが、キミの言葉でキミの町について語ってください。よろしくな、頼むよ。


 
 ダンス・カルチャーは街の夜に欠かせない光景となった。(略)昼の明るい光がいまだにかなえられない理想郷の夢を見ながら、夜は光り、揺らめき続けている。
         ――ティム・ローレンス『ラヴ・セイヴス・ザ・デイ』

#1:ベルグハインの土曜日 - ele-king

ベルリンのダンス・ミュージックの歴史、狂気、快楽、自由、そして懐の広さ......その全てが凝縮されていると言っても過言ではないクラブ、それがベルグハイン/パノラマ・バーだ。世界最高、現代のパラダイス・ガラージと称され、世界中のDJやクラバーたちが憧れる場所。これが存在していることが、ベルリンがどれほど特別な街なのかをよく物語っていると思う。

 以下は今年ドイツで出版された本、『Lost and Sound: Berlin, techno and the Easyjetset』からベルグハインに関する記述の一部を抜粋したものである。この本の英語翻訳版をベルリンのレコード・レーベル、Innervisionsが発売*するにあたり、Resident Advisorに掲載されたものを和訳した。行ったことのある人はうんうんと頷ける、行ったことのない人にはかなり妄想を掻き立てられる的確な描写なのでここにご紹介したい。

*英語版は限定のハードカバー(予定販売価格:22ユーロ)が12月15日にInnervisionsウェブショップといくつかのセレクトショップで、ペーパーバック(予定販売価格:14ユーロ)が2010年2月に全世界に向けて発売予定。

  正確には、土曜日とはいつのことを指しているのだろうか? ほぼすべてのクラブは深夜にオープンするのだから、常に土曜の夜のクラビングはすでに日曜日になっている。クラブに出かけるまでの時間は、どうにかして潰さなければならない ―― バーに行くなり、街をブラつくなり、家で待つなりして。1時前にクラブに到着してしまおうものなら、空っぽのダンスフロアに迎えられるだろうし、DJもこの時間に踊る人などいないことを良く知っているので、たとえ誰かがいたとしても踊らなそうな曲をプレイしている。そう、まだお客さんは中ではなく、外にいるからだ。外の行列に。

 これはどこのクラブでも変わらないことだが、〈ベルグハイン〉では特に顕著だ。行列は砂の地面にヘビのように長く伸びている。後方は建設現場用のフェンスで区切られ、前方のドア付近ではS字に組まれた鋼鉄の柵に囲い込まれていて、まるで違う国に入国しようとする人々の列のように見える。ある意味、彼らは違う国に入ろうとしているとも言える。一般的には、ドアの外で待たされる時間が長ければ長いほど、そのクラブの特別さが増すと信じられている。この考えは恐らく1970年代に、20世紀で最も有名なディスコテックだったニューヨークの〈スタジオ54〉に入るために並ばされていた人たちから継承されてきたものだろう。ここでもドアマンの恐怖政治によってセレブリティー、カネ、美、若さの見事なミクスチャーが形成されていたわけで、その影響は今も残っている。中に入れと手招きされるか ―― もしくはされなかった場合は、外に突っ立って見ることしかできない。そんな光景が一晩中繰り広げられることもある。誰に強要されたわけでもないのに待ち続けるのは、富と名声とセンスがナイトライフを支配する街で、人気が人気を呼ぶクラブに少しでも足を踏み入れたいという欲求があったからだ。

 しかし、ベルリンはそういった類いの街ではない。

 それどころか、こうした考えで90年代にクラブをオープンさせたプロモーターたちは皆大失敗に終わった。ベルリンでは、アート・シーンを除いて、カネとセンスは別ものだからだ。90年代以降、このシーンはかつて親密な関係にあったテクノ/ハウス・クラブから完全に離れてしまい、ただエキジビションのオープニングにだけはDJを欠かしてはならないという考えだけが残った。今日アーティストやギャラリー・オーナー、アート・コレクターに批評家たちは、ベルリン=ミッテ地区のレストランやバーで内輪に集まることを好んでいるようだ。またこの地区には、〈スタジオ54〉のドア・ポリシーを僅かに思わせる唯一のクラブもある。ウンター・デン・リンデンの〈クッキーズ〉だ。

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 〈ベルグハイン〉外の有名な行列に並んでいると、そんなあれこれが頭を巡るが、この行列が他の行列と決定的に違うのは全員が体験するという点だ。ゲストリストも存在するが、決して長くはないしそれ以上の重みはない。リストに載っていても待たなければならず、支払いが免除されるというだけである。行列を飛び越すことができるのは、その夜出演するDJとその取り巻き、そして極一部の〈ベルグハイン〉関係者だけだ。行列の進み具合にはほとんど影響がない。1時間の間に3~4組が通り過ぎる程度で、それ以上はない。彼らを眺めながら待つのだ。1時だろうが、朝の6時だろうが、待たされることに変わりはない。ときには行列半ばのところにドアマンが立っていることがあることがあるが、彼の役目は誰もが同様に見定められる〈ベルグハイン〉のドアにおいて、なぜか自分だけは例外だと思い込んでいるワナビーたちを追い返すことなのである。

「今夜は追い返されるんじゃないか?」

 このポリシーの徹底ぶりは、かすかにジャコバン派(フランス革命期の政党)の恐怖政治を連想させるものがある。女王だろうが農民だろうが、誰にでもその恐怖が降り掛かるからだ。つまり、ここのドアは何よりも第一に民主主義的なのである。それでいて第二に、何年間通っていようとも、行く度に自分に「今夜は追い返されるんじゃないか?」と問いかけ続けなければならない独断的な面もある。

 この疑問は〈ベルグハイン〉の行列の全員によぎるものだ。そわそわしないようにお互い注意し合っているカップルも、ベルリンのクラブ・ファッションを地元の雑誌で研究してきたかのようなイタリア人グループも。彼らは大振りのサングラスにこれでもかとアシンメトリーにしたヘアカットという、ニュー・レイヴ・ルックできめてきている。女の子たちはパープルのレギンスに毒々しいグリーンのトップス、男の子たちは脱アイロニック・スローガンがプリントされたTシャツを着ている。ある女性は追い返されるかもしれないという恐怖心からか、故郷のヴッパータール(ドイツ西部の町)のことを延々と喋っている。彼女が行列で知り合った2人のオランダ人男性は、何とか彼女との会話からフェードアウトしようと、たまに「んー」、「あー」と相づちをうつ。別の2人組の男は追い返された人たちを笑いものにしながらも、あまり声が大きいと今度は自分たちが同じ目に遭うと牽制し合っている。
 
〈ベルグハイン〉は建物自体が大聖堂を思わせる造りになっているだけでなく、実際にテクノの教会そのものだ。どこまでが意図的に仕組まれているのかは定かではないが、行列に並ぶところから儀式は始まっていて、ドアに近づくに連れてお腹の中に蝶が舞うような感覚を味わうことになる。前に並んでいる人たちが追い返されるのを見つめながら、入店条件を割り出そうと必死になる。大抵の場合はシンプルである。若い男性のグループは苦労することが多い。それが観光客で、ストレートで、さらに酒に酔っていようものならなおさら難しい。しかし、これはかなり大ざっぱな分析でしかない。入れなかった若者が「ファック・ユー、ドイツめ! このスカムどもが! 俺はウィーンから来たんだぞ!」と怒鳴るのを聞いて、みんな小さな声で笑う。

 パーティする相手は誰でもいいという訳にはいかない。だから、追い返された人たちに同情する者はいない。それと同時に、その独占権を得るためには、自分も追い返されるリスクを追わなければならないのだ。

 冷酷なドアマンとの関係性には期待と不安が入り交じる ―― 〈ベルグハイン〉までの道のりには、矛盾する様々な感情が駆け巡る。そう、それでいいのだ。クラブの中に最初の一歩を踏み入れた瞬間の解放感を味わうために、その緊張感があるのだから。入店の儀式は、次にレジ横のエントランス・エリアで行われる、念入りなドラッグ検査へと続く。清めの儀式だ。そしてお布施を納め、クロークルームへの通過が許される。その広々としたスペースにはいくつかのソファがあり、ポーランドの芸術家ピョートル・ナザンによる「The Rituals of Disappearance」(消滅の儀式)と名付けられた巨大な壁画がそびえている。

 照明がまた儀式の雰囲気をしっかり演出している。真っ暗な屋外から、薄暗いエントランス・エリアを通り、明るいクロークルームに入る。そして最後の敷居をまたぐと、低音が轟くホールはまた真っ暗なのである。ホールを横切って大きな鋼鉄の階段を登っていき、ダンスフロアを前に立って雷のような音を浴びると、何のために何時間もかけてここに来たのかわかっていても、毎回同様の鋭い衝撃を味わう。そして数秒、ストロボに目が順応しようとするまでの間、半減した視覚にしばし彷徨う。少し顔を殴られた時の感じに似ている ―― まだ素面状態の自分よりも、2時間ほど長くここにいたと思われる汗ばんだ身体をかき分けて自分の行く手を進まなければならないだけでなく、音楽の波動による身体的な攻撃も受けるからだ。

 まずは一杯飲もう。

 〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉には、合計6つのバーが全三階に渡って設けられている。ひとつは〈ベルグハイン〉のダンスフロアの右側、ゴシック教会の側廊のようなイメージの空間にある。かつての建築家たちが窓や細い柱の視覚効果を上手く使って天国との繋がりを強調したように、ここでもスポットライトの巧みな配置によって天井が実際以上に高く感じられる。もうひとつのバーはダンスフロアの左側、"ダークルーム"付近に隠れている。近くにある階段を上ると、〈ベルグハイン〉よりも少し小さくて明るめの〈パノラマ・バー〉がある。上の階はハウスでストレート、下の階はハードでゲイ、となっているのだ。

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「上の階はハウスでストレート、下の階はハードでゲイ、となっているのだ。」

 〈ベルグハイン〉には遅めか、場合によってはとても遅い時間に行く。ベルリンっ子は観光客のピーク時間を避けて、家で寝ながら朝8時まで待つこともある。そして長時間滞在する。そんな長い間自分が何をやっていたのか、思い出せないことがほとんどである。それはその間に摂ったかもしれない気分を変えるお薬やおやつの影響だけでなく、〈ベルグハイン〉特有の時空間に入り込んでしまったからだ。他のクラブの場合は、中に入ってしばらく滞在したら、また他の場所に移動する。だが、ここではみんな残る。外の世界は消滅してしまう。〈ベルグハイン〉に入ると、地図上から消えてしまうのだ。ここは、その意思がある人だけが来る場所。何百人という完全に出来上がったパーティ・ピープルが盛り上がっている中で自分だけが素面だと、置いて行かれたような気分になることもあるだろう。これほど巨大な ―― 多い日は延べ3000人以上が入場する規模のクラブでは、なおさらだ。その一方で、それぞれに完璧に調和のとれた各スペースでは、まるで自分の家のような ―― というと言い過ぎだが、「魚の水を得たるが如し」とでも表現すべき居心地の良さがある。何しろ、みんな自分の家とは違うからこそここに集っているのだから。

 写真撮影は〈ベルグハイン〉内では許されず、携帯のカメラでさえも禁止されている。理由を尋ねたところ、多くのお客さんは自分のセクシャル・ファンタジーを実体験しているところを撮られたくないからだ、とドアマンは言っていた。それもあるだろうが、それ以上に写真は中と外界とを繋ぎ、外の世界を思い出させてしまうからだろう。〈ベルグハイン〉ほど外界を切り離すことに成功したクラブはない。外では太陽が空高く昇っていようとも ―― 常に店内は早朝の薄暗さに覆われているようなのだ。

 もちろん、ここでは暗い隅っこでなければできないことをしている人たちもいる。ここに来たことがある人ならみんな、バーでセックスをしている人を見たことがあるか、話には聞いているはずだ。もしくはソファーで。あるいはダンスフロアの横で。より露骨なセックス・パーティは隣接する別の店、〈ラボラトリー〉で(広義のゲイに含まれるあらゆる性的趣向に合ったテーマのイベントが夜な夜な行われている。「Yellow Facts」に「Fausthouse」、「Beard」に「Slime」、バイカー専用のパーティ「Spritztour」まで)開かれているが、〈ベルグハイン〉内にも"ダークルーム"がふたつ存在する。そしてその中では、あらゆる抑制から解放され、あんなことやこんなことが繰り広げられているという話がいろいろある。

 しかし、これら〈ベルグハイン〉の逸話のほとんどは、こんな変な人がいたとか、こんなにぶっ飛んだ人がいたといった体験談ばかりだ。誰かが別の誰かと一緒にトイレの個室に入り、その後極端に気分が良くなって、あるいは悪くなって出て来たとか。だいたいのエピソードは2~3日は笑いのタネになるようなものだが、ちょっと笑えないものもある。

 いずれにせよ、こうした物語は勝手に広まっていく。〈オストグート〉(同じオーナーが経営していた〈ベルグハイン〉の前身となったクラブ)や〈ベルグハイン〉に何年も通っているような常連は、逸話が次々と生み出されては、このクラブの伝説を塗り替えていることを実感しているはずだ。大勢がその週末の出来事を振り返っては話題にし、誰かがこんな体験をした、自分はどんな光景を見た、あんな話を聞いていたが実際にはこうだった、といった会話があちこちでされている。物語の数々が繰り返し話題となり、強調され、膨れ上がり、検証され、説明されていく。そして、みんなお互いにこんなことばかり続けていてはダメだよねと言い合いながらも、密かに次に行く機会を待ちわびるのだ。

 これらはクラビングにまつわる当たり前の物語で、他のクラブでも起こることばかりだ ―― ただし、ここ以外の場所では現実世界に戻るのが日曜の夕方5時ということは滅多にない。他と異なるのは、これらの物語が常に〈ベルグハイン〉そのものの話題性を築き上げているところである。〈ベルグハイン〉のダンスフロアでパートナーに拳を突っ込んでいた男は、二の腕にセンチメートルの目盛りを入れ墨していたとか。友人ががトイレで出会った見知らぬ女は、彼を見るなり「今すぐファックして、早く」と言ってきたが、気が進まなかったので断ったらパンチをくらわしてきて何日も目の周りのアザが残ったとか。あるいは、ある男がトイレで小便をしていると、隣に立っていた男がいきなり丸めた手のひらでそれを受け止め、飲み干したかと思うとまた消えて行ったとか......「せめて一言断ってからにして欲しいよね!」といった具合に。

 〈ベルグハイン〉の伝説はそうやって築き上げられ、維持されている。さらに、そうした話題はベルリンの電話ネットワークを遥かに超えた規模に広がっている。体験談がニュースグループで議論され、中国からの発言がストックホルムやミラノにまで伝わる。メルボルンの人たちの耳にも届いていたりする。『New Zealand Herald』紙がベルリンにはダンスフロアでセックスするのが当たり前だというクラブがあるらしいと書き立てたかと思えば、それを読んだ何人かのニュージーランド人がベルリン行きの航空券を予約するのだ。

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"調子のいい夜の〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉のダンスフロアは、世界で一番だ"

 伝説を築くという意味においては、それらの出来事が本当に起こったことなのか否かはさほど重要ではない。そんな逸話が存在し、語り継がれているというだけで十分なのだ。

 そして〈ベルグハイン〉は〈バー25〉ともまた違う。シュプレー川のほとり、カラスが飛び交える数百メートル程度しか離れていない距離にあり、ここも奔放なパーティ伝説が先行している場所ではあるが、〈バー25〉はさらにエクストリームでグロテスクだ。ある逸話では、女の子が芝生に寝転び、自分の携帯をヴァイブレーター代わりに使って「ヴァギナ会話中! ヴァギナ会話中!」と叫んでいたとか。それと比較すると、〈ベルグハイン〉の営みはまだ文明的に思える。確かに〈パノラマ・バー〉の横にある金属製の棚スペースのところでセックスする人たちは存在する。でも、基本的にここに来ている人たちは自分の行動をわきまえているのだ。もしくは、ちゃんと一言「ごめんね、しばらくどうでもいいことを喋りたいんだけど、いいかな?」と断りを入れる礼儀を持ち合わせている。

 そう言ってもらえれば、我慢するのもそれほど苦にならない。

 中を歩き回ってみて、あちらやこちらで何が起こっているか把握しつつ、一杯飲み、トイレに行って〈パノラマ・バー〉背後の小便器越しに、窓の外の荒れ地に奇妙に伸びた行列を眺める。知り合いや、全くの他人や、多種多様な人々に会う。バーで順番を待っていると、20代前半のフランス人青年が、モンペリエでテクノDJをやっている自分にとってベルリンに来ることは、イスラム教徒がメッカに巡礼するようなものだと説明してくる。階段では半裸でスキンヘッドの大男が、笑顔でこんなクラブは他にない、「ロシアでさえも」と話しかけてくる。ダンスフロアの隅っこでは、数週間前に途絶えていたダブ・レゲエについての議論がまた始まっている。

 そして、踊る。

 調子のいい夜の〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉のダンスフロアは、世界で一番だ。ハウスとテクノ20年の歴史の集大成を作り上げているかのように。客の音楽的理解も素晴らしいが、盛り上がってくればそんなこととは無関係に思いっきり楽しむという姿勢もあるところがいい。その客層のユニークさは、ゲイとストレート、若者と年配者、男性と女性、ベルリンっ子と観光客といった多文化が混在しているというだけではなく、独特のダイナミズムをもたらす能力にある。ベルリンのテクノのベテランたちに埋め尽くされたダンスフロアでは、みんなパーティを知り尽くしている。だから、DJが8ビートのブレイクを挿んだ後にベースをぶち込んでも、期待通りの熱狂が得られないこともある。このようなトリックは聴き慣れているからだ。これが、初めて〈ベルグハイン〉に来て思いっきりはしゃいでいる若きゲイのイタリア人相手だったとしたら、トリックの善し悪しなどはどうでもいい ―― 毎回必ず盛り上がってくれるはずだ。でも、そうした客のバランスが素晴らしいのである。何年もかけて形成された、どのDJに何を期待すべきか知り尽くしたダンスフロアに勝るものはないが、場合によっては通常のパターンを打ち破る柔軟さも備えているのだ。

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「ドアマンに別れの会釈をしてしまうのは、
何か彼らに恩義があるような気持ちになるからだ」

 そして、目の前に霧がかかったようなおぼろげな意識の中、エレクトロニック・ダンス・ミュージックにおける行動学があることを確信することになる。それはダンスフロアにおける人々の関わり方に表れているのがわかる。ここでは行動をわきまえ、自分のスペースを確保し、他者の邪魔にならないよう気をつける。これらは自らの経験で学んでいくことで、誰かが教えてくれることではない。

 心得ておかないと、かなり強烈な憎悪を向けられる瞬間がある。例えば、ドアからバーへの最短距離がダンスフロアを横切るルートであると思っている集団に押しのけられたとき。もしくは、踊りながらどうしてもタバコも吸わなければならないと思い込んでいる隣の男に、腕に根性焼きされたとき(残念ながら、今では喫煙室以外の場所では喫煙することができなくなってしまったが)。あるいは、人を押しよけてまでそのスポットで踊りたいという欲求をコントロールする経験を持たない2人組の男が目の前で踊りはじめ、しかもしばらくして別の場所に移ったかと思えばまた戻ってきて、押しよけてきたとき。

 このような状況下に置かれたとき、クラブにもある種のグッドガバナンスの必要性を感じる。優れたダンスフロアでは、そこにいる全員が、どんな状態であれ自分が何をやっているか把握している。好きなだけ酔っぱらい、ぶっ飛んでいても、周囲に対するリスペクトは失わない。スペースが足りなくても、みんなが必要以上にスペースを取り過ぎないことを暗黙の了解としている。

 ここで踊っていると、そんなことを意識するのである。

 〈ベルグハイン〉と〈パノラマ・バー〉では、他のクラブとは異なる次元の高揚感がある。パーティの山場は、日曜の午後まで上がり続ける。これは、パラレル社会のような世界がクラブ内に作り上げられていることと関係している。ここでは、外の世界を完璧にシャットアウトすることに成功している。それどころか、パーティを盛り上げる刺激として、それをエフェクトとして活用しているのだ。〈パノラマ・バー〉の照明係が窓のブラインドを数秒感開け、太陽の光でフロアを照らすと、ダンスフロアが高揚感の波に飲み込まれるのを身体で感じることができる。人々が喝采し、両手を振り上げると ―― あまり急激に太陽の光をあて過ぎると世界が消滅してしまうんじゃないかという気になる。ヴァンパイアのように、客が全員灰になってしまうんじゃないかと。

 でもいつかは、終わりがやってくる。何しろ、〈ベルグハイン〉はクラブであって、アフター・パーティの会場ではないのだから。クロークに行って、タグを手渡す ―― これも細かい気遣いがよく表れている部分だ。他の店のような番号の書かれたチケットではなく、紐の付いた金属製のタグになっているので、首から下げたりどこかにくくり付けておくことができるのだ。だから店を出るときがどんな状態であれ、必ずコートを返してもらうことができる。ここではそういったところまで考え抜かれているのである。そこまで落ち着いた精神状態の人ばかりではない状況下では、とても重要なことだ。

 そして、ドアから光の下によろめき出る。ドアマンに別れの会釈をして ―― 彼らと知りだからというわけではないのだが、何か彼らに恩義があるような気分になってしまうからだ。その一晩の終わりを締めくくるような動作が欲しくなるのだ。周りを見渡し、新鮮な空気を肌に感じ、自分がどれほど汗をかいていたのか実感する。耳の奥のかすかな残響が小鳥のさえずりや、その辺りでビールを飲みながらお喋りしている人々の声や、建物から僅かに漏れてくるサウンドシステムの音が聴こえている。

 やっと家に帰る時間だ。それとも、〈バー25〉に寄って行こうか。

トビアス・ラップ
著者について

この記事は、トビアス・ラップの素晴らしい著書、『Lost and Sound: Berlin, techno and the Easyjetset』からの抜粋である。複数の短い章から成る本著書では、ラップはベルリンのクラビングの歴史を掘り下げ、客観・主観両方の観点から詳細に取り上げている。それも、彼のジャーナリストとしての経験に裏付けられたもの。この本の執筆中、現在38歳の彼は左傾の日刊紙『taz』の音楽エディターだった。英語版の紹介文の表現を借りれば、彼は「年老いたロッカーやアンダーグラウンド・トレンドを興味本位で追いかけるブルジョワとは一線を画す」視点で原稿を書ける人物だと評価されている。本著の成功と『taz』紙での仕事ぶりが認められ、現在ラップはより大きな舞台、ドイツで最も高い売上を誇るニュース雑誌『Der Spiegel』で、ポップ・ミュージック・エディターとして活躍している。

Flashback 2009 - ele-king

■ドラムンベースは、リアル・アンダーグラウンド・ミュージックそのものだった

 2009年を代表する作品といえば『Sub Focus』だ。このアルバムがシーンにもたらした功績は計り知れない。プロディジーが先導した初期レイヴ・シーンの影響をフラッシュ・バックさせるかのような"恍惚的な"インスピレーション、類まれなるプログラミング技術によるダンス・ミュージック本来の軸、まさに"あるべき姿"を体現しているサブ・フォーカスは現代のプロデューサーの最高峰に位置すると言っても過言ではない。そう、これが皆が思い描いた現代のレイヴ・ミュージックの夢であり、すなわち、それが"エクストリーム・レイヴ・ドラムンベース"なのだ。

 そのサブ・フォーカスと双璧をなすかのようにアルバムを待望されていたダーク・サイバーの伝道師、エド・ラッシュ&オプティカルがダーク・サイドという名の観点を貫く大作『Travel The Galaxy』を発表した。前作『Chameleon』から3年ぶりとなる今作もエレクトロニック・ダーク・ドラムンベースの最先端を走る話題の作品となって、近年のダーク・サイバー/ニューロ・ファンクの急先鋒として捉えられていたオーストラリア/ニュージーランドのアーティストたちにも多大な影響を及ぼすことになった。

 オセアニア地区ではドラムンベースのシーンが年々活発化している。オーストラリアのパースが誇るモンスター・ドラムンベース・バンド 、ペンドラムが世界を席巻しているのは記憶に新しいが、同じくパース出身のショック・ワン(SHOCK ONE)やフェスタ(PHETSTA)、レギュラ(RREGULA)などの才能溢れる若手プロデューサーも台頭している。オセアニアは2009年のエレクトロ/ニューロ・ファンク、ドラムンベースのムーヴメンにおける主要拠点にまで成長しているのだ。

 ちなみに2009年は、ショック・ワンのメイン・リリースでもあるリバプールのレーベル、フューチャーバウンド(FUTUREBOUND)の主宰する〈VIPER〉が、エレクトロ・ドラムンベース・コンピレーション『Acts Of Mad Men』をリリースしている。すでにこれは最高傑作の呼び声高い。『Acts Of Mad Men』には、ショック・ワンの他に〈BREAKBEAT KAOS〉から傑作『Act Like You Know』を発表し、ダブステップ・アーティストとしても知られている奇才ネロ(NERO)、ブルックス・ブラザーズ(BROOKES BROTHERS)との共作『Drifter』が記憶に新しいリキッド・ローラー、ファーロング(FURLOUNGE)、〈VIPER〉におけるエレクトロの異端児メトリック(METRIK)、オーストリアの新世代カモ&クルックド(CAMO & KROOKED)等々、こうした若手プロデューサーを起用したところにレーベル未来が見える。そして200年は、レーベル主宰者であるマトリックス&フューチャーバウンドマスターが「Fallin'」などの素晴らしいシングルで、プロデューサー並びリミキサーとして大活躍した年でもあった。

 ドラムンベースの本国UKでは様々なジャンルとの交流が活発した年でもあった。ドラムンベースが初期から持っているハイブリッドかつフレキシブルに交感し合うタクティクスが再燃したのだ。ダンス・ミュージックの固定観念に一石を投じる"付加価値"がより多く見受けられた。それは、UKアンダーグラウンド・ミュージックの最先端をひた走り、リードするダブステップとの交流によってより顕著に表れている。ドラムンベースが共存の道を選ぶことはシーンの活性化を思えば必然的行為で、ダブステップのほうでもまたドラムンベースの背中を追いかけている。このように、影響を互いに吸収しあって、グローアップしたからこそ、ふたたびビック・ムーヴメントに発展しようとしているのだ。

 そもそも、このふたつには互いに"雑食性"としてのリレーションシップがある。そしてその雑食性こそ、UKアンダーグラウンド・ダンスミュージックの特性だ。だから当然の成り行きとも言える。ドラムンベース界のビッグ・レーベルである〈RAM〉や〈BREAKBEAT KAOS〉、あるいは〈DIGITAL SOUNDBOY〉や〈HOSPITAL〉までもがダブステップのリリースを活発化させている。これによってチェイス&ステイタス(CHASE & STATUS)やネロ(NERO)、ブリーケイジ(BREAKAGE)などいったふたつを行き来する新しいタイプのスター・プロデューサーも数多く生まれたのである。

 ドラムンベース界のトップ・リキッド・ファンク・レーベル〈HOSPITAL〉からもエレクトロ色をふんだんに盛り込んだニュー・コンピレーション、『Sick Music』が世に送り出されている。これは時代性を見据えた内容によって大ヒットとなった。ロジスティックス(LOGISTICS)のニュー・アルバム『Crash Bang Wallop!』も驚異的なクオリティだった。〈HOSPITAL〉は相変わらず、素晴らしく刺激的なリリースを続けている。

 2009年は、メインストリームのドラムンベースとは一線を画したもうひとつの"トレンド"も生まれた。ディープでアトモスフェリックで知的なそのシーンは、いまやまるで成熟した果実のようである。その代表は、カリバー(CALIBRE)による『Shelf Life Vol.2』(Signature)、リンクス(LYNX)による『Raw Truth』、コミックス(COMMIX)や〈SHOGUN AUDIO〉クルー......。かつてLTJブケムが提唱した"アートコア"という異端的な感覚は、レイヴ・ジャングル/ハードコア・ジャングル全盛のいまではそのサブジャンルとして展開しているのだ。こうしたシーンは、どちらかと言えば、お決まりのパターンに陥りやすい作曲や、DJのスキルばかりが評価されがちなドラムンベースにおいて、マンネリズムを免れるべく、つねに刺激的なアイデアを出している。いわばシーンの陰の功労者的な動きである。

 すっかり停滞してしまったクラブ・ミュージックにあって、ドラムンベースはいまだに変化や展開が起きているシーンだ。このジャンルがいまでもまだ、まるで終わりなき道をひた走るように走っていることを再認識させられた1年でもあった。ドラムンベース/ジャングルの革新者たちが訴え続ける一体感がもっといろんな場面でもその意義が認められて、またさらなる発展を求め、いつかまた初期のレイヴ・シーンのように劇的に躍動することを願っている。

■DRUM&BASS 2009

SUB FOCUS/Sub Focus(RAM)
ED RUSH & OPTICAL/Travel The Galaxy(VIRUS)
V.A./Acts Of Mad Men(VIPER)
AGENT X FT.MUTYA & ULTRA/Fallin -MATRIX & FUTUREBOUND RMX/SHOCK ONE RMX- (VIPER)
CONCORD DAWN/Take It As It Comes(UPRISING)
DJ FRESH FT STAMINA MC & KOKO/Hypercaine(BREAKBEAT KAOS)
ZARIF & DANNY BYRD/California(FULL ENGLISH)
V.A./Sick Music(HOSPITAL)
DRUMSOUND & BASSLINE SMITH/10 Years Of Technique(TECHNIQUE)
GOLDIE & COMMIX/Envious(METALHEADZ)
CALIBRE/Shelf Life Vol.2(SIGNATURE)
SPOR/Aztec(SHOGUN AUDIO)
LYNX/Raw Truth(SOUL:R)
ORIGINAL SIN/Grow Your Wings(PLAYAZ)
SERIAL KILLAZ/Mash You Down(GANJA)

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■"プログレス"こそ、いまのダブステップを象徴するキーワードだ

 南ロンドンで産声を上げたシーンは現在、もっともホットで最先端なジャンルとなった。当時これほど大きなムーヴメントになると誰が想像してただろう。

 2009年のダブステップにおける、ミニマル・サイドには2枚の大きなリリースがあった。2枚とも革新と確信の両方を秘めたエポック・メイキング的なものだった。マーティン(MARTYN)による『Great Lenghs』、2562による『Unbalance』だ。マーティンは、元々はドラムンベースのプロデューサーだった。マーカス・インタレックスが主宰する〈SOUL:R〉のサブ・レーベル〈REVOLV:ER〉や〈PLAY:MUSIK〉からのリリースを重ねているが、いまではすっかりダブステップのアーティストとして人気が出てしまった。実際、彼の才能を遺憾なく発揮したのが『Great Length』だった。それはパーカッシブかつハイブリッドな次世代のダブステップで、『MIXMAG』誌の「TOP50 ALBUM OF 2009」にも選出されるなど、実に広く賞賛されたアルバムとなった。

 2562=デイヴ・ハイスマンス(DAVE HUISMANS)、この空間音響処理系天才オランダ人にはいくつかの顔がある。2562ではミニマル・ダブステップ、ア・メイド・アップ・サウンド(A MADE UP SOUND)名義では漆黒のビートダウン、ドッグデイズ(DOGDAZE)名義ではブロークンビーツ/ブレイクビーツ。彼はこのように、自分の音楽性を面白いように使い分けている。彼はそのメイン・プロダクションである2562は、ベルリン・ダブとダブステップの融合を実現したと評された1stアルバム『Aerial』から1年後の2009年に発表されたセカンド・アルバムで、さらに研ぎすまされた硬質なビートスケープを見せつけた。まさに2009年の象徴的存在のアーティストだ。

 ミニマル・ダブステップもうひとりの異端者、ダークヒーローことシャックルトン(SHACKLETON)も忘れてはならない。彼はアップルブリム(APPLEBLIM)とともに〈SKULL DISCO〉レーベルをスタートさせ、クリック/ミニマル界のスターリカルド・ヴィラロボスによってリミックスされた「Blood On My Hands」で異例のカルト・ヒットを実現し、そして瞬く間にファンを増やしている。その後レーベルを〈MORDANT MUSIC〉に移すと同時に、活動の拠点もベルリンに移している。そして、あのクリック/ミニマルの最重要レーベル〈PERLON〉から驚愕のダーク・ベースラインが唸る独創的ミニマル・ビーツ・アルバム『Three Eps』をリリースしたのである。

 数年前のダブステップのシーンはまるで初期ドラムンベース/ハードコア・ジャングルのシーンのように大きくふたつに分類するに過ぎなかった。そう、ダークサイバー・ドラムンベースとアートコア・インテリジェンスのふたつのように。だが、そこからサブジャンルがいくつも生まれたのは周知の通りで、ダブステップにも同じことが起きている。いまはすごいスピードで多様化しているのだ。2009年の傾向のひとつに、4つ打ちを取り入れた作風が目立った。その象徴がスキューバ(SCUBA)の「Aesaunic EP」(HOT FLUSH)やラマダンマン&アップルブリム(RAMADANMAN & APPLEBLIM)の「Justify RMX」だ。また、ジョイ・オービジョン(JOY ORBISON)などのUKガラージから派生したポスト・ガラージ・アンセムの「Hyph Mngo」やアントールド(UNTOLD)による「Gonna Work Out Fine EP」のようなミニマルの静寂性とUKガラージの高揚感を混合し、効果的にハイブリッドさせたまったく新しいサウンドも生み出された。マーラ(MALA)の〈DEEP MEDI MUSIK〉からは美しくも繊細なシルキー(SILKIE)の『City Limits Vol.1』がアーバン・アートコア・ダブステップとしての歴史的傑作となった。

 ダブ・カルチャー/ジャングル・シーンにおいての聖地ブリストルでもダブステップは発展を遂げている。ロブ・スミスがRSD名義で『Good Energy』(PUNCH DRUNK)をリリース。ピンチ(PINCH)が自身のレーベル〈TECTONIC〉から発表した『Tectonic Plates Volume 2』も話題となった。フライング・ロータス、マーティン、2562......はたまたスクリームやベンガといったメインストリームの怪人たちや、ブリストルのウォブリー・マスターであるジョーカー(JOKER)、あるいはベルリンのミニマル・レーベル〈OSTGUTーTON〉のシェド(SHED)といった幅広いメンツが参加している。そして〈PUNCH DRUN〉を主宰するペヴァーレリスト(PEVERELIST)が満を持して1stアルバム『Jarvik Mindstate』を発表。スライトリー・ダブとしての観点からきらびやかなコズミック感覚やミニマル感覚を注入し、なんとも素晴らしい先品が誕生したものだ。

 ウォブリー・ダブステップに話を移そう。スクリームがドラムンベースのビック・レーベル〈DIGITAL SOUNDBOY〉から、まるでロブ・プレイフォードの2バッド・マイス、そう、〈MOVING SHADOW〉さながらの初期レイヴ・ジャングルなアーメン・ビートを用いた「Burning Up」をリリースしている。もちろんこれはダンス・アンセムとなった。いっぽう、ベンガは「Buzzin'」(TEMPA)をリリース、ウォブリー・アンセムとなり、その健在ぶりを知らしめた。この両雄の活躍がシーンの生気を確認させ、また、ふたりの底力をみせつけたとも言えるだろう。

 その両雄とも並ぶとも劣らない活躍を見せたのがブリストルのジョーカーだった。ミニストリー・オブ・サウンド主宰のレーベル〈DATA〉やメジャー・レーベルのリミックス・ワークを立て続けに発表したジョーカーには、今後も大注目である。そして、忘れてはならないのがコード9(KODE 9)の〈HYPER DUB〉からレーベル5周年を記念してリリースされた12インチのシリーズ「Hyperdub 5.1~5.5 EP」だ。その先進的サウンドは、縦横無尽に動き回るダブステップ本来の雑食感が詰まっている。いわばダンスフロア・シンフォニーとしてのオルタナティブ・ダブステップだ。

 2009年は、さまざまなドラムンベースのアーティストがダブステップへと転身した。数年前、その先駆けとなったのが、もともと〈RAM〉でリリースしていたサイバーステッパーのエディ・ウー(EDDY WOO)である。彼は現在、セヴン(SEVEN)名義でダブステップ・プロデューサーとして良質かつキャッチーなトラックで、フロアヒットを飛ばしている。他にも、自らドラムンベースのレーベル〈DEF COM〉を主宰し、ダークコア・ステッパーの区リプティック・マインズ(KRYPTIC MINDS)、アーメン・マスターであったブリーケイジ(BREAKAGE)、〈NON PLUS〉のインストラ:メンタル(INSTRA:MENTAL)らも、現在トライバル・ステップ・リーダーとして活路を見いだし、その存在意義を証明している。

 そして〈RAM〉からの大ヒット・アルバム『More Than Alot』も記憶に新しいドラムンベースのプロデューサーとしてはトップに君臨するチェイス&ステイタス(CHASE & STATUS)やネロ(NERO)が、ダブステップ・アンセムからリミックス・ワークまでをもこなし、なおかつビック・チューンを生み出せる数少ないマルチ・プロデューサーとして注目されている。

 UKレイブ・カルチャーの象徴であるドラムンベースの雑食性を見事に受け継ぎ、90年代初期から中期にかけてのレイヴ・ジャングルさながらの熱狂と凶暴性も兼ね備えた、まさに21世紀の代表的クラブ・カルチャー/ムーブメントに成長したダブステップ。先進的エレクトリックなプログラミング、他の追随を許さない圧倒的な雑食性を武器に、すべてを飲み込む貪欲さが他との類似性を拒み、柔軟な思考回路とともに歩む最先端サウンド。この先も予想不能なミステリアスに包み込まれた、誰も想像できない可能性に満ちた音楽性でもある。これが現在のダブステップのすべてだ。この魅惑的なリズムは音を変え続けていく。未来である明日にも、すぐに。

■DUBSTEP 2009

MARTYN/Great Lengths(3024)
2562/Unbalance(TECTONIC)
SHACKLETON/Three Eps(PERLON)
SCUBA/Aesaunic(HOT FLUSH)
RAMADANMAN & APPLEBLIM/Justify(APPLE PIPS)
ELEMENTAL/Messages From The Void(RUNTIME)
JOY ORBISON/Hyph Mngo(HOT FLUSH)
UNTOLD/Gonna Work Out Fine EP
PEVERELIST/Jarvik Mindstate(PUNCH DRUNK)
PINCH FEAT.YOLANDA/Get Up -RSD RMX-(TECTONIC)
SILKIE/City Limits(DEEP MEDI MUSIK)
INSTRA:MENTAL,BREAKAGE/Futurist,Late Night(NAKED LUNCH)
KRYPTIC MINDS/One Of Us(SWAMP 81)
SKREAM/Burning Up(DIGITAL SOUNDBOY)
V.A./Hyper Dub 5.1~5.5 EP(HYPER DUB)
BENGA/Buzzin'/One Million(TEMPA)
LEE PERRY WITH SAMIA FARAH vs KODE 9/Yellow Tongue(ON-U)

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■ベース・ミュージックにおける色気、UKファンキー

 ファンキーはUKガラージから派生し、変容を遂げたコンテンポラリー・ソウル・ダンス・ミュージックである。それはラテン、アフロビート、コンテンポラリー・R&Bを吸収したニュー・ガラージ・サウンドだ。この目覚ましい発展のフロントラインには、コード9が仕掛けた「Black Sun」がある。そして同じく〈HYPER DUB〉のフィメール・プロデューサー、クーリー・G(COOLY G)によるドリーミーかつムーディーなアトモスフェリックが心地よいトリッピーな「Narst/Love Dub」。この2枚がシーンの拡大に多大な貢献を果たすこととなる。

 新星ロスカ(ROSKA)による「Twc EP」のリリースも忘れがたい。彼はゼド・ビアス(ZED BIAS)の「Neighbourhood -ROSKA 2009 RMX-」の成功によってシーンの代表的なアーティストとしてすでに認知されている。そしてドネーオー(DONAE'O)がUKアーバンにおける至高のガラージ・アルバム『Party Hard』でUKファンキーとしてのデビューを飾った。さらにUKガラージ/2ステップ界のスター、MJコールがUKファンキーを本格化させるなど、フレッシュな話題が続いている。

 大御所のジンクがドラムンベースを離れて早数年が経過し、現在、"Crack House"と銘打ったモダン・アーバン・エレクトロ・ハウスの提唱者として各地での布教活動に勤しんでいる。タイトル名「Crack House EP」は、もともとは初期の〈BINGO BEATS〉のアーティストたちがトラック・メイクしていたハーフ・ステップ主体のベースライン・サウンド直系のもので、現在のクラブ・シーンのトレンドであるエレクトロ、フィジット・ハウス、ダブステップ、ブレイクスなどをハイブリッドにミクスチャーしたファンキーなダンス・ミュージックだ。ブレイクステップのテイストまで取り入れた4つ打ちのダンスフロア・アンセムとして、UKファンキー/ガラージ界から、さらに広くエレクトロのシーンにまでその名を轟かせているジンクはやはり生粋のベース・マスターであり、いつかまたドラムンベースに復帰することを願っている。

■UK FUNKY/CRACK HOUSE 2009

ZINC/Crack House EP(BINGO BASS)
FLORENCE & THE MACHINE/You Got The Love -JAMIE XX REWORK FT THE XX- (FLOXX)
COOLY G/Narst , Love Dub(HYPER DUB)
KODE 9/Black Sun(HYPER DUB)
ATTACCA PESANTE FT SHEA SOUL/Make It Funky For Me(DIGITAL SOUNDBOY)
ROSKA/Twc EP(ROSKA KICKS & SNARES)
V.A./Fantastic 4 EP(FANTASTIC 4)
ZED BIAS/Neighbourhood -ROSKA 2009 RMX-(SIDESTEPPER)
DONAE'O/Party Hard(MY-ISH)
MJ COLE FT.DIGGA/Gotta Have It -MJ'S FUNKY DUBB-(PROLIFIC)

七尾旅人×やけのはら - ele-king

 4つのリミックスを加えたかわいいファンク集。意外な組み合わせと思ったが、ふたりは以前からの友人同士という。たしかふたりとも、清志郎ファンじゃなかったかな。

 何気ないラヴ・ソングといえばラヴ・ソング。けれども清志郎の歌みたいに"彼女"の形が前面に出てくるようなものでなく、街という背景があって、僕と恋人が絡みあってそこを転がっていく。レコードが回り、グルーヴがすべてのふたりきりの世界であって、同時にふたりを飲み込もうとする世界(「運命」)がある。直接ふたりを搾取するわけではない、もっとその茫漠とした、ふたりの、僕の、不安や不幸も幸福も否応なくそこと関らざるを得ない世界への意識がある。たぶんそういうところが、清志郎のラヴ・ソングとは違うところではないか。けれども、にもかかわらず、僕もふたりも幸福そうで、ストリート・カルチャーを通過した以降のごく普通の感覚のようにも思える。

 「朝よ来ないで」という"最後のつぶやき"は決して適うことはないけれど、そのつぶやきこそふたつの世界の拮抗点だ。「朝よ来ないで」。このつぶやきを何度感じたことだろう。最終電車が入口となる、たとえば朝がきたからといって行くべき場所なんかない人間たちの世界ののんきさと寂寥感と不安と快楽に満ちた"幸せ"な時間はいつもすぐに終わって朝が来て、朦朧としながら重い足を持ち上げ駅の階段をもういち度登る。数年前に感じていた、社会と接点がないという接点というような感覚が、ストリートにはあったように感じていた。私はその空気がとても好きだった。その好きだった空気が、やけのはらの少し拙いようなだるいようなラップもふくめて、"Rollin' Rollin'"にはある。たとえばそれは、フィッシュマンズの"新しい人"とはまた違う夜明けの迎え方なのだ。

 リミックスのメンツは、複雑なリズムが出色のCherry Boy Function、せわしなさが刹那的な切なさを煽るようなSKYFISH、うってかわって川辺ヒロシのレイト・サマー・フィールド・ミックスがその際限のない終わらなさを問いかける。ラストはオリジナルのアレンジも担当したDollianのゆったりしたドラムンベース。同じ曲が5回も繰り返されること自体が歌詞の言葉とも絡みあっているかのよう。

 いちばん好きなこのフレーズを返したい――「Rollin' Rollin' 回り続ける 君(たち)のかわいい考えが Oh Sorry Darlin' 君と二人 坂を登り 坂を下る」。

Flashback 2009 - ele-king

DJはいまや渡り鳥のように全国をまわっている。吟遊詩人のように旅を続ける。まるでフウテンの寅さんのように列車に揺られている。ベテランDJの高橋透が、1年を回想する!

1976年からDJ活動をはじめ、1980年にNYへ移住、1981年に一時帰国、〈椿ハウス〉、〈玉椿〉、〈CLUB-D〉などの80年代を代表する箱のメインDJを務める。1985年にNYへ戻り、DJとして活動する。1989年に帰国。その後も芝浦〈GOLD〉でのレジデントをはじめ、数多くのクラブ、パーティに関わる。現在は宇川直宏、MOODMANと主催するディープ・ハウスパーティ〈GODFATER〉のひとりとして活躍。ミックスCDとして『GODFATHER 10th ANNIVERSARY SPECIAL MIX VOL.1』、また自身の半生を綴った著書『DJバカ一代』がある。

  有名アナログ店舗の相次ぐ閉店にはじまり、日本のクラブ・シーンを長年牽引してきた老舗クラブ〈YELLOW〉のクローズ、音楽専門誌やカルチャー誌の激減など、2008年から2009年にかけてクラブ・シーンを取り巻く環境が大きく変化し「この先この業は大丈夫なのか?」って考えさせられた年初めではありましたが、終わってみれば「さほど心配する必要がなかったのか」って、例年通り数多くのパーティーが各地で開催されていたし、仲間内でのいつも通りのパーティ談義やイヴェントの評判を直接聞いたりネットで見たりね。今年の後半にはメディアもクラブもアナログ店も来年に向けて活発な動きがあることも知り、例の「サイバーノリピー事件」を除いては少しもネガティヴな状況じゃないのかな、っていうのが実感です。

  2009年を振り返ると、個人的には長年行きたかった沖縄を初体験できたことがまず嬉しかった。呼んでくれた友人ミーパンやリュウジ君クルーに熱く迎えられ、数ヶ月前から仕込んでくれたという特設のダンスフロア、ブースの前に設えられた銀色に光り輝く鳥居には沖縄の熱いエネルギーを感じさせられた。他にも、広大な庄内平野の田んぼのなか、看板もネオンも何も無く営業を続ける知る人ぞ知る山形屈指のアンダーグラウンド・パーティ〈ハーモニー〉"も相変わらずコアなクラウドだった。瀬戸内海の荒波が打ち寄せるファンキーなロケーションで毎年お盆に開催される姫路〈彩音〉も忘れるわけにはいかない。GODFATHERとしては3年連続で出演、年々進化し続けている。そして......DJ WADAくんと行った群馬桐生〈レベル5〉が10周年というのははっきり言って驚かされた。坂田頑張ってるわ! GODFATHERで最多出場を果たしている博多〈デカダン・デラックス〉に至ってはなんと21周年! 凄いのひと言だ。博多のクラウドは今年もタフだったしね(ナベさん、西やんありがとう)。初登場させてもらった神戸〈トゥループカフェ〉も16周年、楽しくプレイさせていただきました。で、青山〈ループ〉が14周年(望っチャン、花チャン、スタッフ全員お疲れ様)。野田さんの実家〈のだや〉を皮切りに〈ラジシャン〉と〈フォー〉でスタートした静岡〈フォー〉の4周年では静岡パワーを見せられた感じ。五十嵐&海野くんお疲れさまでした。文田に行けなかったのは残念だったけれど! 

  とにかく2009年はレギュラー参加しているパーティやイヴェントのほか、初めて呼ばれるクラブやパーティも多くて、たくさんの人たちとの出会いやその地域のダンス・ミュージック・ファンに僕のプレイを体感してもらえたこと、音楽好きが集まる小さなバーからライヴ・ハウス・パーティまで数多くのダンス・ミュージック・ファンと素晴らしい時間を共有できたことが最高に楽しかったし、嬉しかった。もちろんすべてのパーティに全力投球してきたし、それが自分の使命であり、自分にとってもっとも幸せなことだなと今年関わったすべての人に感謝しています。

  ここ数年、新たに生まれた店が多いことや無事に○周年を迎える店も多く、日本のクラブ事情を見る限り、バブル期の派手さは無いけれど着実に新たなアンダーグラウンド領域に入ってきているような気がして、これからまた面白くなりそうな感があります。だいたい僕が虜になったダンス・ミュージックの世界はそんなに簡単に無くなるはずはないだろうし、ヨーロッパでもアメリカでも基本的にはメディア以外何も変わってないと思います。その証拠にダンス・ミュージックのデータ配信ビートポートなどはますます元気だし、それは配信される音楽の多様性を見てもうなずけるでしょう。

  だから僕はダンス・ミュージックの先行きに関して何の心配もしてないし、来年以降がますます楽しみになっているくらいですから。僕らができることはまだまだあるように思うし、チャレンジすることもいっぱいある気がして、ワクワクしていますね。宇川くん野田さんタッグが『エレキング』のネット配信をそろそろスタートする予定もあるし、JEYPEGの修平くんたちはネットラジオで面白いことやっているようだし、マンハッタン・レコードもネットでの動きを活発にすると聞いて、新たな時代に突入しているんじゃないかなって強く感じます。

  ずいぶん長いこと海外に出ていないなーって最近思うのですが、よく考えてみると、とくに行かなくても国内で満足させられているのかな~て、つまり昔ほど海外への憧れが無くなってしまったということです。海外が遠かった当時と比べ、ネットで海外と日本の時差が無くなった今日、当然と言えば当然でしょうが、何年か前から自分の感覚がディスカバージャパンになっていることも作用しているようです。歳かもしれませんが、たぶん70年代に憧れたアメリカや80年代に憧れたニューヨークより、現代は日本のほうが面白いことをやっているんじゃないかってね、もちろんダンス・ミュージックの配信ではヨーロッパものが俄然多く、音楽を通じてヨーロッパの活気を知ることはできますが、それでもそこへ行って滞在したいという気にあまりならないんですね。それよりも日本人として、日本のダンス・ミュージック文化を大事にしようと思うのです。僕にとっていまは日本がピッタリくるというか、居心地よくなっているのかもしれません。

  僕は日本の歴史が大好きで、これまでずいぶんと歴史小説を読みあさってきました。とくに史実に基づいた物語が好きで、なかでもお気に入りの作家は司馬遼太郎です。歴史小説を読んでみて日本の優れた歴史上の人物に出会う度に、日本人として生きるということに魅力を感じて、この二度と来ないいまという時代のなかで日本人のためになるオリジナルな生き方をしたいって考えるようになっているのです。生意気なことを言うようですが、これも歳のせいかも知れません。

  いずれにしてもダンス・ミュージックの世界は経済に関係なく、確実に前を向いているから2010年は2009年よりも必ず面白くなるはずだし、僕らひとりひとりがそうしなくてはいけないって思っています。踊るという行為は、人類が誕生したはるか昔から受け継がれて来た尊い文化で、お祝いごとや悲しい出来事が起こる度に人間は踊ることで喜びを分かち合い、悲しみを発散してきたんです。僕らの時代になって、サブカルチャーとしてディスコが流行し、若者の心を捉えていまに至っていますが、これは世界的な潮流でもあるし、僕らにとって重要な文化なんです。僕はDJという職業に出会えたことは本当に幸せだと思っています。なぜならば皆がハッピーになれる時間を作り出せる側にいるからです。踊らせること、楽しませることが何よりも好きだからなんです。

  真剣にこの文化に取り組んでいる側からすれば、ノリピー事件は怒って当たり前の残念な出来事で、一般社会から見れば同じに見えるかもしれませんが明らかに異なる文化を作り出してきているはずです、それももう何年ものあいだです、でも世界には、黒服とV.I.Pと軟派がセットになったお金の匂いがするキラキラしたディスコ文化というのが僕らの世界と平行してずうっとあるし、そこへ集う人たちも多いという事実もあります。言ってみればそれもひとつのディスコ文化と言えるから比較はできませんが、心情的には一緒にしてほしくないわけです。

  ちょっと横道にそれましたが、2009年全般を考えると、クラブ・シーンにとっては過渡期だったと思います。各地のクラブにとっても厳しい年であった事は否めませんが、それでも僕らと同じようにダンス・ミュージック文化が大好きな人たちがこの日本には多いという事実がこの1年で確認できたし、実感しました。2010年も楽しみましょう。

Top 20 of 2009 by Toru Takahashi

1 Sharam / She Came Along feat Kid Cudi -Sharams Ecstasy Of Ibiza Mix- (DCI)
2 Destination Danger / Du Rififi Au Katanga(Circus Company)
3 Argy / What Time Is It (These Days)
4 Jona / Freefall (Resopal Schallware)
5 Fuse / Dimension Intrusion -Layo Bushwacka Fuze Remix-(Plus 8 Records)
6 Crash Course In Science / Flying Turns(From Jupiter)
7 Danny Fiddo、Affkt / P oints -Mathias Kadens Chalet De Verano Remix-(Barraca Music)
8 Will Saul_Tam Cooper / Where Is It ? feat Ursula Rucker -Lazersonic Remix-(Simple records)
9 Marc Houle / Single Cell -Original Mix- (Minas)
10 Luna City Express / Diamonds Pearls(Moon Harbour Recordings)
11 Guy J / Ballroom Sians Vernacular Mask Remix (Bed Rock Records)
12 dOP / The Dust -dOP Mix-(Enliven Music)
13 Collabs, Chris Liebing, Speedy J / Magnit Express feat Speedy J & Chris Liebing (Electric delaxe)
14 Michel Cleis / La Mezcla feat Toto La Momposina (Strictly Rhythm)
15 EP1 B2 / Hauntologists (Hauntologists )
16 Mirko Loko / Tahktok (Cadenza)
17 Seth Troxler / Panic Stop Repeat ! ( Spaxtral Sound)
18 Alexi Delano / Adjust the Frequency (Clink)
19 LosUpdates,RicardoVillalobos / Driving Nowhere_Audio George Remix(Nise Cat Records)
20 Michael Jackson / Heal The World

vol.1:2009年のニューヨーク - ele-king

 ニューヨークはブルックリンの〈スーパーコア・カフェ〉〈ハートファスト〉よりお届けです。最初なので、少し自己紹介をします。

 〈スーパーコア〉は、ブルックリンのウィリアムスバーグにあるカフェ、レストラン。〈ハートファスト〉は、〈スーパーコア〉が運営するレコード・レーベルで、イヴェントを企画したり、ピクチャー7"w/DVDシリーズ(ライアーズ、アップルズ・イン・ステレオ、オブ・モントリオール、フェイク・メール・ヴォイス(TV・オン・ザ・レィディオのTundeのソロ)等をリリースしています。

 〈スーパーコア〉には、ナダ・サーフ、フリー・ブラッド、TV・オン・ザ・レィディオ、レ・サヴィ・ファヴ、イエーセイヤー等々、近所に住んでいるバンド連中が集まってはお喋りしたり、仕事をしたりする、いわば憩いの場所になっています。面白いことに、みんな仕事は家でもできるのに、わざわざカフェにやって来てはラップトップを開き、たまに通りかかる友だちに挨拶したり、コーヒーを飲んでいます。


USA is a monster last show @ market hotel

 カフェのまわりには、彼らもよく演奏しているライヴ・スペースがたくさんあります。大きい会場から〈ミュージック・ホール・オブ・ウィリアムスバーグ〉、〈ブルックリン・ボウル〉、〈パブリック・アセンブリー〉、インディ系では、〈グラスランズ〉、〈ディス・バイ・オーディオ〉、〈ブルアー・フォールズ〉等々。ウィリアムスバーグと言うエリアには、カフェ、レストラン、本屋、洋服屋などもたくさんあります。

 まわりのバンドの人たちはフレンドリーで社交的な人が多く(無口かと思えば、しゃべってみると止まらなかったり)、自分たちの家でショーをオーガナイズしたり、空き地を陣取ってパーティを開催したりもします。バンドをやりながら、自分でバーやレストランを経営したり、グラフィック系の会社、アート・ギャラリー、コミック・ショップなどを経営していたりしている人たちです。音楽を軸としながら、いろんな分野で活躍する多才な人が多く、DIY精神が大きいのが特徴と言えるでしょう。

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Williamsburg water front park

Williamsburg fashion week @ glasslands

 また、例えばフリーのショーでもやりっ放しではなく、バンドの人たちにはドネーションとしてお金が入るようになっているし(多くの場合は)、同じようにニューヨークでは地下鉄ミュージシャンがたくさんいるのだけれど、良いと思ったらみんなきちんとドネーションをします。エンターテイメントには"お金"と言う物差しによる評価がある、この辺がとてもニューヨーク的というか、チップ社会のアメリカを良く表しているように思います。ショーに行っても自分が好きでなかったら途中で帰ったり、直接「何がだめだったか」など具体的なコメントをもらうし、反対に良かったら、すぐに「何々が良かった!」などの反応もある。そんな感じで、何回でもショーに足を運びます。いろんな意味でシビアだけれど、良いことをしていたらきちんと評価される、それゆえどんな時代でも何かが起こっている町なのでしょう。

 2009年もまた、ニューヨークのバンドが大活躍した年でした。思いつくだけでも、たくさんの名が挙がります。ダーティ・プロジェクターズ、アニマル・コレクティブ、グリズリー・ベアー、MGMTなどの活躍は目覚ましかったし、個人的にはサンティ・ゴールド、ホワン・マクリーン、ソニック・ユース、TV・オン・ザ・レィディオが印象に残っています。ニューヨーク以外のバンドでは、オブ・モントリオール、ライアーズ、リッキー・リーを良く聴いた。

 新しい所では、ALのアトラス・サウンド、LAのガールズ、ウエーブス、ダムダム・ガールズ、ヘルス、ギャングリアンズ、ニューヨークのトーク・ノーマル、ティース・マウンテン、リーズ・ア・パワーズ、リアル・エステイト、ベア・イン・ヘヴン、ドラゴンズ・オブ・ジンズ、ハード・ニップス......等々、キリがありません。


Fake Male Voice @ glasslands

 とにかく現在のシーンは、マイスペース、フェイスブック、ツイッターからiphoneなどのテクノロジーの登場も含め、確実に新しい局面を迎えて、新しい盛り上がりをみせていると言えます。なにしろ......いままでレコード屋に行って購入しないと聴けなかった音楽がいまではMP3で簡単に聴ける。試聴するのもクリックひとつ、それが好きだったら1曲単位で購入できる(1曲でそのバンドを評価するのもどうかと思うが)。家から一歩もでなくて良い。いままでレコード屋に行ってフライヤーをチェックしたり張り紙を見たりしてライヴ情報を得ていたのが、emailはもちろん、テキストメッセージやフェイスブックなど、どんな所からでも流れるように情報が手に入るようになりました。情報がありすぎて、どれを取るか、どれを捨てるか迷っているうちに、結局どれにも行けなかったりとか、自己管理が大切になってきます。だから逆に言えば、意思がなく、情報に流され、友だちに流され、本当に見たいモノや聴きたいモノをいとも簡単に逃してしまうこともあります。好む好まざるに関わらず、これがいま私が生きている世界です。そしてだからこそ、みんながカフェに何となく集まってくる、そんな状況に繋がっているのかもしれません。

 こちらでたったいま生まれた音楽が、遠く離れた日本でもすぐに聴くことができて、ライヴ映像も見ることができるのはすごいことです。ただし、やはりどうしても、実際その場所に行って生で体験することは特別な感動があります。それがひょっとしたら、ニューヨークと日本の音楽シーンの活気の温度差にも表れているのかもしれません。それでもできるだけ、その温度差を埋めていけるように、ここニューヨークからダイレクトに情報をお伝えしていきたいと思います。

Top 10 Albums of 2009 by Yuko Sawai
1. Sonic Youth/ The Eternal (Matador)
2. Dirty projectors/ Bitte Orca (Domino)
3. N.A.S.A./ The Sprit of Apollo (Anti-)
4. Juan Maclean/ The Future Will Come (DFA)
5. Lightning Bolt/Earthly Delights (Load)
6. Pylon/ Chomp More (DFA)
7. Health/ Get Color (Lovepump United)
8. Simian Mobile Disco/ Temporary Pleasure (Wichita)
9. Talk Normal/ Sugarland (Rare book room)
10. Fuck Buttons/ Tarot Sport (ATP)

渋谷慶一郎 - ele-king

 近しい人の死をきっかけに作られた音楽は古今枚挙に暇がない。フォーレの"レクイエム"は、自身の母親の死をきっかけに作られたが、直接的に死者を悼むための音楽であるそうしたレクイエムのような作品ではなくても、たとえば後期ロマン派の作曲家ブルックナーの交響曲第7番の第2楽章の終結部のように、崇拝する師(楽劇の創始者R.ワーグナー)逝去の知らせを受け(あるいは、その予感を持って)、新たに慟哭のようなコラール楽段を付け加えたものもある(このコラールは、1994年にドイツのテクノ・ユニット、サン・エレクトリックがコペンハーゲンで行なったライヴの実況録音盤において、エレクトロニクスの海とみごとな融合を果たしている)。

 こうした曲は、例外なく「美しい」。それはもちろん、作曲に導く動機ゆえということもあるだろう。その動機から、醜くひき歪んだ創造物を作り出すということはまず考えにくいからだ。たとえ「美しさ」という概念にひとそれぞれ違いがあったとしても、おそらくそのほとんどは普遍的な観念に回収されるものである。

 この渋谷慶一郎(東京藝術大学作曲家卒・2002年よりレコード・レーベル「ATAK」主宰)による初のソロ・ピアノ作品集「for maria」は、彼の奥様であるマリアさんの死が直接的、あるいは間接的な契機となって作られたアルバムであるという。なるほど、それならば、これまでに渋谷が作り出してきたエレクトロニックな音楽にくらべて、よりわかりやすい美しさを持った音楽になっていることには納得がいく。

 が、しかし、おそらく渋谷はこんなセンチメンタリズムめいたことばでアルバムをジャッジされることを好まないだろう。それはなぜなら、このアルバムの美しさは、単に美しいという言葉だけではすまされない、これまでに感じたことのない「凄み」があるからだ。

 この「凄み」を感じる最初の要因は、ここで聴かれる音そのものの「凄み」でもある。最初の1音が鳴った瞬間から、これは違う、と感じさせる鳴りがある。鳴り、というか、ピアノの音がホログラフィックな体裁を持って立ち現れる。聞けば、本作は本来スーパーオーディオCDのための技術として開発されたDSD(Direct Stream Digital)でレコーディングされているという(エンジニアは名手オノ・セイゲン)。確かにこれはまさにCDの44.1kHZ/16bitをはるかに超える再現性を持つDSDならではの空気感の再生音だ。場の空気感の再現こそがDSDの真骨頂であるとぼくは思っているのだが、しかし驚かされるのはその空気感が、いくとおりもの質感を持って再現されること。もともと渋谷は音色でもって世界観をドラスティックに強制変換するタイプの音楽家であったと思うが、ここでは音が放射される空間の質感がその出音(これもまたすばらしく変化に富んだ音色がすばらしい。ベーゼンドルファーの銘器とのこと)によってさまざまに変化してゆくことによって、渋谷のそうした特質がいっそう強調されている。われわれはその「美しさ」のみに耽溺することなく、クールな感情を持ってその成り行きを見つめることができる。ここには慟哭や歎きのメロディはない。メロディとか和声といった音楽要素を超えて、それを形作るあらゆるエレメンツがひとつになって聴き手の心に届くとき、印象はその都度更新される。よってこの音楽は、永遠に古びることがないのだ。

いろのみ - ele-king

 東京・吉祥寺と京都を拠点に「電子文化の茶と禅」をコンセプトに活動する電子音楽レーベル〈涼音堂茶舗〉。ネーミングの強烈さだけでも忘れがたい「アンビエント茶会」とか「サクラチルアウト」といった異色のクラブイベントを行なったり、寺院や温泉でのイヴェントなど、クラブという空間から離れても機能する電子音楽をさまざまなかたちで追及してきたこのユニークなレーベルは、snoweffect(レーベル主宰メンバーを含む)やFiro、PsysEx、OTOGRAPH、Coupieをはじめ、各地に点在するアーティストたちのネットワーク的な機能を果たしていると言えるだろう。決して大きな動きではない。しかし、それは明らかになにかとてつもない地平に接近しつつあるのではないか、と、ここ数ヶ月の間にやっと彼らの存在を知ってあわてて追跡を開始したばかりのぼくは、そう感じているのである。

 彼らの現時点での最新リリースとなるのがこの「いろのみ」という、ピアノとギターによるデュオ・ユニットの4作目である。まず、この「いろのみ」という文字から、さまざまな連想が行なわれるだろう。「色のみ」なのか。「色の実」なのか。「い・ろのみ」なのか。「Hilonome」なのか。カタカナでもなく、漢字でもなく、アルファベットでもなく、シンプルなひらがな表記がいい。MySpaceの彼らのプロフィールによれば「季節のさまざまな色の実を鳴らす」ことをコンセプトにしているというが、まさにこのユニット名こそが、無数の色を内包したこの音楽の特質を本質的に表したすぐれたものだと思える。

 柳平淳哉のピアノと、磯部優のギター(およびラップトップ/エフェクト)が紡ぎ出す柔らかな音楽が描くもの、それはタイトルからも想像できるように(ubusunaは、漢字で書けば産土、つまり生まれた土地を守護する神であり、それは郷土意識と強く結びつく)、自然主義音響的なものと言えるが、ぼくがこのアルバムを聴いていて思い出した音楽があった。それはドイツにおいてシンセサイザーによる(後年はアコースティック・ピアノ)自然神秘主義音響を追求したフローリアン・フリッケによるPopol Vuhである。

 フリッケの音楽観は、初期はドイツの陰鬱な森を思わせるもので、それが徐々に独自の宗教的な概念を加えていくことで、初期の名盤「Hosianna Mantra(1972年)を生み出すことになるのだが、彼の持つ自然に対する感覚、また宗教に対する概念は、ヨーロッパにおいてはきわめて普遍的なものでもあった。フリッケは2001年に他界したが、少なくとも彼らは21世紀に入るまでアップ・トゥ・デイトな活動を続けていたのも、そうした理由ゆえであっただろう。いろのみの音楽を聴いていると、四季の移り変わり、山の緑の色が変化していく様、海辺の波の様相の移ろいなどが表現されているようにも感じられるが、それは当然のことながらフローリアン・フリッケが描き出す自然音響よりもより親密な響きを帯びている。あちこちに聴かれる細やかなエフェクト、左右にちりばめられたピアノの点描的な響きが、われわれの目の前に常にありながらも気づくことのなかった風景を、改めて思い出させてくれるのだ。

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