4年ぶりの『フリー・ザ・ユニヴァース』が快進撃中のメジャー・レイザーから、ブブセラのプレゼントです。
欲しい方は、info@ele-king.netまで、件名「メジャー・レイザーのブブセラ」とお書きの上、メジャー・レイザーで好きな曲を1曲書いてメールして下さい。抽選で当選した方のみにメールでご返信します。
締め切りは4月21日日曜日深夜24時です。
「Nothingã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
4/20 @Seco Shibuya LifeForce Airborne Bass
DJ:Deft (WotNot Music) JJ Mumbles (WotNot Music) Cossato (Life Force)
Live:Daisuke Tanabe
Sound Design:Asada (Life Force / Air Lab)
https://lifeforce.jp
https://soundcloud.com/sato-cozi
Airborne Bass 2013.04.13
1 |
BlackSmif - How The Fly Saved The River - Blah Blah Blah Records https://www.youtube.com/watch?v=jaWcDTD73Bc |
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2 |
DA-10 - Anaphase - WotNot Music https://soundcloud.com/da10/da-10-the-shape-of-space |
3 |
Dauwd - Heat Division - Pictures Music https://www.youtube.com/watch?v=ZLZd6EeQgtY |
4 |
Deft - The traveller - Skullcandy https://soundcloud.com/deft/supreme-sound |
5 |
Glenn Astro - Stutter Shades - WotNot Music https://wotnot.tv/power/ |
6 |
Leif - Circumstance - Ornate Music https://www.youtube.com/watch?v=fS9VllWyySk |
7 |
Lorca - Giant Stars - 2020 Midnight Visions https://soundcloud.com/lorcamusic/b1-giant-stars |
8 |
Pjotr - Sky Is The Limit - Udacha https://www.youtube.com/watch?v=xi597v2XgOo |
9 |
South London Ordnance - Daphne - 2nd Drop Records https://www.youtube.com/watch?v=bGYJUoOeZkk |
10 |
U - Haunted - Man Make Music https://www.youtube.com/watch?v=qP94WDnhWRA |
ある季節を通り過ぎた後、ラッパーはどのように歳を取っていけばいいのか? そういった意味で、ここ数年におけるECDやイルリメの活動は、人工的なシンセ・ポップ『(((さらうんど)))』からsoakubeatsの挑発的なヒップホップ・ノワール『Never Pay 4 Music』まで、極端に言えばそれだけのふり幅のなかで今なお新しい表情を見せている。
それはしかし、年齢的に、ある程度は対象化して考えることができる。が、それがやけのはらや七尾旅人となれば、話は違う。自分よりも少し早く生まれ、その分だけ早く音楽を愛し、その力を信じ、いまでいうスモール・ポップの時代が到来するのを牽制するかのように、盟友 Dorianとともにアンセムを次々とドロップ。いずれも七尾旅人との共演である"Rollin' Rollin'"や"Shooting Star"といった刹那のロマンティシズムは、移りゆく時代をインディペンデントで生きようとする人びとにとって、代えがたい道連れになったことだろう。
ブッシュマインドとの共作、ゼロ年代屈指のドリーミー・ラップ"Day Dream"をひとつの到達点として、やけのはらは新しい季節に真夏の太陽を呼び込んだ。それが『This Night Is Still Young』だったし、"Good Morning Baby"だった。そこからすれば、本作『Sunny New Life』から聴こえる新しい言葉たち――太陽、キラメキ、リラックス、幸せ、未来、夢、光、希望、大事なもの――も、決して消費社会のパロディではないことがわかる(そういえば、やけのはらが連載を持つ『ポパイ』の最新号もハワイ特集だった)。彼は、リラックスしつつも前向きさを求めている。純粋に、意図的に、あるいはアンビヴァレントに――。
そう、その前向きさは両義的だ。この『Sunny New Life』というアルバムには、前作で迎え入れた太陽が、水平線の向こうに落ちるのを見送るような、開放感と隣り合わせのメランコリーがある。落とし前としての、後日談。夏は終わった。仮にそれが、人が大人になることのメタファーで、"Shooting Star"や"Rollin' Rollin'"の輝きを忘れるこさえ意味するなら、そこが最初、微妙にしっくりこなかったのだが、先日公開された編集長によるインタビューを読み、腑に落ちた。ずばり、「人が大人になること」は本作の裏テーマであるらしい、と。
今回は、新しさとか生活とか、統一したテーマで作りました。そして、「年を取っていく」とか「暮らしていく」とか、「大人になる」とか――「暮らしていく」っていうのは時間が経過していくから当然年を取るわけで。そこが裏テーマだったんですけど、それは誰にも指摘されてないですね。「大人になりましょう」っていうのを言ってるんです。(interview with Yakenohara - ドリーミー・ラップ再び)
やけのはらは、だが、世間との距離を感じたままに大人になっていくことの違和感を捨てきれていない......ようにも見える。例えば、SAKANAの"ロンリーメロディ"ほどには――。キミドリの"自己嫌悪"の先に彼が求めたのは、人生の緩やかな肯定感、少なくともそこに漂う迷いや不安の払拭であり、そのムードはVIDEOTAPEMUSICの『7 泊8日』から転用されている2曲のリエディット、メロウ・アンセム"Blow In The Wind"(ceroの高城晶平が参加)と、平賀さち枝がふわふわのコーラスを添える"D.A.I.S.Y."(原曲は同作収録の"Slumber Party Girl's Diary")に顕著だ。
悪戯にシリアスなわけではない。だが、『7泊8日』の持っていた企画性、そのデフォルメされた小旅行感は少しだけダウナーに、言葉の前向きさとは裏腹に、どこか神妙で切実なトーンに上塗りされている。トラックのサンプリングは軽量化され、隙間には言葉が詰め込まれる。もちろんやけのはらは、歌とラップの区別を曖昧にしたフロウをさらに滑らかに研磨し、アルバム全般に渡って軽快さを忘れない。
それに、BETA PANAMAによるスティール・ギター、VIDEOTAPEMUSICによるレトロスペクティヴなサンプリング・アートとピアニカ、キセルの辻村兄弟、シーンのキーマンである MC.sirafuのスティール・パン、トランペット......などなど、さまざまなメンバーが本作の醸す脱力感の演出にひと役買っている。
だが、"Shooting Star"や"Good Morning Baby"の頃の無根拠であるがゆえの前向きさは、もうないのかもしれない。それを嘆いていてはいけないのだろう。事実上のリード・トラックである Dorianとのアーバン・ソウル"City Lights"が象徴的で、PAN PACIFIC PLAYAからはお馴染みLUVRAWがトークボックスで参加しているが、好色さは抑えられ、都市生活者の夜をメランコリックに彩っている。そこには人生と対峙するやけのはらがいる。
SAKANAのクラシック"ロンリーメロディ"へのアンサー・ソングとなったピアニカ・ポップ"Sunny New Days"や、やけのはらの社会意識が顕在化し、快速東京の福田哲丸も参加しているハードロック・ベースの"Justice against Justice"、SUIKA のMCである ATOMの未発表曲をカヴァーする形となったトロピカルな"IMAGE part 2"など、言及すべき曲は多いと思う。
が、本作をやけのはらの「幸福論」として聴くなら、あるいは、快楽にノイズや混沌が伴っているか、という点で言えば、エンディングの"Where Have You Been All Your Life?"に尽きるだろう。ここでやけのはらは、リスナーに向けて直接的なコミュニケーションを試みる。瞬発的な祝福ではなく、聴き手の精神の近くまで丁寧に歩み寄っていく。できる限り言葉を尽くし、どこまでも優しく、サイケデリックに――。
それは、より多くの人に言葉を届けるための、やけのはらの賭けであり、勇気だ。実際的な連帯ではなく、もっと緩やかな気分の繋がり。あえて言うなら、その言葉たちに、どこか余白が少ないように思えたことだけが心残りだ。それは、リスナーの想像力を信頼しきれていないことの裏返しとも言えやしないか。筆者が言うのではあまりにおこがましいかもしれない......だが、自分が育てたリスナーの耳をもっと信頼してくれてもいい。
インタヴューでは、年齢が30を超えた、ということが何度か言及されている。そういえば、七尾旅人の"サーカスナイト"も、魔法が解けていく歌だった。ある輝かしい季節を、過去時制のなかに置いてくること。やけのはらは、アンチ・アンチエイジングとして、それを素直に受け入れようとしている。そろそろ大人になってもいい頃だ、と。そこには、3.11の影さえもがチラつく――。だが、その場所で語られる宙ぶらりんの夢があってもいいのではないか。何の根拠も出典も裏付けもいらない。誰に置いていかれても、僕らにはまだ音楽がある。
How To Dress Well / Total Loss ホステス / Weird World |
ハウ・トゥ・ドレス・ウェルのライヴ・パフォーマンスには驚かされる。なんとも言えない。じつになんとも言えない......長身の白人というバイアスを取り去れば、ただの変な人にも見えただろう。「奇人」というとどこか特権的だが、そういう感じではなくて、『ガキ使』にだって出られそうな「変な素人」に近い。初期においてはウィッチ・ハウスにも比較されたあのミステリアスでゴーストリーな音のシミを、セカンドにおいては穏やかな赦しにつつまれたR&Bに変え、折からのチル&ビーなムードにもばっちりと合流してみせたハウ・トゥ・ドレス・ウェル――だからオシャレなアーティストだと思っている人もけっこういるかもしれない――ことトム・クレルは、サンプラーか何かにセットされたバック・トラックを芸もなく再生すると、ほとんどひとりカラオケ状態で歌いまくった。音像がどうだったとかイクイップメントがどうだったとか、言うべくもない。エモーションたっぷりに、歓喜と慈愛に満たされながら、ふたつのマイクを独特に使い分け、しまいには完全なるア・カペラで、とにかく歌い続けただけなのだから。しかもそれでいて驚くほど声量がない。歌唱力もあるというわけではない。それがとても奇妙な印象を与えていた。呆気にとられた方も多いだろう。しかし音楽を奏でるというにはあまりにいびつなそのパフォーマンスに、筆者はいったいこれ以上期待通りの解があるだろうかと身体の芯がふるえるのを感じた。
『ラヴ・リメインズ』の異形のプロダクション、『トータル・ロス』の激しすぎる平穏、あれらがどこからきたものなのか、筆者にはよくわかる気がした。彼は歌がうまいシンガーというわけでも、敏腕なプロデューサーというわけでもないのだ。トム・クレルのパフォーマンスの全体からは深い思索性と鋭敏すぎる感受性が伝わってくる。そしてここで語られているような悲しい経験が、そうした感受性によって200パーセントくらいに受け止められ、同じくらいの思索を経たのだということもまた想像される。クレルはそれを彼にしかやれないやり方で音にし、歌にしたのだ。ここに彼の非凡さと、胸を打たれる迫力がある。うまいシンガーではないがすばらしい歌い手、敏腕なプロデューサーではないが見事な表現者だ。表情で懸命に音程を取りながら、熱烈に、猛烈に、か細く......われわれが聴いていたのは、音楽というよりも彼のゴーストそのものだったと思う。愛を叫んで駆け回る、彼の思いのありったけ。歌とはそもそもこのようなかたちをしているのではないか? そんなようなことを思い出させる。
これは、その奇妙で素晴らしいショウの翌日のインタヴューである。歌っているあいだ見せていた、信頼しきったような愛らしい微笑みとはまるで対照的に、やや神経質な素振りと、答え終わったあと即座にスマートフォンをいじりはじめる姿が印象深かった。天然だったり、盲目的だったりする人ではない。むしろその逆すぎて生きることが楽ではない、難儀なタイプだと思った。歌がやっと彼を、いくばくか自由にするのだろう。
それは誰もが経験する普遍的なものであって、みんなが共有することができるものであるからこそ、僕=トムっていう存在を超えた影として、いつまでも残っていく力があるんだ。
■黒沢清監督のホラー映画に『回路』という作品があるのですが、人がある日忽然と消えてしまう、しかも壁に黒いシミをのこして消える、という話なんです。わたしは初めてハウ・トゥ・ドレス・ウェルの音を聴いたときに、ちょうどこの黒いシミのことを思い出しました。それはそこに存在していた人の思念の跡、思いの影のようなものだと思うんですね。HTDWの音は、音像も含めてまさにそうした影やシミのようなもののように感じられたんです。あなたの音は波形である前にほとんど思念そのものですね?
クレル:え、黒沢清って言った!? 『回路』ってどんな英題かな。たぶん観たことがあるよ、それは。『トウキョウソナタ』をやった監督だよね? そういう感想をきくと、自分がすごく正しいことをやっているんだって思えるよ。自分の音楽に対して人からそうした反応をもらえるのはとてもうれしい。僕の歌に投影されているものは僕ではないんだ。僕の経験から湧き起こった感情ではあるけれど、それは誰もが経験する普遍的なものであって、みんなが共有することができるものであるからこそ、僕=トムっていう存在を超えた影として、いつまでも残っていく力があるんだ。それを可能にしているのは音楽だよ。だからその連想はうれしいし、ちゃんと僕の観た映画だったか調べてみようと思う。『パルス』のことかな......(※『パルス』は、『回路』のジム・ソンゼロ監督/ウェス・クレイヴン脚本によるハリウッド版リメイク作)。
■おお、それをうかがえただけでもうれしいですね。とくに『ラヴ・リメインズ』の方ですが、あのすごくビリビリとしたノイズ感とか、過剰なリヴァーブ、オーヴァー・コンプ気味な割れまくった音、あんなふうなプロダクションを目指すのはなぜなんでしょう?
クレル:僕が『ラヴ・リメインズ』でやりたかったことは、深い悲しみや欝、憂鬱、そんなものを物語で伝えるのではなくて、音そのもので表現するということだ。たとえば僕が叫ぼうとしているときは、感情自体は爆発しているけれども、声が音に埋もれるように作っている。ノイズや混沌とした音のなかにね。それが僕の体験の表現、僕の悲しみや混乱の表現だよ。西洋美術においては20世紀に大きな変化があった。それまでは既存のものを絵で再現するというのがひとつの美術のあり方だったけれども、それが、ある感情そのものを絵で表現するというふうに変わった。あるものがそこにあるということを伝えるのではなくて、その対象そのものを表現するんだ。僕はそういうことをやっている。
■なるほどなあ。まさに対象のむき出しの表現だったのが前作ですが、今作にはプロデューサーが入っていますね。プロダクションとしてもすごく整理されている印象があります。それは、あなたのなかの思いの渦やエモーションの嵐が整理されたからだ、というふうに考えてもいいですか?
クレル:『ラヴ・リメインズ』を書いたときは、自分のなかではとても悲しい時期にあった。親友を喪ったんだ。だからその後の時期に感じていたことは、あの時期に比べればぜんぜん悲しみと呼ぶに値しないものだよ。とても混乱していたあの20代半ばの時期、たいていのことはあのときの思いに匹敵しない。けれど、あれだけの深い悲しみになると、逆にそこから抜け出して、感情を整理させるような作用があったね。『ラヴ・リメインズ』のころは、悲しみに浸る自分に、ある意味では気持ちよくなっていた。けれどもそれが深くなるにつれ、浸ることができなくなったんだ。本当の悲しみとはこれかと思った。
メランコリアとモーニング、これは悲しみを乗り越える過程のひとつだよ。メランコリアは悲しみがぐるぐるとネガティヴ・スパイラルに入っていく状態、モーニングはそこを抜け出して新しいことに開眼し、新しい愛に目覚める状態。本当の悲しみを経験すると、それによってより新しいもの、新しい愛に出会うことになるんだ。だから僕は先に進まなきゃと思った。そのことがこの作品につながっている。僕は彼を喪うまでハッピーな曲を書いたことがなかったけれど、彼の死に向き合うことで、彼に対する新しい愛情を見つけることができた。それが今回のアルバムだよ。......つじつまが合うかな?
僕の方でもむしろ、体育会系の野郎のファンはいらない。男根主義的なものというのは欠落を抱えているんだ。過去の遺物でもある。
■すごくよくわかりました。前作もそうですけど、冒頭がフィールド・レコーディングからはじまってますね。ここにも何か意図がありますか?
クレル:今回のは、ドイツで電車に乗ったときの音だね。オスロから4時間くらい行ったところにあるフィヨルドで船に乗ったりもした。そのときの音もある。ありえないくらいの沈黙、静寂、太陽の音が聞こえるんじゃないかと思ったよ。それを録ってみようと思ったんだ。だから実際には僕くらいにしかわからないかもしれない。フィールド・レコーディングのおもしろさって、一種のサブリミナル効果なのかもしれないけれど、それを録った空間の側が持つ想像力というものを移植するすることができる。聴く側は音とともにそうした要素を楽しむことができるんだ。その空間について肉体に訴えかける豊かさを持たせることができて、僕はおもしろいと思うんだ。
■フィールド・レコーディングについてもそうですが、今作はピアノもとても印象的に用いられていますね。これまでの作品に対してより開放的でより救いの感じられるこのアルバムの性格を、よく象徴していると思うんです。ピアノを大きくフィーチャーしたのはなぜです? そしてピアノはあなたにとってどんな楽器なんでしょう?
クレル:おっしゃる通りだよ。希望を感じさせるものがピアノの音にはあると思う。スピリチュアルで、とても美しい楽器だ。アントニー(アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ)のピアノの使い方がとても好きで、参考にしていたりするよ。あとはコロフォン(Colophon)の『ラヴ・ループス』というアルバムも一時期とてもよく聴いていたんだけど、まさに救いや希望となるようなピアノが印象的なんだ。
■昨日のライヴでは、ラストまでずっとフィルムの一コマをつないだような映像が流れていたんですが、ほぼすべてが女性か女性の顔であったように記憶しています。小さいころにお母さんが歌っていた歌が自分の音楽の原体験だというふうに話しておられるインタヴューを読んだんですが、あなたのなかで母親というのは創作行為においても重要なことなのですか?
クレル:母親はたしかに音楽的にも僕に影響を与えているし、ここ数年は病気を患ってもいて、それが自分にとっての将来の不安につながったりもしている。女性の顔の話についていうと、"スーサイド・ドリーム"で映していたのはじつは少年の顔なんだ。ただ、非常に女性的な顔だと思うよ。僕は音楽に女性的なものをすごく感じるし、重要な要素だと思っている。だからかな、最近、僕の音楽はおネエ的な人からすごくポジティヴな反応をもらうようになったよ。僕の方でもむしろ、体育会系の野郎のファンはいらない。男根主義的なものというのは欠落を抱えているんだ。過去の遺物でもある。キリスト教における父と子と精霊という三角形があるね。精霊じゃなくてそこは母だろって思わないか? 霊的なもの、精神的なものっていうのはイコール女性だと思う。西欧社会において、人生のなかで豊かさや愛情といったものをもたらしてくれるのはつねに女性なんだ。そんなふうに言われている。ぼくはそうしたものを大事にしたい。
■非マッチョイズムはHTDWにとってすごく重要な要素のひとつだと思います。昨日ココロージーのTシャツを来てましたよね。やはり女性に寄せるイメージには「雌」にとどまらない精神的なものがあるのだなと思いました。
クレル:ココロージーやアントニーが好きだよ。僕は男性だけれども、ある種の男性主義、女性卑下の主義や思想を排除することができれば、もっと人間は深いつながりや豊かな関係性を築くことができると思っている。
とにかくもele-king新刊のインタヴューを読んでもらいたい。立ち読みでもいいですので。それからちょっと試聴機まで歩いてこの新譜から2、3曲を。一見「種なしリンゴ」のような聴きやすさを持ちながら、知らないうちに種をも毒をも食らわせてしまう、サーフの音楽が浮き彫りになるのではないかと思う。そうした音楽こそ、ドリーム・ポップの極北と呼べるものかもしれない。われわれは夢においてすら自分の主人であることがむずかしいが、彼の場合は他人の夢をも操作して従わせてしまうようなところがあるから恐ろしい。
サーフをさらっとしか聴いたことがなく、また前作『ハートストリングス』(2011年)の成功をちょっとした偏見をもって眺めていた筆者は、敬意を払いつつもその音を「無害できれいなエレクトロニカ」と分類していた。その後、デビュー作へとさかのぼり、よりダンス・ミュージック的なアプローチを深めたという別プロジェクト、レリクや、クリスマスに際した企画物のミニ・アルバムまで聴いた後に感じたのは、「なんと整いきった世界だろう?」ということだった。それは、言い換えれば無窮の世界に対する違和感でもある。完璧にドリーミーで、よく作りこまれていて、ジブリ映画のBGMか、それともハリボテのネバー・ランドを肯定し、野生の耳を飼い慣らしてしまうべく悪意あるプロデューサーがわれわれを嗤うために作った魔の音楽か......、どちらであるようにも思われたが、つまり筆者が感じていたのは、美しく叙情的で、愛らしく跳ね回るこれらの音の、そうでありすぎることからくるまがまがしいような迫力だった。取材が決まったときは、このあたりにこだわって、食い下がってみたいと思っていた。
結果は読んでいただく通りだ。音のイメージと発言のトーンとのギャップにまったく驚いたし、創作モチヴェーションの塊であるような佇まいやエネルギーには、実際のところ、質問をした筆者も立ち会っていた野田努もたじたじだった。売れるということはそのまま音楽の評価には結びつかないが、サーフの音が事実「売れて」いることの意味まで理解できるような気がした。そしてまた、アーティストの言葉は必ずしも自らの音についての正しい見解を持たないものだし、言葉に引きずられて音楽そのものを聴き逃す愚を犯すわけにはいかないのだが、しかし明晰夢によって音楽に導かれたという彼が、フィリップ・K・ディックの影響やそのストーリーの一端を紹介しながら語るとき、そこに異様な光が宿ることもわかってもらえるだろう。さらには、日常から逃れるためではなく日常を逸脱するための音楽だ、という「逸脱」のモチーフがはっきりと示されたときに、筆者はふたたびうなずくことになった。あの「無害できれいなエレクトロニカ」が能動的で、攻撃的でさえあるということをしのばせる発言は、所期の筆者の感想をきれいに裏書きし、再度ひっくり返してしまうものでもある。もういちどあたまから聴いてみよう、と思った。
さて今作も頭から全開にドリーミーなIDMスタイル(この言葉は評判が悪いが)が展開される。女性ヴォーカルがフィーチャーされているが、これはN-qiaのNozomiからのヴォイス・サンプル。きれいに作品世界を拡げている。前に駆けるような、シンプルなビートが心地よい。常にプロダクションもクリアに整えられているが、今回は全体にノイズ感がある。春霞のように粒子の細かいグリッチ・ノイズやクリック音がさまざまに配されている。PCのなかで構築されたものであるのに、ピアノひとつとっても空間性が演出されている。何色ものカラー・タイルを並べるようにノイズや信号音をコラージュした"マジカルパス"も愛らしい。今作、より構成において緻密さと色彩感が加わっていることを感じさせる。ノイズのスケールの広さということで言えば、日本風にポップ係数を上げまくったフェネス、とも言えるだろう。ピアノや木琴、グロッケンなどが「チャイルディッシュ」な世界を組み上げる"ヴェスタ"などは新傾向のひとつではないかと思うが、竹村延和の『チャイルズ・ヴュー』を愛するサーフのことだ、子どもを捉える視線にはありきたりな大人のエゴなど含まれていないだろう。フライング・ロータスを思わせるようなアブストラクトなビートに導かれてスタートする"パレード"の、そこからはまるで意外に感じられる強力なメロディと弾けそうなマーチングも素敵だ。
新傾向ということでは"アンク"や"ウィザードミックス"も挙げたい。整然とした構成を崩し、部分的にブレイクビーツをあしらいながら、まるで放射状に展開していく"アンク"には、土台となるリズム・トラックすらない。チラチラとしたストリングスの響きに珍しく耳うるさいサンプリングが掛け合わされ、エンジェリックなコーラスが時おり姿を見せ、めまぐるしくリズムのありようを変えていく後者などを聴いていても、ヨーロッパ以上に、今作はティーブスなりバスなり、LAのビート・シーンの若い世代に近い感触だ。
発売から少し経ったが、4月から5月の薫風のなか、ツバメが低く飛ぶ夕刻、宵闇迫る時間帯にも本作は静かに寄り添ってくれるだろう。夢をみるのは夜とは限らない。
先月よく聴いたものでチャートをあげました。
都内は暖かくなってきたのでピクニックな気分のチャートにりました。
僕は普段あまり買わないコンピレーションですが
EAD店主 YOZO君のコンパイルしたのは最後まで構成が良くとても気に入ってます。
そして前回告知させてもらった僕のレーベルから出る
「STEP FORWORD - BOOGIE MAN」の12inchジャケットデザインがもう少しで完成します。
ちょっとづつ発売に向けてレコード制作も進み
facebookなどで進行状況報告してるんでチェックしてみてください!!
https://www.facebook.com/chikashi.ishizuka/info
stoned soul picnic 2013/04/12
1 |
laura nyro - stoned soul picnic - cbs |
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2 |
jamalca - ahmad jamal - 20century |
3 |
joni mitchell - lucky - asylum |
4 |
stone alliance - menina - p.m |
5 |
rodolfo mederos - y mil cosas mas - aupic |
6 |
heabie hanck and foday musa suso - kanatente - cbs |
7 |
OM with dom um romao - chipero - ECM |
8 |
lester bowies brass fantasy - coming back jamaica - ECM |
9 |
bob mose - song of moses - gramavision |
10 |
originals - compiled by yozo - claremont |
Shop Chart
1 |
Phoenix - Entertainment
(Glassnote)
超待望の最新5th.アルバム『Bankrupt!』からの激話題リード・トラック!!Us/Glassnoteからのマーブル・カラー・ディスク完全限定盤。
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2 |
J Dilla - Anthem / Trucks
(Pay Jay Productions)
死後に見つかった2インチ・マスターテープを、Dillaの側近エンジニア Dave Cooleyがミックス&マスタリングしてリリース! こちらは初回限定、クリア・ヴァイナル&クリア・ケース仕様。
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3 |
Lady - Money
(Truth & Soul)
Aloe Blaccのプロデュースを手掛けたコンビが送り出した話題のデュオLadyによる、フリーソウル・ファンも直撃の名曲が待望のシングル・カット!!
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4 |
原田茶飯事 & Expresso Cansai - 太陽
(Dabada / Jet Set)
1stアルバムからの人気曲「太陽」と、初披露となる同曲の"Dj Yogurt & Koyas Remix"を収録した7インチ・シングル!
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5 |
Syclops - A Blink Of An Eye
(Running Back)
Dfaからのアルバム・リリース以来ご無沙汰となっていたベテランMaurice Fulton手掛ける、Syclopsによる話題の2ndアルバム!!
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6 |
Extra Medium - Extra Medium Ep
(Record Breakin')
East Liberty QuartersのKeyプレイヤー&DjであるSam Champと、Dilla~Spinna~Moodymannライクな質感で人気のBuscrates 16-bit Ensembleによる超強力プロジェクト!
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7 |
Major Lazer - Free The Universe
(Because)
ご存じDiploとSwitchによる最強デュオMajor Lazerが4年振りとなる2nd.アルバムを完成。ダンスホールを軸に、ダブステップやムーンバートン、トラップにラガD'n'bまで繰り広げられる即戦力ボム満載盤です!!
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8 |
Pat Metheny - Are You Going With Me - Gu Remix
(Strictly Jazz Unit Muzic)
Slip Away等でもハウス・ファンには馴染み深いジャズ・ギタリストPat Methenyが"Ecm"より82年にリリースした名作"Are you Going With Me"をGlen Undergroundがリワーク/エディットを施し傑作ハウスへと仕立て上げた注目作品!
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9 |
Letherette - D&t
(Ninja Tune)
前Ep"Featurette"に続く、来たるデビュー・フル・アルバムからの2ndシングルがまたしても強力です。リミキサーにDorian Concept等が参加!
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10 |
Blu - Thelonius King
(Nature Sounds)
Bombayによる辺境的なドープ・トラックに、Blu, R.a. The Rugged Man, Durag DynastyのTristateという今までにない組み合わせが実現! Side-bにはBluによるリミックスを収録。
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その日、わたしは街の裏通りにある小さなパブで、仕事帰りに人と会う約束をしていた。
そこは薄暗く古いパブで、流行のワインなどを飲ませる小奇麗なパブではない。窓際には年季の入ったスヌーカー・テーブルがあり、カウンター上方のフラット・スクリーンではない分厚いテレビはいつもフットボールの試合を映している。が、その日、パブに着いてみれば、なぜかテレビはBBCニュースを映していた。
「え。サッチャー、死んだの?」
と吃驚しているわたしの背後から入って来た、塗装業者らしいペンキで汚れたバギー・ジーンズのおっさんは、テレビに映し出された「Baroness Thatcher Died」のヘッドラインを読むなり、おもむろに両手でガッツ・ポーズを取った。
「YES!!」
PCの前に座って仕事をしている階級の人びとはもっと早く訃報を知ったのだろうが、ブルーカラーの労働者が彼女の死を知ったのは夕方だったのである。んなわけで、パブのなかはいつになくざわついていた。アフター・ファイヴの熱気に盛り上がる若人たちが集うパブとは異なり、通常は、陰気な顔をした中高年労働者がむっつり飲んでいるタイプのパブなのだが、その日ばかりはムードが違っていた。
BBCニュース24は、各界著名人の反応を報道している。「元労働党のMP、ジョージ・ギャロウェイは、ツイッターにエルヴィス・コステロの曲『Tramp the Dirt Down』のタイトルを書いています」と女性ブロードキャスターが告げると、誰かがパブの奥から叫んだ。
「Well said, George!」
パチ、パチ、パチ。と誰かが叩いた拍手の音が、じわじわ店内に広がって、いつの間にかおっさんもおばはんも全員が手を叩いていた。
笑っている人は誰もいなかった。みんな疲れきった顔をしていた。
ああ。きっとこれは、この国の労働者がサッチャーを送る音なのだ。と思った。
その日の深夜、ダンプの運ちゃんをしている連合いは、ロンドンのブリクストンを通ったらしい。
「ロンドン暴動の直前と似たような雰囲気があった。夜中に路上で飲んで喚いてパーティしてやがんだよ。お前ら、サッチャーなんて知らねえだろ。っていうようなガキどもが」
と言っていた。
翌日の新聞を読むと、アンダークラス人口の多さで知られているリヴァプールでは、路上で火を燃やして祝賀するフディーズたちの写真が撮影され、ブリストルでは、ミドルクラスのスタイリッシュなインテリゲンチャたちが警官隊と衝突している写真が撮影されていた。「各地の"ザ・レフト"がバロネス・サッチャーの死を祝賀した夜」という見出しが付いている。嬉しそうに中指を突き立てて小鼻をふくらませているティーンズや、ビール缶を片手に泥酔しきった目つきで警官に悪態をついている30代のミドルクラスのお坊ちゃまたち。
現代の英国の"ザ・レフト"というのは、こういう人たちなのだろうかと思った。
毎日クソのような時給で朝から晩まで働き、サラリーではなく、ウェイジと呼ばれる週払いの賃金を貰い、そのクソのような賃金からでさえ税金を巻き上げられ、サッチャー政権に騙されて公営住宅を買ったら自宅のメンテ費用が払えなくなり、真冬に暖房が崩れて凍死した者もいたという、本当に故人がしたことを知っている"労働者たちの層"は、それらの写真のなかで浮かれたり、激昂してみせたり、泥酔したりはしていなかった。
本当に彼女に苦しめられた人や、いまでも苦しんでいる人たちは、おそらく朝早く起きて仕事に行くため、とっくに寝ていた。
************
サッチャーが亡くなった日、わたしがパブで会っていたのは、一昨年まで成人向け算数教室で講師をしていたRだった。
先の労働党政権は、読み書きのできない成人の再教育に力を入れていたので、無料で算数と英語の再教育の場を提供していた。が、現保守党政権はこれらのプロジェクトへの補助金をカットした。あの党は、いつだって底辺層の底上げには興味がない。
政府からの支援が無くなったので成人向けの算数教室と英語教室は有料になり、当然のごとく生徒数は激減し、これらの教室を運営している団体数も激減した。そのため、Rは食って行けなくなり、現在は大学に勤務しているが、自腹でコミュニティセンターの一室を借り、無料の成人向け算数教室を再開するつもりだという。
「サッチャーが死んだからと言って、何が変わるわけでもない」
と、醒めた顔つきでテレビを見ていたRは、昔ヴォランティアでアシスタント教員をしていたメンツに連絡を取り、再びヴォランティアをやらないか。と説得して回っている。
かくいうわたしも、算数の得意な日本人としてアシスタントをしていた時期があるのだが、「いや、いまは昼も夜も働いて、その間に主婦業もやってるから、無理」と一度断ったのに、Rは執拗に攻めてくる。アンダークラスのシングル・マザーもけっこう教室にはやって来るので、保育士のわたしは託児サービスが提供できる点で便利なのである。
「金がないとか、子供がいるとか言って教室に来ない人びとが、もっとも再教育が必要な人びとなんだ。ってのはわかってるよね」
「わかってる。けど、時間がない。夕方にそんなことやってたら、誰がわたしの子供のご飯つくんの」
「一緒に連れて来たら」
「ええっ!?」
「フィッシュ&チップスおごるよ、毎週。教室の隅で食べさせたら? で、スペアのラップトップ持ってくるから、ゲームさせたり、宿題させたりしたらいい。算数はもちろん僕が見るし。子供に九九覚えさせるの得意」
「えええっ!?」
と、だんだんコーナーに押しやられてジャブを連打されているわたしの虚ろな目に、テレビの画面の中でサッチャーの偉大さ、崇高さを語り倒しているデヴィッド・キャメロンの顔が見えた。
彼は、紛れもなくサッチャーの末裔である。
イートン校からオックスフォードという超エリートお坊ちゃまの道を辿りながら、常に目立たないギーク青年で、ザ・スミスを偏愛していたというキャメロンは、いったい彼らの曲から何を聴いていたのか、モリッシーがギロチンにかけたがっていたマーガレットの政策を模倣している。サッチャーの政策を発端として発生し、21世紀には英国の癌と呼ばれるほど拡大した、いわば「真のサッチャーのレガシー」と言っても良いアンダークラスという階級を、彼の政府は冷酷に切り捨てようとしている。母親が残したMESSをきれいにするどころか、鉄の女の息子たちは、そのMESSをさらに広げようとしているのだ。
「わかった。やる」
「Thanks. I knew you would say that」
と言われたときには、罠にはまった。という気もしたが、サッチャーが死んだ日である。彼のような人の頼みを、こんな日に断るわけにはいかない。
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「生きているときの彼女は、俺の敵だった。だが、死んだ彼女は俺の敵ではない。俺は彼女の墓の上で踊る気はない」
というジョン・ライドンの発言は、現代の英国の所謂"ザ・レフト"の人びとには評判が良くないようだ。それは、「悪い魔女は死んだ」と歓喜して踊るパーティ・ピープルの士気を盛り下げる言葉だからである。セックス・ピストルズのジョニー・ロットンは、ザ・スミスのモリッシーのようにべたべたに直球のアンチ・サッチャー声明を発表しなかったので、肩透かしだったそうだ。
しかし、わたしには、それがピストルズとザ・スミスというバンドの役者の違いだったように思える。
死人を相手に、勝ち誇ったような顔をしてパーティをしてどうする。
誤魔化されるな。真の敵と戦え。
「そもそも、コステロのあの歌は、あの女が死んだら墓を踏みつけてパーティしてやる。という歌じゃないよね。彼女より俺たちは先に逝くだろうという、かなしい歌だ」
と、Rは言った。
彼のような人は、故人の墓には唾をかけない。そんな暇があったら、することは山ほどあるからだ。テーブルの上に広げられたスプレッドシートには、以前、算数教室に来ていた生徒とアシスタントの名前がずらりと並んでいる。
「これ、ひょっとして、全員に連絡取ってるの?」
「うん」
政治家たちはサッチャーの葬儀の件で揉め、"ザ・レフト"の人びとは、葬儀当日のプロテストの準備で盛り上がっている。
そしてRは、葬儀の日などまったく関係なく、スプレッドシートを広げて電話をかけ続けているだろう。
Rのような人のことは、新聞やニュースサイトには一行も書かれていない。だが、本気でサッチャーのレガシーの後始末をしようとしているのは、彼のような名もない末端の人々だ。
わたしにとってもっともブリティッシュなのは、彼のような人びとである。
坂本慎太郎 - 幽霊の気分で(Cornelius Mix)/悲しみのない世界(You Ishihara Mix)
zelone records
噴水プールのまわりをアシッドの浮き輪で浮かんでいる音響。コーネリアスと石原洋のリミックス収録のレコードストア・デー(4月20日)限定の7インチ。音もアートワークも良い。早い者勝ち。
Baio - Sunburn EP Greco-Roman
あれもハウスこれもハウス。これは、昨年、配信で発表したヴァンパイア・ウィークエンドのベーシストによるハウス、そのアナログ盤。初期のベースメント・ジャックスを思わせるバレアリックで、出すなら夏前しかない。パーカッション、メロウなギター、キックドラム、うねるベースライン、美しいメロディ......新しくはないが良い曲に違いない。
A/T/O/S - A Taste Of Struggle Deep Medi Musik
曲調からは初期のトリッキーを思い出すが、リズムにはUKガラージが入っている。B面にはスクリームとコモドーのリミックス収録。どちらも格好いい。
TOWA TEI - Licht(リヒト) ワーナー
テイ・トウワによるクラフトワーキッシュな新曲。リズムも音色も、細かいエディットも可愛らしく、後半のメロウな展開も良い。何かしながら家で聴くには最高。
https://itunes.apple.com/jp/album/id630063567
Rainer Veil - Struck EP Modern Love
インダストリアルと呼ばれているシーンが、実験とレイヴの激突であることを告げている1枚。新人だが、この先が楽しみ。
Mark Ernestus presents Jeri-Jeri with Mbene Diatta Seck - Xale Ndagga
Mark Ernestus presents Jeri-Jeri - Bamba Ndagga
昨年から続いているマーク・エルネストゥスのこのシリーズはまったく外れ無し。セネガルのアフロ・トライバル・ファンク+ベルリン・ダブ、録音の良さがハンパない。芸術的な領域。素晴らしいポリリズム。2枚とも推薦。
ジャスティン・ティンバーレイクのことがよくわからない。と、思ったのはクレイグ・ブリュワー監督『ブラック・スネーク・モーン』(2006)を観たときのことだ。映画はメンフィスを舞台に元ブルーズマン役のサミュエル・L・ジャクソンがセックス依存症のビッチであるクリスティーナ・リッチを鎖で縛ってブルーズを聴かせて調教、いや、救済するというとんでもない話で、ゆえにたまらなく熱い一本なのだが、そこにティンバーレイクがいることの必然性が飲み込めなかった。彼は作中で哀れな兵士、アメリカの田舎の貧しい白人のひとりだったが、"セクシー・バック"で大ヒットを飛ばしたポップ・シンガーがなぜその役を?と。それならば、デヴィッド・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』(2010)で(ナップスターの)ショーン・パーカー役をチャラくやっていたほうがまだ納得できたが、そのあと、アンドリュー・ニコル監督『タイム』(2011)で格差社会の「下のほう」にいるヒーローを演じているのには疑問が残った。このひとはいったい、どういう像を期待されているのだろう。いずれにせよ、彼のことが妙に気になるようになったのは映画のなかでその姿をしばしば見かけるようになってからだ。
だが、俳優業が続き、久しぶりに音楽業界に帰ってきたティンバーレイクの第一弾シングル"スーツ・アンド・タイ"で引っさげてきたイメージ(ヴィデオの監督はデヴィッド・フィンチャー)にはもっと驚かされた。トム・フォードのタキシードを着て、バック・バンドを従えつつスタンドマイクを持って歌うその白黒の映像に......いや、アカデミー賞やグラミー賞を見ていれば、古き良き(そしていかにも白人的な)洒脱なショウビズの世界が、いまだにノスタルジーとして強烈にアメリカで求められていることは感じる。だが果たして、それをいま負うのがティンバーレイクでいいのだろうか? それでも事実としてティンバランドがプロデュースしジェイ・Zが召喚されたそのシングルは、マリンバの音色が上下しホーン・セクションが軽快にスイングしながら、70年代のソウルと現行のヒップホップを行き来する洗練の極みのようなポップスで、多くの批評家が舌を巻かずにいられなかった。あるいは、フォー・テットのリミックスを聴けば、実験的な音に貪欲なプロデューサーたちの興味を変わらず掻き立てていることがわかる(過去にディプロやDFAもリミックスを担当している)。どうしてジャスティン・ティンバーレイクだけが、このポジションにいられるのだろう? イン・シンクなんていうボーイズ・グループのリード・シンガーだったアイドルが? 日本でこれができるイケメンが誰かいないか30分ほど真剣に考えてみたが、誰ひとりとして思いつかなかった。僕が日本のイケメンを知らないせいかと思い、友人に「ジャスティン・ティンバーレイクの新曲聴いた?」と尋ねたら、「ブリトニー・スピアーズの元カレの?」と関係ない答が返ってきた。ああ、そう言えば、そんなこともあったなあ......。
果たしてティンバーレイクの7年ぶりの新作、『20/20 エクスペリエンス』は2013年の耳を大いに愉しませてくれる。ティンバランドのプロデュースが数年前よりも90sリヴァイヴァルの時運を味方につけているということもあるし、大きくは70年代のソウルを参照して、ドレイク以降、フランク・オーシャン以降を睨みつつアップグレードするという方向性はジャストなように思える。ビートもアレンジも多彩だし、じつはキャリアの長いティンバーレイクの歌唱もこなれたものだ。まあ、今回のレトロ・スタイルも基本的には色男のヴァリエーションということだろうが、モードがしっかり定まっている。プログレを意識したということらしく、そのせいか長尺曲が多いが7分を超えるものは若干冗長に聴こえなくもないし、"ミラーズ"のような曲でかつてのアイドル・シンガーのイメージが微妙にチラつくときもある。けれども、"レット・ザ・グルーヴ・ゲット・イン"のアフロ・パーカッション、"ザット・ガール"のセクシーなファンク、"ボディ・カウント"で見せる一時期のベースメント・ジャックスのようなねちっこいラテン・フレイヴァーなど、聴きどころは多い。"ブルー・オーシャン・フロア"に至ってはビートレスのアンビエント風R&B(チル・アンド・ビー......?)で、なんだかちょっと笑えてくる。資本の力と言えばそれまでかもしれない。だが、メインストリームとアンダーグラウンドの動向をしたたかに吸収したこのポップ・アルバムは、批評家の評価を満遍なく集めながら、またしても大ヒットを飛ばすのだろう。
ところでブリトニー・スピアーズと言えば、ハーモニー・コリン監督の新作『スプリング・ブレイカーズ』のもっとも感傷的なシーンで彼女のチープなバラードが聖歌のように扱われていた。春休みにフロリダでハメをはずすギャル4人の、愚かな白い子どもたち(ホワイト・トラッシュ)のソウル・ミュージックとして......。で、あるとすれば、彼女たちはこの2013年にジャスティン・ティンバーレイクのこのアルバムを聴くだろうか? いや、きっと......聴くだろう。そのときここに忍ばせられたサウンドのチャレンジに彼女たちが事故的に触れるとすれば、それは少しばかりワクワクする。
このアルバムを聴いても結局僕にはジャスティン・ティンバーレイクのことはよくわからないし、特別に思い入れられるわけではない。おそらく彼は、何かを負っているシンガーではないからだ。けれどもだからこそ、颯爽と衣装を着替えてステージに立ち、次から次へとサウンドを乗り換えることができる。他のサンプルは、やはり僕には思いつかない。