「Nothing」と一致するもの

Supermaar (aka DJ MAAR) - ele-king

DEXPISTOLSのDJ MAARのソロプロジェクト。
あらゆる音楽を通過し、たどり着いた先、戻った先。
Deep HouseとTechnoを軸にしつつも、持ち前のヤンチャ心で、日々生まれるフレッシュな音源をグルーヴと低音をキープしながらMixしていく。もう一人のオレ。3番目のオレ。
Dope me, me from Madness.

Recently Play List


1
Barnt / Geffen
完全なるクラブサウンド。家で聴いても、その良さが1ミリも分からない最高な1曲。

2
Shlomi Aber / Foolish Games Feat Moggli
ズブズブしながらも歌い上げてる感じが、最高。Deep HouseとTechnoの程良い中間地点。

3
COS/MES / D.F.G. feat. Dr. Nishimura
こんなのが、あったとは、、、。日本が誇る最狂タッグ。西村さん、超リスペクト。

4
&ME / Everless 
所謂Houseマナーを完全に継承している、旬なHouse。ハマれるし、踊れる。

5
Raz Ohara / El Zahir (Acid Paul's Acid Dub)
理由は、無いけどグッとくる1枚。後半のAcidな展開が、アイディア賞もの。

6
Nu Zau / Pason
カッコイイ。クセは全くないけど、それこそが、今風の最大なクセなのかも。

7
Dark Sky / Hequon 
黒くて、太くて、危険なヤツ。レーベル50 Weaponsにハズレなし。

8
Heiko Laux & Alexander Lukat / Bleak
ド不良な音。激ワル、極悪。大好物だけど、上手く使いこなせるか心配。。。

9
Sis / Foxy (Butch's Raw Cut)
絶妙なバランス感が良い。あった様で無かった感じ。色んなジャンルを横断しそうな1曲。

10
Supernova / Last Night In NY
音は今っぽくないのに、ナゼか今っぽく聴こえる曲。ロケ地がニューヨークってのも不思議。
次点 wAFF / Ibiza
何だかんだで、こういう感じ嫌いじゃない。タイトル通り考える前に、踊れ!騒げ!!的なアンセム。


教会内部に設置されたサーカス・テント

 2/2(土)、NYのミッドタウンの教会で、ミュージック・テープスの「トラヴェリング・イマジナリー〜空想の旅」ツアーが行われた。ジョン・ケール、バトルズ、ロウ、ライアーズ、ダーティ・プロジェクターズなどのショーを企画する〈ワードレスミュージック〉のオーガナイズ。雪の降るなか、普段は来慣れない教会に入ると、目の前にデーンと、サーカス・テントがあり、周りにも催し物のサインが出ている。
 日本の初詣(屋台やゲームなどがある)のガヤガヤ、ワクワク感に少し似ている。7:30pm、9:30pmからの2部形式で、著者は9:30pmの部に来た。「1部を見た」という男の子と話をするが「内容は言わないで」と口止めをする。「トラヴェリング・イマジナリー」はミュージック・テープスが、10数年間あたためてきた、夢のツアーなのである。簡単に種明かしはされたくない。


バンダナで目隠しをするオーディエンス

 9:30pmきっかりにドアが開き、紺色のバンダナがお客さんに渡される。教会なので、ドリンクは売っていない。最後の人が入り終わると、左方から、ピアノの音が近づいてくる。バンジョーを弾くジュリアンが、グランド・ピアノの上に座って、クルクル回されながら、教会中を練り歩いている。ピアノを歩きながら弾くのがアンディで、ピアノを押して、回して引っ張っているのがイアン。どちらも、前回のクリスマス・キャロリングにもいた。
 何か面白いことがはじまる予感。

 テントの左側で「ザ・ペニー・アンド・ザ・ベル」というゲームがはじまる。目隠しをして(ドアでもらったバンダナの登場)、カップに入ったペニーをベルめがけて投げ、ペニーがベルに当たった人の勝ち。これが難しい。
 真ん中の方でも別のゲームがはじまっている。こちらは、お手玉見たいな布玉を、穴にいれるゲーム。


なかなか難しい「パリ・イン・ベルス」

「ペニー・アンド・ザ・ベル」の後は、ベルつながりで、「パリ・イン・ベルス」というゲームがはじまった。目隠しした人が円になり、ベルを持つ。当たりのベルを決め、鳴らしながら左側の人にベルを渡していく。ジュリアンが「ミラノ」、「東京」、「上海」などいろんな都市の名前を言っていくのだが「パリ」と言ったときに、当たりベルを持っていた人と、真ん中の人が音だけで当たりベルを当てたら勝ち。これもなかなか高度なのだが、勝者はふたり出た。ジュリアンは幼稚園の先生のようにみんなにゲーム参加を呼びかけ、率先してゲームを行い、賞品を用意し、司会をしてと大忙し。


テントのなかはとても楽しい!

 ゲームでウォーム・アップした後は、サーカス・テントが開いてショーのはじまり。みんながどんどん前から座っていくので、いちばん前には行けなかったが、セットや流れの全体が見渡せた。ステージに白いスクリーンが張られ、フィリックス・ザ・キャット風の白黒アニメが始まる。ヴィンテージのアナログ・フィルム上映である。
 アニメ鑑賞の後は、スクリーンが落ち、ミュージック・テープスのショーのはじまり。ジュリアン、ロビー、アンディ、アンディG(マシュマロウ・コースト)の4人で、イアンが大道具周りを担当。もちろん、7フィート・メトロノームやオルガン・タワー、スタティックTVなどの手作り楽器仲間も健在。今回は、ジュリアンのトーク部分が多く「祖父が子どもの頃にサーカスに行ったが、人気者の牛がまったく動かなかった」、という話や、「雪の日に子どもたちがみんな突然いなくなった」、など、子供を寝かすときのベッドタイム・ストーリーのようだった。


ステージに出現した巨大雪だるま

 ショーの間にも、はしごが出てきて、その上で歌ったり(足長人として)、巨大雪だるまが出現し、その雪を投げて、客席に設置した月を割るゲーム、テントの上にぶら下げられたプレゼント(中身はミニチュアのサーカス・テント!)を開けるゲームなど、オーディエンス参加型の、ディズニーランドのようなワクワク感が持続した。

 童心やピュアネスをごちゃ混ぜにした、夢いっぱいのショーには、ジュリアンの頭のなかの地図がそのまま表されている。ここしばらく、これほど心から純粋に楽しめることなんてあっただろうか......いや、楽しめずにいたのではなく、単にこの感情を忘れていただけだったのではないか? ジュリアンは終始笑顔で、何よりもいちばん楽しんでいるように見えた。入り口で、バンダナを回収しながら、ひとりひとりのお客さんと話しているジュリアンを見ながら、自然に笑顔が溢れていた。

Melody's Echo Chamber - ele-king

 メロディ・プロシェのようなお嬢さんを見ると、わたしのようなZ級ゴシップ・ライターが連想するのは、昨年ジョニデと離別したヴァネッサ・パラディとか、ラース・フォン・トリアー監督のミューズになって「衝撃の性描写!」(見出しにおける感嘆符の多用は、日本語ゴシップ・ライティングの基本だ。英文ゴシップでは一切使われないが)な話題の多いシャルロット・ゲンズブールとかだ。彼女らも、若い時分には、いまをときめく男たち(父親を含む)に愛され、バックアップされて君臨したポップ・プリンセスだった。
 『Lonerism』が2012年の『NME』のベスト・アルバムに選ばれたテーム・インパラのケヴィン・パーカーも、いまをときめく男には違いなく、彼の全面的バックアップのもとに昨年リリース!! された本作は、まるでLUSHかと思った。で、いやあ、でもこれなら当時のUKのほうが良かった。などという年寄りらしい偏狭な心持になり、卑屈な目つきでRIDEの『Nowhere』を聴きはじめたりしていたのだが、ちょっと待てよ。と思った。冷静に考えると、なぜに豪州人と仏国人が歩み寄ってブリテンで出会っているのだろう。

 フランス語は温かい響きを持つ言語だ。が、フレンチ訛りの英語というのは、その温かみが災いし、どことなく間抜けな響きになる。かわいい仏人娘に舌っ足らずの英語で歌わせて喜ぶのは英語圏の男にありがちな性癖だが、メロディ・プロシェは"Bisou Magique"や"Quand Vas Tu Rentrer?..."などのフランス語で歌っている曲のほうがずっと良い。
 そういえば、オーストラリア英語にも妙な温かみがあり、近年は、語尾がゆるーく伸びて必ず半音上がる、泥くさいような、すっとぼけているような、オーストラリア人独特の温かみのある喋り方がなぜか英国の若者のあいだで流行しているが、テーム・インパラの音楽も、語尾が上がる豪州英語のようだ。言語の特徴が人間の性質に影響を及ぼすとすれば、豪州と仏国の人間の体温は、明らかに英国人よりも高そうである。

 そんな豪州人サイケ・キングと仏人ポップ・プリンセスがコラボして出来た音楽は、80年代末から90年代初頭の寒い英国のインディ・バンドみたいでした。というのは、なんか釈然としない。いっそ、このぼやけたシューゲイズによるドリーミー感を取り除いたらどうだろう。LUSH&フランス・ギャルじゃなくて、レッド・ツェッペリン&エディット・ピアフみたいな、怒涛のサイケデリック・シャンソンをやってみたらどうだろう。と考えてしまうのは、このアルバムがその可能性の片鱗を見せているからだと思う。
 しかし、ふわふわドリーミーなのは恋愛初期の特色でもあろうから、怒涛のコラボなんてやりだしたら、彼らは突然炎のごとく電撃破局!!! しているかもしれないが。

    ***************

 とはいえ、今年に入って掲載された豪州メディア『TONEDEAF』の記事を読むと、メロディ・プロシェはさらっとこんなことを言っているのだった。
 「次の録音が待ちきれない。とてもハッピーだと思える地点にいるの。だけど、もしケヴィンからインスピレーションをもらえなくなって、彼やPondのメンバーと一緒に仕事できなくなったら、私は同じぐらいインスピレーションをくれる他の誰かを見つけるわ」

 個人的には、今年はStealing SheepやHaimのようなDIY色の濃い女の子バンドにこそ活躍して欲しい。(DIYレトロの括りなら、男の子デュオのFoxygenもクールだし)。
 37年の時を経て再び確認しておけば、DIYとは、自分でやれ。ということである。

Sports-Koide - ele-king

2/13(wed) @CAVE246
2/22(fri) @SOUL玉TOKYO 【B.A.D.Psychedelic】
3/16(sat) @GALAXY 【SLOWMOTION】
3/19(tue/祝前日) @EN-SOF TOKYO【Just Do It !】
6/22(sat) @旧グッゲンハイム邸 【SLOWMOTION】

インディポップチャート


1
cero / わたしのすがた (カクバリズム)

2
片想い / 踊る理由 (カクバリズム)
https://www.youtube.com/watch?v=y5LFv5-xWtU

3
藤井洋平&The VERY Sensitive Citizens of TOKYO / ママのおっぱいちゅーちゅーすって、パパのすねをかじっていたい (FUSHA RECORDS)
https://www.youtube.com/watch?v=E81MpqInSxI

4
あだち麗三郎 / ベルリンブルー
https://www.youtube.com/watch?v=f3O9f95SDc4

5
VIDEOTAPEMUSIC / Slumber Party Girl's Diary (ROSE RECORDS)
https://www.youtube.com/watch?v=5xhDysPUVyo

6
伴瀬朝彦 / 田園都市ソウル (MICROPHONE RECORD)
https://www.youtube.com/watch?v=uu3sBbcfUrE

7
倉林哲也 / kit
https://www.youtube.com/watch?v=A_HZ4XzePKM

8
mmm / 無題 (kiti)
https://www.youtube.com/watch?v=Se5WsIt7wzo

9
NRQ / The Indestructible Beat of NRQ (MY BEST! RECORDS)
https://www.youtube.com/watch?v=2ZBR0ssQ334

10
HESSLE AUDIO / 116 & RISING (hessle audio)
https://www.youtube.com/watch?v=7EcTFcr7Ygg

interview with Michael Gira - ele-king


Swans
The Seer

Young God Records

Amazon iTunes

 およそ22年ぶりの来日となるので、よほどのベテラン・リスナーでもないかぎり、スワンズの来日公演を観た方は、とくにele-kingの若い読者におかれましては、すくないだろう。一介のオッサンである私でさえそうなのだから。
 あのときスワンズは過渡期にあった。82年の結成以来、『Filth』『Cop』の初期作でノーウェイヴと共振し、ジャンク・ロックの旗頭として、ひしゃげた音塊を打ち鳴らし、押しも押されもせぬアンダーグラウンドの王の地位にあったスワンズは『Greed』(86年)以降、しだいにその殺伐とした音響をスローにひきのばし音の伽藍を築くにいたった。その空間で上演する音楽は儀式というより反・祝祭としての祝祭を思わせる昏い輝きを帯びていた。スワンズの名に、いまでも多くのリスナーが抱くイメージはそれだろう。しかしながらスワンズは不変ではなかった。一貫しながら変わり続けた。80年代の終わり、ビル・ラズウェルのプロデュースでメジャーから出した『The Burning World』など、賛否両論ある作品もあるが、それにしても、彼らが音楽を前に進めようとしてきたことの証にほかならない。やがて90年代に入り、スワンズはスローさに拍車がかかり、ブレーキをかけた機関車が重い車体を引きずるように、97年には活動も停止したが、そのとき表舞台にいたのは80年代末のニューヨークのインディ・シーンで彼らと表裏の関係だったソニック・ユースだった。それから10年あまり、スワンズは、というか、マイケル・ジラは眠っていたわけではなかった。エンジェルズ・オブ・ライトとしてスワンズで未消化だった歌もの路線を探求し、〈Young God〉のオーナーとして、デヴェンドラ・バンハート、アクロン/ファミリーからジェームス・ブラックショウといった、フリーフォークないしはウィアード(weird)な、そしてこの閉塞的な世界で反転した反・祝祭とさえなり得る音楽を送り出してきた。
 それらをひとつに集約するように、スワンズは2010年、『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』でふたたび活動を開始したが、2011年3月に予定していた来日公演は東日本大震災で中止になった。今回は2年越しの待望の再来日となるが、その間にスワンズは畢竟の大作『The Seer』をリリースしている。「予言者」「先見者」と題したこの黙示録的なアルバムをひっさげ、一夜かぎり(しかも400人限定!)のステージで何をみせるか、このインタヴューがその先触れとなれば。

スワンズの演奏はどこかスピリチュアルな面での影響力があると僕たちは思うし、同じように感じるひとも観客の中にはいるようだね。例えばタントラ・セックスのように、緊張と開放、つまり自己を失うと同時に発見する感覚なんだ。

復活したスワンズは2年前の3月に22年ぶりの来日公演を予定していいましたが、東日本大震災で延期になりました。そのニュースを耳にされたとき、あなたは最初、どう思われましたか?

マイケル・ジラ:誰もがそうであったと思うけれど、ひどくショックを受けた。悲しく、忘れられないできごとだった。僕たちはそのとき、オーストラリアにいて、ちょうど日本へ出発しようとしていたんだ。それでも行きたいとみな思ったけれど、プロモーターからそれはムリだと説明があった。しかもそのときは災害の規模がどれほどのものであったかを知る前だったしね。そう、ニュースを聞いてとても悲しかったよ。いまの日本の状況はどう? 復興作業は進んでいる?

表面的にはいくらかは進んだのでしょうけど、福島の原発の問題をふくめ、復興というにはほど遠いうえに、それを置き去りにして経済を優先することにしたらしいです。ところで、そのとき、私たちには復活したスワンズの音としては『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』だけでしたが、昨年の『The Seer』を聴いて、スワンズの音がさらに進化/深化していることに驚きました。この2作の間にバンドに訪れたもっと顕著な変化は何だったのでしょう?

マイケル・ジラ:それは一年間のツアーを経験したことだね。ライヴでの演奏を通して、音が変わっていったんだ。『The Seer』の曲も、演奏を繰り返すうちにずいぶん変化した。

自然に変化していったということですね。

マイケル・ジラ:そう、行ったり来たり。試行錯誤で、僕の場合メンバーをなだめながらやっていく必要もあった。良くも悪くも僕はバンド・リーダーだからね。ときには喜びと怒りでバンドに大声を出すことだってある。まさにライヴの作業だ。そうやって奮闘しているうちに少なくとも僕たちにとっては最高だと感じられるものができて、そのときやっと頂点に辿り着いたと実感できるんだ。

僕はミュージシャンとして正式な訓練を受けたわけでもないし作曲家でもないから、すべて直感で仕事をしている。そして何ごとも恐れず、ひとつの映画を制作するまでの映画作家のように試行錯誤しながら作業をする。

前作『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』もそうですが、『The Seer』には何らかの宗教的な主題が込められていると思われます。私たち日本人はからずしもすべての人間がそうであるとはかぎりませんが、宗教的に「曖昧」であり、スワンズの言葉の信仰的および背徳的な面がわかりにくいところもあります。今回、あたなは『The Seer』にどのようなコンセプトをもたせたのか、詳しく教えてください。

マイケル・ジラ:日本人にとって特別わかりがたいとは思わない。僕はあまり言葉のコンテンツについて語るのは好きじゃない。なぜなら誰もが自由にそれぞれの想像力を働かせ、何かを経験する機会を持つべきだと思うから。曲のコンテンツについて語ってしまうと、まるで大学の試験にでも答えるかのように終わってしまう。そういう意味ですべてを解放したままでいたい。音楽のスピリチュアルな面については、僕は特定の宗教に属しているわけではない。けれど、スワンズの演奏はどこかスピリチュアルな面での影響力があると僕たちは思うし、同じように感じるひとも観客の中にはいるようだね。例えばタントラ・セックスのように、緊張と開放、つまり自己を失うと同時に発見する感覚なんだ。それが僕たちが興味をもっていることのひとつ。日本の仏教の禅宗や瞑想にも通じるところがあるんじゃないかな? 自己を深く認識するのと同時に、すべてを解き放す感覚なんだ。

『The Seer』は2枚組2時間におよぶ大作(DVD付き3枚組もある)ですが、音楽作品のトレンドがLPサイズになってきている思しき昨今、このような作品をリリースすることに、レーベル・オーナーとしても、ためらいはありませんでしたか? 私は『The Seer』には一瞬たりとも退屈は瞬間はないと思いましたが。

マイケル・ジラ:(キッパリと)ためらいはまったくなかった。なぜなら僕はもうそういうことを気にしていないから。ひとがどう思おうが関係ないんだ。もちろん僕だって生きていくためにはレコードを売らなくてはいけないけど、僕と僕の仲間は音楽が導くところに迷いなく進もうと決めていた。このレコードの制作を始めたときも色々と録音し、僕がそれらを膨らませたり、アレンジしたりするうちに最初に録音したものが成長していったんだ。その時は4枚くらいのCDで4時間くらいの長さになるかと思っていたよ。結果的に2時間に収まったけれど、別に特別なフォーマットに収めようとムリしたのではなく、たまたま3枚のCD、2つのLPであったということ。とりあえずサウンドが誘導するところへ進んでいき、どうやってリスナーにそれを提供するかは後で考える。すでにもう一枚アルバムを制作できるくらいの素材があるけれど、それがどんな形になるかはまったくわからない。

『The Seer』の"The Seer""A Piece Of The Sky""Apostate"などは組曲的な構成ですが、これらの曲はどのような構想のもと生まれたのでしょう? またレコーディングでは、これらの曲は即興的な要素も含むライヴな手法で録音されたのでしょうか? スコア的なものに基づき、厳密に構成されているのでしょうか?

マイケル・ジラ:直感で構成していく。ほとんどがまずアコーステックギターから始まる。"The Seer" のように規模の大きい、長い曲もそう。バンド・メンバーと仕事をしていくうちに、だんだん成長し、新しい姿が形成されていく。誰かが僕をワクワクさせることをやった瞬間にはそれを追究してみて、それが新しいセクションになったりね。反対に誰かが僕の気に入らないことをすれば、それはカットしようと話す。すべてがそんな感じに育成されていくんだ。核となるミュージシャンたちと基本的な録音が終わった時点で、僕のいわゆるレコード・プロデユーサーという役割がはじまる。曲に何が必要かを想像して、たとえば曲そのものだけではなく、イントロダクションが必要だと判断したりする。"A Piece of the Sky" はまさにそうだった。曲の前半は僕と僕の友人たちが自然に曲を形成、そしてレコーディングして、後半部分に実際のバンド・メンバーが加わったんだ。僕はミュージシャンとして正式な訓練を受けたわけでもないし作曲家でもないから、すべて直感で仕事をしている。そして何ごとも恐れず、ひとつの映画を制作するまでの映画作家のように試行錯誤しながら作業をする。

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もちろんいまも昔もドローンやトーン・クラスターなどに惹かれるけれど、僕にとにかくコード チェンジは気が散ってしょうがないんだ。正直なところ、コードを一回チェンジするのだって気が散ることがある。


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The Seer

Young God Records

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サウンド面についてお訊きします。新生スワンズは通常のロック・バンドのスタイルに加え、ハンマー・ダルシマーやオーケストラ・ベル、ラップ・スティール、そのほか多楽器主義的な編成になっています。スワンズがこのようなスタイルをもつに至った経緯を教えてください。

マイケル・ジラ:友人たちがたまたま演奏している楽器だから取り入れたまでだよ(笑)。でも、特にハンマー・ダルシマーは、開放的な余韻がとても気に入っているし、ベルも同じだよ。どのようにレコードを編成していくかについては、スワンズの基本的なメンバーが演奏を終了してから、その曲が何を必要としているかを想像して、メンバーに声をかけるんだ。ときには楽器ではなくある特定の人物を思い描くこともある。この曲はビル(Bill Rieflin/ビル・リーフリン Honorary Swanとクレジットされているサイド・メンバー。元ミニストリーのマルチ・インストゥルメンタリスト)が必要だ、とかね。僕の親友のビルはこのレコードでおよそ十はくだらない楽器を演奏している。まだ彼がなにも聴いていないうちにスタジオへ飛行機できてもらって、そのときあるがままの曲を聴かせてどう思うかと訪ねてみた。すると彼はじゃあここはピアノの演奏を入れようとか、ここはベースを入れようとか何かしら提案するんだ。でも、すばらしい感受性を持っている彼の存在自体が大切で、僕は彼がどのように演奏しようとかまわなかった。ときには歌ってもくれたしね。

2000年代にアメリカのアンダーグラウンドで盛り上がったドローンはスワンズを雛形にしている部分があると思いました。この意見についてどう思われますか? またドローン、あるいはトーン・クラスター的な音響手法はスワンズにとって重要なものでしょうか?

マイケル・ジラ:たしかに雛形になっている部分はあるかもしれないけれど、審美的、または知的な意味では違う。もちろんいまも昔もドローンやトーン・クラスターなどに惹かれるけれど、僕にとにかくコード チェンジは気が散ってしょうがないんだ。正直なところ、コードを一回チェンジするのだって気が散ることがある。でも、きみが気づいてくれているようにひとつのサウンドは沢山のニュアンスと無限の可能性を秘めている。だからひとつの音をただ持続させているのではなく、僕たちのサウンドには常に動きがある。それは様々な楽器や、モジュレーションを駆使しているからだ。いつも何かが変化している。リズムが変化している。そういう方法をとったほうが効果的に波にのることができると思うんだ。

私はあなたが「The Quietus」というサイトに発表した、13枚のお気に入りのアルバムを拝見しました。ストゥージズ、ドアーズ、ボブ・ディラン、マイルス・デイヴィスらの作品に混じって、そのなかに、ヘンリク・グレツキ、アルヴォ・ペルトというふたりの作曲家の作品をみつけましたが、彼らがともに東欧系であるのは偶然でしょうか? あるいは、たとえば、バルトーク・ベラのような東欧的な作風に何か惹かれるポイントがあるのでしょうか?

マイケル・ジラ:ああ、あれは良いウェブ・サイトだね。そうだな、たぶん惹かれるところがあるんだと思う。昨夜ペンデレツキを聴いていたんだけれど、あれはとてつもない。ああいった感情に極限的なインパクトを与える音楽を好む傾向があるんだろうね。ひとはそれを音楽の暗い面というかもしれないけれど、僕はちっとも暗いと思はない。ただただ感動的だと思う。グレツキの"交響曲第2番"をはじめて聴いたとき、スワンズのサウンドにそっくりだと思ったんだ。でも彼は作曲家だから、もっとサウンドにバリエーションがある。それにあの曲はグレツキの作品の多くがそうであるように、最初はまるで世界の終わりを思い起こさせるようだけど、次第にとても穏やかで美しいものへと流れていく。彼の"交響曲第3番"を聴いたことがあるなら、とても美しい曲だとわかるだろう。あれはなぜか80年代に彼のポップ・ヒットとでもいえるようなものになっていたよね。とにかく、そういったサウンドに惹かれるのはたしかだ。

イスラエルに滞在していたとき、僕のヒッピー仲間が相当な量のハシシを残していった。バカでナイーブだった僕はエルサレムの地元のホステルでそれを売ろうとして、そこを現行犯で警察に捕まって、結果的に3ヶ月半拘留された。

スワンズ、エンジェルズ・オブ・ライト、あなたのソロ名義や〈Young God〉のヴィジュアル・アートワークは印象に残るものが多いのですが、『The Seer』のジャケットを手がけたサイモン・ヘンウッドや過去の作品の多くを手がけたデーリック・トーマスなど、彼らペインターとの関係性と作品に対する思い、またアート・ディレクターとしてのあなたのヴィジュアル・アートワークに対するこだわりを教えてください。

マイケル・ジラ:彼らは僕の友人。サイモンのアートは大好きだよ。ここ数年彼の作品はものすごく成長しているけれど、あらためてなんといったらいいかは......わからないな(笑)。僕は近日行われる彼の結婚式でベストマン(花婿の付添人)を務めるんだから。彼は僕の友人で、彼の仕事が僕は大好きだ。デーリックも僕の良い友だちだけれど、サイモンほどは親しくないかな。彼はちょっとしたアウトサイダーなんだ。アーテイストとして訓練も受けているけれど、アートの世界にはまったく従事していない。彼はブロードモア精神病院で患者にアートを教えているんだ。僕にとって彼はウォルト・デイズニーとヒエロニムス・ボスを組み合わせたような人間だね。

アートワークについてのこだわりはどうでしょう?

マイケル・ジラ:特にこだわりはないよ。でも、良いセンスは持っていると思う。通常イコン的な画像を探すけど、シニカルなことをいうとその作業も一種のブランド化だからね。明確かつ簡潔、即時に目がいくような画像をとにかく中央に配置するようにしている。レーベルとスワンズ両方にとってしっくりくる画像を探すんだ。

ウロおぼえなので勘違いであればお許しください。その昔、あなたのインタヴューで読んだ気がするのですが、あなたがローティーンの頃にヨーロッパをヒッチハイカーとして旅していて最終的にイスラエルでハシシを売った罪で半年も拘留されていたというのは本当ですか? この場をかりてあなたの少年時代の話を是非ともおききしたいです。

マイケル・ジラ:ほぼ本当だよ。子どもころ、家出したんだ。14~15歳だったかな。そのとき僕はドイツにいた。ヒッチハイクしながらヨーロッパを横断し、ユーゴスロビアからギリシャ、そこからトルコに渡った。イスタンブールに何週間か滞在していたんだけれど、お金が底をついてきて、そのころ僕と僕のヒッピー仲間たちが仕事を見つけられるようなところといったらイスラエルだったんだ。だからイスラエルへ彼らと行き、そこでしばらくいっしょに過ごした後、彼らが去って行くときに相当な量のハシシを僕に残していった。バカでナイーブだった僕はエルサレムの地元のホステルでそれを売ろうとして、そこを現行犯で警察に捕まって、結果的に3ヶ月半拘留された。でもイスラエルはトルコと違うし、もちろん恐ろしいことも目撃したし自分の世界観が変わるようなできごともあったけれど、それでもまあイスタンブール刑務所にいれられていたわけじゃないからまだ良かった。拘留されているときに学んだこともある。ひとの行き来が多少あったので独房とまではいかなかったけど、ひとりでいる時間がかなりあって時間というものの大切さと必要性について考えるようになったんだ。機械的な賃金奴隷のような生活に屈服せず、いかに自分の時間を想像力豊かな方法で活用することが大切か分かったんだ。もちろん、僕を含むどんなひとにとってもそうすることが難しいのはある程度は仕方がない。刑務所にいるときは刺激というものがとても制限されるから、とにかくその部屋にいる自分の体に意識が集中して、ときにはためになり、ときには気が狂ってしまいそうだった。ひとつよかったのはたくさん本を読むようになったこと。そういう意味で僕を助けてくれた経験でもあるね。

エンジェルズ・オブ・ライトのリリックはわりと物語的なのに対してスワンズは過去も現在も非常にシンプルな散文詩を唄っているように思われます。その象徴的な言葉を使いはスワンズの名を冠して活動することに対しての重要な要素でしょうか? また、そうであれば過去と現在のスワンズではリリックを書き上げるインスピレーションはどのように変化していますか?

マイケル・ジラ:正直なところ、まだ曲を書けること自体がありがたい。たくさんの曲を書いてきたからかもしれないけど、昔に比べて曲を書くのが難しくなってきた。それにとても忙しくて、刺激になるようなことに費やす時間がない。本を読んだり、映画をみたり、イマジネーションを活性化させる時間がないんだ。でも、スワンズの言葉がどう違うかといえば、断定的ではなくあくまでも一般的に、音楽が襲いかかるように盛り上がってしだいに強くなっていくとき、物語的なリリックを導入するとなんだかがっかりするし、音楽が小さく聴こえてしまうだろう? そういったリリックはなぜか歌い手が中心となってしまうしね。そうではなく、音楽にもう一層積み重ね、聴き手が抱く疑問に答えなくともイマジネーションを活性化させるイメージやフレーズを探すんだ。大きな曲の上に物語を語ろうとすると、音楽が小さく聴こえてしまう。そういう意味でゴスペル音楽に共感するところがある。ゴスペル音楽がどんどん登り詰めていき、最後には同じフレーズを連呼するあの感覚。あれに似たアプローチなんだ。

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もう昔のスワンズの形態には戻りたくないんだ。この新しい形で進んでいきたい。


Swans
The Seer

Young God Records

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私は〈Young God〉Recordsの多くのリリースに魅了されてきたのですが、あなたのプロジェクト以外で今後も新たなバンドのリリースは予定しているでしょうか?

マイケル・ジラ:今のところないな。しばらくはないと思う。スワンズの活動で忙しいから、レーベルの他のアーテイストに時間を費やすことができないし、音楽業界の経済状勢もご存知の通りだからね。残念だけど、あまり有利な仕事とはもういえないかもしれないね。

デヴェンドラ・バンハート、アクロン/ファミリーなどのアーティストから、あなたが影響を受けたことがあるとすれば、それは何ですか?

マイケル・ジラ:特にないな。でも、いろんな意味でインスピレーションを受けた。おもに彼らの魔法のような独創力、それに彼らの若さとやる気にね。いまは彼らも年を取ってしまったからそうでもないかもしれないけれど(笑)、シニカルなところが一切なく、音楽をつくってレコーディングすることを心から愛しているひとたちと仕事をすることは当時とてもインスピレーションを受けた。もちろん、いまあげたアーテイストたちは非常に才能があったし賢い人たちだったから、とても価値ある経験だったよ。

『The Seer』には、前作にひきつづき参加したマーキュリー・レヴのグラスホッパーのほかにも、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・O、ロウのアラン・スパーホウクとミミ・パーカーなどが参加しています。彼らが参加した経緯を教えてください。またスワンズの子どもたちともいえるミュージシャンが活躍する現状を、結成から30年経ったいま、あらためてふりかえって、どう思われますか?

マイケル・ジラ:先ほど話した通り、僕はレコード プロデユーサーなので音楽を客観的に見るように心がけているんだ。自分の作品だからうまくいってないかもしれないけど。スワンズの基本メンバーと僕以外の人材が必要だと思ったときは、彼らを招くようにしている。例えば、僕は"Song For A Warrior"を歌っているとき、自分の声がひどいと思ったんだよ。曲にまったく合っていない。良い曲だと思ったけれど、僕の声ではダメだった。この曲はある意味、僕の6歳半の幼い娘に向けたラヴレターであって、つまり僕が死んだ後娘に聴いてほしい曲なんだ。だから他のひと、あるいはどこか母性的な声の持ち主に歌ってほしかった。ソロで歌っているときのカレンの声は本当に温かくセンシュアル、セクシーではなくてセンシュアルな歌声だと思うんだよ。彼女ならぴったりだと思ったから歌うのをOKしてくれたときはとてもうれしかった。アランやミミもいうまでもなくすばらしい。彼らは造物主との直接的な繋がりがあるんじゃないかと思うほどだよ。アランは何年も知り合いだし、彼は僕が住んでいるここニューヨーク州北部の近所に住んでいるんだ。スワンズの子どもたちについては、彼らが心から愛していることを仕事にし、生活できているのを見るのはとても幸せだよ。おかしいけど、デヴェンドラに初めて逢ったとき、彼は文無しだったんだ。家もない状態だったけれど、一年、一年半経たないうちにミュージシャンとしてある程度の生活を維持できるようになって、それを見ているのはとてもうれしいことだったよ。

ジャーボーは『The Seer』にゲスト参加していますが、ライヴで共演することはないのでしょうか?

マイケル・ジラ:たぶんないな。ゲスト参加してくれたのはうれしかったけれど、もう昔のスワンズの形態には戻りたくないんだ。この新しい形で進んでいきたい。

ジャーボーといって思いだしたのですが、あたなと彼女はかつてスキンというユニットをやってましたよね? 「スキン」というのは、あなたの作品に頻出する単語でもあります。これはある種の身体と境界を意味すると思いますが、あなたはこの言葉に何を託されていますか?

マイケル・ジラ:フハハハ。僕は、Skin は脱ぎさる(脱皮する)ものだと強く信じているんだ。

現在のアメリカ政府の社会保障政策、とくに医療保険改革、銃規制に、あたなは賛成ですか反対ですか?

マイケル・ジラ:僕は(U2の)ボノではないから演説する気はいっさいないけど、個人的な意見としては、われわれは北欧をモデルとした社会主義を目指すべきだと思う。より穏健な世界へ繋がる道は、一種のリベラルな社会主義であると思う。この場でたしかなことはいえないが、(アメリカには)たぶん希望は持てないだろう。われわれは彼らほど聡明でないし、確実に国としての統一性(団結)もないからね。

オリジナルメンバーであるハリー・クロスビー氏に、心よりご冥福をお祈りいたします。何か彼との印象的な思い出があればお聞かせください。

マイケル・ジラ:ハリーには20年もの間逢っていなかったけれど、印象的な思い出といえばこの間ジャーボーも話していたことがある。ハリーはスワンズが活動しはじめたころはものすごい酒飲みで、メンバー全員そうだったけど彼はとくに過激でたくましい人間だった。80年代マンハッタンのアルファベット・シテイと呼ばれていた地域のアパートにいっしょに住んでいたころの話。ジャーボーと僕はベッド・ルームにいたんだけれど、廊下からものすごい音がしたと思うと、ドアが閉まって何かがぶつかる音がしたんだ。そのころ、近所には焼き尽くされた車があちらこちら路上に乗り捨てられていて、酔っぱらったハリーは笑いながら車の前方を取り外し、頭の上に持ち上げたままそれをアパートに持ってきて自分の部屋に放り投げたんだ。その後彼は酔いつぶれて、次の日目が覚めると「あれはなんだ?」と。ハリーは怪力だったから、なんだかムシャクシャしていたのかわからないけれど、あるとき酔っぱらって道路のマンホールカバーを持ち上げて窓に放り投げたこともあったよ。しかし同時に彼はとても知的なヤツで、賢いとても頭が切れて話し上手だった。よく移動中のバンの中でみんなでワード・ゲームをしたんだけれど、いつも彼が勝ってたのを憶えているよ。

あたながいまもっとも大切だと思うもの/ことは何ですか?

マイケル・ジラ:それはちょっと個人的な質問だけど、もちろん音楽と僕の子どもたちだよ。

2月19日の日本公演を楽しみにしております。来日公演にかける意気込みをお聞かせください。

マイケル・ジラ:日本に行くのがとても楽しみだ。最後に訪れたのはたしか20年前だったかな? ショウは独自の命をもっているから、あえて日本に合わせられるかはわからないけど、演奏する僕らと同じように、観客のみんなも純粋に心を動かされるショウになることを願っているよ。(了)

Alexis Taylor - ele-king

 これよりいい音楽作品はたくさんある。なんてことをアレクシス・テイラーは自分から言わないかもしれないが、すくなくとも、ホット・チップと離れたところで彼が発表するプロジェクトに共通してうかがえるのは、世の完成された音楽とのあいだに距離をおきくかのように、自らの作品に未完成性を残したまま発表するような姿勢だ。彼の以前のソロ作『ラブド・アウト』はGarageBandを用いてつくられたさしずめホーム・デモ集だった。ジョン・コクソン(スピリチュアライズド/スプリング・ヒール・ジャック)/パット・トーマス/チャールズ・ヘイワード(ディス・ヒート)との連名作『アバウト』は一堂の会したその日のジャムで、同メンバーの2作目にあたるアバウト・グループによる『スタート & コンプリート』はスタジオ入りの数日前に聴かせたデモ音源をもとに1日で録音されたプリプロ段階のような半即興アルバムだ。いずれも、ホット・チップのようにプロダクションを作り込む、ということを避けている。

 なぜアレクシスは未完成性を作品に残すのか。
 おそらく、彼は気持ちのどこかで引っ込み思案になっているのではないかと思う。グッド・ミュージックへのコンプレックスめいた葛藤とでも言えるだろうか。
 アレクシスにはミュージシャンであるのと同じかそれ以上にオタクなまでにリスナー気質があるように思える。自分の音楽趣味を歌うことがよくあるし("ダウン・ウィズ・プリンス")、ミュージシャンである自分を俯瞰さえした歌詞もある("フルーツ")。インタヴューでも好きな音楽に関して雄弁になっていることが多い。世にいい音楽がたくさんあることを知っていて、そのなかであえて自分が音楽を作って世に送りだすとき、たとえそれがオリジナルなものであると自信を持っていようと、他人が自分の作品をよしとするかどうかに期待がないのだろう。未完成性を残すのは、グッド・ミュージックで満ちあふれる世の中あるいは(ホット・チップが活動してきた)メジャー・フィールドからの、アレクシスなりの降り方なのではないか。そして、そうしたある種のプレッシャーから自由になれる彼の居場所が、自宅にあるという音楽部屋なのだろう。ひとりの作業で、自らの内に内にこだわりをもって向かっていく。ビートルズやビーチ・ボーイズのようなオールディーズのレア音源(ブートレグ)を彼は多く所有しているし、ホーム・デモや初期テイクの演奏の質感への憧憬もあるかもしれない。

 今作『ナイム・フロム・ザ・ハーフウェイ・ライン』は、とにかく全4曲とも、アレクシスなりの音や楽器へのフェティッシュなこだわりがうかがえる。というか、おそらくそれだけのために作られている。
 反復するリズムボックスのうえから、"ローズ・ドリーム"なんて曲もあるようにローズを得意気に弾きながらも、ぎこちないベースを弾いてみせたり、ワウをかけまくった(おそらく)ギターの音や、風呂場で録ったようなドラム/パーカッションのやはりぎこちない音が披露される。4曲中3曲で聴かれるドラム/パーカッションは、特にフェティッシュな響きを曲に与えていて、ぎこちなさが楽器へのこだわりそのものを際立たせている。それらが挟まれるタイミングが、彼の親友であるブライアン・ディグロー(ギャング・ギャング・ダンス)のカットアップと似た響きをもっているのも微笑ましい。
 逆に、アレクシスの最大の魅力である歌声があまり聴かれないのも、楽器への偏重を物語る。ヴォーカルが入っていても、それはピッチ操作をされていたり、ロボ声に取って代わられていたりする。少ない言葉のリフレイン、無感情のヴォーカルなど、今作はいささか挑発的でひねくれた感覚があり、これまでの彼が披露してきた魅力を自ら封じているのは明らかだ。クリスマスに録音されたという"ジーザス・バースデイ"にいたってはまったくのインストで、エコーとディレイがかった微細なノイズが間隔を空けながらも情感的に鳴らされる。外のことを忘れ、音楽部屋にこもりきり、ひとりでこれを作っているアレクシスの姿を容易く思い浮かべられる。誰の理解をも求めないフェティシズム、ここに極まれり。

 しかし、そのフェティシズムはどこからくるのか。
 アレクシスは音楽部屋にこもりながらも、間違ってもトクマル・シューゴのような楽器の名手というわけではない。ドラムが苦手だと僕に話してくれたこともあれば、本誌インタヴューではギターがまったく下手で、ナチュラルに弾けないと答えている。が、しかし、そのふたつは今作でも目立って聴こえる楽器だ。
 以前、アレクシスといっしょにオーネスト・ジョンズに行ったとき、おすすめを尋ねたところ、オマー・ソウリーマングループ・ドゥウェイで、そのころのアレクシスのギターのエフェクトはこの両者のサウンドとよく似ていた。
 今作『NFTHL』についての『ディス・イズ・ザ・フェイクDIY』誌でのインタヴューでは、彼の大好きなロイヤル・トラックスのギタリストの名をあげている。アレクシスは、自らの音楽ヒーローへの憧れ(あるいはワナビズム)と不得意の狭間で楽器を演奏しているのかもしれない。そうだとすればこそ、その狭間で生じるやりきれなさや、憧れが背後にあるフェティシズムが、未完成性をともなった作品としてレコードに着地してしまうのではないだろうか。

 いずれにせよ、昨年のホット・チップのようなポップネスや完成性を今作に求めてもいけないし、アバウト・グループのような歌心も期待してはいけない。あくまでリスナーにできるのは、決して雄弁になれないもどかしさのつきまとう楽器演奏をあたたかく見守ることだけだ。
 
 残る疑問として、なぜこのタイトルなのか。昨年のホット・チップ来日公演でもオリンピックのマークを模したTシャツを着ていたし、フットボールネタが熱かったのだろう。ロンドンのフットボール・チームであるアーセナルとトッテナムの確執念頭にあるようだが、アイロニーをこめているのかも不明瞭である。


参照記事

トッテナムがアーセナルを嫌いな理由 - Fun!!Footba!! -:
https://shamoonyouspurs.blog118.fc2.com/blog-entry-73.html

Alexis Taylor: 'I Can Make More Enjoyable Mistakes On My Own' | Features | DIY:
https://www.thisisfakediy.co.uk/articles/features/alexis-taylor-i-can-make-more-enjoyable-mistakes-on-my-own/

interview with Hot Chip - いいですか? 絶対に真実は言わないください | ホット・チップ | ele-king:
https://www.ele-king.net/interviews/002235/

さあ、世界よ、グッドメロディのポップ・ソングをもって小躍りせよ―ホット・チップが新作『イン・アワー・ヘッズ』を発表&来日! | Qetic - 時代に口髭を生やすウェブマガジン "けてぃっく":
https://www.qetic.jp/interview/hot-chip/80557/

DJ MINODA - ele-king

2013はスローモーションがいろいろお騒がせするかもしれません。
とりあえず、今後のスケジュールを。

3月16日土曜日 SLOWMOTION @ Galaxy
3月19日火曜日 JDI @ en-sof Tokyo
6月22日土曜日 SLOWMOTION @ 旧グッゲンハイム邸

あと春ころにMix CDをリリースします。

DJ MINODA
「Low-Pass Mix」
-live mix in SLOWMOTION 2012.12.21-

よろしくお願いします。

脳内再生多めの10曲 -'13冬- (ABC順)


1
Night Bazaar / Alfred Beach Sandal
https://www.youtube.com/watch?v=NFtSdxAd9XY

2
Walk Out To Winter / Aztec Camera
https://www.youtube.com/watch?v=AprZd47arUA

3
outdoors / cero

4
スマイル / cero

5
Call Of The Wild / Jimi Tenor
https://www.youtube.com/watch?v=OEWSHhaEo-8

6
煙突 / ミツメ
https://www.youtube.com/watch?v=3yDSagU_gJw

7
めくらまし!/ザ・なつやすみバンド

8
パラード / ザ・なつやすみバンド
https://www.youtube.com/watch?v=ZU1iGO7FoBw

9
The Mayor of Simpleton / XTC
https://www.youtube.com/watch?v=5Da9sc6YDBo

10
閉鎖されてた / yojikとwanda
https://www.youtube.com/watch?v=zCY8OuUtjhU

工藤キキのTHE EVE - ele-king

 「ニューヨークはみんなが半分遊んでいる街だよ......」と言ってくれた長くNYに住む友だちの言葉で、人生はじめての大きな引っ越しの不安は多少和らいだと思う。世界はインターネットでつながっていて、さほどどの都市も変らないともいわれているけど、実際に住んでみるといままでとは別次元を生きている感じで、言語も習慣も違うと、寂しい、不安だ、英語わかんない、などにマジメに向き合えないほど、とにかく驚いてばかりの日々も1年が過ぎた。だけど良かったと思うのは、大人になってから来たので、すでに自分の好きなものを知っているから闇雲に何にでも手を出さなくてもいい。だって、あれもこれも、というぐらいNYは月曜から日曜まで毎日どこかでパーティがある。
 そんななかでもハーレム育ちのドミニカン・フィメールDJ(......というかアーティストと言った方がいいかも)のVenus Xと'HOOD BY AIR'というファッション・ブランドのデザイナーでもあり彼女の幼なじみの$HAYNEでオーガナイズしているパーティGHE20G0TH1K(ゲトーゴシック)は、フリークドアウトできるパーティのひとつだ。

 ダウンタウンやブルックリンのヤング・ジェネレーションが集まるパーティには案外ミュージック・ナードが少ない。サウンドシステムにうるさい人もあまりいない。'グッドミュージック'を楽しもうとするよりも、ウイード吸ってハイになって、MDMAやマッシュルームでどれだけ踊り狂えるか、フリークドアウトできるのか......というような音楽の楽しみ方をしている若い子が多いと思う。だからほんとストレス発散には最高だし、そして最近のMDMAは翌日のディプレスもない......!  
 とはいえ、GHE20G0TH1Kにはもちろんグッド・ミュージックで踊るために行っているんだけど、そのパワフルな動きを一緒につくっているのが、FADE TO MINDのKingdomやNguzunguzu、MikeQ、Fatima Al QadiriそしてPhysical Therapy、Dutch E Germ、 Brenmar、Total Freedom(この人は最高!)など、同時代にタイミングよくメンツが揃っているのも、このシーンを強いものにしていると思う。

 フロアでかっている曲は、シカゴのジュークやグライム、レゲトンやラテン・ハウス、ハード・ハウス、ローカル・アンダーグラウンドや南部のゴス・ラップ、テクノ、R&Bにアルジャジーラの放送や、メイクアップに倒錯したアメリカのティーンのYoutubeをかぶせたり、ニルバーナの"スメルズ・ライク・ティーン・スピリット"を激重くチョップド&スクリュードしたり......さらに初音ミク的なものも。そうだ、ゲストに元Three 6 MafiaのGangsta Booや地元ハーレムの仲間としてA$APも登場したこともある、かなりラジカルでクレイジーなパーティ。
 客層もゲイ・ピープル、フェミニスト、アーティスト、ミュージシャン(というかNYで出会った人の80%はアーティストまたはミュージシャンと名乗る人ばかりだけど......)。ファッション系はNYのオールドスクール「V」や「W」 ではなく、まさにGHE20G0TH1Kと同時期にスタートした、ニュースクールのファッション・サイト『DIS MAGAZINE』や、そのフォロアー。
 ハッキリ言ってNYの若い子は東京やロンドンに比べたら全員がとびきりオシャレではない、と思う。パーティに集まる若い子も、90'Sのレイヴの独自の解釈? Tumbler的なインターネットに転がっているゴミをかき混ぜたような......ファッショントレンドというよりも、DIYで混ぜこぜにしたイメージを楽しんでいる。そして、どれだけパーティのブッ飛び要素になれるか......。

 GHE20G0TH1Kも最初は小さいバーからスタートして、2010年にはそれを面白いと思ったMoMA PS1のキュレーターが毎夏開催しているWarm UpというシリーズのパーティにGHE20G0TH1Kを抜擢、その後はブッシュウイックのトルティーヤ工場などのウエアハウスのパーティで知られるようになって、2011年には『NY Magazine』や『Village Voice』のベスト・パーティに選ばれ、さらに2012年にはガゴシアン・ギャラリーでのダミアン・ハースト展のアフター・パーティ、Gang Gang Danceのフロント・アクトとして一緒にツアーを周り、ファッションウイークのDJ、そしてマイアミのアートバーゼルにも呼ばれてと......。'アメリカンドリーム'じゃないけど、新しい動きには必ずフックアップする人たちがいて'次へのステップ'が用意されているのも興味深い。しかも、そういったヤングのアンダーグラウンドのトレンドをファッションよりもアートが先に眼を付けるのが、アートマーケットが確立しているNYならではだ。
 GHE20G0TH1Kって名前もそうだけど、NYはヴェルヴェット・アンダーグラウンドしかりヒップホップしかり昔から、ラリー・レヴァンさながらダンス・ミュージックを'言葉'でつなぐようなリリカルなものに反応するDNAがある街だと思う。Venusたちにもパーティのフライヤーには'Mind Fuck'や、いつもアナーキーなパンチラインがあり、それこそエジプトのデモがあった時のアルジャジーラの放送をビートにのせるような、わけのわからないサウンドを生み出しているけど、それが狂乱の夜にがっちりとハマる。まさに言葉で煽るというNYのダンス・ミュージックの伝統を継承しているニュースクールだ。
 最初は一緒にパーティに行く友だちも少なくて、あのパーティ行ってみたいけど......ひとりだと嫌だなーと見逃したこともたくさんあったけど、開き直ってひとりでも遊びに行くうちにだんだん、いつものメンツがいたりして、東京にいた時もそう思っていたけど、一緒に酔っぱらったり踊っているうちに仲良くなるって世界共通なんだよね

アナログに導かれ、翻弄され、カートリッジの相性に迷い、逆相に驚かされ……その先に見えてきたものは!? 総ページ320P、図版約1千点、リスニング・セッション延べ100時間以上をかけて盤を聴いて聴いて聴きまくり、片っ端から解説した世紀の奇書、音盤迷宮の果てしない旅! リマスターボックスももちろん聴いてます。

みんなサイボーグ

もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。(佐々木)

サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。(野田)


HMOとかの中の人。(PAw Laboratory.) - 増殖気味 X≒MULTIPLIES
U/M/A/A Inc.

初回盤 通常盤

野田:ダークスターという、ダブステップ・シーンから登場したバンドが2009年に出したシングルに“エイディズ・ガール・イズ・ア・コンピュータ(エイディの彼女はコンピュータ)”という曲があります。当時ヒットしたし、評論家受けもしたエポックメイキングな作品なんですけど、これが初音ミク的にコンピュータのソフトウェアに歌わせた曲でしたね。それまでダブステップに歌がのる場合、たいていはR&B調のヴォーカルだったんですが、ダークスターはコンピュータのソフトが合成する声に、アンニュイなシンセポップを歌わせたんですね。
 今回、佐々木さんにお会いするので、僕なりにミク的なものを考えてみたんですけど、いろいろありました。そもそも、エレクトロニック・ミュージックのこの10年は、「声の10年」だったとも言えるかもしれないんです。たとえば、ジェイムス・ブレイクの“CMYK”、この曲の元ネタがケリスの“コート・アウト・ゼア”とアリーヤの“アー・ユー・ザット・サムバディ”だということはいまでは知られていますが、最初は誰の声かわからないほど加工されていました。
 こうした声ネタ加工が流行した発端は、レイヴ・カルチャーだったんじゃないかと思います。たとえばプロディジーは、声ネタのサンプリングを子どもの声になるようなハイピッチでやって、そのまま使って馬鹿馬鹿しさを出した。DJスクリューはまったくその逆で、速度を落として再生して、お化け声みたいものを面白がった。ダブステップ世代になると、たとえばブリアルなんかは、バカみたいな甘々のラヴ・ソングR&Bの言葉を幽霊のような声に加工しているんですね。00年代以降のポップスの主流はR&Bなわけですから、日本で言えばエグザイルみたいな連中の曲の歌の断片をリエディットして、意味まで別にものにしているんですね。そのいっぽうで、R&Bの泣き虫(ウーピー)系は、カニエとかドレイクとか、オートチューンを使いまくっていました。ポップスのサボーグ化とういか、ポップスのなかで声の加工という領域がここまで盛んだったことは過去になかったように思います。昔は、ギターが生から電気になっただけで騒がれたほどで、声は生にとって最後の領域だったと思いますが、それがいよいよ大々的にサイボーグ化している。
 そういうなか、メデリン・マーキーは最新型です。彼女は、ヴォコーダーを使って小鳥のさえずりのような音を出すんです。かつて戦争兵器として使われたなんて考えられない、というようなすばらしい使い方です。僕なりに初音ミクに繋がるような、いろいろレコードやCD持ってきたんですが、これがまずその1枚です。
 もうひとつ、音楽作品というのが、ソフトウェアとなったというか、ソフトウェアとしての音楽作品というのを実践したのが、ビョークが去年リリースした『バイオフィリア』でしたね。これは、アプリとしても制作・販売しています。それによって1曲1曲をインタラクティヴに楽しめるというのが彼女のコンセプトでしたが、これは、ソフト開発というものが技術屋ではなくて、アーティストの仕事になっていくという事態を象徴する作品だったと思うんですね。この道ではそれこそモノレイクが先駆的に、ソフトウェアの開発者でありIDMの作家であり続けていますが......。そういえば、昔、ローランドの909の発案者に取材で会いに行ったことがあったんですが、開発者はふつうに社員なんですよね。でもこれからはそうじゃなくて、909を作った人がアーティストになるようなことです。
 それから、もうひとつ、ヴェイパーウェイヴという新しいジャンルがあって、これもある意味初音ミク的というか......、いや、ミクのジャンク・ヴァージョンのように思います。アメリカ人ですが、日本語を多用していて、それも適当な翻訳ソフトで翻訳したであろう、壊れた日本語になっています(笑)。
 ヴェイパーウェイヴのサンプリング・ネタのほとんどはユーチューブであったり、ネット上に落ちているものです。作品自体は凡庸で、とくに新しいわけではないんですが、ネット上の海賊盤の交流会みたいな感じが新しいんです。ヒップホップのミックステープと違って、自分の音楽の売り込みのためにやっている感じではないんです。むしろ売る気がぜんぜんないというか、まったくやる気がないというか、「がんばれば君もポップスターになれるかもしれない」という夢をいかがわしい虚妄として見せているようにも解釈できるので、反資本主義などと評価されたりするような、デジタル時代のカオスがあるんですね。しかも、外から見た日本のイメージがかなり偏ったカタチで流用されています。ヴェイパーウェイヴでは、日本のアニメやオタク文化は、健全なアメリカ社会がもっとも望まないであろう、忌まわしきアイコンとなっているようなんです。ミクはアニメじゃありませんが(笑)。とにかく、やってしまえという感じでやってしまって、いまいちばん意味を求めているシーンです。
 もう1枚紹介させてください。メイン・アトラクションズです。クラウド・ラップというジャンルに分類される、USのラップ・グループです。この「クラウド」という言葉はサウンド・クラウドとかのクラウドです。やはりいろんなところから音を引っぱってきて、ルーピングしたりする。ギャングスタなのに、パフュームなんかも使っているほどです(笑)。〈タイプ〉というUKのアンビエント系のレーベルからも1枚出てるんですけどね。
 サンプリング自体、90年代から00年代のある時期まで、厳しい著作権の監視下によって表に出れなかったんですけれど、ネットの普及とともに、サンプリング文化自体がまた盛り返しているのも面白いですね。

佐々木:声から受ける情報は、人間にとって他の音とは比較にならないほど大きいし、重要ですから、エレクトロニック・ミュージックにしろ『声を扱える可能性』を持っていた時点でこうなる運命だったのだと思います。ヒップホップとか、ドラム+語りですしね(笑)。野田さんが言及されている声にまつわる音楽は自分にとっても興味深いです。ダークスターなどダブステップの拡散の中で、声の効果的な活用法というのは先鋭化されているのは音楽の流れとして必然と思いますし、メデリン・マーキーなどドローンのソースとしての声は、「動物の鳴き声」を掘り下げるような試みで、意味深に聴こえます。声の応用でサウンドメイクしているという情報と、波長が強調された音像が相まって身体的・肉感的な音楽に聴こえますね。まぁ妄想ですが(笑)。
 ヴェイパーウェイヴなど動画共有サイト時代のサンプリング感覚に関しては、おっしゃるとおりにもう時代は変わってしまっていて、情報=音源に関する認識も変わっていっているなと思います。もう若い子にとっては音楽は何らかの付帯情報、映像だったり、写真やイラストだったり、サンプリング・コラージュだったり、そういった情報要素が混ざった集合体として捉えられていくのかもしれませんね。それが「初音ミク的」と呼ばれるのであれば、同時代的なのだろうなと。親戚みたいな感じでしょうか。

野田:高周波数のサンプリングが一般化していく一方で、ロービット・サウンド熱も高まっていますよね。チップチューンとかね、一部の人たちがゲームボーイで音楽を作りはじめました。むしろ8ビット・サウンドがかっこいいんだという。その種の反動というのは必ずあるもので、もしかしたら初音ミクを用いる人にも無意識にそうした傾向があるのかもしれないですね。エイフェックス・ツインがジョン・ケージをカヴァーするいっぽうで、ガバをやるようなものです。

佐々木:そうですね、そこは表裏になっているなという感じもしていて、ロービット・サウンドの前にも、パトリック・パルシンガーのバキバキに歪んだテクノとか、エリック・Bのモコモコしたビートとか、そこまで音を悪くしなくていいでしょう? というくらいダンゴになったようなサウンドの人たちがいましたよね。昔はそれ自体が作家オリジナルであり異端でした。ユーチューブからのサンプリング・コラージュも、たぶん15年前だと〈ロス・アプソン?〉とかが世界中から集めて売っていたような、変態的な(笑)人々の音楽、というような認識しかなかったわけで、変わりましたよね。昔は、アナログ作業的でマイノリティでしかなかったものが、いまだと別の意味性を帯びてコラージュされたりしているわけですから。
 とにかく、変な音とか、気になる音とか、音に対して行き過ぎた興味を持っていくと、どういうふうになるんだろう? という好奇心が自分のなかにはあって。自分はそもそも音に対する捉え方が狂っていたなと思います。そういうなかで、初音ミクというのは、それまで自分のなかでイメージしたことのなかった「機械による可愛い声」を目指したものでもあったんです。でも、その「可愛い」自体がちょっとズレていたんですけどね。自分がアニメなどのカルチャーに詳しい人間だったらいちばんには選ばないような、基本「歌わない」人をセレクトしたし、自分が声優ファンではないからこそ、テンションの低いディレクションをしたんだろうなとは思います。
 余談ですが、自分が聴いた声の加工のなかでいちばん怖かったのは、エイフェックス・ツインが竹村延和の『チャイルズ・ヴュー』のリミックスでやってたものですね。あのなかで、声のピッチをグニャグニャにいじってすごく綺麗でロリータっぽくしている部分がありますが、あれは狂気です。綺麗で可愛い声を、暴力的に扱っている感じが怖かったですね......。

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『D.o.A.』、ポルノ、初音ミク

(藤田咲さんの声は)「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。(佐々木)

次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど(鏡音リン・レン)、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。(佐々木)


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野田:なるほど。女性の声を選ぶときに、セクシーな大人の声か、ロリータかという選択肢があったと思うんですけど、少女っぽいほうにしたのはなぜなんですか?

佐々木:ロリータ系の声というのは、いっぱい聴いたんですよ。要は声優さんの声って、ロリータのヴァリエーションの宝庫だったりするわけなので......。いろんな声を聴きましたが、この藤田咲さんというのは、ある種、演じるというより少々感情的に声を前に出すのが強い演者さんで。「個人性=我」の強い声だなと思ったんですね。濃いと思ったわけです。それを録って、ぶった切って、ボーカロイドに入れて、ボーカロイドの声として出てきたときはその自己主張のところがバラバラに崩れて、「そもそも自己主張が強かったもの」の残骸として出てくるんですよね。それが個人的にはおもしろいなーと思っていて。ある意味では、素人性みたいなものにフォーカスしたところがよかったなと思っています。

野田:そこに挑発はなかったですか? たとえばイギリスは、ロリータに対して厳しい国です。イギリスの友人が日本に来てモーニング娘。を観たときに怒り狂ってました。「ありえねえよ!」って(笑)。多くのイギリス人はAKBにも怒るでしょう。マッシヴ・アタックの3Dが反イラク戦争のデモに参加して、反ブレアを訴えていた頃、当局は彼を幼女ポルノ画像を集めていた罪で逮捕しましたからね。ドラッグよりもロリータのほうがスキャンダルなんです。

佐々木:初音ミクの次、2作目(鏡音リン・レン)を作っていたときに、頻繁に電話をかけてくる人はいましたね。次のボーカロイドは、モチーフがDX-7からEOSになっていたので、肌が白くて金髪だったんですけど、アメリカ人から見れば、ロリータ声でこのヴィジュアルだと道徳的にあまりにひどいから、すぐにやめてくれと。真剣に何度も説得されました。そんな電話対応の記憶もありますね(笑)。

野田:佐々木さん自身はどうなんです?

佐々木:それこそモーニング娘。があり、その前の東京パフォーマンスドールがあっておニャン子クラブがあってという流れ、「若さ」とか「生命力としての鮮度」を誇張するトレンドのなかで、ロリータというのは重要な記号にどんどんなっていっているんだろうなとは思います。コンビニエンス・ストアなんかに行くと、アダルト雑誌のコーナーなんてとんでもないことになっているわけじゃないですか。のどかな田舎も含めた日本全国。そういうものがすごくノイジーだなとは思いますね。自分が中学生の頃にレンタルビデオ店でデスファイルってのが流行ってたんですけど酷い国だなと思いましたね......(苦笑)。

野田:スロッビング・グリッスルの『D.o.A.』もそうですよね。あのジャケットは、当時イギリスではずいぶんと物議を呼んでいるんですよね。幼女のパンツ姿が映っていたからです。タブーだからこそ彼らはやったわけです。

佐々木:スロッビング・グリッスルって「脈打つ男根」って意味でしたっけ(笑)。小難しい空気もありつつ、小学生男子のスカートめくり的というか、直感的におもしろがってやっている風というか、彼らはファンキーですよね。それを喜ぶリスナーも、まぁ子供っぽいというか直感的ですよね(笑)。ストック、ハウゼン&ウォークマンで、おもちゃと性器がコラージュされているような、いたずらの感覚に近いと思いますね。そもそもノイズやコラージュと、ファッションやロリータ、エロって親密じゃないですか。カエルカフェの白石さんや、嶽本野ばらさんや、ディアステージの喪服ちゃんとか、皆さんそんな要素を持っている方が、90年代~00年代の東京アンダーグラウンドに根付いていた。
 たとえば実験音楽のCDショップに行ったらもっとひどいものあります。部屋のなかにレコードをざーっと敷き詰めて、その上で猫とか豚とかを殺しまくって返り血を浴びせまくった返り血レコードだったり、豚の頭の剥製で鼻ところにカセットテープがポコッとはまっていたり、っていうジャケットとかですね。刺激的で目立てばなんでも良い世界(苦笑)。自分は、10代の頃にサウンドアートにハマってしまった関係で、それはそれで表現の極北っていう感じがあったので......。全部、人間の所業として存在するものと感じます。 
 ただ、アートとしてのエログロと、コンビニでエロマンガだとかDVDだとかが無造作に並んでいるような状況は、それはまたべつの次元ですごいものだな、とは思っていて。そのあたり、インターネットで気軽に検索してはいけないワード(惨殺動画~グロ動画)とか、xvideos(何でもありのエロサイト)とか、いろんなものをキャーキャー喜んで見ることができるというような状況が一般的になっているのはアングラ文化ではないわけで。もしくは世界中がアングラを気にしないようになったんですよね......。特に日本は性的な興味関心の部分ではずっと先取りしていたんじゃないかなというようなことは感じます。CD-ROMが安くなった時点からコンビニにはハッキングまがいの裏ツール本とか、エロデータ本とか、そういうものが並んでいたわけですから。
 それに、日本のエロマンガとかのデフォルメの仕方もそうですよね。日本のなかの性的暴力と幼児退行みたいな感覚は、物心ついたころからそのへんに兆しがあふれていたし、音楽でもマゾンナやゲロゲリゲゲゲ、もしくはへーターズ的なアートもノイズ文化として一部で支持されていました。自分のなかでは、そうした極端な表現や破滅的な表現の傾向は、個人の好き嫌いに関係なく、すでに世のなかにあるものとして考えています。だから自由という暴力がまかり通るインターネットの時代に「目立てばなんでも良い表現」がクローズアップされてしまうのも、現状しょうがないし当たり前のものになっていくのだろうな......としか言いようがありません。

YouTube(=海)の向こうの初音ミク

インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。(佐々木)

野田:初音ミクは海外でもかなり多くの人に受け入れられていると聞いています。ライヴでも、アメリカや台湾ですごい人数の現地の人たちが日本語で歌っているとか......。

佐々木:これはほんとにショックですよ。日本のライヴよりも、アメリカや台湾のライヴのほうがお客さんが熱狂してるんですよ。日本人は比較的冷静というか、精鋭のファンたちが集まってるといった感じになってるんですけどね。日本では、みんなで作ってみんなで選別してっていう、ウェブ上でみんなが育てた実感のあるインタラクティヴなカルチャーが、台湾や西海岸の人たちには変なバイアスがかかってハイパークールジャパン(笑)みたいに受け入れられている。日本からとんでもないカルチャーが出てきた、みたいな感じですね。それに、インターネットで、世界同時にいろんなものが見れてしまうという環境のなかで、いまの10代の子たちの感覚っていうのは、けっこうクォンタイズされてきているという気もします。みんな似たような感覚で、似たようなものに注目している。ユーチューブの再生数であるとか、ものの注目のされ方、ネットの構造みたいなところにそれが表れている。みんながどういうふうに時間を使っていくのか――学生は時間があるわけじゃないですか、そんな子たちが見ているものが、似てきていると思うんですね。世界同時に。自分もたまにユーチューブのアクセス解析みてみるのですが、初音ミクはやばいです......。

野田:やっぱ、エクストリームなものとして受け入れられてるんでしょうね。ホントに『D.o.A.』ぐらいに、キリスト教的な縛りから解放しているのかもしれませんよ(笑)。向こうのマッチョイズムは日本なんて比較にならないぐらいすごいから、その分、ナードなものがカウンターとして機能して、熱狂を生んでいるのかもしれませんね。

――いま佐々木さんがおっしゃったなかには、日本の中高生も海外のティーンの子たちも、ウェブで見聞きする情報に対しては同質な視線やリアクションを持っているのではないかという問いが含まれていましたが、そのあたりはどうですか?

野田:初音ミクがこの先、どこまで広まっていくのか興味がありますね。テクノは、00年代以降もさらに国境を横断しています。ジャカルタとか、イスタンブールとか、サンパウロとか、イスラエルのガザまで。ケン・イシイが海外のレーベルから出て、「テクノは国境を越えた」なんて言ってましたけれど、まだまだ欧米文化圏のなかでの話でした。それが最近はさらに多様な文化圏を横断しています。僕は初音ミクのグローバリゼーション......というと語弊がありますが、その広がりに期待したいですけどね。あれで世界中を腑抜けにさせるとか(笑)。

佐々木:まぁ、腑抜けという表現は鋭いですね(苦笑)。自分の立場でいうと、逆に従来のロックやテクノがいまとなっては真面目な硬いカテゴリー過ぎるんだと思うところがあります。今後、大多数の電子音楽が気になるような若者たちは、ゲーム音楽とテクノと初音ミクのエレクトロニカ風ポップスを区別しないでしょう。テクノには、チルアウトなアンビエントがありますが、リラックスする聴き方はあっても、ユーモラスだったり、ジョークだったり、もしくはプリティだったり、日常的な表現は少なかった気がしますね。 昔、電気グルーブがプッシュしていた、ポンチャックっていう、韓国のテクノ歌謡がありましたが、あんなテイストは本当に少なかった。ポンチャックのような、日本で言うところの嘉門達夫もしくは昔の電気グルーヴやスチャダラパーの言動のような「緩さ」や「日常のなかの感覚」は、いまの他のジャンルの音楽に本当に少ないですよね。それが、ニコニコ動画や初音ミク・カテゴリーではすごく上手く取り上げられていて、他のエンタメにない魅力の一部として確立されつつあります。ただただ、ひたすらに需要があったのだと思います。

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音楽カルチャーの敷居

同人音楽やボーカロイドなんかは、とっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。(佐々木)

だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。(野田)


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野田:佐々木さんの昔のインタヴューを読んでいたら、ムスリムガーゼという名前まで出てくるからびっくりしましたよ。その名前はよほどのハードコアなリスナーでないと出てこないです。「この人のテクノ愛はハンパじゃない」と思いました。彼らはマンチェスターのIDM系の人たちですよね。10年以上前ですが、イラン女子卓球チームのテーマ曲を作っています。イスラム文化の女性の服装規制に抗議するためにね。

佐々木:ムスリムガーゼは、本当にイスラムという文化的なコンセプトを最後まで貫き通していてカッコ良かったです。ヒーローですね。あの多作性も含めて個性が強すぎて、シーンとか、テクノ・カルチャーから切り離されているのもイイ。やっぱり自分はY.M.O.やクラフトワークからテクノを聴きはじめたわけではないんで、電子音楽の歴史観はちょっと狂ってますね。まず、『アンビエントワークス』とか、ピート・ナムルックとか、『ガーデン・オン・ザ・パーム』とかから超個人的な妄想っぽい音楽から出発していて(笑)。ベットルーム・テクノというより、夢のなかのグニャグニャしたエフェクト音を聴いていた気がします(笑)。「これは何なんだろう?」という驚きのようなものが根元にあるんですね。『高城剛X』って深夜番組でタンツムジークを聴けた変な時期(笑)。抽象的なものが尖っていてカッコイイんだなぁとも思ったし。クールにぶっ飛んでれば、作家として認められるんだーとも思いましたね。いま思うと結構勘違いですが(笑)。ともあれ、自分としてはテクノは自由で、発展途上の可能性があって、カッコイイ! とすんなり思えたんですね。これはとても重要だった。
 いまの若い子たちは、物心ついた頃からジャンルも細分化していて、いろんな名称で呼ばれるいろんな音楽があるわけですよね。しかも新しい手法的は結構出尽くしていて、テクノにしても『音の新しさ』『新しい流行』みたいな単純な評価軸は少なくなっている。しかもテクノやハウスのコア・ファンやメディアはコマーシャルな音や、ポップ過ぎる音を無視する風習もあるじゃないですか? なので、敷居の低いテクノ風のゲーム音楽やジブリのリミックスなんかから入った子が、気軽にジャンルにのめり込める環境がなかったりする。
 同人音楽やボーカロイドなんかは、そういうとっかかりの敷居が低い上に、コミュニティへの入り方も整備されているので、新しいファンやクリエイターへの受け入れ態勢があるんだと思います。これからの若い子が、アートをリアルに思えるかどうかって、自分「たち」との距離感で決まると思いますね。既成のシーンのような、すでに確立されてしまっているムラ社会に入りこんでいって評価されるのは難しいよね、っていう気持ちもあるでしょうしね。で、敷居が低くて、かつ面白い音楽やショートムービーが、動画サイトなんかで世界の一般向けに増幅されて伝わっていくという流れになっているのではないでしょうか。
 結局、アニメ・ソングだって、みんなが知ってるものだからみんなで盛り上がれるというだけであって、ジャンルではないです。初音ミクの曲だって、実際のところ初音ミクに歌わせなければならない曲なんていくつあるか知れたものではないんですが、ミクが歌っているという共通意識があればそこから入っていきやすくなります。それに初音ミクの曲は無尽蔵にありますから、それを網羅している評論家や、決定的な評価軸がないんですね。ですから、ミクを語るということについてはすごくゆるい状態があります。ミクについて、ボカロについて、自分の知っている断片的な情報から好きなことを言えばいい。そこが、若い人にしてみれば「ウザくない」ということになるんだと思います。その傾向が発展していけば、AKBがJ-POPビジネスを破壊したように、ボカロが20世紀ルーツの音楽評論の一部を破壊することにもなってしまうんですが。とにかく、若い人にとっては初音ミクの声が気に入らなくても、この音楽を聴くことはウザくないんです。それはもしかすると日本でも海外でもいっしょなんじゃないか。僕はそういう部分を「アリかもな」と思いつつ、一方ではさびしいなと感じています。

野田:商業的には大成功なわけですから、佐々木さんのなかにその葛藤があるのは、変な話ですが、良いですね(笑)。ヴェイパーウェイヴなんか、ポストモダン的な面白さはあるけど、音楽の快楽性ということで言えば、まあ、聴いてとくに面白いものでもないんです。僕の父は修行を積んだ板前だったこともあって、ずぶの素人でもマニュアル通りやれば料理として売れるファミレスのような文化には抵抗があります。だから、初音ミクを好きな若い人にも、いつかデリック・メイやオウテカを聴いてほしいと思っています。それで、「なんでこんな音楽に昔の人は涙したのだろう」と不思議に思ってくれれば幸いです。もちろん、だからといって、素人がモノを作るってことは、絶対に否定できないもので、僕も下手の横好きでしたが、音楽を作るのが好きでした。サッカーだって、観るのもいいけれど、下手でも自分でプレイすることも楽しいわけで、初音ミクのヒットは創作の快楽ともうまく結びついているんじゃないかと思います。

佐々木:テクノの価値基準は特殊で、オウテカなんかは現代音楽的だったり芸術的とも言えるわけですが、一般的な商業音楽って、いつしかTVドラマのタイアップで恋愛を彩るように仕組まれているものが多くなり、CMとか、アニメの主題歌や、メジャーなゲーム音楽は、ある種プッシュ型で大勢の耳に届くように構造設計されている。「よく聴く音楽って、どこかの企業が、リスナーというか消費者に聴かせるもの」になっているわけです。若者にとって刺激的でカッコイイとされてきた音楽が、メディアや代理店の都合で調整されているなんて、音楽とプロモーションの歴史的な難しい事情を知らない若い人からしたら、酷い話じゃないですか。自分はボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。視聴者が受け身になる商業音楽に対して、ネットの音楽は視聴者のストレス発散要素が高い。ボーカロイドの周辺のムードというのは、良い意味でしきたりが無いと思うんです。既存の音楽ジャンルでは上の世代の耳や先輩のアーティストを気にしながら、ジャンルに入っていこうとしても入口は狭いし、まず、先駆者や功労者が飯を食えるようなピラミッド型の仕組みになっている。それでいてメジャーなスポーツほど後続を育てて引き立てる仕組みになっていない。はっきり言っていまの若い人って才能があっても既存の音楽ジャンルの枠で活躍していくのはかなり難しいですよね。音楽に限らず、ダンスでも映画でも同じ。スポーツみたいに「身体の衰え」が表面化しないジャンルは、そういう傾向だと思います。
 ただ、ボーカロイドというのは、シンガー自体が虚構ですから、それを取り巻く付き合いがなく、しがらみが弱く、若い発想で何か表現をしたい人たちが、何かに入っていくためのポイントとして、可能性を見せてくれていると思っています。過去と未来を歴史的につないでいくような、積み上がっていくものじゃないもの――断片化して集合化して、それでもジャンルいうかテリトリーとして成立するような見え方・あり方というのは、今後重要になっていくのかなとは思います。

「コンセプチュアル」ではない、コンセプトを

ボーカロイドの音楽とリスナー、支持者の心理はそういったTVを中心としたメディアギミックへのアンチテーゼなのかと思う所もあります。強いて言うなれば、ニコニコ動画の音楽は、皆で雰囲気を楽しむお祭りの音楽や、皆で合奏して踊ったり騒いだりするラテン系の音楽にも近い。(佐々木)

ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの 次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。(野田)

野田:三田格と『TECHNO definitive 1963-2013』を書いたんですが、テクノって何だろうって考えて、僕は、それは「聴覚の歴史」じゃないかと結論づけたんです。クラシックは譜面(作曲家)の文化、ジャズは演奏者の文化ですよね。レコード店でも演奏者別に区分けされています。ロックやポップスというのは、極端なことを言えば、「そいつがどんなことを言っているのか」という文化だと思います。テクノというのは、聴覚の愉しみを追求した文化です。では、テクノの次に何があるのかと考えたときに、コンセプトじゃないかと思ったんですね。いま、ロンドンにハイプ・ウィリアムスという男女のふたり組がいます。インガ・コープランドというロシア系の白人女性とディーン・ブラントというアフリカ系の男性ですが、まず、ハイプ・ウィリアムスという名前は、すでに実在する有名な映像監督の名前なんですね。で、インガ・コープランドとディーン・ブラントという名前も偽名、昨年、『ワン・ネイション』というアルバムを出していますが、真っ白がレコードがあるだけで、タイトルも曲名は一切なし、盤にも「818/1000」といかにも限定版を思わせるシリアル・ナンバーが入っていますが、これもたぶん大嘘なんですよ。

佐々木:そこまで行くと徹底的ですね(笑)

野田:2012年は『ブラック・イズ・ビューティフル』というアルバムを出したんですが、そのタイトルはどこにも書かれていないんです。代わりに「エボニー」と書いてあります。すべてデタラメなんです、ひとつもたしかなものがないんですね。アイロニーとも解釈できます。彼らは、音楽性がどうかというより、コンセプトが面白いんです。さっき言ったヴェイパーウェイヴにも似ています。音自体やスタイルではなくて、コンセプトに新しさを注ぐというやり方は、これからもっと出てくるんじゃないかと思います。
 さっき佐々木さんがいまのテクノは敷居が低くないって意味のことを言ってましたが、たしかにその通りで、出てきたばかりのテクノは敷居がもっとも低いジャンルでした。それが20年経って、熟練の域にさしかかってしまっています。「うまい」「下手」というのが、素人にもわかるようになっているんです。敷居が低すぎるのも、古本屋がブックオフみたいになって嫌なんですが、テクノがブルースのギター教室のように制度化されたら、それはそれでマズいと思います。エイフェックス・ツインがガバをやるのも、いちどそれを破壊しないと、昔のような自由な感じにはなれないということをわかっているからでしょう。ホアン・アトキンスが、エレクトロにディストピアというコンセプトを加えたことでデトロイト・テクノが生まれたように、いまは新しいコンセプトが求められているんだと思います。

佐々木:パンクとか、ダブとか20世紀的なジャンル・コンセプトは確実に真新しさが無くなってますよね。定着したので当たり前ですけど。コンセプトは必須ではないと思いますが、どんなジャンルのエンタメでも一定条件を満たす「コンセプト」がないと新しい世代の若者にどんどん無視されていくような気がして気になります......。昔はテクノと言っただけで、一般の方もコンセプトは認識してましたよね。「低音がドンドンドンドンってやつ」みたいな。そういえば、当時聴いていたもので、日本で作られた、はっちゃけたコンセプチュアル・ミュージックとしては、アステロイド・デザート・ソングスっていう......

野田:あははは、すごい、よく知ってますねー(笑)。

佐々木:はい(笑)。あれは自分のなかで大きなショックのひとつなんですが、好きか嫌いかで言えば、最初はすごく苦手だったんですね。フリージャズなんかもそうですが、コンセプトが強すぎてクオリティが低い気がした。無音のレコードとかなると、もう訳がわからないし(笑)。

野田:決して新しいとは言えませんけどね。「コンセプチュアル・ミュージック」ということになると、それこそジョン・ケージは先駆者だし、マイルス・デイヴィスやPファンク、レジデンツやアート・オブ・ノイズ、ザ・KLF、それこそ今回の『増殖』もそうだと思います。

佐々木:ええ、ええ。なんというか、アステロイド・デザート・ソングスの話をさせていただくと、あれってすごくぐちゃぐちゃで、テンポも合っていなければ、バランス無視でベートーヴェンにエレクトロビートを勢いだけで乗せる、その上でチビ声ラップが乗る、でもグルーブ感は結構ヨレてる、みたいな音楽でしたよね(笑)。バンドとしては、ライターさんとかの集合体だったわけですけども、あのかたたちは、いろんな音楽を聴いてきた結果としてああいう音を鳴らしていたわけではなくて、おもしろいと思ったアイディアをごちゃまぜにしていったという側面のほうが強かったと思うんです。それは昨今で言うところのニコニコ動画的なものというか、2ちゃんねる的なものと、いまから考えればけっこうな類似性があったんじゃないか。コンセプトということをきいて、いまそんなふうに思いました。

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音楽とルーツの関係

DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。(佐々木)

カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?(野田)


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佐々木:思えば過去にあったよねというアイディアはいくらでもあって、いまの音を新しいと思う瞬間は少なくなっていると思います。DTMでも、リズムやテンポの扱いが、ソフトウェアによってもっと感覚的になっていったら、日本人ぽいズレや、リズムのヨレのような、民俗音楽的な部分を含めての身体感覚に落ちていく可能性はあると思うんです。逆に本格的に、DTMによっていろいろな楽器の音が、無秩序に自由になり、奏法を無視して扱うのが当たり前になったりすると、それはそれで可能性ではありますが、いろいろな音がデジタル・ツールの操作の中でのクリシェや、グリッドという範囲のなかで、印象が似てきてしまうというか、その人のルーツや血につながる空気感や身体感覚で合奏しているようなグルーヴの違い方というのは余り出てこないんじゃないかなという気がします。国境やルーツ、そもそも自分が根ざしていたという部分への意識が、今後薄くなっていくんだろうなと。そして、民族が薄くなっていくからこそコンセプトを欲してしまうというか。積極的にコンセプトを欲しがるのか、それとも自分のなかにルーツが無くなるから別立てしてコンセプトを持たなければならないのか、そうなるとしたら、ひょっとしたら初音ミクみたいなものに依っていかざるを得なくなるのか......ともかく、音楽ジャンルが、歴史で積み上げられた音楽内容や民族性ではなく、もっと個人の趣向的なコミュニティや、コミュニケーション・スタイルを指し示すワードになる気がします。

野田:ルーツっていうことで言えば、この先雑食化は進みつつも、なくそうと思っても失えないものもあるんじゃないでしょうか。変わってゆく同じモノは黒人音楽だけのものではないと思います。弘石君(U/M/M/A Inc.代表)みたいに、ロンドンに住んでもカツ丼を食べたがるのと同じようなものです。たとえばMIAってスリランカでしたよね。8歳でイギリスに亡命して英語を覚えても、スリランカ訛りだけは消えなかったというように、音節なんかにもそれは残るでしょう。
 クラフトワーク――本当はクラフトヴェルクなわけですが――とか、タンジェリン・ドリームとか、アシュ・ラ・テンペルとか、カンとか、あの頃のクラウト・ロックのバンドの名前は、みんな英語の名前ですよね。曲名も英語のタイトルが多い。そのなかでクラフトワークは、全部ドイツ語の曲名だし、デザインは思いっきりバウハウスで、いかにもジャーマンでインダストリアルなスタイルを持っていた。それで当時はドイツ国内からの批判もあったそうですね。カンやタンジェリン・ドリームに比べて、クラフトヴェルクはあまりに愛国的に過ぎやしないか、っていう。でも、海外から見たときにそれはドイツのイメージにぴったりはまっていた。初音ミクも、海外から見たときの日本のイメージにぴったり収まるところがあるんじゃないですか?

佐々木:言葉の音韻は影響しますよね。日本人である以上、ジャパニーズ・ヒップホップの呪縛ように、大勢の日本人に対して主義主張がそれと認められるには、分かりやすい日本語であることは決して避けられない。ポルトガル語の歌がどんなに音楽的に美しくても、歌が言葉である以上、声が綺麗なことより「意味が読み取れないデータ」ってことになっちゃいがちですから。初めの話に戻りますが、たとえば竹村延和さんは、ずっと子どもをテーマにしていくわけですけれども、そこには子どもや鳥の鳴き声のなかにしかない暴力性や無(無邪気)の感覚、あるいはアジアのにおけるイタコや巫女のようなもの、アメリカ等とは違うニュアンスでの処女みたいなものをどう見ていくかという。日本人は無意識の世界などにドラマを感じ続ける。考えても終わらない、むしろ妄想的になっていく日本人文化の流れを感じるんですね。 テクノで言い換えると、ケンイシイさんの『ガーデン・オン・ザ・パーム』で「え、何これ?」って思って、フレアを聴いて「抽象的なすごさは、何なんだろう?」、『グリップ』を聴いてテンポ・チェンジが激しい曲でさらにわけがわからなくなって、『リ・グリップ』を聴いて、竹村さんが出てきてグリップの音源を暴力的にスクラッチしてて「ああ、もうダメだ」と......

野田:はははは!

佐々木:そしたら『メタル・ブルー・アメリカ』になって、「ああー」と納得できた(笑)。とても頭のいい人が作った音楽で、商業音楽にもなるんだと。日本の音楽レーベルは前衛芸術家を育て続けるのかと思った(笑)。
 音楽と作家のルーツ文化という観点でインドで切り取ると、タルビン・シンなんかは直接タブラを持ち出すわけですが、ケンイシイさんが当時アンビエント作家として推薦してたベドウィン・アセントは、直接そこには行かないで、先にドローンやアンビエントをやって、〈ライジング・ハイ〉の流れでドラムンベースともドリルンとも言えない妙にパーカッシヴなビートを作っていて、「個性的過ぎるけど何なんだろうな?」と思っていたらインドの音楽がスパイス的に効いているんですね。DJオリーブ、ラプチャーなんかが実践してますけど、一段階、溶け込んだかたちでルーツが出てきているようなものが、これからもっとネットを通じて見えてくるようになるのかなと思います。あと、前情報でインドって強く思うとインドにしか聴こえないわけですよ、マハラジャみたいなイメージが付きまとう。日本人=芸者とアニメみたいな(笑)。オリエンタルが良い悪いじゃなくて、オリエンタル文化はインパクトが強すぎてイメージを支配をする。絶妙のバランスじゃないと料理できない。北海道の羊料理みたいな。

野田:いま、2012年に、ベドウィン・アセントの名前を聞くとは思わなかったです(笑)!

佐々木:はい(笑)。彼は「インド人でござい」と出てきたわけではないし、そういうふうにはならなかった。あくまでルーツのようなものがにじみ出ているというだけです。またそもそもインドの音楽の発想がアンビエントと似ているということもあります。

野田:ああ、それを言えばテクノ全般もそうですよね。クラフトワークの『マン・マシーン』のエンジニアって、アメリカの人で、たしか黒人なんですね。その人はクラフトワークの音を初めて聴いたときに、黒人だと思い込んでいたらしいんです。で、会ってみたら白人が来てびっくりしたと。あんな真っ白な音が、黒い耳には黒く聴こえてしまうという音のマジック。音楽の伝わり方はつくづく不思議ですよね。

佐々木:ええ。グルーヴやノリの話もとても深いですよね。でも逆にクラフトワークやベドウィンみたいな自身のルーツに対してストイックな音楽もあれば、一時期のビル・ラズウェルみたいに「とりあえずヤバい民族楽器のフレーズにディレイかけた音をカブせればいいじゃん。ワールド・ワイドで斬新な音楽じゃん?」というようなものもあって。音って、テンポやキーさえ合わせてしまえば混ぜられるというようなところがあると思うんですけど、そのなかでも音響に寄っていく律儀なやり方もあれば、にぎやかしを優先してエスニックな要素を入れていくというやり方もあるわけですよ。
 で、音楽ってかつて何度となくミクスチャーされてきたものだし、80年代のリヴァイヴァルなんかも、もうリヴァイヴァルとは呼べないようなレベルで溶けてしまっていますよね。僕はそういう意味で、ネット時代で、音楽が飽きられたり、再発見される......といった、リヴァイヴァルの2周め以降、限りなくミクスチャーが進んでいってグルグルグルグル混ざるのだろうなと思っています。実際に音や聴かれ方がどうなるということはわかりませんが、インターネットなんかを介して、感覚的にも、概念的にも、音楽を作る人のハードディスクにデータがどんどんたまっていって、時間が膨れ上がっていって、俯瞰してみるとひとつひとつ粒が小さくなっていく......そうすると最後にいったい何がもたらされるのか。それとも、文化を意識することと、音楽を楽しむこととは、近かったけど、また別のことなので、それぞれは別軸に進んでいったりもするのかな? とか。なんかTTPとかとも無関係じゃない時代の流れなのかな? とか。

いま、なぜ『増殖』なのか

坂本龍一さんはオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。(佐々木)

サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も笑いがない音楽は嫌いです。『増殖』にはそういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。(野田)

――最後に、この『増殖気味 X≒MULTIPLIES』では企画段階から佐々木さんも制作にご協力されていたということですけれども、いかがでしたか? ボーカロイド3(現在開発中の、Vocaloid3エンジンを使った初音ミク英語版βヴァージョン)も貸し出されているとのお話ですが。

佐々木:まず『増殖』に関してですが、そもそも坂本龍一さんなんかは一時的ではなく、70年代からいままでずーっとコンセプトに意識的な方ですよね。リアルな未来派と初音ミクって結合はそもそも面白い切り口なんだと思います。彼はオヴァルが出てきたときに積極的に関わったりとかしてますが、こういう『増殖』的なコンセプト――デジタル的な意味でものごとが増殖していく、データが増えていくといったことにはとても意識的だったと思います。それは彼が『未来派野郎』とかでやろうとしていたことなどに、おそらくどこかで結ばれている。しかも音像としてのぎこちなさがおもしろいというような感覚は、あのときに出揃っているというか、そのプロトタイプではあったんだろうなと思いますね。

野田:日本社会のネガティヴな伝統のひとつとして、なにかというと陰湿な、ウェットな方向に進みがちになるということがありますが、『増殖』には、そういう意味では日本らしからぬ、とてもドライな笑いがあります。しかもけっこう、ブラックで、危険な笑いです。だいたい、『増殖』とは、わかりやすく喩えれば、忌野清志郎にとってのタイマーズですからね。僕にとっては、唯一リアルタイムで買ったY.M.O.の作品でした(笑)。サン・ラーがフリー・ジャズにいかなかった理由は、「笑いがないからだ」と本人が言っていますが、僕も基本、笑いのある音楽が好きです。“アナーキー・イン・ザ・UK”は笑い声ではじまっているし、ドレクシアにだって笑いはあります。話は逸れましたが、『増殖』には当時としては画期的な笑いがあったと思います。

佐々木:はい。これは日本のポップスの枠で成立した実験音楽作品だと思います。そして笑いもニヒルさも含まれている。だから『増殖』は圧倒的に異端でヤバい。正直なところ僕はY.M.O.をそれほど好きだったわけではないんですが、何だったのかということを考えると、やっぱり時代を解きほぐした発想のセンスであったり、そういうものをうまく配して、コンセプチュアルに固めていたところかなと思います。HMOさんの『増殖気味』もその辺りは、SF作家の野尻抱介さんを迎えるなどしてアップデートされているのが、挑戦的で素晴らしいと思います。デトロイト・テクノとかのほうが黒人とか宇宙とかコンセプトがストレートだったなと思うんですが、こういう社会風刺的な部分もふくめた音楽のあり方というのは、初音ミクとも繋がってくるし、音楽に何か一枚、かぶせてるなと思うんですよね。いまはとにかく人を惑わせるものが多く、鬱屈していて先が読めないみたいな、情報社会の弊害が大きくなっていく時代で、『自分にとって楽しいコンセプト』を求めている人たちは、案外いっぱいいるのかなと思います。まぁ、AKBなんかも音楽中心かどうかはともかく、完全にそうですよね......。

野田:AKBとか、僕はホント、いまだによくわかっていないんですが、洋楽がいまほど売れない、聴かれないということは、当たり前ですけど、かなりの問題意識があります。音楽について書いている人やメディアが極端に邦楽に偏っている状況に問題があると思います。今回の司会をやっている橋元優歩なんかは海外旅行に興味がないそうですが、先進国で海外旅行に興味がない国といえば、アメリカです。多くのアメリカ人はまた、海外の音楽も聴きません。しかし、アメリカの若い世代はインターネットの普及で、上の世代が聴かなかったクラウトロックやテクノや日本のロックを聴いています。逆に日本の若い世代が古いアメリカのように、洋楽を聴かないようになってきているとしたら、なんだか内側で妄想に耽っているようで、すごくマズいんじゃないかと思います。僕の世代の女性の多くは、洋楽を聴いていれば、ほぼ間違いなく、大胆に海外に出かけています。女性が海外文化の紹介者でもあり、媒介者でもありました。DJのマユリちゃんなんかその代表格で、日本にテクノを紹介したのも、実は女性たちの力も大きかったんです。あの頃活躍した女性が、現代では、初音ミクになっているのでしょうね。だから今回、こうして、ミクの力を借りて、ちゃっかり洋楽をアピールさせてもらいました(笑)。

佐々木: 女性の大胆さと適応力は推進力になりますよね。弊社の海外担当もみな女性です。また、自分もいま、ソニー・ミュージックで〈ソニーテクノ〉の立ち上げに関与し、当時のアンダーワールドから〈ワープレコード〉までを相手に、様々な交渉や調整などを担当していたレーベル・マネージャーの女性の元でプロモーション戦略についての勉強させてもらってるんです。当時の音楽と洋楽の繁栄を成功体験として知っている人に学ぶところはいまだからこそ大きいと思います。
初音ミク現象については、2005年くらいからいまにかけて、ネットの進化と相まって、音楽の聴かれ方が大きく変わったと思っています。エレキングを0号から読んできて、テクノを軸に文化的なことや音楽に関する考察の面白さを教えてもらった人間として、テクノ専門学校の卒業生として(笑)、このいまのネットの状況には思うところがあるし、野田さんと対談させてもらって、趣味としてライフワークとして音楽×社会のことは意識し続けたいと、対談を通じてあらためてそう思いました。ボーカロイドや音声合成ソフトもリアルになるでしょう。それこそドラム音源ソフトのように一聴すると生か機械かわからないような時期が、早ければ10年後には来ると思います。声って複雑で感情的で神秘的ですらあったわけですが、それがデータになって揺らいできてる。音楽のなかの楽器やルーツ文化という記号が、もっと溶けてしまうこの時期に、楽器って何だったんだろう? 声って何なんだろう? ってことを、初音ミクを通じて考えたり、感じたりするのは来るべき時代の文化にとって予兆になりえると思います。それこそ90年代に、高橋健太郎さんらが、ハードディスクや音楽データを題材に語っていたわけで、日本人が未来を信じていた頃にサスペンスと思い込みたかったような予言が、初音ミクといっしょにちらほら現実化してきていると痛感しています。

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