「Nothing」と一致するもの

Iggy And The Stooges - ele-king

 どうも、アラセヴ(アラウンド70)担当になったようだ。
 老齢化ではなく老獪化が進んでいるボブ・ディラン、冷徹に老いと死を見つめる詩人レナード・コーエン、年齢などという俗世界のコンセプトとは無縁の異次元界を突き進んでいるスコット・ウォーカー、「過去はあった。しかし、それらはすべて過ぎてThe Next Dayがある」の老いのロックを宣言したデヴィッド・ボウイ。などについて書いてきたわけだが、ついにイギー・ポップの登場である。
 アラセヴ・ロック。というかつてなかったカテゴリーが登場するにあたり、老いる。というリアルな人生のテーマは、いったいどのようにロック的に消化され得るのであろうか。というテーマをちまちま考察してきたのであったが、ここでイギーが、ばーんと『Ready To Die』などというタイトルで来たものだから笑った。
 いや、もうそんなことを言われると、そうですかとしか言いようはない。相手はダイナマイトを腹に巻いて立っておられるのだ。

 中年向けロック誌『UNCUT』のレヴューは、「『乳首たちはやって来て、乳首たちは去って行く』だの、『俺はロックンロールなアティテュードを持った男』だの、いったいこれらの歌詞にイギーの心は入っているのか」と嘆いていた。たしかに、女の豊乳を賛美した"DD's"や、ロックンロールな男が低賃金労働者になる"Job"など、「65歳になって若者のアンガーを蘇らせようとすれば、それは演技に聞こえる」と『UNCUT』が指摘するとおり、コテコテにアンチエイジングなロック・ワールドが展開されている。

 ロン・アシュトン亡き後、シリコン・ヴァレーでの仕事をリタイアして戻って来たジェームズ・ウィリアムソンのギターの影響も大きいと思う。1980年にイギーと喧嘩別れし、きっぱり音楽業界とは手を切って「ザ・ストゥージズなんて聞いたこともないギークたちに囲まれ仕事をしていた」という彼のギターが、まるで長年の鬱憤を吐き出すかのようにスラッシュしている。40年前にリリースされたザ・ストゥージズの『ロー・パワー』は、パンクやメタルの基盤を作ったと言われる名盤だが、そのアルバムが、ジェームズ・ウィリアムソンが参加して初めて発表された作品だったのは偶然ではない。ジョニー・マーは彼を「一番好きなギタリスト」と言うし、ピストルズのスティーヴ・ジョーンズは、『ロー・パワー』をコピーしてギターを学んだという。63歳の爺さんがこんなギターを弾いて良いのか、と思うほど激烈なそのサウンドを聞きながら、老年パンクねえ。と、わたしはため息混じりに昆布茶をすする。
 と、なぜか、ふと思い出したのは『レスラー』という映画だった。思えば、昨年ソロ・アルバムをメジャーから出せず、自主制作しなければならなかったイギー(今回のアルバムもメジャーではなくインディーからのリリースになったことは、イギー自身がプロモ映像でコメディー・スケッチにしている通りだ)と、ミッキー・ローク演じるドサ回りのレスラーになったプロレス界の過去の大スターには、被るところがある。昔のイギーはブルース・リーに似ていたが、近年は乾布摩擦で体を鍛えている東洋人の爺さんのような風貌になってきた。そんな彼の肉体に対するストイックさも、心臓発作で倒れながらもステロイドを打ってリングに立つミッキー・ロークと重なる。
 あの映画には、アンチエイジングなどというマーケティング用語では表現できない、詩的にして何か凄絶なものがあった。ミッキー・ロークが一世一代の名演で魅せた、もはやセルフパロディーとすら呼べない、そうでしか生きられない男の老いのポエジー。それを音楽界で演じられる者があるとすれば、イギー・ポップしかいない。
 
 過去2作のソロでは渋くジャジーな世界を探求していたので、今回のアルバムは彼にとり、ニック・ケイヴにとってのグラインダーマンのようなものだという説もあるが、イギー&ザ・ストゥージズは、そういう一過性のミッドライフ・クライシスのようなものとは違う。
 淫力魔人を演じることは、イギーという詩人のライフワークなのだ。アンチエイジングの仮面をちょっとずらして、"Beat That Guy"のような曲を歌うときに、『レスラー』のポエジーが漂うという、実に戦略的なイフェクトも含めて。
 そのあたりは、イギー自身が、単なるおっぱい星人の歌かと見せかけた"DD's"で奇しくも吐露している。

 IT DOESN'T MATTER IF YOU'RE REAL OR FAKE

 いや、そう言われてしまうともう、そうですかとしか言いようはない。なにしろ相手は、ダイナマイトを腹に巻いて立っておられるのだ。

interview with Karl Hyde - ele-king


Karl Hyde - Edgeland
Universal / ビート

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 強風のために電車が止まり、〈ソナー・フェス〉はそこそこの入りだった。おかげでトリにもかかわらず、カール・ハイドも悠々と観ることができた。初めて新宿リキッド・ルームでアンダーワールドを観たときは、客が40人もいなかった。「ボーン・スリッピー」がヒットしてからはどこもかしこもギュー詰めで、もう、こんな風にカール・ハイドを観ることはないと思っていた。いつもはまるで落ち着きのないカール・ハイドが静かな曲ばかり演奏しているうちに、だんだん無駄な動きをしなくなっていったことがとくに印象的だった。

 とはいえ、インタビューの席に現れたカール・ハイドは、やはりとてつもなく落ち着きがなかった。ひとつの質問に答え終わると、すぐに口笛を吹き出し、初のソロ・アルバムとなる『エッジランド』を聴いて、どことなく『スキッパー』というアルバムを思い出したと僕が言うと、すぐにメモ帳にタイトルを書き付けていた。あるいは、イーノが表紙のエレキングを見せると、写メを撮ってその場でイーノ本人に送信しはじめた......え、どうして僕はイーノの表紙を見せたのか? それはカール・ハイドがソロ・デビュー・アルバムをつくろうと思ったきっかけがイーノとの出会いにはじまるからです。では、まあ、順を追って。

イーノとはすでにアルバム1枚分はレコーディングもしてるんだ。でも、僕はいつも誰かに従ってしまうので、このアルバムでは責任を持ちたいと思って、自分がプロジェクトを引っ張れる体制にしたかったんだよ。

(『エッジランド』の特徴をひと言でとらえ、)いまは落ち着いた表現に興味があるんですか?

ハイド:たまたまそうなったというだけだよ。アンダーワールドでも同じようなことはやっていたし、いつもとは違う人たちと組んでみて、音楽に導かれるままやっていたら、こうなったというだけ。僕はプロセスを楽しみたいんだ。だから、コンセプトを決めて、その通りにやるというようなことはしない。

大きく言えばロック・ミュージックをやっているわけだし、クラブ・ミュージックへの反動もあった?

ハイド:僕はクラブ・ミュージックを愛しているよ。でも、そればかりやっていたら飽きて嫌いになってしまうかもしれないから、バランスを取りたいとは思ったよね。

(顔も態度も阿部周平に似てるなーと思いながら)歌い方も全体にすごく優しくなっているし、それは80年代にやっていた感じを思い出したということでしょうか?

ハイド:それは違うんだ。僕はブライアン・イーノに声をかけられて、〈ピュア・シーニアス!〉というイベントのシリーズで歌うことになったんだ。

そうみたいですね。

※「ピュア・シーニアス!」は09年にイーノのキュレイションによって行われた即興パフォ-マンスで、シドニーのオペラ・ハウスを舞台に6時間に渡って繰り広げられた(翌10年には1時間半のヴァージョンがブライトン・フェスティヴァルでも再演されている)。カール・ハイドのほかにはザ・ネックス(『裏アンビエント・ミュージック』P.117)、ジョン・ホプキンス、リオ・エイブラハムが参加。

ハイド:オペラ・ハウスで座席に腰をかけている観客とコミュニケイトするのはとても難しかった。クラブとはぜんぜん違って、いってみれば1対1のような関係だったんだ。どうすれば自分の歌が届くのか。メロディ自体はどんな状況でもすぐに浮かんでくる。いつも家ではドローンやインド音楽を聴くことが多くて、それに合わせて適当に歌っていたから、それは簡単なことだった。フェアポート・コンヴェンションの"フラワーズ・オブ・ザ・フォレスト"(5thアルバム『フル・ハウス』のクロージング)だっけ? あんな感じが好きなんだ。それこそイーノが一音でもピアノを鳴らしてくれれば、どんな風にも歌えた。でも、それだけでは観客には届かない。そうやって歌い方をあれこれと変えているうちに出来上がったものが、いまの歌い方なんだ。同じように日曜日の〈ソナー〉でもMCでオーディエンスに話しかけることは、自分なりのチャレンジだったんだよ。45年もステージに立っていて、まだ新しいことにチャレンジできるなんて、とても嬉しいことだよ。

ああ。ステージの最後で「ペイシェンス(忍耐)」という言葉を使っていたのが気になりました。あれは、ダンス・ミュージックをやるわけでもないし、オーディエンスに「プレジャー」を与えていないということなんですか?

ハイド:いや、違うよ。まだ発売もされていないアルバムの曲を忍耐強く聴いてくれたことに感謝したかったんだ。それどころかアンコールまで求めてくれて。アンダーワールドのアルバムが出てからも大分経つし、そうやって間隔が空いてしまうことにも同じような気持ちを持っているよ。

そうですね。あのときのオーディエンスはまだ聴いてなかったんですね。僕自身はアンダーワールドとはかなりかけ離れた印象を持っていたんですけど、"ダーティ・エピック"を曲目に織り交ぜていたことで、なるほど一貫してるんだなと思えました。

ハイド:そう、そう。

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「エッジランド」......都市も田舎も雑誌では特集されるけど、そのどっちからも外れてしまう場所のこと。ほとんどが廃墟になっていて、忘れさられた場所なんだけど、たくましく生きている人もいる。


Karl Hyde - Edgeland
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そういえば、どうして〈ピュア・シーニアス!〉の流れでそのままイーノにプロデュースを頼まなかったんですか?

ハイド:彼は忙しすぎるんだよね。実のところ、イーノとはすでにアルバム1枚分はレコーディングもしてるんだ。でも、僕はいつも誰かに従ってしまうので、このアルバムでは責任を持ちたいと思って、自分がプロジェクトを引っ張れる体制にしたかったんだよ。だから、〈ピュア・シーニアス!〉で知り合ったリオ・エイブラハムに共同プロデュースを頼むことにしたんだ。イーノに頼むと全部、引っ張られちゃうからさ(笑)。

そうですよね(笑)。インタビューしてても、どうも主導権はあっちにあるんですよね(と、エレキングを見せたら、冒頭で書いたようなことになり、ついでにフルーアーの12インチを取り出して、ニュー・ロマンティクス時代のカール・ハイドを見せると......)

ハイド:この曲("ランナウェイ")はこの間、iTUNESで買ったばかりだよ。はっはっはー(といって、ジャケットを持ってマネージャーのところに走っていく)。

(あまりに受けたので、もう1枚、見せる)

ハイド:これは撮影が大変だったんだよ。(ひとりずつメンバーの写真を指差しながら、ああだこうだ言いはじめ)ジョン(・ワーウィッカー)はいま、僕らのスタッフをやっているよ。アルフィー(・トーマス)は、これはグラム時代のイーノをそのままマネしてる。こいつはヒドいやつだね(と、最後に自分の写真を指差す)。

(ひと通り笑い転げてから)音楽はどちかというとカントリー・サイドを連想させるんだけど、『エッジランド』というのは都市を意味しているんですよね。

ハイド:田舎と都市の中間にある地帯だね。都市の端っこの方という意味で使っている。都市も田舎も雑誌では特集されるけど、そのどっちからも外れてしまう場所のこと。ほとんどが廃墟になっていて、忘れさられた場所なんだけど、たくましく生きている人もいる。昔からそういうところに惹かれてたんだ。子どもの頃、そういった場所や錆びた鉄などをアートの題材にしようとしたら、父親から「そういうものはアートの題材じゃない」と言われてしまったんだ。でもね、やっぱり興味があったんだね。

ジャケットの写真に使われている立体交差は実在の場所ですか?

ハイド:そう、ロンドンからエセックスに帰るときはいつもここを通っていくんだ。高架下が、やっぱり昔から好きだったので、こういった写真だけを集めて写真集も出そうかと考えているんだ......。

(ここで時間だと合図される)

ハイド:もう1問いいよ。

じゃー、(アンダーワールドが音楽監督を務めた)ロンドン・オリンピックにモリッシーは批判的でしたけど、彼の意見はどう思いました?

ハイド:自由に自分の意見が言えることは素晴らしいことだと思うよ。いいんじゃないかなー。

 さすがに本人には言わなかったけれど、『エッジランド』にはどうしてもザ・スミスに聴こえてしょうがない曲がある。その曲を〈ソナー〉で演奏しはじめたとき、僕は隣にいた橋元優歩に「ザ・スミスに聴こえるよね」といってふたりで声を押し殺して笑っていた。橋元さんがそれにもうひと言、付け加えた。「声も似てますよね」。

Madegg - ele-king

 元旦にこれといった予備知識もなく有楽町マリオンでトム・フーパー監督『レ・ミゼラブル』を観ていたら、頭を坊主に刈られたアン・ハサウェイがシネイド・オコーナーさながらに熱唱していた。あれ、ハサウェイって歌はヘタだと言ってなかったっけ? 坊主頭のせいで鬼気迫るように思えるだけ? それにしてもイギリス人が撮ると『レ・ミゼラブル』なのに、なんだかディケンズに見えてしまうよなー。面白いのかな、この映画? クリストファー・ノーラン監督『バットマン ダークナイト・ライジング』もいまのアメリカをフランス革命前夜に喩えていた含みはあるにせよ、『レ・ミゼラブル』のそれはあまりに説得力がなかった。デヴィッド・クローネンバーグ監督『コスモポリス』もやはりオキュパイを念頭に置いた作品だったので、「無産階級による革命が失敗する話」というマーケットでもできつつあるのだろうか。それ以前に自民党の憲法「改正草案」では21条も《公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない》という内容だったりするので、失敗どころかデモやオキュパイが日本からはなくなっちゃうかもしれないですけどね。

 そんなことは忘れた頃にハサウェイの熱唱シーンをパロった動画がユーチューブに上がった。ハサウェイの坊主頭が意外と評価されず、歌が歌えるようになったことさえ「力みすぎ」だと悪評が続いたことに抗議し、28歳の女性がハサウェイをマネた容姿でアカデミー会員に「ご検討を!」と訴えかけたのである。結果的にハサウェイはアカデミー助演女優賞を受賞したものの、動画がアップされた時点では彼女にとってありがたいのか迷惑なのかわからない上に、ハサウェイより歌が上手いなどという評まで飛び出してしまった。しかも、その週だったか次の週に、今度はAKB48のメンバーがセックスしたかどうかして、
やはり坊主頭になり、ファンの皆様に詫びを入れていた。リアルな芸能界なので話題性を逆手にとって独立しても結局は干されるだけだろうから、そうまでして組織にいたいのかという議論は世間知らずでしかないとしても、それ以上のことはよく知らない僕としては男の方は坊主にはならなかったのかなと思ったり。また、次の日には、なぜか(本当に無意識に)アルベルト・ネグリン監督『アンネの追憶』をレンタルしてしまい、アウシュヴィッツに送られたアンネ・フランクがいきなり坊主頭にされるシーンに出くわした。どう考えても、2013年は女性の坊主頭元年である。勢いでローラ・ムヴーラのデビュー・アルバム『シング・トゥ・ザ・ムーン』まで買ってしまった。イギリスではR&Bシンガーのブライテスト・ ホープに選ばれた新人である。

 アン・ハサウェイやローラ・ムヴーラは役作りやファッションとしてやっていることなので、同じ坊主頭といってもAKBとはやっぱり意味が違う。 芸能人がプライヴェートを切り売りできるようになった/しなければならなくなって、けっこう経つとは思うけれど、それもつくりだろうと思われる領域は日を追って拡大し、これがわたしのプライヴェートですといって差し出せる範囲もすでに限界に来たのだろう(しょこたんや辻希美は除く)。プライヴェートというのは本来は格好をつけられない領域のはずだし、それが本音だと思われなければ大衆に差し出した意味もない。もしくは「わたしは等身大の存在で、あなたの手の届く範囲にいるんですよ」ということを信じてもらうためには演出方法も変えなければならないから、実力のない人ほど「本音らしいこと」を捏造しなければならなくなってくる。AKBの坊主頭は、そういう意味では、ブリトニー・スピアーズがボロボロになって生き残っている姿とどこか近いものがあるし、プライヴェートな領域でナスティなものを可視化できなければ、アイドルとして成立しなくなる日も近いのでは。かつてのように泣けば可愛いと思ってもらえた時代と図式的には同じですけどね(ということはウソ泣きの松田聖子ならぬウソ坊主頭もそのうち出てくるのかな)。

 京都から届いたマッドエッグことカズミチ・コマツのセカンド・アルバムを聴いていて(ファースト・アルバムはTシャツにダウンロード・コードが プリントされているというものだったらしい)、そのあまりにもクリーンな響きは、僕が80年代に日本の音楽を聴いていて、もうちょっとナスティなニュアンスを持つことはできないのかと、いつも絶望的な気持ちになっていたことを思い出させた。当時の洋楽といえば、それはいろいろなファクターがあるだろうけれど、僕にとっては清潔感がないということが圧倒的な魅力だった。とくにニューミュージックをぶっつぶすために業界主導で仕掛けられたシティ・ポップスはGSのカタキを取るという志に反して、あまりにもクリーンに過ぎた記憶しかない(それがブラック・ミュージックの導線になったこと自体、どこか奇跡に思えてしまう)。また、シティ・ポップスは、ニューミュージックを(いまでいう)ガラパゴスと断じて、世界へ出なければ意味がないと宣言していたものの、結果的にその志を受け継いだといえるYMOでさえ、海外盤ではベースをオーヴァーダビングされてしまうほど、ナスティであることにはほど遠かったのである。「電圧のせいじゃないかな」と忌野清志郎は考えた。そして、彼が86年にロンドンでレコーディングを行った『レザー・シャープ』はカッティングの溝が深すぎることを理由にジャスラックには保証のマークをつけてもらうことができなかった。低音を制限する溝の深さはどうやら日本の住宅事情から来る制約だったらしい。

 ピシピシと突き刺さるような、あるいは、もやもやとはぐらかすようなマッドエッグのサウンドを聴いていて、あれだけイヤだと思っていた「クリーンなサウンド」を思い出したということは、それなりに長い間、日本の音楽もナスティな響きを放ってきたということなのだろう。電気グルーヴやフィッシュマンズが洋楽のように聴けたということは、そういうことであり、本来的な意味でダイナミック・レンジは獲得されたのである。そこであえてクリーンなサウンドに立ち戻ろうとしたのか、何も考えていないのかはわからないけれど、『キコ』はエイフェックス・ツインやフライング・ロータスをかつての日本の音楽環境へと手際よく移し変えていく(......ように聴こえる)。低音が薄いのでムズムズしてくるというか、YMOをミニマルに組み替えたような"スロウイング・ア・フローティング・ガン"や高音だけでさまざまなイメージが繰り出される"オレンジ・ウエント・トゥ・イエロー"など、もはやどこにあるのかわからない引き出しを捜し続けているうちに曲も終わってしまい、それこそ1曲としてどこにもしまえないうちにアルバムも終わっていく。悲しいかな、シンセ・ベースが比較的重みを出してくれる"ザ・セントラル・ドッグス・アンド・プラスティック・フレンド"や混沌とした"シュアリー"、あるいは、いささか子どもじみた"グッド・ファニー・ナイト"がやはり僕には癖になりやすかった。でも、やっぱり数曲だけ試聴するなら後半をオススメしたいかな。

 デトロイト・テクノを平たく伸ばした"ストライプス"、シカゴ・ハウスをファンタジックにした"マース"、メランコリックがスピードをつけていく"スパイダー"、アシッドの河が流れていくような"ナイス・バード・フォーリング・ダウン・イン・ユア・ラウンズ"、エイフェックス・ツインとジャーマン・トランスを合体させたようなアルバム・タイトル曲と、なかなかに発想は豊か。クリーンなサウンドであることを逆手に取ったような発想 はとくに狂気じみた過剰さを引き寄せ、全体にケン・イシイのヴァージョン・アップとして「世代交代の波」を楽しめる内容になっている......なんて。 つーか、京都って、なんか、あるんですかね。最近いろいろ出てきますけど。まさか『けいおん』の影響じゃ......w

 以下は完全にヒマな人向け。

 昨年はマリリン・モンロー没後50周年だったので、ついにボックス・セットを買ってしまい、年が明けてからとりあえず順番に観ていたところ、さすがにモンロー・ウォークに目を奪われるだけでなく、いつしか男の職業が気になりはじめた。半分はいわゆる億万長者なので、これを除外すると、いわゆるあらくれどもが賃金労働者に組織化されていくプロセスに見えてきたのである。マリリン・モンローは、しかも、ゴールド・ラッシュに詰め掛ける男ではなく、それを尻目にひとり着々と畑を耕している男とくっついたり、いわゆる正業についていない男たちにはそれをやめさせて、どちらかというと賃金労働につかせる役回りを担っていたといえる。面白いのは遺作となった『荒馬と女』では、賃金労働者になっていく男のひとりがタンスの扉を開けると、内側にはモンローのピンナップがぎっしりと貼ってあり、それをモンロー演じるロズリン・ターベルに3回も見せるというメタ表現が盛り込まれていたことである。それはまるであらくれどもが自由を手放す代償としてセクシー・ガールのピンナップを手に入れたという図式がそのまま映像化され、そのフォーミュラがそのままAKBまで続いているような錯覚を覚えるに充分なものがあった。そう、工場労働からサーヴィス産業へと移り変わり、男性の働き方も根底から変わりつつあるという時代に、AKBのあれやこれやを見ていると、資本主義も必死だな、という感じがしてしまいました......とさ。

TADZIO presents センキュー☆vol.2 - ele-king

 GW、天気も良いそうだが、とくに行くところがないぜ。
 3日には、下北のスリーでECDを見てから、深夜になったら町田のRITTOとOMSBでも行こうと思っているくらい。どうせ4日は夕方まで爆死するつもりだしな。
 5日は......レコード売ってレコードを買いにでも行こうかな。
 そして、6日はまたしても下北スリーに行って、タッツィオとキラーボングでも見てくるよ。リーダーとこないだばったり会っちまったしな......考えてみれば、行動範囲は狭いが、忙しいGWになりそうだぜ。センキュー!!

■TADZIO presents センキュー☆vol.2!
骨折でしばらく休養していた部長(ds)が復帰し、ついに開催! 

 今回の出演アーティストは......。まずは、TADZIO企画にもはやなくてはならないTADZIOフェイバリッッットな爆裂ハード・フォーク・バンド、久土'N'茶谷! 
 先日、1.7mもある、"開くと戻らない"特殊ジャケットも話題のNEWアルバム『BONANZAS』をブチかました、最凶リズムを繰り出す、ドCOOL、ド漆黒な異系ハードコア・バンドbonanzas (from大阪)! 
 さらに、BLACK SMOKER RECORDS主宰、最も黒い男=KILLER-BONGが、KILLER-BONG所属のLEFTYのVJも務めるROKAPENISとともに参戦! 
 DJは、レコード・レーベルPANTY主宰、トラック・メイカーとしても活動する37A! という、なんとも濃厚な面々。現在、ニュー・アルバムを制作中のTADZIOも、新曲を織り交ぜ、爆音でブチかまします! 
 センキュー!!

5.6 (mon) 下北沢 THREE
OPEN 18:30 / START 19:00
ADV 2,000 yen / DOOR 2,500 yen (+ drink fee)
LIVE: TADZIO / 久土'N'茶谷 / bonanzas (大阪) / KILLER-BONG + VJ ROKAPENIS
DJ: 37A (PANTY)
INFO: THREE 03-5486-8804 www.toos.co.jp/3


下津光史 - ele-king

 着いたのは8時過ぎ。案の定、下津光史は、缶ビールを持って、良い感じに酔っぱらっていた。彼をライヴのトリにしてはいけない。この恐るべき23歳は、踊ってばかりの国のライヴの最中でも、終盤になればビールを欲する。他人とは思えないし、そして、そんなことで彼を賞賛したいわけでもない。
 しかし、この、長身の金髪のど不良は、たとえ瓶ビールをラッパ飲みしながらステージに現れても、リズム感を失わず、ギターと歌でグルーヴを作り、目の覚めるような歌を歌うことができる。

 ありきたりの、芸のない表現だが、彼の音楽からは、忌野清志郎、山口冨士夫、ジェフ・バックリィが見えるだろう(本人は憂歌団を主張するが)。日本にジェイク・バグがいるのか? と問われれば、下津がいると僕は答える。ソロであろうとバンドであろうと、そのくらい、この不良のライヴ演奏からは、彼がいまのところ残している録音物以上のエネルギーを感じる。飲み屋で酔っぱらって、自由に振る舞いすぎて、怖いお兄さんに一発二発ぶん殴られても翌日にはケロリと歌っているようなタイプの男だ。インターネット・ロマン主義にありがちな去勢された感じがない......というか、彼にはインターネットがそもそもない(笑)。ゆえに、本当は、こんな若いどチンピラの歌など笑ってやりたいのだが、......いや、でも目指す理想は、笑ってばかり国だ。真夜中を笑い飛ばせ。

 下津は、今日の日本のU23(ヒップホップのLOWPASS、オーバーエイジ枠として哲丸、大阪のSEIHOなどなどが入る)のなかでも、もっともニヒリズムを抱えているように見受けられる。目をまんまるにして、腹の底から怒っているように見えるが、しかしこの青年の音楽は、決して絶望のド壺にハマることがない。『コブラの悩み』やタイマーズの頃の清志郎を彷彿させる......"踊ってはいけない"や"セシウム・ブルース"は、ありがちな、ひとりよがりの政治的主張を越えて、多少のおかしみをもって抵抗している。あるいは、「人生はただの罰ゲーム」と彼が歌うとき、しかし彼の声と歌が、人生は罰ゲームなんかではないと言っているように聴こえる。
 
 僕がどうして下津光史のライヴにいるのか説明しよう。昨年のある晩のこと。電車で哲丸と一緒に帰る途中に、「同世代でもっとも好きなバンドはなに?」と訊いたところ、間髪入れず、「踊ってばかりの国」と言われたので、さっそく僕は、当時下津が住んでいた、都内某所の取り壊し寸前のクソ古いビルの地下のスタジオに彼を訪ねたのだ。それがきっかけだった。真冬だというのに、寝具などどこにも見あたらない、衛生とはかけ離れた、汚く、冷たいスタジオのなかで、寝起きの彼を二度襲撃した。「寒くないの?」と訊いたら、「裏技があるんですよ。寒くなったら、ギターアンプの電源を入れるんですよ」と真顔で答えたのが下津だった。
  
 踊ってばかりの国は7月に再活動するそうで、アルバムは年内にはリリースされるらしい......。未来は明るいかもよ。


工藤キキのTHE EVE - ele-king

 NYに来てからいろんなパーティに行ったけど、たぶん去年一番多くの時間をこの夜に費やしたと思う。毎週日曜、グリニッチビレッジにあるBar、Sway Loungeでの「Smiths Night」だ。その名の通り、かかっている音楽はスミスまたはモリッシーが全体の70%をしめる。

 東京の友だちはこの2013年に私がスミスで踊っていると聞くときっと驚くと思うけど、いまのところどんなパーティに行っても結局はここに戻ってきたいと思っている。とはいえ、私がほぼ毎週行ってると話すとNYの友だちですら「えっ、まだやってんの? 昔はよく行っていたけどね...」と驚く人も多い、去年で10年目を迎えた老舗パーティのひとつ。

 どうしてスミスにまったく影響を受けてこなかった私がなぜ行きはじめたかというと、レジデントDJのひとりがGang Gang DanceのBrian Degrawだからでもある。
 「Smiths Night」はBrianとファッション・デザイナーとしてのキャリアも持つBenjamin ChoがメインのDJ。Brian曰く「全生涯をかけていると言っても過言でない!」ほど、幼少期から世界中でリリースされたスミスとモリッシーに関するあらゆるレコードを集めているコレクターでもある。そしてこのコレクションを熟知していて、いつもその'レア'度に感心を寄せていたクロエ・セヴィニーとその兄のポールから「こんなにたくさんのコレクションがあるんだったら、スミスしかかからないパーティをすれば? 」という提案を受けて、Brianが同じく筋金入りのスミス・ファンのBenを誘ってパーティはスタートした。

 はっきり言ってSwayは普段友だちとハングアウトするようなダウンタウンやブルックリンの雑多なバーとは少し毛色が違う。
 DJブースの周りにはBrianたちの友だちしかいないけど、奥のテーブルには「今夜はリンジー・ローハンが来ているよ」とか、年齢層は様々だけど、ダンスフロアにはミッドタウンで紙袋をぶら下げて歩いているようなファッション系、モデル風の子たちも多くて、ハイプで少しデカタンな香りもする。

 いまでこそ日曜日の夜は人で溢れているけど、初期はBrianたちの友人10~15人程度しか来てなかったそうだ。大げさな言い方だと'宣教'の10年という感じで、スミスをもっと多くの人に聴いてもらうことがBrianにとっての重要なテーマだった。それこそ初期はスミスのポスターを貼るとかデコレーションに凝ったり、スミスのTシャツを着てきたらフリードリンクみたいな仕掛けも用意したが、リリックが苦手という人も多くてなかなかパーティが浸透するのに時間がかかった。
 それが結果的に15人程度のお客さんから人が増えたのはファッションワールドがモリッシーのヘアスタイルやバンドTに興味を示したからというのは否定できないと言っていた。そういえばブラックフレームのメガネとかリーゼンとかテディボーイ的なスタイルとか00年代のはじめとかに一時流行ったかも......。  

 音楽ではなくファッションが入口となったのを目の当たりにしたのは「本当に奇妙なサイコロジカル体験」とBrianは言っていたけど、いまではそこに彼らのバンド系やアンダーグラウンド寄りの友だちがランダムに交じりフロアは"ASK"や"The Last of Famous International Playboys"、"I'm so Sorry"、「Interesting Drugs」がかかるのを待っている。
 とはいえ初期は本当に100%スミスしかかかってなかったみたいだけど、いまではBrianはスミスもかけるけど、 Deep House からGhetto Base、メキシコで見つけたTechnoや、「ダンボ」のサントラとかオールディーズ、そしてダイナソーJrやRIDEだったりと選曲はかなりランダム。そして流石バンドマンなだけに巧みなCDJ使いで、DJというよりライヴ感があふれていて、やっぱりミュージシャンなんだなという感じが強い。既成のダンスミュージックをかけるというよりも、ランダムにいろいろな音を混ぜるあたりがバレアレックサウンドにも聴こえる。
 東京では普通に使っていた音楽のカテゴライズとかも、こっちのミュージシャンとかはあまり気にしてないようで、前にBrianに彼のDJとバレアリックの関係性は? みたいな話しをしたことがあったけど、そのあたりはまったく意識をしたことがないとのこと。彼のDJのベースはなんと、スミスのライヴの直前のウォームアップ用にモリッシーが選曲した音だったりする。
 例えばBilly FullyやJayBee Wasden、Diana Dorsなどの60'sのイギリスのロカビリーやオールディーズ、Dionne WarwickやNico、New York Dolls、Klaus Nomi、Jobriath、Sparks......などモリッシーがいままでに影響を受けてきた音楽なんだけどBrianはこの客入れ(?)時の音も会場で録音したりして集めていたらしく、これが彼のDJのベースになっているそうだ。なるほど。

 そんなライヴを見に行くような感覚で毎週通っていたけど、結果的にトリコになったのは実はBenのDJだったりする。
 Brianも言っていたけど、Benはこの10年ほぼ同じ曲をかけ続けている。それは70%はスミスであとは、Erasure -A Little Respect 、The Pet Shop Boys -Always On My Mind 、The Cure -Just like Heaven 、David Bowie -Queen Bitch、 Freda Payne -Band of gold、A Flock Of Seagulls -Space Age Love Song、Juanes-La Camisa Negra 、Bell &Sebastian -The Boy With The Arab Strap、The Slits -I Heard It Through The Grapevine ......などの子供の頃に耳にした70'sや80'sのヒットソングからインディロック。これが本当にほぼ毎回同じ展開でかかるんだけど、イントロがかかっただけで甘酸っぱい思い出がこみ上げてくるような、まさに私が高校生のときに行ったロンドンナイトでTracey Ullman-Breakawayがかかるのを待っていたことを思い出す......。
 とはいえ、毎週同じ曲がかかるとはいえ夜ごとのバイブスは違う。だからクレイジーにもスローな夜にもなる。それこそ奇妙なサイコロジーで居合わせた人の気分次第でパーティの熱度はどうにでも変えることができる。

 いつでも誰でも新しい何かを求めていると思うし、新しい刺激はいつでも魅力的で、飽きるのもはやい。だけどBenはいつもここにいて、淡々と自分が好きだった曲をかけ続けている。それを若い子は追体験し、大人たちは在りし日を思い出しながらまどろむ。この日曜日の夜だけは、スタイル・ウォーズな日常からの逃避のような、懐かしい時間に戻れる気がする。
 前にGang Gang DanceのLizzieとお茶をしていたとき、窓ガラスの向こうの通りに昼間から、うつらうつらと寝ながら歩いている男性が見えた。「たぶんヘロインやってるんだよ」と彼女が言うので、「でも、あんな状態で楽しいのかな?」と聞くと、「10分間ぐらいは天国にいるみたいだからね、誰でも忘れたいことがあるでしょ」と言っていた。思春期特有の苦悩に細い手を差し出してくれるようなスミスの音楽は、薬物の酩酊状態のときに見る数分間の天国にも近いのかもしれない。それは不確かで不道徳かもしれないけど、忘れたいことに対してやさしい。

 実はBrianとBenによる日曜日のSmiths Nightはもうじき終る。Brianは木曜日に移ってダンス・ミュージック中心のパーティをはじめることになるけど、Benは変らず日曜日にSwayにいるみたい。NYにお越しの際はぜひ一度遊びに行ってみて。

interview with Acid Mothers Temple - ele-king

 アシッド・マザーズ・テンプルのリーダー、河端一のインタヴューをお届けする。

 アシッド・マザーズ・テンプル(AMT)は河端を中心に「アシッド・マザーズ・テンプル&メルティング・パライソUFO」(通称「宗家」)、「アシッド・マザーズ・テンプル&ザ・コズミック・インフェルノ」(通称「地獄組」)、「アシッド・マザーズ・テンプルSWR」等々、AMTの名を冠した多くのバンド/ユニットが存在する。ゴングのようなものだと思えばわかる人にはわかるだろうか。

 そのゴングとの合体バンド「アシッド・マザーズ・ゴング」、グルグルのマニ・ノイマイヤーとの「アシッド・マザーズ・グルグル」など、合体ユニットものも数多く存在する。このあたり、非常階段、想い出波止場などの関西アンダーグラウンドの系譜も感じさせる。

 AMTは97年のファースト・アルバム以降、ジュリアン・コープによる紹介や英『THE WIRE』誌の表紙掲載(2001年)など海外での評価を高めていき、いまでは数ヶ月におよぶロング・ツアーを毎年おこなっている。
 その姿は「海外進出!」的な華やかなものではまったくない。数多いツアー・バンドのひとつとしての地に足の着いたツアー生活ぶりは、河端のブログでもその一端が伺える。みんな自炊してるし。

 ここで個人的な話をすると、筆者が河端の名前を意識したのは90年代中頃である。当時ハイライズの南條麻人による様々なユニット(メインライナー、ムジカ・トランソニック、狼の時間、東方沙羅等)がPSFレコード(灰野敬二や三上寛のリリースで知られる)から続々とリリースされた。当時すべてをチェックできたわけではなく、それぞれのバンドの区別も曖昧だったのだが、強烈なワウファズギターは強く印象に残っている。

 それ以前は、80年代には女性ヴォーカルを擁したニューウェイヴ・バンドえろちかを率いて活動しており、ナゴムのオムニバスなどでその一端を垣間見ることはできる。インディーズ・ブームの追い風もあって一時はメディアの露出もあったようなので、当時日本のニューウェイヴを熱心に追っていたような人(野田編集長とか)であれば名前くらいは知っているのではないだろうか。

 取材は秋葉原Club Goodmanで行われた狂熱のディスコカバーライヴの翌日、中野の大衆居酒屋で行われ、取材後のフォトセッションの後、さらに飲み続けた。前日も朝まで打ち上げだったというのに、つくづくタフな人である。

そもそも俺はサイケデリックというのは、基本的にアホの音楽だと思ってるからね。言うたらラリって気持ちよくなってるだけであり。そんなところで何をシリアスにやってるのや、もっと陽気にいこ陽気にっていうね。

田畑さんと同じように、まずはバイオグラフィカルなことを順を追ってお聞きしたいと思うんですが。

河端:あんまりないんですけどね、俺は(笑)。田畑はやっぱりいろいろあるじゃないですか。有名バンドを渡り歩いてきたエリートやから。俺は裏街道を歩んできたからね。

音楽活動を始めたのが14歳ということですが。バンドを始めたのがその時ということですか?

河端:14か、13ですかね。そうですね、バンド活動と音楽活動を始めたのが同時で。最初は10歳か11歳のときにラジオで現代音楽を聴いて。それはシュトックハウゼンのミュージック・コンクレートか電子音楽やったと思うね、いま思えば。それを聴いてすごく興味を覚えて「こんな音楽があんのや」というのが始まりで。

あ、じゃあロックより先に現代音楽を?

河端:うちはお袋が音楽にすごく厳しい人で、家で歌番組を見たらあかんかったんですよ。世のなかのくだらない音楽を聞くなと。
 それからまた何年か経って、友だちがロックのレコードをうちに持ってきたのね。お兄ちゃんのレコードを自分のカセットに録音したいと。いまでも忘れないビートルズの『レット・イット・ビー』やねんけど、まったく興味がわかんかってん。「なんやこんなんしょーもない。これがロックいうやつか」思ってんけど。そいつがそれからお兄ちゃんのレコードを持っくるようになって、あるときディープ・パープルを持ってきた。『マシン・ヘッド』。そしたら「なんやこれ、めちゃくちゃかっこええやんけ!」と。

じゃあやっぱりハード・ロックから。

河端:ハード・ロック、プログレからですね。同時にプログレとか聴きだして、フリップ&イーノとか。そうすると現代音楽にまた自分のなかでもどってしまって。
 そうこうしてるうちに、ディープ・パープルみたいなハード・ロックに俺の大好きな電子音楽が乗ってるバンドはないんやろうかと。好きな音楽と好きな音楽が合わさったらもっと好きになるはずや、単純な話。そんなんないんかなあと思ってても、結局当時の力では探せられへんのね。
 じゃあ自分でやるかと。ちょうど仲間が3人おるから3人でやろうやと。そしたらたまたま友だちの兄貴がシンセが余ってて譲って貰ってんけど、電源を入れたらビヨ~ンとかいうやんか。それで「お、シュトックハウゼン確保」(笑)。あとは演奏するだけやけど楽器がないから作ろかと。それで自作楽器を作ってね。スーパーで肉とか買った時についてくるトレーに輪ゴムを張ったり、缶に棒を挿してそれに針金を張って叩いたりとか――まあビリウンバウみたいな感じやねんけどね。いろいろ作って、これでディープ・パープルのような演奏をしようと。

それは(笑)。

河端:気持はの上ではね。まああの疾走する感じで。もちろん即興やねんけど、自分らでは曲をやってるつもりなんやね。だから今とけっこう近いというか。即興といってもフリーミュージックではなくて、作曲と編曲と演奏を同時にしてるだけなんやね。それはまあ今から聴くとなんとも言えへんものやねんけど(笑)。

最初からいまにつながる感じだったわけなんですね。

河端:それがはじまりで、だんだんバンドとしての体裁が整っていった。ギター、ベース、ドラムになって、スタジオに行けばオルガンなんかもあるから。そこのスタジオに、4chのミキサーとマイクとカセットデッキがあったんですよ。それで「録音できるやん」と。それでうちの家には当時カセットデッキが2台あって、スタジオで録ってきたやつにかぶせて次のテイクを録音するという。

いきなり最初からオーバーダビングを。

河端:そうやって自分らで作品作りを始めたんやね。ギターソロとか当時はそんな速う弾かれへんやん。それでラジカセにまずギターソロを録音すんねん、もうデタラメやねんけどできる限りの速弾きを。それをカセットで半押しくらいで早送りするとキュキュキュキュキュって速くなるやん(笑)。
あとカセットテープってネジで止まってたよね、四隅が。あれを開けて、切ってセロテープで繋いだりとか。テープをぐちゃっと捻ってからまた伸ばしてワウフラッター作ったり。ひどい時は1回水で洗って太陽で干してテープをグニャグニャにしたやつをかけたりとか。

へえー。

河端:最初の4年くらいはチューニングもしてなかった。ギターとベースの間のチューニングというのが存在してなくて。いまで言うオープンチューニングみたいな感じで、ポローンとやって「あ、面白い並びやな」「綺麗な並びやな」でそのまま弾くし、ベースはベースで自分でやるから、すごいうまいこと行ってる日とものすごい気色悪い音やなっていう日があって(笑)。

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年齢が28くらいで、このままマトモに就職でもして働くか、それとももう1回音楽をやっていけるか、どうしようかなと。そう思ったときに、自分はミュージシャンとして音楽をやる資格があるのかと。いままで一度も支持されたことのない(笑)、こんな人間が本当に音楽をやる資格があるんやろかと。

ずっと同じメンバーでやってたんですか、中学から高校にかけて?

河端:メンバーを入れたりしたけど3人の結束が固すぎて。価値観が同じで育ってるから入り込めない(笑)。で結局3人だけ残っていくんやけど。
 ただ、ライヴハウスに出だしたときにどこにも属せなかった。

ああ、まあ......ねえ(笑)。

河端:ノイズでもないしパンクでもないしニューウェイヴでもないし。当時はサイケも死滅したジャンルやし、今から思えばいわゆるサイケデリック・ロックみたいなもんでもなかったしね。
でまあ、大阪でライヴやるようになってんけど、「お前らだけちゃう」「ほかのバンドは受けてるのに、お前らのときだけお葬式みたいやんか」と(笑)。終わるとどよーんとした空気になっとって。当時漫才ブームが終わったころで、吉本が若手漫才師をライヴハウスとかに送り込んでたのね。そんで俺らのあとにデビューしたばっかのトミーズが出たことがあって。俺らのライヴテープにずっと録音されてたから漫才の最初のほうが入っとって、雅がずっと「やりにくいなあー」と。

その最初のバンドの録音が最近リリースされてますよね。

河端:はじめはただ単に録音してただけやってんけど、自主制作というのがあると知って。たまたま行った輸入盤屋にXAレコードのカセットが並んでたんよ。XAレコードっていうのはディ・オーバンていうバンドのやってたレーベルで、少年ナイフのファーストとかもそこで出してるのね。
 それを見て店の人に「僕も持ってきたら置いてもらえるんですか」て聞いたら「委託で預かりますよ」「ほんじゃ持ってきます!」言うて。結局40本くらい作ったんかな。

そんなに! 中高生の間にですか。

河端:そう。2000年くらいに1回CD-Rで10枚組を出したんですよ。そしたらイタリアのレーベルが興味を持って、LPでリイシューしたいって言い出して。何枚かがLPで出てます(*1)。当時の音楽はあまりにもデタラメなことをやり過ぎてるんで、逆に言うといまの自分が忘れ去ったようなことがすごく入ってるんですよ。「あ、こんなこと思うとったな」とか、「こんなアイデアよう思いついたな」とか。それがいまの自分にフィードバックする感じ。
 やってることは一緒なんで、アシッド・マザーを結成したときも「やっとこれが出来るときがやってきた」みたいな。

ああ。

河端:ギターの練習も、スケールとかなんも知らない状態から鏡に向かって、1弦から6弦、1フレットから22フレットまでを駆け上がって駆け下がるようなギターソロ。いつも鏡の前で練習してたからね、指使いだけを見ながらこれはめちゃ難しそうに見えるやろと(笑)。そのままいまになってしまったんやね。

ああー。

河端:俺のギターソロの原点はそこ。ほんであと、当時って動画とか滅多に見れなかったから、雑誌とかレコードについてる僅かな写真で判断するわけですよ。そしたらだいたいギタリストってギターを振り上げた時とかそういう写真が多いわけですよ。ずっと暴れて弾いてると思てたんで、最初から家で暴れながらギター練習してて。
 そんな誤解がいまのギター・スタイルとかすべてにつながってる。あとは当時のライヴ・レヴューとか読むとなんでも大爆音て書いてるわけですよ。たとえばキング・クリムゾンの本読んでも、"エピタフ"、あのバラードを歌う歌声が「雷鳴のように聞こえた」って、どんな爆音やねんと。それで絶対にスーパー爆音でないと演奏したらアカんと思って。
 その誤解のままいまに至ってる感じ。音楽のルーツは誤解と幻想。情報量が少なかったのが逆に幸いしたんやね。

そのバンドは結局どのくらいやってたんですか?

河端:高校3年までやったから、結局6年間。メンバーが辞めていって変わっていくようになると、いままで3人で即興でずっとやっててわかり合ってたことがわかり合えなくなってくる。そこで初めて、自分たちの価値観は自分たちしか通用しないということがわかって、ほんなら曲をちゃんと作らないと演奏できないということになって。ほんで俺らあまりにも受けなさすぎて、その時流行ってたポスト・パンクにだんだん近づいていくのね。

そこからえろちかに移行していく感じですか。

河端:いや、えろちかはまた違うねん。そのバンドで最後俺も辞めちゃうのね。で、オリジナル・メンバー・ゼロで解散ライヴすんねん。解散ライヴを俺が見に行ったくらいで。結局メンバーが36人変わって解散すんねんけど。
 ほんで解散した後に新しいバンドはやりたいけど、前のバンドはあまりにも不遇やったと。アングラシーンのなかでもここまでうけへんというのはありえへんというくらうけない。当時マントヒヒっていうライヴハウスが大阪にあって、非常階段とかアングラ系のバンドがよう出てた、ちっちゃいライヴハウスやねんけど。
 とにかくどのライヴハウスに行っても「お前らはよその店に行ったほうがいいよ」と言われてて「僕らはどこ出たらいいんですか」と最終的に聞いたら、「マントヒヒがいいんちゃうか」。それでマントヒヒにテープ持ってったら断られて。
 林直人さんと死ぬ前にたまたま呑む機会があって、昔マントヒヒで断られたことがあるって言ったら、「あそこで断るってありえへんやろ」って言われたけど(笑)。

当時非常階段が出てるようなところと言ったら相当ですよね。

河端:そう、非常階段が一番スキャンダラスやったとき。そこに出られへんってありえへん。
 それでまあ、えろちかのときは、売れたいけど魂を全部売るわけにはいかないので、売れるための要素と自分の趣味の部分のバランスが面白いバンドにしようと。だから1回聞いたら絶対覚えられるリフとかメロディを一個は必ず曲に入れるというのをコンセプトにしたのね。それでアレンジはわざと変にして。
 はじめはちょっとパンクっぽい感じやったけど、だんだん趣味部分がどんどん出てきて、最後はプログレ化していくという。メンバーも変わってワンマンバンドになっていって、最後は作詞作曲編曲まで全部自分でやってた。ワンマンバンドなんで上手いメンバーばっか集めてこういうことをやってくれと。そしたら弊害が出てきてん。

ほう。

河端:もうバンドのカラーが決まったバンドに入ってくるから、俺が新しいことをやろうとすると「それはえろちかっぽくない」って言われて、前に書いた曲の二番煎じみたい曲ばっかになって、どんどん面白くなくなってくる。それと当時売れたいからというので、メジャーとかから話は来るわけですよ。バンドブームやったしね。それでメジャー4社断ってんけど。

へえー!

河端:メンバーに相談せずに(笑)。俺は別にメジャー・デビューがしたいわけじゃなくて、ある程度音楽が支持されるようなとこでやりたいというだけやったから。結婚なんかもそうやけど、メジャー・デビューもゴールやなくてスタートやから。やりやすいように仕事せなあかんねんから、話が来るたびに必ず条件を3つ言って、この条件を飲んでくれたらら契約しますと。ひとつはセルフ・プロデュースであること。あと歌詞の検閲を受けない。それと海外盤を出す。その条件が飲めないならやらないと。そうやって4社くらい断るともう話がないよね、当時は。

噂も広まるし。

河端:断ってるうちに話がパタっと来なくなって。それでメンバーに言ったんよ、ある日。「全部断っといたから」って。そしたら「なんでやねん!」と(笑)。「もう道はなくなった」ってメンバーがみんな辞めてしまった。まあそらそうやな。
 そのままちょっとプライベートでいろんなことがあって音楽を辞めてた時期があるんですよ。自分のなかでえろちかっていうのは、結構全身全霊を傾けてやってたバンドだったんで、音楽的にはある程度自信があったし。それが終わった時点で、やることなくなったという感じがしたんやね。ちょうどその頃サンプラーを買ってテクノを自分で作ったりしてて。

へえー。

河端:ロッテルダム・テクノやったっけ? 歪んで速いやつを。それはDJやってる友だちにあげたりとかして、誰かがプライベートプレスかなんかして一部でかけてくれてたらしいけどね。それも結局興味があんまもたなくて、まあもうええかな、音楽やめよ、って辞めてたんですね。
 そしたらまたとある出来事があって人生振り出しに戻った瞬間があって。年齢が28くらいで、このままマトモに就職でもして働くか、それとももう1回音楽をやっていけるか、どうしようかなと。そう思ったときに、自分はミュージシャンとして音楽をやる資格があるのかと。

資格ですか。

河端:いままで一度も支持されたことのない(笑)、こんな人間が本当に音楽をやる資格があるんやろかと。その頃ジョン・ゾーンとかが人気が出てきてて、ニューヨークのシーンがすごい盛り上がってて。ちょうど最初のニッティング・ファクトリーの頃。それでニューヨークの、世界で最先端だと言われてたそいつらを見てみたろうと。それを見て、自分もやれそうだと思ったらやろう、あかんと思ったら辞めようと。
 とりあえず有名無名のいろんな人を見て、日本で観たことのある人もいたけど、日本で見ると「外タレ」と思って見てるからフィルターかかってるねん。向こうに行くとフィルターがなくなるんで、純粋にミュージシャンとして見れるわけですよ。そしたら、まあ言うたらあんま大したことないな、こんなもんかと。または、凄いけどとんでもなく凄いわけでもない。

手が届かないわけではないと。

河端:これやったら俺もいい線行けるんちゃうかなと思って、そのままニューヨークに居て続けてやろうと思ったんやけど、向こうの人に帰ったほうがいいって言われたんですね。こっちに住んでしまったら「アメリカに住んでる日本人」になっちゃう。そんなん珍しくないし。でも日本から来たら外タレやでと。たしかにそれは言えとる、英語もそんな喋られへんし。
 1回日本に帰ったらたまたま南條(麻人)さんに久しぶりに会って、そこからPSFのリリースに繋がった。


(*1)
イタリアの〈Qbico〉レーベルからリリースされたLP10枚組のコンピレーションBOXセット「Omicron/Omega」に、河端一が最初に結成したバンド「暗黒革命共同体」の1979年のライヴ音源が1枚、自作楽器による実験ユニットMURAが1981年に録音&リリースされたカセットからセレクトした1枚の計2枚が収録されている。

(*2)
1990年録音、1991年リリース。「愛の四畳半」「秀松おしの」「天寿全うたたきの一物」の3曲を収録した短冊型8cmCD。

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灰野さんが南條さんに、なんでそんなにたくさんバンドを作るんだと。それで南條さんはコンセプトごとにバンドを作るんだって答えたら、灰野さんはそのときに「俺なら不失者で全部やる」と。それを聞いたときに、俺はなるほどな、そっちのほうが賢いかもと。

南條さんとはその前から面識はあったんですか。

河端:南條さんが名古屋に住んでたときに、レコード屋に貼ってる論文みたいに超長いエッセイみたいなメンバー募集を読んで、1回電話してみたらハイライズの南條さんで。そのメンバー募集で来たの俺だけやったらしくて(笑)。あまりにもとんでもないメンバー募集だったから誰も来なかったと。それで一緒にやるようになって。その時はえろちかもまだやってたのでそこまで深入りはせんかったけど。

南條さんとのユニットが爆発的に出てきましたよね

河端:南條さんは初めて会ったときに、「僕はシンガー・コンセプト・ライターなんです」って言うてて。僕はコンセプトを考えるのが得意なんですと。でも曲は作れないので、僕がコンセプトを考えますから、河端君が音楽を作ってくださいっていう。

へえー。

河端:南條さんが「このバンドはこういうコンセプトだ」っていうと「じゃあこういう感じかな」っていうコラボレーションになって。南條さんはプロデューサー的なところが優れいて、俺が作った音に対してミックスとか、ちょっとした細部のオーバーダブで音を足したりしてくるんやね。ミックスもまず1回俺が作るんですよ。そしたら南條さんが「わかりました」言うてちょっとだけフェーダーを動かして、そしたらいつもグッとよくなるねん。言うたら南條スクールみたいな。それでいろんなことを学んだ感じ。
 自分の音楽がいまいち理解されなかったかのが、音楽性の問題じゃなくて、その表現の仕方がハッキリしてなかったんやね。南條さんのミックスはハッキリしてるんですよ。普通やったら、どの楽器も全部聴かせたい。ドラムやったらバスドラがちゃんと聞こえるようにしたいとかあるでしょ。でも音楽的にそのバスドラがどこまで必要かと言うたら、実はそんな要らんねんで。
 南條さんの場合は、一番大事なものが聞こえたらあとはいいです。頑張って録音したのはわかるけど、消すわけじゃないけど聞こえなくなってしまってもいいんですよ。トータルの響きが大事なんです、と。それが俺は結構眼から鱗で。
 やっぱりプレイヤー気質からすれば頑張ったんだから聞いてほしい。でも音楽というのはプレイヤー個人のエゴなんかどうでもよくて、全体の音像やから。南條さんは「音響」って言ってたけど、個々の演奏はそれを支える一要素でしかない。それが1個ずつクリアに聞こえたって何も関係ないと。それから自分のなかで扉が開いた感じやね。

なるほどなるほど。

河端:それまでは、ミックスしてても、なんかしっくりこないのはわかってるんやね、自分でも。それをどうしたらいいのかがわからない。これを上げちゃったらこっちが聞こえなくなるし、と。でもそしたら上げたらええんや。そこからは自分の世界でやっていったところもあるけど、きっかけは南條さんやった。あの人は本当にシンガー・コンセプト・ライターやったね。次々とコンセプトが用意されてるわけですよ。

あの頃次々と出てきましもんね。

河端:だって俺もバンド名知らんかって。東京に毎月出てきて1週間くらいレコーディングしてたんやけど、「河端君、今回の録音予定です」って渡されて、新しいバンド名とコンセプトが書いてあるんですよ。南條さんが面白かったのは、コンセプトの数だけバンドを作るっていうね。

ああー。

河端:南條さんはハイライズだけが認められるのをすごい嫌がってたのね。ハイライズは僕のなかの一側面でしかないから、もっとほかの面も同時に評価されたいて言うて。1回灰野さんと3人で会ったときに、灰野さんが南條さんに、なんでそんなにたくさんバンドを作るんだと。それで南條さんはコンセプトごとにバンドを作るんだって答えたら、灰野さんはそのときに「俺なら不失者で全部やる」と。それを聞いたときに、俺はなるほどな、そっちのほうが賢いかもと。でないと、バンドばっかたくさん作っても結局理解できないでしょ。全部がサイドプロジェクトになってしまって。

ハイライズとその他、みたいな印象になっちゃいますよね。

河端:でしょ。そしたら結局南條さんの狙い通りにはならないわけ。

アシッド・マザーを結成したときには、ファーストを作ったときにはべつにバンドにするつもりじゃなかったんよ。ただヨーロッパとかを南條さんと一緒に回りながら、もうちょっとこういうバンドがあったら面白いなと思ったときに、昔の「ディープ・パープルとシュトックハウゼン」というのを思い出して、そうやいまやったらやれるかも、やってみよかなと。

今度Kawabata Makoto's Mainlinerっていうのがあるじゃないですか(*3)、あれは何ですか?

河端:ああ、あれはメインライナーですよ。メインライナーはそもそもは南條さんのバンドやったんですね。で、メインライナーは海外での評価が異常に高いんですよ。下手したらアシッド・マザーよりも人気がある。ハイライズ以上かも。
 メインライナー自体がもう南條さんとか関係なしに90年代のサイケバイブルと言わてるんやね、あのファースト・アルバムが。アシッド・マザーをやってても「メインライナーのギタリスト」って言われるくらいの人気で。でも南條さんとはもう10年以上会ってもないし連絡も取ってないし。田畑は最近成田さんや氏家くんとやってるけど(*4)南條さんは出てこないじゃないですか。まあ出てくるつもりももうないんやろうけど。せやから南條さんのメインライナーをやるわけにはいかない。
 最低限ファースト・アルバムは、曲は俺が作ってるからね。だから人気のあったファーストのメインライナーみたいなバンドを、まあみんながそこまで望むならもう1回やろうかなと。で、敢えて「Kawabata Makoto's」とつけて、南條さんはいませんよと。そのかわり演る曲も、基本的には新曲やけど、仮に旧曲をやるとしてもファーストからしかやらない。そういう感じです、みんなが観たいというからやってみよかな、っていう。

告知が出たときに「何だろうこれは」と思ったんですが。

河端:でももう3年くらい前からやってて、録音もだいぶ古いし。はじめは南條さんの代わりにベースを誰にするかと言って、いろいろ候補はあったんやけど、結局Bo Ningenのタイゲンを入れて。それに兄い(志村浩二)(*5)はメインライナーの最後のドラマーなので。このまま続けるか、アルバム1枚と1回のツアーで終わるかは、まだ自分の中でもわからない。もともとメインライナーのツアーをやっていて、「もっとこういうバンドだったら面白くなって客層も広がるのに」と思ったのがアシッド・マザーやったから。逆にそのなかで、今度はメインライナーみたいなことだけを要求されてきて。だからそれを抽出してみたということ。
 アシッド・マザーを結成したときには、ファーストを作ったときにはべつにバンドにするつもりじゃなかったんよ。ただヨーロッパとかを南條さんと一緒に回りながら、もうちょっとこういうバンドがあったら面白いなと思ったときに、昔の「ディープ・パープルとシュトックハウゼン」というのを思い出して、いまやったらやれるかも、と。
 たまたま当時須原(敬三)君(*6)が暇にしてたので、一緒にやろうやと。そしてらコットン(*7)をヴォーカルに連れて来て、俺もメインライナーのドラムだったハジメちゃん(小泉一)がおったんで連れて行くわってことになって、ドラムとヴォーカルとギターとベースの4人で最初にはじめて。はじめはセッションしてただけやってんけど、そこに元えろちかのメンバーだとか、ヒッピー・コミューン系の人らがまわりにおったから、そういうのもどんどん取り込んで。おもしろいことやってくれるなら全部やっちゃおうかと。まあ言うたらゴング的発想。

ああ、なるほど!

河端:とにかくおもしろい奴は全員入れちゃえという。そしたら一瞬でメンバーが40人くらいに膨れ上がって、もう収拾がつかない。ともあれ録音はして、アルバムできました。もともとベルギーのレーベルが出したいって言うてくれててんけど、できたときはレーベルが潰れてなくなってたんや。それで宙に浮いたんでいろんなレーベルを当たってたんやけど、全部断られた。またかと。俺の作ったものはどうも認められへんのやなと。
 モダーンミュージック(*8)にたまたま行った時に生悦住さんと話してて。「河端君は何か自分のものはないの?」って言われたんで「いや、新しいバンドを作ってファーストのマスターはあるんですけど、誰も出してくれないんです」と。ちょっと聞かしてみてよって言われて、たまたまその時マスターを持ってたんでかけたら、すぐ「じゃあうちで出そう」って。
 それで出たのがファースト。ファーストは記念碑的なソロ・アルバムだったんやね、自分のなかでは。身の回りにいる友だちみんなを巻き込んだ、青春の想い出ではないけど、「こういうものがありますよ、世界のどこか隅に」という。だからセカンド作るつもりも全然なかった。

極端なことを言えばバンドですらないというか。

河端:うん、ただ1枚のためのレコーディング・ユニットだったんやけど、あれが日本で全然売れなくて。ところが、『WIRE』の年間ベスト・アルバムに選ばれて、バンド名もバンド名やしジャケットもジャケットなんで、海外からライヴ・オファーが急に来た。じゃあ行ってみようかと。それでツアーできるメンバーを集めてなんとか海外ツアーに行ったわけですよ、初めて。当時は曲とかなかったんで、ほぼ1曲か2曲をブワーっと突っ走って演奏するだけだったんやけど、まあ結構受けた。
 帰って来たら津山(篤)さん(*9)と久々に会って。「俺らこないだヨーロッパ行ってんけど、津山さんも一緒にヨーロッパ行く?」とか言ったら「うん、俺も行きたい」「じゃあ入る?」言うて、津山さんがベースで入って。そうしたらセカンド・アルバム作ろうかと。それでセカンド・アルバムを作ったらそのまままた海外に行くようになって。そこから後はみなさんの知ってるような。


(*3)
英〈Riot Season〉レーベルよりアルバム『Revalation Space』が2013年5月発売予定。CDのほか、アナログ2種(ホワイトヴィニールとゴールドヴィニール)、カセットでも同時リリース。

(*4)
ハイライズのギタリスト成田宗弘は、ベースにAMTの田畑満、ドラムに元ハイライズの氏家悠路という編成による「GREEN FLAMES」で活動中。

(*5)
アシッド・マザーズ・テンプルのドラマーで、自身のリーダー・バンド「みみのこと」でも活動中。かつては石原洋率いる「ホワイト・ヘヴン」にベーシストとして在籍。ハイライズにも在籍経験があり、Kawabata Makoto's Mainlinerにも参加。

(*6)
レーベル〈Gyuun Cassette〉のオーナー。元「羅針盤」のベーシストであり、その後も「埋火」や山本精一の「Playground」などに参加。関西アンダーグラウンドシーンの影の重要人物。

(*7)
コットン・カジノ。ヴォーカルおよびシンセサイザーでAMTに初期から在籍するが2004年に脱退し、現在はアメリカ在住。AMT以前には女性4人組サイケデリック・バンド「マディ・グラ・ブルウ・ヘヴン」に在籍。

(*8)
東京の明大前にある「日本一アンダーグラウンドなレコード店」。インディ・レーベル〈PSFレコード〉も運営。

(*9)
アシッド・マザーズ・テンプル&メルティング・パライソUFOおよびアシッド・マザーズ・テンプルSWRのベーシストであり、想い出波止場のベーシストとしても知られる。ほかに赤天、ZOFFY、サイケ奉行など数々のバンド/ユニットやソロで活動。山小屋の管理人でもあるので夏には音楽活動を行わないことでも有名。

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ロンドンとかだとクイーンエリザベスホールでワンマンとか、前売チケット3000枚ソールドアウトとか、海外ではすごい有名になってて。ホークウィンドとかゴングが再評価でやっと出てきたときで、俺ら自身はゴングとかは好きやったけど、影響を受けたのはほんとはディープ・パープルとシュトックハウゼンやったんやけどね、そやけど面倒くさいから否定はせずに。

ゴングとオーブのライヴがロイヤル・フェスティバル・ホールであって、そのときにうちらも一緒に出たんやね。アシッド・マザー、ゴング、オーブっていうライヴで。そのときにバックステージでアレンと話してて、俺は昔ゴングの初来日のときに凄いファンやったから名古屋と大阪と2公演観に行ったっていう話をして「ありがとう」とか言うとって。

ジュリアン・コープの紹介もありましたよね。

河端:うん、あれが大きくて。イギリスに1回行って、その次に半年ぶりにまた行ったわけですよ。前回行ったときは客が100人か150人くらいだったのね。それが次に行ったらソールドアウトで700人とか入ってて。ライヴハウスもアップステアーズとダウンステアーズがあって、下がデカいほうで上がちっちゃい方。俺らはいつもちっちゃいほうでやってたのに、ブッキングが入れ替わっててね。
 あのときはサイケブームもあったんで追い風で。ロンドンとかだとクイーンエリザベスホールでワンマンとか、前売チケット3000枚ソールドアウトとか、海外ではすごい有名になってた。

日本のバンド・ブームみたいな時期もありましたもんね。

河端:ジャパノイズね。俺らはジャパノイズの一番ケツで、灰野さんとかルインズとかボアダムスとかの後に出て来て、ちょうどジャーマン・ロック・リヴァイヴァルとか――リヴァイヴァルというかイギリスでは初めて紹介されたようなもんやけど――サイケ・リヴァイヴァルの波にちょうど乗ったのね。それで当時は宇宙音を使ったバンドがいなかって。うちらはツインシンセがセンターにおって、ギターとベースが端にいるっていう編成やったから。普通シンセはおっても端っこでしょ?

後ろとかね。

河端:それが真んなかにおって、しかもふたりが頭振って暴れながらシンセを弾いてるというのが衝撃やったみたいで。それが凄い影響を与えて、次の年にツアー行くと前の年に対バンしたバンドに全部アナログシンセが入ってんねん。
 結構そういう意味では開祖みたいなところがあって。しかもホークウィンドとかゴングが再評価でやっと出てきたときで、お前らもゴングやホークウィンドの影響を受けてるのかと言われて。俺ら自身はゴングとかは好きやったけど、影響を受けたのはほんとはディープ・パープルとシュトックハウゼンやったんやけどね、面倒くさいから否定はせずに。

否定せずにいたら一緒にやるようになっていたと(笑)。

河端:そうそう。まあ一緒にやるようになったのもおもしろい話で。ゴングとオーブのライヴがロイヤル・フェスティバル・ホールであって、そのときにうちらも一緒に出たんやね。バックステージでアレンと話してて、俺は昔ゴングの初来日のときに凄いファンやったから名古屋と大阪と2公演観に行ったっていう話をして「ありがとう」とか言うとって。そしたらアレンの彼女がアシッド・マザーの凄いファンで。そもそもそれでそのときアシッド・マザーにオファーが来たのね。
 そのあとにうちの掲示板で、誰かが「Acid Mothers Gongみたいなのが観たい」って書いたんよ。それで俺が「Who can organize?」と言ったらゴングのマネージャーが「誰か俺を呼んだ?」って来て(笑)。次にアレンが「ん、なに?」とか言って来て、話がトントンと。

へえー。

河端:はじめはスケジュールが合わなくて、コットンとアレンと3人だけでGuru & Zeroってバンドを作ってアメリカの西海岸だけツアーしてアルバムを1枚作った。で、そのツアーをやってるときにアレンが突然新しいアイデアをメディテーションで得たって言って、それが「You'N'Gong」で、アレンの「You & I」みたいなイメージと「Young」とGongが重なってるみたいなバンド名。『カマンベール・エレクトリック』のTシャツ着たお爺が前に並んで"You Can't Kill Me"とかやるのはもう30年やってきて、ナイトメアやって言うてて。もうとにかく新しいことがやりたい、一緒にやらへんかということになって。
 それでオーストラリアで一緒に録音して、ライヴも一緒にやって。それがゴング名義で『Acid Motherhood』というアルバムで出た。だからあれはゴングやったのね。ところがアレンもいろいろ事情があって、youNgongのバンド名をゴングにしてしまったんで、そこからで話がいろいろややこしくなってしまったわけよ。

はあ。

河端:クラシカルゴングはやりたくない、もうゴングはこれでいいと言ってて。それでヨーロッパツアーやるってブッキングを2回したんやけど、2回とも上手いこと行かなかったのね。やっぱりかつての曲をやらないとか、メンバーが全部ちゃうから。
 それで結局ツアーができなくて、アレンがまたクラシック・ゴングをやらなあかんことになって、ゴングはまた元にもどって。それでもアレンは俺とまたやりたいっていうので、前回はバンド名をゴングにしたから失敗したんやと。メンバーも俺が納得できるメンバーでやりたい。それでアシッド・マザーズ・ゴングというのはどうやろう、そう言って結成したのがアシッド・マザーズ・ゴングなんやね。

マニさんはどんな感じで?

河端:元々グルグルの初来日は観てるんですよ。初来日の前座が赤天(*10)やったのね。赤天やねんけど、ギターに内橋さん(*11)を入れてて。あのリズム隊に内橋さんのギターって往年のグルグルみたいだったんよ。

ああー。

河端:逆にいまのグルグルは後期のグルグルの音なんで、まあマニさんもいるのは嬉しいけど赤天のほうがグルグルっぽかったみたいな。それがちょうど俺と吉田達也氏(*12)がヨーロッパから帰って来た2日後くらいやったのかな。それでヨッシーに俺もグルグル観に行きたいって言ったら「じゃあおいでよ」ってことになって。そこで初めてマニさんと会った。
 だいぶ経ってからマニさんが何度も日本に来るようになって。高円寺の円盤でZoffy(*13)ワンマンをやったらマニさんが見に来てて、終わってから声かけられて、明日名古屋でソロのライヴやねんけど、この3人で演奏しないかと。「ああ、ええよ」って言って名古屋のライヴハウスで演奏したんですよ。そしたらマニさんが凄い喜んでこれをバンドにしたいと言ってくれて。そうしてアシッド・マザーズ・グルグルっていうバンドができた。
 マニさんは俺らの即興っぽいのが凄く気に入って、ファーストのグルグルみたいだと。マニさんはあの頃のあの感じは俺にはもう出来ない、あんなことはもう出来なくなってしまったと。アックス・ゲンリッヒも一緒にやってるけど、あの感じでは弾けないと言ってて。それで俺と津山さんは昔から初期グルグルのファンやったから「あんなのたぶん簡単やで」って言って(笑)、じゃあ往年のグルグルを演奏するバンドになろうと。マニさんが円盤に見に来たのがきっかけ(笑)。もともとグルグルってちょっとおちゃらけたバンドやん、ユーモアのある。Zoffyは同じようなもんやから。

津山さんもそういうノリがありますもんね。

河端:津山さんなんかは昔出したファースト・ソロ・アルバム(*14)は表がリチャード・トンプソンで裏がグルグルでしょ。当時初来日した時にマニさんにあげて、マニさんが大笑いしたっていう。あのバカなジャケットをよくやったなと。

はいはい(笑)。

河端:そういうところでもともとシンパシーは感じてくれてたと思う。グルグルには想い出があって、高校時代に『ロックマガジン』の通販コーナーやったと思うけど、グルグルの『UFO』が、たしか6800円とかけっこう高い値段で載ってて。そのコピーが「73年のキング・クリムゾンを凌駕するインタープレーの嵐」って書いてあったんや。73年ってジョン・ウェットンがおった頃やないですか。あのクリムゾンを凌駕するインタープレーの嵐? どんな演奏やろう、多分変拍子バリバリの現代音楽も合わさったような物凄い演奏ちゃうんかと。アルバイトした金を全部投入して買ったわけですよ。
 それでやっと開けて聴いたら、なんかジミヘンみたいやな、変拍子はどこで出てくるねん? そのままA面終わってもうて。「あれ? ただのジミヘンやな。いや、たぶんB面が......同じやな」と。はじめは理解するのに凄い苦労しててん。

あれはただのダラダラしたセッションに聞こえちゃいますもんね。

河端:そうそう。一緒にやるとよくわかるけど、クラウトロックって「上がりそうで上がりきらずに、ゆるやかになって、また上がりそうで寸止めくらいのところで留まって、というのが気持いいらしいんですよ。だからアシッド・マザーみたいに上がり続けるとダメみたいで。

たしかに、ノイなんかとくにそんな感じかも。

河端:アシッド・マザーは上がっていくだけやから。ああいうのはね、ジャーマン・ロック的にはダメらしい。上がって下がって上がって下がって、で。最近人から「アシッド・マザーみたいなバンド、ほかにないんですか」って言われたから「え、どういうことなんですかそれは?」て聞いたら「もうどこまでも上がっていくようなバンド」って。確かにバンドで一個のリフを演奏しながら速度がひたすら上がっていくバンドって聴いたことないなと。だって基本的に速度が上がったらあかんわけでしょ。普通、概念的なものでは。

テンポをキープして、っていう。

河端:それが走るってレベルでなくて、加速していくから。考えてみたらそういうバンドってないなあと。俺らは普通に何の疑問も持たずにやってるけど、そういう意味では確かに珍しいバンドかもしらん。


(*10)
津山篤と吉田達也によるユニット。通常の楽器以外にハサミ・歯ブラシ・ジッパー・カメラ・ペットボトル等々の日用品を駆使したユーモラスな楽曲を演奏する。バンド名は高円寺にある餃子の名店から取られた。

(*11)
内橋和久。即興ロックバンド「アルタードステイツ」で活動するほか、ワークショップや即興演奏のフェス「フェスティバル・ビヨンド・イノセンス」などを通じてシーンの育成に大きく貢献した。

(*12)
「ルインズ」や「高円寺百景」をはじめ、数多くのバンド/ユニットで活躍するスーパードラマー。鬼気迫るドラム演奏の一方で、アカペラコーラスグループ「ズビズバ」などのユーモラスなユニットも。作品は主に自身のレーベル「磨崖仏」から発表。

(*13)
河端一と津山篤によるプログレユニット。ムソルグスキーの『展覧会の絵』をエマーソン・レイク&パーマーがカバーしたアルバムのカバーアルバムをリリースしている。

(*14)
96年発表のアルバム『Starring As Henry The Human Horse』。表ジャケットはリチャード・トンプソンのファーストソロ『Henry The Human Fly』、裏ジャケットはグルグルの『カングルー』裏ジャケットのパロディになっている。

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一緒にやるとよくわかるけど、クラウトロックって「上がりそうで上がりきらずに、ゆるやかになって、また上がりそうで寸止めくらいのところで留まって、というのが気持いいらしいんですよ。だからアシッド・マザーみたいに上がり続けるとダメみたいで。

アシッド・マザーのアートワークなんですけど、パロディっぽいのが多いですよね。

河端:もともとアートワークってもの全般に対して、俺はまったくなんでもいいんよ。ジャケットに芸術性なんてまったく必要ないと思う。例えば最近だとポストロックとか、ジャケットがみんな風景みたいな写真ばっかりで、インパクトもないし下手したらバンド名も書いてない。伝達性もないやろ。

ただの木の写真とかありますもんね。

河端:予め雑誌か何かでこのアルバムのジャケットはこれですよっていうのを見てないとわかれへんくらいでしょ。俺はそういうのじゃなくて、ジャケットっていうのは広告やと思ってるから。店頭で見たときに、音楽を知らなくてもジャケ買いしたくなるようなものでないと駄目。音はある程度自身がある。けど、聴いたら好きになる人でも、手に録ってもらえなかったらその人には届かない。その人に届くように、ジャケットに関してはなんぼでも魂売ったるっていう。
 初めの頃は、自分がレコード屋で見たときに衝動買いしたくなるジャケットっていうのがコンセプトだったのね。そうするとああいうヒッピーみたいな変なメンバーが並んでると怪しいな、俺やったら絶対買うぞと。Father Moo and the Black Sheepっていうサイドプロジェクトをやったときに、あれなんかは東君(*15)と俺でレーベルをはじめて、次に何出そうかという話になって。やっぱり衝動買いしたいジャケには謎のグルみたいな奴と、裸の信者みたいな――まあヤホワ13みたいなね。

なるほど(笑)。

河端:ああいうのは絶対買ってしまうと。それではじめはメンバーと裸の女とかで作っててんけど、リリースが増えてきてジャケのアイデアが思いつかなくなってきて。
 それで曲のタイトルも英語でつけるのを基本にしてるのね。英語やったら最低限理解できるひとが日本語よりは多いから。ほなら俺ら英語は母国語じゃないから、ちゃんとした英語タイトルが思いつかない。でも日本語タイトルを英語にするのは嫌なんやね。英語をもっと直感的に使いたいから。そうすると、知ってる英語をパロディにすることになって、自ずから有名な曲とか本のタイトルのパロディになってしまう。そうなってくると、「そうか、考えたらジャケットもパロディにすればええんや」と。

なるほどなるほど。

河端:俺が例えば灰野さんのビジネス展開から学んだことは、あれだけ作品出して内容もそれなりのものを出してるのに、客がもう買いたくないと。リリース数が多いし、どれ聞いてもはっきりした明確な区別がないし、さらにジャケットがまずわからない。

ああ、そうですね。

河端:これ、俺持ってんのかな? っていうね。全部真っ黒やから。だから俺は内容もゴロっと変えて、ジャケットも1回見たら持ってる・持ってないは最低でもわかるようにしようと。ほなら裸ジャケットが続くと区別がつかないのも出て来るんで、有名なバンドのジャケットをパクれば絶対にわかるから。さらに覚えやすいし。

有名盤のパロディみたいなジャケはここ最近特に増えてるなとは思ったんですけど、そういうことでしたか。

河端:ネタがなくなったのと、その手の客に届かせるように。たとえばブラック・サバスとかのファンやったらたぶんこのアルバムは気に入るなと。でもブラッック・サバスのファンがアシッド・マザーのCDを買うかいうたら、買う人もおるけど買わん人もたぶんおる。ほなら買わせるにはどうするかと言うたら、ブラック・サバスのパロディをやればええと。「あれ、こいつらサバスのマネしとるな」で、そこで嫌がる人と、面白そうやなって興味持つ人がおるから、最低限素通りはされへん。
 アートワークについてはそういう作戦なんですよ。ポリシーも何もない。アルバムタイトルも、ふざけてると言われようが、「スターレス&バイブル・ブラック・サバス」とか。おちょくってんのか? おちょっくてますよっていうね(笑)。

サノバビッチズ・ブリュー』ってのも相当ですよね(笑)。

河端:あれはでもちょっと違うけどね。俺はもともとマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンがジャズで一番嫌いで。あいつら2人がジャズを殺したと。

ほう。

河端:理由はいろいろあるんですけど。若いときにジャズも聴きだした頃に、ジャズ史の革命的なアルバムだと。どんな革命的なアルバムなんやろと思って話を聞いたら、エレキ楽器を使ってロックのビートを取り込んで、と。別にそれってジャズ・ロックでええんちゃうの? と。まあでも「革命的なレコードや!」言うから、まあそうですかと。とりあえず聴いてみたら全然おもろない。これだったらソフト・マシーンのセカンドのほうが好きやって。その後にもいまやったら良さがわかるかもしれへんと思って何度も聴いてるけど、何度聴いてもおもろない、タルい演奏やと。本当はあのアルバムは、ジャズ史上初めて編集されたアルバムやって意味もあるけど、それはともかくとして出来てる音像は俺にしたら面白くない。ほんならこっち側からの提案で、『ビッチェズ・ブリュー』を俺がやるんやったらもうちょっと面白くできますよという皮肉がこめてある。だからあれ、海外のレヴューとかやと「マイルス・デイヴィスのアルバムに捧げた」とか書いてあるけど、いやいや捧げてない(笑)。

ははははは

河端:まあみんながどう取ろうとが構いません。でもあのジャケット見たらおちょくっとるというのはわかるやろ(笑)。
 本当に内容までパロディというのは少ないですよ。だいたい録音中は何も考えてなくて、録音が終わってからさあアートワークと曲名つけなくちゃっていう感じやから。曲名とアートワークはいつも難産で。音楽はすぐ出来るんやけど、曲名つけるのに悩んで悩んでだいたい2日くらいかかるし。ジャケはそれから考えるんで。
 だいたいジャケとかは後付けやから、そこに何のメッセージもない。もともと音楽にメッセージを乗せないというのが俺の主義なんで。音楽は音楽でしかないから。歌詞らしきものが乗っていてもそこに意味はないし。何語で歌ってようが、内容はどうでもいい。ヴォーカルっていう楽器が入ってるっていう。音楽にメッセージを乗せなあかんようだったら、メッセージを直接話せよと。人のやってることは構わへんけど、「音楽で世界に平和を」とか、お前らアホかと。
 たとえば反原発とかでも、俺も意見はあるよ。でも音楽を手段に使うなと俺は言いたい。音楽好きな人でも原発推進派の人もおるやんか。それを反原発に使われてしまうと、原発推進派の人は「ええー、何なん?」てなるでしょ。音楽はそれに対して責任はないんで。音楽はその音楽を好きな人に対してシェアされるべきやから、政治的な理念とかそういうことでシェアされるべきではないんですよ。だからそういうイベントには出ないし。

うーん、なるほど。

河端:楽器を演奏する奴はライセンス制にせい言うてたことがあって。俺は音楽やってるような人間はカスやと思ってんねん。昔やったら河原乞食じゃないですか、江戸時代とかならね。一般社会では仕事につけない、身分の一番低い人間がやってるわけでしょ。お百姓さんとか、物を生産する人っていうのは絶対必要なわけでしょ、社会に対してね。でも余興みたいなことをやってる人間は、ほんまに生活に余裕が出た時にはじめて楽しめるもんやから、最悪、要らない。そういう社会の余録みたいなもので食べさせてもらってる人間やから――何の話をしてたんやっけ?

えーと、アートワークの話でしたね(笑)。

河端:ああ、すいませんね。まあそんな人間は偉そうなことをまず語るなと。語るなら語る場所に行って語ればいい。シンポジウムなりミーティングなりなんでもいいよ。音楽は人を喜ばすためにあるんです、エンターテイメントやと思ってるから昨日のライヴみたいなことになるわけで。

ああ、なるほど(笑)。

河端:お客さんが2000円なり3000円なりお金払ってくれたら、それは通勤電車に乗ってしんどい思いしながらとか、お小遣い少ないのにそこからやりくりして来てくれてるわけですよ。たかだか2時間か3時間の時間を買ってくれてるわけやから。俺らの商売は時間を買ってくれた人に対して、それなりの商品を与えるということやと思ってるからね。満足して帰ってもらわないと駄目なんですよ。
 そやから満足してもらうためにはギターを叩き折ろうが何しようが関係ないわけです。それが俺らのビジネスやから。満足してもらえなかった時点でリコールされるわけでしょ。

まあ次から来なくなりますよね。

河端:信用というのは1回落とすと回復するのはほぼ不可能で、たまたま出来の悪かったライヴを見られたことによって「あいつらしょうもなかったで」って悪い噂が広まるのは速いからね。とにかくアシッド・マザーを結成したときから通してるのは、絶対に手を抜かないこと。絶対に前回よりはいいライヴ、前作よりもええアルバムを作ろうと。それが出来るかどうかは別問題として、そういう気持ちでやる。

(*15)
東洋之。AMTのシンセ&サイドギタリストであり、元えろちかのベーシスト。AMTのフロントマンとして白髪を振り乱して宇宙音シンセを演奏する姿は大きなインパクトがある。

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初めの頃は、自分がレコード屋で見たときに衝動買いしたくなるジャケットっていうのがコンセプトだったのね。そうするとああいうヒッピーみたいな変なメンバーが並んでると怪しいな、俺やったら絶対買うぞと。やっぱり衝動買いしたいジャケには謎のグルみたいな奴と、裸の信者みたいな?? まあヤホワ13みたいなね。

ツアー・バンドなんかは一期一会ですもんね。

河端:そうなんですよ。ツアーとかやってると、長いからなんとなくペース配分をしようとするんですよ。でも俺らは明日のライヴできなくなってもいいから、今日全力で燃える。一試合完全燃焼じゃないけど、アストロ魂みたいな。

(笑)。

河端:明日出来るか出来へんかはわからん。とにかく今日のライヴに客が来てる限り、この人らに満足して帰ってもらわなあかんねん。そのためにギター折ったりして、次の日ギターがなくて、楽器屋行く時間もなくて、ステージ上がった瞬間に「すいません、誰かギター持ってませんか?」ではじまったライヴもあるんよ、ほんとに。「誰か持ってませんか、絶対に壊しませんから」って言うて(笑)。

持ってるもんなんですねえ。

河端:意外に持ってる。アンプが吹っ飛んだときも、いっぺんライヴでアンプ2発飛ばしたんや、スペアもあったけどそっちも飛ばしてもうて。ほんでまだ2曲目くらいで「どうしよかな」ってなったら、客が「俺、家がここから車で5分くらいやから、取りに帰ってくるから待っててくれ」って。

それはすごい!

河端:やっぱりそれなりの気持ちを持って来てくれてるわけやから。家にアンプを取りに帰ってもいいからこの続きが観たいって。それだけの気持ちを持って来てくれてる限りはこっちも死ぬ気でやるわけで。
 そうや、音楽をライセンス制にせえいう話や。もしほかに才能があるならそっちの仕事についてくれと。そっちのほうがまず社会のためになる。音楽やるような人間はだいたい音楽しかできんような人間になってんのや、もう。
 まわりで残ってる人もだいたい人間的に落ち度のある人ばっかりで。例外はあるけど、音楽のつまらない人はたいがいしっかり仕事出来てるんでね。だから別に趣味でやってはってもそれでいいんやけどね。もちろん必ずしもではないよ。音楽が面白いことやってて、うまいことバランス取ってる人もいるけど、だいたい音楽だけでやってる人って人間的に欠落してる、何かが。よく言えば面白みのある人、興味の湧くような人、ちょっと意味不明な人とか。悪く言うたら単なるデタラメとか頭おかしいとか。社会生活が出来ないような、某田畑君とか(笑)ああいう人が多いわけですよ。
 そういう人こそが音楽をやるべきなんや。音楽以外の才能がある人はそれを社会のために役立ててください。音楽なんてそれしかでけへん人がやればいい。だから音楽をライセンス制にというのは逆の意味でね。全部にバツ印もらってはじめてライセンスもらえるみたいな。お前しゃあないから楽器弾けと(笑)。そうしたら世のなかは人材的にもっと恵まれるはずなんや。音楽なんかやらせてるから駄目やねん。

だいたい毎年、年に何回か長い海外ツアーをやり、いろんな国のレーベルからリリースをしてたりすると思うんですが、日本とここが違うと思うようなところはありますか。

河端:システムは違う。日本はまずライヴハウスありきで。まずもっとも違うのは、ライヴというものの捉え方が違う。日本ではライヴは音楽鑑賞会的なところがあるでしょ? 向こうは呑みに行く感覚かな。
 欧米って実は娯楽があんまりないんですよ、日本に比べて。だから夜、遊びに行くパターンとして、呑みに行くかと。その飲みに行ったバーの奥にライヴスペースがあって、あと5ドルか10ドルのドアチャージを払えばこのビールを持ったままライヴを見に入れるわけ。ジュークボックスと感覚が近いかもしれん。

ああー。

河端:ジュークボックスていうのはバーがあって、みんなが金を入れて自分が聞きたい曲をリクエストをかけるわけでしょ。それを聞きながらお喋りして呑んでるというのが、アメリカのスタイルなわけで。それのちょっと発展した形で、生バンドを観ている。だからアメリカ映画とか観てたら、客はガラガラやけどバンドが演奏してて、酒呑んだり話したりとかしてるでしょ、ブルース・ブラザーズみたいに。
 ライヴをやってもっとも違うのは、俺らは結成したときからツアーではヘッドライナーしかやったことないのね、基本的に。前座はやらないという俺の主義で。で、前座のときは客が来ない。日本は4バンド出たら、たいがい最初から来るでしょ。時間が間に合う限り。向こうは間に合おうが間に合うまいが関係なしで、メインのバンドしか見に来ない。

ほう。

河端:だから3バンドあると、2番目のバンドの終わり3曲くらいで客がガーッと来る。それで俺らのときはフルテンの5~600人になってると。あふりらんぽがソニックユースのツアーしたときに、あいつらはCDとか無茶苦茶持ってたんやけど、あふりらんぽが演奏してる時は客が40人やったらしい。ほんであいつらは本チャンのソニックユースの時に乱入したっていう(笑)。私らの時には客おれへんのに、私らも客いっぱいの前で演奏したい言うて。
 ほんまそんな感じやで。でも向こうでは有名になるためには、基本的には有名なバンドの前座で回るしかないのよ。だから前座で回りたがるねん、うちらのオープニング・バンドに使ってくれって。でも客が来てないわけよ、あんまり。最後に来るから、エンディングのほうにかっこいい曲をやらなあかんわけ。

こっちの感覚だと、1曲目でまずガツンとあげようみたいな気がしますけどね。

河端:ガンと上げた時に客がおれへんからね。メインのバンドはもちろん違うけど。そもそもライヴハウスに行くという感覚が違うんやね。向こうはドアチャージももうちょっと安いし。あとウィークリーペーパーみたいなフリーペーパーがあって、そこに映画館とかシアターとかライヴハウスの情報が全部載ってんねん。それを見てみんな見に行くわけですよ。

タウン誌みたいなのが必ずありますよね。

河端:だからあんまり前もってチェックしてないね。最近でこそうちは有名になってるんでチケットがソールドアウトになるから前もって買っとくって人も増えたけど、前はそんなこともなかったし。日本みたいに告知告知告知とかやらないから、向こうでは。ネット上で海外のバンドの告知って見ないでしょ?

言われてみれば。

河端:ネットの情報もあるけど、だいたい地元のバーとかレストランとかどににでもフリーペーパーが置いてあるから。
 それで日本のライヴハウスは機材が全部揃ってるじゃないですか。その代わり維持費がかかるし家賃も高い。それとバーでの売上って基本的にないじゃないですか。ワンドリンクついてて、それで粘って終わる人が多いから。自ずから金の上がりっていうのはチケットだけでしょ。だから出るバンドに対してノルマができるわけですよね。向こうは機材とか何もないわけですよ。下手したらエンジニアかてオーガナイザーが呼んでこなあかんくらいで。ただのハコなわけですよ、アメリカなんかは特に。基本的には全バンドが自分の機材で演奏するんです。サンフランシスコみたいな街だと練習スタジオも違うんですよ。ものすごいデカい建物の中に部屋で分かれてて、そこに自分の機材を入れるとか。

あ、練習スタジオでも自分の機材?

河端:うん、そこに例えばレコーディングの機材も入れて録音もしたりとか。だいたい3バンドくらいで1部屋をシェアする感じで、お互いにスケジュール決めて「今日は俺らが使うで」みたいな。ライヴするときはそこから機材を積み込んで行くんですよ。もしくは家ね。向こうは家が広いから。下手したらリビングルーム一間をスタジオみたいにしてあって。

家でライヴやったりもしますもんね。

河端:ハウスショウね。よくレコード・ジャケットとか見たら家のなかにアンプとかが並んでて録音風景みたいになってるじゃないですか。ほんとにあのままなんですよ。
 そういう状況なんでアンプを持って歩くのが当たり前なんですよ。日本なんかは逆に箱にアンプがあるから持ってこなくていい。その代わりライヴハウスは維持費があるんで金を取ると。最近ヒデくん(ウルトラビデ)(*16)がよく言ってるのは、アメリカみたいにしようやと。チャージを下げて、その分でドリンクを買ってもらう。そうしたら店は売上ができるしチャージが安ければ客も来やすいやろう。
 と言うてるけど、日本人はもうちょっと音楽を「聴きに」来てるから、仮にチャージが下がってもそこでビールを5杯呑まないでしょ。30代過ぎた客は呑むかもしれんけど。10代20代のバンドやったら安かったら安いってだけで終わるでしょ。ほんで浮いた金でTシャツ買って帰るか。

それは店のあがりにはならないですもんね。

河端:それは根付いてる習慣の違いなんでね。それがアメリカに行くと、バンドにはフリードリンクとか。あるいはドリンクチケットがもらえるとか、楽屋にバンド用のビールが用意してあったり。あとご飯代がちょっと出る。
 その代わり泊まるところは、アメリカだとだいたい誰かの家に泊まるんですよ。家が広いんで、昔からの友だちとかバンドの友だちとかのところに泊めてもらう。初めて行く街で泊まるところがないときは物販テーブルに「誰か泊めてください」って書いておく。そしたら絶対何人か出てくるんで、明日向かう方向の家を選んで泊めてもらう。よっぽどのことがないとモーテルとかには泊まらない。アメリカのツアーバンドはみんなそんな感じ。ヨーロッパはまた違うんです。

へえ。

河端:ヨーロッパではブッキングするイコール機材――機材は自分で運ぶ場合と両方あるけど――、それと絶対ついてくるのがご飯と宿泊。ヨーローパのブッキングはそこまで世話しないとあかん。だから嫌がられるんですよ、バンドは。ソロだったら宿泊もひとりでしょ。アンプも1個か2個でいい。バンドだと5人編成なら5人分のホテル代もメシ代もかかる。チケットの前売が悪いとオーガナイザーが心配になってくるんよ。それで結構直前にキャンセルとかになる。
 ライヴのブッキングってヨーロッパでは凄いお金がかかるんよ。ヨーロッパではだいたいブッキングは店がやるんじゃなくて、地元のプロモーターがライヴハウスをホールレンタルみたいなことをするわけですよ。機材はバンドが持って来るから店のPAを借りて、店はドリンクの売上とホールレンタルで儲かってるから、プロモーターはまあそこからちょっと抜くか、もしくは自分が好きでやってるだけなんで。売上が悪いとヘタするとホテル代とかメシ代のほうが高いってことに。

なっちゃいますね。

河端:だからこれはマズイってなったら直前にキャンセルとか。

(*16)
即興演奏は電子音楽を取り入れたパンクバンド、「ウルトラビデ」を率いて非常階段のJOJO広重らと初期の関西インディーズシーンを牽引した後、単身渡米。ニューヨークを拠点に活動してジェロ・ビアフラのレーベル〈オルタナティヴ・テンタクルズ〉からアルバムをリリースするなどした後、帰国。ウロトラビデおよびアマゾン・サライヴァを率いて活動している。

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『ビッチェズ・ブリュー』を俺がやるんやったらもうちょっと面白くできますよという皮肉がこめてある。だからあれ、海外のレヴューとかやと「マイルス・デイヴィスのアルバムに捧げた」とか書いてあるけど、いやいや捧げてない(笑)。

ブッキングってどういうふうにやってるんですか?

河端:昔は全部自分でやってたんですよ。日本でブッキングするのと同じ方式。1回出たことのある店に直接連絡したり、その地区に住んでるミュージシャンの友だちに頼んだり。もしくはレーベルとかに。はじめはそれやってんけど、いまはもうブッキングエージェントに所属して。
 最初の頃はメールもないんでファックスやったし。ファックスがまた腹立つねん。1枚送るのに61秒かかるんよ。国際電話だと1分と2分で全然値段が違うから。61秒になった時点で120秒の扱いになるんで、国際電話代が2倍になる。当時1ヶ月の電話代が1万8千円とかやったからね。国際電話、KDDIだけで。

アメリカやヨーロッパだとブッキングエージェントもいると思うんですけど、最近はアジアも多いですよね。

河端:アジアもね、とにかくすべて最初はそこに住んでる地元のミュージシャンとか、自分の作品を出してくれるレーベルとか、それがきっかけなんですよ。最近はFacebook上で知り合ったりしてるけど、まあ去年中国行ったときに出来た知り合いとか。あとは向こうでCD出してくれたレーベルが仕切ってくれたり。1回行けばあとはネットワークが広がっていくんで。行った先でまた出会うから、あとは向こうから勝手にオファーが来るというパターンで。

じゃあ最初は小さくともそこからだんだん広がっていく感じなんですかね。

河端:そうですね、結局日本でやってることと一緒ですよ。たとえば東京のバンドが地方に行くときに、はじめは大阪のバンドを東京に呼んで、「じゃあ今度は俺ら呼んでよ」みたいな感じでやるじゃないですか。それで大阪に行ったらまた知り合って次はまた一緒にやりましょう、東京に来たら俺が世話するから......ってやりとりしているうちにネットワークが広がっていって四国とか九州とかいろんなところでやるようになる。
 よく海外ツアー行きたい言うてる人がいるけど、一言やで。日本でやってることと同じことなんです。なんの特別性もない。青春の思い出作りに行くんやったら勝手に行けばいい。でももし海外で将来的にちゃんと仕事としてやっていきたいと思うなら、まず小さくてもいいから地元のレーベルからCDを出して、それに対してプロモーションでツアーをしないと。作品を出せばディスク・レヴューも載るでしょ。話題にも多少はなるから、ライヴで来るってなれば記事にもなる。記事になったら目に付くからお客もひと通りは来るんよ。でも何もなしで突然行っても、ただフロムジャパンのバンドが来たっていうだけで。15年前だったらフロムジャパンというだけでも対バンもつくしお客も入ってたけどいまはもうそういう時代じゃないんで。

もう珍しくもないですよね。

河端:珍しくない以上にね、昔は日本のバンドは全部面白いと思われてたんですよ。それがいっぱい行くようになって、面白くないバンドもいるということがバレたんよ。

なるほど!(笑)

河端:たとえば日本人が昔はブリティッシュ・ロックは全部凄いと思ってたのが、どうも外人のバンドやからって全部かっこいいわけじゃないなっていうことがわかってきたというのと同じやね。

わかりやすい(笑)。

河端:外国に行ってよく言われるのが、日本のミュージック・シーンとかアングラ・シーンでも、海外でよく頑張ってるバンドってことでMONOとかBORISとかMelt-Bananaとか言われるけど、個人的に面識のある人もいるけれども、日本ではまったく関係のないシーンにいるし客層もまったく違う。お前らで言うたらヴェルヴェット・アンダーグラウンドとイーグルスとグレイトフル・デッドとか3つあげて「どう思いますか?」って言うとるの同じことやぞ。だからジャパニーズ・アンダーグラウンドという一括りにせんといてくれと。括るのは勝手やけど、それは違うことやからわからないことが多い。

昔あるバンドがツアーに行くと、行く先々で「少年ナイフと知り合いか」って言われるって言ってましたけど。

河端:そうでしょ。俺らの最初の頃はコーネリアスやったからね。けっこうコーネリアスがヨーロッパ回ってた頃で。日本ではコーネリアスはヒットチャートにも上がってて、俺らは当時はまだ無名のバンドやったけど、クラブサーキットでまわるクラブは一緒なんやね、ほとんど。

へえー。

河端:だって俺らフランスのフェスティヴァルで一緒にやったのが小西康陽(笑)。楽屋も一緒。日本のイベントみたいなやつで。
 そのライヴはちょっと気の毒やったけどね、小西さんは。DJやったんやけど、俺らが先に出たのね。その日ホークウィンドが同じ日にライヴやってて、俺らの客が全部「まだ間に合うから」ってホークウィンドに行っちゃって(笑)。そんなところでDJしてはって「気の毒やな、これ」って。

それは辛いですね......。

河端:ほんで俺らはやっぱ1年に1回しか来ないからね。話は変わるけど、俺らは「フェア」てことに関しては昔からすごく厳しく考えとって。ロンドンでも1年に1回、ニューヨークでも1年に1回じゃないですか。東京だけで年に10回とかやったらそれはおかしい。俺は世界中の人に対してフェアでいたいから日本でも1回しかやらない。
 アメリカとかヨーロッパやと5時間とか6時間とかかけて見に来る人がおるからね。いくらツアーやってたってあんなに広いとこやからフォローしきれないわけで。そうなると自分の家から一番近いところがここやとなったら5~6時間車で走ってくる。それでいまから帰って明日はまた仕事で出勤せなあかんと。向こうはライヴ終わるの2時くらいやからダッシュで帰らなっていうから「ありがとうなあ」ってなんねんけど。
 それくらいのことをみんなするんで、日本でも5時間くらいの移動は費やしてくれと。だから東京からなら名古屋なんか3時間でしょ? だからまあ名古屋くらいがちょうどええかなということで。

ああ、それで年末のアシッド・マザーズ祭(*17)は名古屋で。

河端:とにかく条件としては海外とあまり変わらないようにってことであそこでやってる。だから日本でだけ何度もはやらない。

たしかに、わりと厳選されてる感じはしますね。

河端:あとは依頼も来ないしね(笑)。


(*17)
名古屋のTOKUZOで毎年年末に行われる恒例の大イベント。

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俺は音楽やってるような人間はカスやと思ってんねん。クズ中のクズ。音楽やるような人間はだいたい音楽しかできんような人間になってんのや、もう。まわりで残ってる人もだいたい人間的に落ち度のある人ばっかりで。例外はあるけど、音楽のつまらない人はたいがいしっかり仕事出来てるんでね。だから別に趣味でやってはってもそれでいいんやけどね。

メンバーが住んでるところもバラバラだから、どこに呼ぶにもちょっとハードルが高いですよね。

河端:そうですね、交通費だけでどこに行くにも7万くらいかかるんで。ギャラとかも、いまはそこまで言わんけど「50万」って言うてたからね。それは本当に50万くれって意味じゃないねん。50万って言われて「いや、無理やと思いますけど頑張って何とかします」て言うてくれたらそれくらい頑張ってお客さん呼んでくれようとするでしょ。そういう人とは仕事をしたい。といっても流石に50万は高すぎるかなと思って最近は20万とかにしてるんやけど、20万仮に払えなくても、そのつもりで頑張ってくれてるのであれば俺はその人と仕事したいし、また続けて呼んでくれたらそれでいいと思う。
 逆にハナから「あ、無理です」てぱっとやめるようなのはそんだけの奴や、俺らの動員力を期待して呼んでるだけやなと。もちろん俺らかて動員は努力するけど、そっちでも頑張ってもらわないと。そのくらいの気持をたしかめるためにギャラの設定があるのよ、俺には。だから20万て言いながら実際は7万でやってることもあるわけよ。実際に20万もらうことあるし。そこは相手の熱意と状況やね。
 もちろんそれだけのギャラを貰う限りその分は絶対、客に対しても主催者に対しても、納得して呼んでよかったと思われたい。それだけの仕事はする。

なるほど。

河端:あと海外はお客さんのノリが違う。日本でもアシッド・マザーの客はある種育てられたところがあって。はじめのころは普通のアングラバンドと一緒で、みなさん座ってテープレコーダーを置いてるような人たちばっかりやったから。いわゆるPSFの客(笑)。
 下手したら曲が終わっても拍手がないねん。拍手が録音されるのが嫌っていうので。誰もせえへんかったら自分も拍手しづらくて、そのうちに次の曲がはじまっちゃう。そういう、俺が言う「東京ブラック軍団」みたいなのがあんねんな。はじめはたしかにそんなやったけど海外に行くなかで外人の客が来るようになってん、俺らのライヴに。ほな外人が騒ぐから。日本人て自分からはよういかんけど、横でワーワー騒いでると、なんとなく自分も行っちゃおうかなみたいなのあるやん。

ありますねえ。

河端:それがあってだんだん盛り上がるようになって、アシッド・マザーのライヴは暴れてええと。俺らも面白いからもっと暴れさそ、みたいな。そもそも俺はサイケデリックというのは、基本的にアホの音楽だと思ってるからね。言うたらラリって気持ちよくなってるだけであり。そんなところで何をシリアスにやってるのや、もっと陽気にいこ陽気にっていうね。
 海外に行くと最前列に俺のいう「ハイドパーク踊り」をやってる人がいるんですよ。ストーンズのハイドパークコンサートで狂ったように踊ってる奴おるやん。あとインド調のゆらゆらしたやつとか。

やっぱいまでもいるんですか、ああいう人。

河端:めっちゃ多い。そんなの普通やねん。俺は別に録音したいのが悪いとは言わないけども、違う楽しみ方をしたい人が楽しめない状況はよくないと思うから。だからそういう選択肢は与えてあげないといけないで。ああいう外人のおもろいおっちゃんとかがおるようになって、それで空気がちょっと軽くなってるのは俺はいいと思う。あの人達は音楽を楽しみに来てるんで。日本人は音楽を聴きに来てる。でもね、俺はどっちがダメとも言わない。

ふむ。

河端:外国に行くと日本のツアーバンドがみんな感じるのが、「すっごい受けた!」ってこと。それはね、向こうの奴らは楽しみに来てるだけやからなんでもええんよ(笑)。前座のものすごいつまらんバンドにも「イエー!!」ってやってて、俺らが出てきても「イエー!!」ってやってて、おどれら一緒やないかと。ある種、信用でけへん。日本の客はシビアやから。面白くなければほんとに面白くない空気を出すからね。あと大きなクエスチョン持ってるなとか。

わかりますよね(笑)。

河端:大きなクエスチョンは成功のときもあるけどね。想い出波止場みたいな。日本人は音楽を聴きにきてるし耳も肥えてる。これだけジャンルをデタラメに音楽聴いてるのは少ないのね。いまはインターネットが広まったから海外の人もいろいろ聴くようになったけど、日本人て音楽をカタログ的に聴くでしょ。
 もともとロックでもジャズでもカントリーでも歴史とか社会の背景がないから輸入音楽として全部同じように聴ける。だから時代感覚がないやん。40年代のものも80年代のものも同じように聞ける。あの人たちは根付いてる音楽やからもっとリアルに聴いてるわけ。日本人のほうが、面白いんだったらなんでも聴いちゃえってなる。だから遠慮無く混ぜたりできるわけやね

ディープ・パープルとシュトックハウゼンを混ぜようっていう発想はたぶん出てこないですよね。

河端:ルインズなんかは顕著な例やろうね。いろんなプログレとかを16小節ごとくらいに全部ちょんぎって、それをハードコアみたいにまとめちゃうみたいな。あれはまさしく日本人的発想ですよ。情報を圧縮して。外人やったらちょっと出来ないよ。もっと歴史とかが根付いてて、あんなに割り切って編集できないというか。大都会東京の情報が多くてスピードが速いという感じが出てる。だからルインズなんか海外に行けば行くほど、こんなに日本的なバンドはないと思うんですよ。外人はみんなマネしようとしてマネできない。外人がやってもライトニング・ボルトみたいになるでしょ、あれが限界なんよ。膨大な情報量を管理できないと思う、おそらく。

なるほど。

河端:批評家的な聴き方をするから。好きなバンドを見に来てるのにアラ探しするようなつもりでおるやん。そういう厳しいところで日本のバンドは演奏してるわけですよ。ましてやライヴハウスのシステムも違うからお金ももらえないし客も来ない。東京はライヴハウスの多さがたぶん世界で一番くらいやから。
 それだけたくさんあるすべてにひと晩に4バンドとか出てるわけでしょう。ほんで月曜の夜やのに俺がここでやってて、大友さんがそっちでやってて、灰野さんがあそこで、みたいなことになる。どんな街やねんそれ。ロンドンでもそこまでバッティングしないよ。週末やったらバッティングするから月曜にとかいう感じでズラしていくとそこでまたバッティングするやろ。

そうそう、平日でも被りますね、今は。

河端:バッティングするだけやなくて、お客さんも別に毎日来れるわけじゃないし、1週間とか1ヶ月の間に観たいライヴが何十本あるんやってことになってまうからね。そうなるとお客さんを確保するのが難しくなるわけですよ。客の耳も肥えてるしお金ももらえない、そのうえ客の動員も難しいという、世界最高に難しいシチュエーションで演奏してるから、そうなると音楽性を上げるしかないよね。音楽性を上げることでより客を掴むしかないから切磋琢磨されるんで、海外に行ったときにあっと驚かれるような演奏力とかアイデアがあるんよ。とくにフランスなんかクソみたいのばっかやから。

(笑)。

河端:政府が金を出してて、まったくの素人やのに「ぼく、電子音楽を勉強したいです」って学校入るやん。それでマッキントッシュ買いたいです言うたらお金もらえて買えるねん。それで卒業するやろ。そうすれば大したことできへんのに仕事はなんぼでもあんねん。演劇とかのコラボレーションで電子音楽を、とか。それで聞かせてもろても、パソコンつこたら誰でも5分で出来るような音楽やねんけど、そんなんでもちゃんとお金がもらえて仕事になるねん。
 日本は凄い面白いミュージシャンがアルバイトしてやってるわけやろ。そんなのがいきなり向こうに行ったらレヴェルが違いすぎる。そやから江戸時代の逆。日本は文明が進みすぎて原爆作れるくらいになってるのに、向こうに行ったらまだ火縄銃だったみたいな。たしかに火縄銃は向こうから来たんやけど、あっという間に原爆作れるくらいになって、「よし!」って行ったら、「あれ、自分らまだ火縄銃? 下手したらまた槍に戻ってるし」みたいな。日本の音楽はぶっちぎりに凄いと思うよ。世界レヴェルで見て、個人的な好き嫌いとか面白い面白くないは別として、圧倒的やと思う。

レヴェルの高さというか。

河端:ハードコアがとくに凄いらしい。前にヨーロッパツアーをやったときに、ツアードライバーがイタリアのハードコアの奴やったのね。そいつが一番好きなバンドは日本のハードコアの、高知のバンドやとか言うてて。そのバンドのTシャツなんかも着てて。逆に俺らは知らんからね、「え、高知? 東京じゃなくて?」とか言うて。「俺は昔リップクリームを観たことある」て言ったら「うおおおおー、そんな凄いバンドを観てるのか!」とか(笑)。

レジェンドだ! みたいな。

河端:たぶん俺からしたらフランク・ザッパを観たみたいな話なんやろうね。俺はたまたま観ただけやけど。話を聞くとやっぱり日本のハードコアは上手いと。演奏力が桁違いで。それでそいつのやってるイタリアのバンドを聞かせてもろたら、「これベアーズにも出られへんやろ」「でもここまでヘタやと逆に出れるかも」みたいな(笑)。

スカム枠で(笑)。

河端:ありえへんくらい下手なんやね。ほんまに昔は白人なら演奏が上手い、黒人ならリズム感がいいと思ってたけど、全然そんなことない。あとドゥーム・メタルのバンドとかと対バンするじゃないですか。アンプを凄い積んでるわけですよ。俺らの倍くらい置いてて、そしたらそれが「なんやこの屁みたいな音」ていうね。それで俺らは音がデカすぎるって言う。俺らはそれが普通やからね。特別音がデカいバンドとも思ってないし。

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ただフロムジャパンのバンドが来たっていうだけで。15年前だったらフロムジャパンというだけでも対バンもつくしお客も入ってたけどいまはもうそういう時代じゃないんで。昔は日本のバンドは全部面白いと思われてたんですよ。それがいっぱい行くようになって、面白くないバンドもいるということがバレたんよ。

日本人は音がデカいって話もよく聞きますよね。

河端:デカいし、耳栓しないでしょ。向こうは客もエンジニアも演奏するやつもみんな耳栓するから。それは目が弱いからグラサンしないとあかんのと一緒で、たぶん耳栓もしないとあかんのやと思う。もしかしたら、耳栓しても俺らくらいに聞こえてるのかもしれない。もともと感度が良すぎて補聴器つけてるような耳なのかもしれんわね。だってボリューム2くらいで練習しててもみんな耳栓してるもん。ライヴハウスで耳栓売ってるしね。

ああ。

河端:テリー・ライリーの70歳の誕生日ライヴに呼ばれたことがあって、『In C』を演奏したんやけどね。とりあえずギター・アンプを3台用意してもらって。それで俺らの前にテリー・ライリーが演奏して、俺らのライヴの番になったらアナウンサーが「次はアシッド・マザーズ・テンプルです。ただいまホールのロビーで耳栓を配っています」言うたら殺到して(笑)。耳栓をもらい損ねた人はトイレットペーパー詰めてて。それで最初にドローンでしばらくグワーってやってから『In C』のタラッタラッってところに入るんやけど、その時点で客が半分以上帰ってた(笑)。

ええー?

河端:現代音楽のコンサートなんで。半分はアシッド・マザー目当てのヒッピーやんか、もう半分はネクタイ締めたお客さんで。ネクタイ締めた人は全部帰って、ヒッピーおやじだけが全部前にやってきてハイドパーク踊り状態(笑)。テリー・ライリーもライヴ前は仲良く喋ってたのに、終わったら口もきいてくれない(笑)。

向こうはいわゆるクラシックとロックとかが完全に分かれてますもんね。

河端:テリー・ライリーも最初は「僕の曲を演奏してくれてありがとう」とか言うてたのが、アルバムとライヴが違いすぎて。俺のギターソロもそうなんやけど、アンビエントに聞こえるみたいやね。CDやと。

まあ小さい音で聴けばそうかもですね。

河端:ライヴのときにあんな爆音でやってるとは思えへんから。それは「グレッグ・レイクのバラードが雷鳴のように聞こえた」っていうのの延長なんよ。アンビエントのように聞こえるけど爆音でやってるていう。
 ノイズのライヴとか行くとすごく静かに聞こえて寝てしまうんよ。それに近い恍惚感みたいなものを自分のライヴにも期待してる部分もあるね。録音物はアンビエントに聞こえるけど、それを爆音でやることによってノイズの向こうにある無音みたいなものが出たらいいなと。それをちっこい音で演奏してしもたらそれはただのほんまにちっこい音やからね。

ドローンみたいなのもやはり中学生の頃からの延長というか。

河端:やってますね。ハーシュノイズみたいなのがあんま興味なかったので。中高生の頃もエフェクターを発振させるだけ。ピーって発振させてるのをずっとほっとくとすこしずつ変わったりもするから、それで20分録音したりとか。ドローンもそうやな、小学校のときに「驚異の世界」とかいうドキュメンタリー番組があって。それでインドが舞台のドキュメンタリーを見たときにインド古典音楽を演奏しているシーンがあって。それが妙にぐっと来たんやね。その後探したときにも、楽器とかも最初からシタールではないなと。俺が気持ちよかったのは何やと思ったらタンブーラだったんやね。基本的にビヤ~~ンていってるやつ。それでインド音楽が好きって話をした時に「何が好きなん?」て聞かれて「タンブーラ」って答えたら、「あれは楽器じゃないやろ」みたいな。シタールとかリード楽器が演奏している下でずっと鳴ってるだけの楽器やからね。そういうふうに基本的にドローンみたいなものには反応してたんやね。

そう考えるとすごく一貫してますね。

河端:変わってないね、進歩がない。

これまでの経歴を追っていくとえろちかだけちょっと浮いてる感じはしますけど、それでもなんか東洋的な旋律みたいなものの取り入れ方は共通してるかなと。

河端:例えばビートルズでもね。リバプールの港町にアメリカの音楽が入ってきたと。そこでそういうアメリカのリズム&ブルースとかにリバプールのもってる民謡みたいなメロディを重ねていったのがビートルズ・サウンドなわけやんか。それと同じように、日本のロック・バンドがかっこ悪い理由っていうのは、フラワー・トラベリン・バンドでもなんでもそうやけど、リズムを導入するからかっこ悪いんやと。ロックでかっこいいのはどっちかというとリズムやから、ロックのリズムに日本のメロディを乗せればええ。和音階を乗せても、あのドンタカタッタみたいなリズムでなければカッコ悪いことにはならないんで。あれをやってしまうと間抜けに感じるでしょう

そうですね。

河端:フラワー・トラベリン・バンドでもチャクラとかでも、好きは好きやったけど、やっぱ間抜けやないですか。その極みが竜童組みたいなもんで。あんなふうにならないように、和風のメロディとアメリカのリズムという組み合わせにしてるわけですよ。

日本の要素を導入しようとするとどうしても祭囃し的な感じになりがちですもんね。

河端:あと和楽器を使わない。和楽器を使うと外人がやってるみたいになるんやね。どう考えたって三味線とか琴とか尺八とか入れたってかっこ良くなるとは俺には思えないから。シタールとかならまだ魔術があるけど、和楽器を入れてもロック的にあまりかっこよくない。それなら普通にギター、ベース、キーボード、ドラムでやったほうがかっこええかなと。えろちかは、そういう意味では自分のなかで何か日本人にしかできないロックを作ろうとちょっと無理したんよ。その反動でまた元に戻った、原点に(笑)。

東洋的な旋律はでもアシッド・マザーにも入ってますよね。

河端:それは多分血ですよ。子供の頃とかよくあることで、ピアノの前に座って弾けもしないのに適当に弾くと絶対日本っぽくなるでしょ。そこで例えばジャズみたいにはならないし、ヨーロッパのものにはならないやん。
 えろちかはそれをかっこ悪いと思わないようにしようということで、出てきたメロディをかっこわるいと思わず、これこそが自分のメロディなんやから、それにかっこいいリズムを乗せればいいと。
 アシッド・マザーもたぶん白人とかに聞いたら日本的な曲なはずや。それはブリティッシュロックを聞いたらやっぱりブリティッシュロックに聞こえるし、アメリカのロックでも西海岸のやつならカリフォルニアの音がしてるし。ジャーマンロックはやっぱり同じプログレでもジャーマンな感じやん。言葉は関係なく。体質みたいなのはやっぱ音楽に反映されるから。
 だから俺らが日本人でロックをやってても、外人が聞いたらどこか日本っぽく聴こえるはずなんよね。ペンタトニックでブルースギター弾いたって日本っぽく聴こえると思う。だからわざわざ日本のものを加える必要はなくて、はじめから出汁の匂いがしてるんや(笑)。昔アンコールで"ルシール"をやったことがあって。

リトル・リチャードの?

河端:そう。ディープ・パープルもやってるしね。それで初めて来た客が終わってから「キミらの音楽を初めて観たけどよかった。とくにルシールが良かった」と言ってて。それまでやってた曲は、日本人がやってる音楽やからいいか悪いかよくわからない。でも最後のルシールは自分も知ってる曲やし、ほかのミュージシャンがやってるものいろいろ聴いてる。ああいう曲をやると、違いがよくわかると。

知ってる曲が違う風に演奏されてると。基準ができるというか。

河端:それで「君たちの音楽は素晴らしいと思う」と。そういうことで理解がしやすいみたいやね。アシッド・マザーなんかは普通にベタなサイケロックをやってるわけやけど、どこかでやっぱり日本ぽさがあるんだと思う。メロディにしてもギターソロにしても、どこかで出てしまうことはあるやろ。でもそれは別に血で持ってるもんでしょ。フランス人はどうしてもあの変なフレンチポップみたいなややこしいコードが入るコード進行になったりね。たぶんあの人達にはあれが普通なんやろ。東欧とか行くとどうしてもあの東欧的な感じが出て来るしね。

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観たいんやったらいま来いやと。来年は見れるかどうかわからない、来年も来るつもりではいるけどないかもしれへん。だから見れるときに見に来てほしいという意味も兼ねて、「最後」と書きゃあ来るかもと(笑)。

コリアンサイケとかも独特ですもんね。

河端:そうそう。語感も面白いけど、音楽的に違いがどうしてもある。自分から出てきたフレーズが何かに似てたとするやん。でも、いろんなものを聴いてやってるわけで、まったくゼロからオリジナルなものを作ってるやつなんて滅多にいないから。たまたま出てきたリフが「なんやどっかで聴いたことあるな」っていうのでも、それはしゃあない。別にレコードを聴いてコピーして作ったわけじゃなくて、自分のなかのフィルターを通って出てきてんねんからそれはもう自分の音やねん。だからと言って鮎川誠がそうやってるとは思えないけどね、俺は(笑)。
 さっきの話に戻るけど、灰野さんが全部の音楽をひとつのバンドでやっちゃえっていう感覚は俺も近くて。アシッド・マザーのファースト・アルバムを出した時はソロみたいなものやったけど、セカンド(『Pataphysical Freak Out MU!!』)を出したときにはハードサイケ路線の、まあ同じようなものが続いて。次に3枚続けて同じ物を出すと客が絶対そう思っちゃうから、3枚目はちょっとドローンっぽい静かなものにして。その後に出したのが『Wild Gals a Go-Go』っていうちょっと映画のサントラみたいなワケのわからんやつで。
 とにかくはじめにおもいっきり振り幅を広げたわけ。ハード・サイケ・バンドと言われたときに、歌のものもありますし、ドローンとかわけのわからないアヴァンギャルドな曲もやりますと。とにかく俺のコンセプトとしては、どんな音楽であれ上に宇宙音が乗ってたらアシッド・マザーだと。それがひとつのキーワードではある。必ずしもではないけども、何をやっても、どんな音楽をやっても宇宙音さえ乗ってればアシッド・マザーとわかってもらえる。古いアルバムは、俺は曲によってはギター弾いてないからね。俺が参加してない曲もあるくらいで。

へえー。

河端:とにかく三枚続けて同じようなものを出すとイメージが固まるので。それは桑田佳祐から学んだ(笑)。はじめに「勝手にシンドバット」」出して売れたでしょ。2枚目にまた同じようなラテン調の曲を出して、ヒットとしてはちょっと落ちた。でもレコード会社としては3枚目ももう1回その線で出したかったのね。でも桑田は3枚目にはバラードを出したいと。レコード会社は「何を言うてんねん、このままいかなどないすんねん」と思ったけど、もしダメだったら次はまたお祭り曲出したらいいから、このままだと俺らはお祭りバンドだと思われてまう。それで出したのが――

"いとしのエリー"ですね。

河端:大ヒットで、そこからサザンオールスターズはお祭り曲から泣けるバラードまでできるバンドということになった。それを聞いた時に「これや」と。
 アシッド・マザーは戦略的にかなり考えてやってるんですよ。バンド名つけるときも、頭文字は絶対「A」って決めてて。レコード屋では絶対Aから見るからね。アシッド・マザーより前に来るのはアバとAC/DCしかない(笑)。だって「S」とか「T」になったらもう疲れてきて見ないでしょ。そういう戦略はいろいろあったんですよ。

じゃあそろそろ締め的に、今後の展開などを。

河端:よくある質問ですね(笑)。いままでのインタヴューでだいたい全部同じ答えですよ。何もないです。

おお。

河端:だっていまこの店を出た瞬間に轢かれて死ぬかもしれへんから。そらもちろん半年先・一年先のブッキングはしてるよ。レコーディングもするしリリースの予定もあるけど。気持の上では、ここを出たら死ぬかもしれへんし、死んだら終わりなんで、考えることは今のことだけ。でもまあビジネスとして、活動としては来年も同じです。アルバムを出してツアーをして、みんなが楽しんでくれればそれでいいです。身体が続く限り。それだけが問題やね。みなさん身体がボロボロなんで。

あのライヴをどれだけ続けられるかっていうのはありますよね。

河端:スポーツ選手みたいに身体のあちことが摩耗して疲弊していくんで。一昨年は兄いがヨーロッパツアーが終わったところで空港で倒れて、日本についた時には車椅子やったからね。

ああ、でしたよね。

河端:そのあともライヴ中にぎっくり腰にならはって、それでもそのままライヴが終わるまで叩き切った。うちら最後のほうはメガ加速状態やからね。耳ももうダメで、三半規管をやられてるから平衡感覚もないし。津山さんは右の肩の筋が4本切れてるし。俺は関節が摩滅して、こっちの筋も痛いし。東君も手が痛いとか言うてるしね。あと田畑は痛風・糖尿・脂肪肝(笑)。

それだけちょっと別な気が(笑)。

河端:でも田畑は人間力よ。自分はアレやのに、周りが田畑を助けるように仕向けられてるねん。田畑はみんなほっとっけないんよ、なんとかしたろうと思うし、田畑のことを悪く言う奴はいないやろ。それが田畑の人徳で人間力やねん。人間力のないやつはダメになってくよね。あいつはやっぱり音楽が好きで、最終的にボロボロになっても音楽は続けたいと思ってるしね。
 俺らの時って情報もあんまりなかったんで、生き様こそがロックみたいに思ってたんやね。特にヴォーカルとかでカリスマ的なものを持ってた奴は生き様が暴走しすぎて廃人になったりとか、ダメになってくねんな。ほんで俺らみたいな裏方の人間のほうが残ってるわけ。
 俺らはバック・ミュージシャンやけど、メインに立つカリスマ的な奴、町田町蔵に続くべきカリスマみたいなのがいっぱいおったはずなのにみんな消えてしまった。結局アイちゃんとかがおるくらいやね。ロックスター言うのはこれくらいいかなあかんのじゃあ! 言うてみんな終わって、気づいたら結局楽器とか演奏したりレコードを聴いたりするのが楽しかった裏方の人間だけが残ってる。

ああー。

河端:あれがもっと残ってたら俺等の世代はもっと残ってたはずなんよ。社長とかヒデくんとかの世代はけっこう残ってるやん。下のハードコアの世代も残ってるねん。俺等の年代だけスコーンと抜けてるの、全部。当時、俺の2個上くらいからの3年間くらいは独特のシーンがあったんやけど、音源もないんやで。
 主要な人物がどんどん辞めていくから誰も語らない、資料も残らない。そうやってそこが完全に抜けてるわけよ。田畑にしても、のいづんずりはたまたま後から入ってるから残ってるけど。それは今やもう殆ど誰も覚えてへんから語らないでしょ。
 でもそれは仕方のないことやから。残らなかったのは俺らのせいやし。残そうとしなかったわけやし、今も語ろうともしないやろ。ていうか自分の過去に値打つけてどうすんねんと(笑)。やっぱり自分の過去を伝説にしたくないんよ。あの時はこんなに凄かったんやで! とか言うても、現場にいた人間からすると、客5人くらいやったでとか。音楽的にも大したことなかったやん、とか――何の話でしたっけ。

今後の話ですね(笑)。

河端:あ、今後の話がなんで過去の話になってんねん(笑)。いつまで続けられるかはもうわからないんですよ、自分らも。アシッド・マザーも去年「Last Tour」とつけてワールドツアーをしてましたけど、あれはマヤ暦の話にひっかけて冗談で言ってる部分もあったけど、自分らの肉体的にもあと何年ツアー・バンドを続けられるかはわからない。あとで「見たかった」と言われるのも嫌やから、観たいんやったらいま来いやと。
 来年は見れるかどうかわからない。だから見れるときに見に来てほしいという意味も兼ねて、「最後」と書きゃあ来るかもと(笑)。実際自分らも、もしかしたら去年の時点では来年ツアーできるかどうかわからない状態やったからね、身体は。ツアー中に駄目になるかもしれないし。それくらいのところでずっとやってるんで、そういう意味で先はわからない。だから「また次見に行くわ」っていうのは、俺らのなかではないんやで。

Barn Owl - ele-king

 フェイスブックで友人のフランス発DIYテープ・レーベル・オーナーが、おそらく自身が主催したであろう今宵のショウの写真をアップしながら「センクス! バーン・オウル(Barn Owl)」などと嘯いているのを流し見しながら、あぁ、いまレコ発ツアーでヨーロッパにいるのねーなんて思いながらよく見るとアレ? ジョンもエヴァンもギターじゃなくてシンセ? マジ? いつの間にそんな節操ない感じ?

 4つ打ちが飛び出さないか怯えながらおそるおそる彼等のドロップされたばかりの最新作、『V』を聴いてみたところ打ち込みビートが飛び出さなかったのでかろうじて心臓発作は免れたものの、んん? いや? あれ......?

 自信を持って言える(これって僕にとって数少ないことだが)僕は、バーン・オウルの熱心なファンである。07年に〈ノット・ノット・ファン〉から発売された彼等の当時のDIY感が全開の美しいCDR、『ブリッジ・トゥ・ザ・クラウズ』を聴いて以来、アルバムごとに感動を届けられている。
 生ける伝説であるアースのドローン・デザート・ロックを基礎としながらも、その現代的な感覚を見事に昇華しているバーン・オウル。08年~10年代までのUSインディ・シーンにおいてマジック・ランタンが太陽であったとするならば、バーン・オウルは月。当時マジック・ランタンも兼任であったサン・アローことキャメロン・スタローンが「彼等のサウンドはマジで美しい。スローでヘヴィーで、何より美しいんだよ!」とニヤニヤ笑いを浮かべながら語っていたのがいまでも記憶に残っている。エヴァン・カミニティとジョン・ボラスが放つギターの倍音にいつまでも身を委ねていたい、そんな素晴らしきロック・バンドである。

 しかし僕がいま聴いているこの最新作『V』は前作『ロスト・イン・グレア』でひとつの完成系を迎えたギター・ラーガはモヤモヤの奥に隠れ(それでも確実にいるんだけれども)、モノクロームなダブがフィーチャーされている。結成当初から丁寧に紡ぎあげてきたバーン・オウルの世界観からは大きく外れないもののどちらかと言えばエヴァンとジョンがそれぞれおこなってきた膨大なソロの延長線上に近い。

 ......んん。何だか僕はこれではパンチが足らないようだ。むしろこれなら僕はより大胆な電子音に腰を抜かされた方が良かったのかもしれない。昨今のモジュラーシンセ・マーケットの飛躍的な拡大は殊にバンド・フォームが多様化するUSインディー・シーンにおいても絶大な影響を及ぼしていることは間違いない。紙やウェブでクドいほど僕がプッシュするピート・スワンソンも例に漏れない。
 だけれどもバンドとしての音楽性の変化を伴わないセットアップの大規模な変化は少々危険なのでは......? というのが正直な思い。特にバーン・オウルはギター・ミュージックの究極性を追求していたバンドなだけに何だか水で薄めてしまったような感覚が否めない。というのは僕が時代についていけてないだけであろうか。

 否、USインディー・バンド全体に感じるこの良くも悪くも軽薄な感じ、それに漏れずにいままでサイケ・インプロヴのみバンドで追求していたにも関わらず家で4つ打ちビートに身を燻らせている僕こそ最も薄っぺらいはずだ!

 あれ? ところでスリル・ジョッキーってこないだ〈オム(Om)〉のダブプレート盤も出したよね? US屈指のレーベルとして成長を遂げたスリル・ジョッキーの仕掛けでは?

 ......と勘ぐる僕は自分が捻くれ過ぎ?

Christopher Owens - ele-king

 開演前のSEで、アトラス・サウンドとビーチ・ハウスの曲が会場で流れた。クリストファー・オウエンスが選曲をしたのだろう。僕はそれを聴き、ガールズの"ラスト・フォー・ライフ"で歌われている、「 I wish I had a beach house」という一節を思い出しながら、そういえばあの歌を聴いてから約4年が経過したんだなぁ~と物思いに耽っていた。

 クリストファー・オウエンスはその4年のあいだに、2枚のアルバムをガールズからリリースしたのち、去年、自らバンドの活動に終止符を打った。

 新しい道を歩みはじめるべく、彼が選んだ選択はソロ活動で、デヴュー・アルバム『リサンドレ』の発売は、これまでの暮らしや、自分が窮屈だと感じてしまうバンドでの日々との決別であった。
 今作の、これから先に待っているものが、これまで以上に輝かしく、愛に溢れる自由で希望の道なんだと言わんばかりのソングライティングは、新しい決意に溢れ、4年という歳月のなかで彼が培った、音楽への底知れない深い慈しみと、彼自身の成長とが落とし込まれた作品でもあった。

 そんなアルバムを引っ提げての来日公演。アメリカまでガールズを観に行っちゃう僕からしてみれば、楽しみでないはずがない! それに、作品を盛り上げていたフルートやピアノ、さらにはサックスなどの楽器を取り入れたスケールをどこまでライヴに反映させることが出来るのか、とても興味深かった。

 ステージに登場したクリストファー・オウエンスを含む7人のサポート・メンバーは、アルバム同様『リサンドレ』のテーマ・ソングであるAマイナーのインストゥルメンタルから、曲順通りに次々とライヴを進行させた。"ニュー・ヨーク・シティー"や、"ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン"などのアップテンポなロック・チューンで会場は盛り上がりはじめたが、その後はしっとりと聴かせるナンバーが続き、アンコールで5曲のカヴァー・ソングを披露してライヴは終了。......あっという間だった。

 ライヴは50分あまりの、わりと「あっさりしたもの」だったが、キャット・スティーヴンス、ドノヴァン、サイモン&ガーファンクル、エヴァリーブラザーズ、ボブ・ディランなどの、往年のアーティストの名曲を披露したアンコールはとても盛り上がった。そして、アルバム録音メンバーと同じサックス奏者の演奏は常に素晴らしかった。
 良いライヴだっただけに、次回は是非、会場から汗が出るほどぎっしり埋まって欲しいし、僕と同世代の人にもっと来て欲しい。
 ちなみに、当日会場に来られた坂本慎太郎さんは、ママギタァと日本の古いミュージシャンのCDをいくつか渡したそうです。
 また、後日談として、坂本慎太郎さんの歌詞を萩原麻理さんに英訳してもらったクリストファー・オウエンスは、"まともがわからない"の歌詞をえらく気に入ったそうだ。ハハハハ。良い話。

 クリストファー・オウエンスは優しさを語れる、数少ないアーティストなのかもしれない。ライヴを見ながら、そんな大きなことを思ってしまった。

Lonnie Holley - ele-king

ロニー・ホーリーというアフリカ系アメリカ人の男がアラバマ州バーミングハムにいる。生まれたのは1950年2月10日のこと、だから、いまちょうど63歳になったところだろうか。27人兄弟の7番目として誕生し、幼いころからドライブイン・シアターのゴミ拾いや皿洗い、料理人などさまざまな職に就いてきたらしい。
 彼が子どものころ、このバーミングハムというところはアメリカでもっとも人種差別の激しい都市のひとつだったというから、彼が味わった辛苦や葛藤も並大抵のものではなかっただろう。60年代初頭の大きな公民権運動にバーミングハム運動として知られる一連の闘争があるが、それはこの町を舞台にしたものだった。企業へのボイコットや座りこみ、デモ行進などの直接行動から世間の注目を集め、それを引き金に差別撤廃へと世論を導いた運動である。

 ともかく、バーミングハムの中心部にアラバマ州最大の空港であるバーミングハム国際空港があって、その近くの丘にロニー・ホーリーは住んでいる。庭というよりも空き地といったほうがしっくりくるかもしれない。その敷地のなかのあちこちにどこからか拾ってきた廃棄物や廃材が積み上げられている。ジャンク・アートというやつだろう。コラージュだけではなく木材を削ってつくった仮面や人形のようなものもあって、こういうのを見るとプリミティブ・アートとかフォーク・アートという風に呼ばれてもおかしくなさそうだ。アウトサイダー・アート? まあ、そう思う人もるだろう。

 いくつか上がっているインターネット上の映像に目をこらすと、ところどころに彼の言葉が書かれた板が見える。「I AM ART」だとか「MY ART」だとか、カメラのレンズがそれらの言葉を印象的にとらえていく。耳を抜けていくのは早口な彼のしゃべり声。パソコンの小さな画面で確認してもどこか偏執狂的な空気が漂ってくるが、見方を変えれば単にみすぼらしく悲しげな風景でしかないのかもしれない。画面の上からアメリカ南部アラバマの太陽が容赦なく照りつけている。
 いまから20年前に彼のもとを訪れたことがあるフォーク・アート研究者は、彼のその特異なキャラクターにいささか面食らってしまったようだ。そのうさん臭さを、自分のブログでこう表現している。「気高いグリオ(語り部)のようでもあり、カーニバルの客引きのようでもあった」。

 とはいえ、彼の作品は自宅の中庭からはみ出し、バーミングハム美術館やスミソニアン博物館、アメリカ民族芸術美術館、ハイ美術館といった名だたる美術館で展示されてきたらしいから、地元ではちょっとした有名人なのだろう。実際に公開されたかどうかは判断がつかなかったが、90年代半ばには彼を追ったドキュメンタリー映画も制作されたらしい。
 こうした創作活動を彼は1979年にはじめている。その最初の作品は火事で死んだ彼の姉妹のふたりの子どものための墓碑だったという。プレス・リリースにあるように、以来彼は「即興的な創造行為の実践」に身を捧げ、続けて「日々の奮闘や辛苦からよりもむしろ猛烈な好奇心や生物学上の必要性から生み出されたそのアートと音楽は、ドローイング、ペインティング、彫刻、写真、パフォーマンス、そしてサウンドと」多岐に渡ることになるのである。

 はじまりはどこだろう? 『ジャスト・ビフォア・ミュージック』のはじまりは。それはわたしがどこかに座っているときにはじまったのだろうか。それともアフリカのどこかにいるわたしの祖先が、何かがドスンと落ちる音、誰かがチッチッチッと這いずる音、もしくはアイアイアイと叫ぶ音を耳にしたときすでにはじまっていたのだろうか。しかし、こうしたすべてが『ジャスト・ビフォア・ミュージック』となったのである。
/ロニー・ホーリー(『ジャスト・ビフォア・ミュージック』のライナー・ノーツより)

 さて、そんなロニー・ホーリーのいささか遅いデビュー・アルバムがこの『ジャスト・ビフォア・ミュージック』である。録音は2010年と2011年に行われ、これが初めてスタジオで録音された彼の音源となるらしい。レーベルのウェブサイトのトップ・ページに登場する写真にはヤマハのポータトーン(安価な電子キーボード)を前に誇らしげに陣取るロニー・ホーリーの姿があって、背後にはたくさんのパーカッションが散らかっている。きっとスタジオ録音とはいっても肩の凝らないカジュアルなものだったに違いない。
 本作のプロデューサーはレーベル・オーナーのスティーブン・ランス・レッドベターとマット・アーネット。後者はロニー・ホーリーもその所属アーティストのひとりとして関係するソウルズ・グロウン・ディープという芸術振興団体のスタッフとのこと。
 また、ブックレットのサンクス・クレジットに名前が挙がるだけで実際にその演奏が採用されているのかどうかは不明だが、この録音セッションにはコール・アレキサンダー(ブラック・リップス)とブラッドフォード・コックス(ディアハンター)のふたりも参加したようだ。ユーチューブでもロニー・ホーリーのコンサートに彼らふたりがゲットー・クロスなるユニット名義で共演している映像が数本上がっているので、(残念ながらどこか蛇足な印象は否めないものの)興味がある向きは見てみるといいだろう。

 にしても、この得体の知れなさである。どの時代ともいえない質感。うわごとのようにときにうなり、深く揺れるビブラートが尾を引く歌声。ほとんどがチープなサウンドのキーボードの弾き語りを土台にしているにも関わらず、通常のコード・チェンジやコード進行は皆無。そして、強く伝わるのは彼が歌うこと、そのひとつひとつの言葉を即興で歌うことに夢中になっているらしいということ。しかし、それにしても、だ。どこか浮き世離れしたような瞑想的な雰囲気が『ジャスト・ビフォア・ミュージック』を覆っているのはどうしてだろう。しかし、この得体の知れなさはとても魅力的である。
 それが妥当かどうかは別として「リル・Bの『レイン・イン・イングランド』を、もし胸が張り裂けるようなブルーズの歌声を持った61歳のインプロヴァイザーが歌っていたら......」なんて評も見かけたし、ちょっと調べただけでも、その参照アーティストにボビー・ウォマック、テッド・ホーキンス、ウィリス・アール・ビール、ジュニア・キンブローからサン・ラー、ムーンドッグなどが挙がっていたが、しかし、どうしようもなく浮かび上がるのは彼の圧倒的な存在感である。そのため、またぞろ「アウトサイダー」なる言葉を使う人も多いようだが、しかし、ジャケットに写る彼の見た目こそその資格十分でも、どうも簡単にそうとは言い切れない何かがある。

 それは、ここで引用したライナー・ノーツにある彼自身の言葉や、同じくブックレットに何点か掲載されている彼のアート作品の図版に添えられたキャプションから感じられる「気の確かさ」からかもしれないし、もしくは"ジ・エンド・オブ・ザ・フィルム・イーラ(フィルム時代の終焉)"のような収録曲から感じられる時代観のせいかもしれない。
 さらに、この秀逸な『ジャスト・ビフォア・ミュージック』というタイトルである。音楽が音楽の体をとるその直前にある音楽。さらに意訳して「音楽の有史以前」とするのはやり過ぎかもしれないが、彼が先述の曲でとり上げた「デジタル・イメージ」や「コンピュータ・チップ」「ギガバイトとメガバイト」「HDTV」といった言葉の時代に、「音楽直前の音楽」を夢想するロニー・ホーリーという構図には好奇心をかき立てられずにはいられない。しかも、それが〈ダスト・トゥ・デジタル〉という過去の音源発掘に定評あるレーベルからリリースされたのである。

 最後に、その〈ダスト・トゥ・デジタル〉のことにも触れておこう。彼らのウェブサイトによれば、その使命は「重要な稀少音源と、アーティストとその作品への理解を促す歴史的図版や詳細なテキストを組み合わせた高品質な文化遺産の制作」にあるらしい。1999年に先に触れたスティーヴン・ランス・レッドベターによって設立され、現在では妻のエイプリルと二人三脚で運営されているジョージア州アトランタのレコード・レーベルである。
 その徹底した美意識は2003年に完成したレーベル最初の作品からして顕著だった。いや、むしろ異様だったと言ってもいいだろう。『グッバイ、バビロン』と名づけられたそれはA4サイズ大の杉の特製木箱に、20世紀前半の古いゴスペル曲と教会の説教を満載した6枚のコンピレーションCDと200ページのブックレット、さらには本物の綿花までもが箱に収めてリリースされていたのだ。

 当時、どこかでその作品のことを知った僕は早速レーベルにオーダーしたわけだが、その後届いた実物を見て呆れてしまった覚えがある。「なんてパッケージなんだ、これは!」。いまから思えば、デラックス・エディションでのリイシューというその後のトレンドを予想するようでもあったが、しかし、いまでもこれほど手の込んだ仕様はそうそう見あたらない点でまさにエポック・メイキングなリリースだったと言えよう。
 名もない新興レーベルだったにも関わらず、翌2004年に『グッバイ、バビロン』はグラミー賞のベスト・ヒストリカル・アルバム賞とボックス・セット/リミテッド・エディション部門ベスト・パッケージ賞のふたつにノミネートされ、その後もアメリカ南部の宗教合唱曲のひとつであるセイクレッド・ハープの初期の姿をとらえたコンピレーションや、ロマックス親子の功績を思い起こさせるフォーク音楽採集家、ローゼンバウム夫妻のフィールド録音集、最近も初CD化曲を多数収めたジョン・フェイヒィのボックス・セットやアフリカ産SP盤のコンピレーションなどなど、ひとつひとつの丁寧なつくりに驚きと工夫、歴史、夢や奇想を詰めこんだ希有なレーベルとして音楽ファンから大きな信頼を集めている。
 また、彼ら以外にも〈ヌメロ・グループ〉(シカゴ)、〈トンプキンス・スクエア〉(サンフランシスコ)、〈ライト・イン・ジ・アティック〉(シアトル)、〈サブライム・フリークエンシーズ〉(シアトル)、〈ミシシッピ・レコーズ〉(ポートランド)、〈ヤーラ・ヤーラ〉(シカゴ)、〈オーサム・テープス・フロム・アフリカ〉(ニューヨーク)といったユニークな若きアメリカの発掘レーベルが2000年代に入って活発なリリースを続けているが、その得意とする時代や地域、音楽性、もちろんその姿勢や方法はそれぞれ違うとしても、しかし、どこか共通する「音楽のとらえ方」「音楽の聴き方」の提示に成功しているように思う。

 それはロニー・ホーリー自身も認めているようで、再度彼のペンによるライナー・ノーツを引用すると「〈ダスト・トゥ・デジタル〉のコンセプトには何かがある。ほとんど聖書的であるが、それは声である。デジタル・サウンドで人々を人間がかつて通ってきた場所へ連れ戻し、そしてその物語を思い起こさせるのだ。私にとって〈ダスト・トゥ・デジタル〉におけるもっとも大切なことは、これらが物語であり、聴かれるよう意図され、音楽をどうとらえるかについて我々はその考え方を変える必要がある、ということである」と書いている。
 あらためて考えると「塵芥、デジタルへ」というレーベル名も示唆的だし、そのダストに土や地面、死体や遺骨の意味もあることを考えると......。

 とまれ、これまで過去の音源復刻とそのコンパイリング/パッケージングに努めてきた〈ダスト・トゥ・デジタル〉にあって、このロニー・ホーリーが唯一の「現役」アーティストだということを考え合わせると、本作『ジャスト・ビフォア・ミュージック』は、これまでその美意識や懐古趣味、幻想性で隠されてきた同レーベルの、実は胸の奥にたぎっていた生きた闘争心の声明でもあるのではないかと、そんな勘ぐりをして僕は嬉しくなっていたりする。彼らは何も趣味のよい特殊仕様専門レーベルなんかじゃない。むしろ、ハリー・スミスの『アンソロジー・オブ・アメリカン・フォーク・ミュージック』に込められていたような得体の知れなさや魔法、呪い、神秘主義、反骨精神といったような、ある種危険な思想を受け継いでいるのではないか、と。

 そして、その声明の文面は、たとえばいくつかユーチューブに上がっているロニー・ホーリーの空き地に山と積まれた廃品に紛れた看板上で発見することができる。彼は予言者よろしく既にこんな言葉をそこに書き殴っていたのである。「ART IS LIFE, DON'T KILL IT」。「アートは生命、殺すな」と。
 つまり、ロニー・ホーリーは精霊自身ではなく、いわば精霊たちの守護神である。そして彼は今日も廃品置き場の脇で何ごとか、呪文のようなそれを口走っているのだろう。アラバマの太陽が彼を照りつけ、周りを精霊が飛び回っている。

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