電子音楽好きで〈ミュート〉を知らない人間はまずいないでしょう。もしいたら、それはブラジル代表の試合を見たことがないのにサッカー観戦が好きだとぬかすようなもの。僕にテクノを教えてくれたのは石野卓球という名前で知られている男だが、彼が10代のとき、このレーベルに心酔していたことをよく憶えている。〈ミュート〉がまだマニアックなレーベルだった時代だ。君たちがまだ生まれる前、電子音楽自体がポピュラーではなかった時代、信じられないかもしれないけれど、音楽をやるのにドラマーがいなかったことが考えられなかったという太古の昔の話だ。
ポストパンク時代のUKには魅力的なインディ・レーベルがいくつもあった。〈ラフ・トレード〉、〈4AD〉、〈ファクトリー〉、〈チェリーレッド〉、そして〈ミュート〉だ。
レーベルは、1978年、ダニエル・ミラーがザ・ノーマル名義の7インチ・シングル「T.V.O.D. / Warm Leatherette」を発表したことにはじまる。コルグのシンセサイザーとテープマシンを使ったミニマルなその曲は、エレポップの夜明けとして、インダストリアルの青写真として知られることになる、いわばポストパンクの記念碑的な作品だ。歌詞は(ゲイリー・ニューマンの“カーズ”と同様に)J.G.バラードの『クラッシュ』からのインスピレーションで書かれている。つまり車に性的興奮を覚えるという、ちょっといかれた曲だ。そしてこの曲は、2年後グレイス・ジョーンズ(当時のディスコ・クイーンですよ)にカヴァーされ、アメリカでもヒットしている。……にも関わらず、ダニエル・ミラーは、わりとあっさりアーティスト業を廃業して、自身の情熱をプロデューサー業とレーベル運営に注いでいる。
そして、いや、だからこそ〈ミュート〉の輝かしい歴史が幕を開けた。エレポップの先鋭ファド・ガジェットをはじめ、ノイズ/アブストラクトの先駆者ボイド・ライス、プロト・ハウスのヤズー、80年代の黄金時代のニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズとマーク・スチュワート、声の冒険者ディアマンダ・ギャラス、シンセポップの急進派アイ・スタート・カウンティング、インダストリアル・ダブ/ヒップホップのレネゲイド・サウンドウェイヴ、旧ユーゴスラビア出身のいかついインダストリアル集団ライバッハ、EBMの代表格ニッツァー・エブやミート・ビート・マニフェスト、80年代末からのワイヤー……再発やライセンスでは、カン、クラフトワーク、スロッビング・グリッスル、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン……名前を挙げるのはこのくらいにするけれど、レーベルの根幹にはクラウトロックとノイズがありながら、〈ミュート〉はポップ・フィールドでも成功を収めている。デペッシュ・モードとイレイジャーを筆頭に、最近でも、本国では国民的な存在のゴールドフラップや若い世代を代表するポリー・スカッターグッドなど、このレーベルがポップスを忘れたことはない。レフトフィールドな電子音楽とエレポップの開拓者としての大衆派路線の両道を貫きつづけて35年、なのである。
この度、東京の〈トラフィック〉が〈ミュート〉とレーベル契約を交わした。まずは11月6日、ダンスビートを我がモノとした時代のキャバレ・ヴォルテールの再発が3枚(80年代の傑作『ザ・クラックダウン』と『マイクロフォニーズ』、政治的な問題作『カヴァナント、ソード・アンド・アーム・オブ・ザ・ロード』)、そしてイレイジャーのクリスマス・アルバムが出る。
〈ミュート〉一筋35年の男、ダニエル・ミラーに電話をした。
ザ・ノーマル、1979年のライヴ模様。
〈ラフ・トレード〉、〈4AD〉、〈ファクトリー〉、〈チェリーレッド〉なんかはみんな質が良かったね。お互いが目標だった。一緒に何かをすることはなくても、同時期に存在していたということがとても大切だったんだと思う。
■現在も〈ミュート〉レーベル全体のディレクションはあなたが見ているのですか?
ダニエル・ミラー(以下、DM):そうだね、ミュートというひとつのチームではあるけど、もちろん僕のレーベルだからいまでもディレクションを見ているよ。どちらかというと、いまはレーベルのクリエイティブ方面に重点を置いているかな。
■レーベルが生まれたのが1978年ですから2013年は実は35周年記念だったんですね。いまでも〈ミュート〉のカラーがありますし、レーベルのコンセプトは変わっていないようにも思いますが、いかがでしょう?
DM:レーベルをはじめた当初に築き上げたコアとなる僕らの価値観は35年経ったいまでも変わっていないと思う。音楽の面で言えば、前に進んだし、扱うサウンドの幅も広がったけどレーベルのコンセプトは当初から確固たるものだ。
■35年前のことは憶えてらっしゃいますよね? どのようにレーベルがはじまったのか話せてもらいますか?
DM:いわゆる「レーベル」というものは実在しなくて、僕が自分の音楽をリリースするっていうところからはじまった。最初からかしこまってレーベルをはじめようという計画があった訳ではなかったんだ。自分のシングルをリリースする、それくらいのものだった。でもそれからすぐに実際にレーベルを立ち上げて、自分の好きなミュージシャンの音楽をリリースしたら楽しいんじゃないかって思うようになった。
■レーベルを大きくしたいという野心は最初からあったのでしょうか?
DM:質のいいレーベルにしたいという気持ちはあったけど、レーベルを大きくしたいという野望はとくにはなかったな。クリエイティヴ面に強くて、所属アーティストの面倒をきちんと見るレーベルにしたかった。こういう価値観を元に大きくなるんだったらいいよね。
■〈ミュート〉は現在の多くのレーベルにとって目標になっていますが、あなた自身にとって目標としたレーベルはありましたか?
DM:これといって目標にしたレーベルはなかったけど、僕がはじめたくらいの時期に出て来たインディ・レーベル、例えば、〈ラフ・トレード〉、〈4AD〉、〈ファクトリー〉、〈チェリーレッド〉なんかはみんな質がよかったね。お互いが目標だった。一緒に何かをすることはなくても、同時期に存在していたということがとても大切だったんだと思う。だから、僕はこういったレーベルをリスペクトしてたし、仲間意識もあった。僕の目標はどこにもないレーベルを作ることだった。他のレーベルもそうで、似たり寄ったりのレーベルを作るのではなく、本当の意味での新しいレーベルを作るのが皆のゴールだった。
■ザ・ノーマルの「ウォームレザーレット」は僕もいまでも持っていますが、当時それなりにヒットしたと思います。ザ・ノーマルとしての活動をしなかった理由は何だったのでしょう?
DM:ははは、ありがとう! そうだね、実際のところ自分自身をミュージシャンとかソングライターとして見たことはないんだ。その当時のエレクトロニック・ミュージックに対して自分の中のステートメントを表現したかっただけで、自分のことをいわゆるレコーディング・アーティストとして見たことはない。むしろ、その当時僕のやっていたことを引き継いでやってくれるようなアーティストたちと一緒に何かやっていきたいと思っていて、それをあえて自分自身で続けていこうとは思わなかった。
■レーベル運営やプロデューサーに徹しようと思った理由も?
DM:うん、だからひとつ前の質問で答えた通りだね。
■エレクトロニック・ミュージックというコンセプトは最初からあったと思いますが、あなた自身、どんな影響からその方向性を選んだのでしょう?
DM:レーベルをはじめる以前からエレクトロニック・ミュージックのファンだった。フューチャリスティックだったし、音楽的にも前に進んでいると思っていたからね。でも、その当時エレクトロニック・ミュージックっていうのは限られた人だけの音楽という感じでもあったんだよ。なにしろ機材はすごく高価で、ギターを買うみたいな感覚で気軽にシンセも買えるというわけにはいかなかった。
しかし、その当時、日本のKORGとかROLANDなんかのシンセのブランドが出て来てね。そういえば、僕が初めて手にしたシンセはKORGのものだったな。お気に入りのシンセでいまでも持ってるよ。それで、新しい世代がエレクトロニック・ミュージックを気軽にはじめられる時代が来たと感じて、さらに音楽を前進させてくれると信じた。
僕は常日頃から音楽を前に進めたいと思っていて、エレクトロニック・ミュージックがその答えだと確信した。ただそれまでは、さっきも言ったように機材が高価すぎて誰もが出来ることではなかった。だから、手頃なシンセが出て来て、自分でレコードもリリースできる環境が整ってきはじめて、僕はエレクトロニック・ミュージックが限られた人だけのものじゃないし、大それたプロダクションも必要なくて、ミニマルに作り上げることが出来るっていうことを証明したかった。
でっちあげバンド、シリコン・ティーンズのアー写。
ザ・ノーマル時代のダニエル・ミラー。
日本のKORGとかROLANDなんかのシンセのブランドが出て来てね。そういえば、僕が初めて手にしたシンセはKORGのものだったな。お気に入りのシンセでいまでも持ってるよ。それで、新しい世代がエレクトロニック・ミュージックを気軽にはじめられる時代が来たと感じて、さらに音楽を前進させてくれると信じた。
■カンやクラフトワークのバックカタログを契約して、ザ・レジデンツとも契約をされましたね? このあたりがあなたのルーツなんでしょうか?
DM:そうだね、とくに60年代後半から70年代中盤までのドイツのバンドには個人的に大きな影響を受けた。彼らの音楽に出会っていなければMuteは存在しないとも言える。それくらいの影響力だったし、僕にとっては音楽とのライフラインでもあった。その当時、イギリスやアメリカの音楽はつまらなかったんだけど、ドイツでの音楽的な動きはすごく面白いと思った。
■自分のレーベルからカンやクラフトワークを出すことは、やはり感慨深いモノがあるのでしょうかね?
DM:その通り、信じられないような気分だった。彼らと話し合って、彼らの音楽を再度世に出すということは本当に名誉なことだったよ。
■スロッビング・グリッスルのようなラジカルな作品を出しながら、イレイジャーのようなポップ・ヒットも出しているのが〈ミュート〉の特徴だと思いますが、この10年ではゴールドフラップがレーベルのポップ・アーティストを代表していると思います。あなたから見てゴールドフラップの魅力はどんなところにあるのでしょう?
DM:その当時の、(ゴールドフラップの)アリソンのボーイフレンドが彼女のデモテープを持って来てくれたんだけど、聴いた瞬間に虜になって、最初のコーラスの部分で契約したいと思わせる程のインパクトだった。彼女の声から、アレンジ、サウンド、曲に至るまですべてがパーフェクトで、一瞬にして恋に落ちたような気分だった。本当に即決だったんだ、最初のコーラスで決めたくらいだから。契約後リリースしたアルバムは、全てすばらしい出来だったから、僕の判断に間違いはなかったね。
■まだ日本では有名ではないのですが、ポリー・スカッターグッドの魅力についてもあなたの言葉で紹介してもらえますか?
DM:ポリーは素晴らしいライターでストーリーテラーだ。彼女の曲にはストーリーが詰まっている。いまでこそ彼女は20代だけど、契約当初はまだティーンエイジャーで、彼女の歌詞がすごく良くて魅了されたんだ。それまで音楽を聴き込んできたわけではないようだから、よりいっそう興味をひかれたのかな。そのせいか、新しい手法やサウンドに対してもオープンなスタンスを取っている。1枚目と2枚目のアルバムを聴いてもらうとわかるけど、その頃彼女はまだ自分のスタイルを確立していなくて、いろいろなやり方を試していた過程にいたからかなりスタイル的に異なる仕上がりだった。彼女は有望なパフォーマー、ソングライター、シンガーだよ。
■キャバレ・ヴォルテールのバック・カタログを契約した経緯について教えてください。
DM:90年代初頭くらいから彼らとは一緒にやっていて、僕らは常にバックカタログをリイシューすることによって良い音楽を絶やさないようにしている。そうすれば、人の心のなかで生き続けるから。パッケージし直して、リイシューしたり、ボックスセットを出したりね、このプロセスは彼ら(キャバレ・ヴォルテール)だけではなく、バックカタログを出しているすべてのアーティストに言えることで、良い音楽、僕らが大事にしている音楽を世に出し続け、人の目に触れるところに置いておくことが大切だと思っている。カンや他のアーティストについても同じこと。
■キャバレ・ヴォルテールの再発をダンス・ミュージックにシフトしてからの『ザ・クラックダウン』以後3枚のリリースからはじめた理由は何でしょう?
DM:彼らの初期の方のアルバム(5~6枚)の権利はあったけど、後期のアルバムに関して最近まで僕らには権利がなかったから。去年くらいにようやくバンドから権利を得て、リリースに至った。
■これで、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、スロッビング・グリッスル、そしてキャバレ・ヴォルテールと、ノイズ/インダストリアルのビッグ3をリリースしていることになると思いますが、あなたの彼らに対する思いを教えてください。
DM:ノイバウテンは自分たちのレーベルでリリースしてるけど、〈ミュート〉でも彼らのバックカタログは何点かリリースしてるね。こういったアーティストと長年一緒に仕事ができるのは本当に喜ばしいことで、それが〈ミュート〉としてやりたいことでもある。僕の個人的な好みがこういったバックカタログにも反映されてる。ポップ・ミュージックも好きだし、エクスペリメンタルなサウンドも好きだしといったように。自分の好きなアーティストとこうやって長年やっていくのは決して容易いことではないけど、とてもいい経験だ。
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現在のダニエル・ミラー。(photos : Erika Wallsm)
Carter Tuttiはスロッビング・グリッスルのメンバーだったし、長い付き合いがある。別にポストパンク時代のものがすべて良いっていうわけではないよ。それほど良くもないバンドももちろんいたし。でもその時代のバンドでいまでも格好いいバンドもいるのはたしか。
■ヴィンス・クラークやデペッシュ・モード、ニック・ケイヴなど有名どころもそうですが、他にもライバッハ、バリー・アダムソン、ブルース・ギルバート、ボイド・ライスのように地味ながらずっとリリースし続けているアーティストがいますよね。彼らのような人たちはレーベルにとってファミリーみたいなものなんでしょうか?
DM:断っておくとデペッシュ・モードとニック・ケイヴはもううちではリリースはしていないけどね。もちろんイレイジャー、ヴィンス・クラーク、ゴールドフラップなんかはいまも出している。ライバッハやボイド・ライスなんかはずっと一緒にいるからね、そりゃもう家族みたいなもんだ。彼らが良い音楽作り続ける限り、それを世に送り出したいと思う。こういったアーティストたちとともに歩んでいくことも僕自身大切なことだと思っている。
■来年はライバッハの新作が控えていますが、彼らのような東欧のベテランの作品に対する新しいリアクションにはどんなものがありますか?
DM:彼らにはいまだに世界中に熱狂的なファンがたくさんいるね。ライバッハに対してだけではないけれど、すべてのアーティストに対して新しいオーディエンスをつけたいと思っていて、それによってリリースを続けていければと思っている。ライバッハに関しては、新しいリアクションというのは目立ってあるわけではないけれど、彼らが活動をし続けていることを見られるのはみんな喜んでいるよ。
■再発もので、意外なほどセールスの良かった作品やアーティストがいたら教えてください。
DM:全体的に見ると、カンだろうね。89年からバックカタログのリリースを続けているけど、コンスタントにものすごく良く売れている。バックカタログの売り上げの中では常にカンがダントツだね。これにはいつも僕も驚かされるよ。と、同時にもちろんうれしくも思うけどね。
■亡くなったフランク・トーヴェイの編集盤を2006年に出していますね。彼はレーベル初期を代表するアーティストでしたが、彼はどのような人物でしたか?
DM:フランクは僕がレーベルを立ち上げて初めて一緒に仕事をしたアーティストだ。Fad Gadgetとして契約をした。だから彼にはとても思い入れがあったし、彼との関係は特別なものだった。フランクとは友だちから紹介してもらって、デモを聴いたんだけどそれがすごくよくてね、実際会ったら意気投合した。クリエイティヴで、心優しくて、ユーモアのセンス溢れるやつだった。長年一緒にやっていたあいだ、途中で音楽活動をやめて、プロダクション方面にいったりしたけど、またアーティストとして活動をしはじめてた矢先に亡くなってしまったので、ものすごく悲しかったし、残念だった。彼と一緒に仕事ができて心から良かったと思ってる。
■昨年もCarter Tuttiの『Transverse』を出していましたが、やはり、ポストパンク時代のアーティストには特別の思い入れがあるのでしょうか?
DM:そりゃ、もちろん。Carter Tuttiはスロッビング・グリッスルのメンバーだったし、長い付き合いがある。別にポストパンク時代のものがすべて良いっていうわけではないよ。それほど良くもないバンドももちろんいたし。でもその時代のバンドでいまでも格好いいバンドもいるのはたしか。クリス&コージー(Carter Tutti)はもちろんそうだし、その当時から一緒にやってるワイヤーも素晴らしいしさ(Duet Emmo名義で共作もしている)。ポストパンクの時代から変わらずいいバンドがいるのは間違いない。
■80年代にくらべて、音楽の力は弱くなったと思いますか?
DM:80年代に比べたら、60年代のほうがより多くの選択肢があったと思う。ただ、いま、音楽がこういった時代よりもより強いインパクトを与えることは可能だと思う。現在に比べてその当時は音楽に対して深い思い入れを抱くこともできたんだけど、いまはいろいろな選択肢があることによって絞りきれなくなっている。だからこそ、アーティスト自身や、アーティストが作る音楽そのものがよりいっそう強いインパクトを与えて、昔のような人の心の掴み方をしなければならない。結論から言うと、音楽の力は80年代に比べると弱くなっている。もちろん、それを覆す可能性もおおいにあると思うけど、あの当時のようにはいかないと思う。さっきも言ったようにいまは選択肢がありすぎるから。
■インターネットの普及によって、ミュージック・ビジネスはこの10年で大きな変化のなかにあると思います。あなたは現在の変化をどのように見ていますか?
DM:インターネットの普及によって出来ることはかなり広がった。それにはもちろん音楽も含まれていて、レコーディングの技術が生まれてから現在に至るまでの膨大な量の音楽に誰でも気軽にアクセスが出来るようになったし、この変化はポジティヴなものだと僕は思う。ただ、さっきも言ったけど、こういう技術の発達によって選択肢がぐんと広がった以上、一歩先を行くには、音楽自体がよりいっそう強いインパクトを与えなければいけないと思う。
■新しいサブレーベル〈Liberation Technologies〉について教えてください。このレーベルのリリースにはMark Fellのような比較的新しい世代の実験的なアーティストが目に付きますが、今後、どのような展開を予定しているのでしょうか?
DM:僕らは長年エレクトロニック・ダンス・ミュージックにも携わっていて、〈ミュート〉のサブレーベルでもある〈Nova Mute〉からはスピーディー・Jやリッチー・ホウティン(プラスティックマン)なんかのタイトルをリリースして来た。僕はダンス・ミュージックが好きだったし、その世界に居続けたかったから、その辺の音楽に詳しいやつと一緒に〈Liberation Technologies〉をはじめたんだ。まずは12インチのリリースやダウンロード・アイテムをリリースすることからはじめた。ジャンルはとくに特定せずに、それを越えて常に前に進み続ける音楽を出していきたかった。はじめてから1年くらい経つけど、立ち上げてよかったと思ってる。とても満足しているし、ネクストステージをどのようなものにするか考えているところだ。
■長年、ミュージック・ビジネスに関わっていて、音楽が嫌いにはなりませんでしたか?
DM:いや、音楽自体を嫌いになったことはいちどもない。仕事上で音楽を聴かなければいけないのはたまにつらかったりもするけど。レーベル運営者としての音楽に携わることと、いちファンとして音楽に触れることはまったく別物だから。音楽業界自体は僕は好きではないんだけど、アーティストと仕事をすることはとても楽しいし、彼らのヴィジョンを形にする手助けが出来るのもうれしい。長年やっていればつらいこともあるけれど、ほとんどの部分においてはレーベルをやっていて良かったと心から思るし、いまでもそう思えていることが大切なんじゃないかな。
■DJはやられているんですか?
DM:うん、年に10回程、だいたい月1回のペースで。かけるのはテクノだね。
■日本には、〈ミュート〉に影響を受けたアーティストが少なからずいますが、日本人アーティストを出しようなことはお考えではないですか?
DM:まだその機会に恵まれたことはないんだけれど、いいアーティストがいればもちろん! ボアダムスとは何かやろうと思ったこともあったけれど、実現はしなかった。そこまで詳しいわけではないけれど、日本の音楽は好きだしね。日本だけではなく世界中のアーティストに興味があるよ。
■2013年にリリースされた作品で、あなたにとって良かった作品をいくつか挙げてください。
DM:いい質問だね(笑)! 良かった作品は間違いなく、〈ミュート〉からリリースした作品だ。ゴールドフラップのアルバムがダントツで良かった。自分のレーベルからアーティストを選ぶのは好きじゃないんだけど、ゴールドフラップのアルバムは群をを抜いてたからね。レーベルをやっていて難しいのはさ、自分が手がけている音楽以外のものを聴く暇がないんだ。だいたい毎年、クリスマスの時期になると数週間時間が出来るから一年を振り返っていろいろ聴けるんだけど、いまの時点だと〈ミュート〉からリリースされたものかな(笑)。