ピート・スワンスンとのスプリット・アルバム『ウェイティング・フォー・ザ・レイディーズ』(これが良かった)に続いてジェフ・ウィッシャーによるリーヌ・ヘル名義の2作目。シークリット・アビューズの名義ではドローンに特化し、ここではクラウトロックを完全模写。前作『ポースレイン・オペラ』から大きく変わるところはなく、全体の構成や曲順の良さなどマトリックスとしての進歩を感じさせる。
オープニングの"チャンバー・フォルテ"は曲名通り無骨なインパクトを印象付け、続く"クワイエット・ディテイル・ミューズ"で弦楽の静けさと緊張感のなかへ。以下はいつものクラウトロックにクラシカルな風味を交えつつ、動と静を自在に行き来しながら"バロック・アンサンブル・コーダ"で最初のピーク・ポイントへ。単にクラウトロックを模倣するだけでなく、同時にクラウトロックの根底にはドイツに深く根付いたクラシック・ミュージックの伝統があることも意識させてしまうつくりが非常に光明時博士。あるいはノイエ・ドイッチェ・ヴェレへのベクトルが内包されていることも随所で示唆され、いつのまにかパレ・シャンブールの生誕に立ち会っているような気にさせるなどさまざまな音楽データを時系列に並べて(歴史の流れを把握しようというのではなく)いっきにアーカイヴ・リスニングが可能になったようなコンデンス・ミュージックの可能性。音楽的知識があればあるほどスリリングでクラフトワークをタンジェリン・ドリームなどでフィルター化して聴いているような"ジュリアード・Op.66"など奇妙な立体感が次から次へと立ち上がってくる。エンディングがまたとても柔らかくて美しい"アダージョ・フォー・ストリング・ポートレイト"(それにしてもジャケット・デザインがどことなくイタリアン・プログレの異端、デヴィル・ドールを思わせる......)。
また前作と同じくアナログ盤には『ザ・ヒルトン』と題されたボーナスCDがプラスされ、イーノ&クラスターを思わせる雄大なアンビエント・スケープから実験的な音遊びなど、実際のクラウトロックよりもそれらしいアプローチの曲がどれも優しい響きに包まれてアルバム・サイズで展開されている。電子の波に揺られているような"ベンディング"や重層的な展開を示す"サージェリー"など挑戦的な面では劣るものの、全体のまとまりはもしかしてこっちのほうがいいかも。
さらにトラッシュ・ドッグやラクー-ー-ーンなどに参加するドリップハウスことダレン・ホーと組んだワン・オフ・プロジェクトでも1枚限りだというアルバムをほぼ同時にリリース。これも基調はクラウトロック・リヴァイヴァルで、中期のクラフトワークを思わせるオプティミスティックなシンセ-ポップやアンビエントが4パターン。Bサイド全体を使った"モンテ・カルロ"では70年代後半によくあったダークでドラマチックなシンセサイザー組曲を再現され、どっちつかずの懐かしい気分にも......。
また、このふたりにブレンダ・オキーフを加えたキューティクルの名義でも(〈ノット・ノット・ファン〉傘下にLAヴァンパイアズことアマンダ・ブラウンがスタートさせたダンス・レーベル)〈100パーセント・シルク〉からEP「コンフェクショナー・ビーツ」を前後してリリース。"フレア"のような軽快で洒脱なエレクトロからクラウトロック・ディスコとでも称するしかない"ナーブス"まで幅広く手を広げている。リズム感は悪いものの、しかし、できてしまうんだねー、こういうことも......
太平洋プレートの揺れはこの先、確実にアメリカ西海岸にも伝わるといわれていて(昨2月チリ、昨9月ニュージーランド、3月三陸沖、9月? 10月?)こういった幸せなムードがいつまで持続するかはわからないけれど、音楽の波がそれよりもさらに高くあってくれることを願うばかり。
「Nothingã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
震災の影響でライヴのための東京行きが全部キャンセルになってしまった僕にとって、ZETTAI-MUは久しぶりに出向くイヴェントだった。ele-kingでも告知していたし、関西の読者で足を運んだひとも多いことだろうと思う。震災の直接的な影響がなかった関西も、やはり以前よりは沈みがちだと感じることが多い。そんななか、東京の〈ソナー・サウンド・トーキョー〉と連動する形で開催された今回のZETTAI-MUは、ele-kingのニュースにもあったように久しぶりに関西の僕たちが爆発できるイヴェントとして楽しみにしていた。野田ボスに「金曜日はZETTAI-MUに行ってきます!」と張り切ってメールをしたら、どういうわけか「次の原稿の締め切りは土曜日かな」と返信が来て、僕は「あれ......」と思ったものの必死で原稿を仕上げて名村造船所跡地に向かったのだった。
それにしても寒い。毎年この時期近所の桜はだいぶ咲いているように思うのだけど、今年はようやく蕾が膨らみ始めたくらいだった。寒がりの僕は上下ともヒートテックを着込んで、どうにか凌ぐしかない。黒木メイサはヒートテックを手に入れて苦手だった東京の冬が平気になったそうだが、僕はそれでも大阪の冬ですら苦手だ。
toeには間に合うかなーと思って会場に入ったら、すでにステージからは人が溢れていて中に入れなかった。彼らの叙情的なアンサンブルが外に漏れてくる......のを聴きながら指を加えて突っ立っているしかない。しかし思っていたよりも大勢の音楽好きが集まっていて、toeはちゃんと観られなかったけれども僕は嬉しかった。やっぱり、みんなパーティに飢えていたのだ。それに大阪はいま、忌々しいクラブ摘発の問題もある。風営法の改正を求める署名を呼びかける告知が、会場にもいくつか貼ってあった。もちろん署名も現実的なひとつの手だとは思うのだけれど、いっぽうで大阪のオウテカが「アンチEP」を出したり、あるいは大阪の!!!が「ミー・アンド・ハシモト」を出したりしないかなー、と非現実的な空想を僕はしてしまうのだった。なんにせよ、よくわからないままクラブが閉まっているのがすごく嫌だ。遊び場が知らない間に減っている。
よく聞かれるんだ、「ダンスのどこがそんなにすごいんだ?」って
俺にわかるわけない
ああ、理解することもできない
でも音楽が流れると音楽がすべてを支配する
!!!"ミー・アンド・ジュリアーニ・ダウン・バイ・ザ・スクール・ヤード(ア・トゥルー・ストーリー)"
僕は会場をウロウロすることにした。みんな寒いなか、酒を飲んだり騒いだり、すでに楽しそうだ。名村造船所跡地はなかなかゴキゲンな場所で、その名の通り跡地なのでちょっと廃墟めいた雰囲気を醸しているパーティ会場だ。かつてのレイヴのウェアハウスもこんな雰囲気だったのかな......とまた僕は妄想する。
ステージに向かって、クラムボンのミトによるdot i/oを観る。テノリオン2台を交互に使って、煌びやかで色彩感のあるエレクトロニカを奏でてクラウドをうっとりさせる......かと思うと、突如インダストリアル風のビートが暴れもするから油断できない。90年代のIDMの遺産の最良の部分はフォー・テットだけに引き継がれているわけではないことを実感する。奔放で茶目っ気もある、しかし独特の美とエモーションが感じられる演奏だった。
フライング・ロータスはベースのサンダーキャットとシンセのドリアン・コンセプトを従えて、ドラゴンボールのコスプレで現れた。「カーメーハーメーハー!!!」とクラウドに叫ばせて満足げ。みんな、ちょっと苦笑い。だけれども、演奏は本当にカッコ良かった。僕がこれまで観たなかでもいちばん刺激的だった。毎回自曲と他のアーティストの曲を織り交ぜながら、意外にアッパーなビートで沸かせるのだけど、今回はベースとシンセの(たぶん)即興の絡みがあるからとにかく有機的で、ファンキー。テンポが上下しても一貫してグルーヴィー、すごくブラックな感触だ。サンダーキャット、歌うし。かなりレイヴィーな展開もあり、当然ヒップホップもあり。フライ・ローはライヴのとき、いつも機嫌良くクラウドを煽ってみせる。ああ、いいパーティの雰囲気ってこういうのやな......と僕はちょっと泣きそうになってしまったのだった。恒例のレディオヘッドの"イディオテック"使いもあくまでコズミックに、大胆にやってのける。歓声が上がる。僕はヒートテックが暑くてたまらなくなってしまった。
フライング・ロータスの後、DJをやっている友だちに会って乾杯する。彼はタイラー・ザ・クリエイターが使われたことに大興奮していた。まわりはさらにひとが増えて、すっかり熱い空気が出来上がっていた。
ステージに再び向かう。フライング・ロータスとバトルスに挟まれたオオルタイチも、そのノイジーで妙なダンスホールでダンスの勢いを止めさせていなかった。本人も、歌ったり踊ったり頑張っている。僕もニヤニヤしてしまう。近くにいた兄ちゃんが「変態やな」と褒めていた。
バトルスは本当に大人気で、後ろからどんどん人が入ってきて前に押される。もうみんな知っているだろうが、タイヨンダイが抜けて初の日本でのライヴだ。正直心配していたが、これまでの曲はいっさいやらずに新曲だけに絞り、新たな体制でのアンサンブルを見せることに徹していたのは正解だったと思う。ハードコア譲りのハードなアンサンブルと、ファニーで奇天烈な上モノ。後者はほとんどタイヨンダイが担っていたと思っていたが、それはすでにバトルスのアイデンティティの一部になったということなのだろう。シングルになった"アイス・クリーム"がしっかりとピークを作っていた。まだ未消化な部分はかなりあるし、ヴォーカル曲がサンプリングになってしまうのは(やむを得ないとは言え)やや盛り上がりに欠けるが、3人でバトルスを続けていくという気概が感じられるライヴだった。3人での体制が完成するにはまだ時間がかかりそうだが、頑張ってほしい。
すぐにもうひとつのステージに行くと、コード9を終わりのほうだけ少し観ることができた。ダブステップだけでなくジャングルやドラムンベース、2ステップなどをBPMをきっちり合わせず大胆に繋いでいく〈ハイパーダブ〉のボスのDJは、やっぱりクールで熱い。去年マーティンと来たときはブブゼラを吹きまくっていたが、アー写からはイメージできない陽気なおっさんぶりも僕は好きだ。マフィアと労働者の間のような、見た目も好きです。
その後は復活したドライ&ヘヴィによる、パンツがビリビリするぶっといベースと脳味噌が麻痺するスネアの高音が奏でるダブでドロドロになり、そしてDUMMUNEにも出演していたKURANAKA1945の貫禄のダブにさらにドロドロになり、僕は結局朝まで踊り続けていた。
ステージがふたつあったし、僕と違う過ごし方をした人も多かったと思うけれど、すれ違った人はみんな楽しそうにしていた。〈ソナー〉もきっと楽しかっただろうと思う。こんなときだからこそ......いや、パーティはいつだって必要だ。ヒートテックよりも。
ザ・ストロークス、中古市場を見渡せば、2001年8月にリリースされたデビュー・アルバム『イズ・ディス・イット』のUK(EU)オリジナル盤は、アナログ盤ならけっこうな高値で取引されている。CDにしたところで、定価の7掛けでも十分売れる。アナログの中古価格はゴーストのようなものだが、CDの値段というのは、そのアルバムの体力を測るにあたってなかなか有効な指標だ。CDの存在している作品のアナログ盤や、定価超えをしているようなものは、多くの場合コレクターズ・アイテムであるにすぎないとも言えるだろう。しかし中古CDがそれなりの値段で取引されているということは、単純に考えて、新たな層・新たな世代のリスナーを獲得し続けているということになる。しかも、リリース時にあれだけ売れた=市場に数多く出回ったにもかかわらず定価の7割をキープできているわけで、リスナーの期待や購買意欲が高いことまでが伝わってくる。アナログ盤が高額で、かつCDだと値のつかないものは、作品としてはいちど歴史的役割を終えたものだ。してみればザ・ストロークスの『イズ・ディス・イット』はまだまだ現役なのである。
我々がこのバンドに期待しているものは何だろうか。ハイプというか、おぼっちゃんバンドとして揶揄されもしたのは、彼らが実際に富裕層が通う私立学校で出会ったという経緯があるからだが、それらを飄々とまたぎ越し、古風なロックンロールを洗練された手つきで鳴らしたことは、じつに鮮烈な登場の仕方であった。シャープで不敵でミニマルな、通称「尻ジャケ」には、有り余るような自信とクールさが表現されている。レイドバック志向の嫌味なやつら、という印象はなかった。むしろ「オルタナティヴ」という単語に実が伴わなくなり、ニュー・メタルやミクスチャーの飽和状態に象徴的に行き詰まりをみせていたロック・シーンに風穴を開け、あけすけにリセットをかけてしまった痛快なバンドとして、記憶にも歴史にも残ったのである。
当時を知らなければ、想像してみていただきたい。日本で言うところの「中2病」的な懊悩や妄想を、メタリックなサウンドで煮詰めた音が主流を成していたシーンに、バンド名に「ザ」を冠してラフなガレージ・スタイルを持ち込んだ彼らの登場は、本当に鮮やかの一言に尽きる。後続するバンドたちが「ザ・リバティーンズ」だったり「ザ・クリブス」だったり「ザ・コーラル」だったりすることも史的に偶然ではあるまい。"ニュー・ヨーク・シティ・コップス"でみせた市警への挑発めいた批評は、この名曲がUS盤では収録されないという事態を招いたが、しかしこれが見事にニュー・ヨーク・シーンの復活を印象づけることにもなったし、アニマル・コレクティヴなどその後のニューヨークのシーンの隆盛に先鞭を付ける形で先の10年を伐り拓いたとも言えるだろう。何にもとらわれない態度やスマートな音楽を、デビュー作の記憶とともにずっと期待され続けている......その期待とともにサード・アルバムまですべて買ったという人も少なくないはずだ。
だがこの4枚目はどうだろう。購入をためらわないだろうか。セカンド・アルバム以降が駄作とは言わないまでも、『イズ・ディス・イット』の信用で買っていた部分がある。このことは中古の相場にも如実に表れている。次に何をやるか、どう人びとの期待を裏切るか。図らずも課せられた大きすぎる課題にバンドが応えきれていたとは言いがたい。
『ルーム・オン・ファイア』(2003年)の"レプティリア"などは支持の高い名曲だが、ジャケット・デザインを比べてみるだけでもファーストとはずいぶん違うのだ。思索的な調子を出しながらどこか焦点を欠いた、抽象的なイラストのセカンド・ジャケ。質の低下ではなく、迷走を予感させた。世間の期待するようなストロークス像を踏み越えよう、という意地のようなものを感じると同時に、それがうまく音に結びつかず、むしろジュリアン・カサブランカスという人の個人的な資質が膨張したようにも見えた。
サード・アルバム『ファースト・インプレッションズ・オブ・アース』(2006年)ではさらにそうした傾向が深まり、なかが空洞なのに方法だけがプログレッシヴにマッスル化したような不思議な作品になった。ジャケットはもはや直線のみだ。そろそろ、このバンドに対する過剰な期待もやわらぐ頃合いである。
私はしかし、これはバンドにとって良いことではないかと思う。ようやく本来のザ・ストロークスのサイズと向かい合う準備ができつつある。今作『エンジェル』は「それでも聴きたい」ファンが手にし、それなりに納得できる作品になっている。2曲めの"アンダー・カヴァー・オブ・ダークネス"などはデビュー作の感触に近く、ストロークス節が全開になったシャッフル・ナンバーだ。先行シングルでもあったこの曲だけを聴けば、腹を括って原点回帰したアルバムになっているのではないかと想像もするだろう。しかし全体としてはもうすこしぱらぱらとした、悪く言えば散漫な、良く言えばバリエーションのある作品になっている。
"アンダー・カヴァー・オブ・ダークネス"に続く"トゥー・カインズ・オブ・ハピネス"のイントロなどは、まるで往事のMTVを眺めているかのようにゲートリヴァーブのきいたスネアが印象的で、曲自体もU2やヒューマン・リーグなどを彷彿させる80'Sマナー。さらにその次の"ユー・アー・ソー・ライト"はディーズ・ニュー・ピューリタンズとレディオヘッドのあいだをいくような、蟲惑的で呪術的なポスト・パンク・ナンバー。
クレジットはすべて「ザ・ストロークス」となっているから、これまでのジュリアン主導の制作体制についてなんらかの見直しがあったのだろう。プロデューサーのガス・オバーグも、アルバート・ハモンドJr.のソロ作を手掛けた人物ではあるが、ストロークス自体は初であるはずだ。もちろんヴォーカルを執るのはジュリアンで、細かい節回しにいたってはパターンの少ないストロークスのことであるから、彼ららしさというのは十分に堪能できる。
そう、ファンならば楽しめるし、1曲1曲のできも決して悪くないのだ。メンバーのソロ活動の中では、ファブリツィオ・モレッティのリトル・ジョイがなかなか渋いハワイアン・テイストを聴かせていて好きだったが、それぞれに音楽的趣向とそれを実現できるユニットがあることがはっきりしているいま、無理せずに取り組んで、気負いのない自然な作品が聴ければいちファンとしてはとくに文句はない。厳しめの評価が目立っているが、何度も再生して聴けるアルバムである。ゴールドやプラチナ・クラスのアーティスト、しかもいち時代を築いた存在として背負わされるプレッシャーを軽やかに無視してほしいものだ。そろそろ時間も経っている。
相対的にいいストロークスなど聴きたくない、という人もいるかもしれない。しかしこのくらいのサイズで2、3年に1枚、瀟洒なアルバムを出してくれるのなら、往時のストロークスとのあいだに切断線を引きつつも、楽しみに購入しようと思う。「その後」のアルバムもきちんとフォローされる、めったにない器量を持ったバンドであることを証明していって欲しい。
ラヴ・ミー・テンダーは、喜ばしい発見のひとつだ。僕はある晩、夕方から飲みはじめ、そして3軒ハシゴした挙げ句、終電を逃し、渋谷から淡島通りを歩いていた。ポケットのなかにはいつの間にか1枚のCDが入っていた。そのCDがラヴ・ミー・テンダーのデビュー盤だが、それは円山町の小さなバーを飲み歩かなければ巡り会えなかったであろう作品だ。都会のなかの秘密の場所――それは残念ながら諸君がいくらネットで検索しても出てこない場所である――には、アウトサイダーたちのさまざまな人生が集まる。そこには濃密な言葉があり、感情がある。絶え間ない夢があり、ハウスからソウルまで、さまざまなグッド・ミュージックがある。
ラヴ・ミー・テンダーは、スペース3のドラッギーなファンタジーとそのパロディ、あるいは地下に潜ったサマー・オブ・ラヴとドリーム・ポップとのあいだで鳴っている。『Fresh!』はつい最近リリースされた彼らのデビュー・ミニ・アルバムで、収録された5曲からこのバンドの音楽のいくつかの側面が聴ける。
1曲目の"シャーマン青春サイケ"は、ストーン・ローゼズがトリップホップをやって〈メキシカン・サマー〉から発表したような曲で、揺らめくような美しいピアノとメロウなギターのアルペジオによって案内される虹色の空の下、ヴォーカルはまるで宙づりになったまま彼らのトリップを夢心地に歌う。「繰り返すヤミは深く/夢で逢う時は甘く/あふれ出す光の海/終わらない夜明けの旅」......ベースとドラムはあくまでもグルーヴィーで、曲は心地よく続いていく。
ポスト・ロック調のインストゥルメンタル曲の"ヤブレターラブレター"はこのバンドの演奏のうまさを証明する曲でもある。6拍子のこの曲においてはとくにベースが魅力的だ。初期のスクリッティ・ポリッティのような気品があって、誰もが思わず遠い空を見上げてしまいそうな叙情性がある。僕はこの曲がもっとも好きだ。
そして、「白いラインの前に立って/君が何かを決めたとき/世界は少し色を変えたよ」......こう歌う"円山町ラプソディ"は山下達郎のサイケデリック・ヴァージョンである。まあ、ある種の洒落なのだろう。アーバン・ソウルを嘲笑するかのように、エレピによる間奏が渋谷のホテル街を駆け抜けていくようだ。曲の後半では、昨年デビュー・アルバム『コンポジション』を発表しているDJのアッキーがサックスを吹いている。
"花と盆"にもジョークが含まれている。それはこの曲名から、するどい人ならすぐにわかるでしょ。そして、ふざけた名前のこの曲にも彼らの最大の魅力であろうドリーミーな展開がある。最後の曲"マリフレ"はレゲエ調だが、バンドはサイケデリックの度合いを弱めることはない。つまりアシュ・ラ・テンペルがジャマイカへ旅行したような、いわばコズミック・レゲエである(そして声はひたすら"マリファナ"を繰り返す)。
メンバーはドラムとヴォーカルにMAKI999、昨年素晴らしいデビュー・アルバムを発表したHBのひとりでもある。ギターにARATA、ベースにTEPPEI、鍵盤はSOTA TAKAGI、サックスはアッキー。お茶目な集団によるこの音楽が正当な評価を得るのに10年はかかるかもしれない。この国おいてサイケデリック・ロックとはアンダーグラウンドであることを強いられるからだ。しかしラヴ・ミー・テンダーは、そんな世間の評価よりも、もっと面白いパーティを求めているようだ。都内ならディスクユニオンやジェット・セットで売っている。わずか500円。この名盤がたったの500円で買えるのだ!
よく買いに行くレコード店に話を訊くと思ったよりも売り上げが落ちずにいるそうで、放射能汚染との共存を強いられてしまったわれわれの運命も今後どうなるのかわからないとはいえ、やはり人間にとって娯楽は重要なのだろう。たとえ財布の中身がさびしくても千円ちょい払えば新しい体験を楽しめる音楽となれば手を付けやすい。
UKはリーズのバンド、ステイトレスによる〈ニンジャ・チューン〉からの最初のアルバムもこの3月に発売され、レコード店の壁に並べられている。アルバムなので2千円以上するのだが、ここでぽんと惜しみなくお金を出せる人は根っからのトリップホップ好きというか......、ゼロ年代に〈ニンジャ・チューン〉が押し進めてきたシネマティック・オーケストラ、あるいはボノボといった大人びたダウンテンポの路線が好きな人である。本サイトのアンカーソングのロンドン・レポートを読むと、UKにおいてクラブ・カルチャーを背景に持つトリップホップがこの10年でミュージックホールの音楽へと展開している様子がわかるが、なるほどそれはそれでひとつの発展の仕方である。
ステイトレスは、2007年にベルリンの〈スタジオ!K7〉からデビュー・アルバムを発表しているが、ヴォーカルのクリス・ジェイムスはその前年のDJシャドウの『ジ・アウトサイダー』でフィーチャーされていた人で、メンバーのキッドケイニヴィルは地元リーズでヒップホップ・レーベルを主宰しているようなターンテーブリストであるから、それなりにキャリアのあるヒップホップ・コミュニティから生まれたバンドなのだろう。クリス・ジェイムスはネリーとトム・ヨークを足して割ったような悲しく甘いR&Bを歌い、バンドもDJクラッシュとレディオヘッドを足して割ったような音を得意としている。ゆえにステイトレスは、トリップホップのインディ・ロック・ヴァージョンとも形容されているほどだ。実際のところアルバムは始終スローに、あるいはUKらしくメランコリックに、暗く沈んでいくような展開を持っている。それぞれの楽曲の完成度ないしは演奏レヴェルも高く、曲ごとのアイデアもあり、きっと〈ニンジャ・チューン〉からの本作『マチルダ』によってさらに広く注目されることになるのではないかと思う。
バンドのビートはヒップホップから来ているが、しかしステイトレスの音楽を特徴づけているのはメロディである。ストリングスのアレンジに関しては新古典主義に影響されたという話で、そういう意味でも作品からはヨーロッパの哀愁が滲み出ている。チェロはワルツを奏で、小刻みに震える物憂げな電子ピアノ、気難しいジャズ・ギター、そして淡々としたパーカッションのうえを憂鬱なソウルが歌われる。〈ハイパーダブ〉のダークスターを彷彿させるその暗いスタイルは、冷えた心臓に共振する。アルバムのなかでももっとも美しい曲、ギターのアルペジオをバックに"アイム・オン・ファイアー"でクリス・ジェイムスはこう歌っている。「残りの世界が消えたとしても、僕は気にもしない」......深夜になると毎晩やっている東電の(控えめ言っても腹が立つ)会見を見たあとでこの歌を聴いていると、本当にいま自分はこういう世界にいるのだと感じる。
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アメリカにおいて必然として9.11以降という言葉が使われるようになったように、日本においても今後3.11以降というタームが使われるようになるのだろうか。そのことを思うと、何だかいたたまれない気持ちになってくる。音楽の聴かれ方も変質していくのだろうけど......いまはまだ、それがうまく想像できない。
フリート・フォクシーズは9.11以降の文脈で語られ、そして高く評価されたバンドだ。つまり、2000年代のブッシュ政権下の荒廃したアメリカで育った世代――それはレディオヘッドの『キッドA』を聴いて育った世代と言い換えられるかもしれない――の青年たちが鳴らした、高潔な純然たるフォーク・ロックである、と。ブッシュ政権が終わっていく2008年はまさに彼らの登場にふさわしいタイミングであったし、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、グレイトフル・デッド、サイモン&ガーファンクル......などの遺産の輝きを集めるようにして作られた彼らの音楽は、イラク戦争でボロボロになっていたアメリカで称賛されるのに十分だった。「こういう音楽はもう持ってるよ」と取り合わなかったある程度年のいった評論家もいたが、フリート・フォクシーズの音楽は新世代のものであることには間違いがなかった。そのハーモニー=「調和」は、9.11以降の世界において混沌とした現実に対する批判ないしは抵抗として鳴っていた......というわけだ。
21世紀のクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングであるフリート・フォクシーズの最大の魅力とは何か、と問われればやはりその完璧なコーラス・ワークということになる。ソングライターのロビン・ペックノールドの書く曲はアコギ1本で弾き語っても十分通用するだろうしっかりとした骨格を持っているが、彼はそれをポリフォニックなものとして鳴らすことにこだわっている。それは彼らバンドがひとつの共同体を体現していることの表れであるし、ある種の厳格さを伴った理想主義が反映されているということでもある。彼らの潔癖とも言えるコーラスとアンサンブルは、心地良くレイドバックしたものと言うよりは、研ぎ澄まされているためいくらかの緊張感を保ったものだ。その敬虔さ、高潔さが苦手だというひとがいるのもわかる。他の多くのインディ・バンドのような優しいドリーミーさは、ない。徹底して醒めている。
そしてまた、彼らの美しいアンサンブルの底には不穏さやシュールな不気味さがあって、それを僕は見過ごすことができない。たとえば、バンドの代表曲である"ホワイト・ウィンター・ヒムナル"では輪唱を取り入れてその非凡なコーラス・ワークを遺憾なく発揮しながら、「マイケル 君は倒れてしまって 白い雪をまるで夏の苺みたいに真っ赤に染めた」と繰り返していた。あるいは、ブリューゲルの絵を使った、細部までよく見るとぞっとするような奇妙さに彩られたジャケット。それらは、音楽には完璧な調和を求める彼らが抱える不安や戸惑いを表現するものだったのかもしれない。
そういうわけで、たった1枚のアルバムとEPで新世代の希望となったフリート・フォクシーズの待望のセカンド・アルバムが『ヘルプレスネス・ブルーズ』である。その期待を裏切ることなく、これまで評価された自分たちの長所を無理なく発展させ、洗練された1枚となっている。アンサンブルは抑揚のつけ方が巧みでさらにダイナミックになっており、生音の柔らかい響きを生かしたプロダクションは耳を喜ばせてくれる。もちろん、リッチなコーラス・ワークも健在だ。彼らはよりバンドとしての結束を強固なものとし、ここでも調和に満ちた共同体として存在している。
抜本的な変化がない分、このセカンド・アルバムには先に挙げたような彼らの特徴がより色濃く出ているように思う。自然の描写が多かった前作に比べて、本作ではより内面の揺らぎのようなものを歌詞に反映させている。アルバムは目が覚めるように清廉なフォーク・ソング"モンテズマ"で幕を開けるが、そこで歌われているのはそれまでの自分の生き方に対する鈍い後悔と罪悪感である。前作の"ホワイト・ウィンター・ヒムナル"に当たるウォームな"バッテリー・キンジー"はこんな風にはじまる。「ある朝 目を覚ますと/自分の指が一本残らず腐っていて/僕は突然死の床にあった/回復の見込みはない」......死のイメージは彼らの歌詞にしばしば登場するものだ。そうした緊張感は"ザ・シュライン/アン・アーギュメント"で、音としてピークを迎える。ロビンは高音をなかば強引に振り絞り、曲のアウトロでは突如として管楽器のフリーキーなソロが整ったアンサンブルを切り裂くように挿入される。この曲は、彼らのアンビヴァレントな魅力を見事に表現した本作でのもっともスリリングな瞬間だと言えるだろう。
フリート・フォクシーズの音楽に何らかの理想を求める態度というのは、アニマル・コレクティヴやグリズリー・ベアのようにブルックリン勢にも共通するものであるが、それをもっとも純化したものとして表現しようとしているのが彼らである。その分、現実に幻滅することも多いのだろう、このアルバムには無力感がところどころで顔を覗かせている。「つまり、君にとって僕は昔の話に過ぎないんだ」、「僕が何をしようと太陽の光は降り注ぐ」、「いつか死ぬだけなのになぜ人は生まれてくるんだろう?」......そしてその歌を、彼らは「ヘルプレスネス・ブルーズ」、すなわち無力のブルーズと名づけている。力強い歌が聴けるタイトル・トラックでロビンは「ヘルプレスネス・ブルーズを歌うことが、何かの役に立つんだろうか?」と自問している。もちろん、役立つことなどないと彼は知っているだろう。だが、それでも歌うのだ。
無力さを噛み締めながら、役に立たない歌を、しかし理想を追い求めながら歌うこと。音楽のなかでしか達成されないハーモニー。フリート・フォクシーズはだから、過去の遺産への無邪気な憧憬ではなく、とても切実なものとしてこの21世紀に鳴らされている。そしてそれは......きっと、日本にいる僕たちにもいま説得力を持って響くことだろう。
〈ノット・ノット・ファン〉に続いて〈メキシカン・サマー〉もダンス・レーベルをスタートさせるらしい。そのA&Rを務めるのがゲームス(OPN)で、彼らのヒット作をリリースした〈ヒッポス・イン・タンクス〉がハイプ・ウイリアムズの3作目を獲得です。なるほどです。ペース、早いです。
ひと言でいえば、なかなかヴァージョン・アップされている。ダブというフォーマットを使ってドローンをディスコ化するという無理なトライアルのなかでは意外な成功を収めている人たちといえ、ドローンとディスコのいいところを融合させようという目的だけで共感できるし、それがなぜかダブステップとシンセ-ポップのクロスオーヴァーと表面的には似たものになってしまうところも面白い。逆に言えばドローンやディスコ・カルチャーといったジャンルにこだわりたい人たちにはスカムもいいところで、実際、サンプリング・ソースのくだらなさはその印象を倍加して伝えるところがある。A6"ドラゴン・スタウト"やB3"ミツビシ"などアンビエント・タイプの曲ではOPNに通じるニュー・エイジ風味も耳を引き、フリー・インプロヴァイゼイションに無理矢理ドラム・ビートを叩き込んだようなB4"ジャー"も独創的(A7"ホームグロウン"の元ネタはもしかしてマッド・マイク?)。
ライヴなどではマスクで顔を隠し、インタヴューもほとんど受けないらしく、一応、正体不明などといわれてきたけれど、『ピッチフォーク』などではロイ・ブラント(ロイ・ンナウチ)とインガ・コープランドがその正体だと暴いている(でも、それは誰?)。クラウトロックとダブの出会いといった紹介のされ方も半分ぐらいは納得で、OPNやジェイムズ・フェラーロに対するイギリスからの回答という表現はいささかクリシェに過ぎるだろうか。もうしばらくの間、何をやっているのかよくわからない人たちであり続けて欲しいというのが正直なところではあるけれど。前作に関しては→https://www.dommune.com/ele-king/review/album/001561/
セルジュ・ゲンズブールをアシッド・フォーク風に演奏してきたフランスのエル-Gが新たにジョー・タンツと組んだオペラ-モルトの正式デビュー・アルバムもエレクトロニクスを前面に出したせいか、ハイプ・ウイリアムズと同じくレフトフィールド・ポップへの意志を感じさせるアルバムとなった。とはいえ、全体の基調はあくまでも初期のスロッビン・グリッスルを思わせるレイジーなエレクトロニック・ポップ=プリ・インダストリアル・ミュージックで、英米の動きとはいつも多少の距離を感じさせるフランスらしい作風といえる。だらだらとして快楽の質には独特の淀みが含まれ、けっしてシャープな展開には持ち込まない。80年代前半のフランスに溢れた傾向と何ひとつ変わらず、近年、『ダーティ・スペース・ディスコ』やアレクシス・ル-タン&ジェスによる『スペース・オディティーズ』が掘り起こしつつあるライブラリー・グルーヴとも一脈で通じるものも。フランス実験の重鎮、ゲダリア・タザルテと組んでミュージック・コンクレートにも手を出すような連中なので、そんな風に聴かれたいかどうかはわからないけれど。
チルウェイヴをダフト・パンクの影響下にある音楽だと解する僕としては、このようなオルタナティヴなヴァリエイションは次世代に向けた必要なポテンシャルとして過大に評価したい。あるいは単純に"アフリカ・ロボティカ"が好きだなー。この曲はきっとアンディ・ウェザオールを虜にするだろう。
UKではコード9が「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」と言ったことが話題になったようだけれど、彼らはたしかに有名なJ.G.バラード共鳴者だ。そして、実際にこれほど明確にディストピアな状況に自分が暮らしていると、なんだかますますディストピア・ミュージックを聴きたくなってくる(家人は迷惑しているが......)。
この世には多くのディストピア・ミュージックがある。トム・ヨーク自身もそれがディストピア・ミュージックであることを認めている『キッドA』、あるいはデヴィッド・ボウイの『ダイアモンド・ドッグス』(とくに"ウィ・アー・デッド"ですよ)......、そしてもちろん僕の場合はブリアル、砂原良徳の新作もディストピア・ミュージックだと思っている。
ディストピアというのは、ユートピアへのカウンターのことだけれど、少々強引にたとえるなら、「いや、大丈夫です」と記者会見で東電の社員が楽観的な展開を言っても(←ユートピア)、「いや、大丈夫じゃないでしょう」という反発心(←反ユートピア)によるものである。いや、ちょっと違うかもしれないが、とにかく世界の大きな舞台で言われる「いや、大丈夫です」に対する強烈な違和感、拒絶感、嫌悪感のようなものが「いや、大丈夫じゃないでしょう」というディストピアを創造する。「no」という否定によって作られるユートピアであり、おしなべてパンク・ロックがディストピア・ミュージックなのもそういうことであります。
アイク・ヤードといえばデス・コメット・クルーだ。自慢じゃないが我が家には、ラメルジーにサインしてもらったデス・コメット・クルーのCDがある。2004年に再発見された1986年の"スーサイドとヒップホップとの出会い"のようなサウンドは、もともとはアイク・ヤードというポスト・パンク・バンドを土台に生まれている。1979年から活動をはじめたというアイク・ヤードは、ニューヨークでスーサイドの前座を務めたり、リディア・ランチとも共演していた、まあ、いわばノー・ウェイヴのいち部である。
1982年に〈ファクトリー〉からアルバムを発表すると、メンバーはベルリンに移住して、マラリアやアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンらとの交流を深め、そしてニューヨークに戻ってきたときにはラメルジーをゲストに迎えてデス・コメット・クルー名義のヒップホップ作品「アット・ザ・マーブル・バー」をロンドンの〈ベガーズ・バンケット〉から発表している。デス・コメット・クルーの再発見に続いて、オリジナル・アイク・ヤードの作品は〈アキュート〉(←トロ・イ・モアやビーチ・ハウスを出している〈カーパーク〉傘下の再発レーベル)から2006年に編集盤『1980-82 コレクティッド』として再発されている。
こうした再評価の波に乗って、スチュアート・アーガブライトとマイケル・ダイクマン、そしてケニー・コンプトンの3人はふたたびアイク・ヤードの名前で新作を録音した、それがこの『ノルド』というわけだ。そしてそのプレスシートには、コード9の「アイク・ヤードこそ最初のダブステップ・バンドだ」という発言が記されていたわけである。
ここにはダブの低音はないけれど、暗い現実の記述はたんまりある。それは、なかなか魅力的な記述である。そして、僕はこういう音楽をいまこの瞬間に聴きながら、おのれの頽廃を再認識するわけです。その場しのぎのユートピアなぞ要らない。冗談じゃない。そして、こういうときだからこそ死を身近に感じながらいまを精一杯生きようと思うんです。DOMMUNEにおけるキラー・ボングのDJがそうであったように。
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取材したのが3月10日、つまり東北地方太平洋沖地震が起きる1日前というタイミングだった。ゆえに以下に紹介する取材のやりとりは震災前の世界でおこなわれていたもの。そしてこの原稿を書いている現在(3月24日)もなお、放射性物質の漏洩は止まることを知らないようで、もっとも危険だと評判の三号機は煙をあげている......。やだなー、恐いなーと思っても、逃げ場がない。
原発事故によっても命が奪われ、多くの人が避難を迫られ、環境汚染がはじまり、そして節電を強いられている。僕はアンプに電流を通して毎日音楽を聴いている。『リミナル』は、震災前に聴いたときも強いものを感じたが、いまも変わらずよく聴こえている。むしろより共感している。
以下のインタヴューを読んでいただければわかるように、『リミナル』は彼にとってのおそらく最初の抽象音楽である。が、砂原良徳のディテールへの執着......いや、執念のようなものがこのアルバムに収録された8曲すべてにある。それは聴覚体験においてスリリングで、そして、決して上昇することのないこの音楽――10年ぶりにリリースされる『リミナル』のリアリティは、いまの僕にはより圧倒的な存在感をもって響いている。
「サブリミナル」のときにも書いたが、『リミナル』は僕のなかでは、コード9やブリアルの音楽の延長線上で聴こえている。僕は薄暗い都内の駅のホームで、iPodでこの作品を繰り返し聴いた。ひっそりとした電車のなかで、あるいは灯りの消えた青山通りで聴いた。奇しくもアルバムは、2011年のサウンドトラックとなった。
『ラヴビート』の頃はあらかじめテーマがあって、イメージがあって、それに沿ってやっていったんだけど、『リミナル』に関しては社会を生きながら感じたものをダイレクトに出してみようっていう。あんま考えずに出してみようっていうね、そこがいつもと違っている部分で、そうなると自分がどういう風にどうやってやったという説明がうまくできない。
■素晴らしいアルバムができたましたね。
砂原:いや、そんなことないんですけどね。まあ、いちおうできたっていうね。
■いまはどんな気持ち? ほっとしている感じですか?
砂原:けっこうね、次を作りたいというのが強いですね。
■なるほど。
砂原:『ラヴビート』を作ったときは、次のことを考えられなかったけど、いまは次に何をやるのかってことばかり考えていますね。
■そうかぁ。発売日が3月30日(注:その後、震災の影響で4月6日に延期)じゃない? それで、最初に池ちゃん(ソニーの担当者さん)から4曲入りのダイジェスト版のサンプルが送られてきたのが2月の初旬だったかな。そして、最終的な音源が送られてきたのが3月に入ってからだったでしょ。3月30日発売のCDでこのスケジュールは通常はあり得ないと思ったんだよね。舞台裏が相当にバタバタだったんじゃないかと推測したんだけど。
砂原:ハハハハ。
■ギリギリまで粘っていたの?
砂原:まったくその通り。27日にあがってますから。異常だよね。
■異常だよね(笑)。最初にダイジェストが来てから、わりとすぐに完成盤が来ると思っていたんだけど、けっこう時間がかかった。その間に何があったんでしょう?
砂原:『ラヴビート』のときは自分のスタジオで録音していたので、直そうと思えばすぐに直せたんだけど、今回は外のスタジオを使っていたんで、最終的に曲の足並みを揃えるのに時間がかかってしまったんだよね。
■とにかく時間ギリギリまで。
砂原:それはいつもだけど。
■それにしても本当にギリギリだったね。
砂原:そうだね(笑)。
■このドタバタ感が、この作品の内容にも関係している?
砂原:しているね。あとね、前回の「サブリミナル」の延長線上でやっていこうと思っていたんだけど、途中から別の要素が入ってきて、別のことをはじめてしまったんだよね。それが(このスケジュールにとっては)大きかったね。
■当初考えていたものとは違う方向にいった?
砂原:そうそう。
■去年の夏に取材したときは、「半年以内に絶対に出る!」って断言していたからね(笑)。
砂原:だから野田さんが言った通りになったんだよ。『ラヴビート』って2001年の3月だったから、ほんとに10年後に次が出た。スゲー、予言者だよ。
■あれは適当に言っただけだから。
砂原:ハハハハ。
■それで『リミナル』なんだけど、俺はすごく激しいものを感じたんだよね。
砂原:そうですか。
■いままでのアルバムにはまったくなかったモノを感じたんですよ。激しい何かを音楽から感じて、それにまずは驚いた。
砂原:そうですか。世のなかの切迫した感じが出たのかもしれないけど、こうしてやろうと思ったわけじゃない。ハードにしようと思った作ったわけじゃないんだけどね。自然にこうなったっていうか。
■前回の取材で話したときに、物事をなるべくロジカルに捉えているように思えたんだけど、音楽を聴くとずいぶんとエモーショナルな作品だと思ったし......。
砂原:そうですか。
■理詰めで作ったというよりも、エモーショナルに作ったっていう感覚が......。
砂原:『ラヴビート』の頃はあらかじめテーマがあって、イメージがあって、それに沿ってやっていったんだけど、『リミナル』に関しては社会を生きながら感じたものをダイレクトに出してみようっていう。あんま考えずに出してみようっていうね、そこがいつもと違っている部分で、そうなると自分がどういう風にどうやってやったという説明がうまくできない。だから自分でやっていることが口で説明できなくなってきてますね。だけど、説明できなきゃいけないのかというと、そうじゃないなと。自分がやっていることを何から何まで説明してしまうのは逆につまらないなって。
■聴いているほうにしてみても、作者に何から何まで説明されてしまうとつまらないっていうのもあるんだよね。想像力が使えなくなるから。
砂原:そこが音楽の面白い部分でもあるからね。
[[SplitPage]]いまの世界が問題山積みなのはわかるけど、それを解決するのに何がいちばん良い方法なのかっていうのが自分のなかではまだはっきりしないところがあるから......もちろん、争いや暴力がなくなるのが良いに決まっているんだけどね。
![]() 砂原良徳 / liminal キューンレコード ![]() |
■それで、聴いて思ったのは、「まりん、何を怒ってるの?」っていう。
砂原:怒ってるかな?
■"ビート・イット"とか怒ってるよ。
砂原:問題意識はあるけど怒っては......いや、わからないね。自分でもそこがわかならいのかも。実は怒っているのかもしれないし。
■自覚はなかったんだ?
砂原:まったくなかったね。
■"フィジカル・ミュージック"についても?
砂原:社会全体の問題がどんどん山積している感じはずっとしているけどね。日本もそうだし、世界もそうだし、人類の問題がどんどん増えていってるという感じはするしね。
■パブリック・エネミーやURみたいに意識していたわけじゃないんだね。
砂原:ただ、リアリズムに基づいて音を出すという意味では、デトロイトのそうした連中のことはすごい理解できるし、自分もそれはそうだと思う。
■『ラヴビート』の前後は、「ファンク」ってことをよく言ってたよね。「次はファンクやりたい」とか。ファンクって表現は、怒りとも関係あるじゃない。だからね、「まりんのファンクとはこういうことだったのか」と思ったけど。
砂原:昔はファンクって、リズムが気持ちよく流れていく感じだと思っていたけど、ファンクっていびつさだと思うようになって。いびつさこそファンクじゃないかと。
■いや、今回のアルバムはそれがもっとストレートに出ているよ。それが怒りというものに思えてならないんだけどね。
砂原:そうかもしれない。自分でもよくわかならないんだよね。『ラヴビート』だって最近だからね、ちゃんと聴けるようになってきたのって。でもね、『ラヴビート』のときのほうが怒ってたかもしれない。
■『ラヴビート』はまだ、メロディがある。アプローチしやすいじゃん。
砂原:構造もわかりやすい。
■今回はメロディやメロウネスといったものを排除しているでしょ。
砂原:してるね。
■それで、ささくれ立った感覚が際だっているんだよね。
砂原:それは意識的にやったかもね。
■そういう意味では『ラヴビート』の対岸に飛んだというか。
砂原:そうかもね。でも軸足は『ラヴビート』のときから変わっていないんだけどね。でも、世のなかも変わるし、自分も変わるし、そうなると表現も変わってくるよね。
■それで90年代のまりんの音楽を聴き直すと......。
砂原:ぜんぜん違うでしょ。
■ぜんぜん違うし......。そもそもパンクに親しんでいた過去があるわけではないでしょ?
砂原:うん。
■『テイク・オフ・アンド・ランディング』の頃はぜんぜん違うもんね。娯楽に徹していたし、作り方もサンプリング主体だし、ドリーミーだし。
砂原:パンクは通っていないけど、初めてアート・オブ・ノイズを聴いたときはパンク以上にパンクだと思ったけどね。ピアノをぶっ壊した感じとか、歪んだドラムとか......。
■あれはアートフォームにおけるパンクでしょ。
砂原:戦略的なこともあったからね。ただ、パンクのスピリットというのは、昔から自分のなかにあったことはあったんだけどね。
■だけど、パンクに対して斜に構えて見ていたほうでしょ。
砂原:まあ当時はね。
■だいたいまりんはP-モデルだからね。
砂原:そうね。
■でも、P-モデルはパンクだよね。
砂原:P-モデルはパンクだよ!
■そうだよ(笑)。
砂原:だいたいパンクって言った瞬間に終わる。アートもそうなんだけど、言った瞬間に終わるっていうのがあると思ってて、俺が見たときにはパンクってできあがっていたから。それで直接的にパンクのほうにはいかなかったんだと思うけど。でも、スピリットは強いと思うね。だいたい電気グルーヴのなかにいたってこともあるし......あのバンドはパンキッシュだったでしょ。
■石野卓球にはあるよね。
砂原:いや、瀧にもあると思うし、そういう影響はあると思うね。
■でも、もともとは世のなかに対して腹を立てている音楽はかっこ悪いと思っていたほうでしょ?
砂原:そんなことはない。やっぱ、ニューウェイヴってパンクの変形みたいなところがあるじゃないですか。P-モデルなんかはまったくそうだと思う。中学生のときはYMOにハマっていたんだけど、高校生ぐらいのときからじわじわとP-モデルにハマっていったんだよね。
■坂本龍一の『B-2ユニット』なんかは?
砂原:あれもそうだね。ああいう感覚をYMOが取り入れたんだろうね。それを言ったら俺は『テクノデリック』や『BGM』にもパンクを感じるけどね。あと、ヤン(富田)さんにすごくパンクを感じるんだよね。そう、俺はああいうスタンスにパンクを感じることが多いかな。ギター持って、ベース持って、ドラム叩いて、Tシャツ着てジーンズ穿いてって、俺はスーツ着て、ネクタイ締めて、小型無線機を持って電車に乗り込むサラリーマンといっしょだと思ってるから(笑)。それといっしょじゃん。それよりも、俺、池田亮司にもパンクを感じるから。
■『ラヴビート』以降は、とにかくこうした公の取材で社会問題について話すわけだけど、社会と音楽との関わりみたいなところでは、何か声明を出していきたいとは思わない?
砂原:いまの世界が問題山積みなのはわかるけど、それを解決するのに何がいちばん良い方法なのかっていうのが自分のなかではまだはっきりしないところがあるから......もちろん、争いや暴力がなくなるのが良いに決まっているんだけどね。
■何かこう、メッセージを言うって感じではない?
砂原:そういう感じではない。それを言うことで、どこかにしわ寄せが来るのが嫌だし。
[[SplitPage]]あれはメッセージはメッセージなんだけど、あのなかに出ているCO2がどうたらこうたらとか、ああいうの、俺、CO2を無くしたいからああいうこと言ってるわけじゃないのね。CO2が環境にどれだけ悪いのかという証明を誰かが出したのか、これは我々は騙されているんじゃないのかという、そういう投げかけなんだよね。
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■"サブリミナル"のPVを見たけど、あれすごいじゃない。レディオヘッドみたいだと思ったよ。
砂原:あれはメッセージはメッセージなんだけど、あのなかに出ているCO2がどうたらこうたらとか、ああいうの、俺、CO2を無くしたいからああいうこと言ってるわけじゃないのね。CO2が環境にどれだけ悪いのかという証明を誰かが出したのか、これは我々は騙されているんじゃないのかという、そういう投げかけなんだよね。
■CO2に限らず、グローバリゼーションの問題とか、資本主義経済の問題とか、いろいろな数字を地図にダブらせて、暗示させているよね。
砂原:そう、いろいろ出している。あれはけっこう踏み込んでやっているから。
■あれは何?
砂原:あれはプロテストというわけでじゃない。「こういう情報とどうやってつき合っているんだ?」っていう問いかけだよ。まあ、時間が経ったから言うけど、「CO2を無くしていきましょう」とか、そういうことを言いたかったわけじゃなくて、「震度5でこの建物は崩壊します」と言う、しかし「その情報は本当にあっているのか?」、「怪しいヤツが来て、税金集めて、何に使われているのかわからないんじゃないのか?」、そういうことを考えて欲しいというのが意図としてあったんだよね。
■惑わされるなと。
砂原:たとえば発展途上国の開発だって本当に現地の人たちのためにやっているのか利潤のためにやっているのかわからないと思うんだよね。「Win-Winの関係」って経済用語としてよく言われるじゃないですか。これをこうすることによって、お互いに利益がいくって。たとえば俺がいまここで水を飲める技術を提供してやれば、「おまえらも水が飲めるし、俺は金が儲かる」っていう。でも、「それって本当なのかな?」と思うんだよね。
■なるほど。そういういま社会で公然とおこなわれていることに対する疑問符みたいなものだね。
砂原:そうだね。俺、ぜんぶ経済に取り込まれている気がするんですよね。昔だったら、家に赤ん坊がいればそれを見てくれるお婆ちゃんがいた。でも、いまはいないからそういうサービスに電話する。それで金が取られるじゃないですか。資本主義が......進化なのか退化なにかわからないけど、いろんな価値観がどんどん経済に飲み込まれてるってことです。そういうシステムに飲み込まれずに自分を成立させるのがひじょうに難しいと思うんだよね。「俺は金なんかいいよ」と言っても、そうやって生きられない。自分の価値観を持って生きていくことがより困難になってきていると思うんですよ。
■それは『ラヴビート』以降、ずっと考えていることでしょ?
砂原:『ラヴビート』のときはもっと衝動的だったし、甘かったんですよ。『ラヴビート』のときのほうがはっきりモノを言えたと思うんだけど、当時の考えでいま有効ではなくなっているものも少なくないと思うんだよね。だから、『リミナル』のほうがよりはっきり言えなくなっている。
■その「はっきり言えない」感じは音にもすごく出ているね。
砂原:そう、はっきりは言ってないんだけど、(実は何かを)言ってるっていうね。
■去年会ったときには、「プログレみたいなアルバムになるかもしれない」って言ってたじゃない(笑)?
砂原:ちょっとはあるでしょ。ない?
■正直言って、まったくないと思う。
砂原:ああ、そう(笑)!
■良い意味でね。
砂原:ああ、そう。
■プログレになったらどうしようかと思っていたから。
砂原:俺としてはちょっとあるんだけどね。
■まあとにかく「サブリミナル」を発表した時点にあった構想からずいぶん変変更があったと。
砂原:あったね。初めて踏み込む領域があって、そこに入っていったら気がついたと思うんだよね。"サブリミナル"をリアレンジして入れようと思っていたんだけど、実際にできたらアルバムに馴染まなくてはじいちゃったんだよね。そういうことがあったりとか......、あと、アルバムのなかばの曲とか抽象的だと思うんですけど......。
■はいはい、"ナチュラル"とかすごいもんね。
砂原:うん、そういうところにも出ている。自分が具体的に表現しにくくなっているんです。
■そういう意味では『リミナル』はわかりづらいアルバムだよね。
砂原:そうかもね。
■曲名もわかりづいらい。
砂原:そう。
■わかりやすくしようとは思わなかったの?
砂原:わかりやすくできるんだったらしたほうがいいと思うけど、ただ、わかりやすくすることで......たとえば『ラヴビート』というタイトルがあったとしたら、そのキャッチフレーズに合わせて世のなかを理想的に見ようとしたときに、どこかに副作用があったらこれはもうダメだと思うようになってしまった。それで言葉をちょっとぼかすようになってしまったんだよね。
■正義というものがますます相対的になっているっていう感じ?
砂原:誰かが理想を掲げても、その理想の裏には悲しむ人がいるんじゃないかって。そういう副作用ができるようなマニフェストだったらはっきりしていないほうがいいと思うようになったんだよね。文明が物事を解決しようとして進んでいって、しかしそこには副作用が起きて、結局、堂々巡りのようになっているんじゃないかと思ったんだよ。何を解決しようと思ってもしわが寄る。それを強く感じていますね。
■まりんのディスコグラフィーだけを追っていくと、『ラヴビート』で急に社会に目覚めたように見えてしまうんだけど、いまあらためて訊くと、『ラヴビート』にいたるまでに何があったんだろうか?
砂原:『サウンド・オブ・70'S』をやっているときに「変わる」ってことを強く感じたんだよね。世のなかの秩序が変わるだろうと。
■あの当時、環境問題について強く話してくれたのはよく覚えているんだよね。
砂原:まあ、そういうこともあったかもしれないね。とにかく、『ラヴビート』をやっているなかで気づいたんじゃなくて、『サウンド・オブ・70'S』をやっているときに感じたことだったんだよね。「こりゃ終わりだな」と。98年ぐらいかな。
■『サウンド・オブ・70'S』までは、まりんのなかで自分の音楽がエンターテイメントであることにプライドを持ってやっていたと思うんだよね。
砂原:まだ若かったし(笑)。それに90年代なかばの音楽業界はお祭り騒ぎみたいだったから。
■ちょっとした黄金時代だったかもね。
砂原:そのなかにいて、気がつかなかったことがあったんだよね。だけど、いろいろやってくなかで無視できなくなってきた。あと、他の音楽からの影響もあったよね。『ラヴビート』をやる前にACOのプロデュースをしたんだけど、彼女が書いてきた曲が時代にすごくマッチしていたりとか......。ア・トライブ・コールド・クエストの『ラヴ・ムーヴメント』のような、自分にとって決定的なアルバムが出たりとか......あのアルバムを聴いたとき、自分が「変わるな」と感じていたことがそこにあるように思ったんだよね。ああ、ひょっとしたら音楽に最初に教えられたのかもしれないな。それでもっと現実を見ようと思ったのかもね。
■まりんほど大きく変化を遂げたミュージシャンも珍しいと思うんだよね。
砂原:そう? 中学校のときの友だちに会うと、「おまえ、インタヴュー読んだけど、まったく変わらねぇーなー」って言われるよ(笑)。
■やっぱ、でも......、昔の話になっちゃうけど、電気グルーヴ時代は、電気グルーヴのなかのまりんという役柄を引き受けていたところもあったんでしょ?
砂原:前半はとくにね。『ビタミン』以降は自然になっていったと思うけど、それまではやっぱ、勝手にそういうイメージができていて、それをなぞっていかないといけないのかなというのはあった(笑)。それまで俺、インディーズでやってきてて、それが突然、大きなステージに立って、たくさん取材を受けて、たくさん写真を撮られて、初期はすごく混乱していたからね。しかも、瀧が俺の足を持ってがーっとかふりまわしたら、それで何かが成立しちゃうから。
■ハハハハ。
砂原:もう何もやらなくていいわけ(笑)。
■ハハハハ。電気グルーヴはアイドルだったからね。
砂原:『ビタミン』以降は変わったけどね(笑)。やっぱあの頃はふたりの影響が大きいよ。
■インパクトが強すぎるからね(笑)。話を戻すと、そういう意味では『ラヴビート』というターニングポイントがあって、それで今回の『リミナル』ではさらにまた違うところに行こうとしているってことだよね。そこに迷いはなかった?
砂原:なかったね。むしろの次のステップに行きかけていると感じていたから。そう、だから、本当は、そう感じるよりも前に、1枚のアルバムをまとめてしまったほうがわかりやすかったのかもしれないね。けど、もう(次のステップに)行きかけているから。で、全体的にグラデーションがかかってしまってるのかな。まあ、できたばかりかだから、まだ自分でも(『リミナル』の全体像が)わからないところもあるんだよ。
■なかなか客観的になれない。
砂原:何回か通して聴いたんだけど、「まだわかんねーや」っていう。
[[SplitPage]]聴いている人が楽しめないものにしたいわけじゃないないから、もうちょっと楽しめる要素で、自分がそれを妥協しないで受け入れることができるものがあるなら、それは取り入れたいなと思うんですよ。いつもそう思ってやってます、これでもね。
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■手法的な話だけど、90年代はサンプリングという手法にこだわっていたじゃない。それを『ラヴビート』でやめてしまった。それでも『ラヴビート』にはそれまでの砂原良徳の音楽の魅力のひとつであるメロウネスがあったと思うんだよね。『リミナル』の驚きというのは、自分の音楽の魅力であるメロウな感覚をも削いだってことなんだけどね。それがすごいなと思ったんだよね。
砂原:音楽って、曲って、人から人に対するコミュニケーションじゃないですか。でもね、人が言ってることとか、個人が出すものとか、もう白々しいし、限界があるなと思ったんですよ(笑)。それを考えたときに「音楽のはじまりってどうだったのかな?」、「人から人に向けたものが音楽のはじまりだったのかな?」と、「いや、そうじゃないだろう」と思ったんだよね。風の音を聞いてなんかいいなと思ったり、波の音を聞いてなんかいいなと思ったり、あるいは動物の鳴き声であったりとか、そういうものが音楽のはじまりなんじゃないかと思ったんだよね。で、風の音や波の音のような意識的なものではない要素を自分の音楽に取り入れたいと思ったんだよね。でも、意識的に取り入れないと音楽にならない。で、意識と無意識のグラデーションとか考えているうちに、メロディとかそういう人が作ったものではない領域に踏み込みたいと思ったんだよね。それがメロディが少なくなった理由です。
■ふーん、すごい話だなぁ(笑)。まあ、とにかく削ぎ落とそうと思ったわけではないんだね。
砂原:違う。削ぎ落とそうというのは、基本的に毎回やっていることだし。そうではなくて、もっと無意識の音というか。
■ただ、まりんの音楽はエレクトロニック・ミュージックであり、そういった風や波の音とは違う次元の音じゃない。
砂原:いや、でも、突き詰めていくと、意外と近かったりするかもしれないんだよね。たとえばコンピュータで乱数的なプログラムを作って音を鳴らすと、風鈴の音と近かったりとか、つまり次にどういう風に鳴るのかっていうことが予測できない。そういうことはコンピュータでも作り出せるから。
■もともとまりんの音楽は、良い意味でサーヴィス精神に溢れていたと思うのね。腕の良いコックが......
砂原:気の効いた料理を(笑)。
■そう、気の効いた料理を、見た目も華やかにデコレーションしてテーブルまで持ってくる感じがあったんだけど、そういう観点で言っても、もう『リミナル』はその対極とも言える作品だよね。俺は、まりんの本来の資質は、アヴァンギャルドというよりもポップのほうにあると思っているんだけど、『リミナル』を作っているときに、自分のなかにあるポップの価値観みたいなものとのせめぎ合いみたいなものもあったわけでしょ?
砂原:それはあるね。
■"ブルーライト"や"ボイリング・ポイント"みたいな曲はポップとは言えないと思うんだよね。
砂原:ぜんぜん言えない(笑)。
■それでもこうした曲を収録しなければならなかったわけだよね。
砂原:メロディやコード、キャッチーと言われるものって、ある文化圏において前提のものとに鳴らされている音だと思うんですよ。たとえばいま日本でヒットしている音楽をアフリカ大陸で生活している人のところにもっていってもわからないかもしれない、でも、ビートは違うだろうと。ビートにはそれはないだろう。そう考えたんだよね。だから、それ以外のもの(メロディやコード)がなくなっても、それはある前提のものであって、そうではないところまで音楽を戻すって言うのかな、そういうことをしなきゃならなかったんですね。
■ビートね。
砂原:そう、ビートは違うんじゃないかって。
■ビートがコンセプトだっていうのはよくわかる。
砂原:コンセプトというよりも、共通言語として成立するんじゃないかと思った。
■なるほど。で、ノイズが断片的に聴こえる"ナチュラル"はひとことで言えば暗い曲じゃない。
砂原:明るくはないよね。
■個人的には大好きな曲だけどね。それで、"ブルーライト"~"ボイリング・ポイント"と続いて、"ビート・イット"に来ると、これはもう怒っているとしか思えないんだよね(笑)。
砂原:ハハハハ。いや、ていうか、聴いている人が楽しめないものにしたいわけじゃないないから、もうちょっと楽しめる要素で、自分がそれを妥協しないで受け入れることができるものがあるなら、それは取り入れたいなと思うんですよ。いつもそう思ってやってます、これでもね。
■そういう意味で言えば、『リミナル』は曖昧ではないと思うんだけど。よりクリアになっている。
砂原:意識はクリアになった。ただ、クリアになった分、はっきりしたことが言えなくなった。
■ナチュラル"から"ビート・イット"までの展開って、アルバムの大きなポイントだと思うんだけど、今日、話を聞いていて思ったのは、やっぱ感情の赴くままに作っていたんだね。
砂原:そうなの。今回はそこがいままでとは違うんだよね。とくの、いま曲名を挙げたアルバムの中盤にある曲に関しては、日頃、生活しているなかで感じている世のなかの雰囲気や気分をそのまま出してやろうと思ったんだよね。で、それは必ずしも説明しなければいけないことではないと思ったんだよね。
■なるほどね。俺はね、繰り返すけど、『リミナル』からは怒りを感じたのね。で、このところ、音楽から怒りを感じることがあまりなかったので、それが新鮮だったの。とくに、いまのような斜に構えたネット社会では、怒るってことはすごくエネルギーを使うし、大変だと思うわけですよ。怒りっていう感情が出しづらい世のなかになっているんじゃないかと思ってるんですよ。
砂原:そうだね。俺も、自分では意識してなかったけど、怒りっていうのはあるのかもね。
■悲しみに同調するって感じでもないじゃない。
砂原:はははは、そうだね。
■『ラヴビート』と聴き比べるとすごくよくわかるんだけど。
砂原:完成してからまだ『ラヴビート』聴いてないな。
■ライヴではやっているじゃない。
砂原:やってるね(笑)。ただ、間違いなく問題意識は強くなっていると思うよ。
■『リミナル』のデザインを手掛けているムーグ山本さんなんかも、そういうタイプの人だよね。
砂原:そう。ムーグさんとはそういう話、すごくいっぱいする。
■似てるかもね。
砂原:興味の矛先がすごく近いと思う。
■エモーショナルところとかも似てるよ。
砂原:ムーグさんはエモーショナルだよね。一時期、ヘルメット被ってビラ配ったりしていたもんね。
■ハハハハ。言っておくけど俺もエモーショナルだよ。俺は右で左でもないもん。ノンポリだから。
砂原:俺は右翼が来たら左翼と言って、左翼が来たら右翼と言っちゃうタイプだな。
■ハハハハ。それはただの喧嘩好きってヤツじゃないの。
砂原:いや、違う。中立であるってことをヤツに伝えたいというか、気づかせるというかね。
■なるほどね(笑)。まあ、とにかく『リミナル』からはそういう激しいもの、何か強い気持ちを感じたのはたしかだよ。ところで、最初に「次を早く作りたくなった」って言っていたけど、要するに、もうそれは見えているんだ。
砂原:しっぽを掴んだというかね、そんな感じだけど。その先に何かあるかもしれないという。そのしっぽを引っ張れば何か出てくるかもしれないっていう。
■そのしっぽは何なの?
砂原:それはまだわからない。引っ張ってみないとね。何もないかもしれないし。
■なるほど。最後に、これから先の音楽人生っていうものをどういう風に考えていますか?
砂原:まったくわからないね。音楽業界もこういう状況だし、いつまで続けられるかわからないなと思ってやっているよ。10年後のことなんかぜんぜん考えてない。ただ、いまを詰み重ねていくしかないんだよね。