「Nothing」と一致するもの

Mark Ernestus presents JERI-JERI - ele-king

 ときにケオティックに、厳密に、それ自身が生き物のように動めき、しかし、あたかも機械のように展開するポリリズムの醍醐味、情け容赦ないリズムの反復、多彩なドラミング──アフロ、ラテン、ファンク、そしてダブとテクノ。
 録音が素晴らしい。この気持ちよさは、ヘッドフォンよりもスピーカーで聴いたほうが良い。ベーシック・チャンネル級の低周波が出ている。とはいえ、ここはベースをやや引き締めて、中音をクリアにしたほうが、この打楽器協奏曲の陶酔は伝わる。13人もの打楽器奏者によるアンサンブル、打ち鳴らされるビートが心地よい雨粒のようにスピーカーから空間に広がる。
 芸術的な録音──昔から耳の肥えたドイツ人は、こういう仕事を精密にやる。という印象がますます焼き付くだろう。いや、ドイツ人だからこれができるわけではないのだが......セネガルの民族音楽そのものは、いまさら珍しくはないにせよ、欧州のミニマル・ダブの音響がそれと出会ったときに奇跡的な音楽が生まれた、としか言いようがない。

 ベルリンのマーク・エルネストゥスと、そして、セネガルの音楽、ンバラ(Mbalax)との出会いは偶然だった。デンマークを旅行中、とあるガンビア人のDJがその大衆音楽をプレイしたのをエルネストゥスは耳にした。衝撃を受けたドイツ人は、パリのレコード店で売っているアフリカ音楽のレコードを漁った。それからエルネストゥスは、より多くを知るためにセネガルへと向かった。ンバラの打楽器奏者、Bakane Seckとは、思ったよりもすぐに出会えたと、レーベルの資料には記されている。
 ンバラの面白いところは、キューバ音楽の影響を思い切り受けている点にある。70年代に定義されたという西アフリカのダンス・ミュージック=ンバラは、セネガルにおいて根強く人気のあったというラテン音楽にインスパイアされている。当時のラジオ局やクラブはサルサばかりをかけていたのだ。
 かくして、スペイン語とコンガがサバール・ドラム(セネガルの打楽器)に変換されるのは時間の問題だった。それはパーティ・ミュージックであり、悪魔払いにもなった。植民地主義への抵抗ともなって、酒飲みのBGMにもなった。
 ンバラは、もともとはサバール・ドラムによるリズム・パターンの名称だった。レーベルの説明によれば、それが多彩な打楽器演奏によって、「セネガンビア」なる大衆音楽へと発展したという話だが、「セネガンビア」とは、同じ民族でありながらイギリス領とフランス領に分断されたセネガルとガンビアの連合名でもある。レーベルが言うには、「セネガンビア」の音楽的発展のプロセスに大きく関与していたのが、Aziz Seck、Thio Mbaye、Bada Seckといったジェリ・ジェリ家の人たちだった。エルネストゥスが出会ったBakane Seckは、高名なサバール・ドラム奏者であり、先生であり、広範囲における影響の源だった。
 そしてある日、首都ダカールのスタジオには、ジェリ・ジェリ家から紹介された現地のミュージシャンが集まった──Bakane、Bada Seck、Doudou Ndiaye Rose、Babacar Seck、Moussa Traore、Laye Lo、Assane Ndoye Cisse、Yatma Thiam、あるいは歌手のMbene Diatta Seckなどなど。13人の打楽器奏者もやって来た。そして、トーキング・ドラムは叩かれ、ベース・ギターが弾かれ、DX-7もミックスされた。(ミュージシャンは、その筋では有名な人たちだそうで、メンツの解説は専門家に委ねたい)

 『800% ダガ(Ndagga)』、そのダブ・ヴァージョン『ダガ・ヴァージョン』との2枚同時リリース。レーベル〈ダガ〉は、エルネストゥス自身が主宰する(そのくらい気合いが入っているのでしょう)。昨年から今年の春にかけて、12インチ・シングルがすでに4枚切られている。アフロであり、ファンクであり、ダブであり、テクノとしても楽しめる音楽である。「ウェイリング・ソウル(レゲエのコーラス・グループ)の歌メロのようじゃないか」とはレーベルの弁だが、たしかに言われてみれば、それもあながち的外れな喩えではない。『ダガ・ヴァージョン』には、はっきりとレゲエ色が出ている。
 このところの休日、布団から出たらまずかけるのがこの2枚。台所に立ちながら、サバール・ドラムのポリリズムを浴びている。

interview with Baths - ele-king


Baths
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Anticon / Tugboat

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 天才の中二病は格が違う。前作の青(『セルリアン』)が天上を描き出したのとは対照的に、今作の黒が象徴するのは地獄のモチーフ、そして破壊、終末、死、無気力だ。天から地下への、まったく極端な直滑降。あの天衣無縫に暴れまわるビートは、どうやらそのエネルギーの矛先を地の底に向けて定めたようである。かつて"ラヴリー・ブラッドフロウ"が生命やその輪廻をおおらかに、そしてアニミズム的に描き出したのとはまるで異なる宗教観が、『オブシディアン』には強く表れている。ビートは直截的に鈍重に、きらきらとしたサンプリングは地響きのようなノイズに姿を変えた。それが、彼がこの間しばらく患っていたことに関係しているのは間違いないが、筆者にはもうひとつ別の病のかたちが見えてくる。若き魂に特有の病、破壊や死や傷や毒を求めてやまない、あのやっかいで輝かしい――「中二」の――病である。14才を10も過ぎているが、この制作期間にデフトーンズを聴いていたというのだから、やっぱりティーンだ。ミューズに愛され、デイデラスら偉大な先達から愛され、音も経歴もまったく怖いもの知らずなこの天使はいま、ありったけの力と思いを、そのべったりと暗い淵に注いでいるかに見える。

 名門〈アンチコン〉からセカンド・アルバムをリリースする「LAビート・シーンの鬼っ子」――フライング・ロータスやデイデラスにもつづく血統書付きの才能、ハドソン・モホークらに並べられる新世代の筆頭――バスは、その輝かしい肩書きをまるで引き受ける様子がない。今作はそうしたシーンを熱心にチェックしている人や、アブストラクトなヒップホップ、IDMなどのファン、クラブ・リスナーたちではなく、まさに「ブルーにこんがらがった」ベッドルームの青少年たちにふさわしい。死とか運命とか、替えのきかない「きみ」に執着するような、ロマンチックでドラマチックで激しいエモーションが、まるでそのエネルギーを削がれることなく切り出されている。もしあなたが『カゲロウデイズ』にイカれているなら、あなたにこそ聴いてほしい作品だ。『セルリアン』は歴史に残るが、今作は若いたくさんの人の胸にひっそりとインストールされるべきものである。バスはこの新作を「優れた一枚」ではなく、ある種の人間にとって「必要な一枚」に仕立て上げてみせた。
 国内盤にはしっかりとした対訳がついているから、彼がどれだけ今作で灰色や黒や破壊や無気力の病や、あるいはそれと同じだけピュアな恋を歌っているのか読んでみるのもおもしろい。だがテクニカルでありながら青く柔らかい感情のかたまりであるようなビート・コンプレックスは、ヴァイオレンスやネガティヴィティもまぶしいエネルギーに変えてしまう。

 人類の歴史はもはやチルアウトの方向にしか進まないのかと思っていたが、個々の小さな人生にはまだまだバスのような激しさと潤いが必要なようだ。PCのプレイヤーでかまわない、今宵、ベッドルームで逆回転のミサを執り行おう。『オブシディアン』とともに。

つねづね、LAビート・シーンというカテゴリから抜け出すように努めてきました。僕が達成しようとしているものではないからね。僕の目標はまさに『オブシディアン』が僕にしてくれたものだよ。

たとえば、ある種の良識や凡庸さに絡めとられていくことを大人になることだとするならば、あなたは今作でもまったく大人になりませんね。すごいと思います。前作『セルリアン』は、その「子ども/少年」のエネルギーが天上へ向かっていましたが、今作では地の底=死に向かっているように思います。死や破壊のモチーフが出てきたのは、あなたの経験した病気と関係がありますか?

バス:このアルバムの計画は『セルリアン』ができる以前からあったんだ。すごく暗い感じのトラックはいくつかすでに作っていたんだけど、たしかに病気になったことによって、アパシーであるということについての理解がより一層深まったよ。曲を書く気力も情熱も何もない状態で。こんな心理状態はいままでいち度も体験したことがなかったから、アルバムの核をなすテーマのひとつにもなった。本当に変(ビザール)な感覚だったよ。

ペストのイメージに行き着いたのは何がきっかけです? またあなたはそれを恐れますか? それとも魅了されるという感覚なのでしょうか?

バス:どちらもだよ! 悲しみや怒り、恐怖を通り越していた時代だった。人間の歴史においても最も暗くアパセティックな時代であったとも言われているよね。そんな衝撃的な題材を見過ごすわけにはいかなかったんだ。またこのテーマをいかにしてポップ・ミュージックに落としこむかという考えはすごく面白かった。

"インター"がキリエ、"アース・デス"がグローリア、"ノー・アイズ"がクレド、"マイアズマ・スカイ"がサンクトゥス、"ウォースニング"がアニュス・デイ。わたしには、『オブシディアン』が、ラストを1曲めとして冒頭へといっきに逆走する「反転の(暗黒の)ミサ曲」というふうに感じられました。宗教音楽については念頭にありましたか?

バス:わお! そんなこと考えもしなかったけど、本当に素晴らしい関連性だね! とても光栄だよ! ミサ音楽や中世の時代の音楽はたしかに聴いていたけど、そこからテーマ等を特に見出すというよりは、それらの音楽が持っている雰囲気から影響を受けたんだ。

死、終末、破壊、無気力、テーマは重く暗いですが、音にはそれがとてもロマンチックに出ているとも思います。それがとてもあなたらしいように思うのですが、ご自身にはそう感じられませんか?

バス:そういったプッシュ・アンド・プル、足し算と引き算、明と暗みたいなものこそが、僕が全体を通して『オブシディアン』で求めていたものだよ。音楽自体は(少し暗い要素のある)エレクトロ・ポップ・ミュージックにも聴こえるけど、歌詞は完全に暗くて、ときどきそれらが調和していない部分もあるかもしれない。けれど、その違和感や一致しない感覚こそが大事であって、それが他のアルバムにも共通して浸透していると言えると思うよ。

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中世というのは、悲しみや怒り、恐怖を通り越していた時代だった。人間の歴史においても最も暗くアパセティックな時代であったとも言われているよね。そんな衝撃的な題材を見過ごすわけにはいかなかったんだ。


Baths
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Anticon / Tugboat

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今作では複雑と呼ばれるあなたのビート・メイキングが、まっすぐに、リニアになっているように感じました。"オシュアリー"のハンマー・ビートも意外でしたし、"ノー・アイズ"の16ビートとか"フェードラ"や"インター"の8ビートなんかが生む切迫感は、『セルリアン』にはなかった感覚であるように思います。今作の激しいテーマがそうさせたのでしょうか?

バス:はい、と言ったら嘘になってしまうんだけど、そう考えるのも良いと思う。このアルバムには異なったタイプの緊張感がたくさんあるんだけど、たぶんそれらは偶然に生まれたものかもしれない、はは。とにかく一曲一曲、互いと違ったものでありながら、テーマ的には同じ、という感じにしたかったのはたしかなんだ。そんな目標があったから、流れで聴くとビートが互いを押し合って、緊張感や切迫感みたいなものが生まれたのかもしれない。

また、鉄槌のように重たい音やビートもありますね。"ウォースニング"もそうですし、"ノー・パスト・リヴズ""アース・デス"もそうです。インダストリアル的ですら、またブラックメタル的ですらあります。音楽的なインスピレーションとして何かヒントになったものがあるのでしょうか?

バス:あなたがいま言ったとおりだよ! インダストリアルな音、鉄、うるさくて、寒々と荒れ果てたような音楽に影響を受けたんだ。これらの音は、僕が開拓したかった新しい別のサウンドを見つけ出すのに大きな役割を果たしたと思う。友だちのジミ--が紹介してくれたエンプティセットというグループはその点においてとても大きなインスピレーションになったよ。

今回の作品で、「LAビート・シーンの鬼っ子」といった印象を大きくはみ出ることになったと思うのですが、あなた自身には実際のところ「LAビート・シーン」を牽引するという意識があるのでしょうか?

バス:つねづね、LAビート・シーンというカテゴリから抜け出すように努めてきました。僕が達成しようとしているものではないからね。僕の目標はまさに『オブシディアン』が僕にしてくれたものだよ(ビート・シーンからはみ出してくれたということ)。だからあなたがそう感じてくれたことはとても光栄だね。

雨のサンプリングが好きなのですか? 前作の"レイン・スメル"につづいて今作でも"マイアズマ・スカイ"に使われていますが、今回は「本降り」という感じで雨音が激しくなっていますね。

バス:はは、雨のサンプリングは前作から今作まで続いた小さな恋心とか片思いってところかもしれない。外の世界にあるものをなんでもサンプリングするのが好きなんだ。まったく音楽的じゃない音たちを、ポップ・ミュージックという文脈に入れることによって音楽的にするという感覚はスリリングで大好き。現に"インコンパーチブル"のほぼすべてのリズムは、石を投げたり、それが欠けたりする音からできているんだ。

「運命」という言葉も何度か出てきますが、あなたはあなたの生が運命に規定されていると感じることはありますか?

バス:自分の人生が運命づけられているとはまったく思わないけど、そう考えること自体とても宗教的な感覚だよね。ときに自分の人生やこのアルバムが宗教的な何かに畏怖の念を抱いているように感じると同時に、まったくそういうことと合致しないときもある。よく神を恐れたり、自らの罪を認識したりしているような信心深い人の視点から歌詞を書くこともあるよ。

いちばん時間をかけたのはどの曲でしょう? 録音についてとくにこだわった点があれば教えて下さい。

バス:"フェードラ"が長い間しっくりこなくて、構想を練るのにも時間がかかったんだ。とにかくなぜかすごく時間がかかった。 僕はアルバム全体をひとつのものとして捉えてもらいたいから、なにか特別こだわった点を挙げるのは避けようかな。

今作までのあいだに世界をまわってツアーをされたことで、何かご自身に変化はありましたか? また、何か音楽上で大きな出会いがあったりしましたか?

バス:多くのとても重要な出会いがあったし、個人的に憧れている人々とも会ったり、いっしょにショーをしたりする機会もあった。ツアーで会った人々の数は本当にクレイジーなくらい多かったよ。自分自身の変化について言えることは、世界中の人々はみんな同じ、ということに気づけたことかな。最高な人もいれば、嫌なやつ、美しい人、かっこいい人もいて、世界中どこにいても同じなのだなと思った。そしてそれは素晴らしいことであるとも思えるよ。

この制作の間、よく聴いていた音楽があれば教えてください。

バス:そうだなあ、アゼダ・ブース(Azeda Booth)とエンプティセット(Emptyset)のふたつは確実に大きな影響を与えてくれたよ。他にもたくさんいると思うけどね。デフトーンズ(Deftones)もたくさん聴いたと思う。

L.Pierre - ele-king

 戸川純@新宿ロフトの追加公演で久しぶりに"隣りの印度人"を聴いて、ポリティカリー・コレクトネスもクソもない誤解だらけのエキゾチズムが急に懐かしくなってしまった。アダモステあたりが最後になるのか、映画『愛と誠』でけたたましくカヴァーされていた"狼少年ケン"や、ボクダン・レチンスキーがホームレスをやりながらサンプリングしたらしきフザケた中国語の類いが"隣りの印度人"を聴いている間にまとめて記憶の彼方から押し寄せてきた。日本だけでなく、アラン・シリトーもアフリカ人は道に迷ったらドラムを叩いて知らせてくるさとか随分なことを書いていたし、デヴィッド・ボウイーのジャッジ役に笑い転げた映画『ズーランダー』ではいい加減な日本のイメージをわざと再現するなど(それでいてナイキを告発するというメッセージ性もあったりするんだけど)、人種ジョークはむしろ世界平和につながるだろーと思ってしまったり(最近では映画『ディクテイター(独裁者)/身元不明でニューヨーク』でも相変わらずサシャ・バロン・コーエンに笑わせてもらいました!)。

 そこへエイダン・モファットによるラッキー・ピエール名義の4作目である。かつてアロハ・ハワイの名義で10インチ・シングルをリリースしていたモファットがジャケット・デザインからしてグレッグ・マクドナルド『アロハ・フロム・ハワイ』をそのままパクり、片端からインチキなハワイのイメージで固めたエキゾチック・サウンドのバッタもんである。ハワイ王家がどのようにして滅びたかを描いたマーク・フォービー監督『プリンセス・カイウラニ』を観たばっかりだったので、 悲しくドラマチックにはじまる導入もとくに違和感はなく、ラフマニノフ"嬰ハ短調"のループから運命を叩きつけるようなパーカション、さらにはメロドラマ風の安っぽい旋律と、森山大道を思わせるダークなハワイが延々と続く。それこそやる気の出ない毎日や、やる気を出したところでなんになるのだろうかという気持ちがどんどん増幅されていく。悲しきハワイ。ブルーハワイ。あるいは昼メロのハワイがインスタントな感情を波打たせ、生きることはほかの誰かがやってくれると思わせてくれる。透き通るような運命論に翻弄され、それがいつしか快感へと変わり、クロージングではついにこの世の虚空に溶けていく瞬間が訪れる。トロピカルなのに終始物悲しく、過剰な自己憐憫が肯定される感じはさすがアラブ・ストラップ(解散はしていない)である。レイディオヘッドに疎外感を覚えたこともノスタルジーに感じられ、チープなサウンドはそのまま人生には実体がないことを確認させてくれる。

 また、10年ぐらい前に(マーティン・デニーと並び称される)アーサー・ライマンのエキゾチック・サウンドをまとめてカヴァーしていたマイク・クーパーが久々にリリースした新作も40年来のテーマである南の島をコンセプトとしてぶり返し、異様な南国ムードへとリスナーを導いていく。先日他界したロル・コクスヒルらとともにレシデンツを結成していた70代のギタリストだけにフリー・ミュージックやブルース、ジャズ、カントリー、近年はポスト・ロックも気楽に行き来し、あらゆる手法がイメージのために総動員される。そこはまだ未開の地であり、一見、パラダイスのようでありながら、何が出てくるかわからない恐ろしさを併せ持つ。一歩一歩=一曲一曲が未知の空間をイメージさせ、虫の声とループされたドローンによる「毎日の夕暮れ時」はそれこそ不安と安寧の二重構造を象徴する。いくつかの曲で繰り返されるディレイをかけたトゥワンギー・ギターだけが、いわゆるリゾート気分を準えるものであり、おどろおどろしいパーカッションや鐘のように鈍く鳴らされるベースは未開の地へ足を運んだ後悔を先取りさせてくれる。「肺がつぶれた」という曲ではもう死ぬしかないという気分になるだけで、何もかも放り出してどこかへ行ってしまいたいという感覚は見事に挫かれてしまう。これは一緒にいたくない人たちと過ごさなければならない毎日に戻っていくためのトロピカル・ミュージックなのだろう。こ んなものを聴いてしまうと諦めもつくというものである。

EP-4、来るべき二夜 - ele-king

 もしや寝首でもかかれたのではあるまいかと思わせた、昨年の衝撃的な復活劇からはや一年、別働隊の活動もふくめ、その活動はひきもきらないEP-4(unit3については、いま出ている紙のエレキング9号をご参照ください)によるイベントをふたつ。

 5月18日土曜、恵比寿リキッドルームの「クラブ・レディオジェニク」は1980年、EP-4誕生の場となった京都のクラブ・モダーンを一日かぎりで復活させるコンセプトのクラブ・イベント。ゆえにスタートは24時きっかりだが、遠い記憶をいたずらに伝説のベールにつつむのではなく、ミラーボールの下にさらし、現在のオーディエンスに届けようとするのは、クラブ・カルチャー黎明期の実験主義者の面目躍如たるものだろう。メイン・フロアではフルバンドのEP-4をはじめ、佐藤薫みずから人選したという、ドライ&ヘビー、JAZZ DOMMUMISTERS(菊地成孔+大谷能生)、かつて佐藤薫がプロデュースしたニウバイルがライヴを行い、ムードマンと、宇川直宏が15年ぶりのDJプレイを披露する。だけでも気が抜けないのに、2階のタイムアウト・カフェには中原昌也、コンピューマ、Shhhhh、Killer-BongがDJで登場する、水も漏らさぬ布陣である。
 その3日後、EP-4の生誕祭にあたる5月21日の生地京都でのライヴでは、オリジナル・メンバーである佐藤薫、ユン・ツボタジ、鈴木創士に、山本精一、千住宗臣、須藤俊明、家口成樹、YOSHITAKE EXPE、つまりほぼPARAの面々が加わることでEP-4がどのような化学変化を起こすのか、新作にとりかかっているという彼らの今後を占うのにも恰好の夜となるにちがない。


写真:石田昌隆

公演情報

「クラブ・レディオジェニク」
2013年5月18日(土)
恵比寿リキッドルーム
開場・開演:24時

■1F MAIN FLOOR
Live:
EP-4
DRY&HEAVY
Jazz Dommunisters(菊地成孔×大谷能生)
ニウバイル

DJ:
MOODMAN
宇川直宏(from DOMMUNE DJ SYNDICATE=UKAWA+HONDA+IIJIMA)

■2F Timeout Cafe
DJ:
中原昌也
compuma
Shhhhh
Killer-Bong

「EP-4 / 5・21@京都」
2013年5月21日(火)
京都・KBSホール
会場:18時 開演:19時

Guest:
KLEPTOMANIAC+伊東篤宏、ALTZ.P
VJ: 赤松正行
DJ: YA△MA


No Joy - ele-king

 晴れた日に、自分の足元の影をじっと見つめる。そのまま瞬きをせずに空を見上げる。そうすると、いままで見ていた影が空に大きく投影される。ノー・ジョイの音像は、「影送り」なる遊びを思い出させる。地面の上の影と、それを網膜に焼きつけることで錯覚する空の影。どちらにも実体がない。「それを見ていた」というわたしの目の記憶だけが、彼らの存在にとってのよすがだ。

 〈メキシカン・サマー〉のシューゲイズ・ポップ・デュオ、LAとモントリオールで活躍するノー・ジョイのセカンド・アルバムは、ドゥーミーなスタイルがかえって浮力を得ていたようなデビュー作に比べると、ストレートに軽快さを増している。いや、音は重いのだけれど、疾走感が生まれている。しかしそのことによって、空を行くのではなく地上を走る作品になった。"プロディジー"などは截然と前作から切り分けられる作風だ。ファズやフィードバック・ノイズの濛濛たる幕のなかを爽快に駆けるリズム隊、風を受けてなびくように漂うウィスパー・ヴォイス。両作品の間にはちょうど空の影と地の影のような対称がある。そして今作は、前作『ゴースト・ブロンド』の発展形というよりも、むしろそれを影送りする前の原型であるような印象を受ける。ピュアな息づかいが感じられるだろう。まさにフィードバックすることでビビッドな輪郭を得た、見事なセカンド・アルバムだ。

 マイ・ブラッディ・ヴァレンタインでもライドでもスロウ・ダイヴでも、オリジナル世代の成果を再生産しつづける特殊なジャンルとして漠然と(しかし広く)認識され、また愛好されているシューゲイザー・シーンだが、本人たちの意識はともかく、ノー・ジョイもまたそこに連なるように聴かれているバンドのひとつだ。〈4AD〉やこの〈メキシカン・サマー〉、〈キャプチャード・トラックス〉などは、こうしたシーンにとってもまだまだ新鮮な音を提示しつづけ、ひとつの起爆剤として機能しているところがある。もちろん、彼らはもっと広いところに向かって音を放っているのだけれども。

 ノー・ジョイのデビュー作は2010年リリース。その頃がレーベルや彼ら自身の与えるインパクトとしてはいちばん旬な時期だったと思うが、今作においてはいわゆるグランジやオルタナ・サウンドの復刻としても磨かれた音が鳴っている。90年代再評価の気分は、いまならR&Bなどに顕著だが、ノー・ジョイの作品においてはとても地味なかたちで、しかしいまおいしく聴くために必要な包丁さばきが丁寧に施されている。ダイナソー・ジュニアやソニック・ユースがいま聴かれるためにはどこを取り出すべきか、"リザード・キッズ"などにはその手がかりを見る思いがする。
 それから、わずかにダンス・ビートが追加されている。こうしたところにも空ではなく地面を感じる。踊る音楽というわけではないが、浮遊することではなくて地面から思考することを選択するように感じられる『ウェイト・トゥ・プレジャー』は、その点でもグランジ的かもしれない。彼らに浮遊はなかったわけだから。そして、「浮遊感」に彩られたこの数年を畳むかのような試行が、その象徴のひとつであったような場所から登場していることも興味深い。

interview with Gold Panda - ele-king


Gold Panda
Half of Where You Live

よしもとアール・アンド・シー

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 子供の頃はインド人と言われ、仕事で海外に繰り返し行っていた頃は、ベトナム人だと間違えられ、僕はあまり日本人であった試しがない。いまだに日本からいちども出たことのない橋元や竹内のような人間からすれば、どうでもいい話だろうが......。
 とはいえ、僕も人のことをとやかく言えるほど国際感覚が豊かなわけではない。ゴールド・パンダからインドを見れなかったほど鈍っている。ロンドンもずいぶん長いこと行ってないので、あの町のマルチ文化なところを感覚的に忘れているのだ。"クイッター・ラーガ(いくじなしのラーガ)"なる曲で、ゴールド・パンダ名義でデビューしたダーウィン・シュレッカーのデビュー・アルバム『ラッキー・シャイナー』には、ありがちなエキゾ趣味にならないくらい謙虚に、ごく自然に、彼のインドが注がれている。
 こういう音楽を聴いていると、ワールド・ミュージックというカテゴリー自体が、この先無意味になるのではないのかと思えてくる。真っ昼間にレストランから出ただけで金をせびられるほど物騒だったデトロイトにコスプレ・ショップが開店しているような時代なのだ。リアルな話、白い橋元や黒い橋元がウッドワードアヴェニューを闊歩しているのである。

 ゴールド・パンダは、そういう意味では、先を行っていた。インドの血を引くエセックス育ちのこの青年は、少年時代に日本製のゲームで遊び、ヒップホップを聴いて、そして、大学在学中に日本語を学び、DJマユリ邸を訪ね、丸尾末広を蒐集していた。ダーウィンのエレクトロニック・ミュージックは、シュトックハウゼンが目指した世界音楽的な方向性を感覚的に具現化している......というのは誇張し過ぎだが、新作『ハーフ・オブ・ホェア・ユー・リヴ』が彼の忙しい演奏旅行(サンパウロ、香港、江ノ島、イギリスなどなど)の賜物であることは事実だ。そこでは、ゴールド・パンダの特徴──透明感のあるメロディと力強いビート、少々ユーモラスな音色──が、さらに輝いている。
 この人の音楽は、エレクトロニカの二歩手前、クラブの二歩手前で踏みとどまっているというか、気むずかしさや斜に構えたところがなく、気さくな感じが良い。テクノでもなくアンビエントでもない、しかし踊れるし、聴ける。踊れるといっても、アゲアゲではないし、気持ちが踊れるという感じだ。日本人に好まれるのもわかる。

 以下のインタヴューの日本語の質問に対して、彼は英訳を介さずに答えている。 

いまは多くの人がエレクトロニック・ミュージックを作っているんだけど、みんなエイブルトンっていうか、エイブルトンみたいに聞こえるものばっかりでしょ。僕は、ラップトップをいじっているよりも、昔の機材を使っているほうが、単純に気持ちが良いんだよ。

サッチャーが死んだね。(※取材は、サッチャーが死去した翌日の日本時間4月10日におこなわれている)

パンダ:ああ、イエー。飛行機のなかで知ったんだ。

スミスが再ヒットしたり、『オズの魔法使い』の「魔女が死んだ」って歌が歌われたり、すごいらしいね。

パンダ:彼女は、いろいろなものを破壊したからね。僕は、本気で暴動がまた起きるかもしれないと思っているよ。それはサッチャーが死んだっていうよりも、いまの政治に問題があるからね。

昨日、新聞からサッチャーに関するコメントを求められて、「彼女ほどミュージシャンから憎まれた首相はいない」というようなことを言ったんだけど。

パンダ:まさに。僕は彼女の政権時代を直接は知らないけど、子供の頃、彼女の政策に怒った人たちの暴動を見たことを憶えている。

人頭税のとき?

パンダ:イエーイエー。僕の親の世代は本当に彼女のことに怒っていたな。とくに炭鉱閉鎖のことは本当に大きな問題だったんだよ。彼女は、音楽家やアーティストにとっての敵だったね。

なるほど。では、2010年の秋に『ラッキー・シャイナー』をリリースしてから、およそ2年半ぶりのセカンド・アルバムになります。この間、自身のレーベル〈Notown〉からは精力的なリリースを続けていますね。そしてまた、今回のアルバムのコンセプトでもある、世界のいろいろな都市を巡ったようでもあります。この2年半を総括すると、あなたにとってどんな2年半だったのでしょう?

パンダ:この2年で、僕の生活のすべては変わった。

というと?

パンダ:『ラッキー・シャイナー』を出したことによって、生活のすべてが変わった。ハッピーになったと言うべきなんだろうけど......(笑)。この2年は、とくに1年間は、『ラッキー・シャイナー』のためのツアーにつぐツアー、エンドレスなツアーだったよ。良いことなんだけどね。だって、それで音楽だけでやっていけているわけだし、生活できるんだから。〈Notown〉からは自分以外のアーティストの作品を出したりだとか......僕はアナログ盤が好きだから、自分以外のアーティストの作品をヴァイナルで出せるのがとても嬉しい。

ロンドンからベルリンには、どうして引っ越したの?

パンダ:彼女がドイツに住んでいるから。ほとんどの人は音楽のためにベルリンに引っ越すんだろうけど、僕はそうじゃなくて、彼女との生活のためだ。

ベルリンのナイトライフを楽しんでいる感じじゃない?

パンダ:他の国のクラブではfacebookのために自分の写真を撮ったりしているんだけど、ドイツでは撮影禁止なんで、それがなくて良い(笑)。なかでもベルリンは、ナイトクラビングするには最高の街なんだろうね。自由だし、ドラッグもセックスもできるし、安全だし、ドリームクラビングだよね。ただし、僕はナイトクラビングしないんだ。僕は仕事でクラブに行くから、自分の時間があるときは家にいる。だけど、みなさんは行ったほうが良いでしょう(笑)。

あなたの方向性はいわゆるクラブ・トラックとしてのテクノでもないし、実験音楽でもない。柔軟なスタイルですが、明確なスタイルを持っていないとも言えるますよね。自分の方向性についてはどのように考えていますか?

パンダ:ファースト・アルバムのときはみんなが集まって、ダンスする感じだった。新作はもっとビートが駆り立てるような感覚を意識しているんだ。でもやっぱダンス・ミュージックではないよね(笑)。どうしてなのか正直なところわからないんだけど、僕には自然なことなんだ。家ではハウスやテクノも聴いているのに、どういうわけか、自分が作るとダンス・ミュージック(DJミュージック)にはならない。僕はがクラビングに行かないことが影響しているのかもしれないけど、別にクラビングが嫌いなわけじゃないんだ。テクノやハウスも好きだから、その影響は絶対に出ているとは思うんだけどね。

たとえば前作の"You"のような、声を派手にチョップしたり、細かいエディットを前面に出すような曲はなくなりましたね。

パンダ:同じことは繰り返したくないからね......と言いつつも、実は"You"みたいな曲を12曲作ろうとトライはした。もしそれがうまくいっていたら、家が買えたかもしれない。きっとヒットしただろう(笑)。

ハハハハ。

パンダ:でもやっぱ、それはやりたくないというのが正直なところだったんだ。だって、それ("You")はすでにやったことなんだ。いちどやったことを自分で繰り返すことは、自分のなかで意味がない。

"You"のような曲はライヴでやれば絶対に盛り上がるでしょう。

パンダ:そうだね。みんなクレイジーになるよ。アメリカはとくに酷かったな。

『ラッキー・シャイナー』を出した直後に取材したとき、あなたは〈ラスターノートン〉が好きだと言っていましたよね。

パンダ:そうだったね。

だから、アルヴァ・ノトのようなレフトフィールドな方向に行くのかなとも思ったんですよ。そこは考えなかった?

パンダ:実験的な方向性は考えたよ。ただ、自分がやるアヴァンギャルドよりも他の人がやったアヴァンギャルドのほうが好きなんだと思う。僕も実験的な曲を作っているんだけど、リリースするくらいにそれが良い曲かと言われたら、わからないな。まだ自分で確信できないんだ。将来的には、ぜひやってみたいことなんだけど。

自分の方向性で悩んだことはない?

パンダ:あるよ。ただ、今回のアルバムは、自然に生まれたもので、そして、方向性ということで言えば、結局、『ラッキー・シャイナー』以前に戻ったんだ。機材がラップトップの前に戻った。それによって自由さを取り戻したと思っているんだ。"You"や"マレッジ"のような曲があまりにも受けたんで、ああいう曲からのプレッシャーがあったんだけど、そこを乗り越えたときに、何でも作って良いんだと思えるようになった。

アルバムに1曲、"S950"という、とても美しい曲があるよね。この曲の題名はアカイのサンプラーから取られています。何故?

パンダ:それは、その機械ひとつだけでできた曲だから。なんか、もっと綺麗で雰囲気のある曲名にすることもできたんだけど、たとえば"江ノ島"のような曲名にすることもできたんだけど、あえてそれを止めた。"S950"という機材の名前を知らない人にとっては、謎めいた記号だし、それにこの機材はUKの初期のジャングルやヒップホップで使われてきた名機でもある。だから、すごくUKっぽい機材なんだ。とにかく、特定のイメージを与えるような曲名は避けたかったんだ。

何故、そういう古い機材を使ったの?

パンダ:制限があるほうが好きなんだ。『ラッキー・シャイナー』の頃から、他にも多くの人がエレクトロニック・ミュージックを作っているんだけど、みんなエイブルトンっていうか、エイブルトンみたいに聞こえるものばっかりでしょ。ラップトップかエイブルトンみたいな......、だから......

エイブルトンを使いたくなかった?

パンダ:そう。マックスMSPは使ったけどね。あとドラムのためにトリガーもね。でも、やっぱラップトップをいじっているよりも、昔の機材を使っているほうが、単純に気持ちが良いんだよ。楽しいしさ。パソコンの画面を見ながらアレンジするのって、僕は好きじゃないんだ。

なるほど。ちょっとさっきも話に出たけど、"ウィ・ワーク・ナイツ"という曲のように、ビートもあるし、ハウスやテクノからも影響もあると思うんだけど、ゴールド・パンダはクラブ・ミュージックに近いようでいて、どこかで距離を置いているのは何故でしょうか?

パンダ:そもそも自分の音楽をクラブ・ミュージックだとは思っていないよ。クラブ・シーンの人が僕を受け入れてくれるのであれば、すごく嬉しいけどね。だけど、......ジシンナイネ。

はははは。

パンダ:クラブニジシンガニイ。技術的に自分にはクラブ・ミュージックは無理だと思ってしまっているんだよね。とくにハウス・ミュージックはすごく機能的でしょ。ダンスのための決まりごともあるだろうし、DJのための作り方もあるだろうし。僕にはクラブの才能がないんじゃないのかな。

はははは。

パンダ:誰かとコラボしたらできるかもね。

その中途半端さがあなたの魅力かなと思うんだけど。

パンダ:それって良い意味?

もちろん。

パンダ:良かった。

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都市のポジティヴなところを描きたかったっていうのがある。都市って、良くないところ、悪いところもあるでしょう。だけど、その反対に良いところもあるから。僕は都市で育ったから、都市からいっぱい影響を受けているんだ。


Gold Panda
Half of Where You Live

よしもとアール・アンド・シー

Amazon

よくフォー・テットなんかと比較されるじゃない。それって自分ではどう?

パンダ:似ているところはあると思う。

彼も、ものすごくクラブではないけど、ハンパにクラブっぽいというか。

パンダ:音楽性はまったく別モノだと思っているよ。

彼のバックボーンには、もっとジャズがあるもんね。

パンダ:それに僕は、自分なりの道を見つけてきているような気がするので。たしかに僕は、以前はフォー・テットにものすごく興味があった。最近では、彼は神様みたいになってしまったけどね。まあそれはそれでクールなことだと思うけど。

ベルリンのレーベルで〈Pan〉って知ってる?

パンダ:イエー。

似てない?

パンダ:ミー? ああ、アイドンノー。

〈Pan〉もエクスペリメンタルだけど、ポップだし。

パンダ:オッケー。

で、ダンス・ミュージックだけどクラブじゃないじゃない。

パンダ:イエー、ライ。アイシー。言われてみるとわかる。自分じゃそういう風に、外から見ないからね。そして、たしかに僕は〈Pan〉のいくつかの作品は好きだよ。ザッツグッレーベル。

彼女のお母さんに自分の音楽をなんて紹介する?

パンダ:エレクトロニック・ミュージックをやっています。コンピュータで音楽を作ってます。

それはどんな種類ですか?

パンダ:アイセイ、ダンス、イエー。

ハハハハ。

パンダ:実際は違っているけど、年を取った人には説明しにくいので。だから、ダンスって言うことにしている。自分ではそうは思っていないんだけど。

今回のアルバムを象徴する曲を選ぶとしたら、何になりますかね? "ジャンク・シティII"や"アン・イングリッシュ・ハウス"でしょうか? 

パンダ:"ジャンク・シティII"だね。

その理由は?

パンダ:前のアルバムとはぜんぜん違う。新しいものって感じがする。他にも、"マイ・ファーザー・イン・ホンコン 1961"や"アン・イングリッシュ・ハウス"や"江の島"や"ザ・モースト・リヴァブル・シティ"も気に入っている。自分が作りたかった曲を作れたという意味で、満足している曲だよ。いまは、『ラッキー・シャイナー』を作り終えたときよりもハッピーだよ。自分が気に入っている分、ファンの人がどう思うかはちょっと心配だけど。

何故?

パンダ:自分でも気に入っているから、それがどこまで受け入れてもらえるか心配なんだよ。だけど、今回のアルバムは人にどう思われようが、かまわない。僕が好きだから。『ラッキー・シャイナー』の評判が良かったから、それとは違った音楽になってしまったし、ちょっとビビっているんだよね。

『ハーフ・オブ・ホェア・ユー・リヴ』には、とても魅力的なメロディがあるし、リズムだって良いし、大丈夫でしょう。

パンダ:ホント? 

ホント。

パンダ:おー、サンクス!

『ラッキー・シャイナー』の派手さはないかもしれないけど、『ハーフ・オブ・ホェア・ユー・リヴ』は繰り返し聴くことになるアルバムだよ。

パンダ:『ラッキー・シャイナー』との比較で言うと、新作のほうが、さらにアルバムっぽいと思う。ストーリー性もあるし、すべての曲に共通感覚がある。繋がりがあって、アルバムらしいアルバムだと思うね。

都市をコンセプトにしようと思ったのはどうしてですか?

パンダ:ずっとツアーだらけで、都市をめぐるってこと以外のことしかしていなかったんで。

ツアーだらけって、どのぐらいツアーしていたの?

パンダ:1年、毎週末ライヴだった。エレクトロニック・ミュージックがバンドと違うのは、クラブナイトでもライヴができてしまうことだよね。ステージがなくてもブッキングされてるから、毎週末ライヴだった。『ラッキー・シャイナー』以前は、やりたくない仕事をやりながら音楽をやっていたんだけど、『ラッキー・シャイナー』以後は、ホントにそれだけになってしまった......仕事として音楽をやっているからね、いまは。

毎週末ライヴやっていると発狂したくなる?

パンダ:イエー(笑)。だからこそ、新しい作品を作る必要があったんだ。

しかし、『ラッキー・シャイナー』1枚で世界を回ったっていうのもすごいよね。

パンダ:イエー。喜ぶべきことなんだろうね。

DJをやればいいじゃない?

パンダ:DJもやったほうが良いとも思う。他の人の音楽をかけることで成り立つわけだからね。でも......、やらないね、たぶん(笑)。ゴールド・パンダ名義でライヴをやればお金をもらえるけど、DJではいちからのスタートになってしまうから、お金ももらえないんじゃないかな......。ドイツだとDJするのに50ユーロ払わなければならないのって知ってる?

なにそれ?

パンダ:新しいロウ。

あー、それ聞いた。それはクラブが払うんじゃないの?

パンダ:だったんだけど、いまの新しい法律では、DJが払うんだ。しかもハードドライヴもチェックされて、そのなかに何曲入っているかまでチェックされて。

ひでーな。

パンダ:もしかしたら100万曲入っているかもしれないでしょ。そこまで調べるんだよ。現実離れしている。反対派の人も多いよ。

"江ノ島"という曲が入ったのは?

パンダ:最近、リョウ君(注:仲良しの日本人)と一緒に行ったんだよね。

リョウ君の実家には泊まった?

パンダ:昨日、一泊した(笑)。

リョウ君のお母さんに「ただいまー」って(笑)。

パンダ:タダイマー(笑)。

ハハハハ。

パンダ:江ノ島は前から好きだったけど、最近行ったときがホントに楽しかった。写真もいっぱい撮った。

ツアーで都市ばかりまわっていたから都市がコンセプトになったという話だけど、さらに突っ込むと、最終的にアルバムは都市の何を描いているの?

パンダ:都市のポジティヴなところを描きたかったっていうのがある。都市って、良くないところ、悪いところもあるでしょう。だけど、その反対に良いところもあるから。僕は都市で育ったから、都市からいっぱい影響を受けているんだ。

エセックス・ボーイだからね。

パンダ:そうそう(笑)。"アン・イングリッシュ・ハウス"っていう曲は、UKのことを歌っているんじゃないんだよね。これは、ベルリンにある僕の家のことなんだ。僕はドイツに住んでいるんだけど、家のなかはイギリスなんだ。つねに紅茶を飲んでいるしね。

"ジャンク・シティ"はどこの街?

パンダ:その曲だけが架空の都市だね。昔の、90年代の、僕が空想するトーキョーだよ。快楽的で、ちょっと頽廃した都市だ。ハハハハ。

そうだよね、90年代の渋谷なんか、マジックマシュルームがセンター街の入口で売られていたくらいフリーキーだったからね。

パンダ:あー、イエー。

クレイジーだったね(笑)。

パンダ:僕はその時代のトーキョーを見れなかったから、空想したんだ。

アートワークが面白いよね。結晶みたいなデザインでしょ。

パンダ:幾何学的だけど、実は都市のデザインなんだ。さらにヴァイナルはもっと凝ったアートワークだよ。コンクリートの灰色で、いろいろな都市の場面が見えるようになっているんだよ。

『ハーフ・オブ・ホェア・ユー・リヴ(あなたが生きている場所の半分)』というタイトルの意味は?

パンダ:長く温めていたタイトルなんだ。さっきも言ったように、都市の全体ではなく、都市の良いところに焦点を当てているアルバムだし。街の真実を見極めようってアルバムじゃないんだ。

何で?

パンダ:僕は、街の良いところしか見ずに、そして街を去って空港に行く、来る日も来る日も(笑)。

いちばん良い思いをした街は?

パンダ:イチバンイイオモイ......シアトル!

意外な。

パンダ:あと、ポートランド。

へー。

パンダ:レコード店が25軒くらいあるんだよ。

それは良いね。貧乏なミュージシャンばっか住んでいるんでしょ?

パンダ:イエー、イッツファニー。僕は、自分をものすごくイギリス人だと思っているから、アメリカなんか大嫌いで、行ったら絶対に嫌な思いをするんだろうなと思っていたんだ。で、実際に行ったら、大好きになった。サイコウデシタ(笑)。

Savages - ele-king

 サヴェージズのデビュー・アルバム『サイレンス・ユアセルフ』(あなた自身、お静かに)は、「で、あんた何歳なの?」という台詞ではじまる。カサヴェテスの映画からの引用なのだが、これを聴いて「うぅぅ」と唸りながら、僕は、23年前のプライマル・スクリームの「ローディッド」(酩酊)の最初の台詞、「俺らはただ自由になりたいだけ!」との対比を考えてしまった。こちらは『ワイルド・エンジェル』という若者映画からの引用。まったくジェイク・バグといい......中高年がぎゃーすか騒いでいる側で、子供たちが静かに佇んでいるようではないですか。
 ロンドンの女性4人からなるバンド、サヴェージズがいよいよ正体を露わにする。『サイレンス・ユアセルフ』は、反撃(カウンター・アタック)の狼煙です。

 
"Shut Up"

"I am Here"

 サヴェージズの目が覚めるような『サイレンス・ユアセルフ』は5月22日発売予定!

Sonarsound Tokyo - ele-king

もうかれこれ1ヶ月以上経ってしまいましたが...... 文:木津 毅

 ニュースでは嵐が来ると繰り返していたし、東京へ向かうバスは雨風で揺れまくっていたのでヤな予感しかしなかったが、それでも新木場に向かったら、同様にそれでも新木場に集まったひとたちがいて少しばかり安心する。今年は悪天候に見舞われた<ソナーサウンド・トーキョー>だがどうにか開催され、「アドヴァンスト・ミュージック」の祭典は水浸しの会場で始まった。さすがにひとは少なかったかもしれない、が、アクトレスが登場するフロアの期待をたしかに感じた僕は、すっかり景気のいい気分になり、1杯目のアルコールを口にする。


Actress

 ソナーについての放談で斎藤辰也が言っていた、「そのフェスだからいく、と思わせるような何か」が悪天候によって奇しくもテーマになっていたように思う。それでも新木場に集まったひとたちは何を持って帰っただろうか? ただ踊って発散したひともいただろうし、もちろんそれとてじゅうぶんに価値のあることだ。ただ、僕があの2日間を思い出したときにじわりと湧き上がるのは、「これから何かが始まるのかも」という予感のようなものだ。
 僕の記憶のなかのこれまでのライヴよりもBPMが落ち着いていたLFOの安定したプレイ、"LFO"が投下された瞬間のフロアの興奮も良かった。カール・ハイドが"ダーティ・エピック"をやったときのアンニュイさも感慨深かった。エイドリアン・シャーウッドのダブはさすがの貫禄で、そのずっしりとした低音に震えた。が、ニコラス・ジャーの思ったよりもヘヴィで迫力のあるバンド・セット(その分、これからの音源であの浮遊感がどうなるのかがちょっと不安でもある)や、ダークスターが何とか後半で辿り着いていたメランコックな高揚感(前半は演奏が噛み合ってなくて危うかった)や、プールサイドのトーフビーツに集まったキッズたちのちょっと遠慮がちなダンスと笑顔......をより鮮明に思い出す。サブマーズは"あげぽよ"どころかスムースでクールなダウンテンポ、ヒップホップだったし、アディソン・グルーヴのベースラインは思っていた以上に折衷的で面白かった。彼らははっきり言って、まだまだ途上中だという印象を残したが、しかしながら、それらが一堂に会することによって、そんな風に世界中に散らばった「アドヴァンスト・ミュージック」の可能性をたしかにフィジカルに感じられたのだ。たくさんのアクトのなかで僕が出会わなかった予感たちと、出会ったひとも当然いただろうと思うとなんとも落ち着かない。


Karl Hyde

 ちなみに僕のベスト・アクトは、迷うことなくアクトレスだ。ひどく抽象的なサウンドの隙間で意表をついて大胆に挿入される仕掛けや、断片的なループが出現しかけたかと思うと違うループが気がつくと背後で蠢いている、そんな風にクリシェを軽やかにかわす展開はスリルそのものだった。後半は思っていた以上にダンサブルなテクノへとなだれ込みそれもたまらなかったが、前半の繊細な音の配置と位相こそ、アクトレスがその日披露した「予感」だったように僕には思えた。

 ソナーは今年も、現在と、そこから続いていく未来を感じるためのグルーヴが胎動するイヴェントだった。結局丸々2日間大いに楽しんでしまった僕は気がつくと何度も酒を飲んでいたようで、膝に疲労と財布に侘しさを残したが、後悔も反省もとくにしていない。

文:木津 毅

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ずぶ濡れダンス 文:斎藤辰也

 初日の夜は大雨が会場に降り注がれたので、プールのあるテラス・ステージでは踊りながら天然シャワーで汗を流すことができた。屋内のバー・スペースからテラスをはさんで対岸の小屋でプレイするサファイア・スローズを観たとき、ロッカーにしまわないでおいたマウンテン・パーカーに鼓舞され、僕は天然シャワーのなかに文字どおり踊り出た。音量は控えめだったものの湿ったハウスのリズムがたしかに胸に響き、やわらかいシンセサイザーと深いリヴァーブにつつまれたサファイアの声が夜空を満たしてゆく。円柱型のストーブの火が消えてしまうたびに、暖まるつもりもないけども見知らぬひとと協力して火をつけた。プールは妖しく緑色にライトアップされており、泉をかこむ妖精のような気分のなか数人のオーディエンスとともに雨のなかを漂いながら踊った。
 僕はもっとみんなにテラスに出て踊ってほしかった。たしかに、終わったあとはずぶ濡れすぎて人にぶつからないように歩かなければならなかったが、踊っていれば服は乾くのだ。事実、そのあとも友人たちに遭遇しLFOやシャーウッド&ピンチで踊り明かしたので、ずぶ濡れだったズボンもさっぱり乾いた。

 ひとつ言わせてほしい。好き勝手に踊るのは、とても快いことだ。かつてゾンビーは言った――「1992年に、きみはどこにいた?」。当時まだ幼稚園にもいなかった僕にはいまになってレイヴがとても羨ましい。アンディ・ストットのライヴもその気持ちを強くさせるものだった。音楽の鳴るところで好き勝手に踊ること。それは音楽から「作品」としての額縁を外す(あるいは、額縁をつけない)楽しみ方でもあり、そこにいる他者おのおのの存在の発露を認めながらそのなかのひとりでいる自分をも同時に認める遊びであるように僕には感じられる。最近はそんなことを強く感じながら音楽の鳴る場所で踊っている。鳴っていなくても鳴らして踊っている。

 2日目の真昼。昨夜は大雨に見舞われていたテラス・ステージで、頭上には嵐と雨後のしらじらしい青空が拡がり、足元には飛びこみ禁止のプールが堂々と日光を浴びている。すっきりしないエセ・リゾート気分をトーフビーツ情報デスクVIRTUALのオープニング・ナンバーで解放させ(空には航空機が飛んでいた!)、以降もスクリューとトラップのビートで客の脚をふらつかせた。田中宗一郎にバトン・タッチする頃にはテラスも笑顔で溢れかえっていた。
 テント風の会場が似合うエキゾチックなングズングズ(Nguzunguzu)は、ラウンジ程度の音量の低さを考慮してか前半は4つ打ちの堅実なプレイに徹していたが、後半になると、ミステリアスなメロディに彩られた自作曲をはじめR&Bやサウス・スタイルのヒップホップでようやく弾けてくれた。しかし別の機会に体感した彼らのDJプレイは、レゲトンをプッシュしまくり、観衆をダンスへと積極的に鼓舞する爆発力があったし、それこそが彼らの本領といえるものだろう。ぜひこんどは音響の豊かなヴェニューでプレイしてほしい。

 そして、なにより僕が待ち望んだ時間がやってきた。夕焼けもどこかに潜み、あたりも暗くなった18時すぎ、ダークスター(Darkstar)がメイン・ステージに登壇し夜の帳を降ろした。ロンドンでの出会いから待つことちょうど2年。まさかほんとうに日本でしかもこんな大舞台で観れるとは思っていなかったので、おおきな拍手で迎えられる彼ら3人の姿に、胸と目頭があからさまに熱くなってしまう。ショーの間はずっと3人の黒い影だけが青い逆光のなか浮かぶ美しい演出が施され、ただ3人がそこにいること/そして音楽が演奏されていること――そのシンプルな情景が暗闇のなかにはっきりと立ち現れていた。
 新譜同様にきめ細かくたゆたうシンセ・ドローンでショーははじまったが、歪んだベース音やノイズが重ねられ、これがライヴであることが宣言された。すこしの静寂をおいて、調子の外れたギターがフェイドインし、"アルモニカ"のビートがフロアに響きわたる。つづいて、ジェイムス・バッタリーのすこしおどけた甘いヴォーカルがは歌いだす。ため息がでるほど美しい瞬間だった。
 前作『ノース』からは歌の目立つ3曲"ゴールド""デッドネス""ノース"が演奏されたものの、そのほかはすべて新譜『ニュース・フローム・ノーウェア』からの選曲で、しかし"タイムアウェイ"と"ア・デイズ・ペイ・フォー・ア・デイズ・ワーク"というプロモーションされた2曲は演奏されず、逆に"ヤング・ハーツ""ホールド・ミー・ダウン""ユー・ドント・ニード・ア・ウェザーマン"などアルバム後半のエレクトロニカ/インストゥルメンタルのテイストの深い、意外な展開を見せた。

 といっても、思い返せば意外だったというだけで、じっさいショーは滑らかに運ばれたし、途中ジェームス・バッタリーが「メイク・サム・ノ~イズ」と囁いておどけてみせたが、曲と曲のあいだの静寂さえ彼らの演奏だ。『ノース』と『ニュース・フローム・ノーウェア』はいま並べてみてもそのサウンドの違いに驚かされるが、ライヴではどちらの楽曲も違和感もなく自然につながれていて、それは静寂となによりジェイムス・バッタリーがもたらした成果であろう。歌うことは演じることだとバッタリーは本誌に語ってくれたが、彼の歌声は抒情的な脚色もなければエゴも感じさせない。白くてまっさらな役者である。バッタリーをダークスターというキャンパスの真ん中に据える(メンバーとして迎えた)ことで、ジェイムス・ヤングとエイデンは好きなように色(サウンド)を塗り変えて楽しむことができているというわけだ。そのことがよくわかる繊細だが力強いライヴだった。たのしそうに歌うバッタリーは愛らしくもあり魅力的で、歌唱力も以前よりレベル・アップしていた。なんの嫌みもない彼の存在は、バンドや会場の緊張をほどよくほぐしてくれる。ルックスも格好いい。
 音響が不十分だったこともあってかアンサンブルがちぐはぐになりかける場面も少なくなかったが、バンドの佇まいは2年前よりも堂々としたし、3人が各々で携えたサンプラーやキーボードやエフェクターの数も増え、ライヴをつよく意識した姿勢が印象的で、そのふくよかなサウンドの裏にバンドとしての意欲が燃えているのが感じられる熱い演奏だった。これまでライヴでの試行錯誤をつづけていたことをユーチューブなどで追いかけていたが、彼らはたしかに逞しく成長しているし、これからそのサウンドを塗りかえ続け、僕たちを驚かせる便りをくれるに違いない。〈フジロック〉に行かれるひとにはぜひダークスターを観てほしい。


Darkstar

 そして、〈ビートインク〉のスタッフさんのご厚意で、開演前の彼らにサウンドについて補足の質問をできました。以前のインタヴューではどこかぶっきらぼうな印象もあったかもしれませんが、対面した彼らの気さくさが伝わればこれ幸いです。エイデンはわざわざビールを運んできてくれました。通訳は岩崎香さんです。

ジェイムス・ヤング:ここに座りなよ。

ジェイムス・バッタリー:そうだよ、座ってリラックスしなよ。

ありがとうございます。(ビールを開けて)では、チアーズ。

全員:チアーズ。

J.バタッリー:日本語でなんていうの?

KANPAI(乾杯)と言います。

J.バタッリーんー! もういちど、乾杯!

ふふふ(笑)。『ele-king』にはすでに編集長によるインタヴューが載っているので、今回は補足的な質問をさせてください。ダークスターははじめ、ヤングとエイデンのふたりのユニットで、すこし風変りだったとはいえどダブステップのトラックを制作していましたね。もしダブステップを通っていなかったら、どんな音楽でデビューしていましたか?

J.ヤング:ダブステップという言葉は嫌いで、認めてはいないんだけど......、そうだね、はじめは、きっとヒップホップかな?

エイデン:グライムを作ってたよ。

J.ヤング:そうだね、MCたちのためにグライムのトラックを作っていたと思う。

その面影もないくらいにスタイルを刷新した新作『ニュース・フローム・ノーウェア』では、ハープシコードやチェロのようなトラディショナルな楽器が使われていますが、初めからそういう構想があったのですか?

エイデン:ハープシコードじゃなくて、アーモニウム(Armonium)なんだよ。

あ、ハーモニウムだったんですか(聞き間違える)。

J.バタッリー:ちがうちがう、アーモニウムだよ。ペダル・オルガン(ハーモニウム)じゃなくて。

J.ヤング:そうそう、アーモニウムっていうのは、プルルルルルルルルっていうやつ(手で筒が回るジェスチャーをしながら、唇を高速で震わせる)。

え(笑)?

エイデン:そうそうそう。

なるほど......、え、なんなんですか(笑)?

J.ヤング:(自分で堪えきれず失笑)ふふふふ......!

(一同、10秒爆笑)

J.バタッリー:本当は「テン、テンテン、テンテンテン」って弾く楽器だよ(笑)。

エイデン:そうそう。ペダル・オルガンもプルルルルルルルルっていうんだよ(笑)!

はい、よくわかりました(笑)。"アルモニカ"という曲名も楽器からなんですね。

※筆者註:英語/日本語圏での一般的な呼称はアルモニカ(Armonica)。

エイデン:真面目に答えると、たくさんの楽器がリチャード・フォンビーのスタジオにあったから、あるものすべてで遊んだんだ。クールなシンセサイザーに、オルガンとか、サーズ(saz)っていうトルコの楽器も使ったね。

もしそういった楽器がなかったら、どんなサウンドを作っていたのでしょうか?

J.ヤング:とてもシンセティックなものになっていたと思う。

J.バタッリー:リチャード・フォンビーと組むことにした理由のひとつには、彼が楽器をたくさん持ってるからというのもあるんだ。僕たちはすこしだけピアノやギターを持ってはいるけども。あと、レコーディングした邸宅にあったたくさんの家具も使ったよ。グラスの音もあれば、ドラムサウンドとして椅子をバンバン叩いたりもしてね。

ビーチ・ボーイズは『スマイル』で野菜をかじる音をパーカッションとして用いましたし、ビートルズの『サージェント・ペパーズ』ではトイレット・ペーパーの芯の音も入っているらしいんですけど、そういうことを思い出すエピソードですね。そこで質問です。好きなビートルズのアルバムはなんですか?

J.バタッリー:『サージェント・ペパーズ』(即答)。それか『ホワイト・アルバム』。それと...『ア・ハード・デイズ・ナイト』が......(ずっと呟いている)。

エイデン:『リヴォルヴァー』も好きだな。

J.ヤング:"エリナー・リグビー"って『リヴォルヴァー』だっけ? たぶん『リヴォルヴァー』がいちばん好きだな。それか『アビー・ロード』。

なるほど。『ニュース~』では古いテープ・エコーの機材も使われているとのことですが、クラシカルな楽器の使用もふくめ、まさしく1967年頃のロック・バンドの実験的なレコーディングと似た感触がサウンドにあらわれています。やはりというか、初期よりも後期のビートルズのほうがお好きなんですね。

J.ヤング:お父さんは熱心なファンなんだけど、僕はそこまでファンじゃないんだ。でも、もちろんビートルズはことはとても評価しているよ。ずば抜けて実験的だから。

J.バタッリー:僕はファンだよ(服につけた『サージェントペパーズ』の色褪せた缶バッジを見せてくれる)。ビートルズのなによりも好きなところは、新しくて他とは違うものになるよう努めていたことだよ。だからこそ、彼らのようなサウンドを作る必要はないんだ。それが彼らの哲学でもあるわけだしね。

エイデン:『マジカル・ミステリー・ツアー』の映像はとても面白いよね。

みなさんは、おなじく熱心なビートルズ・ファンでジョージ・ハリスン推しであるゾンビーと仲が良いですよね。そこで質問です。「Where Were U in '92」?

J.ヤング:うん......、あ、僕がどこにいたかってことかな? ハイスクールがはじまったばかりだったよ。

J.バタッリー:フットボールをしたり、自転車をこいだり、軍隊みたいな秘密基地のようなものを樹のあいだに作ったりして遊んでいたよ。

レイヴには参加してなかったんですね。

エイデン:僕はレイヴしてたよ! 9才で、レイヴしてたんだ。

(一同爆笑)

えー、それは本当ですか!?

エイデン:ジョークだよ。煙草を吸ったり酒を飲んでたね。いや、これもジョーク(笑)。煙草を吸いだしたのは12才のときだね。

J.ヤング:12才......!

不良ですね。不良すぎる......(笑)。

(一同笑)

エイデン:だからもう禁煙したよ。煙草は吸わない(煙草を吸いながら)。

J.バタッリー:僕はいつでも吸ってるよ。毎日だ。よくないよね(笑)。いつの日かやめようと思うよ。癌で死んだときにやめるかな。

どうか死なないでくださいね。新作のタイトルは「どこでもないところからの便り」という意味ですが、じっさいみなさんは定住する家をきめていないと聞きました。それはなにか理由や目的があってのことなのでしょうか?

J.ヤング:そう、スーツ・ケースのなかに住んでるんだ。理由はすこしだけあって、基本的にツアーの事情とお金の事情だ。たとえばいまはこうして日本にいるけども、月末にはロンドンへ戻らなくてはいけかったりするから。

ということは、ロンドンが一応のホームではあるのですか?

J.ヤング:いや、僕にとってはそうでもないよ。

J.バタッリー:ロンドンは2番めのホームだな。僕にとってのホームは、ヨークシャー地方にあるリーズだよ。とはいえ、多くの友だちがいるし、ロンドンもホームのようなものだね。10年も住んだし。

エイデン:人生のほとんどをロンドンですごしたけどね。

J.バタッリー:いまはこうして日本にいる。東京で生活できるなんてナイスなことだよ。

それはなによりです。今回はわざわざ日本にきてくれてありがとうございました。

文:斎藤辰也

Josephine Foster & Victor Herrero - ele-king

 ブラッド・ラッシング――「血の轍」ではなく、「流れ」とでも訳せばいいのか、大地と系譜にねざした、というよりも、そこに忘れ去れたまま眠るものを手ずからこつこつ掘り起こすようなフリーフォーク(......なのか?)でじわじわと注目を集め、昨年われわれもつい何かとひきあいにだして悦にいる英『ザ・ワイヤー』誌の表紙も飾ったジョセフィン・フォスターの来日公演が渋谷〈WWW〉であった。生地・コロラドからスペインはアンダルシア州のカディスに移ったジョセフィンは、日本でも4月11日の神戸から、関西、北陸、中部とこまめにまわり、本日の東京公演が10本目である。私はうっかり今日と書いたが、ここでいう今日とは4月23日である。まだ寒さののこるころだ。風も強かったので厚手のパーカーが手放せない。会場には定刻についたが、みなさんそのような恰好をしていらっしゃる。会場には鳥の声のSEが流れていた。ほどなく、この日の共演者、灰野敬二がフィンランドの民族楽器、カンテラを手に姿を見せる。方形のボディに弦を張ったカンテラを懐に抱えこみつま弾く灰野の掛けた椅子の前には円形のテーブルがあり、その上にSGが置かれている。横倒しにたギターを通常の奏法ではなく演奏するテーブル・ギター、弾き語り、あるいは薄い金属製の円形の底部の外周を長さのちがう金属の棒がとりかこむ、鳥かごに似たウォーターフォン(底は空洞になっていて、そこに水を入れると音が変化する)など、多くのスタイルのなかかでも、身体と楽器の関係がより露わなアコースティックな手法を選んだのは、共演者であるジョセフィン・フォスターを慮ったものだったのだろう、灰野の演奏は断章的ではあったが、それ以上にこの後に続く彼女の音楽につながるいくつかの導線をこの空間にしるしづけるようだった。



写真:三田村亮

 ジョセフィン・フォスターの演目は『ブラッド・ラッシング』を中心に旧作をおりまぜたものだった。オペラの素養のある彼女の歌声はだからといってクラシック的なかたまったものではなく、高音で気持ちよくゆらぎ、言葉とぴったりと寄り添い、空間を満たすのではなく、居合わせた者の耳をそばだてさせる。ジョセフィンの作品に欠かすことのできない盟友、ヴィクトル・エレーロと、シカゴに渡り、彼の地でジョセフィンと親交をもったドラマー、田中徳崇にヴァイオリンからなる演奏陣は、ときに片足を踏み台に乗せてともするととつとつともくもくと進みがちな彼女の歌のアクセントになっていた。とくにフラメンコを独自に消化したヴィクトル・エレーロのガット・ギターは合奏にフォークロアのニュアンスをもたらし、彼がシューベルト、ブラームス、シューマン(『ア・ウルフ・イン・シープス・クロージング』)からエミリー・ディキンスン(『グラフィック・アズ・ア・スター』)、ガルシア・ロルカとラ・アルヘンチーナ(『アンダ・ジャレロ』)へと、枚数を重ねるごとに地面に近づいていく彼女の作品の伴奏(走)者であることをうかがわせる。その遍歴が『ブラッド・ラッシング』に受肉したことは"ウォーター・フォール""パノラマ・ワイド""ブラッド・ラッシング"などの収録曲を生で聴き改めてわかった。



写真:Kazuyuki Funaki

 曲の構造はシンプルで編曲が凝っているわけでもない。種々の意匠はあるけれどもささやかである。その声の特徴にも関わらず、アマチュアリズムにニアミスしそうな無名性への志向。それはフリーフォークの仮構されたフォークロアを元の位置に置き直そうとするかのようである。それで記名性が薄らぐわけではないが、何かの系譜の突端でいま新しく音楽を生み出す感覚がめばえる。それは伝統を確認するということではない。それなら土産物屋のワールド・ミュージックで十分だろう。あるいは同好の士に訴えるか。この日のジョセフィン・フォスターはどちらでもなかった。彼女にとっては比較的大きめな会場のせいもあっただろう。ここではカフェでお客さん数人で膝つき合わせて演るような近さは保てない。ムードに流されなければ、彼らの粗さもみえてくる。悪い意味ではない。私たちはつくりこまれていない音楽を聴きながら、音楽のつくりこまれていなささを意匠として聴くことをおぼえたが、それがなければ演奏は自身と他者と空間と歴史との即時的な対話とならざるを得ない。ロルカがスペインの古謡を採譜、編曲したように、あるいはデレク・ベイリーの『インプロヴィゼーション』(工作舎)におけるフラメンコのギター奏者、パコ・ペーニャとの対話を思わせるごとく。ほとんど即興のように。というと即興の定義を広げすぎだとおっしゃるかもしれないが、本編が終わったあと、灰野敬二をまじえて行ったアンコールでの演奏者が一体化するというより場を共有しながら交錯し合うようなセッションのゆらぎは、バサラ(灰野敬二、三上寛、石塚俊明によるバンド)を彷彿させた、と終演後、楽屋で灰野敬二にいうと、彼はすこし間を置いて、「それは褒め言葉だね」といった。



写真:Kazuyuki Funaki

The Flaming Lips - ele-king

 ロッキー・エリクソンの半生をかなり生々しく描いているらしいドキュメンタリー『YOU'RE GONNA MISS ME』にはずっと興味を引かれつつ、まだ見ていないし、これからも見ないほうがいいのかもしれない。精神病院を出たエリクソンが5つ以上のスピーカーからノイズを流しながらサングラスをかけたままテレビを観る場面の強烈さが相当らしく、「サイケデリック・その後」の人生に覗き見感覚で接することは......60年代の遺産の暗部にダイレクトに触れる覚悟がなければ許されないような気が僕はしている(そして、その覚悟はまだない)。ただ、だからこそエリクソンの場合、その人生を経た音楽作品、すなわちオッカーヴィル・リヴァーのサポートを得た復帰作『トゥルー・ラヴ・キャスト・アウト・オブ・イーヴル』のシンプルな力強さは胸の奥の柔らかいところを一瞬にして掴むものであったし、そしてまた、刑務所で録音されたというそのボロボロの音の弾き語りを聴く度にいまも、音楽から逆流して彼の人生に想いを馳せずにいられない。

 サイケとは言いつつ、2000年代以降の表面的なイメージとしてのザ・フレーミング・リップスは、大勢のヌイグルミを従えて夜毎楽しげな宴を繰り広げている愉快なバンドといったところだろう。もちろんその楽しさはウェイン・コインの実存主義的思想(「きみの知っているひとはみんな死ぬ」)に裏打ちされたものであるが、その哲学自体、バンドのドキュメンタリー『フィアレス・フリークス』によるとメンバーのスティーヴン・ドロゾがドラッグで死にかけた経験に基づいていることがわかる。30年前、ただのジャンクなサイケ・バンドとしてその後の可能性を感じさせずに登場した彼らは気がつけば、いくつかの最悪なバッド・トリップを経験しながら、多くのアメリカのインディ・バンドにとっての精神的支柱のような存在にまでなった......ブッ飛びながら、逸脱しながら、フラフラと表現活動を続けるモデルとして。
 だから、ザ・フレーミング・リップスはひとつのゴールを過ぎたバンドとして、抱かれたイメージと期待に応えながら楽しく活動し続けることだって選べたはずなのだ。が、彼らはそうしなかった。攻撃的で、実験的、ダークだった大作『エンブリオニック』の時点でたしかに新たな道を選んでいたし、先のコラボレーション・シリーズにしたって豪華なゲスト陣とは裏腹にマニアックめの内容だったが......この『ザ・テラー(恐怖)』に至っては、バンドのイメージをひっくり返し、その「楽しさ」に躍っていたファンすら遠ざけかねない不穏な一枚である。トリップはまだ途中、その最中。「サイケデリック・その後」にまでは辿り着いていない、そのエグさがドロリと流れ出ている。
 いくつかの曲において悪夢的で閉所感があり、またいくつかの曲においてスラッシーで強迫観念的、そして全編を通じてメランコリックで瞑想的。多くのひとに愛された『ソフト・ブレティン』や『ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ』のポップさは解体され、切なく美しいメロディはしかし着地点を定めぬまま部屋の上のほうを漂うばかり。男女のエレクトロ・デュオであるファントグラムを招聘した"ユー・ラスト"に至っては、13分に渡って重々しい反復を繰り返しながらずぶずぶと沼に沈んでいき、そして抽象的なアンビエントで酩酊させて終わる。いくつかのダーク・アンビエントな作風やエレクトロニックな意匠は近年のUSアンダーグラウンドの潮流とも結果的にはシンクロしていると言えるし、実際OPN辺りと比較する向きもあるのだが、この驚くべき変化はきわめて内的な動機によって促されているように思える。
 ウェイン・コインが長年連れ添ったパートナーと別れたことが本作に大きく影響しているそうだが、そのことがここまで痛ましい表現を導いてしまうことに動揺する。僕にとってウェインは、あるいはフレーミング・リップスは、どちらかと言えばつねに自覚的で、ユーモラスで、強い存在だったからだ。だがここで彼は、"ザ・テラー"で「やっぱり、みんな孤独」と言いながらその次曲の"ユー・アー・アローン"で「僕はひとりじゃない/孤独なのはきみ」と口走ってしまう錯乱を隠さない。クラウト・ロックめいた反復と激しいビートが不安感を煽る"オールウェイズ・ゼア、イン・アワ・ハーツ"は、「いつも心にあるのは 暴力と死の恐怖/いつも心にあるのは 愛、そして苦痛」といつ告白から始まりつつも、どうにかして「生きる喜び、それが何ものにも勝る/何ものにも勝るんだ」となかば自分に言い聞かせるように終わっていく。
 ドリーミーな音だと形容できるのかもしれない、が、心地よいとは言えない。何かただならぬ狂気がこのアルバムにはあり、そこに踏み込むことこそがバンドにとっての、サイケデリアの新たな領域となっている。ザ・フレーミング・リップスは完成などしていなかった......ここで「恐れ知らずのフリークスたち」は、人生の苦痛と悲哀に震えながら酩酊することを選んだ。そう......恐れ知らずにも。

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