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HIRAGEN from TYRANT『CASTE』
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SEMINISHUKEI PRESENTS『WISDOM OF LIFE』»COMMENT
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STARRBURST『INSTRUMENTALS』
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ROCKASEN『WELCOME HOME』
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HIKARU『Sunset Milestone』
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KIRIMANJARO
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DJ Holiday『The music from my girlfriend's cnsole stereo』
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Shhhhh『Ritmo del baile futuros』
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DJ ASAMA『Spread Pure Darkness』
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VIKN『the 6 MILLIONDOLLAR MAN』
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環ロイと二木信の対談を読みながら、制度化されたヒップホップということについて考えてみた。パンクでもハウスでもヒップホップでも、どんなジャンルでも時間とともに制度化される。制度化とは、この社会のなかでのある種の妥協点でもある。良くも悪くも......、そう、ホントに良くも悪くも......。
しかし、東京の〈セミニシュケイ〉は「良くも悪くも......」などとは思わないだろう。そのアティチュードにおいて15年前のムードマンの〈ダブレストラン〉を彷彿させるこのインディペンデント・レーベルは、音楽が制度化に屈服することを許さない。音楽は不定型なまま流動的に変化し、その本来的な危うさを保ち続ける。決して"奴らの手"に渡さないのだ。
彼らはいままで1枚の7インチ・シングル(やけのはら+ブッシュマインドによる名曲"Daydream"を含む)と1枚のコンピレーション・アルバム『Culture Expands The World』(08年)を発表している。それらは彼らが望むようにアンダーグラウンドなシンジケートによって確実に伝播しているようだ。仲間は増え、新たな音が生まれている。2枚目のコンピレーションとなる本作は、その成果と言えよう。
レーベルの背後には3人のDJ/トラックメイカーがいる。昨年のSFPのシングルに参加しているスターバースト、自らをサイケデリック・Bボーイと形容するブッシュマインド、レーベル社長を兼任するドン・Kである。本作には、前回に引き続き――彼ら3人に加えてガバの達人DJ PK、彼らの精神的支柱であるアクト、女性DJのイレヴン、杉並区の最終兵器と言われるタック・ロックとソネトリアス、名古屋のトム、京都のデイドリームネーション、アブラハム・クロスのソニック、あるいはギルティ・Cやノー・ルール......といった面々が参加している。今回は新たに、C.I.A.ZOOのラッパーとして知られるハイデフとトノ、あるいは北海道のZZY、いま話題のメデュラのトラックメイカー/ラッパーのマス・ホール、ミステリアスなデッド・ファッキン・ニンジャ、そしてアメリカのミシガン州からはカク......といった面々が加わっている。全24曲、1枚のCDには77分詰まっている。ちなみに値段は1800円。ここにも彼らのメッセージが見て取れる。
冒頭では最近素晴らしいアルバムを発表したばかりの六歌仙がラップをかましている。そして、ラウンジーで軽やかなブレイクビートを展開するスターバースト、ジャジーなフィーリングを弄ぶドン・Kやカク......まずはレーベルのピースな側面を見せる。で、ソネトリアスとふたりのラッパー(オーアイ& エラ)が彼らの気怠く煙たい日常を描写すると舞台は暗転、ポッセたちの薄汚れた素晴らしい世界が待っている。そして、イレヴンがダブの重低音を響かせれば......、ようこそ〈セミニシュケイ〉のドープな世界へ、というわけだ。ノー・ルールやブッシュマインド、ハイデフやトノ、デッド・ファッキン・ニンジャといった連中が待ってましたとばかりに彼らのタフなビートを叩きつける。アルバムは22曲目からレーベルのもうひとつの顔を見せる。それは深いサイケデリック・トリップだ。ソニックとデイドリームネーションが前作に引き続きその役目を見事に引き受ける。最後はドン・Kのやわらかいチルアウトで幕引きをする。
個々のアーティスト名をチェックしながら聴くよりも、作者名など気にせず流しっぱなしで聴くほうがいい。牢獄のようなこの街のプレッシャーに打ち負かされることのない彼らの日々の音から"自由"が聴こえてくるかもしれない。それは清々しくもあり、ときに力強くもある。そして彼らの音楽が実はフレンドリーであることに気づくだろう。
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「元始、女性は実に太陽であつた。」他にすがり、生かされている青白い月となってしまった女性なる存在よ、「私共は隠されて仕舞つた我が太陽を今や取戻さねばならぬ。」
―平塚らいてう『青鞜発刊に際して』
『青鞜』発刊より99年が過ぎて、いまや女性は青白い月ではない。大きな街頭モニターで、綾瀬はるかがジャイアント・コーンにおいしそうにかぶりついている。何度みても見惚れてしまう。画面にあふれる、なんという充実だろう。こんなにきれいに全けく、世界や生活とチューニングできるなんて......。自分で稼ぎ、自分で余暇を充実させる、こんなことは明治の女性にとっては空想の域であっただろう。しかし、では現在女性は太陽かと問われればそれも肯定しかねる。太陽と言えるほどプリミティヴなエネルギーを現代の人間が持てるものだろうか。オニのソロ初となるアルバム『サンウエーブ・ハート』のジャケットには、アップで撮られた本人の顔に重ねて大きく太陽が描かれている。
ライトニング・ボルトのような熱量とノー・ウェイヴな感性を持った、大阪の女性エクスペリメンタル・ジャンク・デュオ、あふりらんぽ。その片割れ、オニ。あふりらんぽのエネルギーは天に逆らうかのような無軌道性があるが、本作はオニがパーソナルな命題として太陽を志向し、その力を称えるものではないかと思う。
「種を、種を種をいっぱいまいた、おなかの中に、いっぱいの種をまいたよ! (中略)それが...伸びて伸びて伸びての~びて、天にむかってのーびーてゆくよー」
――"オニという花"
オニとは何か、オニとは誰か、オニとは命だ。いまを精一杯に咲き、新しい命を増やす花だ。という自己表明からアルバムははじまる。音楽としては「フリー・フォーク」の日本におけるひとつの展開、といえるだろう。ギター弾きとしての本領が注がれた非常にシンプルな作品だが、「フリー・フォーク」らしい、一種の疎外論的な文明批判がある。あるいは、素朴とも思われるアニミズム。シックス・オルガンズ・オブ・アドミッタンスらに色濃いだろうか。トルミスの「鉄への呪い」という表現に倣えば、「鉄の支配する世界」つまり、原始的な生命の世界を抑圧するものへの呪詛ないしは批評である。むろん直接的な呪いの言葉などどこにもうかがわれない。それは、むしろ描写しないことのなかに表れる。太陽、鳥、山、風、汗、唄、雨......歌われる素材をみれば、生命と世界を言祝ぐ言葉で埋め尽くされている。芽は伸び、鴇色の雲が空を飛び、遠き山は静かな愛をくれる。オニの、張りがあってよく透る声がその一語一語を明瞭に紡いでいく。佐藤正訓氏の帯文の引用だが、「本当の人間の『すっぽんぽん』の歌」というのが順接的な解釈になるだろう。
しかし、普通に聴いていけば、人や一般的な生活を思わせる言葉がまったく登場しないことに違和感を覚えると思う。駅でもいい、ビルや公園でもいい。またテレビや携帯、恋や倦怠、ビール、ネット、なんでもいい。全編にわたって、およそ現代日本の生活という生活についてまわるディテールがすっぱりと切り落とされ、人間すら出てこない。原始的なものへの志向性はわかるが、少し異様な印象がある。「鉄」(いまの言葉なら「ファスト風土」に相当するだろうか)は意図的に描写を省かれているのだ。なぜ山やら風やら「雨雲さん」ばかりを歌うのか。そこに「すっぽんぽん」の人間性がある、などという素朴なフィクションに、素直に乗るわけにはいかない。
人が出てこないと述べてしまったが、子どもが出てくる。一般名詞としてではなく、彼女自身の子どもと思われる描写で登場するのが、唯一の人間である。それは非常に大切なものとして歌われる。というか、このアルバム全体がひとつの子守唄として捧げられているという印象さえ受ける。
非常にクリアな録音で、かすかな残響には小さなコンサート・ホールを思わせる奥行きがある。アルペジオが際立つ。1曲目のような、テンポのある王道フォーク・ソングもいいが、大方はもっとぐっと沈み込むような曲調で、この空間的な奥行きがとても効いている。"緑の天使"、"鴇色の空"、"アクエリアス"など多くの曲では、シンプルなフィンガー・ピッキングがむしろ静寂を強調する。うっかりと彼岸へ誘われるかのような感覚がある。"緑の天使"においては、風鈴と蝉の声が微弱に挟まれることで、生というよりは死のイメージに接近する。
こうしたなかに子どもへの視線が織り込まれていく。ただ、個としての独 立したキャラクターは描かれない。子どもからの発信はなく、母からのくるみこむような一方的な視線だ。しかもところどころで、まるで恋人を思わせるかのような「あなた」という呼称が使われる。まだへその緒でつながっているかのように渾然一体となった、母と子と自然、という三角形の宇宙。これが本作の基調を成す世界観となる。三者の強固な結び付きに微かに戦慄する。本当に、他に何も出てこない。他者的な視線も挟まれない。生み、育てるということはこんなに排外的なものなのだろうか。アクのない、クリアで柔らかいヴォーカルでつづられる中盤。しかしここで母性とは、ほとんど自然の猛威である。そしてこの子どもという項をおいて、初めて「太陽」のモチーフが立体化する。
激しいストロークで感情的に歌われる終曲"サンウェーブ・ダンス"。朝露のようなトラッドな感触のブリティッシュ・フォークから曲調が一転するドラマチックなトラックだ。命を生み、命を育むものとしての渾身の演奏だ。唄も跳ね、踊る。ギターもテクニカルだが、ヴォイス・パフォーマンスも見事で、詞に添えられた本人直筆のイラスト―お日様と生命の曼荼羅図だ―とともに非常な迫力を持ってアルバムはしめくくられる。
しかし、母親としてではない、オニという一人の女性は太陽だろうか。それを描くには、この作品で省かれた様々な雑音と風景が喚び戻されねばならないだろう。次は、原始にではなく現在にエネルギーの源泉を掘り当てるような音が聴きたいと思った。
5月に入り、ニューヨークは真夏模様になったり寒くなったりはっきりしない天気が続く。私は、カフェの近くにある公園、マカレン・パークでときどき運動をしている。エクササイズ・クラブというチームを組み、2人、4人、あるときはひとりで、時間があう人たちが集まってしたい運動をするという、健康的な集まりである。私はランニング、ストレッチ、バドミントンを専門にしている。この日はとても天気がよく、最高のエクササイズ・クラブ日和だった。日本とは違う種類だが、桜が満開で、ベンチに座っているおじいちゃんおばあちゃんが微笑ましい。週末はピクニックをする人、BBQをする人、読書をする人など、てんやわんやの人ごみになるのだが、エクササイズ・クラブはだいたい平日の昼間なので、人はそんなにいなく、運動するにはちょうど良い。
i-Podを聴きながら、ランニングする人、ストレッチをする人、ドッチボールをするキッズなどを横目に見ながら、今日は5マイル、次は7マイルなど、どんどん距離を伸ばしていき、完走したときの爽快感に浸る。最高に良いショーをみた後の爽快感と似ている。一昨年までは、向かい側のマカレン・パーク・プール(プールといっても長年使われていない跡地)で、夏のフリー・コンサートが行われていた。MGMT、ヤーヤーヤーズ、ソニック・ユースなどたくさんのバンドがプレイして、毎週通っていたが、いまでは本当のプールに生まれ変わるべく建設中だ。
こう書くと、なんて健康な日々を過ごしているのかと思われるが、実はほとんど毎日が夜遅くまで働き、ライヴハウス通い。先日は、〈パリ・ロンドン・ウエスト・ナイル〉というパフォーマンス・スペースのクロージング・パーティに朝の3時頃までいた。うちのカフェから2ブロック程先にある一角に、〈グラス・ランズ〉、〈ディス・バイ・オーディオ〉、〈ウエスト・ナイル〉という3つのライブハウスが並んでいる。そのなかの〈ノン・プロフィット・スペース〉と〈ウエスト・ナイル〉が、先日4/13に幕を閉じた。リースが切れたので、グリーン・ポイントに引っ越すのだそうだ。https://www.shinkoyo.com/parislondon/
〈ウエスト・ナイル〉のZeljko |
平日の夜だからといって、そんなに人はいないだろう、と思っていたのだが、なんと会場の前に人が溢れている。なかを覗くと、人ごみのなかで、エクスペリメンタルなロック・バンドがごりごりにパフォーマンスしている。そこで、この場所を仕切っているZeljkoを捕まえたので、インタヴューを慣行。
Ele-king: 今日でこの〈ウエスト・ナイル〉がクローズするそうですが。
Zeljko:そう、今日がラスト・ナイトなんだ。来てくれてありがとう。
Ele-king:まずは、この場所〈ウエスト・ナイル〉を紹介して下さい。
Z:ここはアーティストが住み、仕事をする、〈ノン・プロフィット・スペース〉。5~7人が集団が活躍している。〈ウエスト・ナイル〉は、2006年ぐらいにラフにはじまって、ここに引っ越して来たときは、バスルーム以外は壁も何もなかったんだ。コステス、トニー・コンラッド、ノウティカル・アルマナック、ライト・アサイラム、ブラック・パス、アキ・オンダ、ヴァンピリアなど数えきれないバンドがプレイしてきたよ。「https://www.shinkoyo.com/parislondon」からArchiveに行くとリストがみれるよ。
Ele-king:ショーはどれぐらいの割合でやっているのですか。
Z:だいたい1週間に1~2回、1ヶ月に1~2回の時もあるけど。ショーは口コミとeメール・リストのみ。
Ele-king:今日プレイしているバンドを紹介して下さい。
Z:スケルトンズ、ウィッシュ、ミラーゲイト、ザ・ガマット、フレディナイトライカー、ザ・ナスティズ。僕は、ウィッシュって、ヴォーカルありの、エピック・ダンス・ミュージックなバンドをやっているよ。アニマル・コレクティブをもっとダンシーにしたような感じ。スケルトンズとミラーゲートは友だちで、Shinkoyo(僕らのアートコレクティ))のパートナーでもある。ナスティズは、火曜日に公式に解散する前に、ここでラスト・ショーをして、ザ・ガマットは隣のグラスランズでサウンドを担当しているデリックのバンド。
Ele-king:次のスペースは、いままでと同じような活動をするつもりですか? 名前は同じですか? またいつ頃からはじめるのでしょうか?
Z:次はグリーン・ポイントに引っ越すんだけど、ここは住居兼でなく仕事場だけにしたい。次の場所は、〈ノース・ウエスト・ナイル〉とでも呼ぼうかと思っている。僕らには、コラボレート・グループがカリフォルニアのオークランドにもいて、同じようなことをやっている。彼らのスペースは〈イースト・ナイル〉っていうんだ。ショーは、5月ぐらいからやっていきたいね。
Ele-king:ウエブ・サイトには、「paris london france tokyo berlin texas los angeles georgia cleveland」とありますが、これが〈ウエスト・ナイル〉の正式な名前ですか?
Z:僕らは最初に〈パリ・ロンドン・ニューヨーク・ウエストナイル〉って付けたんだけど、ときどき別の都市の名前を適当に当てて遊んでた。ファッション・ブランドのフラッグ・シップ・ストアがある都市名を適当に並べて遊んでたんだけど、ブランド名はなくして、都市名だけにしたりとか。基本的にジョークで、僕らのスペースのフレキシブルさを表していると思う。
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次の日はライアーズのショーへ。ニューヨークは〈バワリー・ボールルーム〉と〈ミュージック・ホール・オブ・ウィリアムスバーグ〉の2回の公演。今回は〈バワリー〉のほうへ行く。
新作が話題のライアーズ |
ニュー・アルバム『Sister World』を引っさげてのツアーは、ソールド・アウト。ロスアンジェルスとプラハでレコーディングされたというこのアルバムは、前回までのライアーズのレコードと同様に、超現実的で恐ろしい雰囲気を醸し出しているが、それと当時にいまにも雷が落ちてきそうな、ダークで不思議なテンションのバランスを保っている。このテンションが、いかにもライアーズだ......とライヴを観てあらためて思った。
決して張っちゃけ過ぎず、一歩寸前のぎりぎりのところを上手く綱渡りしている。ライヴ・セットも5人にパワーアップして、いつものように楽器を取り替えたり、オーディエンスとのキャッチボールもきちんとこなし、知的なエナジーに満ちあふれていた。後ろにいた女の子は、全部歌詞を覚えていてずっと一緒に歌っていた。
『Sister World』が完成したと同時にアンガスもベルリンからLAに移り、3人が同じ都市に暮らすようになった。観客のなかには、元々ブルックリンでスタートした同じ仲間のバンド、ヤーヤーヤーズのメンバーもいた。LAとブルックリン、いまアメリカのインディ・シーンでいちばん気になるふたつの都市である。共演はどちらもFol Chenという、カリフォルニアのバンドで、US/ヨーロッパ・ツアーはずっとライアーズと一緒にツアーを回っている。メンバーのひとりは、ライアーズのサポートメンバーとしてプレイしていて、アンガスAとエアロンと一緒の学校に通っていたらしい。〈Asthmatic Kitty〉から作品を出している。
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カフェからベッドフォードアベニューを南に下がり、ブロードウェイを右に曲がると、『カプリシャス・マガジン』というフォト雑誌のスペース、ギャラリーがある。4月23に開かれたそのアート・オープニングに行ってきた。
アンドリュー・ロウマンとニコラス・ゴットランドの〈スモーク・バス〉というショーで、日本でもよくショーをしている、アーティストのピーター・サザーランドがキュレーターを務めている。
ギャラリー関係者や、ミュージシャン、アーティスト、うちのカフェのお客さんもたくさんいて、外もなかもわやわやしている。フロントとバックに部屋がふたつある、ゆったりしたギャラリー兼仕事スペースだ。この展示は、キャンプ、自然、探検がテーマで、フレッシュ・エア・ファンドという非営利団体のベネフィット・ショー。作品をひとつひとつに物語を思い浮かべ、どんな状況でこの写真が撮られて、ここに飾られるまでの過程を考えたり、リラックスした、開放感溢れる雰囲気に包まれていく。音楽もそうだが、アートで人の気持ちを動かす事ができるのは素晴らしい。こういう風に、音楽やアートをしっかり堪能し鑑賞できるような感覚を養っていきたい。
5月5日、日本ではこどもの日だが、アメリカではCinco de mayo(シンコ・デ・マヨ)という、アメリカ人にもっとも良く知られている祝日である。スペイン語で「5月5日」の意味で、メキシコの祝日なのだが、メキシカンがたくさん住んでいるここアメリカでは、すでにアメリカの祭日になっている。メキシカン・ビール、テキーラ、サルサ、タコス、トルティーアなどを食べて飲んで、お祭り騒ぎをするのだが、私たち日本人や他の人種の人たちも、ここに住んでいると関係なくそれに便乗して、マルガリータなどを飲んでお祭り騒ぎをする。
ライトニング・ボルトのベースのブライアンのバンド、ウィザード |
日本人女性によるハード・ニップス! |
Nobody can stop girls! |
ニューヨークにいると、アイルランドのセント・パトリックスディ、中国人の旧正月、ドイツ人のオクトーバー・フェストなど、いろんな民族の祝日をもれなく体験できる。ちょうどこの日は、ハード・ニップスのCDリリース・パーティで、チーズ・バーガー、ウィザード(ライトニングボルトのメンバー)、エイリアン・ホエール(USA イズ・ア・モンスター、タリバム!、ネッキングのメンバー)が共演。ハード・ニップスは、グリッター仕様のCDリリース・パーティという事もあり、ラメいっぱいの華やかなステージを披露した。
かなり盛り上がっていたが、バンドが変わるごとに観客がごっそり変わり、それぞれのバンドの個性が面白かった。ウィザードは、ライトニング・ボルトのベースのブライアンのバンドで、このバンドではドラムを叩いている。かなり久しぶりのショーで、バンドも観客も大興奮。彼らもライトニング・ボルトと同じくフロアでプレイした。チーズ・バーガーは元々プロヴィデンスの3ピース・バンドだったのが、いまでは5人に増え、この日はオリジナル・メンバー、ヴォーカリストのJoeが飛び入り参加。このバンドは、ビール缶を投げるのがお決まりのようで、観客は容赦なくビール缶をステージに投げ、最後のほうでは、会場からさっさと電源を切られ追い出されていた。ここでもやはり「ハッピー・シンコ・デ・マヨ!!」と叫んでいた。
ここ数年はいろんな理由が重なって海外に行っていない。最後に行った海外が3年前の南シナ海の島で、ちなみにアメリカに最後に行ったのは......2006年の1月だ。われわれ一行は税関で厳密な審査に遭うばかりか何人かは取調室まで連れて行かれ、非常に不快な思いをしたものだった。9.11以降に初めてアメリカに行ったときには指紋をスキャンされ、顔写真を撮られ、そのときもずいぶんと不快な思いをしたものだったが、そういえば9.11以前でもデトロイトの空港でバッグの中身をすべて調べられたことがあった。たしかにザ・ブラック・ドッグが告発するように、いまやブライアン・イーノの『ミュージック・フォー・エアポーツ』の楽天性など70年代という過去の絵空事、虚構である。
ザ・ブラック・ドッグはUKテクノのベテランだ。1989年、当初3人組のプロジェクトとして登場したザ・ブラック・ドッグは、〈ワープ〉から2枚のアルバムと〈ジェネラル・プロダクションズ〉から1枚のアルバムを出すと、プラッド(エド&アンディ)とザ・ブラック・ドッグ(ケン・ドウィン)のふたつに分裂した。プラッドはその後、周知のように〈ワープ〉を拠点としながらビョークとの共作や映画音楽などにもにも挑戦するなど順調に活動を続け、いっぽうザ・ブラック・ドッグはよりアンダーグラウンドで、よりアーティな道を選んだと言える。それは、もともとテクノの匿名性を強く意識して、ミステリアスな存在を望んだザ・ブラック・ドッグらしいあり方だ。彼らが1995年に〈ワープ〉からアルバムを出したとき、イギリスの雑誌『The Face』で顔は出させずにインターネットのチャットのみで取材を受けた話は有名で、それほどまでに彼ら、いや、彼(ケン)は匿名性を望んだ。また、分裂後に出した1996年のアルバム『ミュージック・フォー・アドヴァーツ(宣伝のための音楽)』が良い例だが、ザ・ブラック・ドッグは、プラッドにはない批評性(トゲ)を持っている。
本作『ミュージック・フォー・リアル・エアポーツ』は、分裂後のアルバムとしては5枚目となる。この2~3年、ザ・ブラック・ドッグはふたたび評価を高めている。2007年にはオリジナル・メンバー時代の音源を編集した『ブック・オブ・ドグマ』を発表しているが、〈ダスト・サイエンス〉を主宰するマーティン&リチャード・ダストが加入してからの『レディオ・スケアクロウ』(08年)や『ファーザー・ヴェクサションズ』(09年)といったアルバムは、聴き応え充分のデトロイティッシュなテクノ・サウンドで満ちている。ここ数年のあいだで、ザ・ブラック・ドッグは自らの音楽性をあらためて定義したと言えるだろう。何枚かの魅惑的なシングルも記憶に新しい――「フルード」(07年)、ロバート・フッドをフィーチャーした「デトロイトvsシェフィールドEP」(08年)、オウテカのリミックスを収録した「ウィ・アー・シェフィールドEP」(09年)等々......。
『ミュージック・フォー・リアル・エアポーツ』はこの2~3年の作風とは趣を異にしている。メロウでダンサブルだった『レディオ・スケアクロウ』とも違うし、IDMスタイルを美しく豊かに展開した『ファーザー・ヴェクサションズ』とも違う。これはダーク・アンビエントの作品だ。このアルバムでザ・ブラック・ドッグは、未来への苛立ちをスケッチしているようだ。いわゆるディストピア・ミュージックである。ダブステップからの音楽的な影響を聴き取ることもできる。収録曲の半分はアート・インスタレーションのために作られたというが、"偽情報デスク""パスポート・コントロール""この線の向こう側で待て""空席計算""遅れ""睡眠遮断"......トラック名が暗示するように、悪夢としての空港体験が描かれている。
車の音、ざわめき、音の断片の集積とともにわれわれは空港の「出発」のラウンジに座って、曇った空を眺めているようだ。ザ・ブラック・ドッグのもうひとつの拠点であるシェフィールドの〈ダスト・サイエンス〉は、同郷のキャバレ・ヴォルテールを精神的支柱としながら自分たちの作品とともにデトロイト・テクノ(アンソニー・シェイカー、ダン・カーティン等々)やリチャード・H・カークの作品も発表している。『ミュージック・フォー・リアル・エアポーツ』はブライアン・イーノというよりはキャバレ・ヴォルテールに近く、デトロイト・テクノというよりもブリアルやコード9と同じ匂いを持っている。
終わりなき日常のフルクサス〈三〉
1984ヨーゼフ・ボイス〈二〉
その日の夕方、水戸芸術館のヨーゼフ・ボイス展から妻の両親の家にもどった全員は食卓を囲んだ。毎回歓待を受けるので恐縮するのだが、この日もはやばやとテーブルにプレートがだされ、肉と野菜が並べられた。義母は、この年の女性がなべてそうであるように、「東京から来てクタビレタでしょう。ウフフフ」と笑いながら、一連の動作でビールの栓を抜き、私の前にあるコップになめらかに注ぐとテーブルの正面に座り、彼女の夫は私の左手で空をみあげるように新聞を開いていた。食卓にはザックリ切った野菜が入ったボールと、酒のアテは数種の漬け物と惣菜、妻の父が那珂湊から買ってきた肉厚に切られたマグロやタコの刺身があったが、この日はサイコロ状の鯨肉がメーンだった。
私は水戸駅の繁華でないほうのロータリーから妻の実家の方に向かう途中に鯨肉を食べさせる店がみえ、いつか入ってみたいその前を通るとき力強く宣言していたが、途中からそれをいうのはオヤクソクになっていた。水戸はアンコウ鍋が名物のはずだが、私はアンコウ鍋は食べたことがなく、「アンコウはじつにおもしろい。マジすごい」とおもにそのルックス面からアプローチしてきたが、鯨肉は給食でもでていたからおおよそ察しはつく。リュウグウノツカイとかトカゲギスとか、そこには深海魚は図鑑で見て楽しむものだという、たぶんジュール・ベルヌの『海底二万里』あたりから得た興味本位というか強化ガラス一枚を隔てて覗きみるような距離感があって、それをいえば鯨にだってメルヴィルの『白鯨』という忘れられない本があるが、『白鯨』には逆に移入した。といっても、主役である隻脚のエイハブと話者のイシュメルのどちらかではない。話のなかの彼らは当然役割を備えていたが、私はイシュメルの後ろにいてエイバブを観察するようでもあり、舳先から海原を眺めるエイバブの血眼になった眼を借りたようでもあった。モービー・ディックでさえあった。外洋に連れ出されたというか。
ハーマン・メルヴィル 白鯨 岩波文庫 Amazon |
私ははじめて読んだのはもう20年以上も前だから、エイハブと白鯨を善/悪、聖/俗、そのほかなんでもいいが、なにかの象徴になぞらえ神話的虚構として読んだわけでは全然なくて、メルヴィルの捕鯨に関する詳細な叙述もあって、ハウトゥというほど役立つわけではないが、抽象に昇華されきってない智恵に、暑い夏の日の真っ昼間に浜辺の木陰で涼をとる近所のオヤジとか老人とかがヒマツブシで語りだす虚構というより、どこまでいっても海しかない私の郷里のシマに伝わるシマの(ドン・キ・ホーテ的な)奇譚のように読んだ。私がまだ小さかったころには、シマにはハブに噛まれた足を毒がまわらないよう切り落とした着流しの老人が杖をついて歩いていて、その精悍な嘉手苅林唱似の顔つきをエイハブに重ねていたからかもしれない。
「最近の鯨は焼きすぎるとマズくなるからさっさと食え」
妻の父親は北関東のひと特有のそっけなさでいった。彼らはいまは水戸に暮らしているが、元は栃木の出である。
「シャリシャリ感が残るくらいでちょうどいいですかね」と私は聞き返した。
「調査捕鯨で獲った鯨は元々が漁ではないから、船も冷凍の設備がちゃんとしてないのよ。見てよ、このニコゴリみたいな赤い色。これはそのせいよ。高いのにヤんなっちゃうよな、まったく」
「すみません。気をつかわせて」
私はビールをついだ。
「勝手にやるから気にしなくていいよ。まあ調査捕鯨もそのうち禁止されるだろうから鯨はもう食えなくなっちゃうよなあ。鯨ベーコンなんてなあ、よく食ったんだがなあ。あんたのころもあったの? そう。でもまあ、もう食えなくはなるわなああチキショウメ」
最後のは妻の父の口癖である。
「シー・シェパードなんか物騒ですからね。でも捕鯨は世界的にみると禁止する流れなんでしょうね」
「商業捕鯨と調査捕鯨を混同しちゃいかんよ。日本が外洋でやっているのは調査捕鯨であって、調査捕鯨は商業捕鯨を再開するためのものでしかありません。商業捕鯨は日本の沿岸でやっている伝統的なものか、IWCの管轄に入らないクジラを対象にしたものなんよ。ウィキペディアによると『IWCの商業捕鯨モラトリアム決議に対して、国際捕鯨取締条約 (ICRW) 第5条に基づく異議申し立てを行ったノルウェーが1993年に再開を宣言し、ミンククジラを対象に沿岸捕鯨を行っている。近年の捕獲実績は年に600頭前後で、2006年は1052頭の捕獲枠に対し捕獲実績は546頭である。アイスランドも2006年に商業捕鯨再開を宣言してナガスクジラとミンククジラ各7頭を捕獲したが、翌年に再停止している。ただし、日本への輸出のめどが立てば直ちに商業捕獲を再開するとしている』とあるのが商業捕鯨でシー・シェパード体当たりしているのは調査捕鯨。市場にでまわってるのは調査捕鯨の副産物である鯨肉しかないので、それをおいしく安価で提供するというお題目はそもそも成り立たないのであろう」
「システムというか流通的にどうしても良質の鯨肉を提供できないなら調査捕鯨は止めればいいじゃないですか?」
「それを止めると商業捕鯨の前提が崩れるべ。科学的論証のある乱獲に当たらない水産資源の有効利用は伝統的な食文化を保護すると主張しないとな」
「その伝統的な食文化が非捕鯨国には倫理観に抵触するんですよ」
「それはあらゆる文化の摩擦にいえるのではないかね。オレは21世紀はそういう時代だと、10年ほど前にさかんにいわれており、ここ数年またちがう局面に入ってきたと思う。国家によらない覇権主義、もう覇権主義の言霊みたいなものだな。それに対抗するには、偶然ある瞬間にであう無名の人びとの集団が有効だとしても、捕鯨はひとりではできないしな。かといって、利害関係が対立する複数国が関係する問題を、国際機関を調整弁として利用して一色に染めようとしてもな。生殺与奪の話には宗教観はからむもんだからな」
「調査捕鯨の名目で獲るからややこしくなったのではないですかね。調査という割には肉食ってると。非捕鯨国にしたら主従が逆転した現状があり看過できないと」
「それはあくまで副次的な問題だべ。オレなんかむしろ、環境問題のグローバル・スタンダードの押しつけな気はするけどな。畜産や養殖みたいに生産計画を立てられるのは倫理を問われないが、たとえ統計学的な推移は提示できても、クジラみたいに生態がよくわらからない、しかもオレらとおなじ哺乳類は希少種であってもなくても、捕獲すべできでないとはわかるけど、それはむしろ神秘主義のにおいがあるな」
「というと?」
「かつてクジラを滅ぼそうとした科学を使ってクジラの象徴性を守るということよ。文化のソウコクは科学的データの積み上げでは対処できなのではないかな」
「タバコも同じですね」
「あれは健康にわるいからダメに決まっとろう」
妻の父は北関東特有のアクセントで尻上がりにいった。
「大麻はタバコより健康に害がないそうですが、マリワナは吸ってもいいですか?」
「オレはガンジャのことなんか知らんよ、コンチキチョウ」
私たちは食卓でこんな話をした気になったのは日中に『ボイスがいた8日間』を見て思うことがあったからである。お暇なら前回を読んでいただきたいが、水戸芸術館で私は妻と子と妻の両親ともいっしょだったのだった。外出するときいつもフィッシャーマンズ・ベストを着てキャップをかぶる義父は、アイテムだけみるとボイスとかぶっており、年の頃も彼が最後に日本を訪れたこのときと同じ60代なかばである。この年齢になると男はボイス化するのだろうか? もし読者はここまできて私がムダ話で字数をかせいでいると思われるのは心外である。ネットの原稿に字数などそもそもない。あるのは余白だけだ。広大な階層化したスペース。あるいは自律した集合知の堆積。ボイスがこの時代に生きていたら、私は彼はこれまで「任意の触媒」とみなしてきたマルチプル作品をネット的なコミュニケーションにどう対応させるか、あるいは転用するかたいへん興味がある。
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終わりなき日常のフルクサス〈三〉
1984ヨーゼフ・ボイス〈二〉
マルチプルとは、既製品をそのまま使ったり、簡単に手を加えたりした普及版の美術品で、一点ものより安価で売られる。ボイスは生前800点ほどのマルチプル作品を制作しており、今回の展示の大半もマルチプル作品だった。私は前回、草月会館でのナム・ジュン・パイクとのアクション「コヨーテ・」をとりあげたが、これは展示の最終部にあたる第9室のものであったのでそこに来るまで多くのマルチプル作品の間を縫ってきた。材料は、木材、フェルト、既存もしくはオリジナルの印刷物、ネガフィルム、映像フィルム、ラッカー盤やヴァイナル、ビンとかカンとか多岐にわたり、いずれの作品もボイスの手を経るか監修を受け、エディションが付されているものがほとんどである。ややばらつきはあるものの約30×21×6センチの直方体の前面をとりはらった木箱に鉛筆で書きこみをした「直観」、オープンリールの録音テープを厚手のフェルトに埋めこんだ「ヤー、ヤー、ヤー、ヤー、ヤー、ネー、ネー、ネー、ネー、ネー」、ボイスがじっさいに使った橇を作品化した「そり」を普及版化したマルチプルの「そり」、よくしられた「フェルト・スーツ」や、レモンの酸性成分によってうまれる電流で電球に光を灯す指示のある「カプリ・バッテリー」 ―はボイスが日本を去った85年の作品なのだけど― など、事物とその組み合わせで一見して不可解だがそのウラに素朴な思考の跡があるマルチプル作品は、ボイスの哲学を他者に喚起させる非限定的な「任意の触媒」だが、彼の哲学は彼の履歴が背景にあるせいで神話的ですらある。
第二次大戦中、ドイツの空軍兵だったボイスはクリミア半島上空でソ連軍に撃墜され、重傷を負ったが遊牧民のタタール人に助けられた。脂肪を塗られフェルトでくるまれたおかげで一命をとりとめたことから彼はフェルトと脂肪を長くモチーフにしてきたが、それらの素材はマルチプルになることで、アーティスト、政治活動家、教育者、思想家=ボイスの本文をおぎなう脚注として、この美術史上の巨人の神話性を強化するようにふるまいはじめるが、しかし私はボイスの神話性とはほんとうはシカメ面で考えこむものでもない。
「1921年、クレーフェ、絆創膏を貼った傷跡展。1922年、クレーフェ、近郊モルカライの牛乳展。1923年、コップ一杯の口ヒゲ展(内容はコーヒーと卵)。1924年、クレーフェ、異教徒の子たちの公開展~」とつづく彼の有名なジャーマン・ジョークみたいな自筆年譜(ボイスは1921年、クレーフェに生まれた)を真に受けるべきというか、ボイスの神話が体温をもち、偉人伝の枠をはみだして、演劇的にツクリモノめいてくることに私は無上の喜びさえ感じる。フルクサス的といっていいそのユーモアには思考を外側へ浸透させるものがあり、その目でみてまわると驚くのだ。初期の素描を再編したリトグラフの筆の運びの見事さ、シルクスクリーンや写真作品のデザインの素朴な力強さ、既製品をマルチプル化した資本主義批評であり、デュシャン的でもウォーホル的でもある一連の「経済の価値」シリーズのマルチプルでさえ、そこにはやはり厳密な審美眼を感じた(もっともデュシャンのシュールなエスプリともウォーホルのポップさともちがうボイスのマルチプルは、三者を順番にデュシャン=レコメン→ボイス=クラウト・ロック→ウォーホル=パンクと並べるとしっくり......こないかもしれない、時代背景もまるでちがうし。また普及版であるマルチプルは原曲とリミックス、原曲とエディットの位置にあるとすると、マッシュ・アップではない。ザ・KLF的な非合法性はない。音楽と決別して活動を休止したKLFは作品をまるっきり発表しなくなり死んだデュシャンを思わせる(死後に遺作が発見されたが、KLFもそうなるのだろうか)。
とはいえ、妻は「いまの潮流にはデュシャンのアイデアのためのアイデアや、ウォーホルのような色彩のあるポップさより、ボイスの落ち着いた、渋さがふさわしいでしょうね」といい、私はそれに同意した。
私たちはいっしょに水戸芸術館にはいっていた。私はマルチプルひとつひとつを丹念にながめていたが、妻は興味のある作品を中心に見てまわった。娘は第2室にあった加工前のフェルト原料の7本のロールを作品化した「プライト・エレメント」をさわったのを注意されやる気がなくなり、義父母は「あーうーん」とう唸りながら足早に先に歩いていった。彼らは早々にちりぢりになった。彼らのうち誰がただしい鑑賞者だったのだろう。
会場でもらったパンフレットにはこうある。
「ボイスは本当の資本とは貨幣ではなく、人間の創造性だと語り、わたしたちが生きる世界や社会を、人間の創造性によって未来へと造形する「社会彫刻」の概念を提唱しています。そして、その「社会彫刻」に関与するための潜在能力が備わっている存在として、「人間はみな芸術家である」と語りました。こうして、ボイスは社会に積極的に関与する新しい芸術/家のモデルを提示したのです。」
これがボイスの代表的な言葉である「すべての人間は芸術家である」であり、「社会彫刻」である。
ここで流通/交換可能な貨幣のアナロジーになっている創造性とは特定の行為でなく、また、生活の創造性という恣意的なものでもない。「私は芸術家ではあるが、それはたいしたことではない。どんな芸術的な行為も社会の光の中に出なければ輝かない」とボイスがこの展覧会の映像資料のひとつで語ったように、創造性が芸術の社会化であると仮定するなら、社会彫刻では、たがいに触発され啓蒙し合い、積極的にそこに関与する任意の人たちの共同体が作り手となり、芸術家は中心から退く。共同体ではボイスのアクションのひとつの手法でもある「対話」が重視され、対話を通して社会彫刻は構築物としての志向性がきめられる。私はここに、ボイスのマルクス主義(もっといえばプラトン主義で古典的な弁証法)への愛憎と、理想主義者としての倫理と、またすこしの危うさを感じもする。第二次対戦の残響とみえなくもない。その危うさとは、68年5月の革命(とバタイユと)をふまえ、共同体をもちえない者の共同体を友愛(フラタリティ)さえもちだし論じたブランショの『明かしえぬ共同体』に指摘された全体主義への親和性の要件をボイスの思想が一見して満たすということだ。
私はそのことを考えると黙りそうになるが、ここまで読んでこられた辛抱強い読者よ、思い出してほしい。戦争で死にかけてタタール人に助けられた彼は、西洋と非西洋の境界線で生と死の境目をただよった男でもあった。私は誤解を承知でいえば、ボイスの獣性と理性が混じり合った彼の作品に惹かれてきたと、今回の回顧展をまわって気づいたのだった。アイデアのスケッチにすぎない(?)マルチプルの野趣はディオニュソスというほどむこうみずではないけれども、飼い慣らされない荒々しさで水戸芸術館に転がっている。私は順路をめぐりながら、彼のトレードマークである茶色の十字架や、「野兎の血」と題した作品のビニール製の封筒のなかで、4・のウサギの血がまるでこのあと食卓でだされるクジラの肉にはりつきニコゴリを連想させる凝血になっているのをみながら、「キリスト教的というよりこれは、キリスト教前史というか、ヘルマン・ニッチュとかのウィーン・アクショニストのジオラマみたいだよなー」とつぶやいている。
そして私は、思わず作品にさわってしまった娘の手に残ったフェルトのザラついた感触と同じ位置に作品をみる行為を置くこと、現在の時制のなかで彼の作品を回想しつづけることで、美術史にすでに固有の場所を占め、象徴的にさえなってしまったヨーゼフ・ボイスという巨大な構築物をガウディのあの教会のように未完の現在につなぎとめることができるのだと思った。
これこそ、ボイスの行為/芸術(芸術/行為も可)のアルケミーである。
烈しくもなく弱々しくもない演奏、軽くもなく重たくもなく、暑くもなく寒くもない音楽だ。アンビエントでもチルアウトでもない。これはふたりのギタリスト――ロンサム・ストリングスの桜井芳樹とサカナの西脇一弘によるコラボレーション・アルバムで、ふたりのギター以外のいっさいはない。フェクトもなく、ポスト・ロック的な展開もない。ダブ処理されているわけでもない。ポップの史学が言うようにヴェルヴェッツの『III』のルー・リード・ミックスをローファイの青写真とするのであるならこれはまさしくローファイな録音の作品で、二本のギターの音のみで構成されたアルバムだ。どちらかが伴奏で、どちらかがリードを担当している。ギターのインストゥルメンタルの作品を、われわれはこの20年いろいろなスタイルで聴いてきているけれど(その多くは、大雑把に言ってメロウなチルアウト感覚に導かれている)、そうしたどれとも違っている。ケレンミなく、いっさいの装飾性はない。きわめて素朴なギター演奏集で、それはまあ、ベタといえばベタな音楽かもしれないけれど、"現在"において不思議なほど説得力を持っているように思われる。
ジョン・フェイヒィのようにその絶対的なルーツがあるとは思えないふたりは、ブルースやワルツやジャズなど、さまざまなスタイルを演奏する。偉大なるキップ・ハンラハンがデビュー・アルバムでカヴァーした"インディア・ソング"もやっている(オリジナルは1974年のマルグリット・デュラスの監督による『インディア・ソング』の主題歌)。他にもいろいろとネタはあるのかもしれないが、周到に計画されたものと言うよりも、ふたりの好みが混合したものだと思われる。
曲によってはメランコリックである。桜井芳樹はこだま和文のバックでも演奏していたというが、こだま和文やダブステップやブリストル・サウンドといったメランコリーに特徴を持つ音楽を好む者にとっても嬉しいアルバムと言えよう。そして、あまたのアッパーな音楽にどうしても心の底からのめり込めないリスナーにとっても大切な1枚となり得るだろう。
われわれの住んでいる世界では、街を歩けば、テレビを付ければ、やけにアッパーな音楽で溢れている。それは何かを隠し、何かを感じることを麻痺させるように、どこか暴力的に鳴っている......としか思えないほどアッパーだ。そんな世界において、このアルバムのような抒情主義は信じられないほど美しく響くのである。
ドイツのニューウェイヴ(=ノイエ・ドイッチェ・ヴィレ)の時期を知る者にとって、モーリツ・フォン・オズワルドやトーマス・フェルマンがブレイクビーツやテクノに関心を示すだけでなく、ドイツではそれらの牽引者でもあったことは、けっこうな興奮を引き起こす事実だった。「かつて最先端にいた人たちがまたしても最先端にいる」という発見は懐かしさと新しさを同時に体験できる貴重なモーメントであり、レイヴ・カルチャーというものが単なるバカ踊りではないという保障を得たようなものでもあった。マラソン、レディメイド、ペリー&ローダン......と、どれだけ彼らが名義を使い捨てようが僕たちは振り落とされなかった。ましてやベーシック・チャンネルだった。
フィッシャーマンズ・フレンドのデビュー・アルバムは「トイトニック・ビーツ」という曲ではじまる。シカゴ・ハウスでも、デトロイト・テクノでもなく、彼らは1989年にはそれらを(日本式の読み方では)「チュートン人」のビートと呼んでいた。チュートン人とは古代ローマに滅ぼされたゲルマン系の民族名で、日本人が自分たちのことを大和民族と呼び習わす感覚に近いだろうか。史上もっとも攻撃的な民族とされたチュートン人にジャーマン・テクノの先駆者たちはアイデンティファイしながらレイヴ・カルチャーに突入していった......らしい。勝手な推測になるけれど、ジャーマン・ロックが「クラウトロック」ならば、ジャーマン・テクノは「トイトニック・ビート」だという差別化の意識が働いたのかもしれない。つまり、大きな壁は「ロック」に向けられていたということだといえなくもない。
マーキュリー傘下に〈トイトニック・ビーツ〉を設立したフェルマンはアレックス・パタースンとのリレイションシップを得て、ウエストバムや元DAFのガビ・デルガドーをフューチャー・パーフェクトなどの名義で〈EG〉にライセンスし、自身はベルギーの〈R&S〉とソロ契約を結ぶ。デトロイト・テクノを洗練させ、さらにはアシュ・ラ・テンペルやクラスターなど、70年代のジャーマン・プログレッシヴ・ロックとも連続性を持たせた表現に移行したのはこの時期からである(ジ・オーブのメンバーとしても活動していることはとくに指摘する必要もないだろう)。
レディメイド名義から数えて通算7作目となるソロ・アルバムは『24Hベルリン』と題されたTV番組のサウンドトラックにあたるらしい。ベルリンに足を踏み入れたことがない僕は、ここで繰り広げられている音楽がベルリンらしいサウンドなのかどうなのかはまったく見当がつかない。『グッド・フリッジ』(98)のように壮大なヴィジョンが展開されるわけではなく、アンダーグラウンド・ヒップホップへの接近を試みた『ロウフロウ』(04)のようなヒネりもなく、たしかに地に足がついているような印象は強い。これがベルリンの日常だといわれれば、あー、そうなんですねーとしかいいようがない。もしくはパブリック・イメージ通りのフェルマン・サウンドが飽きずに展開されているといったほうがわかりやすいだろうか。最初から最後までイヤなところがひとつもなく、それこそ空気のように流れるだけ。シューシューとどこかに溶けていくようなアトモスフェリック・ダブ・テクノ。これは何も変わらない良さだと言い切りたい。
最近のコンパクトはアナログ盤を買うと、必ずCDもおまけで付いているようです。