「Nothing」と一致するもの

vol.39:ジュリア・ホルター in N.Y. - ele-king

 LAのジュリア・ホルターがNYでショーをおこなった。
 最初にショーの知らせを聞いたときは、シガーロスのオープニングとのことだったので、シガー・ロスとジュリア・ホルターなんて素敵な組み合わせとぬか喜びしたのだが、この日程はウエスト・コーストのみで、NYはハンドレッド・ウォーターズ、サイレント・ドレープ・ランナーズというバンドが対バンだった。その週には『ニューヨーカー・マガジン』が、今週のナイトライフ欄に「彼女の浮遊感漂う歌を」と素敵なドローイングを掲載した

 ショーの2、3日前には、新しいヴィデオ"Goddess Eyes"が公開されてる

 期待が高まる、レイバー・ディのロング・ウィークエンドの金曜日の夜、バワリー・ボールルームは、たくさんの人で溢れていた。ふだんよく行く、ショーのオーディエンスとは違い、パーク・スロープやクイーンズ、アッパー・イーストサイドなどに住んでいそうな、インテリで、読書が趣味のタイプが多いように感じる。男の子やゲイも多そうだ。

 ステージ部屋に行くと、オープニングのハンドレッド・ウォーターズがプレイ中。クラリネットやホーンを使って、低音ビート震えるようなヴォーカルが特徴のアート色の強いバンドで、最近スクリレックスのレーベル〈OWSLA〉と契約したばかり。ジュリア・ホルターとはツアーメイトだ。
 地下のバーで、〈RVNG INTL〉のマットに会う。ジュリアナ・バーウィックと一緒に来ていたので、彼女も掲載されている『エレキング・ブック』を渡す。
 ジュリアナ・バーウィックはブルックリン在住。音楽の印象と違い、とても気さくで親近感が沸いた。〈RVNG INTL〉のマットは、著者が以前コンタクトから出していたコンピレーションCDに参加してくれていて(vol.16 ノースイースト)、何度か会っていることも発覚。インディ・ミュージックの世界は狭いのだ。

 ジュリア・ホルターは、スパンコールのミニスカート(木星柄)、黒の外腕部分が広く開いたディテールの凝ったカットソーで登場、にっこりと笑って挨拶する。オープニングは"Our Sorrows"。
 彼女はとても美しい女性で、ステージに立つだけでも華がある。編成は、彼女がキーボードと歌。クラシカルなチェロ・プレイヤーとコーラスも務めるジャジーなドラマーのトリオ。バスドラの上にトライアングルがちょこんと乗っていた。

 彼女は、優しく語りかけるように、ときには恐ろしげに、そして一貫して夢のなかにいるような浮遊感を漂わせる。歌声には深みがあり、クリアで水滴が落ちるように張りがある。多重にリヴァーブをかけた歌は、決してランダムではなく、注意深く構造されている。エスケーピズムというよりは、もはや音楽治療と言えそうだ。
 それは彼女の表情を見ながらが聴いていると、さらに効果的だった。少しはにかんだ笑顔は、フェアリー・ファーナシスのエレノア嬢に似ていた。キーボードとチェロ、ドラムという構成は、厳かな神聖さを醸し出す。

 最新アルバム『Ekstasis』からの曲がほとんどで、アンコールは、カセットでリリースされた「ライヴ・レコーディングス」から"Sea called me Home"。「みんな口笛ふける?」と観客に聞いたこの曲は、その晩のハイライトだった。けだるい朝のポップ・ミュージックのようだったが、彼女の表情も生き生きしている。お客さんの反応も特別だった。

 今回のショーで新鮮だったのは、アヴァンギャルドとベッドルームポップ、クラシック音楽などがしっかり融合していることだ。しかも、カテゴライズしづらい彼女の音楽を見にきていたのが、勉学に励んでいる学生風だったり、身なりの良い老紳士だったり、音楽好きのゲイ男子だったり、いずれも、このショーでないとクロスしない層だったことだ。彼女の音楽のボーダレス性を感じた。
 LAという暖かいレイドバックな地域性がそれに影響しているのだとも思う。観客の表情は終始緩んでいた。日本人としては、もう少し歌詞がすんなり入ってくれば、別の楽しみ方もできたのだろうが、充分に満足のショーだった。



セットリストは以下:
Our Sorrows
Fur Felix
Marienbad
Gaston
This Is Ekstasis
Try to Make Yourself a Work of Art
Moni Mon Amie
Four Gardens
The Falling Age
In The Same Room
Goddess Eyes
アンコール:
Sea Called Me Home

John Frusciante - ele-king

 ギタリストとしての彼と同等かそれ以上に、ジョン・フルシアンテは彼という存在自体に心酔するファンを多く引き寄せるようにみえる。カリスマ・ギタリストとはそういうものかもしれないが、彼の場合は生き方のロールモデルとしても強固に支持され、それも女性より男性を惹きつけてやまないといったところがある。

 何がそうさせるのか。その理由のひとつは一種のストイシズムだと言えるかもしれない。みずからの理想とする音のために、人気も名声もほしいままのスーパー・バンド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズを脱退し、音楽以外のことにはほとんど金も時間も使わない。そこには非常に情熱的な思いもあふれている。

 それから、筋骨隆々としたバンドにあって、どこかはかなく、危うい精神性を感じさせる部分も魅力的だった。彼のヘロイン中毒は、自堕落のためではなく、過度のプレッシャーやデリケートな性質ゆえのものとしてファンには記憶されているだろう。2004年前後にたてつづけに7枚ものソロ・リリースを重ねたことも、彼の情熱に加え、そうした危うさをわずかに感じさせる。

 さらにはエモーションゆたかな演奏スタイルやソングライティング、そこにぎりぎり表れるナルシスティックな雰囲気が、彼をある種の人びとにとっての神に押し上げる。ストイシズムはあるときナルシシズムを生むし、逆もまたしかりだ。長髪のフルシアンテの姿にときおり磔刑の像が重なるのは筆者ばかりではあるまい。(このナルシシズムについては「女性が沢尻エリカに心酔するのと同じ?」と指摘した友人がいたが、そうかもしれない)

 であればこそ、フルシアンテの音楽を評するのはじつにむずかしい。それは音楽というよりも彼自身であるからだ。今作『PBXファニキュラー・インタグリオ・ゾーン』最大の争点は、彼が大胆にエレクトロニクスを導入し、プログラミングを行い、これに先立つEPにはRZAらMCを迎え、ドラムンベースまでがきこえてくる、本人いわく「プログレッシヴ・シンセ・ポップ」を制作しようとしたことである。しかしわれわれはその「プログレッシヴ・シンセ・ポップ」を微分していったところで、あまり実りのある批評を引き出せるとは思えない。もっと言えば、ここに鳴っている音には音楽史的な新しさや未知のヴィジョンが示されているわけではないし、その意味での重要性もさほど感じない。しかしほかならぬフルシアンテ史として、フルシアンテの作品として非常におもしろく、感動的なものであることもまた間違いない。作品をはかるものさしはひとつではない。彼の取り組みやその真剣さには、真似のできない、敬意を抱かずにはいられないものがある。前作『ザ・エンピリアン』の時期に、すでに彼はアシッド・ハウスやエレクトロニック・ミュージックにしか興味がないという旨の発言をしていたようだし、ブレイクコアの雄、あのヴェネチアン・スネアーズやクリス・マクドナルドとも新たなプロジェクトを立ち上げるなど、本作への伏線となるような一貫した流れが彼のなかでは組み上げられていたのだ。

 では彼がシンセやビート・コラージュに期待したものはなにか。おそらくそれは彼のなかのロックを対象化する作用である。EPにMCを起用したのも同様だ。自身に深くしみついた音楽性を外側から眺めることで、自身をも見つめ直したい。そして自分にまだ残されている未知の可能性を探りたい。そうした生真面目な理由からではないかと思う。「手と楽器の密接な関係性は、ミュージシャンが作り出す音楽の基礎となっているが、ポップ/ロックを演奏する上で、自分の頭が手によってコントロールされている傾向が強いことに気づいて、それを修正したいと強く願っていた」(https://www.ele-king.net/columns/002355/index-2.php)つまり手クセや、ロックというフォーム自体が強いてくる制限性をうち破りたいということだ。そして「マシンの知能と人間の知能が刺激し合って、その相互作用によって生まれる音楽に僕は強い関心を抱くようになった」身体がおぼえている慣習に、純粋な思念やアイディアがからめとられてしまうことを克服したいということだろう。そこに人工知能を噛ませることがはたして解決になるのかどうかはともかく、ここでも非常に彼らしい、まじめな問いが問われていると感じる。彼はおそらく、あの過大なエモーションをギターと歌とによって放出させることを抑えたいのである。

 さてアナログシンセをサウンドの核として楽曲構成すること自体が、当代随一ともいえるギタリストのフルシアンテにとってはエポック・メイキングな取り組みであるわけだが、そのもくろみがもっとも成功しているのは"イントロ/サバム"である。ふだんは雄弁すぎる彼のギターがシンセの影として動き、アブストラクトなビートによってその情緒を解体されている。冒頭のゴーストリーなコーラスもよいし、ピアノのサンプルもうまく配されている。"バイク"などは、ドラムンベースからジュークにまで突き抜けそうな奇怪な高速トラックでおもしろい。全体が非常にせわしなく落ちつかないビート感覚に支配されていることも本作の大きな特徴だ。"サム(Sam)"も同様の趣がある。

 しかし、気がつけばすぐに彼は歌ってしまう。声でも歌うし、弦でも歌う。そして今回導入した「マシンの知能」を自分で食ってしまう。終曲"サム(Sum)"は冒頭から朗々とヴォーカルが入る。彼が自身とマシンとをポジティヴに拮抗させているのは先に挙げた数曲のみだ。こうしたことは、ジョン・フルシアンテというアーティストの業をふかく抉りだしていてしみじみとさせる。この強烈なエモーションは、やはりどのような策によってもねじ曲げ、封じることはできないのだろう。彼は、まさにこのようであることにおいて、このようにしか生きられないことにおいて、いっそう愛され、尊ばれていく存在ではないだろうか。そしてそこにまったく嘘や手抜きがなく、厳しい自己鍛錬ばかりがあることを筆者も疑わない。

12K Japan Tour 2012 - ele-king

 今年の春、グルーパーを迎えて文京区千駄木の「養源寺」でアンビエント/ドローンのイヴェントを開いたILLUHA(伊達伯欣+Corey Fuller)が、この秋、ふたたび最高のアンビエント・ミュージックを日本に紹介する......。
 クリスチャン・フェネスやアルヴァ・ノト以降のエクスペリメンタル/アンビエント・ミュージックのシーンにおける重要拠点のひとつ、ニューヨークの〈12K〉レーベルからそうそうたるメンツが来日する。レーベル主宰者のテイラー・デュプリー、フィールド・レコーディングや自作の楽器を操るマーカス・フィッシャー、坂本龍一とのコラボレーションでも知られるクリストファー・ウィリッツ、そしてロック・リスナーにはスローダイヴのメンバーとして知られる、サイモン・スコットなどなど。
 10月6日、長野県松本市からはじまる今回のツアーでは、京都「きんせ旅館」~六本木「Super Deluxe」と回って、最終日はまた「養源寺」。モスキート、サワコといった国際的に活躍するアーティストらがサポートして、青葉市子もテイラー・デュプリーと共演する。

 身体をリラックスして、高性能なサウンドシステムで体験するエクスペリメンタル/アンビエント/ミニマルは、本当に素晴らしいものです。こうした「平穏さ」や「静寂」を主題とする音楽は、その控えめさから、えてして軽く見られがちですが、爆音クラブとは正反対の迫力でもってしたたかに響きます。一流のアーティストたちが創造する「静寂」をこの機会にぜひ経験してください。音楽へのアプローチの多様性に驚、そして心地よい夢を見れることでしょう。詳しくはこちらを→https://www.kualauktable.com/event/12kJapan/12k2012.html

予約・詳細は
https://www.kualauktable.com/
にて。


10/6 長野 松本 hair salon 「群青」
Taylor Deupree+Marcus Fischer
Simon Scott、ILLUHA+Asuna
adv. 2500yen door 3000yen 学生2000円
(いずれも1ドリンク込み、限定50名)

10/7 京都 「きんせ旅館」
Taylor Deupree、Simon Scott、Marcus Fischer、ILLUHA
adv. 3000yen door 3500yen (限定60名)

10/10 六本木 Super Deluxe
Simon Scott、Christopher Willits、moskitoo、ILLUHA
adv. 3000yen door 3500yen

10/11 六本木 Super Deluxe
Taylor Deupree、Marcus Fischer、minamo、sawako
adv. 3000yen door 3500yen

10/13 文京区千駄木 「養源寺」
Taylor Deupree+青葉市子
Simon Scott+Marcus Fischer+伊達伯欣
Christopher Willits+Corey Fuller
sawako+青木隼人
adv. 3500yen door 4000yen(限定150名)



 さらにまた、ILLUHAは、「ヨガと音楽とマクロビ」なるドローン音楽のイヴェントをマンスリーで企画する。第一回目は、9月28日。「都会における都会に住むの人々のための企画として文京区にある静かなお寺、養源寺にて、瞑想をテーマとしたミニマル・ミュージックの生演奏のなか、ヨガをしてマクロビオティックに基づく食事をする」そうです。
 養源寺は、とても居心地の良いお寺です。興味がある人は試して間違いありませんよ!

9月29日(土) 文京区養源寺 「ヨガと音楽とマクロビと」
https://www.kualauktable.com/event/yoga01/yoga01.html

ヨガ(音楽の生演奏):90分2000円/回(食事別)各回限定25名(初心者歓迎!)
マクロビオティック:11:30~20:00
託児所:13時~20時 1500円/3時間 以降500円/時
ヨガマットレンタル:100円/枚 更衣室はあります。

第1回:14:00~15:30 Yoga:yoriko Music:Celer
第2回:16:00~17:30 Yoga:Yoriko Music:ChiheiHatakeyama

HPrizm - ele-king

 思わずビールを吹き出してしまった。世田谷区の環八をちょっと入ったところの、周囲は畑に囲まれた小さな神社だ。蒸し暑い日曜日の夕暮れ時に、友だちが祭の演目で踊るというので、子供と一緒に出かけた。和服を着た友だちは祭り囃子に合わせて練習した踊りを踊っている。それが終わると、続いて5~6人の小学生の女の子が登場、おそろいの真っ赤なバスケのユニフォームには大きな英語で「remix」と記されている(笑)。
 しかし本当に笑うのはこの後だった。神社の舞台に設置されたBOSEのスピーカーが低音を鳴らすと、ブローステップがかかりはじめた。ぶんぶんうなるベースとダークなビートの隙間からは「マザファッカ」という英語が連呼されている。「マザファッカ」「マザファッカ」......、もっとも汚い英語であり、僕がアフリカ系アメリカ人の友人にふざけて言っても、本気で嫌がるような卑語だが、女の子たちは楽しそうに踊り、父兄や老人はニコニコしながら団扇を扇いでいる。女の子たちが踊っている背後には、「絆」という文字が大きく描かれている。

 R&Bとヒップホップはいま旬だ。それらはいつだって旬だとも言えるが、ハウスがいまイケているのと同じ次元において旬だ。この10年で広がっていたアンダーグラウンドとオーヴァーグラウンドの溝が埋められつつあるし、何より他ジャンルへの波及がすごい。〈ハイパーダブ〉のクーリー・GのアルバムにもR&Bテイストは注がれ、ジェームズ・ブレイクの新作はロール・ディープ(グライムと呼ばれるUKヒップホップの初期からのでっかいグループ)のラッパーとの共作だ。クラウド・ラップ以降の動きは面白いし、フランク・オーシャンのアルバムは出る前から騒がれていた。チェット・フェイカーのアルバムも良かったし、来月にリリースされるハウ・トゥ・ドレス・ウェルのセカンドがとにかくやばい(デルフォニックスのアンビエント・ヴァージョンのようだ!)。

 R&Bとヒップホップはいま旬だが、これらブラック・カルチャーはステロタイプについても考えなければならない。本作は、アンチ・ポップ・コンソーティアムやジ・アイソレーショニストのメンバー、ハイ・プリーストによるHプリズム名義によるソロ作品で、スイスの真新しいレーベル〈スヴェクト〉からの第一弾リリースだ。
 アンチ・ポップ・コンソーティアムにはすでに名声がある。ギャング文化を商標としながら、芸能界化するヒップホップ・シーンと前向きに決裂していった、アンダーグラウンド・ヒップホップへと分派する先頭集団だった。彼らを紹介するうえでもっとも有名な言葉に「ヒップホップとIDMの溝を埋めた」というのがある。のちに〈ワープ〉と契約するように、アンチ・ポップ・コンソーティアムにとってのヒップホップへの疑問符は、たとえるならエイフェックス・ツインやオウテカへのアプローチとなっている。もしくはゲットー・ミュージックの露悪主義(卑語の多用)に振り回されない、ステロタイプ(お望み通りの黒人像)に甘んじない......という、ある種内なる相対化が彼らにはある。

 ハイ・プーリストの1曲20分にもおよぶ新作は、シカゴのフットワークが大胆に取り入れている。というか、フットワークをやってみたくて我慢できずに作ったようなはじまりだ。ハイピッチのビートではじまり、やかましい声ネタがくどくどしくミックスされる、いつものフットワークだ。が、しかし、それは3~4分で終わらない。オーネット・コールマンの『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』のようにフリーキーな展開を見せる。アフリカン・パーカッションへと突き進み、アシッド・ハウスの恍惚と寒々しいインダストリアル・サウンド(世界の終わり系産業グルーヴと呼ぶらしい)をダイナミックに往復する。終盤はノイズ/ドローンへとまっしぐら。
 El-pとオウテカに強くインスピアされたというこのレーベルからの次のリリースは、アオキ・タカマサだとアナウンスされている。


 ハイ・プーリストやアオキ・タカマサとの共作者でもあるNHKyxは、先日、アヴァンギャルド系を得意としているベルリンのレーベル〈パン〉からSNDとのスプリット盤に次ぐ作品として、『ダンス・クラシック・ヴォリューム・ワン』をリリースしている。故コンドラッド・シュニッツラーとの共作、〈スカム〉レーベルやUKラフトレードからのラヴコールなど、彼=NHKyx=マツナガ・コーヘイはここ数年、ポストIDM時代のキーパーソンとしてあらたな脚光を浴びているが、今回の全10曲はその題名が言うようにダンス・ミュージック集、彼なりのハウス/テクノが収録されている。
 腰に力の入ったダンス・ミュージックでありながら、NHKらしいひょうきんさ、ユーモアがある。初期のエイフェックス・ツインや初期のプラッドのような透明感、無邪気なムード、音響工作的な面白味を持っていながら、ヒップホップから来るベースがうなっている。パーティ・ミュージックではない、が、確実にダンス・ミュージックだ。すでに大量のリリースをほこるマツナガ・コーヘイだが、このアルバムは親しみやすさにおいてベストな1枚に思える。

 音楽文化はいま、ただ曲を作って、それを人が聴くという単純な構造のものではなくなっている。発表の仕方もひとつの態度表明になっている。〈パン〉にしても〈スヴェック〉にしても新しいレーベルだが、ともにヴァイナル(アナログ盤)にこだわっている。アートワークへの充分な配慮もある。ヴェイパーウェイヴが積極的にデジタル環境で遊んでいるのに対して、こちらは距離を置こうとしている。ヨーロッパにおけるポストmp3時代は、彼らのようなIDM以降の領域で顕在化しているようだ。昔、〈リフレックス〉を揃えていた人、最近〈プラネット・ミュー〉が好きな人はチェックしてみて。

interview with Grizzly Bear - ele-king


Grizzly Bear
Shields

Warp Records/ビート

Amazon

 予兆はあったのかもしれない。前作『ヴェッカーティメスト』のオープニング・トラックの"サザン・ポイント"のドラム、あるいはダニエル・ロッセンのソロEPのギターの音に。だが......グリズリー・ベアとしては3年ぶりの『シールズ』は、バンドがまったく新しい領域へと足を踏み入れたことを何よりも音で宣言している。再生ボタンを押すと、8分の6拍子のなかで、リズムは複雑にビートを刻み、ざらついた質感のギターがアルペジオを鳴らし、シンセがうねり、それらすべてが吹き荒れたかと思えば、アコースティック・ギターが繊細に歌に寄り添う。呆気に取られていると、2曲目の"スピーク・イン・ラウンズ"でそれは確信に変わる。ドラムが疾走するアップテンポのフォーク・ロックを鮮やかに色づけるフルートの調べと、どこか甘美に響くコーラス。まったくもってスリリングな演奏、先の読めない展開、あらゆる楽器のエネルギッシュなぶつかり合い。その興奮と喜びを、「インディ・バンド」がこれほど高い次元で追及し達成していることに息を呑む。
 ヴァン・ダイク・パークスからビーチ・ボーイズ、ランディ・ニューマンらアメリカの作曲家たちの大いなる遺産を正しく受け継ぎつつ、自国のフォークへの深い理解を示し、現代音楽やジャズの素養もあり、ダーティ・プロジェクターズやスフィアン・スティーヴンスらコンテンポラリー・ポップの精鋭たちと共振する音楽集団。グリズリー・ベアと言えば、まるで隙のない優秀さに支えられ評価されてきたし、実際それはその通りなのだが、本作においては緻密なアレンジでその知性を研ぎ澄ましつつも、その前提を踏まえた上でこれまでは見せなかった荒々しさや情熱を惜しみなく楽曲に注いでいる。前作でときにティンパニのように響いていたドラムは、ここではより「ロック・バンド」的なそれとして叩かれ、エド・ドロストは声がかすれるほどエモーショナルに歌い上げることを恐れない。クレッシェンドとデクレッシェンド、ピアニシモからフォルテシモまで、自在に行き来する。いまだ眠っていた熊の野性が、ここでは遠慮なく呼び覚まされているようだ。

 グリズリー・ベアの音楽は、恐れずに前を向いているように聞こえる......アカデミズムとポップの範囲に囚われず、多彩な音楽を展開するその理想主義的な態度において。以下のインタヴューでエドは「リスナーひとりひとりの解釈に委ねたいから」と歌詞については沈黙を守っている。たしかにまずアンサンブルが雄弁な作品であり、そこでこそ言葉は鮮烈なイメージをはじめて発揮するように感じられる。が、ここではひとつだけ、情感豊かなサイケデリアが広がるラスト・トラック"サン・イン・ユア・アイズ"で美しく繰り返されるフレーズを挙げておきたい――「I'm never coming back.」

エネルギーに満ちたアルバムにするためにどうすればそれがより強調されたのはたしかだね。前のアルバムが洗練されたアルバムだったこともあって、今回は粗削りでも自分たちのいまのエネルギーを反映したアルバムにしたいと思っていたし。

新作『シールズ』、素晴らしいアルバムだと思います。より、バンドとしての結束が強固になった作品だと強く感じました。

エド・ドロスト:そうだね、一緒に曲を書いたりしたことでより絆は深くなった気がするね。それにアルバムを作るにあたっていろいろな試行錯誤があったしね。
 最初にテキサスでレコーディングを試みたんだけど、長いあいだみんな個々に活動していて、個人レベルで人間的にもミュージシャンとしてもそれぞれスキルアップして戻ってきたこともあって、まずお互いのバックグラウンドがどんなものなのかを改めて知る必要があったんだ。そしてお互いの成長ぶりがわかってからはどんどん作業がはかどって、曲も予想以上にたくさんできたんだ。

メンバーがそれぞれソロや別のプロジェクトをされていましたが、それらを経てグリズリー・ベアとして集まったときに、バンドのアイデンティティを再発見するようなことはありましたか? それはどのようなものだったのでしょう?

ED:バンド自体はつねに進化しているし、アルバムごとにつねにバンドとしての新しい発見を見つけることが出来ていると思ってる。もちろん今回も新しいアイデンティティを発見したと思うけど、それをカテゴライズすることはできないね。そこに行きつくまでに苦しんだりもがいたりしたけれど、新しいエネルギーと方向性を見出したかな。とっても長く曲がりくねった道のりだったし大変だったけれど、辿りついたときは全員が満足出来たし、最高傑作を生み出せたという自信にはつながったと思うよ。

今回はエドとダニエルが曲を持ちより、メンバー全員で作曲したとのことですが、そのプロセスを実際やってみて、これまでと大きく異なる体験でしたか?

ED:ダニエルが書いた曲を歌ったというより、一緒に共同で曲を作っていたんだ。作り方としてはダニエルがヴァースを作って僕がメロディやコーラスを乗せたり、その逆で僕がメロディを作ったものに彼がヴァースをつけたり、そんな感じでピンポン玉のように出来たものを打ち返しながら一緒に作品にしていったんだ。もちろんこれは初めて挑戦したやり方だよ。今までは歌ってるひとがそのメロディを作ってるって聞けばすぐわかるような感じだったけど、今回はこうしないとならないというルールみたいなものは何もなくて、とにかく自由にやってみたらこうなったんだ。

非常に緻密で洗練されたアレンジにもかかわらず、ライヴであなたたちを観るような野性味、パワーを非常に本作に感じました。少ないテイクで録音されたこととも関係しているのかと思いますが、そこにこだわったのはどうしてですか?

ED:長い充電期間を経て作ったこともあって、エネルギーに満ちたアルバムにするためにどうすればそれがより強調されたものになるかということを考えたのはたしかだね。前のアルバムがとても洗練されたアルバムだったこともあって、今回は無駄なことはせずもっと粗削りでも自分たちのいまのエネルギーを反映したアルバムにしたいと思っていたし。だからヴォーカルもコーラス・ワーク中心というよりもっとシンプルにありのままを録った部分もあるしね。だから前よりももっと生っぽい音にこだわってそのエネルギーを込めたものになっていると思うよ。

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たしかにクラシック的な構成は減らしたかな。もちろんいまだにピアノやストリングスを使ってはいるけど、よりシンプルにしようということを意識的に心がけた部分はあるかな。


Grizzly Bear
Shields

Warp Records/ビート

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前作までよりも、クラシック音楽的な構成が少し後退したように思います。とくに"イェット・アゲイン"や"ア・シンプル・アンサー"などは、よりシンプルにバンドの演奏が骨格になっているとわたしは感じるのですが、その辺りは意識的でしたか?

ED:たしかにクラシック的な構成は減らしたかな。もちろんいまだにピアノやストリングスを使ってはいるけど、よりシンプルにしようということを意識的に心がけた部分はあるかな。

現代音楽やジャズにも精通するあなたたちが、楽器は多くともあくまでバンド・スタイルであるのはどうしてですか? たとえばスフィアン・スティーヴンスのように、オーケストラを大々的に導入したいという欲望はないですか?

ED:たぶんオーケストラ的なアプローチは前のアルバムの時にやったと思うんだ。ただ今回はそれをやってしまうとちょっとやりすぎな感じと元々の良さを壊してしまうような気がして。
 過去にオーケストラと一緒にライヴをやったこともあって、それはそれで楽しかったし、新しい試みだったんだけど、そこで僕たちはバンドとして演奏するほうが好きなんだっていうことに気づいたんだ。とても楽しかったし、聞くには新鮮でいいと思う。でもバンドとして出すエネルギーには代えがたい感じがあったんだ。バンドで演奏すれば指揮者を気にして合わせる必要もないしね。
 なんとなくオーケストラが入ることでかしこまった感じになることで聴く人との距離を感じると思うんだ。音としてはとてもきれいだけど、オーディエンスと一体になるにはちょっと難しい面もあるなと感じたんだ。僕は個人的に音楽でリスナーと一体となって、歌詞は聴く人の解釈に委ねる、というのが理想なんだよね。

本作ではより歌がソウルフルに響いています。クレジットを見るとエドはヴォーカルとありますが、今回あなたは歌に専念したということですか? それはどうして?

ED:うーん......僕が曲をたくさん書いていることもあって、曲や歌詞もやはりヴォーカルに重きを置いている部分はあるとたしかに思う。歌詞も前よりもストーリーを上手く書けるようにもなってそれを表現する必要が出てきているからね。正直昔よりも歌詞を書くことにエネルギーを使ってると思う。曲のクオリティと同じくらいのレベルの歌詞を書いていると思うんだ。だからこそその歌詞の世界を表現するためにも、歌に重点を置いているのはたしかだよ。

グリズリー・ベアの楽曲には、ビーチ・ボーイズが引き合いに出される甘いコーラス・ワークがありながらも、つねに憂いや陰影、不穏さのようなものがあります。それはどうしてだと思いますか?

ED:とくに憂いと不穏さをコーラスに反映しているつもりはないよ。とくにこのアルバムは前のアルバムに比べて憂いはないと思うしね。

"スリーピング・ユト"が、「この曲が1曲目だ」となった決め手はなんだったのでしょう?

ED:この曲をオープニングに持ってきたのはアルバムの最初はアップテンポで始まり、終わりは真逆の雰囲気で終わるという風にしたいと思ったからなんだ。アルバムを聴いて最初にエネルギーを感じてもらうことを考えてこの曲を1曲目に持ってきたというわけさ。

ラスト・トラックの"サン・イン・ユア・フェイス"のダイナミックなアレンジには圧倒されます。

ED:この曲はある晩僕がピアノで書いた曲なんだけど、曲を作りながら自分が歌うんだろうと思ってた。自分でコーラス・パートも作って、それをダンに聴かせたんだ。そしたら彼はとても気に入って、他のパートを付け加えていいって、その後クリスが来てホーンとかを加えてくれた。最初僕はこの曲はもっとバラード的になると思っていたけど、とても長く旅に出ているような曲に仕上がった。最後に僕がコーラスを曲の中に散らばせて、出来たときは誰もがこの曲こそがアルバムの最後を締めくくるにふさわしい曲だと思ったよ。本当に素晴らしい曲になったと思う。

音楽的な前進を目指しているという点で、内省的なテーマを経ながらも、グリズリー・ベアの音楽は前を向いているように思えます。自分たちの作っている音楽は、オプティミスティックなものだと思いますか?

ED:とくに自分たちの音楽がどの方向を目指してるという明確なテーマは持っていないけど、このアルバムについて言えば、誰でもみんな孤独を感じたり誰かと一緒にいたいと思ったり、さまざまなことを日常のなかから感じていると思うんだけど、その日常で起こり得るひとの感情を表現したという感じかな。このアルバムにはオプティミスティックな部分がちりばめられているとは思う。とてもダークなトーンのものからオプティミスティックな部分まであると思うけど、たしかにいままでのアルバムの中では一番そう思える作品かもしれないね。全曲とは言えないけどね。

フォークなどルーツ音楽への理解がありながらも、主にアレンジの面において徹底的にモダンであろうとするところに、グリズリー・ベアの理想主義的な側面を非常に感じます。実際のところ、バンドはポップ・ミュージックの領域を拡大、あるいは更新したいという思いはあるのでしょうか?

ED:とくに意図的にポップ・ミュージックの領域に行こうとしてるわけではないと思う。僕たちはフォークやクラシック・ロック、ジャズ、R&B、インディ・ロック、なんでも好きだと思うし、こういったすべての要素をとりいれたいと思っているんだ。だからいろんなスタイルの演奏や音がアルバムにはちりばめられていると思う。このアルバムはとくにジャズの影響が出ていると思うけどね。

タイトルの『シールズ』にこめられた意味はどのようなものですか?

ED:今回はアルバムのタイトルを決めるのにかなり苦労した。『シールズ』というタイトルは何通りもの解釈ができると思う。ひととひととの関連性や親近性、他人とどこまで関与していきたいのかということに対する防御、壁という意味もあるし、「Shield」は「何かから守る」という動詞としても使える。このアルバムを作っていた時、冬の寒い要素が身の周りにたくさん感じられたから、そういった意味合いもある。そのような場所にいたから、孤立や防御という概念があったんだ。で、『シールズ』はどこかの時点で挙がって、既にどんなアートワークにしたいかっていうイメージはあったから、この言葉が出た時にどういうわけかしっくりきたんだ。当然メンバー4人の意見はそれぞれ違うだろう。でもそれでいいと思った。聞き手がそれぞれ好きな意味を見出してくれればいいんじゃないかってね。何よりも言葉の響きが気に入ったんだ。

Patti Smith - ele-king

 パティ・スミスが『Banga(バンガ)』収録曲の解説をしているヴィデオを見ていると、アート系企業とか、ちょっとエッジーな建築事務所とか、そういう組織の女性幹部がクライアント企業の重役にプレゼンしている映像を見ているような錯覚に陥ってしまう。
 映像中のこの女性幹部の説得力は相当なものだ。プレゼンのベテランであるのは間違いない。しかも、業界の酸いも甘いも知った上で、自らの組織の染みも汚れも知り抜いた上で、それでもまだ自分の仕事を愛しているような感じが伝わる。企業の創設者のひとりなのかもしれない。「汚らしい倉庫にね、寝袋持ち込んでスクワッターみたいに泊まり込んで、そうやってはじめた会社だったの。もう30年以上も前の話だけど」と、ワイン片手に微笑しながら部下に話したりすることもあるかもしれない。
 思えば、このパンク界の女性幹部のプレゼン力は、経験によって洗練されたとは言え、昔から確実にそこにあったのだ。Articulate。という言葉があるが、わたしにとってパティ・スミスの魅力は常にそれであった。エモーショナルなポエトリーを叩きつけて来るイメージの一方で、彼女が感情に流されて聞き取り不明の言葉を吐くことはなかった。詩人にしてはロジカルでArticulateで、説得上手だった。女性幹部の座まで駆け上れたのも、その能力があったからだろう。

 エイミー・ワインハウスの死や日本の震災といった時事ネタ的な楽曲のモチーフからは、子供たちを育て上げ、夫も亡くしたパティが、ひとりで居間のソファに座ってCNNを見ている姿が浮かんで来る。寂しい。という時期はとっくに過ぎ、満たされて、幸福なのだろう。それは、加齢とともに、優しく深く澄んで来た彼女の声を聴いているとわかる。
 レニー・ケイやジェイ・ディー・ドハーティなど昔ながらの馴染みの面子を集めて、自宅近くのElectric Lady Studiosで録音したという『Banga』は、サウンド的にはひたすらシンプルにローリング・ストーンズであり、ボブ・ディランだ。タイトル曲『Banga』でのジョニー・デップとのコラボにしても、ジャック・スパロウ船長の父親がキース・リチャーズであることを考えれば、一貫性はある。
 ひとりでぼんやりCNNを見たり、感動した本や映画や友人たちのことを考えてみたり、旅先で撮った写真を見ながら空想に耽ったりしつつ書いたポエトリーに、昔から大好きなバンド風の音をつけて、家の近所のスタジオで歌ってみたの。というアルバムは、まるで自宅の居間の延長である。が、「俺はベッドから革命をはじめる」と歌ったバンドがいたようにロックに自宅性はつきものだし、そう言えば、英国には好きなバンドや映画、友人などの写真を集めた"マイ・フェイヴァリッツ"のコラージュを作って部屋に飾っている女の子がよくいるが、『Horses(ホーセス)』がそうだったように、『Banga』もパティ・スミスの女子コラージュなのだろう。で、女がそのコラージュをもっとも綺麗に作成できるのは、まだ男や子供に振り回されずに済む時期か、それら全てが終了してひとりになる時期か、のどちらかなのかもしれない。ゴダールの映画に出演したり、本を書いたり、TVドラマに出たりする合間に、タルコフスキーや『ハンガー・ゲーム』、マリア・シュナイダーなどの写真を切り取って、彼女はせっせとコラージュを作っていたのである。

 ところで、その女子コラージュに付けられた『Banga』というタイトルは、ロシア作家の本に出て来る犬の名前だそうで、この犬の飼い主は、キリストを殺した男として有名なローマ総督ピラトだという。小説中のピラトは、キリストを死なせてしまった罪の許しを2000年間待ち続ける設定になっているそうで、Bangaという犬も、飼い主の傍らに2000年間辛抱強く寄り添い続けるという。
 要するに、忠犬ハチ公みたいなタイトルではないか。『Horses』で自由奔放でしなやかな荒馬のように登場したパティも、ついに老年は忠犬ハチ公に落ち着いたか。と思いながら何十年ぶりかで『Horses』を聴いてみると、一発目の彼女の肉声がこう言っていた。

 Jesus died for somebody's sins but not mine.

 偶然にしてはできすぎだろう。
 が、そう言い切ることもできないのは、どうもパティ・スミスという詩人は、いろんな局面でこういう辻褄が宿命的に合ってしまう人のような気がするからだ。
 いずれにしろ、馬とハチ公は呼応するアルバムのようだ。もう何十年も『Horses』なんか聴いてない。という中年の方々には、併せて聴くことを強くお勧めしたい。

Frank Ocean - ele-king

 今年の米独立記念日、ネット上で話題になったのがフランク・オーシャンのカミングアウトだった。ヒップホップ、R&Bシーンに属するブラックのアーティストとしては異例のことである、と。しかしそれはカミングアウトというよりは、ごく個人的な愛の告白だった??「4年前の夏、俺たちは出会った。俺は19歳で、彼も同じ年だった。その夏を一緒に過ごし、翌年の夏も一緒だった。(略)彼のことを愛していると気づいたときは、もう悪性の腫瘍みたいになっていた。絶望的で、逃げ場がなく、感情を収める術もなかった。選択の余地も。俺にとって初恋で、人生そのものを変えてしまった」
 これを読んだとき僕は心から感動するとともに、どうにも苦い気持ちを抑えることができなかった。カミングアウトが同性愛者にとって社会的に課せられた通過儀礼であるとしても(もちろん強制されるものではないのだが)、その告白はあまりにも無防備に思えたからだ。彼が同性愛に寛容でない場所にいるならなおさらだ。そこではペット・ショップ・ボーイズの捩れた知性もマトモスのブラック・ユーモアも持ち合わせないままに、彼の創作の源となった「ありきたりの」失恋の物語が綴られていた。しかし当の本人が、それが社会的な意味において「ありきたり」ではないと理解しているからこそ、できるだけ率直でエモーショナルなままで個人的な体験をアルバムに添えることを決意したのだろうと思うほどに......彼の勇敢さは同時に痛ましく感じられたのだ。
 だが、アルバムのベストのひとつ、ジャジーなトラックに乗せて「sweet」と20回繰り返される"スウィート・ライフ"において、僕が覚えた苦さはすべて甘さに変換される。いや、曲は西海岸の豪奢な生活を幾らか皮肉をこめて歌ったものではあるのだが、そのシルキーな肌触りによってそこに溺れることをリスナーひとりひとりに許していく。あらゆる痛みを麻痺させるかように、フランク・オーシャンの歌声が耳から入って身体を撫でる。これは逃避そのものについてのアルバムである......とても切実な。しかし同時に、現実に立ち返ることへの欲望に引き裂かれてもいる。「それなのにいまさら世界を見たいんだ/ビーチがあるのに/なんで世界に目を向けるんだ」

 『Nostalgia, Ultra』においてフランク・オーシャンの魅力とは、イーグルスの"ホテル・カリフォルニア"をそのまま引用しブラック・カルチャーの側から(浮かれる)西海岸の斜陽を仄めかすようなクレバーさにあったはずで、それはメジャー・デビュー作となるこのアルバムでもしっかりと生きている。シングル"シンキン・バウト・ユー"や"シエラレオネ"はスムースなヴォーカルを生かした得意のR&Bだが、"クラック・ロック"のようにほぼサイケデリック・ロックのようなトラックもあれば、"ロスト"のようにファンキーなループ・ナンバーもある。曲によってスタイルを変えるとともにオーシャンはフィクションとノンフィクションを行き来する。"バッド・レリジョン"のように「彼には愛してもらえないんだ」という直截的な失恋の歌と、男女の恋愛へと自分の切なさを置き換える曲を共存させているのは、これをあくまで創作物だとしたい彼の苦闘が見えるようだ。特筆すべきは9分を超える"ピラミッズ"で、ロウビット感が強調されたシンセ・ファンク(クラウド・ラップ周辺の成果を主張しているように聞こえる)でクレオパトラの逸話から男に搾られるストリッパーへと物語を飛躍させる。人称をぼかし、ジェンダーとセクシャリティを揺さぶり、音楽のジャンルをまたぎ、虚実入り乱れるラヴ・ソングを次々と繰り出していく。
 そういった利巧さに支えられたポップ・アルバムであるという意味では、これを「カミングアウト・アルバム」と呼んでしまうことは、感情的で愚かな行為なのかもしれない。だが、その知性を担保しながらも、時折覗かせる正直さ......セクシャル・マイノリティのアーティストとして表現するという覚悟がどうしようもなく心を打つのは確かだ。アメリカのジャーナリストが「同性愛的な歌詞がある」と指摘したのはアルバムのラスト・トラックと言える"フォレスト・ガンプ"だったそうだが、歌詞を読めばすぐにわかる。それは歌の相手が「ボーイ」だから、というだけではない。そこで描かれている恋心が、あまりに生々しい切なさを伴った、男が男に恋に落ちる様を的確に表現したものだったからだ......「君のことなら知ってるさ フォレスト/カブト虫さえ殺せないんだ/筋肉隆々ですごく強いのに ナーヴァスになってる/フォレスト フォレスト・ガンプ」。彼の勇気はたんに、自分が男を愛する男だと宣言したことだけではない。同性愛の「中身」の部分、マッチョに見える男の奥にある優しさを、どうしようもなく欲望する自分をさらけ出したということだ。

 ネット上でひとしきり話題になった後、かねてから同性婚の支持を表明していたジェイ・Z夫妻があらためてオーシャンを擁護し、またオッド・フューチャーの共同体としての新しさ(ブラック・カルチャーにおけるホモフォビアをパロディ化する知性があるということ)を証明したという点で、このアルバムは事実としてマイノリティの文化的状況を前に進めた。マーヴィン・ゲイの"レッツ・ゲット・イット・オン"のように、ソウルフルな愛の歌が社会を揺らしたのだ。
 けれども、それ以上に本作の感動は、"フォレスト・ガンプ"の胸を締め付けるような音楽そのものに宿っている。フランク・オーシャンは歌い手としてずば抜けているとは言えないかもしれないが、彼の想いの強さが曲を特別なものにしている。それにしても、「フォレスト・ガンプ」なんて一見保守的なモチーフを使っているのはどうしてだろう。衒いのないメロディ、素朴な言葉......「君のことは忘れない/この愛は 本物なんだ/ずっと忘れないよ」
 オーシャンはきっと、ここで自分の失恋の「ありきたり」さと俗っぽさに立ち返っている。スウィートなラヴ・ソングとポップスが、さまざまな境界を消していくパワーについて。だからこのアルバムは、あなたがマイノリティであってもそうでなくても、正直に愛を歌うことの根源的な感情を思い出せるだろう。「君のための歌さ/フォレスト フォレスト・ガンプ」......口笛が響く。フランク・オーシャンは、甘く甘く甘い人生の夢想に逃げ込み、初恋を葬り、そして「世界」に自分を打ち明けた。

 すんなり行くわけがないな。とは思っていたのである。
 わが町ブライトンにやって来るPiLのチケットを入手した時点でその予感はあった。
 案の定、勤務先の保育園が、PiLのギグ当日に保護者面談を設定しやがる。「いや、その日はダメです」と嘘八百を並べて日程をずらしてもらうが、どうしても当該日しか都合のつかない保護者がいるという。保護者面談は、営業時間終了後の午後6時からはじまる。そんならもう、早い時間に来てもらって、最悪の場合は、わたしはテディベアとこぶたさんの絵のついた制服のTシャツを着たままギグ会場に走るしかない。
 と決意したのは、その都合のつかない保護者というのが、家庭環境が複雑で問題行動が著しいJの親だからで、そうした子供たちと働いた経験のあるわたしが全面的にJを担当しているため、同僚に代わってもらうことが無理だからである。

 んなわけで、大きな不安を抱えたまま当日を迎えたわたしは、5時55分から保護者の到着を待った。が、10分経っても、15分経っても先方は着かない。「本当に来るんですか?」とオフィスに詰め寄った6時15分に、先方から電話が入った。
 Jの祖母である。Jの父親が都合で来れなくなったので代わりに来ると言う。そうなってくるとなんやかんやで6時半にはなるだろう。そこから面談をはじめて、わたしはいったいPiLに間に合うのか。というビリビリとした心情になっていると、痩せこけたローリン・ヒルみたいな黒人女性が現れた。
 「すみません、遅れて」
 Jの母親である。
 やべ。と思った。
 Jの両親は離婚している。で、さっき電話して来たのはJの父方の祖母なのだが、このグランドマザーというのが元嫁のことを毛嫌いしていて、なんか気まずい面談になりそうだからである。
 「勝手にあの人とはじめないでください」
 Jの祖母が電話でそう言ったので、ひたすらその到着を待ったが、彼女が着いた時点ですでに6時45分になっていた。わたしは半ばヤケクソの覚悟を決め、白人の祖母と、黒人の母親の前に座って面談をはじめる。

 初めてこの祖母がJのお迎えに来たときにはびっくりした。この国では、白人と黒人のミックスの子供は珍しくも何ともないが、白人のお爺ちゃんやお婆ちゃんが黒人の孫を連れて歩いている姿には、どういうわけかいまだにハッとすることがある。
 そう言えば、ジョン・ライドンも義理の娘だったスリッツの故アリ・アップの双子の息子たちを預かって育てていた時期があるらしいが、彼もまたブラックの孫の手を引いて歩く白人のお爺ちゃんだったのだろう。そう思えば、ライドンも同年代の庶民が辿っている道をしっかり歩いている。
 「This is PiL!Public Image Limited!」
 と、酔ったおっさんのだみ声みたいに野太くなった声で、怒鳴っているだろうか、今夜も。

 雑念を振り払い、Jのリポートを見せながら説明を続ける。先の労働党政権は、小学校入学時点での貧困層の子供とミドルクラスの子供の発育格差を縮めるため、抜本的な幼児教育改革を行った。そのため、英国の幼児教育現場には0歳児からカリキュラムが存在し、保育施設は子供の発育度や成長度を記した書類を作成し、保護者に見せなければならない。

 「言葉がもっと喋れるようになったら問題行動が減少するのはよくある話です」
 ローリン・ヒル似の母親は、食い入るような目つきで書類を読み、私の言葉に頷く。
 育児熱心な母親なのだ。だのに、彼女は時折、大きく脱線する。ここ数年ドラッグのリハビリ入退院を繰り返しており、それが原因でJの父親とも別れたという。
 「とはいえ、他の子供や自分自身に身体的影響をおよぼす行動は、やはり問題ですので、家庭と保育園で一貫した対策を取る必要があります」
 祖母もわたしの顔をじっと見つめて頷いている。こんな外国人の保育士の言うことを真面目に聞いてくれるだけでも有難いことだ。
 「その一貫性というか、継続性が、何においても子供には必要ですからね。Jの家庭にはそれが無かったから」と、Jの祖母が言う。
 リハビリから出たり入ったりしていた元嫁に対する嫌味だろう。元嫁は、隣に座っている元姑の横顔を睨みつけていた。「あんたにはわからない」と言いたげな、暗く燃える目で。

 「Let us as human beings determine our own journey in life 」
 ジョン・ライドンがそう言ったとき、同じ目をして彼を睨んでいた女性がいた。
 英国版「朝まで生テレビ」みたいな(朝までやっているわけではないが)、政治家や著名人が時事問題を討論する生番組「Question Time」に出演したジョン・ライドンは、例によって随所で笑いを取りながら場をエンジョイしていたのだが、ドラッグの合法化に関する討論で、真顔になって言った。
 「ドラッグを法で規制する必要はない。俺たちの人生の旅程は、ヒューマン・ビーイングである俺たち自身に決めさせろ」
 「That's wrong!」と、聴衆のなかからその女性は叫んだ。
 「私はドラッグの問題を抱えた子供たちを相手に仕事をして来ました。ドラッグの長期的影響や、それが彼らの人生をどう変えたか、この目で見て来ました。ここに座っている誰も、ドラッグを合法すべきなどと私に言える人はいません」
 ロンドン東部あたりのユースワーカーのような風体をした黒人女性は言った。
 「俺はミドルクラスのアホとして言ってるんじゃない。俺はフィンズベリー・パーク出身だ。ソリッドなワーキングクラス・ボーイなんだ......」
 「俺たちの時代はな、みんなで助け合ったんだよ......」
 ライドンは急に脱線をはじめ、「そういう問題じゃないだろう」という冷ややかな目つきで周囲に睨まれながらしゅるしゅると縮んでいった。

 「あんたにはわからない」
 みたいな目つきで元姑を睨んでいるJの母親も、ドラッグに人生を変えられた。
 結婚生活は破たんし、子供の親権も夫に取られた。
 「私はこれまでJをがっかりさせ続けてきたけど、やっと彼と会うことが許されるようになったので、そのときに有効な躾が出来るように、今日ここに来たのです」
 Jの母親はこちらをまっすぐに見て言った。
 前向きな決意が感じられる。
 が、いつもそうなのだ。今回はどのくらい持つのだろう。けど、ひょっとしたら今度は死ぬまでクリーンでいられるかもしれない。それは誰にもわからない。

 Let us as human beings determine our own journey in life
 ジョニー・ロットン時代の彼なら、
 Let us as human beings determine our own future
 と言っただろう。

 長いときが流れ、「future」は「journey in life」という歯切れの悪いヘヴィな言葉に変わった。すでにライフという旅路をかなり辿ってしまったライドンは、未来というのは漠然とした一続きのものではなく、何ブロックもに分けられた時期の連なりであることを知っている。人生には、永遠のポジティヴとか、永遠のクリーンとかは存在しない。

 「有難うございました」
 「こちらこそ、来てくださって有難うございました」
 「私はこんな母親ですが、息子を愛しています」
 「わかっています」
 わたしをハグするJの母親と、背後から彼女を冷ややかに見つめている元姑とを送り出し、さて、これからPiLのギグに向かうべきかどうか、と考えた。
 ダッシュでバスに飛び乗れば、何曲かは聴けるかもしれない。

 「ライドンはあの番組に出演すべきではなかった。我々の社会は、1976年よりも多くの要素を含むようになっている」
 「Question Time」出演時のライドンに関するガーディアン紙の記事に、そんな読者コメントがついていた。ライドン大暴れ。とか、痛快。とかを期待していた人びとにとり、たしかにあれは興ざめだっただろう。この国の社会は、「ノー・フューチャー」と明快に爆撃しておけば突破できた時代より、ずっと複雑になっている。
 が、「誰も未来なんて与えてくれない。何者にも期待すんな。自分で決めて、自分でやれ」というジョニー・ロットンのスローガンは、どんな時代にも残響する。
 ピストルズのスローガンは、ポリティクスとは関係なかった。
 ライドンが昔もいまも変わらずに謳い続けているのは、ヒューマニティーである。

 Let us as human beings determine our own journey in life

 ジャンキーになる権利を、アンダークラスに落ちる権利を、人生を棒に振る権利を俺たちに与えろ。「生きる」ということで俺たちは責任を取る。
 唯一つの正しい道。などというものは何処にも存在しない。
 それはヒューマニティーを信ずるがゆえのアナキズムであり、ノー・フューチャーの覚悟に立脚したヒューマニズムだ。そんなものが時代限定のコンセプトであろう筈がない。

 窓の外を見下ろせば、まったく別の方向に歩いて行ったJの母親と祖母の姿はもうそこにはなかった。
 わたしはロッカーを開けて鞄を掴み、全速力でバス停に向かってダッシュした。

Yoshi Horino (UNKNOWN season) - ele-king

2012年の夏の余韻に浸り秋を楽しんでおります。この季節感好きです。そんな中、割と最新のリリースの中から、我流どハウスを選ばせていただきました。全てインターネット上、もしくは毎月第4土曜日の頭バーで聴けると思います。
www.unknown-season.com
www.soundcloud.com/unknown-season
www.facebook.com/unknownseason
www.twitter.jp/unknown_season
毎月第4土曜日”The Saturday” at 頭バー www.zubar.jp


1
Ryoma Takemasa - Catalyst(Album) - UNKNOWN season

2
Shonky - Le Velour(Mr. Fingers Club Dub Remix) - Real Tone

3
Omid 16B - Melodica (Original Dub) - Alola Records

4
Tigerskin - 29 Hours EP - Dirt Crew Recordings

5
Steve Rachmad (aka Sterac) - Astronotes (Joris Voorn Remix) - 100% Pure

6
Michel Cleis - Amaranthus (Original Mix) - Pampa Records

7
Rhyze - Just How Sweet Is Your Love(Walker & Royce Touch) - Nurvus

8
System Of Survival - NEEDLE AND THREAD(Album) - Bpitch Control

9
Datakestra - Distance Remix Pt.2(Satoshi Fumi & Datakestra's End Of Summer Love Mix) - UNKNOWN season

10
V.A. - DESTINATION MAGAZINE meets UNKNONW season "A Day Of Rain - UNKNOWN perspective -" - UNKNOWN season

Nick Edwards - ele-king

 六本木通りを渋谷方向に、つまり、ドミューンのスタジオやエレキングの編集部やC↑Pのエリイちゃんが住んでいるマンションや渋谷警察や一風堂やショーゲートが並んでいる方向に歩いていくと、途中に料亭がある。ひらがなで「かねい……」という文字が見えたところで、僕は必ず「かねいと」ではないかという連想が働いてしまう。ドゥーム・メタルのカネイトを名乗る料亭があるとは、さすが六本木だと感心していると、さらに4~5歩進んだところで「かねいし」だということが判明する。やはり、ドゥーム・メタルを店の名前に掲げる勇気はないらしい。ましてや「あーす」とか「さん O)))」といった料亭も僕は見たことがない。「けいてぃえる」だと、けんちん汁みたいなので、あってもいいような気がするけれど、「なじゃ」もないし、「あいしす」もないし、僕が生きている間に「あんくる・あしっど・あんど・ざ・でっどびーつ」という料亭が六本木にオープンすることはまずないだろう。エリイちゃんはこんな街で毎晩、遊んでいて面白いんだろうか。エリイちゃんの卒業論文はちなみに「憲法九条について」である。「ピカッ」に至るまでの基礎はできていたのである。

 メタル・ドローンのグループとしてカネイトがどれだけ凄いグループだったかということは、絶賛編集中のエレキング7号で倉本諒が力説していることだろう。大体、倉本くんがエレキングに興味を持ったのは創刊号にジェイムズ・プロトキンがフィーチャーされていたからだそうで、同じカネイトでも、スティーヴン・オモーリーのインタヴューが掲載されていたら、もっと理知的な……いや、違うタイプの若者がエレキングに吸い寄せられてきたのだろうか。わからない。すべては煙のなかである。ドゥームというものは、そもそもそういうものである。ジェイムズ・プロトキンが新たにジョン・ミューラーと組んだ『ターミナル・ヴェロシティ』もスクリュードされたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのように完全に視界は真っ白で、そう簡単には煙を掻き分けることはできない。これはとんでもない大作である。そして、3ヵ月ほど前にリリースされたスティーヴン・オモーリーとスティーヴ・ノーブルのジョイント・ライヴ『セイント・フランシス・デュオ』もとんでもなかった。これはとくにドラムスが圧巻で、視界はいたって良好なハードコア・ジャズを聴くことができる。現在はオモーリーと共にアーセノアーのメンバーであるノーブルは、ちなみにリップ、リグ&パニックの初代ドラムスとして知られる大ヴェテランである。リップ、リグ&パニックといえば……

 ……ブリストルのダブが、そして、ここのところドローンの侵食を受けている。もっともノイズ色が強いエンプティセットやヴェクスドのローリー・ポーター、そして、もっとも派手に動いているのがエコープレックス(Ekoplekz)ことニック・エドワーズで、2010年に自主制作盤を連発したエコープレックスは翌年に入るとペヴァーリストが運営するダブステップの〈パンチ・ドランク〉と、ドナート・ドツィーやイアン・マーティンなどアンビエント系テクノのヒットで知られるシアトルの〈ファーサー〉と、まったく毛色の違うレーベルから話題作を放ったあげく、なんと、新作は本人名義で〈エディションズ・メゴ〉からとなった。同じくエレキング7号のために話を聞かせてもらったジム・オルークも、話の締めくくりはやっぱり〈メゴ〉がスゴいということになっていたのだけれど、その感慨はここでも繰り返さざるを得ない。スティーヴン・オモーリーもエメラルズのジョン・エリオットも、そして、マーク・フェルも現在は〈メゴ〉の傘下にそれぞれがA&Rを務めるレーベルを持っているほど、〈メゴ〉はかつてのハプスブルク家を準えるように版図を拡張している最中で、これにブリストル・コネクションまで加わってしまったのである。いやいや。

 『プレックゼイションズ』は名義を変えた意味をまったく感じさせない。これまでとやっていることは同じである。強いて言えば従来のドローン・ダブにクラウトロックが垣間見えるようになったことで、1曲が長いということもあるけれど、いってみればアカデミック色を欠いたインプロヴァイゼイションであり、使いにくいトリップ・ミュージックであることをやめようとはしない。とはいえ、これまでの〈メゴ〉のラインナップからすればOPNと並んで快楽係数は格段に高く、ビートが入らないカンのように聴こえる場面も少なくない。不穏なムードを鍋の底でかき回しているようなタッチが続いたかと思えば、過剰なエコー・チェンバーに打ちのめされ、ブリストルにしては金属的な響きを強調しつつ(マーク・スチュワートがいたか)、それらがすべて抽象化されたベース・ミュージックとしての役割をまっとうしていく。“(ノー)エスケープ・フロム・79”のエンディング部分などはほとんどスーサイドのダブ・ヴァージョンにしか聴こえない。アップ・トゥ・デートされたスロッビン・グリッスルとも(https://soundcloud.com/experimedia/nick-edwards-plekzationz-album)。どこもかしこもグワングワンですがな。

 ダブとドローンという組み合わせは意外と少なくて、シーフィール、チャプターハウス(猫ジャケ!)、ステファン・マシュウ、ポカホーンテッド、フェニン、デイル・クーパー・カルテット……ぐらいのものらしい(あと、聴いたことないけれど、日本のオハナミという人たち?)。ダブが他のジャンルに応用されはじめたときのことはいまでもよく覚えていて、最初はXTC(アンディ・パートリッヂ)やジェネレイションXがダントツで、そのうち、ポップ・グループやフライング・リザーズが出てきてスゲーなーと思っていたら、あっという間にダブ・ヴァージョンが入ってないシングルはないというほど広まっていくという。カルチャー・クラブ“ドゥ・ユー・リアリー・ウォント・ミー”というカーク・ブランドンへの訣別の歌とかw。ジ・オーブやマッシヴ・アタックが、そして、次の時代を切り開いたといえ、サン・アロウやハイプ・ウイリアムスに受け継がれていくと。しつこいようですが、ターミナル・チーズケーキもお忘れなく。

 ここにもうひとつ加えたいのがシーカーズインターナショナルのデビュー作で、これがDJスプーキーや〈ワード・サウンド〉周辺ではじまったイルビエント・ダブをノイズ・ドローン以降の価値観でブラッシュ・アップさせた内容となっている(https://soundcloud.com/experimedia/seekersinternational-the-call)。ズブズブズブ……と、どこをとっても完全に悪魔の沼にはまったコンピューマ全身ドロドロ状態で、ベーシック・チャンネルをスクリュードさせたような「ラージ・イット・アップ2」や「オールウェイズ・ダブ」など、実に素敵なトロトロができあがっています。夏が終わらないうちに……

 ……巻いてください。

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