「Nothing」と一致するもの

Neil Landstrumm - ele-king

 この人が2006年あたりから〈プラネット・ミュー〉を通じてグライム/ダブステップに手を出しはじめたとき、「あー、ついに来たか」と思った人も少なくなかったでしょう。みんなまだ静観していました、90年代初期からやっているベテラン連中は。自分たちより15歳以上離れている新世代のやっているグライム/ダブステップとは果たしていかなるものかと。そんななかで、すばやくアプローチしたのがマイク・パラディナス、続いてUKテクノ第二世代を代表するひとり、ニール・ランドストラムだったんじゃないでしょうか。
 以下、4月5日にDommune、4月7日に渋谷AMRAXでプレイするランドストラムの来日直前インタヴューです。(ちなみに渋谷AMRAXでは、マユリちゃんとDJバクが共演)

久しぶりの来日ですね。

ニール:日本に来るのは大好きなんだ。招待されて一番嬉しい国だと思うよ。

いろいろな国を拠点にしてきた印象があるのですが。今までどこに住んでいましたか? 現在の拠点は?

ニール:プレイした僕の音楽キャリアのなかで住んできたのはたった2カ所しかないよ。エジンバラとニューヨーク。いままでいろんな国に行ったし、だからそういう印象があるのかな?僕の音楽活動が日本を含め、夢でしか行けないような国にも連れて行ってくれたんだ。

ニューヨークに住んだ理由は?

ニール:1990年に初めてニューヨークに行って、もっとここでいろんな経験をしたいと思わせてくれたところだから。住んだのはUKと往復しながら1996年から2002年くらいまでなんだけど、ただ町並み、あの場所の音や雰囲気が好きで、プラス音楽文化も豊富だったし、ヴィジュアル・アートを知るには最高のところだったんだ。

現在はどこに住んでいるんですか?

ニール:2002/2003年にニューヨークを離れることに決めてからはずっとエジンバラだよ。ここの建築は素晴らしいし、エジンバラのリラックスしたゆっくり目のライフスタイルが好きなんだ。大きな都市ではないけど、僕はアウトドアが好きだし、45分も運転すれば完璧な自然のなかにいられる。グラスゴーは1時間くらいだし、大都市にも簡単に行けるし最高の場所だと思っている。

エジンバラに住んでいて音楽的な影響などは......

ニール:エジンバラが音楽的にどんな風に僕に影響があるかはわからないけれど、大都市みたいに家賃や生活費が上がる事を心配しながらプロジェクトにとりかからなくて済むから、そういう意味では集中できるというのはあるかも。
音楽的にはエジンバラは空白の部分があるなぁ。ニューヨークみたいに色がない。でもエジンバラには僕が刺激されたダブのサウンドシステムがいくつかあったんだけど、残念な事に地元の自治体と不動産業者がひとつひとつクラブを潰しているんだ。だからこの素晴らしいダブのサウンドシステムもなくなってきている。

それは残念ですね......。ではあなたが音楽をはじめた90年代をいま見てどう思いますか? 何かインスピレーションがあるとか。

ニール:いや、インスピレーションという刺激や感化はないよ、すべえて過去。正直言ってまったくそこから離れているし、それはそれでいい思い出として残して何か違う事をやりたいからね。問題はたくさんの人があの時代にしがみついていてそこにはまった状態でいることなんだよね。僕にとっての音楽はいつも先へ先へと進んで行きたい。たとえ時々レトロなことをやったとしてもね。90年代にリリースしたほとんどの僕のレコードを誇りに思っているけど、いま、同じ事をしても同じスピリットや音ではないし......僕にとっての音楽はその時々の自分の感情をレコーディングしているみたいなもので、それをあとで聴いたらその場所と作ってる時の自分に連れて行ってくれるタイムマシンみたいなものなんだ。その音を聴いただけで自分が何を着ていたか、家の壁紙の柄まで思い出せる。笑 僕には写真のような記憶力があるんだよ。

音楽を始めるきっかけになったのはやはり初期レイヴ時代ですか?

ニール:1988~1991年の初期UKレイヴ時代は忘れられないし、あの頃の音楽はずっとインスピレーションになっている。もういちどあの時代に戻って同じように生きてみたいけど(笑)。ずっとイヴェントや人びとやいろんなことから影響を受けると思う。もちろん同じ事はやらないつもりだけどね。

私もそう思います。そのくらいのインパクトがありましたからね。その後、そういったインパクトは音楽的にありましたか? 影響を受けた音楽とか。

ニール:90年代終わりから2001年にかけてはもうテクノにうんざりしてたんだよね。だから音楽を休んでモーショングラフィックに専念していたこともあったんだけど......。2000年あたりからダーク・ガラージとかSublo soundsとかまた面白そうな音楽がロンドンではじまってきて、Jon E Cash Black Op's crew 、DMZ、More Fire Crew、ディジー・ラスカルなどなど。これらのサウンドはグライムとダブステップとかに分かれていったんだけど、これらの音楽がはじまり出したとき、また僕も音楽に興味を持ち出したんだ。でもやはり僕には初期のUKレイヴとブリープ・レコードがエレクトロミュージックに興味を持ったはじまりだな。

90年半ば頃ですよね? 「No Future」をはじめたのは。

ニール:「No Future」は90年代半ばにクリスチャン・ヴォーゲル、Emma SolaとMat Consumeによってはじめられた集団で、僕やTobias Schmidt、Dave Tarrida、 サイ・ベグそしてジェイミー・リデルなどのレコード・リリース、プロモーションやブッキングなどをしていた。僕たちのようなサウンドを〈モスキート〉や〈トレゾア〉でプッシュするためだったんだ。人数は多い方がいいしね。Matが僕らのレーベルと「トレゾア LP」のスリーブのアートワークをやってくれてた。あの頃のいい思い出がたくさんあるよ。ドイツでたくさんの「No Future」のイヴェントをやっていて、それは毎回楽しかったしはちゃめちゃだった。クリスチャンのスタジオにはよく行っていろんな音を録音したし、本当にいろんな事をクリスチャン から学んだんだ。僕にとっての「No Future」はポジティヴなパンク・ムーヴメントだったんだ。DIY ( Do it yourself) と他は気にせず突き進め、的な。

〈プラネット・ミュー〉との関わりはどうやってはじまったんですか?

ニール:僕のデモをマイク・パラディナスに送ったんだ。そうしたらマイクからリリースしたいと連絡がきて、2005年から彼と一緒に動き出したんだ。その後、年間LP作りに専念して、2007に『Restaurant of Assassins』をリーリスした。それが自然に『Lord for £39』と『Bambaataa Eats His Breakfast』のLP につながったんだよね。僕が『Restaurant of Assassins』と『Lord for £39』のスリーブをデザインしたんだよ。マイクはいつも先端をいっているし、僕は彼の耳とレーベルにとても敬意を払っているんだ。彼の素晴らしい未来を願っているし、この濁った音楽業界をいい方向に導き続けて欲しいと願っている。

あなたのレーベル〈スカンジナヴィア〉をはじめたのはいつですか? 音楽だけではなくデザイン・ワークもやっていますが。

ニール:〈スカンジナヴィア〉は1996年にレコード・レーベルとしてはじめた。僕がすべてをコントロールできて、僕や友人のもっとエクスペリメンタルなプロジェクトをリリースしたかったんだ。ニューヨークに移った頃、モーショングラフィックをはじめて、MTV、Rockstar Gamesのデザインをしたり、エフェクト・アニメーション・アーティスト、Jeremy Blakeのために僕がサウンドデザインをやったりした。そういえば〈プラネット・ミュー〉や〈トレゾア〉からリリースしたほとんどのレコードには〈スカンジナヴィア〉のロゴがどこかに入っている。僕の頭のなかではオフィシャルな〈スカンジナヴィア〉のリリースだと考えているよ。〈スカンジナヴィア〉のロゴは僕のアーティストとしてのサインなんだ。

ライヴ・セットに関してお聞きしたいのですが、毎回違う音楽スタイルのライブセットだと思うのですが、毎回スタイルに合わせてセットアップは変えているんですか?

ニール:だいたい同じ機材でのセットアップだよ。DJと同じで新しいものが出たら古いものをそれに変えたりしていまのセットアップになっている。いまはElektron Machinedrum、MonomachineとKorg ESX-1とAbletonを使っているけど、地元のギグではYamaha DX-200とKord Space Echoも使うんだ。90年代はRoland TB-303、 SH-101、Tr-808,Tr-909、Akai S900 、Atari St、Sequential Circuits 黴€Pro-OneとEmu Sp-1200なんか全て持ち出してたけど。笑 すごくいい音でできるけど壊れる確率が多くて......。だからいまは古いアナログでKorg ESX-1にRoland Jupiter 8 と 6 keyboardsをつなげたりして使っている。それでもあの昔のアナログの雰囲気を味わえるからね、他の機材を壊すリスク無しで。

機材が壊れたりしたことはあるんですか?

ニール:ツアーしている時に起こるときもあるよね。僕のスーツケースが飛行機の荷物を運ぶトラックに轢かれたことがあったんだ。そのあとロンドンでサブヘッドのイヴェエントでプレイしたんだけど、プレイ中に僕のTR-909が爆発したことがあったよ(笑)。

(笑)。それは大変でしたね。この6月までギグのスケジュールがはいっていると聞きましたが、そういうことが起こらないことを願いながらこれからの予定を教えてください。

ニール:これからどういう方向で行くのかまだ決まっていないんだ。今はスタジオから離れて、これからの自分のスタジオと将来の方向性を考えていこうと思っているんだ。6月まではいろんな国でのギグが入っているのでそのあいだに考えるつもり。

では、これからのリリースについて教えてください。

ニール:ちょうどベルリンの〈Killekill〉から「Night Train」という12インチをリリ-スしたばかりで、これにはサイ・ベグとコラボレーションしたトラックも入っているんだ。それからJerome Hillの〈Don't records〉からテクノ・ヴァージョンのベルトラムの「Energy Flash」とブレイク・バクスターの 「Sexuality」が4月日にリリースされるよ。それにオランダのレーベル〈Shipwrec〉からもMat Consumeとコラボレーションしたものと、今年の終わりにはJ D Twitch とともに新しいDoubleheartの12インチをリリースする予定なんだ。

ところで日本に初めて来たのはいつなんですか?

ニール:1995年にリキッドルームで初めてプレイしたんだけど、あれは僕のキャリアのなかでもいちばん思い出に残っているんだ。〈ピースフロッグ〉 のパーティでとても混んでいた。そういえばそのときのイヴェントのDATレコーディングを最近見つけたんだよ! どこかにアップしなきゃなぁ。

その後も来日していますよね? 

ニール:今まで何回か来ていてその度に日本が好きになる。ただ歩き回ってるだけでもすごいトリッピーな国だね(笑)。僕は和食が大好きだし、エレクトロニクスも文化も好きだな。あ、それに70年代から90年代のトヨタのランドクルーザーの40と60シリーズモデルの大ファンなんだよ。日本の技術は高品質で長持ちするようにつくられている。正直、僕は日本のデザインや技術で作られたものなしでは生きていけないと思うよ。

4月5日にDommune、4月7日に渋谷AMRAXで行われるFIERCESOUNDSでプレイしますが、どんなセットでいくんですか?!

ニール:もちろんLandstrummスタイルだよ。

日本のファンの皆さんに一言。

ニール:Ganbarimasu!  是非ギグに来て 声かけて欲しいな。



FIERCESOUNDS 5th ANNIVERSARY -
NEIL LANDSTRUMM

2012.04.07 (SAT) @ AMRAX
NEIL LANDSTRUMM、MAYURI、DJ BAKU、DJ DAIKI and more.
Open 22:00
Door ¥3500
Info.03.3486.6861 AMRAX

Neil Landstrumm
King of UK Bass Music。最先端、革新的なエレクトロニック・ミュージックのパイオニアとして知られる彼は、1995年に〈ピースフロッグ〉から「Brown By August」をリリースしてその華々しいキャリアをスタートさせる。これまで、〈ピースフロッグ〉を含む〈トレゾア〉、〈Sativae〉、〈ソニック・グルーヴ〉、〈モスキート〉、〈プラネット・ミュー〉など、世界的に影響力のあるテクノ/エレクトロニックレーベルから数々のレコードを実験的、斬新な音と共にリリースし、その新しい表現は世界中からの注目を浴びその独特のスタイルや世界観は彼のコピーアーティストを生むほどの影響力を持つ。
また、グラフィックアーティストとしても有名な彼は、音楽のみならずグラフィックデザインや洋服のデザインまでも手がける革新的なレーベル〈スカンジナヴィア〉を立ち上げ、これまでクリスチャン・ヴォーゲル、サイ・ベグ、Mike Fellows、Jeremy Blake、Bill Youngman、 Tobias Schmidtなどの世界的に著名なアーティストの作品をリリースし、レーベル・オーナーとしても成功を収めている。現在はUKエジンバラでWitness Rooms Studioを運営、最近ではゲームソフトの開発にまで着手し、音楽面ではDJシャドウの新しいプロジェクトのリミックスを手がける世界で唯一のアーティストとして選ばれるなど、天才とも言うべき彼の才能は留まるところを知らない。今年、2月にベルリンの〈Killekill Records〉からEP「called Night Train」をリリースした。
www.scandinavianyc.com

アナログフィッシュ - ele-king

 その前日まで発熱して倒れていた僕はその土曜日、久しぶりに梅田のレコードショップに寄って、ブルース・スプリングスティーンの新譜を買ってから京都に向かった。音を聴く前に訳詞を読んでみると、スプリングスティーンは怒っているようだった――おそらく彼がかつて熱く支持した民主党政権に、そして間違いなく、彼が愛する自分の国に。若者たちに呼びかける。「怒りを持ち続けろ、怖気づくな」。それはオキュパイに参加した若い世代からすれば、親父のウザい説教のように聞こえるのかもしれない。しかし僕は、それを超大物とはいえミュージシャンが引き受けていることに感服せずにはいられなかった......わたしたちはこの国に、スプリングスティーンがいないことを嘆くべきなのだろうか?

 その日、京都の歴史あるライヴハウスの磔磔のステージに現れたのは、そこに集まった観客とさして変わらない若者3人だった。ゆったりしたテンポのループにリズムが刻まれれば、オープニングはバンドの新時代の宣言となった"荒野"だ。「とにかくここは目的地ではなく/まして楽園でも天国でもない」
 そのどこか危なっかしくも、勇ましい言葉がオーディエンスの温度をじっくりと上げていく。
 2011年のアメリカがオキュパイ以前/以後に分けられる年だったとすれば、日本においては......言うまでもないだろう。アナログフィッシュはその以前/以後の境目辺りで、主に言葉の面において覚醒したバンドだ。ロック・バンドとしてはこの国においては珍しく、社会への視線を隠そうとせずに、しかもそれを自らの生活に引き寄せて表現することに挑んだのが『荒野/On the Wild Side』とい うアルバムだった。11年の3月よりも前に出来ていた言葉を収めたそれらの楽曲は、しかし3月以後に重い説得力を孕むことになってしまった。「朝目が覚めてテレビをつけて/チャンネルを変えたらニュースキャスターが/戦争がおきたって言っていた」"戦争がおきた"
 テレビを隔てたその距離の途方のなさに、わたしたちは改めて思い知らされることになった......。

 この日のライヴはベスト盤『ESSENTIAL SOUNDS ON THE WILD SIDE.』のリリースに合わせたものであったため、過去の楽曲と『荒野』に収録された楽曲をシームレスに繋ぐ意図があったものだと思われる。実際のところ、それはほとんど成功していた。ライヴを通して3人の演奏は衒いがなく情熱的で、エネルギッシュだ。過去の代表曲"アンセム"のストレートなギター・ロックと、最新作の複雑めのリズム・パターンを持ったナンバーとが等しく受け入れられる。『荒野』においてアナログフィッシュが見せた変化に戸惑った古くからのファンもいただろうと想像するが、バンドは彼らを置き去りにするようなことはしない。瑞々しく開放的な"Na Na Na"でオーディエンスの腕を挙げさせれば、「超 得意な曲やります」と言って演奏された"平行"ではうねるベースラインとハードコアばりの荒々しい演奏で圧倒する。
 しかしそれでも、僕は『荒野』のナンバーが光っていたように思う。リズムの勇猛さが過去の楽曲よりも増しているのは、重さを持った言葉をドライヴさせるためなのは間違いないだろう。その増強されたビート感覚が、ライヴではいっそう映えていた。"PHASE"での2拍3連のスネアのリズムの逞しさに会場の熱はピークへと達し、「失う用意はある? それとも放っておく勇気はあるのかい」のキメ台詞は合唱となった。それと、改めて発見したことがいくつかあって、まずひとつは、言葉数が多く弱起や小節からはみ出すフレーズがヒップホップのフローにも近い快感を生み出していたこと。"Hybrid"でギターを置いて、マイクだけを握って歌う下岡晃の姿はヒップホップMCのようだった。そこで懸命に伝えられるのはこんなフレーズだ――「正義という名の暴力/エコにまぎれた広告」
 そしてもうひとつは、思っていたよりもコーラスが多いことだ。ツイン・ヴォーカルで佐々木健太郎と下岡晃がそれぞれ担当した歌詞の曲のリードを(主に)取るスタイルなので、曲によってフロントマンがはっきりしているかと思っていたのだが、実際はドラムの斉藤州一郎も加わってポリフォニックな「歌」になる場面が非常に多かった。そのあり方は、ちょうどフリート・フォクシーズにおいてフロントマンのロビン・ペックノールドがコーラスのいち部になるように、いまのUSインディのムードと緩やかにシンクロする部分もあるのかもしれない......というようなことを考えていたら、"確率の夜、可能性の朝"ではわざわざ指示を書いて観客に配られていた紙を使って、そこに集まった全員でのコーラス大会になった。何度かの練習の後、見事なハーモニーが生み出される......それは1月に観たザ・ナショナルのライヴにおいて、アコースティック・ナンバーがオーディエンスとの合唱で再現されたのと同じことのように僕には感じられた。ステージの上も下もない、ヒーローもリーダーもいない、「わたしたち」のハーモニー。アナログフィッシュはごく自然に、それを手に入れていた。
 ダブル・アンコール。そして、僕がその日もっとも胸を打たれたのはそこで演奏された、新曲のフォーク・バラッド"抱きしめて"だった。そう、『荒野』の楽曲は厳密には「以前」のものだった。だがこの新曲は、まぎれもなく「以後」の歌だったのだ。まだ仮のものだという歌詞を、ここに掲載するために教えてもらった。

危険があるから引っ越そう
遠いところへ引っ越そう
畑と少しの家畜をかって
危険が去るまでそこにいよう

いつまでなんて聞かないで
嫌だわなんて言わないで

ねぇどこにあるのそんな場所がこの世界に
もうここでいいから思いっきり抱きしめて  
"抱きしめて"

 それは当事者と非当事者を分けることのない、逃げ場所のない国で生きるしかないわたしたちのラヴ・ソングだった......というのは、僕の感傷に過ぎないのだろうか。わからない。けれども人称はぼやけ、素朴だが痛切な愛の歌はオーディエンスの間にゆっくりと染みこんでいった。
 社会やそこで生み出される矛盾に対する戸惑いを、アナログフィッシュは歌う。しかしそれはあくまで、日本で生きる普通の若者のひとりとしてだ。ずっと聴きたかったラヴ・ソングを聴けたような気がしたその夜の僕は、スプリングスティーンのアルバムを聴かずに眠った。

Punks On Mars - ele-king

 伊達なのか真剣なのか、おしゃれなのか天然なのか、敵対的なのか友好的なのか、たとえばアリエル・ピンクは筆者にとって真剣であり、天然であり、友好的であるのだが、パンクス・オン・マーズことライアン・ハウの音楽は何度聴いてもそこがよくわからない(むろん人間の意識という複雑性に敬意を表して補足するならば、アリエル・ピンクも部分的には伊達であり、おしゃれであり敵対的である)。実際にアリエル・ピンクと比較される彼の宅録スキゾ・ポップにはビビッドな個性と才能がありありと刻まれているのだが、どうも小骨が喉にひっかかるというか、その真意や正体がはっきりとつかみきれず、またなんとなくいやがらせというか悪意のようなものが発せられているような気もして、個人的に居心地が悪い思いで聴いていたのである。だがそのあたりのひっかかりがとあるインタヴューを目にして腑に落ちたので、昨年作ではあるが取り上げたいと思う。

 結果として「いやがらせ」のモチベーションは充分にあったということになるだろう。ライアン・ハウには昨今のローファイ礼賛といったインディ・ミュージック・シーンのムードに対する強い反発がある。自らが主宰する〈ラットガム〉からのデビュー作がカセットテープ・オンリーであったりすることをおいても「きみがそれを言うのか!?」というつっこみが避けられないほどハウ自身がみごとにローファイ・マナーのフロンティアであることは疑いをいれないが、彼が標的とするのはどうやら「チル」や「トロピカル」というタグのついたムーディな音――おおむねウォッシュト・アウトや『ライフ・オブ・レジャー』のジャケットが一夜にして築きあげたイメージを指すのだろう――であるらしい。
 「ミュージック」という単語をわざわざ「ミュー」と「シック」に分けて表記するハウは、それらを自己満足的で商業目的の「シック(sick)」な音楽としてみなしている。そこに対置させる意味合いでだろうか、彼が参照するのはパワー・ポップやグラム・ロックだ。しかし、ある特定のアーティストへの強い思い入れがあるわけではないらしく、自らはそのパロディ、風刺画と称して譲らない。ポップ・ミュージックというものが「ミュー・シック」でしかあり得ないという悲観をバネに、ならばそれをわかりやすく世の中につきつけてやろうと「グラムパンク・ミメーシス」、「ハイパー・グラム」といったあやしげな造語を振りまき、ヴィジュアルとしては80年代の消費文化を象徴するMTV的なハリボテの絢爛などをコラージュしながら、ハイテンションな音源を攻撃的に生み出しつづける......つまり彼は彼なりの仕掛けをもってチルウェイヴのエスケーピズムに突っかかっていく、インディ・ミュージック・シーンの反逆児なのだということになる。

 ローファイという録音技術史における一種の価値転倒には彼自身大きく影響を受けたようだが、それを「洗脳セット」と呼んではばからないハウは、これに対しハイファイなリアクションを起こそうという目論見を語っている。いまのところそれがどのような形で実現されているのか、耳では感知できないのだが、意図するところはわからなくもない。しかし、音を聴くかぎりではパンクス・オン・マーズにも厭世や逃避の感覚は色濃いように思われる。またベッドルームで煮詰めたようなローファイぶりやスキゾフレニックな曲構成、多動的でおちつきのないテンションとそれを沈下させるようなドリーム感なども、アリエル・ピンクはじめジェイムス・フェラーロアンノウン・モータル・オーケストラなどに通じ、結局のところチルウェイヴの表裏というか、両者は双子のように似た存在である。だとすれば近親憎悪というべきかライバル意識というべきか、ライアン・ハウのいらだちとエネルギーはチルウェイヴの知恵熱として、次のステージをひらいてくれるものなのかもしれない。そう思うと彼の作品にもわりと素直に向き合えるようになった。

 筆者が好きなのはアルバム前半の顔ともいえる"シャウト・ユア・ラングス・アウト"。華があり、目鼻立ちのくっきりとしたパワー・ポップ・チューンだ。"グラウンデッド・フォー・ライフ"もいい。手あかのついたベース・リフを楽しく再生利用している。そしてなにより彼のメロディ・メイカーとしての才能がいきいきとみずみずしく躍動している。バズコックスやエルヴィス・コステロを思わせる、わずか2分間を駆け抜けるめまぐるしくも思い出いっぱいといった卓抜なソング・ライティングは、クラウド・ナッシングスの青さをひらりとかわす。テレビのチューナーに録音機能のあるカセット・デッキを直づけして録ったような独特のサウンド・メイキングを取り去ったとしても、彼にはメロディという武器があるということを印象づけられる曲である。"タマゴッチ・パンクス・オン・セント・マークス"や"ダラー・メニュー・ドリーム"も好きで、ギターでこそないもののリアル・エステイトやウッズのギター・エクスペリメンタルに近い感触がある。ポニーテイルやダン・ディーコンのような、爆発的なエネルギーを隠し持った白昼夢ポップとも似ている。数年前にボルチモアから聴こえたものが、ミクロな形で埋め込まれているようにも思えておもしろい。

 なるべく自身の音源は自身の〈ラットガム〉からリリースしたいという思いを抱いているようだが、カセット・リリースのファースト・アルバムと本LPのほかには、ダーティ・ビーチズのアルバム・リリースでも知られる〈ズー・ミュージック〉から新録7インチ・シングル「ヘイ! ティファニー」を発表している。グレイテスト・ヒッツのドラマーとして、また本名義以前にはルーク・ペリーとしても密かな注目のあった存在だ。飽きることなくカウンター攻撃をつづけ、好事家に愛されるにとどまらず、その攻撃をより広い文脈につなげていってほしいと思う。

 無粋なことはいいたくないけれど、昨年は音楽イヴェントとNPOの関係がいやでも気になる年になってしまった。カナダではテクノのレーベルをやる場合でも国から援助が出るのは当たり前なので、あえて国からお金をもらわないでレーベルを運営することが実にクールなことになっていたりするけれど、日本にはそのような文化的インフラがないので、レーベルや赤字イヴェントを背負い込む意味がまるで違ってしまう。リスクが大きすぎるし、成功したところで金を儲けたとしかいわれないのはあまりにもヒドい。音楽を利用して金を引っ張ろうとしているNPOが横行しまくったことを思うと、商業イヴェントがどれだけ純粋なことかとムダに肩入れまでしたくなってしまう。とはいえ、ある大物ミュージシャンが援助金を受け取る前例をつくったことにまったく意味がないとも思わないので、なかなか複雑な気分ではある。ちなみにNPO法は4月から改正になります(→https://www.npo-homepage.go.jp/)。その筋の方はご注意を(笑)。

 そうしたなか、第1回目のササクレフェスティヴァルが術の穴とリパブリックの共同企画で開催された。フラグメントにとって初のインストゥルメンタル・アルバム『ナロウ・コスモス104』のレビューでも告知されていたので、新しい動きを予感した人もいたことでしょう。最初はささくれUK(https://sasakuration.com/)が主宰なんだろうと思っていたら、なんの関係もなくて、帰り道に考えていたことはロウ・エンド・セオリーの日本版になるかもしれないなーという希望的推測。あるいは、良いものを観た後で芽生えてくる捻じ曲がった欲望。ならば日本のNPOに負けない不純な動機でリポートしてみるかな(子どもの皆さん、冗談ですからね。エレキングって、難しいとかいわれるけど、実際、どれぐらい、子どもの読者なのか? ラリーサ・コンドラキ監督『トゥルース 闇の告発』とか観て泣いちゃう感じ? あれは大人でもちょっと震えるか)。

 これまで地球上で初めてセックスをしたのはサメだと思われてきたが、僕が会場に入るとほぼ同時にイーライ・ウォークスのライヴがはじまった。最初は音が小さいと感じたのも束の間、徐々にSEというか、メロディが派手になってくると、一気に存在感を増してくる。ビートは強いのにグルーヴが弱いので3曲ほど聴いていると、まだ時間が早いせいか、フロアは空いているので座って聴きたくなってくる。実際、黄色い声は飛んでいるのに、踊っている人はほとんどいない。ヒップホップ調のリズムなんだから、もう少し腰が誘われてもいいようなものだけど、むしろアンビエント・パートを儲けた方がパフォーマンス的にも説得力は上がったのではないかと。どちらかというとレコーディング向きのミュージシャンだということを確認した感じ。終わってからキリコを観ようと上の階に行ったら、偶然にも通りかかった本人に紹介されたので、(英語しか話せない日本人だと聞いていたので)「ナイス・トゥー・ミーチュー」とかなんとか。シャイな人でした。

 メイン・ステージに戻ってくると、すでに12編成のミクスチャー・バンド、画家がエネルギッシュな演奏を展開中。クラウドも一気に増えていて、誰もが華やかなムードを楽しんでいる。最近はMCが上手すぎて、それって音楽家としてはどうなのと思うことも少なくなかったけれど、画家のMCは何を言っているのかさっぱりわからなくて、それが意外と良かったり。「ライヴの予定です」といってスクリーンに大きく映し出された文字も滲んだようになっていてまったく読めなかった。ササクレフェスはVJにも力を入れているイヴェントで、すべてのフロアのすべてのパフォーマンスにVJがブッキングされ、そのセンスも千差万別。画家のライヴが終わると同時に、福島原発にレッド・カードを突きつけている男の後姿がスクリーンに映し出され、そこからチン↑ポムとホワイ・シープ?によるパフォーマンスがはじまった。観たことのある映像がほとんどだったけれど、音楽との相乗効果で、"ブラック・オブ・デス"など、思ったよりも引き込まれてしまう(いつの間にかクラウドも隙間なくフロアを埋めている)。誰かの携帯電話がスクリーンに映し出され、事細かにやり取りされているメールの内容を読んでいると、地震があり、放射能が撒き散らされた世界で踊ったり、笑ったりしていることがとても自然なことに感じられてくる。それはなかったことでもなく、改めて考えなきゃいけないことでもない。いつもと同じだけど、いつもと同じではない。いまここでしか成立しない表現だった。

 ホワイ・シープ?×チン↑ポムのラスト・ナンバー"気合100連発"からフラグメント"リクワイアード・ヴォイス"への流れは涙が出るかと思った。誰の演説を訳したものなのか、CDにもクレジットはないけれど、「人々よ失望してはならない」と大上段に振りかぶる"リクワイアード・ヴォイス"はそれこそ僕を子どもみたいな気持ちにさせてくれた。質のいい音楽がそうさせてくれたことは間違いない。フラグメントのステージは、実際、彼らのCDから想像できるよりも遥かにダイナミックで素晴らしく、腰が動いてしまうなどというレヴェルのものではなかった。ビートの差し引きから過不足なく畳み掛けられるリフレイン、さらにはあっさりと転換させるタイミングまで、クラウドは自由に操られるままに近かった。演奏が中断すると「僕らの大先輩を紹介させて下さい」というMC。誰が呼び込まれるのかと思ったら「東京ナンバーワン・ソウル・セットからビッケさん!」といわれて誰も知らない男がステージに上がってくる。呼んだ本人も「誰ですか?」を連発し、座が白けるギリギリで、ようやくビッケが姿を現した。しかし、酔っ払いすぎて3回も試みたパフォーマンスはすべて失敗。これは本当に予定になかった演出だったようで、フラグメント側が「僕らがビッケさんと知り合いだというのはカッコいいかなと思って、つい呼んでしまいました」と反省すると、ビッケも「僕もフラグメントとやったらカッコいいかなと思って、つい出てしまった」と、あまりに正直すぎて、さっきから笑い転げていた会場も度が過ぎてもはや虫の息。気がついたら「あと、1曲しかやる時間がなかった......」。

 その後、フラングメントをバックに、カクマクシャカ、さらにはシンゴ02がMCで登場する予定だったものの、約束があったので会場から離れざるを得ず、ちょっと残念なことをした。フェス全体をどうこう言うには、特定のミュージシャンだけを集中的に観てしまったので、大袈裟なことは言いにくいものの、2回目があるならもちろん足を向けたいと思っている。それにしてもフラグメントはもっと観たかった。予定時間の半分ぐらいしかやらなかった訳だし、そのうち人が押し寄せてくるのは目に見えているので、すしづめ状態になる前にフル・セットは体験しておきたい。家に帰って『ナロウ・コスモス104』を聴いても、この気持ちは収まるどころか掻き立てられるばかりだった。

Sylvester Anfang II - ele-king

 やはりホフマン先生の代物はいざという時のために取って置くべきだった。
シルヴェスター・アンファング II(Sylvester Anfang II)が2枚連続でリリースを続けたために僕は後悔した。
 自身をフューネラル・フォークと形容し、前身シルヴェスター・アンファングとして活動を開始した彼らはフレミッシュ帝国時代のアイコンとKKKのマスク、60'sホラー・ポルノをグシャグシャにしたような(野田編集長いわくエコエコアザラクのような)ドローン・ジャムを演奏してきた。いつの間にやらシルヴェスター・アンファング IIとアモン・デュール II以外連想させない改名を機に、現在のようなクラウト・ジャム・バンドへと変貌していたのだが。
 ベア・ボーン・レイ・ロウ(Bear Bones Lay Low)、イグナッツ(Ignatz)、キス・ジ・アヌス・オブ・ブラック・キャッと( Kiss the Anus of Black Cat)とともにベルギーのゲントを中心とするアーティストをフォーカスした自主制作ドキュメンタリー映画『Drone Volk』はN、HK的な作りながらも小さなコミュニティの素のミュージシャンたちを映していて、なかなかおもしろかった。劇中、中心メンバーのヘルヴェート(Hellvete)ことグレンが「すべては楽しむためにあるんだ」と言った言葉からも伺い知れるが、彼らのすべてのタブーも笑い飛ばすフリー・ジャム・コミュニティーというヒッピーの夢のような姿勢は、結成当初から現代まで一貫している。彼らの近年のヨーロッパのアンダーグラウンドにおける活躍のひとつの到達点とも言える期間限定スタジオテイク・シリーズである〈Latitude〉からのリリースは、そうそうたるメンツと比べてもまったく聴き劣りしない。

 そもそもベルギーやオランダはいったい何なんだろう。クラーク(Kraak)やウルトラ・エクゼマ(Ultra Eczema)などを中心とするエクスペリメンタルやノイズ・ミュージックといったアンダーグラウンド文化が市民権を得ているかと思わせる。近年の日本において良質なジャム・バンドが生まれてこない要因のひとつとして、規格化されたレディメイドの都市機構のなかでのバンド活動があげられるが、ヨーロッパにおけるスクワット文化はまだまだこれから僕らの国で形成されても不思議ではないだろう。地震も恐いし、そういった新たなムーヴメントが生まれることを切に望むよとボング片手にグチりながら聴いたこのレコード。
 5つの摩訶不思議ジャムは心の師であるリアリー先生の言葉とともにすべての快楽主義者に捧げられるだろう。Turn on, Tune in, Drop out.

志人 - ele-king

 それが個人の年齢的なものだったのか、時代的なものだったのか、実証的な物言いはできないが、個人の実感として、ゼロ年代を生きることは(3.11絡みを抜きにすれば)いまよりも息苦しかった気がする。なにか、人生のやり直しのきかなさを、この国の未来の暗さを、学者とメディアがグルになって社会に刷り込んでいくような、奇妙なプレッシャーを私は感じていた。これから先、どれだけ長い下り坂が待っているのか、そんなことを考えながら、私は大学の卒業を控えていた。当時、発売から数年遅れで出会った降神のセルフ・タイトル『降神』(2003/2004)における、強く内に向かう省察の言葉と、街を低高度から見渡す凍ったような観察の言葉をいまあらためて聴いていると、当時のあの実感は、もしかしたら私の個人的な錯覚よりももう少し広い規模で、社会で共有されていたのではないか、そしてもしかしたら、彼らもそうした息苦しさのなかにいたのではと、いたずらに勘ぐってしまう。

 『remix』誌(216号)を開く。志人が、ゼロ年代後期におけるアーティストとしての活動、そして人間としての生活を、ありのままに語っている。私なりに解釈すれば、志人は、現代社会の全面的/抜本的な相対化を通じて、だからこそ不可避に生じてしまう、ひとりの現代人としての巨大な自己矛盾と向き合い、自分なりの誠実な回答を持つために、少なからぬ歳月を要したのだと思う。それが放浪へと彼を誘い、実際的な農業との接触など、いわゆるエコロジーの世界へと接近させ、大量生産・大量消費・大量廃棄の文明と一定の距離を置かせたのだとすれば、"心にいつも平和を抱いて"(2011)は、ひとつの到達となったのかもしれない。ときに、現実社会の歪み、つまり、多くの人が見て見ぬふりをしている(そうすることが一人前のオトナだとされている)歪さに対して深入りしすぎなのではないかとさえ思えた、現実に対するバッド・トリップは、そこで、巨視的な理想、そして穏やかな調和によって内破されていた。

 そしていま、私は志人のカムバック・フルレンス、『Zymoltic Human ~発酵人間~』を聴いている。表題が象徴的だが、ときに険しくも大らかな、現代に彷徨える人びとに優しく語りかけるような、訓示めいた言葉がまず耳に迫る。韻は踏んでいるが、ラップしているということを聴き手に意識させない自然さがあり、それは喋るようなスタイルで意識的にラップする、というより、日常のなかで喋るくらいに自然なテンションでラップしているようで、韻踏みはさらに熟練されている。加えて、そのメッセージは、ますます確信めいた、ある境地のような場所へと近づいている......。人間である以前に、宇宙の片隅に存在する一個の生命体であろうとするミニマムな視点、そして、随所に持ち込まれる、地球や人類を憂う神の目線。宇宙の神秘、巨大な運命、生命の輪廻や平等を想い、世の不条理、人間の強欲さを責め、謙虚さを説くような語り口。そう、本作を特徴づけるのは、なにか悟りを開いたかのような、解脱という言葉さえよぎる沈潜の趣である。

 また、モントリオールの実験的ビート・グループ、Heliodromeや、Triune Godで組んだScott Da Rosらによる不穏なトラックは、ストーナー・ロックからドローン、アンビエントまでをも呑み込んだような漆黒のミニマリズムで、志人の唱えるような発声と相まって、ビート・ミュージックと宗教音楽の折衷のように聴こえる。それは一連の儀式のようだ。また、一転して最後の3曲は、あたたかくも果てるような高揚に達している。コズミックなアンビエンスの上で詩を朗読する"忘れな草~ひっそりゆっくりじっくりぐっすり~"が象徴的で、9分を超すその広大な哲学は実に控えめなトリップとなる。さらに、クラシカルな弦の響きに導かれ、志人にとてつもなく大きな愛(便宜的にこう呼ぶ)へと接近させ、柔らかいメロディをうたわせる讃歌"道~たまゆら~"、そしてラストの表題曲、まるで教理を説くような"発酵人間~回帰~"は、私たちの内面性の強度をめぐって、聴き手との濃密な一対一を要求する。それがひとつの到達であることに、疑いの余地はまるでない。
 しかし、志人の現在地に危うさを一方では感じてしまう自分もいる。冷徹なリアリズムを通過した者だからこそ、現実に拮抗するある種の理想郷を創造(想像)することを欲したのかもしれないが、そのメッセージが持つたしからしさが増していくほど、他の選択肢を排し、限定していくし、聴き手のなかでは深いコミットメントも固い拒絶も増えていくことだろう。それでも、志人はこの道を選んだのだ。おそらくは熟慮の末の選択だと思う。紙幅が迫ってきたが、筆者の現段階での理解では、志人はいま、必ずしも誰もが生活や文化を簡単に変えられるわけではないという現実的な認識に立った上で、それでも誰かと分かり合うことを望み、ちょっとした気の持ちよう、心の開きようによって世界の見方は変えられる、という、いわば自浄の領域へと向かっているように思える。これ以上の追求は哲学の領域になってしまうが、志人はなにも特別なことを要求しているわけではない。思い出せるだろうか。私たちは何も持たずに生まれ、やがて、何も持たずに去らなければならない。そう、願わくば、やわらかい心を持って生きられたら......

Chart by TRASMUNDO 2012.03.27 - ele-king

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MACKA-CHIN 揺~D.N.A~ »COMMENT GET MUSIC

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Chief Keef I Don't Like(feat.)Lil Reese 〔YouTube〕 »COMMENT GET MUSIC

Various Artists - ele-king

 今日の日本のDJカルチャーがたまに気の毒に思えるのは、大バコ中バコの多さと外国人DJの来日が多すぎるってところだ。それに準じてクラバー人口やDJの数が増加しているなら、産業的には成長していると言える。ただ、外国人DJの影に若い日本人DJの存在が霞んでしまっているきらいもあるし、円高の影響もあるのだろうが、毎週末のラインナップのあまりの豪華さに、バランスは取れているのだろうかとたまに心配になる。
 その点、僕らの時代は恵まれていた。小バコ中心だったからリスクも少なく、シーンの行方は日本人のDJとオーディエンスにかかっていた。入場料も安かったし、年功序列もなかったし、わりと簡単にシーンの人たちと知り合いになれた。自由競争が激化する前だったので、経済的にはしょぼかったけれど、DIYだったし、仲間意識が強かったし、精神的にはまあ、とにかくお気楽だったわけだ。
 外国人DJにはたしかに腕の良い連中がいる。新しいトレンドもほぼ海を渡ってやって来る。が、誇るべきシーンが自分たちになければ、そのいち部であることに強いアイデンティティなど持てやしないことも事実。およそ半世紀にもわたるUKのDJカルチャーの逞しさも、頻繁にアメリカ人やドイツ人のDJを招聘しているから生まれたわけではない。瀧見憲司はそのことを意識している少数派のひとりだ。

 〈クルーエル〉は、今日でこそクラブ・ミュージックのレーベルとして認知されているが、20年前は渋谷系と括られたジャンルの震源地のひとつで、東京のインディ・シーンの中心的なレーベルだった。カヒミ・カリィのリリースでも知られ、コーネリアスとは音楽的な同盟関係にあった。要するに瀧見憲司は今日インディ・ダンスと括られるサブジャンルの草分け的な人物で、日本ではいまだ人気のあるネオアコと呼ばれるサブジャンルの火付け役でもある。最近は嬉しいことに若い読者も増えているので、いちおう、説明しておきましょう。日本で〈クリエーション〉にもっとも近いレーベルを探すなら〈クルーエル〉かもしれない。音楽性こそ違えど、純然たるインディ・レーベルが大ヒットを飛ばしたばかりではなく、影響力も発揮したという点では同じだ。

 本作『Crue-L Cafe』は、『Post Newnow』以来2年ぶりのコンピレーション・アルバム、とはいえ前作はリミックス・シリーズの『vol.ll』だったから、新曲を中心としたコンピレーションとなると2006年の『Crue-L Future』以来となる。アルバムには、昨年発表のトラック、これから12インチでリリース予定のトラックも収められている。
 言うまでもなく〈クルーエル〉は、「ごちゃ混ぜ」という意味においても、インディ・ダンスという意味においても、そのメロウな多幸感においても、バレアリックをコンセプトにしている。そして、12インチ・シングルのスリーヴをトロトロに溶けたキャラメルのようなデザインにしてから、その快楽路線をよりいっそう強めているように思える。今作『Crue-L Cafe』もその邁進の成果ではあるが、"カフェ"を名乗るだけあって家でのんびり聴くのにはもってこいの内容だ。

 オープナーは神田朋樹による"Ride a Watersmooth Silver Stallion"。ルーカス・サンタナを彷彿させるラテン的郷愁のアコースティック・ギターとエレクトロとの心憎い融合で、早速、レーベルの洒落たセンスを披露している。続いてビーイング・ボーリング(瀧見憲司+神田朋樹)による"Love House of Love"。70年代的なエロティシズムの再解釈、テンポを落とした官能的なディスコ・トラックが展開される。
 ディスコセッションの2年ぶりの新曲だという"Manitoba"は、えもいわれぬアンビエントを展開する。これはクラブ・サウンドによる、ほとんど極楽浄土の境地と言えよう。猫のあくびのように、曲の途中からはゆるいギターが響いている。新世代を代表する〈コズ・ミー・ペイン〉のザ・ビューティも、彼らに続かんとばかりに聴きごたえのあるチルアウトを打ち出している。
 それからクリスタル、UKのティム・デラックスとア・ノイジー・ノイズ、ハウス・マネキン......らによるダンス・トラックが続く。アルバムを出したばかりのタッカーがファンキーなダウンテンポで惹きつけながらエディ・Cの温かいディスコへと繋げる。すっかり上機嫌になったところで、フランキー&神田朋樹による非凡なる穏やかさが広がる。クローザーは、クルーエル・グランド・オーケストラの"Barbarella"。60年代末のエロティックなSF映画として(そしていかにも渋谷系的な)『バーバレラ』のカヴァーだが、この曲のハウスのグルーヴからは太陽のにおいすら漂う。

 ここ1~2年の欧米のクラブ・ミュージックのモードで言えば、ダブステップ/ミニマル/フットワーク/デトロイト、あるいはフライング・ロータス以降やチルウェイヴ以降がもうほとんど一緒になって騒いでいるような感じが僕には見受けられるけれど、そこにいっさいくみしていないことも、まあ〈クルーエル〉らしいと言えばらしい。このレーベルは昔からそうした欧米のトレンドを敢えて避けてるところがあるし、自分たちのセンス、方向性に揺るぎはないと思う。たしかに、どんなにサイケデリックになったとしてもエレガントさを失わない、それはこのレーベルの最大の魅力である。僕と同世代の人間は思い出して欲しい。1995年のクルーエル・グランド・オーケストラの最初の1枚にはこう記されている。「何がリアルやねん!」「やってられない、でもやるぜ!」「とりあえず飲みますか」......連中ときたら、まったく変わっちゃいない(笑)。

PS:とはいえ、いま日本から面白い作り手が出ているのも事実で、しかしそれをフランスのレーベルにフックアップされるのもなぁ......ちょっと悔しい。

きのこ帝国 - ele-king

 女性ふたり、男性ふたりの4人組で、ステージ前方にはテレキャスターを持って歌っている女性(佐藤)、そしてカラフルな衣装に身を包んでギターを弾いている女性(あーちゃん)がいる。ナンバー・ガールを彷彿させる動きを見せるが、曲は内面の暗いドラマで張り裂けそうだ。痛ましい言葉が美しいメロディのなかでとめどなく流れてくる。「生ぬるい惰性で生活を綻ばす/ゴミ箱みたいな部屋のなかで、時が/過ぎるのをただただ待っている それだけ/眠れない夜更けに呼吸の音を聞く」"退屈しのぎ"

 きのこ帝国というくらいだからゆらゆら帝国とどこか繋がっているのか思いきや、あんなふうな笑いは......まったくない。果てしない夜のなかでぼろぼろに傷ついている。悲しみと、そう、どこまで消えない悲しみと、生死をかけているかのような、内面の葛藤が繰り広げられる。「目が覚めたらすっかり夜で/誰かに会いたくなったよ/鍵もかけずに部屋を出て/夜の、夜の、空を歩く/最近は爪も切らず/復讐もガソリン切れさ/なんにも食べたくないし/ずっと考えている」"夜が明けたら"

 きのこ帝国の演奏は、そして、潔癖性的な叙情によってリスナーをその世界に引きずり込む。ヴォーカルの佐藤は、言葉ひとつひとつを噛みしめるように丁寧に歌っている。ときおり、激しく声を張り上げる。地盤がガタガタに揺れているこの国の、信じられるものを失った世代が、豊かさとは何かを訴えているように聴こえる。
 これは、涙の領域にまでに連れていかれるような美しいソウル・ミュージックである。並はずれた情熱があり、暗い予感のすべて吐き出し、さらけ出すことによる、ある種のカタルシスがある。はっきり言えば、魂が揺さぶられる音楽なのだ。
 シューゲイザー......とも呼ばれているそうだが、もしそれをマイ・ブラッディ・ヴァレンタインやスペースメン3、スローダイヴなどの系譜と捉えるのであるのなら、きのこ帝国はシューゲイザーではない。この際言っておくが、そもそもシューゲイザーと言われる連中の音楽には、ミニマル/ドローン/ノイズからの影響がある。つまりシューゲイザーとはアンチ・ドラマで、聴覚における享楽性がある。自分でもたまに使っているので、こんなことを言うのも何だが、正直な話、シューゲイザーというターム自体が表層的で、無意味だと僕は思っている。だいたいきのこ帝国は、シューゲイザーと呼ぶには、どうにもドラマ(夢)に飢えているように思える。
 が、きのこ帝国をそう呼んでしまう人の気持ちもわからなくもない。このバンドには、ジョイ・ディヴィジョンに端を発しているような、いわゆる「重さ」が、そして同時に〈4AD〉的な、あるいはモグワイめいた耽美があり、それがナンバー・ガール的なセンス(ないしはジャックス&早川義夫)と交わっていると言える。力強い演奏力、大胆な言葉、そして魅力的ヴォーカリゼーション......夢を見たくて見たくて仕方がないことの裏返しのように聴こえる。たしかにこのバンドには、実存的な苦行へ突き進んでしまいそうな危さもある。が、マジー・スターを彷彿するような、低空飛行のなかの素晴らしい煌めきもある。おそるべきメランコリー......"退屈しのぎ"は名曲だ。

 面白いバンドが出てきた。数ヶ月後にはより多くの人間がこのバンド名を記憶するだろう。きのこ帝国のデビュー・アルバム『渦になる』は5月9日に発売される。

Himuro Yoshiteru - ele-king

 ジョセフ・ナッシングワールズ・エンド・ガールフレンドと同世代のブレイクビート・メイカーによる7作目は配信(と限定カセット)だけのリリースとなった。〈リフレックス〉や〈プラネット・ミュー〉の子分みたいなレーベルから98年にデビューし(パッケージには福岡の小さな町からやってきたごく普通の男とかなんとか書いてあった)、世界中の様々なレーベルと、日本では〈ファイル〉から4作目、〈マーダー・チャンネル〉から5作目と来て、DJオリーヴ・オイルのレーベルからは初となる(だんだんシフトが日本に寄ってきているということか)。

 ジョン・ピール・セッションにも出演していて、遊び心が豊富でジャズと高速ブレイクビーツを絡ませたら右に出る者はいないとか、海外での評価は初期の『クリアー・ウイズアウト・アイテムズ』がもっとも高いようだけれど、未聴なので、ダブステップを取り入れるようになった最近のものと比較すると、ジャズ・ベースからはじまり、全体に跳ねるようなファンク・ビートを強調した『ヒア・アンド・ゼア』とはだいぶ様相を異にし、『アワー・タウン、エニータイム』は実に思わせぶりなムードで幕を開ける。そして、半分ぐらいの曲では重い腰をゆっくりと回転させるような官能的で、簡単にいえば黒っぽいビートに突き進んでいく。もしかすると同世代のブレイクビート・メイカーたちとは接点が薄くなりつつあり、表面的な派手さもそれほどわかりやすいかたちでは出てこなくなっているので、こうなるとカール・クレイグやヨーロッパのデトロイト・フォロワーに近い部分が今後のスタイルとなっていくのかもしれない。エイフェックス・ツインとジャズというテーマは、なぜか、三毛猫ホームレスのヒロニカ秘宝感の佐藤えりかなど、日本では多発しやすいテーマなのかも知れず、あるようでなかった融合点がここでは聴くことができるのではないだろうか。もちろん、従来通りの派手なブレイクビーツも力を失っているわけではなく、ビートが与える説得力が増している結果だということで。

 アース・ノー・マッドフラグメントなど、日本のヒップホップが好調ならば、それらのビートメイカーが波に乗らないわけがなく、なぜかフランスのネット・レーベルがその辺りをコンパイル(しかも、それがそのレーベルにとって初のフィジカル・リリースとは?)。

 よくわからないけれど、ネットに上がっていた日本人の音源をフランス人があれこれと探索した結果、全17人、22曲の構成と決めたようで、その基準はよくわからない(そのうち二木信が取材してくるでしょう)。しかし、外国の耳を経由した把握の仕方はそれだけで示唆的で、まずは単純に構成力があって聴き応えがある。テンポがよく、何度も聴いてしまうし、聴くたびに発見がある......って、普通のことを書いてしまった。

 可能な限り紹介すると、スカしたオープニングに続いて冒頭からもっさりと重く響くイル・ジ・エッセンスはロー・ファイ・クォンターズの名義でもリリースがあり(未聴)、四角四面を逆手にとったようなジャジムはどこかファニーな感触がとてもいい。もっと聴きたい。『ディスコトピア』にもフィーチャーされていたブンは二木信がいま、もっとも夢中になっているルーキーで、ヒムロと同じく〈オイル・ワークス〉からもリリースがあるダイナミックな展開(全体のマスタリングも彼がやってるらしい)。イルムラと組んだアグレッシヴなラップ・ナンバーも続けて収録されている。

 バグシードはウィズ・カリファ(紙エレキング2号P99)とのあいだでひと悶着あったばかりで、簡単にいえば230万人がアクセスしたというカリファのミックス・テープ・サイトにバグシードの曲が使われていたにもかかわらず、クレジットがドープ・クチュールというL.A.のストリート・ブランドの名義となっており、当のデザイナー・ブランドも自分たちの名前が使われていることに戸惑いを感じ、ツイッターなどで、この曲はバグシードのものだと明言しているというもの(https://bmr.jp/news/detail/0000012861.html)。その後、どうなったかは知らないけれど、ここに収録されている曲はなるほどカリファが好きそうなスモーカーズ・ブレイクビート。続くブドリは大袈裟にいうとフライング・ロータスとベイシック・チャンネルを同時に聴いているような質感がかなりよく、アルバムはないのかなーと検索をかけたら、近所にある喫茶店が出てきた(は!)。いまとなっては少し懐かしいカット・アップ・スタイルを聴かせるリピート・パターンによるリミックスも収録され、ブンによるリピート・パターンのリミックスもなんといっていいのかわからない奇妙な仕上がり。

 マインド・タッチによるモンド風の小品が折り返し地点を明確にし、このなかでは唯一、フルで(これもまた〈オイル・ワークス〉からの)アルバムを聴いたことがあるイチロー.も、同じような意味で変わった感覚を楽しませてくれる(この人はヘン!)。RLPが少しとぼけた風味を出したと思ったら、一転して、AZによる重いけれど明るく爽快なビートへと続き、クロージング・トラックは、このところダブステップにスタイルを変えたというKKによる濃密なダーク・ファンタジー。なんという充実作だろうか。

 ここには日本だから......という感じはまったくない。最近でいえば、L.A.の『ロウ・エンド・セオリー・ジャパン・コンピレイション 2012』やデトロイトの『ビッグ3』とも互角だし、勝っている部分だってあると思える。それこそ同じフランスでTTCやラ・コウションなどを集めたアンダーグラウンド・ヒップ・ホップのコンピレイション『プロジェット・ケイオス』が11年前にリリースされた時、何かが起きるのではないかとそわそわしてしまったことを思い出してしまった。

 そわそわ、そわそわ......

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