![]() Skream / Outside the Box ![]() |
『アウトサイド・ザ・ボックス』は歴史的なアルバムである。南ロンドンのアンダーグラウンドで発明され、発展したダブステップなるジャンルにおいて、ポップのメインストリームとの接合を果たす、最初の作品であるという意味において。今年24歳になったばかりのオリバー・ジョーンズ――スクリームの名前で知られるこの青年は、恐いモノなどないと言わんばかりにポップの世界にアプローチしている。
『アウトサイド・ザ・ボックス』は、UKダンス・ミュージックがポップに接近する際の、伝統的なフォーマットのアルバムでもある。歌があり、ラップがあり、ジャングルがあり、アンビエントがあり、テクノがあり......ゴールディーのファースト・アルバムのように、とにかくまあ、幅広くやっている。シーンの盛り上がりが最高潮のときにリリースされるという意味では、アンダーワールドのファースト・アルバムのようなものでもある。
スクリームがシーンの最初期からいたのは事実だが、初めからスターだったわけではない。ただし......彼にとって最初のヒットとなった2005年にのシングル「ミッドナイト・リクエスト・ライン」が、ダブステップというシーンにとって最初のクロスオーヴァーなヒットにもなった。そして、彼にとって最初のポップ・カルチャーとの接触である2009年初頭のラ・ルーの"イン・フォー・ザ・キル"のリミックスが、シーンにとっての最初のポップ・ヒットにもなった。スクリームにはそうした"特別な"経歴があり、それを思えば――それはまさに彼以外の誰もしてないことなのだ――彼にとってのセカンド・アルバム『アウトサイド・ザ・ボックス』が大きな作品になることは必然だったとも言える。
リヴィング・リジェンドのマーズがフィーチャーされている"8-ビット・ベイビー"や"CPU"はモダンなロービット・ファンク・サウンドだ。オートチューンによるメランコリックな"ウェア・ユー・シュッド・ビー"はR&Bとダブステップのあいだで輝き、フレクルズのセクシーなヴォーカルが印象的な"ハウ・リアル"はダフト・パンクを彷彿させる。ディスコ時代の女王、ジョセリン・ブラウンの歌をサンプリングした"アイ・ラブ・ザ・ウェイ"はピークにもってこいのダンス・トラックとなっている。ベースが揺れている(ウォブルしている)"ウィブラー"のような曲もあれば、ラ・ルーをフィーチャーした――おそらくアルバムにおける最高のクライマックスであろう――エレクトロ・トライバル・ポップの"ファイナリー"もある。疾駆するジャングル・トラックの"ザ・エピック・ラスト・ソング"もある。とにかくいろいろなスタイルを試みている。
ダブステップにおける低音バリバリのアグレッシヴないかめしさを期待している人は肩すかしを食うだろうけれど、ひとつ間違いないのは、ここにはアンダーグラウンドとポップが容赦なく混在し、それが伸び伸びとしたエネルギーとなっているという点である。そして......そういう大胆な作品はこの10年以上もの長いあいだ、実はなかったように思えるのだ。
校庭で生徒を監視してる先生が校長の妹でさ、すごく権力を意識したアホな先生で、俺に「ゴミを拾え」って言ってきて、断って「fat bitch (くそデブ女)」って呼んだら、校長室に連れてかれてその場で停学になったんだよ(笑)。
■学校を中退したっていう話だけど、どんな子供だったんですか?
スクリーム:とくに悪い子ではなかったけど、生意気だったね。失礼、っていうか無礼っていう感じかな。とにかく学校が嫌いだったね。
■勉強が嫌いだったの? それとも学校が嫌いだったの?
スクリーム:勉強が嫌いなわけじゃなかった。ただ学校にいるのが大嫌いだったね。つねにどこか違う場所に行きたい、そう思っていたのを覚えているよ。学校のほうでも俺のことを嫌いだったしね。
■友だちとはうまくやっていた?
スクリーム:人間が嫌いだったわけではないからさ。友だちは大勢いたし、みんなとは仲良かったけど規律が苦手だったんだ。もし勉強に集中していればそこそこ良い成績を残せたと思うけど、しょっちゅう悪いことをしていて、罰を受けたりしていたから、勉強に集中しないようになってしまったんだと思う。授業より居残りのほうが多かったと思うよ。ハイスクール(日本で言う中学。10歳/11歳で入る学校)に入って2ヶ月で停学になったしね。すごいバカなことで停学を食らったんだよ。校庭で生徒を監視してる先生が校長の妹でさ、すごく権力を意識したアホな先生で、俺に「ゴミを拾え」って言ってきて、断って「fat bitch (くそデブ女)」って呼んだら、校長室に連れてかれてその場で停学になったんだよ(笑)。
■ハハハハ。クラブ・カルチャーとはどうやって出会ったんですか? お兄さん(ハイジャックの名前で知られる)からの影響ってやっぱ大きい?
スクリーム:自分で音を作り出す前に何回かそういう「18歳以下」向けのクラブのパーティには行っていたけどね。やっぱり音楽を作り出してからクラブに行くようになった。ビッグ・アップル(ダブステップの発火点であり、南ロンドンのクロイドンにあったレコード店)のハチャ(ダブステップにおけるオリジナルDJ)が俺の曲をラジオ(海賊)やクラブでかけてくれるようになって、それを実際に自分でも聴いてみたい、と思ったのがいちばん最初のモチベーションだったね。
■それは〈FWD>>〉(ダブステップのもうひとつの発火点となったパーティ)?
スクリーム:ううん。ビッグ・アップルのクリスマス・パーティが毎年あって、それが最初の思い出だね。当時はもう店で働いてて音楽も作ってたから。本当は若過ぎて行っちゃいけないんだけど、招待してくれたんだ。だからクラブのセキュリティーが来る前にみんなが俺らをこっそりなかに入れてくれて、一晩中いっしょに遊んでいたな。そこからだね、他の、もっと大きいクラブがどういうものなのか見たくなって、クラブに行き出したのは。でも最初はクラブではなく音楽を作っていただけだよ。作っていたから、それでクラブに行くようになって、で、そこから好きになっていったんだ。年齢でいったら15歳ぐらいの頃から。
■学校を辞めて、すぐにビッグ・アップル・レコードで働くようになったの?
スクリーム:兄貴が2階のジャングルのフロアで働いてて、1階にはハチャが働いていたんだ。彼らがいる頃から店の存在は知っていたよ。だからしょっちゅう遊びに行ってたんだ。11歳の頃からレコードを買っていたから。で、それ経由でビッグ・アップルでハチャとも仲良くなった。そして働くようになった。まだ13~14歳だったかな。
■もう音楽は作っていたの?
スクリーム:ビッグ・アップルで働くようになってから、初めて店にいる人たち全員が音楽を作っていることを知ったんだよ。そういう背景があったから自然の流れで自分でも音楽を作るようになって。まわりの人が俺のやりたいことを実際やっていたってわけさ。働くまではまったく気付いてなかったんだけどね。で、アートワーク(アーサー・スミス)とかオーナーのジョンと出会って、彼らに俺が作っていた曲を聴かせたりしていたんだ。すごく気に入ってくれて、「作り続けろ」って言ってくれたものさ。それぐらいの時期にベンガと出会って、いっしょに曲も作るようになった。でき上がったものをハチャに渡して、彼がクラブや海賊ラジオでかけるようになって、じょじょに俺たちの名前が広まっていった。ベンガはまだ14歳で、俺が15歳の頃だったね。
■最初はプレステから?
スクリーム:そうなんだ(笑)。しかもプレイステーション1だったよ!
■ハハハハ。
スクリーム:ある日、DJしていたときに友だちから電話がかかって来て「ヘヴィな曲を作ったから聴きにおいでよ」って誘われた。当時はまだインターネットがそんな普及してなくて、データを送ったりする習慣がなかったんだ......みんなフォーラムを見るかポルノを見るためだけに使ってた頃だよ(笑)。で、聴きに行ったら本当にかっこ良くて、「それ本当にそのプレステで作ったの?」って訊いたら「そう」って答るから、「俺もどうにかしないと」って気持ちになった。でも使っていくなかでMusic 2000 (ソフト名)に限度を感じるようになって、家に帰ったら兄貴(Hijack)がFruity Loops、当時はFruity Loops 3だった、を使ってるのを見てそっちに移行したんだよね。使い出して数年経つけどいまも同じソフトを使ってるよ、新しいヴァージョンだけどね。
[[SplitPage]]一般的に"ダブステップ"っていう音楽に対する印象をある程度変えることができたと思う。その前は低音バキバキのダンスフロアのみでしか聴けない音楽として捉えられていたと思うけど、あの曲によって印象が変わったと思う。「このシーンから本当に面白い音楽が生まれてるんだ」ってみんなが思えるようになったんじゃないかな。
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■影響を受けたプロデューサーは誰?
スクリーム:いま名前が出て来たハチャ、ハイジャック、アートワークとかもそうだけどホースパワー・プロダクションズも影響が大きかったね。誰よりも長くスタジオでいっしょに時間を過ごしたよ。彼らが作っているところをずっと見ていたんだ。いまだに彼らの音楽は他の人よりずば抜けてると思う。いまでも大好きだ。極端にレフトフィールドで、極端にアンダーグラウンドだったからさ、本当にやられたね。「こういう音楽を俺は作りたい」ってはっきり思ったんだ。俺は彼らの曲をほとんど知ってるけど、ビッグ・アップルの人間じゃない限り当時誰も知らなかったからね。でもそういう知る人ぞ知る集団のひとりだったのが面白かったし、その音楽を理解できてたまらなく嬉しかったよ。当時はそれがホントに楽しかったね。
■"ミッドナイト・リクエスト・ライン"はどうやって生まれたんですか?
スクリーム:あれはね、実はクリスマスで退屈してたから生まれた曲なんだ(笑)。たしかボクシング・デー(12月26日)だった。最初はグライムの曲を作ろうと思っていたんだ。でも途中で、「これはグライムでもなんでもないな」って思って、だったら「グライムとダブステップの両方の要素を混ぜた曲を作ろう」と思った。シンセとかリフはグライムっぽいけど聴いてるうちに「グライムでこんな曲は存在しないな」と思って、自分のいつもの作業法に戻ってディープなサブベースとか足していって、そして完成していった。
■あれが契機だったよね。
スクリーム:当時の爆発ぶりは自分にとっても不思議な感じだったよ。みんなかけてたからさ! グライムのすべてのDJがかけていたし、当時はいま以上にMCが流行ってたから、でっかいダンスでもあの曲をかけてそれにMCを乗せてきたり、とにかくすごかった。そして全然他ジャンルの、たとえばリカルド・ヴィラロヴォスがかけていたり、地上波のラジオも夜枠では必ずかけてくれた。自分にとってはクレイジーな時期だったよ! 「やった!」と思ったし、「これが起きたからには俺の名前が広まる」って実感したよ。最高だった。そこからファースト・アルバムが誕生したんだからさ。
■やたら多くの曲を作っているという話で有名だけど、10代の頃から毎日のように作っていたの?
スクリーム:どうだろうな......。14歳から19歳のあいだだから大量にあったのは間違いないけど。アイディアは1000曲以上ある。実際曲に仕上げていったのは数100曲かな。
■ラ・ルーの"イン・フォー・ザ・キル"のリミックスもあなたのキャリアの大きな転機になったし、また、結局、あのリミックスがダブステップをメインストリームのポップ・カルチャーと繋げることになったよね。
スクリーム:そう、すごいよ。いまだにあのリミックスはかかってるんだからね! 当時いちばん盛り上がってたジャンルふたつが融合してできた曲だったから、なおさら反応がすごかったと思うけど、俺にとってはデカかったね。2年経ったいまもあの曲の話が尽きないんだよ。
■そんなに大きかったんだね。
スクリーム:プロデューサーのキャリアとしては、信じられないぐらい影響が大きかったよ。完全に別部門に進んだからね。『NME』のダンス・アワードで賞を取ったり、ゴールドディスクももらったしね。40万ダウンロードまでいったし、違法ダウンロードも入れたらすごい数だと思うよ。余裕でポップチャートで1位取れるような数字だよ。昼の地上波ラジオでいまだにかかってるし、アメリカの超人気テレビ・シリーズ「Entourage」でも最近使われたんだ。もうあの曲からは逃げられないんだ(笑)!
■あなた自身の環境はどういう風に変わった?
スクリーム:ああいう人気曲を1回出すと、不思議なのが会う人間の数が増えることだよね。それもけっこう重要な人物が多いし、そして自然に友だちになっていくのが面白い。例えばBBCラジオ・ワンのアニー・マックっていう有名DJもあの曲をすごくサポートしてくれて、それを通じて出会って、いまはすごく仲の良い友だちなんだ。俺にとってもすごく意味のある曲だけどシーン全体にとっても意味があった曲だと思うよ。いろいろ違う機会をシーンみんなのために生んだと思うし、一般的に"ダブステップ"っていう音楽に対する印象をある程度変えることができたと思う。その前は低音バキバキのダンスフロアのみでしか聴けない音楽として捉えられていたと思うけど、あの曲によって印象が変わったと思う。「このシーンから本当に面白い音楽が生まれてるんだ」ってみんなが思えるようになったんじゃないかな。
ひとつのジャンルに閉じ込められていた自分を「その箱から出す」っていう意味。期待されるのはやっぱり完全なフロア向けのクラブ・ミュージックだけど、自分が好きなように音楽を作らせてもらう、そういうことさ。そこから繋がるメッセージは、「敷かれたレールに沿って生きる必要はまったくない」っていうことだね。
■今年はダブステップの流行が頂点を迎えているようですけど、あなたは状況をどう見ていますか? 嬉しい反面、とまどいもあるだろうけど。
スクリーム:うん、そうだね。だけど、もちろん嬉しい部分もあるんだよ。アーティストによっては前からすごいことをやってるけど、「やっと認められた」っていうのは嬉しいことだし、そうやって人気が出るのは良いことだと思うけど、「他のスタイルでダメだったからダブステップをやってみた」とかいう人もけっこういるし、楽に売れると思って中途半端に乗って来る人たちもいるのも事実でさ、それは良くないと思う。流行に乗っかって来てるだけの人は嫌だね。それ以外はまったく文句なし。いまは最高だ!
■『アウトサイド・ザ・ボックス』は明らかに、より多くの人たちがアプローチしやすい作品になっていると思うし、ヒップホップやR&B、アンビエント、ハード・テクノなど、実に多様な内容になっているよね。
スクリーム:自分が好きなようにやろうと思っただけだよ。他の人が俺に期待している音楽はもう自分が充分作れることはいまはわかってるから、自分のための音楽を作りたかったんだ。いろいろ違うテンポや曲調を書くのがすごく楽しかった。他のジャンルの曲も作れることを過去、人に見せたことがなかったからなおさら面白かった。自分のためのアルバムで、フロアがどうこう考えずに作りたかったんだ。結果的には良かったよ......反応がすごく良いし。
■ゲストも多彩だよね。
スクリーム:ラ・ルーは"イン・フォー・ザ・キル"の借りを返してくれるように、1曲参加してくれた。LAのリヴィング・リジェンドのラッパー、マーズも参加してくれた。彼とはずっと何かやりたいと考えていたんだけどなかなか実現できなくて、今回やったのは自然な流れに近いよ。あのトラックができ上がった瞬間マーズのことを思って、彼に音を送ってラップを入れて返って来たものがイメージ通りのヤバさだったから収録した。
■サム・フランクをフィーチャーした"ウェア・ユー・シュッド・ビー"も印象的だよね。
スクリーム:サム・フランクはイギリスのソングライターで、日本盤にしか収録されてない"シティ・ライツ"っていう曲も彼が書いてるんだ。世界中どこでもまだかかってない曲だけど、最高な曲だよ。歌詞の内容は、完全フィクションで、毎週土日に娼婦を買うために平日働いてる男の話なんだ。「I find my baby under the city lights..」(町の明かりの下に俺は俺のベイビーを見つける)って歌ってて、すごく面白いよ。
■"ハウ・リアル"で歌っているフレクルズ(Freckles)っていう女性ヴォーカリストは?
スクリーム:これから活躍するであろう女の子のアーティストだよね。ディーブリッジ(dBridge)とインストラ:メンタル(Instra:mental)も1曲いっしょに書いたんだ。俺のアイドルに近い存在だよ、あのふたりは。共作できてすごく嬉しかったよ。
■アルバム・タイトルの意味について教えてください。
スクリーム:『アウトサイド・ザ・ボックス』の"ボックス"は主に"ジャンル"を意味している。ひとつのジャンルに閉じ込められていた自分を「その箱から出す」っていう意味。「もういい加減に俺も受け入れないよ」って示したかったんだ(笑)。みんなに期待されるのはやっぱり完全なフロア向けのクラブ・ミュージックだけど、もう人のためじゃなくて自分が好きなように音楽を作らせてもらう、そういうことさ。そこから繋がるメッセージは、「敷かれたレールに沿って生きる必要はまったくない」っていうことだね。俺の場合は音楽だから、音楽的に言うとジャンルに自分の音楽を左右されちゃダメだし、逆に言えば「自分の音楽でジャンルを定義しろ」ってことなんだ。だから音楽以外でもいいんだ。とにかくまわりのルールに従って行動するのではなく、「自分で自分の道を切り開かないとダメだ」っていう意味なんだよ。