「Nothing」と一致するもの

Gerald Mitchell - ele-king

 中年期を迎え、結婚などして朝型の生活を何年も送っていると、12時を過ぎたら自然と眠くなる。ナイトライフを日常的には楽しめなくなってくる。遊べるうちにさんざん遊んでおいて良かった。我がナイトライフに後悔はない。

 ポップ・ミュージックが放課後のためだけのものでなくなって久しい。R&Bやロックなどは、僕よりもさらに年上の50代や60代の人間も聴いているジャンルである。R&Bやロックは、実際のところ音楽の主題もずいぶんと幅が広い。ラヴ・ソングひとつとっても結婚生活や離婚ないしは再婚を歌っているものもあれば、親との死別、社会や哲学的な主題までと、壮年期から中年期、そして高齢期の人間にとっても聴き応えのある作品が多い。これらのジャンルには年齢相応の音楽の愛し方というものが確立されている。
 テクノやハウスといったジャンルは、いままさに中年期に差し掛かっている。人間は誰でも平等に老化する。あなたも橋元も生きていればいずれは老いる。老化とは生の証であるからクラブ・ミュージックの作り手が老化に対してどのように前向きになれるのか見たいという好奇心が僕にはある。こと享楽的な文化から生まれたこのジャンルにおいて、それがどのような展開を見せるのか、実に興味深い。行く末を自分なりに見届けたいし、このジャンルにおいても年齢相応の音楽の愛し方があることを実践したいのだ。

 デトロイトのジェラルド・ミッチェル(URの"ナイト・オブ・ジャガー"の作者として広く知られる)にとって最初のソロ・アルバムとなる『ファミリー・プロパティ(家族の遺産)』は、家族を主題にしている点において、ある程度の年齢に達さなければ生まれない作品である。もっとも、クラブ・ミュージックという、比較的歴史の浅いジャンルにおいて、家族や地域コミュニティという主題にもっとも早く着目していたのは同じくデトロイトのケニー・ディクソン・ジュニア(ムーディーマン)だ。彼には最初からその嗅覚があった。いまや失われつつある昔ながらのコミュニティがデトロイトにはまだかろうじて残っていることのありがた味をケニー・ディクソン・ジュニアはわかっていた。その感覚を彼は、そしてハウス・ミュージックに注入した。『ファミリー・プロパティ』の根幹にあるものもアフリカ系アメリカ人の地域コミュニティの文化にほかならない。ゴスペルと呼ばれる音楽とのつながりである。ソウル・ミュージックとは、ゴスペルと呼ばれる黒人教会音楽の世俗化を意味するが、そういう意味でもこのアルバムはソウルフルとも言える(基本、クラブだから)。が、同時これはゴスペル濃度の高い作品である。いなたいというか、ケニー・ディクソン・ジュニア以上にそれをストレートに強く打ち出している。2曲目を聴いてくれればわかる。その曲が実際に地元の教会で鍵盤を弾いているジェラルド・ミッチェルの『ファミリー・プロパティ』というアルバムを象徴している。

 労働者階級のアフリカ系アメリカ人コミュニティに足を踏み入れると、彼らがおそろしく金を使わないことがわかる。ウォール街デモにアフリカ系が少ないのも、「あんたらミドルクラスがさんざんいままで良い思いしてきて、いまさら格差を主張するなんてちゃんちゃらおかしいぜ」ということだろう。そして、もう最初から政府には期待できないし......といった人たちが拠り所にするのは、よりミニマムなコミュニティ、すなわち家族となる。
 アメリカのように、日本以上に過酷な生存競争を強いられている国では、実のところコミュニティというのはあまり意味をなさない(躊躇なくブルックリンを離れたパンダ・ベアからもそれは伺い知れる)。とくに労働者階級のエリアでは、そもそも友だちというものができづらくなってくる。貧困であることが寛容さをうばい、他人や他人のサクセス・ストーリーを受け入れるということを阻むようになる。離婚率は高まり、しかし同時に家族愛への切望も高まる。家族という単位が壊れやすく不安定で、ただそれだけでは社会的に決して安心できるものではないからこそ、その大切さもこみ上げてくるのだろう。

 旧来の黒人社会にも女は男につくすべきだという家父長的なところがある。アフリカ系アメリカ人コミュニティには、ピンプと呼ばれるヒモが大勢いた。が、そうした男に愛想をつかした女たちは、前向きに自立した。あるいは、その他方では、アフリカ系アメリカ人コミュニティは、職業を持たない若年層の未婚女性の妊娠といった社会問題にも早くから直面している。家族とはあって当たり前のものではない。日本もいまそうなりつつある。
 経済的なエリートでもない限り、助け合ったほうが良いし、家族愛は失わないほうが良い。それがセーフティ・ネットになるかどうかはまた別の話かもしれないが、より身近な愛せる人たちと向き合ったほうが良いに決まっている。
『ファミリー・プロパティ』は、ハーバートのような知的な成熟ではないが、より大人びた心情的な深さを持っている。ふだん抑圧され、濁りかけている感情を解放するという点では、クラブ・ミュージックがなしうる最良のことを『ファミリー・プロパティ』は週末の12時になると眠くなる人に対しても果たしている。

Various Artists - ele-king

 ザ・レジデンツの1976年のアルバムに『サード・ライヒン・ロール』がある。A面が"パレードする鉤十字"、B面が"ヒトラーはヴェジタリアン"。ザ・レジデンツはザ・KLFよりも15年も早く、著名なサンプリング音源を冒涜的に使用することであらたな意味を持たせることを試みた先駆者だが、1972年のデビューからセカンド・アルバムにあたる『サード・ライヒン・ロール(第三帝国ロール)』までの、サンフランシスコを拠点とするこの匿名会社の主な目的は、商業的に大きな成功をおさめているポップ音楽を全体主義ないしは専制主義として見なし、抗議することだった。ポップ・ヒット曲("レッツ・ツイスト・アゲイン"から"ライト・マイ・ファイアー"や"ヘイ・ジュード"まで)をコラージュしながら暴力的な描写を加え、ねじくれたサイケデリックを展開する『サード・ライヒン・ロール』の裏ジャケットには「なぜ、ザ・レジデンツはザ・ビートルズを憎悪するのか?」という解説が掲載され、「この作品をポップ音楽業界の権力者に捧げる」と記している。
 キャプテン・ビーフハートの流れを引くこの奇妙なエレクトロニック・ミュージックと、そしてスロッビング・グッリスルとパンクがカンのミニマリズムと出会ったときにノイエ・ドイッチュ・ヴェレは誕生している。『サード・ライヒン・ロール』というアルバムはナチスのイメージを使っているだけに、"レッツ・ツイスト・アゲイン"のようなポップ・ソング、ジェームズ・ブラウンの"パパズ・ゴット・ア・ブラン・ニュー・バッグ"のような曲までドイツ語で歌っている。こうしたアティチュードをドイツのポスト・パンク世代が歓迎したことは想像に難くない。1979年、デュッセルドルフのアートギャラリーを拠点に誕生した〈アタ・タック〉は、ノイエ・ドイッチュ・ヴェレを代表するレーベルのひとつとして知られている。ここに紹介するのは昨年(2011年)に日本で限定リリースされたレーベルのボックスセットの『Box 2』のほうである。

 ひと言でノイエ・ドイッチュ・ヴェレと言っても、UKや日本のニューウェイヴにもいろいろあったように、いろいろある。そのなかにおいて〈アタ・タック〉を特徴づけるのは、エレクトロニクスを使った音だ。レーベルの第一弾としてリリースされたのはDAFのファースト・アルバム『Produkt Der DEUTSCH AMERIKANISCHE』だが、この作品の録音メンバーは、クルト・ガールケ(ピロレーターの名で知られる)、ヒャエル・ケムナー、ヴォルフガング・シュペルマンス、ロベルト・ゲイルの4人。ガビ・デルガドとクリスロ・ハース(DAF縲怎潟Gゾン・ダンジュルーズ)のふたりは、メンバーでありながら、たまたま参加していない。が、それでも曲名のない22曲が収録されたこのアルバムは、いまでもパワフルに聴こえる。DAFと言えば、〈ヴァージン〉と契約後のマシナリーな反復とエロティシズムによる陶酔が広く知られているが、ファースト・アルバムにあるのはシンセサイザーによるホワイト・ノイズ、そしてパンクを通過したドイツのミニマル・ロックの断片だ。
 『Ata Tak - Collection Box 2』にはそのDAFの『ファースト・アルバム』(1979)をはじめ、ピロレーター『インランド』(1979)、モニター『モニター』(1981)、ホルガー・ヒラー『腐敗のルツボ(Ein Bundel Faulnis in der Grube)』(1983)、ミーヌス・デルタT『バンコク・プロジェクト』(1984)の計5枚がパッケージされている。〈アタ・タック〉をもっとも代表するバンドと言えばデア・プランだが、彼らのデビュー・アルバム『ゲリ・ライク』(個人的にもっとも好きな作品)をはじめ、『ノーマレッテ・シュルプリーズ』と『最後の復讐(Die Letzte Rache)』の3枚は『Box 1』(2011年初頭に発売)のほうに収納されている。

 DAFの『ファースト・アルバム』には、ピロレーターの当時を回想するインタヴューが掲載されている。また、ホルガー・ヒラーの『腐敗のルツボ』にもしっかり訳詞があるのが、こうした再発盤の嬉しいところだ。1曲目の"親愛なる女性公務員さま、ならびに公務員さま"など既得権が議論されている真っ只なかのいま聴くと、あらためて当時の音楽の主題の着眼点に感心する。最後の曲"アイロンがけバンザイ"もそうだ。「アイロンがけバンザイ/世界にバンザイ/この調子でいけばやがて我々の呼吸は雪となって降るだろう/そうしたらソリ遊びができる」----素晴らしいラインである。
 『腐敗のルツボ』は、ヒラーがパレ・シャンブルグを脱退してから録音した最初のアルバムで、収録曲の"ジョニー"はシングル・カットされて日本でもヒットしたので僕と同世代の人はほとんど知っている曲である。僕がこのボックスの5枚のなかで2枚選ぶなら、迷わずDAFとヒラーのこれだ。ザ・レジデンツとヴェルヴェット・アンダーグラウンドに影響を受けたという『腐敗のルツボ』もサンプリングを使用したもっとも初期の作品の1枚である。
 DAFを経て、その後デア・プランのメンバーとなる前にピロレーターが発表した『インランド』は、コルグのMS-20とSQ-10(ともにハースがその後DAFサウンドにも取り入れた機材)を使用したアブストラクトなエレクトロニック・ミュージックだ。興味深いのは、ディストピックなこの作品の背景に1979年のスリーマイル島原発事故とドイツのゴルレーベンでの放射性廃棄物処理場の建設問題という核汚染への不安があったこと。この時代からドイツの若者文化には環境問題に関する意識の高さがあったと言える。そしてまあ、はからずとも『インランド』はいまの我々にとって重たい作品となった。
 モニターは、ロサンジェルスのフリー・ミュージック集団、LAFMSの一派として知られる。1981年のこのアルバムのみを残してモニターは歴史から消えている。ライナーには関係者の証言を交えた詳細な解説が書かれている。
 ミーヌス・デルタTは、1978年の初期にはロベルト・ゲイルやクリスロ・ハースも参加していた流動的なアート集団で、本作『バンコク・プロジェクト』はこのボックスにおいてもっとも希少価値の高い作品だと思われる。ライナーでも触れられているように、そもそもこのアート集団に関しては日本ではいまだほとんど紹介されていない。
 『バンコク・プロジェクト』は、5.5トンもの巨石をブリテイン島のウェールズからタイまでを陸路で運ぶという、地球規模のアートを記録したアルバムだ。石を運びながら欧州から中東、アジア(イラン、トルコ、バンコク・レバノンなどなど)を旅したなかでのフィールド・レコーディングの成果が編集されている。旅費は、彼らが会社を設立し、支援者にその株券を買ってもらうことでまかなったそうだ(株主はその石の所有者となる)。イスラム文化圏への好奇心という点でも、21世紀的なワールド・ミュージックを予見しているかのような内容で、〈アタ・タック〉というレーベルの底の深さをあらためて思い知る。つまり『Box 1』が初心者向けなら、『Box 2』はその深さに焦点をおいているというわけだ。

kplr - ele-king

 カリフォルニアはバークレーからデクスター・ブライトマンによる新種の試み。ダンス・ミュージックとして構想された音楽ではないと思うものの、いわゆるアシッド・ハウスを古典的なミニマル・ミュージックへと落とし込んだような発想が8パターンに渡って展開されている。現在のUSアンダーグラウンドはダンス・カルチャーから身体的な面で影響を受けざるを得ない場所になっているということは何度も指摘してきたつもりだけれど、ここまでその影響下に組み入れられてしまった例は稀有ではないだろうか。人によっては出来の悪いシカゴ・アシッドだと勘違いしかねないほど、その種のものに聴こえてしまう。

 前半がまずはエイフェックス・ツイン"ディジェリドゥー"をシカゴ・アシッドの文脈で再現したかのような軽さと催眠効果。もしかすると本当に"ディジェリドゥー"からヒントを得てつくっているのかもしれない(アンスタム『ディスペル・ダンシィーズ』でも上手く誤魔化してはいたけれど"ザイレム・チューブ"がサンプリングされていたし、それこそ野田編集長が言うようにテクノが一周した時期なのかもしれない)。続いてシンプルに繰り返されるパルス音も大筋はプラスティックマンへと通じているようで、どこかで決定的に違うものがあり、いわゆるダンス・ビートではないにもかかわらず、フィジカルな部分を刺激して止まない側面があるためか、どの曲も長々と聴いていると、いつしかブレイク・ダンスを踊りたくなってくる。そんなミニマル・ミュージックはさすがに存在しなかっただろう。

 後半がまた意表をつく。音の選び方からその配置まで、みっちりと「諧謔的」なのである。それこそレジデンツ+プラスティックマン。紙エレキングVol.4(P73)で、2011年は実験音楽が不作だったと嘆いてしまいましたが、全文撤回したくなるほど独創的であまりにもファニー。可愛らしいスクラッチ・ノイズが絶え間なく頭上を飛び回るコミカル・ミニマルから......とにかくヘンな音のループまで、こんなこと、いままで誰がやろうとしただろう(ちょっと近いのはスウィート・イクソシスト"テストーン"か)。クロージング・トラックは、そして、一転して、重々しくベースをくねらせ、それはまるでDAFをミニマル化させたような快楽の抽象化。頭のネジをゆるめるだけゆるめておいて、最後にグッと締めす感じでしょうか。

 もう1枚、春先にリリースされたものだけど、ミニマル・ミュージックの変り種としてアン-ジェイムズ・シャトンも並べて紹介しておきたい。アルヴァ・ノトの諸作にポエトリーとして参加してきたフランス人によるソロ1作目で、70年代末から延々と活動しているオランダのアナーコ・パンク・バンド、ジ・エックスと関係を持つ人物らしい。

 内容は簡単。新聞の記事や領収書に記載された文章などトラッシュめいた言葉の断片をループさせるだけ。"バラック・オバマ"とか"ピナ・バウシュ"など意味のわかるものはまだいい。ほとんどは何が何だかわからない(フランス語だし)。"ポップ・イズ・デッド"だけが英語で、これはマイケル・ジャクスンの死を報道した新聞の見出しだという。ユーチューブやサウンドクラウドで1縲怩Q曲聴く限りでは、それって面白いのかな縲怩ニ、僕自身もかなり躊躇してしまったのだけれど、これがどういうわけか止められない。非常に癖になる。リリースの機会を与えたアルヴァ・ノトがとくに手を貸したわけでもなく、サウンドも本人の手によるもので、ミニマル・ポエトリーともいえる新たなスタイルがここに誕生した。ポップ・アート健在である。

Seahawks - ele-king

 ポスト・チルウェイヴにひとつ顕著なのは、たとえばハイプ・ウィリアムスがその良い例だが、肥大な電子の、あわよくば非言語的な海へとまっしぐらであること。その海はこの20年、電子機材の一般化やインターネットの普及に比例するように、絶えず膨張している。サン・ラーのコズミック・ヴィジョンからクラウトロック、ザ・KLFの『チルアウト』、キング・タビーのスタジオ、他方ではアフリカの大地などなど音楽のあらゆる場面へと、なかば気まぐれにリンクし合っている。

 僕はあまりにも長い年月を、夢想状態を支持する音楽とともに生きている。この世界には、前向きな停滞----めっちゃやたら変化しないこと、するとしても時間をかけてゆっくりとする変化----があるということをミニマル・ミュージックやアンビエント・ミュージックを通じて知った。セカンド・サマー・オブ・ラヴの酩酊を通して、根拠のない前向きさの素晴らしさというものも知った。シカゴのハウス・ミュージックが欧州に渡って、あっち行ったりこっち行ったりと流動的かつ多様な展開を見せてからのエレクトロニック・ミュージックのこの20年は、デヴィッド・トゥープの"海の音(ocean of sound)"というたとえが合っている。ふたりの英国人によるシーホークス(ウミタカ)もその海からの使者かもしれない。

 レーベル名からして〈オーシャン・ムーン〉。アルバム・タイトルは『目に見えない陽光』。とにかく海にちなんだ曲名をふくむ言葉の選び方からすると、彼らの夢想のイメージは、実にわかりやすく、素直なものだと言えよう。この2年、彼らの作品は精力的に発表され、じょじょにだがリスナーも増やしていると聞く。およそ1年前にリリースされたファースト・アルバム『オーシャン・トリッピン』や限定盤のピクチャー・レコードが意外なほど早く売り切れたのは、彼らの音楽にはチルウェイヴ/ヒプナゴジック・ポップのネクストがあるからだろう。
 オープニング・トラックこそバレアリックなブレイクビートが展開されるが、シーホークスの根底にひとつあるのは、サイケデリック・ロックだ。多くの曲には8ビートのリズムがあり、またスペース・ロックめいたトリッキーな上物がある。全曲ダウンテンポで、クラブ・ミュージックからの影響もあるにはあるのだろうが、決して強くはない。
 というよりも......面白いのは彼らのミックスCDの選曲リストだ。ドナルド・フェイゲンやダリル・ホールといったAOR、ないしはネッド・ドヒニーのようなソフト・ロックばかりが挙がっている。『オーシャン・トリッピン』は、ことビートに関しては、80年代AORからの影響が今作より強く出ている。こうしたアプローチは(トロ・イ・モワのセカンドと共通する感覚を有すると同時に)シーホークスのアンビエントやサイケデリックといったジャンルへのシニカルな眼差しをほのめかしている。そもそもスティーリー・ダンがどうして菫色と紅色の混じった空に結びつこうか。『イヴィジブル・サンシャイン』はチルアウト/アンビエント・アルバムでありながら、〈アポロ〉よりは〈クルーエル〉に近く、ジャズのテイストも入っているがサン・ラーではなく『ザ・ナイトフライ』なのだ。
 素直に見えるこの夢想の背後には、彼らなりの遊び心があるわけだ。が、そのドリーミーな志向がぶれることはない。少々80年代的で、ずいぶんとスタイリッシュな海からの使者である。そういう意味でこれはザ・KLFの『チルアウト』とは別物だけれど(そういうコピーが製品には書かれている)、くらくらするような浜辺、なま温かい夢を誘発する音楽であるのは事実。僕もいまから音の旅を楽しもう。それではみなさん、良いお年を!

interview with Goth-Trad - ele-king


E王 Goth-Trad
New Epoch

Deep Medi Musik/Pヴァイン

Amazon

 ......ようやく、ゴス・トラッドとサシで話せました、ようやく、この国のダブステップのキーパーソンと(キーちゃん、ありがとう)。

 さて、以下に紹介する大量の文字は、世界を股にかけて活動するゴス・トラッドとのおよそ1時間半ほどの対話の一部始終である。
 彼は2012年1月11日、ゴス・トラッドとして4枚目となるアルバム『ニュー・エポック』をリリースする。20年前のケン・イシイやDJクラッシュのように、これは国境よりも音楽そのものが優先している作品で、日本人が作っているから......というものではない。国籍にはとくに意味を見出さない音楽だと言えよう。が、『ニュー・エポック』にはゴス・トラッドのこの5年間の国際的な活動、その成果と日本を結びつけるもの、そして3.11、それらがぜんぶ含まれているという点において、過去の3枚とは違った視点を持つアルバムである。
 あるいはまた、いまでは、たとえばDJノブがゴス・トラッドを絶賛するように、その存在はダブステップというカテゴリーを超えて支持者を増やしている。が、興味深いことに『ニュー・エポック』は、実はゴス・トラッドが初めて"ダブステップ"を強く意識して作ったアルバムでもある。
 
 12月の上旬、アジア・ツアー出発の当日、空港に行く数時間前の午後に取材を受けてくれた。作品を特徴づけるディストピック・ヴィジョンとは裏腹に、本人は実に前向きな人柄で、これまでの歴史について丁寧に語ってくれた。

「ゴッドフレッシュがカッコいい」とか〈ワードサウンド〉だとか、「メルツバウやべえじゃん!」とか、そういうところに向かってたんですよね。当時から自分はいろんなパーティ観に行ったりもしてたんですけど......、まあ、「みんな似たような音作るんだな」って思ったりしてたのもあるんですよね。

俺ね、実はゴス・トラッドのデビュー・アルバムの推薦文を書いてるんですよ。

GT:覚えてます(笑)

あれは2003年だよね。「GOTH-TRAD」って名前もそのとき初めて聞いたのかな。秋本武士くんとレベル・ファミリアでいっしょにやってるっていうのが最初は結びつかなくてね。音がレゲエやダブではないでしょう。当時レーベルの人から、「新人だから音聴いて気に入ったら書いてくれ」って言われたんですよ。それで聴いて、けっこう衝撃でしたよ。

GT:自分も覚えてます。

どういうこと書いていたか覚えてる?

GT:あの......「ハイプを信じるな」って書いてましたね。

それは『remix』で書いた小さいレヴューじゃないかな(笑)。

GT:その言葉はすごく覚えてますね(笑)

恥ずかしいんだけど、あの当時の自分の文章をここに載せると、「身の毛もよだつようなノイズとカオスを創造し、1枚のアルバムにまとめている。これはすごいアルバムだ。デトロイトのアーバン・トライブとアレック・エンパイアのファーストを足して割ったようなメランコリーがノイズの砂嵐からできたかのようなビートとともにある。ヒップホップとテクノを切り刻み撹乱させ、怒りを持って吐き出したような音楽だ」ってすごいことを書いているんですけど(笑)。アルバムの前半はちょっとクラウデッドみたいな感じもあったけど、あのアルバムの後半とかね、よく当時あんなの出したなっていうのもあったし、まだ9.11のショックが生々しかった時代だったしね、イラク戦争があって、反戦デモもあって、そういう時代にゴス・トラッドは登場したんだよね。で、その当時、9.11以降のイラク戦争に関するコメントもDJバクといっしょに書いてもらってもいるんだよね。だいたいゴス・トラッドという名前自体にトゲがあるというか、当時のクラブ・ミュージックのピースな流れとはちょっと異質な響きがあった。それでようやく今回、インタヴューすることができるわけだけど、とにかくまず訊きたいのは、そもそも「GOTH-TRAD」がどこから来たのか? ということなんです。

GT:音楽的なルーツってことでですか?

それをふくめてゴス・トラッドがどういう音楽体験をして、どういう思いでここまで来ているのかを知りたくて。

GT:えっと、まずいちば番初めに音楽を好きになったのは、うちの親とか兄が80年代にマドンナとかポーラ・アブドゥルとか、そういう洋楽を聴いていたんですね。まあカッコいいのかなっていう感じじゃないですか。

生まれは東京なんですか?

GT:生まれは岡山で、すぐ山口県に引っ越して。で、アニキはけっこうそういうのに敏感で、カセットテープ買ってきては車のなかで聴いてたから、そういうのをカッコいいなあと思って「僕もダビングして」みたいな。それからテクノトロニックを聴いてたんですよ。で、これはカッコいい、ヒップハウスで----当時はハウスって言葉も知らないんですけど----ラップ乗ってて。

わりとポップなものを聴いてたんだね。

GT:そうですね、それは10歳とか。

小学生の頃だ。

GT:はい。で、テクノトロニックの「テクノ」って何なんだろうな、って思いながら小学6年生ぐらいのときに雑誌を読んでいたら、テクノのルーツが書いてあるものがあって。『スタジオ・ボイス』だったかなー? で、クラフトワークとか書いてあったから「買いに行こう」と思って近くのCDショップに行ったら置いてなくて、取り寄せてもらって。「ショールーム・ダミー」のEPとか何枚か買って、「面白いな」と思ったのが小学生6年生ぐらいのときですね。それからテクノって音楽をもっと聴きたいと思っていろいろ探りはじめて。で、家で衛星放送が入ってたんですけど、そのときたまたまUKチャートが流れてて、ナイトメアズ・オン・ワックスの"アフターマス"が1位だったんですよね。「これはカッコいいな、何か異様な雰囲気だし」って思って、ナイトメアズ・オン・ワックスのファーストを91年に買って。

それは小6で?

GT:それは中1ですね。

それはすごいねー。

GT:その流れでLFOも出てるから、それも買って。そのときKLFとかもヴィデオ・クリップで観てたんですよね。

そうなんだ。

GT:そこからUKの音楽に入っていって。当時タワレコなんかに行くと、T-99とかプロディジーのファーストとかが流れていて。プロディジーのファーストなんかめちゃカッコいいと思ってね。その辺のレイヴ・ミュージックっていうのをいろいろ漁って聴いてましたね。

それはすごく意外な過去だね。

GT:そうですか(笑)? それから中2になったときに広島に引っ越したんですね。そしたらレコード屋がちょくちょくあったので、だんだん通うようになって。そのときの広島のレコード屋は、「テクノ」っていうセクションに全部入ってたんですよね。〈ワープ〉、〈R&S〉、〈ライジング・ハイ〉、〈キッキン・レコーズ〉、ジャングル初期とか、ガバも入ってたしハウスも入ってたし、とりあえず気になったものを聴かせてもらって、「あ、これカッコいいな」ってガバ買ったりとか。『イントゥ・ザ・ジャングル』っていうジャングルのコンピレーションがあって、BPMがまだ150とか160ぐらいのときの(笑)。そういうの聴いて「これジャングルって言うんだ、カッコいいな」と思ってて、そしたらゴールディーが出て。で、そのなかにマッシヴ・アタックも入ってたんで、それも聴いたりとか、ビョークも聴いたりとか......中2から中3にかけてすごく聴いてましたね。テクノっていうセクションにいろんなものが入ってたから、そういう意味ではラッキーだったというか、いろんな音楽を聴くことができたんですよね。

あれはもう、黄金時代だったからね。

GT:で、高校生にになるとブリストル系、それから〈モ・ワックス〉だったり、もちろんポーティスヘッド......、〈ワープ〉は全部押さえてましたね。〈R&S〉とか〈ライジング・ハイ〉とか、あんまり情報はないから、レーベル買いして。コンピレーションに入ってたら、そのアーティストが違うレーベルから出してるものを買ったりとか。そういうのはほんと趣味でやってましたね。レコードもたくさん買ってたんですけど、でもDJをやるつもりもなくて......って感じですね。

そんなたくさん聴いてたんだね(笑)。

GT:本当に単純にレコードが好きで聴いてましたね。レコード屋のおっちゃんも知らないし、まわりの友だちも知らないし。高校生ぐらいのときに大学でDJやってる人と知り合って、その人がちょっと音楽に詳しかったからボアダムスだったり、マーク・スチュワートだったりも聴かせてもらってですね。DJやるつもりも音楽やるつもりもまったくなかったです。ただ趣味で、レコード買って、CD買って、楽しい、カッコいいなーって思ってただけです。
 18になって大学に入って上京したんです。最初はまったく音楽やるつもりはなかったですけどね。で、DJぐらい趣味でやろうかなーと思ってて。ちょうど大学に入るか入らないかぐらいで広島にいたときに、その先輩が〈ワードサウンド〉のコンピレーションを持ってて、「これやべーなー」みたいな感じで聴いてて(笑)。俺はそのとき「ほんとやべーな、この曲!」って感じで。すっごくディープなダブだったりとか、ローテンポでダークなヒップホップだったりとか。

その辺からじょじょにゴス・トラッドに近づくんだね(笑)

GT:そうですね(笑)。で、「わ、これほんとやべーな。これどこで売ってたんですか?」って、「どこどこのレコード屋で売ってたよ」って教えてもらったり。その先輩と朝まで遊んだ帰りにそのままレコード屋開くのを待って買って帰りましたね(笑)。それを聴きこむうちに、「DJやるよりも曲作りたいな」と思うようになった。で、その先輩はサンプラーだけで趣味的な感じでループを作ったりとかしてて。それを3時間ぐらい聴いたりしてて、「やべーループができたのー」みたいな感じで言ったりしてましたね(笑)。毎月ぐらい遊びに行って、そういうのを聴いて、「面白いなー」って。

へー、そこでヒップホップとの出会いがあるんだ。

GT:その人はルーツはヒップホップだから、昔のヒップホップを聴かせてもらったりしてました。でも音楽をやりたいと思ったきっかけはそのコンピレーションでしたね。ダークで、だけど音楽的だなと思って。こういうものを自分で作りたいなと思いはじめて、で、その先輩に何から手を付けたといいか訊いたら、「DJからはじめるとテンポ感覚もつくしいいんじゃないの」って教えられて。で、「作るには何が必要か?」って訊いたら「まずサンプラー。あとはシーケンサーとミキサーがあれば何でもできるよ」と教えてもらって。で、アカイのサンプラーS3000を買って、シーケンサーを買って、ターンテーブルをサンプリング用に1台だけ買って、で、トラック作りをはじめたんですよ。

なるほどねー。すごいですね(笑) なんかね、最初聴いたときに、ほんと正体がわからない音だと思ったんですよね。どこから来たのか背景がわからなかった。レーベルのひとにも訊いたんだけれども、「じゃあとにかく思ったこと書いてくれればいいから」みたいなことを言われて。テクノからの影響も感じるけど、アルバムの後半はもうノイズだし、クラッシュさん系のアブストラクト・ヒップホップのような匂いも感じたんだけど、もっとささくれ立っているし。以前、神波京平さんに「ゴス・トラッドはDJやってるけど、どういうのかけるの?」って訊いたら、「彼はスーサイドをかけてたよ」って言われて(笑)。〈ドラムンベース・セッション〉でスーサイドというのはすごいよ。

GT:はははは! かけましたね(笑)

それが2001年だから、だからアルバム出す前なんだよね。

GT:そうですね。

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秋葉原まで行って、で、自分でネットで回路図を探して、全部書き出して----ぜんぜん知識はないんですけど(笑)----そういうエフェクター工作本みたいなものをオークションで5000円とか出して買ったりとか(笑)。ネットで海外のサイトでのリングモジュレイターのまったく同じ回路を見つけたり。

そもそもどうやってシーンとの接点っていうものができていったんですか?

GT:『士魂』っていう渋谷FMのコンピレーションに1曲だけ参加してたんですよ。ケンセイさんがちょうどアブストラクトのアプローチをはじめたときに、彼にデモテープを渡してたんですよね。一発目渡して、二発目渡すときにケンセイさんが「すごく前の良かったから楽しみにしてた」って言ってくれて、「じゃあ聴いてください!」って渡したら、連絡あって、「いま企画してるから参加してほしい」って言われて。もうその時に10数曲できてたんです。それが2000年ぐらいです。だからトラック作りはじめて1年半ぐらいで、家にずっと籠もってサンプルいじりまくって10数曲作ったんですよ。それをケンセイさんに渡したら、「1曲コンピレーションに参加してほしい」って誘われて、それが12インチで出たんです。それがきっかけで「GOTH-TRAD」という名前ではじめたんですよね。

なんで「GOTH-TRAD」ってつけたの?

GT:いや、「ゴスだね」ってよく言われてたんですよ、なぜか(笑)。作るトラックが。

それはでも、そう言ってるひとの感性が正しいよね(笑)

GT:(笑)それは、自分が好きでよく使うサンプルが----中古レコード屋とかでクラシックのレコードをすごくよく買ってて----。

へえー。クラシックをネタにしてたんだ?

GT:そうですね。だからストリングスの使えるネタをカットして、それをキーボードで弾き直すっていう作業が自分にすごくハマって。で、なんかこう、ストリングスの音というのが自分のなかでフィットするというか、メロディ浮かびやすかったりフレーズが作りやすかったりで。そういうのをやっていると、「ゴスな音だね」ってよく言われるようになりましたね。「あー、そうかゴシックか」と思って辞書なんかでいろいろ調べると、元々のゴシックのカルチャーっていうのはヨーロッパにセンセーショナルな風を吹かせたっていうのがあって、それはすごくいい意味だなっと。それでその言葉を選んだんですよね。

広い意味だからね。

GT:そうですね。

トラッドは?

GT:トラッドは、トラディショナルっていう部分は大事にしたいっていうか、それはどっちかって言うとルーツっていう部分なんですけど。

なるほどね(笑)。紙『エレキング』に年間チャートをくれたじゃないですか。で、あのなかにキャスパのリミックスとか、あとオプティモっていう名詞があるのがすごく意外だったんだけど、実を言うとね。なんかいまのゴス・トラッドのイメージからするとね、やっぱデジタル・ミスティックズとか、ああいうごりごりに硬派なものかなと思ってたんだけれども。いまの話を聞いて、僕が思っていたよりもずっと幅広いんだなと思いました。まあ、でもその、「トラディショナルを大切にしたい」っていうのはいまひとつわかってないですけどね(笑)。まあ、いつかわかるかもしれないけど。

GT:はははは。

10年前のケンセイくんなんかはクラッシュさんフォロワーの第一人者みたいな感じで当時やってたから、やっぱりその辺の流れとかも合流してるってことなんだね。

GT:そうですね。でその後、バクくんとのコラボっていうか。

バクくんにもクラッシュさんの流れがあったよね。

GT:バクのDJ用に"Kaikoo TracK"という曲を作ってあげて、で、そこでリリースもあって。※2001年にリリースされた「DJ Baku 対 Goth-Trad」に収録。

じゃあ、〈ドラムンベース・セッション〉にDJデビューしたり、秋本(武士)くんに出会うっていうのは?

GT:"Kaikoo TracK"のリリースとかがあって、神波さんから声がかかったのかと。だからバクくんと俺と、同じステージでDJやったんですよ。

新宿リキッドルームね、バーの横の。

GT:はい、そうです。まあ、DJ全然できなかったんですけどね(笑)。家にはまだターンテーブル1台しかなかったんで(笑)。

スーサイドはどこから来てたの?

GT:スーサイドは......。

当時はバクくんなんかも、ノイズとか、いわゆるヒップホップの文脈から逸脱したようなサウンドを積極的にアプローチしていた時期だったよね。

GT:そうですね。その当時は逆に俺はバンドを聴いてなかったんですよ。生楽器の音楽を。それが好きじゃなかったんですよね。でもそのことに対してすごく悔しかったんです、なぜか。バンドの音楽って打ち込みの音楽よりも大きいシーンがあるし。ハードコアだったり。19縲鰀20歳のときに「その辺も聴いてみよう」と思って音を聴きはじめたんですよ。そのきっかけはまずテクノ・アニマルの片割れ、ケヴィン・マーティンの片割れのジャスティン・ブロードリックがハードコア・バンドのゴッドフレッシュっていうのをやってたんですよね。打ち込みと、キター、ベース、ヴォーカルなので、そこから聴きはじめて。
 で、それをどんどん辿っていったところで〈イヤーエイク〉っていうレーベルから出してたんで、そこからナパーム・デスとか、ピッチシフターとか、そういうハードコアものを聴きはじめたんですよ。それプラス、打ち込みのドラムをやってるって部分で、生のドラムも研究するんですよね、バンドと対バンするときとか観に行ったときに。生のドラマーってどういう打ち方してるんだろうな、とか。ハットがどうあってシンバルはどういう風に使ってて、オープン・ハイハットはこういう風に使ってて、とか、キックの打ち方とか、そういうのを目で見て研究するようになって。で、バンドとかも聴くようになったんですよね。そういう感じでいろいろ聴いてて、スーサイドなんかに出会った。

......でもあれだね、ここまで話を聞いただけでも、ずーっと音楽なんだね。

GT:そうですね、ほんとに好きだったんです。でもまだ自己満足でしたね。
 上京した頃にちょうどインターネットも普及しはじめて、自分も大学入ってからインターネットはじめたんで、知りたいことをたくさん知れるっていうか、英語で難しいけど何とかわかるから「こういう音源あんだ!」とか、「このひとソロでやってんだ」とか「このドラムのひとこっちでもやってんだ」とか、「どうやって買えばいいんだろう」とか、そういう、「誰もこんなこと知らねーだろ」っていうようなことを調べるのにものめりこんでいって。面白いことを探して、そしてまた探してっていう。で、「自分もこういう音作りたいな」とか、「でもこれと同じものは作れないから、これ1枚に何かレイヤーさせたものを作ろうかな」とか、そういうアイディアを考えてましたね、当時は(笑)。

ホントに音楽ばっかというか......今日は本物の音楽キチガイに会ったって気がする(笑)。

GT:はははは! でもそれがほんとに楽しかったですね、当時は。

四六時中作ってたって感じなんですか?

GT:そうですね。家から出なかったですね(笑)。いまとつい10数年前ってほんと大違いじゃないですか。音の作り方が。アカイの3200XLっていうのを中古で買ったんですけど。それ30万ぐらいしたんですよ。バイトして。

わかりますわかります。

GT:32メガなんですよね。で----。

俺なんてエンソニックですよ(笑)。

GT:エンソニックもありましたね。音がちょっとね(笑)。

フロッピーが2DDですよ、しかも。

GT:フロッピー・ディスクをこうね、1.4メガの。だから〈レベル・ファミリア〉の初期のライヴで、フロッピー・ディスク20枚全部ロードしたんです(笑)。

はははは! じゃあロードしながら?

GT:いや、はじまる30分前ぐらいにロードして「絶対電源落とさないでください!」って言って(笑)

なるほど(笑)。

GT:それでいいキックを探すために八王子のレコ屋で100円とか50円とかのをとりあえず買ってみて、聴いて、「これ使えるな」とか。そこでみんなが「あのソウルのブレイクいいよ」って言うようなやつは絶対使いたくなくて(笑)。

なるほどね。それであの特殊な音色なんだね。

GT:そういうのを繰り返して。当時の曲の作り方っていうか、展開のつけ方っていう感覚はあんまり変わってないですね。

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いちばん衝撃だったのはワイリーのトラックで"モーグ"っていうのがあるんですけど。いま聴くとまさにダブステップだ。ハーフで打ってるトラックで、俺からするとアブストラクト・ヒップホップに近い音色で、ベースラインも「ドドド、ド、ド、ドドド、ド、ド、」みたいな感じでずーっとミニマルで。

秋本くんとはどうやって出会うんですか? 彼は僕と会うたびにゴス・トラッドのことを心底評価していたよ。

GT:その当時、バクくんとコラボしたときにライヴやってたんですよ。そのときにドライ&へビーのセッションでバクくんがスクラッチ入れて......っていう企画もあって。そのイヴェントに出て、ひとりでライヴやってたんですけど、サンプラーとミキサーでね。ほぼいまと同じスタイルです。ダブ・ミックス。フードかぶってお面とかしてライヴやってたんですよね。
 で、秋本くんもたぶんそのときにいたんですよね。「超ダブ・ミックスやってるやつがいる」みたいになって(笑)。それで観に来たみたいで。それからイベントやってたひとづてに話が来て、「1回会って話したい」みたいな感じで。「ちょっとセッションしようよ」みたいな話になったんです。

そのときもまだ大学生だったんでしょ?

GT:そうですね。

いきなりじゃあ、東京でもっとも熱い男と会ってしまったっていう。

GT:はははは、そうですね(笑)。でも俺もその頃はすごく生意気だったんで......別にどうでもいいってわけではないけど、「俺は俺の音でやるから」みたいな感じだった。ぶっちゃけて言うと、ドライ&ヘビーに関しても特別興味があったわけじゃなかったんですよ。クオリティはとても高いのは理解できるんですけどね。でも、「自分のやりたい音ではないな」っていうのは正直あったんです。

〈ワードサウンド〉だもんね。

GT:初め会ったときに俺は秋本くんにひたすら「〈ワードサウンド〉ってやばいレーベルがあって」みたいなそういう話をしてました、全然わかんないのに(笑)。で、「ビル・ラズウェルも参加してるんですよね」っていうところで、「えっそうなんだ!?」って感じでちょっと盛り上がりつつ(笑)、で、「やろうよ」みたいな感じでスタジオ入って。

それで〈レベル・ファミリア〉のファースト・アルバムが生まれてくるんですねー。そういう風に自分で打ち込みはじめて、2003年に『Goth-Trad 1』を出すじゃないですか。で、さっきも言ったように、サウンド・プロダクションもさることながら作品全体から出ている雰囲気みたいなものっていうのに関して言うと、けっこう強いものを感じたんですよね。反抗心みたいなものっていうか、だからああいうことを書いたんだけれども。で、もし僕がそのとき感じた反抗心みたいなものが当たってるんだとしたならば、どういうところからあの感情は来てたの?

GT:自分のダイレクションが、たとえば「ゴッドフレッシュがカッコいい」とか〈ワードサウンド〉だとか、「メルツバウやべえじゃん!」とか、そういうところに向かってたんですよね。当時から自分はいろんなパーティ観に行ったりもしてたんですけど......、まあ、「みんな似たような音作るんだな」って思ったりしてたのもあるんですよね。もっと自由になれんじゃないかな、みたいな反抗心というか。
 あの、〈リバース〉って盛り上がってたじゃないですか。いま思うと、すごくカッコいい日本を代表するレーベルだと思うんですけど、俺当時はたぶんそうじゃなかったんですよ。「似てんな、みんな音!」みたいな、そういう感覚だったんですよね。いま思うとすごくカッコいいシーンだし、すごくカッコいいレーベルだし、アーティストもそれぞれいいアーティストだと思うし。いまもまだまだ活動しているアーティストもいるし。だけどその当時はひねくれてたので、「もっと俺は違うものを作ってやろう」とか「もっと面白い打ち出しをしたいな」と思ってました。

じゃあ最初から他と違うものを目指すんだっていうのがあったんだね。でも、ただたんに違う音を作るんだっていう以上の気持ちみたいなものを感じたけどね。「なにくそ」というようなものというか。まさに「GOTH-TRAD」っていう名前にふさわしい、パンク的なものを。

GT:それはもしかしたら育ち方なのかもしれないですけど。あの、全然音楽に関係ないのかもしれないですけど、うちは......親はすごく教育熱心だったんです。少し居心地悪かった部分もあったし。高校卒業のギリギリまでずっとサッカーやってたんですけど、親は「勉強しなさい」とか「公務員になりなさい」とかそういうのを望んでいましたね。アニキは高校卒業してイギリスのアートの大学に行って、自分はひとり残ってそういうなかでいて。でもそれが日本の社会だし、そうじゃないと生活できないっていうのはわかってるし、親からも聞かされてるし。当時だけかも知れないですけど、そういう世界じゃないですか。そういうのはすごく感じてたし。東京行くんだったら条件としてこの大学、国公立行きなさいって言われて、俺は「わかったよ、じゃあここ受かったらあとの人生俺の好きなようにさせてくれ」って言って(笑)。でもこれって実はすごく恵まれている環境なんですけどね。
 だから俺は親はすごく尊敬してるんです。ただ、親っていうのは世間に対する見栄があったりとか、とくに日本はそういう世のなかじゃないですか。で、そういうのがすごく居心地が悪かったのがあって。そのときはすごく勉強して受かって(笑)。で、それから大学がはじまってからはほんと好きなことをやらせてもらって。大学の卒業研究は、音と脳波との関連を題材にして、ちゃんと卒業しましたし。そのおかげで、サッカーにしても、受験にしても、大学の卒業研究にしても、自分の立てた目標や、いちどはじめたことを達成するまでの根性は身に付いたと思います。これは自分がたとえ音楽をやっていなかったとしても、大切なピリオドだったと思いますよ。

偉いなー。

GT:その反動でやっぱり音楽へののめりこみ方っていうのは強かったんですよね。そこまでして入った大学で、普通にいけば就職できてたかもしれないっていうのを、そうじゃない方向に行くっていうぐらいだからそれぐらいのエネルギーがたぶん自分にはあって。でも食おうっていうイメージはなかったです(笑)。

それはじゃあ、もっとがむしゃらにやってる感じだったんだろうね。

GT:実はファースト以前にもっとアブストラクト・ヒップホップとかブレイクビーツ的なトラックが10曲以上あったんですよ。ファーストには入れなかったんですけど。それを出すっていう話もあったんです。2001年とかに出したいって話だったんですよね。でも俺は頭のなかでは妄想がデカくなって、海外のここから出したいとか、頭ばっかでかくなっちゃってて。

でも......何でそこまで〈ワードサウンド〉に惹かれたの?

GT:いや、〈ワードサウンド〉もそうだし、あとUKの〈アバランチ〉だったかな、テクノ・アニマル周辺にも、ケヴィン・マーティンにもガンガンメール送ってたんです。カセット・テープのデモですね。

ああ、テクノ・アニマルっていうのはわかるなー。なるほど、いまようやくあのアルバムの秘密がちょっとわかった。

GT:だからそういうレーベルから出したいっていうのはすごくあったんです。自分のなかではそこがすごく浅はかっていうか。まあそこが良かったのかもしれないし。それだけ思いが強くて。ただいま思うと、近道をしようとしてすごく遠回りしているっていう。海外に行きたい、海外でDJしたらカッコいいなってそういうイメージばっか大きくなっちゃって、足下見えてないというか、日本を見れてないなということに後ですごく気づいたんですよね。
 いま思えば、最初にアブストラクト時代の作品を出していたら、早い段階で違う積み重ね方ができてたのかもしれないし。だけどそんな意識が強すぎて2年も3年も出さないで結局お蔵入りになっちゃって。で、〈イーストワークス〉で出すっていう、まあその道のりがあったからこそ、あのファーストが完成した訳だし、いまがあるのは間違いないんですけどね。

〈イーストワーク〉も当時よく出したと思うよ、決してわかりやすい音じゃないでしょう。前半は〈ワードサウンド〉っぽい感じがあるけど、後半とか「なんだこりゃ」みたいな挑発的な展開だったし。それに当然まだ「ダブステップのゴストラッド」という評価もないし、本人が意識的に作ったように他にないものだったからね。じゃあ、今度はゴス・トラッドがどうしてUKのダブステップのシーンと結びついていったのかっていうのを教えてください。

GT:さっき話したみたいに90年代初期からUKの音楽っていうのにすごくハマってたんです。ただ好きだったんですよね。ブリストルの〈Vレコーズ〉、ジャングル、ドラムンベース。で、それ以降飽き飽きしてたんです、ドラムンベースに関して。当時はUKのアンダーグラウンド・ミュージックっていうとドラムンベースのことだったし、自分もチェックしてたんですけど、ちょうど90年代末はつまんなくなってて。

みんな大人びてきたし、4ヒーローなんかも洗練の方向に進んでいたしね。

GT:2ステップなんかも聴いてはいたんですけど、「ただのポップ・ミュージックじゃん」って思ってて、とくに日本の取り上げられ方は。だからつまんないな、と思ってたんですよね。自分の音楽性はアブストラクトからインダストリアルの方向にどんどん行って。

じゃあ三田(格)さんが言ってたように、ほんとにノイズに行ってたんだね。※2005年、渋谷〈マイクロオフィス〉で、三田格、バク、筆者の3人でトークショーをやったときに出た話。

GT:そうですね。で、そこから「他に作れない音イコール、自分で音作ればいいじゃないか」っていくところまで行ったんです。てことは、自分で楽器作って自分でエフェクター作ってそれを鳴らしてループさせたら、超オリジナルじゃんとか思って、秋葉原まで行って、で、自分でネットで回路図を探して、全部書き出して----全然知識はないんですけど(笑)----そういうエフェクター工作本みたいなものをオークションで5000円とか出して買ったりとか(笑)。

はははは。

GT:そういうの何冊も持ってて。そういうの見たり、ネットで海外のサイトでのリングモジュレイターのまったく同じ回路を見つけたり、それをコピーしてパーツを秋葉原で買って、ドリルも買って。

すごいねー(笑)

GT:鉄ギリのニッパーとかも買って、それで自分で作って。で、ハンズとか行って金属を合わせて楽器を作って。テルミンの回路をどっかから探して見つけて、それをオブジェっぽくもっとカッコよく作ろうって思って組み立ててみて、「それを使ってライヴやったら超オリジナルじゃん」とか思って(笑)。でもそのときはやっぱり、ビート、ベース、上ものっていうのを残したかったんですよね。
 たとえば、ファーストの後半のノイズっぽい展開、あれってやっぱノイズだけどループになってて、キック、スネアっぽい音になってると思うんですよね、まあ自分のなかではそういう構成で作ってるんです。で、上ものはこのシンセを通して作ってっていうのは頭のなかで回路を組み立ててライヴ・セットを組んでたんですよね。で、現場でダンス・ミュージックというかオリジナルの音を作りたいっていうのがあって、だんだん進化して「もうループじゃなくていいじゃないか」ってなって。表現できれば。そこでセカンド・アルバムまでいったんですよ。

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アルバムの音源を----当時はグライムとかダブステップで知り合いもいないから----アンダーグラウンドのヒップホップとかのいままでで知ってるやつに渡したら、そこから「グライムとかいま来てる音楽だから」みたいな感じのDJにさらに渡してくれて。そしたらけっこう広まったみたいで。

セカンドって、『ジ・インヴァーティッド・パースペクティヴ』(2005年初頭)のことだよね。

GT:そのときもちろん〈レベル・ファミリア〉もやってたじゃないですか。ごくたまにBBCのラジオとか聴いてたんですよ。2003縲鰀4年にネット・ラジオで聴けたんですよね。そのときにたまたまUKガラージのショウか何かで。またすごく面白いんですけど、MCが「pump up the jam」ってテクノトロニックのリリックをガラージに乗せて歌ってた んですよね。

へえー(笑)。

GT:「これすげーカッコいいー!」と思って(笑)。「何だ、ここ繋がんのか!」って。で、ガラージを聴くようになったんですよね。それでちょうど2004年ぐらいからグライムがかかって。まあディジー・ラスカルとかも出たじゃないですか。「おもしれえなー」と思ってよく聴くようになった。2003年には〈リフレックス〉が『グライム』ってコンピ出すじゃないですか。それも持ってたし。「あ、これグライムなんだ。でもBBCで聴くのとちょっと違うしなー」と思いながら、でもたまにそういうのを聴いて、ビートも作ってたんですよね。ノイズも作ってたんですけど。

あの頃のグライム・サウンドは図らずともゴス・トラッドの世界と似てるところがあるんですよね。荒々しい質感とかね。それこそグライムって、ワイリーにしてもそうだけど、パンクなところがあるでしょ。〈リフレックス〉のグライムのコンピレーションも2枚ともまったく愛想がないし(笑)。ただ、『2』のほうのメンツをいま考えるとすごいけどね。コード9、デジタル・ミズティックズにローファでしょ。

GT:やっぱいままでにないビートの打ち方だったし、「変なビートだな、前つんのめってるし」っていう。まあベース・ミュージックという感覚はあんまなかったんですけどね、そのときは。やっぱりいちばん衝撃だったのはワイリーのトラックで"モーグ(The Morgue)"っていうのがあるんですけど。いま聴くと「まさにダブステップだな」って思うんですよ。ハーフで打ってるトラックで、俺からするとアブストラクト・ヒップホップに近い音色で、ベースラインも「ドドド、ド、ド、ドドド、ド、ド、」みたいな感じでずーっとミニマルで。

へー、それって、ワイリーのいつぐらいの作品? アルバムに入ってる?

GT:2003年とかですね。アルバムに入ってないですね。12インチでリミテッドで出てたとか。

それをよく聴いてたねー。

GT:どっかのネット・ラジオか何かをダウンロードしたらそれが入ってたんですよね。「これ超やっべー」って。

ワイリーの影響受けてる人って多いよね。ゾンビーやラスティーみたいな人も最初はワイリーだったみたいだし。向こうの人はワイリーのビートを「エスキー・ビート」って言うけど。

GT:そうですね。それがほんと初期のグライムで、そのドープな部分プラス、もうちょっとがちゃがちゃした変なリズム感、(BPM)70で打ってるんだけど140で乗れる感覚って自分のなかに近いものがあるなと思ったんですよね。ファーストにもそういう曲を入れてます。ハーフで打ってるけど倍で乗る感じとか。「自分が表現したかったことをやってんな、こいつら」とか思って。

リズム的に、ビート的にシンパシーを抱いたんだね。それでは、あのダークさっていうのは?

GT:ダークさはもちろんですね。それありきで、あの空気感。あとあのMCのテンパった感じ、切迫感。で、「レイヴ」と言ってる部分とか。あの音で「レイヴ」って言うのが超カッコいい、新しいと思ったんですよ。そうあるべきだと思ったんですよね。自分が初期で聴いてたレイヴ・ミュージックっていうのは全部バラバラだったし、全部新鮮だったし。ジャングルにしても、プロディジーが出たときも、KLFも、ナイトメアズ・オン・ワックスも。あの辺の音ってスゴクバラバラだけど、全部カッコよかった。そういうものが自分のなかで「レイヴ」だと思っていたんですね。「これがほんとのレイヴ・ミュージックだ」って思ったんです。

そういう考えだったんだね。

GT:でも、日本だとレイヴ・パーティっていうとトランスっていうのが基本ですよね。

そうなんだよね。

GT:「レイヴ・パーティあるから行こうよ」って誘われて行っても、だいたい4つ打ちで、人も似たような格好してて、みたいな。「カッコわりーなー」と俺は思ってた(笑)。そういうのが強くあって、『マッド・レイヴァーズ・ダンス・フロア』(2005年末)を作ろうと思ったんですよね。あとは自分の楽器とエフェクターを使いつつ、ノイズっていうダイレクションで表現する音楽はセカンド・アルバムである程度やり切ったっていうのはありましたね。

なるほど。それでどうやって現地に行くことになるの?

GT:サードはアイディアがたくさん詰まってたんで、半年ぐらいで終わったんです。ストックしてた曲もあるし。で、それを持ってイギリスに行って、友だちのアンダーグラウンドでヒップホップやってるやつとかに渡したんですよ。

それは初の海外?

GT:その前に、ノイズ・ミュージックとしては年に1回まわってたんですよ。

パリかなんかで?

GT:そうですね。バトファーは2002年に行って、そのときたまたま日本の女の子がノイズのミュージシャンをプロモートする仕事してて、そこで知り合って、で、その翌年から毎年無理して行ってたんですよね。そういうノイズの世界ってちょっと閉鎖的じゃないですか。

だからまさに三田さんが言っていたように俺はそんなにノイズ聴いてないからさ(笑)。

GT:ちょっと閉鎖的なんですよね。でも俺はすごく面白い音楽だと思ったから、ヒップホップのパーティでもノイズやったりしたし。俺は音楽をフラットに見たいので。だけどやっぱりすごく閉鎖的な部分もあるし、すごくDIYだから。そういうところに新参者で入るのはすごく難しかったりするんですよね。
 でまあ、ちょっとはライヴとかやらせてもらってすごくいい経験にはなったし、すごく面白いシーンも見れたし。で、2003年から4年まで毎年チャレンジして、けっこうギグはやってて。
 とくにフランスはそういうエクスペリメンタルとかインプロヴィゼーションにすごく寛容だから、市がすごく投資したりだとか、市主催の大きいパーティとかがあるとそういうところにうまく組んでくれたりとか。で、そういうのでやったのと同じテンションで、全然違うアプローチでやったら、ショウをちょっと何個かやりたいっていうのでフランスとかで何本かやらせてもらって。で、「この音楽はやっぱりイギリスでしょ」と思ってイギリスにも行って、そこで自分のアルバムの音源を----当時はグライムとかダブステップで知り合いもいないから----アンダーグラウンドのヒップホップとかのいままでで知ってるやつに渡したら、そこから「グライムとかいま来てる音楽だから」みたいな感じのDJにさらに渡してくれて。そしたらけっこう広まったみたいで。

2005年だっけ?

GT:2005年の終わりですね、アルバム出た頃だから。そしたら2006年の頭に、誰かが「ダブステップ・フォーラムにGOTH-TRADのスレッドが立ってるよ」って言ってきて、「何それ?」っていう(笑)。それをリンク貼ってあって見たら、誰かが「GOTH-TRADってやつが日本でダブステップを作ってるんだよね」って書いてて。そのときちょうどマイスペースを立ち上げたときぐらいだったんですよね。そしたらけっこうメールが来るようになって。『マッド・レイヴァーズ縲怐xに入ってた"バック・トゥ・チル"って曲なんですけど。『マッド・レイヴァーズ縲怐xはどっちかって言うとインストでグライムを作ろうっていうアプローチだったので、ダブステップって言葉もよくわかってなかったし。

じゃあ、『マッド・レイヴァーズ・ダンス・フロア』がほんとグライムの影響を受けてるんだよね。

GT:そうですね。で、イギリスのラジオのDJとかレーベルとかから、ちょうどダブステップが活性化し始めたときだったんで「新しくレーベルはじめるからリリースしたい」って話がどんどん来て。ラジオのDJには渡したり。ダブ・プレート切ったよとか。ラジオでかけたよ、とかそういうのもらって。「これダブステップっていうんだな、ダブステップのシーンがいますごいんだな」って思って。すでにBBCでは「ダブステップ・ウォーズ」もあって、シーンもどんどん大きくなってきてて。

まさかこんなに大きいシーンになるとは夢にも思わなかったなー。

GT:そうですね、だからそのときはまた新しくトラックを作りつつあって、「今年も行くしかねえな」と思ってて。まあそのときはイギリスでも何本かギグがあって。で、イギリス行く前にマーラともマイスペースで話をしてたんですよ。「曲を聴いたけど、あれカッコいいね」みたいな。で、「じゃあ会おうよ、ロンドン行ったら」って、そして〈フォワード〉で会って喋って。「いつか日本にも呼びたいんだよね」って話をすると翌日マーラが「俺がプレイするから遊びに来なよ」って。それで遊びに行ったら〈DMZ〉のカタログとかホワイトとか持ってきてくれて。「これあげるから、かけてね」って言って、全部くれたんですよ。で、「ありがとう」って俺は言って帰るんですけど。
 そのときはリリースするとかいう話も別になかった。別のレーベルとはリリースの話もあったんですよ。それは〈スカッド〉っていうレーベルですよ、"バック・トゥ・チル"をリリースしたレーベルなんですけど。その後もマイスペースに曲をアップしてたら、あるときマーラからコンタクトがあって、「何曲かサインしたい」って言ってくれて。「他の曲もすごく好きだからアルバムいつか出したいな」ってそのときから話してくれて。

それは良い出会いだったね。

GT:そうですね。

いまではダブステップの最高のキーパーソンのひとりだからね、マーラは。

GT:すごく嬉しかったのは、はじめに〈ディープ・メディ〉からリリースしたのが"カット・エンド"って曲なんですけど、マーラが「この曲は絶対に誰にも渡さないで!」って(笑)。「世界で俺とゴス・トラッドだけが持ちたいから、リリースするまで他に絶対渡さないでほしい」って言ってくれた(笑)。で、俺も「わかった」ってね。するとマーラが各地でDJやるときの1曲目にプレイして、みんなが知るようになったんです。そうしたらスクリームとかまわりのやつがみんなコンタクト取ってきて、「あの曲くれ」って言われて、そのたびに「ダメ」って返してましたね(笑)。

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2006年の頭に、誰かが「ダブステップ・フォーラムにGOTH-TRADのスレッドが立ってるよ」って言ってきて、「何それ?」っていう(笑)。それをリンク貼ってあって見たら、誰かが「GOTH-TRADってやつが日本でダブステップを作ってるんだよね」って書いてて。

マーラとの出会いもありつつも、2005年縲鰀2006年っていうのはダブステップのシーンの発展期というか、オリジネイターたちが下地を作っていた時代だったと思うんだけれども、そのときのイギリスのシーンっていうのはゴス・トラッドから見てどうでしたか?

GT:当時自分がイギリス行ったときは、〈フォワード〉ぐらいしか行ってないんですよ。それはすごく盛り上がってましたね。ただ地方はわかんなかったですね、まだ。
 2005年の暮れに行ったときには『マッド・レイヴァーズ縲怐xの音でライヴもやったんです。それはヒップホップのパーティで、そのときはグライムのMCがどんどん入ってきて、「やっぱグライムなんだ」みたいなノリだった。2006年行ったときに〈フォワード〉行くと、グライムのMCがマイクを握りながら、DJはダブステップをかけるって形だったんですよね。で、当時の現場は自分はあまりよくわかってなかったです、ぶっちゃけて言うと。
 2006年から自分も東京でパーティはじめて、どういうノリでやってたのか......ひたすら「こういう感じかな」っていう(手探りな)感じだったと思いますよ、その頃は。初めはMCもつけてたし。ただ......でも、俺、最初にDJやったときはパソコンでやったんですよね(笑)。1回か2回か。CDJも使えないし、トラクターかなんかでやったんですよね。だからわかってなかったんですよね、何て言うかこう......。
 まずどうして自分がパーティはじめてDJはじめたかと言うと、ダブステップのカルチャーで面白いところはダブプレートだったり、未発表の曲をDJがかけるところ。日本だとDJイコールDJで終わることがたくさんあるじゃないですか。でも向こうだとDJイコールプロデューサーっていうのが、まあ基本じゃないけど----。

とくにダブステップの世代はほとんどみんな作ってるからね。

GT:そうじゃないですか。それがないと成り上がれないというか、名前も広げられない。で、「日本もそうあるべきだ」と思って。でも自分はもともとDJやってなくて、自分の音を使ってライヴで勝負するのが当たり前だと思っていたから、そのときまで若干DJっていうのを軽視してたんですよね。

ははは。

GT:ぶっちゃけて言うと。当時から多くのDJが「新譜か何か珍しいレコード買って、エフェクトをごちゃごちゃ駆使して、すごく上手い」みたいな。バトルのスクラッチとか、そういうひとはテクニックだからまた違うと思うんですけど。まあこれはクリエーター視点なんですけど、大元の音源の部分にオリジナルを追求してないですよね。そういう意味でつまんねえな、っていうのはあって。でもデジタル・ミスティックズを見ると、レコード・バッグ半分以上がダブプレートで、ダブプレート1枚切るのに1万円かかって、半分くらい自分のトラックで半分は自分のレーベルとか仲間のやつで、っていう。「ほぼライヴじゃねえか」と思って、その1曲1曲にかける熱意っていうか。そういう部分って絶対オーディエンスにも伝わると信じてますから。

しかもダブプレート重たいしね、運ぶの。

GT:そうですよね。ただね、3万円で30枚集めてるDJと、30枚30万かけて自分のオリジナルで1曲入魂で作ってやってるアーティストって重みが全然違うな、っていうかすげーなっていうのはあって。俺もライヴぐらいの価値があるDJでありプロデューサーでありたいと思って。やっぱそういうことを日本でも当たり前にしたいなと思いましたね。それまで俺は自分でプロデュースしてライヴやってっていうのが当たり前だったから、それをDJにしてもっとわかりやすくやったらまわりのやつもそういう風にしやすいかなと。〈バック・トゥ・チル〉はこうやって、それを外に打ち出していこうよ、っていうコンセプトもあってパーティをはじめたんですよね。そうすればリスナー側ももっと現場にフォーカスするんじゃないかって。

ダブステップのシーンになって、それがますます顕著だよね。ハウス世代だと、まだエディットですよね。テクノ世代はけっこう作っているけど、でもダブステップになるとほんとにみんな作ってるよね。

GT:1曲入魂なんですよね。1曲にすごく愛情があるからダブプレートで切って、自分で絶対プレイするってことじゃないですか。だって自分のためにしか切らないわけだから。その思いっていうのがすごく音楽的だと思ったし、あの、「ネタを買いに行く」って言葉がすごくイヤだなって俺思ってて。

ははははは。

GT:「ネタじゃねえだろ!」みたいな。そこの感覚を俺はやっぱり打ち出したいなと思ったんですよ。もうちょっと日本でも浸透できたらいいなと。でももちろん、日本でもライヴ・カルチャーってあるじゃないですか、打ち込みでも。そこはいい部分だと思うんですけど。もうちょっとDJの単位からやると、面白くなるんじゃないか、もうちょっと触りやすいんじゃないかと。
 あとはやっぱり、自分の曲をリワインドして、とかいう面白さも感じたし、バック・トゥ・バックで面白い結果が生まれるっていうか。そういう部分もダブステップを紹介する上ではやっぱり必要だなと思って。

ただ日本の場合はイギリスみたいにプレス工場がないし、ダブプレートを作ること自体が身近じゃないし。

GT:そうなんですね、うん。

あれは羨ましいと思うけどね。

GT:だからダブプレートじゃなくてもいいと思うんですよ。CD-Rでもいいと思うし。俺が〈バック・トゥ・チル〉はじめた1年ぐらいは喋ってましたからね。「リワインドしたこの曲は、このあいだ作ってできた曲で」とか。誰かの曲をかけたときに「この曲はあいつが最近できた曲で」とか。「これは来年どこどこから出る」とか、そういうのを紹介してすごくわかりやすくやってたときもありましたね。

それがゴス・トラッドが見たダブステップ・シーンの......。

GT:面白い部分でしたね。

じゃあ自分がひとりのダンサーとして、その場でダブステップ・シーンの強烈な何かを感じたっていうことはあった?

GT:やっぱ音圧ですよね。〈プラスティック・ピープル〉ってそんな大きくないんですけど、それに対するシステムの大きさは全部デカかったですね、すごく。そこの音圧の感じはやっぱいままで体感したことがないものでしたね。あとお客さんのノリ。ハーフで打ってるんだけどみんな倍で乗っちゃって、ベースで乗っちゃうっていう。「あ、このノリだ!」っていう。いままで日本では見たことないっていうか。

2005年末から2010年にかけてっていうのはダブステップ・シーンもいっきに多様化して国際化して、で、ポピュラーなものになっていくんだけど、「自分がダブステップのシーンの一員である」という意識がついたのはいつぐらい?

GT:えっと、2007年に12インチ2枚出したあとの9月にがっちりとツアーはじめてもらったんですよね。1ヶ月で10数本。

それはイギリスだけ?

GT:ヨーロッパ全体でですね。そのときにはもう、パリでも人いっぱいだったし。で、グレッグ・Gって、いま日本に住んでる彼がやってくれたんですよ。彼とはそこで俺を呼んでくれて知り合ったんですよ。

あ、そうなんだ。

GT:で、彼が言うには、5月の時点でスクリーム呼んだら80人だったと。その次に誰かが呼んだら150人だった。俺を呼んだときに、9月の時点で250人入ったんです。だから、急に2007年入ってからばーんとパリとかは来たって言ってて。

2007年ってじゃあやっぱ大きかったんだ。

GT:たぶんそうだと思いますね。2006年の終わりから2007年にかけて、こう。

ブリアルとかが出してるし、あとスクリームとかも当時ちょうどヒットして。シーンがデカくなりはじめた実感ってそのときから感じはじめたってこと?

GT:そうですね、やっぱこう(右肩上がりに)来てんな......っていうのは2007年からですね。自分はタイミングがすごく良かった。ロンドンでも〈DMZ〉っていうすごく良いパーティでライヴ・セットをやらせてもらえてたし。しかも、当時はまだライヴ・セットっていうのをやってる人がいなかったから。自分は逆にすごくDJに興味を持ってたんだけど、UK側では「ダブステップのライヴやるんだ?」っていうので、逆に面白がられた(笑)。

〈DMZ〉のパーティっていうのもいまやなかば伝説になってるんだけど、ブリクストンでやってたんでしょ。どういう感じだったんですか?

GT:何かこう......教会があるんですよ。えー......暴動みたいですね、何かもう(笑)

暴動(笑)。

GT:客が「わー! わー!」みたいな。2007年の9月以降もう何回もやってるんですけど、DJでやったときもあるんですよ。そのときなんか、いまはブースの位置も変わったんですけど、当時は客が頭この辺ぐらいのところで。DJやってると手触ってきて、「リワインド、リワインド」っつって(笑)。

はははははは!

GT:で、「イヤだ、イヤだ、いましない、いましない」と言って、そうすると「おい、ゴス・トラッド! リワインド、リワインド!」ってこの辺のやつらがうるさい(笑)。で「しょうがねーなー」ってやったら、「ありがとう、ありがとう」みたいな感じで(笑)。そういうノリですよ、もう。

それはもう、最高だね。

GT:ガキどもが群がって、みたいな。

ああ、なんかその話聞いてると、光景が浮かんでくるんだよね。

GT:1曲にフォーカスするエネルギーがすごいですね、客がね。で、DJ側も「どのダブ・プレートかけてんの?」とか、かけたときに「誰の曲これ?」とか。「俺の曲」って言ったら「くれ! くれ! 次くれ!」って(笑)。やってる側も1曲1曲にフォーカスしてるし。ていうか、お互い一体感がすごいというか、みんなエキサイトしてるっていうか。

イギリスってダンス・ミュージックの文化のあり方っていうのがやっぱすごいんですよね。いまの話聞いてて、1993年にブリクストンで、ジェフ・ミルズとロバート・フッドとスティーヴ・ビックネルが出た〈ロスト〉っていうパーティに行ったときのことを思い出した。汗が天井から落ちるどころか、ホントに天井や壁によじ登ってるやつとかいたんで。

GT:そういうノリですよね。いい意味でちょっと危険を感じるっていうか、圧倒されるっていうか。プレイしてる本人もイッちゃってるというか、みんなそうだと思いますよ。5回とかリワインドしますからね。しかも俺がやってるときに誰かがリワインドしますからね、こっちで(笑)。「まだミックスしてんだけど」みたいな。またはじめてこっちミックスしようとしたら、後ろのDJがまたリワインドしてるとか(笑)。さらにいいMCもいるから。

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俺はもっとエクスペリメンタルな、プログレッシヴな音楽としてダブステップを捉えてたので、そういうものはむしろぜんぜん気に しなかったですね。つまんねーなっていう(笑)。まあ俺がやる音楽じゃねーなと。それもダブステップなんだろうけど、俺は俺のダブステップをやるっていう。


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そういうシーンのなかで体験したことがゴス・トラッドにどのように影響を与えていったの? たぶん今回のアルバムにもそれがすごく繋がっていくと思うんだけども。

GT:自分のなかではやっぱり〈ワードサウンド〉とか、そういう面白い音楽、新しい音楽を作るっていう意味では同じスタンスだと思うんですよ。さらにダブステップ・シーンが----たとえばディスタンスがメタルやってたとか、マーラはテクノも聴いてたしレゲエも聴いてるしヒップホップもやってたとか、ローファはヒップホップをやってたとか、みんないろんなところから集まってる。BPM140周辺、ベースがすごいあって......っていう共通点でひとつのステージに集まってるっていうところが、お互いが新鮮っていうか。お互いがかける曲も新鮮だし。テンションは同じなんですよ。そういうやつらが集結してるから、興奮するしかないっていうね。で、共通する部分はみんな持ってるから。「こんなん作ってんだ、お前!」みたいな。それのやり合いみたいな、それが止まんないみたいな。その当時はほんとに。

なるほどね。

GT:で、それに対して、すげーディープな音でも客からそういう(熱い)レスポンスが来るから、こっちもそういうレスポンスでいっちゃって、みたいな。どんどんテンションがいい具合で上がり合うっていうか。そういうのはつねにパーティでは感じましたね。

たぶん、最初のピークだったんだろうね。2007年以降っていうのはさらにどんどん大きくなっていくって感じだったかな?

GT:その部分もあるし、やっぱりシーンの流れはちょっと変わりましたよね。2008年後半か、まあ2009年ぐらいから、ちょっとつまんなくなりましたね。リリースされるものが、すごく。まあダブステップってキーワードも大きくなったし、ダブステップっていうルールができちゃったし。新しいアーティストでダブステップを聴いてダブステップを作ってるのがたくさん出てきたし。ドラムの音色も似ててベースの音色も似てて、そういうものが2008年、09年......まあ09年10年特にいっぱい出て、ほんとつまんないリリースが続いて。

じゃあ、初めて「つまんない」っていうのを感じはじめたのがその頃なんだ。

GT:うーん、まあでも、リリースはつまんないと思ってたんですけど、結局自分が聴いたりかけたりするものっていうのはダブプレートで、自分の信頼してるアーティストだったり、そういうとこはそういうとこで回ってるんで、関係ないですよね。ダブステップ・ファンが、まあメディアもそうだけど、「ダブステップ」って言ってるものが「これダブステップじゃねーよ」って思っちゃったりするぐらいの、まさにハイプになってるっていうか(笑)。そういう意味で。それはひとつのダブステップだから、そのなかの何個かは俺も好きだけど、形式ができちゃったっていうのは絶対あると思うんですよ。

音楽の約束事みたいな?

GT:そう、約束事が。とくにアメリカのシーンでは顕著に現れてると思うし。ほんと全部同じだし。

アメリカはまあすごいって言うよね、レイヴ・ミュージックとして。

GT:俺はもっとエクスペリメンタルな、プログレッシヴな音楽としてダブステップを捉えてたので、そういうものはむしろぜんぜん気にしなかったですね。つまんねーなっていう(笑)。まあ俺がやる音楽じゃねーなと。それもダブステップなんだろうけど、俺は俺のダブステップをやるっていう。だから一時期「ダブステップって言うのも何かなー」と思ったりしてたときもあったけど、だけどいまは敢えてこれが俺の打ち出すダブステップっていうことを言いたいとは思ってるんですけど。

ゴス・トラッドがいまそれを言うのは大事だよね。

GT:ダブステップという言葉であるとかそのイメージが、この2縲怩R年ですごく大きくなったと思うんですよ。で、4年縲怩T年経つといち巡してきて、ファンも少しずつ入れ替わってるじゃないですか。この2年でダブステップ好きになったひともたくさんいると思うし。

日本は2011年がいちばん売れたっていうけどね。

GT:あ、そうですか。俺は日本の流れはすごくいいと思うんですよね。

ほんとにー!?(笑) 

GT:いや、ハイプになりきらないじゃないですか。

ああ、そういう意味でね。

GT:たとえばアメリカ的になって、アメリカのああいうダブステップって呼ばれるものが、ガーンと来てたらガーンと下がって終わっちゃうと思うんですよ。

いやいや、でも、ああいうのがどんどん入ってきて、どんどんハイプになったほうがいいとも思うけどね。軟派なものもふくめて、どんどんこっちに入って来て欲しい。

GT:あー。

たしかにさ、現場で当事者として作ってる側だから、あんなのといっしょにされちゃたまらないよ、って気持ちはわかるんだけど。でもそれだけダブステップって音楽にポテンシャルがあったってことだよ。

GT:まあそうですね、そう思います。

オリジネイターたちに話を訊くと最初は20人ぐらいからはじまったわけでしょ。20人でやってた実験が、何百万とかいう人たちの耳を楽しませるぐらいのポテンシャルがあったってことは、すごいことだからさ。

GT:そうですね。まあダブステップっていうすごく大きな括りのひとつのダイレクションだと思うんですよね。

もちろん作品性とは別の問題だけどね。

GT:そうですね。だから自分的には別に全部ヘイトしてるわけではないし。好きなものもあるし。ただ、アーティストとしてそういうのを見たときに、つまんないものが多いなっていうのがあって(笑)。まあ......でもそういう意味で自分の方向性もすごく見えやすくなるっていうか。俺はこういうアプローチで音を出していきたいっていう。

なるほどなるほど。

GT:だから〈ディープ・メディ〉っていうレーベルはそこに関して自分に合ってるレーベルだと思うし。〈ディープ・メディ〉自体は俺のノイズの音源とかも気に入ってるっていう、そのぐらいプログレッシヴな感じだから。

何て言うか、拡張されてるんだね。

GT:そこを理解してもらわないと、俺はちょっと納得いかないんで。

ゴス・トラッドの音源がノイズのレーベルから出るよりは、〈ディープ・メディ〉から出るほうが面白いのはたしかだよね。マーラとも音楽性が違うからね。

GT:そうですね。

今回の『ニュー・エポック』が出るまでは4年ぐらいのブランクがあるじゃないですか。これはどういう理由なんですか?

GT:それはたぶん、自分のなかにアルバムっていうひとつのものにまとめるっていうイメージが沸いてなかったんですよね。トラックの量はあったんですけどね、それをひとつにまとめたからといってアルバムとして出したいかっていうとそうじゃなかったので。やっぱりアルバムに必要な曲っていうのが集まったから出したいっていうことですね。

ダブステップがどんどん盛り上がっていったから、もうちょっと早く出したいって気持ちはなかった?

GT:焦りは全然なかったですね。

シングルを出してるっていうのもあったから?

GT:シングルも出してるし、焦って出すつもりもなかったので。もちろんヨーロッパを回っててもブッキングに影響する部分もあったりとかもあるんですけど、自分にはそこまで影響はなかったんですよ。4年間で1枚しか出してないですけど、それは引き続き現場でプレイをしてプロモーションをしてやってこれた部分はあるので。

年々DJの本数は増えてったって感じ?

GT:DJの本数は増えましたね、はい。

しょっちゅう海外ばっかり行ってるっていうのは聞いてたんだけれども、それこそドミューンで頼もうと俺がいろいろ連絡してた頃も「いまいないんで」とかって言われたりしたからね。相当海外に行ってるんだろうなとは思ってたんだけれども。1年のうちほとんど海外?

GT:いやいやそんなことないですよ。今年とかは4ヶ月ぐらいだと思います。でもヨーロッパ4回行ってるんですよね。フェスが夏、6月と9月に入ったので、それ2週間ずつとか。春と秋は1ヶ月ずつ行って、今日から2週間ぐらいアジア・ツアー行って。でもその前の年は3ヶ月ぐらいだったから。そういう感じですね。ツアーやりながらも制作するんですけど、やっぱり家やスタジオでやんなきゃっていうのもあるんで。

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初期のダブステップの面白かった部分や新しさ、「何でも自由がきくんだよ」っていうような音----まあだからこそファンキーとかポスト・ダブステップが生まれたものかもしれないけど、でも俺からすると、それは違うんですよね。いわゆるダブステップ、でもそのなかから進化させたいっていう気持ちはずっと持ってやってるので。


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なるほどね。じゃあ今回のアルバムっていうのはDJツアーしながら曲を作り溜めていって、それで揃ったから出たって感じ? それとも、もうちょっと全体のコンセプトっていうか、----僕はすごく今回のアルバムを聴いて、いままでのゴス・トラッドとは別の、グルーヴィーというか、ある種の開放感みたいなものを感じたんだけど----自分の新しいステップというか方向性というものがはっきりしたから出そうっていうことになったの?

GT:それもあると思います。実は俺はこの2年ぐらいですね、さっき言ったダブプレート文化っていうのがダブステップ・シーンの良い部分ではあるには違いないですけども、それをやりすぎちゃうと怖いなっていう風に思いはじめたんですよ。2年ちょい前ぐらいから。だから、そういう(いかにもダブステップ流の)ことから距離を置きはじめたんですよね。

え、なんでですか?

GT:もっと自分の音楽にフォーカスしようと思ったんですよ。たとえばさっき言ったような「DJのネタがない」って思うのがイヤだったので。「じゃあ自分で作ろうよ」って感覚になったんですよね。DJにしてもライヴ・セットにしても、自分に足りないものは自分で作っていこうっていう。もっとそっちにフォーカスしようと思って。ひとの音楽とちょっと距離を置こうかなっていうのがあって。そういう感覚でこの2年間ぐらいやってたと思うんですよね。もちろんひとの音楽も聴くんですけどね。何曲かはダブプレートであげたりもしてるんですけど。流行りとか、そういうところからちょっと距離を置くというか。

なるほど。

GT:とくにこの3縲怩S年、スタイルというかテクニカルな部分がすごくフォーカスされたと思うんですよ。ブリアル的な音だったりとか、フライング・ロータス的な音だったりとか、そこが逆にトゥー・マッチで。俺、デモとかもらっても、「真似ばっかじゃん」みたいな。そういうのをすごく感じたときもあったし。若い子たちにもそういうの感じるし。逆にそういうのを完全無視でやってもいいんじゃねえかって思うし、それでいい曲作ったほうが10年経っても良い曲なんじゃないかなって思ったり(笑)

ゴス・トラッドも最初はどこのシーンにも属してなかったと思うからね。

GT:テクニカルな部分って、たしかに知らなきゃいけないと思うんですよね。上手く使いたいし。そういうのも勉強するんですけど、でもトゥー・マッチになるのはイヤだと思ったりしたし。

ジェームズ・ブレイクは2011年に日本でヒットしたけど、どう思った?

GT:俺は曲によってはすごくカッコいいと思いますよ。俺は何回かいっしょにプレイしたこともあって、向こうで。で、DJプレイもすごくいいんですよ。去年ドイツのベルリンでいっしょになって、DJプレイを観たらノリいいんですよ、すごく。トラックを聴くとディープなイメージで----まあアルバムの前の〈R&S〉から出てるのはもうちょっとグルーヴィーな感じで、DJはけっこうあの路線ですよね。

へー、DJもやるんだね。

GT:だから俺は今回日本来たとき、どうしてDJやんないのかなと思ったりしましたけどね。

彼はそれこそアンコールの1曲目にマーラの曲を歌って。

GT:あー、"アンチ・ウォー・ダブ"ですよね。あれ微妙ですよねー......(笑) はははは!

もちろんオリジナルのほうがいいからね(笑)。

GT:俺はあれは何かなー。「カヴァーばっかやってんなー」と思いますけどね。

それはでもリスペクトなんじゃない? 彼自身に全然罪はないんだけど、彼個人だけが悪い感じでハイプになっちゃったから。一般紙に書いてるジャーナリストが「クラブ・ミュージックもやってるらしい」って書いたり、文化人から「ダブの影響を受けているらしい」とか書かれたり、おいおい少しぐらいは調べてくれよって、そんなレヴェルのものだからさ。だから日本ではゴス・トラッドにかかる期待は大きなものになっていくと思うんだけどね(笑)。

GT:そうですか(笑)?

ジェームズ・ブレイクがきっかけでダブステップを聴きはじめた若い世代も少なくないわけだから。ただ、ゴス・トラッドのインターナショナルな活動歴を考えれば、2009年ぐらいに出しといたほうが良かったんじゃないかぐらいの感じもするんだけどね。

GT:そうかもしれないですね。でも、2009年縲鰀10年ってポップなダブステップがフィーチャーされてた時期だったと思うんですよね。

ポップってブリトニー・スピアーズみたいな......あ、ディプロみたいなの?

GT:そうですね。そういうのもそうだし、マグネティック・マンだったり、スクリレックスだったりとか、ああいう。

ああ、ブローステップっていうやつね。※紙『エレキングvol.4』参照。

GT:はい。そういうのがゴーンと来た時期で。俺はシーン見てきて、まあ場所によるんですけど、ああいうのに飽き飽きしてたひとって多いんですよね。

そりゃそうだよ。

GT:で、戻ってきてるんですよ。

だって空しくなるもん、ああいうのでいくら踊っても(笑)。

GT:何も残らないっていう(笑)。

その瞬間は楽しいけど、そう、残らないからね(笑)。

GT:でも、「バビロン・フォールEP」をこのあいだ10月に出して、それでアルバムが来年に出てっていうタイミングはすごく良かったと思いますね。

"バビロン・フォール"は昔出してる曲じゃないの?

GT:〈レベル・ファミリア〉で出してる曲のダブステップ・リミックスで、それは2008年ぐらいにもう作ってるんです。それはリリースするとか考えずに、自分のプレイのためにダブプレート切ってたんですよ。そしたらファンも「いつ出るの?」とか、レーベル側も「出そう」って話になって。2年前ぐらいからコンタクト取ってて、マックス・ロメオに(笑)。まだ彼が曲の権利持ってたんですよね。そしたらやっと取れたんです。

あの曲は間違いなくアルバムのなかでもクライマックスになっているよね。

GT:あと、EPには"フォーリング・リーフ"って曲があるんですけど、あれも評判も良いですよね。UKの20歳の若くていいプロデューサーがいるんですけど、そいつと喋ったら「僕はあのEPのなかで"フォーリング・リーフ"って曲が大好きなんだよね! あれはやばいよ! あれいつ作ったの?」って言われて、「2006年だ」って言ったら「ええー!?」みたいな。それってやっぱ、ああいうものがいま、逆に新鮮だったりすんのかなって。他の曲のほうが新しいんですけど、2006年のもっとも古いあの曲を、そういう意味で入れたんですよ。

ああ、なるほどね。バック・トゥ・ベーシックな感じなんだろうね。

GT:だからシーンの流れ的には----まあいち部の国とかシーンだけかもしれないですけど----そういうのに飽き飽きして、昔のいわゆるダブステップっていうか、オールドスクールが新鮮なんじゃないかなっていうのを最近ちょっと感じますね。

そういうぶり返しというかね。アメリカに関して言うと、ブローステップみたいに肥大化したレイヴ・シーンみたいなものがあるんでね、そういう話がリアリティあると思うんだけど、日本はまあたぶん、これからだなという気がするんです。それとは別の話で、『ニュー・エポック』は以前の作品に比べるとずいぶんダンス・ミュージックということに意識的なアルバムかなという気がしたんだけど。寄ってくる者を拒まないっていうかね。2曲目の"ディパーチャー"縲怩R曲目の"コスモス"の流れなんかはとても滑らかだし、暗闇のなかの艶っていうかね、録音はすごく繊細だけど音は太いし。"エアブレイカー"みたいなそれまでのゴス・トラッド色を引き継いでいる曲もあるし。"ウォーキング・トゥゲザー"や"アンチ・グリッド"もビート・ミュージックなんだけどグッと来るようなメロディがあるでしょ。"ストレンジャー"なんかはアンビエント・テイストだし、ある意味いままででいちばん聴きやすいんじゃないかなとも思うんですけど、自分自身のなかではどういう方向性があったんですか?

GT:やっぱりこの4年縲怩T年はダブステップ・シーンでやってきたんで、ヨーロッパ行ったときもやっぱりダブステップDJ/プロデューサーのゴス・トラッドっていう認識なんですよね。
 日本、オーストラリア、中国、アジアでもやって。で、たくさんのパイオニアもファンキーに行ったり、ポスト・ダブステップって言われるようなテクノっぽいものになったり。たぶん、現在はパイオニアがパイオニアのやるべきことをやってないっていう状況ではあると思うんですよね。それは進化ではあると思うし。でも何て言うかな、俺は初期のダブステップの面白かった部分や新しさ、「何でも自由がきくんだよ」っていうような音----まあだからこそファンキーとかポスト・ダブステップが生まれたものかもしれないけど、でも俺からすると、それは違うんですよね。いわゆるダブステップ、でもそのなかから進化させたいっていう気持ちはずっと持ってやってるので。

ダークじゃなくなったしね(笑)。

GT:そうですか(笑)?

そういうポスト・ダブステップになってくるとね。

GT:あ、そうですね。そうだから、敢えてここに留まってるから、5年縲怩U年経って、「日本から来たダブステップのパイオニア」ってやっと言ってもらえる部分もあるし。そういう意味で、ダブステップとしての新しいアプローチを見せたいなというか。

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ぶっちゃけ言うと「俺はこんなとこ住めねえな」と思うぐらい、ほんとやばいんじゃないかと疑うんですよ。だけど、同時に、そういう日本人の姿を見るとすごく勇気づけられる部分もあるんですよね。原発のことに関してもそうだけど、新しい世界を創り上げていけるんじゃないか、っていう


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じゃあ変な話、初めてダブステップを意識したアルバムを作ったという言い方もできるんだね。

GT:そうですね。

それは面白い話だね。

GT:もしかしたらこれ、アメリカ人100人集めて「これジャンル何?」って言ったらダブステップっていうやつは10パーセントかもしれないですけど(笑)。

まあそうかもね(笑)

GT:でもこれは、俺なりにダブステップを進化させた形ですっていうことで、敢えて違うテンポのものも入れなかったというか。

ダブステップのオリジネイターのいち部の、それこそコード9とかローファみたいなひとなんかは、逆にブローステップ的なものから距離を置きたくて、新しい刺激としてジュークとかさ、ああいうのを取り入れてるじゃない? ああいうのはどう?

GT:面白いと思いますね。

ああいうアグレッシヴな点っていう意味では、まさに初期のダブステップが持っていたものとちょっとやっぱり近いかなと。

GT:うーん、そうですね。あの感じは、自分が『マッド・レイヴァーズ縲怐xの後半で作ってたようなハーフステップのドラムンベースの感じにすっげー近いなと思う部分があって、面白いと思いますね。YouTubeに"アシッド・ステップス"って曲が上がってるんですけど、それのヒット数がめちゃくちゃ上がってるんですよね。それってやっぱりジュークだったりフットワークだったり、ああいう流れもあんのかなーと思ったり。
 俺は好きですけどね。だけどテンポ感っていうのが俺のなかではダブステップにすごくマッチしてて。ベースで作れるっていうか遊べるっていうか。ジュークはリズムの感じですごく遊べるんですけど。俺はダブステップのBPM140のあの感じっていうのに可能性はまだあると思ってて。もっと何か面白いことできるっていうか。もっと崩していけるんじゃないかっていうのがあって。

それで『ニュー・エポック』っていうデカい言葉をアルバムのタイトルにしたんだ?

GT:まあそうですね。『ニュー・エポック』っていうのは、そういう音的な部分も含めつつ、日本の今年いろいろあったことっていうのも含めて。

3.11のね。そのときは日本にいたの?

GT:いなかったんですよね。

じゃあもう......。

GT:びっくりして。そのときはロンドンにいて。東京には家族がいたんで、すごくショックでした。パソコンで日本のテレビ見てたんですけど、もう動けなかったですね、テレビの前から、ずーっと。ほんとショックで。

その後またさ、自然災害だけならまだしも、原発事故っていうのが重くのしかかってくるから。

GT:そうですね。それでやっぱり、デカい権力の恐ろしさっていうか。何パーセントかわからないですけど、そこの怖さを日本人は知れたんじゃないかっていうか、人のよい日本人が、そういうものを疑う知識を持ったんじゃないかっていうのはありますね。

そうなってくれるとすごくいいなと思うんですけどね。でもなかなか......。自分はサッカーがすごく好きだからね、スカパーに入ってるんで、BBCにも入ってるんですよ。震災直後にBBCのニュースをよく見ててさ、海外メディアがどういう風に日本を扱ってるのかすごく気になってたから。で、早い話、「日本人はお人好しすぎる」ってことをイギリスのメディアのほうが言っていたでしょ。「なんでもっと怒らないんだ」っていう。

GT:いや、ほんとその通りだと思います。もしかして俺ひとりで生きてたら別に気にしてなかったのかもしんないですけど、子どもが1歳でとか、そういうことを考えるともっとそういうところに神経質になるから。食べ物とか。「がんばろう東北」じゃねえだろっていうね(笑)。もちろん国は東北の農家だったり漁師とかを保障しなきゃいけないし。そこ誤魔化して、金使わずにやるっていうのは。テレビもそうだし。どうすんだ? っていう。「テレビが大丈夫って言ってるから」ってなりますよね。だって20歳の若者ですら、俺の〈バック・トゥ・チル〉でやってる子たちに「食べ物とか気にしてんの?」って聞いたら「何が?」みたいな、そんなノリだし。これはまずいなとほんと思ったんですよね。

ほんとに欧米との認識の温度差がすごいよね。

GT:ひとを見たら疑え、じゃないですか、けっこう海外って。でも日本のひとはほんとお人好しだから(笑)

ほんとよくも悪くもっていうか、でも今回は悪いほうのお人好しだかもね(笑)。

GT:だから、けっこうたくさんの日本人がそういう部分に気づいたんじゃないかなと思うんですよね。

それは今回のアルバムのなかでどういうような関係があるんですか?

GT:でも、日本人の良い部分なのかもしれないけど、勤勉で、「ここからスタートしていこう」っていう部分はあるじゃないですか。俺はぶっちゃけ言うと「俺はこんなとこ住めねえな」と思うぐらい、ほんとやばいんじゃないかと疑うんですよ。だけど、同時に、そういう日本人の姿を見ると勇気づけられる部分もあるんですよね。原発のことに関してもそうだけど、新しい世界を創り上げていけるんじゃないか、っていう希望をこめたタイトルというか。新しい世代というか。だからトラックの名前もそういうものがつけてあって。
 1曲目はとくに途方に暮れてる、自分もそうだし。うわべはみんなすごく頑張ってるけど、ほんとはそういう人間がいまの日本にたくさんいるはずなんだっていう思いもあって。それはほんとに震災後にできた曲で。断片のメロディとかだけは作ってたんですけど。そこから完成できてなかったんですけど、あれ以降にタイトルとアイディアができて完成した曲なんですね。

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「俺たち日本だから。ヨーロッパとかUKだったらもっと盛り上がるんだろうな」とかじゃなくて。そう思う時点で負けてると思うから。だってイギリスなんていまなんか6万縲怩V万で行けるじゃないですか。誰でも行けるわけじゃないですか。DJだってプロモーションでちょっと行くってこともできると思うし。

なるほどね。なるほど。ちなみに〈バック・トゥ・チル〉に集まる子たちっていうのは何歳ぐらい? やっぱ若い?

GT:あ、お客さんですか? お客さんはけっこう幅広くて、まあ22縲鰀3歳ぐらいから30ぐらいまでですね。

イギリスはみんな若いんでしょ?

GT:若いですねー。ヨーロッパは若いです。

ここ数年、ロンドンに住んでいるイギリス人の同世代の友だちと話してると「テクノやハウスはoyaji musicだ」って言われるからね(笑)

GT:ははははは。えー。

イギリス人らしい口の悪さというか、イギリスでは、それだけダブステップっていうのは若者の音楽なんだぞって言いたいんだよ。

GT:自分は比較的ディープでダビーで......っていうライヴもプレイするんですけど、ハンガリーとか行くと女の子がすごい前で踊ってて。「いくつなの?」って訊いたら18歳とか。「ダブステップすごく好き」って言ってて。

いいですねえー。日本からも18歳でゴス・トラッドのライヴを最前列で観るような子がどんどん出てきてほしい(笑)。

GT:そうですね(笑)。ブリュッセルでやったときは、自分の前のDJダブステップから流れた4/4っぽいライヴをやってたら前の若い男の子と女の子が「ちょっと来てちょっと来て!」って俺が誰かもたぶんわかってなくて呼ばれて、「あなたダブステップやるの?」って(笑)

ははははは。

GT:「やるやる」って言ったら「よし!」みたいな(笑)。

はははは! 「おまえはわかってる」って(笑)。

GT:そういうこともあるし(笑)。

わかりました。時間もなくなってきたので、もっとたくさん訊きたいことがあるんですけど、続きは2012年に取材させてください。

GT:はい、ぜひ。

あと俺は、日本人アーティストが海外に、ゴス・トラッドみたいにどんどん出てったほうがいいと思ってる人間だから、その辺ももうちょっと訊きたかったんだけどね。

GT:俺はほんとそれやれる思うし、はっきり言って、いまならネットもあるし音楽なんかデジタルで買えるわけだし。どんな田舎だろうが同じじゃないですか、メディアの量なんて。ほとんどの人がいまインターネットで情報を取り入れてるわけじゃないですか。雑誌だってどこでも買えるわけだし。そこを初めから負けてる気持ちの子って多くないですか、地方の子とかって。「僕は地方だから」とかって。
 「俺たち日本だから。ヨーロッパとかUKだったらもっと盛り上がるんだろうな」とかじゃなくて。そう思う時点で負けてると思うから。だってイギリスなんていまなんか6万縲怩V万で行けるじゃないですか。誰でも行けるわけじゃないですか。DJだってプロモーションでちょっと行くってこともできると思うし。だって俺実家広島で、往復すんのに4万かかるんですよ。そんな変わんないじゃないかみたいな(笑)

あとダンス・ミュージックのアンダーグラウンドのカルチャーに関して言うと、マイスペースとかソーシャル・ネットワークがすごく良い形で働いてるとは思うよね。

GT:ほんとそうですよね。サウンド・クラウドだったりフェイスブックだったり。で、たぶんレーベルとかは日本から面白いアーティストが出てきたら「やった!」と思うと思うんですよね。だからチャンスはほんとあるし。俺は最初は自分のことプロモーションするために、ブッキングさえあって、条件さえ合えば、いつでも行きますってノリだったんです。広島行くのと九州行くのと沖縄行くのと、ロンドン行くのと同じ感覚で行くよ、ぐらいの気持ちでやりたかったんですよ。「日本人、日本人だすごい!」っていうのも思ってほしくなかったんですよ。

あー、国境で判断されたくないよね。

GT:DJとも普通に交流したくて。英語は初め全然ダメだったんですけど、1年縲怩Q年やり取りして、喋ってできるようになったし。それは努力なのかもしれないですけど、ほんと誰でもできるし。俺なんか27縲鰀8ぐらいからそれができるようになったわけだから。それは誰でもできるし、誰でも可能性持ってて。負ける気持ちを持たなければ勝てるというか(笑)。

ははははは。やっぱこんな熱い人だったんだ(笑)。

GT:どれを勝ち負けっていうのかわかんないですけど、でも「向こうのほうが自分のやってる音楽はうけるな」とか、それも違うと思うし。日本も同じだし。俺は日本でやることもすごくいいと思うんですよ。逆に敢えて向こうに距離置けるっていうのも。

ダブステップがテクノやハウスのときとちょっと違うのが、まさに21世紀のダンス・ミュージックだからこそこれだけ短時間のあいだにすごく世界的に広がったのかなって思うんだよね。

GT:あの当時のマイスペースだったりとか、横の繋がりはすごかったですね。

あれは、ある種の連帯感のような感じでしょ。

GT:「みんなで盛り上げようぜ!」みたいな。サーポーターもすごく集まったし。パーティやって、それをお手伝いするやつらもすごく集まってたし。そういう意味では絶対誰にでもチャンスはあると思うんですよね。いまはむしろダブステップだけじゃなくて、さっき言ってたみたいなジュークだったりフットワークだったりヒップホップだったりとか、もはやインターナショナルなものだから。

ジュークやフットワークがインターナショナルなものになるかはわからないけどね(笑)。ロンドンはすごいだろうけど、きっとね。イギリス人はそういうの好きだから。エレクトロも、シカゴ・ハウスも大好きだったし。

GT:いや、でも俺はあり得ると思いますよ......って信じたいですよね。

リスニング・ミュージックとして楽しむっていうのはあるよね。僕はそうだから。ただ、あそこまで俊敏に足を動かすのは、自分には絶対に無理だと思った(笑)。あれはもう、ストリート・ミュージックだからねー。

GT:そうなんですよね。オタクっぽくなっちゃうのはちょっとね。もうちょっとストリートな感じで。

フットワークは昔デトロイトで現場を見たことがあって、コンクリートの路上でみんな輪になって、ダンスを順番にしていくわけだけど。

GT:ちょっとクランプとかに似た感じですよね。

ほんとにダンス・バトル。男の子も女の子もいるし白人もいるし黒人もいるし東欧系やラテン系 もっていう......ていうか、話が終わらないね。このままだとゴス・トラッドがアジア・ツアーの飛行機乗り遅れちゃうから今回はここまでにしましょう(笑)。 『ニュー・エポック』が1月11日にリリースされるわけだけど、その反応も楽しみだし、2012年、また会えるのを楽しみにしていますので。今日は出発日 だというのに、こうして時間を作ってくれて、とても貴重な話をありがとうございました。


 ゴス・トラッドは、自分のこれまでの経験を、いま日本で音を作っている多くの若者に伝えたくてうずうずしているようでもあった。それは自力でここまでできるんだという、今日的なDIYミュージックとしてのダブステップとその文化についての話だが、それまた別の機会に。

patten - ele-king

 チルウェイヴの異端として忘れがたい面影を持つ音である。しいて異端とするのは、その手練や仔細らしい態度のためだ。ロンドンのプロデューサー、パッテンによるファースト・フル・アルバム。彼のバイオグラフィについては多くの記事が「ミステリアス」のひと言で片付けている。なにしろ質問に対して動画だか音源だかで回答したりするそうで、やっと読めたインタヴューなどでも問いを巧みにはぐらかすような発言が多く、ひと言でいってつかみどころがない。本タイトルも『グラック・ジョー・ザック・ソウ』とわけがわからない。おそらくはどう発音しても「正解だ」と言われるのだろう。
 バイオや音楽性ふくめ、そうした「発音しにくさ」がひとつのコンセプトになっているようだ。どのようなバンド名や曲名も、時間が経てばその存在や音となじみ、一体化していく、と彼は述べる。だから「もしあなたが見たことのない言葉(=名前)をつくることができたなら、見たことのない音もつくることができるだろう」......詭弁ともとれるコメントだが、ここには名前/名づけという行為をめぐる存在論的な考察とともに、彼自身の創作理念が表明されていると言えるだろう。じつにインテリらしく、気難しささえ窺われる。
 筆者はチルウェイヴの重要な特徴はもっと素直で融和的な表現態度にあると考えていて、それを悪くとり違えれば「バカみたい」ということになるのだろうが(そしてそれを「バカみたい」とするならば、アニマル・コレクティヴ/パンダ・ベアらが敷き、後期2000年代が模索し伸張してきたインディ・ミュージックの大きな可能性が全否定されることになるのだが)、その意味ではパッテンの音は決して「バカみたい」ではなく、つまりチルウェイヴのもっともヴィヴィッドな部分をやや逸らしたところに狙いがあるようにもみえる。では「グラック・ジョー・ザック・ソウ」なる「新しい言葉」は、「新しい音」を拓きうるだろうか。
 
 "アイス"の冒頭は、本作をチルウェイヴ/グローファイの文脈でとらえる上で絶好のイントロダクションとなるだろう。コンプレッサーで過度に歪められた音像、そこには様々なノイズがとけあうようにして渦巻いている。ドリーミーなシンセのリフが印象的に主題をリフレーションし、やがてオーヴァードライヴンなスネアが機械のように容赦なくビートを刻みはじめる。このとろりと濁ったプロダクションには現在形のインディ・ミュージックの粋が詰まっているし、ビートにはフライング・ロータスなどの硬質でアブストラクトな感覚も流れ込んでいる。他にはシーフィールやクリスタル・キャッスルズ、またボーズ・オブ・カナダに比較されもする華やかなトラックだ。"ファイヤー・ドリーム&"などはゴールド・パンダを連想させる。歪んだ808サウンドがレイヤーを形成し、乾いたビートはアルバム中もっともストロングでストレートに機能している。
 "ピーチー・スワン"や"アウト・ザ・コースト"など中盤はこうしたハウス風のトラックが続く。"ブラッシュ・モザイク"などではビートが壊れその隙間から唱導のようにドローンなコーラスが顔をのぞかせる。90年代なかばの〈ワープ〉のカタログもよく引き合いに出されているが、とくにエイフェックス・ツインの影響は強いかもしれない。くっきりとした叙情が受け継がれている。こうしたドリーミーな叙情性に加え、"ワーズ・コライデッド"や"プルーラルズ"、そして"ルビーリッシュ・フィルム"などに見られるスキゾフレニックなカット・アップやループ、そしてアンビエントな音色が、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーやマーク・マッガイア、ローレル・ハロなどチルウェイヴの地下鉱脈ともいうべき流れをも汲んでみせている。

 こうして見ていけばいかに優秀なセンスでまとめられた作品であるかということがわかるが、それを上回って感心したのが、ピッチフォーク等で高い評価を受けたシングルからの変わりようだ。〈DFA〉などに重なる、たぶんにポスト・パンク的なダンス・トラックで一躍有名になったわけだが、本アルバムではダンス色をなぎはらい、音色もずっと鬱蒼としたものに変化させている。〈DFA〉がやや時代とずれつつあるというような嗅覚もあるのかもしれないが、大きくはチルウェイヴとして認識されるインディ・ミュージックの内向化に対応したのだろう。アート・ワークにももともとそうしたセンスがあった。パッテンのホームページにはスクロールしてもしても繰り返し広がり続ける背景画像のパターンがある。
 とくに対象物を配置せず、しかしモノトーンというにはあまりにさざまなな情報が溶かし込まれたようなその微妙な色合いのつながりを見れば、きっと何十年してもこの時代の音楽を思い浮かべるだろうと思えてくる。

B-Lines Delight - ele-king

B-Lines Delight Profile
北の片田舎からリアルなBass Musicの現場を作り出すべく2011年発進。Dubstep,Jungle,UK House,Reggae,Dub...これらBassをキーワードに持つジャンルをB-Line数珠繋ぎ。Bassの鳴りを、Bassのグルーヴを、Bassのバイブスを体感するBass Music Party、それがB-Lines Delight。 Dj's&Mc's DD Black/DJ END/Sivarider/Ryoichi Ueno/Negatins/Rebel Aoyama/Tat'scha/Medopink/MC J-Gold
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2011 Best 20 Selection
B-Lines Delightクルーが2011年魂を込めてプレイした、又はお気に入りのトラックをセレクト


Sivarider - Soundkilla - Dubplate

Tayo Meets Acid Rockers ft Pupajim - Vampayaa(RSD remix) - SCRUB A DUB

Zinc - Sprung - Rinse

Jack Beats - End of Love(kutz Remix) - Deconstruction

Kutz - G742 - Biscuit Fuctory Records

DUBKASM feat. Christine Miller - There's A Love(RSD remix) - SUFFERAH'S CHOICE

RSD - Jubilation Dub - ZATTAI-MU

TRC - Oo Aa Ee (Royal -T <3 Garage Remix)- Butters

Splurt - The Return VIP (Mega Refix ) - Oil Gang

Pampidoo - Synthesizer Voice (Goth-Trad Remix) - Greensleeves

V.I.V.E.K - Spread Love - deep medi musik

Pinch - Swish - deep medi musik

LURKA - Return : Stabiliser - Box Clever

COMMODO - Uprising : Saracen - DEEP MEDI MUSIK

Pangaea - Hex - Hemlock Recordings

Mosca - Bax - Numbers

Altered Natives - Earthlings - EYE4EYE RECORDINGS

Lee'Scratch'Perry vs Digital Mystikz - The Way You Should(Mala Remix) - ON U Sound

Jo - R Type(T.Williams Refix) - Free mp3

Boddika - Elektron - Swamp81

R.E.M. - ele-king

 結局、R.E.M.を野外フェスティヴァルの大きなステージ――日本でだったら、もちろんフジロックだ――で観るという僕の夢のひとつは、永遠に叶わないものとなってしまった。僕が観たのは2005年の1回だけで、ブッシュ政権時代のど真んなかだったこともあり、活動自体に重苦しさもあったせいか、古いファンからは「かつてほどのキレはなかった」との声も聞いた。けれども、僕にとっては『オートマティック・フォー・ザ・ピープル』におけるもっとも美しいパートである"ナイトスウィミング"と"ファインド・ザ・リヴァー"を聴けたことで特別な夜になった。"ファインド・ザ・リヴァー"はこんな歌詞を持った美しいバラッドだ――「僕の進む道をさえぎるものは何もない」
 この最後のベスト盤――『いくつかの嘘、いくつかの心、いくつかの真実、いくつかのガラクタ』とでも訳せばいいか――にも収められている"ナイトスウィミング"の歌詞を10代で初めて読んだときはポップ・ソングが持ち得る最高の部類の言葉だと感じたが、その思いはいまでも変わらない。「君を 僕は知ってると思ってた/君を 僕には裁けない/君は僕を知っているはずだと思っていた/息を殺して静かに笑っているこの男を/夜の水泳」......大切な過去の誰かを思いながら独りで泳ぎに耽るしかない、晩夏の静かな夜の美しさと残酷さ。振り返ってみれば、いつだってマイケル・スタイプは虚空を見るような表情でこのようなことを歌っていたように思える。つねに傍らにいたU2が少年の使命感と理想を掲げていたのに対して、R.E.M.が鳴らしていたのは喪失感や諦念、しかしそれでも捨てられない人生への執着とそれ故のどこか開き直ったような楽観だった。そこで生き続けるしかない、とでもいうような。

世界はまるでオイスター ほろ苦さのくり返し
神は僕は導いてくれるけれど 僕はここにはいられない
("ハレルヤ")

 多くのバンドのように解散ライヴもやらず、代表曲を年代順にそっけなく並べたアルバムを出してさよならというのは彼らにしてはクールすぎるようにも思えたが、最後に収められた新曲3曲、いや、正確に言えば最後の3曲を聴くと、その言葉の重みに彼らは本当にその30年間に幕を下ろすのだと実感せざるを得ない。「もう週末を待つのに疲れた」と言うシュールな軽さを持った"ア・マンス・オブ・サタデイズ"、「これで本当にいいんだよね?」と繰り返すバカラック調の"ウィ・オール・ゴー・バック・トゥ・ウェア・ビロング"、そして最後には上記の歌詞で始まる"ハレルヤ"。間違いなく、これはR.E.M.の音楽と歩みをともにしてきた人びとに向けた最後のメッセージだ。それは僕のように、彼らの音楽と同じくらいにマイケル・スタイプの誠実な、しかし洒落た言葉に魅了されてきた人間にとってはあまりにも説得力のあるものだろう。

 僕のような若輩者が生まれる以前から、R.E.M.が3つのディケイドをじっくりと歩み続けてきたことがこのアルバムを曲順に聴けばよくわかる。80年代、メジャーとは価値観を異にする現在に続く意味での「インディ」を最初に広めたのがソニック・ユースでありR.E.M.だったが、インディ時代とメジャー時代を分断するものはここからは聴こえない。彼らの活動のあり方はアメリカの多くのロック・キッズに希望を与えた。ピーター・バックの滑舌の良いアルペジオ・ギターとマイケルのもごもごした聴き取りにくいヴォーカルの齟齬感こそが味になっている初期のロック・チューンから出発し、カントリー、南部のブルーズ、室内楽、エレクトロニクスなど様々な音楽的語彙を獲得しながら、しかしどこまでもアメリカン・ロック・バンドであるという軸はぶれることはない。そして彼らの辿ってきた時代――ベトナム戦争の後遺症、レーガン~ブッシュ政権、カート・コバーンの死、90年代末の「オルタナティヴ」の弱体化、9.11、それからブッシュ政権、イラク戦争――に対する怒りや悲しみやその他の複雑な思いが言葉と音の端々にこめられている。そして、彼らは自分たち自身が迷いや苦難を抱えつつ、いつもそんな生きづらいアメリカで生きるしかない人びとに向けて歌っていた。10代の自殺に心を痛めたという動機から彼らにしてはあまりにシンプルな言葉を持った"エヴリバディ・ハーツ"のような大衆的な「アンセム」こそが、むしろR.E.M.の核を言い当てているのかもしれない。「頑張って、持ちこたえるんだ」......まるでロック少年少女たちのためのソウル・ミュージックのようにそのリフレインは続く。それは、いま日本で生きる「しかない」我々にも響くものがあるだろうか?
 たとえ孤独でも、現実は最悪でも、世界が終わりを迎えても、気分は晴れやかで僕は自由だ。だから、僕はここで生きるし、君もどうにか持ちこたえるんだとR.E.M.は歌ってきた。「来いよ、君が泣いてるのなんて誰にも分かりやしないさ」("イミテイション・オブ・ライフ")。そんな彼らが「ここにはいられない」と言う。結果として最終作となった『コラプス・イントゥ・ナウ』のレヴューで、「R.E.M.には終わり方が見えているのだろうか?」と書いたことを僕は後悔していないが、彼らのその決着のつけ方、引き受けるものの大きさにはただ圧倒されるしかない。かすれ気味のマイケルのバリトン・ヴォイスで繰り返される、いくらか大げさな「ハレルヤ」のコーラス。そこにたしかなカタルシスを残して、彼らは去っていく。R.E.M.、さようなら。

Youth Lagoon - ele-king

 かつてはなりたかった
 もっとも特別な何かに
 どんな滝の勢いも
 私を止めることはできなかった
 やがて水の塊がどっと押し寄せて
 夜の星たちは深くのまれていった"The Greatest"(キャット・パワー、2006、筆者訳)

そして暖かい夢の名残りも、まるで細い川筋のように秋の砂地の底に跡かたもなく吸い込まれていった。
『1973年のピンボール』(村上春樹著、初版1980、講談社)

 米音楽メディア『ピッチフォーク』は、「近頃のベッドルーム・ポップに求められるもの」として、貧弱なプロダクション、幼少時代を想起させるリリック、ノスタルジア、親密さ、過剰なリヴァーブなどを挙げているが、筆者がいささかの詩情を盛って言い換えるのなら、それは、「あなたがかつて去った子供部屋からいま、聴こえてくる音」となる。例えば、『Person Pitch』(Panda Bear、2007)が見せた少年の秘密の空想や、『Teen Dream』(Beach House、2010)における、黄昏の波打ち際に優しく訪れる甘いさざ波など、それらはデフォルメされたノスタルジアのイメージを強烈に焼き付ける。そして、それらの過去は、実際には聴き手に経験されていない、という点で、フィクションないしはファンタジーなのである。誰しもが去った子供部屋のドアは固く閉ざされ、窓はすべてカーテンで覆い隠されている。そんな外界から閉ざされた場所にもたらされる共犯的な親密さとして、いま、ベッドルーム・ポップが強く求められているのだとしたら、いい加減、現実と非現実をきれいに分けてばかりはいられないのであろう私たちは、その素朴な分別を享受しているだけではいけないのかもしれない。(311後の日本には、「拡張現実」なんて概念も提出されている(宇野、2011))

 Youth Lagoonを名乗るトレヴァー・パワーズ(22歳、アイダホ州)の処女作となった『The Year of Hibernation』には、ベッドルーム・ポップに期待されるすべての音があり、現実を遠ざけている。女性のようにさえ聞こえるような、柔らかく、高い声は、カーテンで遮られた風呂場で録音されたように靄がかり、曲によってはプロダクションの大半を占めるまでに淡く膨らんで響いている。夢の隙間できらめくようなギター、様々な音色を優しく奏でるシンセは、どちらがリードを取るでもなく、哀調のメロディをささやかにアレンジしていく。閉ざされた部屋で、それらの調和は実にさまざまな表情を見せる。あるときは輪郭のボヤけたフォーキィ・ポップ、あるときは漂白されたシューゲイズ、またあるときはマシン・ビートが4/4を軽やかに刻み、ある種の浮遊性を志向する。それは、誰も踊りたがらない悲しみのダンス・ポップのよう。まさしく、今年のベッドルーム・ポップにおける真打ちで、たとえるのなら、それは敗れ(破れ)た愛や夢のなかを生きる人びとの心象を描いた『The Greatest』(Cat Power、2006)と、ささやかな月明かりとともに夜間の親密な空中遊泳に出かける『The xx』(The xx、2009)のあいだで静かに響き合っている。

 ところで、ここ日本では、1980年代後半生まれの言論人では最初のスターである古市憲寿(26歳、東京大学大学院)が、「若者は不幸ではない」ということをしきりに強調しているが、アメリカやイギリスでは、アンダークラスからミドルクラスの若者までもが街に出て、変化を要求している。報道各社はその無内容ぶりにしらけ切っているが、朝日新聞が報じるところによると、ウォール街の占拠デモンストレーションに参加した19歳の男子学生は、「いまよりマシな世界をつくるにはどうしたらいいか」を議論したいのだという(2011/10/16朝刊)。パワーズは、恐らくその運動には馴染めていないのだろう。『remix』誌の元編集部・桑田真吾から言葉を借りるなら、パワーズのノスタルジアは、「共闘の経験を持たないにもかかわらず、挫折や断念や絶望の感覚は共有している」、そんな音楽である。パワーズはいま、何に怯え、何から逃げているのだろう? パワーズが用意した本作の隠れ家は、絶対に傷つかないことが保障されているという点で、致命的に退屈では、ある。それは、田中宗一郎がWashed Outを批判した理由と同じかもしれない。強く、正しい指摘だとは思う。恐らく、彼の生活圏はいまだ外部には侵されていないのだろう。その境界が交わってしまうまでの短い季節に生み出された音楽を、まずは祝福しようと思うことは、愚かだろうか。

 あらかじめ決められた敗北のなかで、パワーズが見られる夢というのは、いったいどんなものなのだろう。それが本作に仮託されているのだとしたら、あまりにも切ない。何がこの頼りない音楽を求めたのだろう。この臆病さが、仮に過剰さに反転していれば、神聖かまってちゃんのようにも鳴り得たであろう、パワーズの正直な音楽の前で、私は批判の言葉をどうしても選べずにいる。

U.S. Girls - ele-king

 へー。こうなるのかー。ベスト・コーストやハニー・オーウェンズの(悪)影響なのか、ソロで「アメリカの少女たち」を名乗るミーガン・レミーの3作目はレーベルを移籍し、簡単にいえばポップになった。圧迫感のあるビートが導入され、いわゆるソングライティングさえ恐れなくなっている(ついにCDヴァージョンまで出して。もしかしてアナログのレーベル・フォトは...?)。

 前作『ゴー・グレイ』(10)はなんとも不思議なアルバムだった。基本的にはイフェクトをかけまくったギターの多重録音で、ある種のパーカッションや、ゲームの残響音がプラスされることもなくはないけれど、ほとんどはギターの響きだけで構成され、ヘンな表現かもしれないけれど、ダンディとしかいえない美学に貫かれていた(...なかでは「ヒズ・サンズ・フューチャー」のアウトロがあまりにもイマジネイティブなコズミック・・ドローンでちょっとスゴかった)。曲というよりも断片とか余韻に酔いしれたくなるといった方が正確で、60年代のロックン・ロールをカヴァーしたディック・アンド・ディー・デォー「マウンテン・ハイ」もドラムスの残響音に埋もれているだけといった方がいい感じだし(ダーティー・ビーチーズが気に入っているというのは、この曲を聴くとなるほどです)、どの部分を取ってもフェミニンな感触はなく、スーサイドがジーザス&メリー・チェインのカヴァーをやり損なっているような質感は最後まで揺るがない。

 それが、『USガールズ・オン・クラアク』では、アルバムの後半こそアブストラクトにもつれ込んでは行くものの、戸川純かと思うようなオープニングからしっかりと歌を聴かせ、場合によっては楽しいメロディなんかも出てきちゃうし、「ジ・アイランド・ソング」では童謡とMGMTを掛け合わせたようなナゾの展開へと突入、どの部分からもフェミニンな感触があふれ出している(...ファイストが骨太になったのとは逆の展開というか)。それでも曲の骨格にはやはり前作と同じくソリッドな手触りが内包され、異様なムードには事欠かない。短いとはいえ、ドローンもむしろ本格的になったといえるし、どこへ行こうとしているのかさっぱりわからない曲の数々が混然としながら投げ出されていく(エンディングなんか爽やかにカントリーですから)。めちゃくちゃなのに、なぜか、迷いを感じているとか、そういったネガティヴな印象は持たせない。あっさりと納得してしまった。ファット・キャットのサブ・レーベルからはもっとポップな曲も出しているらしい(未聴)。

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