「Nothing」と一致するもの

Ariel Pink's Haunted Graffiti - ele-king

 アリエル・ピンクの音楽は、いつもハリボー社のグミ・キャンディを思いださせる。とくにクマのやつだ。ピンク、グリーン、イエロー、橙、さまざまな色のクマ型をしたグミがぎっちりと袋詰めされている。みな同じ形だ。表情に乏しいクマが、一様に透き通って光を反射しながらひしめくのを眺めていると、いまにもそれらがわらわらと動き出すのではないかという錯覚にとらわれる。じつにスキゾフレニックな眺めだ。このくらいでないと子どもの心をつかむことができないのかもしれない。

 奇怪で愛らしいアリエル・ピンクの初期作品は、8トラックのテープ・レコーダーで録音された過度にローファイなサウンドと、そのようにスキゾな構成(「構成」と呼ぶのは矛盾だが......)を特徴としていて、セールスはさておき、彼の名とその方法論を広く後続世代に刷り込んだ。多動的でせわしない展開、心に浮かび、消えるままに連ねられたメロディの切れっ端はまさにあのクマ一体一体に重なる。彼を見つけてきたのがアニマル・コレクティヴだというのも意義深い。それぞれ2004年と2005年にアニマル・コレクティヴ主宰のレーベル〈ポー・トラックス〉から再発された『ドルドラムス』『ウォーン・コピー』を聴けば、人びとが何をアリエル・ピンクだと認識しているのかがわかるだろう。個人的には、両作品のあいだに録音されながらも埋もれていたトラックの寄せ集め『スケアード・フェイマス』が聴きやすいと思う。

 さて、だが名門〈4AD〉に移籍となって初の本作は、そうしたアリエル・ピンク像を"卒業"し、更新するものになったようだ。われわれはもうおっかなびっくり彼とR.スティーヴィー・ムーアとを比較しなくていい。生まれた時代も違うのだ。もともと両者を比べようという了見が、偏狭な音楽観に基づいたものではある。しかし、それを措いても今作は、彼自身の文体にしっかりと肉がついたという印象である。
 バンド編成になって初のフル・アルバムであるということも大きいだろう。彼ひとりの頭と心のなかに渦を巻いていた音のヴィジョンは、他のメンバーに共有される過程で様々な妥協や研磨を経験したに違いない。とくに中盤のシングル曲"ラウンド・アンド・ラウンド"以降の流れには、これまでの彼にはない持続的なアンサンブル、そして音質の向上がみられる。

 洒脱なイントロからはじまるシティ・ソウル"ビバリー・キルズ"では、これまでなら「もっと聴かせてほしい」というところで雲散霧消してしまっていたメロディの断片のフル・ヴァージョンが聴ける。もちろん曲という単位の成立を危うくするほどウィアードなチョップが彼の持ち味なのだが、1曲がすっきりと形を備えていても、ちゃんと彼のオリジナリティは生きるのだなと感心した。むしろ引き立つかもしれない。iPodの再生回数を見ると他のアルバムよりも圧倒的に多く、それはそのアルバムの底力を測るひとつの指針ともなるだろう。ダイアー・ストレイツのようなMTVのヒット・ポップスからイーグルスを思わせるようなやや疲れたウエスト・コースト・ロックまで、アダルトでメロウなマテリアルがひとりの男の頭のなかでかき回され、バンドによってフィジカルにほどかれていく。多重人格的に変幻する愛敬あるファルセット・ヴォーカルも少し角が取れていてとてもよい。
 続く"バットハウス・ブロンディーズ"などは、デレク・アンド・ザ・ドミノスかという長尺のギター・ソロがフィーチャーされており、その音の厚みやハードさに加え、ブルージーなフレーズを情緒細やかになぞっていくピンクの声にぐっときてしまう。ソフト&メロウな"キャント・ヒア・マイ・アイズ"も、本作のハイライトのひとつとなるだろう。濡れたようなシンセと甘やかなギターにサックスが切なく絡むAORフィールなミディアム・ナンバー。ここでも彼はしっとりした情感を1曲ちゃんと歌い上げている。これがまた素晴らしい。

 レトロ志向な若いアーティストが多い昨今、否定するつもりはまったくないのだが、その多くはファッション的なものである。しかし、ピンクにおいては古い音へ向かう動機がもう少し根深いところにありそうだ。ローファイ的な方法論にしても、いちどだってシーンのムードにひっぱられたことはないだろう。彼は彼自身の理由でレイドバックしている。それはおそらく、彼の居場所がそこにしかないという切実な理由だ。ガールズのクリストファー・オーウェンスにも同じようなことを感じるが、彼が強度のある名曲をいくつも書いているのとは対照的に、ピンクのほうは全体にまとまりを欠いた散漫な作品が多く、それが彼らしさを形作ってもいた。しつこいようだが、だからこそ1曲が曲としてのまとまった形を成しているということが本当に感慨深いのだ。
 いつまでも大人になるのを拒んでいても仕方がない。これまで彼が見せてくれた作品は、言わば彼の宝箱である錆びた菓子の缶から取り出してきた、キンケシやら鳥の羽やら古い切手やらという幾多のがらくたであった。それはいずれも得難く、純粋で、おもしろく、輝いていた。が、そのまま少数の理解者に囲まれてピュアに生きていこうとすれば大きな苦痛を伴うだろう。どこかで外に出なければならない。本作はバンドという助力を非常に良い方向で得て、ベッドルームから踏み出した記念碑的な作品である。
 決してメジャー感はない。やっていることも、そもそも動機のレベルで流行とは無関係だ。しかし彼の極めて個性的な才能が「夭折の天才」のような終わり方をしてほしくない、まだまだどうなるのか見続けたいという人にとって、『ビフォア・トゥデイ』のできは我がことのようにうれしいはずである。本当に、広く聴かれてほしい1枚だ。

Budamunky & S.L.A.C.K. - ele-king

 『My Space』は、言わば日本における『オリジナル・パイレート・マテリアル』である。何か気の利いたことを言うわけでもなく、ただひたすら彼らの日常のみが描かれているのだ。

 車ではなく電車に乗って東京を移動する、仕事はないが時間はある、梅酒や発泡酒を飲み、そして夜の街を徘徊する、友だちの連れきた女の子に動揺する、夜に自転車をこいで彼女の家まで行く、吸いながら思い切り空想する......そんな「たわいのない話」がいっぱい詰まったアルバムだ。情にすがりつくような感傷主義もなければ、まどろっこしい陰気さもない。何か実のあることを言わなければならないというオブセッションもなければ、経済的な貧しさを売りにすることもない。ラップの自己中心主義とは1億光年離れながら(このアルバムにおける"主語"の少なさといったら......)、S.L.A.C.K.は特徴的な舌足らずの声で彼の日常を淡々と描写する。友だちや恋人、クラブ、朝帰りのまぶしい太陽、やる気のないバイト、怠惰と嫌悪、希望と絶望、愛情と冷酷さが入り交じりながら、しかし感情の起伏は抑えられ、池袋、新宿、渋谷、あるいは足立区から板橋区あたりを、彼はたいした目的もなくぶらぶら歩いているようだ。そんなアンチ・ドラマに満ちた『My Space』は、見通しが決して明るいとは言えない彼らの(そしてわれわれの)日常における、なんとも心地よい夜風のようなアルバムだった。

 去る6月14日、DOMMUNEに登場したS.L.A.C.K.とそしてPunpeeは、彼らの音楽さながら、実に飄々としたものだった。いつの間にか彼らはそこにいて、S.L.A.C.K.はバッグを背負ったままマイクを握ると、いつの間にか消えていた。作為的ではないだろうけれど、自分を懸命にアピールするというよりは、控えめにすることで微妙に際だつというその逆説的な態度は、なるほど『My Space』の柔らかなチルアウトとも繋がっているのかもしれない。


 『Buda Space』は『My Space』のリミックス盤である。リミキサーはブダモンキーというL.A.在住の日本人のトラックメイカーで、『WHATABOUT』にも参加している。その筋ではずいぶんと評判の人らしい。実際、『Buda Space』は力のある作品で、『My Space』をある種のサイケデリックな領域にまで引き延ばしている。メロウだったあの音楽に毒を注ぎ、涼しかったあの音楽に熱と寒さを与えている。『Buda Space』は『My Space』のリミックス盤であることに違いないが、S.L.A.C.K.のラップも録り直しされ、音楽から見える世界は別物となった。

 オウテカにスクラッチを入れたような1曲目の"Enter the BudaSpace"からしてぶっ飛んだプロダクションだが、"Good More"のリミックス・ヴァージョン"Good for"を聴けば、この作品がヘッズたちの実験室で生まれたポスト・ジェイディラの領域で鳴りなっていることがわかるだろう。オリジナル・ヴァージョンでは気取りなく語られた「たわいのない話」が、このアルバムでは暗く冷たいコンクリートの上に投射されているように感じられる。

 痙攣するコンピュータ・ファンクの"Super Kichen Brothers"や"the Third"にも『My Space』にはなかった刺々しさがあるが、もっとも挑発的なのは銃声の音からはじまる"Deep Shit"だろう。ファンのあいだでは人気曲のひとつだと思われる、日常の甘いひとコマを描いたこの原曲を、ブダモンキーはあたかも張り付けにして、ドレクシア流の暗い光沢に塗り替えているようなのだ。これが『My Space』において最高にロマンティックなラヴァーズ・ラップ"Deep Kiss"のヴァージョンであることに一瞬たじろぐかもしれないが、こうした"さかしま"こそがこの作品の魅力というわけだ。

 "I Know Club Bitches"は"I Know About Shit"のヴァージョンである。梅酒と渋谷の空が耳に残るこの曲の叙情主義もまた、ねじ曲げられた映像のように歪んだ世界となってあらわれる。ルーツ・レゲエのドープなダブを響かせる"B.U.D.S."は、『My Space』では最後に収録されていた"S.H.O.C.K"のヴァージョンだ。そこには『My Space』ではひた隠されていたと思われる、なにか強い感情が見え隠れする。

 アルバムは、ブダモンキーによる"Bangin Underground Dimensional Stereo"の不穏なトリップで締めくくられる。「電車で行こう」の"Train On The Tokyo"や爆笑ものの"Dream In Marijuana"はリミックスの対象からはぶかれている。

 『Buda Space』は、好みが分かれるかもしれないが、ずいぶん野心的な試みである。〈ストーンズ・スロウ〉を追っていたというS.L.A.C.K.とブダモンキーの冒険心の賜物と言えよう。限定1000枚なので、すでに売り切れの店も多いと聞くが、まだ探せばあるところにはある。善は急げ。

#6:質問は答えよりも重要 - ele-king


ポストパンク・
ジェネレーション
1978-1984
サイモン・レイノルズ (著)
野中モモ (監修, 翻訳)
新井崇嗣 (翻訳)
シンコーミュージック・エンタテイメント

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 質問は、答えよりも重要である――答えるよりも圧倒的な速度で質問ばかりが溢れ出てしまう。涙のように、とめどなく。感傷的な書き出しだが仕方がない、30年前の話だし、少しばかりは許して欲しい。
 もうひとつある。音楽とはメッセージを伝達するメディアであるという考えに対する反論だ。音楽とは言葉の乗り物であり、サウンドは乗り物の役目さえ果たすならそれで良いという考え、たとえばある種の青春パンクのように、言葉がそれなりに機能しているなら、サウンドはまあまあカタチになっていればそれでよいという考え方の否定だ。サイモン・レイノルズの言を借りれば「音楽を単なるアジテーションの道具とみなすのではなく、このラディカリズムが言葉とサウンドにおいて等しく現れ」ること。つまり、語り口そのものも更新されなければならない、主題とともに文体そのものもフレッシュでなければならない、ということ。そうした意志がポスト・パンクと呼ばれたムーヴメントのもうひとつの大きな特徴だった。
 ゆえにポスト・パンクは、チャック・ベリーを墓に埋めて、おおよそロックンロール以外すべての音楽にアプローチするのだった。

 イギリスの評論家、サイモン・レイノルズの著書『ポストパンク・ジェネレーション1978-1984』の翻訳が出た。原題は『Rip It Up and Start Again』(引きちぎって、もういちどはじめよう)、グラスゴーのバンド、オレンジ・ジュースのデビュー・アルバムのタイトルからの引用だ。原書は2005年に上梓され、欧米ではずいぶんと評判になり、そしてまた議論を呼んだ。
 評判となったのは、率直に言ってこの本が素晴らしいからだ。ザ・レインコーツのジーナ・バーチは冗談めかしながら女性バンドへの注意の欠如を指摘していたけれど、ジョン・サヴェージの『イングランズ・ドリーミング』に続く本があるとしたら、間違いなく本書だ。決定版だと言って差し支えない。レイノルズはポスト・パンクの多様なバンドたちを手際よく分別し、許される限り細かくしっかりと論評している。読み応えがあり、あたらめて知るところも多い。
 そもそもこの本は求められていたのだ。ゼロ年代がポスト・パンク・リヴァイヴァルのディケイドだったからである。われわれはもういちどレコード棚からザ・スリッツやザ・ポップ・グループを、ザ・フォールやスロッビング・グリッスルを引っ張り出した。アシッド・ハウスから20年、もう用はないだろうと奥のほうに仕舞い込んでいた幼児ポルノのジャケットを(TGの『D.o.A.』だ)、ホコリまみれになりながら探し出すとは思ってもいなかった。そして......ギャング・オブ・フォーやヒューマン・リーグが新世代のバンドに影響を与え、ザ・スリッツやザ・レインコーツが来日する日がまさか来るとは......。

 世代的なことをいえば、僕はレイノルズとまったく同じ年齢で、ポスト・パンクを思春期の好奇心のかたまりのなかで聴いている。ザ・レインコーツのインタヴュー記事でも書いているように、いま思えばそれはパンクという火山が爆発したあとに空から無数の素晴らしい音楽が降ってきたようだった。それらのうちの数枚が静岡市という小さな地方都市の輸入盤店の壁に並び、そして僕の人生を変えた。いはやはなんとも......。

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ポストパンク・
ジェネレーション
1978-1984
サイモン・レイノルズ (著)
野中モモ (監修, 翻訳)
新井崇嗣 (翻訳)
シンコーミュージック・エンタテイメント

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 「反抗をカネにする」うしろめたさを誠実に歌うジョー・ストラマーを嘲笑するように、ジョン・ライドンは「反抗でカネ儲け」するために自分の新しいバンド名をPublic Image Limitedという会社名義にした。マガジンは――これもザ・レインコーツの記事で書いたことだが――パンクのルールとなった左翼思想への違和感を、左翼にも右翼にもどちらもにも付かないんだという政治的決意とともに"ショット・バイ・ボス・サイド"で表明した。
 ポスト・パンク台頭の背景にはサッチャー&レーガン(&中曽根)が推進する新自由主義政策があった。とくにイギリスにおいては、そのため音楽から政治性が消えることはなかったが、興味深いのは、多くのバンドがクラスのような従来的な政治集会を前提とする活動とは距離を保とうとしたことだった。パンクの団結心という抑圧から解放された反抗のあれこれといった観点においてもレイノルズが言うようにポスト・パンクは「先回りした」と言えるかもしれない。マガジンのハワード・デヴォードのように、マーク・E・スミスもまた政治性は集団ではなく個人として表明......いや、わめきちらした。「すべてを疑え」が合い言葉だった。パンク・ロックどころかRAR(ロック・アゲイント・レイシズム)といった団体でさえもその対象となった。
 そして生活におけるミクロな政治学が歌われた。あるいはまた、積極的な読書によって得た知識は頻繁に歌詞に引用された。それは気まぐれなボヘミアン的好奇心に導かれたものか、さもなければ深刻な問題意識の結実だった。ドストエフスキーからカミュ、ユイスマンスからJ.G.バラード、ブレヒトからアルチュセール、ベンヤミン、ニーチェ、そしてイギリスのバンドの多くはたいてい「仕上げにシチュオシオニズムをちょいと」ふりかければできあがり――というわけでもなかったが、そういうバンドの代表格がギャング・オブ・フォーだった。

 ポスト・パンクの功績として、女性バンドを数多く輩出したことも見逃すわけにはいかない。しかも彼女たちは、旧来の女性アーティスト像を否定する女性アーティストだった。男の視線をあざけるように泥んこのヌードで登場したザ・スリッツ、あるいはその逆で、ポップ・ビジネス界の常識のあさましさを暴くように普段着のまま登場したザ・レインコーツ、「パーソナル・イズ・ポリティカル(個人的なことは政治的なこと)」を信条としたデルタ5といったバンドは、音楽業界の男たちが求める女性専用のイスをぶちこわして、自分たちが本当に座りたい自分たちの席を確保した。
 また、ポスト・パンクはインディペンデント・レーベルによって支えられていたが、それはたんなる自主制作でもなければ、たんなる個人レーベルでもなかった。特筆すべきは〈ラフ・トレード〉で、ジェフ・トラヴィスによるこのレコード店/レーベルは、それまで男の世界だったレコード店に女性を送り込み、社長を含めた従業員全員が同額の報酬という平等主義を貫いて、会社組織そのものにポスト・パンク的な思想を当てはめた。アーティストとの契約の場から弁護士を追い出した「50:50」契約に関しては、ザ・レインコーツの記事に書いた通りである。

 音楽的なことで言えば、先述したように、ポスト・パンクは白いロックンロールを否定して、むしろそれ以外のジャンルとの接続をはかった。レゲエ、アフロ、ジャズ、ファンク、クラウトロックやエレクトロニック・ミュージック、現代音楽やノイズ、あるいはパンクが否定したプログレッシヴ・ロックのようなヒッピー・ミュージック――ロバート・ワイアット、キャプテン・ビーフハート、イーノのアンビエント・ミュージック、そしてパンクが毛嫌いしたディスコにも近づいた。ジ・アソシエイツのようにフランク・シナトラや映画音楽に着目したバンドがいるいっぽうで、スロッビング・グリッスルのように60年代末のアングラ文化に端を発しているバンドも珍しくなかった。あらゆる位相において、ポスト・パンクは多様だった。

 中学生のときに初めて"サティスファクション"という曲をディーヴォの演奏で聴いた。なんて格好いい曲だろう、と思った。あとになってザ・ローリング・ストーンズによるオリジナルを聴いて、その古くささに愕然としたものだった(その良さは20代になって理解できたが)。ディーヴォの奇妙なユニフォームがロックンロールのケバケバしい服装に対する皮肉だったように、PiLはシックなスーツ姿でメタリックな響きをかき鳴らし、ワイヤーは"ジョニー・B・グッド"をワンコードで演奏した。スロッビング・グリッスルは「音楽をやらない」ことをコンセプトに、ステージ上でヌードになったり、客に血のりを浴びせたりした。オレンジ・ジュースはロックの性表現のすべてを拒み、潔癖性的なアコースティック・サウンドを展開した。ポスト・パンクのロックの文法に対するこうしたシニカルでニヒルな態度をポップの史学ではしばし"アンチ・ロック"と呼ぶが、実際のところ1979年の話をすれば、ロックンロールは加齢臭漂うただ髪の長い老体として最低の扱いを受けていたのである。
 
 ポスト・パンクはロック・ジャーナリズムも変革した、とレイノルズは書いている。ポスト・パンク系の新しいジャーナリズムは、不良性をインテリ的に反逆だとあがめる論法やストリートへの狂信、天才だの狂人だのといったお得意のクリシェ、あるいはニュー・ジャーナリズムの影響下で氾濫したなれなれしい口語的文体「~だよね」「~じゃないのかな」「~しようか」「~だぜ」といった近過去のロック批評へ意義申し立てをした。ジョン・サヴェージとポール・モーリー(のちの〈ZTT〉の創設者、アート・オブ・ノイズとなる)がその代表だったとレイノルズは書いている。
 メディアに掲載されるインタヴュー記事においても変革は起きた。アーティストの側でもただ自分の趣味や影響について語る形式的な安易さを拒み、深い議論を好んだ。話は政治や読書、哲学や映画など多岐におよび、インタヴュー記事は、いつかしか深刻な問題について議論する場にもなった。
 ポスト・パンクの時代は、音楽ライターがそのままバンドのメンバーになることも珍しくなかった。ポール・モーリー以外でも、オルタナティヴ・TVを結成するマーク・ペリーがいたし、PiLやザ・スリッツらと交流のあった女性レゲエ・ライターのヴィヴィアン・ゴールドマン、のちにザ・プリテンダーズを組むクリッシー・ハイドといった人たちも有名だった。スクリッティ・ポリッティにいたっては、「理屈だけの参加でもそれが重大な貢献とみなされ」メンバーとしたほどだった。

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ポストパンク・
ジェネレーション
1978-1984
サイモン・レイノルズ (著)
野中モモ (監修, 翻訳)
新井崇嗣 (翻訳)
シンコーミュージック・エンタテイメント

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 ポスト・パンクにおいて重要人物をひとり挙げよと言われたら、迷わずジョン・ライドンだと答える。ピストルズ解散後の彼が次は「どんなものであろうと反音楽」であることを掲げ、そしてPiLをはじめたことが、どれほど当時の10代の耳と精神と、それから脳みそまで押し広げたことか......。ロックの古典的な神話学(反抗、ドラッグ、女、セックス等々)に冷笑を浴びせながら、ライドンは子供たちがラモーンズやザ・ダムドのレヴェルに留まっていることを許さなかった。ダブのベースラインとカンのミニマリズムのブレンドをたくらみながら、ライドンはポスト・パンクにおける独学主義に導かれた知性を言葉にした。
 アンドリュー・ウェザオールの読書好きは、彼も僕とまったく同じ歳であるがゆえのポスト・パンク世代特有のオブセッションから来ているのだと思う。あの時代、本を読まないミュージシャンは二流だった。レコードの知識だけで認められることはなかったのだ。
 それは主に歌詞に表れた。ゲイリー・ニューマンの"カーズ"やザ・ノーマルの"ワームレザーレット"はJ.G.バラードの『クラッシュ』、ジョイ・ディヴィジョンの"アトロシティ・イグゼビジョン"はJ.G.バラードの『残虐行為展覧会』を参照し(バラードはウィリアム・バロウズと並んでインスピレーションの源だったのだ)、スロッビング・グリッスルがマルキ・ド・サドのアンチ・ヒューマニズムを展開すれば、マガジンはドストエフスキーの描いたアンチ・ヒーローを歌い、ギャング・オブ・フォーはブレヒトを引用した。スクリッティ・ポリッティにいたっては、彼らが入れ込んでいた現代思想家の名前=ジャック・デリダを曲名にしたほどだった。

 スクリッティ・ポリッティの洒落た知識主義やマーク・スチュワートの政治的決意が騒がれるいっぽうで、それらとは反する快楽主義への意識を高めたのもポスト・パンクだった。ヘヴン17、あるいはソフト・セルやジ・アソシエイツといったバンドは、ほんのひとときの"快楽"を臆することなく賞揚した。そしてこうした連中がのちのハウス・ミュージックへと流れていく......と思えば話は早いのだが、ポスト・パンクにおけるダンスへの情熱の裏側にはドイツへのオブセッションが複雑に入りくんでいることも忘れないで欲しい。そう、ジョイ・ディヴィジョン、ウルトラヴォックス、ゲイリー・ニューマン、ジャパン......等々。スロッビング・グリッスルにいたっては、ある時期本気でファシズムに取り憑かれたほどで(このバンドは、レイノルズが指摘するように、アナーキズムの自由意志性が労働論ではなく唯我論に向かうときファシズムとの親和性が待っていることいち例)、それはまあともかく、とくに東欧や旧ソ連や中国への憧れにはマーガレット・サッチャーの新自由主義に晒された若者たちの正直な迷い――この残酷な競争社会を生きるくらいなら統率の取れた社会主義の国でロボットのように生きたほうが楽だという、なんとも辛い、微妙な揺らぎがある。とくにウルトラヴォックスの"アイ・ウォント・トゥ・ビー・ア・マシン"や"マイ・セックス"といった曲には、そうした倒錯性がよく出ている。

 まあ、そんなわけで僕は、ザ・レインコーツの取材でポスト・パンクを「パンクにおける"議論"」という言葉に喩えてみた。もちろんどんなジャンルにも"議論"はあるものだが、ポスト・パンクにおけるそれは表現の、先ほどから指摘しているような、とんでもない多様性に結びついている。
 レイノルズはこう書いている。

 パンクは雑多なる不満分子の大群を、「反対」勢力としてわずかのあいだだけ団結させた。しかし、その問いが「何に対して?」に移行したとき、ムーヴメントは散り散りになり、それぞれが自分自身にとってパンクが意味するものの創造神話と、次にどこへ行くべきかのヴィジョンを育てていった。白熱する議論のなか、それぞれが共有している意見の不一致は、それでもなおそれぞれが共有しているものを明らかにした。パンクによって復活した音楽の力への信頼、そしてこの確信とともに生じる責任。これこそが「これからどこへ?」という問いを取り組むに値するものとした。この分裂と不一致の副産物がポストパンクの多様性であり、60年代の音楽の黄金時代に匹敵するサウンドとアイデアの魅惑的な豊かさなのだ。

 大筋に関してはまったくその通りだと思う。
 『ポストパンク・ジェネレーション』にはイギリスとアメリカ、ドイツやオーストラリアのバンドが取り上げられているが、この国からも多くの偉大なる「興味深い失敗」=ポスト・パンクが生まれている。フリクション、スターリン、タコ、ほぶらきん、非常階段、水玉消防団、チャンス・オペレーション、NON BAND、プラスティックス、P-モデル、じゃがたら、ミュート・ビート、EP4、突然段ボール、ゼルダ、INU、アント・サリー......エトセトラエトセトラ......われわれはこうした音楽に夢中になり、レイノルズが書いているように「どこまで音楽に真剣に取り組めるか、来る週も来る週も試み探求した興奮に次ぐ興奮の日々」を送った(90年代初頭にテクノに夢中になった人にはこの感覚がそれなりにわかる。そう、最低でも週に2回はレコード店をチェックしなければ気が済まない日々のことを......)。

 だが......この素晴らしい労作である『ポストパンク・ジェネレーション』に関してもっとも重要なことを最後に言わせてもらえば、僕も、そしてレイノルズもまた、実はポスト・パンクの弊害についてもよく知っている、ポスト・パンクの"ポスト"についてもよく知っている、ということだ。レイノルズはレイヴ・カルチャーに触発された『エナジー・フラッシュ』を著し、僕も『ブラック・マシン・ミュージック』を書いている。どちらも1963年生まれの音楽狂いが、ダンス・カルチャーに触発されて書いた本だ。われわれ世代は、アシッド・ハウスの到来とともに「さらばポスト・パンクの知識偏重主義よ、さあバカになろう」と言って踊っているのである。ジョイ・ディヴィジョンのレコードを売り払い、中古でバーズのレコードを探し、そして太陽を求めたのだ。
 だから、とうの昔にハウスとストーン・ローゼズを通過したわれわれ世代にとっては、『ポストパンク・ジェネレーション』は、あらかじめ結末を知っている物語を読んでいるようでもある......が、しかしイギリスの高名な評論家は、その結末にあらためて"揺らぎ"を与えているようだ。そうした"揺らぎ"は、ポスト・パンクの時代に思春期を送った人間にとってのある種の因果なのかもしれない。冒頭に書いたように、質問は答えよりも重要なのだ。それは決断主義に徹することのできない弱さと自由、もしくはいい加減さと優しさとの表裏一体を意味する。威張れた話ではないが、40にして迷っている人間だっているのだ。
 レイノルズはこう結んでいる。

 僕が音楽にこんなにも多くの期待を寄せることができるのはあの時代のおかげであり、感謝の思いはこれからも変わらない。

 まったく同意するが、「音楽にこんなにも多くの期待を」寄せているのは、われわれの世代だけではない。磯部涼や七尾旅人や二木信だって、それぞれの背景があり、それなりに期待を寄せている。自分よりも10歳も若いのに裸のラリーズを50枚持っているという松村正人のような人に関してはただただ驚愕するが、彼の場合は、奄美大島出身ということが大きく影響しているのかもしれない。とにかく、当たり前の話、ポスト・パンク世代だけが特別であるはずがない......が、あらためていま思えば、あの時代の音楽にはいまでも有効な、成し遂げるべき夢があるとは思う。

 パンクが否定したヒッピーよりも前向きな意味でヒッピー的で(ラフ・トレードを見よ)、60年代の反体制のスターの背後には敏腕マネージャーやメジャー・レーベル、業界の切れ者たちが付いていたものだが、ポスト・パンクの"カウンター"を後押ししたのは素人たちの理想主義への情熱だった。DIY主義であり、アンチ・スターシステムであり、独学主義だった。ポスト・パンクのそうした態度がやがてわれわれ世代をハウス・ミュージックに向かわせ、レイヴ・カルチャーに突進させたことは言うまでもない。
 だからって30年後のいま、「引きちぎって、もういちどはじめる」べきだろうか? ポスト・パンクには"やり過ぎた"側面もあるし、"曖昧すぎた"ところもあった。"集まる"ことを警戒し過ぎたことも否めない。短期間のあいだにあまりにも多くの実験を詰め込めすぎたのかもしれない。が、迷ったときに立ち返ることは無駄ではない。なにせアイデアの宝庫だし、なにせポップ音楽における新自由主義への最初の反応だった。で、"答え"だって? そんなものは下僕どもにまかせておけばいい――と、ポスト・パンク風な引用でこの原稿を終わりとしよう。

Mathew Jonson - ele-king

 マシュー・ジョンソンは、少々ジェラシー覚えてしまうくらい豊穣な音楽的バックボーンの持ち主だ。自身もミュージシャンであり、劇場を経営していたという彼の両親の影響で幼少の頃から彼のまわりにはありとあらゆる楽器があった。その豊富さたるや、ギターやドラムスやフルートといった一般的なものから、ハープシコードやハンマー・ダルシマー(元々はアイルランド系移民の伝統音楽や15世紀から16世紀にかけてのルネサンス音楽で用いられていた打弦楽器)といった、一般家庭ではそうそうお目にかかれないようなものまで揃っていたというから驚きだ。それらを自由に触ることが可能な環境だったということで、それはそれは楽しいひとり遊びを日々繰り広げていたのだろう。

 10代の頃にはジャズ・バンドでプレイをしながらもヒップホップやブレイクダンス、そしてサイボトロンやデトロイト・テクノの洗礼を受けエレクトリックミュージックへの傾倒を深めていく。そして2001年に〈Itiswhatitis〉からデビューしてからは、そのバックボーンを生かし、音楽的にクロスオーヴァー化が進むテック/ミニマル・シーンの申し子のようにシングル・リリースを重ねていった。またリミキサーとしてもケミカル・ブラザーズやモービーといった大御所の作品を手がけるなど多忙を極める日々だ。そしてマシューのキャリアで忘れてならないのは、地元の仲間と結成しいまや世界に名を轟かすテクノ・ジャム・バンドとなった「コブルストーン・ジャズ」の中心人物としてのいち面だろう。

 バンド形態を採っているテクノ・ユニットは数あれど、コブルストーン・ジャズはそのなかでもとりわけ有機的なセッションを見せてくれるユニットとして知られている。とはいえそれは、いわゆる「ミニマルやテック・ハウス的感覚のフレーズを手弾きしてみました!」というような安易なものではない。プレイされている音そのものは、メンバーのダニュエルが演奏するフェンダーローズとシンセサイザー以外、基本的にはシーケンサーによってプレイバックされている。それでも彼らの音がオーガニックに感じられる理由は、バンドがそのフレーズの組み合わせであったりサウンドの変調の具合だったりを、演奏しながらも非常に密なコミュニケーションをとりつつ変化させていくからだ。そもそも、彼らはステージに横並びには登場しない。まるで食卓を囲むかのように、メンバーはつねに向かい合った状態で演奏する。とはいえ、それはスリリングな緊張関係にあるわけではなく、例えるならばファミレスで気の置けない仲間と食事をしているときに、ふとしたことからギャグの応酬になって場がグルーヴしはじめる瞬間があるだろう。言うならば、そんな感じだ。そういう場にはいわゆる"間合い"を熟知して、場を上手く転がす才覚を持ったセッション・マスターの存在が必要不可欠だが、その役割を担っているのが他ならぬマシューだ。

 つい先日、コブルストーン・ジャズにとってのセカンド・アルバム『ザ・モダン・ディープ・レフト・カルテット』を発表したばかりのマシューの、これはソロ・デビュー・アルバムである。驚くことに全曲客演無しの完全なソロ作品だ。幼少期にギターやハープシコードでしたようなひとり遊びを、今度はハードウェアのシンセサイザーやリズムマシンに持ち替えて再現したともいえる。楽曲の端々には、ハードウェアの特性による微妙なリズムのヨレやそれらが重なり合うことで生じるモワレが見てとれる。そんなガジェットの癖を楽しみながら乗りこなすようにして作られた今作の演奏は、ひとりで製作したにも関わらず生々しいセッション感覚に溢れている。
 冒頭の"ラヴ・イン・ザ・フューチャー"では『セレクテッド・アンビエント・ワークス』の頃のエイフェックスツインを髣髴とさせる美しくも儚げなメロディを奏でたかと思うと、"サンデー・ディスコ・ロマンス"では9小節でループする変則的なロボティック・ディスコを披露するなど、音楽的にも決して一辺倒ではない。もちろん、コブルストーン・ジャズでもお馴染みの、恐らくブレイクダンサー時代に聞き込んだエレクトロやファンク譲りであろう、グルーヴィなシンセ・ベースも健在だ。
 ちなみにマシューがいまコラボレートしてみたい相手というのが、なんとスクエアプッシャーなのだそうだ。お互いの出自やその製作スタイルからしても、相当面白く、かつ過激なセッションが期待できるはず。これは個人的にも、いま一番聴いてみたい組み合わせかもしれない。

Drake - ele-king

 これは、マッシヴ・アタックザ・XXのようなメランコリック・ミュージックを好む者にとって嬉しい作品だと言える。甘美な憂いに満ちたヒップホップ/R&Bのアルバムだ。シャーデー(それからザ・XXやボーズ・オブ・カナダ等々)が好きだというのもよくわかるし、昨年発表したシングル"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"のスウィングするドラムンベースを手掛けた同郷のボーイ・ワンダー、同じく同郷の40(あるいはカニエ・ウェストやなんか)のプロダクションはグイードのデビュー・アルバムともそれほど離れていると思わない。ポップと、まずまずの実験精神との両方を試みている作品とも言えるが、アリシア・キーズをフィーチャーした1曲目の"ファイアーワークス"の甘美な悲しみからアルバムが離れることはない。

 もっとも......周知のように、世のなか的には「ヒップホップにおける救世主」(ガーディアン)であり、「カニエ・ウェストに次ぐスター」(ピッチフォーク)という、カナダのトロント出身の23歳のラッパー、ドレイクによる待望の公式デビュー・アルバムとして脚光を浴びている。あのリル・ウェインの耳を虜にして、彼の〈ヤング・マネー〉と契約した、手短に言ってラップ界における神童のような......というかいわゆる"ノー・ドラッグ・ディーリング、ノー・ヴァイオレンス"路線における期待の新星である。BBCいわく「ラップにおけるヴァンパイア・ウィークエンド」である。

 『サンクス・ミー・レイター』は、用心深い天才が、ラップの"オレ物語"から一歩引いているように見せながら、が、しっかりと"オレ"を主張しているイヤらしい作品だ。『ピッチフォーク』のレヴュワーはこのアルバムに出てくる"I"の回数を数えてみたら、410回もあったと驚いている。ちなみに『ザ・カレッジ・ドロップアウト』で220回、『イルマティック』で210回だから、このハンサムなラッパーの『サンクス・ミー・レイター』はそれらクラシックの二倍も"オレ"が出てきているのである。そんなわけで、「あとでオレに感謝しな」......、しかしそれがどんな"オレ"なのか、リル・ウェインやエミネムのように釈然としたものがあるわけでもなさそうだ、いまのところは。

 ドレイクは実際にトロントの裕福なエリアで育っている。ユダヤ系の白人の母親とアフリカ系の父親のデニス・グレアム(ジェリー・リー・ルイスと働いたドラマー)とのあいだに生まれた彼は、5歳で両親が離婚すると母親に引き取られ、トロントの公立学校で学んでいる。メンフィスに越した父親とも交流を保ちつつ、ドレイクは最初はテレビ番組の俳優として有名になっている。

 2009年の初頭に発表したミックステープ『ソー・ファー・ゴーン』がラッパーとしてのドレイクの本格的なスタートだった。最初にシングル・カットされた"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"は大ヒット、それからこの若いカナダ人は、わずか1年のあいだにメアリー・J.ブライジやジェイ・Zといった大物との共演を果たし、また、その夏には、エミネム、リル・ウェイン、カニエ・ウェストらをフィーチャーした"フォーエヴァー"を発表している。

 とはいえ『サンクス・ミー・レイター』は、"フォーエヴァー"や"ベスト・アイ・エヴァー・ハド"のようなフレッシュなビートよりも、エモーショナルなメロディとその叙情性が耳に残るアルバムとなった。彼のラップが技巧的な面でずば抜けているとは思わないが、その鼻歌ならぬ鼻ラップの魅力的な響きはヒップホップのフロウとR&Bヴォーカルとのあいだを自由に動きまわり、孤独な夜の親密なサウンドトラックをしっかり支えるる。そして、結局のところ豪華なゲスト陣さえ(リル・ウェイン、ザ・ドリーム、ジェイ・Z、スウィズ・ビーツ等々)、彼のドラマの脇役にしてしまう。レーベルメイトのニッキー・ミナージュの耳障りな甲高い声が違和感を放っているぐらいで、アルバムはほとんど完璧に調和の取れたムードで進行している。

 マスターピースの"ファイアーワークス"に続いて、2曲目にして早くもクライマックスかと思えるような"カラオケ"の陶酔的なメランコリーが待っている。"ザ・レジデンス"や"ショーウ・ミー・ア・グッド・タイム"で聴かせる斬新なプロダクションとメロウなフロウの組み合わせも面白いし、シャット・イット・ダウン"(ザ・ドリーム)や"ライト・アップ"(ジェイジー・Z)、あるいは"ミス・ミー"(リル・ウェイン)のような、大物を登場させながら繰り広げられるきめ細かい叙情性には「両親が手にできなかった愛」を求めるドレイクのもっとも美しい姿を見ることができるようだ。まあ......、わめき散らすこともなく、誰かをののしることもない、優雅な声とフロウ(あるいはすすり泣き)に満ちた見事なデビュー・アルバムだと思う。豪華だが月明かりのような音楽で、ありきたりの言葉で言えば、よくできたモダン・アーバン・ソウルである。ドレイクの最初の一歩であり、この機会を逃す手はない。

 ところで服役中のリル・ウェインだが、刑務所では模範的な生活を送り、看守たちからの信頼も厚く、いまでは自殺志願者の監視役となっているという話だ。ドレイクは刑務所にいるウェインを面会に訪ね、コラボレーション作品の構想を相談し、そして先日その計画を公に発表している。「恩人への恩返しをしたいんだ」、とドレイクは説明している。もっとも感銘を受けたアルバムが『イルマティック』だった、というのは伊達ではないのだ。

Chart by TRASMUNDO 2010.06.29 - ele-king

Shop Chart


1

Budamonk&S.L.A.C.K.

Budamonk&S.L.A.C.K. 『Buda Space』 »COMMENT GET MUSIC

2

ONE-LAW

ONE-LAW 『FAMILY RE:UNION #8』 »COMMENT GET MUSIC

3

HIRAGEN from TYRANT

HIRAGEN from TYRANT 『CASTE』 »COMMENT GET MUSIC

4

DJ PK presents(CIAZOO、SEMINISHUKEI)

DJ PK presents
(CIAZOO、SEMINISHUKEI)
『TEKNO BOMBING』 »COMMENT GET MUSIC

5

Sunouchi Kemm

Sunouchi Kemm 『deconstruction』 »COMMENT GET MUSIC

6

SONETORIOUS(SEMINISHUKEI)

SONETORIOUS
(SEMINISHUKEI)
『Bedtime Beats vol.1』 »COMMENT GET MUSIC

7

KRBT A.K.A.DON.K(SEMINISHUKEI)

KRBT A.K.A.DON.K
(SEMINISHUKEI)
『Bed yu to eat』 »COMMENT GET MUSIC

8

LIL' MOFO(WAG.)

LIL' MOFO
(WAG.)
『BAJO EL SUELO spanish underground peeping』 »COMMENT GET MUSIC

9

平塚デコーダー

平塚デコーダー 『Drip On Sugar』(DEMO) »COMMENT GET MUSIC

10

ISEHARA KAIDO BOYS

ISEHARA KAIDO BOYS 『FUCK MONDAY』(DEMO) »COMMENT GET MUSIC

interview with The Raincoats - ele-king

 緊張していた。アリ・アップやマーク・スチュワートのときはビールがあったから良かったのだ。取材時間も1時間以上押していた。待つことは苦ではないが、こういう場合は時間の使い方に困惑する。カメラマンの小原泰広くんがサッカー好きで助かった。われわれは六本木のスターバックスでおよそ1時間に渡って今回のワールドカップについて論評し合った。

 「僕はいま46歳ですけど......」、正直に打ち明けることにした。「1979年、15歳のときに地元の輸入盤店でザ・レインコーツのデビュー・アルバムを知って、そして買いました。それは僕にとってもっとも重要な1枚となりました」

 音楽ごときに人生を変えられるなんて......と昔誰かがあざけりのなかで書いていた。ところが僕の場合は、音楽ごときに人生を変えられたと認めざる得ない。もし自分が中学生のときパンクを知らずに、そして高校生になってザ・スリッツやザ・ポップ・グループやPiLや......エトセトラエトセトラ......あの時代のポスト・パンクを知らずに過ごしていたら、まったく違った人生を送っていただろう。
 そしてあの時代のすべての音楽が説いてくれた"現在"に夢中になることの大切さと"未来"に向かうことの重要性をいまでも忘れないように心がけている。よって......ザ・レインコーツのライヴの2日前のS.L.A.C.K.、Rockasen、C.I.A.ZOO、その前日の七尾旅人、iLL、トーク・ノーマルといった"現在性"の並びで30年前に死ぬほど好きだったバンドのライヴを観るというは、残酷な郷愁と純真な愛情が入り混じった、なんとも複雑な思いに支配されることでもあった。僕は......聖地を目指す巡礼者のように、余計なものを入れずにその日を迎えるべきだったのだ。そうすればもっとたくさんの違った言葉が溢れ出たかもしれない。

 が......、そんな不埒な思いを巡らせながらも、なんだかんだとこうしてぬけぬけと彼女たちに会いに来てしまった。煮え切らない46歳のオヤジとして。
 アナ・ダ・シルヴァとジーナ・バーチのふたりは、その日8時間も取材をこなしているというのに、ステージと同じように、おそろしく元気だった。


向かって右にジーナ・バーチ、左にアナ・ダ・シルヴァ。ソロ・アルバム、楽しみっす。
(photo by Yasuhiro Ohara)

奇妙な発音の外国人やアウトサイダーが多かったのよ。なぜなら私は当時スクウォッターだったから。パンクのコミュニティのなかで暮らしていたの。空き家に住んでいた。都市のアウトサイダーたちの溜まり場よね。

ライヴで"歌っていて楽しい曲"と"演奏していて楽しい曲"をそれぞれ教えてください。

アナ:歌っていて楽しいのは"シャウティング・アウト・ラウド"ね。演奏して楽しいのは......ないかも、失敗ばかりするから(笑)。

ジーナ:私は"シャウティング・アウト・ラウド"が演奏するのが楽しいわよ。まるで空中を滑るようなベースラインが好きだし、演奏しているあいだに異なった雰囲気が出てくるんだけど、それをフォローしていくのが楽しい。

アナ:私は演奏して楽しかったのは"ノー・ワンズ・リトル・ガール"かな。私はギターを引っ掻いたりしてノイズを出すのが好きだから。

ジーナ:歌うのが楽しいのは"ノー・サイド・トゥ・フォール・イン"よね。コーラス・パートがあるでしょ、あのみんなで「わー!」って声を出すのがいいのよ。ひとりで歌うなら"ノー・ルッキング"。ファースト・アルバムの最後に入っている曲よ。

今日はたくさんの取材を受けて、さんざん昔の話をしたと思うのですが。

アナ&ジーナ:ハハハハ。

1979年。ザ・レインコーツのデビュー・アルバムがリリースされた年、あなたがたはまず何を思い出しますか? 

アナ:1979年の4月にシングルが出て、で、たしか11月よね、アルバムが出たのは。「わお!」って感じだった。あるとき〈ラフ・トレード〉に務めていたシャーリー(後のマネージャー)が言ってきたの。「あなたたちのシングルを出すわよ」って。そのとき「あー、私たちはバンドで、シングルを出すんだ」と実感した。そしてツアーに出て、〈ラフ・トレード〉からアルバムを出した。それは素晴らしい感動だったわ。

ジーナ:私はノッティンガムからロンドンにやって来たばかりだった。で、パルモリヴがスペインから来た子だったでしょ。彼女の英語の発音がおかしくてね、たとえばフライングVの「V」を発音できずに、「B」と発音するのよ。当時私は音楽のこと何も知らなかったから、その楽器の名前をフライングBだと思っていたのよ。シングルが出たとき、初回プレスがクリア・ヴァイナルだったから、私たちが「ヴァイナルが出たわね」とか言ってると、パルモリヴがそれを「ヴァニール」って発音するのよ(笑)。「ヴァニラじゃないのよ」って(笑)。

アナ:ハハハハ。

ジーナ:そう(笑)。私はイングランドに住んでいるはずなのに、私のまわりにはそんな人ばっかだったの。奇妙な発音の外国人やアウトサイダーが多かったのよ。なぜなら私は当時スクウォッターだったから。パンクのコミュニティのなかで暮らしていたの。空き家に住んでいた。都市のアウトサイダーたちの溜まり場よね。

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決してエリート主義にはならなかったわ。でも、とてもインテリジェンスがあったし、そうね、ジョン・ライドンには会ったことがあるんだけど、他人に気配りができて、率直にモノが言えて、すごく誠実な人だと思ったわ。

ザ・レインコーツのまわりにはディス・ヒートやレッド・クレイヨラのようなバンドがいましたが、あなたがたからみて当時のバンドやアーティストで他に重要だと思えるのは誰でしょうか?

アナ:まず思い出すのは、ペル・ウブよね。それからディス・ヒートもすごかった。ライヴが素晴らしかったのよ。普通のバンドはドラムのカウントからはじまるでしょ。ディス・ヒートはそんなことなしに、いきなり「ガーン」とはじまるのよね。

ジーナ:ヤング・マーブル・ジャイアンツは偉大だったし......。

あの当時はPiLの『メタル・ボックス』やザ・スリッツの『カット』やザ・ポップ・グループの『Y』や......。

ジーナ:ザ・ポップ・グループ! そう、それものすごく重要! 私がいま言おうとしたのよ。私はザ・ポップ・グループの最後のライヴを観ているのよ。もうそのライヴでバンドからマーク・スチュワートが抜けるっていうことがわかっていて、私はマーク・スチュワートのところまで駆けていったわ。「どうかお願い、ポップ・グループを辞めないで。ポップ・グループはやめてはいけないバンドなのよ!」って叫んだわ(笑)。

ハハハハ。ちょうど1979年、最初に話したように、僕は地方都市に住んでいる15歳でした。近所の輸入盤店に、ザ・スリッツ、ザ・ポップ・グループらとともにザ・レインコーツのファーストのジャケットが壁に並びました。当時は、円がまだ安かったのでイギリス盤はとても高くて、2800円しました。それでも1年かけて、僕はその3枚を揃えました。1979年には他にも素晴らしい音楽がたくさん発表されました。他によく覚えているのはPiLの『メタル・ボックス』でした。イギリスだけではなく、日本からもいくつもの興味深いバンドが登場しました。で......。

アナ:あなたのその話、私知ってるわよ。あなた私のMy spaceにメール送ったでしょ?

僕じゃないです(笑)。

アナ:いまのあなたの話と同じ話だったのよね。

なんか......パンクという火山があって、その火山が爆発したら、いっきに空からたくさんの素晴らしい音楽が落ちてきた、そんな感じでした。

アナ:私もまったくそう感じたわ。セックス・ピストルズやザ・クラッシュの最大の功績はそこよね。「自分たちでやれ」と言ったことよ。バズコックスのようなバンドだってセックス・ピストルズを観てはじまった。あらゆるバンドがそうだった。私はアメリカのバンドも好きだったわ。パティ・スミス、テレヴィジョン、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズ、トーキング・ヘッズ......彼らは音楽的に興味深かった。彼らはイギリスのバンドに影響を与えた。当時のポスト・パンクが素晴らしかったのは、それぞれが違うことをやっていたことよね。セックス・ピストルズやザ・クラッシュの物真似みたいなバンドもいっぱいいたけど、私たちのまわりにいたバンドはそれぞれ違うことをやっていたわ。

ジーナ:私はアナよりも年下だったから、私はイギリスのパンクの第一波に影響を受けたわ。アメリカのバンドを知ったのはもっと後になってから。

アナ:そうね。私があるパーティに行ったとき、ものすごい特徴のある声が聞こえてきたの。それがパティ・スミスの『ホーシズ』だった。しばらくして彼女がロンドンの〈ラウンドハウス〉というライヴハウスに来ることを知った。そこに私は行ったのよ。まだセックス・ピストルズが出てくる前の話よ。

パティ・スミスは、やはりその後の女性バンドのはじまりだったんですね。

アナ:彼女が「自分たちで何かやりなさい」という勇気づけ方をしたわけじゃないけどね。ただ、その音楽がすごく良かったのよ。

ジーナ:パティ・スミスがロンドンに来たとき会場でアリ・アップとパルモリヴが出会って、で、ある意味でそれでザ・スリッツが生まれたとも言える。で、ザ・スリッツからザ・レインコーツが生まれたとも言えるわけだし、繋がっているのよ。

アナ:そういえば、パティ・スミスとロバート・メイプルソープとの関係を中心に書かれた彼女の本が出版されて読んだんだけど。

ジーナ:ああ、あれね!

アナ:そうそう、あれはとても美しい話だったわよ。

パティ・スミスのレコード・スリーヴは、まあ、いわゆる"ロックのレコード"じゃないですか。でも、ザ・レインコーツや『カット』や『Y』のジャケットがレコード店に並んでいるのを見たとき、すごい違和感があったんですね。ロックのレコードとは思えない、いままで感じたことのないものすごいインパクトを感じたんですね。初めて見たザ・レインコーツのプレス用の写真もよく憶えていて、みんなで普段着のままモップを持っている写真がありましたよね。あれもまったくロックのクリシェを裏切るような写真だったと思いました。アンチ・ロック的なものを感じたんです。

アナ:そこまで深い理由はないんだけど、自然にそう考えたのよ。たしかに普通はジャケットにバンドの写真を載せるものだったんでしょうけど、そのアイデアは最初からなかったわね。しかし、あなたも若いのによくそこまで気がついたわね。

ジーナ:まるで私のママみたいだわ(笑)!

はははは。

アナ:セックス・ピストルズやジョイ・ディヴィジョンにはそれぞれデザイナー(ジェイミー・リードとピーター・サヴィル)がいたけど、私たちにはいなかったわ。デザインのアイデアもすべて自分たちで考えたのよ

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インディペンデント・レーベルにもネガティヴな面があるからね。〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉は考えもお金もすごくしっかりしていたけど、いい加減なレーベルも多かったのよ。

パンクというのはすごく極端なエネルギーだったじゃないですか。だからパンクに関する議論のようなものもあったと思うんですよ。パンクに対する"議論"みたいなものと、音楽はまだ前進することができるという野心があれだけの多様性を生んだのかなと考えたのですが、どうでしょうか?

アナ:議論?

たとえば......僕はザ・クラッシュが大好きですけど、やっぱマッチョなところがあったと思うし、あるいはマガジンの有名な曲で、えー、なんでしたっけ? "ショット・バイ・ボス・サイド"?

ジーナ:そう、ショット・バイ・ボス・サイド"ね。

「両側から撃たれる」っていうあれは、「右翼」にもつかないし、「左翼」にもつかない、どちらにもつかないんだという、政治的だったパンクへの批評精神の表れじゃないですか。あるいはセックス・ピストルズやザ・クラッシュはメジャーでやったけど、ポスト・パンクはインディペンデント・レーベルだったじゃないですか。そこにも批評性があったと思うし......。

アナ:そうね。リスクを背負ってもやりたいことがやれる、クリエイティヴなインディペンデント・レーベルを選んだわ。メジャーはわかりやすいものを好むのよ。だから、自然と多様性はインディペンデント・レーベルのほうにあったわね。

ジーナ:でもね......ヒューマン・リーグみたいにメジャーで成功したバンドもいたし、ギャング・オブ・フォーはものすごく左翼的なバンドだったけど、メジャーと契約したわよ(笑)。いいのよ、それは彼らの論理で、ケダモノたちのなかから変えてやれってことだから。でも、私たちはインディペンデント・レーベルが性にあったのよね。

アナ:それにインディペンデント・レーベルにもネガティヴな面があるからね。〈ラフ・トレード〉や〈ファクトリー〉は考えもお金もすごくしっかりしていたけど、いい加減なレーベルも多かったのよ。

ちょっと僕の質問の仕方が悪かったんで、話がずれてしまったんですが、言い方を変えると、何故この時代のバンドは情熱と勇気がありながら同時に頭も良かったんでしょうか? ということなんです。ジョン・ライドンやマーク・E・スミスのような人たちは独学で、大量の読書を通じてメディアやアカデミシャンを小馬鹿にするほどの知識を得ていたし。

アナ:ええ、ジョン・ライドンは本当に偉大な人だと思う。

ええ、とにかくあれだけ情熱的で、頭も良くて、で、しかもわかる人だけにわかればいいというエリート主義にならなかったじゃないですか。

アナ:そうね、決してエリート主義にはならなかったわ。でも、とてもインテリジェンスがあったし、そうね、ジョン・ラインドンには会ったことがあるんだけど、他人に気配りができて、率直にモノが言えて、すごく誠実な人だと思ったわ。

ジーナ:そうね、マーク・E・スミスでよく憶えているのは、彼はちゃんとした学校教育を受けていないのよ。でね、ザ・フォールをはじめたときに、普通だったら16歳から19歳のあいだに修了しなければならないAレヴェルの英語を、マーク・E・スミスは成人してから独学で修得したの。ザ・フォールであのアナーキーなキャラクターをやりながらよ! 私はそれがすごくファンタスティックだと思ったのよね。独学というのは素晴らしいことよ。

アナ:そこへいくと〈ラフ・トレード〉のジェフ・トラヴィスはケンブリッジ大学出ているからね。

スクリッティ・ポリッティの歌詞なんか何を言ってるのかさっぱりわからかったですからね。グリーンが現代思想を読み耽って書いていたっていう。

アナ:あー、あれはわかるわけないわ(笑)。

ジーナ:安心して、私たちもわからないから(笑)。

アナ:てか、読んでないから(笑)。

ハハハハ。

アナ:(グリーンのナルシスティックなゼスチャーを真似しながら)おぇー。

ジーナ:いわば大学院の博士課程路線よね。それをポップ・カルチャーにミックスしようとしたのよ。

まあ、スクリッティ・ポリッティの話はともかく、ポスト・パンクにはどうして情熱と頭の良さの両方があったんでしょうね?

アナ:私たちは情熱だけよねー。まあ、知性はぜんたいの30%ぐらいかな(笑)。

ジーナ:アナはインテリよ(笑)。サイモン・レイノルズの『ポストパンク・ジェネレーション』を読んだけど、いろんなアーティストを過去の偉大な作家たちと比較したりしていて、そこはまあいいんだけど、何故か女性バンドの話になると「彼女たちもそうだった」ぐらいの扱いになっているのよね(笑)。ちょっと注意が足りないんじゃないかな。

ハハハハ。質問を変えましょう。僕はいまだにザ・レインコーツみたいなバンドを見たことがありません。それってザ・レインコーツがこの30年消費されずにいたことだと思うんですよね。

アナ:ありがとう。そう言ってもらえるのは嬉しいわ。「ザ・レインコーツに影響されました」というバンドがたまにいて、音を聴かされるとただケオティックなだけだったりするの。カオスはザ・レインコーツのいち部でしかないのよ。まあ、ザ・レインコーツの真似されても嬉しくないしね。

ジーナ:だけど私は、MAGOは私は気に入ったわ。繊細さと大胆さがあって、オリジナルだと思った。彼女たちから「影響受けた」って言われるのはわかるような気がする。

アナ:そうね。重要なのは「自分たち独自のもの」を探すことよ。それがザ・レインコーツってことでもあるから。

ただ、いまの時代、1979年のように音楽を新しく更新させることはより困難になっていると思いませんか? 音楽のパワーが落ちていると感じたことはありますか?

アナ:昔と比べるのはあんま好きじゃないけど......いまでも新しいものは出てきていると思うわ。ただし、インターネットの影響は大きいわよね。選択肢があまりにも多すぎて、選ぶ気がおきない。それでパワーが落ちたというのはあると思うけどね。

僕個人はむしろ"現在"のほうに興味があるのですが、なんだか多くの人は"過去"を向いているように思えるフシが多々あるのです。

アナ:そうねー。

ジーナ:わかるわかる。友だちの娘に「あなた何が好き?」って訊いて「レッド・ツェペリン」だもんね(笑)。

ビートルズとかね?

アナ:ビートルズは偉大よ(笑)!

ジーナ:でも、あなたのように"現在"に夢中な人だっているわよ。

アナ:そうね、あなたが会ってないだけよ!

ハハハハ。いないこともないんですけどね......。ちなみに新しい世代の音楽では何が好きですか?

アナ:やはりどうしても、15歳の音楽体験は特別なものなのよ。ボブ・ディランやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ローリング・ストーンズを初めて聴いたときの衝撃というのは消えないもので、年齢を重ねていってもそれと同じような衝撃を受けることはないと思うの。

アナはでも、チックス・オン・スピードのレーベルからソロ・アルバムを作っているじゃないですか? テクノは聴かない?

アナ:ひとつのアーティスト、ひとつのスタイルばかりを強烈に聴くことはもうないのよ。

そうですか。わかりました。ありがとうございました。近い将来にリリースされるというおふたりのソロ作品を楽しみに待っています。

アナ:それでは15歳の少年にサインしよう(笑)。

ぜひ!

 ......それから記念撮影までしてしまった......。
 
 これは『EYESCREAM』の連載でも書いたことだが、ザ・レインコーツのデビュー・アルバムのアートワークは、いま思えば可愛らしいとも思えるかもしれないけれど、当時あれは『カット』や『Y』と並んで、レコード店のなかで強烈な異臭をはなっていたのである。パティ・スミスの『イースター』が古くさく感じてしまったし、手短に言えば彼女たちのアンチ・ロックのセンスは音楽の世界に明白な亀裂を与えた。音のほうも......とてもじゃないが、キュートだなんて思えなかった。破壊的で、混沌と調和が入り交じって、それでいて素晴らしい生命力を感じたものだった。

 と同時に、写真で見る、いたって普段着の彼女たちは、ショービジネスの世界で女性がありのままの普通でいることが、どれだけ異様に見えるかを証明し、逆にショービジネスの世界の倒錯性を暴いてみせたのだった。レディ・ガガのような人が哀れなのは、本人はアートのもつもりでもあれは結局のところ、型にはまったショービジネスそのものでしかないからだ。ちなみにアートとは......ジョン・ライドンやマーク・E・スミスのような連中がとくに馬鹿に言葉である。

 ザ・レインコーツは〈ラフ・トレード〉らしいバンドだった。ジェフ・トラヴィスが経営した〈ラフ・トレード〉は、"男の世界"だったレコード屋のカウンターのなかに女性を送り込み、ザ・スリッツ、デルタ5、エッセンシャル・ロジックなど女性アーティストを積極的に後押しした。

 そして「50:50」契約も実現した。これは経費を除いた利益をレーベルとアーティスト側で半々に分配するというやり方だ。音楽業界の印税率を考えると、おそろしく破格の契約であるばかりか、弁護士の出る幕をなくし、わかりやすい平等思想を具現化したものだった。そうしたフェミニズムとコミュニティ意識のなかで、ディス・ヒートやレッド・クレイヨラとともにザ・レインコーツはいた。彼女たちのセカンド・アルバム『オディシェイプ』ではチャールズ・ヘイワード(ディス・ヒート)が叩き、ロバート・ワイアットとリチャード・ドゥダンスキー(PiL)も参加した。『オディシェイプ』はデビュー・アルバムとはまた違った方向性を持っている作品で、これもまたこの時代のクラシックの1枚である。

Actress - ele-king

 "ミュージック・コンクレート"ならぬ"R&Bコンクレート"......というのがアクトレスが自身の狂った音楽に付けた呼称である。それは「風変わりな子供のためのネヴァー・エンディング・ストーリーである」、とこの29歳の青年は説明している。

 復活した〈R & S〉におけるジェイムス・ブレイクやパリア(Pariah)によるポスト・R&B(ブリアルの"アーチェンジェル"の発展型)、ないしはT++の野心的なミニマリズム 、ないしはサブトラクト(Sbtrkt)やデトロイトのカイル・ホール......といった新世代プロデューサーの台頭は、エレクトロニック・ミュージックに新しい風を送り込んでいる。はっきり言って、いま耳を面白くさせてくれる音は、テクノとダブステップのあいだに広がるなんとも意味不明な、どうにも怪しげな一群のなかに数多くある。アクトレスもそんな新感覚派のひとりだ。
 アクトレス(女優)という名の人物の本名はダレン・J・カニンガム、女性ではない、なかなかハンサムな黒人男性で〈Werk Discs〉なるレーベルを運営している。ブリクストンを拠点とするこのレーベルは、ゾンビーによるレトロ・レイヴのアルバムを出しかと思えば、アクトレスによるロービット・ハウスないしは奇才スターキーのシングルをリリースするいっぽうで、マシュー・ハーバートやダブリー、あるいはデトロイトのアンソニー・シェイカーらとのイヴェントを企てる。ロンドンの現代美術の拠点〈ICA〉でイヴェントを組むほどだから、ちょっとしたディレッタントなのかもしれない。とにかく〈Werk Discs〉は、ロンドン・アンダーグラウンドにおいてもっともエクスペリメンタルなレーベルのひとつである。
 また、彼の記事を読めば、まざまなジャンル用語やアーティスト名(ダブステップ、ディスコ、レゲエ、エレクトロ・ブギ、R&B、ニュー・ジャック・スウィング......そしてプリンスにアンダーグラウンド・レジスタンス)が飛び交っている。が、しかしアクトレスの音楽はそれらのどれでもない。

 ジェイムス・ブレイクやパリアのソウル・ミュージックが、伝統的なそのフィーリングを活かしつつ、しかし、その音楽は5次元に展開されたマーヴィン・ゲイのような捻れ方をしているように、アクトレスのベース・ミュージックは......、喩えが悪くて申し訳ないが、さながらサイケデリック・ドラッグのやり過ぎで聴覚が狂った状態において聴こえる音像である。変化することを狂わんばかりに望み、すべてのスタイルを受け入れ、それでいてユニークで新しい何かを創造しようとする熱意に導かれたエレクトロニック・ミュージックだ。
 『スプラジシュ』はアクトレスにとって2枚目のアルバムで、インストラ・メンタルの〈ノン・プラス〉からの素晴らしいシングル「マシン&ヴォイス」に続くリリースとなる。「マシン&ヴォイス」にはマシナリーなファンクがあったが、『スプラジシュ』はどちらかといえば悪い酔いしたアンビエントであり、ネヴァー・エンディング・ストーリーというよりは、不安に満ちた迷路である。ざらついたブレイクビーツ、叩き割られたSF映画のサントラ、狂ったシンセサイザー、不協和音、不気味なノイズ、アシッディな音響......それでもこの音楽はクラブ・ミュージックを故郷としている。昨年シングル・カットされた"ハブル"はダンスフロアに強力な幻覚作用をもたらすだろう。"オールウェイズ・ヒューマン"や"セニョリータ"もサイケデリックなソウル・ハウスで、"レッツ・フライ"は喩えるならオウテカが手掛けたミニマル・テクノだ。やがて"ケトル・マン"の薄気味悪い夢の世界を彷徨い、結局アルバムは最後までリスナーを安心させたりはしない。しかしこれはスリルと意味不明な展開による逃避主義の成果なのだ。

 それにしてもつくづく思うのは、カネもないのにレコード店に行くべきではない、という当たり前のことだ。店を出るときには財布の中身がなくなっている......。

Chart by JETSET 2010.06.28 - ele-king

Shop Chart


1

THE BACKWOODS

THE BACKWOODS SUN STREAM / MIDNIGHT RUN »COMMENT GET MUSIC
DJ Chida主宰の注目国産レーベル"ene"から3タイトル同時入荷です!!ご存知日本を代表するニュー・ディスコ・ユニット"Force Of Nature"のDJ KENTがラウンチしたニュー・プロジェクト"The Backwoods"による待望のデビュー・アルバムから先行12"カットが到着です!!

2

ALLO DARLIN'

ALLO DARLIN' S.T. »COMMENT GET MUSIC
無条件降伏しかありません。正統派UKキューティー・バンドの超感動ファースト・アルバム!!LPも到着しました!!大人気爆発のロンドンの4ピース、Allo Darlin'。瑞々しいヴォーカルと、躍動感溢れる爽やかなサウンド、愛らしく儚げな雰囲気、全てがスペシャルです!!

3

9DW

9DW CALIFORNIA EP »COMMENT GET MUSIC
DJ Chida主宰の注目国産レーベル"ene"から3タイトル同時入荷です!!サイトウケンスケ率いる日本が誇る世界標準コズミック・ファンク・バンド"9dw(Nine Days Wonder)"の'08年傑作アルバム"9dw"から、豪華気鋭アクトによるリミックス・カットがドロップ!!

4

ADMIRAL FREEBEE

ADMIRAL FREEBEE MY HIPPIE AIN'T HIP »COMMENT GET MUSIC
ベルギーのグルーヴィー・シンガー・ソングライターをDJ Harveyがリミックス!!当店人気のArsenalをリリースするPlay Out!から、ベルギーのディランな男気S.S.W.、Armiral Freebeeのシングル!!

5

KAORU INOUE

KAORU INOUE THE INVISIBLE ECLIPSE FEAT. JEBSKI »COMMENT GET MUSIC
ニュー・アルバムからの先行12"カット第2弾!!名作"Dancer"から5年振りのリリースを控える待望のニュー・アルバム"Sacred Days"から、DJ Yogurtとのコンビで御馴染み"Jebski"をフィーチャーした"The Invisible Eclipse"に加え、エンジニアNagとの共作"Ground Rhythm"の2トラックスを収録した先行12"カットが到着です。

6

D BRIDGE

D BRIDGE PRODUCER NO2 REMIX EP »COMMENT GET MUSIC
最新鋭UKGシーンを牽引する天才RamadanmanによるリミックスB1を搭載!!☆特大推薦☆UKブロークン・ヒップホップ最重要レーベルの一角を成す名門Fat Cityからの傑作コンピ・シリーズ第2弾収録トラックを、鬼才2組がリミックスした強力カット!!

7

TIAGO

TIAGO RIDER »COMMENT GET MUSIC
DJ Chida主宰の注目国産レーベル"ene"から3タイトル同時入荷です!!ene待望のニュー・リリースは、先日のHands Of Timeからのリリースも素晴しかったポルトガルの大注目アクト"Tiago"が登場!!加えてこちらも大注目の国産ユニット"Cos/Mes"が手掛けるリミックス・トラックも収録!!

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SILENT FREQUENCIES & VIBROMASTER / SILENT FREQUENCIES

SILENT FREQUENCIES & VIBROMASTER / SILENT FREQUENCIES EAST TALES / SILENT PROPHECIES »COMMENT GET MUSIC
☆大推薦☆姫神がダブステップ化したかのようなA1が激フレッシュです~!!フレンチ新興レーベルNeo Stepからの第1弾リリースを飾るのは、新鋭デュオSilent Frequenciesによるこちら。ヒーリング/ニューエイジ・ダブステップ特大ボムっ!!

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FEMI KUTI

FEMI KUTI FEMI REMIXES »COMMENT GET MUSIC
アフロ・ビートの申し子、Femi KutiのリミックスEPが登場!リミキサーにGeneral Elektriks、Chinese Man、Boom Bass、Bost&Bimを迎え、より幅の広がったアフロ・グルーヴに仕上がっています!

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AEROPLANE

AEROPLANE WE CAN'T FLY »COMMENT GET MUSIC
傑作トラックを引っ提げ久々の登場。確実に押さえて頂きたい名作です!!同郷"Eskimo"から4作目のシングル・リリースとなった人気アクト"Aeroplane"。リリース控えるファースト・アルバム"We Can't Fly"から話題のリード・トラックが先行12"カットです!!お見逃し無く~

The Drums - ele-king

 シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』......20世紀初頭の富裕なユダヤ系批評家が、その晩年に記した回想録だ。そこには戦前のヨーロッパの、香しく華やかにして洗練を極めた文化への追憶が、無量の感激、そして絶望とともに綴られている。大戦とそれが生み出した新しい秩序によって損なわれ、もはや二度と戻ってはこない"昨日の世界"。振り返られるものがことごとく美しいように、彼の筆になる"昨日の世界"も甘美だ。いや、彼らの時代の彼らの文化がもっとも美しいのだという気にさえなる。しかし過去の描写が冴えれば冴えるほど、彼自身が現実に対して抱いていた絶望の深さに思い当たって慄然とする。

 というのはいささか大げさな前置きではあるが、ザ・ドラムスは"昨日の世界"を生きるバンドだ。それは昨今の安易なレトロ・ブームとは一線を画する。リヴィング・シスターズのようなモータウンのコスプレとも、モーニング・ベンダースの無邪気な懐古趣味とも違う。もっと徹底した"いま"への嫌悪がある。かといってお家芸的にヘヴィ・サイケを追求するデッド・メドウズその他のように、現実の向こう側へ突き抜けてしまった人たちでもない。そして、心からこの世に居場所のない、さまよい傷ついた魂を抱えてレイド・バックした詩人たち......アリエル・ピンクやガールズとも画然と異なる。

 彼らは一級の役者だ。徹底的に"昨日の世界"を構築し、生き、魅せる。音にもヴィジュアルにも隙がない。彼らのアーティスト写真を見て誰がいまのバンドだと思うだろう? ネオサイケの耽美な憂鬱を溶かし込んだ、鈍いモノクローム。あるいはポスト・パンクのぎらぎらとしたモノクローム。カラー写真も、ネオ・アコースティックへのオマージュあふれる構図を持ちながら、どこかテクニカラー・フィルムを思わせたり、トイカメラ風の濃厚な発色を強調したものが多い。かのエディ・スリマンも彼らに惚れ込み、ホモソーシャルな視線が織り込まれた美しいモノクロ写真を撮っている。これは彼の公式ホーム・ページで見ることができる。

 音もしかりだ。50年代のサーフ・ポップ的なモチーフを湛える一方には、〈ファクトリー〉初期の諸バンドにまたがるような......マーティン・ハネットのプロデュース・ワーク、あるいは同時期のグラスゴーにおける最重要バンドのひとつ、オレンジ・ジュースを彷彿させるヴィンテージなブリティッシュ・サウンドが鳴っている。それでいて曲自体はなんら屈折のない、いや、でき過ぎなくらいシンプルな2ミニット・ポップ。「起きて、ハニー。素敵な朝だよ。ビーチへ駆け出そう」

 以前ミニ・アルバム『サマー・タイム』のレヴューでも書かせていただいたが、とにかく彼らは"いま"という問題設定や、等身大のリアリティを歌い上げるというポップ・ミュージックのひとつの使命を、そんなものは無粋とばかりにことごとくキャンセルしてしまう。そして颯爽と黄金律のソング・ライティングを開陳する。フックの効きまくったメロディはいつまでも耳に残る。中途半端なもの、ダサくて格好の悪いものは排除され、徹底した美意識によってトータルなバンド・イメージがコントロールされる。彼らはほんとに頭がいい。

 いや、だからこそ「なんて嫌味なバンドなんだろう」と煙たく感じたものだった。もっとリスキーな音で未来を切り拓こうとしているバンドがいくらもいる。しかし、私が根負けしたということでいい。やっとフル・アルバムのリリースとなったわけだが、このあいだにザ・ドラムスの存在感がさらに大きなものとなってしまって驚いている。『NME』などUKのメディアから火がついたことも大きな要因だろうが、国内盤の帯には「2010年最大の話題」と謳われ、久しぶりにテレビをつければプジョーのコマーシャルに使用されているという具合だ。使用曲はベースの軽快なリフに口笛が印象的なミニ・アルバムの顔、"レッツ・ゴー・サーフィン"。フル・アルバムでもこの曲がハイライトになるだろうと思ったが、さらに強力なシングル曲がきっちりと1曲目に据えられていて、唸るしかなくなってしまった。バンドの核であるジョナサン・ピアース、そして相棒ジェイコブ・グラハム(実質的にザ・ドラムスとはこのふたりのバンドだ)の名がクレジットされた"ベスト・フレンド"は、朝聴けば1日中頭を回りつづけるだろう。この曲もまた、小躍りするようなベースとドラム・ビートを持っている。ピアースのクセのあるヴォーカル。メロディは彼らしいアディクショナルなリフレインを伴って耳に絡みつく。

 だが、どんなにたわいもないことを歌っているのかと思えば、この曲のテーマは友人の死だ。もっとも大切な親友を失い、毎日思いつづけ、待ちつづける......「ぼくはどうやって生きていったらいいんだろうか」――詞には"アイ"の他は二人称"ユー"しか用いられず、相手が男性か女性かも判然とはしないが、曲調が度外れに明るいことが、詞の悲痛さを際立たせる。結びはこうだ。「ぼくは、ぼくがそれでも生きていくだろうということを知っている」

 ザ・ドラムスにいまと未来への諦念があることは、私には間違いのないことのように思われる。ネオ・アコースティックなときめき感たっぷりの、甘美で胸躍るポップ・ソングというのは完璧な構築物だ。なぜならこの世界は「きみ」がいない世界だから。特定の人物でなくてもいい。彼らにとって大事ななにかを欠いた世界。だからこそ"昨日の世界"が歌われる。むしろそのような負の力がなければ、これほどブリリアントな曲は生まれないかもしれない。では、どうして世界を忌避しながらも歌うのか。「ぼくは、ぼくがそれでも生きていくだろうということを知っている」からだ。答えは"ベスト・フレンド"、冒頭曲にすでに記されている。

 フル・アルバムは、ミニ・アルバムに比べればエッジが取れている印象だ。その分聴きやすいかもしれない。ジャケットも比較すればメジャー感が増している。フロリダの小さなマンションから生み出された、この哀しくも完璧なパントマイムが、世界という大きな舞台で試されようとしているのだ。見届けよう。

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