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Sei A - Frozen Flower(Youandewan Remix) - Turbo |
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Oak - Bedroom Community - Space Cadets |
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The 7th Plain - Shades Amaze(Album edit) - General Production |
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Hubble - Sand - Haknam |
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John Beltran - Soft Summer - Peacefrog |
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Dwig - You - Giegling |
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Gorje Hewek & Izhevski - Aureol - Pro-tez |
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James Ruskin - Lahaine(O/V/R Remix) - Tresor |
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Tar-Tar - All Alone - Dub Restaurant Communication |
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Roman Flugel - Sunny Side Up - Dial |
アマゾン出身の謎の覆面ミュージシャンという当初のコンセプトは、やっぱり覆面着けてライブするのは面倒だからという理由でいつの間にか何処へやら。ハイウルフ(High Wolf)ことマックス・プリモルトとは一昨年、昨年と(そしておそらく今年も......)何の因果か、ツアーの日々を共ともに過ごしているので、近年の彼のライヴ・パフォーマンスにおける成長は誰よりも近くで(近過ぎるよ)見てきた。2010年に彼が日本に訪れた際、サポート・バンドとして借りだたされ、多くのジャムを楽しんだものの、果たしてハイウルフはこれでいいのだろうかと疑問が残った。
2011年のアメリカ・ツアーを一緒にやったとき、ロスのランドスライドという高台にあるスケート・パークで僕らの前に彼が当時サン・アロー・バンドのメンバーであったバーレットとディープ・マジックのアレックスという同じような即席バンド・セットで演奏しているのを見て、その疑問は確信へと変わった。こりゃダメだ。演奏終了後に近隣住民からの騒音の苦情により駆けつけたロス市警により主催者が罰金を課せられたため、トリであった僕のバンドの演奏は中止、僕のやり場のない怒りはマックスへ向けられた。毎回、サポート・メンバーの演奏に振り回されているハイウルフは見るに耐えない、ハイウルフとしてのオリジナリティがまったく出ていないじゃないかと言う僕にマックスはしかめっ面していた。
〈NNF〉周辺の多くのベッドルーム・ミュージシャンはときにライヴ・パフォーマンスが得意ではない。かつてはヒップホップに傾倒していたマックスもトラックメイカーとしての優れたバックグラウンドを持つものの、ライヴではいまだ発展途上であることを自覚していたのか、このときの僕の八つ当たりを彼はシリアスに受け止めたようで、残りのスケジュールでのライブヴをすべてソロ・セットに変更した。僕はまったく意図していなかったが、これは吉と出て、それはなかなか素晴らしいものだった。もちろん、僕も新たな仲間とのセッションは格別である事は充分承知しているが、それがオーディエンスと共有できるとは限らない。本来それは優れたスキルと百戦錬磨の経験に裏打ちされるものであることが多い。
アナプルナ・イリュージョン(Annapurna illusion)はハイウルフの無国籍ハルモニア・ロックとは異なるマックスのダークサイドであり、彼が愛して止まない初期アース(Earth)等などの影響を受けたサウンドはアマゾンの密林で夜を過ごす探検家の悪夢だ。余談だが、ロスからテキサスまでの地獄のドライブ中、ジョイントはなくとも永遠変わらぬ砂漠の風景、トラッカーズ・ピルと不味いコーヒーで無理矢理覚醒状態にしている疲労困憊な僕の状態と最高のシチュエーションで一緒に聴いたアースの3rdはマジで危なかった(運転が)。
この音源のハイライトは、昨年のハイウルフのヨーロッパ・ツアーで彼がベルギーを訪れた際、僕らの共通の友人でもあるシルヴェスター・アンファングII(Sylvester Anfang II)としても活動するヘルヴェット(Hellvete)ことグレンとのコラボレーション、『アナプルナ・ヘルヴィジョン』だ。お気づきの方のいらっしゃるだろうが"ヘルヴェット"はメイヘムのユーロニモスが営んでいたデス・ライク・サイレンスの拠点であるレコード・ショップから拝借しているのだろう(本当はHelveteである)。同じくシルヴェスター・アンファングIIのウィリアムが、マーチテーブルでネクロ・ブラック・メタルだと勘違いして僕らの音源を買っていく連中が家に帰ってから失望するのを想像すると可笑しくって溜まらないと言っていたが、僕はそんな彼らの最高に捻くれたセンスが大好きだ。
ヘルヴェットは近年、よりミニマルなドローンに傾倒しているらしく、クラーク(KRAAK)よりリリースされていたレコードで聴ける彼の素晴らしいバンジョーがないのは少々残念でもあるが、そのラーガ調のドローンでマックスの描く悪夢をより禍々しいものに仕立てあげている。
マックスはあれ以来、ライヴはソロ・セットでこなしているようで、おそらくこの音源はレコーディングという大義名分をかざしグレンの家にしばらく転がり込んでいたのだろう。絶対マックスにたかられたであろうグレンには同情するよ。でも不思議に、マックスは何処か絶対憎めないキャラで、これこそが彼の本当の才能であり、ゆえにロクに金を持たずとも世界中を放浪出来るのである。より多くのツアーを経て成長した彼の演奏を見るのが楽しみだ。
以前、〈グループ・タイテナー(Group Tightener)〉からリリースされたアナプルナ・イリュージョン/ハイウルフのレコードのアートワークを手掛けた際に、これはどう考えてもスプリットじゃないだろう、両方お前じゃねーかという僕の意見に断固これはスプリットであると言い張っていた。マックス、お前マジで最高だよ。
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Onomono
Onomono_ep_0506
(onomono.jp /12inch) /
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MM/KM aka Mix Mup/Kassem Mosse
6 Track Mini LP
(The Trilogy Tapes/lp) /
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Vinalog
Lost Patterns
(Relative /12inch) /
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Infiniti aka Juan Atkins
The Remixes - Part 1
(Tresor /12inch) /
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BMG & Derek Plaslaiko
Is Your Mother Home?
(Interdimensional Transmissions /12inch) /
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Tom Trago
Use Me Again
(Rush Hour /12inch) /
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Idjut Boys
One For Kenny
(Smalltown Supersound /12inch) /
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Pepe Bradock
Imbroglios 1/4
(Atavisme /12inch) /
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V.A
I'M Starting To Feel Okay Vol. 5 Pt. 1
(Endless Flight /12inch) /
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Madteo / Shake Shakir
Kassem Mosse / Marcellus Pittman Rmx
(Meakusma /12inch) /
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昨日野田さんにいわれて、『あべのぼる LAST LIVE~何も考えない』のレヴューを書こうと、視聴盤をセットしてスタートボタンを押した瞬間、ケータイが鳴った。山本精一さんからだった。まちがい電話だった。別のひとにかけるつもりが私にかかったようである。スピーカーからは、MCにつづき、"アスホール・ブルース"がAZUMIさんのスローハンドのギター伴奏とともにはじまり、山本さんの枯淡のエイトビートがからみつくと、しばらくして主役のあべのぼる氏は「お尻の穴が きれいに 光ってる」と歌い出した。2度の繰り返し。たがいに交信しチャンネルを合わせるような演奏をかすかな緊張感が覆っている。山本さんに「いま、この前出たあべのぼるさんのCDを聴いてますよ」といったら、「だからかもしれんね」と答えられた。
2010年8月14日難波ベアーズ。この顔合わせで演奏はあべのぼるが(ここから本題に入るので敬称は略します)はじめてベアーズに登場したこの年のちょうど1年前につづき2度目ということだ。ライヴを企画した豊田道倫――彼はこの音源の録音者でもある――はこう記している。
「当日、あべさんは、前年と違って体調が悪そうで楽屋であまり動かなかったが、金麦をチビチビと飲んで、本番前は黒ラベルを飲んでいた。出番直前に髪を濡らして上げて、サングラスを掛けていた」
そのそぶりを感じさせないほど、いや、体調の悪さをふりはらうように、早川義夫のバラード"この世で一番キレイなもの"は坂道をのぼるようなアップテンポのロックンロールでカヴァーされ、息があがりつつも、"三百六十五歩のマーチ"を本歌取りした次曲"オーイオイ"の飄々とした味わいをいやまし、終わるころにはベアーズは三人の磁場に引きこまれている。"夜が短い"以降は独壇場である。AZUMI作曲、あべ作詞のこの曲の諦念と問いかけと憫笑と怒り、あべが福岡風太とともに長年関わってきた野外コンサート〈春一番〉の会場があったあべの生地を歌った"天王寺"のこのトリオでしか出せないブルース・フィーリング。その絶妙な脱力、ユーモアは情が深い反面、手ざわりは乾いている。それを被服をまとうことなく舞台の上で転がすすごみ。それらが塊になっている。1950年生まれだから、この年還暦を迎えるはずだった。その年輪のもたらすものだろうか? それもあるだろう。
あべのぼるは1950年、大阪天王寺に生まれた。東京に出て、新宿のピットインで、まずジャズからこの世界に足をふみいれた。当時のことを、あべのぼるは1972年の第2回〈春一番コンサート〉をほぼ完全収録した〈風都市〉から「自主制作」名目で出したLP10枚組『一九七二 春一番』の復刻盤のブックレットに阿部登としてコメントを寄せている。
「七二年はぁ、オレは『春一番』まだやってないねん。
最初のこの世界に入ったのは新宿のピットインやったんやけど、そのころ、風太と知り合うたんやな。オレは山下洋輔さんのマネージャーやっとって、東京に住んでてな、月に一回、大阪に行っとった。インタープレイハチが、当時、山下さんをいつも赤字覚悟で呼んでくれてたわけやな。こっちはものすごい汚い新宿のカッコしてて、大阪にはおらへんそんなやつ。七一年は、箱根のアフロディーテでのピンク・フロイドのコンサートに、山下さんが出た、パフィ・セメントリーも出たやつ、その次の日が中津川のフォークジャンボリーや。そこに関西弁が聞こえた、それが風太。(中略)そうこうしているうちに、東京帰ってピットインにいたら、風太が来て、「大阪帰ってこい、帰ってこい」て言うたんや」
山下洋輔と〈風都市〉に移籍していた阿部登は福岡風太の呼びかけに応じて大阪に戻り、大塚まさじが店主だったなんば元町のコーヒーハウス「ディラン」を拠点に〈春一番〉にかかわりはじめる。70年代はじめ。71年の第1回から翌年、出演者が関西フォークから〈風都市〉のはつぴいえんどやはちみつぱいまで、グッと広がったのは人的交流の反映だったのだろう。その後、阿部登はザ・ディラン・やソー・バッド・レヴューのマネージャーをつとめ、ついで現在のインディレーベルのさきがけとなる〈オレンジ・レコード〉を設立。2000年代にはいり、昭和歌謡をブームとはちがう位相でディープに体現した大西ユカリのマネジメントを手がけたのも記憶にあたらしい。阿部登はミュージシャン、あべのぼるとしても2008年にマジック・アニマルズとともに『Magic ANIMALS』(アジアレコード)を発表している。年の離れた盟友、AZUMIはバンドの一員としてあべのぼるをそのときからすでに支えていた。ふたりはおなじ〈アジアレコード〉から"牛ふたり"名義で『オーイオイLive in 白頭山/LIVE「キラーストリング」』もだした。
「白頭山」とは仙台の焼き肉屋で、私は余談だが学生のころよくいった。バンドで打ち上げて、二次会か三次会ともなるとだいたいここだったし、友人連れなら二軒か三軒目。できあがっていることが多かったから記憶はさだかでない。たしか一番町のアーケードを市役所へ歩いて、きりのいいところで右に折れたところ、浮世風呂という浮世ばなれしたソープのネオン看板が目印だったが、あの店はまだあるのか。吉原ナイズされた和文調というよりも相撲字みたいな看板で、店にはいって女の子が相撲とりみたいだったらやるせないよな、いや、かえってすがすがしいかもな、と友人と真剣に語り合ったものだが、金のない学生は劣情を肉とともにビールでのみくだすのがせいぜいだった。しゃべることは尽きて、やることもないからビールを口移ししたらビールはどこまでビールの味でいられるものか、男どうしでAKBの「ぷっちょ」のCMどころではない下品な行為に血道をあげ、酔態をさらして、オバちゃんをあきれさせたのも遠い過去だ。
いうまでもないがときはすぎる。
ライヴ盤のよさは、去ろうとする時間をとじこめ、まわりつづけることだ。録音物のよさは、といいかえてもいい。何ものにもかえがたい。
2010年6月6日の白頭山のライヴであべのぼるはわりかし早い段階で呂律があやしくなっている。飲み屋だからさもありなんだが、千鳥足の歌が音楽を夜が白むところまで、知らない場所へ運んでいく。だいいち呂律がまわるだけのクダラナイ歌などこの浮き世には掃いて捨てるほどある。それから2ヶ月後のベアーズの演奏は、絞りだすというよりも吐きだした浅い息がそのまま歌になり、ブレスとビートとフレーズの隙間には、生の側から死を直視し、免れ得ないと知ってはいてもその暴力に立ち向かざるを得ない怒りさえこもっているようにさえ聞こえる。そう書いて、敗北主義の甘さがあふれそうになるが、あべのぼる、AZUMI、山本精一の演奏はそれを許さない背中を焼くような集中がある。豊田道倫が録った音源が後半からオーヴァーレヴェル気味になって音が割れるのがまるで気迫にうながされているようである。そして40分にみたないこのライヴ盤は、玄界灘をはさんで向かい合った半島と島国をひとつの視座におさめた"パランパラン""アンソアンソどこにいる"からあべのぼるが生前最後に残した"何も考えない"にのぼりつめる。これは消失点だが、音盤に刻まれた歌はそこにもぐりこんだ生とともに何度もまわりつづける。あべのぼるは浮世を去ったにすぎない。
今年も数日後には春一番が吹くようである。
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Boddika & Joy O - Mercy - Sunklowun |
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Yacht - I Walked Alone (Jacques Renault Remix) (Instrumental) - DFA |
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Holy Ghost! - It's Not Over (Dimitri From Paris EroDiscoMix) - DFA |
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嫁入りランド - 嫁っこの平日 - (レーベルなし) |
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Andres - New For U - La Vida |
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The Layabouts feat. Portia Monique - Do Better (The Layabouts Vocal Mix) - Reel People Music |
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Pete Herbert & Golden Fleece - Ivory Waves - Space Walker |
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F3 - Lonely Land - Modular |
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Nicholas - Love Message - Home Taping Is Killing Music |
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きゃりーぱみゅぱみゅ - ちょうどいいの(extended mix) - ワーナーミュージック・ジャパン |
クラシック大国のドイツにはオペラを巧みに使ったヒップホップもあったりするけれど、鹿児島からデビュー作が届いたオウル・ビーツ(=フクロウ叩き?)にもそれなりにクラシックの素養があるようで、のっけから不況和音が雨あられと注ぎ、意外な高音の面白さにまずは耳を奪われた(実はオールド・マシーンと間違えて買った。でも、正解ネというパターン)。そればかりではもちろんなく、ビートの組み合わせだけで構成された"コールド・ウォルツ"や"リリース・マイセルフ"など、全体にチャンジングなつくりは「いい傾向」である。ブン、フラグメント、イーライ・ウォークス、RLP、AZ、EeMu......と、毎週のように気になる人が増えていく。
18曲中5曲にラップが入っていて、最初に出てくるラップが日本ではよくあるフテくされたようなフローなので期待を殺ぐけれど、続いて、よくこんな曲にラップがのるなーと思った"タイム・レス"とか、初期のK・ザ・アイ???を思わせるフリー・ジャズ風のピアノを使った"ターゲットA"はラップもオル・ダーティ・バスタードばりで最終的には全部納得。エイフェックス・ツインとスクエアプッシャーが新たにスタートさせたと噂されているドリルン・ベースのユニット、ステインヴォルドに勝るとも劣らない"オウビーツ・イルビーツ"や、とくに"ストップレス"などビートに対する感性だけでなく、インプロヴァイゼイション的なモードを染み渡らせる"58ストーリー"や"P.D.タイム"との対比も効果的で、日本人にしては非常に体力のあるデビュー作になったのではないだろうか。
ちなみに最近の若者は酒離れしているという話を聞くのに、スラックにもシミ・ラボにも、そして、ここでも大酒飲んで......みたいな曲があるのは、もしかしてヒップホップって最近の若者を代表してないのかなー。それとも、そのすべてがECDへの果たし状なのかw。
同じくヒップホップという枠組みのなかで、さらに自由にやっていると感じさせたのがリー・バノンのデビュー作で、LAならぬカリフォルニアはサクラメントからフリー・ザ・ロボッツに続いてのエントリー。
ここでいう「自由」の多くは、おそらくジャズに由来するもので、走り出すドラミングを殺してしまうようなテンポでスネアを絡ませたかと思うと、転調を超えて曲自体がフィールド・レコーディングにすり替わったり、俗っぽいラウンジやサーフ・ロック(『ファンタスティック・プラスティック』ですからね)に流れて、いきなりラップに戻ったりする流れの軽妙さは、リズムの巧みさもあって、前衛的には聴こえないところがスゴいというかなんというか。たっぷりと聴かせるところは聴かせるし、相乗的にカット・インの効果を高め、なんか、自由自在です。ヒップホップとジャズをどうのという課題を持っている人はこういうことをやったらいいんじゃないでしょうか。つーか、フライング・ロータスが開けた扉は途方もなくデカかったということかも。それこそフライング・ロータスのモンド・ヴァージョンでしょう。
これまでにビートを提供してきた縁もあり、デル・ザ・ファンキー・ホモサピアンやインスペクタデックほかが参加。アナログはホワイト盤、CDは3曲プラスで、このボーナス・トラックがまた侮れない。
午後5時半、曇の日の弱い光が臨済宗のお寺の本堂の障子越しからぼやっとはいってくる。畳の上の黒い影になった100人ほどの人たちは、本陣をぐるりと囲んでいる。竜が描かれている天井の隅にある弱い電灯が照らされているアメリカのポートランドからやって来た女性は、980円ほどで売られているようなカセットテレコが数台突っ込まれたアナログ・ミキサーのフェーダーを操作しながら、膝に抱えたギターを鳴らし、歌っている。時折彼女は、テレコのなかのカセットテープを入れ替える。そのときの「がちゃ」という音は、彼女の演奏する音楽よりも音量が大きいかもしれない。本陣の左右、ミキサーの前にふたつ、そして本堂のいちばん隅の左右にもスピーカーがある。その素晴らしく高性能なPAから流れるのは控えめだが耳と精神をを虜にする音......この風景の脈絡のなさは禅的とも言えるだろう。が、たしか我々は、その日の昼の1時からはじまったライヴにおいて、ある種の問答のなかにいた。我々はなぜ音楽を聴くのだろうか......そして、ここには禅的な答えがある。聴きたいから聴くのだ。聴いたら救われるとか、気持ちよくなるとか、自己肯定できるとか、自己啓発とか、頭良くなるとか、嬉しくなるとか、とにかくそうした期待があって聴くのではない。ただ聴きたいからただ聴く。そう、只管打坐である。
禅宗は、欧米のオルタナティヴな文化においてつねに大きな影響のひとつとしてある。ヒッピー、フルクサス、ミニマル・ミュージック、あるいはレナード・コーエン......僕が好きな禅僧は一休宗純だ。戒律をやぶりまくり、生涯セックスし続けた風狂なる精神は、日本におけるアナキストの姿だと思っている。まあ、それはともかく、僕は会場である養源寺に到着するまでずいぶんと迷った。1時間もあれば着くだろうと高をくくって家を11時半に出たのだけれど、会場は商業音楽施設ではない。結局、こういときはiphoneなどのようなインチキな道具は役に立たず、八百屋の人やお店の人に尋ねるのがいちばん正確に場所に着ける。ふたり、3人と訊いて、ようやく僕は辿り着けた。
谷中、そして団子坂を往復しながら、着いたのはYusukeDateのライヴの途中だった。1時を少し過ぎたばかりだと言うのに、本堂の1/3は人で埋まっていた。
YusukeDateの弾き語りは、アンビエント・フォークと呼ぶに相応しいものだった。アンビエント・フォーク? 安易な言葉に思われるかもしれないが、歌は意味を捨て音となり、ギターは伴奏ではなく音となる。それは、ここ数年のフォークの新しい感性に思える。僕は畳に座りながら、少しずつその場のアトモスフィアにチューニングして、そして次のenのライヴのときにはほぼ完璧にチューニングできた。〈ルート・ストラタ〉を拠点にするふたりのアメリカ人によるこのプロジェクトは、ひとりが日本語が堪能で、日本語の軽い挨拶からはじまった。
enのひとりは日本の琴の前に座り、もうひとりは経机の上のミキサーの前に座っている。いくつかのギターのエフェクター、そしてミキサーの上には数台のカセットテレコが見える。琴の音が響くなか、無調の音響が広がる。畳の上には子連れの姿も見え、子供はすやすやと眠っている。曲の後半では、カセットテレコを揺さぶり、音の揺れを創出する(なるほど、だ)。また、カセットテレコについたピッチコントロールを動かしながら、変化を与え、曲のクライマックスへと展開する。
セットチェンジのあいだ、僕は本堂の下の階で飲み物を売っている金太郎姿の青年からビールを買って、次に備える。1杯300円のビールは良心的な価格......なんてものではない。この日のコンサートへの愛、音楽集会への愛を感じる。
次に出てきたILLUHAは、今回の主宰者というかキューレター的な役目の、伊達伯欣とコーリー・フラーのふたりによるユニットで、すでにアルバムを出している。伊達は、古い、捨てられていたという足踏みオルガンの前に座って、フラーはギターを抱えながら、ミキサーの前に鎮座する。ミュージック・コクレートすなわち具体音──このときはドアがきしむ音だったが──が静寂のなかを流れると、ILLUHAのライヴはゆっくりをはじまる。オルガンの音が重なり、やがて、完璧なドローンへと展開する。
enとも似ているが、具体音を活かしたパフォーマンスは彼らのそのときの面白さで、そしてメロウなギターの残響音そしてハウリングは、ドローンはラ・モンテ・ヤング的な瞑想状態を今日的な電子のさざ波、グラハム・ランブキンらの漂流のなかへとつないでいる。
enのライヴにも感じたことだが、ひと昔前(IDMから発展した頃)のドローンは、猫背の男がノートパソコンを睨めているような、お決まりのパターンだった。が、この日はenもILLUHAもアナログ・ミキサーを使い、そして、パソコンもどこかで使っていたのかしれないが、ついついiPadを表に出してしまうような味気ないものとは違っていた。デジタルやソフトウェアに頼らず、そしてアイデアでもって演奏する姿は、これからのアンビエント/ドローンにおいてひとつの基準になるかもしれない。
また、こうした「静けさ」を主張する音楽において、ほとんど満員と言えるほどの若いリスナーが集まったことは注目に値する。「ライヴ中に寝てしまったよ」とは通常のライヴにおけるけなし言葉だが、この日のライヴにおいては「眠たくなる」ことは賞賛の言葉だった。本堂という木の建造物における音の響き、畳の上での音楽体験という環境や条件も、この新しいアンビエントの魅力を浮彫にしていた。
青葉市子は、その評判が納得できる演奏、そして佇まいだった。本堂の障子の外から子供の泣き声が聞こえると、彼女はその"音"を聞き逃さず、「あ、泣いている」と言う。その瞬間、我々は、そこでジョン・ケージのその場で聞こえる音も音楽であるというコンセプトを思い出す。彼女は、オーソドックスなフォーク・スタイルだが、しかし、彼女の素晴らしいフィンガー・ピッキングによる音色は、音としての豊かさを思わせる。曲が終わるごとに、まだ20歳そこそこの若い彼女は、「足を伸ばしたり、リラックスして聴いてくださいね」とか「空気入れ替えませんか」とか、気遣いを見せながら、「こういう手作りのコンサートでいいですね」と素朴な感想を言った。その通りだと僕も思った。
リズ・ハリス(グルーパー)は、大前机の上の、でっかいアナログ・ミキサーの前にテレキャスターを持って胡床に座った。黒いパーカー、黒いジーンズ、そして足下にはペダル、エフェクター(ボーズのディレイ、オーヴァードライヴなど)がある。それまで出演してきた誰とも違って、何の挨拶もなく、何台かのテレコに何本かのカセットテープを入れ、それぞれ音を出す。リハーサルかと思いきや、音は終わらず、そのまま、いつの間にか、彼女の曇りガラスのような独特の音響が本堂のなかを包み込む。前触れもなく、それははじまっていた。
マニュピレートされたテープ音楽が流れるなか、彼女はギターを弾いて、音をサンプリング・ループさせ、歌とも言えない歌を重ねる。ギターの残響音をループさせると、彼女はギターを置いて、そしてテープを入れ替え、ミキシングに集中する。いつからはじまり、そしていつ終わったのかわからないようにリズ・ハリスは音量をゆっくり下げる......。しばし沈黙。マイクに近づき、たったひと言「サンクス」(それがこの日、公に彼女が話した唯一の言葉だった)......大きな拍手。
この日のライヴは、この賑やかな東京においては、本当に小さなものなのだろう。ハイプとは1万光年離れたささやかな音楽会だ。が、このささやかさには、滅多お目にかかれない豊かな静穏があった。そして、いま、音楽シーンにもっとも求めらていることが凝縮されていたように思えた。300円のビール、美味しい!
この日は、2000円で、お客さんをふくめ誰でも参加自由な打ち上げもあった。青葉市子さんは、自ら率先して、料理を運んでいた(若いのにしっかりした方だ)。こうした音楽集会のあり方は、最初期のクラブ/レイヴ・カルチャーを思わせる。
なお、グルーパーは、日本横断中。名古屋~京都~金沢、そして都内では4/30に原宿の〈VACANT〉でもある。その日は、CuusheやSapphire Slowsも出演。たぶん、まだ間に合うよ。
最後に、蛇足ながら、ライヴが終了後、リズ・ハリスに30分ほど取材することができました。結果は、次号の紙ele-kingで。
ローレル・ハローは、最近〈ハイパーダブ〉(ダブステップの知性派レーベル)で歌ったそうだが、彼女はその前は、OPNのチルウェイヴ・プロジェクトのゲームスで歌い、それから〈ヒッポス・イン・タンクス〉や〈RVNG Intl〉から作品を出しているので、コズ・ミー・ペインの連中ならほぼすべて網羅しているだろう。ハローが、ミシガン大学に通っていたときのクラスメートにはジュリア・ホルターがいた。
ジュリア・ホルターはいまときの人だ。彼女のセカンド・アルバム『エクスタシス』の評判が電子空間のそこらじゅうから聞こえてくる。ケイト・ブッシュとジュリアナ・バーウィック、エンヤとジョアンナ・ニューサム、そしてローリー・アンダーソンとナイト・ジュウェルが同じ部屋で歌い、録音し、ミキシングしたら......つまり少々オペラに少々IDM的なアプローチの入ったベッドルーム・ポップ、それがジュリア・ホルターだ。ロサンジェルス在住の27歳の音楽の非常勤講師は、宅録時代の才女、現代的シンガー・ソングライターというわけだ。
このように書いたからと言って、パティ・スミスやアリ・アップとは対岸にいる高慢ちきな女を想像してはいけない。たしかに向こうのメディがあまりにも「神童(wunderkind)」だとか「アカデミック」だとか言うし(彼女の母が大学教授であるとか)、で、実際彼女のデビュー・アルバム『トラジェディ』は三田格をはじめとするコアなリスナーが目を見張らしているロサンジェルスの実験派を代表する〈Leaving〉から出ているので(三田格によればその〈Leaving〉で売れたってことがすごい、そうです)、まあとにかく、聴く前から先入観を抱いてしまいがちなのだけれど、『エクスタシス』は『トラジェディ』と比較するまでもなく、ポップ・アルバムだ。ナイト・ジュウェルが参加し、そしてアリエル・ピンクのメンバーも参加している。これで少し安心するでしょう。
が、しかし、これは素人のローファイではない。パンダ・ベアの声の重ね方よりも巧妙な録音、構成、緻密に作り込まれた......、そう、良い意味で敷居の高い音楽。グルーパーがやっていたことを――まあ、良い意味で――エレガントにしたような音楽だ。彼女は言うなれば、ナイト・ジュウェルとジュリアナ・バーウィックの溝を埋める人である。
ホルターは明らかに、音楽作品、音楽芸術の今日的な価値を問うている。
1曲目の"マリエンバード"はキャッチーな曲だが、"我々の不幸(Our Sorrows)""同じ部屋で(In the Same Room)""月の少年(Boy in the Moon)"などを聴いたら、――これは決して良い喩えではないが――アニマル・コレクティヴが幼児だとしたらこちらは大学生だと橋元優歩でさえも思わざる得ないんじゃないだろう。声楽風に声が重なり、さまざまな角度からさまざまな電子音が鳴っているというのに、音に隙間すなわちスペースがある。
"毛皮のフェリクス(Fur Felix)"、ヴォコーダーを使った"女神の瞳・I(Goddess Eyes I)"ではポップスを試みる。シンセ・ポップスだが、80年代の引用ではない。"女神の瞳・II(Goddess Eyes II)"ではしっかりとした、そして押しつけがましくないベースを使いこなしている。"4つの庭(Four Gardens)"におけるジャズとオペラとダブの混合も悪くはない。さしずめ天空のドリーム・ポップといったところだろう。
『エクスタシス』は、音楽がノスタルジックになるか、あるいはネット時代のポスト・マス社会における素人の氾濫のなかでその価値が相対化されつつあるいま、あらためて美を、そして音楽の進展を主張しているようだ。これはそうした予兆を感じるエレガントなアヴァン・ポップだが、本作が神童の最高作たりえるとはまだ思えない。なによりも慎重すぎる。彼女がベッドルームから出るとき、本物の傑作は生まれるかもしれないが、それでもこれは良いアルバムだ。
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